WALKER’S 

歩く男の日日

17年 四国の旅 索引

2017-08-31 | 17年四国の旅

 1日目  1~10
 2日目 11~17
 3日目 18~19
 4日目 
 5日目 20~22
 6日目 23
 7日目 24
 8日目 25~27
 9日目 28
10日目 29~32
11日目 33~36
12日目 37
13日目 
14日目
15日目 38
16日目
17日目 39~40
18日目 41~42
19日目 43
20日目 44
21日目 45~51
22日目 52~53
23日目 54~59  61~63
24日目 60
25日目 石鎚山・64
26日目 65~66
27日目 67~75
28日目 76~82
29日目 83~85
30日目 86~88
31日目


8月4日 知恩院から平等院へ

2017-08-26 | 17年青春18きっぷ


 9時05分、知恩院山門はまさに逆光、


 前にどこかで知恩院は拝観料が必要だと聞いた覚えがあるけれど、現在は必要がないようです、ネットでホームページを見てきました。


 国宝の御影堂が大修理の最中なので拝観料がいらないのかもしれません。
 法然上人御堂はこの北側にあって、そちらも拝観料なしに入ることができました。

 御朱印も無事頂いて、成満の証もお願いしますと言ったら、申込用紙に記入して2週間後に郵送されてくると言うことでした、

 知恩院に来たらここだけははずせない大鐘楼、

 3代将軍家光の時代、70トンの重量、国の重要文化財、
 京都の社寺の多くが江戸前期に再建された、二十五霊場で京都のお寺もだいぶ巡ったけれど、歴史は800年以上前でも建物はやはりほとんど江戸以降のものになっていました、

 帰りに撮した三門の全景、でもこの壮大さは写真では全然捉えられない。


 地下鉄で東山から京都まで戻って、次は東寺です。

 こちらも国宝御影堂は大修理の最中です、プレハブの仮の御影堂が北側に作られていてお大師さんも居られます。靴を脱いでお大師さんの前で正座をして般若心経をあげさせて貰いました、今回だけは本当に無事に帰ってこられたお礼を真剣にあげさせてもらいました、いつもそうでないといけないんだけれど、どうしても札所でも東寺でも高野山でも通り一遍のお参りになりがちです。これで今年の四国は締めくくり、思いは来年へと飛んでいきますが、その前に西国の続きが、


 前回のことがあるので、ゆったり目の予定を組んでいたら、京都駅には1時間ほど早く戻ってきて、11時03分発のみやこ路快速に乗ることができました、
11時21分に宇治駅に到着、


 駅から8分、ここが西国歩きで来たとき道をはずしてしまった市役所前の分岐です。今回改めて地図を見直してみると、ちゃんと地図を見ていなくてこの部分の道の書き方が間違っていました、はずすのは当然なのでした、左の大通りをそのまま進んでしまったのでした、左側の歩道を歩いていたので尚のこと気づきにくかった、この入口には矢印は見あたりませんでした。


 260mで突き当たります、

 ここには右折の矢印がありました、


 右折したところ、前回目印にしていた郵便局がありました、こんな奥まったところにあれば気づくはずがない、最後のところは本当にいい加減な書き方をしていたと呆れるばかり。


 右折して500m来たところ、目印の県神社が見えて、ここを左折します。

 左折するところ、ここから宇治橋までが江戸時代のメインストリート、宇治の中心地だったと思われます、立派なお茶屋さんが何軒かあったし、昔は何軒も宿屋が並んでいたでしょう。


 県神社から270m来たところで、西国古道をはずれて平等院へ向かいます。


 右折したところ、平等院まで雰囲気のある歩道に仕上がっています、


 歩道を80m歩くと平等院の入口です、


 意外だったのは、よくある鮮やかな朱塗りではなくて、少し茶色がかった押さえた落ち着いた色合いでした。時間制でさらに料金を支払えばこの中も見学できるようになっています。

 真新しい集印所に列ができています、

 角度によって大きく表情が変わります、正面からの全景も撮ったのですがどうしても観光客が映り込んでしまいます。

 平等院の参道ですが、西国の道を歩くのですぐ左へ入っていきます。


 3分ほどで宇治橋にやってきました、これで前回歩けなかった道を踏破したことになります。


 さらに5分で宇治駅に戻ってきました、42分で一周してきました、宝物館に入らなかったので大分時間が余ってしまいました。

 いろんなポストがあるけれど、これはユニーク、市制施行50周年記念。


 宇治12時21分発、奈良12時49分着、奈良で桜井線に乗り換えて13時08分発、天理駅に13時23分に到着しました、高校野球の天理高校、ふるさと紹介でも映されていた駅前広場です、昨年の秋来たときはまだ工事中でした。


 駅から34分歩いて、前回西国古道を諦めたポイントに戻ってきました。石上神宮の500m手前、山の辺の道が国道25号の下をくぐるところ、あと5分ほどだとは分かっていても暗くなって先に進めなかった、


 国道の下を抜ける、


 この文字もほとんど読めないくらい暗かったはず、


 分岐、


 この文字は絶対読めなかったから諦めたのは正解でした、


 景色も十分見えなかっただろうし、賢い選択でした、


 あの暗さの中でこの中に入っていく勇気は持てなかったと思う、




 池の脇を抜けていくと、


 まもなく石上神宮の境内に入っていきます。

 石上神宮では烏骨鶏が放し飼いです、


 本殿はこの先を左に入ったところ、でも時間がないのでお参りはしません、


 南から来て、左折、西に向かうと鳥居を抜けます、


 鳥居から160mで県道51号に突き当たって右折、


 県道を北上します、


 県道を250m行くと布留川を渡る、橋から西側を撮影、


 橋を渡って50m先の交差点を左折、


 左折すればあとはほぼ真っ直ぐで駅まで行くはずです。


 680mで天理本通の入口です、今日は天理教の子供たちのための大きな行事があるみたいで、縁日が出ていてにぎわっています。
 大学の時クラブのバイト(依頼演奏)で一度この天理本通に来て、休憩の時にアーケードの喫茶店に入ったことははっきり覚えているのですが、その時何処でどんな演奏をしたかは全く記憶にありません、4年間で100回ほど行ったからいちいち覚えていないのも当然かもしれないけれど、喫茶店だけ覚えているというのも・・・


 14時32分、70分ほどで一周してきました、ほぼ想定通り。
 14時53分天理発、15時07分奈良着
 15時23分奈良発、16時12分京都着
 16時29分京都発、18時04分姫路着、明るい内に帰宅できました。

 あと2回分残っていますが、来週の金曜あたりに、伊勢路で飛ばしてしまった二木島駅から熊野市駅まで歩いてきたいと思います。


7月27日 比叡山へ

2017-08-22 | 17年青春18きっぷ


 8時09分、姫路発近江舞子行き新快速(電光掲示の上から2番目)に乗る予定だったのですが、少し早く着いたので1本早い7時53分発の新快速に乗ったのですが、姫路を出発するときにすでに8分ほどの遅れでした。それくらいなら全然問題ないと安心していたら、進めば進むほど遅れの幅がひどくなる、宝塚線が合流してくる尼崎の手前ではずっと停滞、大阪は比較的早く出発してこれならばと思ったら、高槻でさらに停滞、京都の手前ではずっと停まったまま、9時38分に着くはずだったのに、ご覧のとおり11時10分、米原の手前の架線の不具合は昨夜の出来事、この時点では修復済みのはずなのに時間が回復するどころかさらに遅れていくのが全く理解できず、本当にイライラの極致にいます。80分遅れの表示になっていますが、数分前には60分遅れ、このすぐ後に90分遅れになります。


 比叡山坂本駅に90分遅れで到着、怒りで手もぶれるというもの、


 「ようこそ」の文字すらまともに受け取れない、


 駅を出てきたところ、


 駅から4分、ケーブル駅に向かっています、


 駅から17分、昔はよく甲子園にも出ていた比叡山高校の正門、

 ケーブルの時間ぎりぎりでケーブル駅の写真は撮れませんでした、12時発のケーブルに乗り込みます。車内放送で日本で一番距離の長いケーブルと言われるだけあって、本当に乗りごたえのあるケーブルでした。


 坂本ケーブル、ケーブル延暦寺駅から500mほど進むと、道は左右に分かれ右へ行くと延暦寺、国宝根本中堂へ、でもぼくが目指すのは延暦寺ではないので左のバス停東塔へ、そしてバスに乗って3つ目のバス停が峰道、片道380円、バスの1日乗り放題券は800円なので峰道までだと損になるからバスで支払うようにとケーブルの駅で説明を受ける。バスが走る奥比叡ドライブウェイは歩行通行不可だけど、バス停の広場から50mほど先の山道の入口までは歩くしかない、


 黒谷へ続く山道の入口です。

 ここから1km半ほどの山道、


 思ったより幅の広い山道です、

 お寺のすぐ手前の急な下り坂、まさに谷底という感じがぴたり、


 参道の入口から14分、往きはほとんど下りだからよかったけれど帰りは大変、

 法然上人が18才から43才まで修学された、浄土開宗の霊場です。

 ぼくの前にご夫婦が軸に御朱印をしてもらっていました、先に出られて途中で追いついて少し話を聞いたら、当然25霊場を巡られてあとは知恩院さんだけだということでした。ぼくもこれから永観堂と知恩院へ行って満願ですと言うと、永観堂は軸の御朱印はもらえないのだということでした。


 写真で見るよりずっと急な登りです、


 帰りは19分かかりました、法然は空海の400年後の人、


 峰道のレストラン横の展望台の眺め、いまいち天気がよくなくて残念、ケーブルの中からは竹生島も見えると言っていたけれど。

 峰道のバス停、


 13時50分、ケーブル延暦寺駅に戻ってきま


 14時26分、比叡山坂本駅に戻ってきました、ちょうど3時間、ほとんど想定内でした。でも外のことが起きてしまったから、


 山科でJRから地下鉄に乗り換えて、蹴上駅から歩いてここ永観堂まで来ました。時刻は15時23分、何年か前に紅葉の時に来たことがあるので、敢えて写真も撮らず、山門まで淡々とやってきました、

 紅葉の時とは違って永観堂の参拝者は数えるほど、静かに落ち着いてお参りできるかというとそうではなくて、裏山の工事で業者の人がうるさい機械を使っていて、全然落ち着かない、フランスから来たであろう家族もいい気分ではなかったかもしれない。


 知恩院の北側の門、


 永観堂から歩いて20分、総本山知恩院の山門にやってきました、

 ただいま16時02分、こうなると90分遅れのJRに恨み言の一つもいいたくなるというもの、
 当然もう一度ここに帰ってくることになります、これで今年のこんぴらさん行きはなくなりました。


外国人お遍路

2017-08-21 | 日記

 英語のへんろ地図の編集者で徳島文理大学の講師でもあるデビッドモートンさんの調査によると、前山のお遍路交流サロンを訪れた外国人お遍路は、07年=70人、12年=150人、15年=400人、その400人の内全部歩いてお遍路大使の任命証を受け取ったのは184人、
 ぼくが1ヶ月歩いて出会う歩き遍路さんは1年間に歩く人の7~10%、これは上の外国人の数ともほとんど符合しています。12年から3年間で2.5倍というのは驚異的な増加、15年から2年後の今年は少なく見ても1.5倍は増加していると見ていいでしょう。モートンさんの調査によるとフランス人が20%でトップ、次がアメリカ人の15%、オーストラリア、ドイツと続きます。お遍路は全部歩くとなると少なくても1ヶ月半はかかるから、長期休暇が当たり前のヨーロッパの人でもなかなか踏み切れる人は少ない、先ずは日数が短くても行ける高野山や熊野古道へ向かう、でも割合はともかく増加していくことは間違いはない、モートンさんは世界遺産登録は絶望的だと考えていますが、それでも、歩いた人のネットでの発信力は決して侮れるものではないでしょう。とくにヨーロッパ、その他での痛ましい事件を考えるとなると、最も平和な国の最も平和な島を歩くことに安らぎや喜びを感じる人はますます増えていくかもしれません。


英語の野宿場所案内

2017-08-17 | 日記


 四国のブログも書き終えたので、やっと英語の野宿案内を仕上げました、A4、2枚に野宿ポイント70ヶ所に加え、通夜堂と善根宿も一通り紹介できました。野宿リストは英語のものこそ必要だとずっと思い続けていたので、我ながら大いに満足しています、英語の地図には5kmごとに1番札所からの距離表示があるので、その距離を示すことでそれぞれのポイントを分かりやすく示すことができました、
 来年は150人くらいの外国の人に会う予定なので、50人には渡したいと考えています。


7月21日 岡山県誕生寺へ

2017-08-15 | 17年青春18きっぷ


 姫路駅を8時01分に出ると、岡山に9時29分に到着、津山線の電車は10時22分発なので1時間近く待つことになります。暇なので瀬戸大橋線のホームに行って瀬戸の花嫁を聞きに行きます、


 津山線誕生寺駅に到着したのは11時28分、駅舎は新しくなったばかり、

 BSジャパンのロケ隊がいっしょに降りてきました、でもこの時点ではよく分かっていません、

 駅舎のすぐ前に左誕生寺の道しるべ、地図を調べてくるまでもなかったようです、

 この撮影が終わったところでダイヤモンドユカイさんに声をかけられましたが、まだ誰かはよく分かっていなくてテレビタレントか歌手かということしか認識できていません、法然上人二十五霊場の納経帳を見せると萩原智子さんと共に大いに感心してくれました、萩原さんはこの時点ではヨーコゼッターランドさんだと思っている。

 ロケ隊を引き連れて二人と話しながら歩き始めたところです。

 駅から400m北へ進んで左折したところ、


 橋に南無阿弥陀佛、


 ここはまだ少し手前、





 久米南町若者定住促進住宅


 左折して500mで誕生寺に到着です、



 大銀杏、本堂は江戸時代初期に再建されたもの、あまり見かけない二層の独特な建物、敢えて撮影はしませんでした。気になる方は画像検索、あるいは来週の月曜19時BSジャパンでお楽しみ下さい。


 丁寧で分かりやすい墨書を頂きました。この納経帳のほとんどがこのようにはっきり読みとれる分かりやすい墨書です、四国のとは全然違います、ときどき四国の納経帳を見返しますが、あの墨書を見ているともう1回という気持はあまり起こらなくなります、西国の納経帳も分かりやすいのが多くて見返しても納得できます。
 時間があるので納経所で休憩、冷水器もあるしお接待のキャンディもあります、本堂の前で住職が二人に解説しているところを撮影しています、ぶっつけなので住職も慌てて着がえておでましです。


 門前のお土産屋さん、ロケ隊は一足先に駅に向かいました、


 このあたりは河童伝説が広く知れ渡っているようで、いくつか前の駅のホームには大きな河童の看板がありました。


 南無阿弥陀仏の橋の由来、


 右折ポイント、


 右折ポイントにある何かの店にロケ隊が入っていきます、追い抜いて先に駅へ向かいます。


 駅舎の中のツバメの巣、大分大きく元気に育っています、

 駅のホームから向こうに見える看板、二層の本堂の写真も見えます。

 12時58分、津山行きの電車が到着、

 ロケ隊は同じ電車に乗ったのですが、誕生寺から二つ目の亀甲駅で降りていきました、誕生寺の人たちに亀甲にいいお店があるというのを聞きつけたようです、
 津山駅に13時20分に到着、姫新線の次の電車は14時30分発なので、津山の町を散策します。


 駅前広場の銅像、

 ぺりー来航時の大統領の国書の翻訳をした人、


 吉井川を渡って城下町に入ります、駅は城下のはずれにあります。

 橋から左に天満屋、

 右には作陽学園、作陽高等学校。ぼくが学生の頃は作陽音楽大学といっていたはず、播州では大阪音大よりも先ずは作陽音大だった、


 大通りに河童の銅像、河童の生息域はかなり大きいようです、






 津山といえば、河童よりこちらでしょう、



 凱旋コンサートがあるみたいです、


 津山城の立派な石垣、


 現在天守はありませんが、立派な縄張りです。帰ってから調べると姫路城より一回り小さい、7割くらいの大きさです。

 この城山をうまく生かした豪壮な典型的な平山城だったことが想像できます。

 津山藩の初代藩主は森忠政、本能寺で討ち死にした森蘭丸の弟です。
 津山藩は4代で取りつぶしになるのですが、その後、浅野内匠頭の変で取りつぶしになった赤穂藩に忠正の孫長継が入ってお家再興を成し遂げ、明治維新まで続くことになります。分家は三日月藩、新見藩も治めいずれも明治まで続きます。



 森忠政の銅像、
 公園内は有料だったので、ここで引き返すことにします、時間もあまりないし。


 入場門の手前でもこれだけ登ってきています、城山だけの大きさを見れば姫路城よりも大きいかもしれません。


 よく見れば街灯の上にも河童、


 40分弱で津山駅に戻ってきました、

 凱旋コンサートは明日でした、
 14時30分発の電車に乗り、佐用、新宮で乗り換えて17時37分に姫路に到着しました。JR佐用駅は「さよ」と読むことを初めて知りました、佐用駅では54分待ち、姫新線は超ローカル線なのでした。


関学敗退

2017-08-14 | 日記

 昨日今日と姫路市文化センターで行われた兵庫県吹奏楽コンクールをみっちり楽しんできました。昨日は職場一般の部、今日は中学校N、高校S、大学の部です。最後の最後でこんなドラマが待っているとは思いもしませんでした。関西学院大学が県大会で敗退するのは12年ぶり2回目のことです。12年前の県大会は見ていません、今回歴史的な場面に立ち会えて光栄です。
 関学の自由曲はC・T・スミスのフェスティバルヴァリエーション、最高難度のコンクールでは絶対避けたい曲です、どんなに練習しても2ヶ所3ヶ所4ヶ所5ヶ所は絶対はずすようなひどい曲です、負けるために選曲したのかといいたいくらいです。もちろんこの曲で全国で金賞を獲得した高校(天理、愛工大名電、精華女子高、東海大付高輪台)もありますが、金管奏者全員にありったけの自信がないことには観客の度肝を抜く演奏は相当難しいということになります、12年ぶりに関学を負かした神戸学院大学は白鳥の湖、指揮者の松井先生は、23年前この曲で兵庫高校を率いて全国大会出場を果たしています。ぼくが審査員でも神戸学院の明らかな勝利でした、12年前の関西大会は大津市民会館、今年の関西大会大学の部は姫路市文化センターで行われます。姫路に関西大会が来るのは史上初のことです。


31日目 民宿八十窪~バス停鳴門西

2017-08-11 | 17年四国の旅


 二人は車でバス停まで送ってもらう、1番まで電車で戻るようです。1番の売店で納経帳を買ったから、戻らなきゃいけないものだと思っていたようです、方々で1番で2回納経するようになっているのは1番で売っている納経帳だけだと後から知らされた、でもそのページを埋めないのも気持ちが悪いので電車で戻ることにした、車を見送るときに若女将に来年は逆打ちなので1番に来ますと約束する、これで3つの宿で来年来ると言ってしまったから、何としても来るよう努力する。


 宿を6時38分に出発、10番ではまだお参りしていないので、県道2号を南下しています。この陸橋は地図の11.4km地点から400m南下したところ、川を渡るとすぐです。この陸橋には赤線はなく、赤点線はもう200m先で左に入るのですが、前々からここに来るたび犬墓大師堂が気になっていて、大師堂に行くにはこの陸橋で左に入るしかありません、外にも道はあるけどかなり遠回りです。宿からここまで11.8kmを108分で来たから時速は時速は6.5kmです、新しいトンネルもできたから距離は少し短くなってるでしょうね。


 陸橋を渡る、


 2分でちゃんとした道に合流、出たところの道も赤線はありません、赤点線は大師堂の前を通らない。


 さらに1分で大師堂に到着、ちゃんとお大師さんも居られます。

 こちらが大師堂、おばあちゃんがいたので、ここに来るお遍路さんはいないでしょう、と訊いたら、そんなことはないよ、この間も錦の札を置いていったお遍路さんがいたよ、と教えてくれました。江戸、明治の時代は10番の方へ戻る人はいなかったようだから、こちらの道は全部遍路道ではなかったともいえるけれど、そういう超々ベテランのお遍路さんが来るのであればここはもう現代の遍路道と言えるでしょう。


 大師堂の前からの道です、


 大師堂から300mほどで突き当たって左折、赤点線の道にここで合流、赤線はこの右から来て左へ行く、


 赤線の道だから行政の矢印が、赤線の道を来ても600mほど寄り道すれば大師堂へは行けることになります、ぼくは結局この手前の赤線を歩き残したことになります、毎度締まらない話です。


 矢印、


 向こうのガードレールの下に川が流れています。


 川を渡ります、


 川を渡って上の道に合流するところです、へんろ地図には大北通学橋と書いてありました。


 川沿いの道に上がったところに行政の矢印、


 90mで左上の道に上がっていきます、


 2分ほど来たところ、


 前の写真から12分、少し遠回りですが、気持ちよく安心して歩ける道です、なぜ今までこちらに来なかったかと思うくらいです、この赤線は昔の人が歩いたということではなくて、県道を行くより安心して歩けるから付けられた、と思われます。


 切幡寺まで5km、古い矢印はほとんど見かけないから、このシールが貼られたときに剥がされていったと思われます、


 宿を出てから2時間20分、徳島自動車道の下を抜ける、地図では14.4kmだから時速は6.2kmくらいです。


 ずっと県道を来る道との合流ポイント、ここからは何度も歩いた道になります。


 合流ポイントの生き残った矢印、ここに貼るシールがなかったから剥がされなかったのでしょう。


 そして県道に合流、


 2時間54分で10番札所切幡寺に到着、県道の道のベストより15分ほど遅かったのですが、次回からももちろん脇道の方を行きます。

 境内には歩きの人は見えなかったのですが、10時30分、山門を出ると、すぐ登ってくる人に出会いました、7番あたりから出るとこの時間になりますが、11番から先には行けないからずいぶん時間を余らせることになるでしょう。
 もう5月の半ばというのにその後も次々歩きの人に出会います、10人くらいの歩きツアーの人たちを含めて27人の歩き遍路さんに出会いました。
 安楽寺を出て県道12号の交差点を横断しようとしたら、10mほど左の県道脇に立っているお遍路さんがいて、あんなところで何をしているのかと気になって声をかけようかと近づいていくと、バス停でバスを待っているだけでした。なんだ、と声をかけずそのまま行きすぎて久々に県道を行くことになってしまいました、この道を歩いたのはおそらく最初四国に来たときだけだったと思います、
 この偶然のおかげで1kmほど進んだところで出会ったのがフランスのマリクレール・ヴィダルさん、挨拶をしてそのまま行き過ぎようとしたのですが、何となく立ち止まって話をすることに、彼女は日本語が話せました、ぼくの名刺を見て名前を読むこともできました、一巡を終えて今日は安楽寺の宿坊に泊まる、彼女は全部に宿に泊まりますが次回は通夜堂にもぜひ泊まりたい、そして次回は無理だけどその次には絶対逆打ちをしたいと熱を込めて語ります。聞くこと全部が驚きで感動してしまいました。もう後は1番でお参りしてバスに乗るだけと思っていたところにこの出会い、今年はきついことも何回かあったけれど、その何倍も良い出会いがありました、昨年も充実していたけれどはっきりそれ以上だと言えます。最後の最後でまた来年の楽しみが一つ増えました。


 1番霊山寺もきちんとお参りしたのですが撮影は忘れてしまいました、最後ヴィダルさんに会えたことでもう意識は来年に飛んでいるかのようでした、
 鳴門西PAに着いたのは14時50分、今年は余裕をもってトイレにも行けるしアクエリアスも買うことができました、これが1067枚目、今年最後の写真です。
 これにて、2017年四国の旅完了です、長々お付き合い頂いた皆様、本当にお疲れさま、そしてありがとうございました。


30日目 民宿八十窪にて

2017-08-11 | 17年四国の旅


 16時28分、例年より30分から1時間遅れで、88番札所大窪寺の門前にある民宿八十窪に到着しました、大窪寺よりもこの宿に帰ってくることが結願という感じがしないでもありません。食堂の窓からこちらの方を見張っていた大女将が出迎えてくれます、いつものように、何回も来てくれてるね、と言われて、お遍路は11回目こちらの宿は10回目ですと答える、それだけ来てくれてたら覚えているはずだわ、これもいつもの受け答え。ぼくが最後ですか、と訊くと、大きくうなずく。志度からだとすごくゆっくりな人でも、15時くらいには到着できます。八栗からだと時間はかかりますが八栗に宿をとる人は少ない、Tさんも田尾さんも八栗だったけれど翌日は長尾でした。

 2回目の人が一人、あとの3人は初めてのようでした、ぼくの左に座った二人はもう何軒かの宿で一緒だったのか知り合いのような感じです、ビジネス旅館小松には電話をしたけれど連休中だったので満室、やむなく鈴に宿泊したそうです。おそらくぼくが泊まった2日前の5月6日、だとすれば、新居浜、三島、民宿岡田、ということになってやはり雲辺寺の手前まで3日かけています、想像以上に新居浜で区切る人は多いようです。
 右隣の人は初めてで何処まで歩けるか、何時頃に着くかが読めなくて、宿をとるのに苦労したといっています、余裕を持たすと早く着きすぎてしまう。
 大女将が話しているのをニコニコしながら聞いているだけでほんとうに幸せです、この幸せを味わうために、また明日から準備を始めることになります、明日は10番と1番のお参りが残っているから、明後日からというのが正確ですが。

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30日目 岡田屋旅館~民宿八十窪

2017-08-09 | 17年四国の旅


 玉子かけご飯も嫌いではないけれど、消化が悪いから玉子焼きがやっぱりベスト、この宿も最初で最後のつもりだったのですが、絶対戻ってきたい、来年は逆打ちなので無理ですが再来年以降は、国分寺から歩き始めて、81,82,83、そして屋島を飛ばして85に直行すれば距離がちょうど40km、そして翌日も屋島を経由して88番まで38kmで行けます、それだけのことをする値打ちのある素晴らしい遍路宿、ぼくの好みでは横屋が1番、この宿が2番です、3番は青空屋。
 食事の後.Tさんが撮影したいと言って、ぼくと女将さんの2ショット、Tさんと女将さんの2ショット、Tさんとぼくの2ショットを次々段取ります、手際が良くて女将さんもされるがまま、おそらくほとんどの宿で同じことが為されてきたのでしょう、断られることもあるのでぼくは自然とお願いするのは止めてしまいました、ただお願いされた場合は必ず受け入れるようにはしています。帰ってからしばらくしてその時の写真が印刷されたカモメールが届きました、すごくマメな方です。



 7時ちょうどにTさんより一足早く宿を出発、女将さんが見送ってくれるときに、ぼくが逆打ち方向に下りようとしたので、お大師さんのところから昔の山道が整備されたのでそちらの方を行くようにすすめられました、数年前に整備されたその道は登り口に大きな看板が出ているので承知はしていたのですがまだ踏み入れてはいません、下りなので入る気はなかったのですが、せっかくすすめられたので初めて歩くことにしました、思った以上に歩きやすく整備されていて、登りの場合も舗装道より楽に歩けそうな感じです、
 Tさんに教えて貰ったお遍路休憩所仁庵です、上から下りるとケーブルカー駅のちょっと手前です。


 大分前から開設されているようですが、白いきれいな看板は最近設置されたばかりなので全然気づかなかった、


 ケーブルの駅から100m下ったところで左折、六万寺に向かいます。白黒の地図にはこちらに赤線があったのでこの道に入ったのですが、帰ってからよく見直すと昔の道ではなく車道と書いてありました、残念、


 でも歩いている時点ではこちらが昔の本道だったのだと確信しています、県道はなかったはずだから皆ケーブルのところまで打ち戻っていたはずだと、


 突き当たったところが六万寺の塀のようです、


 宿から68分で六萬寺に到着、


 六万寺でお参りを終えて出てきたところに、Tさんが反対の方からやってきました、こちらの方が昔の道なのですよと偉そうに説明したのですが、どうやら単なる勘違いでした、
 六万寺からはTさんが来た145号の方へ一旦少し戻って、右折して南下する道に赤線があります、英語の地図もその道にだけ赤線がありますが、白黒の地図ではその道に赤線はなく、少し西側の道で南下して蓮池の北側から牟礼中学の北側を通って県道145号に入る道に赤線があります。どちらが本当か、昔の道か、よく分かりませんが距離はあまり変わらないので、時代により、どちらの道もある割合で使われてきたのだろうと想像するしかありません。
 写真は、白黒の地図の赤線の道に入ったところです、最初、自分の地図の書き方が曖昧でかなり迷いました、


 3分で広い道に出てくる、


 右折して蓮池の方へ、赤線はないから矢印もありません、自分の地図だけが頼り、


 前の写真から8分、蓮池を右に見て、牟礼中学を右に見て、牟礼中学の北東の角からこの急な下り坂です、


 写真でも分かるほどの急傾斜、向こうに志度の海が見えています。


 県道に突き当たって右折したところ、赤線の道とここで合流、


 踏切を渡って国道に合流、


 右が琴電八栗新道駅、踏切のむこうはJR讃岐牟礼駅、


 8時47分、六万寺から52分で86番札所志度寺に到着です。


 9時03分に志度寺を出発、11分で国道11号に合流したところです、地図の最後のページ、106-1。番外長福寺に向かっています。八栗からだと、13時に88番に着いてしまうので番外の道を歩きます、ここからはずっと国道なので写真は撮りませんでした、


 志度寺からちょうど1時間、やっと到着です、初めての道なので、すごく長く感じました、


  国道を右に折れてちょっと入ります、


 山門の横にあるベンチで休んでいたら、50代、70代くらいの女性の親子と思われる二人がやってきて、挨拶したときに、お母さんが、大病をしてお大師さんに救ってもらった、以来毎月お参りに来ているのだと教えてくれました、ぼくは札所ではとくにお願いすることはないのですが、今回の旅では本当にお大師さんのおかげを感じずにはいられませんでした。


 お大師さんがこの地に極楽寺を移し、長福寺も同時期に建立したとあります、番外霊場は当然のことのようです。 長福寺を10時17分に出て400mほど来たところです。


 さらに17分、鴨部川の土手を走る県道140号に上がってきたところです。


 鴨部川を渡ったところ、目の前の高松自動車道をくぐって南下します、


 高松自動車道を抜けると、すぐ右折、西へ向かいます、


 高松道を抜けて15分、ちょっとした山越えの道に入ります、


 さらに4分、ここが峠のようです、


 峠から8分、左折して南へ向かうところ、向こうに見えるのは女体山か、


 11時17分、長福寺から59分で番外霊芝寺に到着です、矢印はなかったのですが何とか迷わず来られました。


 霊芝寺の平で一段高くなったところに人影が見えます、こんな番外に来る人も居るんだと、境内に上がってみると,Tさんでした。長福寺に行くと、志度寺からここまで12kmほどですが、志度寺からここに直行すると4km、ぼくの方が8kmほど多めに歩いているから追い抜かれて当然なのでした。


 こちらも弘法大師の草創されたお寺、本堂は1802年に再建されたもの、




 Tさんと二人並んで休んでいるところにわんこがやってきたので、別格1番大山寺でわんこがず~っと先導して境内まで案内してくれたと話したら、Kさんも全く同じことがあったと言います、慈尊院から高野山まで大師を導いた白い犬の伝説は二人とも知っていて、お大師さんの犬だったのだと二人して改めて懐かしく思い出しました。88番大窪寺でも迎えてくれるわんこがいるけれど3年前、八十窪の前で前足の片方が使えないほど傷ついて本当にかわいそうだった、ということもここでお話しました、夕食では2時間以上、朝食の時も1時間近く話したのに、ここでも40分も話してしまいました、言っておきますが、ぼくはお喋り好きでも得意でも何でもなくて,Tさんが話し好きでそれに引きずられているだけのことです、お遍路の体験も知識も豊富だから聞いているだけでも楽しくなってきます。
 霊芝寺からは一緒に歩きますが、最初のところで道をきれいにはずしてしまいました、ぼくの地図にはない道が微妙に本当の道の近いところで分岐していて入ってしまいました、でも、あまり遠回りにはならず本当の道に合流できて大怪我にはなりませんでした、Tさんは前にご主人と一緒にここの正しい方の道を歩かれたそうです、もう一度やり直したいでしょ、とぼくに訊かれたのですが、このときはそんなに残念というほどではありませんでした、というのも、今回は20ヶ所近い初めての道を歩いたのですが、詰めが甘くて、完璧に歩けたのは徳島の地蔵院から阿波おどり会館までの道と、四十寺だけでした。あれだけ時間をかけてパソコン地図とにらめっこしながら地図を手書きしてもこの程度、でも完璧だとあとは崩壊するのみと仏教の教えにあるように、またこれから先の楽しみを残しておいたと思えば落胆するほどのことではありません。

 番外の道から本当の赤線の道に合流するところでTさんを撮影させて貰いました、


 霊芝寺から35分かかっているので時速は5.3kmくらいでしょうか、へんろ地図の距離表示を信用するなら4.4km、Tさんのペースに合わせています、


 霊芝寺から38分、12時40分に玉泉寺到着、いつもは素通りですが、今回はきっちりお参りしました。Tさんとはここでお別れ、Tさんは長尾で宿泊ですが、ぼくはまだその13km先まで行かねばなりません。
 87番札所長尾寺に到着したのは13時12分、いつも長尾に来るのは12時過ぎなのでかなり焦っていて写真を撮る余裕もないほどでした。


 長尾寺を13時23分に出発、14時17分におへんろ交流サロンに到着、ベストを狙う勢いだったのですが、2分遅れでした。
 お遍路大使のバッジと任命証は、名簿の記入ではなくて新たに専門の申込用紙に記入するようになっていたので、今日何人くらいここに来たのかは名簿を見ても分からないようになっていました。ぼくは何回も来ているのでDVDは別格のをいただきました。バッジをいただくのは4回目,DVDをいただくのは3回目です。


 新しい山門のすぐ手前ですごくうれしいことがありました。近所のおばあちゃんが犬の散歩に出るところに遭遇したのですが、リードにつながれたそのわんこは前足の片方の先がありません、ないけれどきれいに治療されていて3本足で元気に歩いています。今まで4回出迎えてくれたわんこは首輪もないフリーでしたが、怪我を見かねて近所の人が治療してくれてちゃんと飼ってくれているのに違いありません、そして、そのことを見せてくれるように出てきてくれたに違いありません、散歩の時間はばあちゃんの意志ですが、それ以上のものを感じないではいられませんでした。
 交流サロンを14時34分に出発して、いつものように花折峠経由の昔ながらの遍路道で101分で到着、ベストより2分遅れ、最後の最後まで焦り気味で脇道はあまり味わえませんでした。16時12分、最後のバスが出た後にここに来るのは初めてです、当然境内に歩きの人は見あたりません。


29日目 岡田屋旅館にて

2017-08-08 | 17年四国の旅

 屋島で一緒だった女性はぼくより1時間以上遅れて岡田屋に到着、何をしていたかというと、洲崎寺の近くのお接待所でゆっくり食べてお話しして、もう締まり掛けの時間だったので残った羊羹やお菓子を全部いただいて、屋島で見かけた野宿の青年に再び会ったら、夕食の調達がまだだというのでもらったお菓子を全部青年にあげて、さらに八栗の登り口の近くにある仁庵というお接待所に立ち寄って、そこはすでになじみなので手作りゼリーやなんやらをまたたっぷりいただいてゆっくりお話ししてこういう時間になってしまったそうです、すごい、お遍路の達人です。地元の人と立ち話をするのがお遍路の一つの醍醐味と言われていて、何回も巡っていると、それは本当に感じることで、それを第一の楽しみのように巡っているというのは本当に素晴らしいなと思います。ぼくなどは話し下手だし、どうしても回数が多いと、自慢話のようなことが多くなりがちで、そういうのはできるだけ慎むように心がけているのでなかなか話が進まないという感じになってしまいます。ぼくはどちらかというと、話を聞きたい方です、初めての人でもベテランの人でも、いろいろ考えることや味わいや知識なども違うから、どんな人からでもどんな話しでもありがたく聞けます、


 夕食は18時30分から、これだけじゃありません、

 天ぷらが超熱々の状態で3回に分けて出てきますが、これは第2弾、第1弾のハモは撮り忘れてしまいました、ぼくはおそらくハモというものを食べるのは初めて、関西にいるとハモは京都の料亭か何かでちょっと経済力のある人たちが上品にいただくものだと思っている、もちろん京都に住んでいる人たちも普通に食べるのでしょうが、関西の西の端っこにすんでいるぼくたちには全く縁のないものだと思いこんでいます。
 その初めて食べたハモの天ぷらというものが、えっと声を上げるくらい美味しいものでした、プリッとしていてツルンとしていて白身なのに濃厚な美味さもあって、笑みがこぼれそうなほどの快感、幾度となくテレビで骨切りというものを見ていると、あれだけザクッザクッと音がするくらいだから少しくらい骨を感じるじゃないかと疑っていましたが、おもしろいほどなめらかであの骨切りがここまでなのかと自然に頭が下がりました、

 第3弾で打ち止め、隣の女性は仁庵でいただきすぎたので、第3弾は食べられなくてぼくに食べてちょうだいと勧めてきて、余裕があったので食べて差し上げました。今年は同宿の方に勧められるのはこれで3回目、くろうさぎでは女性のMさんがお肉は駄目なのでとすすめられていただいたのですが、ときわ旅館では魚料理もあったのでさすがに断るしかありませんでした、人のものでも出されたものをそのまま返すというのはせつないものがあるので、忸怩たる思いもあったのですが、あのメインを二人分平らげる自信はさすがに持ち合わせていませんでした。
 食事をしながらも、話は全然尽きません、女性は広島のTさん、食事の後に納札を頂きぼくは名刺を渡しました。
 2日前、弥谷寺に向かう道中、Sさんに、民宿大岐の浜で八十八ヶ所の奥の院の写真と御朱印のコピーをファイルにしたものを見せてもらったと言ったら、Sさんが、それと同じのを八栗の岡田屋さんで見ましたよ、と話してくれました。
そして、そのことを屋島でTさんに話したら、そのファイルを作った超ベテランの青木さんと知り合いだという、3回ほど出会ってお遍路の距離と高低のグラフになったの(多くのヘンロ小屋に貼り付けてある)をいただいたそうです。青木さんの写真を大岐の浜で見せて貰ったのですが、たぶんぼくも2年前出会っています、胸にへんろみち保存協力会のへんろ人形のバッジをつけていたので、宝寿寺で見かけた人に違いありません、青木さんは本当にすごい人で遍路宿に300軒以上泊まっている、これからさらに400軒を目指しているそうです、ぼくなどは200軒でもう充分、これ以上開拓する余裕は全くありません。
 Tさんは何回巡っているかは聞かなかったのですが、ぼくなどが知らない宿のことなどもよく知っていて貴重な情報をいただきました、まず土佐久礼のゲストハウス恵、ここのおばあちゃんとも仲良しで予約の電話でも長話するのが楽しみだそうです、恵はごく最近へんろみち保存協力会のサイトでも紹介されていて新しいへんろ地図には載るようです、土佐久礼には二つの宿があるけど両方ともクセがあるからおすすめしにくい、いい宿を教えてもらいました、
 もう一つは土佐佐賀の漁家民宿海生丸、佐賀は内田屋が廃業で宿がなくなってしまった(新しい地図では坂上が復活していますが)ので、うれしい情報です、帰ってから黒潮町のサイトを調べると外にも漁家民宿は2軒、いずれも2食付き7000円、素泊まり3500円。今年は1日20kmペースの人に会うことが多くて、やはり佐賀にも絶対宿は必要だと思いました。
 食事が一段落すると女将さんがコーヒーを煎れてくれます、そのあともしゃべりに喋って、本当に止めどがないとはこのことでした、


29日目 お遍路ハウス八十場~岡田屋旅館

2017-08-08 | 17年四国の旅


 10時10分に出発、待ちに待った初めての道です。これから歩く道は英語の地図でごく最近知ったものですが、帰ってから本当にがっくりするようなことがありました。ぼくは今まで日本語のへんろ地図を4回買っていて、手元に置いていつも見ているのは3回目に買った07年の第8版、これには距離や時間などの書き込みがいっぱいあって使い易いので、一番新しく買った10年の第9版は引き出しの中に眠っている状態、久々にその第9版を開くことがあって、たまたま高松市街の地図を見ていたら、なんと英語の地図の緑の線の江戸時代の道がちゃんと赤線で記されているではありませんか、この7年くらいの間にお遍路を始められた人はみなこの道を知っていたということになります、偉そうに知ったかしていたのがちょっと恥ずかしい。でもどうでしょう、二つの赤線の道を見て初めての人はどちらを選択するでしょう、江戸時代の道はとにかく曲がり角が多くて最後の方は明らかに遠回りの感じもする、明治以降の道はとにかくスムースで迷いそうな感じがしない、おそらく8割以上の人が迷わず県道を北上するような気がします、ぼくも絶対そうしたと思います。


 一宮寺の山門から200m北上して県道12号に当たったところです、ここのすぐ右に県道172号とクロスして、そこから北上するのが明治以降の道、赤線はちょっと先から172号に入るようになっていますがこの手前には信号がないからみんなローソンのある交差点まで行く、


 信号のある交差点の手前で県道を横断したところ、矢印いっぱい、この部分には赤線があるから地図に従う人もいるかも、


 すぐ古い道しるべもありました、


 明治十九年三月、


 ちょっと右へ寄れる、手前がちょっと斜めなので、この先からほぼ真北、


 真北に入ったところ、ここで県道を横断してから70m、


 県道から160mで突き当たって右折、矢印もあります。


 右折して15mで県道172号を横断、ぼくのパソコン地図ではここに信号があったのでちょっと首を傾げる、信号を目印にすると、なくなったりできたりがあるから変に引っかかることがあるものです、


 最初この道を歩いたときこの県道を横断した先で間違った道に入ったのでここからやり直したときの写真です。
 県道を横断するところ。


 右手に天然温泉きららの宿泊棟、最初はこの少し手前で左折してしまった。


 きららのすぐ先で左折する道に入る。


 分かりやすいへんろ石もある。


 水路沿いの細い道を行く。


 この交差点は右折、


 右折して同じような道を行く。


 道なりに左折していく、


 左折したところ、


 病院の前の広い道に突き当たって右折する、ここからは最初の時に歩いているのでバトンタッチ。 


 水路沿いの細い道を右折したところ、ちゃんと矢印もある。すぐ先で国道を横断して直進。


国道193号を横断して20m、ちょっと右へ寄れる、


よれるとすぐ神社の前、神社は小さいけれど大きな目印になります。ここで10時25分、一宮寺からまだ15分です、


 先の三名神社から東へ60m来たところ、左折の矢印。ここから先は日本語の赤線と英語の緑の線はちょっと違っています、この矢印は英語の地図に従っています。


 この道しるべは新しいのか古いのか、いずれにせよ英語の地図の方が正しいようです、


 左折して北へ向かったところ、


 120m北へ進むと右折、ぼくのパソコン地図ではこの先に道はないけれど、



 ちゃんと道は続いていました、さっきのところもきっと歩ける道があったに違いありません、また次回のお楽しみにします、


 ぼくの地図では道が切れているところ、これだけはっきりした道なら記載されてない方がおかしい、


 120mで左折、日本語の地図の赤線はここで右の方から合流してきます、おそらくぼくの地図でも道が切れていたので、それを考慮しての別の道になったのかもしれません。日本語の地図を持っている人は地図より矢印に従えば問題ありません、
 その前で野良仕事をしている男性に、これが昔の道ですよね、と訊くと、ああそうだよ、と軽く即答してくれました、地元の人はやはりはっきり認識しています。


 矢印も確認して北上します、


 このよれ具合がいかにも昔の道、県道や国道とは比較にならないほど歩きやすく気持ちがいい、


 北上の道に入って200mで左へクランク、


 道しるべ、


 矢印も、


 クランクしたあともまだまだいい感じです、


 真っ直ぐですが。矢印、


 クランクから300m北上すると太い道に当たって、右折、拡幅工事の最中のせいか矢印は見あたりませんでした、10時35分、一宮寺から25分です。


 拡幅工事中の道を東へ、


 Glitter3、大きな目印、前の交差点で矢印がなかったので少し心配していましたが、このマンションで確認、


 拡幅工事の道を200m来たところ、県道の少し手前で左折します、


 左折したところ、水路沿いの道を北上します、矢印はないけれど水路が大きな目印です、


 90m進んだところに矢印がありました、


 水路の道を300m進むと、水門のところを斜め右へ、


 斜めの道、矢印も見えます、


 斜めの道を100m進むと、県道280号を横断します、


 横断する手前に矢印、


 横断したところに福田恵峰さんの矢印、向こう側、


 県道から40mで小橋を渡って水路の右側へ、


 水路の右側の道へ、


 小橋から40mで右折、


 右折したところ、


 右折して70mで県道166号を横断します、10時45分、一宮寺から35分です。


 県道を斜めに横断、


 横断したところにも矢印、


 横断して100mで左折、


 左折すると水路が右、


 前の左折ポイントから北へ150m進むと、県道147号を横断します、


 県道から120mで左に太田百華幼稚園、これも目印です、


 幼稚園から230m、左に水路が現れると、間もなく右折です、


 意外や、行政の新しい矢印、まだ11kmもあります、


 右折したところに、伊藤さんの逆打ち矢印がありました、確かに逆打ちだとここはすごく難しい、


 右折して東へ向かう道、


 右折して170mで踏切を渡ります、


 踏切を渡って50mで左折、


 左折したところ、道は広め、


 左折して640mで高松自動車道の下を抜ける、


 高松自動車道を抜けて80m、右斜めの道に入ります、11時04分、一宮寺から54分です。


 分かりやすい斜めの道です、


 斜めの入口に矢印、


 斜めの道は180mで右によれて真東に、真東になって150mで左折、


 左折したところ、


 110m来たところで右折、


 右折したところ、


 100mで太田小学校東の信号がある交差点、矢印は左折ですが、英語の地図では直進なので、地図に従います、


 交差点を渡ったところ、この先は矢印がないはずだから慎重に地図とにらめっこ、


 信号から150m、最初の左折れがあるところで折れる、


 左折したところ、


 100mで池の横に出てきました、正解でした、


 蓮池の北に隣接する伏石中央公園の北東の角でちょっとクランクです、


 クランクすると右手にさらに大きな池、向こうには屋島もくっきり、


 池の横の道に福田さんの矢印、


 池の北西の角の交差点です、直進の矢印、11時22分、一宮寺から1時間12分です。


 前の写真からそのまま北へ270m直進したところです、ここで右折、カーブミラーのポールにたくさん矢印があります。


 右折したところ、


 420m来たところで信号のある大きな交差点、ここは直進です。


 交差点を渡ったところに矢印がありました、


 交差点から130mで左折です、


 左折したところ、


 ちょっと分かりにくいポジションですが、前のところから320m北へ進むと突き当たって右折です、突き当たりは迷いにくいけれど、こんなのは少ない、


 これが突き当たり、ちょっと手前に矢印があった、


 突き当たりのポールにも矢印があります、


 右折したところ、


 突き当たりから270m東へ進んで、左折、


 左折して170mで県道10号を横断します、


 横断したところに直進の矢印、


 県道から350mで右折、矢印は見あたりませんでしたがすぐ向こうに踏切が見えているので間違いありません、


 右折したところ、11時44分、一宮寺から1時間34分です。


 前の交差点を右折してから150m、左に鉄道が寄り添ってきます、踏切の下に矢印、これは枯雑草さんのブログで見た覚えがあります。


 踏切を渡ったところに福田さんの矢印、向こうの電柱にも見えます、鉄道ができる前は、前の交差点から直線の道だったことは明白、


 踏切を渡って右折したところ、ここから向こうに見える電柱までの道は鉄道ができたときに合わせて造られた道、その先からは昔からあった道で踏切の手前の道と直線で繋がっていたはずです。


 踏切を渡って55mのところの信号のある交差点を渡ったところ、ここからが昔の道、


 前の写真から270m来たところ、140mで左から来る県道10号に合流して、このすぐ手前で右から合流してくる県道43号を横断したところです。


 すぐ橋を渡る


 県道に合流してからは、矢印はなく、真っ直ぐだけれどちょっと立ち止まることもあったのですが、橋を渡るとすぐ反対側の電柱に矢印が見えました。


 橋を渡って100m、左に木太小学校、


 さらに120mで高松木太町郵便局、


 さらに30mで左折、これだけ矢印があるのに、向こうのローソンに向かいかけました、地図の書き方がちょっと大雑把でした、細かい地図を作ったりしてある程度理解していないと、へんろ地図だけではこういうことが度々起こるかもしれません、


 左折して路地に入る、こういう道だったので行き過ぎかけました、


 路地を出て左折、ここからはもう迷うことはないでしょう、踏切からここまでがちょっとだけややこしいところでした、地図を作っているときに感じたそのままでした、


 左折したところ、おもてなしネットワークの矢印もずいぶん剥がされたみたいだけど、こういうところまでは手が回らなかったのでしょうか、


 前の写真から140mで二またに分かれたところを右へ、


 方向としては北から北北東になった感じ、11時58分、一宮寺から1時間48分です。


 二またの北北東の道は170m進むと少し左によれて、真北に近い方向になります、そのすぐ先で自販機があったので休憩を入れました、2時間近く歩きづめで、天気がよく気温もかなり上がっているようです。昨年も番外の光貴寺から法然寺に向かうときに高松市内の最高気温は30℃を越えて、思わぬところで倒れ込んだのを思い出します、
 12分ほど休みを入れました。


 方向が北に変わって370mで右折です、


 右折したところ、右折といってもちょっと斜めです、


 前の写真から東北東に300mで左折です、


 左折したところ、真北に向かっています、


 180mでJRの下をくぐります、


 JRをくぐって140mで県道155号に突き当たって右折です、


 県道を東へ、右はマルナカ、


 県道に入って1100m、二つ目の橋です、


 渡り終わったところに行政の矢印がありました、左折します


 左折したところは川沿いの道と少し右の二またになっているので、この剥がされかけた矢印はそれを示しています、


 二またの右の道に入ったところにも矢印、


 真っ直ぐ行けば合流ポイントです、むこうはもちろん屋島、


 国道の交差点が見えてきます、


 国道を歩道橋で渡ります、12時41分、一宮寺から11758mを2時間31分、休み時間その他を除くと時速は6kmちょうどでした。
 いつも歩いている県道172号の道より900mの遠回り、ほとんどの人が歩く172号の道はここまで分岐や曲がり角が6ヶ所くらい、今回ぼくが歩いた江戸時代の道は30ヶ所くらいありました、気持のよい歩きやすい道が多いのですが、気安くおすすめはできません、地図を読むのが苦手な人は絶対止めた方がいいと言っておきましょう。


 屋島の登り口の手前、屋島小学校からの400mの急坂は四国の山道で一番苦手かもしれません。階段のない登りの中では一番角度が急ではないかと思いたくなるくらい大嫌いな道です。いつもは瓦町か栗林公園の近くの宿から朝一で登るのでまだ我慢できるのですが、今回は初めて27km歩いた後で登ることになるので、耐えられずへたり込んでしまいました、屋島の途中で休みを入れたのは初めてです、
 84番札所屋島寺に到着したのは13時28分、一宮寺から14459m、正味の歩行時間は157分、平均時速は5.54kmでした。
 日曜日なので観光客は多かったのですが、歩き遍路さんは2~3人というところでしょうか、お参りを終えて納経所の横のベンチで休もうとしたら、歩きの女性が靴下を脱いで休んでいるところでした、一宮寺の近くで泊まるとここまではもう少し早い時間に来るのが普通なので、どういうことかと尋ねれば、一宮寺の近くのそらうみから番外の仏生山法然寺にお参りして春日川沿いの赤線の道で屋島まで来た、ぼくとはまた別の赤線の道、そして今日の宿はぼくと同じ岡田屋さん、屋島からの下りはもちろん危険で急な山道を下る、外に選択肢はありますかというくらい平然と答えます、一度あの山道を下ると懲りて二度と御免だという人も居ますが、女性なのに真逆の考え、それもそのはずで彼女は山歩きが大好きで、中津峰、如意輪寺も登ったし、まだ雪が残っている様な早い時期に篠山も登っている、こんな時期に登る人なんて居ないよ、と地元の人に呆れられたそうです。


 屋島の裏門を一緒に出たのですが、先に行かせてもらいます。
 気をつけていたのですが舗装道を横切った後で危うく尻餅をつきかけました、危険の種類が違う下りが続くから、ちょっと気を抜くとこういう風に引っかかる、来年は登るから安心、
 洲崎寺のすぐ手前で接待所が開設されていました、今日は日曜、今年4回目の接待所です、そのあと初めて洲崎寺の境内に入りました、真念さんのお墓の周りには88ヶ所と別格20ヶ所の名前が刻まれてミニミニ四国になっていました、お墓なので撮影は控えました。
 15時31分、85番札所八栗寺に到着、ベストより9分遅れの超ゆったり、今日は最後だし時間もあるので意識してのんびりです。
境内はやはり車の人でにぎわっています、


 お参りを終えて15時46分、本当に門前の岡田屋に到着です、実のところ、この宿に来るつもりはなかった、評判がすごく良いとは直接二人以上の人から聞いていたのですが、なにぶん距離が合わない、それを無理に組み込んだのは二日前追いついたSさんのブログを見たからです、単なる良い遍路宿という以上のさらに大事なものがこの宿にはあるのだと、別の人の書き込みを見ても十分に感じられました。
 ぼくも毎年この宿の前を通るたび、本当に営業しているのだろうかと思うほどの佇まいなのですが、一歩中にはいると大違い、古いことは古いけれど、磨き抜かれた重厚さという様な古さでした。部屋の居心地の良さ快適さ、本当に最高だと言えるくらいでした、そしてお風呂、トイレ、洗濯、洗面、部屋、食堂が完全ワンフロアでした、


法然上人二十五霊場巡拝成満

2017-08-04 | 日記







 先週の木曜,JRのダイヤの大幅な乱れで成満できなかった法然上人ですが、今日なんとか、やり直すことができました。先ずは知恩院へ直行、成満の証は申込書に記入して2000円を支払うと、2週間後に郵送してくれます。
 そのあと地下鉄でまた京都に引き返し、東寺へ、今年は3dayチケットがなくなったので高野山に行けず、東寺でお礼参りです。納経はしないけど納経所の売店で新しいへんろ地図を買ってきました。新しいといっても16年の第11版です、もう少し改訂の進んだのがへんろみち保存協力会のサイトで買えるはずですが送料がかかります、電車の中で見直してびっくり、第9版で記されていた高松市街の江戸時代の赤線の道が消えていました、最近へんろ地図を買った人はあの道を知らなかった、なぜ消えたかは想像に難くありません、あの地図だけであの道に入るとほとんどの人が完全に迷子になりそうです、曲がり角がとにかく多いし斜めの道やあぜ道のようなところもあって遍路シールは多いけれど、道を理解していないと簡単に見過ごすことも多いと思われます、迷子を作るような道は記さない方がいいと判断されたのかもしれません。ぼくも今回パソコンの大きな地図で細かく交差点分岐点を自分なりに分かりやすく書き直した地図を片手に歩きました。
 東寺から京都駅に戻り、JRで宇治へ、昨年の秋西国めぐりで道をはずしてしまった宇治駅の手前の道を歩き直しです。ついでに平等院も見てきました、日本人なら10円玉だけでなく、一度は本物を拝んでおきたかった、集印所に列ができていました、その集印所も真新しい建物、ブームはさらに続いています。
 ぼくが歩けなかった宇治の道は本当に昔の街道の味があって、今回戻ることができて本当に良かったと実感、
 そのあとは、同じように長谷寺の御朱印騒動で歩けなかった、天理駅の手前3kmの道を歩き直しに行きました、歩けなかったのは3kmですが、そのポイントに戻るのに4km近く歩かねばなりません。天理教会は今日は子どもたちのお祭りで大にぎわいでした、それにしてもあの本教会の立派なこと大きなこと、知恩院の御影堂は平成の大修理で覆いをかぶっていて、それでもその大きさに圧倒されたのですが、天理さんはそれ以上でした、
 帰って歩数計を見ると26km、今日は500のポカリ2本と、500の濃いめのカルピスを買ってしまいました、真夏の散歩はやはりものすごく厳しいです、


28日目 風のくぐる~お遍路ハウス八十場

2017-08-02 | 17年四国の旅

 風のくぐるではお風呂の時間以外はほとんどパソコンの前でコーヒーを飲んだりパンを食べたり同宿の人と話したり、とてもリラックスできていい宿でした。同宿のお遍路さんは車で2回歩いて2回のベテランの男性と、お遍路初めての男性は別格も全部歩く、初めてなので宿の取り方がうまくいかなくて早く着きすぎたりその逆だったり、とんでもない宿に当たったり、それはそれは苦労の連続、遅ればせながら宿案内の最後の1枚を渡しました、そうしたらもう一人のベテランさんも欲しいというので、階下でご主人にコピーをお願いすることになりました、最後の最後までこんなにきれいにはけたのは初めてです。
 翌朝は雨、9時頃には上がるという予報なので慌てることもありません、コーヒーを飲んでいたら、今度は女性二人とお話しすることができました、二人は自転車遍路でしまなみ海道から来たので55番からのお参りです、雲辺寺はロープウェイですが横峰寺はあの自動車道を登ったみたいです、押して登るのは大変でしょう、と訊くと二人とも無言で大きくうなずく、これから先だと、焼山寺に鶴林寺。太龍寺はロープウェイだけど、そのあと最御崎寺、金剛頂寺、神峯寺、神峯寺はまったてと呼ばれる登りがあるから下に自転車を置いておくのがよいかもと助言します、上まで自転車で登っていった外国人カップルはいましたが、最後は絶対押して登ることになったでしょうから、
 小松で同宿だったベルギーとフランスのご夫婦は昨日善通寺に泊まっているのは分かっているので、窓を覗きながら来るのを待っていたのですが、向こうも雨が上がるのを待っているのか全然来ないので、諦めて7時35分に宿を出ました、

 雨の中、7時52分、76番札所金蔵寺に到着、善通寺から来た歩きの人は二人ほど、

 8寺09分に金蔵寺を出て、40分で77番札所道隆寺に到着、
 雨が降っていることもあって今日もほとんど写真はありません、
 9時04分に出発、天気予報は正確で、間もなく雨はあがりました。今年も讃岐富士の姿は見えませんでした。土器川を渡ってからの県道の脇道を今回初めて歩きました、矢印があるのは分かっていたけれどコンビニの都合があったのでなかなか入れなかった、英語の地図では脇道のみに赤線です。実際静かで歩きやすい道でした。
 郷照寺の写真もなし、10時16分頃到着しました。
 10時32分、郷照寺を出発、天皇寺は後回しで昨年と同じく白峯寺に向かいます。郷照寺まではベストより大分ゆっくりのペースですが、雨もあがって体も温まっていい感じで白峯に登っていきます、昨年よりも明らかに調子がいい、ベストより1分遅れ、アクシデントがなかったらベストタイで行けてたでしょうね、
 白峯寺の写真もなく、12時40分頃到着です、
 昼食休憩を少しとって13時07分に出発です、


 82番根香寺でやっと写真を撮りました。14時10分です。ベストより4分遅れ、この区間はもう思い出せないくらいベストタイが出ていないから、あまり頑張る気も起きないし、県道に上がってくる前は大抵へばることになっています。
 14時25分出発、久々に十九丁からの平坦な山道を歩いたのですが、最高に歩きやすい山道です、境目道より歩きやすい、82番から80番に向かう人しか歩かないというのがすごく勿体ないと感じるほどです、
 県道を横断、80番に向かう山道を下り始めたところで、外国人カップルが登ってきます、この時間にどの宿まで行くのでしょう、17時までには82番の手前のヘンロ小屋には行けるでしょうが、
 15時40分、80番札所国分寺に到着、お参りは明日にして、境内で善通寺から来る人たちを待ってたら、フランス人ご夫婦が到着、5日ぶりですがちゃんと覚えていてくれました、そのあと国分駅のちょっと先にあるコンビニに行ったらベルギー夫妻がいてやっぱりすぐ思い出してくれました。今日はひどいことがあって落ち込んだ1日だったのですが、4人に再会できて、終わりよければ全てよしということにしましょう。16時12分の電車に無事乗り込むことができました、外国人カップルが同じ電車に乗り込みました、坂出のホテルでしょうか、
 今日は20人の歩きの人に出会いました、一度会った人は除くからフランス夫妻ベルギー夫妻は含みません、この時期でも善通寺に泊まっている人は結構な人数です。


 お遍路ハウス八十場はこの建物ではありません、100mほど離れたところにあります、風呂は駄目でシャワーは使えるのですが、風呂場は狭くていろんなものがごちゃごちゃあって汚くてとても使えたものではありません、浴槽が使えない場合初めからシャワーは使う気はありませんでしたが、その気でいたとしても使う気にはなれなかったはずです。これで2800円というのはうたんぐらの朝食付き1000円と比較すると、本当に話にも何もならないと、そんな感じです。
 来年は宇多津まで歩いて電車で風のくぐるまで行くことを考えています。
 明日は一宮寺から屋島の手前まで初めての道で120枚ほど写真を撮ったので、大部違う感じで長くなると思います。


27日目 民宿青空屋~風のくぐる

2017-08-02 | 17年四国の旅


 昨年この宿の朝食で出た鮭が、その年の全ての宿で出た魚の中で一番美味しかった、今年の朝は鮭ではなく鯖だったのですが、やはり、今年いただいた全ての魚の中で一番美味しいものでした、はっきり断言できるくらい本当に美味しかった、この朝食をいただくためだけにこの宿に戻ってくる値打ちがあるというものです、それに加えて玉子焼きも最高、四国でいただいた玉子の中で最高、昨秋熊野古道のきけうやでいただいた玉子焼きが本当に最高でその次に美味い。来年は逆打ちなので岡田ですが、2年後以降は横屋からこの宿に固定することになると思います。少し電車で飛ぶことになりますが、本当に気持ちよく四国を味わうとなれば気持ちよく泊まれる宿を吟味するというのは必須だと思います、また帰って来たくなるような宿をできるだけ多くすることがモチベーションを保つことにも繋がります。


 田尾さんと一緒に宿を出発しますが、すぐ先に行かせてもらいます、田尾さんは今日は本山寺まで、近くのビジネスホテルに予約しようとしていたのですが、ぼくが一富士にした方がいいと強引に勧めてしまいました、ぼくは一富士に泊まったことはないし評判もそんなに耳にしたことはないのですが、なぜかそういう物言いになってしまいました。帰ってから田尾さんのブログを見るとまずまずだったようで、今更ながらよかったと思っています、
 7時15分に宿を出て、45分で大興寺に到着、今日は初めての道は歩かないので写真はほとんど撮りませんでした、


 大興寺を8時12分に出発、80分で、68番神恵院、69番観音寺に到着、ベストより2分遅れです。
 昨日雲辺寺を越えて、一昨日石鎚に登ったから、頑張りすぎることもない、

 9時55分に観音寺を出発、42分で70番札所本山寺に到着しました、やはりベストより2分遅れですが、時速は6.3kmなので押さえているという感じではなくて頑張らないという感じ、
 なぜか本山寺の写真は撮り忘れてしまいました、水屋を使って、本堂の前に行こうとしたら、いきなり女性のお遍路さんに声をかけられました、ブログ仲間のSさんでした、今日追いつくのは分かっていたのですが、まさかここではないと思っていたので不意を付かれた感じになってしまいました、メール交換は何度もしているのですが実際に対面するのは初めて、先ずはガッチリ握手です。
 ぼくがSさんのブログを見つけたのは13年の1月、その前の年の秋から区切り打ちで中村まで歩かれていました、ぼくが土佐佐賀の内田屋さんのことを調べているときに当たりました、宿の情報がきっちり詳しく書かれていて、とても参考になったし、文章も分かりやすく好感の持てる書き方で、続きを書かれるのが楽しみで、以来お気に入りに入れて毎日チェックしています。コメントを一度入れさせてもらって、以来メール交換も時々、道や宿のアドバイスも折にふれさせてもらったりしていました。彼女は体調のことなどもあって、時間を大分あけて区切りで結願をされたのですが、そのときにお遍路はやはり通しでないと、と感じられ、ようやく今回の通し打ち。ぼくなどよりも余程思いのこもった2ヶ月間だったのですが、ぼくが四国に出る数日前中村の手前で足の調子が思わしくなくなって、少々心配していたのですが、四国に出るとスマホではないのでブログを確認できず、室戸で同宿になった伊藤さんや、くろうさぎで同宿になったUさんにスマホを見せて貰って何とか続けていることだけは確認していました。
 藤川旅館で同宿だった男性といっしょにお参りも忘れて立ち話、昨夜の藤川は大盛り上がりだったようです、民宿岡田では田尾さん以外にもめぐめぐさんも同宿だったそうです。
 このとき写真を撮って貰って彼女のブログにアップされています。「とことこ巡礼記」で検索してみてください。


 本山寺をSさんと一緒に出発、出るときに時間を確認せず、写真も撮らなかったので、時間は不明、ただ、上の写真と、弥谷寺に着いた時の写真を確認すると、時速はちょうど4kmだったので、11時33分に出たことになります。本山寺には1時間近く滞在したことになります、お参りの時間を除いて50分ほどは喋っていたことになります、
 Sさんは1日に20kmのペースで、時速は3.5~4kmということだったので、速くならないように気をつけながら並んで歩きます、伊豆田越えではAさん、三原村ではMさんといっしょに歩いてちょっと速くなってしんどい目をさせたので、行き過ぎないようのんびり落ち着いて、ここまでの2ヶ月間のお話を伺いました、ぼくが四国に出てくる4月半ばにはかなりきつくなっていて中村の宿で5連泊、荷物を持たずに歩けるようにしたことまではブログで確認できていたのですが、その後も調子はあまり上がらなくて、ひどいときには時速2kmほどでもしんどいくらいになってしまったそうですが、その後も連泊の宿を6回、荷物なしで歩く日を設ける内にだんだんよくなって今はベストに近い状態で歩けているということでした、中村からはほとんどビジネスホテル、彼女は遍路宿の食事が多すぎると残さないようにするのが大変で、ホテルの方が気楽でよかったと言います。確かに、ぼくも今年は初めて完食できない宿がふたつほどあったし、食べきることだけに必死になることも何回かあって、そういうのが続くと逆に楽しめないこともありますからね。
 あと、予約を入れたのに予約が記録されていなかった宿坊の話、自らの不備を詫びることもなく終始ないがしろな対応、本当に最低です、お遍路さんで儲けているくせにそんなひどい仕打ちをするなどもってのほか、四国霊場そのものが衛門三郎になってしまった、即刻宿坊の営業は取りやめるべきです。その宿坊が宿坊の中では最高だという知り合いのお遍路さんもいたし、今年泊まった田尾さんも絶賛していましたが、宿として一番基本的で大事なことがきっちり行われないのであれば、全てが否定されても仕方ありません、その宿坊で同じような目にあったという人の話も聞きました、一人でも大きな問題なのに、二人の人がそういう目にあったというのはもう管理経営がなっていないということに他なりません、
 旧高瀬町に入る手前の国道の脇道も紹介して一緒に歩きます、日本語のへんろ地図には載っていませんが、英語の地図には国道に赤線はなくこの脇道にのみ赤線があります、入るところには矢印がありますが、歩道は反対側なので知らないと絶対に気づきません、ぼくがこの道に入れたのも2年前が最初でした、上の写真のすぐ手前で国道に合流して、写真のすぐ先で今度は左側の脇道に入る、ここからはほとんどの人が入れますが,Sさんは前回もう少し先のところから入ったそうです、ぼくも最初の時はここからは入れず、大分先まで全然気づかないままでした、
 弥谷寺の少し手前まで3時間ほとんど話は途切れませんでした、彼女は丸2ヶ月、ぼくも1ヶ月四国にいてずっと歩いていたから、まだまだ話すことはあったかもしれないし話し足りなかったかもしれません、


 一足先に71番弥谷寺に到着、14時20分です、ここから宿までは9km弱ですが札所が5つあるので、かなり厳しい感じになっています。
 14時50分、弥谷寺出発、32分で72番曼荼羅寺に到着、ベストタイ、
 15時30分、曼荼羅寺出発、6分で73番出釈迦寺に到着、ベストタイ、
 15時42分、出釈迦寺出発、23分で74番甲山寺に到着、ベストを3分も上まわりました、
 16時15分、甲山寺出発、13分で75番善通寺に到着、ベストタイ、
 16時40分、善通寺出発、


 国道沿いのファミマで夕食と朝食を調達して17時03分、風のくぐるに到着しました、予約では16時半に入ると書いたのですが30分ならまあセーフと言ってもいいでしょう。
 風のくぐるは素泊まり宿、正直全然期待はしていませんでした、評判も全く耳にしていなくて、助言するために一応見ておきたかった。出迎えてくれたご主人はとてもいい感じでした、ぼくが明日郷照寺から先に白峯寺に向かうのだと言うと、そちらの道のことをよく聞かれるのだけれどどうなんですか、と尋ねられました、30分くらい近道になるし、登りも緩やかなところが多くておすすめですと言っておきました。
 この宿のいいところは部屋数がそんなに多くはないのにお風呂が二つで完全男女別、トイレも完全男女別で、女性にすごく優しい宿です。さらに、階段を上がったところに広くはないけれどパソコンとテーブルがあってコーヒーお茶がセルフで飲めるようになっています、椅子が3つあって、情報交換の場にもなっています、実際、同宿の二人の男性お遍路さんとたっぷりお話ができました、個室に一人で泊まると3800円、文句なしのおすすめ宿です。