WALKER’S 

歩く男の日日

残暑見舞い

2014-08-31 | 日記

 高校野球が2日順延して、コンクールは高校の部も見に行ったので、残暑見舞いの準備に少し時間がかかってしまったのですが、何とか8月中に送ることができて一息ついているところです。8月の用事は全部こなすことはできたのですが、「花子とアン」は9回分ハードディスクに残っています。8月の用事が終わったら、写経を始めるつもりだったのですが、来週の旅行の準備があるので、帰ってからにしようと思います。


8月24日 (4)

2014-08-30 | 14年青春18きっぷ


 滋賀県で関西大会が行われる年(原則3年に一度)はどうしても青春18きっぷに頼らざるを得ません。普通きっぷを買えば、姫路から守山までは往復5180円にもなります。
 入場券販売にも列はできていたのですが、50人くらいで大したことはありません。程なく入場、希望する席を確保することができました。
 龍谷大学の自由曲をみたとき、これは、と期待するものがあったのですが、その予想、期待を遙かに越えるすさまじい演奏でした。ぼくは9年前、同じ曲で駒澤大学が金賞を獲った時の演奏を生で見ているのですが、その演奏よりも衝撃は強かったと言えると思います。近畿大学も相当難しい曲を完璧に仕上げてきたのですが、龍谷を聞いた後だったので何かしら物足りなさを感じるほどでした。関西学院も課題曲だけを見ても、龍谷よりピッチ、まとまり、バランスなどほんのわずかだけれど確かに聴き劣りを確認できました。

 青春18きっぷ、残りの4日分は昨年末から行くところは決めていました。9月7日から出かけます。宿の予約は3週間前に楽天トラベルで済ませています。


8月24日 (3)

2014-08-28 | 14年青春18きっぷ


 定刻8時57分、守山駅に到着しました。ここに来るのは6年ぶり3度目です。3年前にも来るはずだったのですが、家を出られない用があったので断念しました。


 かなり古くなった平和堂の前の大通りをまっすぐ西へ向かいます。


 駅から2200m、守山市民ホールに到着です。


8月24日 (2)

2014-08-26 | 14年青春18きっぷ


 一つ目のスタンプ、今日は日帰りです。消費税値上がり分より21円高くなっています。


 6時55分発米原行き新快速に乗ります。


 定刻に列車が入ってきました。


8月24日(日)

2014-08-25 | 14年青春18きっぷ


 JR姫路駅に来るのは今年の2月以来ですが。その時は南から来てすぐ本屋さんに入ったのでこの表側の風景は見ませんでした。その前にも何回かこの近くまで来てはいたものの駅前の工事の進捗状況は確認していませんでした。はっきり見るのは昨年4月13日宿毛から戻った時以来です。向こう側のタクシーのロータリーは完成して、手前の路線バスのロータリーの工事が残っています。


 駅の入口から国宝姫路城を望みます。映像では何度も見ていますが、覆いのとれたお城を生で見るのは初めてです。涼しくなったら散歩がてらもっと近いところに行きたいと思います。


鮒の里のブログ

2014-08-20 | 日記

 高校野球も初戦が終わって余裕が出てきたので、遍路宿が値上がりしているかどうか調べていたところ、鮒の里のブログを見ると、やはりあの記録的な大雨の中でもお遍路さんは歩いていました。3日間宿に逗留する人もいれば、雨の中鶴林寺に登る人もいる。夏休みは、働いている人や大学生にとってはお遍路シーズンですが、ぼくは絶対歩けないと思っています。7月8月も1日10km歩いていますが、その6割はクーラーが利いたイオンの中だからやっと歩けるのであって、1日中炎天下を歩くことなど考えただけでも恐ろしくなります。
 四国から戻って1ヶ月ほどで3000km以上練習で歩いたマキシマイザーのインソールまで穴が開いて、靴下にも穴が開いてしまったので、やむなくゴミ箱行きです。今回四国で使ったトラッドロードに切り替えたのですが、これも距離は2000kmも歩いていないはずなのにまもなくインソールに穴が開いて捨てるしかありません。今使っているのはイオンのバーゲン品、トラッドロードより1000円高い4980円のミズノのイージースター2です。これはトラッドロードがランニングシューズなのに対しウォーキングシューズのカテゴリーです。そして何よりいいのがファスナー付き、しっかり結んでも脱ぎ履きの時にゆるむ心配がありません。今使っているのは25.5cmですが、今回の旅で左足の小指に負担がかかって思い通りに歩けなくなった日があったので、本番用には思い切って26.5cmを別に買いました。分厚い靴下を履いても負担はかかりにくいし、その分踵やひざの負担もいくらか軽減できると期待しています。今回は本番前に使いすぎて思い通り歩けなかった部分があったので、来年は300km以内に押さえて、なんとか機嫌良く歩ける時間を増やしたいと思っています。


高校野球のふるさと

2014-08-18 | 日記

 昨日で高校野球も全チームが出場、無事すべてのふるさと紹介を録画できました、と言いたいところですが、ぼんやりしていて作新学院と沖縄尚学だけは消去してしまいました。校歌の方も東海大甲府だけは花子とアンの放送時間中に終わって録画できませんでしたが、こちらは過去に録画したものが残っています。
 愛媛県立小松高校のふるさとは西条市ですが、合併する前は小松町、この小さな小松町に四国霊場の札所が三つもあります。60番横峰寺、61番香園寺、62番宝寿寺。それ以外には大した名物名所もないようだから、小松町はまさに四国随一のお遍路の町と言ってもいいかもしれません。映像では西条名物の打ち抜きと香園寺が紹介されました。
 鳴門高校のふるさと紹介でも、昨年に続いて1番札所霊山寺が紹介されました。鳴門には他にも名物があるから2年連続の霊山寺は意外だったのですが、今年は四国霊場1200年の記念の年だからはずすわけにはいかなかったのでしょう。


兵庫県吹奏楽コンクール 大学の部

2014-08-12 | 日記

 兵庫県の大学の部を見るのは久しぶりです。今年はたまたま姫路で行われたので自転車に乗って見に行きました。関西学院はさすがの堂々たる演奏だったのですが、関西に行った場合どうだろうという感じはします。「ばらの騎士」は相当難しい、演奏はもちろん聞く方もなかなか理解できない。審査員はちゃんと理解して聞くとは思うけれど、後半のワルツはオーケストラのゴージャスな感じがうまく表現できていないように思います。技術や練習がどうのこうのではなくて、吹奏楽であの感じを表現するのは元々相当無理のあることのような気がします。
 そんなことより、ぼくとしては久しぶりに吉永陽一先生の指揮が見られたのがありがたかったです。吉永先生が県立西宮を退かれ、馬場先生が尼崎東を退かれて高校の部の魅力が一気にしぼんでしまいました。さらに前半後半の入れ替え制度が始まって、行く意味や理由が分からなくなってしまいました。
 吉永先生の棒は他の指揮者の棒と明らかに違います。振らないところは徹底して振らない。振るところは身体全部を使って振る。その落差の大きさはすなわち表現力の豊かさになる。指揮者にとって大事なのは、いかに振るかではなく、いかに振らないか、その意味が解ってきたのは最近のことですが。


ポップス変奏曲「かぞえうた」

2014-08-04 | 日記

 昨日のNHKFM吹奏楽のひびきは岩井直溥特集、その最初に流れたのは「ポップス変奏曲かぞえうた」でした。78年の吹奏楽コンクール課題曲、あまたある岩井作品の中でぼくにとって最も印象に残っている曲です。なにしろ、作曲者である岩井先生の目の前(4~5m先)で指揮をしてしまったのですから。そして演奏後先生から直接アドバイスをいただきました。
 関西吹奏楽連盟が主催する課題曲講習会でのことでした。その年の課題曲はジェイガーの「ジュビラーテ」、マクベスの「カント」、上岡洋一の「行進曲砂丘の曙」、そして岩井先生のこの曲でした。講習会では先ず辻井市太郎先生が「ジュビラーテ」を解説、区切り区切りで講習に来ている指導者に指揮をしてもらう、という感じで進みました。それが終わって岩井先生が自らの曲を、最初から細かく演奏をまじえながら解説していきます。モデルバンドは陸上自衛隊中部方面音楽隊、場所はその本拠地である伊丹の駐屯地でした。
 ジュビラーテでこちらで聞いている者にも指揮する機会が与えられることが分かって、かぞえうたでは絶対振ってやろうと、狙っていました。でも、ぼくはスコアを見るのがその時が初めてで、それまでに模範演奏のテープも一度も聴いていない。この曲は、変奏曲というだけあってテンポがコロコロ変わります。リタルダンドやアラルガンドもあって、初見で何の打ち合わせもなく初めてのバンド、いくら奏者はプロで十分練習をしていたとしても、かなり勇気のあるチャレンジになります。先生が解説している間、一時たりともスコアから目を離しませんでした。1時間弱、演奏を聴きながら頭の中で一心にシミュレーションを続けます。そして、解説が終了、だれか指揮をしてみませんかと岩井先生が声をかけてもだれも手を上げません。良識ある人なら、こんな曲を練習なしのぶっつけで振るのは絶対無理と思うはずです。そして、おもむろにぼくが手を上げました。それでは、と促されて指揮台に上がります。1時間前に初めて開いたスコアで初めてのバンドを、一切の打ち合わせなしにいきなり振る。無謀な若者の挑戦です。テンポの変わり目は特に気をつけながら無難にこなしていったのですが、最後のブライトロックに入るところではほとんどの奏者がついて来られませんでした。アインザッツの動きが速すぎた上にぼくは白いシャツを着ていて白い指揮棒を持っていたので、目が追いつかなかったようです。ただドラムセットの人だけがちゃんとついてきてくれたので3泊目くらいから全員が入ってきてそのまま続けることはできました。フィナーレのアラルガンドは指揮者と奏者の読みあい合わせあいでいきなりにしてはきれいに合わせられたと思います。フィニッシュの直後、思いがけず奏者のみなさんから大きな拍手をもらってどぎまぎしてしまいました。
 
 今から36年前の初夏の出来事でした。