WALKER’S 

歩く男の日日

2014年四国の旅 索引

2014-07-31 | 14年四国の旅

 1日目 
 2日目
 3日目 38
 4日目
 5日目 39
 6日目 40
 7日目 41~43
 8日目
 9日目 45
10日目 44~51
11日目 52~53
12日目 54~59
13日目 60~63
14日目 64
15日目 65~67
16日目 68~78
17日目 79~83
18日目 84~88
19日目


2014年 遍路費用

2014-07-30 | 14年四国の旅



 二食付きの宿  6軒  40000円
 夕食付きの宿  5軒  28216円
 朝食付きの宿  1軒   1000円
 素泊まりの宿   6軒  21200円 

   宿泊費合計     90416円
   交通費        9550円
   食費飲料費      8142円
   道後温泉本館      400円

   合計       108508円 


4月26日 最終日 民宿八十窪~バス停鳴門西

2014-07-29 | 14年四国の旅


朝食も夕食同様和気藹々、話が弾みました。ぼくはほとんど聞き役ですが、みなさんの話を聞いているのは楽しいし、ゆたかな感じがします。思えば今回は一人で泊まることが多くて、同宿の人がいてもお遍路ではなかったり、素泊まりだったりで、こういう機会はあまり持てませんでした。来年はほとんどの宿で食事付きで泊まるので、もうすこしこういう機会が増えればと期待します。


 6時40分、宿を出発、今回は大坂峠越えで1番札所に下りていきます。5年前は大坂峠を越えたのですが、その後は3番札所の近くに下りていったので、峠を過ぎてからは初めての道になります。最終日まで緊張感を持って歩けます。
 宿を出て5分で、5年前は工事中だった短絡路を歩きます。ここで東かがわ市に入る、5年前はもっと狭い道でこの標識を眺めました。 


 さらに2分で新しいトンネルが出てきてびっくりです。こちらは工事中の過程が見えなかったはずなので、とまどいを隠せません。この後、また新しい道ができていたのですが、別のところへ行ってしまいそうで、怖くて歩けませんでした。たぶん普通に短絡していたとは思うのですが。


 少し遠回りになりますが五明トンネルを抜けます。峠越えの道は短絡ですが80m登って下るのは序盤にしては大儀なので敢えて回避します。


 トンネルを抜けて右折、ちょっとだけ徳島県阿波市に入ります。


 8時27分、白鳥温泉から1.5km先の分岐点にやってきました。5年前は左折して與田寺に向かいました。あのとき、次に来るときは直進すると誓ったのですが、5年もかかってしまいました。


 矢印が2種類あるところは、一応両方歩いておきたいものです。大坂峠の登り口に近いところまでは初めて歩くことになるので、別に自作の地図を持っています。何があるか分かりませんから。


 10時20分、21km以上歩き続けています。初めての道は新鮮なのですが、地図は出していないのでどこらあたりを歩いているかまったく分からないままです。


 馬宿川を渡ります。橋を渡ると大きな工場があって、へんろ道はそれを避けるように遠回りになります。へんろ道の上に工場が作られたのか、番外霊場東海寺に向かう道が元々のへんろ道だったのか、ぼくは前者だと思っていますが。


 どう見てもへんろ道は直進という感じではありますが。


 当然のごと工場の中に入れるわけもなく。
 馬宿川を渡ってすぐ左折、川沿いの道を300m北上して右折するのですが、その角にちょっとした空き地があって、腰掛ける段差もあったので本日初めての休憩をとります。時間は10時27分、へんろ地図によれば22.2kmほど歩いてきたことになりますが、初めての道なのでタイム比較ができません。時速6.3kmほどは出ているようですが、


 30分ほど休憩、歩き始めてすぐ東海寺へ向かう道しるべがあったのですが、時間的にも体力的にもあまり余裕がなかったので、そのまま直進です。角を二つ曲がったところで逆打ちの男性とすれ違ったのですが、こちらから挨拶したのに無視、逆打ちの人に無視される確率は高いので、またか、という感じです。彼等はまだ初期の衛門三郎なのでしょう。
 写真は、休憩ポイントから30分、與田寺から来る道の合流ポイントです。つまりここからしばらくは5年前に歩いた道になります。


 5年前はこのJR高徳線の下を抜けてきました。


 1回しか歩いていない道ですが、ほぼ記憶に残っています。


 合流ポイントから36分で県境に来たのですが、ここが峠でないことは2回目なので承知しています、まだ標高差120mくらい登ります。


 県境から800mを12分で大坂峠まで登ってきました。休憩所に行く余裕はありません。時刻は12時12分。


 峠から急な下り道になって、程なく県道に下りてきます。へんろ地図では県道の短絡路は1箇所ですが、実際には2箇所あって、二つ目の短絡路がこの四国で一番怖い階段です。そろりそろりとやっとこ下りてきて振り返って見たところです。時刻は12時33分。


 怖い階段から下りてきたところが、1番と3番への分岐点です。5年前は3番へ下りたので、今回は1番に向かいます。距離表示が正しければ、14時20分くらいには着くだろうと思ったのですが、かなり甘かったです。


 左が霊山寺、右が金泉寺、最後の10km初めての道を行きます。


 29.6km,H170のポイントです。県道を離れて左折、へんろ地図にはちゃんと非舗装道と書かれているのに見ていませんでした。緩やかな下りで楽勝だと思っていたのですが足場が悪くてスピードに乗らずすごく疲れてしまいました。


 13時15分、ようやく県道41号が見えてきました。県道1号を離れてから2.9kmを30分もかかってしまいました。


 卯辰越の手前のWの一つ目の凹です。結構な登り、非舗装道で痛めつけられたので本来の力が出ません。


 二つ目の凹です。まだかまだかという感じでよたよた登っています。


 13時42分、ようやく卯辰越に到着です。解説板を見る余裕もありません。


 卯辰越から2分で、下界、徳島の町並が見えてきました。ここからがまた大変でした。そんなに急な下りではないはずですが、思い切って足が出せません。大麻比古神社まで2kmちょっとですが、ものすごく長く感じました。


 14時24分、1番札所霊山寺にやっと戻ってきました。県道1号の分岐点から111分、時速は5.93kmでした。かなり不本意ですが、全部歩いて戻ってきたのですから百点です。昨年は3番からお参りを始めたので、結願所は2番になります。


 14時46分、2番札所極楽寺に到着です。バスの時間が迫っているので、水屋を使うのももどかしく本堂に向かいます。
 お参りを終えて、結願の感慨に浸る余裕もなく、バス停に向かったのは15時ちょうど、バス停に着くと、バスが待っていて焦ったのですが、違うバスだったので一安心、そのバスが出てすぐにぼくが乗る神戸行きのバスが入ってきました、トイレに行くこともできず、スポーツドリンクを買うこともできず、写真も撮れませんでした。座席にへたり込んでしばし放心状態、2年がかりで何とか8巡目も完歩することができました。宿の方々に感謝、笑顔で挨拶してくれた地元のみなさんに感謝、竹下さん、佐藤さん、エリーさん、その他お話ししてくれたお遍路のみなさんに感謝、そしてまた来年もありがとうを言うために戻ってきます。


18日目 ビジネス旅館三鈴~84,85,86,87,88~民宿八十窪

2014-07-27 | 14年四国の旅

 朝の早い時間に朝刊と共におにぎりのお接待が部屋の外に届きました。朝食は菓子パンを用意していたので、お昼にいただくことにします。昨日に続いてまたご飯を食べることができます。
 6時05分に宿を出発、「来年もお待ちしてます」と言っていただきました。とってもありがたい言葉です。ぼくは来年も巡る予定にはしているけれど、それは自分の都合でどうにでもなることです。でもこの言葉をいただくと何が何でもしっかり歩かねばなりません。それは本当に大きな支えになります。うたんぐらの奥さんにも同じような言葉をいただいたから、最後まで後押しされながら歩けることになります。



 宿を出て歩き始めてすぐに、あまりよくないと自覚します。昨日のようなスピードは絶対出せません。数日前から左足のかかとにひびが入って痛みを感じているのですが、今日は少し歩きに影響が出そうです。そのせいか、屋島も傾いてしまいました。


 7時17分、84番札所屋島寺に到着しました。屋島の登りは一番苦手ですが、今回も長く長く感じました。ベストより4分も遅れてしまいましたが、それだけの歩きだということは自覚しています。


 5年前屋島寺でお話しした地元の早朝登山の方たちとまた会えるかなと思ったのですが、時間がちょっと違ったようで、静かな境内でした。
 7時35分に出発します。
 屋島の下りは急降下でひざに負担がかかるのですが、やはり例年以上に苦しみました。特にドライブウェイを横断した後の石畳や舗装道が辛くてなかなか思うように進みませんでした。



 3年前の日帰りのときに撮影もしたのですが、改めて迎えていただきます。山門はすぐそこですが、一息つかせてもらいます。


 この眺めを無視するわけにはいきません。今日も快晴です。


 8時45分、85番札所八栗寺に到着です。やはりベストより3分遅れですが、平地なってからは何とかペースを保つ歩きができているようです。


 八栗寺では休憩を含め30分ほど滞在、9時11分に出発しました。八栗からの下りの舗装道もひざに来る急勾配もあるのですが、屋島ほどではないのでそんなに辛くはありませんでした。坂道の後半に来たところで前を行く歩きの人が見えたのですが、なかなか追いつきません。数百m離れていても、姿をとらえれば、まもなく追いつくということが常だったので、首を傾げながら追いかけたのですが、やっと追いついたのは志度寺の300mほど手前でした。間違いなく時速6km以上で歩く人でした。おかげで気合いを入れ直しながら歩けたのでベストより1分20秒ほど遅れただけでした。ぼくの時速は6.5kmでした。
 10時12分、86番札所志度寺に到着です。その人は前にも来たことがあるようで、以前納経所があった本堂と大師堂の間のところで、前はここに納経所があったはずだけれど、と首を傾げて、今の納経所の場所を尋ねていました。ぼくも5年前はそこでしてもらいましたが、2年前来たときには移っていました。



 志度寺では休憩を含めて25分の滞在、10時38分に出発です。
 1kmほど来たところにあるコンビニがサンクスからセブンイレブンに変貌を遂げていました。昨年、宍喰でもその過程を見ていたので特に驚きませんが、気になるのはその品揃えです。2日前丸亀のセブンイレブンで買うものがなかったので、どうかと思ったのですが、何とか芋けんぴ一袋を購入しました。今日の宿は2食付きで予約しているので、菓子パンは買いません。



 志度寺から4km半、玉泉寺を過ぎてしばらくのところに新しい休憩所ができていました。玄関の中で休むのかどうか分かりませんが、水道があるのはありがたいところ。


 11時47分、87番札所長尾寺に到着しました。ベストより1分半遅れ、やはり目標がないとそれなりの歩きになってしまいます。水屋を使おうとすると、ちょうど歩きの男性が出発するところでした。気持ちよく挨拶を交わします。この時間にここで歩きの人と会うのは珍しいことです。この先には大窪寺まで宿がないので、多くの人が、八栗か志度からの出発になります。どちらにしても11時にはこの札所を出てしまうので、車遍路の人しか会うことはありませんでした。


 お参りを終えて、一旦山門の外に出てアクエリアスを買ってしまいました。ドリンクを買うのは5回目になります。もう後1日なのでこれくらいの贅沢はいいでしょうという感じです。お接待のおにぎりは志度寺でいただいたので、昨日買ったピーチョコで燃料補給です。休憩を含めて30分の滞在、12時17分に出発です。
 長尾寺を出て2km弱のところで、先に出た歩きの男性に追いつきました。20分は先に出たはずだから前山ダムまで追いつかないと思っていたので意外でした。さっき挨拶したばかりなので、そのまま追い抜いて行こうとしたら、○○さんではないですか、と呼び止められました。「えっ」と思って立ち止まると、13日前、宿毛の延光寺から竹下さんのアイフォンでお話をした佐藤さんでした。「追いつくもんやねえ」と感心されました。ぼくは、もしかしたら最後の日あたりに追いつくかもとは思っていたのですが、やっぱり、びっくりでした。面識のない人に名前を呼ばれるわけですから。ぼくのスピードで気がつかれたようです。今日はたまたま6km以上で歩く人がいたけれど、これだけのスピードで四国を歩く人はあまりいませんので。そこから、前山ダムまでスピードを落として一緒に歩きます。後で計ったら5kmくらいでした。
 佐藤さんは今回でぼくと同じ8巡目なのですが、ぼくなどより余程多くの遍路宿の情報を持っておられます。女将さんの生年月日を含め細かい情報をきっちり記録しています。ぼくなどは歩く距離が長いので、評判がよくても距離が合わなくて泊まったことがない宿が結構あります。
 いろんなお話を聞いたのですが、びっくりしたのは、ぼくが昨年薬王寺でお話をしたオランダから来たエリーさんと、今年足摺の手前で一緒だったということ。彼女のブログにはすでに佐藤さんの写真もアップされているということでした。ぼくが昨年会ったというと佐藤さんもびっくりです。
 帰ってきてから、エリーさんから佐藤さんに連絡があり、さらにぼくの方にも知らせていただいて、直接エリーさんにメールを送信する機会を持てました。エリーさんはすごくびっくり、そして喜んでくれました。昨年撮ってくれたぼくの写真も貼付してくれて、ぼくのブログに載せた彼女の写真も見てもらえました。海外の方と直接メール交換できるなどとは本当に思ってもみませんでした。今回はびっくりすることやありがたいことがいっぱいです。


 13時19分、おへんろ交流サロンに到着しました。最後の休憩をとります。名簿を開くとすぐ手前に竹下さんの名前がありました。竹下さんは今日は長尾から歩いていて同じ宿に宿泊します。少し前に佐藤さんが電話したのですが、山の中を歩いているようで通じませんでした。
 名簿に記帳するとしばらくして、係りの女性が遍路大使任命状と遍路バッジを持ってきてくれました。ぼくは前にもらっているので2個目はもらえないと思っていたのでちょっとびっくりです。佐藤さんはバッジを3個つけた人に会ったことがあると言います。緑茶サーバーが休憩所にあるのでいただきます。冷水と交互に4~5杯たて続けに飲みます。食塩も忘れず摂って、渇きを癒します。
 交流サロンでは30分ほど休憩、13時52分に出発です。佐藤さんは女体山越えの道を歩かれるということで、ここからは別々に歩きます。
 花折峠から県道までの下り道は気持ちがいいし、県道に下りてから多和小学校までの下りも思い切り歩けて風に乗れるような気がすることもあるくらいです。そして国道を離れた最後の2km、緩やかな登りのへんろみち。結願所がだんだん近づいてくるあの味わいはどうしても捨てがたく、7回目の花折峠に向かいます。
 2年前来たときは6月だったせいかひどい有様でした。今まで一度も途中で休んだことがないのに峠近くの遍路小屋に倒れ込んでしまうほどでした。何とかきっちり歩き直したいという思いがあったのですが、意識するまでもなくどんどん足が前に進んでいく感じがします。途中急勾配の箇所も見る見る行き過ぎていくという感じで、まだかまだかという感じは全然出てきません。今までこんなに普通に登ることがあったろうかという感じで峠まで来てしまいました。もちろん休みたいという気は全く起こりません。


 峠からの下りもひざに負担はほとんど感じません。県道の下りもいつも通り快調、長尾までの今日の不調は何だったんだろうと思うくらいです。国道に入ってからの登りもいつになく快調でまったくしんどくありません。最後の最後でこんなに気持ちよく歩けて本当に幸せです。最後2kmの脇道もいつになく余裕があって楽しめました。そしていよいよ大窪寺の山門が見えてきたところです。初めての人にはこの景色を味わってもらいたいと思うのですが、どうしても女体山の方に人気が集まるようです。


 15時29分、結願所大窪寺に到着しました。時計を見てびっくり、ベストタイムより5分も早く着いてしまいました。途中新しい短絡路ができていてそれを考慮しても3分以上は早い。やはり水と塩が効いたのか、交流サロンまでスピードを落としたのがよかったのか、サロンでもらってきたキャンディーの糖分がよかったのか、でもなかなかいつもこういう体調でとはいかないのがお遍路のおもしろいところ、今回は本当にそのおもしろさばかり味わっていたような感じがします。


 15時44分、今回の旅最後の宿、民宿八十窪に到着しました。


 八十窪の玄関の横でお大師さんの犬が迎えてくれたのですが、かわいそうに片方の後ろ足を引きずっています。歩くのも大儀なようで、このようにすぐしゃがんでしまいました。どうにもできないのが、何とも歯がゆくて悲しくてなりません。


 大女将がいつものように出迎えてくれました。ぼくが初めてこの宿に来たのは10年前、10年で7回目の投宿です、「すぐお風呂入れるからね、部屋は菊の間ね」。帰ってきた、という感じです。玄関には男性用のシューズが1足だけ、竹下さんはまだのようです。
 赤飯は大好きだけど、日頃食べることは全くないので、ここで食べられるのは本当にうれしくて、白ご飯は無視して、赤飯ばかり3杯いただきました。同宿はぼくを含めて6人、竹下さんと今日一緒に歩かれた女性二人、佐藤さんと、もう一人は北海道から来られた男性です。男性は初めてではないようでしたが、女性二人は初めてのようでした。その内のお一人からは納札をいただいたのですが、ぼくが5年間暮らした大学のすぐそばから来られました。 


17日目 善根宿うたんぐら~79,80,81,82,83~ビジネス旅館三鈴

2014-07-23 | 14年四国の旅


 昨日奥さんが話してくれた中で印象に残ったのは足を痛めた青年の話でした。宇和島あたりで相当痛めて病院に行ったら、もうやめた方がいいと言われたのに無理してここまでやってきて、そんなに辛いのなら、もうやめたらと、奥さんも言われたそうです。お四国はいつまでも待ってくれるのだから、ここで身体を痛めつけてしまって後遺症が残ったりしたら本当に大変だからやめたほうがいいと、でも青年は最後までどんな歩き方だったかはよく分からないけれど行かれたようだったと、そういうお話でした。
 彼には余程の思いがあったのでしょう、途中で挫折することはあらゆることが無に帰してしまうというほどの。お遍路は自由だからどんな思いを持って歩いても、独善的であっても構わないと思います。ただ一つ条件があります。人に迷惑をかけない、という不文律です。そういう歩き方で思いを遂げることができたとしても、本当にそれが結願に値することなのだろうかと思ったりします。
 ぼくは昨年足を痛めて歩けなくなって、すぐやめる決心が付きました。笑顔で挨拶ができなくなって、続ける意味などどこにもない。人に笑顔を向けられないだけでなく人の笑顔を奪ってしまうようなお遍路はもはやお遍路でも何でもない。やめて帰ってくることは辛かったけれど、無理に続けることはもっと情けないことだと分かっていました。そうして、今年改めてその続きから歩き直して、本当によかったと思っています。ご褒美をいっぱいいただきました。昨年失敗して本当に良かったと思えるほどです。失敗していなかったら、あんなこともこういう出会いもなかったでしょうから。



 うたんぐらの朝食は種類がいっぱいで楽しくなってしまいます。食事の後はご主人がコーヒーをいれてくれて、本当にまったりしてしまいます。くつろぎすぎて大事なことを忘れてしまったのですが、それもまた後で、うれしい一言をいただきました。来年もまたしっかり歩いてね、と言われたような気がして感激しました。来年は納経帳を持って歩く計画はしっかり立ててはいるのですが、このように宿の人から待ってますよ、と言われると本当にしっかり確かに歩くのだと気持ちが引き締まります。
 6時半には発つつもりだったのですが、落ち着きすぎて6時55分の出発になりました。電車は八十場駅に停まったからマリンライナーではありません。


 7時47分、79番札所天皇寺に到着しました。いつもはみき旅館から来ることが多かったので正確な比較はできないのですが、ベストより1~2分早かったようです。玄関先までご夫妻が見送ってくれたので最初からトップスピードで歩いてしまいました。


 7時59分、天皇寺を出発、6分で踏切の前まで来ました。電車は観音寺行きです。


 踏切のところに白峯寺方面の矢印があるのですが、ぼくが最初ここに来た11年前にも、別のものですが、ありました。その時には不思議でした、なぜ順番も違うし近道でもないだろうに、どうして白峯寺に先に行かねばならないのだろうと、でも7年前実際に歩いてみると結構な近道であることが分かって、この道しるべの意味が納得できたのでした。今回も7年ぶりに白峯寺に向かいます。


 踏切を渡り、県道を横断します。


 田園の中の静かで気持ちのいい(へんろ)道です。今日も快晴です。


 県道16号の交差点にちゃんと遍路シールがありました。


 川の土手に上がっていきますが、この感じは全く記憶に残っていませんでした。


 綾川、雲井橋を渡ります。


 この感じは少し記憶に残っています。


 これから登る白峯が悠然と待ちかまえています。


 天皇寺から42分、番外霊場松浦寺です。


 お墓の中を登っていきます。この部分は特徴的なのでよく覚えています。


 境内に上がってきました。


 裏側の出口を下っていきます。境内を抜けると少しだけ近道になります。登り下りがあるから時間的にはほとんど変わらないのかもしれませんが。


 突き当たったところに道しるべがありました。


 県道180号に出てきました。


 ごく緩やかですが山登りは始まっています。


 県道は観音寺、高家神社に突き当たって大きく左に折れていきます。しばらく登ると視界が開けて瀬戸大橋が見えてきます。写真では左の2本の支柱しか見えませんが、肉眼では岡山に近いところまで見えています。


 県道は大きくUターン、青峰根香寺方面を望みます。


 県道がまた反対側にUターンするところで点線の登山道が始まります。


 勾配はあるのですが、国分寺から登る道よりは、大分楽だったという記憶があります。


 登ってきた坂道を見下ろします。前回より少しきついような感じがしています。ここで方向転換。


 さらに急な石段が続きます。


 9時17分、81番札所白峯寺に到着しました。山門の手前の道が工事中で少し遠回りの道を歩いたので正確な比較はできないけれど、ほぼ同タイムでした。


 白峯寺ではお参りの後15分ほど休みました。13km近く歩いたからもう少し休んでも良かったのですが、出発時間が遅くなったのであまり余裕がありません。
 9時48分に出発して、82番札所根香寺に到着したのは10時44分でした。
 お参りの後、うたんぐらでいただいたおにぎりで昼食です。昼食でご飯を食べるのは、足摺岬以来14日ぶりです。


 根香寺を11時20分に出発、国分寺へ向かう場合、この白峯寺から来る山に道に入るのですが、今回はそのまま県道を歩くことにします。
 この少し手前で、男女の歩きの人とすれ違って、逆打ちですか、と声をかけられました。いいえ、国分寺だけ後回しなんです、と答えると、そんな歩き方もあるんですねと感心されました。赤線があっても、普通は順番通り歩くことしか考えません。近道だと分かっても大半の人が順番通りでしょう。


 県道を歩いていると、ちょっと眺めのいいところに出てきました。


 国分寺へ下りていく山道の入口です。ここから上がってきた人が県道を横断して山道に入ろうとしていたので、白峯寺は県道ですよ、と注意したら、宿の都合で根香寺に先に行くということでした。それなら正解です。根香寺、白峯寺、簡保の宿坂出、ということのようです。とすれば、正規のルートより5km以上余分に歩くことになります。


 下り山道からもおなじみの絶景です。


 12時39分、80番札所国分寺に到着しました。最後のところでおかしな道に入ってしまったので正確なタイム比較はできませんでした。でも下り山道もそんなに辛くなくて、かなりいい調子でした。


 4回目のドリンクで一息入れます。


 国分寺では30分ほど滞在、13時07分に出発です。国分寺から一宮寺への道はしっかり赤線が付いていますが、7年前初めて歩いたときは、やはりすごく心配でした。でも迷ったところもはずしたところも一つもなく、何度も歩いているへんろ道とあまり変わらない感じで最後まで行くことができました。だから今回も、地図を見直すこともなく、気軽に入っていけました。写真は関ノ池の横を通って国道11号に出てきたところです。順番の違う道ですがちゃんと四国のみちの道しるべがあります。


 国道を横断すると分かりやすい赤矢印もあります。


 色落ちしていない真新しいへんろみち保存協力会のシール、矢印は一番新しいタイプのようです。


 県道39号の交差点にも四国のみちの道しるべです。昔はこちらの道を歩くお遍路さんが多かったのでしょうか。


 高松自動車道の横を歩いて、離れた後は一気に道幅が広くなります。写真は撮らなかったけれど、左の方には屋島や八栗がくっきり見えています。7年前には気がつかなかったところです。


 国道32号の交差点は地下道で渡るのですが、地下道のミラーにも矢印があってちょっと感動、地下に入ると方向を失う人は少なくありませんから。


 迷わず地上に向かうことができます。


 香東川、香東大橋を渡ります。ここまで来ると、という感じです。


 香東川から8分で、本来のへんろ道の合流ポイントが見えてきました。歩道橋の交差点を右折するとへんろ道に入ります。


 高松南高校の少し手前のへんろ道です。


 14時32分、83番札所一宮寺に到着しました。


 お参りの後、再び水屋に戻って、お大師さんの手からあふれ出る水を、手のひらで受け取って何杯もごくごくいただきます。あと6km歩くための鋭気を直接いただいたような気になります。


 14時48分、一宮寺を出発、宿に向かいます。県道に出てきたところにあるローソンは過去2回自分の欲しいものが全くなかったので無視します。800mの所にあるローソンはご覧の通りの姿です。ここもこの時間には欲しいものが全くなくて失望させられたものです。


 5年前来たときこのコンビニができていたので、安心してローソンをスルーしました。期待通りの品揃えで、菓子パン4個とチョコを買います。


 16時01分、本日の宿ビジネス旅館三鈴に到着しました。ベストより20秒遅れだったのですが、時速は5.55km、1日の最終盤にしては今までにない好調な歩きでした。お大師さんの水と塩分の摂取が効いたのかもしれません。
 浄瑠璃寺で会った歩きの男性にこの宿を紹介すると、休業だったと言われて、ややショックだったのですが、5年前に泊まったときに、「もし休業していても、4年連続で泊まったということを言ってもらえれば開けるから、予約の時にそう言ってください」と言われたので、そのとおりに伝えると、ややうろたえられたのですが、素泊まりでよければ何とかします、ということで、無理矢理のように5年ぶりにやってきたのでした。
 玄関で、無理を言ってすいません、とまず謝りながらの挨拶をします。とんでもないという風に気持ちよく招き入れてくれました。2階の広い方の部屋に通されて、5年前のいきさつを改めて説明すると、奥さんも休業に至ったいきさつをとうとうと話されました。最後にぼくが泊まった1~2年後に休業したのですが、以後もこれはというお遍路さんには泊まってもらうことがあったそうです。ただ最近は気力がなくなってほとんど断るようになってしまったということでした。続けたいという気持ちは半分あるのだけれど、食事の用意ができなくなってしまったことや、親戚の人たちからももう閉めてもいいんじゃないかと言われたりで、そちらの方に気持ちが傾いてきているようでした。ぼくはひたすら、うんうんと話を聞かせていただきました。ぼくが言ったのは、高松の真ん中で畳の部屋で布団で休ませてもらえるお宿があるというのは本当にありがたいと思うお遍路さんは多いと思いますよ、ということだけでした。話し終えた奥さんは、踏ん切りを着けるように頷いて、分かりました、これからも続けさせてもらいます、はっきり言われました。素泊まりでしかできませんが3500円でやりたいと思います。上げた顔はすっきりした表情で、じゃあお風呂用意してきますね、と階下へ行かれました。
 本当にこれでよかったのだろうかという思いは残ります、宿を続けることで張りが出るということがある一面、お遍路相手だと大変で、かえって気持ちが沈んだりすることもあるかもしれないと思うと、少し責任を感じてしまいました。いいおへんろさんがたくさん泊まってくれることを願うばかりでした。


16日目 藤川旅館~68,69,70,71,72,73,74,75,76,77,78~うたんぐら

2014-07-19 | 14年四国の旅

 16日目は一番忙しい日です。今回の旅で一番なのはもちろん、今までのすべてのお遍路の旅で一番多く札所を巡ります。68番から78番までの11ヶ所の札所を1日で巡ったことは3回あるのですが、今回はそれに加え73番奥の院捨身ヶ嶽禅定に登ります。
 今までは、とてもそこまでの時間がとれなかったのですが、今回の宿はチェックインが16時から、お風呂が17時からなので、初めて登る気になれたのでした。


 宿を5時46分に出発、7分で68番札所神恵院、69番札所観音寺に到着しました。納経しないのでこんなに早くても問題ありません。来年は納経するので前日にお参りをすませます。


 観音寺を6時13分に出発します。朝靄にうかぶ本山寺五重塔、ここに来ると必ず撮影したくなる大好きなへんろ道です。


 6時54分、70番札所本山寺に到着しました。6日ぶりに晴れてきました。久万高原から松山に下りてきた翌日から昨日までずっと曇りか雨でした。


 本山寺の山門の前にある電話ボックスで本日の宿と明後日の宿に予約を入れます。今日の宿には17時までに入るようにします、と言うと、ご主人がマイペースで来てください、とやさしく答えてくれました。
 7時12分に本山寺を出発、55分でほ志川旅館の前に来ました。この旅館の存在は2巡目以降は知っていたはずなのに、実際にここにあることを確認したのは今回が初めてです。これだけ大きな看板があってその前を歩いていても、7回とも気がつかなかったというのは、ほんとに不思議な感じです。


 本山寺から弥谷寺までは2年前の別格区切り打ち、4年前の日帰りでも歩いていてたくさん写真を撮ったから、今回はもういいかと歩きに専念したのですが、2年前同様、お山が近づくにつれ足が止まりました。坂がきつくなってくるから当然ではあるのですが、どうしても07年の記録におよばないのが、はがゆいところです。
 ベストより4分遅れ、9時04分、71番札所弥谷寺に到着です。山門までもきつかったのですが、そのあと、本堂までの長い長い階段もいつになく弱々しい歩きになってしまいました。


 弥谷寺ではお参り、登山を含め44分の休憩で9時48分に出発です。
 弥谷寺を出て22分、国道11号に入って200mの所に新しい宿ができていました。2年前は弥谷寺から山越えで海岸寺に向かったのでこの前は通っていないからこの4年の間にできたということになります。宿泊費無料で夕食朝食2980円。72番門前の門先屋、73番門前の坂口屋が廃業になったので、ここに宿ができて重宝する人はいると思います。ふれあいパークみのはちょっと高いようですから。


 10時21分、72番札所曼荼羅寺に到着しました。


 10時40分、73番札所出釈迦寺に到着しました。写真は山門の少し手前のお大師さんですが。


 出釈迦寺でお参りを終え、いよいよ奥の院へ向かいます。昨年電車の中からため息混じりで眺めた我拝師山に今足を踏み入れています。11時02分に遙拝所の脇を抜けて登り始め17分経ったところです。本堂はまだまだ見上げるような高さです。舗装道が続きますが勾配は相当なものです。


 我拝師山山頂と奥の院、急峻な坂道、息も絶え絶え、その横を若い男性がスタスタと追い抜いていきました。お遍路さんではなく、地元の信者の方で定期的に登られているようでした。そうでないと、あのスピードでは登れません。


 さらに3分ほど登って振り返ると、この眺め、遙か瀬戸の島々も望むことができます。


 11時25分、出釈迦寺から23分で念願の捨身ヶ嶽禅定に到着しました。へんろ地図では73番から1396mとあったから、26分以内で上がって来られるだろうと予想していたので、まず想定内でした。山門の中の腰掛けに女性が休んでいます。


 いよいよ本堂でお参りですが、ろうそく立ても線香立てもなく、納札入れもなく、賽銭箱だけがありました。山の上だから火の用心が第一です。下からそれらの掃除や世話をするのにいちいち上がってくるのも大変なので敢えてなくしたのかもしれません。お参りを終えて写真を撮っていると、山門で休んでいた女性が上がってきました。やっとここまで来ることができたんですよと声をかけると、じゃああの上まで登らないのと、中腹を指さします。七歳の大師が身を投じた場所は知ってはいたけれど、そこまで登ることができるとは思ってもみませんでした。徳光さんも本堂の前までだったし、四元さんはここまでも登らなかった。あそこまで登ると時間的に厳しくなるかもと一瞬ためらったのですが、ここまで来て本当の捨身ヶ嶽に行かないのは、登らなかったのと同じではないかと思い直し、登り口まで連れていってもらいました。傘は置いていきなさい、と言われ、素直に従い崖登りです。鎖はあるのですがすごく怖かったです。女体山よりも怖い。


 弘法大師捨身尊像が迎えてくれました。


 下を見るとこんな感じです。山門の小さいこと。


 崖からの下りは登りよりも怖いという人が多いようですが、ぼくは逆で、すっかり落ち着いていました。山門まで下りてきたのは11時54分、少し時間がかかりましたがとても清々しいいい気分です。山門からの急な下りも横峰寺や雲辺寺ほどのつらさは感じません。距離が圧倒的に短いせいもあるでしょうが。下界近くまで下りてくると讃岐富士の姿も望むことができました。
 出釈迦寺の境内を抜けて山門を出発したのは12時13分、想定より11分遅れてしまいましたが、何とかなる範囲です。


 12時39分、74番札所甲山寺に到着しました。


 お寺の中の新しい建物の軒下にベンチがあって、横に自販機もあったので思わず贅沢してしまいました。昼食休憩です。でも時間がないのでチョコとかりんとうを慌てて放り込みます。10分ほどの休憩で次の札所に向かいます。


 4年前には見かけなかったすごい建物ができていてびっくりです。前は手前の駐車場の部分に国立善通寺病院があったのですが、新しい建物は四国こども医療センターと書いてあります。この広大な敷地を占めていた建物が全部きれいに消えているのですから呆れてしまいます。4年といえば長いけれど、何回も来ているから感覚としては半年か1年くらい前のつもりになっています。


 13時12分、75番札所善通寺に到着しました。まだまだ15km近く残っているので落ち着いてもいられません。今回も大師堂が先で本堂が後のお参りです。来年は納経もするし時間的にも少し余裕があるので山門をちゃんとくぐって本堂からお参りするつもりです。
 出釈迦寺から甲山寺まで、甲山寺から善通寺まではベストタイで、いい動きだったのですが、13時28分に善通寺を出るとそれまでと同じようにはいかなくなってきます。距離も時間も重なっていく上に、お参りの数が多いので休憩時間がほとんどとれません。76番札所金倉寺に到着したのは14時01分、ベストより1分半の遅れ、しかも時間がどんどん押してきて余裕がなくて写真を撮るのも忘れてしまいました。
 休憩なしで14時23分、出発です。




 道隆寺の300mほど手前で民家の庭先にいた奥さんから声をかけられました、お遍路さん、お接待させてください、一旦家の中に入って持ってこられたのは手作りのお地蔵さん(お大師さんかも)。徳光さんがお接待を受けたのはこのお家だったのかと合点がいきました。ああこれですね、徳光さんの番組で見せていただきました、と言うとたいそう喜ばれました。納札を手渡すと、それを見てまた顔がほころびました。お会いできて良かったですと、言っていただきました。こちらこそ、そういう風に言ってもらって本当にありがたいと思いました。歩かせていただいているのだとつくづく思います。冥利とはこのことなのだと思います。お地蔵様はぼくの机の上の安野光雅画伯の終い弘法の額の隣に鎮座しています。来年のお遍路の時はもちろんザックに入れて同行二人です。


 15時04分、77番札所道隆寺に到着しました。やはりベストより1分遅れですが時速は6.33kmなので思ったほどは悪くありません。冷水器でたっぷり水分を補給します。もうひとふんばり、休憩なしで15時20分出発です。


 4分で、中野アナのふるさと丸亀市に入ります。


 16時03分、土器川、蓬莱橋を渡ります。今年はちゃんと右側の歩道を歩きます。


 橋を渡ったところに2年前にはなかった新しいコンビニができていました。5年前まではこの向かい側にあったコンビニで夕食を調達していたのですが、2年前来たとき廃業していました。入ったのですが適当な商品がなくて、そのまま出てきました。少し先のローソンで買うことができました。


16時33分、78番札所郷照寺に到着しました。ここから宿まで300mなのでなんとか予告時刻に間に合いそうです。慌ただしく流れ作業のようにお参りをすませたのですが、お庭だけは見ておかねばとしばし立ち寄って撮影です。このお庭も徳光さんの番組で初めて知った次第、本堂から大師堂へ向かうときにすぐ左に入ったところにあるのに、今まで何も見ていませんでした。動線にしか目が向いていませんでした。


 16時49分に郷照寺山門を出発、3分で本日の宿、善根宿うたんぐらに到着しました。何とか時間内に11ヶ所の札所と捨身ヶ嶽を巡ることができてほっと一息です。
 居間に通されると、郷照寺のお坊さんの奥さんが来ていて、ご主人とお話の真っ最中。
 宿泊客は、60代前半の男性、福井から自転車で来られて、高松から始めたので明日一宮寺で結願、22日かかったそうです。今お風呂に入っている男性は60代後半で連泊しているようです。善通寺まで歩いて、電車でこの宿の近くまで来て、翌日また電車で善通寺まで戻って国分寺まで歩いて、また電車で宇多津まで戻ってこの宿に泊まるというやり方があるようです。朝食付き1000円ですから、倹約遍路には最適なのですが、ぼくはもっと先に進んでしまうのでそういうことはできません。


4月22日 15日目 つるや旅館~65,66,67~藤川旅館

2014-07-14 | 14年四国の旅


15日目は今回の旅で一番たいへんな日です。全区間ベストタイで歩いても7時間34分かかります。できれば7時間以上は歩きたくないと常々思っているので、ほんとうに最後まで機嫌良く歩けるか自信がありません。
 6時47分に宿を出発、7分ほどで04年から3年連続で泊まった大成荘の前に来たのですが、その前半分がなくなっています。ぼくが泊まった部屋もトイレも風呂も食堂も後ろ半分にあったし、駐車場はこちらの看板も出ているから、この状態でも営業しているのかもしれません。


 2年前にはあったはずの市民会館が消滅していました。


 消防・防災センター(仮称)ができるようです。


6時58分、65番札所三角寺に到着しました。いつものことながら境内には車遍路の人が数人いるだけでいたって静かです。伊予三島の宿に泊まった人はもっとゆっくりの旅発ちになるから雲辺寺まで歩きの人に会うことはほとんどありません。


 7時16分に三角寺を出発、39分で平山のバス停の近くにある休憩所にやってきました。雲辺寺山が全く見えません。見えなかったのは初めてです。三角寺の手前の見晴らしのいいところから伊予三島の町も霧に覆われて全く見えませんでした。霧なのか雲なのかはたまたPMなのかよく分かりませんが。


 8時18分、別格14番椿堂常福寺に到着しました。07年以来のベストタイでした。08年と12年は別格13番から来たので記録はないのですが、09年の時はかなり不調だったので、何とか気持ちよく歩きたいと思っていました。
 境内には遍路装束ではなく登山用の服を着けた男女カップルが休憩中でした。三角寺の方に向かったから昨日は民宿岡田に泊まったのかもしれません。逆打ちという感じは全然しなくて、ハイキングかトレッキングという感じでした。30分ほどしっかり休んで、県境に向かいます。


 椿堂から35分で曼陀峠の登り口にやってきました。当初は8年ぶりに登ってもいいかなと思ったのですが、8分の遠回りになるので自重することにしました。来年は今回よりずいぶん楽になるので登れると思います。


 2年前来たとき、ここでへたり込んでしまいました。6月だったのでいつものような歩きはできませんでした。


 椿堂から45分、境目トンネルが見えてきました。伊予の国から阿波の国へ入ります。愛南町に入ったのは5日目だったから11日間伊予の国にいたことになります。今回は出石寺への地蔵越えで18kmほど余分に歩いたから11日ですが、いつもの年は10日です。


 徳島県三好市に入りました。


 有名な民宿岡田ですが、ぼくの歩行距離ではどうしても合わなくて、まだ泊まったことはないし、これからも泊まれそうにありません。箸蔵寺に行ったときも雲辺寺を越えておおひらまで歩く以外の選択肢はありませんでした。


 9時59分、本日2回目の休憩ポイント、佐野郵便局に到着です。椿堂からのタイムはベストより20秒遅れですが、08年09年よりは早いのでまずまずでしょう。お金は昨日寒川局でおろしたので用事はないのですが、お願して中で休ませてもらいます。


 佐野郵便局では15分ほど休憩、10時15分に出発です。12分で徳島自動車道の上まで上がってきました。ちょうど2週間前ここをバスで通ったことを思えば感慨深いものがあります。曲がりなりにも550km歩き続けることができています。


 雲辺寺は08年09年12年とうまく登れなくて、今回はなんとか07年のような感じで登りたいと思ったのですが、前半ペースをあげすぎたようで息切れで何度か立ち止まる場面もありました。長く感じたので07年ほどの歩きはできていないと自覚します。
 佐野局から50分で曼陀峠からの道と合流するポイントに上がってきました。


 上がってくると舗装道です。山道の後半からはかなりペースは持ち直してはいます。


 佐野局から67分で、箸蔵寺からの登山道が合流してくるポイントです。08年と12年に歩いたこの自動車道も本当に難しい道でした。勾配のバリエーションが多くて、なかなか合わし辛いようです。


 あと10分弱だけれど、ここからがまたきついんですよね。


 前の山門があった場所です、ゆえに、11時34分、66番札所雲辺寺に到着です。佐野局から76分、ベストより1分遅れでした。やはり難しかったです。09年よりは大部ましだったけれど、前半もう少し落ち着いて歩ければよかったのにと思います。


 本堂、大師堂でのお参りを終えて、納経所の前にある休憩所に行くと、歩きの男性が休んでいました。青空屋に予約しているけれど、この時間だと早く着きすぎてしまいそうなのでどうしようかと思案中です。この時間だとゆっくり下りても13時半くらいに着きそうです。青空屋のご主人夫妻はお遍路の経験者なので早く着いても入れてもらえると思いますよ、と根拠のない助言をしてしまいました。
 下着がびちゃびちゃですごく寒いので着替えることにします。焼山寺では着替えることが多かったのですが、ここで着替えることはあまりなかったと思います。水堂でペットボトルに美味しいお山の水を補給して昼食にします。
 お参りと昼食を含めて55分の休憩で、12時28分に出発します。


 観音寺の町が見えてきたので、撮影したのですが、下りの山道は横峰寺と同様、最悪です。雲辺寺の下りの前半は比較的やさしかったというイメージがあったのですが、すぐ辛くなりました。これだけ負担を感じたのは、1巡目の時以来だったかもしれません。


 青空屋の前に下りてきたのは、13時半くらいだったのですが、雲辺寺でお話しした男性がちょうど玄関に入っていくところでした。お互い気がついて手を上げて挨拶を交わします。助言した通りで少しほっとします。
 写真は萩原寺からの赤線の道が合流してくるポイントにできたお休み所です。2年前にはできていたけれど、5年前雲辺寺から下りてきたときにはなかったから、その間にできたはず。大興寺は近いけれど、雲辺寺から7.6kmだから休みたくなる人は多いでしょう。


 14時28分、67番札所大興寺に到着しました。雲辺寺から112分もかかってしまいました。03年04年よりは早いのですが、05年06年07年09年より遅くなってしまいました。帰ってからしっかり対策を練らなくてはと真剣に思います。


 大興寺までがベストより12分も遅れてしまったので、休憩はとらずお参りのあとすぐ出発です。大興寺を出て15分、国道377号沿いに新しい民宿ができていました。伊予三島に泊まった人は青空屋までの人が多いし、民宿岡田に泊まった人は観音寺まで行く人がほとんどだから大興寺の近くに泊まる人は少数派にはなるけれどいないわけではありません。ぼくは民宿おおひらには4回泊まったけれど、そのいずれも3~4組の泊まり客がありました。2年前にこの宿があれば泊まっていたはずですが、もう箸蔵寺に行く予定はないので、泊まることはないでしょう。


 今日の宿は夕食付きで予約しているので、明日の朝食と昼食をマルヨシセンターで調達します。ぼくの100mくらい先を歩いていた男性のお遍路さんももこの中に入っていきました。


 16時20分、本日の宿藤川旅館に到着しました。ベストより1分遅れ、かなり持ち直しました。


 宿の撮影をしていると猫が出てきてぼくの足元にまとわりついてきたり、おなかを見せたりしてくつろいでいます。カメラを向けても動じる様子はありません。撮影を終えて玄関に向かうと一緒について来ます。ドアを開けると即座に中に駆け込んでいきました。ドアを開けてもらうために愛想をしていたようです。


 藤川旅館は4回目の投宿ですが食事をとるのは初めてです。全体に地味だとか品数が少ないと思われるでしょうが、2食付き5000円、夕食付き4500円の宿ですから、文句のつけようがないし、コスパは十分です。お鍋はイノシシです。ぼくはこの齢にしてイノシシをいただくのは初めてです。全くくせがなくていくらでも食べられる感じ、四国の宿ではほとんどがお魚がメインだからたまにこういう食事があるとありがたいです、しかもこの値段なので倍ありがたい感じがします。それに加えてお風呂が新しく大きくなっていました。5年前まではやや古めの普通の家族風呂だったのですが、別のところに湯船も洗い場も倍以上の大きさの気持ちのよいお風呂ができあがっていました。四国のお風呂では柳屋旅館と民宿中村別館のお風呂が最高に気持ちいいと思っているのですが、それ以上でした。このお風呂に入るために戻ってきたいと思わせてくれるほどです。トイレはシャワートイレで洗面も清潔、文句なしの◎のお宿です。今までは食事をしていなかったのでおすすめ宿に入れられなかったのですが、これからははっきりとおすすめできます。


4月21日 14日目 B旅館小松~64~旅館つるや

2014-07-11 | 14年四国の旅


 14日目は平地の日です。距離は43kmで長いのですが、お参りは1ヶ所なので、6時35分に宿を発ちます。
 38分46秒で64番札所前神寺に到着です。最初の部分がいつもと違う道なので正確な比較はできないのですが、ベストよりちょっとだけ早かったようです。上々のたちあがりです。
 前神寺の本堂は5年前とちょっとその姿が変わっていました。徳さんのお遍路さんを見て知ってはいたのですが、やはり前の姿の方が後ろの山並みと相和して好きでした。
 前はサイドの回廊とそれにつながる正面の建物がなく、本堂だけでした。


 7時30分に前神寺を出発、10分で国道に合流します。田園の中を行く点線のへんろ道は少し遠回りになるので、今回は国道です。点線の道を歩いたのは湯之谷温泉に泊まった07年が最後です。伊予西条駅の近くの宿に泊まると国道に出るしかないから、もう点線の道を歩くことはないと思います。それより、国道を横断して北側に続く讃岐街道は一度歩いておかねばと思います。加茂川に突き当たったところで橋がなくなっているので、一度国道に出て橋を渡ってまた北に戻るので歩く人がいなくなってしまったのかもしれませんが、昔はこちらがへんろ道ではなかったかと思います。


 国道は右側に歩道があります。


 加茂川橋です。


 橋を渡る前に右側を見るとホテルイレブンです。来年の計画では候補の一つだったのですが、伊予三島のビジネス旅館高雄が廃業になってしまったので、伊予西条駅の近くのアネックスあかやね(元はさぬきや)素泊まり3300円、に決めました。


 橋を渡りながら上流のメロディ橋を望みます。四元さんも徳光さんもあちらの橋を渡りました。


 前神寺を出て50分、コンビニがあったので本日最初の休憩です。今回の旅2回目のアイスでくつろぎます。ここは小松の宿と次の休憩地、喜光地商店街との中間地点で都合がよいのですが、西条駅前の宿だと喜光地まで11.8kmの間に適当な休憩ポイントがないのでちょっときつくなります。


 コンビニでは17分ほど休憩、8時37分に発ちました。コンビニから27分で点線のへんろ道が合流してくるポイントです。コンビニを出て200m先から点線の道に合流していく讃岐街道が残っているのですが、次回には歩いてみたいと思っています。


 コンビニから86分で2回目の休憩ポイント、喜光地商店街に到着しました。ベストタイでした。いつもと違って間に休憩をいれたので、大部余裕がありました。ステージのある広場はいつも朝市でにぎわっていたのですが、閑散としています。すぐ近くにでっかいスーパーができているから、衰退の一途を辿るしかないのでしょうか。


 喜光地商店街では40分の休憩、10時42分に出発です。25分ほどで旧街道が国道に合流します。


 5年前までは合流したところにスーパーがあって、食料の調達に入ったものの適当なものが全く見あたらずそのまま出てきたということがあったのですが、その建物が完全に消滅してコンビニができていました。スーパーの前にあった電話ボックスで宿の予約を入れたこともあったのですが、それも消えています。


 合流ポイントから700m先にまた旧街道が現れて、800m先でまた国道に合流、そこにデイリーヤマザキがあって、最初の頃は必ず食料を買うようにしていました。ヤマザキから700mほど先にまた旧街道が現れますが、この道はへんろ地図には載っていなくて、今まで一度も歩いたことがありませんが、今回は歩きます。


 赤矢印は国道を指示していますが、ぼくのパソコン地図にはちゃんと讃岐街道と書いてあるし、ちゃんとつがっているし、ほとんど遠回りにもなっていません。ぼくはこの部分の国道が嫌いなので、渡りに船という感じです。


 15分ほどで、一旦国道により沿います。


 すぐに旧街道に下りていきます。今度は矢印が旧街道の方に向いていますが、今までこれに気づいたことはありません。


 四国のみちの道しるべもあります。


 新居浜市と四国中央市の市境のところで国道に合流していきます。


 国道の歩道に上がってすぐ、街道は逆方向の坂道を上ります。まさか反対方向のこの道が街道だとはだれも思わないでしょう。もちろん、登りきったところでまた折り返して下りの道になります。遠回りになるので遍路シールも道しるべもありません。


 峠から350mほどで少し太い道に出て突き当たって少し迷ったのですが、右に少し行くと電線の方向に入る道があります。


 峠から600mで赤点線の道に合流です、何とか予定の道を歩ききりました。


 12時42分、別格12番延命寺に到着しました。本日3回目、最後の休憩をとります。今回の旅2回目のスポーツ飲料を買います。今日はちょっと贅沢な日です。


 延命寺では20分の休憩、13時05分に出発です。
 延命寺から48分、土居インターに上がっていく高架を抜けたところにある、橋が架け替えの大工事中で、一瞬びびったのですが、ちゃんと歩行者用の仮設橋がありました。


 コンビニがあったので明日の朝食を買ったのですが、いつものコンビニではなかったようです。遍路道からちょっと距離があったのでおかしいとは思ったのですが。2年前には気がつかなかったらそれ以降にできたのかもしれないし、その時は気がつかなかっただけなのかもしれません。


 15時22分、本日の宿つるや旅館に到着です。やはり最後は少しペースが落ちました。でも時速にして140mほどの差なのでそんなに悪くもありません。


 チャーハンはすごく美味しかったのですが、右上のアサリとキノコのおつゆはお酒がきつすぎて飲めませんでした。ぼくは四国の宿では大根のけんも添え物のパセリやキャベツも出されたものは全部食べるようにしているのですが、このおつゆだけは駄目でした。日本酒が苦手というわけではないのですが、味付けの範疇を遙かに越えていました。具材はもちろん全部食べましたが。
 夕食付き7500円、決して悪い宿ではないのですが、ぼくはいつもここでは素泊まり3000円の宿に泊まっていたので、どうしてもすごい割高感があります。支払いを済ませながら来年はどうしようと考え込んでしまいました。


4月20日 13日目 B旅館小松~60,63,62,61~B旅館小松

2014-07-08 | 14年四国の旅


 13日目は、距離も歩行時間も今回の旅で一番短いので、7時半の出発です。同宿の人たちはとっくに食事を終えて発っています。
 小松から横峰寺に登る場合、本来下ってくる道を登るのが一番の近道で、そうする人が多いと思いますが、ぼくは本来登る道を歩きたいので、国道11号を西に向かって石根郵便局の少し手前の交差点でへんろ道に合流します。わずか2kmほどの遠回りにしかなりません。40分で交差点が見えてきました。時速6.36km、食事をとって時間が経っているので昨日よりよく身体が動いています。朝から雨が降っているので、山登りはどうすべきか、思案中です。


 9時15分、横峰寺の登り口にやってきました。石根の交差点から61分、時速から見るとほぼ例年通りのスピードです。ここで本日最初の休憩です。途中で追い抜いた二人の男性は休憩をとらずにそのまま登っていきます。しこくやからだとすればここまで8km以上あるから休んでもよさそうなのに、5年前に追い抜いた3人とも休まなかったし、ちょっと理解に苦しむところです。


 5年前登り口のベンチで、湧き水を汲みに来ていた村上さんとしばらくお話をしました。彼のお母さんは車で100回以上88ヶ所を巡られた先達さんでした。すごい話を聞いて元気をもらって気持ちよく登れました。その前年に記録を意識してすごい記録を出したのですが、それ以上のタイムで登ってしまいました。直接会ったわけではないけれど、先達さんに導かれたのだと思いました。
 ということがあったので、今回は雨も降っているしタイムなど気にする必要ないと言い聞かせながら登り始めました。30分休んで、やっぱり傘はたたんで杖にしました。でも植生が深いせいか雨はほとんど気になりませんでした。合羽を着ている人には申し訳ないくらい快適でした。五年ぶりの山道をひとつひとつしっかり味わいながら登ることができました。速さよりも着実に一定のペースを保つこともできていたように思います。
 結果、昨年と同タイムで山門前に上がってきました。雨が降っていると寒いので普通の時より無意識に体がよく動くということがあるので、そのせいもあったのかもしれません。
 10時29分、60番札所横峰寺に到着しました。でも山門はくぐらず先に星ガ森に向かいます。


 山頂部分に雲がかかって、写真ではよく分からないのですが、肉眼ではものすごい迫力です。そして雲海、荘厳とはこのことをいうのか、圧倒されるばかりです。
 山門から星ガ森まで登りで8分下りで6分、10時47分に戻ってきました。横峰寺はバスツアーの人で大層にぎわっていました。歩きの人も何人か見えます。ここまではごきげんだったのですが。


 横峰寺ではお参りを含めて35分の休憩で、11時22分に出発です。12分で自動車道から山道への分岐点ですが、今回は8年ぶりに自動車道を下ります。


 下りの自動車道は本当に大変でした。6日前の鳥坂峠よりも大変でした。何しろ距離が1.5倍あるからそれだけ余計に耐えながら歩かねばなりません。ひざが弱くて、思い切った踏み出しができません、歩幅もスピードも自然と押さえ気味になってしまいます。8年前9年前のことはほとんど覚えていないけれど、こんなに弱々しく苦しい歩きではなかったと、それだけは言えると思います。バス乗り換え所までのタイムは、8年前より8分も遅れてしまいました。時速は5.8kmでした。


 黒瀬峠を過ぎてからは、勾配が緩やかになるので何とか生き返りました。松山自動車道越に小松の町を望みます。


 13時28分、63番札所吉祥寺に到着しました。黒瀬峠からのタイムは8年前より1分早く、6,3kmも出ました。平地になるといつも並の力は出せるのですが・・・。
 ここでもバスツアーの人たちと一緒でした。ぼくが苦しみながら下っている最中、みなさんは昼食を摂っていたのでしょう。


 13時56分、62番札所寶壽寺に到着です。自動車道から下りたのでこの区間は逆打ち、伊予小松駅の近くで男性とすれ違い、境内に入るときにも、昨日敷島旅館の手前の休憩所で会った、ラテン系の若い女性が納経を終えたところでした。みなさんこの時間に横峰寺を越えてこられたのはなかなかのスピードです。おそらく、伊予西条駅の近くの宿まで行かれるのでしょう。


 14時21分、61番札所香園寺に到着しました。今回は本堂の二階には上がらず、子安大師でお参りをします。本堂の正面でもお参りをしていますから、十分だと思います。
 お参りを終えて、宿とは反対方向にあるスーパーに向かいます。コロッケ4個、菓子パン2個、かりんとう、柿の種を買いました。夕食と明日の朝食、昼食ですが、帰ってしばらくしてからかなり後悔しました。夕食付きで泊まっていたら、またすごい出会いがあったかもしれなかったのでした。
 15時10分、出てきた宿に無事到着しました。


4月19日 12日目 ますや旅館~54,55,56,57,58,59~ビジネス旅館小松

2014-07-06 | 14年四国の旅


 5時56分に宿を出発、距離は昨日と同じですが札所が6ヶ所なので30分早く出ます。天気は曇り、予報では雨は降らないようです。
 宿を出て10分、国道に出てくると左側に5年前にはなかった広い歩道ができています。町へ入っていくときは左側なのでこの歩道はありがたいです。



 6時34分、54番札所延命寺に到着しました。ベストより1分半ほど遅れました。まだ身体が起きていないような感じです。自転車遍路の人が納経が始まるのを待っています。ぼくは今回は納経しないので、お先に6時47分に出発します。


 国道317号に出てきました。半年前のしまなみ海道ツーデーマーチのゴール前の道でした。ちゃんと戻ってきました。


 7時20分、55番札所南光坊に到着しました。延命寺から33分、ベストタイ、ようやく身体が動いてきたようです。


 8時01分、56番札所泰山寺に到着しました。南光坊から28分、ベストタイです。まだここまで、札所でも道中でも歩きの人には会っていません。会うとすれば今治駅の近くの宿に泊まった人がほとんどだから、追いつくのはまだまだ先になりそうです。


 蒼社川の土手の道に上がっていくすぐ手前に5年前にはなかった遍路小屋がありました。54番から58番までは札所間の距離が3km前後なので、なかなか途中で休もうという気にはなれないと思いますが。


 栄福寺の手前の山際の道です。5年前は裏の神社越えの道を歩いたので、6年ぶりです。


 8時45分、57番札所栄福寺に到着しました。5年前にはなかった不釣り合いなすごい建物が迎えてくれます。徳さんのお遍路さんを見ていて知ってはいたのですが、やはりしげしげと眺めてしまいます。前はそこにトイレがありました。もちろん納経所も新しくなっていました。
 年配の女性の歩き遍路さんがぼくの少し先にお参りをしていました。シューズはミズノのOD100GTXです。ぼくが5巡目から7巡目まで使用したシューズなので親近感を覚えます。ぼくが本日最初の休憩をとっている間に先に出て行かれました。


 栄福寺ではお参りを含めて30分の休憩をとり、9時15分に出発です。歩きの女性は10分以上先に出られたので、なかなか追いつかないだろうと思ったのですが、自動車道に出てくる手前、犬塚池のところで追い越しました。もちろんお先に失礼しますと声をかけて道を譲ってもらいました。自動車道に上がってしばらく行くと来島海峡大橋を望むことができます。来たときはいつも眺めるけれど、今回は半年前にあの上を歩いてきたばかりだから少し違った感慨があります。今治市から今年の参加申込用紙が届いているけれど、今年は八重さんのふるさとに行くので参加しません。もう一度歩き直したいという気持ちは十分ありますが。


 9時39分、58番札所仙遊寺に到着しました。到着したといってもこの山門前で、境内はさらに何十メートルも上にあります。タイムチェックポイントが原則山門前にしているので、一応到着になります。24分でベストタイでした。登りは好調だったのですが・・・。
 山門をくぐるときに上から白人の青年が二人下りてきたので声をかけました。イギリスから来たということと、全部野宿をしているということくらいしか聞けませんでした。外国から来る若い人は、お金がないということや、日本語ができないので宿の予約が難しいということで野宿をする人が多いようだけれど、ちょっともったいないと思ってしまいます。2日に1回、3日に1回でも民宿や旅館に泊まれば、もっと日本の文化や人々と深く接することができて、味わいも大部違ってくるのにと思います。
 山門から長い長い石段を登って、お参りをして、また石段を下って山門まで下りてくるのに25分かかりました。下りの途中で先ほど追い越した女性とすれ違いました。


 11時06分、59番札所国分寺に到着しました。仙遊寺の下りは全然駄目でした。いつもより遅いというのははっきり分かりましたし、力を出そうという気にもなりませんでした。三坂峠よりもうまく下れなかったという感じすらします。それに下におりてからの歩きもぎこちない感じでした。ということでベストより2分遅れ、でももっと遅いような感じもしました。とっくに着いているはずのイギリスの青年の姿は見えませんでした。男性の歩きの二人連れがちょうど納経を終えて出発するところです。今治駅周辺の宿に泊まるとこれくらいの時間になる人が多いようです。
 ぼくはお参りを終えて納経所の外にあるベンチで昼食です。


 国分寺ではお参り昼食を含めて52分の休憩、11時58分に出発です。本日のお参りは終わりましたが、まだたっぷり20km残っています。
 国分寺から4kmの所にある、道の駅今治湯ノ浦温泉で宿の予約を入れようと立ち寄ると20分先に出た二人が休憩中でした。電話は故障中ですぐ立ち去ります。写真は国分寺から5.5km、国道196号から県道に入るところです。


 県道に入って2分で西条市に入ります。したに小さく旧東予市の文字があります。東予市は2004年の11月になくなりましたが、同じ年の4月に西予市が新たに生まれています。


 小松13kmの文字、まだたっぷり2時間以上あります。


 国分寺から8.2km、田園の中の道が県道に合流するところに休憩所があります。いつもはこの1,8km先の敷島旅館に泊まることが多かったので、休むことはなかったけれど、今回の宿はさらにその9km先なので、ここで最後の休憩をとります。休んでいたら、ラテン系の若い女性が追い抜いていきました。


 敷島旅館の少し手前のところに電話ボックスがあったので、14日目、15日目、17日目の宿に予約を入れました。伊予三島のビジネス旅館高雄が廃業で仕方なくつるや旅館に変更です。
 敷島旅館までのタイムはベストより20秒遅れただけでした。国分寺でたっぷり休んだのでかなり復活したというところでしょう。敷島旅館からは遍路道ではなく旧東予市役所経由で小松に向かいます。この道は05年と06年、横峰寺の登山道が不通(06年には何とか歩けるようにはなっていたようですが)になったので仕方なく自動車道で登るために赤線のない道を歩いたのでした。現在は西条市役所東予総合支所になっているこの建物の前までは8年ぶりになるのですが、ここから先しばらくは2年前の別格巡りの時に歩いています。生木地蔵から県道48号で壬生川駅まで歩きました。


 東予支所の交差点を右折して500m行くとコンビニがありました。今日は素泊まりで予約したので、夕食と明日の朝食を調達します。


 コンビニの先の大きな交差点を左折して2kmほど進むと中山川を渡ります。


 写真ではほとんど分からないのですが、肉眼でははっきり石鎚の姿をとらえることができています。信号機のポールの先端の左側です。右側の肩がすとんと落ち込んでいるところ、山頂付近は壁のようになっている、というのをBSの番組で見た覚えがあります。ぼくはまだ星ガ森に一度も行っていないので石鎚を生で見るのは初めてです。この平野部からも見ることができると、自分の目で確かめられて感動しています。明日は星ガ森に登るけれど雨の予報が出ていて期待できないので、ここからでも拝むことができて本当によかったと思います。


 15時50分、本日の宿ビジネス旅館小松に到着しました。讃岐街道を通って先にお肉やさんの方に行ったのですが、閉まっていました。到着すると、ぼくのすぐ後からも男性が入ってきてすごく繁盛している感じです。ぼくは連泊で両日とも素泊まりなので、先に支払いを済ませます。2日分で8200円、6年前泊まったときより425円の値上がり、2食付きは5940円でした。
  ぼくが泊まったのはこちらの本館ではなく、お肉やさんの2階でした。3部屋あって、2日とも満室、別館が満室ということは本館もそうだったと思われます。栄家さんが休みだったから、こちらに流れた人も当然いると思います。国分寺で先に出たお二人も少し遅れて別館に案内されてきました。
  仙遊寺からここまで歩いて連泊する人、あるいは翌日は伊予西条駅の近くまで歩く人、さらに横峰寺を登ってから泊まる人もいるから、シーズン中は早めに予約しないと、あぶれる人も多いかもしれません。ぼくは来年以降は、壬生川の田中屋に泊まるので心配ありません。


4月18日 11日目 泉ゲストハウス~52,53~ますや旅館

2014-07-04 | 14年四国の旅


 夜明け前から雨が降っています。6時半に出発するので、5時半に荷物をまとめて1階の食堂へ下りていきます。ちょうど日本人女性が出ていくところで、「おへんろさんですか?」とぼくを珍しそうに眺めます。コロコロのついたスーツケースを持っているから普通の観光客のようです。食堂にはテレビがあるのですが故障中、外国の人が多くて見る人もあまりいないから修理する気はまるでないようです。台所でコーヒーをいれて一人静かに朝食をとります。昨日近くのコンビニで買った菓子パン二つです。夕食も同じでした。夕食の時、向かいに座った白人女性はお寿司と天ぷらを食べていて、ちょっと可笑しくなりました。

 6時半に宿を出るときには雨はほぼあがっていました。当初は山田池、吉藤池の横を通る道を行くつもりだったのですが、天気が悪いのでいつもの道を行くことにしました。25分ほど歩くと雨が降ってきました。国道196号に出てくる少し前に2ピースの合羽を着けたお遍路さんにあったのですが、この程度の雨であの格好で歩くのは本当に大変そうです。ぼくは傘を開くだけです、止めばすぐたたんで時間もかかりません。
 7時54分、52番札所太山寺に到着しました。タイムチェックはこの2番目の門でしています。ここから本堂まではだいぶあるので滞在時間は普通の札所より10分以上長くなります。


8時23分に太山寺を出発、18分43秒で53番札所円明寺に到着しました。ベストより15秒遅れでした。靴の中がぐっしょりなのでそれが影響したかもしれません。雨は中間あたりで止んでくれました。2時間弱雨の中を歩いたことになります。


 徳さんのお遍路さん、で紹介されたキリシタン灯ろうを押さえておきます。テレビではいろんなものが紹介されていいのですが、それを見ると本当にぼくなどは見ていないものが多すぎると思います。
 円明寺ではお参りを含め30分の休憩をとり、9時12分に出発します。


 大好きな海辺の歩道です。2年前電車の中から眺めましたが、歩くのは5年ぶりです。天気はよくないのですが、ここへ来ると心なしか弾んだ気分になります。


 光洋台駅の踏切を渡ります。ここからバイパスに入ります。へんろ地図では堀江駅を過ぎたところからバイパスに入るように赤線が付いていますが、遠回りになるしトンネルが二つあるので、ここから入ることにしています。海岸に近い国道は歩道の起伏の数が多すぎてものすごく疲れます。時速にすると500m以上遅くなります。


 国道196号バイパスは雨も完全にあがってかなり調子も良かったのですが、北条郵便局の前までのタイムはベストより1分遅れ、でも5年前よりは2分早かったので、ほぼいつも通りの歩きができたといえます。前は郵便局で休んだり、日曜日で雨が降っていたときは電話ボックスの中で休んだりしたのですが、郵便局は本局で居心地が悪かったので、今回は1800m先の鎌大師で休ませてもらうことにしました。円明寺から13kmでちょっと長く、間に休めるところは8km地点のパルティフジがあるのですが、今回は調子が良かったのでここまでがんばりました。
 休憩所には伊予柑のお接待があって、美味しくいただきました。こういうのは当たりはずれが大きいですが、果汁も甘みもたっぷりでした。しばらく休んでいると、男性の歩き遍路さんがやってきました。区切りで今日が初日、愛知県豊田市から来られました。
 鎌大師ではたっぷり45分休み昼食も摂り、12時02分に出発です。


 たくさん休んだので浅海の手前の峠越えはいつになく快調でした。国道に合流するまでのタイムはベストタイでした。国道に合流して1kmほど行くと、5年前にはなかった新しい歩道ができています。


 今治市に入ります。2005年1月までは菊間町、2巡目までは菊間町の標識を見ていたはずです。


 瓦の町、菊間町に入ると、国道を歩いていてもすごい大きさの鬼瓦を見ることがあるけれど、これは珍しい瓦のお大師さんです。札所や、別格、番外に居られるお大師さんはもれなく撮影するのですが、こちらも思わず歩が停まりました。


 13時15分、菊間駅の350m手前にある番外霊場遍照院に到着しました。ここで本日3回目、最後の休憩をとります。朝イチで歩いたときは浅海からだったので延命寺まで休まなかったし、午後歩いたときはこのすぐ先の月の家旅館がゴールだったので、この境内にはいるのは初めてです。山門の軒下にベンチがあったので腰を下ろします。


 遍照院では30分休憩、13時48分に出発です。6km弱進むと大西町(旧)に入ります。すでに今治市に入っているし、標識そのものを撤去するにも費用がかかるから、左肩に「旧」の文字を書き加えるしかなかったのでしょう。
 遍照院までは時速6.4kmで文句のない歩きができていたのですが、14時を過ぎると動きが鈍くなってくるのを自覚します。


 普段なら気にも留めないかもしれないけれど、35km以上歩いてきた身には心癒されるものがあります。


 美事です。見惚れている余裕はないのですが。


15時28分、本日の宿ますや旅館に到着しました。へんろ道からは少し離れた国道沿いにあります。遍照院からはベストタイムより5分も遅かったのですが、ベストは朝イチに歩いたときのものなので、1日の最後で6.23kmは出ていたからそんなに悪くはなかったと言えます。
 若いご主人が出迎えて案内してくれたのですが、物腰が柔らかくていい感じの人でした。外装はリフォームしていますが、中はかなり古い感じで、柳屋旅館や松乃家ほどではありませんが、ぼくの好きなタイプの落ち着ける宿です。浅海と菊間の宿がなくなって、電車でこの近くの宿まで来る人が多くなっていると思われましたが、宿泊客はぼく一人でした。大西駅から600mあって、駅前に二つの宿があるのでそちらの方に流れてしまうのかもしれません。ぼくも来年は菊間から大西まで電車で往復するので、あさひや旅館に泊まる予定です。


 夕食は少し遅い時間になったのですが、待たされただけあってご馳走でした。メインはたっぷりのローストビーフ、それに鯛の兜煮、いい味付けでした。
 ホームページには2食付き5800円とあったのですが、予約を入れたときには朝食はできないといわれました。夕食付き5616円でした。この食事でこの値段、すきなタイプの部屋で応対も悪くない、半分くらいの人は○にするかもしれませんが、ぼくは◎の評価です。


4月17日 10日目 古岩屋荘~44,46,47,48,49,50,51~泉ゲストハウス

2014-07-04 | 14年四国の旅


 今日の宿も16時チェックインなのでゆっくり6時半の出発です。宿からは赤点線の道ではなく赤線のない県道を歩きます。5年前この道で体調がおかしくなってうまく歩けなかったので、きっちり歩き直してタイムもとっておきたかったのです。写真は八丁坂のへんろ道が県道に合流するポイントです。岩屋寺を下りてきて橋を渡ったところからのタイムで見ると、5年前より2分半ほど早いタイムでした。上々の発ち上がりであり、昨日の最後半もよく歩けていたことになります。


 ときわ旅館で教えてもらった新しい宿八丁坂がありました。5年前にはなかったので初めて見ることになります。ぼくはまだ和佐路に泊まっていないので、泊まるにしてもその後になります。和佐路はこの300m先にあります。


 住吉神社です。ここからが本日のハイライトです。


 ここから県道12号を離れてへんろ道があるのを知ったのは6巡目を終えた後でした。四元さんが岩屋寺の打ち戻りで見慣れない道を歩いているのを見てやっと気づいたのでした。へんろ地図にもちゃんと赤点線が付いているのに気づくことはありませんでした。7巡目のとき当然歩くつもりでいたのに、体調がおかしくなって完全に忘れてしまっていつものように県道12号をそのまま歩いてしまったのでした。


 最初は県道153号です。


 100mほどで153号を離れ右折します。


 右側の家が、四元さんが猫を撮影していた所です。何となく見覚えがあったので撮影したのですが、帰ってからビデオを確認するとそのとおりでした。


 こういういい感じの道をはずし続けていたのは、ちょっと恥ずかしいです。


 この山間の集落がそんなににぎわっていたというのはにわかに信じられない気もしますが、いつ頃のことだったのでしょうか。


 古い旅館の建物が残っています。宿の営業はしていないようですが、


 いよいよ県道に上がっていきます。と思ったのですが、上がったところはまだ県道ではなく、一段下の平坦な道がしばらく続きます。


 今度は本当に県道に上がっていきます。住吉神社からわずか8分ほどですが、すごく満足しています。これで久万高原町の赤線の付いている道はほとんど歩いたことになります。来年からはオーソドックスに往路も復路も八丁坂にしようと思います。県道を行くより6分ほど遠回りになりますが、足にはやさしいはずです。


 県道に上がってきました。これだけ分かりやすい道しるべもあるのにどうして気づかなかったのか、脇道があるとははなから思っていないから、気づいたところで軽くあしらっていたのかもしれません。来年からは下りもこの道を歩きます。


 峠御堂トンネルの所から山道へ入り44番に向かったのですが、途中道が崩れて歩きにくくなっているところがありましたが、通行止めにまではなっていませんでした。かなりきつい登りもあるのですが、6年前のことを思い出しながら落ち着いて歩くことができています。時間からして朝イチで44番のお参りを終えた歩きの人と出会うかなと思ったのですが、一人も出会いませんでした。前日小田の宿や砥部町の宿に泊まった人は45番まで行って、打ち戻って古岩屋や和佐路、健脚の人は44番の近くの宿まで戻ってくるとしても、次は松山へ向かうから朝イチで大宝寺というのは自然と少なくなってしまうようです。


 7時54分、44番札所大宝寺に到着しました。山道の合流ポイントから49分、6年前と同タイムでした。
 5年ぶりに来てみるとトイレが新しくなっていました。前のはひどかったから早く何とかして欲しいとずっと思っていました。軽く万歳したい感じです。
 大宝寺から1600m、やすらぎの宿でんこのちょっと手前にあるコンビニで昼食を調達します。ピーチョコと芋けんぴ、今日の宿は素泊まりですが夕食と明日の朝食は宿の近くで買うことにします。20分の休憩で8時50分に出発です。この少し手前に新しい道の駅が完成間近だったのですが、撮影しませんでした。コンビニも撮らず、体がよく動くので歩きの方に意識が向いてカメラに手が伸びなかったのかもしれません。


 明神小学校の300mほど先、久万カントリークラブの入口の真向かいに八代生食堂がありました。素泊まり2000円の格安宿ですが、2500円という情報もありました。
 三坂トンネルが完成していて国道に合流してくる所は格好の撮影ポイントだったのですが、またもカメラに手が伸びません。いい感じで歩けているので、少しでも停まりたくないという意識が強くなっています。ポケットパーク明神にはコンビニから44分、ベストタイで到着です。2日前までは思うようなスピードが全然出なかったから、歩けるときには集中して歩いておきたいということなのかもしれません。明神PPの電話ボックスで2日後の宿、横峰寺の手前の栄家旅館に予約を入れたところ、その日は病院に見舞いに行くのでお休み、ということだったので3日後に泊まる予定にしていたビジネス旅館小松に変更、邪魔くさいので連泊にしてもらいました。栄家が休業にでもなれば、多くの人が小松まで行く(仙遊寺から25.6km)ことになるから、ますます小松は繁盛して、予約がとりにくくなるかもしれません。


 PP明神では20分ほど休憩して9時53分に出発です。調子は相変わらず絶好調でカメラの出番はありません。三坂峠を少し下りかけたところで松山の町が見えてきて本当なら撮影していたはずですが、とにかく先へ先へ。
 三坂峠は前半の地道の部分は好調だったのですが、舗装道の急勾配からはいっぺんに辛くなりました。初めてこの道を歩いたときのような感じです。それでも何とか久谷郵便局までPP明神から93分、いつもと同じくらいのペースで下りてきました。姫ノ井局以来6日ぶりにお金をおろします。


 11時38分、46番札所浄瑠璃寺に到着しました。
 お参りを終えて、納経所の前にあるベンチで昼食を摂っていたら、納経を終えた歩きの人が地図を見ながら思案顔、訳を聞くと、久万の宿を出てどれくらいかかるか全く見当もつかず下りてくると早く来すぎて、長珍屋はまだ入れないというのでどうしようかと迷っている、ということでした。ここからだと道後温泉まで遍路道沿いに宿はありませんよ、と地図を指さしながら教えてあげました。そして道後で手ごろな価格で泊まれるビジネスホテルさくらを紹介しました。早速携帯で予約を入れると無事安い方の部屋で予約完了、値上げはしていませんでした。明日はバスで高松まで行くのですが、高松の宿も紹介してもらえませんか、というので、ぼくがいつも泊まっているビジネス旅館三鈴を紹介します。ところが電話をすると休業しているとのこと、ぼくも1週間後に泊まるつもりにしていたのでちょっと焦ったのですが、5年前のことがあるから何とかなるだろうと、少し気を引き締めました。


 浄瑠璃寺ではお参りを含めて40分の休憩、12時21分に出発です。いつものように8分で47番札所八坂寺に到着しました。つつがなくお参りをすませ12時42分に出発です。宿まであと13km、お参りは4ヶ所、普通に歩けば16時前に到着します。


 7巡目まではこのあたりを歩くのはゴールデンウイークの後だったので、麦は黄色く色づいて麦秋の趣、今回は3週間以上早いので青々、いつもと違うので思わず撮影してしまいました。
 このあと48番札所西林寺には13時22分に到着、写真は忘れてしまいました。バスツアーの人たちと一緒でした。
 西林寺からは赤線の道は歩きません。歩道がなくて交通の激しいところがあったので4巡目からは歩道のある県道40号を直進します。踏切を渡って左折してからも県道を歩いていたのですが、左折してからは歩道がないので、今回は線路に隣接した路地のような道を行くことにしました。遠回りにはならないし快適です。


 14時04分、49番札所浄土寺に到着しました。
 ぼくがお参りを終える頃バスツアーのみなさんが入ってきます。


 14時40分、50番札所繁多寺に到着しました。浄土寺から15分、前の二つの区間は少し調子が落ちたのですが、この区間はやや持ち直しました。
 お参りを終えて山門を出るときにバスツアーのみなさんが到着、距離が半分だったので大部差が出ました。


 15時22分、本日最後の札所、51番石手寺に到着しました。県道40号に下りてくる少し手前の部分が道路工事中で、遍路道をはずれて早めに県道に下りたのですが、タイムは何とかベストタイでした。山門の手前で尼さんといい感じに挨拶を交わすことができました。今日は三坂トンネルの合流ポイントの近くでも、歩道の花壇の世話をしている地元の方からも素晴らしい笑顔の挨拶をいただきました。うれしい1日でした。


 15時57分、本日の宿、泉(せん)ゲストハウスに到着しました。石手寺から17分、道後温泉本館の前のアーケードを抜けて、24時間スーパーのある交差点を右折してしばらく行ったところにあるのですが、目印の24時間スーパーは廃業していました。
 ホームページを見ていたのですが、想像していたのよりずいぶん立派な建物です。個室もありますが、ぼくは相部屋2700円(お遍路は2500円)で予約しました。素泊まりのみの宿で、シャワーは無料ですが、お風呂は有料です。初めから本館に行くつもりで道後に宿をとったのでその点は問題ありません。若い奥さんは讃岐の人、ご主人はアメリカの人で、共にお遍路の経験者であり、スペインの巡礼路も歩いておられます。お手伝いの人も外国の人ばかりで英語が飛び交っています。お客さんもほとんど外国の人、ぼくの相部屋の3人とも外国の青年でした。10時近くに入ってきた人もいて消灯は11時過ぎでその点はちょっとまいったのですが、アイマスクさえあればずいぶん居心地のよい空間であったことは確かです。ぼくが今までに経験した相部屋の中では一番静かで落ち着けました。インスタントコーヒーもセルフで飲み放題です。個室でも時には相部屋並みにうるさいことがあるから、この2500円、温泉本館400円は悪くない、というよりかなりいいかもしれません。普通のお遍路さんにお勧めはできませんが、ぼくがまた道後に泊まるなら戻ってきてもいいなと思っています。
 道後温泉本館も8回目にしてようやく中に入ることができて大満足です。一番安いコースなので浴衣もお茶もなく2階にも上がれないのですが、それでも十分でした。制限時間の1時間近くたっぷり味わいました。

 

4月16日 9日目 大瀬の館~45~古岩屋荘

2014-06-26 | 14年四国の旅


 今日の宿はチェックインが16時なので6時半の出発です。札所も45番岩屋寺だけなのでゆったりしたスケジュールです。ゆったりといっても6km出ないと自然と焦ってしまいますが。
 天気は曇り、予報では雨は降らないようです。ゆっくりのびのび休めたので気持ちのよい発ちあがりです。
 ここは突合の1200mくらい手前の地点、5年前ここに来たときはこの歩道はまだ工事中でした。対岸のバイパスやトンネルも工事中でまだ完全には開通していなかったような覚えがあります。



 旧小田町に入ります。小田町は合併して内子町になったけれど、小田の人はいつまでも町民としての誇りを持っているのかもしれません。左肩に小さく書き加えらえた「旧」の文字を見てそんなことを感じます。


 突合です。08年09年は右折して小田の方に向かったので、左折して下坂場峠を越えるのは7年ぶりになります。このちょっと手前にできた近道のトンネルは今回やっと歩けることにはなったけれど、タイムを比較したいので今まで通りの道を歩きます。近道といっても200mちょっとのことです。


 突合から800mほどの所に立派な休憩所ができていました。この近くにバス停があったはずでそれがリニューアルされたのかと一瞬思ったのですが、そうではないようです。あさイチでまだそんなに歩いていないので休みません。


 250m先にちゃんとバス停がありました。以前はここで休むようにしていたのですが、今回はもう少し先まで休みません。


 さらに4km行くと薬師堂です。以前はこの水屋で水を補給していたのですが、今回は宿で入れてきた水がまだあるので立ち寄りません。


 落合トンネルが見えてきました。標識は300m先右折県道42号久万高原町とあります。最初来たときこの標識が目に入らなくてひどい目に遭いました。


 トンネルを抜けると・・・


 砥部町に入ります。ここにも右折久万高原町の標識があるけれど見えてなかったです。本当に余裕など全くなくて彷徨っている感じでした。


 トンネルを抜けたところにあるバス停が本日最初の休憩ポイントです。バス停の中には砥部町にある二つの旅館の案内板がありました。バス停であり旅館の送迎待合所にもなっています。橘旅館はとてもいい宿だと佐藤さんに教えてもらったので一度は泊まっておかねばという気になっています。来年は一挙に久万高原まで登ってしまうので無理なのですが再来年以降何とかしたいと思います。


 バス停では20分休憩、8時50分に出発します。3.5km進むと三嶋神社の前に来ます。小田の町から畑峠を越えてくるとこの前で合流します。昔は真弓トンネルがなくて、真弓峠は険しいので、小田の町に入ったお遍路さんはほとんど畑峠を越えていたのだと、来楽苦のご主人が教えてくれました。今日ぼくが歩いてきた突合を左折する道よりも、小田から畑峠の方がメインの遍路道であったとも言われました。ぼくはまだ畑峠は歩いていませんが、再来年以降ぜひ歩いてみたいと思っています。
 この少し前で、男性お遍路さんを追い抜きました。


 三嶋神社から1500mで県道を離れ短絡路に入ります。


 さらに2300mで舗装道から山道に入ります。


 9時55分、バス停から65分かかって下坂場峠に上がってきました。登り口からは7分ほどでそんなに大変な峠越えではありません。峠の中では一番やさしいといってもいいかもしれません。植え込みの縁石に腰掛けて休憩します。ここでは毎回休むことにしています。屋根はないのですが、今まで一度も降られたことはありません。翌日に降られたことが2回、午前中は降っていてここではあがっていたことが1回、雨が降っていても傘をさしながら休むことになると思います。この先にも適当な休み所はなかったように思います。


 峠で先ほど追い抜いた人が上がってくるのを待ちました。少しお話しできたらいいなと思ったのですが、思いの外時間がかかりました。疲れたもんで坂の途中で休んだんですよ、と言われたのですが、無理矢理座りやすい縁石を勧めました。そうですかと、つきあって腰を下ろしてくれました。どちらから来られたんですか、と訊かれたので、「姫路です」と答えると、「ぼくも姫路ですよ」、さらに驚いたのは「高校は○○高校に通ってました」、「ぼくもですよ、26期です」「ぼくは16期、10年先輩ですね」、その後教えてもらった先生の名前が次々飛び出しました。今は大阪狭山市に住んでおられるそうです。
 同窓の橘さんと話が弾んで下坂場峠では50分も休んでしまいました。それでも、チェックインは16時なのでまだまだ余裕はあります。10時45分に出発しましたがすごく元気になって弾むように峠を下っていきます。


 峠から下りきったところの分岐点です。赤線の付いている遍路道は左折してひわ田峠へ向かうけれど、今回は右折して農祖峠に向かいます。農祖峠は歩いたことはあるけれど、その先、国道に下りてから日の出橋に向かう道はまだ歩いていません。この道を歩くと久万高原の赤線の付いている道はほぼ踏破したことになります。


 下坂場峠から29分で農祖峠の登り口に到着です。予定していたタイムより2分も早く着きました。休憩が効いているようです。


 農祖峠は5年ぶり2回目です。前回は1日の後半で全然調子が出なかったことを覚えています。
 ひわ田峠方面に向かう矢印もあります。真弓トンネルができるまではこの峠を歩く人などいなかった、遍路道ではなかったと、これも来楽苦のご主人の話。


 普通に「のうそとうげ」と最近まで読んでいたけれど、正しくは「のうそのとう」、へんろ地図にもちゃんとふりがながあるのに思い込みで呼んでいました。
 峠までは明らかに5年前より快調で短く感じました。登り口から17分ほどでした。


 峠から800mほどで舗装道が始まります。この下りもいい感じで歩くことができました。逆打ちの男性とすれ違ったのですが、この時間からだと小田の宿に泊まることはないだろうしどうして遠回りの道を歩くのか首を傾げました。逆打ちの場合45番から素鵞神社、日の出橋経由の道を歩けば、さほど遠回りにならないし、ひわ田峠よりも標高が140m低い農祖峠の方が楽だということなのかもしれませんが。そういえば逆打ちでこちらの道を歩いたという人のブログを見たことがありました。


 さらに1kmちょっと下りてきたところで、舗装道から山道に入ります。これだけ下ってきたのに、この先にまたちょっとした登りがあって、5年前は気持ちがくじけそうになりました。


 山道に入ってから5分ほどで44番へ向かう道と、先に45番へ行く道の分岐点があります。5年前来たとき、いつかはこちらの道も歩くのだとしっかりチェックしたのを覚えています。


 「岩屋寺への遍路道は不通」と書いてある「不」の文字が消されています。つまり今は通れるということのようです。何年か前、素鵞神社から茶店跡の山道が歩けなくなったという情報がありました。今回この道を歩くにあたっていろいろ調べてみると、13年の情報で普通に歩くことができたというページを二つ確認できたので、この看板ではなく消された方を信用して岩屋寺へ向かいます。


 峠から27分、久万の町並が見えてきました。時刻は正午、どこからかウェルナーの「野ばら」のメロディが聞こえてきます。


 国道に下りていくところです。久万の標高は480mあるのでけっこう桜が残っています(今日は4月16日)。


 国道33号に下りてきました。北、町の中心部方面をを眺めた画です。
5年前はもう少し北側に下りてきたので距離も違うのですが、その時より5分早く下りてきました(登り口から)。


 道しるべもしっかりあります。


 国道から200mほど東に行くと久万の町を南北に貫いている通りに出ます。おそらく昔の国道であったと思われます。この道に出てすぐ東(日の出橋方面)に向かう広い道が県道153号です。この三叉路にパティオのようなものがありました。このあたりで休憩する予定ではあったのですが、適当な場所があるかどうか、初めて歩く道なので当てはなかったのですが、いい感じの休み場所です。


 ちょうど自販機があったのでアクエリアスを買います。今回の旅で初めての飲料です。この先には岩屋寺まで水を補給できるところがないので、初めから買うつもりでした。昼食は相変わらずかりんとうです。


 三叉路では25分の昼食休憩をとって12時30分に出発です。
 500mほど進んだところで、左へ曲がる道があって、これは?と一瞬迷ったのですが真っ直ぐ広い道が続いているので、曲がるのはまずいだろうと、そのまま直進したのですが、ぼくが歩いているのは2010年までのへんろ地図には載っていない新しくできたバイパスなのでした。左の上の方を見るとうねうねとした赤線の付いている本来の153号が見えています。バイパスの方が明らかに距離は短くて時間もかからないだろうけれど、赤線の道をはずしてしまったのでちょっと複雑な気持ちです。新しい地図にはこちらの方に赤線が付くことは間違いないのだから問題はないと言ってもいいのでしょうが。


 元の153号が合流してくるところです。


 越ノ峠のちょっと手前が合流ポイントです。これだけ削っているのだから昔の道はもう少し高いところにあったのかもしれません。


 このあたりが越ノ峠のようです。


 県道153号は左へ折れて河合、住吉神社の方へ向かいます。ぼくは右に折れて日の出橋に向かいます。右折れの道は県道209号。


 ここから209号が始まります。岩屋寺まで6,5kmとあるけれど、途中険しい山道があるからどれくらい時間がかかるか見当はつきません。


 209号に入ってすぐ短絡路があります。こちらの道を歩く人はかなり少ないはずですが、ちゃんと遍路シールがあります。


 昼食休憩をした所から38分で日の出橋に到着しました。バイパスを歩いたので、予定していたタイムより5分以上早く着きました。
 日の出橋から岩屋寺までの道は6年前に歩いていて2度目になります。6年前は反対から来ました。小田の町から新真弓トンネル、その後は農祖峠には行かず、国道380号を直進、露峰落合の交差点も直進、美川小学校の先から県道209号に入りました。この道はカラーのへんろ地図になってからは赤線が付いていませんが、白黒の地図には付いていました。新真弓トンネルを抜けた場合、農祖峠を越えるよりも高低差が少なくて歩きやすいので赤線が付いたのかもしれません。時間的には、今回のバイパスを使った場合、6年前の道の方が3分くらい早く、バイパスがなかった頃には10分くらい早かったと思われます。赤線が付いていたのも納得がいきます。


 日の出橋から18分、6年前と同タイムで素鵞神社に到着しました。ここで本日4回目、最後の休憩をとります。


 素鵞神社では20分ほど休憩、13時45分に出発です。4分ほどで本格的な登り口です。ここまでの道は何となく記憶に残っていたのですが。ここからの5つの屋敷跡の横を登る急坂は全く記憶に残っていませんでした。急坂が終わるあたりで、6年前は工事(植林のための整地?)をしていて、そのあたりの景色はぼんやり覚えていました。


 素鵞神社から28分で八丁坂茶店跡に到着です。6年前より1分早く、後半の緩やかな起伏の所では身体の方が先に動いてしまうという感じでした。迷い所も全くなく道が荒れているところもありませんでした。草が多めの所や道が細いところもありますが少し注意すれば全く問題のない程度です。


 茶店跡の説明板には興味深いことが書かれています。槙ノ谷から上がるコースこそが本来のコースであることを示そうとしてこの大きな石碑が建てられた、しかも1748年という古い時代に。それだけ歴史のある道を今歩いてきたということのようです。もちろん順打ちが基本ですからその頃も八丁坂を歩く人の方が多かったのだとは思いますが。
 茶店跡からはいくらかの登りもありますが、素鵞神社からのきつい登りを味わったすぐ後のせいか、全く問題になりませんでした。この日までは午後からは疲れの目立つ歩きになっていくことが多かったのに、そういう感じはまるでありません。足にやさしい山道が影響しているのかもしれません。


 茶店跡から25分で行場の入口にやってきました。


 昨年、藤井寺の手前、鴨島駅の近くにあるさくら旅館の夕食時に話題になった『せりわり行場』です。前日数年がかりの区切り打ちで結願を済ませた二人の女性お遍路さんが、ある鎖場で滑落して大けがをした人がいたということを、話された。ただその場所がどこの札所だったか思い出せず、周りの人に訊いたところだれも答えられなかったのです。ぼくも、全く見当が付かなかった。鎖場で思い出すのは歯長峠と女体山くらいでした。この前には往路で5回、復路で2回も来ていたのに、全くなにも見ていませんでした。


 この解説板もまともに読んだことがありませんでした。


 入口には鍵がかかっていましたが、お願いすればだれでも入って登れるようです。中を覗くと、入ったところからすぐ鎖が連なっていました。


 茶店跡から31分、14時47分に45番札所岩屋寺に到着しました。雰囲気のある山門ですが、この光景は、バスツアーの人も、車遍路の人も、バイク遍路の人も、自転車遍路の人も見ることは先ずありません。たっぷり汗をかいて八丁坂を越えてきた歩き遍路さんだけが味わえる光景です(境内側からは見ることはできますが、でもこちら側にも山門があることをどれだけの人が気づいているか)。
 境内にはたくさんのバスツアーの人たちが次々と上がってくるところでした。岩屋寺だけは車で巡っている人も汗をかかねばなりません。太龍寺や雲辺寺はロープウェイ、八栗寺はケーブル、焼山寺、鶴林寺、横峰寺、などはお寺の近くに駐車場があるけれど、ここだけはすべての人が標高差230m下の駐車場から自分の足で登るしかない。息を切らせながら次々によろよろと境内にたどり着く、水屋を使う余裕もないくらいの人もいます。
 ぼくは、お参りを終えて水屋の水をペットボトルに入れて喉を潤します。ここと金剛福寺と横峰寺と一宮寺では毎回水屋の水をいただくことにしています。


 15時37分、岩屋寺から26分で本日の宿古岩屋荘に到着しました。3日連続初めて泊まる宿です。チェックインの時間より大部早いのですが、中で待つところもあるだろうし、運がよけりゃ早めに入れてくれるだろうと期待しながらフロントに行くと、用意はできていますのですぐに入れますということでした。


 夕食はまずまずです。お風呂は大きな岩風呂で時間が早くてぼく一人、部屋も特に問題はなし。フロントの応対もまあ普通以上だったし、◎をつける人が半分くらいいるというのも理解できます。でもぼくは、もう一度来たいかと訊かれると、いいえと言うしかないので、○の評価になります。一番安いAコースで2食付き7500円(税込み入浴料込み)、夕食付き6600円、素泊まり4650円です。


4月15日 8日目 ときわ旅館~大瀬の館

2014-06-23 | 14年四国の旅


 夕食の時に今日は別格金山出石寺への地蔵越えの道を歩く(2年前は瀬田道を歩いたので)と言っていたら、朝になってご主人が、道しるべを設置したいので同行させてもらえないかと言われました。そういえば、昨日鳥坂峠で見た道しるべと同じものが食堂の片隅に立てかけてあります。もちろん、何の問題もないので即同意します。初めての道だから、タイムを気にする必要もありません。
 バナナは昼食の時にいただくことにします。


 6時31分に宿を出発です。マメがきれいに乾燥して全く痛みも違和感もありません。めちゃくちゃ快適です。今回の旅で最高のコンディションといってもいいと思います。いくらでも出せそうな感じですが、もちろん無理はしません。初めての山道もありますし、距離も40kmちょうどです。


 気分がいいので肱川橋からの大洲城を押さえておきます。


 県道234号は右に折れて久米川を渡ります。足が本当に自由に動くので楽しくて仕方ありません。


 宿を出て35分、久米川を渡ります。


 直進すれば伊予平野駅、出石寺は右折、大きな道路標識があるので遍路シールを確認するまでもありません。


 踏切です。


 直進、沼田瀬田経由出石寺、2年前歩いた道です。
 右折、地蔵堂経由出石寺、これから歩きます。
 ここまでの平均時速は6.2kmですが、まだまだ余裕はあります。


 分岐から2分でこの登り、


 写真でも分かるくらいの結構な勾配ですが、そんなにきついという感じはありません。迷いどころですがすぐ先に道しるべが見えています。


 宿を出てから1時間05分、ここから山道に入っていきます。分岐点から1kmほど入ったところです。


 この白いロケット型の道しるべが、ときわ旅館のご主人が設置されたものです。ちゃんと立ってたぁ、とご主人も安堵の表情です。


 道しるべが色あせて分かりにくくなっているので、ご主人がザックから赤マジックを取り出して、書き直します。マジックを持って歩いているお遍路さんもいますが、ぼくなどはまだまだそこまでの余裕は持てません。


 また白ロケットです。要所であると本当に安心して歩けます。特に初めての道だと一本道でも道しるべが全然ないと自信がなくなって間違った道に入り込んでしまったのではないかと不安になることがあります。2年前歩いた瀬田道でまさにそういう感じの山道があって、何十分も足場の悪い山道をさまよってやっと見つけたのがときわ旅館の遍路札でした、あのときは本当にうれしかった。


 広い道に上がってきました。横断してすぐ山道に入ります。へんろ地図のH250のポイントに近いところだと思われます。


 リスがいたので撮影したのですが、うまく映っていませんでした。


 また広い道に出てきました。へんろ地図とは別にパソコンで作った地図を持っていたのですが、もうどのあたりを歩いているのかほとんど分かっていません。


 広い道から山道へ入ります。入口にはきっちり白ロケットがあります。


 舗装道に上がってきました。へんろ地図のH390のポイントの近くの道のようです。


 山道へ入っていきます。おそらくこれが最後で次に舗装道に上がったところがぼくのゴールだと思われます。


 瀬田道との分岐点から50分、そろそろゴールも近いかなと思われた、ここから少し登ったところで思わぬことが起こりました。道が二俣に分かれたところがあって、左の道はその入口が倒木で完全にふさがれている。当然右の方に入っていったのですが、後ろから歩いていたご主人が、こちらにへんろ札がありますよ、と声をかけてくれました。なんと倒木の横にへんろ札が掛かっているではありませんか、一人で歩いていたら完全に迷っているところでした。ここまで気持ちよく歩いてきて最後の最後で道をはずしていたら、かなり落ち込んでいたかもしれません。本当に同行二人です。


 ときわ旅館ご主人、藤江修さんです。最後までお世話になりっぱなしでした。
 8時28分、宿から2時間で赤線の付いた下りの舗装道(この道で登る人もいます)に上がってきました。ぼくはここから大洲の町へ引き返しますが、藤江さんは出石寺まで行ってお参りするということで、ここでお別れです。こういう素晴らしい人がいるからまた戻って来たくなります。


 合流ポイントで少し休憩、かりんとうとバナナをいただきます。
 下りの道は勾配が緩やかで膝に負担の掛かる所は少なくて気持ちよく歩けます。2年前は足に怪我をした直後で、あまり力が出せなかったのですが、その時よりは明らかに元気よく歩けています。ここにくると必ず1枚は押さえたくなる絶景です。写真ではよく分からないけれど、肱川橋も大洲城も見えています。
 下りの舗装道に合流したところから肱川橋まで89分で下ってきました。時速は6.1kmでした。2年前はチェックポイントが少しずれていてきっちりした比較はできないのですが、おおよそでいうと今回の方が2分ほど早かったようです。時刻は10時28分、宿まであと22kmほどです。1時間休憩しても15時半には楽々です。


 肱川橋から39分で別格8番札所十夜ヶ橋永徳寺に到着しました。ベストタイムより15秒だけ遅れました。昨日一昨日とは大違い、8~9割の力は出せているようです。
 この少し手前にスーパーがあったので昼食を調達しました。ミンチカツ2個とコロッケ1個、合計147円です。今日の夕食と明日の朝食は内子町に入ってから買うことにします。


 昼食を摂りながら、別格も開創1200年の記念スタンプや御影を出しているのだろうかとぼんやり考えています。


 残念ながらぼくはこの童謡を知りません。ラジオでもテレビでも聞いたことがありません。30枚近く持っている童謡のCDにも入っていません。この歌を知っているのは一世代二世代上の人たちだけになってしまったのかもしれません。これは板張りなので歌碑と言えるかどうか、迷うところですが、本物の歌碑は冨士山の頂上にあるそうです、なかなか頂上に登る余裕はないのですが、再来年以降何とかしたいという希望は持っています。


 30分ほど休憩して11時40分に十夜ヶ橋を出発します。
 まもなく、国道で歩きの女性を追い越します。宇和の宿から内子の宿まで32kmほど歩くようです。
 国道を離れ、稲田橋を渡って新谷の町に入っていきます。遍路道らしい雰囲気のある街道です。


 新谷郵便局です。6年前、ここでペットボトルに水を詰めてもらいました。出石寺にお参りして正午を過ぎていてすごく暑かった。午後からこのあたりを歩くのは6年前と今回の2回だけです。


 県道から国道に合流、1kmちょっとで大洲市から内子町に入ります。


 デイリーヤマザキは健在です。朝7時からの営業だから無理なくやっていけるのでしょう。すべてのコンビニがセブン~イレブンだともっと健全な世の中になるのにと常々思っています。
 ここから国道を離れ山道に入っていきます。


 運動公園を抜けて内子の町へ入っていくところです。国道を離れてからはあまり調子が出なくなりました。このすぐ後、鉄道の高架をくぐる所がタイムチェックポイントなのですが、ベストより3分ほど遅れました。昨日一昨日よりは大部ましですが1日の後半になると出だしのようないい感じでは歩けなくなります。


 高架をくぐってすぐ右折、駅前にスーパーがあったはずなので駅に向かうと、なんとスーパーが完全に消滅していました。今日の宿は素泊まりなので食料を調達せねばなりません。ちょっとうろたえながら駅の案内センターに入ってスーパーはどこでしょうと尋ねると、駅前の道を真っ直ぐ行って国道に突き当たったところにありますということで、一安心です。安心したので最後の休憩をとります。あまり早く着いてもどうかということでたっぷり30分休みます。
 めちゃくちゃ広い駐車場のあるパルティフジで、菓子パン4個と芋けんぴとかりんとうを買います。


 国道を離れて大瀬の集落へ入っていく分岐点です。時刻は14時57分、宿まであと1700mほどです。国道379号は午後から歩いた6年前よりやや調子が出なかった感じです。お遍路無料宿の前で二人の男性お遍路さんが休んでいました。この時間からだと小田や砥部町の宿まではちょっと時間がかかりすぎるし、来楽苦はこの日はお休み、大瀬の館はぼくが泊まるから、他に選択肢がなかったか、あるいはもともと野宿、善根宿、通夜堂中心で巡っているのか。
来楽苦の近くに「いかだや」という新しい宿ができたとときわ旅館で教えてもらったのですが常時営業しているようではないようです。ここがちゃんと営業してくれてお遍路さんの間に知られていくとどんなにいいかと思います。


 15時16分、本日の宿大瀬の館に到着しました。予約したときに、散髪屋の上本さんに鍵を預かってもらっていますのでそちらを尋ねて下さいと言われました。上本理髪店は街道を左折して宿に向かうその角にありました。奥さんが愛想良く宿に案内してくれます。お接待の牛乳と栄養ドリンクがテーブルに置いてありました。お風呂の入れ方を教えてもらって、鍵はテーブルの上に置いてそのまま出ていって下さい、店で声をかけなくても構いませんからと、説明を受けます。それから、屋根裏にムササビが居ついているようなので気になるかもしれませんが、と言われます。
 ホームページで間取り図や写真を見ていたので、大体のことは分かっているつもりでいたのですが、実際に入ってみると、やはりずいぶんとゆったりしています。一人で持て余すのではないか、落ち着かないのではないかという、懸念もあったのですが、むしろ逆でした。ものすごくくつろげたし落ち着けました。時々ムササビがごそごそするのですがそれも愛嬌です。テーブルには日本茶とインスタントコーヒーのセットもあって、これもありがたいところです。数年前まで3000円だったのが4000円(2人以上は3000円)に値上がりしたのですが、それでも安いと思えるほどいい気分の宿です。もう1回来たいと本気で思いました。


4月14日 7日目 遍路宿もやい~41,42,43~ときわ旅館

2014-06-13 | 14年四国の旅


 宿を6時03分に出発します。痛みは残っていますが靴下を薄手のものに換えると幾分楽な感じもします。雨は完全にあがっています。
 みま町(旧)に入るところで本日最初の1枚。


 務田駅の陸橋を越えたところ、この田圃の中の一本道は大好きな光景の一つです。山に霧(雲)がかかって,さらにいい感じです。


 7時13分、41番札所龍光寺に到着しました。時速は6.14km、昨日の前半より少しだけ速いくらいですが、雨が降っていないので昨日のようにだんだん落ちていくことはないと思います。


 気持ちのいいみまの花の道です。徳さんのお遍路さんでタイトルバックにも使われていました。目を奪われて一瞬痛みを忘れます。


 7時57分、42番札所仏木寺に到着しました。やはりベストよりは大部遅いのですが、昨日よりはよく動けています。龍光寺で一緒だった車遍路の人たちがお参りしています。龍光寺から30分なので車遍路のの人と再会することが多く、びっくりされる方もいます。
 お参りを終えて、鐘楼の前のベンチで休憩します。宿から10kmなので毎回ここで休むことにしています。


 仏木寺から2.2km、歯長峠の登り口ですが、2年前歩いたので今回はトンネルです。登りはいいのですが下りはかなり荒れている所があってあまり歩きたい道ではありません。


 トンネルを抜けると西予市です。

 歯長トンネルを抜けた後の下りの方が歩きやすいとたかをくくっていたら。途中倒木で完全に道がふさがれていて、下をくぐるにも、乗り越えるにも容易ではなくて、無理をしたらすてんと尻餅をついてしまいました。昨日の雨で少しぬかるんでいてズボンがどろどろです。
 5巡目までは肱川に架かる歯長橋の手前にある遍路小屋で休むようにしてきたけれど、3kmくらい先にも休憩所があって、そちらには水道もあるので6巡目からはそちらで休むようになりました。


 道中安全見守大師の前で本日2回目の休憩です。時間は9時46分、まだまだ快調という感じはありませんが、昨日に比べればだいぶましです。ペットボトルに水を満たして、15分の休みで出発です。


 10時30分、43番札所明石寺に到着しました。歯長橋からの平均時速は6.1km、遅いながらもペースは維持しているようです。境内は車遍路の人が数人いるだけ、歩きの人はまだ見かけません。徳島の方では相当なにぎわいだという話も聞いたけれど、こちらでは全然そんな感じがありません。むしろ例年より少ないのではという感じすらします。
 あと21km残っているので、ゆっくり30分休んで(お参りの時間も含む)きりよく11時00分に出発です。


 2年前は明石寺から卯之町駅へ向かったので、駅の近くから先の道は5年ぶりに歩くことになります。明石寺からは10km先のトンネルの手前のバス停まで休まないことが多かったのですが、もう少し手前で休みたいという気持ちも強くて適当なところを探すのですがなかなか見あたりません。そうしたら、いきなり新しい休憩所が目に留まりました。でも、5km足らずの所なので、まだまだ休めません。
 7km以上行った東多田のあたりに公民館のような建物があって、その軒下に腰掛けるところがあったのですが、あいにく何かの行事があるようで大勢の人が周りにたむろしていて休めませんでした。
 もうだいぶバス停に近くなった頃、道ばたにおあつらえ向きの段差があったので休むことにしました。雨が降っていなければ十分です。雨が降っていれば公民館で休めばいい。


 バス停のすぐ先に新しい遍路小屋ができていました。ここまで休まずがんばるというのもいいかもしれません。


 トンネルは4.5km、鳥坂峠へんろ道は5.5km(札掛庵まで)と書いてあります。今回は10年ぶり(2巡目の時以来)に峠道を歩きます。


 かかる時間も書いてあるけれど、真剣には見ていません。


 国道を離れていきます。


 国道を離れてから峠の登り口に至るまでの道は見事なくらい全く記憶に残っていませんでした。


 峠道の登り口です。ぼんやり残っていた記憶よりは道幅が広くて、10年の歳月を感じます。3~4回歩いても記憶に残らない道も多いから、当然のことではありますが。


 登り口から15分ほどで、大部高いところに上がってきました。ここまで歩いてきた宇和町の集落を望みます。国道もはっきり見えています。ここまでの登りはそんなに大変ではなくて、ぼんやり記憶にも残っていました。


 登りも緩やかになって、まだ味わいながら歩けています。


 道が二俣になってちょっとした迷いどころ。


 登り口から34分、まだ余裕はありますが、


 古いへんろ石があったので撮影したのですが、下りになってから撮ったのはこれ1枚です。本当にひどいものでした。10年前の記憶としては、下りはまずいということと2度と歩くべきではないという2点でした。そのことの意味を改めてかみしめながら下る長い長いへんろ道です。長くてそのほとんどが膝に負担がかかる急な勾配でしかも足場が悪い。ほとんどが歩きにくい砂利道です。あるいても歩いても終わりません。これだけの長さは記憶に全く残っていない、つまりそれだけ苦しく辛かったということでしょう。


 14時08分、登り口から61分かかって、ようやく峠道の最終盤にある番外霊場札掛大師堂までやってきました。


 お大師さんもおられますが・・・


 本堂の中は荒れ果てて住んでいる人はおろか面倒を見ている人もいないようでした。


 大師堂からどのような道を歩いて国道に合流したかも全く覚えていませんでした。道しるべに従って3分ほどで国道の標識が見えました。


 大師堂から4分で無事国道に合流しました。すぐに赤矢印が出迎えてくれてうれしくなります。


 14時15分、本日最後の休憩ポイント、ポケットパーク札掛に到着しました。6巡目以降はここで休むようになりました。それまではトンネルの手前のバス停から大洲の町(肱川橋)まで休みなしで歩いていました。
 トンネルの手前のバス停からここまで78分かかりました。トンネルを歩くより30分の遠回りになりました。ちなみに、10年前の峠歩きのタイムは、細かく区切ったタイムはとらなかったのですが、明石寺から十夜ヶ橋の700m先のふるさと旅館までの大きなタイムで比較してみると、今年の方が2分早いという結果でした。25kmで2分ですから、ほぼ同じと見ていいでしょう。10年前は足を痛めた覚えがなかったから、今回は辛い辛いと言いながらもよく頑張って歩けたということになります。
 15分の休憩、14時35分に出発です。ベストだと宿まで52分、峠の下りで膝がガクガクだから15時30分に着ければいい方でしょう。
 峠の下りは二度と歩きたくない、かといってトンネルも歩道がなくて危険、その両方を避ける道があります。峠まで登って少し過ぎたところから国道に出ていく道(トンネルを出たところにあるバス停に下りていく道)があったはずです。時間は同じくらいかかるかもしれませんが、あの下りの6割以上は回避できると思います。調子が良ければ来年試してみたいと思います。


 臥龍山荘まで0.7km、大洲市街へ入っていきます。本日のゴールも間近です。


 肱川橋です。この手前の部分、国道の両脇の建物がありません。新しい橋を架け替えるための立ち退きだそうです。宿まで700mです。


 15時31分、本日の宿ときわ旅館に到着しました。9回目にして初めて泊まります。いい宿だとは聞いていたのですが、翌日久万高原まで行くとなると、4km先のふるさと旅館まで行かないとかなりきつくなるので、行き過ぎるしかありませんでした。今回は明日別格7番出石寺への道を歩き、大瀬までしか行かないのでようやく泊まることができるのです。
 初めて泊まる宿ですが、ご主人はぼくのことを知っているようです。4年前、日帰りしかできなくなって、徳島の遍路小屋に自作の遍路宿情報を置いたところ、それを持って歩いてくれた方が、この宿で同宿の人に見せたところ、これはいいとなって、ご主人にコピーをお願いしてみなさんに配った、ということがあったそうです。たまたま鳴門のバス停で会った京都のAさんからそういうお話を伺いました。ぼくの宿情報やホームページを見ているお遍路さんは少なくないですよ、とAさんは言われたのですが、ほんとかなと、ぼくは半信半疑でした。
 とはいえ、ご主人とは面識はないし、ホームページでも宿情報でも名前は明らかにしていない(ブログでは1回だけ出したことはありますが)ので、玄関で挨拶したときもぼくがあの人だとは全く気づかれませんでした。
 玄関にあるソファで宿帳に記入していると、「区切り打ちですか」と訊かれます。ぼくのザックがあまりに小さいのでとても通しで巡っているとは思えなかったようです。「昨年37番の先で足を痛めて挫折したので、今年はその続きから88番まで行くんです」と答えると、とても信じられないというような顔をされました。遍路宿もやいから来るというのは予約フォームに書き込んでいたので、41kmの道のりで二つの峠を越えてこの時間に着いたことが、それ以上に不可解だと思われたようです。トンネルを歩いていたらさらに30分早かったわけですから、もっと当惑されたことでしょう。
 今日のお客はぼく一人、昨日は6人だったそうです。


 写真ではよく分かりませんが、ご飯は鯛飯です。ぼくはこの伊予の名物郷土料理をいただくのは初めてです。旅番組やグルメ番組で何回も見ているので一度は食べてみたいと思いつつ、倹約遍路なので昼食や夕食で外の食堂に入ることは皆無だし、宿でも素泊まりが多かったので、8回巡ってもなかなか口に入ることはありませんでした。それが思いがけず、目の前に現れて感激です。しかも小さめのおひつにいっぱい。もうこれだけですごいご馳走です。それに加えて奥の真ん中は牛肉の炒め物です。四国の宿でビーフは初めて、本当にすごすぎます。人気の秘密がいっぺんに理解できました。
 客はぼく一人なのでご主人が相手をしてくれました。そこで遍路宿情報を渡して、これを作ったのはぼくなのですと自己紹介します。一呼吸置いて、「そうだったんですか、わかりました、全部つながりました、おかしいなと思ってたんです。もやいから来られる方も時々おられるんですけど、ほとんどの方が17時を過ぎるんですよね。それが3時半に着かれたから、一瞬バスに乗られのではとも思ったんですよ」
 ぼくのホームページを見て居られるので、ぼくがどれくらいのスピードでどれくらい歩くかも把握されています。そしてそのホームページのことも「たくさんのお遍路さんが参考にされて助かっていると思いますよ」とほめてくださいました。ぼくとしてはあまりそういう感じがなくて、恐縮するばかりです。恐縮しながら鯛飯をほおばっています。
 延光寺で竹下さんに、今年初めてときわ旅館に泊まるんです、と言うと、「ほんと?予約とれたの?ご主人喜ぶわよ」と言われました。そのとおり、いやそれ以上に喜んでくれました。すごくありがたいことなのですが、何かもったいないような感じもしました。
 宿情報はお遍路に出る前に毎年書き換えると言うと、お客さんにコピーして配りたいのでその度に送ってくれませんかとお願いされました。わけもないことだし願ってもないことなので快諾します。