職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★「絶不調」の度合いが深ければ深いほど、あるいは、さまざまな対策が根源的であればあるほど

2011-09-14 14:35:53 | 2011夏の絶不調

 

2011

09.14
この植物の正体がわかる方があれば、ぜひ教えていただきたい


★朝、起きたら、コーヒー豆がからっぽだった。
 保管している生豆をチェックすると、グァテマラも、ブラジルも、ニカラグアもからっぽ。
 マンデリンは少々。
 モカだけは大量にある。
 モカ60グラムを手鍋に入れ、強火で焙煎をはじめる。
 外は雨。
 雨を避けながらチャフ(薄皮)を飛ばす。……

★今夏の絶不調(8月いっぱい)から、徐々に抜け出しつつある。
 このブログで、これまでに述べてきた、いくつかの原因は、浅さ、深さについてはとにかくとして、すべて当たっているし、また、いくつかの対策も、おおむね妥当であると思う。
 今、念のために、ま、浅さ、深さについてはとにかくとして(*^_^*)、こ、こ、これだぁ~!……と思っている原因を2点。

 1点目=「今の僕は、(現顧問といっしょに僕の職場にやってきた)昔の教え子の(ピッチングフォームの)ように、人生のフォームが崩れている(8/6)」に対応させて述べるなら、僕のフォームが、焦りから、つんのめっている。
 けさ、TVニュースをみていたら、なでしこジャパンの澤穂希選手が「佐々木則夫監督が『前がかり』を『前かがみ』って言うんですよ」と笑っていたが、僕に限っていえば、『前がかり』も『前かがみ』も同意だ(*^_^*)。

 2点目=睡眠不足。
 僕は、何時間も連続的に爆睡するヤツはイノシシに食われる……と思っている。
 こまめに睡眠をとる。
 だから、何日でも朝、昼、夜の連続勤務が可能だ。
 ただ、やはり、睡眠のトータルが減ると、失墜する。
 今夏の絶不調は、あきらかに睡眠のトータルが不足していたことによる。
 おととい、トータル=7時間。
 きのう、トータル=9時間。
 これで、ほぼ復調(^_^)v。

★今夏、絶不調から脱出しようとして、今夏(主に8月)のブログにグタグタとあるように、あれこれと原因を探りまくり、いろいろな対策を試みた。
 ただ、これにより、絶不調を抜け出し、ああ、これで一件落着……というのではなく――現に僕はそうしかかったのだが――あれこれの原因や対策が、このブログのテーマになる……というふうにしなくてはいけないと思っている。
 「絶不調」の度合いが深ければ深いほど、あるいは、さまざまな対策が根源的であればあるほど、このブログのテーマが掘り下げられていく……というふうに。

★バイオリニスト・神谷未穂さん=「震災後初めてバイオリンを手に取ったとき、体全体に再び血が通い始め、内側から力がみなぎってくる感覚。自分では精神的にしっかりしていると思っていたけれど、その瞬間、音楽に救われたと思いました」。
 ホンマやね。
 神谷さんのいう音楽が、人それぞれに、文学だったり、野球だったり……する。
 表面的なことでは救うことができない苦しみ――死と隣り合わせの苦しみ、あるいは死に向かいつつある恐怖、あるいは、(実際に僕の根本のところにあるような)すべての価値を否定する虚無等――に対して、ま、神谷さんの場合はバイオリン、僕の場合は原稿用紙……というカタチで。



★画像=庭の正体不明の植物。
 庭の草取りをしているとき、サンショウの木の隣に、サンショウより小さな植物を見つけた。
 サンショウを雑草として処理しないのと同じ理由で、放置していたら、画像のように、サンショウの何倍もの大きさに成長した。
 このブログをご覧の方で、この植物の正体がわかる方があれば、ぜひ教えていただきたい。



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★ブレストだ。シンドイことには触れない。要するに、僕は今「憑依のうわ言ポイント」を探しているのだろう
★次女・照美が「おじちゃん、奈良に帰ったら、何するの?」と車窓にすがる。「吉野の山で野垂れ死にや」
★今夏、もがきながら、僕が見つけた2つの「光」。憑依の光。暗がりの底の光。2つの光が接続するといい
★ホンマ、絶不調だ。HPは僕の存在のカタチ。しかし、最近、HPに対する執着心が急速に薄れつつある
★『秋深き』ラスト3分間は何度観ても涙が出る。池田敏春監督は、昨年12月に入水自殺。『秋深き』は遺作

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『秋深き』ラスト3分間は何度観ても涙が出る。池田敏春監督は、昨年12月に入水自殺。『秋深き』は遺作

2011-09-12 14:41:17 | 2011夏の絶不調

 

2011

09.12
お父ちゃんも、お母ちゃんも、赤飯炊いて食べたんやで


★昨日の日曜日、今夏の絶不調から抜け出そうと、あれこれと考え(例=朝風呂……部屋の模様替え……怒濤の散歩等々)、結論として、その1つ、部屋の隅でDVDを流し(観るわけではない)ながら作業……を実践した。
 DVDは『秋深き』を選択。
 これが失敗だった。
 絶不調を通り越した、次元の異なる不調に陥る。
 『秋深き』が悪いのではない。
 しかし、精神的作業を促進させるためのBGM的な映画ではない(ノ△・。)。
 園田競馬場の場面が長い。
 小谷治(赤井英和)の話は不要。
 インケツの松(佐藤浩市)は、実際には登場させないで、その存在を感じさせる手法――「それでは映画にならないよ!」と池田監督に反論されるだろうが――を僕は好む。
 音楽(「アルハンブラの想い出」か?)も、――池田監督はスゴク気に入っていた様子――映画を観ながら聴いているといいのかもしれないが、昨日の僕のようにBGM的に流していると、何度も何度も繰り返され、耳につき、ちょっと辟易。

★一代が寺田と2人だけの式を挙げる生国魂神社。
 寺田が一代を探し回る空堀通商店街。
 一代が乳ガンのことを打ち明けるお好み焼き屋。
 これらのシーンは、僕の同一性を確認させてくれる。
 そして、最後の3分間の父と子の仏壇屋のラストシーン――
父「(お茶をもってきて)おい、なんや」
寺「あっ、おおきに……なんで、こんな、値段ちゃうの?」
父「商売、覚える気になったか? 学校、首になったんか?」
寺「嫁はん、死んだん、知ってるんやろ? 教えてくれはる人、おるんやろ?」
父「葬式の連絡くらいせんかい」
寺「それどころやなかった」
父「お母ちゃんと線香、あげにいく」
寺「肝心の仏壇ないから買いにきた。貯金たまるまで顔出せなんだんや」
父「気に入ったんあったら持ってけ。香典代わりや」
寺「お父ちゃん」
父「位牌も棒引きにしたる。一代さんから何遍もていねいな手紙もろた。」
寺「え?」
父「おまえらが生玉はんで式あげた日な、お父ちゃんも、お母ちゃんも、赤飯炊いて食べたんやで」
 父から貰った仏壇を自転車の荷台にくくりつけ、天王寺七坂(口縄坂)を、
 「一代、重い」
 と、言いながら上るシーン。
 このラスト3分間は、何度観ても、僕は涙が出る。
 なお、監督の池田敏春氏は、昨年12月に三重・伊勢志摩で入水自殺。
 『秋深き』は遺作になる。



★教育の仕事に携わる「僕」という人物に対して、僕自身が描いているイメージは、ずっとしばらく、沢木耕太郎が鉄路と陸路でロンドンを目指す「深夜特急」のように、突き進むというイメージだった。
 ただ、どんな改革でも、初め、怒濤のように進展しても、やがて困難な状況に至る。
 このとき「深夜特急」では合わない。
 合わないなぁ~と自覚したのは、2007年頃だった。

★このとき、新たなイメージに変えてしまう方法と――ま、僕はとっさにイメージを変える方法に飛びついてしまったのだが――もうひとつ、イメージはそのままで、進行する地図の尺度をガラリと変える――例=10キロ単位の地図→1キロ単位に変える――方法があるのではないか?と、最近になって、思い始めた。

★イメージを変える方法だと、「驀進」イメージから、ガラリと変えて、ためらいつづけることの贅沢さ……というか、停滞と逡巡のゆたかさ……ま、セーヌ河に浮かぶ船を仮寓とし、行方もしれず漂う「僕」の日々……という感じに(*^_^*)。(2007年以来、ここまで、僕は、このイメージで生きてきたのではないか?)

★地図の尺度をガラリと変える方法というのは、「40キロ前進するんだ」というような目標から、女子棒高跳の選手が1センチの更新に奮闘努力というような目標に変える。
 例=「学校部活動全員強制加入制から任意加入制へ」という目標を、「任意加入制を支持する保護者の割合を27%から30%に」と。

★「学校部活動全員強制加入制から任意加入制へ」という目標は粗いから、行き詰まると仕事が見えなくなる。
 「任意加入制を支持する保護者の割合を27%から30%に」というと、これを目指してやることが、次々に見えてくる。
 停滞と逡巡のゆたかさに酔うことを選択した、2007年の僕を、僕は後悔している。

★画像=BGM的にDVD『秋深き』を流した部屋。
 もう少し、珈琲がうまい部屋に模様替えをしたいが、どう替えていいのかわからない(ノ△・。)。




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大阪人にとってお好み焼きは常に悲しみとともに存在しています。だから、お好み焼きのそばだと悲しいことも

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★ホンマ、絶不調だ。HPは僕の存在のカタチ。しかし、最近、HPに対する執着心が急速に薄れつつある

2011-09-05 15:10:25 | 2011夏の絶不調

 

2011

09.05
しぶとく?生き残っている僕のうちのベクトル


★ホンマ、絶不調だ。
 僕は、ホームページを開設して、あしかけ12年になる。
 僕のホームページの定義。
 〈HPは、現実世界における、僕の存在の仕方そのものである。〉
 同時に、〈HPは、僕の可能性(=欲望)のカタチである。〉
 しかし、ここ、しばらく、このHPに対する執着心、あるいは妄執が、急速に薄れつつある。
 僕は、僕自身のHPやブログを、もう何日間もみていない。
 コンテンツであるBBS、チャット、twitter、「無人駅線」他に至っては、何ヵ月もみていない。
 ということは、要するに「自分の存在の仕方」を見失っているのか? あるいは、既に自分の存在に意味がなくなったのか?……ということである。
 要するに、可能性が0だということやね(ノ△・。)。

★苦しまぎれに、8月いっぱいは、部屋の隅(僕の家の中でもっとも西側の隅)に、あぐらをかいて「人生の時空間彷徨の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレスト」特集を、やった(*^_^*)。
 ブレスト中、目をつぶると、このまま僕のカラダが消えてしまうのではないかという不安を感じた。
 ま、ひょっとしたら、この「不安」は、むしろ「快感」に近かったかもしれない。
 そのブレストの果てに、僕は、西側の隅の壁の向こう側の、巨大に成長したヨウシュヤマゴボウ、群生するアオキ等に占領された庭の、もつれる響き、樹々の叫び、草のしつしつの中に、2つの「光」――「憑依の光」と「暗がりの底の光」を見いだす。

 「憑依の光」=「職員室通信」上で憑依状態でうわ言のように「(臨床)教育(学)」を語る。

 「暗がりの底の光」=見えるモノ(の陰)、感じるモノを、一即座に、一発芸的に、アウトプットする。

★昨晩から、深海魚のように自家発電して、自分のうちにあるベクトル(こういう状態からこういう状態に進みたいという方向とエネルギー)を1本1本、チェックしている。
 「憑依の光」と「暗がりの底の光」に接続したいのだ。
 残念ながら、まだ1本も見つかっていない。
 しかし、失望はしていない。
 僕が消滅したのではない。
 僕はここに、いる。
 だから、僕を縁取っていた輪郭が崩れたか、 あるいは、僕を世界に位置づけてきた枠組みが融解したか……であって、しぶとく?生き残っている僕のうちのベクトルは必ずあるはずだ。
 (具体的な「ベクトル」内容は、あす、つづきを書くつもり。)











★画像=やっと咲いた僕のヒマワリ。
 種を植えたのが5月の終わり。
 以来、悪条件(やせた土、日照不足、長雨、虫害等)に耐え、もつれる響き、樹々の叫び、草のしつしつの中で、やっと咲いた。
 感激している。
 しかし、花は想定よりはるかに小さい。
 ゴール=開花に至った割合もきわめて低い。
 今夏、「ヒマワリとともに目覚め、ヒマワリとともに眠り、ヒマワリとともに朽ちる企み」作戦は失敗に終わった。
 ホンマ、ヒマワリには悪いことをした……、申しわけなかった……と猛省している。

 庭の草のしつしつを聴き、ヒマワリもだいじょうぶだろうと思ったのが大間違いだった。
 次は、「日陰に強い野菜」に挑戦したい。

 例=ミツバ、ミョウガ、ニラ、ラッキョウ、アスパラガス、パセリ、サンショウ(現在、たくさん育っている)、アサツキ、チャイブ、シソ、ミント、イチゴ、ネギ、ソラマメ、エンドウ、ハクサイ、キャベツ、ユリ(現在、ガンガン咲いている)。

★関連記事
★今夏、もがきながら、僕が見つけた2つの「光」。憑依の光。暗がりの底の光。2つの光が接続するといい

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★スカスカの「職員室通信」+「情景描写」+「哲学」。はたして、これで、新しい自分が創出できるか?

2011-08-31 13:17:26 | 2011夏の絶不調

 

2011

08.31
プレイボール! トーストの焼ける匂いとコーヒーの濃い香り


★「職員室通信」というのは、僕と読み手が同一時空間に存在することが前提になっているから、対象となることがら(例=学社連携・授業改善等)について、ま、打てばひびく状況にある。
 くわしい前後の説明や生々しい具体的な場面はカットする。
 明日の実践に向けて、僕はバタバタと書き、読み手も授業と授業のあいだの混乱状態でバタバタと目を通す。
 だから、改めて、じっくり読み返すと、なんだかスカスカで、ものたりないということになる。

★先のツイートで、「職員室通信」上で憑依状態でうわ言のように「教育」を語る……というのが、僕の理想だといった。
 憑依状態でうわ言のように「教育」を語ると、どういうわけか、余計なことまでしゃべる。
 対象となることがらについて、100年前から歴史的に語ろうとしたり、その場の空気を描写しようとしたり……。
 こういう「通信」もないわけではない。
 でも、きわめて例外。
 ふりかえると、憑依状態で語れているのは、生徒の数が減る長期休業中に発行する会議&研修用の「職員室通信」に限定されている。

 だからこそ、今、うわ言で語り直したいという衝動が僕のうちにある(*^_^*)。
 いってみれば、「生き直し」か?
 スカスカの「職員室通信」+「情景描写」+「哲学」。
 これで、新しい自分が創出できるといいのだけれど……。

★朝、手鍋焙煎のニカラグア中煎りとマンデリン中煎りをミルに入れて挽く。
 ……トーストの焼ける匂いと、コーヒーの濃い香り。
 プレイボール!
 +「情景描写」。
 +「哲学」。
 1日中、とじこもりたい。
 「情景描写」はグダグダやるのではなく、象徴的、書き割り的、1、2行の一発芸的な描写。
 「哲学」はグダグダやりたい。
 これで、僕が変われるといい(^_-)。




★画像=やっと咲き始めた僕のヒマワリ。
 種を植えたのが5月の終わり。
 以来、悪条件(やせた土、日照不足、長雨、虫害等)に耐え、ゴールをめざしてきた。
 花は想定よりはるかに小さいし、夏、「ヒマワリとともに目覚め、ヒマワリとともに眠り、ヒマワリとともに朽ちる企み」作戦には失敗したが、でも、開花、ホンマにホンマに、おめでとう!

★関連記事
★庭のヒマワリ畑化大作戦。ヒマワリとともに目覚め、ヒマワリとともに眠り、ヒマワリとともに朽ちる企み

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★送り火。僕につづいて、パートナーもまたいだ。パートナーの身体が、一瞬、火に照らされ、闇に消えた

2011-08-28 15:24:54 | 2011夏の絶不調

 

2011

08.28
中・高校生だけではないよ。今、僕も自己の存在を見失っている


★アイデンティティという語を、僕は迷わず(というか長いあいだ「迷」った結果として、現在は単純、頑迷に)「同一性」と直訳している。
 と同時に、これを時間(垂直)軸と空間(水平)軸の2軸でとらえている。
 「時間軸」は、もちろん自己の時間的・歴史的連続性、つながり。
 「空間軸」は、所属する社会との連続性、つながりである。
 それぞれについて具体的に語りたいところだが、時間とスペースの関係で全部はしょる。

〈参考〉
 ・無意識裡に照合した他の思考=エリクソンの自己同一性・ヤスパースの超越者・西田幾多郎の純粋経験
 ・「場面設定シナリオ式発声&音読練習案」を提示し、乱氏のクリンチを振りきり、事務室に行くとアキラ主任が
 ・「指針メモ」――大袈裟&イメージ化。嘘つき接写。オチ&批判封印。怒濤の片々を川上未映子のように図太く
 ・敗戦日前後からゴミにまぎれることなく、クリップに留められた、ちぎった紙片、切り抜き等、計5枚のメモ
 ・師の自刃。集中豪雨。流水の轟き。弔い期間。未明にハッと目が覚める。「道」が見える。迷走からの脱出

★今、この時期、ここで話題にしたいのは、空間軸のほうだ。
 空間軸の例として、
(1)学級・学年の友人とのつながり
(2)教師とのつながり
(3)家族とのつながり
(4)地域の人々とのつながり
(5)インフォーマルな友人とのつながり
(6)部活動仲間とのつながり
(7)いわゆる「第4の領域」の仲間とのつながり……等々。

 経験的にいって、いわゆる「急性のアイデンティティ混乱」も含め、2学期はじめは、自己の存在の意味を見失ってしまう中・高校生が多い(自殺者も、他の時期にくらべると、この時期が多い。)

 粗くいえば、空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 僕は(このことについては苦しみつづけてきたが、いや、今も苦しみつづけているが……)キライではない。
 しかし、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。

          ★つづきを「職員室通信」で読む。



★画像は、8/16の送り火。
 火が、だんだん小さくなった頃、玄関から外の闇に向かって、送り火を3回またいだ。
 僕につづいて、パートナーもまたいだ……というか、ピョンとバンビのように飛び跳ねた。
 パートナーの身体が、一瞬、火に照らされ、闇に消えた。
 霊があの世に送り届けられるようだった。


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★今夏、もがきながら、僕が見つけた2つの「光」。憑依の光。暗がりの底の光。2つの光が接続するといい

2011-08-24 14:03:18 | 2011夏の絶不調

 

2011

08.23
落ち着け。湯沸かしに水を入れ、ガスに火をつける。コーヒー豆をミルで挽く


★現在、このブログで、連日、「人生の時空間彷徨の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレスト」特集をやっている(*^_^*)。
 カタチのない、あるいは、カタチがあっても輪郭がグネグネ、ぼんやりとしている問題だが、特集の結末を、端的に、あるいは粗く示せば、次の2点になる。
 1点目=絶不調を抜け出すために、「憑依の状態で、うわ言のように語れる」ポイントを極める。
 2点目=絶不調を抜け出す努力と並行して、絶不調状態で、うわ言のように語れる」ポイントを極める。

 本日、提示している「職員室通信」は、「憑依の状態で、うわ言のように」教育を語っている、ひとつの例だ。

     ★憑依の状態で、うわ言のように語っている「職員室通信」をみる。

★人生の時空間彷徨の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレストのつづき。

 復習――
(1)直接のきっかけ――ひとつの仕事に区切りがついたので、リフレッシュのつもりで「放電」していたら、なにかがプッツンと切れ、再充電(再起動)不能に陥る。

(2)泣き面に蜂――再び立ち上がるためのモデルを探しているとき、京都のダンスチーム「今村組」に出くわし、主催者で、同業でもある今村克彦氏の「ガッツ」に打ちのめされる。

(3)「特技」の消滅――これは先の「放電」とも「泣き面に蜂」とも、直接的には関係がない。
 僕には、渦中に存在しつつ、「渦中」を自分のうちに取り込み、再構成するという特技(常套手段)がある。
 これが発揮できない場面(2011・種市夏祭りの行列)に遭遇する。
 今夏、最大の苦しみだ。――いずれ元気になったら、この「行列」を自分のうちに取り込み、再構成し、そして「語る」ということに、再挑戦したい。

(4)修正点を求めて――過去記述検索で、過去(2005)のある地点に「憑依の状態で、うわ言のように語」っているポイントを発見する。

★放電。
 最初は心地よかった。
 とろけるようだった。
 しかし、気がついたら、骨格まで融解し、まったく立ち上がれなくなっていた。
 『母べい』で、奈良に帰る叔父・仙吉(笑福亭鶴瓶)を乗せた列車がユルユルと動き出したとき、次女・照美が「おじちゃま、奈良に帰ったら、何するの?」と車窓にすがる。
 「どうせ、お国の役に立てへんさかい、吉野の山で野垂れ死にや」(←「お国」の滅亡とともに、仙吉は、ホンマに野垂れ死にする。)
 この「野垂れ死に」のイメージだった(ノ△・。)。
 動けなくなった僕の前を、8/6も、8/9も、8/15も、スルスルと過ぎていく。
 あせる。
 もがく。
 苦しむ。

 でも、落ち着け。

 湯沸かしに水を入れ、ガスに火をつける。
 コーヒー豆(ニカラグア・手鍋焙煎の中煎り)をミルで挽く。……
 トーストの焼ける匂いと、コーヒーカップからの硬質&清澄な香り。

 2005「憑依の状態で、うわ言のように語る」って、いったい、僕は、何を語っているのか?
 もちろん、「(臨床)教育(学)」だ。
 この発見は「光」ではないか?(以上、昨日までの復習。)

★もうひとつ「光」。
 人生の時空間彷徨の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレストの、最後だ。

(5)放電の果ての融解。
 細胞と細胞を関係づけていた、すべての構造が脱落する虚脱感。
 部屋の隅(僕の家の中でもっとも西側の隅)に、あぐらをかいたまま立ちあがれない状態が何日かつづく。
 ひとつ壁の向こう側は、巨大に成長したヨウシュヤマゴボウ(画像)や、群生するアオキ等に占領された庭。
 もつれる響き。
 樹々の叫び。
 草のしつしつ。
 夜ごとに、この暗がりの隅(底)に存在することが、ここに至れたことが、ひとつの「光」なのではないか?

(6)今夏、もがきながら、僕が見つけた2つの「光」。
 憑依の光。
 暗がりの底の光。
 この2つの光が、接続するといい……と考えている。
 (ブレストのまとめ、以上。
 なにをいいたいのか、ぜんぜん、わかれへんわぁ~と笑われそうだが、ま、融解過程の記述なので、支離滅裂を許していただきたいm(_ _)m。)









★民主党の前原誠司前外相が、前原氏を支持するグループ幹部との会合で「(党代表を)私にやらせていただきたい。20年間の政治生命をかけて決断した」と述べ、代表選出馬に向けての決意を表明――。

 前原氏は、民主党議員の中で、僕が唯一、シンパする人物だ。
 しかし、この時点で、党代表というのは、僕としては、あまり、いや、まったく賛成できない。
 理由。
 八ッ場ダム問題、JAL問題、対中・対ソ外交問題……等々、最初は威勢がいいのだけれども、最後は、すべてウヤムヤ。
 この人は、ひょっとしたら、ホンマに、この程度なのかなぁ~とショックを受けつづけてきた。
 もちろん、前原氏へのシンパの心は変わらない。
 だから、これまで僕が提示してきた「妄想」(←ここでは繰り返さない)の最終段階、安倍政権復活――この政権下で官房長官、あるいは外相を経験し(さらに修業し、ひとつのきちんとした仕事を成し)たあとでいいのではないか?と感じている。

★関連記事
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★次女・照美が「おじちゃん、奈良に帰ったら、何するの?」と車窓にすがる。「吉野の山で野垂れ死にや」

2011-08-23 13:15:20 | 2011夏の絶不調

 

2011

08.23
でも、落ち着け。湯沸かしに水を入れ、ガスに火をつける。コーヒー豆をミルで挽く



★人生の時空間彷徨の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレストのつづき。

 復習――
(1)直接のきっかけ――リフレッシュのつもりで「放電」していたら、なにかがプッツンと切れ、再充電(再起動)不能に陥る。

(2)泣き面に蜂――京都のダンスチーム「今村組」主催者・今村克彦氏の「ガッツ」に打ちのめされる。

(3)特技の消滅――「渦中」に存在しつつ、「渦中」を自分のうちに取り込み、再構成するという特技が発揮できない場面(2011・種市夏祭り)に遭遇する。今夏、最大の苦しみ。

(4)修正点を求めて――過去記述検索で、過去(2005)に「憑依の状態で、うわ言のように語る」ポイントを発見する。

★放電。
 最初は心地よかった。
 とろけるようだった。
 しかし、気がついたら、骨格が融解したみたいに、まったく立ち上がれなくなった。
 『母べい』で、奈良に帰る叔父・仙吉(笑福亭鶴瓶)を乗せた列車がユルユルと動き出したとき、次女・照美が「おじちゃん、奈良に帰ったら、何するの?」と車窓にすがる。
 「桜の花の咲く頃、吉野の山で野垂れ死にや」
 この「野垂れ死に」のイメージだ(ノ△・。)。
 動けなくなった僕の前を、8/6も、8/9も、8/15も、スルスルと過ぎていった。
 あせる。
 もがく。
 苦しい。

 でも、落ち着け。

 湯沸かしに水を入れ、ガスに火をつける。
 コーヒー豆(ニカラグア・手鍋焙煎の中煎り)をミルで挽く。……
 トーストの焼ける匂いと、カップからの清澄な香り。

★2005「憑依の状態で、うわ言のように語る」って、いったい、僕は、何を語っているのか?
 もちろん、「(臨床)教育(学)」だ。
 この発見は「光」ではないか?

 もうひとつ「光」。
 人生の時空間彷徨の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレストの、最後だ。

(5)放電の果ての融解。
 細胞と細胞を関係づけていた、すべての構造が脱落する虚脱感。
 部屋の隅(僕の家の中でもっとも西の隅)に、あぐらをかいたまま立ちあがれない状態が何日もつづく。
 ひとつ壁の向こう側は、巨大に成長したヨウシュヤマゴボウ
(画像)や、群生するアオキ等に占領された庭。
 この暗がり隅(底)に存在することが「光」なのではないか?

(6)今夏、もがきながら、僕が見つけたの2つの「光」が、接続するといい……と考えている。(ブレストのまとめ、以上)









★民主党の前原誠司前外相が、前原氏を支持するグループ幹部との会合で「(党代表を)私にやらせていただきたい。20年間の政治生命をかけて決断した」と述べ、代表選出馬に向けての決意を表明――。

 前原氏は、民主党議員の中で、僕が唯一、シンパする人物だ。
 しかし、この時点で、党代表というのは、僕としては、あまり、いや、まったく賛成できない。
 理由。
 八ッ場ダム問題、JAL問題、対中・対ソ外交問題……等々、最初は威勢がいいのだけれども、最後は、すべてウヤムヤ。
 この人はこの程度なのかなぁ~とショックを受けつづけてきた。
 もちろん、前原氏へのシンパの心は変わらない。
 だから、これまで僕が提示してきた「妄想」(←ここでは繰り返さない)の最終段階、安倍政権復活――この政権下で官房長官、あるいは外相を経験し(もっと修業し)たあとでいいのではないか?と感じている。

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★ブレストだ。シンドイことには触れない。要するに、僕は今「憑依のうわ言ポイント」を探しているのだろう

2011-08-22 11:49:33 | 2011夏の絶不調

 

2011

08.22
「憑依のうわ言ポイント」を求めて


★昨日の記述で、人生の時空間浮遊の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレスト(1)&(2)を紹介した。
 コンパクトに復習する。
(1)放電したら、なにかがプッツンと切れ、再充電不能に陥った。
 背後に「もう、このまま、プッツンでええやないか……」という気持ちもある。

(2)京都のダンスチーム「今村組」主催者・今村克彦氏の「ガッツ」に打ちのめされた。
 今村氏がスゴイのか?
 自分のダメさ加減がスゴイのか?
 ま、後者だと思うけど……。(きのうの「復習」終わり。)

★人生の時空間浮遊の起点〈8/15〉を、精神的絶不調のなかで迎えてしまったことに関するブレストのつづき。

(3)僕には、「渦中」に存在しつつ、「渦中」を自分のうちに取り込み、再構成するという特技がある。
 常に再構成し、再構成したうえで語っている。
 逆にいうと、「渦中」では語らない。
 語れない。
 だから、特技であって、最大の欠点でもある。
 今夏の苦しみ(絶不調)は、粗く2つにわけることができる。
 ひとつは、「渦中」を自分のうちに取り込み、再構成することができくなったこと。
 パワーがなくなったのか?
 もうひとつは、「ならば、渦中で語ろう」として、やはり語れない自分を再確認したこと。

 くどいが、同じ内容を、具体的な場面で、くりかえす。
 この夏、ある夏祭り(2011・種市夏祭り)の行列に出会った。
 太鼓を先頭に踊り手たちの行列がつづいた。
 一団のあとに、また次の一団と……とぎれることがなかった。
 僕は「川の流れのようだ」と思った。
 川には、人生の悲しみやら喜び、孤独やら不運、くわえて怱忙……ありとあらゆる人生のカタチが注ぎ込んでいた。
 このとき、僕は、この川の流れを、自分のうちに再構成して語ろうとして語れない自分に気づいた。
 そして、「ならば、川の流れの中に存在しつつ語ろう」として語れない自分にも気づいた。(このことで、僕は、ひと夏、苦しむ。)
 僕のそばを通過する太鼓の響きがカラダのシンを打った。
 打たれるままに僕は立ち尽くしていた。






























★(4)再構成できないから語れない。
 もちろん、再構成なしには語れない。
 なら、「プッツンでおさらば……」でいいのではないか?
 といいつつ、僕は無意識のうちに「修正点」を探っていた。
 過去に求める。
 僕は、もう未来には求めない。

 いつもの過去記述検索で次の記述に出会った。

 自分の体内でスゴイことが起こった。
 「職員室通信」が、毎日、発行できるシステムができた。
・7/6「夏期休業中こそ、教職員の学社連携・融合コーディネーター機能を発揮しよう」
・7/7「夏期休業にむけて 服務規律の再確認」
・7/8「すこやかみなみネット事業推進への教職員の参画・支援を」
・7/11「プロ教師への道 模擬授業研修はじまる」(保護者・地域対象)
・7/12「使命感のはじまりを教えられる?!」
・7/13「ふりまわされたけど……」
 これは、先日、このページに書いた「わたしの人生を幻想的、物語的に彩る人々」に再会し、その人々に「囲まれた世界」の中で、僕が生きはじめたことと関係があるのだろう。
 そのことによって、僕の細胞が新たに再編成され、「職員室通信」上で、憑依の状態で、うわ言のように語れるようになったのだ。(「過去記述」以上)

 これが「修正点」だと思った。
 ブレストだ。
 あまりシンドイことには触れないことにする。
 要するに、僕は、今、「憑依の状態で、うわ言のように語れる」ポイントを求めているのだろう。

★僕自身のための「覚え書き」として2点。
 ひとつ、7/13「ふりまわされたけど……」が下記の「職員室通信」だ。



 もうひとつ、「憑依の状態で、うわ言のように」記述の少し前に、次の記述がある。

 休日の午後、たまっていたメールの返信。
 私的なもの、公的なもの、変なもの……と、「感じ」の次元で怒濤のように打った。
 けど、打ち切れず、少し残してしまう。(「過去記述」以上)

 この「感じ」というのは、渦中を自分のうちに再構成した「憑依」の世界を指している(と思われる)。
 渦中における「感じ」ではない。

★関連記事
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★2011・種市夏祭り=モービルで北上しているとき、夏祭りの行列に出会った(その2)
★2011・種市夏祭り特集(その3)=人生の悲しみやら喜び、孤独やら不運、あらゆる人生のカタチがある
★2011・種市夏祭り特集(その4)=流し踊りの中に僕はいるのか? 僕の中に流し踊りがあるのか?

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★京都「今村組」キャラバン隊の被災地訪問の趣意に納得。同時に、今村克彦氏のパワーに打ちのめされた

2011-08-21 13:51:15 | 2011夏の絶不調


2011
08.21
絶不調はノートPCのバッテリー・リフレッシュ&診断ツールの「放電」に原因


上記の「職員室通信」をみる

★絶不調。
 僕は、日々、〈8/15〉に向かいつつ生きる存在である。
 ま、〈8/15〉には、〈8/6〉も〈8/9〉も含まれている。
 〈8/9〉は僕の誕生日でもある(*^_^*)。
 〈8/15〉に向かいつつ生き、この日を境に再び旅立つ……というサイクルで生きている。

 今年は、この〈8/15〉を、絶不調で迎えることになってしまった。
 絶不調の理由は、よくわかっていない。
 このことに関して、今、ひとりで、ブツブツつぶやいていることを、アトランダムに記す。
 記すことによって、絶不調の原因がわかり、次の〈8/15〉に向かいつつ生きる「エネルギー」が獲得できるかもしれないと思っている。







(1)8月初旬の早朝の散歩。
 いかにも「ウォーキングだ」という歩き方ではなく、トボトボ、ダラダラ歩き。
 10407歩。
 前に使っていたノートパソコンにバッテリー・リフレッシュ&診断ツールというのがあった。
 強制的に放電して充電する機能だ。
 ダラダラ歩きをしているとき、僕の気分が、この「放電」に似ていると感じた。
 今回の「絶不調」は、この「放電」と、どこかでつながっているような気がする。
 放電し切ってしまったら、充電不能になったという感じなのだ。

(2)「絶不調」中に、TVで、ダンスチーム「今村組」のことを知った。
 これが、さらに僕にダメージを与える。
 不登校・いじめに苦しむ子どもたちを中心とした京都のダンスチーム「今村組」キャラバン隊が、東北の被災地でパフォーマンスを行ったというニュースだ。
 被災した同年代の子どもたちに対してダンスを通して「がんばろう」というメッセージを贈る……。
 よくある話だ。
 これだけだったら、僕はまったく反応しなかったはずだ。
 確実にチャンネルを変える。
 しかし、「今村組」は違っていた。
 被災地への応援と同時に、被災地の現状を見、被災した子どもたちと交流するなかで、ダンスチームのメンバーが生きるエネルギーを得る……というのだ。
 力点は後者にあった。
 これには納得できた。
 震災発生以来、はじめて納得できた。
 で、「今村組」の主催者に興味をもった僕は、公式HPを開いてしまう。
 そして「絶不調」から、さらにマイナス方向に転がり落ちることになる(ノ△・。)。

 HPから抜粋――。
 講演家であり、作曲家。ミュージシャンにして、執筆家。
 イベントクリエーターにして今村組最高顧。 それが今村克彦の顔である。
 教師生活24年の長きにわたる彼の実践は、教育界でも大きな注目を浴びながら、2006年4月「教育者」であり続けたいために、安定した公務員「教師」を捨て、野にくだった。
 彼は自らを「共育者」と名乗る。
 彼の信念はここにある。(抜粋以上)

 HPから伝わってくる今村克彦氏の「ガッツ」に、僕のカラダが打ちのめされる……という感じだった。

★「絶不調記」は、まだまだつづくのだが、現在、充電不十分のため、きょうは、このへんでやめる。
 冒頭の「職員室通信」は、脱・絶不調と関係がある。
 「絶不調記」のつづきとともに、このことも、後日、記述したい。

★画像=散歩中の風景。














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8月4日(木)のつぶやき

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★2011・種市夏祭り特集(その4)=流し踊りの中に僕はいるのか? 僕の中に流し踊りがあるのか?

2011-08-17 03:07:21 | 2011夏の絶不調




★2011・種市夏祭り特集(その3)=人生の悲しみやら喜び、孤独やら不運、あらゆる人生のカタチがある

2011-08-14 15:34:17 | 2011夏の絶不調

 

2011
08.14
2011・種市夏祭り特集(その3)=太鼓がカラダのシンに響く


太鼓を先頭に踊り手たちの行列がつづく。
 一団のあとに、また次の一団と……とぎれることがない。
 川の流れのようだ。
 人生の悲しみやら喜び、孤独やら不運、くわえて怱忙……ありとあらゆる人生のカタチが注ぎ込んでいる。
 駅前広場の片隅に立つ僕のそばを通過する太鼓がカラダのシンに響く。































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★モービルで北上しているとき、夏祭りの行列(2011・種市夏祭り)に出会った(その1)
★2011・種市夏祭り=モービルで北上しているとき、夏祭りの行列に出会った(その2)


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★2011・種市夏祭り=モービルで北上しているとき、夏祭りの行列に出会った(その2)

2011-08-13 10:22:00 | 2011夏の絶不調


2011
08.12
2011・種市夏祭り=着飾った浴衣姿の踊り手が坂道をのぼっていく


★県道が通行止めになっていた。
 警官と警備員が立っている。
 警備員の案内に従って、海側に折れ、漁協の駐車場に車を止めた。
 目の前が海だ。
 着飾った浴衣姿の踊り手が坂道をのぼっていく。
 きっと祭り会場に向かうのだろうと、僕も坂道をのぼっていった。
 役場らしい立派な建物の裏側、集会所、保育園等のあいだを抜けているうちに、踊り手を見失う。
 どこかに踊り手たちの待機場所があるのかもしれない。





















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★モービルで北上しているとき、夏祭りの行列(2011・種市夏祭り)に出会った(その1)


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★モービルで北上しているとき、夏祭りの行列(2011・種市夏祭り)に出会った(その1)

2011-08-10 14:32:42 | 2011夏の絶不調


2011
08.10
ひょっとしたら自己の内面に下降できるかも?(2011・種市夏祭り)


★モービルで北上しているとき、夏祭りの行列(2011・種市夏祭り)に出会った。






























★僕は、高校生の頃から、「空間を、距離的に遠く移動することにより、自己の内面に下降できる」という思想に取り憑かれてきた。
 ま、僕流にいうと、このブログでも再三再四、くりかえしているのだが、「水平移動(散歩&旅等)を助走に、垂直に、あるいは斜めに、精神を沈潜させる」という作戦だ(*^_^*)。
 移動の基点、もしくは起点は、僕の場合、もちろん、「大阪」だ。
 大阪における、社会的にいろいろなものとつながり、がんじがらめに縛られている「自分」といってもいい。

 しかし、最近、だんだんわかってきたのだが、水平移動だけでも、相当なエネルギーを必要とする。
 くわえて、その水平移動、すなわち助走の果てに(「飛び上がる」の逆)潜り込まなければいけないとすれば、さらに大きなエネルギーを必要とする。
 永遠に水平移動で終わってしまう予感が僕にはある。
 「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」ではないが、行っても行っても「かなしみ」の水平移動の連続だ(ノ△・。)。
 ああ、水平移動の果てに朽ちる……か。

★また、いつものように前置きが長くなってしまったm(_ _)m。
 夏祭りの行列を見ていると、「いや、『空間を、距離的に遠く移動することにより、自己の内面に下降できる』は、ひょっとしたらまちがっていないのかもしれない」という気持ちになってきた。

 「つづく」……としたいところだが、この
 「水平移動(散歩&旅等)を助走に、垂直に、あるいは斜めに、精神を沈潜させる」論については、今の僕にとっては、カンカラカンに乾いたぞうきんをしぼるようなもので、いくらしぼっても、もう何も出ないという状況だ。
 夏祭りの行列の「画像」は「つづく」が、コメントは、もう、何もない。(「画像」はつづく)


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水平的な推進力を借りて垂直に。助走して飛び立つ……の反対、ま、垂直に潜るというのはダメでも斜めにでも

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★僕の過去記述から僕の「修正ポイント」を探す

2011-08-06 12:12:12 | 2011夏の絶不調

 

2011
08.06
僕の過去記述から僕の「修正ポイント」を探す


★いつも通りの時間に起床した。
 朝の光で障子が明るくなっている。
 昨日と同じように、ダラダラ、トボトボ、10000歩、90分の散歩に出ようと思った。
 しかし、カラダがシンドイ(ノ△・。)。
 昨日の、通常6000歩を大幅に超えた10407歩が、やはり堪えているのか?
 本日の散歩はパスした。
 コーヒーを淹れるための湯を沸かす。
 沸騰するのを待つあいだ、昨夜、眠る前に計画した4点について再確認する。

(1)TV番組表で、これからの約10日間の、大東亜戦争敗戦特集番組をチェックすること(NHKは除外)。
(2)某出版記念会への欠席通知を出すこと。
(3)YouTubeでドラマ「※※※※(ある大阪もの)」情報を探すこと。
(4)僕の過去記述から「僕」の「修正ポイント」を探すこと。

 (1)、(3)、(4)について、少しだけ解説する。
 まず、(1)=NHKを除外するのは、大東亜戦争敗戦に関する特集番組のほとんどが(ぜんぶではない、念のために……)日本の戦後教育で展開された歴史教育の枠内で作成されているからだ。
 僕は必ず激昂する。
 しかし、激昂することがわかっているのなら、はじめから観ないほうがいい。
 万に一つの、激昂しなくてもいい番組に期待して、TVの前に座るのは、エネルギーのムダづかいだ……という話。

(3)=以前、そのNHK(*^_^*)で放送された『およね平吉時穴道行』(1977)がどうしても観たくなり、YouTubeで探したら、全編を観ることができた。
 ドラマ『※※※※(ある大阪もの)』は、『およね平吉時穴道行』より新しい時代のものなので簡単に見つかるかもしれない。
 このことについての途中経過――今のところ、発見できず。
 検索をかけても、かすりもしない。


★(4)僕の過去記述から「僕」の「修正ポイント」を探す――。
 これが、本日の「計画」のメインだ、
 プロ野球で、初回に不調だったピッチャーが、2回に出てきたときには不調を克服しているということがある。
 解説者が「さすがにエース。よく修正しましたね」といっているのを聞くことがある。
 その「修正」だ。

 本筋からそれるが、試合中のインニングとインニングのあいだの、ピッチャーの「修正」は、僕自身の選手、あるいは指導者としての経験からいうと、ひじょうにむずかしい。

 自分自身のことについていえば、修正できたことがない。
 何年もたってから「ああ、あのとき、腰のキレがよすぎたのかもしれない」などと気づくことはある。

 指導者として2点。
 1点目。
 ピッチャーというのは、本人の努力と工夫の数々、また、いろんな指導者の指導の数々から構成されている。
 くわえて、ちょっとしたことで崩れないように練習している。
 それが崩れたのだから、一言、二言のアドバイスでは修正できない。
 アドバイスをつづけているうちに、さらに悪くなることもある。
 僕は、選手を苦しめたくないので、……というか、スゴク苦しめたことがあるので、代わりのピッチャーをたくさん養成しておいて、ドンドン交代させる。
 2点目。
 おもしろいことがあった。
 進学先の監督から「調子を崩したから、こちらが預かった時点のフォームにもどしてほしい。選手といっしょに、そちらにうかがいたい」という依頼があった。
 いじくっていじくって壊しておいて、「元に戻してくれはないよなぁ~」と思ったが、ま、選手のことを思えば引き受けざるをえない。
 ピッチャープレートの後ろが砂場。
 投球方向がプレハブ校舎の壁。
 壁の前に、ゴルフ練習ネットゲージを改造した移動式バックネット。
 過去とまったく同じ練習環境を作って2人の到着を待った。
 僕も、当時と同じユニホームをきて捕球した。
 そうしたら、一瞬のうちに「修正」できた……ということがあった。

 本筋に戻す。
 今の僕は、そのときの「教え子」のように「フォーム(人生の)」が崩れている。
 完全に。
 昨日は茫然自失の状態だった。

 ということで、「(4)僕の過去記述から〈僕〉の〈修正ポイント〉を探す」ことを計画したのだ。
 教え子が砂場の前に立ち、僕のミットに向かって深呼吸している姿を心に描きながら。

 気がついたら、ヤカンから噴きあがる湯気がキッチンの壁をつたっていた。


★画像=通常6000歩を大幅に超えた10407歩の途中で、パチリ、パチリ。


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