WALKER’S 

歩く男の日日

7日目 4月17日

2012-04-30 | 12年別格巡り


 6:01
今回の区切り打ちも最終日となった。出てくるときには最終日は37番札所岩本寺の先12kmにある荷稲駅まで歩くつもりだった。でも昨日あたりから予定を変更する方がいいと思い始めた。岩本寺の近くにある窪川駅から電車に乗れば2時間早く帰れるはず。時刻表を調べるために柳屋旅館から400mの所にある土佐新荘駅にやってきた。


 6:03
予定していた電車より1時間50分早い便がある。しかも土佐山田で乗り換える必要もない。窪川発13時頃になるから余裕を持って歩けそうだ。


 6:11
昨日予報が大はずれで1日中雨だったから、今日の予報もはずれて快晴。今日は30km歩くからその方が良かった。


 6:55
3年前、長門市仙崎から来た橋本さんに追い抜かれたのがこの焼坂トンネルの入り口だった。橋本さんも2週間で宿毛まで歩く超健脚だった。この少し手前の峠道への入り口がタイムチェックポイント、柳屋から40分08秒、ベストより2分早かった。


 7:28
国道を離れ土佐久礼の町へ下りていく。この少し手前の峠道の合流ポイントまで36分15秒、またベストより2分早かった。足の調子はよいけれど無理に速く歩こうとはしていない。何がその要因になっているかよく分からない。


 7:35
うわっ、新しい橋が・・・、3年経つと本当に景色が変わる。


 7:36
橋を渡るとすぐ右へ折れてそえみみずの方へ向かう。そえみみず遍路道を歩くのは6年ぶり3回目。

右に折れるとすぐ土讃線の踏切を渡る。国道が見えている。


 7:39
国道を200mほど行くと、右の方へはいる道がある。ここからは6年ぶり2回目なのであまりよく覚えていない。


 7:53
そえみみず遍路道の道しるべがあった。6年前これがあったかどうかは記憶にない。


 7:58
6年前にはなかった人工物が現れた。あの工事のおかげで07年から08年にかけてそえみみずは通行止めになった。09年は歩けたけれど勘違いをして大坂峠を歩くはめになった。


 8:01
そえみみずの登り口に3年前にできた遍路小屋に到着した。焼坂峠道の合流ポイントから35分35秒、6年前より1分以上遅かった。今回の旅で初めてベストを更新することができなかった。理由はよく分からない。


 8:27
遍路小屋では20分ほど休憩、登り始めて5分ほどで景色が一変した。登るべき山がごっそり削られていた。高速道路の下まで急な階段を下る。


 8:31
高速道の下をくぐると今度はさらに急角度の登りが待っている。これだけ長く険しい階段は四国中探してもないのではないか。57番札所栄福寺の裏の神社の石段でもこれほどではなかったような気がする。


 8:34
新しくできた階段の一番上までようやく上がってきた。焼山寺や鶴林寺でも立ち止まらなかったのに、この階段の途中では息を整えなければならなかった。よくもまあ。これだけの山を削ったものだと思う。高速道路の舗装はまだできあがってはいない。


 9:29
そえみみず遍路道を踏破、ようやく県道41号に合流する。最初の新しくできた階段は遍路道としてはひどいものだったけれど、昔のへんろ道に入るとやはりとてもいい感じの登山道が続いた。登りの傾斜が焼山寺や鶴林寺、太龍寺とは違って緩やかで無理のないところが多いし、平坦に近いところもあるし後半は下りになる。山道としては一番多彩で楽しみやすい道だと言えるかもしれない。その点は6年前の記憶、印象と変わりはなかった。


 9:30
七子峠の国道が見えてきた。


 9:37
七子茶屋の前に懐かしいロバのパンが停まっていた。遍路小屋から69分13秒、6年前より5分遅かったけれど最初の部分が違いすぎるので比較はできない。


 9:38
展望台から大坂遍路道方面を眺める。こちらにも余分な人工物がはっきり見える。
 大坂道から男性のお遍路さんが上がってきた。区切り打ちで今回は19番立江寺から来たという。足が痛くて高知市では2日逗留したと言っていた。


 9:52
展望台で休憩した彼と一緒に歩き始める。彼は昨日は焼坂峠を越えて30km歩いたので、今日は軽く岩本寺までの20kmにするそうだ。途中から先に行かせてもらう。


 10:53
七子峠から3kmちょっとの所にある遍路小屋で休憩、いつもはそのまま岩本寺まで休憩はとらないけれど、今回はこのコンビニ(七子峠と岩本寺のほぼ中間)で休むことは初めから決めていた。朝食はバナナとリンゴ1個ずつしか食べていないので食料の補給が必要なのだ。アイスと袋菓子、ポカリスウェットを買うと、レジの人がお接待ですと言って500ccのお茶を袋に入れてくれた。コンビ二でお接待を受けるのは初めてだった。


 10:55
コンビニの横にはお遍路さんのためのお休み処がある。お遍路さんに優しい四国ならではのコンビニ。しばらく休んでいたら影野小学校の近くで追い抜いた外人さんがやってきた。


 11:06
ぼくは英語に全く自信がないので話しかけるつもりはなかったけれど、彼の方から声をかけてくれたのでたどたどしいながら何とか受け答えをすることにした。以下和訳で大体の会話を再現してみる。


米 「それにしても歩くの速いねえ」
日 「1日に40km歩きますからね」
米 「40km・・・、ぼくなんて30kmがせいぜいだよ。88ヶ所を全部をまわるのかい」
日 「今回は別格20ヶ所を、それも6回に分けてまわってます。もう今日窪川まで行って電車で帰ります。」
米 「そうなのか、88ヶ所はまわったことはあるの」
日 「88ヶ所は今までに7回巡りました」
米 「7回も!!ぼくなんて1回で十分だよ、その1回も最後まで行けるかどうかわからないくらいだよ。それにしてもどうしてそんなに繰り返して歩くの」
日 「ぼくは四国の人たちが好きなんです。とくに旅館の女将さんやスタッフの人たちに優しく親切にしてもらうとどうしてもまた会いたくなって何回も歩くようになってしまったんですよ」
米 「・・・・、I’m  impressed」
     真面目な顔でつぶやくように言ったその言葉はとても意外だった。単語を並べただけの会話にもなっていないような言葉で彼の心にどれだけ伝わったかは全く心許ない。でも、ぼくの思いのエッセンス、そのいくらかは届いたということなのかも知れない。
米 「それにしても君の荷物はコンパクトだねえ」
日 「これで4kgくらいです」
米 「4kg、ぼくのなんて10kgもあるよ。キャンプをしながら歩いているからどうしてもこれだけになってしまう。一昨日なんか雨が降って本当に大変だったよ」


 12:06
国道から右の方に分かれて窪川の町へ下りていく分岐点の手前、前はこの部分は車道で歩道は左側だった。左から右側に横断するのがちょっと危険だったけれど、右側の歩道が分岐点まで完全に整備されて安心して歩けるようになっていた。


 12:17
岩本寺に行く前に窪川駅に寄り道して時刻表をチェックしておく。高知行きは13時10分、かなり余裕がある。


 12:23
今回の旅の最終目的地、37番札所岩本寺に到着した。七子峠の3km先の遍路小屋から88分46秒で来た。ベストより1分半ほど遅い。最終日の後半はずっと力が出なかったようだ。朝食をしっかり食べられなかったのが要因になっているかもしれない。この時間の岩本寺は閑散としている。納経所の前のベンチで歩きの男性が休んでいた。話を聞くと、彼は高松の人で野宿で巡っている。今日は佐賀温泉の近くまで行くそうだ。コンビニで外人さんからお接待のお茶をもらったので、それをさしあげた。


 12:48
窪川駅に戻ってくると、ちょうどアンパンマン(特急南風3号)が出ていくところだった。


 12:55
3番ホームに下りていくと高知行きはすでに待っている。座席について白衣をとる。これで今回の区切り打ちも無事終了。


 13:42
本日の出発地、土佐新荘に30分で戻ってきた。電車で30分の所を1日がかりで歩く、それこそがお遍路の醍醐味というもの。歩かないことにはその魅力は理解できない。


 15:05
定刻に高知駅に到着、駅の北側にあるバスターミナルチケット売り場に来た。高知から高速バスに乗るのは初めてなのでちょっと迷った。高速舞子に停まるバスは15時40分に出る。当初予定していたバスより2時間半早い。


 15:10
3年前はまだ工事すら始まっていなくて、むき出しの荒れ地が広がっていた駅前広場だったけれど、きれいに整備されていた。


 15:11
駅前の三志士の像を撮影して、バス乗り場に引き返す。この3年というもの1泊が2回で後は日帰りばっかりだったから、この4日間は本当にたっぷりだった。通し打ちのような充実感も感じることができた。


6日目 4月16日

2012-04-27 | 12年別格巡り


 7:31
あづまの朝食は7時から。高崎さんは徳増まで45km歩くので6時に出ていく。枯雑草さんも朝食なしで6時半に出ていく、ぼくは今日は乗り物の日なので、初めてあづまの朝食をいただく。朝食もたっぷり、昼食抜きでも大丈夫なくらいだった。おまけにゆで卵2個とペットボトルのお茶をいただいた。これでお昼はコンビニに寄らなくてもいい。

 あづまの朝はまた雨、これで4回の内3回が雨だ。あづまに泊まらなかった4回の内この近くを歩いた時2回も雨だった。8回の内5回が雨だからものすごい確率。7時30分に宿を発つ、女将さんがまた丁寧に見送ってくれる。こんな送り方をされたらまた帰ってこなくてはならない。国道を離れて初めて昔の道を歩く。700mほど遠回りになるから今までは歩けなかった。いつもは高崎さんと同じで45km歩く日だから少しでも遠回りは避けたかった。


 7:35
右へ折れるポイント、初めての道だから心配だったけれど、カーブミラーの下にちゃんと矢印があった。


 7:42
国道にあるローソンの裏を過ぎると道は登りになる。左の方へ緩やかに曲がると大坂峠の山道の入り口があった。こちらの道を選んだからには山道を行くべきだけれど雨が降って足元が心許ないのでそのまま自動車道を行くことにした。


 7:53
国道55号が見えてきた。


 7:54
国道に合流する、右手を見ると八坂トンネルの出口だった。


 8:24
宿から54分02秒で別格4番鯖大師に到着した。国道を行くより10分ほど多くかかった。


 8:37
鯖大師から200m先に鯖瀬駅がある。今回はここから室戸岬まで電車とバスで行く。海部行きの電車は8時59分に来る。電車を待っている間にベテランのお遍路さんがやってきた。雨がひどくて海部まで電車に乗ることにしたという。ここから海部までは8km。それだけ電車で稼げば甲浦あたりまで楽々歩けるだろう。ぼくが別格の区切りをしていると言ったら、彼も108ヶ所を巡ったことがあるという。ぼくがまだ歩いていない、そしてちょっと心配な山道、13番仙龍寺、や18番海岸寺への道のことを尋ねたら丁寧に教えてくれた。


 9:34
雨が降っているのでいい写真が撮れない。これは甲浦駅を下りてきたところにある観光案内所兼バス待合所の中。待合所の中にはツバメの巣があってツバメが数羽飛んでいる。案内所の人は糞に気をつけてくださいと言っている。海部駅でJRから阿佐海岸鉄道に乗り換える。乗り換え時間は2分しかなかったので少し焦る。甲浦に着いたのは9時22分、室戸岬行きのバスは9時59分に出る。


 10:51
バスが甲浦駅前を出て数分で国道55号に入っていく。国道は遍路道だから歩いている人を見つけることができるだろうと車窓に注目していたら、合流してすぐ高崎さんが歩いているのが見えた。牟岐からここまで23kmだから順調に進んでいる。ぼくが3年前ここを通過したのも全く同じ時間だった。室戸岬まで逆打ちの人を含めて10人くらいのお遍路さんを見つけることができた。自分がバスで通過してしまうのが残念だとか申し訳ないとかせつないとかいう感情はなかった。ただ、土佐の道は自分にとって歩く道だということ、歩かなければお遍路ではないということは確認した。ほぼ定刻に室戸岬のバス停に到着した。バス停は中岡慎太郎の銅像のすぐ手前にあった。


 11:08
室戸岬についても雨が上がることはなかった。傘をさして最御崎寺の登山道を登る。登山口はバス停から250mほど戻った所にある。登り口から山門まで700m弱だと道しるべに刻まれている。登り口からのタイムは過去2回しかとっていない。中岡慎太郎の前にある飛厳荘に泊まったときだけ。そのときと比べて1分早い13分23秒で到着した。山の上はごく薄いもやに覆われてこういう写真になってしまった。


 11:30
お参りを済ませ登ってきた登山道を戻ってくる。本当なら反対側の自動車道を下るのだけれど、またバスに乗るので同じ場所に戻ってくる。バスの時間まで20分ほどあったので、バス停の前にある室戸ジオパークインフォメーションセンターで休ませてもらう。
 事務員の女性がお茶を入れてくれお菓子も出してくれた。向かいの飛厳荘は廃業されたのですかと訊くと、やはりそのようだった。昨年のお遍路さんの数を訊くと、この前を通るお遍路さんはそんなに減った感じはしなかったけれど、宿の方が言うにはやはり何割かは減ったということだった。ぼくが7回巡ったと言ったらたいそう驚かれて、なぜそんなに繰り返して歩くのですか?という。最初来たときすばらしい宿の人に会って、絶対もう一度会いたいと思ったのが始まりで、そういう宿が来るたびに増えていった、と答える。


 12:45
金剛頂寺の行当岬、キラメッセ、吉良川の町、羽根川橋から羽根の町、そして羽根岬と3年ぶりの懐かしい風景が次々過ぎていく。お遍路さんが歩いているのも見かけることができた。やっぱりここは歩かなきゃね。室戸岬から54分、定刻にごめん・なはり線、奈半利駅に到着した。


 12:48
ごめん・なはり線(土佐くろしお鉄道阿佐線)がJRに乗り入れていることは今回初めて知った。本日の最終目的地JR須崎までの切符も自動販売機で買うことができる。でも乗り継ぎ切符の買い方が全然判らないので駅員さんに尋ねてやっと買うことができた。


 12:50
ぼくが乗る13時05分発の電車は高知駅まで行く。1時間18分の旅、歩けば丸二日かかる距離だ。いつもはその横や下を歩きながら眺めていた電車に初めて乗車する。


 14:22
安芸駅から3人のお遍路さんが乗り込んできた。どちらからですかと訊かれて、東京からですと答えていた。神峯寺下の宿に泊まって、山道を往復してここまで来ると大体18km。雨の中をこれだけ歩けばもう充分と思ったかどうか。雨が降っていなくても大日寺の近くまで電車に乗る人は多い。
 電車が高知駅に近づいてきた。3年前撮影に失敗した四国電建の社宅を撮影、何とかリベンジを果たす。


 15:45
高知駅では乗り換え時間は5分、須崎行きは反対側のホームですでに待っている。土讃線は須崎の一つ手前の大間駅までは9年前に乗ったことがある。帰りは窪川から高知まで乗るから四国の鉄道もだいぶ押さえることができる。
 駅から別格5番大善寺までは初めての道を歩くことになる。スマホのマップで丹念に調べたから何の心配もいらない。


 16:01
須崎駅から13分51秒で別格5番大善寺に無事到着、一度も迷うことなく須崎の町をもう一つのたたずまいを楽しみながら歩くことができた。ぼくが知っている須崎は遍路道沿いの線の部分でしかなかったから、別の景色は新鮮で味わいがある。


 16:09
大善寺の本堂は山の上にある。納経所も本堂の横にあるけれど今回(この時間)は下の寺務所で行うと貼り紙が出ていた。大師堂は下にあるから、こちらとしてはその方がありがたい。大師堂でのお参りが納経の後になってしまうからだ。お大師さんの前は急な階段になっているから横顔しか撮影できない。


 16:18
念珠をいただいて大師堂の目の前にある今日の宿柳屋旅館に戻ってきた。江口洋介さんと戸田菜穂さんがここに来たときと同じように灯が点っている。ここに来るのはいつも3時過ぎだった。3年ぶり7回目の投宿になる。中に入っていくと女将さんが「やっぱり原田さんやった~」と手を叩きながら出迎えてくれた。いつもは電話で予約すると名前を言うだけでぼくのことを判ってくれた。2年目の時から毎回そうだった。今回は息子さんが電話に出たので女将さんとしては半信半疑だったというわけ。3年ぶりになるのに名字だけでぼくではないかと見当をつけていてくれた。今までのべ200軒以上の宿に泊まったけれどそういう宿はこの宿だけ。

 柳屋旅館の同宿はぼくを入れて3人、二人分の合羽がすでに土間に干してあった。洗濯機も稼働中。ぼくは離れの二間続きの部屋の通された。ぼくのスェット1枚では少し肌寒い感じだったので炬燵はありがたかった。お風呂は二人が入った後だったせいか少しぬるめだったけれど、やはり最高に気分のいい空間だった。一人風呂としては四国の宿の中で一番だと改めて思う。食事は、鰹の刺身はさすが地元だけあって申し分なかったし温かいエビフライも美味かった。ご飯の量もおかずの量も多すぎずちょうどいい満腹具合だった。これだけいい遍路宿に泊まるのだから、やはり本当にもっと味わうためには歩かなきゃだめだと思った。しっかり歩いてこそこれだけのことをしてもらう理由がある。


5日目 4月15日

2012-04-23 | 12年別格巡り

 朝食は6時から、今日は45km以上歩くからいつもより余裕はない。食事のとき後ろの卓の若い男性が牟岐町の宿、内妻荘やあづまの評判を前の人にたずねている。前の人も泊まった経験はないようではっきりしたアドバイスはできない。食事が終わって支払いを済ませたあと、その人に牟岐まで行かれるのなら「あづま」がいいですよ、と助言する。それにしてもここから牟岐まで行くなんてすごい。ぼくもそうだけど。


 6:29
龍山荘を6時25分に出る。坂口屋の前に大きなバスが2台、今日も団体でいっぱいのようだ、歩き遍路は肩身の狭い思いをすることがあるのでやはり龍山荘で正解。


 7:28
大根峠を越えて新野の里に下りてきた。峠越えの山道は一番調子の良かった3年前と変わらないくらいしっかり歩くことができた。


 7:44
坂口屋の前から69分32秒で22番札所平等寺に到着した。どうしたことかベストより5分も早かった。動きは全体に良かったけれどこんなに早いとは思っても見なかった。今までと違うのは夕食と朝食をしっかり過ぎるくらい食べたこと。そのエネルギーが活力に直接影響したのかもしれない。


 8:03
本堂でのお参りを終え、大師堂の前でろうそくをあげていると、牟岐まで行く若者がやってきて「早いですね」とぼくに声をかけた。ぼくが宿を出るとき彼はまだ食卓についていたから、5分か10分後に出たはず。ぼくが先にここにいるのはごく当然じゃないかと少し首を傾げる思いだった。トイレの横のベンチで休んでいると彼はお参りを終え早々に山門を出ていった。彼はザックも金剛杖も持っていなかった。そういえば、1週間くらい前香川県宇多津町の善根宿うたんぐらに泊まった人も荷物を持っていなかった。同じような人がいるものだなあ、とその時は感心するばかりだった。それが同一人物だと分かるのはもう少し後のこと。


 9:30
水と食塩を充分摂って、若者に3分遅れで平等寺を発った。彼は1日に45kmも歩く健脚だから追いつくことはできないだろうと思っていた。でもすぐ前に目標があることで自然とスピードが上がっていくような感じだった。そして平等寺から2.6kmの地点で追いつくことができた。追いついてからはいっしょにいろいろ話しながら歩いた。彼は今回が4巡目、最初は野宿で、2巡目、3巡目は宿に泊まって108ヶ所の通し打ち。今回は初めて88ヶ所、宿に泊まると費用がかさむのでできるだけ荷物を少なくして距離を稼いで日数を少なくする。前回の経験をふまえると今回は25日で一巡できるそうだ。ぼくも費用を少なくするために1日に40km歩くけれど、28日が限界だと思っている。話を聞いて全部納得できた。ちゃんと意味があって自分の都合に合わせてしっかり歩く。しっかり歩けない人より余程いいお遍路だとも思った。お遍路の良さは自由なところ。通しで歩くのも良し、区切って歩くのも良し、どこから歩いてもいいし、どこで止めてもよい。バスで行くのもいいしバイクで行くのも自転車で巡るのもいい。他人に迷惑をかけない限りどんなお遍路も許される。一人一人その人に合ったその人のためのお遍路がある。

 途中から一緒に歩いたのでスピードは落ちたと思っていたけれど、釘打トンネルを出たところにある遍路小屋までベストより5分も早い55分06秒で到着した。とても不思議な感じだった。小屋の中で話している内に彼がぼくのHPやブログを熱心に読んでいることが判った。09年の遍路日記は彼が最初のお遍路を終えた後で始まったので写真の風景を懐かしみながらとても楽しめたと言ってくれた。ぼく自身はあまり自信がなくて他の人が見ておもしろいというほどのものではないと今でも思っているから、意外だった。HPも参考にしている人は多いと言ってくれたけれど本当かなという感じが強くて首を傾げっぱなしだった。
 彼は福岡市から来た高崎さん、写真をお願いしたら、ぼくのブログに載るのはとても嬉しいと顔をほころばせた。


 9:41
遍路小屋では30分の休憩、すっかり話し込んでしまった。遍路小屋から500m先に国道を離れ右の方へ下りていく道がある。由岐、田井ノ浜方面へ向かう昔の遍路道だ。本当の遍路道はもっと遠回りの道があるようだけど、さすがにそちらの道は歩けない、こちらでも国道より3kmほど遠回り。高崎さんもこちらの道は歩いたことがあるけれど国道は雰囲気がないので再度こちらを行くことにした。


 9:44
国道55号の下をくぐる。

 3年前国道からこちらを撮影した。こちらを歩くことがあったら反対の画を撮ろうとずっと思っていた。


 9:49
この先突き当たると県道25号に合流。


 10:05
ウェルカメ、美波町に入る。ただしここは旧由岐町、ぼくが前にここを歩いたのが06年の4月。その1ヶ月前に日和佐町と合併して美波町になった。


 10:08
6年前ものすごい工事をしていたところ。覚えている風景とすっかり忘れてしまった風景が交互に現れる。


 10:11
このすぐ先から高崎さんは駆け足で先に行く。駆け足といっても時速8~9kmくらいだけどぼくは6.5kmしか出せないからあっという間に見えなくなってしまった。


 10:22
右に折れて由岐駅方面へ向かう、昔はこの道はなくてみんな直進する遠回りの道を行ったと思われる。


 10:23
由岐駅の近くまで思い切り下って、その後登りになる。高崎さんはすでに登りに入っているのがなんとかとらえることができた。


 10:26
左へ折れると由岐駅、薬王寺へは直進するのが近道だけど、6年前のタイムと比較をしたいので駅に立ち寄ることにする。


 10:27
牟岐線の踏切を渡る。


 10:32
珍しく駅名の看板はないけれどこれが由岐駅の正面。遍路小屋から52分16秒、6年前より3分早かった。6年前は1日の最後の行程でしかもとても暑くて条件が悪かった。だから今回のタイムは当然すぎるくらいの数字。水と食塩を撮って休憩なしで発つ。


 10:42
県道25号に合流した。前回由岐駅からここまでは展望台の方へ上がっていく古い遍路道を歩いた。今回は点線の付いている本来の道を行く。初めてだったので少し不安があったけど何とか迷わずたどり着くことができた。


 10:43
田井の浜が見える。前に来たときはひどい雨で景色を楽しむ余裕など全くなかった。


 10:52
木岐トンネルに上がっていく。この少し手前で思い違いをしてパニックになりかけた。経験が思いもかけぬじゃまをすることもある。


 11:45
木岐トンネルを抜けると、木岐の町へ入っていく。木岐には遍路道を少しはずれたところに休憩所があってトイレもある。ぼくは由岐駅で済ませたけれど、近道を行く人にはありがたいはずだ。町を抜けると県道の短絡路が俳句の道となっていてとても気分良く歩ける。再び県道に上がってくるころから体調も精神的にもきつくなってきた。すでに20km以上歩いている、道ばたに腰掛けて軽食を摂ることにした。5分ほど休んでしばらく行くと山座峠を越える。峠を越えると下りの短絡山道の入り口が見えてきた。


 11:58
軽食が効いたのか下りの山道は順調でかなり身体も動いてくれた。県道に合流する。


 12:21
3年前ウェルかめ以来全国的にも有名になった大浜海岸だけど、6年前ここに来たときはほとんど関心もなく記憶もあまり残っていない。雨が降っていて歩くことだけで精一杯だったかもしれない。


 12:31
日和佐川に架かる厄除橋を渡る。


 12:32
厄除橋から薬王寺ゆ祇塔を望む。これだけ離れていても格別の存在感。


 12:38
由岐駅から109分43秒(休憩時間は除く)で23番札所薬王寺に到着した。6年前より9分も早かった。後半はかなり疲れて左足にはマメができかけている。その中でこのタイムは我ながらよくやったと思う。15分くらいは休憩できそうだ。


 13:34
薬王寺では石段を登るのもよたよただった。お参りを終えて納経所の前のベンチで休んでいる間もずっと足の裏のマッサージを続けた。明日はほとんど歩かないけれど、マメができるのはどうしても嫌だった。今日はまだ15kmも残っているし最後まで気持ちよく歩きたい。
 余裕を持って13時10分に薬王寺を発つ。途中で20分休んでも16時には宿に着く。
 珍しく田圃で山羊が草を食んでいる、思わず足を止めた。


 13:59
日和佐トンネルを抜けてしばらく行くと新しい遍路小屋ができていた。このネーミングからしてこの2年半の間にできたことは間違いない。


 14:17
薬王寺と今日の宿がある牟岐駅前のほぼ中間にある休憩所まで66分07秒で着いた。ベストより2分早い。過去2回よりやや条件が悪いのによく歩けたと思う。足の裏はまだ微妙な感じ。しばらく休んでいたら。左の方から高崎さんが追いついてきた。薬王寺の近くで昼食と休憩を充分とっていたのだろう。そして、今度は右の方から逆打ちのお遍路さんがやってきた。


 14:53
こちらが逆打ちのお遍路さん、なんと9巡目のベテラン。この方がぼくの顔を見るなり「どこかで会ったでしょ」とさかんに繰り返す。ぼくも7巡しているし、始めた年も同じだというから可能性はあるだろうけれど、ぼくは毎年200人以上の歩き遍路さんと出会う。7年で1500人以上の人と出会っているからとても全部の人の顔を覚えてはいられない。でも待てよ、と思い返す、覚えてもらっているということは、単にすれ違って挨拶を交わしたわけではないはず。少なくともお話くらいはしているはずではないか。となると、数はだいぶ絞られてくる。7年の間にお話をした女性のお遍路さんは30人くらいだと思う。その中で最も可能性が高いと言えるのは、8年前、2巡目の時だ。最初彼女(たち)を見かけたのは13番大日寺の2kmくらい手前のJAの前だった。男性一人と女性3人が休んでいた。そのときはその前を通り過ぎただけで挨拶もしなかったから彼女はぼくに気づいてはいない。これが04年4月14日(水)。その次に会ったのは2日後の4月16日(金)鶴林寺の登山道を半分以上登ったところ(昨日那賀川の写真を撮ったあたり)でへたり込んでいる彼女たちを追い抜いた。このときはちゃんと挨拶した。その翌日4月17日(土)にも会っている。22番平等寺を出て4kmくらいの所で追いついた。そのときも男性一人女性3人だったから、あ、また会った、とびっくりしたのを覚えている。そのときも一人一人と挨拶したしお互い初めてではないことは判っていたと思う。国道に上がったところでぼくは休憩した。その前を通って行きすぎていったけれど少し先で彼女たちも休憩していた。これで終わりではなかった。

 それから4日後4月21日(水)には27番神峯寺の登山道ですれ違った。ぼくは下り、そして彼女(このときは女性二人連れになっていた)は登り。出会い頭「お兄ちゃん早いねえ」と声をかけてもらった。同じ行程で来ているから、ちょっと変だなと思ったけれど、それ以上のことは考えなかった。「上で水飲めるところある?」と訊かれたので「はい、おいしい湧き水がありますよ」と答えた。
 そして、その次はその12日後だった。さすがにこのときはたまげた。5月3日(月)内子の町を出て大瀬の集落が近づいてくる長岡山トンネルの手前だった。ぼくが追いついていくとお互いびっくりして大きな声を上げた。このときも女性二人だった。彼女たちは内子の宿に泊まってその日は小田の宿に予約していると言った。そのときやっと彼女たちがバスや電車を使いながら歩いていることに気がついた。お遍路の間ではワープという言葉をよく使うけれど、そのときはその言葉すら知らなかった。立ち話をしていると逆打ちのお遍路さんがやってきて、その人に「この人すごいのよ、1日に50kmも歩くんだから」とぼくのことを紹介する。「50kmも歩きませんよ、せいぜい40kmです」というようなことを話したりした。
 それ以後会うことはなかった。彼女は9巡の内4回は乗り物を使ったと言ったから、それとも符合している。どうでしょう、思い出されましたか、多分間違いないとは思うのですが。
 年を隔てて再会することは、何回か聞かされたことはある。読んだこともある。でもぼくにとっては全く無縁なことだと思っていた。ほとんど素泊まりで巡るから食事の時に話す機会もないし、足が速いので一緒に並んで歩くこともほとんどないからだ。名前や顔も覚えるのが苦手だから、ほとんどその場限りにならざるを得ない。でもこうやって、ぼくにも8年前の人と巡り逢える機会が持てた。彼女が逆打ちをしていなければこういう奇跡は起きなかった。衛門三郎伝説を思わないわけにはいかない。彼女は9巡目にして初めて逆打ちを行った。そこに意味があるような気がする。初めから逆を打つことはあまり意味のないことではないか。8年前も閏年、今年も閏年、やはり四国には不思議な魅力がある。


 15:12
遍路宿の情報交換をしたりして話がすごく弾んで、予定以上に休憩時間が延びてしまった。14時40分に発つつもりが14時58分になってしまった。でもとても楽しい有意義な時間だったから全く後悔も何もしていない。
 美波町から牟岐町へ入るところで新しいウェルかめを撮影している間に、高崎さんはまた駆け足で先へ行ってしまった。


 16:13
牟岐駅の手前200mのところに新しいコンビニができていた。3年経つと所々に新しいものができている。宿に到着したのは16時15分、休憩所から77分16秒、ベストタイだった。薬王寺からのトータルで見れば143分23秒、ベストより1分早かった。ベストを出したのは6年前、そのときは午前中だったから今回の方が条件が悪い、足の調子も悪かったからとてもこれだけのタイムが出る感じはしなかった。昨日に続いて今日も全ての区間で記録を塗り替えたことになる。

「あづま」は3年ぶり4回目の投宿。お世話になるのは4回目です、と言うと、女将さんが昔の宿帳を引っ張り出してくる。平成19年、20年、21年の4月の下旬ですと言うと、ぺらぺらと大学ノートをめくりちゃんと記入されていることをいちいち確認する。部屋に上がる前に下の食堂でお茶を入れてもらう。今日の同宿はぼくと高崎さんを含めて5人。ぼくが最後だったから当然お風呂も最後、もう少し待たねばならないようだ。部屋は夫婦遍路の隣の部屋だけど間に押入があるから隣の物音は全く気にならない。地元のチャンネルで徳島商業高校の吹奏楽部の定期演奏会が放送されていたので、お風呂を待っている間楽しむことができた。

 お風呂から上がるとまもなく食事の時間、相変わらずたっぷり過ぎるくらいの種類と量だった。ごはんをお代わりすると全部食べるのがちょっときついくらいだった。温かい鰯の天ぷらはやっぱり格別。高崎さんの隣に座った男性もベテラン遍路さんだった。今回4巡目でブログも書いているし、有名なお遍路サイト「掬水へんろ館」の投稿者でもあった。ハンドルネームは枯雑草、その名を聞くと高崎さんは見たことがあると言って感激していた。
 後ろに座ったご夫婦は初めて、60日で一巡するつもりだと言っていた。すごい、二人で60日だと100万円くらいかかる。


4日目 4月14日

2012-04-18 | 12年別格巡り

3週間ぶりに高速舞子に戻って来た。上着を持っていないので寒い。雨はあがっている。


 9:33
区切り3回目は3番慈眼寺から始まって高知県須崎市にある5番大善寺まで行き、その翌日37番札所岩本寺まで行く。途中バスと電車も使って3泊4日の旅になる。

 徳島駅前8時40分発勝浦方面行きのバスに乗る。勝浦線は慈眼寺の手前8.5kmの横瀬西まで行く便と4,5km手前まで行く便がある。ぼくが乗ったのは横瀬西まで、定刻の9時30分に到着して歩き始めたところ。前に歩いたときは道を間違えてかなり時間をロスしたのでどれくらいかかるかよく分からない。


 9:52
天気は曇り、時折ごく細かい雨がパラパラと落ちてくるけれど全く気にならない。ふれあいの里さかもと(非常に評判の良い宿)まであと2kmということは慈眼寺登り口まで2kmちょっとということになる。


 9:54
問題の分岐点にやってきた。4年前右の方へ上がってだいぶ遠回りをしてしまった。4年前はこの矢印はなかったはず。この矢印を見逃していたとしたら余程こころここにあらずの状態だったに違いない。


 10:03
さかもとのそばまでやってきた。ここから歩きの人は急斜面を登らねばならない。


 10:06
どう見ても学校だけれど、これが民宿ふれあいの里さかもと。もちろん以前は小学校だった。相当お金をかけて全面改装して快適な宿になっているともっぱらの評判。


 10:10
さかもとの手前もものすごい急坂だったけれどここからが本当の登り口、ここも先ほどと変わらず無理矢理な急坂がしばらく続く。


 10:14
登り口から3分ほどで早くも峠が見えてきた。ここからはしばらく平坦な山道が続くはず。


 10:25
見晴らしのいいところに出てきた。山の向こうは上勝町。


 10:30
自動車道に上がってきた。この手前はややきびしい登りだったけれどそれまではほとんど平坦で気持ちよく歩けた。このまま自動車道で慈眼寺まで行くわけではなくもう一度山道に入ると記憶している。


 10:35
ここから山道に入る。この入り口は全く記憶に残っていなかった。


 10:39
山道の途中に休憩所ができていた。小屋があったのは何となく覚えているけれど、こんなちゃんとした扉はなかったような・・・・。


 10:43
岩盤が削られて何とか山道が確保されている。左は崖だから昔はまた違う道が参道になっていたのかもしれない。


 10:48
再び自動車道に上がってきた、この手前200mが一番山道らしい登りだった。少し息が上がる。ここから慈眼寺まではずっと自動車道のはずだ。


 11:03
順調に別格3番慈眼寺に到着、ただしここは大師堂、本堂はさらに100mも高いところにある。バスの時間があるので本堂まで登るか決めかねていた。横瀬西のバス停から89分58秒で来た。前回より10分以上早かった。いくらか時間に余裕ができたので本堂に登ることにした。

お大師さんの前を通って登り口に急ぐ。


 11:05
山門から本堂まで何十メートルも登る札所はいくつかあるけれど、大師堂と本堂の標高差が100mもある札所はここだけ。車遍路の人にとっては岩屋寺以上の難所かもしれない。


 11:12
大師堂から9分もかかってようやく本堂が見えてきた。時速は3kmも出ていない。最高の難所が境内の中にあった。

本堂への往復だけで15分もかかったけれど何とかバスの時間には間に合いそうだ。念珠をいただくと納経所の横に小さなリュックを持った若者が用を済ませたところだった。歩きではなくバイクか車のようだった。


 12:23
前回のタイムを参考にすると、慈眼寺からさかもとの登り口まで下ってくるのに48分かかるはずだった。バスの時間が12時38分なので余裕を見て11時40分に下り始めればいいと思っていた。念珠をいただいて水と塩分を摂ると11時33分、休憩する時間は全くなかった。11時36分に慈眼寺を出ると、43分30秒で登り口まで下ってきた。バスの時間まで15分あるので初めて休憩、昼食を摂る。


 13:02
慈眼寺登り口(バス停坂本)から鶴林寺登り口(バス停生名)まで6.9kmあるのでここを歩くと1時間以上かかって宿に入るのが17時を過ぎてしまうので、バスに乗るしかない。生名(民宿金子やの前)に到着したのは12時58分、これから山を二つ越えるので休憩する時間など全くとれない。


 13:09
しばらく登ると新しい遍路小屋ができていた。かやぶき屋根は新しいという感じはしないけれどこの3年の間にできたことは確かだ。この屋根を見て改めてこの3年という歳月を思わないわけにはいかなかった。鶴林寺まで5分の1程度しか登っていないから場所的にはどうかという感じもするけれど、中は普通の遍路小屋より広くて野宿の人にはいい感じのスペースが確保されている。


 13:38
鶴林寺への険しい山道も中盤から後半へ入って、一瞬視界が開けた。那賀川の蛇行が鮮やか、これから渡る水井橋もはっきり見てとれる。


 13:49
登り口から46分53秒で20番札所鶴林寺山門に到着した。ベストより2分も早かった。さほどタイムを気にしたわけではなかったけれど、今まで一番遅いときでもこの札所には12時30分には着いていたから無意識のうちに急かされていたのかもしれない。


 14:05
お参りを終えてお大師さんの前のベンチで水分と塩分を摂る。時間が時間だけに休憩することはできない。すぐに下山を始める。


 14:44
標高差460mを一気に下って水井橋の手前まで来た。鶴林寺の下りは何度下ってもきついけれど、今回はいつにもまして苦しかった。膝とその周りの筋肉が痛んで思いきった動きがとれなかった。生名のバス停からここまでまだ一人も歩き遍路の人と会っていない。この時間にこんな所を歩いていたら山の向こうの宿まで行けないのだ。


 15:37
太龍寺の最後の登り1600mもきつかった。やっぱりいつもと違って時間がないのが影響しているかもしれない。鶴林寺から84分06秒、ベストより3分も早かった。足の痛さや体調もそんなに良くはなかったから意外だった。


 15:41
山門からも信じられないような急坂を3分ほど登ってやっと境内に着く。思いがけず納経所前は桜が満開だった。太龍寺は標高520m。


 15:44
鐘楼門を抜けて水屋を使う、石段を上がって本堂に向かうと、本堂がなかった。工事用の足場に覆われていた。その手前にご覧のようなごく粗末な仮本堂がしつらえてあった。昨年7月の台風で大きな被害を受けて修復中だった。なんだかやるせない思い。


 15:51
お大師さんの前を通って大師堂へ向かう、途中いつものように額縁から鶴林寺の三重塔を眺める。お参りを終えて納経所まで戻ってくると歩き遍路の夫婦が下り始めるところだった。やっと歩きの人に追いついたことになる。門柱の所で撮影して欲しいと頼まれたので快く引き受ける。ぼくと同じスマートホンだった。二人は今日は立江寺の宿坊から来た。宿坊は清潔でとても気持ちよく泊まることができたそうだ。ただし食事はどちらかというと質素な感じ。食事を主と考えてあまり良い宿坊ではないという人もいるようだ。二人は今日はぼくと同じ龍山荘に宿泊、薬王寺までの一国打ちだ。初めてのようなので遍路宿情報を手渡した。
 山門を16時07分に出る。何とか17時までに宿に着けそうだ。


 16:41
太龍寺からの下りは快調そのものだった。鶴林寺の下りと違って自動車道がずっと続くし、最初の部分以外は歩くのにちょうどいい勾配でひざにあまり負担がかからない。前回、焼山寺の下りが全く冴えなかったのでこの下りだけはタイムを意識した。山門から33分43秒で宿に到着、一番調子が良かった4年前より2分も早かった。4年前は今年のようにバスには乗らなかったので7km以上多く歩いた。4年前は32km、今回は25km、記録が出ても不思議はない。
 龍山荘は5年ぶり2回目の投宿になる。5年前は最初坂口屋に予約を入れたけど満室で断られたのでこちらの宿にお願いした。坂口屋は素泊まり3000円、龍山荘は4000円なので、そうしたけれど。今回は初めから2食付きで泊まるつもりだったのでこちらにお願いした。坂口屋の食事は良いとも悪いとも判らないけれど、龍山荘の食事の評判は聞いていた。前回の出迎えの感じもすごく良かったのでためらいはなかった。5年前は宴会場のような広い部屋に泊めて貰ったけれど、今回は普通の部屋だった。部屋は清潔な6畳間、テレビは日立のwoo22型だった。壁は薄く隣の物音はよく聞こえる方だ。
 先ずお風呂に入る。脱衣場に一人、そして浴場には外国の人が身体を洗っているところだった。どこの国の人かも判らないので声をかけるのは控えることにした。
 6時少し前になるとおじいちゃんが一部屋一部屋声をかけてまわってくる。1階の和室の広間に下りていく。テーブルが3つ、4人、4人、3人合計11人が同宿。ぼくは3人の卓で向かいに逆打ちの男性が二人座っている。隣の卓は太龍寺の山門で会った夫婦と外人さんとその外人さんと途中から一緒に歩いている男性。後ろの卓は若い女性(金子やから来た)と男性3人、それぞれ遍路談義に花が咲いているけれどぼくは同卓の人とも一切話すことはなかった。ただ聞いていた。聞いていると何回も巡っている人が過半数を占めているようだった。過去の経験を初めての人に伝授するという話が多く聞かれた。無理に割り込むこともなかろうとごちそうに集中するばかりだった。


非常にハードな1日が終わろうとしている。予約していた龍山荘には何とか16時40分に到着した。動きはいつになく良かったけれど疲労もそれに比例していた。夕食は評判通り最高レベルだった。

ホルスト

2012-04-18 | 日記

 昨日四国から帰ったと思ったら今日は大阪の街を歩いている。井上道義が惑星を振るとあっては見逃すわけにはいかない。生のオーケストラで惑星を聴くのは初めて。


無事帰宅

2012-04-17 | 12年別格巡り

 無事4日間のおへんろが終了、帰宅した。全て予定通りと言いたいけれど、最終日の最後12kmだけは省略して2時間早い電車、バスに乗って帰ってきた。4日間だけとはいえ、日帰りや1泊では感じることのなかったたっぷり感が味わえた。


奈半利駅

2012-04-16 | 12年別格巡り

 乗り継ぎ乗り継ぎで無事に奈半利駅まで来た。あとは高知で乗り換えるだけ。


あづまの朝

2012-04-16 | 12年別格巡り

 昨夜は経験したことのないような大雨が降った。轟音、爆音といってもいいくらいのすごい雨がひとしきり続いた。交通機関に影響が出ないか心配なところ。


あづま

2012-04-15 | 12年別格巡り

 16時15分、無事に本日の宿に到着した。絶対16時までに入るつもりだったけれど、それができなかったのは途中でうれしいハプニングがあったから。詳細は後ほど。


週間予報

2012-04-10 | 日記

 今週の後半から3回目の区切り打ちに出るつもりにしていたけれど、週間予報が芳しくない。傘マークはないもののいずれも曇りベースの天気が続く。4日の内少なくとも2日は晴れベースの日が欲しいので敬遠せざるを得ない。来週の水曜日は大阪で用事があるのでそれ以降になってしまう。


3日目 3月22日

2012-04-04 | 12年別格巡り


 6:33
朝食は6時から、品数も多くてとてもおいしかった。朝はまだ肌寒いのでネルシャツの上にジャージを着てさらに白衣を着ける。


 6:42
藤井寺の本堂のすぐ横にある登り口まで戻ってきた。2年前の区切り打ちでは後半バテバテだったから、やや慎重になっている。ベストタイムは狙っていない、最後まで元気よく歩くことが目標。


 7:35
長戸庵は藤井寺と柳水庵のちょうど真ん中にある。でも柳水庵までよりも圧倒的に登り坂が多いので時間は10分くらい多くかかる。48分37秒かかった。あと8秒早ければベストタイだった。でも過去6回は50分以上かかっているので調子はいい方だ。いつもはここでは休憩はとらないけれど一昨年の失敗があるので塩分と水分だけは充分摂っておく。たっぷりなめても全然辛くない。


 8:20
柳水庵に到着、長戸庵から38分29秒、ぎりぎりベストタイだった。藤井寺からのトータルで見れば87分06秒で今までで一番早かった。長戸庵で水と塩分を入れたのが大きかったかもしれない。この間はいつになく冷静だった。まだかまだかという焦りは全くなかったし足の動きもスムースだった。ホースで引かれた谷川の水をいただく、旅館の水道水とは味が違う。少し甘みがあって確かな味がある。またたっぷり塩分を摂る。食料は焼山寺まで摂らない。


 8:56
浄蓮庵(一本杉)に到着、柳水庵から30分25秒、ベストタイだった。この区間は距離は短いけれどこの手前900mは焼山寺道で最も厳しい登り坂になっている。この坂がしっかり登れるかどうかでその日の体調を知ることができる。前回は何度も立ち止まって息を整えなければならなかったし、初めて来たときには腰を下ろさねばならなかった。今回はかなり息は上がったものの立ち止まるほどではなかった。


 8:59
お大師さんの横で一休み、でも相当汗をかいているのでじっとしていると寒くてしょうがない。水と食塩を摂って早々に出発する。


 10:03
焼山寺の手前の広い林道に出てきたとき前回は全く足が前に出てこなかった。今回は普通に思い通りに足を運ぶことができていた。浄蓮庵から54分51秒、またベストタイだった。ものすごく調子が良かったというほどではないけれど、立ち止まることもなかった。何とか普通にたどり着くことができたという感じ。


 10:35
本堂の前へ上がっていくと、バスツアーの人たちが大師堂でのお参りを終えて納経所に向かうところだった。あとは車遍路の人が二人いるだけ。ぼくがお参りを終えるころ歩き遍路の人が上がってきた。途中で追い抜いた覚えはないから逆打ちかもしれない。本堂の横にあるベンチに荷物を下ろし下着を着替える。ここではいつも着替えることにしている。朝食に出たバナナと向かいに座った女性からいただいたバナナ(お接待でたくさんいただいたけれど荷物になるので同席の僕たちに分けてくれた)を食べる。たっぷり20分休憩して10時36分に山門を出る。


 10:56
杖杉庵から少し下ってくると梅が満開だ。ぼくは天の邪鬼だから桜より梅が好き。


 11:29
玉ヶ峠の登り口まで来た。藤井寺から焼山寺を越えてすだち館やなべいわ荘、神山温泉に泊まる人は別として、ぼくのようにその日の内にこの玉ヶ峠を越える人は焼山寺以上の焼山寺がこの峠だと感じる。焼山寺までは快調に登れたということは何回かあるけれど、この峠をうまく登れたことは一度もない。立ち止まったことは一度もないけれど辛い思いをしたということ以外の記憶がない。元々この峠越えの道はへんろ道ではなかった。全てのおへんろが神山温泉方面の道を歩いた。この道は近道を無理矢理開いただけあって、整備が不十分なところもあってかなり歩きにくくなっている。


 11:42
焼山寺から65分40秒で玉ヶ峠に到着。ベストより4分も遅かった。体調は悪くなかったし登りでも立ち止まらなかったからもっと早いと思っていた。心肺は問題なかったけれど、やはり左足の筋肉が思った以上に疲労していたのかもしれない。今でも左足のふくらはぎは右足より1cm弱細い。2年前の怪我はまだ100%癒えたということではないようだ。以前のように歩けるのは平地では25kmまでということらしい。
 峠には簡素な祠があって外人男性が休んでいた。水道があってこの水は飲めるかと訊かれたので大丈夫ですよと日本語でこたえると納得したようだった。10分ほど休憩する。


 12:07
崖に張り出して新しい遍路小屋ができていた。4年前にはなかったはず。玉ヶ峠から1.3kmだから休んでいる場合ではない。


 12:40
玉ヶ峠から45分26秒で県道20号に合流、下界に下りてきた。ベストより2分遅れ、やはり本調子ではないようだ。目の前にも梅が満開だけれど、ここまでもずっと満開の梅を楽しみながら下山することができた。神山町のこの地区は梅の里として知られているようだ。今まではいつも4月の下旬に歩いていたので全く気づかなかった。


 13:40
河野橋を渡ってきたところ、渡る少し前にある広野郵便局で休憩させて貰った。童学寺で払う100円硬貨がなかったので切手を買って小銭を作った。ここまで来るとはっきり疲労を感じるようになった。朝から峠をいくつも越えて28km歩いている、疲れない方がおかしい。でももっと元気に歩けていたときもあったから。


 14:10
88ヶ所のへんろ道を離れて左折、行者野橋を渡る。この少し前で地元の奥さんに「暑くなったねえ」と声をかけて貰った。瞬間笑顔が戻った。4年前この橋を渡ったときはもっと暑くてかなり疲れていたけれど、今回はそのとき以上に身体が動かない。


 14:27
新童学寺トンネルまで来たけれど、この手前の坂が大変だった。自動車道でもあるし大した勾配ではないけれど1日かけて体力を使い果たしているので玉ヶ峠と同じくらい辛かった。トンネルに入ると気温が一気に10℃くらい下がって震え上がった。


 14:47
本日の最終目的地、別格二番霊場童学寺にやっとの事で到着した。河野橋から66分02秒、4年前より1分遅かったけれどもっと遅いような感じがしていた。境内は人っ子一人いなかった。4年前は団体が何組かいて騒々しいくらいだったからちょっと拍子抜けのような感じだった。



 15:29
童学寺から石井駅までは初めて歩くので疲れに合わせてのんびり歩く。2280mを24分03秒かかった。全くの平地を時速5.7kmだから疲労も最高潮だ。ドリンクを買おうと思ったら硬貨も千円札もない、徳島駅まで我慢するしかない。白衣を脱いで別格区切り打ち2回目も無事終了。