職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★プロ教師塾シリーズ「修了式式辞・人は一生、いい意味で、中学時代から逃れることができない」編

2014-03-27 19:43:38 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
★このチームの一員であったことを誇りに思う
2014
03.27
 
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★修了式式辞――
 1学年のみなさんは、あたりまえといえばあたりまえのことですけれども、中学1年という1年間を、2学年のみなさんは、中学2年という1年間を、今、終えようとしています。
 修了式は、1年間の大切な節目です。

 転校していった人もいます。
 今、新しい土地で、きっと元気で、修了式を迎えていることと思います。
 逆に、このMINAMIに、転校してきた人もいます。
 わたしも、転校の経験があります。
 転校というのは、ほんとうにほんとうに、たいへんです。
 それを、よくがんばって、きょうの日を迎えました。

 こうしてみんなで、無事に、きょうの日を、迎えることができ、修了証が渡せることを、先生方と、保護者のみなさまと、地域のみなさまといっしょに喜びたいと思います。

 おめでとう!

★これまでたびたび、わたしは「わたしの人生独立に向けての1段ロケットは中学時代だった」といってきました。
 この1段ロケットは、わたしという人間の、生き方の、基本・原点です。
 その基本・原点を具体的にいうと、2つあります。
 ひとつは、目の前の友の、いや、友だけではない、苦しんでいる人のピンチからは、絶対に逃げない。
 ピンチの人を助けることはできないかもしれないけれど、その人のために、自分がやれることは精一杯やるという精神。
 もうひとつは、清貧の思想。
 貧乏だけど、……いや、貧乏がいいのだ。
 貧乏だけど、夢、希望、志は高いという清貧の思想。
 できるだけ親にお金を使わせないように。
 心配もかけないように。
 そして、自分の夢を実現しようという精神です。
 中学の時に、こう決意しました。
 わたしの基本・原点=1段ロケットです。

 ついでにいうと、2段ロケットは高校2年。
 文章を読んだり書いたりするのが好きでしたから、小説家か、新聞記者か、中学・高校の国語教師か……、このどれかになろうと決意しました。
 これが2段ロケットです。
 3段ロケットは35歳くらいで、それまでやめようかどうしようか迷っていた中学の教師を、よし、中学教師一本でやっていこうという決断です。

 今、言いたいのは、1段ロケットがあるから、2段ロケットがあって、3段ロケットがあるのだ……ということです。
 ですから、中学のときの決意が、みなさんの一生を一生支えます。
 今のわたしの隣に、みなさんからは見えないだろうけど、中学生のわたしが立っています。
 人は一生、いい意味で、中学時代から逃れることができません。

★本日、修了式の日。
 自分のこの1年間の一歩一歩が、真に独立に向けての一歩一歩であったかどうか?
 この一年間で、人生独立に向け、決意の1段ロケットを打ち上げることができたかどうか?
 しっかりとふりかえろう。
 反省すべきは反省しよう。
 修正すべきはきちんと修正しよう。
 急ぐべきは急ごう。
 新年度を迎える心の準備をしよう。

★まず1年生に。
 昼休み、1学年の廊下を歩いていると、みなさんの中には、わたしに対して、プロ野球の、たいへんレベルの高い話をしてきたり、あるいは、文学の話をしてきたり……と、ひじょうに議論がすきで、かつ、歌の上手な、豊かで、おもしろい学年だなぁ~と思っています。
 いよいよ、4月の入学式には後輩たちがやってきます。
 ある1年の男子の人が、わたしに「今の僕たちって、小6のときの僕が、体験入学のときにスゴイと思ったMINAMI中生なんですね」と言いました。
 聞きながら、ほんとうにそうだと思いました。
 後輩たちは、あなたたちを、おっ、スゴイと思ってみています。
 だから、だれかに何かをしてもらう、やってもらう……というアマエの心を捨て、逆に、他のために、後輩たちのために何ができるか、どう支えてやれるか……上級生として、力強さを発揮してくれることを強く期待します。
 議論の好きな学年といいましだが、本も大いに読んでほしい。
 本を読まないで、高校生になったら、たいへんだ。
 図書室の本を、読んで、読んで、読みまくってほしい。
 1年生のみなさんに心から期待しています。

★最後に、2年生に。
 生徒総会の日に、T生徒会長が言った言い方をマネると、あと、5日で新3年生としての1学期です。
 MINAMI中をよろしく頼みたい。
 悪い学校にするのは、かんたんだ。
 3日もかからない。
 だれにでもできる。
 しかし、いい学校を創るのは、たいへんだ。
 生徒総会の日に「卒業生がいなくなってから1週間たつけれども、あなたちの力で0.0001ミリでも、MINAMIをよくすることができましたか?」とたずねましたが、先輩たちの努力を、しっかりと受けとめ、それを自分たちの力で1ミリでも、0.1ミリでもよくして、それを、次の代に伝えていく……これを、くっきりと、目にみえるカタチにするのは、ほんとうにむずかしいことです。
 規律を正し、よく学び、他のためによく働き、汗を流し、力を合わせ、このむずかしいことに挑戦し、新しいMINAMIの歴史を創ってほしい。
 日本でいちばんいい学校を創ろう。
 2学年の奮闘努力を期待します。

 これからも、これからも、MINAMI中が歌声のひびく、よい心のこもった、すばらしいMINAMI中でありつづけることを念願して修了式の式辞とします。(修了式式辞、以上)

★トップ画像=DAKA古書店跡の片隅。
 DAKA古書店跡には書物は置かないことにしている。
 しかし、どこにも行き場がない書物があって、こうして一時保管というカタチで床積みされている。
 「背文字」群は、僕の疾駆(=迷走)の足跡。

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◆業務メモ ★修了式→離任式→地域のあいさつ回り→教職員解散会等々……。
 きょう1日で、6回のあいさつ場面があった。
 「あいさつ」をささえる、僕の魂そのものは変わらないけれども、修了式の式辞と離任式のあいさつとは意味が違うし、子どもたちを対象にするのと、教職員や地域の方々を対象にするのとでも、微妙に違う。
 だから、自動車のギアを切り換えるように、魂の「カタチ」を切り換えながら語ることになる。
 これが結構、シンドイ。
 魂の「カタチ」を変えている本人(=僕)としては、かなりのエネルギーを使って、グネッと「カタチ」を変えているつもりなのだけれど、他からみると、魂の「カタチ」は、ほんのちょっぴり、張ったり、ゆるめられたりしているだけかもしれない。
 修業不足を痛感する日だ。

★その、グネッと「カタチ」を変えた「解散会のあいさつ」の前半。
 ――僕たちの教育活動については、自分の学校の活動だから、空気のようなもので、いいとか、スゴイとか、そういうふうには感じない。
 だけれども、自分の過去の教育活動と比較したり、チラッと他と比較したりすると、今は、結構なレベルの活動をしているんだなぁ~と気づく。
 こういう観点から、1年間の子どもたちを高く評価したいし、指導にあたった教職員のみなさまの努力と、その到達点を高く評価したい……という気持ちでいっぱいです。
 ほんとうにご苦労様でした。
 この言い回しをもう少し突き詰めると、このチームだから、こういうレベルで仕事ができているんだ……というところに思い至る。
 ややうぬぼれた言い方をすると、問題を抱える学校、荒れる学校、そういうところに進んでいきたいとは思わないが、このチームで行けといわれれば行ってもいい、行って苦労してもいいという気持ちがあります。
 やはり(1)力のあるチームだと思います。
 (2)品性・倫理・誇りの高いチームだと思います。
 このチームで、この1年間、仕事ができたことは、ほんとうに大きな喜びです。
 このチームの一員であったことを誇りに思います。(あいさつ前半、以上)



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★今度、4月に子どもたちが学校に来ると、もうこれまでの学級はない。
 お世話になった先生もいない。
 さびしいといえば、さびしいのだが、自分とつながっていたものから離れ、ひとりになることによって、自分というもののカタチがはっきりと、デジカメがフォーカスしたときのように鮮明に見える。
 大切な時期だ。
 これは大人も同じ。
 自分にとって決まっていた基本的な生活パターンや人間関係が、グシャグシャになる。
 グジャグジャになるから、さびしいし、不安定になるわけだが、逆に決まったパターンで暮らしているときには見えなかったものが、突然、見えるようになる。
 ある意味で魅力的な日だ。
 ま、しかし、仕事となると、グシャグシャを再編成しなくてはならないから、結構、つらいものがあるなぁ~。
 これから2、3日、自分の魂を方向づける、孤独の、ミニキャンプを張るつもりだ。
 1本の線としての「日常」や「1年」を、粗く「点」「点」「点」……としてとらえ直してみるつもりだ。
 「線」のままだと、線に絡み取られて身動きがとれない。
 点としてとらえなおし、点と点のあいだから逃れて、少し離れた位置から、僕の日常を、あるいは1年を眺めてみるつもりだ。
 ミニキャンプ中に、願わくは、別な日常、別な人生を発見、創出したいと思う。


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★プロ教師塾シリーズ「10回、異動辞令を受けた。プラスの感情で受けたのが5回。マイナスが5回」編

2014-03-24 20:16:56 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
★人事異動、悲喜こもごも(ノ△・。)
2014
03.24

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◆業務メモ ★3/21(金)の「業務」――除雪。(画像上=除雪前)
 僕も除雪作業を経験することなしに育った人間だが、除雪をしなくてもいい地域の人のために説明すると、除雪には2種類ある。
 ①僕が出入りするための通路確保(インプレッサの通路も含む)。
 ②他の人がDAKA古書店跡前を通行する通路確保。
 順番としてはやはり「①」からやらないと動きがとれない。(画像下=除雪スタート)
 残念だが、3/21は「①」終了時点でダウン。
 体力の限界を越えた。
 春の雪は重いし、くわえて、これまでに積み上げた雪の山の上に放り投げなければならないから、右腕、腰、左膝に、相当な負荷がかかる。
 3/22(土) 悪寒。
 そして予想通り、右手首&右肘痛。
 腰痛。
 左膝痛。
 上半身の神経痛。
 軽い朝食後、寝込む。
 夕方まで眠りつづける。
 苦しい夢を見つづける。
 ぜんぶ学校の夢。
 特に授業の失敗。
 授業がうまく展開しないので「語り(説明)」でごまかそうとして、空回り。
 子どもたちがドンドン遠ざかる。
 さらに語る。
 さらに遠ざかっていく。
 僕の喉が涸れている。
 夜10時半頃、除雪車の音。
 DAKA古書店跡前を行ったり来たりしている。
 「おお! 来てくれたのかぁ!」
 雪を激しくえぐる音。
 これは夢ではない。
 バートナーが表に飛び出して行った。
 「もう除雪しなくてもいいよ。ぜんぶ、やってくれたよ!」
 ホンマ、市に感謝。
 ①+②、完了。
 3/23(日)、ほぼ快癒。
 軽い腰痛が残るのみ。
 しかし、またけさも苦しい夢。
 やはり学校の夢。
 学年経営の苦しみ。
 スタッフが僕をパスして勝手に動き出す。
 いったん治まっていた学校物の悪夢の「層」を、3/22にほじくり返してしまったようだ。
 制御できない。

★人事異動。
 僕は10の職場を転々としてきた。
 すなわち、10回、異動辞令(含採用辞令)を受けたことになる。
 プラスの感情で受けたのが5回。
 マイナスが5回。
 半々だから、ま、「諒とせられよ」というところだろう(^_^)v。
 一旦は退職を決意した辞令もあった。
 人生というのはわけがわからないなぁ~と思うのは、自分の人生を、よい方向に決定づけたと思われる職場は、マイナスの感情で辞令を受け、しょげかえり、あるいは、しょげかえりを通りこし、(くりかえしになるが)退職を決意した……という職場のほうだ。

★最後の職員会議発言。
 これは会議資料とは別の口頭発言だ。
 文書以外の口頭発言は業務上の効力はない……と僕はとらえている。
 「念には念を入れて……」という気持ちがあったにしても、たるんだ発言は避けるべきだったと猛省している。
 ただ、4月からスタートする「新々・職員室通信」も、やがては終末の「3月」を迎える。
 そのときのために、この「効力のない」「たるんだ発言」を掲載しておく。

 〈口頭発言
(1)指導力(授業力)向上の5原則について。
 研修は、粗く、①共通・基礎研修と②専門研修に分類できるが、①共通・基礎の指導力がないと、何もはじまらない。
 指導力(授業力)向上の5原則については、今後も徹底して追究したい。
 生徒と対面しつつ板書する力は○○T。
 語りは○○T。
 指示・発問は○○T。
 短い作業は○○T
 ……というわれる腕をめざしてこれからもがんばりたい。
 僕自身の悔いは、机間巡視で得たデータを100%焼きつけて、それを使って授業を展開する力を身につけたかったが、時間的に間に合わなかったことだ。
 来年度の課題としたい。

(2)学校・家庭・地域の教育力のバランスをよくする……そのために、学校・家庭・地域がいっしょに、気軽に参画できる教育システムづくりということで、MINAMIネット事業を展開している。
 息の長い活動にするために、何点か工夫点がある。
 ①組織の面で……(ここでは省略)。
 ②中核エネルギーの面で……(ここでは省略)。
 ③事業展開の面で……(ここでは省略)。
 再度、全教職員でこの点を確認し合い、新年度、さらに前進したい。

(3)トラブルへの対応。
 ちょっとしたことの背後に、相当、大きな予備軍がある。
 絶対に軽くみてはいけない。
 ちょっとしたことへの対応を誤ると、学校危機に至る。
 ちょっとしたことに、危機感を持ち、ベストの対応はなにかと問いつつ、正面から対応する。
 トラブルから逃げない。
 ごまかさない。
 常に「正面突破」をめざす。

 残る方々は、今度来る新しい力を取り入れつつ、さらによいMINAMIに。
 出る方は、MINAMIのよさに、新任地のよさを取り入れ、新任地の柱として、奮闘努力してくださるようお願い申し上げる。(効力なし発言、以上)

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★DAKA古書店跡片隅の音響コーラルFLAT―6Sスピーカー。
 真ん中の椅子に腰掛け、行儀が悪いが、両肘を左右のスピーカーに掛け、バルトーク弦楽四重奏曲第1番を聴いている。
 僕の最近のテーマソング。



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★プロ教師塾シリーズ「ため息をもらしウロウロ歩き廻っている場合ではない。絶えず昇らなければならぬ」編

2014-03-20 15:45:19 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
★あしゅら堂主人の返信メールに僕はいじける
2014
03.20

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★1年間というロングランのフィナーレが直前だというのに、エネルギーが底をついてしまった。
 何も語りたくない……というか語ること(ネタ)がない。
 何も書きたくない……というか書くこと(ネタ)がない。(HPやBlogに来てくださった方々、ホンマ、スンマヘン。)
 自分がこののち、再び、このHPやBlogに何か「書きたい」、何か「語りたい」と思うことがあるのだろうか?と思うくらい、精神が乾ききっている。
 前回、「膨大な事務量が残っている。ま、ため込んだ僕が悪い……。次々にしめきりが迫る」といっていた「事務」は、ほぼ終了。
 残りは、僕ひとりではやれないところの、他との共同作業部分だけだ。
 ああ、今、「事務仕事をやっつけたら、何も残っていなかった……」という感じ。

★3/16(日)夜、障子を開けたら満月がきれいだった。
 畏友・あしゅら堂主人に「そちらでも見えるだろうか?」とメールを打った。
 その返信――
 「メールを見て、こちらも障子を開けたら、三笠山の上に満月があった。きょう、久しぶりに神戸に行き、神戸市立博物館のターナー展をみた。館内で小林古径の髪のモデルに似た女性に会う。ミュンヘンでビールを飲み、帰宅……」
 三笠山というのは、たぶん若草山のことだと思う。
 ミュンヘンというのは、僕も一度、あしゅら堂主人といった三宮の神戸大使館だ。
 結構、いい生活をしている。
 こういうメールを目にすると、僕はいじける。
 余計なメールを打たなきゃよかった。
 音響コーラルFLAT―6Sスピーカーの前で肘枕し、ため息をついた。(トップ画像)
 キャビネットの布越しにセンターキャップが光っている。
 J-WAVEが流れていた。
 なんとかせんとアカンなぁ~。
 「なんとかせんとアカンなぁ~」の「なんとか」が何であるのか?を考えんとアカンなぁ~(ノ△・。)。
 僕の神経は今、完全、外向き。
 これを内向きに切り替えないと……。
 「外向き」が悪いというのではない。
 「外」も含めて、すべて「内」に切り替える覚悟とパワーがないとアカン。
 僕には覚悟もパワーもない。
 ――「昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。」(『富岳百景』)
 ――「いたずらに恍惚と不安の複雑な溜息ためいきをもらして狭い部屋の中を、うろうろ歩き廻っている場合では無い。私は絶えず、昇らなければならぬ。」(『東京八景』)

★職場からの帰り際に乱氏Tが、☆子さんのことを覚えていますか?と、僕の前の前の職場、すなわち、乱氏Tにとっても前の前の職場、もう10年以上前になるが、そこに在籍していた生徒のことを話題にした。
 僕は、こちら側の端の、先端に、すなわち、あちら側にもっとも近い、ギリギリの地点に立って、☆子さんのことを思い返そうとしたが、日常的に接していたわけではなかったので、生徒名簿に☆子さんの苗字が存在したということ以外、顔や声など実像にかかわる断片はひとつとして思い出せなかった。
 乱氏Tと別れて、車中からヘッドライトの流れを眺めているとき、不意に、時間の連続がとぎれ、もはや時間ではなくなった地点から、☆子さんの父の姿があらわれた。
 僕との父が、向かい合って話し込んでいる。
 話の内容は思い出せない。
 ただ、保護者と教師が話し合っているのだから、☆子さんをめぐる話し合いであることはまちがいない。
 父の苦悩とこちらの苦悩(←学校側の……というより、こちらも親としての……)とが、重なり合う、魂と魂のしずかな話し合いだった。
 乗った車が柳橋を渡るあたり、今度は、闇に浮かぶ街の灯りから、ポツンと父の職業が浮かび上がった。
 乱氏Tに「☆子さんの父の職業は☆☆☆でしたか?」とメールを打つと、即座に「そうです。よく思い出しましたね」と返信があった。
 やはり☆子さんの姿はどうしても思い出せなかったが、☆子さんが、僕の意識と無意識の境のところにまで近づいているのがわかった。
 同時に、乱氏Tが、こちら側にあって、こちら側にいない幻のようにも思えた。


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★プロ教師塾シリーズ「小学校の卒業を祝う会で祝辞を述べる」編

2014-03-17 16:34:36 | 僕のモンマルトル日記



職員室通信
★卒業を祝う会で祝辞を述べる
2014
03.17

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◆業務メモ ★画像はDAKA古書店跡片隅。
 この場所が――まがりくねった言い方をするようだが――「新・職員室通信」の視点、すなわち「茫漠特急」の出発点だった。
 これが今、大きく変わりつつある。
 「視点」の場所を「◆業務メモ」内に移動した。
 ひそませた(*^_^*)。
 気分としてはノマド化に近い。
 もちろん「茫漠特急」は消滅した。
★先日、この欄に「卒業式が終わったとたん、フィナーレの風景が、デジカメのオートフォーカスのように、ピピッと音をたてて鮮明に見えはじめた」と書いた。
 でも、その風景に僕のカラダが接続しているのかというと、まだまだこんがらがっている。
 膨大な事務量が残っている。
 ま、ため込んだ僕が悪い……。
 次々にしめきりが迫る。
 一昨日も、昨日も、脇目も振らずに……といった感じ。
★こうして夜を日に継いでキィボードを叩いていると、ふと、学生時代に苦しんだ「王子さまとお姫さま」の「小説」を思い出した。
 「しめきり」つながりで接続先が混線したようだ。
 小説は連載のかたちをとり、計8回つづいた。
 短いときで原稿用紙30枚、長いときで100枚。
 平均して50枚、計400枚。
 次の引用箇所は小説全体の4分の1をちょっと過ぎたあたりで、その回のラストシーンだ。
 ――次の日も、いい天気だった。
 二日かかって穴を掘った。
 元肥は家内が近くのホームセンターで見つけてきた。
 バラの苗を植えるのに、結局、まる三日間費やしたことになる。
 その晩、巻きずしとビールでお祝いをした。
 家内が、もういっぺん巻きずしをつくるんだといってきかなかったからだ。
 冷蔵庫からビールを持ってきて、わたしがポーンと勢いをつけて栓を抜いた。
 「さあ、マリ子」
 と、家内のコップにわたしが注いで、
 「じゃ、わたしが」
 と、家内がわたしのコップに注いだ。
 「お互いによくやったよ」とことばではいわないけれど、ふたりとも沈黙のことばで、そういっている。
 わたしがコップをあげて、
 「バラとぼくたちのために」
 といったら、家内もコップをあげて、
 「カンパーイ」
 といった。――(抜粋、以上) 
 合評会で僕の畏友・今井重明君が「こんなふうにふざけて書くのは君らしくないよ。今度からはやめてほしいね」とあきれ顔で言った。
 今井君の言いたいことはよくわかっていた。
 ただ、師と仰ぐ岡先生は「前半のネチネチしたものを空に抛つように終わるこの場面はよかった」とほめてくれた。
 こんなふうに書いていると、ホンマに、小説のラストシーンに今の自分を接続してみようかという気持ちになってきた。
 ――「あの二人は今頃、どこでどうしているだろう?」
★本「職員室通信」もゴールが近づいている。
 ああすればよかった、こうすればよかったという後悔がいくつもいくつもある。
 模擬授業大会や会議の前後にやる「どこ模」の記事があまりアップできなかったことも、そのひとつだ。
 いろいろ、ひっかかってしまうことがあるからでもあるが、4月から始まる「新々職員室通信」では、そのひっかかってしまうことを何とか工夫したい。
 左サイド上の画像は田丸T(家庭科)の模擬授業(8月実施)。
 デジカメで田丸Tを撮影していて、ハッとした。
 撮影しやすい。
 キョロキョロと、あっちを向いたりこっちを向いたりしないからだ。
 目線が、生徒役の目から目へと連続的に移動していく。
 液晶モニターを見ながら「これはスゴイ!」と思った。
 左サイド、次の画像は小和田T(英語)の模擬授業(同じく8月実施)。
 耳に届く小和田Tのクリアーな英語が感動的に美しい。
 田丸Tと同じく、顔のアップが撮影しやすい。
 視線を生徒1人1人に0.1秒ずつ止めている証拠だ。
 学習活動の骨格がしっかりしている。
 そういえば、乱氏Tの顔も撮影しやすい。
 

 〈★minami小卒業式に出席〉

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★引きつづき開かれた、卒業を祝う会で祝辞を述べる。

 ――みなさん、こんばんは。
 今、校長先生の、「これが最後になるのかもしれない」と前置きしつつ述べられた、気合いの入ったごあいさつ、また、それにつづく、先生のピアノ演奏を、感激して拝聴いたしました。
 校長先生、ありがとうございました。

 たくさんのご来賓がいらっしゃる中、たいへん僭越に存じますが、ご指名ですので、ひとことごあいさつを申し上げます。

★保護者のみなさま、お子様のご卒業、おめでとうございます。
 本日は、ほんとうに立派な卒業式でした。
 歌もよかったですね。
 失礼な言い方になることを恐れずに申せば「こんなに上手だったかなぁ!!」と驚きながら聴きました。
 6年生のパワーと成長を実感する卒業式でした。
 くわえて、今、校長から「学力も高い」というお話があり、4月から卒業生たちを迎える立場の者として、身の引きしまる思いでおります。

★さきほど6学年委員長さんのごあいさつのなかに「小学校1年に入学するとき、手を引きながら校門をくぐったときのことが、目に、胸に焼きついている」というお話がありましたが、わたしも胸を熱くしてうかがいました。
 手を引かれる小学1年生の姿から、本日の卒業生の立派な姿を想像することは、とてもできなかったことと思います。
 6年間、山あり、谷あり、涙あり……、非連続の連続、お子様にとっても、保護者のみなさまにとっても、大冒険の6年間でしたね。

 わたしにも子どもがおります。
 その子どもが小学校を卒業するとき、わたしは妻に(わたしはなんというか仕事人間で子どものことはほうったらかしでしから)「ほんとうにありがとう! よくやったね! ごくろうさ~ん!」と、ま、声に出しては言わなかったけれど、心のうちで叫びました。
 同じ思いで保護者のみなさまに――というのも変ですが(*^_^*)――ほんとうによくがんばられましたね。
 おめでとうございます。

★さて、4月からは中学生です。
 今、小学1年の姿から、今の姿は想像できなかっただろうと申しましたが、同じように、今の姿から中学卒業のときの姿は想像できないのではないでしょうか。
 中学3年間も、小学6年間と同じに、これもまた、非連続の連続、山あり、谷あり、涙あり、晴れたり、曇ったり、大冒険の大ドラマです。
 本日は、みなさまに卒業のお祝いを申し上げるとともに、これからはじまる新たな冒険の旅に、みなさまとごいっしょ申し上げる者としてお迎えにあがった次第です。
 どうぞ、これからごいっしょに、よろしくお願い申し上げます。
 MINAMI中は、minami小と手を携え、学校・家庭・地域が連携・融合・協働して教育コミュニティづくり「MINAMIネット事業」を展開しております。
 保護者のみなさまの積極的な参加、参画をお願い申し上げて、お祝いのごあいさつといたします。
 本日はほんとうにおめでとうございます。(「あいさつ」以上)


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★プロ教師塾シリーズ「新年度の組織編成ではバカ者同士が仲良くやっているような校務分掌チームを廃す」編

2014-03-13 20:23:32 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
★新年度組織編成のポイント(第1回)
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◆業務メモ ★真空管6WC5←ホンマ、なつかしい(^_^)v。
 この回路図をみていると、6WC5を取り付けるためにアルミシャーシーにドリルで穴を開ける汗だくの作業、そのアルミの切りクズ、また、電気ゴテの先のハンダとペーストの匂い、発振を確認する受信機の信号音……等々がよみがえる。
 回路図のなかに吸い込まれる。
 しかし、思い通りにはなかなか発振しなかった。
 そういうとき、配線の一部を取りはずして、抵抗やコンデンサーを取り換えたり、アース位置を変えたりした。
昨夜、これとまったく同じ感覚で、HPのカタチを変えてみた。
 新しいカタチが僕を支えてくれて、うまく発振するといいなぁ~。
 けさ、起きるときは少し不安だった。
★最初に勤めた中学校の近くに「キッチン一丁目」というレストランがあった。
 カツが抜群においしかった。
 仕事帰りの保護者と遭遇し? いっしょに飲むこともあった。
 学生の僕と教師の僕とが入り混じった時期だ。
 ある日、突然、ママから「閉店することになりました。これまでほんとうにありがとうございました」とあいさつされた。
 キッチン一丁目との別れが僕の出発点かな?
 HPのカタチを変えると、精神がタイムスリップする(*^_^*)。
★トップの画像=ジャンク市で手に入れたPioneer S-P340V
 閉じこもっているDAKA古書店跡を出て、居間でバッハのブランデンブルグ協奏曲を聴くためにセットしたのだが、どうも、ミスマッチなようだ。
 心地よい低音が出ない。
 チャラチャラして演奏が浅っぽくなる。
 しかし、高音はきれいだ。
 中音も艶がある。
 バルトーク・弦楽四重奏曲だといいように思う。
 弦の音がグイグイ押し出されてくる。
 昨夜は、第5番と角瓶オンザロック。(◆業務メモ、以上)
 

 〈新年度・組織編成のポイント〉

★苦痛な季節。
 あちこちの会合で、「本年度側(こちら側)」と「新年度側(あちら側)」がムキ出しになる。
 ここ、しばらくは、「こちら側」と「あちら側」が、入り乱れる。
 こんがらがる。
 ドサクサ、ドタバタしながりながら、なにもかもが、終わりと始まりの境にある瀑布に向かって流れていく。
 その流れには、だれも抗することはできない。
 運命的なものを感じる期間だ。

 その「運命」の流れに身をまかせ、感傷にひたるという側面では、僕は、むしろ大好きな「季節」だ。
 ただ、この「ドサクサ」を一身に受け止め、「あちら側」に向けて方向付ける作業は、実にシンドイ。
 当然、人事異動も絡む。
 苦痛な「季節」だ。

★方向付け=組織編成のポイント。
 この「組織編成」の話は、今回を含め、3度、登場する。
 1回目は、今、組織編成を開始するとき(まだ人事異動が発表されていない)。
 2回目は、人事異動発表後、新年度、新主任が初めて顔を合わす新運営委員会(「企画委員会」と呼ぶ場合もある)。
 3回目は、新年度の第1回職員会議。

 「組織編成」は賭けの要素がある。
 勘が要求される。
 だから、ブレつづける。
 1回目→2回目→3回目と経るにつれ、中味が微妙に変化することもある。

★1回目の「組織編成のポイント」

(1)バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌チームを廃す。
 本校の教職員は、①学年部会 ②校務分掌(教務・研修・生徒指導・保健等の)部会 ③領域(道徳・特別活動等の)部会 ④教科(国語・社会等の)部会と、4つの部会に所属して仕事をする。
 これまでもくりかえしくりかえしのべてきたことだが、不作為を見て見ぬフリをし、バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌部会を廃す。
 あるいは、賢い者同士が牽制し合っているような部会を廃す。
 常に真摯な姿勢。
 チャレンジ精神。
 本音。
 プラス思考……。
 どの部会も、精神の伸びやかなつながりが生まれ、重要な価値が交換され、創造的な仕事ができる環境づくりに努める。
 くりかえすが、組織の停滞&緩みの背後には、必ず「バカ者同士が仲良くやっている」空気が存在する。
 教師の組織には結構、こういうのが多い。
 どの部会もこうなってほしくない。
 絶対にこうなってほしくないという強い願いを込め、分掌トップの人選――(観点=優れた経営能力・倫理観・強いリーダーシップ等)――を行う。

(2)3つの学年(1・2・3学年)の教師力のバランスにギリギリまで腐心する。
 1・2・3各学年の教師の力を、3.333……と3.333……と3.333……になるように組織する。
 もちろん、人は機械ではない。
 きちんと割り切れるはずがない。
 でも、それをギリギリまでやって、どうしても割り切れない分は、ぜんぶ1学年に回す。
 1学年経営が失敗すると、あとから立て直すことがひじょうにむずかしくなる。
 荒れる学校をみていると、原因の多くは1学年経営にある。
 逆に、1学年経営がうまくいくと、(これまでの経験からいえば)2・3学年がうまくいく可能性が大きくなる。

(3)適材適所(最適任者)主義。
 日本国憲法(含中教審答申等)と分掌運営を直結してプロの仕事ができる人材。
 教育史・教育哲学史の中に自らの分掌を位置づけて仕事ができる専門的技量を有する人材。
 組織編成のとき、いつも、「育成主義」か、「適材適所(最適任者)」主義かに悩む。
 ホンマに苦しむ。
 僕が敬愛する校長に、教職員にいろいろな校務を計画的に経験させて育てていくという方針で組織作りをする方がいた。
 2年間、教務主任をやったら、次の年は生徒指導主任……という具合に。
 僕も、ある校務分掌で一定の成果をあげたつもりでいたし、校長も評価してくれていたので「よし、次年度も……」とはりきっていたら、「あなたは、○○はもういい。来年度は△△をやりなさい」という感じだった(*^_^*)。
 僕はこの校長の影響を強く受けている。
 できることなら、教職員には計画的にいろいろなポジションを……という気持ちがある。
 しかし、現実的にはなかなかむずかしい。
 敬愛する校長のようには、とてもやれない。
 危機管理という観点から各部署のトラブルへの対応力をアップしたい。
 そして「危機管理90%、教育哲学10%の経営」といわれる教育現場の窮状から、「危機管理40%、教育哲学60%の経営」への脱出をはかりたい。
 となると、どうしても適材適所(最適任者)主義をとらざるを得ない。
 今の安倍内閣と同じやり方だ。
 たぶん、教職員の中にも、ずいぶん偏った起用法だと不満に思う人が出てくると思う。

(4)学級担任力の保証
 学級担任の教育力の維持を図るという観点から適切な配置に努める。
 僕は、中学校の学級担任制がベストだとは考えていない。
 はっきりいうと、毎年、やめたい、やめたい……これが日本の中学教育の諸悪の根源だ……と思いながら、ウジウジし、なかなか決断できない。
 やめる勇気がないのだ。
 新年度もまた、ウジウジ、学級担任制を採用する。
 採用する以上、生徒や保護者に対して学級担任力は保証しなければならない。
 お試し期間の学級担任などありえない。
 だから、学級担任兼教務主任とか、学級担任兼学年主任というカタチをとることもある。(方向付け=組織編成のポイント、現時点では、以上)


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★プロ教師塾シリーズ「今年度の終わりと新年度の始まりがムキ出し僕の姿が360度天にさらされている」編

2014-03-12 15:35:31 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
★僕の姿が360度、天にさらされている
2014
03.12

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◆業務メモ ★僕のホームページのカタチを変えた。これまで「茫漠特急(日常)」と「職員室通信」の二重構造だった。発端は、ある夜、DAKA古書店跡の片隅に腰をおろした時、「ああ、この場所からだと、僕は茫漠たる過去(学校教育&社会教育)を疾駆できる(=「職員室通信」が書ける)」と思った瞬間だった。この二重構造を廃止。本日から「職員室通信」に一本化。理由は2つ。①職員室通信・2014/01/30号あたりから始めた、この「業務メモ」が「茫漠特急」の代わりになると判断したこと。②「茫漠」と「職通」の日付がほぼ一致するようになったこと。1本化でしばらくやってみる。
 ★3月のはじめに「僕も『相当な覚悟』でロングランのフィナーレの月に臨もうと思っている」とつぶやいてから約2週間が過ぎた。つぶやいたときの起死回生の一発を念ずる終末的な気分は覚えている。しかし、具体的になにをしようとしたのかは忘れてしまった。もともと気分だけだったのかもしれない。ただ、魂の奥のほうで、ぼんやりとしたものだけれど、自分の思考を支える、これまでにない新しい枠組みが形成されつつある感覚があったことはしっかりと覚えている。
 ★卒業式が終わったとたん、これまでぼんやりした映像だった「フィナーレ」の風景が、デジカメのオートフォーカスのように、ピピッと音をたてて鮮明にみえはじめた。生徒総会→県立高校後期合格発表→小・中PTA合同三役会→minami小卒業式→新入生1日入学→修了式・離任式。今年度の終わりと新年度の始まりがムキ出し。僕の姿が360度、天にさらされている。
 ★くどいようだが、「業務メモ」についての補足。「職員室通信」一本化の理由の③に相当。はじめ、「事務的メモ」を拡大し「記事にしたいけれど、それほどの内容がない」あるいは「記事として扱うだけの覚悟が僕にない」という内容をもぐり込ませることがねらいだった。ま、柔道の「掛け逃げ」。後ろから相手の頭を叩いて逃げる。この段階では「茫漠特急」が必要だった。やがて「業務」を支える、あるいは僕の存在を支える、僕の根本的気分、感情、あるいは「感じ」を含むようになった。ここに至り、一本化の決断。
★画像は、MINAMIネット・環境サポータークラブのメンバー+総合文化部美術班の生徒で取り組んだ玄関ロビーの「MiNAMIの桜MiRAIへ(MiMiプロジェクト)」。最後の作業は落款。「南」の文字の周囲にひとりひとり、署名している。お祈りのようだ。

★本日の「職員室通信」は、上記の「◆業務メモ」だけで終わる。
 本記事が書けないくらい、僕が僕の意識を一本化に集中した……時間をかけた……ということか?


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★プロ教師塾シリーズ「『部活動改革つなぎ3項目』に秘策・奥の手・うら技として新たに1項目加わえた」編

2014-03-10 22:46:39 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★「内枠」の職員室通信に没頭し、「外枠」の日常を忘れていた
2014
03.10

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★毎度、同じことをいうようだが、僕のHPは「外枠」=DAKA古書店跡の日常と、「内枠」=職員室通信の二重構造になっている。
 今夕、「内枠」の職員室通信に没頭していた。
 「外枠」の日常を完全に忘れていた。
 アップする直前に、「外枠」用に、あわててこの記事を書いている。

 よい現象か?
 よくない現象か?

 現時点では「よくない現象」だと判断している。
 しかし、もう少し考えてみる。

★画像=夕食の牡蠣フライ。

職員通信 2014/03/10号
★教師修業シリーズ「『部活動改革つなぎ3項目』に秘策・奥の手・うら技として新たに1項目加わえた」編
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015

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◆業務メモ ★告白。昔、買った背広を、繕いつつ、繕いつつ、ずっと着続けていたが、襟元、袖口、前裾のほころびが限界を超え、かつ、パートナーから「繕う者の身になってみなさい」と叱られ、仕方なく、新しい背広を買った。
 ケチなのではなく、(←そういうことではなく)僕の心の深層に「どうせ死ぬのに、そんなもん、買ってどないスンネン?」という死の旋律が潜んでいる。(魂の底で、こういう旋律を奏でている人間って、教育に携わる資格がアリマヘンネ……)
 数年前、この死の旋律を吹き飛ばす記述に出会った。
 畑正憲氏の記述(2008/02/21日・読売新聞)だ。
 ――アメリカグンカンドリの雄は、のどを膨らませて雌の前に並ぶ。
 何時間も並んで雌から選ばれなくても、のどを膨らませて時間を過ごしていることに満足する。
 そこに遊び心がある。
 生きているということを、そうした遊びで表現できないと動物は生きていけない。
 生きることと遊びが一体となっている。(中略)
 人間も遊びがないと生きていけない。
 新聞やテレビ、ラジオからの情報も栄養にしている。
 イチロー選手がヒットを打ったかとか、朝青龍が勝ったかという情報を摂取し、活力を得て明日を迎える。
 スーパーに行って野菜を選ぶ、魚売り場で魚を吟味する。
 こうしたことは、畑で野菜をもいだり、釣りをしたりする菜食行動の代わりとなる。
 人間もそうした遊びによって喜びを得て、生きていくための活力を得ている(畑正憲)。
 話を僕のことに戻す。
 小学4年のとき、昼寝から目を覚ましたら、周囲が薄暗い白黒の世界に変わっていた。
 ナンヤネン? これ。
 困った、困った、困った、困った。
 子ども心に自分がとんでもないものに直面していることがわかった。
 必死で逃れようとした。
 元の世界にもどろうとした。
 ふと「そうや、朝汐の相撲、きょうはどないなんねんやろ?……」と思った。
 無理矢理、そう思おうとした。
 ガラッと気持ちが転換した。
 カラーの世界に変わった。
 「よかった、よかった、助かったぁ~」と思ったことを、よく覚えている。
 このことを――畑氏のことばでいえば「生きていくための活力」を――本校では「授業」で獲得させようとしているのではないのか?
★昔の教え子のカキコミに対する僕の返信コメント。
 ――あなたの知床近辺の画像に添えられた「明るい未来が見えますか?」の「未来」……という語に、なぜか僕は妙な反応をしてしまいました。
 3つの未来。
 1つは、AかBかを選択した(あるいは選択させられた)結果、至る未来。
 2つ目は、AとBとを止揚(アウフヘーベン)した結果、至る未来。
 3つ目は、AかBかの選択をずるずる保留していて、その結果、至る未来。
 遂に、こういう時空に至り、いろいろ悔いていますよ。
 「明るい未来は見えません」
★画像=卒業式後の門出の風景。(◆業務メモ、以上)


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★乱氏Tと、本校の「総合文化部」をめぐり、学校部活動改革および改革を視野にいれた部活動運営について話し合う。(←すごく微妙な言い回しをしている*^_^*。)
 話し合うといっても、立ち話に近いもので、乱氏Tは職員室の自分の席に座り、僕はその机の前に立って……。

★「中学校改革の本丸は、部活動改革だ。」
 近時、日本全体でこれに手をつけた、正しくは「手をつけはじめた」ことがあった。
 「総合的な学習の時間」を創設するときだ。
 総合的な学習の時間は、部活動改革と抱き合わせだった。
 教師のエネルギーは無限大ではない。
 限られている。
 限られたエネルギーに、新たなことを加えようとすれば、他の何かを削らなくてはならない。
 くわえて、総合的な学習の時間=各教科を総合(連携&融合&協働)的に扱うことは現場の教師にとっては未知の領域だった。
 研究時間の確保が必要だった。
 だから「総合的な学習の時間を新たにスタートさせますよ。ついては、教師が部活動に携わる時間を大幅に削減します……」というものだった。
 エネルギー配分の原理に沿った、当然の対応である。
 ところが、現実には、総合的な学習の時間はスタートしたものの、部活動改革のほうはいっこうに進まなかった。
 一部の地域では、部活動担当手当を保障する等、逆行するような動きもあった。
 これでは、総合的な学習の時間がうまくいくはずがない。
 大失敗が目に見えていた。
 ま、「中学校改革の本丸は、部活動改革だ」と考えている僕としても、絶好のチャンスを逃してしまったことになる。
 ホンマ、残念だった。

★ということで、別な突破口を見つけなければならない。
 その突破口が、本市の場合、全員強制加入制から任意加入制への転換だ。
 任意加入制にさえ転換すれば、学校・家庭・地域それぞれの教育がバランスのとれた、豊かな教育環境に向けて、一気に改革を進めることができる。
 全員強制加入制では、学校はまったく身動きがとれない。
 学校が抱え込む荷としては大きすぎる。
 重すぎるのだ。

 しかし、年度末の保護者アンケートにおいて、「部活動の全員加入制か任意加入制か」についてはたずねたところ、
 全員加入制支持=73%
 任意加入制支持=27%……という結果だった。
 この傾向は、ここ数年、変わっていない。
 もちろん、自由記述欄には、次のような指摘も多い。
 ○部活動が全員強制加入だと聞き驚いている。
 ○やりたい部活動がないのに全員強制加入はおかしい。やりたい人が入る任意加入制を支持する。

★したがって、現時点では、アンケート結果から、新年度の学校部活動については、現在の体制を維持していく方針である。
 そして、今後、(ひとつの目安として)任意加入制支持が3分の1を超えた段階で、
 ①学区の実態を見据え、
 ②学校と保護者と地域の人々とで改善・改革の理念を共有しつつ、
 ③具体的な改善・改革の「一歩」を進めたいと考えている。

★また、本稿では、部活動改革に着手する前の、「部活動改革つなぎ3項目」として、部活動運営に際し、次のことに留意している。

(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握する。
 そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。

(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。
 部活動と重なる場合も、各部顧問が、学社コーディネート力を発揮し調整に努める。
 子どもたちは社会教育で、学校教育ではとても育てられない力を獲得する可能性がある。

(3)部活動の休止日については、これまでの通り(①第1・3日曜日 ②他の週については、土・日のいずれかを休止日とする)である。
 長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、生徒はもちろん、教職員自身も自身の家庭や地域で過ごすようにする。
 なお、平成19年度より、月2~3回、平日に「家庭と地域の日」を設定し、「学校部活動のない日」としている。

 「部活動改革つなぎ3項目」は、別な視点からいえば、「部活動ハドメ3項目」ともいえる。

★さらに、本年度、「部活動改革つなぎ3項目」に、新たに1項目加わえて「部活動改革つなぎ4項目」となった。
 それは、生徒・保護者の多様な要望への対応・改善策として、これまでの美術部、科学部、IT部を統合した「総合文化部」を開設したことだ。

 現在の活動は、美術・文芸・パソコン(報道・ブログ)・科学などだが、今後、生徒の希望によって、本校顧問の管理のもとにMINAMIネットサポータークラブなど、地域・保護者のボランティアの方々に協力してもらい、メニューを増やしていく予定である。(僕自身も、文芸担当として活動に加わっている。)
 活動は、原則として、週3日程度(土曜・日曜の活動はなし)。

 「生徒・保護者の多様な要望への対応」には、粗く、2つの方向がある。
 1つは、メニューを豊かにして、さまざまなニーズに応える方向。
 もう1つは、活動日に幅をもたせ、民間社会教育団体を含む社会教育活動との両立を可能にする方向。

 この日、乱氏Tとの話し合いの過程で、総合文化部の、もうひとつの、想定していなかった機能を発見した。
 それは、いってみれば「中継」または「橋渡し」「仲立ち」機能だ。
 あくまでも例としてだが、①ある運動部での活動がうまくいかなくなった生徒が、②その運動部を退部し、総合文化部に入部する。③総合文化部の報道メンバーとして、いろいろな部活動を取材するうちに、④自分がソフトボールに向いていることに気づき、⑤ソフトボール部に正式に入部する。……
 当然、学校部活動と社会教育とのあいだでも、この機能は有効に働くはずだ。
 考えてみれば、学校部活動は、ひとつの部活動の継続指導に力を入れ、こういうガイダンス機能は軽く考えてきた経緯がある。

 今後、総合文化部のますますの挑戦に期待したい。(「乱氏Tとの立ち話」以上)

★ここまで書くと、総合文化部開設と部活動改革との関係が、お気づきになったと思う。
 現在、子どもたちに大人気(!)の「総合文化部」は、部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換」の「秘策」「奥の手」「うら技」といえなくもない。
 このことについて、僕のうちに、2つの声がある。
 1=たしかに実質的には「全員強制加入から任意加入制への転換」と同じ状況に至る。
 でも、この選択は、僕にとっては完全な退歩だ。
 地域&保護者と正面から部活動改革「全員強制加入から任意加入制への転換、あるいは学校部活動全廃」論を展開すべきだ……という僕の内なる声。

 2=波風を立てる必要はない。
 実質的に「全員強制加入から任意加入制への転換」を獲得し、あとから「全員強制加入から任意加入制への転換」論を展開すれば、理解を得られやすい……という僕の内なる声。
 (話は中途だが、本日はこれで終わる。)


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★プロ教師塾シリーズ「中学校卒業式式辞=中学時代に獲得した自分のカタチとエネルギーが一生を支える」編

2014-03-07 16:47:21 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★この「感じ」が好きで教師をやってきたのかな? 僕は(^_^)v
2014
03.07

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★卒業式予行、卒業式、送別……。
 この頃の雪景色の「白」に夕闇の「青」が溶けいる時間帯が好きだ。
 「さようなら」と手を振って、クリルと向きを変え、一歩踏み出したときの孤独な「感じ」。
 この「感じ」が好きで教師をやってきたのかな? 僕は。

職員通信 2014/03/08号
★教師修業シリーズ「中学校卒業式式辞=中学時代に獲得した自分のカタチとエネルギーが一生を支える」編
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◆業務メモ ★おい、おい……と言われるかもしれないが、卒業式の式辞は、通常、前々日か前日の夕刻に書いている。「おお、そろそろ書き始めないと危ない」という不安感が湧いてきた段階で「さあ、書くぞぉ~!」と一気に書き上げる。1ヵ月前、2ヵ月前、あるいは、人によっては3ヵ月前から書き始めるという方もいらっしゃるが、僕にはできない。「式辞」のことばは、普段、校内を巡回したり、全校朝会・生徒朝会に身をおいたりしているときに、自然に、僕の頭のなかに「発生」する。それが素に(元に、基に)なって、卒業式が近づき、一気に昇華・高揚→「式辞」になる。★卒業式式辞の字数は、例年2400字~2500字だ。しかし、これだと、少し急ぎ気味に(汗をかきつつ)語らなければならない。で、今年は2200字以内に。ゆったりと語ろう……という構想だった。だが、書き上げて、字数を調べたら、3048字。それを、しぼって、しぼって、2497字に。さらに、しぼって、2467字に。あと、200字だ。なんだか、減量に苦しむボクサーみたいだ。★卒業式予行、卒業式、送別……この頃の雪景色の「白」に夕闇の「青」が溶けいる時間帯が好きだ。「さようなら」と手を振って、クリルと向きを変え、一歩踏み出したときの孤独な「感じ」。この「感じ」が好きで教師をやっているのかな? 僕は。★卒業式・式辞の「減量」あと200字。けさ、①単語の繰り返しの一方をカット(例=毎日、毎日)②似た表現の繰り返しの一方をカット……で、2317字まで。現段階では、これ以上は、苦しい。ま、これで諒とすることにして、午前中、巻紙にしてパタパタと折る。今後の「減量」はパタパタの上でやる。あと117字。★当日、朝、「減量」完了。パタパタ上で2200字ちょうどに。(◆業務メモ、以上)

★〈卒業式・式辞〉

★本日の佳き日にあたり、日頃、本校に何かと、ご支援・ご援助を賜っております、多数のご来賓のご臨席を得まして、卒業証書授与式が、このように盛大に行えますことを心より感謝申し上げます。
 本日、公民館長さん、社会福祉協議会会長さんはじめ、安協、防犯、町内会、子ども会、老人クラブ、婦人会などのみなさまにお出でいただいたことによって、卒業生たちは、15年間、多くの方々に支えられ、ここまで生きてきたということを実感していると思います。
 本日、本校を卒業しますけれども、これからも地域の方々のご指導を得て、さらに大きく成長してくれることを願っています。
 地域のみなさま、卒業生のこと、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

★さて、卒業生のみなさん、おへそをこちらに向けてください。
 卒業おめでとう。
 きょうは、みなさんにとっても、また、わたしたち教職員にとっても3年間の中で特別な日です。
 これ以上、特別な日はありません。
 今、わたしの胸の中を、いくつかの感情が、行ったり来たりしています。
 その感情の強い順に3つだけ言います。
 1つ目の感情は、みなさんが「新しいみなみの歴史を創った卒業生」であるということです。
 わたしがいつも言いつづけてきことに、いい学校というのは、これまでの先人たちの努力を、しっかりと受けとめ、それを自分たちの力で1ミリでも、0.1ミリでもよくして、それを次の代に伝えていく……こういうカタチがしっかりしている、くっきりしている、目にみえる、それがいい学校なんだ……という話をしてきました。
 しかし、これはほんとうにむずかしいことです。
 それをみなさんが「自分たちの力で、いい、みなみ中を創るんだぁ~」と、毎日の授業を通し、生徒会・委員会活動を通し、合唱を通してがんばってきました。
 そのみなさんの努力と気概に心を打たれました、感動しました。
 ほんとうによくがんばりました、ほんとうにありがとう……という感情です。

 2つ目の感情は、毎日、つづいた、みなさんの連続ドラマが、きょうで終わるというさびしさです。
 朝、6時55分、チャンネルを「みなみ」に合わせると、玄関には、いつもM君がいる、I君がいる、そのうち、S君がやってくる、そして8時20分になると、各学級から魂の合唱が聞こえてくる。
 これが、いつまでも、つづいていくような気持ちでいたのですが、みなみの連続ドラマも、遂にきょうで終わり……、明日からは、チャンネルを「みなみ」に合わせても、もう玄関にM君はいないし、合唱も聞こえてこない。
 こういうさびしさの感情が、わたしの胸の中にあります。

 3つ目の感情は、義務教育終了という、みなさんの人生のひとつの節目に、こうして卒業証書が渡せる喜び、および、このおめでたい場所に、みなさんと、みなさんを育ててこられた方々と、地域の方々と、わたしたち教職員とが、いっしょに、こうして存在できるという喜びです。

★きょうは、みなさんにお話できる最後の機会です。
 今の3つの感情に、わたしの最後の念押しとして、もう1つ加えます。

 中学という時代は、育ててくれている人の保護から、人生、独立に向けて第一歩を踏みだす時期です。
 この「第一歩」に、わたしは2つのポイントがあると思っています。
 1つは、独立する気持ちはあるんだけれども、まだ実力はありませんから、その一歩一歩は実に不安定です。
 わたしも覚えがあります。
 気持ちと現実とが噛み合いません。
 思い通りになりません。
 だから、迷う、悩む。
 生きることの意味がわからなくなる。
 毎日、失敗の連続です。
 こういう不安定さの中で、友人や親、先生などと魂を交流させつつ、自分というもの、自分のカタチを発見する。
 これが1つのポイントです。

 もう1つのポイントは、こういう不安定さの中から「よし、わたしはこうして生きていく」「こういう人間になるんだ」という決意する。
 わたしは、よく「人生の1段ロケットは中学時代だった」といいますが、この中学のときの決意が、みなさんの一生を一生支えます。
 まとめます。
 中学という時代は、不安定さの中から、一生を支える自分のカタチとエネルギーを獲得する時代です。

★冒頭、「みなみの歴史を創った卒業生」と言いましたけれども、「歴史を創った学年」といわれるくらい、名誉なことことはありません。
 みなさんの創った「歴史」は、今度の3年生に、その次の3年生に、またその次の、またまたその次の……そして、今はまだ生まれていない、みなみ中生にまで伝わっていきます。
 このことがみなみの力になるとともに、みなみでわたしたちはこんなふうに生きたのだ、こんなふうに歌ったのだ……という自信が、みなさんの新しい世界を拓いてくれるものと信じています。

 みなみ中の卒業生であることの、喜びと誇りを胸に、新たな一歩を、力強く踏みだしてくれることを願い、卒業生へのはなむけのことばとします。

★最後になりましたが、保護者のみなさま、お子様のご卒業、おめでとうございます。
 お子様たちは、これからの人生、このみなみを精神のふるさと、魂の原点として「南中生でほんとうによかった」「南中の卒業生であることを誇りに思う」と力強く生き抜いていってくれると信じています。
 3年間、PTA活動、みなみネット事業などを通し、本校、本校区の教育に参画してくださいましたことに心から感謝申し上げ、卒業生の限りない前途を祝し、わたしの式辞といたします。(2200字)

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★プロ教師塾シリーズ「電池直列型人間と並列型人間がペアになったとき、おもしろい仕事ができる」編

2014-03-06 19:54:21 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★澄んだ、張りつめた憂愁あるいは「どうしようもなさ」の感じ
2014
03.06

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★昨夜、徒歩である会合に向かっていた。
 集合時間まであと数分というところで長い信号にひっかかってしまった。
 前には制服姿の女子高生が2人、立っていた。
 そのとき、背後からだれかに呼ばれた。
 本名ではなく、ウェブ上のハンドルネーム(HN)で呼ばれた。
 でも、だれもいない。

 さっきまで降っていた雨に濡れたアスファルトにヘッドライトの光が反射している。
手前には窓のないビル。
 向こう側のビルには明かりが見える。
 間違いなくだれかに呼ばれたけどなぁ~と、ポケットからデジカメを出し、暗がりに立ち、シャッターを切った。

 何かが映っていないか?

 「職員室通信」の前途に絶望し、バルトーク・弦楽四重奏曲第1番第1楽章を聴きつつ、DAKA古書店跡をユルユル、ヨロヨロ歩きまわり、片隅に立ち尽くしたときの、澄んだ、張りつめた憂愁あるいは「どうしようもなさ」の感じに似ている。

職員通信 2014/03/06号
★教師修業シリーズ「電池直列型人間と並列型人間がペアになったとき、おもしろい仕事ができる」編
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◆業務メモ ★仕事をしていてエネルギー不足を痛感して立ち尽くすことがある。
 2つの場合がある。
ひとつは、いくつもいくつも他と連携・融合し、仕事を進めなくてはいけないときの説得力(根回し力)、連続的(継続的)思考力、いわば「ねばり」のエネルギー、これが不足している場合。
 電池を並列に接続したときのパワーだ。
 もうひとつは、決断力、非連続的(飛躍的)思考力、いわば「突進」のエネルギー、これが不足している場合。
 電池を直列に接続したときのパワーだ。
 けさ、岬Tと乱氏Tとのあいだでこのことが話題になった。
 本校の組織力を点検するとき、並列的に改善&補強したらいいのか? 直列的に改善&補強したらいいのか?……を見極める必要があるという話だ。
 どちらがいい、わるいではない。
 どちらも大切だ。
 たとえば、MINAMIネットの会長48やんは直列型人間的な動きをしている。
 ご自身は並列型人間かもしれないが、今年はあきらかに直列型的な動きをして、強烈な光を放った。
 会長48やん対して、MINAMIネット存続・継続のためのシステムづくりのことばかり考えていた僕は並列型人間といっていいだろう。
 これまでの経験では、直列型人間と並列型人間がペアになったとき、おもしろい仕事ができるように思う。
 このことを踏まえて、今、MINAMIの組織(1学年、2学年、3学年、教務、研修、生徒指導、総務、保健)を、並列的に電池を補強するか、直列的に補強するかを考えなければならない。
 たとえば、研修組織はこれまで公磨Tの直列型パワーで突き進んできたので、ここで並列的に電池を補充する。
 生徒指導組織は、直列的に電池を補充する。……等々。
 僕「ところで、あなたは何型ですか?」
 乱氏「ボクは並列型ですよ。鉄路が好きですから」
 なお、自分自身が、直列型から並列型に、あるいは並列型から直列型に切り替えるタイミングを見極めることも大切だ。
 僕はいつも失敗している。
★MINAMIの風景と、MINAMI生活は、卒業生の心のなかで、生きつづける。
 同時に卒業生たちが拓いたMINAMIの歴史は、確実に、今度の3年生(今の2年)に、その次の3年生(今の1年)に、またその次の、またまたその次の……そして、今は、まだ生まれていない、みなみ中生にまで伝わっていく。
 MINAMIの卒業生であることの喜びを胸に、また「わたしはMINAMIでこんなふうに生きたんだ」ということを誇りに、新たな一歩を踏みだしてほしい。
 卒業まで本日を入れて、あと3日。(◆業務メモ、以上)


★J社から、僕もその一部を執筆した『教育コミュニティづくり実践事例集●●●●●●』が発刊された。

 こういう書物(実践事例集)の内容を読むときのポイントは、粗く、3点ある。

(1)学校の教育、家庭の教育、地域の教育、この3者のバランスをよくするという理念が明確になっているかどうか?
 学校支援事業だ……学社連携・融合事業だ……協働のまちづくり事業だ……といいながら、「学校の教育丸抱え体制」がまったく改善されない、あるいは、逆に学校の負担が増加するような事業は、論外だ。
 この論外な事例が、結構、多いから、要注意だ。
 先日も、東京のある中学校が、その地域全体の教育機能を抱え込もうとするような事例にでくわした。(←絶対にアカン。)

(2)ネットワークの中核エネルギーがどこにあるか?
 あちこちで、もう、耳にタコができマンガナァ~(ノ△・。)といわれそうなくらい、くりかえし、くりかえし、話していることだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、地域の教育を構成する点と点と点……とが連携・融合し、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画できる教育システムをつくるためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や、あるいは気持ちや努力を、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ。
 歩く人が多くなれば、道ができる。
 しかし、最初に歩く人がいないと、なにもはじまらない。
 多少の困難はあっても、まず、わたしが歩く、歩きつづけるという「中核」が必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。
 書物の中で紹介されている実践例が、こういう「中核のエネルギー」にきちんと光を当てているかどうか?
 ただ、きちんと光を当てているからといって、その中核エネルギーが「学校だ(多くは教頭センセ)」あるいは「行政だ」というのでは、お話にならない。
 加えて、「組織の運営のしやすさ」も大きなポイントになるが、ここでは(紙幅のバランスと本日の僕のエネルギーの関係から)触れない。

(3)その地域の義務教育学校である小学校と中学校が、連携・融合できているかどうか?
 学社(学校教育と社会教育)連携とよくいうが、学校教育である小学校と中学校がきちんと連携できていないと、学社連携はほとんど進まない。
 小学校と社会教育(地域の教育)がうまく結びついているが、中学校はさっぱりだという例がよくある。
 やらないよりはいいと思うが(←いや、はっきりいうと、やらないのと同じ)、労多くして功少なし(せっかく苦労してもそのかいがない)……となるケースが多い。

 なお、僕に割り当てられたページ数が少なく、あまり乗り気でなかった(何十ページも書かせてくれるんやったら書きまっせ……)が、思い直した。
 たとえ、割り当てページに不満があったとしても、ネットを支えている、教職員たち、PTA役員たち、地域のリーダーたちの、その一員として、僕は、がまんして、しっかりと書かなくてはいけないと思い直し、執筆を引き受けた。

★話は変わるが、人と話し合っているうちに、僕の気分が、その人物との(あるいは、その人物とは無関係の)ある凍結された過去の時空間に接続しかかることがある。
 人によって異なるのだろうが、3月というのは「凍結された過去の時空間」に「接続しかかる」ことが、多い月だ。

 澄んだ、張りつめた憂愁。


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★プロ教師塾シリーズ「重層的なネットワークという観点から教育コミュニティエリアを見直す時期かも?」編

2014-03-04 12:28:32 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★夜明けのおひな様に夜明けのコーヒーをお供えした
2014
03.04

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★夜明けのおひな様に夜明けのコーヒーをお供えした。
 マンデリン7+モカ3の割合。
 焙煎度は、シティローストとフルシティローストの中間。
 ピチピチ、ピチピチという2ハゼが始まってから少し経ったあたりでガスのトロ火を止めた。

★徹夜するつもりだったが、23時をまわったあたりで、眠くはないのだけれども、頭が動かなくなった。
 仮眠――仮眠のつもりが、午前4時まで眠り込む。
 濃密な夢をみた。
 学校が大ピンチ。
 この難局に、このポジションをだれが引き受けるのか?
 どんな難局か?
 どんなポジションか?
 夢の中でははっきりしていたのだが、覚めたら忘れた。
 若い僕が「あなたしかないでしょう!」と先輩に懇願している。
 先輩は宙を見つめたり、ニヤニヤしたりしていた。
 その風貌が、丸川珠代に「ルーピー!」とヤジられた人物に酷似。
 いや、その人だったかもしれない。
 僕に魂胆があった可能性がある。
 どんな魂胆か?
 これも覚めたら忘れた。

 とにかくシンドイ夢だった。
 しかし、その「シンドイ感じ」がなつかしくもある。
 夢から覚めて、どこの中学校か? どんな状況か?という具体的な状況&場所が消滅し、「感じ」だけになったからか?

職員通信 2014/03/04号
★教師修業シリーズ「重層的なネットワークという観点から教育コミュニティエリアを見直す時期かも?」編
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◆業務メモ ★中学時代は失敗の連続だ。自分自身のことをふりかえってみても、人生の中でもっとも不安定な時期だった。しかし、だからこそ、見える風景がある。聞こえる音がある。大久保の木立から昇る朝日、3階渡り廊下からの海、美術室からの岬台・白銀台の家並み、音楽室から眺める夕日にゆれる八戸市街地……、友のはげまし、家族の、先生のはげまし。きっと、卒業生の心の深層に溶けこんでいることだろう。精神の故郷、魂の原点だ。きのう、「MINAMIのドラマも、きょうで終わり……という日が近づいている」といったが、MINAMIの風景と、MINAMIの生活は、卒業生の心のなかで、生きつづける。★先日、高校の卒業式に出席。在校生祝辞、卒業生あいさつの「声質」に胸がいっぱいになる。あいさつの内容は先生方からいろいろ指導を受けたことだろう。しかし、「声質」は指導できない。高校生という時代にしかない「声質」に目頭が熱くなった。★午前4時に起き出し、午前10時までの数時間、集中して「職員室通信」3つ、教委への書簡1通を作成。原稿用紙にしておよそ30枚くらい。この疲れが残っている。(◆業務メモ、以上)



★3/3、午後6時半からS小を会場に開かれた、5校合同連絡協議会に出席した。
 参集者は、S小、H小、minami小、S中、MINAMI中のPTA会長、副会長(総務委員長)、校長、教頭。
 それに、地域の振興会の会長、事務局長。

 会議の次第は、
 ①当番校PTA会長あいさつ
 ②協議
 ・青少年健全育成上問題となる情報交換
 ・来年度の年間行事の確認
 ・その他、連絡事項
 ③当番校校長あいさつ

 この「5校合同連絡協議会」は、6月と3月、年2回開催される。
 ちなみに、6月の内容は――
 ①当番校PTA会長あいさつ
 ②各校自己紹介
 ③協議
  ・青少年健全育成上問題となる情報交換
  ・地域のお祭りにかかわるPTA活動
  ・その他、連絡事項
 出席者は、3月の出席者にくわえ、PTA生活指導委員長、各校の生徒指導主任も参加する。
 また、6月は協議会に引きつづき懇親会がある。

★「5校合同連絡協議会」に対する、僕の考えを、粗く3点+α、アトランダムに述べる。

(1)僕らの市では――残念なことに、もう、みんな忘れているし、だれも意識していないのだが、歴史的には――中学校区ごとに、地区公民館(非常勤館長1、非常勤主事3)を設置してきた。
 小学校ができたら中学校をつくる。
 中学校区ができたら、地区公民館をつくる。
 だから、中学校ができていなければ、地区公民館はつくらない。
 こういう方式で、学校・家庭・地域の連携・協働を促す仕組みづくりを進めてきた。
 社会教育エリアと学校教育エリアをぴったりと重ね合わせて教育を構想してきたといってもいい。
 この方式を、僕ははじめ、僕らの市の名前を冠して「八戸型教育コミュニティづくり」といって、あちこちで紹介してきたのだけれど、現在は、この方式を唯一、意識しているMINAMI校区のMINAMIを冠して「MINAMI型教育コミュニティづくり」と勝手に称している(*^_^*)。
 1中学校区――
 人口10000人~15000人。
 児童・生徒 1000人。
 教育コミュニティーとしては、最適のエリアだ。(←このことに関しては、後半で、もう少しくわしく触れる。)
 しかし、事業内容によっては、「5校合同連絡協議会」のように、2中学校区を連結して展開するという選択もあり得る。

(2)僕自身は、ここしばらく、1中学校区での教育コミュニティづくり事業に、ま、身骨を砕いてきたわけで、2中学校区の規模には関心を示してこなかった。
 「その活動を1中学校区ではなく、2中学校区でいっしょにやりましょうよ」という声がなかったわけではない。
 でも、僕は耳を貸さなかった。
 理由は、学校、家庭、各地域団体が教育・子育てに関する課題を持ち寄り、いっしょに話し合い、考えていこうというコミュニケーションの「カタチ」をつくるには、1中学校区の規模が最適で、2中学校区になると、人口も小さな市くらいになるため、どうしても形式的なものになってしまうと考えたからだ。
 たとえば、情報交換についても、2中学校区(中学校2校、小学校3校、計5校)となると、ふだんそれほど密接な交流があるわけではないので、情報を提供する際、情報が一人歩きすることを恐れて、どうしても抽象度が高くなってしまう。

(3)では、5校、すなわち、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットはなにもないのかというと、決してそうではない。
 集まる数が2倍になる分、人の「種類」m(_ _)mも増える。
 パワーもアップする。
 かなり刺激&勉強になる。
 いろいろな事業を、これは1中学校区でやるほうがいいのか? それとも、2中学校でやるほうがいいのか?という観点で、1つ1つ丁寧に考えていくと、2中学校区のメリットも見えてくる。
 また、2中学校区でやる場合も、
 ①同じことを別々にやる。
 ②同じことを分担してやる。
 ③同じことを融合してやる……等、いろいろな連携パターンが考えられるので、もっとも効果的な方法を選択するといい。

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★古い話になるが、30年くらい前の、建設省(現国土交通省)「地方生活圏の圏域構成」という、既に変色し、シミまで浮かびあがった資料が、今、僕の手元にある。
 捨てられずに、僕の周辺に存在しつづけたのは、僕が、ここでいう「圏域」の大きさのレベルにこだわってきたからだ。
 事業を展開するとき、あるいは、ネットワークを形成するとき、対象範囲が、大きすぎてもいけない、小さすぎてもいけない、最適な「圏域」に注意をはらわないといけない……と、ずっと考えてきたからだ。

 参考のために、その資料を、ピックアップしつつ、紹介すると、次のようになる。
(1)地方生活圏=半径20~30㎞ 人口15万人 総合病院、各種学校、中央市場等の広域利用施設。
(2)2次生活圏=半径6~10㎞ 人口1万人以上 商店街、病院、高等学校等の地方生活圏、中心都市の広域利用施設に準じた施設。
(3)1次生活圏=半径4~6㎞ 人口5000人以上 役場、診療所、集会場、小中学校等基礎的な公共公益的施設。
(4)基礎集落圏=半径1~2㎞ 人口1000人以上 児童保育、高齢者福祉などの福祉施設。

 この「地方生活圏の圏域構成」が、地域政策を進める上で、今も「規準」として生きているのか、あるいは、また別種の新しい規準や視点が提示されているのかはわからないが――ないはずがない。後日、調べてみるつもりだ――今の僕たちの生活圏をこれにあてはめると、次のようになる。

(1)地方生活圏=僕らが住んでいる市
(2)2次生活圏=2中学校区エリア
(3)1次生活圏=1中学校区エリア
(4)基礎集落圏=各小学校区

★僕たちのまわりには、いろいろなネットワークがある。
 例をあげると、市の総合政策部が推進する地域コミュニティ構想、防災安全推進室の安全・安心ネットワーク、あるいは、福祉関係の、あるいは、教育の……この教育も学校教育系のものがあり、社会教育系のものがあり……という具合だ。
 知人に「どの会合にいっても、同じ面々だ。だから、整理する必要がある」と言い出したヤツがいるが、ま、たしかにそうしたほうがいい部分もないわけではないが、話はそれほど単純ではない。

 それぞれに、最適な「圏域」というものがあるからだ。
 知人の地区安協支部長の話だと、日常の活動は、建設省の資料でいうと、「1次生活圏」らしい。
 しかし、交通問題というのは「1次生活圏」だけを対象にしていては解決できない。
 「2次生活圏」あるいは、それ以上の圏域での活動も大切になってくる。
 僕は交通問題は素人だから、よくわからないが、話を聞いていて「1次生活圏」と「2次生活圏」の連絡・接続・連携が、非常にアクティブだという印象を受けた。

 教育だと、やはり「1次生活圏」が最適なのだが、先程も述べたように、2中学校区(人口25000~30000人)という規模でやるメリットも、もちろんある。
 よくよく考えると、僕がやっている教育コミュニティも、最適圏域、あるいは主圏域の異なる、いろいろな団体で構成されている、いわば、重層的なネットワークである。
 今後は、「重層的なネットワーク」だという観点から――1中学校区エリアを核としつつ、たとえば、活動内容によって、他エリアと(それぞれの意志で)「協定」を結ぶというふうに――再構築していく時期に立ち至っていると考えている。
 まだ見ぬ、新しい存在のカタチに出会えるかもしれない。



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★プロ教師塾シリーズ「高等学校入学者選抜システムについてコメントは避ける言いつつ既にブレている」編

2014-03-03 21:00:21 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★宮崎駿の「かつての交戦国の戦闘機をつくった男の映画を……」コメントはよかった
2014
03.03

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★ひな祭り。
 ひな人形にお寿司を供えた。
 厄を引き受け、幸せを祈ってくださる……ホンマ、ありがたいことである。
 僕もいっしょに一個、食べた。

★2月は、チェンバロ協奏曲第3番ニ長調BWV1054、第5番ヘ短調BWV.1056 、それにイギリス組曲と、バッハばかり聴いていた。
 3月に入って、またバルトークを聴いている。
 歩き出し、立ち止まり、また歩き出し、やがて立ち尽くす……今の僕にピッタリだ。
 弦楽四重奏曲第1番。
 弦楽四重奏曲第2番。
 (評判のいい、3番、4番は、僕の場合、あまり聴かない。)

★アメリカとの関係がいちばんやっかいだ。
 僕はムカムカしている。
 そのムカムカにアメリカはスゴク敏感だ。
 こういう空気の中、本日、米アカデミー賞長編アニメ賞を逃した宮崎駿のコメントはよかった。
 「ノミネートまで持っていってくれただけで十分。かつての交戦国の戦闘機をつくった男の映画を、米国の友人たちが作品として評価してくれた。」
 ムカムカを察してくれたのか?
 吹きだしてしまった(^_^)v。

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職員通信 2014/03/03号
★教師修業シリーズ「県立高等学校入学者選抜システムについてコメントは避ける言いつつ既にブレている」編
 
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◆業務メモ ★朝、学校にやってくる――僕はいつも「1番」をねらって出勤――と、玄関には既にM君、I君、S君たちがいる。「おはようございます」と元気なあいさつが返ってくる。
 毎日、響く歌声。夏にはホタル、秋には花梨(カリン)がいっぱい……、こういう時空間が、いつまでも、いつまでも、つづいていくような気持ちでいる。
 これが終わりになって、なじみの人々の声が聞こえなくなるというようなことはあまり考えない。
 ところが、いよいよ3月。
 卒業。
 MINAMIのドラマも、きょうで終わり……という日が近づいている。
★新年度の教育課程編成時に学校経営に関する自校評価をした。
 「校内研修」がきわだって高かった。
 僕らが、模擬授業研修等を通して、目標と励みを獲得し、MINAMIの研修の進め方に自信と誇りをもっているからだろう。
 今後のことについて、(前回、①「パート練習の組み入れ」について触れた。
 くわえて、②現在、実施しているminami小との合同模擬授業の拡大(年1回→2回)
 ③本校には教師用「指導力(授業力)向上の5原則」に対応して、学ぶのは生徒である……自ら学ぶ姿勢ができていないと効果はあがらないということで「生徒用・学力向上の5原則」がある。
 「通信表」の評価項目になっている。
 また生徒会活動(学習委員会)とも連動している。
 ただ、模擬授業研修ではあまり意識されていない。
 意識するとことによって、飛躍的に指導技術が向上すると感じている。
 参考「生徒用・学力向上の5原則」=「授業の目標やねらいをしっかりとつかもう」「話し手にへそを向けて聞こう」「正しい発声をし、適切な声量で発言しよう」「ノートは速くていねいに書こう」「作業・活動に素早く取り組もう」。
 ★画像=きょう、中森Tの教室で見つけたひな人形。風が吹いたとき金屏風が倒れた。(◆業務メモ、以上)


★先日、県立高等学校入学者選抜システムについて、報道関係者から取材を受けた。
 以下は、僕のコメントの一部を再生したものだ。
 その報道関係者と僕の間に信頼関係が構築されていなかったので、かなり慎重な――ある意味でどうでもいい――内容になっている。

★教育という仕事は、調和のとれた人間的発達を至上の価値ととらえ、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現しようとする意図的・人為的ないとなみである。
 注意しなければいけないのは、この「意図的・人為的ないとなみ」という点である。
 すなわち、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現する過程で、発達的価値とはなにかについて、子どもではなく、わたしたちが一定の判断をくださなければならないということだ。
 また価値実現のために、どういう方法をとるかについても、子どもではなく、わたしたちが一定の判断をくださなければならないということだ。
 これは考えてみると、途方もないというか、そらおそろしいくわだてである。
 選ばれた価値がかならずしも子どもの人間的発達を保証するとは限らない。
 選ばれた内容や方法がかならずしも子どもにマッチするとは限らない。
 僕は、この「そらおそらしさ」に耐えながら、思い悩みつつ、教育という仕事にたずさわっている。
 高校入学者の選抜についても同じである。
 子どもたちを選抜するというのは、途方もなくそらおそろしいくわだてである。
 したがって、中学校側も、高等学校側も、この「そらおそろしさ」を共有しつつ、選抜システムを成熟させていかなければならない。

★選抜システムについては、よいシステムを求めて歴史的な努力がなされてきたが、完璧な入試システムというのは、なかなかみつからない。
 現システムと新システムについてはいっさいコメントは避ける(←取材者に対して)が、ただ、かつての「推薦」や、「特色化選抜」についてはプラスの評価はしていない(←「いっさい避ける」と言いながら、既にブレているm(_ _)m)。

★特別活動や部活動などについては、小・中学校では数値評定していない。
 それを入試で(こちらと何の話し合いもなく)点数化するやり方は、かなり危険だ。
 小学校・中学校・高等学校間および学校教育・社会教育間で慎重に協議していかなければならない問題だ。
 もし、どこかで協議しているのであれば、その協議内容を提示してほしい。
 特に部活動については、教育課程外活動、あるいは学校外活動の領域である。
 中学校では、部活動を開設してもいいし、開設しなくてもいい程度の位置づけだ。
 子どもたちも、もちろん、任意参加である。
 その「部活動」が、どうして調査書の項目のひとつにあるのか?
 選抜基準にあるのか?
 大きな疑問をもっている。
 たぶん、これは「まちがい」ではないかと思っている。

★傾斜配点も(こちらと何の話し合いもなく)軽々にやってほしくない。
 これも、もし、どこかで協議しているのであれば、その協議内容を提示してほしい。
 調和のとれた人間を育成しようとしている小・中学校の教育課程に影響を与える。
 子どもによっては、はじめから受験をあきらめてしまうケースも出てくる。
 小・中学校の「教科」の重みづけを一方的にいじくるべきではない。
 やや話がそれるかもしれないが、昔、高校入試から社会と理科を外したことがある。
 そのマイナスは簡単に取り戻せなかった。
 苦い経験である。

★学習指導要領に学習内容を盛り込みすぎると、なんでもかんでも学校で……と学校が肥大化する。
 学校・家庭・地域の教育バランスが崩れる。
 日本では戦中(学校中心自治民育体制)、戦後(学校の教育丸抱え体制)と、この誤りを犯してきた。
 結果として、それぞれの教育力の低下をまねいた。
 教育危機の元凶だ。
 人間を総合的に評価することをねらって、入試評価項目を盛り込みすぎると――ここは誤解してほしくないので念のために断っておくが、総合的に評価しようとすることは決して悪いことではないが、現時点のやり方では――やはり学校が肥大化し、学校・家庭・地域のバランスの悪さをさらに悪化させる恐れがある。
 入試システムが「教育丸抱え体制」の轍を踏んではいけない。

★取材時のコメントはだいたいこの程度の内容だった。
 長時間の取材だった。
 すごく疲れた。
 でも、これまでの例だと、彼は自分のストーリーに合う部分だけを取り上げる。
 たった2、3行ということもある。
 逆に、僕が、ま、どうでもいいこととして最後に付けくわえたことが、でかい見出しになったこともある。(僕は上司に叱られた。)
 「信頼関係」がどうのこうの……というのはこのことだ。

 持論の詳細については、日を改めて、グタグタ、ダラダラとやりたい。



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★プロ教師塾シリーズ「体育館のワックスがけの後、ドコモ1コマ実施。おそらく今年度最後の模擬授業だ」編

2014-03-02 10:52:54 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★自己から自己が出て「あの街」を放浪
2014
03.02

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★二日酔い(気味)。
 いつものハナミズキ通り爆走ジョギングはやめて、静かに街歩き。
 ハナミズキ通りを離れ、小路に入った。
 植木屋の所を右折し、裏通りに出た。
 ハナミズキ通りと交差する地点まで歩き、人の流れ(「流れ」というほど人はいないが)の中に入った。
 ジョギングと違い、視点が揺れないから、別の土地に見える。

 自己から自己が出て「あの街」を放浪している。

★「職員室通信」に「◆業務メモ」を設定したことはヒットだ。
 「僕の魂」=「職員室通信」が実現。
 しかし、調子にのって「茫漠特急」(=僕の日常)も「業務メモ」風に……と考えたのはマズイ。
 「◆業務メモ」は、①僕の魂と職員室通信のパイプであり、②僕の日常と職員室通信をつなぐパイプでもある。
 だから、「◆業務メモ」はひとつでなくてはいけない。
いっそ「◆業務メモ」を「茫漠特急」の中に移動しては?
 しかし、それでは「①」の役目が果たせなくなる。
 以前の「職員室通信」に戻ってしまう。
 では、いっそトップの「茫漠特急」を廃止しては?
 だと、「②」の役目が果たせなくなる。
 「僕の日常」と「職員室通信」の壁を取り去ることはできない。
 街歩きをしながら、ずっと考えたが、いい案は浮かばなかった。
 しばらく思案だ。
 どういう結論にたどりつけるか?
 少したのしみ。

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職員通信 2014/03/02号
★教師修業シリーズ「体育館のワックスがけの後、ドコモ1コマ実施。おそらく今年度最後の模擬授業だ」編
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★体育館のワックスがけのあと、ドコモ1コマ実施。(「ドコモ」=正確には「どこ模」と書く。「いつでも」「どこでも」「模擬授業」の略称。)

 おそらく今年度最後の模擬授業だ。
 来月は、県立高校前期選抜試験→卒業式→後期選抜試験→生徒総会→職員会議→新入生1日入学→修了式&離任式。
 どう考えても模擬授業が入る余地はない。
 すべてのスキマに「後期選抜特訓」が設定されている。
 画像は、本日の模擬授業の様子。


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◆業務メモ ★模擬授業終了後、研修主任・公磨Tと来季の確認。

 次はそのメモ。

(1)プロ教師としての指導技術の向上(修業)については、一冊、本ができるくらいにやってきたつもりだ。
 しかし、本はまだ発行できていない。
 来年はぜひ発行したい。
 ただし、そのために新たに何かを準備するというのではなく、当日に使用した資料、記録、画像等を編集する。
 MINAMIの光景がひろがる本。
 僕らメンバー(含教師・生徒・保護者等)の表情が浮かび、語りが聞こえる本。

(2)指導技術のうち、自分は、なにがやれて、なにがやれていないのか……、なにが十分でなにが不十分なのか……、この点を明確にして、重点的に研修(修業)できるプログラムを学校全体として組み、実践を積みかさねたい。
 そのため来季は修業計画に「パート練習」を組み入れる。
 例①=授業開始15秒の「つかみ」の練習。
 例②=生徒の考えから「論点」を作る練習。
 例③=討論型授業の練習。
 例④=目線の練習。

(3)来季に向けての教育課程編成時から重要な話題として協議してきた「各教科の具体的な達成目標」について。
 指導技術の向上を通して、結果として知識・技能・態度について、ひとりひとりの子どもをどのような状態に至らせるのかという具体的な達成目標の設定だ。
 こういう「目標」が、現在、ないとはいわない。
 当然、ある。
 しかし、粗い。
 それは、たとえば僕の国語教師としての経験から「勘」として自分のうちにある「こういうレベルにまで到達させる」という具体的な目標とは大きなズレがある。
 同時に、保護者・生徒が求めている(だろう)それとも大きなズレがある。
 これらのズレを埋めて「最低限、ここまでは保証しますよ」という各教科の具体的な達成目標を提示すること。

(4)経営の重点(2)「学校・家庭・地域のバランスがとれたトータルシステムの開発」に関わる教職員の研修内容について。
 これまでも何度も何度も述べてきたことだが、現在の日本は、残念なことに、学校・家庭・地域の教育のバランスが崩れている。
 僕流にいうと「学校の教育丸抱え体制」あるいは「学校の教育独占体制」状態だ。
 これが日本の教育危機の元凶といっていい。
 逆にいうと、このバランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだ大丈夫だ。
 研修のポイント。
 ①現在、PTAが主体となり、小・中の強い連携・融合を軸に展開している学社連携・融合(MINAMIネット)事業と学校教育のコーディネート力のアップ。
 ②教育に関していちばん荷を抱え込んでいる学校が、アウトソーシング計画をもたなければ事態は改善しない。
 アウトソーシングの企画・立案・実践力をつけること。


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