◆昨夜、ほとんど衝動的に、書架をみまわし、数冊ピックアップして、いつもの、木製の、折りたたみ式、ハンモック風、肘掛け椅子に身を沈め、少しずつ、次々に読みすすめる(全部、再読)。
すると……。
(1)『容疑者の夜行列車』(多和田葉子)。
購入した2002年には、ほとんど受け付けなかったのに、今回は、多和田さん独特の、迷路から次の迷路へと、ねばっこく、一寸先は闇を綱渡りしていくイメージが、自分のうちで、ドンドンと展開していった。
不思議だ。
(2)『幻化』(梅崎春生)
学生時代は読めたのに、しばらくは作品とわたしのあいだに、透明な不浸透膜が存在しているような関係だった。
それが、今回、浸透膜に変わっている。
これも不思議だ。
みなみ退場後の3ヵ月半の蟄居、あるいは沈潜の変化ではないか?
そうだとすれば、先のメタファー探しだが、このことも含まなければならない。
◆発泡酒を飲みながら、シマダのピーナッツを食べている。
いや、いつも迷ってしまうのだけれど、これは反対で、シマダのピーナッツを食べながら、発泡酒を飲んでいる……とすべきか?
どちらにしても、そうしながら、「蟄居」とか「沈潜」とかについて考えている。
(1)たびたび「みなみ退場後、蟄居」という言い方をしている。
(2)同時に、ほぼ同義語として「沈潜」という言い方もしている。
無造作に同じように使ってきたけれども、それを使うときの自分の気持ちに照らして考えると、
(1)「蟄居」は、多くの人々から「水平的」に遠ざかろうという意味がこめられている。
これに対して、(2)「沈潜」は、多くの人々から「垂直的」に遠ざかろうという意味がこめられている……ように感じる。
◆またまた古い記述群に「沈潜」という語で検索をかけると、BBSへの返信に次のような記述があった。
ハンドルネームmerodye(jamrin)さんへの返信だ。
「常に沈潜していたいと思うのですが、錘の重さが足りないせいか、2003年は上下する波に引っぱられて、プカプカプカプカという毎日でした。
やっと年末年始の休暇に入り、沈潜して瞑想する生活に近づきつつあります。」
2003年というと、プロフィールをみると、市役所勤務最後の年だ。
デスクにいるわたしには、直接&間接、いろいろな「批判」の声(←もちろん、わたしへの……)が聞こえてきた。
役所の部下からの批判。
上司にあたる人々からの批判。
現場(社会教育&学校教育)の人々からの批判。
そういう声の聞こえないような、海の底で「貝」になって暮らしていたい……という心境だ。
(25万人の町の行政の、いくつかの部門の、またそのいくつかの部門の、単なる1責任者という立場でも、ま、こんなありさまなんだから、麻生氏や安倍氏は、ホンマ、強靱な人々や……と、いつも思う。)
赤ワインのボトルを、海か沼の底の暗闇に沈めたいのだけれども、ボトルに空気が入っているのか、なかなか暗闇に隠れることができずに、ボトルの底の部分が「プカプカ」して、みっともない格好になっている……というイメージだ。
◆現状も(「蟄居」にしても「沈潜」にしても)、これとあまり変わりかがない。
赤ワインのボトル。
沼の底。
暗闇。
これらのメタファーで、もう少し思考してみたい。
赤ワインのボトルは、ウイスキーのボトルに変えるかもしれない。
いや、当時の自分というもののカタチの半分くらいは、役所の人々、教育現場の人々の視線の集積、あるいは、わたしとの相互視線の集積だといってよいと思うから、赤ワインにしても、ウィウスキーにしても、ボトルをボトンと海の底に……というメタファーではダメなのかもしれない。
たぶん、沈潜が成功すると同時に、ボルトが粉砕してしまうのではないか?
★これは、今回の記事で紹介している子どものスズメではないが、大人のスズメも警戒距離が極端に短くなって、これくらい近づいても平気なようだ。
◆江藤淳の命日(7/21)。
早朝に『西御門雑記』を読む。
S58(1983)、日本経済新聞に連載した身辺雑記70編を一冊にまとめたものだ。
1編あたり、約1400字。
命日に、これを読もうと、わたしは数日前から決めていた。
「地名という詩」……地名改変は、その土地にまつわる記憶を奪取するのみならず、その土地に籠められた詩と祈りを圧殺する。
「様式なき世紀末」……新しい世紀末が近づきつつあるが、いまのところ20世紀の世紀末が、アール・ヌーヴォーというような1つの美的様式を生み出すような兆候が、果たして今日のどこかに見出せるだろうか。
「『旗日』と晴れ着」……今年、わが家ではじめて日の丸の旗を門口に掲げたのは、1月15日の小正月の日である。永い年月、それでも大切にしまいこんであった国旗を取り出し、これも古い旗竿につけて、鎌倉の空になびかせたときには、さすがに多少の感慨があった。旗は歳月を経、旗竿も古びてはいたけれども、やはりわが家の日の丸も美しかった。
「里見氏を偲ぶ」……1度また大正文壇の回顧談をうかがいに行きたいと、思っていた矢先に訃報に接し、痛恨に堪えない。私はわざと、告別式に出なかった。出たら、今でも耳の奥に残っているは「そうかい。楽しみにしているよ」という里見氏の温かい声が、それ切り消えてしまいそうな気がしたからである。
その他、「遊ぶ子供たち」「世界の言論統制」……と、読み進むうちに、いつしか活字の行間から、江藤淳の肉声(語り)が聞こえはじめた。
江藤淳の肉体は滅びたが、まぎれもなく江藤淳はここにいる。
そして、わたしにむかって語りかけてくれている。
◆江藤淳の肉声にまじって、わが家の庭の緑陰でさえずっているスズメの鳴き声が聞こえてくる。
先日、スズメのバトルがあった。
数羽のヂッヂッヂッヂッヂッという鋭い警戒音が、いつまでもやまない。
玄関から庭に出てみると、木々の高い枝や、電線の上などで、数羽、警戒音を発しつづけている。
わたしが姿を見せると、たいてい、サッと飛び立つのに、このときは、わたしの姿など眼中にないようだった。
しばらくして、もう1回、同じようなことがあった。
そのバトル以来、わが家の庭にやってくるスズメの数が少し減ったように感じる。
スズメの生態のことは、まったくわからないが、スズメの世界にも派閥があって、一方がテリトリーを主張しているのだろうか?
だが、うれしいことに、以前に画像で紹介した子スズメは、あいかわらずやってくる。
今は、独り立ちをして、1羽でやってきて餌をたべている。
親スズメにくらべて、警戒心がほとんどない。
いわゆる警戒距離が極端に短くて、目の前にわたしがいても平気である。
まだ子どもだからだろうか?
あるいは、この緑陰で育ったという安心感があるのだろうか?
この子スズメが2代目だとすれば、3代目になると、ひょっとしたら、わたしの手のひらで餌を食べるようになるかもしれない。
◆江藤淳の肉声が、まぎれもなく、ここにある……という状態を、自分のうちに内包しながら、表を歩いてみたくなる。
雲のあいだから、ときどき木漏れ日がさす天気だ。
いつもの、男桐下駄、カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩きで、馬淵川河川敷の自転車道を、約5000歩。
歩きながら、自刃直後にも、テクテク、テクテク歩いたことを思い出した。
弔いの思いを込めた、十和田湖一周、50㎞ウォークだ。
志塚Tといっしょだった。
歩いても歩いても、振りはらっても振りはらっても、自刃の夜の、鎌倉近辺を襲った激しい夕立、その暗渠に流れ込む雨水の轟音……というイメージが消えなかった。
そのとき、途中から十和田湖も空模様が怪しくなり、最後の15㎞ほどは、雨中激闘、まさしく涙の弔いウォークになった。
あれから10年。
時間というのはありがたいものである。
◆江藤淳との出会いは、1965(S40)、江藤淳32歳、わたし17歳の頃だ。
だから、肉声といっても、いろいろある。(これまでも、ヘタな大阪弁を真似する江藤淳など、このページでも紹介してきたが、「いろいろな語り」については、また別な機会に書くことにする。)
命日、男桐下駄、カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩きのとき、聞こえてきた肉声は、その出会ったあたりのものだった。
Y(山川)が帰って行くとき、私はバルコニイごしに坂を降りていく彼の姿が見えないかと、注意していた。
しかし、下ですぐ車をつかまえてしまったのか、Yはいつまでたっても視野にはいって来なかった。
私はYになにかをいい忘れたような気がしていたが、それは「×××」という看板に出ているあたりの朝焼けの一際美しかったということだ。(S41『日本と私』~「朝焼け」~)
◆江藤淳の命日。
早朝、『西御門雑記』を読む。
これは、S58、日本経済新聞に連載した身辺雑記をまとめたものだ。
「地名という詩」「様式なき世紀末」「『旗日』と晴れ着」「里見氏を偲ぶ」「遊ぶ子供たち」……と、読み進むうちに、いつしか活字の行間から、江藤淳の肉声(語り)が聞こえはじめた。
その肉声の具体的な響き、具体的な表情を記述したいという誘惑にかられたが、それをとどめ、散歩に出る。
江藤淳が、まぎれもなく、ここにいる……という感じを、自分のうちに内包しながら、馬淵川河川敷の自転車道を、男桐下駄カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き(4660歩)。
自刃直後に、弔う意味で、江藤淳が、ここにいる……という感じを保持しつつ、志塚Tと十和田湖一周、雨中激闘ウォークをしたことがある。
あのときには、その日、鎌倉近辺を襲った激しい夕立とか、その夜、暗渠に流れ込んだ雨水の轟音とかというイメージが、はらってもはらっても、はらいきれなかった。
きょうは、それはない(ま、ないことはないけど……)。
男桐下駄カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き中、わたしの耳に響いていたのは、古い話になるけれども、『日本と私』~「朝焼け」~で、友人のY(山川)が帰っていくとき、バルコニーごしに坂を降りていくYの姿を確認しようと下を見ながら、ああ、朝焼けの美しさを言い忘れたぁ……と後悔しているときの、江藤淳の「語り」だった。
◆10000歩、10000歩と言っているけど、これまではすべて、何々しながらの10000歩だ。
たとえば、みなみ在職時代だと、職務として授業(1日72コマ)参観しながら、結果として、毎日、毎日、10000歩を軽く突破したということだ。
そうではなくて、1度、10000歩を目標に歩いてみたらどうだろうかと思った。
7/17(金)馬淵川河川敷の自転車道(大橋→根城大橋→尻内橋間)や根城城址内等、全行程を男桐下駄カランコロンで、10278歩。
先日、男桐下駄カランコロンから、太宰の『富岳百景』の、青年たちに連れられていった吉田の町の場面を思い出し、ハズミで、その場面の記述を、一文ごとに改行してみて、太宰の文章のスゴサに感動して(←この「感動」はくやしいから内緒にしていたが(^_-)……)以来、男桐下駄カランコロン歩きを、太宰に敬意を表し「鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き」と呼んでいる。
この「鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き」がスゴクよかった。
男桐下駄をはくと、姿勢がシャンとする。
かかとのほう(後ろの歯)から、軽く着地すると、着地の刺激が、かかと→腰→背骨→脳のうしろ側にと伝わり、休日、部屋で寝っ転がってモーツァルトを聴いているとき、脳のシワシワがくすぐったくなるような感覚があって、凝った精神がほぐれていく。
遠くの、木々の先端の連なりと、青い空との境の曲線が、その「感覚」に揺れて、自分の裡で曲がりくねっていた文脈が、バラバラにされる。
さらにということで、7/18(土)、馬淵川河川敷の自転車道・大橋→尻内橋間往復、これを、「鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き」ではなく、全行程、通勤靴で、速歩&ジョギングで、9607歩。
後半、完全に失速。
熱中症をともなっていたかもしれない。
7/19(日)
前日の速歩&ジョギング9607歩が悪かったのか、「鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き」との連続が悪かったのか……朝からぼんやりして、なにもやる気になれなくて、午前中、いつものお茶の間風報道番組、セキグチ……タハラソウイチロウ……2連発、午後、いつもの木製の、折りたたみ式、ハンモック風、肘掛け椅子に身を沈め、読書。
読書は、途中、何度もまどろんだが、トータルとしてはかなりの量を読む。
うとうととして夢をみることもあれば、みないこともある。
目が覚めると、窓の外では木立の葉がかすかに揺れていて、スズメたちの鳴き声が聞こえた。
これは、昨日の失速・熱中症の延長線上のことなのか、それとも、自分が願っていた、しあわせのひとつのカタチなのか?
もし、後者なら、これはこれでよいのではないかと思った。
夜、寿司、発泡酒。
9時、就寝。
◆「失速」しているあいだに、ブログ(goo・600字の教育学)にたくさんの方々からコメントをいただいた。
目覚めに怒濤の返信。
そのうち、いくつかをここにアップする。
〈くらら様へ返信〉
いろいろあって、打ちひしがれ、蟄居している、わたしを元気づけるために、わざわざやってきて、ほとんどだれも書き込まない、無名の無人駅の、駅ノートのようなスペースに向かって、キーボードを叩く、あなたの、小指の筋肉に感謝します。
〈水仙様へ返信〉
水仙様 カキコミありがとうございます。
今の今まで、水仙様のカキコミに気づきませんでした。
名もない、無人駅の「駅ノート」のようなブログですから、わたしの頭は「カキコミはない」ということが大前提になっていて、それで、大切なカキコミを見落としてしまいました。
お詫びします。
客観的にみると、たいした仕事は出来ませんでしたが、当の本人=わたしからすると、ま、やはり、全身全霊の、奮闘努力でして(^_-)、その結果として、戦艦にたとえると、やはり、ま、あちこち、穴があいたり、塗装がはげたり、部品も使えなくなってしまったり……ということで、ドック入りが必要なようです。
ドック入りをわたしは「蟄居」と呼んでいます。
蟄居には、粗く、3種類あると思っています。
(1)蟄居後、戻る。
(2)蟄居後、元には戻らないで、転身する。
(3)永久に、蟄居。
わたしの愛する高村光太郎は、(3)の決意だったと思います。
わたしも(3)なのですが、光太郎との大きな違いは、「決意」がすっぽりと抜けているところです(*^_^*)。
水仙様のお励ましのコメント、ほんとうに、ほんとうに感謝しています。
これくらいうれしいコメントはありません。
こちらこそ、ありがとうございました。
〈あやめ様へ返信〉
あやめ様、カキコミありがとうございます。
美しい所というのは、全国、世界中、どこにも数々あると思いますが、八戸の海の青、空の青も、格別の美しさがありますね。
あなたが、「はっと!」目が覚めるような……といってくれた、八戸の風景の下に身をおいていて、一瞬、これは、かつて北国にあこがれた、大阪の青少年だったわたしが見ている深い深い夢なのか? いや、それとも現実なのか?と、頭がクラクラすることがあります。
「かれこれ30年前」……というと、わたしが、根岸→根城→白銀……に勤めていた頃ですね^^;^^;^^;。
メチャクチャセンセだったので、ホンマに申しわけなかったと猛省していますけれど、……だれにも染まらず(←これ、相当、ムリをして)、孤高に、(いや、「孤高」だとちょっと立派すぎるから、ま、「孤独」にしておきます……)孤独に「西」に向かって人生を旅していくことを夢みていた頃ですね。
今でも、根城城址の表門(城門・広場入口)から本丸に向かって(東から西に)歩いているとき、当時の「西への思想」を思い出します、いや、同化している自分に気づきます。
◆永江朗『インタビュー術!』(講談社現代新書)
「2002年7月のスケジュール表を見たら、1ヵ月にインタビューした人が15人。8月は9人。大雑把に年に100人として、20年弱で2000人? まさか。でも、半分としても1000人の人に話を聞き、データ原稿を作り、記事にしてきた。(中略)人の話を聞いて、それを文章にする。(後略)」
さらに……。
「原稿にするときは、省略された主語を補い、脱線した文を括弧にくくり、ときには語順を入れ替え、あるいは句読点を入れて文にする。2つ3つの文をバラバラに解体して、別の文にすることもある。文そのものの順番を変えることもある。」
似たようなことは、わたしもやってきた。
しかし、永江氏とわたしには大きな違いが2点ある。
(1)「年に100人」。扱う数が違う。これには脱帽だ。
(2)伝える努力は、永江氏もわたしも同じだ。
しかし、伝わったかどうか……の突き詰め度合いは、永江氏のしつこさには遠く及ばない。
こういう人から文章を学びたいと思う。
★みなみ在職時にはよく食べたが、蟄居後は、食べたことがない。カロリーが高いからかな??
◆昼過ぎ、「蟄居」について考える。
3月末にみなみ退場以来、これまでずっと「蟄居」の形式(スタイル・外形・格好・体裁)に関して、ひとつ、ひとつ、整えてきて、ここに至り、ごく自然に、(それは、決して「格好ばかり考えてきたんだぁ~」とか「うかつだったぁ~」とかという反省・後悔ではなく)、さあ、これからは、いよいよ「蟄居」の内容について考えなければ……という感じ。
◆「蟄居」の形式の主な例。
蟄居する、主たる場所である古書店の模様替え(未完成)。
長時間読書のための、木製の、折りたたみ式、ハンモック風、肘掛け椅子の調整。
音読練習プログラムの設計。
過去の非公開書類の整理(作業中)
蟄居中の朝昼食計画。(夕食はわたしにほとんど権限はない)
融資金返済&年金受領関連の事務手続き。
蟄居のテーマ音楽(ヴァスクス「エピソードと終わりなき歌」)の決定・購入。
スズメの餌場の設定。
散歩コースの設定(だいたい決まりかけてきたが、気持ちがガラッと変わるかもしれない)。
今、すぐ思い出せるのは、これくらい。
また思い出したら、追加したい。
◆スズメの餌場については、はじめは、古書店の窓辺に立つ、アマチュア無線用のコン柱に巣箱をぶらさげたものだけだった。
ただ、これだと定員4羽。
5羽目、6羽目、7羽目……は、まわりの木の枝につかまって待っていたり、空中戦でちょっかいを出したり……と、毎回、たいへんな騒ぎになる。
それで、数メートル離れたところにある、故レオンの小屋の屋根に、使わなくなった机の引き出し(大)を使って、新たに餌場を作り、水場もセットした。
巣箱の上の空中戦は相変わらずだが、新しい餌場では、ゆっくりと餌を食べ、水を飲んでいる。
食後、つくねんとたたずんでスズメもいる。
餌がなくても集まっているようである。
ただ、欠点もある。
巣箱の上にはカラスは止まれないが、新しい餌場はカラスが着陸できる。
それから、「蟄居」のテーマ曲、ヴァスクス「エピソードと終わりなき歌」は、あの夜、発泡酒に少し酔ったわたしが、用もないのに古書店に入り、たまたまFMのスイッチをONにしたら、スピーカーから流れ出してきたのだ。
わたしの過去の音楽遍歴からは、決して出会うことのない曲だ。
◆さて、「蟄居」の内容に関する考察だが、これは、今、ブレストがはじまったところだ。
だから、何も結論が出ていない。
これからブレストにブレストを、さらにブレストを……というふうに、ブレストを積み重ねていくつもりだ。
ブレストにブレストを重ねていくと、思考の連続性からは到底至ることができないような新しい原理に、ポンと、非連続的に至ることがある。
これに期待している。
(1)「蟄居、蟄居」と言いながら、「私的な側面の記述に公的な側面を含むという方向でもいいし、あるいは逆に、公的な側面の記述に私的な側面を含む方向でもいい……」と揺れつつ、「公的な側面の記述に私的な側面を含む方向」にシフトしている。
「蟄居」の主たる方向は、公→私ではないか?
なのに、「公的な側面の記述」、すなわち、教育に関する記述の文体(あるいは作調)に依拠しなければならないというのは、やはり変ではないか。
さかさまではないか……と思う。
(2)これは、わたしの「文体」の定義に関係しているのではないか?
何度も、何度も、くどいようだが、わたしの文体の定義をくりかえす。
〈定義〉
わたしのいう「文体」というのは、願望の「断念」が、絶対の条件になる。
願望の「断念」を強いられることを前提としていないものは、「文体」ではない。
その「断念」の上に、願望の実現に向けて格闘する……悪戦苦闘する……その「軌跡」が「文体」だ。
こじつけようとすれば、いくらでもこじつけることはできるが、ここでいう「願望の断念」は、あくまでも教育の内容に関してである。
だから、極論すれば、わたしが、教育に関する文体しか有していないということになる。
だから、「公的な側面の記述に私的な側面を含む方向」にシフトせざるをえないのか?
(3)論理的に、わたしの文体は、教育という範疇にしか存在し得ない……ということになるのだが、その他に、もうひとつ、理由がある。
かつて、このことに触れたことがあると思い、過去の記述群に「すこやかみなみネット通信」という語で検索をかけ、次の記述を発見した。
〈2007/11/13〉
きのうも書いたように、ブログ〈600字の教育学〉の記述内容を再構成し(あるいは記事によってはそのまま修正なしで)、〈職員室通信〉を作成・発行しているが、だからといって、〈職員室通信〉を作成するつもりで、ブログ〈600字の教育学〉を書くと、すなわち、ブログ〈600字の教育学〉=〈職員室通信〉となり、やせた〈職員室通信〉になってしまう。
やはり、あくまでブログ〈600字の教育学〉⊃〈職員室通信〉でなくてはいけないのだ。
同じく、きのう、ブログ〈600字の教育学〉⊃〈職員室通信〉⊃〈すこやかみなみネット通信〉を可能にする「文体」が完成した……と書いたが、この「文体」についての説明がなかなかめんどうだ。
単純化していうと、ブログ〈600字の教育学〉の文体と、〈職員室通信〉の文体と、〈すこやかみなみネット通信〉の文体とは異なる。
ブログ〈600字の教育学〉は混合物だ。
それを蒸留させたのが〈職員室通信〉で、さらに蒸留させたのが〈すこやかみなみネット通信〉だ。
ハーバードリード的にいえば、ブログ〈600字の教育学〉はダンスあり、ゴロ寝あり、フテ寝あり、歩行あり、全力疾走あり……だ。
それに比し、〈すこやかみなみネット通信〉は、あくまでも規則正しい歩行だ。
アホかと思われるかもしれないが、わたしはこの〈すこやかみなみネット通信〉の文体(=散文らしい散文)に、結構ホレている。
だからといって、もうおわかりのようにブログ〈600字の教育学〉をそのサラッとした文体でやると、ダメ。
発酵作用がなくなってしまうからだ。(〈2007/11/13〉以上)
ここで大事なのは、「アホかと思われるかもしれないが……」の直後の部分だ。
要するに、「ホレている」のだ。
ホレている文体が、教育を語る文体にしかないのだo(*^▽^*)o~♪。
(4)ということは、もっと、せっせとWEB「職員室通信」 (蟄居後は、「職員室通信」と「すこやかみなみネット通信」を合体した。「新・職員室通信」見本)を作成しないと……ということかもしれないo(*^▽^*)o~♪。
(5)「蟄居」には、「みなみ退場」というような当たり前なこととは別に、もっと別種の理由があるヾ(●ε●)ノ”。
少なくとも2つあるヾ(●ε●)ノ”。
それに一般的にいって「蟄居」には、粗く、3種類あるヾ(●ε●)ノ”。
この「2つ」あるいは「3種類」については、今度、ゆっくり書くことにする。
☆大学を出て、教師(中学・国語)になったとき、生徒にこのピーナッツ会社の娘さんがいた。それ以来、ピーナッツはシマダと決めている。地味な味だが、カリッと噛んだ抱けて「あっ、シマダのピーナッツだ」とわかる。人生の味だ。
◆「小春のパパ」への返信にも書いたけれど、みなみ退場後の自分の日々の軌跡が、ほぼ安定「軌道」に入ったようだ。
ただ、ひとつ不快なことがある。
これは、みなみ在職時から予想していたことだ。
みなみ在職時は、通勤と校内巡回(いわゆる1日72コマ授業参観)で1日、10000歩を軽く軽く突破していた。
退場後、運動不足になって、困るかもしれないなぁ~と思っていたら、その通りになった。
ここ数日の、歩数計、メモリー記録。
7/10=1946
7/11=5814
7/12=8008
7/13=2896
7/14=7075
きのう(7/14)だって、早朝、根城城址を散歩し、夕食後は、男桐下駄カランコロンで、消防分遣署でやっているお祭りのお囃子練習を、わざわざ見学にいっても、これだけだ。
体重は、ペストが60㎏。
限界ラインが65㎏。
みなみ退場時、既に67㎏で、2㎏オーバー。
でも、退場したら、運動するから、大丈夫、大丈夫と思っていたら、減るどころか1㎏近く増えてしまった。
〈小春のパパからの画像BBSカキコミへの返信〉
★カルガモの画像、ありがとうございます。
画像をフルに拡大して、ディスプレイに目を近づけてみてみましたが、たしかに水路はあまりきれいでないようですね。
わたしたちと同じように、カルガモにも事情があるのでしょうか?
「それはわかっているけど、わたしにはちょっと……」というこだわりがあるのでしょうか?(;~〓~)
カキコミの文字からは、お変わりなく、小春のパパらしく、静謐に、ゆったりと過ごしている感じが伝わってきますが……。
前に1度バッタリと会った、ユニバース近くの新築(←今は新築ではない)の家の前を通るたびに、どうしているかな?と思い出しています。
わたしのほうは、みなみ退場後、3ヵ月半が過ぎました。
退場後の選択については、受け身的選択、能動的選択等、いくつかの選択はあり得たのですが、カルガモのお母さんの「こだわり」のように、わたしにも「こだわり」がありました。
「こだわり」は、粗く分類して、2つあります。
(1)読んだり、書いたり、(聞いたり……)して「ことば」と、もう一日中、好きなだけ付き合いたい。
何か作品を仕上げて、ひとつの成果を上げようというものではありません。
子どもが、泥遊び、積み木遊びするのとまったく同じです。
(2)「年金」暮らしをしてみたい。o@(^-^)@o。
ほんとうにもらえるのかどうか心配していましたが、先日、実際にわたしの通帳にあちこちから振込があり、計算してみて、1ヵ月の年金額を確認し、それがほぼ予想通りで、ひと安心。
といっても、ホンマにホンマに、微々たるものです。o@(^-^)@o
あたりまえですけど……。
でも、これでいいんです。
ほしいものは何もないし、一日中、ことば遊びができればいいわけですから……。
こういう生活にスゴクあこがれていました。
画像は、わたしのうちの窓辺(アマチュア無線用のコン柱にぶらさげた巣箱)に、毎日、毎日、遊びにきて、一日中、チュンチュン、チュンチュン、元気な鳴き声を炸裂させて、孤独なわたしの、沈みがちな精神を鼓舞してくれているスズメたちです。
露出1/1250で撮影しましたが、もう1段上げてもよかったかもしれません。
◆以前にも触れた、お好み焼き・原点回帰の修業の、画像報告。
基本材料=薄力粉(30グラム)、強力粉(20グラム)、水(55㏄)、ベーキングパウダー、キャベツ(130グラム)、紅ショウガ、乾燥エビ、天かす、卵(1個)、豚肉(3枚)、ソース。
この材料で焼く。
この材料以外の、昆布・鰹節等のダシ、塩、砂糖、調味料、マヨネーズ、青のり……等は、カット。
基本材料に紅ショウガが入っているのおかしいと思う方もいるだろう。
乾燥エビも天かすもいらない。
卵も豚肉もいらない。
わたしもそう思う。
子どもの頃、卵入りのお好み焼きなどは、隣のテーブルで大人が食べているのを見たことはあるが、自分では食べたことはない。
豚肉などは、夢のまた夢だった。
だから、いつかは、薄力粉、強力粉、水、キャベツ、ソースだけで、焼いてみたいと思う(o^∇^o)ノ。
わたしの「基本材料」は、「豚玉の基本材料」と言うべきかもしれない。
紅ショウガ、乾燥エビ、天かす等についても、わたしにとっては、外出時の身だしなみのハンカチとティッシュみたいなもので、これを外すということは、ちょっと考えられない(o^∇^o)ノ。
原点回帰のお好み焼き修業で、もう1つ、大切なことは、時計を使わないということだ。
時計に頼らず、自分の目と、コテから伝わってくる手の感触を頼りに焼く。
鉄板が変わっても、粉が変わっても、きちんと焼けるという腕を身につけたいというのが目標。
これで6月いっぱい、焼きつづけ、現在、3枚に2枚は、
「ああ、おいしい」
「外のサクサク感が最高」
「中のホカホカ具合もなんともいえない」
「焼けた生地の香りがいい」
「蒸されたキャベツが甘~い」
「ほんとうにおいしい」
「もっと食べたい」
「あしたも、あさっても食べたい……」というお好み焼きが焼けるようになったのでテヘヘッ(*゜ー゜)>、きのうから、だしに鰹節を使用。
だしを次々の付け足していくのではなく、しばらく、いろいろだしを、ひとつひとつ試してみるつもりだ。
画像は、きのうのお好み焼きの断面。
外サクサク、中ホカホカの、外サクサク感を強調するために、やや薄目に焼いている。
課題として、外サクサク感と中ホカホカ感の間の境目が、食べているときにわかるような焼き方が理想なのだが、今のわたしの技術では、ちょっとむずかしい。
時計は見ていない。
自分の感覚では、今までの表6分くらい、裏6分くらい、追い焼き3分くらい……というような時間ではない。
もっと長く焼いているように感じる。
次回、ひっくり返すときに時計をチェックするというやり方で、実際の時間を確認してみたい。
なお、鉄板の温度は、250度設定。
★毎日、毎日、チュンチュン、チュンチュン、夜明けから日暮れまで、元気な鳴き声を炸裂させ、鬱屈がちなわたしを鼓舞してくれているスズメたちには悪いが、ときどき「スズメ以外の鳥も来てくれたら……(かといって、カラスは困るが)」と思っていたら、遂に、この画像の鳥がやってきた。
スズメより鳴き声が鋭い。
くちばし、尾っぽのカタチ、それに動きが、精悍。
パートナーが、ヒヨドリだろう……と言っている。
★〈SZK氏のBBSへのコメント〉
わたしの、頭の中にある、ま、これからの、理想の日本のイメージというのは、まず、自国の存続を願うということについては、これは、もう大前提で、たとえば貿易とか、軍事とか、領土とかについて、諸国との連携・協調に、それはそれは、もう大阪商人みたいに、頭を下げ、腰を折り、徹底するけれども、しかし、しかし、他国から、外から、見た日本という国の全体印象は、孤立&孤高で……、ま、孤立&孤高なんだけれども、「このことについて日本はどう考えているのだろうか……?」と、他国にはなんとなく気になる……すごく気になる……ちょっと肩をつついて聞いてみたくなるような存在……というイメージなんですよ(^_-)。
大東亜戦争前のカタチの改造型。
だから、G8なんかでも、首相は会場の隅っこにポツンとしていて、ひとり、じっと宙をみているr(-◎ω◎-) ……、写真撮影なんかは、もう、もちろん、いちばん隅っこでいいんですよ、それも、あきらかに他国と50㎝くらいスペースをあけようとしている┃(;●ω┃……しかし、この場ではないところの、水面下では、手足役、あるいは本人が水鳥の脚みたいに、セールスから何からパタパタやっている |(^0^) |(^0^)……日本。
こういうイメージの政治家というと、中曽根元首相かな?
安倍氏にこういうイメージの政治家になってほしいんですけど……。
★都議選、やはり予想通りの、「かなり」の「結果」。
とにかく「連立解消」を最大のテーマにしているわたしとしては、今がチャンス。
友党が最も怒る選択を……と思っていましたけど、さっきのニュースをみたら、そうはならないようですね。
アキマヘンなぁ~。(SZK氏のBBSへのコメント 以上)