職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★教師の指導行為を「芸」のレベルにまで高める教師修業(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-31 13:41:12 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈教師修業編〉
★指導主事のレベルが低いのか? あるいは、僕らの修業がまだ「テレビドラマ」級だということか?
2014
08.31

023

  ◆サムライ中の模擬授業大会  

034

026


★午前中、模擬授業大会を開いた。
 模擬授業というのは、教師たちが、「授業者」と「生徒役」にわかれて行う。
 サムライ中の場合、「生徒役」の教師は20名程度。
 一般の方には、なんだか「授業ごっこ」をやって遊んでいるように思われるかもしれない。
 しかし、実は、結構、プレッシャーがかかる。
 ふつうの授業研究会(含授業参観日)だと、参観者は、教師の指導行為と、子どもたちの学習活動(反応・作業)とを照らし合わせながら参観する。
 だから、これまで冷や汗をかきつつ、「参観者」や「生徒役教師」の視線にさらされつづけてきた僕の経験からいうと、授業者のプレッシャーは半分、あるいは半分以下(30%くらい)なのだ。
 しかし、模擬授業では、参観者の視線は、100%、教師そのものに注がれる。
 教師の発する一言一言に、教師の指導行為の一つ一つに。
 身体がカチンコチンになる(ノ△・。)。

★大切なのは、なんのためにカチンコチンになる模擬授業をやるのか?……ということだ。
 サムライ中では教師修業の中心がこの模擬授業だ。
 粗くいうと、「芸」を磨くためだ。
 あるいは、教師の指導行為を「芸」のレベルにまで高めるためだ。
 小説家の小説も芸だ。
 BLOGの日記とは異なる。
 家具屋のつくる椅子も芸だ。
 「魂をこめてつくりましたから座ってみてください。絶対に損はさせません」と客の前に出すものだ。
 教師の指導行為も同じだ。
 「大切なことを教えているんだから、黙って聞け、黙ってやれ」では通用しない。
 日本の公立中学校の教師たちが、自分たちの指導行為を「芸」のレベルにまで高めると、日本は変わる。
 いじめも不登校も非行も、また最近、話題になっている体罰の「暴力連鎖」問題も、すべて解決できる。
 僕らのサムライ・チームでは、30人を超える不登校生を、指導行為を「芸」にまで高めることによって――正確には「芸」にまで高める努力を継続することによって――「0」にしている。


  ◆授業中、男の体育教師が次々にめんどうごと、ゴタゴタを引き起こす  

035

★模擬授業の進め方は、
 授業者1人につき――
 ①模擬授業10分間
 ②2人の指定発言者からのコメント(各1分間)
 ③生徒役Tからのコメント(1分間)
 ④指導助言者からのコメント(2分間)
 合計、15分間だ。
 コメントは――
 ①代案「ここはわたしだったらこうする」
 ②「ここはこういう点でスゴイ、すばらしい」
 この2種類とする。
 しかし、僕たちは修業過程にあるので、③「ここは変だ、なんだか変だ……。しかし、代案は提示できない」というコメントも認めている。
 代案を追究することによって技量が上がる。
 代案を示さない発言は無責任だ。
 これをつづけていると、修業レベルが確実に低下する。
 ただ、この③(「何だか変」)に、授業力向上に関して重大な内容が隠れていることがある。
 発言者が「代案」を示せなくても、他の人が示す場合もある。
 教員全員の追究課題になることもある。
 この②と③の「微妙さ」を、サムライ中教員が共有していれば、いいかげんな修業に堕することはないと思っている。

★サムライ中では、授業者が4人以上の場合、「模擬授業大会」と称している。
 会議のスキマ等で、1人、2人がやる場合は、ドコモ(いつでもどこでも模擬授業の略)という。
 本日の授業者は、八重T(国語)、南原T(数学)、大向T(美術)、安代T(体育)の4人だから、模擬授業大会だ。
 今回は、総合学校教育センターから2人の指導主事を招き、指導助言をしてもらった。
 休憩のとき、指導主事が「テレビドラマを観ているようで、鳥肌が立った」と言っていた。
 その場では、僕も笑ってあいづちを打ったが、「テレビドラマを観ているようで……」には心底、失望した。
 指導主事のレベルが低いのか? あるいは、僕らの修業がまだ「テレビドラマ」級だということか?

 なお、生徒役教師は、次の4タイプのいずれかを分担している。
 ①やる気があり、能力も高い。
 ②やる気があるが、能力はあまり高くない。
 ③やる気はないが、能力が高い。
 ④やる気もないし、能力もあまり高くない。

 サムライ中では男の体育教師がこの「③」あるいは「④」の役を率先して引き受けている。
 模擬授業中、次々に難題、めんどうごと、ゴタゴタ、やっかいごとを引き起こす。
 これをどうクリアーするのか?も「芸」のうちだ。(つづく――次回は、八重Tの模擬授業)



★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。



にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ




★僕がやろうとすること:いい授業でいじめも不登校も暴力も解決する(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-22 11:08:05 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信

番外編
★恐るべし小林幸子・CD「さちさちにしてあげる♪」税込1000円
2014
08.22
 
s-1280006
 
  ◆整然とした美しさ。モノが緊張して生きている形  
 
s-001

s-12800062

s-1280009

s-1280003

s-1280024


★2014/08/21(木) ★〈Scroll comment〉敗戦記念の日からDAKA古書店跡のミニモデルチェンジを始めた。
 ただ、狭い、手のひらスペースの空間だから、なにかひとつ動かすと、玉突きのように、他のモノも動かさなくてはいけなくなる。
 移動は部屋全体、いや部屋の外にまで及んだ。
 発端が、この画像の右側=PioneerのスピーカーS-HM50だった。
 ときどきアンプをチェックするときに使っている。
 僕が座る椅子のうしろに隠すようにおいてあった。
 ま、そういうモノの置き方が気に入らなかったわけだ。
 モデルチェンジの目標が「整然とした美しさ。モノが緊張して生きている形」。
 あっちからこっちへとモノを動かしているうちに、これは自分の生き方に直結していると感じた。

 モデルチェンジは永遠だ。
 畢竟「0」をめざす……ということだ(^_^)v。

★画像、左側の音響コーラルFLAT―6Sから、今、ピアノ・ソナタ イ短調 K.310の第1楽章が流れている。

★8月15日(金)~17日(日)まで有明・東京国際展示場(東京ビッグサイト/有明臨海副都心)で開催された「コミックマーケット86」に小林幸子が参加したそうだ。
 新作CD「さちさちにしてあげる♪」税込1000円。
 Twitter情報によると――
 Tweet①〈購入しようと並んでいたら、小林幸子さん本人が完売の報告に来た。「ありがとうございました!」と、ひとりひとりに握手。さすが小林幸子さん。〉
 Tweet②〈小林幸子さんに差し入れ渡したんだが、その袋を上に掲げるなり「差し入れいただきましたぁ~」って元気よく言ってた。「ありがとう!」と握手してくれたし、今日はとても満足でした!!〉
 Tweet③〈ひとりひとりに握手しながら「完売しちゃってごめんなさい」と言いつづけていた。小林幸子さんマジ感動!〉
 ツーイート④〈恐るべし小林幸子〉。

 小林幸子のことは不遇の時代からよく知っている。
 「おもいで酒」と「とまり木」は僕もレコードを買った。
 ちょうど僕の人生の激変期だった。
 Tweet②「差し入れいただきましたぁ~って元気よく言ってた」はこみあげるものがあった。
 ホンマ、恐るべし小林幸子やね(^_^)v。

★2014/08/11(月) ★〈Scroll comment〉僕のBLOGとHPのカタチが決まった←(団地ともお的「柱」5本&「職員室通信」と「番外編」)。
 ということは、僕の存在のカタチも決まったということだ。
 中味はまだまだである。
 しかし、ま、カタチさえ決まれば、徐々になんとかなるだろう。
 「ブレないで元気出して歩け!」とつぶやいている。
 この道以外に僕の道はない。
 ついでに、BLOGの名前を変えた。
 「職員室通信:いい授業でいじめも不登校も暴力も解決する」。
 僕のやろうとすることが、もっと的確に、もっと短く言い切れる表現が見つかれば、また変えるつもりだ。

★画像=DAKA古書店跡の床に肘枕して、ヘンデルの「クラヴィーア組曲第1巻〈第6~8番〉他」を聴いている。
 僕のDNAにはハープシコードの「音」が組み込まれている。

★2014/08/13(水) ★〈Scroll comment〉HPトップの画像と〈Scroll comment〉は毎日、更新するつもりでいるのだが、いつも「画像」に困る。
 どこかに出かけていき、撮った画像をアップするのはあまり好まない。
 かといってDAKA古書店跡内には撮るような対象がない。
 撮る対象がないような生活レベルなのか?
 撮る対象があるのに気づかないような精神レベルなのか?
 少し考えてみたい。

★画像=昨夜の夕食。
 どこかに出かけていきパチリとやるのもイヤだし、食べ物をパチリとやるのもイヤだ。
 でも、今夜はこれしかない。
 僕は、キャベツが大好物だ。
 カツよりキャベツに目が行く(^_^)v。

★2014/08/14(木) ★〈Scroll comment〉「山本景」という名前にかすかな記憶があった。
 僕の「過去記」群にむかって検索をかけたら、一発で出てきた。
 僕が以前に借りていた無料レンタルサーバー・AAA!CAFE(トリプルエーコミュニケーションズ)の設立メンバーだった。
 ま、このこととは関係ないが、テリーや百田の「キモイ」発言に対して、僕は不快を通り越し、激昂。
 山本景氏に応援メッセージを送る。
 〈山本景様。僕はあなたを応援する。武運長久を祈る。ただ、「テリー」などは相手にするな。あなたの品格が腐る。小高進〉。メッセージ以上。

★画像=DAKA古書店跡の西側の窓。
 きのう、トンカツ画像をアップしたら、やはりカツのにおいがする(*^_^*)。
 胃が重い(*^_^*)。
 1日で取り替えることにした。

★2014/08/17(日) ★〈Scroll comment〉明日、締め切りの原稿がある。
 「お盆が過ぎた頃に……」と、うっすら記憶があった。
 たしかめたら、締め切りが明日!
 バタバタと資料集め。
 一心不乱(*^_^*)に「検索」をかけまくる。
 「検索」先はすべて自分の過去記群。
 夕刻、なんとか材料が集まり、「あとは編集すればいい」……というところまでこぎつける。
 ただ、今は、ドキドキ、魂が揺れている(=動揺?)。
 明日の早朝(=午前4時頃)僕の魂が澄みきった状態で――僕にそんな状態があると、まだ信じている――編集することに決める。

★敗戦記念の日からDAKA古書店跡のミニモデルチェンジをした。目標=整然とした美しさ。モノが緊張して生きている形。その際、このPCスピーカー(画像)が邪魔になったが、①PCに接続してJAZZRADIO.com classic jazzを聴くとき、あるいは、ケイタイのワンセグを観るとき、あると便利だ。
 現在、保留。



★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。


にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ




★中森Tが作成した通信表のコメントを読んで、僕は泣いてしまった(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-14 21:09:22 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★サムライ中の音楽室と体育館の掃除&整理整頓が通常の概念と異なったカタチに
2014
08.14

RIMG0023

  ◆窓の開閉ルールをとおして、知性を育てる。空き教室時の整理整頓、戸締まりも同じ。「ルール」を、すぐれた「教育思想」に  

RIMG0001

RIMG0003

RIMG0005

RIMG0006

RIMG0007

RIMG0008

RIMG0011

RIMG0014

RIMG0017

RIMG0019

RIMG0020

RIMG0021

RIMG0022
★〈主任会トピックス(6月 その③)編〉

(1)窓の開閉ルール(サムライ中のルール=「開けるときはガラス戸を真ん中にそろえる」)をとおして、知性を育てる。
 空き教室時の整理整頓、戸締まりも同じ。
 「ルール」を、すぐれた「教育思想」に。
 関連して、体育館・音楽室が常に、隅々(たとえば、ジェットヒーターの置く角度まで)きちんと整理整頓されている。
 「常に」というのと、「隅々」というのが、スゴイと思う。
 通常の「掃除をしました」「整頓をしました」のレベルを超えて、緊張感を伴っている。
 こういうことが、学校の安定と品格につながる。

(2)通信表のコメント。
 通信表のコメントは、ホンマ、骨が折れる。
 コメントを読んだ保護者が「ああ、この子を今日まで育ててきてよかった」「ああ、自分は気づかなかったけど、この子はこんなにがんばっているんだ」と喜んでくださるコメントを、あるいは、コメントを読んだ子どもが「よし、明日からまたがんばろう」と思うコメントを……等と思うと、一字も書けなくなる。
 以前、☆☆Tが作成した通信表のコメントを読んで、僕は泣いてしまった。
 僕も、その子どもをよく知っている。
 保護者のこともよく知っている。
 だからだと思うが、読みながらポロポロと涙がこぼれた。
 すごいコメントだなぁ~、すごい人(教師)だなぁ~と思うと同時に、これはだれにでも書けるものではない……少なくとも僕にはムリだと思った。
 そこで本題――
 僕は、次のような「コメントの最低ライン」を考えた。
 僕たちは「教育目標」達成に向けて、公として組織的に教育行為をおこなっている。
 「教育目標」→「努力目標」→「学力向上の5原則」「学年目標」「学級目標」等々を設定している。
 これらを観点、基準にし、「公的な組織」の一員として、その子どもの日常の具体的場面をとらえ、評価する(賞める・認める)。
 ひとまず、これらの観点以外の、いってみれば、学級担任の「思いのオンパレード」から離れてみよう、廃してみよう。
 これでだいぶ楽になる。(「コメントの最低ライン」以上)
 この延長線上で、修業を重ね、☆☆Tレベルのコメントをめざせばいい。

 なお、子どもの成長を願って、子どもに対してより高い目標を提示する際、例えば「公正さ」を提示する場合など、書きようによっては、現在の状況が「不公正」となり、人格を否定してしまうことになるので、表現には十分注意しよう。
 この観点(人格否定)で、自分のコメントを点検したら、予想どおり、いくつも引っかかるものが出てきた。

(3)朝の会・帰りの会・授業開始(または終了)の時間厳守(開始は1分前、終了は秒針ピッタリ)、率先垂範・師弟同行。
 また授業中、教師は学習場所から絶対に離れない。
 離れざるをえないときは、他の教師に代行を依頼する(非常連絡活用)。
 子どもも学習場所から絶対に離さない(事情がある場合は別)。
 このルールを「死守」する。
 僕の経験からいえば、この乱れから学校の「荒れ」がはじまる。

(4)ペナルティ教育、シール教育を廃す。

(5)式(壮行式・終業式等)や集会(全校朝会・生徒朝会・学年集会等)は、設計段階で、1分1秒、1センチ1ミリまで厳密に設定する。
 これで教育の質とカタチが変わる。

 以前の話だが、本校の「卒業生を送る会」は、ずっと不評だった。
 で、教育課程編成会議で、翌年から取りやめと決まった。
 しかし、本校の歴史上、最後となる「送る会」は、意外なことに、皮肉なことに、たいへん好評だった。
 僕も感動した。
 これだとやめることはないのにと思ったくらいだ。
 教師と生徒が、50分以内という時間を強く意識し、内容を吟味し、テンポとリズムに配慮したからだと、僕は思っている。

(6)自分の部活動を監督しながら、他の部活動の監督も(本来の顧問に代わり)引き受けることは、学校全体の体制としてやる場合(例=各校務分掌の会議を前半グループと後半グループとに分け、互いにカバーしあう)以外には、引き受けない、依頼しない。
 2つの授業の監督も同じく不可。

(7)体育祭について。
 ①種目の完成度を(可能な限り)あげる。
 例=1年男子イカダ流し 1年女子ムカデ競争等。
 ②学社連携・融合の観点から(可能な限り)対保護者・地域への「サービス」向上。
 例=開催通知の徹底、観覧場所の確保、当日の案内の徹底等。(なお、「当日の案内」については、PTA役員・サムライネットメンバー等と連携する。)
 ③上記(5)と同じく、1分1秒、1センチ1ミリまで厳密に計画を立てよう。
 サムライ中の体育祭の質とカタチはまだまだ変わる。

(8)集団行動等(含授業)のときの指導者の指示の仕方・指示内容が、不適切な場面がある。
 再確認――
 ①一時に一事
 ②指示は短く限定
 ③指示は全員に
 ④追加指示不可
 ⑤最後の行動を示す
 ――体育科はじめ実技教科の教師から学ぼう。

★画像=8月に開催された市内中学校ソフトボール大会。(画像をクリックすると大きくなります。)



★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。



にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ




★教師の人間性は何とでもなるというのが僕の人生観、人間観だ(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-13 13:51:34 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★学校部活動に対する教職員のディスカッション力が脆弱すぎる
2014
08.13

  ◆主任会トピックス――〈人間は変わる〉〈席替えの哲学〉〈部活動に対する教職員のディスカッション力〉  

64b7fb9d

aRIMG0001

aRIMG0002

aRIMG0003

aRIMG0004

aRIMG0005

aRIMG0006

aRIMG0008

aRIMG00012

aRIMG0014

aRIMG00033

aRIMG0064

aRIMG0067

aRIMG0081

aRIMG0091

aRIMG0106


★〈主任会トピックス(6月 その②)編〉

(1)「本気で叱る」というけれど……。

★まわりの子どもが、「ああ、先生はこんなに本気でこの人のことを思っているのだ」と感じとる場合と、(ま、叱り方が悪いのだと思うが……)子ども本人になんらかの落ち度があり、責められる点があれば、どんな罰をあたえてもいい(含いじめ)と感じとる場合がある。
 僕の場合、現時点で、僕の過去を振り返ると、残念だが、圧倒的に「後者」が多い、「ああ、取り返しのつかないことをしてしまった」と猛省している。
 「あとからフォローすることが大切だ(=フォローすればOK)」と教えてくれた先輩もいたが、大まちがいだ。
 僕の家の故レオン(=ゴールデンレトリバー。2007/6/13没、12歳1ヵ月)でもフォローはきかなかった。

★僕は「前者」のような教員になれるのか?
 人間性を変えるのがむずかしいように、「後者」から「前者」に変わるのは至難のワザである。
 しかし、絶望はしていない。
 「むずかしいことだけれど、なんとかなる。いや、なんとでもなる」というのが僕の人生観、人間観だ。

 僕は(上の図で)D→Aは確かにむずかしいが、D→C、あるいはD→Bは鍛錬によりなんとかなるし、やがてはB→A、C→Aも可能になるのだと信じている。
 人間は変われる。
 人間は変わる。

 僕らは公立中学校という組織の中で仕事をしている。
 本人の努力は当然だが、組織としての努力も忘れてはいけない。
 (本人に対する)組織としての、外からのサゼストだ。
 「サゼスト」=suggest
 意味は――
 ・提案する
 ・暗示する
 ・示唆する
 ・それとなく言う
 ・思いつかせる
 ・連想させる
 学年主任等には、この「サゼスト」のリーダーシップを取る役目を背負っている。

(2)席替えの哲学

★先輩教師に「わたしは1年間、席は変えない」という人がいた。
 仰ぎみるほどの先輩だったので、そのときは、ああ、そういうものかぁ~と、高僧の話でも聞くように聞いていたが、よくよく考えると(いや、よくよく考えなくても)、これはトンデモナイ話だ。
 1年間も廊下側の最前列に座っていたら、背骨に影響がでる。

★僕の場合は、①人間関係の固定化、グループ化を排除する、②健康に留意するという観点から、
 ①4・5月
 ②6・7月
 ③9・10月
 ④11月・12月
 ⑤1・2・3月と、年間、計5回の席替えをしていた。
 子どもたちから希望(①視力・聴力などに関する自由記述 ②教室を9つのブロックに分け、第1・第2・第3希望を書かせる等々)を取ったうえで、学級担任の責任で決めていた。
 ……という記事を書きながら、そばにいた2学年主任の三笠Tにこの話をしたら「5回では少ない」と言われた(ノ△・。)。
 三笠Tの主張は、2つの観点(①=人間関係 ②=健康)は正しい、しかし、5回というのは、むしろ「高僧の話」に近いということだった。

 席替えに関する片々の技術について情報交換しながら、各学年分掌をはじめ、各校務分掌で教育哲学しよう。

(3)長期休業に際し、「ILO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告」を読み直そう。

★〈以下、抜粋〉
 3=指導的諸原則=6
 教育の仕事は専門職とみなされるべきである。
 この職業は厳しい、継続的な研究を経て獲得され、維持される専門的知識および特別な技術を教員に要求する公共的業務の一種である。
 また、責任をもたされた生徒の教育および福祉に対して、個人的および共同の責任感を要求するものである。

 6=教員の継続教育=34
 教員には継続教育の課程や便宜に参加するための機会および刺激が与えられ、また教員はこれらを十分に活用すべきである。

 8=教員の権利と責任=70
 すべての教員は専門職としての地位が教員自身に大きくかかっていることを認識し、そのすべての専門職活動のなかで最高の水準を達成するよう努力しなければならない。

★勧告の理念と、教育現場の実態とに、大きな距離がある。
 はっきり言う。
 サムライ中の経営の重点2=「学社連携・融合=学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、サムライ小・中PTAを核にサムライ・ネット事業を推進する」は、この「距離」を埋めることをめざしている。
 いつもくり返すように、「連携・融合」には粗く、2つの発想がある。
 1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」という発想(支援タイプ)。
 もう1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」という発想(分担タイプ)。
 2つは似て非なる発想だ。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、前者(=支援タイプ)は学校が荷を抱えたままであるのに対して、後者=(分担タイプ)をこれを改めようとする。
 われわれは、もちろん、後者をとる。
 この「分担」のいちばんのターゲットが「部活動」だ。
 このことに対する日本の公立中学校の、教職員のディスカッション力が脆弱すぎる。
 これが日本の公立中学校を混乱させている。
 混乱の根があまりにも深い。

 僕が、ある興奮と、あるもどかしさを感じる、特集記事的な話題になりかけたので、この号は、これでいったん閉じる。

★画像=7月のサムライ中(画像をクリックすると大きくなります。)



★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。



にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ




★いい授業のための修業と、巡回で、日本の公立学校は変わる(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-12 13:05:35 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★学社連携論が学校教育側でも社会教育側でも崩れている
2014
08.12

IMG_2696

  ◆いい授業のための修業と、巡回で、日本の公立学校は変わる  

IMG_2699

IMG_2703

IMG_2741

IMG_2743

IMG_2744

IMG_2745

IMG_2748

IMG_2750

IMG_2907

IMG_2908

IMG_2909

IMG_2911

IMG_2912

IMG_2914


★〈主任会トピックス(6月)編〉

(1)さむらいネット・地域情報交換会で、この地域の「カタチ」「チカラ」を一足座にとらえる。
 7/☆ 午後6時半~ 本校図書室。
 学校・家庭・地域がそれぞれの教育責任をきちんと分担できる力をもった、真に「力のある校区」をめざしたい。
 そのために互いに情報を交換し合い、協力・協調関係を確保し、状況によっては連携・融合し、それぞれを活性化させる。

 開催日の7月初旬というのは、公立中学校の教職員にとっては、半分冗談、半分本気でいうところの「睡眠0時間」の時期だ。
 情報交換会に参加するための時間を見いだすのは、乾いた雑巾をしぼるくらい厳しいのだが、地域の「カタチ」「チカラ」が具体的に見ることができる、またとない機会だ。
 出席して、連携・融合の相手を自分の目でしっかりと把握しよう。

 なお、学校・家庭・地域が「連携・融合」して……というとき、その「連携・融合」には粗く、2つの発想がある。
 1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」という発想(支援タイプ)。
 もう1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」という発想(分担タイプ)。
 2つは似て非なる発想だ。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、前者(=支援タイプ)は学校が荷を抱えたままであるのに対して、後者=(分担タイプ)をこれを改めようとする。
 われわれは、もちろん、後者をとる。

 前者を否定するわけではない。
 ただ、前者のままでとどまっていれば、現在、日本の教育危機の元凶である「学校の教育丸抱え体制」(=学校の教育独占体制)は、100年経っても変わらない。
 前者を後者の準備段階ととらえることが大切だ。
 40年前、「学社連携論」が登場したとき、真のねらいは、後者だった。
 社会教育側が「学校だけではもうアカン。荷を半分、社会教育側に寄こせよ」と警鐘を鳴らしたのだ。
 学校教育ピンチに、社会教育側が立ちあがったのだ。
 職場体験のスタートも「学校だけで子どもを抱え込まないで、子どもを社会教育側にまかせろ」……だった。
 残念ながら、この「学社連携観」が学校教育側にも社会教育側にも普遍化できなかった。
 再点検が必要だ。
 話がやや脱線するが――
 地域によっては、いつの間にか学校側が「なんとか、頼んマス、頼んマス」と頭を下げまわっている。
 近隣の教員から聞いた話だが、ラーメン店に職場体験の依頼に行ったら、店主から「校長が頭を下げに来るんやったら、引き受けたってもええで」と言われたそうだ。

 話を戻す。
 さむらいネット・地域情報交換会で得た貴重な情報を、学校・家庭・地域の分担計画、いわゆるアウトソーシング計画に生かそう。

 ☆註①「睡眠0時間」=1学期末定期試験の採点、評価、通信表作成、日常のノート点検、あすの授業の準備等々をトータルすると、睡眠時間は0になる……という意味。

(2)職務に応じた視点で(校内規定にしたがい)毎日、校舎内外を巡回する。
 校長、教頭、学年主任(副主任・副担任)、教務主任、生徒指導主任、研修主任、保健主任、学級担任、教科主任……それぞれ職務に応じて「視点」が異なる。
 その視点の鋭さの総和が、サムライ中の教育力になる。

 経験的にいうと、この「総和」の差が、学校間で、すごく、もうメチャクチャ、差がある。
 「いい授業(註②)」のための修業と、この「巡回」で、日本の公立学校は変わる。
 いじめも不登校も非行も「暴力の連鎖(註③)」もすべて解決できる。

 本校の「巡回」に関する課題、2点。
 ①登校状況把握(玄関or学年棟)、給食準備状況把握の際、学年主任と副主任・副担任との分担、連携がうまくいっていない。
 ②授業の実態把握について、学級担任による自身の学級の状況把握、学年主任による自身の学年の状況把握がうまくいっていない。
 改善例=授業開始前に教室に行く。
 改善例=授業中、廊下から10分程度、授業を観る(聞く)。
 計画的に、1日2教科。
 これは僕がはじめて学級担任になったとき、先輩教員(←今でいうと「指導教員」)から「必ずやるように」と指導を受けたことだ。
 「巡回」は安全確保のためだけではない。
 「巡回」は、公立学校の命である「狭義の学力、100%保証」のためでもある。

 ☆註②「いい授業」=「いい授業」は、朝、起きた中学生が「○○先生の授業が楽しみだぁ~」と家を飛び出してくる。
 小学生ではない。
 中学生が……だ。
 そういう教師と子ども関係が創られるかどうかが問題なのだ。

 ☆註③「暴力の連鎖」=ネットで次のようなニュースを見た。
 《体操着の着方を注意した20代男性教諭に、中学2年の生徒が教師の胸ぐらをつかんだ。教師が生徒を押さえこもうとしたら、生徒が「これって、体罰やんけ。みんな見とったか? 見たやろ? ほんなら、俺かてええんや」と教師に殴りかかった。》(ネットニュース、以上)。

(3)教師のことばづかい
 ①業界にしか通用しない短縮用語は、(僕も使っているのでいいにくいのだが)できる限り避ける。
 先日、職務で他校の保護者集会に参加したとき、ステージ上で説明する教員の「ガクタン」「ヨウキョウ」という語に違和感を覚えた。
 僕がそのとき保護者に近い立場で話を聞いていたからかもしれない。
 皮膚感覚がザラザラした。

 ガクタン
 ヨウキョウ
 ショクチョウ
 シキョウイ
 シャキョウ
 ナマガク
 ギタン等々……。
 いったい、なに言うてんねん?
 一般の人にはまず通じない。
 聞いている一般の人にも失礼だし、対象になっている人(例=生涯学習課の人)にも失礼だ。
 僕が養護教員だったら「ヨウキョウ」と言われたら不快になる。
 そのうち、子どもたちが「僕のガクタンは……」と言いだすかもしれない。

 なお、子どもの前で自分のことは「わたし」。
 「センセイ」は厳禁。
 子どもの呼び方は、子どもの前でも、子どもがいない場合でも「○○さん」で。2316字

 ★画像=8月の学校風景


★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。



にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ




★PTAなら、SAMURAI・ネットを100年間、守りつづけてくれる(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-09 15:03:15 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈サムライネット編〉
★皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、僕らはPTAの「前例主義」に目をつけた
2014
08.09

s-1280IMG_1160

  ◆SAMURAI・ネットの「中核エネルギー」に僕たちはPTAを選んだ  

IMG_1114

IMG_1117

IMG_1118

IMG_1119

IMG_1120

IMG_1121

IMG_1126

IMG_1128
★SAMURAI・ネットの――教育コミュニティづくりのために、多少の困難はあっても「まずわたしが歩く」「わたしは歩きつづける」という――「中核エネルギー」に僕たちはPTAを選んだ。

 その理由を、粗く5点、述べる。

(1)PTAはネットワークの要だ。
 PTA会員は、子どもの保護者である。
 学校に最も近い存在であり、かつ地域の住民である。
 PTAの存在自体が、学校・家庭・地域のネットワーク形成の「芽」を内包しているといっていい。

(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する社会教育団体だ。
 社会教育団体にもピンからキリまである。
 中には、別号でも述べたように(過渡期的に行われてきた)行政からの指導・助言・支援におんぶにだっこの団体もないわけではない。
 この点、日本の各小・中学校のPTA(連合PTAに対して単PTAと呼ぶ。「単P」と略すこともある)は、正真正銘、ホンモノの社会教育団体だ。
 こんなふうにいうと、学校の「教頭」におんぶにだっこの単Pもある……と学校教育関係者からツッコミが入りそうだが、ま、それは論外。
 一刻も早く、おんぶにだっこ状況から脱し、力いっぱい独立へと舵をきってもらいたい。

(3)常に新しい人材が確保できる。
 毎年、ほぼ「自動的?」に30代~40代の会員を多数獲得できる(SAMURAI校区=人口11000人、4300世帯、児童600人、生徒400人……の場合)。
 僕らは「中核エネルギー候補」から学校を除いた。
 行政を除いた。
 地域とPTAが残った。
 残った2つから、深慮遠謀の末に「PTA」を選んだ。
 いちばんの理由が、この(3)だった。
 「地域」はスーパーマン(スーパーウーマン)がいるうちはいい。
 だが、不在になったとき、後継者の保証はない。
 後継者に苦しむ地域ネットワークを多く見てきた。
 それが原因で消滅したネットワークもある。
 この点、PTAはシステムとして常に新しい人材が保証されている。
 SAMURAI・ネットの行く末(継続性)を考えるとき、どうしてもこの「保証」が必要だった。

(4)組織の維持・継続のシステムが優れている。
 リーダーから次のリーダーへという人のつながりが形成しやすいシステムだ。
 これにはPTA独特の「規約」が大きな役割を果たしている。
 僕は熟読した。
 書き写した。
 実によくできている。
 (「規約」の中味の詳細は、この号では割愛する。)

(5)前例主義の威力。
 皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、「前例主義」はPTAの魅力だ。
 PTA会員の在籍期間は、小学校で6年、中学校で3年と短い。
 Pにとっても、またTにとっても、「前例」どおりこなせるようになるのがせいいっぱいだ。
 変革を……と思ったところで「卒業」だ。
 こんなモン、やめてしまえ……と思ったところで転勤だ。
 よくいわれるようにマンネリ化というマイナス面をもっている。
 しかし、反面、とんでもなくシンドイものでも、途絶えることなく受け継がれ、大きな成果をあげるというプラス面ももっている。
 SAMURAI・ネット=地域教育コミュニティーの「中核エネルギー」でありつづけることなどは、とんでもなくシンドイことである。
 でも、PTAなら、多少の困難はあっても「まずわたしが歩く」「わたしは歩きつづける」と100年、守りつづけてくれることだろう。

 以上、(1)~(5)、粗く、教育コミュニティーの中核にPTAを選択する理由だ。

 ただ、この話は、あくまでも設計段階の話だ。
 SAMURAI小・中のPTAが実際に「中核エネルギー」役を引き受けるかどうかは、また別問題だ。
 第1回の小・中合同のPTA総務委員会の議論紛糾が目に見える。



★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。


にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ




★でも「最初に歩く人」がいないと、なにもはじまらない(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-06 17:10:56 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈サムライネット編〉
★いったん抱え込んだ荷を抱え込んだ側が「これは家庭で分担を」「これは地域で分担を」という旗振り役が果たせるか?
2014
08.06

s-1280IMG_1927

  ◆地域ネットワークの中核エネルギー候補からまず「学校」を排除した――「教育コミュニティーの中核エネルギー論 1」  

s-1280IMG_1925

s-1280IMG_1923

s-1280IMG_1921

s-1280IMG_1854

IMG_2211

s-1280IMG_1974

s-1280IMG_1935

s-1280IMG_1933

s-1280IMG_1931
★もう、耳にタコができるといわれそうなくらい、くりかえし、くりかえし、話してきたことだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、サムライ地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに――「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので――つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画できる教育システムをつくろうというのが、SAMURAIネットの理念だ。
 そのためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ。
 歩く人が多くなれば、道ができる。
 でも、まず「最初に歩く人」がいないと、なにもはじまらない。
 多少の困難はあっても、「まず、わたしが歩く」「わたしは歩きつづける」という人物=「中核エネルギー」が必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核エネルギー」が存在する。

★「中核エネルギー」の候補として、行政、学校、地域の有志、PTA等々……、いくつか考えられる。
 結論的にいうと、われわれは、これらのなかから「PTA」を選択した。
 理由は、あとで述べることにする。

 消去法で、まず、いちばん先に排除したのは「学校」だ。
 学校は確かに中核エネルギーとしての能力を有している。
 十分すぎるくらい有している。
 しかし、現在の教育危機を招いた元凶は、その学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)なのではないか?
 「なんでも学校」、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ体制。
 これが、家庭や地域の教育力を弱めた。
 学校と家庭と地域の教育のバランスを崩してしまった。
 その学校が「中核エネルギー」としての役割を担い、機能しはじめると、バランスがさらに悪くなるのは、目にみえている。
 周囲を見回すと、こういうたぐいの実践が少なくない。
 たとえば、こういう言い回しに気をつけなくてはいけない。
 「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・発言当時=文部科学省生涯学習政策局長。のち事務次官。2012年1月退官)。
 あるいは、こういう言い回しにも気をつけなくてはいけない。
 「さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏)
 発想がメチャクチャだ。
 こういうことでは、100年たっても日本における「学校の教育丸抱え体制」は変わらない。

 いったん抱え込んだ荷を抱え込んだ側が「これは家庭で分担を」「これは地域で分担を」という旗振り役が果たせるか?
 戦術的にきわめてマズイ。
 「どこの学校でもやっていることではないのか?」「この学校の教職員はやる気がないのか?」と、罵倒されるのがオチだ。

 さらに、もう一点。
 僕は「学校は中核エネルギーとしての能力を十分すぎるくらい有している」といった。
 でも、そう思いたいだけなのかもしれない。
 学校は今、抱え込みすぎてパンク状態だ。
 パンクして、学校、家庭と同様に、いや、それ以上に、教育力を低下させている。
 そこに、本気で、この「中核機能」まで抱え込めば、まちがいなく機能不全に陥るだろう。

★次に排除したのが、「行政」だ。
 戦後、行政主導で、星の数ほど、社会教育団体が誕生した。
 しかし、行政にオンブに抱っこの社会教育団体をいくらつくっても日本社会は変わらなかった。(社会教育団体が全部ダメ……といっているのでは決してない。有益な団体も多い。念のために。)
 これには説明はいらないだろう。
 敗戦後、日本の社会教育失敗の最大の原因がここ(「行政にオンブに抱っこ」)にあるといっていい。

★ここで、残ったのが「地域」と「PTA」だ。
 「地域の有志」が、中核となり、学校・家庭・地域のネットワークを形成し、具体的な活動を積み重ね、教育コミュニティーづくりに成功している例が、僕たちの街にもいくつかある。
 僕らは、これらの実践から多くのものを学びつつ、しかし、最終的には、教育コミュニティーの中核にPTAを選択した。

 この号は、ここで閉じる。
 つづきは、「教育コミュニティーの中核エネルギー論 2」で述べる。
1841字

★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。



にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ




★「職員室通信」の偽コンセプト露呈事件からの脱却・サムライネット編(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-03 12:54:29 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈サムライネット編〉
★NHKアニメ「団地ともお」を観ているとき、ハッと気がついた
2014
08.03

s-1280IMG_1805

  ◆情報交換が形式的に流れる理由は、粗く、2つある  

s-1280IMG_1768

s-1280IMG_1774

s-1280IMG_1777

s-1280IMG_1786

s-1280IMG_1802

s-1280IMG_1783


★7/☆、午後6時半からSAMURAI中の図書室で、SAMURAIネット・地域情報交換会が開かれた。

 改正教育基本法で、学校・家庭及び地域住民が、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚し、相互の連携協力に努める旨が規定(第13条)された。
 規定されたことは高く評価する。
 しかし、これを学校・家庭・地域の教育現場で具体化していくには膨大なエネルギーを要する。

 このことに挑戦しつづけているのが、本校区のSAMURAIネット(サムライ・ネット)だ。
 SAMURAI小・中のPTAが主体となり、学校・家庭及び地域における諸団体とのあいだにネットワークを形成し、「子どもの成長を親と教師と地域の人で確かめることができるSAMURAI校区」(教育コミュニティ)をめざしている。

 参加団体は、3地区防犯協会、安協(3支部)、交番、少年指導員、3連合町内会、SAMURAI公民館、子ども会育成協議会、地区社会福祉協議会、少年補導協力員、SAMURAI小・中PTA&小・中教職員等……約90人。

★地域情報交換会は、このSAMURAIネット事業の一環として年3回、開かれている。
 人口11000人、4300世帯の地域の諸団体が一堂に会し、子どもたちの健全育成に関して情報を交換する場だ。
 回を重ねるごとに中味が充実している。

 学校・家庭・地域の連携(学社連携)は、①情報交換の段階、②連携の段階、③融合の段階があるといわれる。
 僕はこういう活動をはじめた頃は、あせって、よく「情報交換ばっかりやってないで、具体的な連携・融合活動を展開しよう」と主張したが、これは間違いだ。
 実は、「①情報交換の段階」がいちばんむずかしい。
 これまでたくさんの地域の活動に関わってきたが、多くは情報交換が形式的に流れていた。
 形式的でなく、押しつけでなく、精神ののびやかなつながりのなかで、情報交換がなされないと、なにも生まれない。
 この点、すこやかみなみネットは、適切に情報交換が行われ、そのことから、ごく自然に連携・融合活動が創出されつつある。

★情報交換が形式的に流れる理由は、粗く、2つある。
 ひとつは、校区内にあるいくつかの学校間の連携が、なかなかうまくいかないという問題だ。
 学校間連携ができていないと、学社連携はほとんど進まない。
 ずっと昔の例だが――
 僕の学校では「学校は今、多くの荷を抱え、ピンチだ。だから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」という発想で学校を経営していた。
 ところが、隣の学校では「学校は、今、多くの荷を抱え、ピンチだ。だから、家庭や地域に支援、応援してもらおう」という発想で学校を経営していた。
 僕の学校が「分担」を志向し、隣の学校が「支援」を志向していたのだ。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、この2つは似て非なる思想だ。

 もうひとつは、校区内にある地域諸団体間の連携がうまくいかないという問題だ。
 考えてみれば、諸団体はもともと「他との違い」(=専門分野)をエネルギーにしている。
 本質的には連携しない、あるいは連携を好まない性質を有している。
 (ついでにいっておくが、学校もそうだ。この「学校もそうだ」ということをしっかりと押さえておく必要がある。)


  ◆「団地ともお」の話には、いくつか柱がある。「スポーツ大佐」編 「プロ野球リーグ・藻リーグ」編 「単身赴任の父親」編 「そうめん修業」編……等々  

s-1280IMG_1787

s-1280IMG_1809

s-1280IMG_1812

s-1280IMG_1814

s-1280IMG_1832

s-1280IMG_1834
★ここで話をガラッと変える。
 6月、この「職員室通信」の偽コンセプト露呈――学校経営の断念の上になお語りつづける600字の教育学といいながら、断念前と断念後とで記述内容が変わらない――その発覚ショックで、方向を完全に見失った。
 「職員室通信」の発行は一頓挫。
 しばらくフラフラしていた。
 何年も何年も「通信」を発行していた僕には、ホンマ、つらい期間だった。

 それが、NHKアニメ「団地ともお」(土曜日・午前9時30分~)を観ているとき、ハッと気がついた。
 「団地ともお」の話には、いくつか柱がある。
 「スポーツ大佐」編
 「プロ野球リーグ・藻リーグ」編
 「単身赴任の父親」編
 「双子のおじさん」編
 「そうめん修業」編
 「子どもたちの遊び」編……等々。
 かつ、柱と柱に強い連続性はない
 同じように、僕の「職員室通信」もいくつか柱を設定してみよう。
 これまでは、週単位の教育課程(主に「週報」等に記載されている内容)に即した現場報告というスタイルだった。
 それをこれからは、団地ともお的「柱」で発行する。
 柱の例――
 1.教育コミュニティ「サムライネット」編
 2.教師の授業修業編
 3.日常行事編
 4.主任会トピックス編
 5.あれこれ特集記事編(「4.主任会トピックス」に加筆した記事)

 「団地ともお」と同じく、柱と柱に強い(時間的)連続性は求めない。
 柱に沿って思考と実践をラセン状に深めていく。
 本日の記事は、「1.サムライネット編」の第1号だ。
 教育コミュニティづくりは、山あり谷あり。
 常に胸突き八丁、青息吐息だ。
 ねばり強く記述をつづけたい。

 なお、僕は、木下君子(ともおの姉・中学2年)と鎌倉景子(ともおの同級生・小学4年・「ケリ子」)が大好きだ。

★今回の情報交換の終わりに、SAMURAI公民館の館長から「ホタルの里」案内があった。
 ホタルが舞う条件として、
 ①夜8時~9時半頃で、
 ②あたたかくて、
 ③小雨模様で、
 ④風の強くない日……で、「実は今夜がその条件にピッタリなんですよ(^_^)v」ということだった。

 絶滅したといわれていたサムライ川のホタルが復活したのは、「ホタルの里づくり」推進委員会の方々の労苦のたまものだ。
 サムライ川のホタルは、水槽で人工飼育した幼虫を春先に放流する方式をとっている。
 幼虫飼育・川の清掃・幼虫放流・草刈り……と活動は年間におよぶ。
 本地域社会教育活動の中核的な存在だ。

 地域情報交換会の帰路、ホタルの里に寄ってみた。
 ホタル小屋の脇を抜け、サムライ川の土手に立つと、小さな光がいくつもいくつも闇夜を滑るように浮遊していた。
 僕のカラダから魂が溶け出し、今、目をつむったら、自分が音もなく消えてしまいそうな安らかさ(=同時に、消えたらアカン、危ないぞという恐怖?)を感じた。

★画像=SAMURAI中の1日(7/☆)



★読んでいただき、感謝します。ついでといってはなんですが、下のバナーのクリック、ガンガン、よろしく頼みます☆(●≧з≦●)。



にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ
にほんブログ村

  さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ


  小高進のWEB無人駅線ページへ