WALKER’S 

歩く男の日日

23日目 (2) マンホールに子規の句

2008-07-31 | 08年四国の旅
 太山寺は二の門から本堂までかなりの距離がある。そしてかなり登らなければならない。普通にお参りするだけでも20分を要する。でもまだ10時過ぎ、今日歩く距離はあと18kmだからかなり休憩できる。靴の中はびしょびしょ、でもまだ雨は降り続いているから新しい靴下に履き替えることはできない。前に痛い思いもしたので、とてもその勇気は出ない、でも足は冷え切ってすごく気持ちが悪い、また濡れた靴下を履くかと思うと気持ちも萎える。動かないと寒い、風も強くなってきたようだ。30分の休憩で足は乾くけど、いくら絞ったところで靴下が乾くわけはない。そのまま履くと足がしびれたような感じですごく歩きにくい。久々に違和感をたっぷり感じながらの出足になる。歩き始めの数分はとても普通の状態ではない。我慢しながら何とか2km先の円明寺まで辿り着く、当然のごとく1分の遅れ、この状態で雨の中では納得するしかないところです。
 円明寺でお参りを済ませる頃には靴の中が暖まってきた、水分はたっぷり残っているものの違和感はほとんどなく歩きやすくなっている。円明寺を出て1km、ローソンで昼食を買う、気分はだいぶ良くなってきた。円明寺を出ると、昨年は11km先の北条郵便局まで休憩をとらなかったけど、今年は、雨も降っているし時間も充分あるし昼食もとらねばならないので、光洋台駅で休むことにする。5kmぐらい先になる。 光洋台では18分の休憩、まだ雨が止む気配はない。光洋台からは、JRの東を走る国道バイパスを行く、西側の国道196号は遍路道だけどすごく歩きにくい。数メートルおきに絶えず歩道の段差があってものすごい負荷がかかってくる。何度歩いても慣れないし、精神的にもダメージを受けるので、昨年からバイパスを行くようになった。バイパスの歩道は広く段差もないし距離も全く変わらないのでいいことずくめだったけれど、今回はそうでもなかった。バイパスは吹きさらしだった、風が強くなってきて傘がつぶれそうになる、まだ日程は3分の1も残っているからここで傘を壊されてはたまらない。傘をたたむ、本当ならここで合羽の出番だけれど、風の強さの割に雨量は大したことがない、かなり細くまばらな感じなので、濡れながら歩くことにする。合羽を着ても内側からこれくらいは濡れてしまうことだろう、それなら合羽を乾かしたりたたんだりする手間を避けるのが賢明というものだ。でも風はすごい、北条の海は「風早の海」と言われるそうだ。本当にそのままではないか。泣きそうになりながらなんとか6kmのみちのりを耐えきる。タイムはそれでも昨年と同じだった、これだけの向かい風でタイムが出るというのはすごく意外、そういえば昨年はすごく暑かった。暑さでタイムが出ないというのは今年痛感していることのひとつだ。北条郵便局にたどり着いたものの今日は土曜日、中で休むことはできない。唯一雨が避けられる電話ボックスに飛び込む、暖かい、充分一息着ける。ついでに宿の予約を入れようとしたけど、またカードは使えない状態だった。
 電話ボックスで18分の休憩、残り4.5km、最後の山越えに向かう。山越えの道に写真のマンホールがある。ちなみに粟井坂はこの坂ではなくて、光洋台駅の近くの旧北条市と松山市の境にある坂道だそうです。
 濡れ鼠でコスタブランカに到着したのは2時半、これ以上遅くなるのは耐えられなかった。コスタブランカは昨年に続いて2回目の投宿。料理は美味いし、値段は安いし、女将さんの気遣いも嬉しい最高の遍路宿の一つです。2階は喫茶レストランで3階が宿になっている。今日は喫茶店がお休みで、到着したときのアイスコーヒーのサービスがなくて残念、でも部屋にはコーヒーのセットが用意してあった。寒いので当然ホットコーヒー。部屋は洋室でベッドが二つ、もちろん一人で入る。使わないベッドが物置になるので狭いという感じはしない。風呂は自分で入れるシステム、この値段だからそれくらいのことはしないと。同宿の人は何人かいたけどお遍路はぼくだけのようだった。
 2食付き5000円、洗濯200円、乾燥機100円。

 23日目の歩行距離 35.3km
        歩行時間 5時間31分
        平均時速 6.40km

23日目 (1) 太山寺

2008-07-30 | 08年四国の旅
 昨日の夕方から降り始めた雨が、夜明けになっても激しく降り続いている、今日は一日中雨の予報だ。5日目の雨だけど、今までの雨はいずれも2時間以内の雨だった。今日は一番厳しいことになるかもしれない。今日歩く距離は35km、6時45分に宿を出る、電車で久米駅まで戻るつもりだったけど、電車賃がもったいないので、ここから歩いて50番札所繁多寺に向かうことにする、久米駅から歩くよりも3kmも長いので楽したことにはならない。雨足は7日目や18日目の時よりは弱い、でも1日中となるとどうなるか。繁多寺までの4.7kmは初めて歩くのでびくびくもの、でも何とか迷わず行くことができる。しかも時速は6.4km。ちょっと意外なくらいの速さだった。
 石手寺までの2.6kmも今までの同タイムで到着、風さえなければ傘をさしているハンデはあまりない、むしろ日差しがなくて涼しいので調子よく歩けることの方が多いかもしれない。石手寺手前の県道40号は道幅が狭く歩道もないので最も歩きにくい道の一つだけど、今日は土曜日なので車が少なく比較的歩きやすかった。石手寺の山門では記念撮影の準備中、ここは松山観光の目玉の一つでもあるから、お遍路以外の観光客でいつもにぎわっている。歩き始めて1時間半、そろそろ靴の中がしめってきた。雨の中ではゆっくり休めないので、15分で出発。石手寺から道後温泉までは二通りの道があって、今まではずっと県道187号を歩いたけれど、今回は初めて山越えの道を行くつもりだった。でもその入り口の所へ行くと、数日前からこの山道は工事中で通行不能になっていました。諦めていつもの道を行く。
 道後温泉から太山寺への道は大きく分けて3通りの道がある、このうち「乙」と「丙」の道は歩いたけれど、道後温泉からすぐ北へ向かう「甲」の道は歩いていなかった。山越えになるのでてっきり遠回りの道だと思っていた。でも今回はそれを知りつつ敢えてこの道を行く、知らない道をできるだけ少なくしたい。この道への入り口は、地図では細かくて判りにくいのでどうなるかと思ったけど、何とか迷わず間違わず大通りまで出ることができた、要所に遍路シールも貼ってあったので安心しながら歩ける。そして山越えと思っていた道も、広い県道がそのピークまで行っているので大した坂道ではなかった。山越えという感じでは全然なかった。県道には広い歩道もあるし、県道を離れるピークからの道も静かで歩きやすい。国道196号に合流、いつもの道だけど、県道40号を直進、ここも初めての道になる。県道184号との交差点に遍路石が確かにあった。ここは確かに遍路道、初めて歩く遍路道、雨が降ってる遍路道。
 踏切を渡ると、突き当たりの諸山積神社から完全装備のお遍路が出てくるところ、この神社は番外霊場でもゆかりの地でもない。番外霊場は88霊場、別格20霊場以外の霊場、100ヶ所以上ある。以前番外も全部巡っているという人に会った、多くは遍路道沿いにあるけれど、別格のように道を大きく外れた所にある霊場もあるので、全部お参りしたらどれくらいの時間がかかるのだろうと、びっくりしたことがある。そして、それ以外の神社をも巡るとは、きりがないという感じがする、でも本当の信心とはそういうものかもしれない。
 太山寺の山門(二の門)まで97分かかった。昨年一昨年より3分遅いだけだった。大した遠回りではなかった。乙、丙の道より歩きやすいのでもう一度歩いてもいいかなと思う。

22日目 (2) 松山中学校

2008-07-29 | 08年四国の旅
 浄瑠璃寺には冷水器が設置してある、喉を潤してしばし休憩、この時間来るのは初めてだけど、境内はすごく静か。900m先の八坂寺には9分で到着、もちろん同タイム、この距離ではこれ以上速く歩くことはできない。駐車場の横のベンチで5人の歩きと思われる人が食事をしている。今12時15分前、大宝寺の近くの宿からだとすれば、かなりいいペースで来ている、道後温泉まではあと13km、余裕でくつろいでいる感じだ。ぼくは休憩なしでまた900m先の別格9番文珠院に向かう、ため池の土手を逆打ちの人が歩いている、今日中に三坂峠を登れるのだろうか。と思っていたらあっという間に文珠院に到着、いつものようにニャンコが出迎えてくれる。納経所は髭の住職、ありがとうございました、と言うと「ありがとう」と返してくれた。これくらいの年齢になると、それくらいの余裕は出てくるということなのでしょう。納経所の前で荷物を整理していたらニャンコが納経所の中へ入っていく、すぐ奥さんが餌を持って出てきた、催促に行ったようだ、大師堂の下で3匹仲良く食事を始める。文珠院から48番西林寺までの3.5kmはどういうことか1分の遅れ、ここに来て疲れが溜まってきたのかもしれない、例年は朝の早い時間ということもあるのかもしれない。西林寺では若い男の人が休んでいた、荷物の大きさからして野宿遍路だろう、隣のベンチで休んだら向こうから声をかけてくれた「歩きですか」、はい、6回目で初めての108ヶ所です、と答える。彼は逆打ちの区切りで108ヶ所を巡っているそうです、3回目の今回は明日までということでした。三坂峠は明日になるから、今回は久万高原までということか。昨日は道後温泉に入ったけど、温泉ぐらいでは足の痛みは取れないと、盛んにふくらはぎをマッサージしている。5本指ソックスを履いている。荷物の重さを聞くと、テントは持たず、寝袋だけなので10kgぐらいという、賢明だけどそれでもかなりの負担になるようだ。やはり、これだけの距離を歩き続けようと思えば、ガイドブックのアドバイスを素直に受け入れて5kg以下の荷物にすべきということなのでしょう。「今日はどこまでですか」と聞かれたので、「次の浄土寺までです、あとは電車で松山市駅まで行って、坂の上の雲ミュージアムを見学するのです」と答える。司馬遼太郎の「坂の上の雲」については全く知らないようだった。
 浄土寺までは2年前から遍路道を行かず県道40号を直進している、少し近道になるし、遍路道の方は歩道がなくて道が細くしかも通勤の時間で車の往来が激しくすごく歩きにくいところがあった。この3kmも昨年より1分遅れ、やはり午前と午後の歩きは違うということか。1時46分に到着、お参りを終えて休みなしで近くの伊予鉄久米駅へ向かう。ここから電車で松山市駅まで行く、乗り物は使うけれど、また明日ここまで電車で戻ってくるので歩きはつながっていく。駅前のカプセルホテルが今日の宿になるけど、まだ2時17分、予定通り坂の上の雲ミュージアムへ向かう。ミュージアムは駅から1.4km、県庁のすぐ東側、城山の麓にある。県庁と市役所に挟まれたNTT四国の建物の前にある記念碑が目に留まる、「坊ちゃん」ゆかりの松山中学校がここにあった。坊ちゃん、ではなく夏目漱石が毎日ここに通っていた。

 22日目の歩行距離 34.4km
        歩行時間 5時間43分
        平均時速 6.02km

22日目 (1) 浄瑠璃寺

2008-07-28 | 08年四国の旅
 昨日まで3日間晴天が続いたけれど、今日は曇り空の出足、夕方から雨の予報が出ている。いよいよ松山へ下りていく。昨日より歩く距離は多いけれど登りの道は少ない、トンネルから大宝寺への山道は初めて逆向きに歩く。順打ちの時の印象では登りが7割以上だったので、逆だと登りは3割以下になると甘く考えていたけれど、記憶は本当に曖昧なものでした、半分以上登らねばならなかった、そして下りも足場が悪く楽な行程では全然なかった。大宝寺までの平均時速は5.7km、納得できる速さです。大宝寺では10分ちょっとの休憩、疲れていないし、ちょっと寒い。8時3分に出発、次の休憩地は三坂峠の2kmほど手前のレストパーク明神。この区間は昨年向かい風で記録が出なかったので、何とか同タイムを目指したい。大宝寺を出て久万川に架かる橋を渡ったところでバイク遍路が杖を落とした、30mほど行きすぎて戻ってくる、幼稚園児を見送りに来ているお母さんたちがそれを見ている、本人はすごく恥ずかしいだろうな、でもバイク遍路に杖というのがそもそもおかしい。バイクに乗っているのにお大師さんに同行してもらうというのはいかにも厚かましい感じがする。
 昨年、一昨年にお世話になった民宿一里木の前を通過、例年この向かいにあるサンクスで食料を仕入れるけれど、一昨日買った食料がまだ残っているのでそのまま通過。ここから明神までの4.7kmがタイムチェック。100m以上登っているのに2年前は時速6.4kmで歩いた。例年午後からの歩きになるけど、今年はまだ8時過ぎ、しかも日差しはなく、向かい風でもない。ちょっと意識して元気を振り絞りつつ歩く。一部新しい歩道ができているところもあって、例年より歩きやすい感じがする。明神の東屋が見えてくるあたりから坂がきつくなってくる、最後の追い込みが掛けにくい、でも何とか同タイムで到着。これ以上の速さで歩くのは絶対無理だろう。休む前に東屋の横にあるボックスで宿の予約を入れる、2日後の宿は西条市の敷島旅館、4回目の投宿、500円安い2階の部屋をお願いする。3日後の宿は同じく西条市のビジネス旅館小松、こちらも4回目の投宿、今まではずっと素泊まりだったけれど今回初めて食事付きで泊まる、朝が早いので夕食だけでお願いする。伊予の宿の予約もあと1軒を残すのみ、讃岐の宿を含めても予約はあと7軒だ。
 パンを一つ食べて35分たっぷり休む。そしていよいよ三坂峠を目指す。三坂峠からの下りは、下り道としては第一の難所だ。最初の方は普通の山道で、下りということもあってテンポよく下ることができるけれど、後半になるとコンクリートで舗装されたものすごく急な坂道が続く、最初この道に来たときまともに下れなかった、何度も立ち止まったり、後ろ向きに歩いたりした。この坂ほど膝に負担を感じる下り道はなかった。2回目以降は、ある程度の覚悟もあり、膝の鍛練も積んで挑んだので、さほどではなくなったけど、でも相当きついことに変わりはなく、最も苦手な坂道であることには違いない。6回目の今回もやはりきつかった、立ち止まることはなかったけれど、膝にぐんぐん圧力がかかっている、思うような速さで下ることはできない、ぎこちない、我慢の歩きだ。下りは40分以上続く、この坂を逆打ちしようとする人の気が知れない。2時間以上の急な登り坂になるだろう、焼山寺より、鶴林寺より、横峰寺より、雲辺寺より厳しいに登りになることは明らかだ。てなことを考えている内に何とか下界に下りてきた、網掛け石の前のベンチで若い男の人が休んでいる、昨日岩屋寺の手前の山道ですれ違った人だ。今日は大宝寺の近くの宿から出発したはずだから標準的なペースかもしれない。道後温泉まではあと16km、札所は6つもあるけれど無理な距離ではない。まだ11時前だ。
 平地になってからは順調で46番浄瑠璃寺には今までの最高タイムで着いた。今までは1日の最後の行程で、門前の長珍屋に泊まっていたのに対し今回は1日の中頃の行程で疲れが溜まっていないためと思われる。11時20分、明神からは時速6kmで来たことになる。曇っていたことも大きかったかもしれない、今日は49番浄土寺までのあと9kmほどだ。

21日目 (2) 岩屋寺の石清水

2008-07-27 | 08年四国の旅
 早めの昼食をとって、そろそろ出発しようかと思っていたら、夫婦の歩き遍路がやってきた。おかしい、ここまでで追い抜いた覚えがない。真弓トンネルの手前の短絡路をはずしたのだろうか。時間の余裕があるので、遍路宿情報を渡していろんな話を伺った。今日は当然小田町からで、古岩屋荘までの31kmくらい、岩屋寺まで行かなければ26km、今11時だから岩屋寺まで行けるか微妙なところ。昨日は内子の松乃屋旅館からの20kmくらいでかなり楽ができたそうです。今回は64番前神寺までの区切り打ち、できるだけ宿坊に泊まりたいと言うので、仙遊寺の宿坊を推薦しました。大宝寺の宿坊は団体しか泊まれなくて残念、立江寺の宿坊が清潔感があって好感が持てたということでした。宿坊の中で最も人気の高い金剛頂寺には泊まらなかったそうです、残念。お話につきあって、50分も休んでしまった、でも時間はまだまだ余裕がある。
 次の休憩地は10km以上先の素鵞神社、ここまでは地図を見る限り大した登りはないようだ。落合の交差点を過ぎてしばらく行くとビジネスホテルリバーサイド富士があった。廃業していた。この道を通るお遍路はかなり少ないと思われる。そこから1.5kmほど行くと三叉路があっていい感じのバス停があったので休憩することにする。素鵞神社まで半分も来ていないけれど岩屋寺までは9kmちょっとだ。15分の休憩で出発、500mで左に折れて県道209号に入る。道路標識に、槇の谷遍路道、の表示がある。昔の人は歩かなかったけれど、ここは確かに遍路道、新しくできた遍路道、人も車も通らない広く静かな遍路道。日の出橋を右に折れるとここはいかにも遍路道という感じだ、山の中に入ろうかというところに素鵞神社がひっそりと建っている。本格的な山道を前に17分の休憩。
 八丁坂茶屋跡まで180mの標高差、距離が1.6kmあるので八丁坂よりかなり楽な登りになると期待したけれど、そうでもなかった。途中伐採されて地肌が広大にあらわになって登りにくく雰囲気のない山道もあった。茶屋跡の合流地点まで29分、時速は3.3km、岩屋寺までも31分、時速3.7km、本格的な山道となるとこれくらいしか出ない。

 21日目の歩行距離 33.2km
        歩行時間 5時間50分
        平均時速 5.69km

21日目 (1) 真弓峠

2008-07-26 | 08年四国の旅
 民宿来楽苦は豆腐料理のフルコース、ご主人の話によると、最初の頃は肉や魚を仕入れていたのだそうです、でもお遍路は当日のキャンセルや連絡なしのキャンセルが当たり前のようにあるから、食材を無駄にしてしまうことが多くて、それに懲りて、客の顔を見てから用意できる食材で料理をするようになったという。ご主人の本業は豆腐屋さんなのです。豆腐だけでは、安っぽいとか、単調だとか、量が不十分ではないかという印象があったのですが、全然そんなことはなかったですね。量は十分すぎるくらいだったし、美味しかったし、バリエーションもそれなりにあった。魚と天ぷらという旅館料理に飽きてきたお遍路にとってはかなり新鮮で好ましいものになるかもしれません。朝食に出たざる豆腐は初めて味わう本物の豆腐の味がしました。グルメ番組でよく聞く、大豆の味とはこういう味のことだったのかと素直に感動できました。
 内子町から久万高原町へは大きく分けると5通りくらいの道がある。この民宿来楽苦から1.7km先に突合という大きな分岐点があって歩き遍路の多くは左へ折れる近道を行く。ぼくも過去5回いずれもこの下坂場峠、鴇田峠へ続く道を歩きました。今回は別格に行ったので初めて突合から右へ折れて旧小田町経由の道を歩きます。真弓トンネルから先は農祖峠経由の道にしか赤線が引かれていませんが、昔の地図では農祖峠に赤線はなくその先の落合の交差点を左に折れる道と、その先の河口の三叉路を左に折れて先に45番に行く道に赤線が引いてあります。ぼくは八丁坂の茶屋跡に逆の方から登ってくる河口からの道に興味があったので、今回はその道を行くことにした。と言ったら、民宿のご主人は、農祖峠を含めて昔はそんな道を行くお遍路はいなかったというのです。それらは総て真弓トンネルができてから生まれた新しい遍路道だったのです。トンネルができる前の真弓峠はすごく険しくて誰も通らなかったという、小田町に泊まったお遍路は総てトンネルの手前の畑峠を越えて下坂場峠へ続く道に下りていったそうです。
 でもぼくはやはり予定通り河口を目指す。6時40分に民宿を発つ。今日歩く距離は昨日より14kmも少ない。昨日の疲れが出るかとも思ったけど、足の痛みも身体の疲労感も全くない。タイムも気にする必要はないから、ただただ初めての道を楽しみたい。旧小田町の市街に入っていくと通学する小学生や中学生がやってくる。中学生はほとんど自転車通学、すれ違う総ての子供たちが元気におはようございます、と挨拶してくれる。もちろん一人一人に返すのだけれど、その数の多いこと、市街を抜けるまでにゆうに100人以上の子供たちに挨拶した。
 市街を抜けたところに遍路小屋がある、ここまで6.5kmで62分。朝一番にしてはスピードが乗っていない。疲労はないけれど、昨日の暑さがじんわり身体全体にダメージを与えているような感じもする。10分ほどの休憩で6km先の真弓トンネルに向かう。三島神社からの短絡路は判りやすい遍路標識があって見落とすことはない。自動車道に上がってしばらく行くと畑峠へ向かう山道に遍路標識があった。そばに地元の人がいたので、道を尋ねると、その山道は本当の遍路道だといわれた。真弓トンネルへは自動車道をそのまま行けばよい。でも、何も知らない人がここへ来ると、トンネルの方へ行きたいのに畑峠へ行ってしまうということがままあるかもしれない。ちょっと悩ましい遍路標識です。トンネル手前の休憩所へはそこからすぐでした。370mの標高差があったので時速は5.7km。この道は車遍路、バイク遍路が必ず通る道だけれど、この時間全く車は通らない。20分の休憩で静かなトンネルを気持ちよく抜けていく。トンネルを抜けると緩やかな下りが続く。農祖峠へ向かう道を左に見ながらそのまま直進、1.5kmほどで写真の露峰休憩所に到着、10時16分、すでに半分以上の18kmを歩いてしまった。

20日目 (3) 内子の道の駅

2008-07-25 | 08年四国の旅
 山からの下りは当然快調、疲れは全然ないし足の痛みも全くない、登ってきた道を下るだけだから迷う心配もない。でも今日はまだ36km以上歩かねばならない。まだほんの序盤が終わったに過ぎない。大洲郷土館に戻ってお礼を言おうかとも思ったけれど、先が長いし時間的にもさほど余裕があるわけでもなく、当初の予定通り十夜ヶ橋まで休憩なしで頑張ることにする。14km以上あるから休憩を入れてもよかったけれど、山の中の道だから休めるところが見当たらなかった。大洲の街へ下りてくる頃にはカンカン照りで相当気温が上がっていた。肱川の左岸を歩く、初めての道で距離の感覚がつかめず、やや不安を抱えつつ歩く。橋を渡って大洲の街に入ってからも、国道に合流するまでは初めての道なので確信が持てないまま歩く。合流地点はちょっとややこしくて、見当を付けて無理矢理入っていく、予定の道とは絶対違うはずだ。なじみの国道に入ってようやく一安心、さほどの遠回りもなかったようだ。国道に入れば十夜ヶ橋まで2km足らず、この時間このあたりを歩いているお遍路は皆無だ。宇和町から来るお遍路でも、正午を過ぎるのが普通。11時11分にようやく別格八番十夜ヶ橋永徳寺に到着する。おかしい、下りばかりだったのに時速は5.8kmしか出ていない。距離は長く休憩も入れなかったけれど、ペースはそんなに悪くなかった。地図に載っている距離の表示が正確ではないのかもしれない。市街地の距離は地図ソフトで正確に計れるけれど、山道の距離は地図に書かれているものを信用するしかない。
 十夜ヶ橋の納経所も無口な坊さんだった、でもこちらも嫌な感じはなくいたって普通だった、仕事さえ普通にして貰えればそれで充分という意識がぼくの中にある。手洗いを済ませ15分ほどの休憩、まだまだ安心できないほどの距離が残っている。ここから内子まで8km、内子から宿まで14.2km。この時間でようやく中間地点というのは、今までにない遅さだともいえる。最初予定していた大瀬の館がとれなくて4.5km先の宿にしたので、距離が伸びた分電車に乗ろうかとも思ったけれど、調べて貰うと適当な電車がなかったので、全部歩くことにした。内子まで休む気はなかったけれど、歩き始めて20分ほどの所に郵便局があったので思わず入ってしまった。今日は連休明けで大瀬の郵便局でお金をおろすつもりにしていたけれど、早い方が安心。ここまで20日間で支出総額は95000円、残金は15000円になったいた。十夜ヶ橋では水を汲めなかったので、郵便局でペットボトルに水をくんで貰う、お礼を言って5分の休憩で出ていく。気温がどんどん上がって普通に歩けている感じがしない、疲労をあからさまに感じながらの歩きになっている。しかし、意外なことに内子駅までは例年以上の早さで着いた。でも例年はふるさと旅館からの距離で、十夜ヶ橋から換算した時間なので正確なものではない。内子駅前のスーパーで明日の食料を仕入れる、アクエリアス500ccを一気に流し込む、相当乾いているし、相当疲れている、自覚症状たっぷりだ。スーパーの前にボックスがあったので3日後の宿「コスタブランカ」に予約を入れる。昨年と同じで「何か食べられないものはありますか」と訊いてくれる。ぼくは納豆が苦手だけれど、昨年は思わず「ありません」と返事したら、朝納豆が出た。生涯3度目の納豆だったのですが、「美味しんぼ」を読んで知識を仕入れていたので、さほど抵抗なく食べることができた。今年も1年ぶりの納豆を食べてもいいと思ったので「ありません」と答える。
 1時を過ぎていたのでほとんど休憩をとらない、まだ2時間以上歩かねばならないのだ。内子町営バスがあることは帰ってから判ったけれど、むしろ知らなくてよかった。やっぱり108ヶ所は最初で最後だから全部歩く方が絶対よかった。でも歩き始めると気温は最高潮になるし、疲れも最高潮でまともに歩けている感じはしなかった。とにかく歩き続けること、辿り着くことだけを意識しているような感じだ。本当は泊まるはずだった大瀬の館の近くの休憩所へは4分もの遅れ、2時48分。4時までには着ければいいと思っていたから、その目標はクリアしている。12分の休憩で本日最後の4.5kmにいどむ。目標値はないからただただ気楽に歩きやすいように歩く。3時44分に到着、この間の時速は6.15km、平地ではあり得ない遅さだけど仕方のないところだろう。
 民宿来楽苦は初めての投宿、2食付き6500円、素泊まり5000円。洗濯無料、乾燥機300円。

 20日目の歩行距離 47.2km
        歩行時間 8時間07分
        平均時速 5.82km

20日目 (2) 別格七番金山出石寺

2008-07-24 | 08年四国の旅
 最初の山道は草が生い茂っていて歩きにくい所もあったけれど、坂はそれほどきつくなかった。自動車道に出て300mほど行くと最初の短絡路があるけれど、ここは工事中で行けないと聞いていたとおりだった。あと短絡路は3ヶ所あって、その内のひとつはやはり歩けなかった。短絡路は当然坂はきつく、500mの距離で高さは100m以上登ることになる。短絡路が終わるとあとは延々と自動車道だから勾配はきつくない、かなりのスピードで歩くことができる。大洲の街や冨士山が一望できる眺めのよいところへ出てきた。ここからは1500mで100m登るくらいの坂道。かなり高いところを歩いているけれど山登りをしている感じではない。でもいくら歩いてもきりがないという感じがする、本当に近づいているのだろうか、一瞬雲の上を歩いているような錯覚にすらおちいる。八幡浜市に入るところでピークがあって下り坂になる、しばらく行くとV字路の頂点に合流する、そのV字の自動車道の真ん中に金山へ続く歩道があった、ここまで来るとようやくお山に近づいたし、間違っていなかったことが判って一安心。自動車道を歩いているときは標識もあったし間違ってはいないという確信はあるものの、幾度か不安がよぎってきたものだ。歩道に入っても最初はそんなに坂はきつくない、ほとんどフラットな感じでスピードも衰えない。お山に近づくにつれそれらしい厳しい山道になってくるものの、立ち止まらなければならないほどの厳しさはない。山道を登りきると見上げるほどの大きなお大師さんが迎えてくれる。石段を登って山門の前に辿り着いたのは、8時13分、9.4kmの道のりを2時間9分で来たことになる。2時間以内を想定していたけれど、まあ誤差の範囲内で満足。急な坂はなかったとはいえ、標高は812m、あの焼山寺より100mも高いのだからこれだけの時間がかかるのは当然だともいえる。ちなみに藤井寺から焼山寺までの平均時速は4.45km、大洲郷土館から出石寺までの平均時速は4.47kmでした。
 これだけの時間登り続けてやっと辿り着いた、こんな山の頂にこれだけの伽藍が建ち並んでいる、それだけでもう何倍もありがたいような感じがする、畏敬の念が自然にわき上がってくる。納経所は若いお坊さん、やはり無口だったけれど感じは悪くなかった、むしろすがすがしさを感じる立ち居振る舞いだった。手洗いを済ませ山門の横にあるベンチで朝食のパンを頂く。20分ほどの休憩、水を1リットル補給して下界を目指すことにする。

20日目 (1) 大洲の夜明け

2008-07-23 | 08年四国の旅

 同宿の自転車遍路は大阪のKさん、ここまで11日(観自在寺で2泊したというから実質10日)で来たそうだ。自転車で巡る苦労を伺う。初めての場合、自転車というのは歩き以上にどれくらい行けるか予想がつきにくい。時速20kmで1日5時間乗れば100kmは行ける、というような計算は全く意味をなさない。ぼくが昨年2日目熊谷寺の近くで会った女性二人連れの自転車遍路は、翌日大日寺でも会った。4日目も立江寺と鶴林寺の間のローソンで会った。5日目も平等寺を出て国道に合流するところで道を尋ねられた。ぼくは普通の人の1.3~2倍くらい歩くけど、山道が多いところになると自転車でも歩きと変わらないくらいの距離しか進めないということになる。もちろんその後は薬王寺を過ぎると一気に室戸岬まで行って2度と顔を合わすことはなかった。山道はかえって歩きの人よりもきつくなるとKさんも言っていました。自転車を押して歩くしかない、しかも遍路道は通れなくて自動車道を行くしかないから遠回りになるところが多くなる。どこまで行けるか見当を付けるのは難しくなるので、宿の予約は前日にならざるを得ない、となると満室で断られることも多いということでした。神峯寺の下の三つの宿はいずれも満室でその手前の田野町の山郷旅館に救って貰ったこと、連休初日の5月3日は足摺で総て満室、土佐清水の休業しているような民宿浜崎に無理を言ってやっと泊めて貰ったことなどを話されました。岩本寺宿坊は相部屋だったので6000円、観自在寺宿坊は3500円だったということです。明日は久万高原まで行くということで宿に電話をしていたのですが、笛ヶ滝は満室、一里木は休業、3軒目のでんこでやっと受け付けて貰えたようでした。連休は終わっても前日予約はやっぱり厳しいということなのでしょうか。
 ぼくの遍路宿情報を渡すと、こんなにも宿によって値段の差があるのかとびっくり、どの宿も宿坊も同じような値段だと思っていたそうです。確かにほとんどの宿が6500円、6000円というところですが、探せばもっと安いところがかなりある。9時までお話は続いて、就寝。ちょっと喋りすぎて興奮してあまりよく眠れなかった。
 朝は6時出立、今日も天気は快晴、午後は暑くなりそうだ。教えて貰ったとおり順調に登り口まで辿り着くことができる。


19日目 (3) 大洲郷土館ユースホステル

2008-07-22 | 08年四国の旅
 鳥坂トンネルを抜けると下り坂が5km以上延々と続く。鳥坂峠の標高は470m、トンネルでも300mの標高がある、大洲の町へ向かって一気に下りていく。この区間は2年前相当速く歩いて昨年は記録が出なかった。というのも、2年前は前を行く若い男の人がかなり速い歩きで一旦追い抜いた後も気が抜けなくて意識して速く歩き続けなければならなかった。そのときは大洲の街まで休まなかったけれど、昨年中間地点にいい休憩地を見つけたのでそこで休むことにする。バス停から5.6km、手洗いもある。先のコンビニから10km、この間手洗いがなくて過去に難儀したこともあるから、絶対休むべき所になった。宿まで5.2kmなのでちょっと余裕を見て2時ジャストに発つ。タイムチェックポイント北只郵便局の少し手前、坂道がもう少しで終わろうかというところで、若い男の人に抜かれる。ジョギングで坂を駆け下りていく、宇和町で話題になったばかりのスポーツ遍路だ。もちろんご主人が話した人とは別人。途中で止まって地元の人に大洲駅の場所を聞いている。今日は連休の最終日だから、今日までの区切り打ちらしい。それにしても地図すら持っていないのだろうか。地図があれば大洲駅なんてすぐ分かるはずなのに。荷物はすごく軽そうだ、軽いとうらやましがられるぼくの荷物の半分くらいに見える。郵便局へは何とか同タイムで来ることができる、あとチェックポイントはないのでゆっくり歩いても構わない。大洲城の横を通って今日の宿、大洲郷土館ユースホステルに着いたのは2時52分。丁度いい時間です。
 大洲郷土館ユースホステルには初めての投宿、ユースホステルなるものに泊まるのも生まれて初めてです。昨年までは次の日久万高原まで行くので大洲市の中で一番内子に近い「ふるさと旅館」にお世話になっていたのですが、今年は別格7番金山出石寺に行かねばならないので、逆に内子から一番遠いこの宿に泊まることにした。ユースホステルのことは何も知らなかったけれど、いろんなサイトを調べる内にこの宿に関しては、会員でなくても歩き遍路であれば会員価格で泊まれることが分かった、しかも価格は大洲の総ての宿の中で最も安い3200円、さらに素泊まりだけなので、食事付きで巡っているお遍路からは敬遠されることも多くて、満室になる確率も少ないようだ。 先ずダイニングに通されて奥さんとお話しする、娘さんがお茶を運んでくれる。宿帳に記入して支払いを済ませる。奥さんがぼくの手甲を見て「かわいい」と顔をほころばせる。最初のお遍路の時にひどい日焼けをして、讃岐の国分寺で買ったのだと説明する。お寺で売っていることがすごく不思議そうだった。讃岐の国分寺は大師堂に遍路用品の売店があって何でもそろうようになっている。シャワーはすぐに使えるけれどお風呂は5時くらいになるというので、待つことにする。今日の同宿は自転車遍路の男の人一人です。娘さんが2階の部屋に案内してくれる、襖で仕切られた田形の4部屋があってその内のひとつは共同で使うリビング、ソファや机、テレビ、お茶のセット、インスタントコーヒーのセットもある。3つの寝室は10畳くらいの部屋の真ん中に80cm位の高さのサイドボードでしきりがしてあって6組の客が泊まれるようになっている。当然3組以下だと相部屋になることはない。リビングで休んでいたら、娘さんがやってきて、出石寺への登り口を地図を書きながら丁寧に説明してくれる。ぼくはちょっと甘く見ていて、そんな必要はないと思ったけれど、とんでもなかった。ぼくが登ろうとしている道は下りのための道、だから登りの人のための標識が全くなかったのです。娘さんはそのことが判っていて説明に来てくれたのでした。しかも彼女は実際に歩いて出石寺まで行ったことがあるらしく、その説明は本当に的確で判りやすいものでした。もし説明を受けていなかったら絶対迷っていたことでしょう。
 洗濯150円、乾燥機なし。温水洗浄便座完備。

 19日目の歩行距離 41.5km
        歩行時間 6時間42分
        平均時速 6.19km

19日目 (2) 大洲城

2008-07-21 | 08年四国の旅
 お大師さんの前で休んでいたら、60代と思われる男の人がやってきて声をかけてくれる。聞けば300m先にある民宿みやこのご主人、この遍路小屋を造った人だった。水道もご自分の裁量で引かれたという、今は市が管理しているということでした。昨年は29日で巡ったというと、大変驚かれた。普通は40日~45日で巡る人が多い、遅い人になると50日以上かかることもある。でもぼくより早い26日で巡るという人がいたそうだ。1日平均42km、ごく軽い荷物を背負ってジョギングで廻っていたという。次回は23日で巡る計画を立てていたそうです。完全なスポーツ遍路ですね、前に一度同じような感じの人を見たことがあります。ぼくぐらいのスピードでも味わいが薄くなるといわれるのだから、ジョギング遍路はもっと薄いでしょうね。見えるものは明らかに少なくなるでしょうし、でもそれはそれで納得ずくのことなのだから批判することはできない。迷惑さえかけなければどんな遍路も認められる。信心がなくても、スポーツでもレジャーでも観光でも構わない。それだけの懐の深さを四国は持っている。
 ぼくはこれ以上速く歩く気はありません、と言うと、大きくうなずいて「そう、無理しないでゆっくり行く方がいいよ」と言って、お大師さんの周りの掃除を始められた。思いがけず25分も話し込んでしまった。水道を作って頂いたお礼を言って明石寺に向かう。歯長峠越えは1分の遅れだったけれど、明石寺までは調子を取り戻して同タイムで到着。お参りに15分、休みはとらず大洲へ向かって出立する。今日仏木寺の近くのとうべやさんから出発したであろう歩きの人が何人かいる。現在10時40分、大洲まであと20km、休憩の時間を考えれば5時は過ぎるだろう。ぼくは、3時に着こうとすれば1時間の休みがとれる。次の休憩地は鳥坂トンネルのすぐ手前のバス停、10kmもあるけれど、それまでに適当な休憩場所はない。休みは入れないで歩くつもりだったけれど、中間地点にあるコンビニに吸い込まれるように入ってしまう。夕食を仕入れる必要もあった。昨年までは大洲の市街を抜けたところにある宿に泊まっていたので、宿の手前にいくらでもコンビニがあったけれど、今年の宿は市街に入ったすぐの所にあるので、コンビニの前を通らない。例によって野菜ジュースで一息入れる。ベンチはないので地べたに体育座りだ。17分の休憩、宇和の町を抜けたところで追い抜いた男の人が近づいてきたので抜かれない内に出ていく。2回抜くのもちょっと面倒。休憩が効いたのかバス停には2分早く着いた、時速6.19km。
 20分の休憩、12時55分に発つ、あと10.8km、休憩は1回だけだからまた20分休むと3時ジャストに着ける計算だ。

19日目 (1) 宇和町のお大師さん

2008-07-20 | 08年四国の旅
 布団は少し厚くて重かったけれど、ちょっと冷え込んだので丁度よかった。三原村の朝も涼しかったけれど、それ以上の冷え込み、と言っていいくらいの涼しさだ。6時に宿を出る。ドアを出たところの1階の駐車場でご主人が車の整備をしていた。「ちょっと寒かったでしょう、よく眠れましたか」と優しく声をかけてくれる。愛南では蚊がいたりしてよく眠れなかったこともあって、昨日は8時半からぐっすり眠れた。女将さんの出迎えも非常に感じがよくて、ほんとにお遍路に優しいいい宿だなあとしみじみ思う。
 澄み切った青空に絹雲(すじ雲)がたなびいている、まるで秋の空だ。気温はかなり低いけれど、歩くのには最高の状態です。いくら頑張っても汗をかかないし、歩いていれば寒さは全く感じない。遍路道へは3分で合流、金龍荘は遍路道から少しはずれたところにあるのですが、わずか100mの遠回りに過ぎないのでした。三間町までの県道57号はごく緩やかな登りが5km半続く。連休の最終日で朝も早いので車の通りはほとんどなく、すごく歩きやすい。昨日痛みかけた左足の裏は完全に復調して全く問題はない。41番札所龍光寺には7時12分に到着、昨年と同タイム、時速6.52kmでした。42番仏木寺へも同タイム、山門を入りかけたら、出てくる車遍路の人が「早いなあ」と声をかけてくれる、龍光寺で挨拶をした人だ「ぼくらは車なのに」、この二つの札所は2.6kmしか離れていなくてぼくは28分でやってきた、お参りや納経に15分くらいはかかるから車遍路の人にも追いつくことがある。
 まだ1時間半くらいしか歩いていないので仏木寺では10分くらいの軽い休憩で次の札所明石寺へ向かう。明石寺までは10.6km、歯長峠を越えて肱川を渡る手前に遍路小屋がある。5回目まではそこで長い休憩をとっていたけれど、その3km先に新しい遍路小屋ができて、そこには水道もあったので、今回からそこまで頑張ることにする。今日お参りする3つの札所では水を汲めるところがない。コンビニも明石寺を過ぎてだいぶ行ったところにしかないので、この遍路小屋は大変重宝する。昨年この水道を見つけたときは、まさにオアシスに辿り着いたような心地だった。ベンチに座ると目の前にお大師さんがおられた。

18日目 (3) 宇和島駅

2008-07-19 | 08年四国の旅
 トンネルは1.7km、しかし旧国道は1.6km長く140mくらい登らねばならない。ぼくの足で20分以上余分にかかることになる。でも新しくできた登り道は距離はかなり短くなっているように思われる。今回は急なことで登る気にもなれなかったけれど、次回は登っておかねばならない。トンネルの中も歩きの調子はよくない、どんどん歩けている感じがなく、足が引きずられている感じです。トンネルを出てしばらく行ったところに休憩所があったので、足が止まる。水道はあったけれど水は出ない。宇和島までは14km以上あるから一度は休憩を入れなければならないけれど、2回目3回目は休みを入れなかった。3回目の時は休みもとらずどうしてあんなに速く歩けたのかいまだに分からない。
 休憩所は新しいトンネルを掘っている道路公団がPRのために作ったもののようだ。16分の休憩で出発すると、比較的体調はよくなっていた。かなり普通に歩けてきた。宇和島へ向かう国道は歩道が狭く車の通りも激しいので苦手な道、何度も歩いているのにいつも長く感じる道だ。市街に入っていくと時間を気にして無理に速く歩こうとしたせいか、やや足に痛みを感じてくる、濡れっぱなしにして柔らかくなった皮膚がここにきて悲鳴を上げ始めた。でも今日歩く距離はあと4kmほどだから大したことにはならないだろう。
 別格6番札所龍光院は宇和島駅のすぐそばにある。とても普通には歩けなかったけれど、昨年よりは1分早く到着した。ただし、一番早かった3年前よりは4分の遅れ。3年前は時速6.7km以上で歩いていたことになる、記録ミスをしたのではと今でも思っているくらい。時刻は2時、宿はここから2.4kmの所にあるので十分だと思ったけど、このお寺は小高い丘の上にある、石段を登って、お参りと納経を済ませて下まで下りてくるのに30分かかってしまう。宿の予約を入れるために石段の横にあったボックスに入ると、また故障だ。仕方なく駅前のボックスですることにする。3日後、4日後の宿はつつがなく予約完了、4日後は松山市駅前のカプセルホテルです。生まれて初めてカプセルホテルに泊まる。駅の近くのコンビニで夕食を仕入れ宿へ向かう。
 金龍荘は初めての投宿、ぼくの持っている情報では素泊まり3150円だったけれど素泊まり3500円の看板が見える。そして実際に払ったのは3600円だった。それでも十分な安さだけれど。建物はかなり古い感じ、ぼくの部屋は12畳で広すぎるくらい、隣の部屋とのしきりはアコーディオンカーテンのようなもの、大広間を仕切って部屋にしたという感じ。客はぼく一人でひっそり閑としている。よく冷えた麦茶が2リットルのペットボトルででんと運ばれてきたのが、先ずありがたかった。一気に3分の1くらいを飲み干す、思った以上に渇いていたようだ。すぐに風呂の用意ができる、洗濯物を持ってくるように言われたのでお願いする。風呂からあがるとすでに洗濯物は部屋の中に干してあった。

 18日目の歩行距離 41.0km
        歩行時間 6時間23分
        平均時速 6.42km

18日目 (2) 松尾トンネル

2008-07-18 | 08年四国の旅
 柏(旧内海村の中心部)まで8.3kmだから、45分先に出た夫婦に追いつくのは微妙かなと思っていたけれど、ずいぶん手前で追いついた、3kmくらい手前、民宿兵頭の大きな看板の前だった。民宿兵頭は5000円という情報だったのに5800円と看板には書かれている。早く追いついたことよりその値段にびっくりした。あとで計算してみると、彼らの時速は3.5kmくらい、標準よりやや遅いという感じでしょうか。でも今日の宿は津島町の新橋旅館といっていたから、十分な速さではあります。
 柏の手前で、別の宿から出た男の人二人を追い抜く。雨はだいぶ小降りになってきた。柏までは一番早かった3年前より1分遅れ、これだけのどしゃ降りを考えれば相当よく歩けたといっていい。ここからは右へ折れずそのまま国道を行く、久々の初めての道だ。国道は山道より1.8km長くなる、でも柏坂の標高は470m、国道はほとんど海岸沿いの平坦な道、ぼくの計算では時速6.3kmで行けば柏坂より時間はかからないことになる。内海中学の近くの休憩所に着いたのは8時40分、平均時速6.27km。寒いし靴の中も濡れているのでゆっくり休む気になれない。9時丁度に出発、津島町のスーパーまで12.3km休みなし、適当な休憩所は見当たらない。最後のトンネルを抜けたところに休憩所があって男のお遍路が休んでいる、雨が降っているので柏坂を敬遠する人が多いようだ。調子よく歩けているので休憩はとらない、合流地点に近いところで女の人に追いつく、雨が降っていたのでかなり出発を遅らせたそうだ。内海村から宇和島までの31kmが今日の行程らしい。
 津島のスーパーには10時54分に到着、柏坂より3分早かった。この間の平均時速は6.47km、坂がほとんどなかったし雨も止んでいたので、思ったよりスピードが乗った。アイスとパンを買って昼食にする。レジを出たところに休憩所があるので毎回ここで休むことにしている。たっぷり35分の休憩をとるけれど、ちょっと失敗したことが歩き始めてから判明する。塩分と水分の摂り方が不十分だったようで、それまでと同じように歩けていないことがはっきり分かる。
 松尾トンネルの200mくらい手前の旧国道への入り口に遍路標識がない。昨年までは確かにあったはずだ。おかしい、ぼくは2回目からずっとトンネルだけど、多くのお遍路はトンネルを避けたいはずなのに、標識がないと遍路道に入れない。と思っていたらトンネルの入り口の近くに旧道への遍路標識があった。新しい遍路道ができていたのだ。

18日目 (1) 嵐

2008-07-17 | 08年四国の旅
 アメリカから来たというご夫婦は、もちろん純粋な日本人。二人とも38年前にアメリカへ渡り、向こうで知り合われ、結婚されてから日本料理店を開業、成功を収めたということです。現在はご主人の弟さんと、その息子さんに営業を任せセミリタイア状態、里帰りもかねて四国を歩かれているということでした。外国人の方は何回か泊めたことはあるけれど、海外(テキサス)から来た日本人というのは初めて、と女将さんもびっくりしていました。
 ぼくの隣に座った1階の部屋の男の人は大坂の人で、定年になってからお遍路を始められ、最初バスツアーで2回巡られたあと、歩きで今回が5回目というベテランのお遍路さんです。この宿にも何回目かの投宿で女将さんとも顔なじみという感じです。ほぼ半分来たところで、63kgあった体重が58kgになったそうです。ぼくはまだそこまで減っていない。今回は仙遊寺の宿坊に泊まりたいので、コスタブランカに初めて泊まるのだと言う、コスタブランカは料理が最高でしたよと、教えてあげる。明日は津島町の三好旅館、さすがベテラン、良い宿を知っている。この宿には生きた観音様がおられるのです。
 翌朝6時に下へ下りると、ぼくの部屋にあとから来た夫婦が出立するところ、彼らは素泊まりです。激しい雨が夜半から降り続いている。合羽を身につけるのに手間取っています。女将さんが見送りに出ているけれど、食事の用意はまだ、6時にお願いしていたのに、6時半と勘違いしていたようだ、まあ仕方ないので食堂でテレビを見ながら待つことにする。すぐ出られるように荷物も下に持ってきたのですが、それを見てベテランさんが目を丸くしている。こんなにもコンパクトにできるのか、すごくうらやましそうに眺めている。何が入っているのか質問されたので、一一説明する。普通のお遍路さんが持っていてぼくが持っていないのは線香と蝋燭、薬と治療道具くらいかもしれません。合羽はコンパクトなワンピースタイプ、余程風が強くないと使わないけれど。納経帳もコンパクトなものにしている。彼は納経帳が2冊あってかさばるし重いという、前にも同じ事を聞いたことがあるけれど、どうして2冊持っていくのか理解できない。知り合いの分、家族の分、ということなのだろうけれど、自分が歩いてこそ御利益があるものではないのか。まあ、昔から、代参ということはあるけれど。毎回使わないものまで入れて結局途中で送り返すことになるのだと、嘆息をついていました。荷物の多さはその人の煩悩の多さだ、と民宿久百々の女将さんが言う。前回一度も使わなかったものは持っていかない、必要になれば途中で買えばいい、と割り切ること。そうすれば荷物は軽くなって、もっと歩きやすくなる。
 朝食は6時20分にできる。アメリカの夫妻が昨日大漁祭りの餅まきで拾ってきたお餅が味噌汁に入ってお雑煮になっている、すごく美味いし力になりそうだ。夫妻は80個以上も拾ったので今日郵便局から実家の方に送ると言っている。
 6時45分に宿を出る、雨は依然激しい。女将さんが丁寧に送り出してくれる、部屋を代わって貰ったのが申し訳ないという感じがにじみ出ていた。傘だけで歩き始めるが、風はそんなに強くなく問題はないようだ。ただ、靴は1時間と保たないだろう。今回は初めて柏坂を登らず国道を行く、雨が降っているからではなく、晴れていてもそのつもりだった。時間の比較をしたかったのだ。最初の休憩地は12km先になる。柏のバス停で休んでも良いのだけれど、その次の津島のスーパーまでの中間地点になるので、頑張ることにした。
 写真は、よく見えないけれど「嵐郵便局」です。ここからしばらく行くとトンネルがあって、1kmくらいで柏坂からの道と合流する。ここまで来ると雨はあがっていた。嵐の中の嵐郵便局、というわけにはいかなかった。