職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★これまでの受信と発信の対象が既に幻覚であったことにやっと気づいた……といってもいいかもしれない

2013-04-29 15:18:54 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 宿替えの新しい「宿」が見つかるまで、もうしばらくかかりそうだ
2013
04.29
 

★コーヒー豆がないことに気づき、早朝、キッチンで手鍋焙煎をやる。
 今回はハイチコーヒー豆を選んだ。
 現在の僕の頭の空虚さに、ハイチコーヒーのマイルドな味がピッタリだ……と思ったからだ。
 生豆100グラムをザルに入れ、ボールの水に浸し、米を研ぐように、ゴシゴシと洗う。
 水を3回、取りかえた。
 水を切り、フキンで水分を吸い取る。
 ちゃんとやる人はここで豆を乾かす工程を入れるらしいが、僕はこのまま手鍋に放りこみ、ガスのトロ火で20分間、蒸らす。
 ほぼ1分おきにガラガラと揺さぶる。
 こんがりと焦げ色がつき、鍋の底から透明な、乾いた――僕を過去のあちこちの時空に彷徨させてくれる――プルースト現象的な香りが立ちのぼりはじめたら、中火にして、ガシャガシャと豆を返しつづける。
 しばらくして、いわゆる「一ハゼ」(パチッ、パチッと豆が爆ぜる音)、つづいて「二ハゼ」(ピチピチ、ピチピチと油性分が燃えるような連続音)。
 二ハゼの時間は、その日の気分で決める。
 気合いが入っているときは、ピチピチが始まったら、あるいは始まる直前に、火を止める(=ハイロースト)。
 そうでないときは、長めにピチピチとやる(=シティロースト)。
 火を止めたら急いで、冷やす作業とチャフを取り除く作業とを、同時に行う。
 僕の場合は、小さなザルを2つ用意し、右のザルから左のザルに豆を移し、右のザルをシンクの角でトントンと叩き、網目にくっついているチャフを落とす。
 今度は左のザルから右のザルに豆を移す。
 これをくりかえす。
 以前は庭のデッキに出て、ドライヤーのクールモードで冷やしながらチャフを吹っ飛ばしていたが、ザルでやるほうがだんぜん楽しい(^_^)v。

★冒頭で「頭の空虚さ」といったが、4月に入って――もうその4月も終わってしまうが――僕は、前にも後ろにも動けない、完全に停止、停滞の状態に陥っている。
 ヤドカリの宿替え、あるいは蝉の脱皮に似て、なんだが、新しいステージに移行する直前の、フワフワ感があって、悪い感じはしない。
 しかし、この空虚、停滞、フワフワ感がいつまでもつづくというのも、ホンマ、しんどいもんだ。
 過去の僕の経験に照らすと、40人の子どもたちとその保護者に宛てて毎日せっせと「学級通信」を発行していた学級担任の僕が、学年主任になり、今度は学年全体の300人の子どもたちと保護者を対象に「学年通信」を発行しなくてはいけなくなり、ピタリと書けなくなったときの、あの4月の気持ちに似ている。

 今、僕の受信と発信のシステムが変に――めちゃめちゃに?――なっているのだと思う。
 あるいは、これまでの受信と発信の対象が既に幻覚であったことにやっと気づいた……といってもいいかもしれない。
 君から手紙をもらい「返信しないと……」と思ってから、1カ月以上も経ってしまった。
 そのうち2通目の君の手紙をもらってしまった。
 スンマヘンm(_ _)mの10000倍だ(ノ△・。)。
 弁解になるが、宿替えの新しい「宿」が見つかってから……と思っていた。
 こんなに手こずるとは考えていなかった。
 もうしばらくかかりそうだ。
 でも、せっかくだから、あせらないで時間をかけて新しい「宿」を探すことにする。
 ま、このまま朽ちる恐れ(可能性)もないわけではないが……。(斜坑堂主人宛書簡から)

★記事の中の「ハイチコーヒー」について。
 ハイチというのは、もちろん、メキシコ湾の南、カリブ海に浮かぶハイチ共和国のこと。
 「ハイチ」とは、カリブの言葉で「山脈の島」という意味だ。
 この名の通り、島全体が峻険な山岳地帯となっている。
 この急峻な地形と、カリブ海から吹く風が織り成す気象環境が香り高いハイチのコーヒーを生み出している……といわれている(^_^)v。
 〈僕の豆の詳細〉
 生産エリア=東南部 ベジェ・アンセ
 生産者=COOPCAB生産者組合
 標高=800~1000m
 品種=ティピカ
 プロセス=フーリーウォッシュド(=果肉を取り除いたあと、固いパーチメントをぬめりにおおわれているが、これも取り除く方法)。

★画像=空虚な僕の前方の風景。
 画像のなかのPCは、Lets note S10 CF-S10CYBDR。
 以前は、部屋(DAKA古書店跡)の隅、あるいは奥に向かって、キーボードをカタカタとやっていたが、4月に入った、ある日、急に、光に向かってカタカタとやりたくなり、このようにテーブルを窓際に移動した。



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★DAKA古書店跡と玄関部分を連結すると広さが2倍になる。いい椅子でも買って心を解放させるつもりだ

2013-04-25 11:22:07 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 恢復記(^_^)v
2013
04.25


★しばらく風邪で苦しんでいた。
 風邪をひいても諸症状はいっさい気にせずグイグイ前に進める人――ま、僕のパートナーがそういう人――もいるが、僕はまったくダメだ。
 2日間、完全に寝込んだうえに、ズルズルと長びかせてしまった。……
 ようやく93%まで恢復。
 昨日からジョギング(60分間)も再開(^_^)v。

 パートナーからもらった風邪だと僕は思っているが、パートナーは僕がDAKA古書店跡の書架移動に熱中しすぎたからだ……といっている。
 たしかにその可能性もないわけではない。
 DAKA古書店跡と玄関部分のスペースとを一体化させるために、天井まである書架を2つ移動した。
 書物を下ろす→書架を移動する→(書物のホコリをはらい、整理し直し)書架を上げる……という作業で大汗をかいた。
 大汗をかいたまま作業をつづけたのが悪かった……ということだろう。
 移動は既に完了した。
 塗装作業が残っている。
 サンドペーパーをかけるのが、結構たいへんで僕は大の苦手だ。
 今度の土、日で完成させたい。
 DAKA古書店跡と玄関部分を連結することにより、広さが2倍になる。
 光あふれる空間に、いい椅子でも買って、心をパーッと解放させるつもりだ。

 連休がスタートする直前の4月26日がしめきりという、たまった仕事は昨日までにぜんぶ済ませた。





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4月19日(金)のつぶやき

2013-04-20 02:37:41 | 僕のモンマルトル日記

@akanesizuka ★おそくなりましたが、おはようございます。こちら、火、水、木と風邪でダウン。本日、症状がかなり改善。だいぶ楽になりました。しづかさんの大画像(768×1024ピクセル)は、やはり魅力的です。こちらの魂が一瞬、フッと画像にのりうつる幻覚にとらえられます。


★風邪でノロノロとしか思考できなかったことが、思考の単純化につながり、新しい原理の結論に至ったのか? goo.gl/EhPnI



★風邪でノロノロとしか思考できなかったことが、思考の単純化につながり、新しい原理の結論に至ったのか?

2013-04-19 14:57:18 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 伊原春樹「お客様に見せる試合ではない」
2013
04.19


 〈あしゅら堂主人宛メール〉
★昨夜のライオンズ戦、京都TVで観戦との由、了解。
 そちらは、てっきり放送がないと思っていた。
 こちらはケーブルTV(テレ朝チャンネル2)で観戦。
 ただし、僕がチャンネル権を有する午後9時まで(ノ△・。)。
 7回表、サファテが出てきたところでチャンネルをパートナーに譲った。
 そのあとは、風邪ということもあり、フトンにもぐり、枕元にノートパソコンを置き、いつものようにインターネットのyahoo1球速報(自動更新)でチェックした。
 ま、試合のほうは「凡戦」の極み(ノ△・。)。
 解説の伊原春樹が「お客様に見せる試合ではない」とあきれていた。
 伊原の批判の中心はバファローズのエラーだが、涌井のピッチングも同じ。
 情報によると、大宮のマウンドが合わなかったという説もあるが……。
 大石の被3塁打も余計やった。
 きっちりと抑えてほしかった。
 球速も前回に比べると出ていなかった。
 でも、勝てたのでよかった(^_^)v。
 やはりうれしい(^_^)v。


 僕の風邪は、すべての症状が緩和。
 80%くらい治った。
 すごく楽になった。
 以前、この段階で安心し、ぶりかえらせ、こじらせてしまったことがあるので、慎重にやっている(*^_^*)。

 安岡の全集の件、了解。
 安岡はけっして人気のあるほうではないので、入手しにくいかもしれない。
 ただ、その分、値段は高くない――井伏の全集くらいの値段で買えるかも――ので、フジケイあたりに探してもらうと、安くて保存状態もいいものがみつかるかもしれない。
 たしかフジケイ堂は「日本の古本屋ネット」にも加入していたと思う。
 僕のほうは、学生時代に買った堀辰雄全集――全10巻・角川・昭和40年頃の発行――で欠けている巻があったので、一昨日、インターネットで調べたら、その欠けている巻を、大阪寝屋川の風流夢苑がもっていることがわかり、注文した。
 あす、ゆうメールで届く。
 てのひらにのせページを開くのが愉しみだ。


 なお、僕の仕事のほうは、作戦を変更することにした。
 風邪で気分も身体もうっとうしく、パソコンに向かう気にもなれず、ソファーに寝そべり、先々のことを考えていたら、その「作戦変更案」が忽然と浮かびあがった。
 頭がぼんやりとし、ノロノロとしか思考できなかったことが、思考の単純化につながり、思ってもみなかった結論に至ったのかもしれない。
 作戦変更の詳細は、後日、連絡する。

★画像は、岩手めんこいTVが報道する、4/2(←高村光太郎の命日)の連翹忌の様子。・・・・・


★関連記事
★高村祭アルバム№1――太田小2年25名の演奏。旧「山口小学校校歌」がよかった。伸びゆく若葉 山口校
★高村祭アルバム2――今回、高村祭参加の僕の目的のひとつが、谷口さんの花巻弁による朗読を聴くことだった
★高村祭。モンデンモモさんの歌「もしも智恵子が」から、光太郎の強烈な願いが伝わってくる。感動した
★高村祭の画像シリーズ2――光太郎のトータルに対して、限定して限定してお祝いするのが高村祭だ


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★自民党の高市早苗政調会長が「40時間でも続けちゃう」という環境を、僕も創出しなくっちゃ……と

2013-04-15 13:30:40 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 季節が変わったからかもしれない。光に向かってカタカタとやりたくなった
2013
04.15



★日曜日に、部屋(DAKA古書店跡)の模様替えをした。
 テーマが3つあった。

 ひとつは、先日ブログに、ずっと部屋の隅に2つ並べておいてあった音響コーラルFLAT―6Sスピーカーを部屋のメインに据えた……と書いたが、実は、右スピーカーから放射される音にテーブルの角がぶつかるのだ。
 音そのものにどれほどの影響があるのかは僕の耳ではまったくわからないが、視覚的には大きな障害だった。
 これを取り除くこと。

 もうひとつは、僕は部屋(DAKA古書店跡)の隅、あるいは奥に向かって、Lets note S10 CF-S10CYBDRを置き、キーボードをカタカタとやっている。
 これがなんだかしんどくなってきた。
 季節が変わったからかもしれない。
 光に向かってカタカタとやりたくなった。
 このためにテーブルを窓際に移動する。
 うまくすると、放射された音にテーブルの角がぶつかる問題といっしょに解決できるかもしれない。

 最後は、自民党の高市早苗政調会長が「5月の連休は、参院選公約の企画作業で宿舎にこもるの。文章を書き始めたら40時間でも続けちゃう。途中で寝るのは嫌なんですよ。食糧調達に外出するとSPの方にご迷惑がかかるので、お料理が得意な主人に10食分くらい冷蔵庫に作り置きしておいてもらおうかな」(2013.4.13 18:00配信「水内茂幸の夜の政論」から引用。註=「主人」拓議員は調理師免許を持ち、政治家になる前にはレストランも経営していた。)と目を輝かせるが、僕も「40時間でも続けちゃう」物理的環境を工夫したい。

★昨日、午後、ライオンズ対楽天戦――9回裏に登場した大石が、松井稼頭央をキャッチャーフライ、藤田一也を1ゴロ、小斉祐輔を空振りの三振に打ち取り、4対2でゲームセット……と、ほぼ同時に、模様替えも完了。

 すごく気に入っている。

 なお、この記事、ならびにアップ作業は、3つ目の「40時間でも続けちゃう」空間でやっている。

★画像上=右スピーカーから放射された音にテーブルの角がぶつかる問題が解決した、僕の音響コーラルFLAT―6Sスピーカー空間。
 画像下=冬季期間、僕が向かっていた、部屋(DAKA古書店跡)の隅、あるいは奥の様子。



職員室通信 2013/04/15号
★安代Tが発した「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りにくいだろうが」は高段の技

いっしょに困って困って困ってやる
  
~ 中学生の心をとらえているものがゆっくりと動きだし、ことばになる長い長い過程を共にする ~

◆子どもへの接し方(指導)が、A>B>Cとなっているか常に点検しよう……と、ここ、10年くらい、教職員にも、保護者にも、そして、自分自身にも言いつづけているのだけれども、これがなかなかむずかしい。
 修了式(3/26)の朝も――その1年の女子生徒とわたしのあいだには「A」「B」の層が形成されていない……いきなりの「C」は効果がないとわかっているのに――頭髪のことで厳しく叱ってしまった。

◆年度のはじめにあたり、まず、このカウンセリングのA>B>Cについて確認したい。

(1)くりかえしになるが、いきなりの「C」とか、あるいは、「C」だけというのは、ほとんど効果がない。
 その子どもと自分(教師)とのあいだに、Aの部分・Bの部分が形成されているかどうかを、まず、チェックしよう。
 わたしの恥ずかしい体験だが「Cだけでやる。ベタベタしない。僕は毅然とやる」といい気になっていた時期がある。
 哀しいことだが、けっして短い期間ではなかった。
 さらに哀しいことだが、その期間は、教員のわたしにとって、たいへん大事な時代でもあった。
 教育思想が未熟だったのだ。
 Aの部分・Bの部分についての認識がまったくなかった。
 それでも何とかやれたのは、他のベテラン教員が、わたしの分まで、Aの部分・Bの部分を形成してくれていたからだ。
 そのことに気づくまでに、僕の場合、かなりの時間がかかった。

(2)始業式が始まる直前のことだった。
 体育館で隊形づくりの指導をしている、安代Tが発した「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りにくいだろうが……」のことばに、わたしはショックを受けた。
 これはAの部分・Bの部分だ。
 わたしからはスッポリと抜け落ちていた。
 このA・Bのあと、安代Tは「C」=座るときの腰、手、足の位置を指導している。
 瞬時に、A>B>C……をやっているわけだ。
 これは高段の技だ。

(3)Aの部分・Bの部分では、極力アドバイスを避ける。
 わたしたちはついついアドバイスに走る。
 そして、子どもと話し合ったと思っている。
 しかし、子どもにしてみれば「なにも聞いてくれなかった」という思いだけが残る。
 話を聞いてやり、聴いてやり……、いっしょに困って、困って、困ってやる。
 それだけでいい。
 いっしょに困ってやる過程(時間)を大事にしよう。
 これが教師の仕事だ。(どうしてもという場合、最後の最後に、いくつか例示し、子どもに選択させる。)
 中学という時期の、子どもの心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)容易に言語に転換できるものではない。
 中学生の心を捉えているものが、あるいは心に充満しているものが、ゆっくりと動き出し、言葉に転換され外に出てくる、長い、長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、たえず自身に問いつづけよう。

 ただ、ひとつ、心したいのは、教師は親ではない……ということだ。
 姉でも、兄でも、先輩でも、友人でもない。
 1年間限定の教科担任だ。
 あるいは、1年間限定の学級担任だ。
 この「わきまえ」が必要だ。
 いい気になると、かならず落とし穴に堕ちる。

(4)ノンバーバルコミュニケーション。
 子どもは、話の内容もそうだが、教師の(面談中、講話中、授業中、日常の)しぐさ、表情、姿勢、態度、語調、雰囲気と「対話」している。
 だから、このノンバーバルコミュニケーションを軽く考えてはいけない。
 先輩から「教師は絶対に腕組みをするな」と注意を受けたが、このことを言っているのだろう。
 「切れる姿」を見せるなどもってのほかだ。
 「切れることば」もそうだ。
 どちらも教師としての倫理に反する。
 あとからフォローすることが大切だ(=フォローすればOK)と言う人もいるが、大まちがいだ。
 わたしの家のレオン(ゴールデンリトリバー)でもフォローはきかない。

 ノンバーバルコミュニケーションを修業しよう。

(5)個人面談で鍛える
 個人面談やチャンス相談は、奥が深い。
 そして、これが、教育のスタートだ。
 以前、Dr.海原純子さんと、仕事で打ち合わせする機会があった。
 ほとんど、もう、向かい合った瞬間だった――彼女が一言二言話した。
 ただ、それだけなのに、僕の身体からこわばりが溶けた。
 これっていったいなんなんだろう!
 スゴイ!と思った。
 同時に、僕も相手にそんなふうに感じさせるように修業したい思った。
 カウンセリング理論を学びながら、わたしたちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉に転換され外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量をゲットしたい。
 その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。
 「個人面談」ができないと、教師は、全体には語れない。

★関連記事
★中学生の心の底にある気持ちは、そんなに容易に言語で表現できるものではない



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★小さな蛾から伊東静雄の「訪問者」が連想できたりすると「生きてきた甲斐があった……」とうれしくなる

2013-04-13 15:33:45 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 しかし、これは以下の「職員室通信」に「もう小さい蛾が浮かんでゐる」ことの反映か?
2013
04.13


★夕食中、視界の上に動くものの気配を感じ、見上げると、照明の笠の中に、小さな蛾がいた。
 反射的に、伊東静雄の詩句(「訪問者」)を想起する。

 トマトを盛った盆のかげに
 忘れられてゐる扇
 (中略)
 出されたまま触れられなかつたお茶に
 もう小さい蛾が浮かんでゐる
 生涯を詩に捧げたいと
 少女はいつたつけ
 (後略)――(以上「訪問者」から抜粋)

 僕の人生っていったいなんだったのだろうか?……と、ほぞを噛む毎日なのだが、自分が小さな蛾から静雄の「訪問者」が連想できたりすると、「あっ、生きてきた甲斐があった……」と、うれしくなる。
 しかし、これは以下の「職員室通信」に「もう小さい蛾が浮かんでゐる」ことの反映かもしれない……と思うと、また意気消沈してしまう(ノ△・。)。



職員室通信 2013/04/13号
バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌チームを廃す2(書き直し号)

◆新年度の1日目だ。
 次から次に、会議が――会議と会議の間は移動時間だけ……という感じで――ぶっ通しでセットされている。
 ま、そうしないと、入学式がやれない。
 新学期が始まらない。
 (毎度、毎度、くりかえしになるが)列挙すると――
 ①職員会議(職員紹介=自己紹介→校内組織・経営方針の発表)
 ②学年部会
 ③職員室内デスク移動
 (並行して)新任教職員学区内あいさつまわり。
 昼食
 ③校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健)部会
 ④教科部会
 ⑤教科主任会
 ⑥領域(道徳・特別活動・進路等)部会……と。


◆わたしの場合、20年、30年と、この「新年度の1日目」を、くりかえしやっていて、そのやり方も、その気分も、既にからだの一部になるくらいに、しみついている。
 とはいうものの、その年々の――なんといったらいいのか?……くりかえしでないところの――きらめくような気分(決意)やら、亀裂が入ってしまった気分(怒り)やら、萎えた気分(絶望)やら、瞑目瞑想的な心境(自信)やら、ドキドキワクワク(緊張)やら……それらが見えない糸で結びつけられていて「新年度の1日目」には、ズルズルと引きずり出され――闇夜の地のカタチが稲妻で露わに浮かび上がるように「決意」「怒り」「絶望」等々が――よみがえってくる。

 本日冒頭の職員会議では、この「稲妻」をグッと抑えて、事務的に校内組織を発表。
 印刷した新組織を提示してから、(時間のスペースが少ないので)取り急ぎ伝達したいことにしぼって発表した。
 「見出し的」には次の通り。
 1.いっしょに困って困って困ってやる(子どもへの接し方)
 2.今年度の経営の重点
 3.組織編成のポイント

 「1」と「2」は「職員室通信」に沿って発表。
 この「職員室通信」は後日、アップする予定。
 「3」の骨子は下記の通り。


◆〈組織編成のポイント〉(「――」の後の記述は、それをそのままぜんぶしゃべったわけではない。)

(1)バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌チームを廃す。

 本校の教職員は、①学年部会 ②校務分掌(教務・研修・生徒指導・保健等の)部会 ③領域(道徳・特別活動等の)部会 ④教科(国語・社会等の)部会と、4つの部会に所属して仕事をする。
 これまでもくりかえしくりかえしのべてきたことだが、不作為を見て見ぬフリをし、バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌部会を廃す。
 あるいは、賢い者同士が牽制し合っているような部会を廃す。
 常に真摯な姿勢。
 チャレンジ精神。
 本音。
 プラス思考……。
 どの部会も、精神の伸びやかなつながりが生まれ、重要な価値が交換され、創造的な仕事ができる環境づくりに努める。

 ――組織の停滞&緩みの背後には、必ず「バカ者同士が仲良くやっている」空気が存在する。
 教師の組織には結構、こういうのが多い。
 どの部会もこうなってほしくない。
 絶対にこうなってほしくないという強い願いを込め、分掌トップの人選――(観点=優れた経営能力・倫理観・強いリーダーシップ等)――を行った。

(2)3つの学年(1・2・3学年)の教師力のバランスに、ギリギリまで腐心。

 ――1・2・3各学年の教師の力を、3.333……と3.333……と3.333……になるように組織した。
 もちろん、人は機械ではない。
 きちんと割り切れるはずがない。
 でも、それをギリギリまでやって、どうしても割り切れない分は、ぜんぶ1学年に回した。
 1学年経営が失敗すると、あとから立て直すことがひじょうにむずかしくなる。
 荒れる学校をみていると、原因の多くは1学年経営にある。
 逆に、1学年経営がうまくいくと、(これまでの経験からいえば)2・3学年がうまくいく可能性が大きくなる。


(3)適材適所(最適任者)主義。

 日本国憲法(含中教審答申等)と分掌運営を直結してプロの仕事ができる人材。
 教育史・教育哲学史の中に自らの分掌を位置づけて仕事ができる……という専門的技量を有する人材。

 ――組織編成のとき、いつも、「育成主義」か、「適材適所(最適任者)」主義かに悩む。
 ホンマに苦しむ。
 今年度も、ホンマにホンマに苦しんだ。
 わたしの仕えた校長に、教職員にいろいろな校務を計画的に経験させて育てていくという方針で組織作りをする方がいた。
 2年間、教務主任をやったら、次の年は生徒指導主任……という具合に。
 わたしも、ある校務分掌で一定の成果をあげたつもりでしたし、校長も評価してくれていたので、「よし、次年度も……」とはりきっていたら、「あなたは、○○はもういい。来年度は△△をやりなさい」という感じだった(*^_^*)。
 わたしはこの校長の影響を強く受けている。
 できることなら、教職員には計画的にいろいろなポジションを……という気持ちがある。
 しかし、現実的にはなかなかむずかしい。
 特に今年度は、危機管理という観点から各部署のトラブルへの対応力をアップし、「危機管理90%・教育哲学10%の経営」といわれる教育現場から、「危機管理40%・教育哲学60%の経営」への脱出を、大きな目標に掲げている関係上、どうしても適材適所(最適任者)主義をとらざるを得なかった。
 わたしがこう感じているくらいだから、教職員の中にも、ずいぶん偏った起用法だと不満に思っている人が、きっといると思う。

(4)学級担任力の保証

 学級担任の教育力の維持を図るという観点から適切な配置に努めた。

 ――わたしは中学校の学級担任制がベストだとは考えていない。(もっとはっきりいうと、毎年、やめたい、やめたい……これが日本の中学教育の諸悪の根源だ……と思いながら、ウジウジし、なかなか決断できない。やめる勇気がないのだ。)
 (ということで……)今年もまた学級担任制を採用することになった。
 採用する以上、生徒や保護者に対して学級担任力は保証しなければならない。
 お試し期間の学級担任などありえない。
 そのため、一昨年は学級担任兼教務主任、昨年は学級担任兼学年主任というカタチをとった。
 幸い今年はこの「兼務」状態を解消することができた上に、一定の学級担任力を維持することができた。

(5)課題&トラブルへの対応能力アップ。

 トラブル対応能力については、「焼き」が入っているというレベルまで腕をあげよう。
 下記の記述は、第1次安倍自民大敗後の新聞記事の切り抜きだが、わたしは、文中の「掃除」を「トラブル」と読みかえている。

◇「掃除の下手な大工は仕事もアカン」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さんである。
◇駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。
 掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。(中略)
 掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略――新聞の切り抜き引用、以上)

(6)組織づくりは「0」からの出発を。

 若い頃、1学年に所属になった。
 その最初の会議で、学年主任が「うちの学年では……」「うちの学年のやり方は……」を連発するので、これからみんなで「うちの学年」をつくるのではないのか……と強烈な違和感をもったことがある。
 組織づくりは、絶対に「0」からの出発でなくてはならない。

★ちなみに、今、(やや唐突に)「わたしには学級担任制をやめる勇気がない」と述べたが、同じように、やめたいがやめる勇気がなくてウジウジ、ズルズルつづけていることが他にもある。
 部活動。
 制服。
 修学旅行&遠足。
 「やめる」といったときの、各方面からの怒濤の抵抗、これとぶつかり合うのが、恐いのだ。
 ま、めんどうくさくもあるのだ。
 でも、今年は、これに正対していくつもりだ。
 1ミリずつでも前進させたい。



★関連記事
★腰痛、早く全快して、このLet's noteがボロボロになるくらいキーボードを打ちまくりたい
★夕食中にバタバタと(バタバタでは済まない。バタバタ、バタバタ、バタバタ、バタバタと)通信を印刷し
★ホームページの袋(二重)構造に困惑。『勝つ~戦いにおけるツキとヨミの研究』発見。三島由紀夫割腹自殺




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★橋蔵平次は18年間888回、決め手の銭を飛ばした。僕も毎日決め手の「職員室通信」を発行しつづけたい

2013-04-11 14:23:12 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 MINAMIでは100年たっても国語は今枝T……
2013
04.11


★2013/01/23(水)08:02以来、僕のテーマソングであったコレッリの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 Op.5(抜粋)」を、2013/04/10(水)08:36に、J・S・バッハのブランデンブルグ協奏曲第5番に替えた。
 パイオニアX-HM50に、昔、僕が僕の初めてのボーナスで購入した音響コーラルのFLAT―6Sスピーカーを接続して聴いている。

 画像は、ONKYOスピーカー=D-77MRX。
 こういうスピーカーで聴ければいいなぁ~と思っている(*^_^*)。
 価格COMで値段を調べると、最安価格(税込):72,800円。
 単品の値段だから、2つ買うと、145,600円。
 夢のまた夢だ。
 かりに購入したとしても、今度は新しいアンプがほしくなるはずだ。
 だから、FLAT―6Sでガマンすることにする(ノ△・。)。

★ここ、しばらく、僕は「混乱」のなかにいた(*^_^*)。
 このためにホームページの更新も思うようにできなかった。
 「混乱」は、粗く、2つある。
 1つは、僕のホームページの二重構造――外枠「茫漠特急」と内枠「職員室通信」――の問題。
 外枠「茫漠特急」は、基本時制=過去・現在・未来でいうと、現在に分類される。
 「現在の僕の日常」のことだ。
 内枠「職員室通信」は、僕がかつて中学教員だった頃の記録だ。
 だから過去に分類される。
 問題は、この「過去」と「現在」の関係を、僕が、きちんと、短く、言い切れないことにある。
 問題を早急に解決するために、ホップないしはステップとして、まず、今、ぼんやりとわかりかけていることを書いてみる。

 ①「現在の僕」は「職員室通信」の世界から、四六時中、抑圧を受けている。
 しかし同時に、この抑圧がないと、「現在の僕」は崩壊する。
 雨降りのなかで傘をさしていると、雨粒のプレッシャーを受ける。
 しかし、目の距離を取ると、傘をさしている僕のカタチは、雨粒にフチ取られ、支えられている。
 フチ取りがなくなると、僕はまちがいなく消える。

 ②「茫漠特急」というのは「現在の僕」であると同時に、過去の「職員室通信」の世界を疾駆する「現在の僕」の名前でもある。
 だから、きちんと呼ぶとすれば「茫漠特急号」だ。
 「茫漠特急号」は、現在と過去を行ったり来たりしている。
 だから、「茫漠特急」は「職員室通信」の中に存在すると同時に、外に存在する。(今、ぼんやりとわかりかけていること、以上。)

★もう1つは、「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」の問題。
 これも、今、ぼんやり感じていることを、ぼんやりしたまま書くとすれば――

 十数年間、呪文のように唱えてきた命題「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」はまちがっているのではないか?
 以前、TVニュースを観ていたら、外国の映画監督がインタビューを受け「自分がしあわせになれるモノを創りたい」と発言していた。
 映画監督の顔も名前も、そのとき話題になった作品も忘れてしまったが、監督の発言は鮮明に僕の心に残った。
 あいだをはしょって――しっかりしたことを書くのだったら、コマゴマと、張り切って書くのだが、ぼんやり感じていることを書くというのは、なんとなくつまらないから――はしょってはしょって、ぼんやり感じていることの結論めいたことだけを書くと――

 ①「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」ではなく、もっともっと限定して「僕がしあわせになれるカタチ=HPのカタチ」なのではないか?

 ②映画監督の発言とともに関連して、もうひとつ思い浮かぶ光景がある。
 小説『恋する家族』(三田誠広)の、次の場面だ。

 現実のジャイアンツに興味を失った兄は、パソコンで野球ゲームのソフトを作り、自分だけのリーグ戦を始めた。
 打者や投手の成績をあらかじめインプットしておくと、毎日、コンピュータが勝手に試合をして、成績をハードディスクに記録する。
 もちろん、ディスプレイで中継を見ることもできる。
 1度、兄が見ているディスプレイをのぞいてみると、ジャイアンツの一塁手はもちろん駒田のまま、三塁手は原辰徳。
 センターは何とクロマティだった。
 兄の野球ゲームでは、時間が止まっている。
 たぶんエースは、江川卓だろう。
 トップバッターは青い稲妻の松本だろう。
 ここぞという時の代打は、もちろん中畑。
 いまごろ、兄の巨人軍は、連戦連勝。
 首位を独走しているに違いない。……(『恋する家族』引用、以上)

 なにをいいたいのか?
 「僕がしあわせになれるカタチ」が、基本時制=過去・現在・未来でいうと、現在でもない、未来でもない、過去にあるのではないか?ということだ。
 そして「兄の巨人軍」は「僕がしあわせになれるカタチ」のメタファーだ……ということだ(ただし、断っておくが、僕は巨人ファンではない)。
 僕は、これまでラッキョウの皮をむくように生きてしてきた。
 ある時点(←かなり、昔の話)で「あっ、このままラッキョウをむきつづけると、結局、自分の手のひらにはなにも残らない……」と気づいた。
 でも、ラッキョウむきは、なかなか止まらない。
 どうしても止まらない。
 止まりかけても、ズルズル、ズルズルと――「向日性」ということばがあるが、精神が明日へ明日へと向かっていく、いわば向「明日」性、または向「未来」性のように――前進していった。
 この向「明日」性を完全に止める。
 「ミネルバのフクロウが夕暮れ時に飛びたつ」ように、僕も夕暮れ時に過去の時間帯に限定して飛び立つ……。

 ③このメタファーをさらに具体化すると――
 『銭形平次』 ←大川橋蔵、いわゆる「橋蔵平次」)
 1966年5月4日~1984年4月4日、888回、18年間。
 「親分、てってっ、てぇへんだぁ!」と八五郎は18年間、888回、平次の長屋に飛び込み、平次は18年間、888回、決め手の銭を飛ばした。
 来る日も来る日も、僕は――ま、888回はむずかしいかもしれないが――MINAMIで決め手の「職員室通信」を発行しつづけたい。
 MINAMIでは、100年たっても、国語は今枝T・八重T・苫小牧T、英語は小和田T、保体は範T・安代T、家庭は都丸T……教務主任は乱氏、研修主任は公磨T……という世界。

★メモ
 ①こうして書いてくると、2つの混乱――僕のホームページの二重構造問題と、「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」の問題――が密接不離の関係にあることがわかる。
 ②今年度(2013年4月~)は、この問題を追究する1年……ということになるのかもしれない(*^_^*)。
 ③今後の予想として、「ホームページの二重構造問題」の外枠と内枠の境がフレキシブルに変化していくのではないか……と考えている。。


職員室通信 2013/04/11号
★悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来なさい

◆始業式・式辞
 3月の卒業式、修了式、離任式……ときて、4月に入り、新任式、新クラス発表、そして、始業式、入学式。
 砂時計の残り少なになった砂の一粒に過ぎない僕、ないしは運命の歯車の一つ過ぎない僕を感じる。
 ま、こういう感覚はイヤではないけれども……。

〈始業式・式辞〉

 1年間、毎日、毎日、生活していた教室を離れる。
 いつもいっしょにいた友人と離れる。
 お世話になった先生と離れる。
 転校という大きな変化があった人もいます。
 自分とつながっていたものから離れて、ポツンとひとりになる――これって、独特の雰囲気ですね――さびしいといえばこれほどさびしいことはない、さっぱりしたといえばさっぱりしたともいえる……(*^_^*)、この今のみなさんの「感覚」を大切にしてほしいと思います。

 ひとりになることによって、これまであまりに意識しかなった「自分の今の姿」「心のカタチ」が、鮮明に見えるようになる。
 あるいはまた、これまでの自分の一歩一歩が、夜、雷がピカッと光ったとき、パァ~ッと風景のすべてが見えるように、自分の足跡が見えるという時期です。
 今の自分の、心のカタチと、これまでの一歩一歩を点検しながら、大切にしながら、今年度の1学期、新しい一歩を踏み出しましょう。


 改めて、新2年生への進級、おめでとう。
 新3年生への進級、おめでとう。
 ここに、こうしている、みなさんで、力をあわせて、「MINAMI中生でよかった」「MINAMI中生であることを誇りに思う」と、心から思える――わたしもそうです、「MINAMI中の教職員であることを誇りに思う」と、心から思える、よい学校にしていきましょう。
 よい学校というのは、「在る」ものではありません。
 あちこちに、ころがっているものではありません。
 先輩たちから、しっかりと受け継ぎ、それを1㎜でも0.1㎜でもよくして、それをしっかりと伝えていくという、ギリギリの努力をして、いい学校を創り出していくのです。
 こういう意味で、新2年生、新3年生の役割は大きい。

◆きょうの始業式にあたり、「上級生」として心がけてほしいことを1点、そして、「中学という時代を生きる人間」として忘れないでほしいことを1点、お話しします。

 まず、「上級生」として。
 いばる上級生にならないでほしい。
 いばる上級生ほど、みっともないものはない。
 下級生がいばるのは、かまわない。
 いい学校や、いいチームは、下級生がいばっています。
 上級生は、絶対にいばりません。
 わたしが、ず~っと、大切にしている、ひとつのエピソードがあります。
 明治大学の野球部の話です。
 もう今はお亡くなりになりましたが、有名な監督がいました。
 島岡監督。
 37年間、明治大学の監督をしました。
 明治大学の野球部は、全員、寮で合宿しています。
 その寮を島岡寮といいます。
 この寮のトイレ掃除は、だれがやるか?
 島岡寮では、最上級生がやることになっています。
 大学ですから、1年生、2年生、3年生、4年生がいる、その4年生がトイレ掃除する。
 それも、キャプテンが先頭になって、責任をもってやる。
 今、楽天の監督・星野仙一さんも、明治大学の野球部出身で、キャプテンでしたから、毎日、毎日、トイレ掃除をしたそうです。
 今のようなトイレではないから、たいへんだったそうです。
 そのトイレを素手で、ピカピカに磨きあげたそうです。
 いやなことは、下級生にやらせない。
 いやなことは、「わたしたちがやるよ」という、やさしくて力持ちの上級生になってほしい。

◆次に「中学という時代を生きる人間」として、忘れないでほしいこと。
 これはなんどもなんども言ってきたことなのですが、中学という時代は、どういう時代かというと、いろいろあるけれども、いちばん大切なのは、親の保護、親べったりから、人生、独立に向けて、一歩一歩踏み出していく時期だということです。
 では、独立に向けて一歩一歩踏み出すとは、具体的にどういうことか?

 「お父さん、あるいは、お母さん、ここまで育ててくれてほんとうにありがとう。まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやり、お父さん、あるいは、お母さんにかける心配の量を減らし、悲しませる量を減らし、また、もう中学生だから、お金を使わせる量も減らしていきます。そして、なりたい自分をめざして、いっしょうけんめいに、がんばります」ということなんですよ。
 これが、独立に向けての一歩一歩です。
 だから、逆に、親に心配をかける量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 親を悲しませる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 お金を使わせる量を増やしている人を、中学生とは言わない。

 悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来なさい。
 叱るのではありません。
 わたしも、あなたといっしょになって考えたいと思っています。
 ぜひ、来なさい。

 新しい年度の1学期、MINAMI中生、ひとりひとりが、真に独立に向けて一歩一歩、踏み出してくれることを強く期待します。

 最後になりますが、「歌声が響く学校」日本一を実現しよう。
 品格日本一を実現しよう。
 学力日本一を実現しよう。
 そして、大いに読書しよう。
 月、火、水、木、金、5回の昼休みのうち、1回でもいいから、図書室に行って、いっしょに本を読みましょう。
 本を読まないで高校生になってしまったら、たいへんだ……と、わたしの願いを述べ、式辞とします。(始業式式辞、以上)

〈入学式・式辞〉


 春の光りがふりそそぐ、このよき日に、日頃、本校に何かとご援助を賜っております、多数のご来賓のご臨席を得まして、入学式が、このように、盛大に行えますことを、心より感謝申しあげます。

 新入生のみなさん、入学おめでとう。
 今、みなさんが見ているステージの上のほうに、本校の校章があります。
 ステージの奥の壁にもあります。
 みなさんに向かって、うみねこが、力強く羽ばたいています。
 これは、本校の教育目標、①心豊かで、②自ら学び、③健康なMINAMI中生を表しています。
 新入生のみなさんが、この校章のうみねこのように、元気に、はつらつと、未来に向かって、力強くはばたいてくれることを強く願っています。

 また、校章のコバルトブルーは、太平洋の海の青、空の青をあらわしています。
 この海の青、空の青の中を、群れをつくらないで、何にも染まらないで、たった一羽で、たったひとりで飛んでいます。
 中学という時代は、親の保護、親べったりから、人生、独立のための第一歩を踏みだす時期です。
 このうみねこは、こう言っています。
 「お父さん、あるいは、お母さんのお陰で、ここまで、元気に生きてくることができました。
 ほんとうにありがとうございます。
 まだまだご心配をおかけしますけれども、これからは中学生ですから、自分でやれることは自分でやるようにがんばり、お父さんやお母さんに心配をかける量をへらしていきます……」と。
 このうみねこは、人生の独立に向け、力強くはばたく、MINAMI中生を表しています。

 今、独立の第一歩を踏み出すみなさんに、ひとつ、わたしの体験を話します。
 わたしが、ちょうどみなさんと同じ年齢のときに、わたしは、その後の、わたしの人生・生き方に、強い影響を与えた、一冊の書物に出会います。
 それは『シートン動物記』です。
 この中の「灰色熊の一生」を読んで、ポロポロとわたしは涙をこぼしました。
 「伝書鳩アルノーの物語」というのも、よく覚えています。
 しかし、わたしに強い影響を与えたのは、動物記そのものではなく、書物のいちばん最後についている「シートンという人はどんな人かという解説文」でした。
 解説文に、こんな場面が出てきます。
 大人になったシートンが、お父さんとお母さんに向かって「お父さん、お母さん、わたしをここまで育ててくれて、ほんとうにありがとうございました」
 と言って、テーブルに包みを置きました。
 「これは、お父さんとお母さんが、わたしをここまで育てるために使ったお金です。ほんとうにありがとうございました。お返しします。このお金は、お父さんとお母さんで使ってください」
 これを読んで、わたしは、2つのことを考えました。
 ひとつは、「そうか、こうして返すものなのか。よし、僕も、お父さん、お母さん、これが、お父さんとお母さんがわたしを育てるために使ったお金です。お返ししますとやってやろう、そうしなければいけない」……と思いました。
 もうひとつは、「大人になって返すとすれば、たくさん返すのはたいへんだ。だから、今、あんまり使わないほうがいいなぁ」(*^_^*)と考えました。

 わたしの体験の話は以上です。

 もちろん、みなさんはまだお金を返すことはできませんけれども、これまで育ててくれた親に、あるいは、お世話になった方々に、おじいさん、おばあさんに、感謝の気持ちを強くもってほしい。
 加えて、「心配をかける量」を減らし、安心してもらえる、喜んでもらえる量を増やしてほしい。
 このようにして、一歩一歩、前進・成長していくのが中学という時代です。

 みなさんが、毎日の勉強に、生徒会活動に、行事に、部活動に、このMINAMI中で、先生方と、友人たちと、ご家族と、地域の方々と、いっしょに、人生の貴重な、1分1秒を刻みながら、大きく成長することを願っています。
 新入生のみなさんへの、わたしの話は以上で終わりです。

 さて、保護者の皆様、お子様の中学生としてのスタートを心よりお喜び申し上げます。
 私ども、教職員一同、お子様をお預かりした、大きな責任を果たすべく最大の努力をいたす決意でございます。
 短く4点申しあげます。
 1つ目、これは2月の保護者説明会でも申しあげましたが、知的で楽しく、かつ、トップレベルの学力がつく、授業を創ります。
 2つ目、生徒の心と身体の安全のために、安全管理と事故防止を徹底します。
 3つ目、「困っている人に親切にしよう」「ゴミを拾おう」「他のためにがんばろう」など、生き方の原理・原則を重視した教育を行います。
 4つ目、地区の安協、防犯、町内会、子ども会など地域の諸団体、あるいは公民館、Minami小など、地域一体となって展開しております「すこやかみなみネット事業」を通し、学校と家庭と地域のバランスがとれた教育システム、学校と家庭と地域がそれぞれの立場で自由に、気軽に、参画できる教育システムを開発していきます。

 いい学校というのは、そこ、ここに、ころがっているものではありません。
 学校と家庭と地域が協力し合って創りだしていくものです。
 こういう強い決意で、これまでも地域のみなさまと一体となって取り組んできました。
 どうか保護者のみなさまにも、PTA活動、すこやかみなみネット事業に、それぞれ、やれる範囲、参加できる範囲で結構ですから、……たとえば、「休日だったらいいでよ」、あるいは、「夜だったらいいですよ」「インターネットだったらいいですよ……」と、できる範囲で結構ですから、いっしょにやりましょう。
 よろしくお願い申し上げます。

 地域のご来賓のみまさま、MINAMI中の新入生が、これから3年間、このMINAMI中で、このMINAMIの地域で、貴重な1分1秒を刻んでいきます。
 どうぞ成長を見守り、ご支援を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。(入学式式辞、以上)

◆午前中、始業式のあと、隣のMinami小の入学式に出席した。
 小学校6年間、山あり、谷あり、涙あり……非連続の連続の大冒険。
 くわえて、中学3年間の、これもまた、非連続の連続、山あり、谷あり、涙あり、晴れたり、曇ったりの大冒険。
 きょうが、その「基点」だ。
 2つの式場に身を置き、胸がいっぱいになる。


★関連記事
修了式。子どもたちに中学時代を語りながら、自分の向けて自分のうちで西条八十の『蝶』を口ずさむわたし。


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★音響コーラルFLAT―6Sスピーカーを部屋のメインに据え、ボリュームをあげると、霊魂が噴き出した

2013-04-07 14:39:43 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 夢に追われ襲われつつ、なぜ僕は再びその「夢」に向かうのか?
2013
04.07


★しばらく、ホームページが更新できなかった。
 心身のどこかが不調だったというのではない。
 いたって健康で、意欲も溢れるほどだ。
 スケジュールが過密になり、優先順位をつけた結果、ホームページの更新が後回しになった……というわけでもない。
 どちらかというとヒマだった。
 ただ、2つの「混乱」があった。
 1つは、ずっと以前に記述した、次の内容と関係がある。
 〈ずっと以前の記述〉
 僕のホームページの二重構造の関係――外枠「職員室通信」(幅=640ピクセル)と内枠「日常生活」(幅=550ピクセル)――をひっくり返し、外枠「日常生活=現在の僕」、内枠「職員室通信=過去の僕」にし、さらに「日常生活」という名称を「茫漠特急」に変更した。〈ずっと以前の記述、以上〉
 ここで述べている、内枠「職員室通信」と外枠「茫漠特急」というのは、今もこの通りで、問題はない。
 問題は、この2つの関係が、僕のうちで、きちんと一言で短く言えるところまで、詰めきれていないのだ。
 僕は毎朝、学校の夢でうなされる。
 ――定期試験が近づいた。
 しかし、1つのクラスだけ試験範囲まで終わっていない。
 絶望的に時間が不足している……。
 ――定期試験の解答用紙を回収した。
 しかし、1つのクラスの分だけ行方不明。
 学校中のゴミ箱をかたっぱしからあけていく……。
 その他、いろいろ……(ノ△・。)。
 心臓がドキドキする。
 汗まみれになる。
 夢から覚め「ああ、夢でよかった」と手で汗を押さえる。
 なのに、僕は懲りもせず、内枠に「職員室通信」を設定しようとする。
 この関係を一言でいえなくてはいけない。
 が、今、これができない。
 関連して、「職員室通信=過去の僕」と限定しているが、ほんとうに、こう言い切れるのか?という疑問もある。

 もう1つは、これもずっと以前に記述した、次の内容と関係がある。
 〈ずっと以前の記述〉
 僕のモットーが「HPのカタチ=僕の存在のカタチ」だ。
 僕は毎日呼吸している。
 だから、ホンマは毎日更新したい。
 「HPのカタチ=僕の存在のカタチ」ではなく、これをひっくりかえして「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」にし、「HPのカタチ」を少し変更する必要があるのかもしれない。〈ずっと以前の記述、以上〉
 「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」というカタチが詰めきれていない。
 これは、今の二重構造でいいのか? あるいは、「職員室通信=過去の僕」と限定していいのか?……という問題とも密接不離の関係にあると思う。

 こういう「混乱」というのは、ホンマ、苦しいもんである。

 ま、問題クリアーの常套手段ではあるが、HPを更新しながら詰めていこうということで本日の更新となった。

★こういう気分を転換しようと、部屋の模様替えをやった。
 ここ、しばらく、部屋の隅に2つ並べておいてあった音響コーラルFLAT―6Sスピーカーを部屋のメインに据える(トップ画像参照)。
 コレッリの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集」を聴く。
 ボリュームをあげると、過去から霊魂が噴き出してきた。



職員室通信メモ 2013/04/07号
★組織編成の基本方針――バカ者同士が仲良くやる組織を廃す

★組織編成の基本方針――バカ者同士が仲良くやる組織を廃す

(1)学年のスタッフについては、3つの学年(1・2・3学年)のバランスを考えた配置に努めた。
 たとえば3学年を厚くし、1学年を薄く(例=2・3学年に比し、免許外教員や経験の少ない教員を多く配置)すると、確実に「荒れ」のサイクルが生ずる。
 経験的に1学年をやや厚くするくらいのほうがいい。
 中学は1学年経営(含・教科経営)で決まる。

(2)学年主任については経営能力や柔軟な発想、強いリーダーシップを有する人材を配置した。
 本校の教員は――
 ①学年部会
 ②校務分掌(教務・研修・生徒指導・保健等の)部会
 ③領域(道徳・特別活動等の)部会
 ④教科(国語・社会等の)部会と
 ――4つの部会に所属して仕事をする。
 これまでも繰り返しのべてきたことだが、どの部会も、教職員間で、精神の伸びやかなつながりが生まれ、重要な価値が交換され、創造的な仕事ができる環境づくりに努めたい。
 不作為を見て見ぬフリをし、バカ者同士が仲良くやっているような部会ではダメだ。
 賢い者同士が牽制し合っているというのもダメだ。
 教師の組織には結構、こういうのが多い。
 どの部会もこうなってほしくない。
 とりわけ学年部会は、絶対にこうなってほしくないという強い願いを込め、学年のトップの人選を行った。

(3)学級担任の教育力の維持を図るという観点から適切な配置に努めた。
 わたしは中学校の学級担任制がベストだとは考えていない。(もっとはっきりいうと、毎年、やめたい、やめたい……これが日本の中学教育の諸悪の根源だ……と思いながら、ウジウジし、なかなか決断できない。わたしには「学級担任制」をやめる勇気がないのだ。ということで……)
 今年もまた学級担任制を採用することになった。
 採用する以上、生徒や保護者に対して学級担任力は保証しなければならない。
 お試し期間の学級担任などありえない。
 そのため、一昨年は学級担任兼教務主任、昨年は学級担任兼学年主任というカタチをとった。
 幸い今年はこの「兼務」状態を解消することができた上に、一定の学級担任力を維持することができた。

(4)研修主任・生徒指導主任など、分掌主任については、本校の5つの「経営の重点」について――
 ①日本国憲法(含中教審の論議、教育再生会議の論議など)と分掌運営を直結して仕事ができる。
 ②教育史・教育哲学史の中に自らの分掌を位置づけて仕事ができる。
 ――という専門的技量とパワー溢れる(多少の困難があっても力業で道を拓いていける)人材を配置した。


(5)その他
 ①トラブル対応能力については、「焼き」が入っているというレベルまで腕をあげよう。
 下記の記述は、第1次安倍自民大敗後の新聞記事の切り抜きだが、わたしは、文中の「掃除」を「トラブル」と読みかえている。

◇「掃除の下手な大工は仕事もアカン」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さんである。
◇駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。
 掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。(中略)
 掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略)

 ②若い頃、1学年に所属になった。
 その最初の会議で、学年主任が「うちの学年では……」「うちの学年のやり方は……」を連発するので、これからみんなで「うちの学年」をつくるのではないのか……と強烈な違和感をもったことがある。
 組織づくりは、絶対に「0」からの出発でなくてはならない。

★ちなみに、今、「わたしには学級担任制をやめる勇気がない」と述べたが、同じように「部活動はやめたい」が、やめることをおそれている。
 同じように「制服はやめたい」が、やめることをおそれている。
 同じように「修学旅行はやめたい」が、やめることをおそれている。
 今年は、これに正対していくつもりだ。
 1ミリずつでも前進させたい。

★画像=新学期に向けて清掃に精出す子どもたち。


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★当時の自分なりのことばでいえば、日本国憲法に直結し、日本教育史の先端に位置する学級経営・教科経営


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★僕にはできません。青山様の熱意とテクニックに期待します。どうか日本の子どもとセンセを助けてください


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4月6日(土)のつぶやき

2013-04-07 03:30:19 | 僕のモンマルトル日記

★TV放送もラジオ放送もないので、30秒ごとに自動的に更新されるyahook「1球速報」でチェックした。前半、1対0で負けていたけど、数字から、菊池が強気のピッチングをしていることが、はっきりと伝わってきたので「なんか勝てそう……」とは思っていた。


★できれば菊池が登板中に逆転してほしかったが、土壇場8回に同点、9回に逆転。勝利投手=サファテ。セーブ=ウィリアムス。9回のウィリアムスは、1人四球のあと、3者連続空振りの三振。立派だ。去年とは全然、違う。★僕の仕事について……「執念」が不足している……と、猛省。明日から再出発!



4月4日(木)のつぶやき

2013-04-05 02:46:29 | 僕のモンマルトル日記

★昨日、僕の心の状態が絶不調――いつもいっている「ガラガラポン」の「ガラガラ」から「ポン」に至れない――なので、部屋の模様替えをやる。部屋の隅に2つ並べておいてあった音響コーラルFLAT―6Sスピーカーを部屋のメインに据える。過去から霊魂が噴き出し、僕に元気を与えてくれぇぇ~!


★ホンネ。僕は生まれたときからのパ・リーグファン(近鉄&西鉄)なので、今回のこと(国民栄誉賞)は、どこか遠い国の――ま、地球の裏側の島国――の話のように思える。



4月1日(月)のつぶやき

2013-04-02 03:08:00 | 僕のモンマルトル日記

★きょうも僕のカラダは昨日と同じ、ガラガラポンの「ガラガラ」のまま。なんとか「ポン」のカタチにして本日4月1日のスタートを切りたいと思い、昨夜&本日早朝……とブレストを続行したが、やはり「ポン」に至らず……。「ガラガラ」のまま、スタートを切るハメに。


@akanesizuka ★大久野島到着以来、しづかさんの足跡はtwitterのタイムラインに現れず……、大久野島に完全に隠棲・沈潜されたようですね。この画像、ステキです。海辺の植物、海、島影、空……に僕の魂が溶け出してしまいそうです。


★ガラガラに身を投じたのは今のやり方を続けてもどうにもならないという自棄、絶望の判断があったからだ goo.gl/iklpS



★ガラガラに身を投じたのは今のやり方を続けてもどうにもならないという自棄、絶望の判断があったからだ

2013-04-01 19:41:05 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 お馴染みの、あしゅら堂主人からメールが届いた。大阪城公園を散策したようだ
2013
04.01


★〈twitter発言〉
 3月中旬に、これまでの僕の仕事のやり方をいったんバラバラに――ま、いってみればガラガラポンの「ガラガラ」状態に――した。
 ガラガラに身を投じたのは、今のやり方をこのままつづけていても、どうにもならない……という幻滅、自棄、絶望の判断があったからだ。
 同時に、もうひとつ、「ガラガラ」の瓦礫を再構成し、新たな「ポン」に至れるという確信もあったからだ。
 しかし、実際にガラガラに身を置くと、まるで先が見えなくなってしまった。
 苦しんでいる。
 後悔もしている。 
 「ポン」に至るには、これから相当なエネルギーが必要なようだ。〈twitter発言、以上〉

★昨夜、こうやって鬱々としていると、お馴染みの、あしゅら堂主人からメールが届いた。
 桜満開の大阪城公園を散策したようだ。
 ご丁寧に散策ルートを示した画像が添付されている。
 僕をうらやましがらせる魂胆だ。
 トップ画像参照――画像中の「始」マークからスタートし、環状線・森ノ宮駅に至るルートだ。
 僕のうちに既に刻印された大阪城風景と重ね合わせながら、あしゅら堂主人の散策ルートをたどって、内壕と東外壕に囲まれた梅林を抜け、図中「4㎞」の表示を過ぎたあたりだった。
 『失われた時を求めて』の紅茶に浸したマドレーヌの匂いではないが、いきなり半世紀以上も前にタイムスリップした。
 小学生の頃、ここをトボトボと歩いた。
 ここ(大阪砲兵工廠跡地)がGHQに接収され、それが解除され、公園用地として整備が始まった頃だ。
 見渡す限りの――子どもの実感としては歩いても歩いても――廃墟だった。
 ひとりではなかった。
 二人だった。
 だれであったかははっきりしない。
 もしかしたら同級生のあしゅら堂主人だったのかもしれない。


★この画像は、もちろん大阪砲兵工廠跡地ではない。
 東日本大震災後の有家駅付近だ。
 僕の今の心境は、ここを陸中中野駅方向に歩き出したときの気分でもある。

 
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★東日本大震災被災後、僕が気にしていたJR八戸線の有家駅と陸中八木駅は、僕にとって特別な無人駅だ
★5月7日(土)のつぶやき おお、特殊自動閉塞ですかぁ~
★5月5日(木)のつぶやき 乱氏、瓦礫を越えて
★5月2日(月)のつぶやき 「前よりいい町にしてやる」

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