職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

怒濤の教育ライブ。予期した反響も得られないこと、会場のシラァ~とした雰囲気からくるいつもの意気阻喪感

2011-02-28 11:03:31 | Weblog

 

2011
02.28
この「意気阻喪感」は、僕の存在の全否定につながる


★しばらく、HPならびにBlogの更新、twitterへの参加が出来なかった。
 きょうで、ちょうど10日目だ。
 更新しようという気持ちはある。
 アップしたい記事や画像もある。
 にもかかわらず、実際、更新の作業に入ろうとすると、さっきまで「更新するぞ」と思っていた気持ちがどこかに吹っ飛んでしまう。
 その理由が、自分でもよくわかっていない。
 だから、今後のために(ま、僕に「今後」なんかないかもしれないが……いや「ない」だろうけど)思いあたる「理由」を列挙してみる。
 「これは違うかな?」と思うものもあげてみる。
 こうやっているうちに、真の理由に、ま、きょうでなくても、後日いつか、突き当たることがあるかもしれないから。


★〈理由1〉――
 2月の(今年度最後の)「怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居」に向けて、
 →資料づくり
 →体調コントロール(2㎏減量^^;)
 →発表(当日)
 →打ち上げ(→二日酔い)
 自分でいうのもはずかしいのだが、僕の場合、時間的に余裕をもってコツコツとはやらないで、直前になり一気にやる。
 だから、いつも激流を遡上する鮭に似た工程^^;になる。
 この「遡上」の果てに襲ってくる疲労感、そして、予期した反響も得られないこと(会場のシラァ~とした雰囲気)からくる、いつもの意気阻喪「感」(ノ△・。)。

 この「意気阻喪感」は、僕の存在の全否定につながる。
 だから、決して小さくはない。

★〈理由2〉――
 今回は、これと前後して青森出張とか○○展訪問とかが重なり、ムリなスケジュールを組んだ。
 これが堪えた。
 やや、いや、完全に、身体的にも精神的にも「限界超え」。

 10日間の更新空白期の途中に、いったん、「ようやく、二日酔いの不快症状、および、怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居後の意気阻喪状態から脱却した」という記事をblogにアップしたが、もちろん、そのときは自分でも、ホンマにそのように感じたのだが、直後に、再び、失速。

★〈理由3〉――
 実は今年、僕がやること(路線)は既に決まっている。
 前にも書いたように、「(学校・家庭・地域の)教育の情景」の枠の中に限定して「(今年のテーマ=)茫漠の時空間疾駆をやる」。
 ま、七転八倒、千辛万苦の結果、結局、「教育の情景」にもどり、なんだか「お釈迦様の手の上の悟空」の心境。

 無気力の主な原因は、これかもしれない(*^_^*)。

 どうやるか(路線)がわからず、来る日も来る日も悩みつつ、悩みつつ、時空間を疾駆することには慣れている。
 これが、これまでの僕の人生だった。
 が、決まった路線の上を、じっとガマンして、ユルユル、ユルユルと進行していくという耐性ができていない……。

 ただ、この「耐性」では説明できないことがある。
 たまったメール、掲示板、チャット等への怒濤の返信も出来ていないのだ。

 だから、ひょっとすると、たとえば、HP、Blog、twitter、メール、掲示板、チャットを通した人間関係から遠ざかろうとしているとか……。

★〈理由4〉――
 麻生政権時に、(これまでも何度もアップしてきたのだが)「僕の妄想」として、粗く、次のようなシナリオを描いていた。

 第1段階 衆院選 自民VS.民主。自民大敗。
 第2段階 自公連立解消。
 第3段階 安倍晋三復活。
 第4段階 安倍自民と民主右派(民主右派に期待するのはアンポンタンという声もあるが……)連立政権。もちろん、自動的に民主分裂。(僕の妄想骨子、以上)

 昨日、たまたま「産経抄」に次の記述を発見。
 以下、抜粋。
 明後日発売の雑誌『正論』、トップ記事「これが日本再生の救国内閣だ!」。
 保守派の論客50人が「組閣」。
 まず首相だが、安倍晋三氏の「圧勝」である。
 50人中14人に推された。
 安倍政権の「戦後枠組みの見直し」にこそ日本再建を期待しているのだ。
 石原慎太郎氏、平沼赳夫氏らがこれに続いている。……(以下、省略)
 
 考えてみれば、僕の「妄想」も現実味を帯びて、あっと気がついたら、限りなく「第3段階」に近づきつつある。
 しかし、ここからがシンドイ(ノ△・。)。
 民主党内抗争に似た抗争は自民党内にもある。
 また、第2段階の自公切り離し処理も未だ完全ではない。
 このあたりの「シンドサ」に耐え抜くパワーが僕から欠落していることも、現時点の僕の無気力につながっているのかもしれない。

★画像は、出張中の青森で見た光景。
 自転車好きの僕にはつらい光景だ。
 降雪のすさまじさに完全に敗北というところだろうが、しかし、何日間も、このままにして、救出しようとしないなんて、おまえら、自転車に乗る資格がないよ。


★関連記事
安倍縛りを恐れず、安倍晋三氏の強い決意を国民の前に、はっきりと見せつづけることが、縛りを突破するカギ
民主分裂の前に、まず自民が分裂し、自民コアのみで新自民を固める……という格好だが、これは当然だろう
落合「日本シリーズで会いましょう」野村「ムリだよ^^;」落合「だいじょうぶですよ(*^_^*)」
「〈派閥大崩壊〉次の総裁に安倍晋三浮上って!?(週刊文春)」←!(^^)!。週刊誌、がんばれ

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昔、郵便書簡を使っていた。気が向いた時にtweetのように書き、徐々に書き足し、一杯になったら投函

2011-02-25 06:21:10 | Weblog

 

2011
02.25
本日は、郵便書簡的に暮らしてみることにしよう




★昔、郵便書簡(ミニレター)をよく使っていた。

 「郵便書簡」というのは、(念のために、郵便局のHPからコピーすると)「はがきと同じように上部左に郵便料金を表すイラスト(料額印面)が印刷されているため、すぐに送れます。」「書くスペースは、はがきの3倍あります。」「60円です。」

★その「郵便書簡」を、僕がどのように使っていたかというと、その日、気が向いたときに、数行(ちょうどtwitterのtweetひとつ分くらい)書いて、末尾に「午前8時半」などと時間を記入しておく。
 昼頃、また気が向いたら、朝の「つづき」とか、あるいは、まったく新しい話題とかを書き足し、末尾に「昼食のあとで」と記入。
 これをくりかえし、郵便書簡がいっぱいになったら投函。

★何を書いていたのだろうか?
 まったく思い出せないが、こんなふうに郵便書簡を使っていたことと、投函先――以前に紹介した「八木寿則」や「@なら阿修羅」――と、そして、当時、僕が存在してした場所の光景と空気は覚えている。

★今、その日のtweetをまとめて、blog記事としてアップするサービスがあるが、これとよく似ているように思う。

 先日の「怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居」後の意気阻喪状態から脱却(*^_^*)、脱却直後の僕には、郵便書簡的記述法がピッタリなのかもしれない。
 本日は、郵便書簡的に暮らしてみることにする。

★画像は、青森出張の光景。


★関連記事
「またやってしまった」という感じです。安ウィスキーが先だったのか? YouTubeが先だったのか?


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二日酔いの不快症状、および、これと酷似した「怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居」後の意気阻喪状態から脱却

2011-02-25 05:39:54 | Weblog

 

2011
02.25
「怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居」後の意気阻喪状態から脱却




★しばらく、HPならびにBlogの更新、twitterへの参加が出来なかった。
 理由――
 2月の(今年度最後の)「怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居」に向けて、
 →資料づくり
 →体調コントロール(2㎏減量^^;)
 →発表(当日)
 →打ち上げ(→二日酔い)
 →そして、(その直後の)いつものように襲ってくる意気阻喪「感」(ノ△・。)。

 今回は、これに青森出張他も重なっていたので、やや、いや、完全に、身体的+精神的「限界超え」。

 本日、ようやく、二日酔いの不快症状、および、これと酷似した「怒涛の2時間教育ライブ&紙芝居」後の意気阻喪状態から脱却(^_^)v。

 これから、まず、たまったメール、掲示板、チャット等への怒濤の返信(*^_^*)……というところ。

★画像は、青森出張の際、駅前で見た光景。


★関連記事
角瓶ブレスト復刻。知らない自分に出会えたような……、あるいは、閉じこめられている自分を救出したような


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すこやかみなみネットも乱氏の声も、もうこの世にない幻かもしれないと夕日の赤が溶けこむスライドに眺める

2011-02-18 12:37:17 | Weblog
2011
02.18
現実のものなのか、もうこの世にはないものか

★画像は、財団法人高村記念会HPより


★起きがけに、自分のHP記事の下に〈ツイートする〉というボタンをつけてみた^^;。
 ま、たぶん、つけたといっても、結局、ボタンを押すのは自分、「ツイートする」のも自分というハメになると思うが、まずは、どんなものか、ちょっとテストしてみよう(*^_^*)。

 (テスト後)

★〈ツイートする〉ボタン、テスト完了。
 なんや、あんた、今まで知らんかったんか……と笑われそうだが、このボタン、スゴイ(^_^)v。
 僕のHP名「ようこそ!小高進の公式HPへ」は出るし、URLも明記してくれるし……、これで、だれかが、僕の記事から「ツイート」してくれれば最高(^_^)v。

★まずは、自分の記事から、自分でせっせとtweetしよう(*^_^*)。
 けさは、結構、雨音が強い。
 えんぶり組が気の毒だ。(←午前5時半現在)
 昔、初めて全国放送された時、圧雪が溶けた水たまりで太夫が履いていた黒いゴム長に対し「800年の伝統芸能が長靴を履いている」と揶揄されたことを思い出した。



★「すこやかみなみネット」に関する発表や講演のために、夕方、静かになった職員室で、液晶プロジェクターを使い、乱氏とプレゼンテーション用のスライドを点検していたら、スクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになるという作業は、結局、その日だけで終了することができず、次の日の夜も行うことになった。

★紺色を基調にしたスライドに夕陽の赤が差しこみ、スライドのカタチが崩壊する状況を、僕は思わず「壮絶」と形容してしまった。
 教育危機の元凶=「学校の教育独占体制(丸抱え体制)」を改革しようと思うと、相当な困難を乗り越えなければいけない。
 僕には、その「困難さ」が身に染みているのだろうか?^^;
 「壮絶な最期を遂げる」という慣用句に直結してしまった^^;。
 しかし、濃紺色のスライドに夕陽の赤が溶け込む色合いは、見ようによっては、美しい。
 僕に強い影響を与えた小説『夕べの雲』(庄野潤三)。
 ――日の暮れかかる頃に杉林のある谷間で安雄と正次郎の声が聞こえてくる。
 「もう夕御飯なのにいつまで遊んでいる気だ」と腹を立てながら、大浦は二人を呼びに行く。
 そんな時、彼はつい立ち止まって、景色に見入った。
 「ここにこんな谷間があって、日の暮れかかる頃にいつまでも子供たちが帰らないで、声ばかり聞こえていたことを、先でどんなふうに思い出すだろうか」
 すると、彼の目の前で暗くなりかけてゆく谷間がいったい現実のものなのか、もうこの世にはないものを思い出そうとした時に彼の心に浮かぶ幻の景色なのか、分からなくなるのだった。
 そこにひびいている子供の声も、幻の声かもしれなかった。

 すこやかみなみネットも、耳元の乱氏の声も、もうこの世にはない幻かもしれない……と、僕は、夕日の赤が溶けこむスライドに見入る。

★「すこやかみなみネット」を語る場は、2日後の「学社連携・融合担当者連絡会」、1週間後の市の中学校生徒指導担当者会議、どちらも乱氏が担当。
 さらに1週間後の隣町の生涯学習まちづくり大会、これは僕が担当。
 1週間後、2週間後はさておき、2日後に迫った発表会までに、ひっかかる点、また、念には念を入れて語らなければならない点などを総点検しようというわけだ。

★それらの点を列挙する。

(1)学校・家庭・地域が連携・融合・協働して改革する学校部活動問題の進捗状況と今後の方策。
(2)すこやかみなみネットと「八戸型教育コミュニティーづくり」(最近登場した「地域密着教育」とは似て非なる思想)の関係。
(3)学社連携(←ゆるやかな連携)と小・中学校連携(←強い連携)の関係。
(4)すこやかみなみネットの機能とターゲット。
(5)PTAがネットの中核になることの意義。
(6)便宜的に実働部隊と支援部隊に分けていることと、今後の改善の見通し。
(7)PTA役員と一般会員の関係。
(8)荷の軽いターゲット(みんなが取り組みやすい問題)から荷の重いターゲットへの移行が可能か?という問題。
(9)サポータークラブ(ボランティア活動)、親父の会、OB会への期待。(本日は項目だけのアップにとどめる。詳細は後日に。)

 順調に進行していて、二言三言、互いに確認し合えばいい内容と、問題をはらんでいて解決するのに難航が予想される内容とがある。
 (1)の「学校部活動問題の改革」は、もちろん後者だ。



◆きのうは、手近にスクリーンがないので(ま、移動用スクリーンを持ち込めばいいのだけれど、大きくて重くて、めんどう……)、クリーム色に塗られた、出入り口のドアをスクリーン代わりに使った。
 ドアの大きさは2人ブレストにはちょうどいい。
 けれども、2人の教員がドアに映しながらブレストというのが、なんとなくみすぼらしい。
 いい加減な感じもする。
 そこで、画像のようなスクリーンを作製した。
 縦90センチ・横110センチの手作りだ。
 夏休み前に警察署から贈られた、「なんとか宣言」のプレートの裏をスクリーンにして、大型の目玉クリップでついたてに挟んで固定した。


★関連記事
祈 熱い熱いみなみネットの形成! 祈 まだ見ぬ新しいみなみ学区の出現!

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tweetは、消極的なバッターに、ムリムリ、バットを振らせるヒットエンドランのサインに似ている

2011-02-17 12:30:47 | Weblog
2011
02.17
僕を元気にした想念が消滅しないうちにメモ


★昨夜は、ブログの「現在の記事」と、関連する「過去記事」とを読み比べると、「現在の記事」が、どうも見劣りする……(ノ△・。)と、かなり落ちこんだり、かなり動揺したりしていた。
 が、午後9時前にフテ寝し、――午前零時にいったん目を覚まし、時刻を確認し、また、依然、自分が落ちこんでいることを確認し、再び眠り込み――今度、午前3時に目を覚ましたら、すっかり元気になっていた。

 ベットランプをつけ、僕を元気にしている想念を、消滅してしまわないうちにメモ。

〈メモ1〉
・twitterのプロフィールを、最新の自分の心境に即して書き換える。
 〈最新の心境に即したプロフィール〉
 「★朝起きた中学生が「Aセンセの授業が受けたいィ~!」と家を飛び出すような学校づくり。★学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスがとれた教育コミュニティづくり――2つがライフワーク。毎日、教育の情景の中を疾駆しています。」

〈メモ2〉
・もっとドンドン「教育の情景」の中を疾駆しよう! 照れてる場合じゃ、ないよ。

〈メモ3〉
・tweetは、消極的なバッターに、ムリムリ、バットを振らせるヒットエンドランのサインに似て 消極的な僕に、ムリムリ、なにかをつぶやかせる。
 この意味で、僕にとってtwitterは、いい効果をもたらしている。
 しかし、「tweet+tweet+tweet+tweet……=blog記事」というスタイルはやめなくてはいけない。
 「blog記事」になると思うと、tweetに変な力が入ってしまい、僕にとっての「twitter効果」が消滅してしまうからだ。

〈メモ4〉
・最近のblog記事の出だし、例=「朝、僕の中で、丸1日、日付がズレていることに気づく」とか、「朝、起きがけに、近隣の住宅地を抜け、里山に入った」とか、生の自分の記述は大切にしよう。
 こういう記述から、スッと「教育の情景内疾駆」態勢に入ることができる。

★このところ生徒会誌には、年間の式辞の中で、僕の魂がいちばんこもっていると、僕自身が感じる「式辞」を文字化して掲載している。
 昨年は「2学期始業式・式辞のつづき ~魂の置き場所をさがして~」と題して、式辞の続編を書いた。
 式辞の中で「置くべき場所に魂をしっかり据えないと、いい仕事はできません。そこで、わたしは7/21~8/15まで、自分の魂を置く場所をさがしていました。ぎりぎりの8/15になって、やっとみつけることができて喜んでいます」とだけ述べ、「それがどんな場所であるかは、いつか機会があるときに式辞の続編として話すことにします」としてあったからだ。(「場所」=大田村山口の高村光太郎の小屋。)

★今年は2学期の終業式・式辞だ。
 2700字の式辞を1600字に縮めた。
 偶然だが、連続して高村光太郎関連の話になった。



 〈生徒会誌の原稿〉


以前、全校朝会で、ある文化祭バザーの担当者から「この売れ残った本は廃品回収業者に引き取ってもらいます。そのまえに、もし、好きな本があったら持っていってください」と言われて、わたしがその中から、わたしが最も敬愛する詩人(高村光太郎)の、今はもうどこへ行っても手に入らないといわれている幻の詩集を見つけたという話をしました。

 これがその詩集です。
 この詩集は、バザー担当者からすると、その時点では、ほとんどゴミ同然。
 しかし、わたしからすると宝物。
 同じものなのにお金に換算すると100万倍近い差があります。
 全校朝会では、この話をして、「これが世の中なんですよ」とだけ言いました。
 「あとはみなさんで考えてみてほしい……」ということだったんですが、わたしはそのとき口では言わなかったけれども、実は3つのメッセージをこめていました。
 きょうはその3つのメッセージを伝えます。

1つ目のメッセージ。
 この詩集があなただと考えください。
 バザー担当者から「価値がない、役に立たない、ゴミだ」と言われました。
 でも、メゲないでほしい。
 ガックリしないでほしい。
 ああ、わたしはもうダメなんだぁ~と自暴自棄にならないでほしい。
 必ずあなたの価値がわかる人が世の中にはいる、絶対にいる……絶対にいるということを信じて生きていってほしいというメッセージです。

2つ目のメッセージ。
 わたしは10万円だ、100万円だと言い、バザー担当者は1円だと言っているんですが、あなたはどっちに売りますか?……と言われれば、もちろん10万円、100万円のほうに売りますね。
 でも、ひとりぼっちのとき、だれからも声がかからない……そういうときだったらどうでしょうか?
 こういうとき「ああ、もうゴミでもいいや」と自分を安く売らないでほしい。
 世の中にはいろいろな誘惑があります。
 あなたを安くみて、悪いことを誘ってくる人もいます。
 そういう誘惑に負けて、自分を安売りしないでほしい……というメッセージです。

3つ目のメッセージ。
 では、自分の価値はまわりの人で決まるのか?ということです。
 たしかにそういう面もあるが、もちろんそれがすべてではありません。
 やはり自分の価値は自分で高めようとしなければいけません。
 この詩集だって、詩人が自分を高めようと努力した、その結晶です。
 では、自分を高めるための努力ってどういうことなのか?
 これが、4月以来、みなさんに言いつづけている「なりたい自分をデザインして、そのなりたい自分になろう」ということです。
 多少の困難があっても、ピンチがあっても、絶望せず、負けないで「なりたい自分」をめざしてがんばれ! がんばりつづけよう!というメッセージです。

 以上が、あの「文化祭バザーの話」に込めた3つのメッセージです。

この2学期がスタートするとき、プールのそばで、真っ青な空を背景にひまわりの花が最後の力をふりしぼるように咲いていたのがわたしの目に焼きついています。
 あの日から、体育祭、新人戦、文化祭、2学年は修学旅行、3学年は合唱の音楽祭出場もありました。
 そして、もちろん毎日の学習・生徒会活動……と、もう信じられないくらいにいろいろなことがあって、もう信じられないくらいの速さで過ぎていった2学期でした。
 みなさんひとりひとりにとって、また先生方ひとりひとりにとって、「なりたい自分になること」を目指して努力した、充実した2学期だったと思います。

ただし、「なりたい自分」にまだなっていないという人も多いでしょう。
 これは当然です。
 わたしもそうです。
 今年はまだ10日ありますから、「なりたい自分」を目指してぎりぎりまでがんばりましょう。
 そのうえで12/31大晦日に、「なりたい自分」をめざして努力してきたことをふりかえり、この努力は来年もつづけよう、ここは足りなかったから改めようと新年にむけて決意してほしいと思います。
        〈生徒会誌用原稿以上〉

わたしの式辞は入学式でも、卒業式でも、始業式でも、いつも前々日か前日に書くことにしている。
 もちろん、頭の中では「原稿」は既にできかかっているわけだが、式に向かって心魂(こころだま)が充満し、爆発寸前になったところで、一気に書く。
 場合によっては当日ということもある。
 だから、いつも荒っぽい。
 特にこれは「粗い」。。
 しかし、猛烈に思いがこもっている。

★なお、この式辞を書きながら、あるいは語りながら、学生時代に苦しめられたエミール・ラスクの価値論を思い出した。
 「存在に対する妥当の優位」……向妥当するものと向妥当されるもの、照らすものと照らされるものとの合致統一。


★関連記事
高村祭⑤ 高村祭は光太郎がここ(太田村山口)の小屋で独居・農耕自炊した7年間に限定して物語ろう


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「現記事」と「関連記事」をササッと読み比べると、現記事がどうも見劣りするように感じる。困ったことだ

2011-02-16 19:23:30 | Weblog
2011
02.16
「現記事」がどうも見劣りする。で、動揺している(ノ△・。)


★朝、起きがけに、近隣の住宅地を抜け、里山に入った。
 天気予報で気温が上がると報じていたので、雪が溶けてしまわないうちに撮影しておこう……と思ったからだ。
 でも、既に遅かった。
 前に来たときはスノーシューが欲しいくらいだったが、きょうはコースを選べば運動靴で十分。
 雪の下から枯れ草がのぞいている。


















★ブログ記事を書いたあと、記事の中から適当に「単語」を選び、ブログ内検索。
 ひっかかった過去記事から、いくつかピックアップして「関連記事」として掲載している。
 アップ後、両方をササッと読み比べるのだが、現記事がどうも見劣りするように感じる。
 困ったことだ。
 少し動揺している。


★関連記事
いいことがあった。不明になっていた、2003年に関するデータの一部がでてきた。
ああ  南部縦貫鉄道レールバス。今、垂直に遡上する


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☆昔のコーヒーミル☆噂の?せんべい汁パック☆生豆☆KoutaroのCD☆僕作の「手鍋焙煎取説」等送る

2011-02-15 20:02:32 | Weblog
2011
02.15
僕の人生、最後の「仕事」の方向が決まる


★朝、僕の中で、丸1日、日付がズレていることに気づく。
 水曜日だと思っていた。
 日曜日にクロネコ宅急便で奈良の@阿修羅宛に小荷物(☆今は使っていないコーヒーミル ☆噂の?せんべい汁パック ☆コーヒー生豆 ☆KoutaroのCD ☆僕作の「手鍋焙煎取説」等)を送った。
 そのときカウンターの女性担当者が「あさって(火曜日=15日)着きますよ」と言っていた。
 しかし、実際に奈良から「着いたよぉ~、おおきにぃ~」とメールが来たのは、その翌日だった。
 たぶん、ここからズレはじめたのだろう。

 1日、得をした気分だ(*^_^*)。

★このところ、今年1年の、これからの仕事の方向決めについて、一歩前進しては、二、三歩後退して、その「前進」と「過去の考察」との整合性をチェックするという作業をつづけてきた。
 増築に増築を重ねた建築物に似て、自分でも、この部屋の隣がどういう部屋で、いったい、どういう具合につながっているのか? よくわからない部分が、いくつもある。
 整合性があるかないか?
 ムダなアイデアはないか?
 逆に、いいアイデアを葬りさっていないか?
 こういうことをチェックする作業だ。
 整合性がない場合――あるいは、そのときは整合性があったのに思い出せない場合の「思考」というのは、ホンマ、シンドイもんやね(*^_^*)。
 嘘はつきたくない。
 ごまかしたくない。
 しかし、だからといって、僕には既に深める力もないし……(ノ△・。)。

★しかし、行ったり来たりの思考の果てに、なんとか「仕事の方向」が決まった。
 ブログにも書いたが、結論としては、「(学校・家庭・地域の)教育の情景」の枠の中に限定して「(今年のテーマ=)茫漠の時空間疾駆をやる」ということになった。
 結局、「教育の情景」にもどったのだ。
 なんだか「お釈迦様の手の上の悟空」の心境。
 だから、「よ~し!」と、みなぎる意欲というわけにはいかないが、まず、妥当なところに落ち着いたと思っている。
 また「職員室通信」を書きはじめよう……と思ったりしている(*^_^*)。

★教育の情景という枠の中を、気楽に、自由に……とみせかけて、ホンマは必死に「疾駆」して、ひとつの「情景」を見つけ出す。
 例=「夕方、職員室で乱氏とプレゼンテーション用のスライドを点検していたら、スクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる」。
 ただし、これを起点に、即、次の情景につなげていこうとはしない。
 これをやると、また落とし穴が待っている。
 ひとまず、ワンシーンとして保存しておく。
 そして、また別のシーンへと「疾駆」していく。
 そうやって、いくつもいくつもの、できれば、400字詰原稿用紙にして、2000枚くらいのシーンを集めたい。

★シーンの中には短いモノもあるだろうし、現在の「学校の教育独占体制」を招いた原因について「僕」という登場人物が、延々と長台詞をやるというシーンもあるだろう。
 6月の終わりまで、こういうシーン集めをやる。
 これらのシーンを、7月から600字の教育学社で「持続」と「方向」を創りだしていくつもり。

★これ、たぶん、僕の人生、最後の仕事やろね(^_-)。
 部屋の隅の、L字型に並べた、色あせたソファーの曲がり角(開かれた孤独空間)で、壁際の魂の書架に圧迫されながら、がんばりまっせ(^_^)v。

 クロネコヤマトのおかげで一日得をしたこともあり、きょうは、これでやめる。

★画像は、明治図書・Eduブログのランキング。左隅、20位に僕の「600字の教育学」が見える(^_^)v。最近、ちょくちょくと顔を出している。そろそろ卒業式シーズンということで、僕の「卒業式・式辞」がヒットしているからだ。


★関連記事
さらば みなみの風景 「わたしはみなみでこんなふうに生きたんだ」ということを誇りに。
人生の節目に卒業証書が渡せる喜び、及びみなさんを育てた方々と、地域の方々と、共に存在できる喜び
これからの人生、花梨がいっぱい、ホタルがいっぱい、歌声がいっぱいの、このみなみを精神のふるさと、魂の

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「場面設定シナリオ式発声&音読練習案」を提示し、乱氏のクリンチを振りきり、事務室に行くとアキラ主任が

2011-02-14 19:47:59 | Weblog
2011
02.15
教育の情景の枠の中に僕のカラダを被投的投企


★出先から、はなむけ号(折りたたみ自転車)で学校に帰ったら、玄関付近の見晴らしのいい場所で、3年生が記念撮影をしている。

 ああ、ここは、ずっと以前、勤めていた中学校だ……と僕はつぶやいている。

 海の近くの高台。
 海抜54.2メートル。
 港から出漁するイカ釣り船のエンジン音が響いてくる。
 夕陽がきれいだった。(僕の人生では夕陽の美しさ№1=天王寺七坂・源聖寺坂から眺める夕陽、そして№2が、ここだ。)

 玄関にはなむけ号を止めようとしたら、大島写真館の松館さんに「写真に入ってしまいますので」と注意され、急いで折りたたみ、抱え、玄関の中に入れる。
と、玄関で待ちかまえていた乱氏がへばりついてきた。
 教師の発声がなっていない……何を指示しているのか、何を発問しているのかが、よくわからない……これでは教育効果があがるわけがない……急いで対策を立てるように……と言われる。
 僕が、職員朝会のときに短い時間でいいから「発声練習」をセットしようと提案すると、「発声練習というのは、たいてい自己満足で終わってしまうものだ。『語り』の向上にはつながらない」と却下……。
 では「音読練習」をセットしてみようと提案すると「発声練習も音読練習も同じようなものだ。どちらも『語り』につながらない。もっと実践的な案はないか?」と、へばりついてくる。

 うん? 乱氏はこんなに粘着質だったかなぁ~……と横目で乱氏を見ながら、僕はつぶやいている。

 「場面設定シナリオ式発声&音読練習案」を提示して、ようやく乱氏のクリンチを振りきり、事務室に行くと、アキラ主任が「こういう方がお待ちですよ」と名刺を差し出す。
 ○○☆子。
 おお、学校を出て、初めて担任した学級の生徒じゃないか!
 会いたい!
 会いたい!
 会いに行こうとネクタイの結び目を直していたら、職員室内で待ちかまえていた生徒たちが押しかけ、悩みとか勉強の仕方とか、もういろいろと、次から次に質問してくる。

 早く会いたいのだけれども……とあせりつつ、ひとつひとつ質問に答えているところで目が覚める。



★前回の記述の復習――僕だけのための覚書^^;。
 
 「夕方、静かになった職員室で、液晶プロジェクターを使って、乱氏とプレゼンテーション用のスライドを点検していたら、スクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる」――この世界の内側に限定して、(別の言い方をすれば)教育に関する学校・家庭・地域という舞台、あるいは情景の枠の中で、一種の憑依状態で、うわ言のように「教育」を語りつづける。

 これが今年の僕の、いや、僕の人生、最後の生き方だ。

★ただ、ここでひとつ問題がある。
 この「舞台の枠の中」と限定することと、ブログで再三くりかえしている、「今年の僕のテーマ=茫漠の時空間疾駆」との関係をどうとらえるか?という問題だ。

 念のために「僕のテーマ」をくりかえす。
――今年の僕のテーマ=「僕のアイデンティティの横軸(=空間軸=人々との交流)と縦軸(=時間軸=僕の過去・現在・未来)を取り払った「茫漠の時空間」を疾駆する。

★この問題に対して、前回は次のような結論に至っている。

 「疾駆」は、「夕日の赤色が職員室のスクリーンに差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」(「舞台の枠」)の内側に限定する。
 「茫漠の時空間」といっても、決して宇宙、無限の時空間ではない。
「茫漠の時空間」の「時空間」は、「夕日の赤色が職員室のスクリーンに差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」の内側である。

 「茫漠の時空間を疾駆する」と威勢のいいことをいっていたのだけれど、 なんだか「お釈迦様の手の上の孫悟空」に、ちょっと似ている状況。

★この結論でいいのかどうか?
 昨年末から新年にかけての僕の思考と整合性があるのかどうか?
 連休中、チェックしてみた。

 2010/11/30に次のような記述がある。
 ――空間軸上の茫漠、時間軸上の茫漠の中に存在している。
 これは、新しい心境というより、小さな企みを積み重ねてきた結果。
 ただ、このままでは、ほとんど身動きできない。
 「百尺上の竿頭、なお一歩を……」の覚悟に近いところの、あと2、3ミリの「企み」が必要だ。

★「あと2、3ミリの企み」。

 粗くふりかえれば、ここ2ヵ月の思考は、この「2、3ミリの企み」をめぐって、一つは「方向」、一つは「技術」に関するものだったといえる。
 「方向」の結論が、「茫漠の時空間」の「時空間」は、「夕日の赤色が職員室のスクリーンに差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」の内側。
 「技術」の結論が、その時点時点の僕の情景&心情を一即座にアウトプットする「装置の開発」と、疾駆のエネルギーである「エキサイト・プルースト現象の訓練」。(何のことかわからないと思うが、何のことかわからないように――自分だけにわかるように書いている。スンマヘン。)

★画像は、僕のカラダを被投的投企のイメージ 上=『命を賭したヒトの遊び』(酒井健)から・下=『東京・堕天使』(田中秀典)から


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源聖寺坂を通して眺める、大阪の果てに沈む、朱色に揺れる夕陽は、最高だ
チビチビと発泡酒を飲みながらキーボードをカタカタやっていたら、少し酔ってきて、なんだか「時穴」に


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チーム青森は、準決勝で本橋のいるLS北見に勝って、いよいよ中部電力との決勝戦。

2011-02-14 15:24:03 | Weblog
2011
02.14
第28回全農日本カーリング選手権大会 stream中継で観戦

★第28回全農日本カーリング選手権大会(2/8~13)で、4位に転落するかもしれないと思われたチーム青森が、名寄協会とのプレーオフシステム3位vs.4位戦の後半から立ち直ったように、僕には思えた。
 準決勝で本橋のいるLS北見に勝って、いよいよ中部電力との決勝戦。

 北海道カーリング協会のustream中継で観戦。
 カメラは終始ほぼハウス付近固定。
 解説なし。(あったのかもしれないが、僕のPCでは聞くことができなかった。)
 これがよかった。
 カメラが固定されているから、置かれたストーンを凝視し、このストーンとストーンの間を通し、このストーンをはじき出すつもりだろう……と素人なりに楽しむことができた。

 勝敗を分けた、3対3の同点のまま迎えた終盤の第8エンドに、中部電力が3点ゲットする場面は実にスリリングだった。



★中部電力は、正確なショットで円の中心部に3個のストーンを集める。





★これに対して、チーム青森は、山浦麻葉選手が狭いコースを通して、より円の中心に近い位置にストーンを置くショット。



★喜ぶ山浦選手。



★しかし、中部電力は、藤澤五月選手が、最後に、この中央のチーム青森のストーンだけをはじき出す高度なショットを決め、一挙に3点をゲット。



★近江谷杏菜選手「わたしたちもやることはやったが、相手はそれ以上にいいプレー」とコメントするように、スゴク高度な試合だった。
 今後は、中部電力、チーム青森、LS北見、
 名寄協会……その他のチームも加わり、レベルアップしつつ、混戦模様。



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「職員室に夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」の内側の、「点」から「点」を疾駆する

2011-02-11 15:45:08 | Weblog
2011
02.11
昨年末から新年にかけての記述と整合性がとれるのかどうか?





★夕方、静かになった職員室で、液晶プロジェクターを使って、乱氏とプレゼンテーション用のスライドを点検していたら、スクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる――この世界の内側に限定して記述しつづけること。
 これが今年の僕の生き方だ。

 さらにいえば、今年の僕のテーマは、僕のアイデンティティの横軸(=空間軸=人々との交流)と縦軸(=時間軸=僕の過去・現在・未来)を取り払った「茫漠の時空間」を疾駆することだが、「疾駆」は、「夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」の内側に限定するということだ。

★「茫漠の時空間」の疾駆という発想は、僕の人生の大ヒットだ。
 しかし、「職員室に夕日の赤色が差しこみ、スクリーン代わりのドア面は壮絶な色合いになる――世界」の内側に限定しないと、僕はたちまち失速する。
 僕は生きていけない。
 このことに気づいたことも大ヒットだ。

★「夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」の内側の、「点」から「点」を疾駆する。
 そして、点と点の「持続」と「方向」を、新たに創りだしていくのが、部屋の隅の、L字型に並べた、色あせたソファーの曲がり角(開かれた孤独空間)に、壁際の魂の書架に圧迫されながら身を置く、「600字の教育学社」の僕の仕事だ。

 ……これでよいのかどうか? これで昨年末から新年にかけての記述と整合性がとれるのかどうか?
 念のために、2、3日おいてチェックするつもり。

★寒いので閉じこもっていたら「運動不足」が徐々に蓄積。
 寒気が緩んできたので、久々に、一昨日、昨日、今日と3日連続、街を歩く。
 空の青と雪の白の対比は、画像の上では美しいが、吹く風は、寒がりの僕には耐えがたい。
 公園の芝生が顔を出している。
 ここだけはあたたかい。
 春はもうすぐそこだ。 
 1回につき、50分、4キロ、5000歩程度。
 後半、やや汗ばむ。












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大阪国際女子マラソン。彼女と相合い傘で歩いていて近くに雷が落ち、気絶しそうになって抱き合った交差点
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手鍋焙煎の半透明の香ばしい煙に、浮き世の興亡が、あるいは、他の人生の夢が織られていけばいい
バチッバチッが終わりかけると、極弱火にし手鍋をゴトクに置き、お好み焼きのコテでガラガラと混ぜつづける
鶴橋駅には、近鉄鶴橋駅構内・ドトールコーヒーJR鶴橋駅構内・ロッテリアがある。きょうはドトールにいる


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パートナーと経済的不如意を巡り二言三言応酬。ムカムカ。以後、心のなかに重たい石が落ちたように失速する

2011-02-10 04:17:35 | Weblog
2011
02.10
精神のコアと僕の身との最適な距離は1メートル





★睡眠の具合が比較的いい状態で目覚め、張り切っていたのだが、朝、パートナーとのあいだで、(経済的)不如意を巡り、二言三言、応酬。
 こう言えばああ言われ、ああ言えばこう言われ、ムカムカ。
 以後、心のなかに重たい石が落ちたように失速。
 ここ、2、3日で、実験的記述をスタートさせたばかりだったので、失速は残念だが、きょうは仕事上の前進はあきらめる。

 手鍋焙煎のエルサルバドルを超濃く煎れ、静かに呼吸しながら、僕の精神活動拠点の環境について再考することにした。(ま、これはこれで大問題なのだ。)

★部屋の隅の、L字型に並べた、色あせたソファーの曲がり角に、現在、僕の身を置いている。
 ソファーの背後の壁面が、天井までの書架。
 この書架には僕の精神のコアだけを並べている。
 だから、書物の配列は、精神構造そのものといっていい。
 問題は、その「構造」と僕の身との距離だ。
 今は目前というか、もう目元に「構造」が剥きだしになっている。
 いくらなんでも、これでは息苦しい。

★身体を移動させ、どれくらいの距離を取ると圧迫感が消滅するか試してみた。
 1メートルくらいあると、僕の「精神構造」――たとえば『立原道造全集』・『伊東静雄全集』・『詩集 忘魚の歌・風の歌』・『女たちの猪飼野』・『堀辰雄全集』等、さらには、画架に飾った『オフェリアの生還』・『21歳の別離』の表紙に、ピンで止められた「指針メモ」「チャート」=例――「大袈裟&嘘つき&イメージ化」「(ちょっとズラして)しつこくくりかえす」「嘘つき接写」「オチ&批判封印」「一発メタファーの修業」「怒濤の片々&怒濤の細部を川上未映子のように図太く」等々……^^;を、僕自身が、冷静に眺めることができる。
 散らばった僕の破片が、スッと寄り添うように「構造」になるのだ。

★はたして壁から1メートルの距離を取ることができるか?
 「L字」の曲がり角の、ひとつのソファーの肘掛け部分に、小さなテーブルを日曜大工で造り付け、ノートPCを置いている。
 僕の身体は動かせる。
 しかし、このテーブル付きのソファーは簡単には動かせない。
 そこをなんとかするのが模様替えの愉しみなのだけれど……。

 (結論としては、L字の角のソファーは動かせなかった(ノ△・。)。朝のムカムカはほぼ解消。)







★画像は、庭の桜の木の、いつもより、ずいぶん高い枝に止まって「ピィ~ィ~」「ピィ~ィ~」と、(たぶん婚活だろう)鳴いているヒヨドリ小太郎。


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「指針メモ」――大袈裟&イメージ化。嘘つき接写。オチ&批判封印。怒濤の片々を川上未映子のように図太く


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液晶プロジェクターを出入り口のドア面に投写していたら、夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いに

2011-02-08 13:01:35 | Weblog
2011
02.09
僕が、立ち尽くし、断念したポイントというのは、ここのことだ


★夕方、静かになった職員室で、乱氏とプレゼンテーション資料を点検した。
 当日の予行を兼ねて、液晶プロジェクターを使った。
 スクリーン代わりに、出入り口のドア面に投写していたら、夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる。

★このスライドの意味は、粗く、次の通りだ。

 現在の日本は、残念なことに、学校・家庭・地域の教育のバランスが崩れている。
 現状は「学校の教育丸抱え体制」あるいは「学校の教育独占体制」といっていい。
 学校はパンク寸前だ。
 既に本来の教育力が発揮できない状況にある。
 (また、学校が望むと望まざるとにかかわらず、丸抱えしているのだから、結果として)家庭・地域は教育力が発揮できない。
 当然、教育力は低下する一方だ。
 この悪循環が日本の教育危機を招いている。
 教育危機の元凶である。
 逆にいうと、このバランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだ大丈夫だ。
 だから、今、学校・家庭・地域の3者が連携・融合・協働して、「バランスをよくするのだ」という方向をしっかりと確認しながら、子どもの教育に参加・参画できる仕組みをつくりあげていこう――と。

☆乱氏「このスライドが、プレゼン全体のテーマだということはよくわかるのですが、問題は、学校・家庭・地域の3者に、現時点では(事業がスタートしてある程度の時間が経過しているにもかかわらず)『改善されている』という実感がまったくないんですね」
 
☆僕「同感です。『学校の教育丸抱え体制の打破』の本丸は、中学の場合、結局、部活動改革ですよ。これがまったく進んでいない。だがら、語りの流れが、テーマの提示はするものの、何一つ解決されないまま、即、課題という格好になってしまうんですよ」

☆乱氏「それに、『学校の教育丸抱え体制打破』については、教員はある程度理解していると思いますが、他の人たちの反応は冷ややかですね。」

☆ 僕「冷ややかには二つあると思う。一つは、『丸抱え』でいいという意見。もう一つは、教員が好きこのんで『丸抱え』しているんじゃないかという意見」

 乱氏「アッハハハハハハ(^_^)v」
 僕「日暮れて道遠し(ノ△・。)」

☆乱氏「今回の発表は、各事業とテーマの関連を明確にしながら進めてみましょうか? ただ、そうなると時間配分がね……」

 今回の発表者は乱氏だ。
 発表の日時が迫っている。
 だから、この話の結論を急いでいるようだ。

☆僕「ただ、その関連で『部活動問題』を正面から取りあげると、学校部活動体制維持派と改革派の関係が険悪になって、ネットワークが一気に崩壊するかもしれません……」

★僕が、これまでの行程(ネットワークの形成)とこれからの行程(学校部活動問題の解決)とを比較し、立ち尽くし、断念したポイントというのは、ここのことだ。
 また(くどいようだが)、直前のHP更新で「大至急、すこやかみなみネットの再点検、再考察に入らなければならない」としたのも、ここのことだ。


★関連記事
「教師と保護者、地域の合意が必要」と「だれかに背中を押してもらおうという魂胆」とはほとんど同じ意味


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夕方、静かになった職員室で乱氏とプレゼンテーション資料を点検。○○市学社連携・融合事業担当者等連絡会

2011-02-07 20:37:44 | Weblog
2011
02.08
コントロールパネル→復元センターで「過去のポイント」を探る










★パソコンが不調に陥ったとき、僕らはよく「コントロールパネル」→「バックアップと復元センター」……とたどり、正常だった過去のポイントに戻るという操作を行う。

 これと同じ要領だ。
 僕の「過去のポイント」を探ろう。

★登山をしていて、あまりに苦しいので立ち止まる。
 汗を拭き拭き、背後を振り返る。
 と、遙か眼下に、青く霞んだ街が見える。
 「おお! 僕は、こんなに登ったのだ」と感激する。
 しかし、同時に、前方を仰いだら、さらに遙か天海に巨大な尾根が覆い被さっている。

 結局、僕は、ここで、これまでの行程とこれからの行程を比較し、立ち尽くし、断念する……というポイントが過去にあった。

 そのポイントに帰ろう。
 といっても、「そのポイントからやり直そう」というような威勢のいい話ではない。

 消去法で選択していくと、そのポイントしかないのだ^^;。

 険しい登山道で「立ち尽くす」直前のHP更新の記述が「大至急、すこやかみなみネットの再点検、再考察に入らなければならない」だった。

◆あちこちで「すこやかみなみネット」について語る約束をしている。
 いちばん近いところでは、○月○日(月)午後3時から○○センターで開催される○○市学社連携・融合事業担当者等連絡会での発表。
 これは乱氏が語ることになっている。

 「大至急……」という記述は、その(乱氏が語る「連絡会」の)前に、どうしても再考察しなければならないことがある……という意味だ。

 夕方、静かになった職員室で、乱氏とプレゼンテーション資料を点検した。
 当日の予行を兼ねて、液晶プロジェクターを使った。
 スクリーン代わりに、出入り口のドア面に投写していたら、夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる。



★関連記事
ジアース教育新社から、わたしがその一部を執筆した『学校支援地域本部実践事例Navi』が発刊された。
みなみ小学校・図書室を会場に、すこやかみなみネット地域情報交換会が開かれた


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「説明的解説的分析的記述」と「全体的直観的直感的記述」のバランスが崩れたところで、僕は失速する

2011-02-07 06:09:46 | Weblog
2011
02.07
1月いっぱい「自己改造^^;」のためにとじこもっていましたよ




★おっさん、先日は「せつぶんまめ」「まるかぶり寿司」等、節分画像、ありがとうございました。
 おっさんのブログはいつもチェックし、おっさんが元気なときは、僕も元気になり、おっさんが落ちこんでいるときは、僕も落ち込み……と、(もう長い長い付き合いなので)一心同体のように反応しているのですが、自分のBBSはまったくの放置状態で発見が遅れてしまいました。
 ホンマ、スンマヘン。

 こちら、新年の1月いっぱい、「自己改造^^;」のために、ずっと自分のうちにとじこもっていました。
 これまで、何度も何度も「改造」をやってきたわけですが、今回は、もう、ホンマ、人生、最後の、崖っぷち「改造」でんなぁ~(ノ△・。)。
 もう少しして「(最後の)改造」が終了したら、また、バンバン、おっさんの画像掲示板にもアップさせてもらいます。

 おっさんの最近のブログに「体力維持にも もう少し野菜をたくさん食べる事を心がけて バランス良い食生活をせな アカンわぁ」とありますが、ホンマですね。
 僕も、野菜は、ついつい、お好み焼きのキャベツに頼ってしまうところがありますからね(*^^*)。

 おっさん、くれぐれもお身体、大切に。
 水分もきちんととってくださいね。(おっさんへの「返信」以上)

★今、おっさんへの返信の中に、僕が書いている「自己改造」というのは、先日の記述でも触れたように、僕が疾駆中に、具体的なA点からB点に移動するとき「行き止まり」に阻まれ、失速してしまうことに対する「対策」のことだ。

 失速の原因は、コンパクトにいってしまうと、「A点」から「移動プロセス」を経て「B点」に至る「僕」を、一即座に掴み、コンパクトにアウトプットする、メタファー的一発芸の力が、僕にはまったくといっていいくらい欠落しているからだ。

 疾駆中、僕の場合、どうしても、説明的、解説的(今もそうだが……)分析的記述が先行し、情景を含む全体的、直観的、直感的記述が少なくなる――場合によっては、まったくなくなる傾向にある。
 この「説明的解説的分析的記述」と「全体的直観的直感的記述」のバランスが大きく崩れたところで、僕は失速する。

 こんなふうに原因は突きとめたが、「対策」はというと、ま、一応は立てたのだが、こういうものは「対策」を立てたからといって、すぐうまくいくものではない。

 2月いっぱいかけて試運転するつもりだ。

★A点の僕とは? 移動プロセスの僕とは? B点の僕とは? こういう説明は一切、省略。説明しようとすると、また、僕の悪いクセ、説明的解説的分析的記述に陥るからだ。また、あした、がんばる。等身大の僕から再出発。

★画像は僕の庭に棲息するヒヨドリ小太郎だ。
 こんなに狭い、いわゆる猫の額のような庭に、棲息してくれていることに感謝している。
 ただ、ちょっと気になることがある。
 小太郎のパートナーのことだ。
 去年は、しばらく「華」といっしょにいて、ケンカ別れをして、次に「みなみ」とペアになった。
 「みなみ」は、ふっくらとした、上品な、やさしそうなヒヨドリだった。
 ところが、昨年の夏に、小太郎も「みなみ」も、いったん姿を消して、秋の終わりにやってきたときには「みなみ」の姿はなかった。
 そのうちに現れるのだろうと思っていたが、姿を見せない。
 小太郎が毎年、大きく成長していくのはうれしいが、「みなみ」のいないのが少しさびしい。
 僕は、ヒヨドリの生態に「疎い」ので、なんともいえないが、ヒヨドリというのはパートナーをちょくちょく交換するのだろうか? それとも、一節には海を渡って移動するともいうから、その途中で「みなみ」は没したのだろうか?












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庭に生息するヒヨドリ。向かって左が華、右が小太郎です。華、小太郎、2羽いっしょに撮影というのは、今回

・ヒヨドリ小太郎は婚活中。以前、紹介した「華」にはふられた模様。窓際でずっとビ~~ッ!ピ~~ッ!と

婚活中だったヒヨドリ・小太郎の、夢もうつつも一直線、涙ぐましい努力が実り、みなみとめでたくゴールイン



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「指針メモ」――大袈裟&イメージ化。嘘つき接写。オチ&批判封印。怒濤の片々を川上未映子のように図太く

2011-02-05 15:56:39 | Weblog
2011
02.05
「絵がいっぱい」夜明けの障子には創造の神様が宿っている


★僕のアイデンティティの横軸(=水平軸=空間軸=人々との交流)と、縦軸(=垂直軸=時間軸=僕の過去・現在・未来)、この両軸、並びに、両軸が内包する細かな枠組みを取り払った「茫漠の時空間」を疾駆するというのが今年のテーマだ。
 ただ、疾駆中、具体的なA点からB点に移動するとき、絶えず「行き止まり」に阻まれて、苦しんでいる。

★で、昨夜、「行き止まり」をクリアーできない原因について、七転八倒、百考千思の結果、具体的なA点ないしはB点の、僕を含む「情景」と僕の「心情」を、一即座に掴み、コンパクトにアウトプットする、いってみれば、1、2行のメタファー的一発芸が欠落しているからだろう……という結論に至った。
 念のためにいえば、1、2行のメタファー的一発芸がやれないのは、全体的直観的直感的総計(=「情景」)と分析的総計とのバランスが大きく後者に傾いているからだ。











★いちばん先に手をつけなければいけないのが、精神拠点の直観的直感的メタファーの創出なのだが、ただ、いきなり「1、2行のメタファー的一発芸」はムリ。
 まず、メタファーの粒を列挙。
 例=夕暮れの空。
 肉屋。
 魚屋。
 スーパーマーケット。
 花屋。
 居酒屋。
 直売センター……。
 これらの粒を組み立てて「1、2行のメタファー」を形成するわけだが、ま、「形成」はあまり意識しないで、まず、10tweet(140字×10=1400字)くらいで、身の周りの粒を列挙。

★部屋の隅の、L字型に並べた、色あせたソファー。
 既に長い年数を経て、何度も戦力外通告を受けている。
 戦力外通告を受けながらも、廃棄も、張り替えもまぬかれたのは、このソファーに座っては去っていった過去の人々の、恩讐が宿つているからだろう。
 このソファーは、僕の精神拠点のメタファーの核かもしれない。

★その「L字」の曲がり角の、ひとつのソファーの肘掛け部分に、日曜大工で造り付けた小さなテーブル。
 この上にノートPCを置いている。
 肘掛けの2倍くらいのスペースだから、PCだけでいっぱい。
 残りはマウスのスペースだけ。
 このテーブルが僕の精神活動の拠点。
 現在は室内ラン。
 近日中にWiMAXに切り換える予定。

★L字型ソファーの背後の壁面。
 天井まで書架&書物が並んでいる。
 昨年、古書店DAKA閉鎖に伴い、放出された古書の一部だ。
 一部ではあるが、僕の精神のコアだけを選りすぐった。
 古書及び「古書の配列」は、僕の精神構造だ。
 間近に、目元に、精神構造の「地層」があると、圧迫感はあるが、これは仕方がない。
 正面から引き受ける義務があると感じている。 

★選りすぐった古書は僕の精神のコアといったが、別の言い方をすれば、僕の心の強制震動源だ。
 堀辰雄もそうだ。
 堀全集は、ご丁寧に、筑摩版と角川版がそろって並んでいる。

★『立原道造全集』『伊東静雄全集』『詩集 忘魚の歌・風の歌』『女たちの猪飼野』『風の旅人』等の背表紙の前に、ミニ画架が二つ。
 画架には『オフェリアの生還』、『21歳の別離』が飾ってある。
 オフェリアたちにはスマナイが、この表紙が掲示板代わりになっていて、ピンで何枚かのカードを止めている。

★ピンで止められたカードは、いわば「指針メモ」「チャート」だ。
 メモの内容例――
 「大袈裟&嘘つき&イメージ化」
 「(ちょっとズラして)しつこくくりかえす」
 「嘘つき接写」
 「オチ&批判封印」
 「一発メタファーの修業」
 「怒濤の片々&怒濤の細部を川上未映子のように図太く」等々……^^;

★書物と書物の間に、外付けDVDディスク、外付けMOディスク、PCスピーカー等が埋め込まれている。
 これらは、L字型の曲がり角のPCにいつでも接続できる。
 PCとPCスピーカーを接続して、インターネットラジオでよく聴くのは、Classicjazz-JAZZRADIO.com&Pianojazz-JAZZRADIO.com。

★描写とは内容空疎な引きのばしにすぎない。あくまで「イマージュ」を置くこと――

 外付けDVDディスク、ミニ画架等のほかに書架にあるモノ追加。
 信貴山朝護孫子寺の参道を出た、すぐの所にある土産物店で買った張り子の寅一匹。
 CD1枚(モーツァルト・ピアノ協奏曲第20番ニ短調)。
 チョークホルダー4本(元は白墨と同じ色だったが、現在は濃く黄ばんでいる)。

★部屋の隅に、L字型に並べた、色あせたソファーの背後――「L」の縦棒の背後は、今いったように書架、「L」の横棒の背後は障子(←貧困な描写力を悲しむ(ノ△・。))。
 昔、2歳の光太郎が、障子に映る、朝の木々、飛ぶ小鳥たちの影を指さし「絵がいっぱいあるね」と微笑んだことがある。
 その「絵がいっぱいあるね」が忘れられない。
 引き明けの障子には創造の神様が宿っている。

★L字のソファーの反対側にFF式のストーブ。
 赤い炎。
 ホンマは、薪ストーブとか暖炉がいいと思うのだが、ま、ボタン1つで一日中、希望の室温を保ってくれる便利さ、くわえて、薪ストーブ等と比較したところの、圧倒的な安価さから、ずっとFF式を使っている。
 他にアップライトのピアノ。
 造りつけの白い戸棚。

★追加。
 あまりスイッチの入らないTV。
 リモコンでON――NHK「いのちの電話」~この1本の電話の行動が今、あなたと私がつながっている~「2011電話相談員募集」相談員コメント「重い問題を聞いたとき、誰かに話さないと眠れません」
 「新燃岳 活発な活動続く」
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