WALKER’S 

歩く男の日日

26日目 お遍路ハウス横屋~民宿青空屋

2017-07-29 | 17年四国の旅

 新居浜から伊予三島まで電車に乗るので、朝食は頼まなかったのですが、6時前にモーニングコーヒーを煎れてもらい、おにぎりと紙パックのお茶もお接待でいただきました。栄福寺でお話しして小松でも同宿だった、Yさん夫妻にこの宿を勧められなかったことを本当に後悔しました、二人はぼくが勧めたMISORAに泊まっているはずです、宿を訊かれたときにはお遍路ハウスのパンフレットも持っていなくて電話番号も登録しているかどうかはっきりしていなくて、説明するのがややこしいと思ってこの宿のことは言えませんでしたが、本当に勿体ないことをしてしまいました、


 横屋を5時48分に出発、6時24分の電車に乗って6時56分に伊予三島に到着です。三島から三角寺までは、いつもは赤線が引かれていない一番新しい近道ばかりを歩くようにしていますが、今回は遠回りの赤線の道、太陽の家の横を通る道を行きます(赤線の近い方の道は前に一度歩いたので)。
 写真は三島駅から38分、戸川公園へ向かう右折れの交差点を300mほど直進したところです。この道は初めて歩くのですが、正確には最初ではない、初めて四国に来たとき戸川公園へ折れるポイントが分からなくなってこのあたりをうろうろ彷徨いました。



 さらに1分来たところに色あせた遍路シールがありました、この道を来る人は少ないでしょうが一応赤線が付いてますから、


 さらに2分来たところで右上に上がったのですが、これは間違いで、そのまま真っ直ぐ行くと右に上がった道が下って合流してきます、いつもちょっと詰めが甘い。


 違う道を登って下って正しい道に合流します、


 これは迷いそうな分岐、道しるべはなかったのですが手書きの地図を持っているので迷わず右折、


 橋を渡る右折れの所には矢印がありました。


 橋を渡って50mで左斜め後ろ、ここは矢印がないとはずす可能性が高い、


 折れてすぐのところには矢印があったのですが、手前には見あたりません、地図をよく見ていないときびしい、


 池の淵をいきます、


 池を離れるところ、ちょっとややこしそう、三島駅から49分、7時47分。


 ここは迷わない、


 向こうの建物が太陽の家、


 太陽の家の入口の前を通過、


 矢印を確認しつつ、


 ここから山登りが始まるか、


 右後ろに折れます、福岡のIZUMIさんがここで迷いそうになったと言うけど、分かりやすい道しるべがあります。


 後ろの道に入ったところにも矢印、


 歩きやすい道ですが結構な傾斜です、


 太陽の家から13分で太い舗装道に合流ですが、すぐ短絡路脇道に入ります、


 ほんの短い脇道ですが、赤線があるので押さえておきます。


 1分ほどで太い道に合流、


 昔の道の椿堂への分岐、2年前一野屋に泊まったので、ここまで下りてきたことはあります、その時は椿堂まではいかなかったので、今回はまたここまで下りて椿堂まで敢えて遠回りの道を行きます、今は赤線はありませんが昔の地図には赤線がありました。
 ここから少し先で上から降りてくる男性が、よく今の道に入れずにこの道を降りてくる人がいるので、尋ねてみると、足を痛めてバスを使いながら巡っている、この下からバスに乗るそうです。


 8寺26分、伊予三島駅から88分かかって65番札所三角寺に到着です、分かっていたけどかなりの遠回りです、途中迷いやすいところもあるから行かないようにとアドバイスすることになるでしょう。


 来年のお遍路には間に合います、


 三角寺を8寺45分に出発、同じ道を引き返して11分で椿堂への分岐です、
新しい近道に入れなくて、間違ってこちらに下りてくる人が時々いるようですが、白黒のへんろ地図にはちゃんとこちらの道にも赤線があります。
 白黒の地図には三角寺へ上がってくる二つの赤線の道に赤線はなく、ぼくがいつも使う新しい近道にだけ赤線があります。


 右に折れたところ、2年前歩いたばかりだから大体覚えています、


 雲辺寺山が見える、今日中にあのてっぺんに登って4km下る、でも昨日2000mの山に登って下ってきたから、


 分岐から15分、右に折れて橋を渡ります、ここからは初めて歩く道です。


 橋を渡ってから14分、古い道しるべがありました、奥之院へ五十八丁、雲辺寺五里、箸蔵寺七里、紛れもなくここが昔の遍路道、遠回りした甲斐がありました、


 大正四年二月、


 道しるべから6分、県道に合流します、


 矢印、

 道しるべも、三角寺から45分かかっているから時速6km出ていません、少し登りもあったし、昨日の疲れもあるからがんばりません。


 ここは県道5号、昔の道ではなくなったけど、ここに古い山道が続いていたはず、


 三角寺から47分ほどで、平山のバス停に到着しました、近道だと35分ほどで歩くはずだから12分、1kmほどの遠回りになるでしょう。

 2時間以上歩いたので平山の休憩所で長めの休み、いつもは椿堂まで休みませんが遠回り、遠回りでちょうどいいところです。しばらくすると三角寺で顔を合わせた男性がやってきたのでしばらくお話しします、MISORAが改装でお休みだったので困ったという話、横屋のことを教えるとたいそう残念がっていました、昨年も感じたけれど、新居浜で区切る人はぼくが思っているよりずいぶん多い、小松からMISORAまで19.5km、MISORAから伊予三島駅まで23.7km。小松から土居の松屋旅館まで31.9kmはちょっとしんどいという人の方が多いのかもしれません、だとすれば情報が行き届けば横屋の予約はとりにくくなるほどの人気になることは間違いないでしょう。
 平山では30分ほど休んで、椿堂へ、
 10時40分に椿堂に到着、今回は初めて境内に入らずそのまま先に進みます、まだ宿まで4寺間近く歩くのでそんなに余裕がある訳でもありません。
 椿堂から境目峠の登り口まで42分、ベストより5分遅れ、天気がすごくよくなって暑くなって、眠気におそわれて、4kmほどの間に2回も休みを入れてしまいました、緩やかな登りになって調子の出にくい区間ではあるけれど、これだけ苦労したことは覚えがありません。時速は5.6kmほどでした、
 登り口からは少し調子を取り戻し、境目峠からはほとんどフラットで林の陰になって涼しくて、完全に息を吹き返した感じの歩きです。曼陀道との合流ポイントまで59分、前回と同タイムでした、この道は2回目。この境目道は曼陀道より1kmほど長くてその分時間もかかりますが、本当に気持ちよく歩ける数少ない山道の一つ、雲辺寺を前に一旦調子を整えることもできるし、岡田に泊まらない限りはずしたくない道になりました。
 合流ポイントからは、昨年は完全にペースがつかめず、やられた、という感じの登山になってしまったので、慎重に休憩、水と食塩も十分にとって体調を整えます、思えば6巡目以来登り口は境目道が1回、佐野からが3回、池田からが2回、そのいずれもが途中で息が切れたりお腹が痛くなったりで意図せぬ休憩を迫られるような不甲斐ない登山がずっと続いていました。鶴林寺や太龍寺の登りが最近ずっと想定以上のよい登りができてきているのと対照的です。
 そういう思いの中で、合流ポイントを12時50分に出発、


 13時57分、66番札所雲辺寺に到着、残念ながらベストより2分遅れの66分でしたが、非常に落ち着いた安定した登りができました、もちろん立ち止まって息を整えることもありません、過去6回に比べると一番納得のできる登山になりました、タイムが追いつかなかったのは、昨日の石鎚登山と、今日の天気がよすぎたせいだと思われます、来年はタイムが出そうな気もしますが、残念、逆打ちです。
 宿まで1時間、大分余裕ができたので、ゆっくり40分ほど休みました、


 雲辺寺を14時38分に出発、下りも快調でした、タイムを狙ってもいいかという気になるほど足は動くし、道も読めて合わせて行くことができました。登りに関してはまだまだ厳しいですが、下りに関しては横峰寺も雲辺寺も読みながら思い切った歩きができるようになっています、今日に関して言えば、昨日の石鎚の下りがあったので、それに比べると3分の1で本当に今までにないほどの余裕でした。
 舗装道に下りてきたところでちょうど前を行く男性が見えました、この時間にここまでということは昨夜岡田に泊まられた田尾さんに違いないと、思った通りでした。田尾さんが岡田から青空屋だというのは、昨日岡田に泊まられたブログ仲間のSさんからメールをもらっていました。追いついて二人並んで最後の500mほどをのんびり歩きます。田尾さんはお遍路は何回か歩かれていますが雲辺寺を歩いて下るのは今回が初めて、4kmとは到底思えないぐらい長かったといいます、
 15時56分、青空屋に到着、昨年に続いて2回目の投宿、昨年は最初で最後だと思っていたのですが、やはり戻ってきました、お遍路だったら一度知ってしまうとなかなかはずすことはできません。


 最初はこれだけですが、


 熱々の天ぷら、


 さらにイノシシハンバーグ、
 田尾さんが、ビールを飲みたいけど、そんなに飲めないからと、ぼくに半分飲むように勧められました、お酒は普段は飲まないようにしていますが、今年は鮒の里の食前酒をいただいて、その前は2年前の曼陀羅オフ会で日本酒1杯、5年前に牟岐のあづまで食前酒、その前になると8年前、ビールはいつ飲んだか思い出せないくらい昔のことになってしまいました。10年ぶりくらいに飲んだビールは、今までで一番美味しいビールになっていました。
 田尾さんには本当にプライベートなことから何からいっぱいお話を伺いました、中身は書けないのですがお遍路というのは本当にすごいものだなと改めて感じ入りました、お遍路は人によって様々なものですが、こういうすごい歩き方もあるのだと、しっかり心に留めて、歩き続けたいものだと思いました。


25日目 成就社~頂上社~伊予西条駅

2017-07-24 | 17年四国の旅


 玉屋旅館は朝食は何時からでもいいと言われたので6時にお願いしました。でも周りの建物全部の電気が落ちて、夜中の何時かは忘れたけれど、部屋の照明も夜中の間は使えなくて、電力が回復したのは5時過ぎ、結局のところ6時より速く朝食をお願いするのは難しいかもしれません、冷蔵庫は別の電源があるのかと思ったり、


 雨はあがっています、でも成就社の遙拝殿から石鎚の峰は全く見えませんでした、本殿、遙拝殿ときっちりお参りをすませ、神門をくぐったのは6時30分でした、9分で最初の道しるべ、成就社から最初は下っていくので時速4km、


 成就社から10分、霊峰石鎚山 遙拝の鳥居


 成就社から19分、時速は3.5km、


 成就社から34分、時速は2.8km、下りの部分も含めての速さだから、これからはさらに急な登り一辺倒になるはずだから、まだまだ遅くなっていく。


 試し鎖、体力に自信のない方は近道へ、成就社から48分です、


 杖(傘)を持っているので鎖は当然回避します、Mさんから知り合いの方が滑落されたと聞かされていたので尚のことです、お遍路は全て迂回路が普通でしょう。


 成就社から62分、時速は2.03km、まだまだ遅くなるはずです、


 最初の3割が下りだというのが何とも言えないところ、成就社からまだ250mほどしか登っていない、ここからまだ400m近く登ることになります、成就社から70分の地点。


 成就社から76分、時速は2.05km、でもあと30分では無理でしょう、


 成就社から80分、1の鎖です、


 現在は山頂まで木製、金属製の階段や鎖が整備されて初心者でも無理なく登れるようになっているけれど、それらが何もない時代には上級者でも過酷な登山に違いなかったはずです、このような霊山に誰もがなにげなく登れるようになってもいいのだろうかと、昨日とは全然違う登りやすい階段を踏みしめながら考えてしまいます。


 このような木製の階段が初めの頃からずっとず~っと整備されています、整備されすぎて登山という感じがしないほど、


 土小屋への分岐です、八丁坂で同宿だったご夫婦はここまで下りてきて右折したということです。前の距離表示からの400mを15分で来たので、この間は時速1.6kmです、それでも昨日のがれ場より1.5倍以上速い、


 ここが最後、なので使わせてもらいます。もちろん百円玉を投函します、この10年以内にできた新しい施設です、制作,維持管理の大変さを思えば寄付をためらうことはありません、


 あと500m、


 星が森から拝んだ時に幾筋かの雪渓が見えていたから、でも登り続けているせいか全然寒さは感じません。


 雲の中で視界は50mもないので遠くの景色は撮影はできません。


 あと400m、この100mに12分かかっているから時速は0.5km。


 3の鎖への道。


 雲がかかって視界がないのでよくわかんないけど、晴れていたらものすごく怖いところがいっぱいあったかもしれません。


 成就社から113分(正味の歩行時間)で頂上社に到着しました、風が強い、帽子が飛ばされそうなくらい、怖い、何も見えない、
 作法通り頂上社できっちり参拝、せっかくなので御朱印もいただきました、外に何も撮るものがないので頂上社を斜め下から遠慮がちに撮らせて貰いました、ご神体の撮影は禁じられているので、これでもちょっと問題あるかと思ったくらいでした。


 頂上社のすぐ手前にある頂上山荘、家田荘子さんの定宿です。こんな処に必要なのかという気もしますが、
 この時には、もう最初で最後、2度と来ることはないと思っていたのですが、つい先日MBSちちんぷいぷいで河田アナが登って、この日と同じような天気だったのに最後雲の切れ間から天狗岳を拝むことができた。家田荘子さんはこの7月に登ってほぼ完璧な晴天、ブログの写真を見せられるとやっぱり悔しい、来年の紅葉のいい頃にお遍路とは関係なくいい天気を選んで再挑戦したいと思っています。


 頂上社から成就社までの下りは同じ道なので写真は撮りませんでした、20人以上の登山者の人とすれ違いました、成就社に戻ってきたのは10時15分、頂上社から86分かかりました。地図の設定は90分で、それとほぼ変わらないのが意外でした。地図の登りの3時間の設定は正しいですが、下りは2時間かかる人が多いと思います。
 伊予西条からのバスは始発はロープウェイ駅に8時37分到着、帰りは15時17分発ですから、お遍路でも伊予西条駅の近くで連泊すれば1日余分にあけるだけで無理なく登ることができます。もう1本遅いバスもあるので、かなりゆる足の人でも大丈夫です。


 昨日登ってきた黒川道の合流ポイント、10時28分。


 分岐点に道しるべ。


 今宮道はスキー場のゲレンデをもろに横断しています。向こうの道しるべがなかったらかなり迷うところ、10時29分。


 地図では5.1kmとなっていますが、こちらの方が正確だと思います、実際に歩いた後の感想。


 成就社と河口のバス停の標高差は1200m、雲辺寺から青空屋までの下りの、標高差も距離も1.5倍になるから1時間半ほどで下れるものだと想定していましたが、そんな甘いものではありませんでした。10時30分。


 よく整備されて歩きやすい山道です。10時31分。


 道は悪くないけれど、2000m近くまで登って下ってその続きだから、足が、ひざが、かなり疲労して思うように動かなくなっています、本来の下り方よりもややゆるいかばったような歩き方になっているかもしれません、10時48分。


 林道を横断します、11時21分。


 登ってくるときも絶対迷わないはずです、本当に天国と地獄、11時22分。


 今度はしばらく林道を歩くみたいです、11時27分。

   トトロ  2017-07-26 20:06:57  石鎚山晴天満足登山時期は5月下旬はおすすめです。また、頂上泊は夜空の星、月と天狗岳のコントラストに、日の出にと最高ですよー山屋のひとり言ー


 前の写真から7分、ここから幅の広い林道を歩きます。11時34分、成就社から1時間20分なのでもう県道は近いかと思っています。


 舗装道だからこのまま県道に繋がっているかも、


 と思ったら6分でまた山道に入ります。


 登りの道でもあるからどちらからでも分かりやすい道しるべ、


 舗装道から山道に入って34分、今度は本当に県道が見えました。


 12時15分、成就社から116分で何とか今宮道を下りきりました。時速は3kmちょっと、焼山寺の下りも、横峰寺の下りも、雲辺寺の下りも4km以上出せるから、やはり相当厳しかった、山道そのものは足場の悪いところは少ないし傾斜が急なところも多くはない、2000mの所からほとんど下りっぱなし、10km以上下りっぱなしというのがとにかく破格、成就社から下り始めていたらもう少し違う結果だったかもしれません、ひざ当たりがガクガクよろよろ、でも痛みというほどのものはありません。


 河口のバス停で10分ほど休憩、この時点で15時30分発の電車は諦めました。なにしろここから伊予西条駅まで18km、前神寺でのお参りもあります。1時間遅れの次の電車でも17時頃には宿に着けます。
 河口のバス停から40分、番外霊場極楽寺です、石鎚山をお祀りしているのは石鎚神社、横峰寺、前神寺、そしてこの極楽寺の4社寺、玉屋の夕食の時見せて貰ったDVDで知りました。




 時間が全くないのでお参りはできません。


 すごい、すごい、すご~い、別格1番大山寺や眉山のふもとの諏訪神社の石段もすごいと思ったけれど、想像を絶する石段というのは初めてです。


 挑戦したいという気持もないではないけれど、今日はとにかく時間がありません。
 河口のバス停(三碧橋)から黒瀬峠の手前、横峰寺の登り口まで8.3kmを88分かかりました、ほとんどフラットなのに時速5.6kmほどしか出ていません、これだけダメージを受けた下りはもちろん初めてといっていい。
 横峰の登り口から前神寺までは、前に一度歩いているけれど、その時とは一部違う赤線(ちょっとだけ遠回り)を押さえて、前回より2分遅れの57分でした、前神寺の写真を撮り忘れるほど疲れているみたい、前神寺に到着したのは14時50分、もう20分速ければ15時30分の電車に乗れていましたが、さすがに石鎚は計算通りにはとてもいかない、でもいかなくて良かったと思います。初心者がそんなに簡単に西日本最高峰を登らないほうがよろしい。


 16時02分、前神寺から46分で伊予西条駅に到着しました。ここまで今日は正味8時間28分歩きました、7時間半を一応のリミットにしているので、本当に無茶をしたなあと我ながら呆れます、最後は時速5.5kmまで落ちたのですが、それも無理からぬところ、改めて、これを書いてる今でも石鎚はすごかったと、足を痛めず最後までよく歩けたと感慨にふけるところです。


 新居浜駅から2km、21分30秒でお遍路ハウス横屋に到着しました。
 いやぁ、最高の宿に当たってしまいました。料理とか設備が新しいとかいい宿はいくつもありますが、最高ランクの宿とほとんど変わらなくてそれで2食付き4800円、となるとどの宿もかなわないと断言できるでしょう、


 野菜たっぷりのスープが最高でした、塩焼きも熱々だったし、ポークも野菜のソテーも本当においしかった、女将さんはお遍路の経験者、前日泊まった韓国の先達お遍路チェサンヒさんとも知り合いで、ヒーさんが韓国で出版されたお遍路の本も持っていて見せて貰いました、韓国語なので中身は全然読めませんでしたが、ヒーさんは今回のお遍路が最後の通しになるので今までお世話になった宿の人たちにお礼を言いながらゆっくり回っているそうです、ソウルで経営していたゲストハウスも引き払ってこれからは高松で何かしたいと、その準備にはいるそうです。高松の大学で勉強したくて入学試験を受けたけれど、論文が駄目だったみたいです、日本語でないとだめなのでさすがに難しかった。
         
   見上げる石段
 (machan)2017-07-28 21:40:09
    新四国曼荼羅霊場の極楽寺
    この石段 思い出しました地獄の石段の先に極楽?かと
    極楽寺の不動霊場は麓なんです


24日目 ビジネス旅館小松~玉屋旅館

2017-07-22 | 17年四国の旅


 小松の朝食は6時から、今日は本当の山登りの日、雨はまだ降っていませんがいつ降り出してもおかしくない、午後からは本降りになるようです、横峰寺に登る日は5割くらいの確率でこういう天気だったような気がします、瀬戸内とはいえ西日本一の屏風が背後に控えているとこういう天気が多くなるのかと思ったりもします。出がけに靴の寅さんこと田尾さんに名刺をいただいて見送られます、田尾さんからはサイズが合えばぼくの靴をあげるのにと何度も言われました、お遍路靴はパテント契約が切れてもう何年も前から製造されていなくて、在庫もいっぽ一歩堂さんが全部引き受けて、それも売り切れてしまい現在は入手することはできません、2万円以上する高級本皮のシューズで一度試してみたかったというのはありますが、重量が少しあってぼくのような歩きにはちょっと向かないかもしれません、田尾さんによると、雨の日でも完全に雨水をシャットアウト、7巡くらいしてもまだ使えるのだということでした、ぼくの今の靴はミズノのウェーブプロムナード1万円弱ですが、4000kmほど歩いて、もうこれで本番は引退というところです。ちなみに、お遍路から帰られた田尾さんはブログで自分の靴をもらってくれる人を募集していました、興味のある方は「靴の寅さん、ブログ」で検索してみてください。
 小松を6時53分に出発、宿で教えてくれる近道(日本語の地図にはないが英語の地図には赤線があります)で登る、そのために昨日のうちに香園寺のお参りをすませました。この道は初めてではありません、一度横峰寺からハイウェイオアシスまでこの道で下ってきました、オアシスからは香園寺の方に行ったので、小松から高速を抜けたところまでは初めての道になります。
 前回下った印象では大きめの砂利の多い道でかなり苦労した印象です、大洲の手前の鳥坂峠の下りと同じような印象、登りでは下りほど嫌な感じはありませんが、登りやすいとまでは言い難いです。



 9時01分、60番札所横峰寺に到着、思わぬ花ざかりで一瞬立ち止まる、これだけの盛りに来たのは初めてかもしれません。宿から119分でした。
 意外なことに境内には歩きの人が6人ほどいました、向こうの宿だとしこくや、しかない、向こうからでもこの時間に来るのは結構大変、登り口の遍路小屋で野宿したか、
 納経所の前で休憩していたらご夫婦がやって来て見るからに歩きなので不審に思って尋ねたら、バスで上がってきたそうです、区切りの今日が初日ということでした、


 この雨なのでてっきり無理かと思えば、くっきり石鎚の威容を拝むことができました。少し遅れて来た先のご夫婦も感激されていました。今日の宿は小松、であと2回で結願、今回は善通寺あたりまでということでした。それでは最後のためにと宿案内を手渡します。


 9時50分、星ガ森からモエ坂を下り始めます、


 下り始めて6分、

 先ずは虎杖を目指せばいいようで、


 田辺恵司さんの遍路札、

 草刈りのお接待のお願いです、お願いだけでなくこういう鋏まで設置するなんてすごい手間と労力、しかも本来の遍路道をはずれたこんな所に、番外、別格の道だからこそ荒れやすいのだ、ということのようですが。


 下り始めて11分、星ガ森からは800mほどだから、そんなに速くもない。


 下り始めて24分、ちょっと崩れたところ、


 通せんぼのロープ、


 下り始めて33分、橋を渡る、


 下り始めて43分、星ガ森から2.8kmだから時速は3.9kmというところです、あと200mで下りは終了のようです。


 星ガ森から46分、下りはここまでか、



 星ガ森から45分でモエ坂終了、時速は3.9kmでした。橋を渡れば、登り山道の入口が待っています。


 黒川道の登り口です。


 こちらにも先ほどと同じ注意書きがありますが、黒川道を行きます。ネットで見た情報では、少し注意すれば行けないことはないという、風に受け取られるリポートがあったし、それ以降も簡単な書き込みでしたが歩けそうだというニュアンスのものも見ていました。本当のところはどうなのか、自分で歩く以外に確かめようがありません。


 登り口にある距離表示、地図では4寺間かかると書いてあります。


 序盤はすごく歩きやすい緩やかな山道、まだ3分、


 さらに1分だから撮影する余裕はある、雨もまだ小雨、傘をささなくてもいいくらい。


 さらに11分、まだきれいな登りやすい山道、


 道しるべもあって、かつては全ての人がこの道で登った、


 登り口から25分。




 さらに3分。


 さらに1分、最初の頃とは明らかに様子が違ってきています。


 さらに3分、出たぁ、横の崖が崩れて完全に道をふさいでいる、でもこんなのはやさしい方です、この程度のがいくら続いてもほとんど問題ないと言えるのですが、全く予想を遙かに超えるものがこのあと次々現れることになります。


 登り口から39分、こういう倒木も全く問題ない、写真を撮る余裕があるくらいだから、これからはカメラを出す余裕すらなくなってきます。


 登り口から47分で、3分の1登ったことになりますが、もちろんこのペースで最後まで行けるはずはありません、でもこれで、ちょっと油断安心はしたかもしれません。


 さらに7分、道がなくなった箇所、ほとんどそのまま放置。


 荒れ放題の急坂、


 登り口から1時間12分、右は急斜面の谷底、お飾り程度のロープに頼らないと先へ進めない、これでもまだレベル★。


 登り口から1時間35分、中間地点です、距離では、でも実際はそうではなかった。


 よくわかんないと思いますが、大きな岩の方に向かってロープが張られています、道らしいものはなく、ロープのあるところが道だと思うしかない。


 手ぶれが激しくてすみません、それくらい内心も動揺しています、道しるべもこれだけ傾くくらいの道の荒れようです。


 先ほどの中間地点から500mを丸30分かかりました、本当に危うい箇所は撮影できずただ必死にもがきながら迷いながら前に進んできました。


 この500mも30分近くかかりました、登り口から2時間33分、この1kmはそれまでの倍の時間がかかったことになります。
 撮影できないほどすごい崖や斜面、ロープを両手で握らないと谷底へ落ちていきそうなところ、四つんばいでよじ登る滑りやすい急斜面、四方を見回しても道が見あたらなくて途方に暮れるような所、いつ遭難してもおかしくないような所が次々出現してきました、500mおきのこの距離表示以外には道しるべは全くといってもいいほどありません、黄色いロープが張られているのを何とかより所にして、道を探しながら登るという感じになっています。


 間違ってはいないと確認できて一安心、本当に道なき道をいくつも越えてきていて本当にあっているのかと確信が持てないし、そんなことを気にする余裕すら持てないでどろどろになって進めるところをただ進んでいるという感じです。


 先ほどの距離表示から37分かかっています、3kmからここまでの1.5kmの間が地獄の崖登りだったということのようです、ひどい崖の所は撮影する余裕がなかったので、この間のどのあたりにどんな崖があったのかきっちり覚えてはいませんが、ここまで辿り着けたことが本当に不思議なくらい、遭難してても全然おかしくなかったと、はっきり言えます。


 さらに15分ほどでスキー場のリフトが見えました、もうこれで危ない道はなくなったと確信、命拾いしたと本当に安堵したところです。ここで登り口から3時間20分。


 あの道しるべは。


 今宮道と黒川道の合流ポイントでした、リフトから3分の所です。


 スキー場の前を通る。


 今宮道との合流ポイントから4分、奥前神寺、へんろ地図では黒川道はこの前を通らない、早めに今宮道に合流してしまったようです、でもそれらしいみちはなかったような。


 奥前神寺から6分、ロープウェイの駅から成就社まで思った以上にかかるようです。


 合流ポイントから17分、1kmほどの道程をこの時間なので、結構な急坂でした、でもこれまでのがれ場の連続に比べればやさしいやさしい。


 成就社の鳥居の中に3つの旅館があります。


 右が玉屋旅館です、14時27分、黒川道の登り口から3時間48分、雨の中、あれだけのがれ場の中でもがいて休憩時間も含めてのこの時間はなかなかのものだといえますが、もうこりごり、いかにネットの情報がいい加減なものか、パーソナルなものか、言い換えれば自分勝手なものか、思い知りました、情報はたぶん普通の登山者のものだったと思いますが、お遍路さんは金剛杖を持っているからあのロープに頼らざるを得ないところはほとんど無理です、両手を使わないと絶対進めないような所もありましたから金剛杖を持っていてはどうにもならないし、遍路シールや矢印に頼るのが普通になっているお遍路さんにとってあまりに手がかりがなさ過ぎる、道らしきものさえ見あたらないところが普通にあります、7割以上の確率で遭難するのではないかと思えます、登り口にあんな注意書きをするくらいなら通行止めの柵やロープを設置すべきです、そうすればぼくのようにあやふやな情報で冒険して危険な目に遭う人が半分以上防ぐことができるはず、絶対そうすべきです、歯長峠の登り口に通せんぼのロープがありますが、あの道の5倍以上は危険な状態なのですから、
 英語の地図には黒川道はありません、黒線も名前もその痕跡すらありません、日本語のへんろ地図も同じようにすべきです、歩けない危険な道はその情報を抹殺することこそお遍路さんのためになることです。


 ぼくは12年くらい前、神峯寺の山道で立松さんとすれ違って声をかけてもらったことがあります。


 15時前に着いたのに、お風呂もすぐ用意してくれました、全身ずぶ濡れ、洗濯もお手伝いの男性がしてくれました、食事も十分でした、同宿は登山の女性が一人でした。

  Unknown (トトロ)2017-07-24 12:44:22  無事踏破は1日にして成らず。
  間違わないでルートファインディング出来たのも、経験による感?
  「今宮道」は当時の表参道、今も毎日郵便はこのルート徒歩で配達されています。「立螺の会 山本様」法螺を持って。横峰寺へはバイク、この道昼前からピストンです

オンタイムリポート

2017-07-21 | 日記

 今日は青春18切符で岡山県の誕生寺=法然上人25霊場第1番、に行ってきました。誕生寺の駅を降りると、一緒にどやどやと10人くらいの人たちが下りてきました、何個か前の駅で乗り込んできて女性キャメラマンは先頭で車窓の風景を撮り続けているし、もう一人の男性は小型カメラをサイドの窓に貼り付けて流れる風景をずっと撮影している、JR西日本の腕章をつけた男性が見守っている、何なんだこの人たちは、駅を降りると主役に声をかけられました、その時はまだぴんとこなかったのですが、だんだん分かってきました、ロック歌手のダイヤモンドユカイさんとシドニー五輪で惜しくもメダルを逃した水泳の萩原智子さんでした。ユカイさんの方は途中で名前も出たのですが、萩原さんはお寺に着くまでヨーコゼッターランドさんではないかと思っていました、帰ってからネットで調べるとやはりよく似ています。納経所の人に訊くと、BSジャパンのローカル線の旅、8月21日放送だということです、道中ぼくの納経帳を見せたりお遍路の話をしたりしたのですが、ぼくの部分は全カットになっているでしょう、住職のインタビューはしっかり撮影していたのでそちらが使われること間違いありません。
 来週の木曜に黒谷青龍寺と禅林寺永観堂と本山知恩院をお参りして法然上人もやっと満願です、これはこれで歩いてはいないけれどきつかった。


23日目 BHつよし~ビジネス旅館小松(西条市)

2017-07-20 | 17年四国の旅


 夕食の時、昨日円明寺で区切りを終えた男性が、電車でここまで来て夕食だけ摂って帰っていきました、女将に挨拶するためです、この宿には何回も来ているみたいでした。自営業の人で年に2回、大型連休とお正月の前後に四国に来る、その人は仕事人間で仕事を辞めた状態でお遍路する気にはなれないかもしれないと言います。仕事の余暇としてリフレッシュのためだから歩ける、1日に多くても4ヶ所しかお参りしない、そういう人からすればぼくのように48km歩いて7ヶ所もお参りするのは本当にバカみたいと思われるかもしれない、今日はまた9ヶ所のお参りが控えている。でも、12巡のベテランさんが言ってましたが、お遍路に対する思いや考え方歩き方は一人一人全く違う、違って当然、そしてそれぞれが尊重されるべきでもある。初めての人はそういうことすらよく分かっていない人が多いはず、だからこそ、迷っている人にはいくらかでも助けになるようなことができればというのが、何回も巡っている自分にできることだし、自分のことだけにならないような歩きを心がけることが今のぼくのお遍路なのかもしれません。


 6時25分につよしを出発、46分で54番札所延命寺に到着、宿から46分、時速は6.00kmでした、食事のすぐ後なので昨日以上にゆったりの出だしです。
 境内には先に出た同宿の男性、お参りが終える頃には逆打ちの女性がやってきました。
 7時25分に延命寺を出発、34分で55番札所南光坊に到着、ベストより1分遅れですが、時速は6.24km、今日は札所の数も多いのでこれくらいのペースがいいでしょう、南光坊の写真は撮り忘れました、ものすごく珍しいことに、ぼくが南光坊の境内にいる間、全くお参りの人の姿はありませんでした、10分ほどの間ですが完全に貸し切り状態というのは外の札所でもあったかどうか思い出せないくらいです、しかも納経が始まって1時間以上経っている時間、
 南光坊を8寺11分に出発、
 29分で56番札所泰山寺に到着です、泰山寺の写真もありません、ベストより1分遅れ、時速は6.19km、今日も40km以上なのでこのくらいのペースで十分でしょう。泰山寺では歩きの男性が出ていくところ、そのあと軽装の先達さんが入ってきました、おそらく車で巡っている。
 8寺54分に泰山寺を出発、29分で57番札所栄福寺に到着、ベストより2分遅れ、時速は6.00km、お参り以外は休憩撮っていなくて2時間半だからそろそろ疲れが出てきたか、栄福寺ではしっかり休憩します。栄福寺の写真もありません。
 お参りを終えて休憩所に行くと、隣のベンチにザックが二つ、これは歩きの人に違いないと待ちかまえていると、夫婦連れの人が戻ってきたので話を伺います。今日は当然今治駅の近くの宿からで伊予三芳駅の近くの敷島旅館まで行く、24kmほど、でも平均では20kmくらい、一番長くて24kmだといいます。昨年は「世界ふしぎ発見」の影響で初めてなのに逆打ちをする人が多くて、と話をすると、それに食いついてきて、私たちふしぎ発見のクルーの人たちと一緒に歩いたんです、と言う。テレビでは最後の部分になった焼山寺をほとんど一緒に登ったんだそうです、テレビには敢えて映らなかったけれどほとんどいっしょに登って、楽しくて辛かった印象がほとんどないと奥さんは言います、副島淳君のブログにはその時の写真にご夫婦の姿もありました。そしてそのとき仲よくなったフランス人のご夫婦をお遍路のあと千葉県柏の自宅に招待して1日東京見物に同行したとか、ご主人は少し英語ができるそうです。思わぬ話を聞けてこちらまでうれしくなって、50分近く滞在することになってしまいました。


 10時13分、栄福寺を出発、ベストより1分遅れの25分で58番札所仙遊寺に到着、時速は5.28km、山登りの区間ですから。
 お参りを終えて山門に向かって下っているときにご夫婦が登ってきました、
 ぼくが山門を出たのは11時03分、山門がタイムポイントなので境内に登る時間も下る時間もお参りに含まれる。



 12時11分、仙遊寺から59分で59番札所国分寺に到着、ベストより3分遅れの時速は5.86km、
 14時47分伊予三芳発の電車に乗るので、この時点で番外の実報寺に行くことは諦めました、もともとぎりぎりの時間設定で栄福寺で休みを取りすぎたので仕方ありません、番外に行くより楽しい話ができたので全然後悔してません。

 国分寺の境内に上がっていくと女性の歩きの人が一人、お参りを終えて納経所の前のベンチで休憩、彼女が納経を終えるのを待ってまた話を聞きます。彼女も今日は敷島旅館まで、ここから10kmなのであと2時間半、16時までに楽々です。彼女は順打ちで別格も全部巡る、何か訊きたいことはありませんかというと、別格13番仙龍寺への道がどうしたものかと思っている。先輩のお遍路さんにも訊いたりしているが決めかねている。へんろ地図では標高780mの峠越えの道にしか赤線はないけれど、ぼくはその道より標高480mの堀切峠を通る自動車道を薦めます、三角寺の納経所で山越えの道を尋ねたら、自動車道を薦められたと、ぼやいていた人がいましたが、両方の道を歩いてみると、それは本当の親切の意味でそう言われたのだと思いました、距離では自動車道の方が2kmほど遠回りですが時間では自動車道の方が10分短くてすみました、山道の登りは雰囲気のいいところが多くて味わい深いのですが、下りにはいるとずっと大変で時に足場の悪い危険なところもありました、ぼくは88分かかったのですが、普通の人だと2時間から2時間半はかかるでしょう、堀切峠を行けば1時間40分から2時間の間でしょう。
 彼女はその日はお遍路ハウス毛利荘に予約しています、仙龍寺から毛利荘も2時間半近くかかるから、伊予三島からだと堀切峠を行くのが時間的にも余裕を持って歩けると強く勧めました。
 1日に30km行ける人であれば、伊予三島の宿から13番、14番をお参りして、民宿岡田まで行けるでしょう。その場合も時間を稼ぐのならやはり堀切峠をおすすめします。その次は箸蔵寺を打ち戻って阿波池田駅の近くの宿、その次は雲辺寺、萩原寺をお参りして大興寺の近くの宿になります。


 国分寺でのアドバイスが思いがけず長引いて40分以上も滞在してしまい、電車の時間が心配なくらいになってしまいました。12時53分に出発して、95分で到着しました、時速は6.34km、時間に追われると今日一番のスピードです、電車が来るまで17分、
 14時57分に伊予小松駅に到着、まず63番吉祥寺に向かいます。
 15時11分、吉祥寺に到着、境内には歩きの人も何人か、
 15時21分、吉祥寺を出発、13分、ベストタイで62番札所宝寿寺に到着、今年は宝寿寺の悪い噂をそこここで聞きました、誰もが納得のいく解答が見あたらないのがもどかしいところです。宝寿寺の本堂をつくづく見てあの噂は本当だったのだと確信を持ちました。
 15時47分、宝寿寺を出発、13分、ベストより30秒遅れで61番札所香園寺に到着、山門の手前で外国人の夫婦とすれ違います、小松で同宿でした。


 お参りを終えて宿に向かおうとしたら、ありました。困惑の代理62番、


 さらに工事は続けられていて、よりお参りのしやすい施設に変貌しようとしています、ぼくは納経帳を持たずに歩いているのでどちらでもいいのですが、持ってたら正直迷うと思います、こちらにも今のところ御本尊はいませんが、62番にも御本尊はいらっしゃいませんから、なかなか勝負のつけようがないという感じです。だまされてお金を取られるよりは、こちらでは騙されてはいないからこちらの方が気持がよいとも考えられます。ぼくは納経はしないからこれからも一応62番でお参りはします。


 香園寺を16時11分に出て、12分で前の小松に到着、ベストタイでした。玄関に新しい宿の地図が張り出してあります、お肉屋さんのそばです。


 お肉屋さんの横に新しい看板があります。


 お肉屋さんの真裏に見るからに新しい建物がありました。こんなことになっているとは夢にも思わなかった。設備はもちろん全部ぴかぴかで使い易くて言うことないのですが、一番良いと思ったのは全てがワンフロアだということです。移動が楽、洗濯、風呂、洗面、トイレ、食堂、全ての部屋、これら全てがワンフロア、よくよく考えてみたら、ぼくが四国で泊まった190軒の中で全てがワンフロアでおさまっている宿というのはここと八栗の岡田屋さんくらいしか思い出せません、部屋は11室、それでも連休中はとれなくて鈴に泊まったという人も二人居ました。玄関入ったところのロビーが広くてこれまた気持ちいい、そのテーブルにはお接待のキャンディが山盛り、ぼくは飴ちゃん大好き、テンション上がる。前と違ってお風呂は二つでフル稼働、洗濯乾燥は3組、洗濯は無料です。その分料金は6700円と少し上がりましたが、何の文句もありません。7000円でもいいくらいです。本当に120点の遍路宿に仕上がってしまいました。


 夕食はいつも通り、多いように思われがちだけど、ほとんど野菜の体積なので実質さほど腹にこたえる内容ではありません、煮魚があるといつもきつくなってしまいますが、本当に気持ちよくご飯も3杯いただけます。
 同宿は香園寺の近くで会ったベルギーのご夫婦、フランスのご夫婦、栄福寺で会ったY夫妻もぼくの少し後でやってきました。敷島旅館だと言っていたのにどうしたんですかと訊けば、ご主人が足を少し痛められて、何とか国分寺まではたどり着いたけれど、これは駄目だということで急遽こちらの宿に変更してタクシーと電車で飛んできた、もう一組日本人の夫婦と男性が二人女性が一人、ぼくを入れて8組12人です。ぼくの隣は2泊目ですき焼きの男性、いろいろ話を聞いていると、埼玉で靴を作っている会社の社長さんだと分かってきます、何年か前にネットで見たことがあります、社員を50万円持たせてお遍路の研修に出すことが話題になっていました、お遍路に本当に適したシューズを作り上げたことでも有名でした、ベテランお遍路の中では結構有名な方で、枯雑草さんが社長のシューズが足に合わなくてブログでけなしたら、それはしてはいかんことだろうと直接文句を言われたそうです、めぐめぐさんとも知り合い。NHKの趣味悠々のテキストにも採り上げてもらったんだというので、帰ったら確認しますと歓声を上げる、食事が一段落してY夫妻に社長を紹介、4人で歓談します、しばらくすると外国人の女性二人が3日後の宿を紹介して欲しいとYさんに言ってきます、それまでYさんとしばらく喋っていたので。それならこちらのベテランにとぼくを指名、観音寺の近くで2食付きの宿を探している、できれば日本の旅館民宿がよい、それではと迷わず藤川旅館を紹介します、観音寺の宿は藤川と一富士の二軒しか泊まっていないけれど、外の宿の芳しい評判はあまり聞かないし値段も藤川の方が断然安いしトイレ洗面はきれいだし、お風呂は新しくしたばかり、間違いなく気に入ってくれるでしょう。すぐに女将が藤川に電話を入れて予約成立、後で聞いたらその日の藤川は超満員でてんやわんやだったそうです。


22日目 お遍路ハウス平和通り~ビジネスホテルつよし(今治市)

2017-07-19 | 17年四国の旅

 平和通りは素泊まり宿です、いつ出てもよかったけれど、今日は歩く距離は40kmで札所は二つ、あまり早く出ても仕方ないので、6時32分に出発、昨日はほぼベストタイで頑張りすぎたので、今日は狙わずゆったり目で行きます。


 7時53分、52番札所太山寺に到着、平和通りからのタイムはないので比べ様はありませんが、時速は6.13kmでした、この時間だと歩いている人は居ないかと思いきや、松山北中の所で追いつきました、その人は大将軍神社に入っていったので挨拶はできず終いでした。
 境内で一人、お参りを終えてから登ってくる人が一人、道後からではこの時間に来るのは難しい、逆打ちか、はたまた、

 8寺20分に太山寺二の門を出発、1kmほど進んだところで八丁坂で同宿だった石鎚に登ったご夫婦が向こうからやって来る、お遍路だけではないようだけど、こんな所で向こうからというのは、何処で何をして何処へ行こうとするのか全く想像できません、
 8寺40分、53番札所円明寺に到着、ベストより1分遅れ、時速は6.18km、今日は1日こんな感じで十分でしょう。

円明寺の写真は撮り忘れてしまいました、8寺52分に出発、


 円明寺から4km、海鮮北斗を少し過ぎたところで向こうから来る奥さんに声をかけられます、そこの大師堂で甘茶のお接待がありますから寄っていきませんか、断る理由もないので、粟井坂大師堂へと10m引き返します。
 今日は5月7日、月遅れの花祭りのようです、近所の人が大きなペットボトルを何本も抱えて次々集まってきます、前に別格10番西山興隆寺でも甘茶のお接待はあったけれど、その時は遠慮して、雪蹊寺で当たったときはいただきました、あまりおいしいものではなかったので、ちょっとびくびくでしたが、普通にちょっと味わいの違うお茶でした、旨みは感じなかったけれど嫌みも全くなくごくごくいけます。
 少し落ち着いてから大師堂でお参り、そこで気がついたのは

 境内に子規と漱石の句碑がある?

 マンホールで何度も確認した句です、

 子規の句碑、

 子規と漱石の句が仲よく並んでいます、

 子規の最も有名な「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は
 漱石の「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」の返句だと言われています。
 子規が実際に聞いたのは興福寺の鐘だったとも、

 17分ほど休ませてもらいました、
 北条郵便局に着いたのは11時24分、円明寺から109分、ベストより6分遅れ、時速は6.15kmでした、この間はバイパスを歩くので当然出会う人は居ません、バイパスを離れるポイントにコンビニができていてちょっとびっくり、

 鎌大師の休憩所に今年は蜜柑がありませんでした、お接待は期待するものではありませんが、
 浅海に到着したのは12時49分、北条郵便局から46分、ベストより3分遅れ、時速は5.93km、山越えがあるにしてはいいタイム、
 菊間の遍照院に着いたのは13時38分、浅海から49分、ベストより5分遅れ、時速は6.1km、ゆったり目でいいとは思っているけれど、見事なくらい安定しています。
 遍照院で10分ほど休んで、13時48分に出発、


 15時25分、ビジネスホテルつよしに到着、遍照院から95分、この区間は初めてなのでベストはありませんが、時速は6.09kmでした。
 部屋は洋室でツイン、トイレと洗面が付いています、洋室は苦手ですがツインだともう一つのベッドに荷物を広げられるので居心地は悪くありません。

 この宿のいいところは何といっても女将です、名前はビジネスホテルですが本当の遍路宿の女将でした、女将を気に入って来るなじみのお遍路さんも多いようです。宿帳を見るとエリーさんの名刺が貼り付けてありました。女将に聞くと、エリーさんは四国に来る前京都でテレビのインタビューを受けていたそうです、ここに来たのはずいぶん想定より遅かったので、やはり足摺でおかしな道を歩いたので出会うことができなかったみたいです。
 同宿の男性は12巡目の大ベテランでした。12回と聞いてドキッとしてしまうのが我ながらおかしい。


21日目 八丁坂~お遍路ハウス平和通り(松山市)

2017-07-18 | 17年四国の旅


 八丁坂の朝食は6時からですが、石鎚から来たご夫婦と女性は朝食をとらず6時少し前に出立です、もう一組のご夫婦は6時半からなので、ぼくともう一人の男性の二人で食べることになりました、夕食では人数が多くてまとまらず話もほとんどなかったのですが、二人きりなので意外なほど話は弾みました、宿案内を作って配りながら歩いているというと、ぜひ見せて欲しいというので部屋にとりに戻ります、まさか朝食の時に渡すとは思っていなかったので、戻って渡しているときにもう一組のご夫婦が現れて,私ももらえますかというので再度部屋に戻ります、この人たちはお遍路なのかどうかよく分からなかったのですが、まあこれがきっかけに歩くことにでもなればそれはそれでうれしいことではあります。


 朝からしっかり雨、予報ではもう少し後からだったのに、6時43分に宿を出発、計画が変わって今年一番長い距離を歩く日になってしまったので八丁坂は歩きません。68分で45番札所岩屋寺に到着、ベストより1分遅れでした、今日は有無をいわせずベストタイ狙いの歩きで臨まねばなりません。

 8寺07分に岩屋寺の境内をあとにします、もちろん打ち戻りも県道です、
 古岩屋荘まで27分、ベストタイ、その気になれば身体は動いてくれます。
 古岩屋荘から八丁坂の道との合流ポイントまで31分、ベストタイ、最後の登りはややきついけれどここ数年はずっとこちらで打ち戻っているので要領は十分把握できています、
 住吉神社の前でお接待所が開設されています、雨が降っているのでどうかと思ったのですが、建物の中に椅子とテーブル、そこまでブルーシートが敷かれて靴を脱がなくても入れるようにしてくれていました。今日は時間の余裕がないのですが無視して行き過ぎることはお遍路にとっては先ずできないことです。町役場の偉いさんと思われる男性がいて少しお話、ぼくが昨日内子町営バスに乗れなかったのだと話すと、久万高原のバスも赤字で大変だと教えてくれました、久万の町と岩屋寺を往復するバスが1日に3本ほど出ているけれど、これは伊予鉄バスに補助金を払って走らせてもらっている、ほとんど税金なので廃止したいというと住民から反対運動、反対する割には乗る人は本当に少ないとぼやくことぼやくこと、あまり長居もしていられないので16分ほどで失礼します、
 合流ポイントから一里木の近くのコンビニまで52分、ベストより2分も早い、お接待が効いたのかもしれません。このコンビニでは必ず食料を仕入れる(長珍屋ではいつも素泊まり)のですが、今回は道後温泉の先の宿で石手寺の手前にローソンがあることは分かっているので立ち寄りません、このコンビニを素通りしたのは初めてかもしれません。
 コンビニ前で10時16分、レストパーク明神までは45分、残念、ベストより30秒遅れでした、明神では自転車で巡っている男性が休憩中、桃李庵の前を通る短絡路が通れるか尋ねてきます、その山道は自転車では無理です、三坂峠からも山道を行こうとするので、それも無理国道を行くしかないとアドバイス、国道から浄瑠璃寺の方へ下りていく道は知らないので、それははっきり教えることはできませんでした。さすがに自転車へんろ道の情報までは持ち合わせません。帰ってからへんろ地図を見ると塩ヶ森トンネルの手前から浄瑠璃寺の方へ下りていく舗装道があります。へんろ地図も持っていなくてスマホの地図を見ていました、自転車でも最低へんろ地図は買わないと、となんだか残念な感じ、
 明神では20分ほど休んで11時20分に出発、三坂峠の山道に入ると二人の男性に追いつきます、この時間だと、古岩屋荘から来たと思われます、
 坂本屋でもお接待がありました、今日は5月6日土曜日、初めの計画では、岩屋寺は昨日のうちにお参りしていて、この前に来るのはまだ始まっていない時間だと思っていて、意識の外、呼び止められたのでもちろん行き過ぎることはできず2年続きでお世話になります、お世話に来ている男性が、奥さんに作ってもらったおにぎりを半分食べてくれというのでいただきました、味噌汁も出してくれてがっつり昼食になってしまいます、もう一人の男性がスパゲッティを作っていてこれも食べてくださいと言われたのですが、さすがにそれは遠慮しました、ここでもいっぱい喋って20分も休ませてもらいました。


 13時20分、46番札所浄瑠璃寺に到着、明神から100分、ベストタイです。これだけお接待していただいて休みを取ると歩きだけは目一杯頑張らないと、


 13時39分、47番札所八坂寺に到着、浄瑠璃寺から8分27秒、ぎりぎりベストタイ、
 13時48分、出発、境内はさほど広大ではないので、納経しなければ、普通に一通りお参りしてもこれくらいの時間になります、めちゃくちゃ急いている訳でもありません。


 ぼくの地元ではもう何十年も前に見られなくなった麦の秋、四国でもソーラー発電所に変わってしまうところも出てきました。


 14時30分、48番札所西林寺に到着、八坂寺から40分、ベストより30秒遅れでした、ベストは長珍屋から出発した時だから、午後のこの時間までよくねばっているという感じです。


 15時10分、49番札所浄土寺に到着です、西林寺から28分、ベストより1分遅れ、この区間は午前中歩いてもベストタイの出にくい区間だからまだよく歩けている方です、
 15時20分、出発。
 浄土寺を出てすぐ県道40号を行くのですが、この道は狭くて交通量が多くて歩道のないお遍路にとっては最悪の道なのですが、今回初めてその途中から脇道への道しるべがありました、今までは県道を600mほど歩いてお墓の中に入っていくのですが、その半分くらいで右に入っていく路地のような道がありました、近道になっているかどうか不明ですが多少遠回りでも県道を行くよりずっと安心です。


 15時36分、50番札所繁多寺に到着です、浄土寺から15分39秒、ベストより9秒遅れ、違う道を来たから正確な比較はできません。
 境内に入るとちょうど女性のMさんが納経を終えたところでした、仏木寺の手前以来、足の調子はどうですかと訊いたら、まだ全然駄目、でも諦めて帰るそぶりは見せません、浄瑠璃寺からは札所間の距離が短いのでずっと歩いているようです、
 15時50分、出発、1.5kmほど進んだところで先に出たMさんに追いつきそうになったのですがローソンに入って夕食と朝食を調達、


 16時22分、51番札所石手寺に到着、繁多寺から24分、ベストより1分遅れでした、今日はここまで45kmほど歩いているから、むしろ1分遅れは大健闘と言ってもいい。


 ブラタモリ、石手寺はその昔高野山のような宗教都市であったと学びました、道後温泉のホテル群はすべて石手寺の敷地内、堂宇伽藍が建ち並んでいたのだとか、
 16時34分、石手寺を出発、何とか17時には宿に着けそうです、


 宿は遍路道をはずれているので撮影することもなかったのですが、立派なひめぎんホールだけは撮らずにはいられませんでした、大きすぎて全容は捉えられませんでしたが、


 17時05分、お遍路ハウス平和通に到着しました、最後だけちょっと迷いました、ひめぎんホールの前の大通りを真西へちょうど1km、左にコスモのガソリンスタンドが見えたところのすぐ先を右折したところ、慌てて早めの角を右折してしまいました。郵便局を目印にしたのが失敗でした。
 普通の古い民家ですが、壁と畳は新しくしてトイレもリフォーム、部屋は2階に2室、1階に1室、インスタントですがコーヒーがセルフで飲み放題というのがいい、お風呂だけは昔のままできれいとは言い難いですが、まあ十分我慢できる程度です。ホステスは若い女性でとても感じのいい人でした、ご主人は東南アジア系の人ですぐ裏の離れに暮らしています。同宿の人は居なくてすごく快適でした、いたとしても完全個室だから文句なし、道後温泉の近くには相部屋の安いゲストハウスや旅館がいくつもありますが、個室で2800円、というのは大きな魅力です、しかも和室、今年はたまたま48kmになりましたが、前日45番を打っておけば八丁坂から34kmなのでちょうど楽に歩ける距離です、この宿もこれからずっと固定ということになりそうです。


20日目 ときわ旅館(大洲市)~八丁坂(久万高原町)

2017-07-17 | 17年四国の旅


 ときわ旅館の朝食は6時から、10分前に声がかかりました。朝から電車に乗るので、この5分10分もありがたい、
 2年前室戸の宿で同宿になった阿佐美さんや昨年民宿岡田で同宿になった公認先達山口さんも今年も来られたとご主人から伺いました、山口さんはこの春で20回目、ぼくが出会ったお遍路さんで一番巡っておられるとこの時は思っていましたが、八十窪の大女将はもっと巡っているようです、3年前の記念スタンプが押せる納経帳(ぼくのと同じ)も見せて貰いました。


 ときわ旅館の玄関にポスターがありました、最初四国に来たときこんな所に帝京高校があることにびっくりしたけれど、今回が甲子園初出場ではなかったことにもっとびっくりしました。
 ご主人に見送ってもらい、来年は逆打ちで4月の中頃に来ますと約束、約束してしまうともう絶対来ないといけないから、何が何でも来られるように努力する、


 6時27分、伊予大洲駅到着、6時49分の電車に乗るので宿を出たのはぼくが一番早かった、昨年もここから喜多山まで乗ったけれど、今年は内子まで。昨年は畑峠遍路道を歩いて砥部町の宿までだったけれど、今回は内子からバスで突合までさらに飛んで、45番を打ち戻って八丁坂までの41kmです。ちょっと飛びすぎですが、明日番外の香積寺に行くことと、泊まりたい宿のかねあいもありました。久万高原では笛ヶ滝がなくなって八丁坂以外の宿には泊まる気がなくなったし、長珍屋もできれば避けて道後の宿まで行きたかった。


 電車は定刻に到着、内子までは予定通りだったのですが、
 バスは祝日で(今日はこどもの日)全便運休で少々うろたえました。ネットで調べると土曜は2便。日曜は全便運休とは書いていたのですが何度調べてもそこに祝日の文字はなかった、全くネット情報というのはさほどにいい加減で軽いものです、バス停には日祝全便運休とありました、なぜネットでも同じように書けない、祝の一文字を入れるのにどれだけの手間がかかるのだと、見えぬ相手に文句を言ってもしょうがないので、とりあえず歩くしかないので、久万に向かって歩き出します。
 今日は45番まで行かず、その往復の12kmを削れば内子から突合まで歩いてもトータルではあまり変わりません。ただそうすると、明日の番外を止めても宿までの距離はかなり長くなるし、明日は札所の数が7つにもなるからさらにきつくはなります、でもやってやれないことはない、ほかに選択肢はないから機嫌良く歩くしかありません。

 今日は昨日と違って初めて歩く道がないのでほとんど写真は撮りませんでした、昨年畑峠(はたのとう)遍路道を歩いて内子町久万高原町の赤線の道は全て歩いたといい気になっていたのですが、まだまだ遍路道はありました。
 昨年足を痛めたときに内子からバスに乗るので時間がずいぶん余って、今まで一度も見学していなかった八日市の古い街並みを見たとき、意外なものを発見、そこには旧街道へんろみちと書かれていました、現在の遍路道とは明後日の方向のこの道がへんろみちだとはにわかに信じられない思いでした。帰ってからしばらくして英語の地図を見てその意味が分かりました。英語の地図には水戸森峠という緑の線の古い遍路道がありました、道の駅からりの3.4km先で国道に合流する山越えの道です、枯雑草さんはすでに歩かれていて写真も多数投稿、もう一人歩いたという人のブログも発見しました、もちろん今回歩きたかったのですが香積寺と宿のことがあってなくなく2年後まで待つことにしました。
 内子駅を7時03分に出発、松乃屋旅館を過ぎてしばらくの所で右折して国道に出ます、昼食を買えるところがここしかないのでコンビニに立ち寄ります、チョコとかりんと、今日は曇りなので大丈夫でしょう、
 内子から大瀬まではベストより4分遅れの92分でした、調子としては十分だったのですが、あまり狙う気もなく時速は6.3kmほどでした。歩く距離が1km短くなって歩き始める時間も1時間早くなってかなり余裕もあります。
 大瀬のバス停で休憩、昨年ここで向かいの家のおばちゃんからビン牛乳をお接待してもらった、先達竹下さんはお接待してもらった場所のことなど忘れられないでしょ、と言います、ぼくは最初の頃は白衣も着けていなかったからお接待の回数は人よりかなり少なかったこともあって、本当に何処で何をいただいたか、覚えているし、そこを歩くたびに思い出すようにもしているようです。
 大瀬で18分の休憩、8寺52分に発ちます。


 昨年工事中だった大瀬小学校の校舎が完成していました、確か前の校舎は今風の普通の鉄筋コンクリートだったはず。
 大瀬から突合の1km先のバス停まで68分、ベストより2分遅れ、時速は大瀬までと同じで6.28km。ベストよりちょっとだけゆったり目のこのスピードが一番気持ちよい歩きなのかもしれません。
 バス停では休まず、10時03分に出発。バス停を出て1kmほどの所で異常事態、長身の男性がぼくを追い抜いていきます、こういうことは今まで一度もなかったので本当にびっくりしました。1日に歩く距離がぼくより長い人や短い日数で一巡する人は何人か知っていますし、実際に会ったこともありますが、ぼくより速いスピードで歩く人はちょっと思い出せない。8年前須崎から足摺までいっしょだった山口県は仙崎(金子みすゞのふるさと)から来た橋本さんは全くぼくと同じスピードで霊山寺から延光寺まで14日で歩く人でしたが。
 それまで楽なペースで歩いていたのが離される一方では具合が悪いというのでギアを一段入れ直して必死に追いすがります、50mほど離されてそれからは何とか少しずつ縮めていきました、こんなに力を入れて歩いたのは、ベストを狙うときでもここまではしない、というくらいです。薬師堂のトイレで彼は休まずそのまま先に行ってくれて助かりました、ぼくはここで休憩することは決めていました。バス停からここまではもちろんベスト以上のタイムで時速は6.5km、やっぱり6.3で余裕を持ちながら歩く方がいい。
 
薬師堂のバス停では13分ほど休んで、10時50分に出発、ここから宿まで4時間ほどなのであとはゆったり行きます。
 落合トンネルを抜けて4km、三嶋神社のすぐ先で地元の人たちが大きな釜でうどんのお接待、ぼくを追い抜いていった若者もいました、ぼくのすぐ後には自転車の女性二人連れ、もう一人白衣を着ていない歩きの男性もいました。そこで足の速い若者に少し話を聞きます、ああいうスピードは午前中だけで午後からは少し押さえるということでした、40km歩く日もあるけれど、ずっとそうではなくてもっと短い日の方が多いとか、宿案内を渡すと、これを持っている人に見せて貰ったことがあると言っていました、地元の人にもっと食べていけと勧められるままに30分ほどゆっくり休んでしまいました、
 歩きの男性二人が先に出て、少し遅れて出たので全然追いつきません、食べてからは動きもやや鈍くて下坂場峠まではベストより6分遅れの、時速5.6kmでした、
 下坂場峠からはさらに調子は落ちて、普通は休まない鴇田峠の手前の別荘地のあたりで休みを入れてしまいました、身体も動かないし眠気にもおそわれます。鴇田峠は玉ヶ峠の次ぎに苦手な登り道で、峠の手前の山道ではなく、山道に入る手前の別荘地を抜けるところあたりでいつも足が止まる印象があります。前回2年前もそうだったし、今年は今までで最悪です。
 峠のすぐ手前からいくらか調子を取り戻し、下りになると大分楽になりました。国道まで降りてくるのに80分、ベストより8分遅れ、時速は4.9kmでした。


 14時50分、44番札所大宝寺に到着です、予期せぬ休みが2回あったものの、まだ宿には16時までには着ける時間です。
 境内にはお接待所で一緒だった二人の男性がちょうどお参りを終えたところ、ぼくがお参りを終えたところで足の速い男性から次々と宿のことについて質問を受けます。彼はここまで同宿になった人たちからいろいろと情報を仕入れていて、大体のあたりは付けているようでした。道後では石手寺の通夜堂に泊まる、そのあとは大西まで、ますやはどうかと訊かれて、ますやは多少問題あるのでつよしにした方がいいと教えます、その次は小松、その次は伊予西条まで歩いて電車で戻って連泊したらいいとアドバイスします。小松は連泊だと焼き肉になると聞いていたようですが、本当はすき焼き、アドバイスは時に微妙に違ったものになる。それやこれやで次々話が延びて30分以上も話し込んでしまいました、二人は一里木までなのであと15分ですが、ぼくはもう一山越えなくてはならない。15時41分、ようやく宿に向かいます。


 大宝寺で50分も滞在してしまったので、最後はしっかり気合いを入れました、ベストに近いタイムで、16時23分、八丁坂に到着です。


 八丁坂は昨年に続いて2回目の投宿、昨年は和室だったのですが今回は洋室ベッド、洋室は好きではないのですが、和室以上に居心地のいい空間でした、ダブルベッドでそれがほとんど和室と変わらない感じでいられます。
 お風呂に行くと男性が先にいて話を聞くと、今日は石鎚からきた、石鎚からこちらへ来るルートがあることは知っていたけれど、実際に来る人に初めて会いました、お遍路だけではなくいろんな観光をしながらの旅のようです。
 同宿はお風呂で会った男性とその奥さん、お遍路ではないようなもう一組のご夫婦、女性一人、男性一人、の6人と、時間遅れの観光の二人連れ、ラグビー部の高校生たち。高校生の食事は食堂で、ぼくたちは別の和室に通されました。夕食の時にはお遍路メインの人が少なかったせいかほとんど話することはありませんでした。

 

19日目 民宿兵頭~ときわ旅館

2017-07-16 | 17年四国の旅


 冨士山(とみすやま)に登るのは昨年に続いて2度目です。昨年は片道の距離を往復の距離と勘違いして時間が足りなくなって山頂の手前の駐車場までしか行けませんでした、やり直しの旅でもあったので花の時期はとっくに終わってもいたので、もう一度は登ることになると思っていました、
 登山道は広い舗装道で歩道もあります、ぼく以外の全ての人が山頂のすぐ手前まで車で上ります、登り口から駐車場まで34分、時速4.9kmなので、そんなに急な山道ではありません、登り始めの所は少し手強いところもありますが。昨年の経験があるのでじっくり落ち着いて登ることができました。
 登山道は遍路道でも何でもないのであえて撮影しませんでした、上の写真は駐車場から山頂へ向かう最初の部分です。早い花はすでに散りかけていてもう少し早く来た方がよかったのかもという感じもします。今日は5月4日です。


 山頂です、

 三角点もしっかり確認、


 展望台からの眺め、中央から少し左の肱川沿いの森が臥龍山荘、右のはずれの小さな森が大洲城、その間が旧市街地、

 少し右に目を移せば大洲駅周辺、新市街地、


 さすがに十夜ヶ橋までは見えていないようです。


 山頂付近をぐるり一周してきました、展望台でもっとゆっくり眺めを楽しみたかったのですが、とにかく人混みがすごくて早めに退散するしかありません、


 下りの山道は27分、時速6.2kmで降りてきました。
 ときわ旅館に到着したのは15時15分、一番乗りでした、


 同宿の人は昨日兵頭でも同宿だった岡山のご夫婦、龍光寺でみやこを紹介した長崎の男性、女性二人連れ、もう一人ベテランの女性、の6人でした。長崎の男性は今日明石寺で会ったときにふるさと旅館を紹介したのですが、そちらは満室でこちらは受けてもらえたということです、すごく意外、それなら初めからこちらを紹介しておくべきでした、連休中だからてっきり満室だと思っていました、ぼくの向かいに座った女性二人は連休の区切り打ち、もう何年もかかってここまで、いつになったら最後まで行けるだろうかと心配していました、仕事をしていると自由にはならないから難しいけれど、限られた休みを待ちこがれるように四国に来るというのも、毎年当たり前のように通しで来るぼくたちとは違う大きな楽しみであり希望だと言えるかもしれないと語ってあげました、今日鳥坂峠の手前で休んでいた女性も連休だけの区切り打ち、この1週間で出会った半分以上の人が連休の区切り、という感じがするほどでした。そこまでして四国に来る人の方がぼくなどより余程お遍路に対する思い入れが強いのではないかとすら感じます、その二人の女性ともう一人の女性は明日別格7番に行くのでご主人から地図をもらってレクチャーを受けています、長崎の男性も明日内子まで行って区切るし、ご夫婦は松山で結願です。


18日目 民宿磯屋~民宿兵頭

2017-07-11 | 17年四国の旅


 県道46号に入ったところ、来年は逆打ちで来られないけれど、再来年はまた宿毛街道中道を歩くつもり、昨年歩き残した短絡路4ヶ所はどうしても押さえておきたい、


 歩いてきた峠越えの道を眺めています、いい道だったけれど、柏坂を越えてこの峠を越えて満願寺から野井坂遍路道を行く人なんて、滅多にいないんだろうなァ、昨日同宿だったベテランご夫婦は野井坂は歩いたといっていました、篠山も2回、それだけ歩いているとこちらとしては何も言うことがありません、


 番外霊場満願寺に到着、8寺43分、国道を離れて73分、この間7.3kmなので時速は6km、想定していたよりずいぶん早く着いてしまいました。


 9時52分、野井坂の峠に到着、満願寺から56分40秒、昨年より3分以上早いタイムでした。昨年は初めてで写真もいっぱい撮ってペースも何も掴みようがなかった、今年は昨年の経験が十分生きた落ち着いて読みながら合わせながら登ることができました、登り山道でこれだけ楽しめることはあまりありません、来年は向こうの山道かトンネルか、


 宇和島駅の近くのアーケードに入ると、何はなくとも四国銀行です。ぼくが歩き始めた14年前からずっと島崎和歌子さんです。


 峠からの下りは県道に合流するところまではやはり写真を撮らなくて、道を確認する必要などもなかったので昨年より7分も早く下りてきてしまいました。そこからこの別格6番までも国道の脇道を全部拾いながら来たにもかかわらず、想定よりも少し速いタイムでした。時刻は11時51分、宿まであと17km、


 ここまでほとんど休みを取らなかったので、宇和島駅の待合所で大休憩、しばしウトウトします。
 40分休んで12時30分出発、



 龍光寺の手前の民宿稲荷は廃業されたかの佇まいでした。
14時20分、41番龍光寺に到着、最後はちょっと疲れが目立ってベストより3分遅れでした、
 お参りを終えるとベンチに歩きの人らしいザックが一つ、今日はここまであまり歩きの人に出会わなかったので、お参りを終えるのを待って話しかけてみました、今日の宿はと訊くと、まだ決まっていない、それではと先ず近いところでぼくの泊まる兵頭に電話すると、満室、今日は5月3日。つぎにみやこを紹介すると何とか受けてもらえました、でもここからだとあと8kmもある、歯長峠もあるし、遅くなるかもしれませんと断りを入れていたから多少遅くなっても大丈夫でしょう。


 仏木寺に到着する少し前、向こうからやって来る歩きの人が、見慣れたエンジの装束は女性のMさんでした、足の調子は全然よくなくて乗り物でつないでつないで、今日の宿は遍路宿もやい、務田から電車で戻るようです、ぼくも昨年足を痛めて電車バスでつないでとにかく宿にだけは迷惑をかけないようにして雲辺寺の手前までいったと話したら、歩きにはこだわらなくてもいいと自らを言い聞かせるようにお参りを続けています。お大師さんに悪いことをして高野山を飛び出してきた、本堂の前で正座をしてお経を詠む、お大師さんに許しを請う旅であり自らを省みる旅でもあるようです、足を治してからやり直したらとも言ったのですが、それはできないときっぱり、思いはそれぞれ、四国の旅です。
 仏木寺にはベストより1分遅れでした、

 15時18分に出発、出たところで高速そばの遍路道を行く二人連れ、山道に入るちょっと手前で追いついて訊いてみると、今日の宿は宇和島駅前のホテル、明石寺をお参りして電車で戻るというのですが、この時間からだと納経時間には絶対間に合わない、ぼくの足でも間に合わない、


 16時26分、民宿兵頭に到着しました、最後はベストより5分遅れ、歯長峠はもう何年もベストが出なくなっています。


 兵頭の夕食は意外な感じでした、これはこれでおいしくて量もちょうど良かったのですが、同宿の岡山のご夫婦とともにちょっと首を傾げながらの夕食です。ご夫婦はこの連休中に松山までで結願です、香川県の札所は岡山からすぐなので車で日帰りで巡ったそうです、善通寺の宿坊はやっぱり行くべきでしょうかと奥さんが問われたので、お遍路であれば1度は絶対に泊まるべきですと強調してあげました。ぼくも昨年泊まったばかりですが、やはりあそこだけは避けるべきではない札所以上の札所だと正直思いました。


17日目 くろうさぎ~民宿磯屋

2017-07-10 | 17年四国の旅


くろうさぎの朝食は6時半から、ちょっと早めに行ってご主人、奥さんとちょっとおしゃべり、本当に残念だと思いました。大岐の浜に泊まるとどうしてもこの宿とは距離が合わない、これが最初で最後になるとは・・・、
 あまりに残念なので帰宅してからいろいろ考えてたら、ひらめきました。来年は逆打ち全歩きなので不可能なのですが、再来年以降は順打ちで、ユートピア、大岐の浜、大岐の浜に泊まった翌朝はバスで足摺まで飛んでしまう、足摺からくろうさぎまで38km歩く、楽々16時には到着できます。帰ってくる宿がもう一つ確定です。
 Uさんは昨日今の山越えできたので来栖野トンネルの手前までご主人に車で送ってもらいます、昨日の続きを歩く訳だから全歩きは途切れません。ぼくとMさんは一足遅れで一緒に歩き始めます。女性のMさんは今日はほとんど歩かないのでさらにゆっくり、


 くろうさぎを7時18分に出て1.5kmほど来たところ、くろうさぎから延光寺までは16kmだからこの看板の距離は正確です。


 くろうさぎを出て40分、宮の川トンネルを抜けます、くろうさぎからだと普通県道21号をそのまま行きがちですが、こちらの道の方が200mほど近道になります。


 トンネルの入口から20分、県道に合流する交差点の少し手前にバイパスができていてびっくり、そういえば昨年はこちらの道ではなく県道を歩いたのでした。


 本当に必要なのかという感じもしますが、
 このしばらく先、清水川荘の手前でMさんが先に行くようにと言われたので、自分のペースで歩きます、Mさんは今日は宿毛までなのでもっとゆっくりでも十分なのです。ぼくは宿毛のさらに20km以上先の宿なのでベストのペースに戻します。
 3kmほど先二つ目のトンネルを抜けたところで後ろからUさんの声がかかりました、二つ目のトンネルは日本語の地図には赤線がありますが、英語の地図には赤線がなくて川沿いの道に赤線があります、その道にトイレとヘンロ小屋があってUさんはそこで休んでいたようです、そこからはUさんと延光寺まで一緒に歩きます。
 山の中を抜けて平地に下りて自動車道と歩き道の分岐の所で前を行くご夫婦、間違って自動車道の方へ行かれたので挨拶できませんでした。あとで訊いたらやはり森本まるに泊まられたそうです。


 国道56号から昔の道に入るところに新しい矢印、
 このすぐ先で、2日前3日前に会った野宿の男性に追いつきました、2日前は頑張ってじんべえ広場まで戻ったそうです、昨日は清水川荘の近くのヘンロ小屋まで30kmほど歩いたようです、延光寺まで3人並んでおしゃべりしながら歩きます。


 10時10分、高知県最後の札所39番延光寺に到着です、
 本堂では女性のMさんがすでに到着、お参りを始めていました。


 延光寺でUさんとはお別れ、10時32分に出発します、延光寺を出てすぐの所にある昔の短絡路は最近道しるべが分かりやすくなって歩く人も多くなったようですが、ぼくは一度歩いて、ちょっと荒れて歩きにくい部分もあったので、以降はずっと二つ目の短絡路を歩きます、ここにはずっと遍路シールが全くなくて国道までそのまま出てしまう人が圧倒的に多かったはずですが、新しい矢印が貼られていました、これでこの道を行く人が多くなるのか、この手前で古い道に入ってしまうのか、時間的にはこちらの方が短いし歩きやすい。


 これがその入り口、矢印がないと絶対入れない雰囲気、ぼくも入れたのは3回目か4回目の時でした。

 延光寺を出て国道に入ってからはいつもの道なので写真は撮りませんでした、今日は距離が長い上に出発時間も遅くなったので、ほとんど時間の余裕がなくなっています。
 延光寺を出て4km、二つ目の脇道が国道に合流するところでKさんに追いつきました。2日前の金剛福寺の山門前以来です、昨日は風車かそれとも清水川荘だったでしょうか、今日は札掛乃宿までだそうです。ぼくのスピードを見て先に行ってくださいと気遣ってくれます。
 岡本旅館の前がタイムチェックポイント、その岡本旅館は廃業して看板も完全になくなっていました、12年前11年前の2回お世話になりました。61分、ほぼベストタイで到着、この区間久々のベストタイ、ほんとに時間に追われると思わぬ力が出ます、
 そのすぐ先の国道の交差点にあるローソンで昼食を調達、出てきたら、国道を向こうからやって来る人が、話を聞くと、昨年友だちに誘われて初めてなのに逆打ちで始めて、今年はその続きを一人で歩いているそうです。今日は延光寺の先の鶴の家までだからもう2時間ほどです、ただいま12時、それではと宿案内を手渡します、まだ半分以上残ってますからね。
 その先松尾峠の登り口までは49分、ベストに1分半ほど及びませんでした、
 登り口から県境松尾峠までは29分、またもベストより2分遅れ、松尾峠は昨年登っていないので少し覚えていないところもあってペースが掴み切れませんでした、山登りはタイムを狙ってもなかなか思うようにはいきません。峠に到着したのは13時39分、まだ宿まで15km以上あるから16時までに着くのは不可能、それは初めから覚悟していました。
 登りはタイムが出なかった分、2年ぶりの下りは思い切り飛ばします、この下りは何度来ても気持ちいい、下りの山道では一番のお気に入り、雲辺寺の下りも好きですが前半だけ、後半は段差がきびしすぎるのでトータルでお気に入りまではいかない。
 里まで下ると、新しいトイレが見えかけてくるところでお接待が待ちかまえていました、すごくありがたいけれど、時間がぎりぎりなので、でも気持ちよく受けることにします、次から次へといろんなものが出てきてびっくり、まともに昼食を摂っていなかったのでありがたいのですが、そうそう落ち着いている訳にもいかず18分ほどでおいとまします。
 峠からその先のトイレまでは31分でほぼベストタイ、その先の一本松の交差点までは12分でベストよりちょっとだけ早い、
 一本松からは久々に国道を行きます、お接待でいっぱい食べたせいか眠気におそわれて全然調子が出ませんでした、


 16時10分、ベストより8分も遅れて40番観自在寺に到着です、あまりに眠たいので途中でしゃがみ込んで1~2分眠りました、こういうのは今までほとんどなかったこと、これからあとも同じようなことが何回かありました。


 16時43分、民宿磯屋に到着しました、当然同宿の二組はすでに入られています。到着するなり、女将から昨日和田さんという方がぼくの紹介で泊まられたと聞かされます、とっさに思い出せなかったのですが、1分以内に高松の方、関学吹奏楽部のOBで学年はぼくの一つ上、昨年砥部町のたちばな旅館で同宿だったと思い出しました。
 彼が1年生の時は交響的断章(ネリベル)で全国金賞、この年ぼくは浪人で姫路文化センターで行われた県大会を生で見ていました、2年生の時は5年連続金賞で招待演奏、3年生の時はカプリチオ(ポート)で全国金賞、4年生の時は交響曲第1楽章(フォーシェ)で全国金、関学の全盛期を担った一人。ぼくは4年とも関西大会で後塵を拝したチームのメンバーでした。関学がフォーシェを演奏した年はぼくのチームも同じ曲でこの曲を聞くと何十年経った今でもこみ上げてくるものがあるというトラウマの1曲です。負けたことよりあの時の幹部の鬼のような厳しさがいまだに悔しくてならない、


 同宿は2日前大岐の浜で一緒だったベテランのご夫婦と、初めての男性、ベテランの人とは話すこともないので隣の男性とばかり話して宿案内も渡すことができました。女将は相変わらずの饒舌で、ぼくはほとんど聞き役で楽しませてもらいます。


16日目 民宿はやかわ~くろうさぎ

2017-07-09 | 17年四国の旅


 民宿はやかわの朝食は6時から、同宿の人は一人居たけれどたぶんお遍路さんではないようで話はしませんでした。
 6時55分に出発、今日はお遍路さんの99.9%が歩かない道を行きます。だから、昨日とはうってかわって全く出会いのない旅になるだろうと、久々にそういう自分のペースだけで歩けるのもいいと思いかけたところで、前を行く男性に追いつきました、宿から12kmくらいまでは普通にお遍路さんが行く国道321号、ただこの時間には会わないと思っていたら、昨日金剛福寺で会った野宿の長身の青年でした。野宿のリストをもらいましたかと訊くと、そういうのがあることは知っているけれど敢えてもらわなかった、だからここまで通夜堂にも泊まっていない、何のこだわりか知らないけれど、せっかく四国に来たのだからいろんな経験をした方がいいとmachanからもらった野宿リストがあったので無理矢理渡してお節介、使うもよし、無視して今まで通り自分のペースで行くもよし。あくまで自分のお金であり、自分の時間なのだから他人に干渉される必要はない。
 道の駅めじかの里土佐清水まで91分、時速6kmのゆったりした立ちあがり、20分ほど休憩、



 道の駅を出てすぐの所に馬がいたので思わずカメラを向ける、ここは何回か来ているけれど初めてです。
 ここから16分ほどで竜串海岸、昨年はグラスボートに乗って見残しを見学したけれど、乗らなくても見られるこちら側の海岸は一部しか見ていなかったのでぐるりとゆっくり見て回りました。これで竜串海岸は一通り見て歩いたことになります、


 竜串海岸から2km、ここで国道を離れ県道28号に入ります。県道は600m先と書いてあるので


 下川口トンネルを抜けてから県道に入ったのですが、赤線はこの少し手前から斜めに県道に入る道に付いていてはずしてしまいました、いつもちょっと詰めが甘くなってしまいます。


 トンネルを抜けたところ、ここを右折すると県道です。


 県道に入りました。なぜこの道は誰も歩かないかというと、遠回りになるからです。下ノ加江から入る道より11kmの遠回り、今の山越えの道より8km遠回り、ただ今の山に比べると標高が400mほど低いのでかなり楽だし、竜串海岸も楽しめます、月山神社の道よりも10kmほど短くもなるのでこの道に赤線があるのかもしれません、でも理由として中途半端な感じ、お遍路さんが歩かないのは至極当然であります。


 県道に入って900m、新しくバイパスができているみたいです。


 迷わずバイパスを行く、


 さらに1.8km、たまたま車が写っていますがごくたまにしか来ません。


 この手前で昼食休憩、お接待のおにぎりをいただきました。人も全然見かけない。10時48分、


 県道に入って5.6kmの地点、この先で左へ大きく曲がるみたいです。


 曲がって橋を渡る、この部分もバイパスみたいです、


 地図によると、間もなく28号ともお別れのようです。


 まだ28号、


 橋を渡って突き当たりが分岐です、県道に入ってから8.6km。


 分かりやすい、迷いようがない、地図書かなくてもよかった、


 ここから県道344号、一本道。


 県道344号は28号に比べて道幅が狭くその分雰囲気の味わえる道になっています。


 もちろん車も人も全く通らない。


 緩やかに登っているところもあるけれど、ほとんどフラットに近い道で6km近いスピードで歩けているはずです。


 344号に入って7.6km、三原村に入ります。この標高は250mくらい、調子よく歩いてるつもりですがいくらか登っているのでこの間の平均時速は5kmくらいでした。


 市境から6分、三原村の民家が見えてきました。


 さらに7分、仁井田神社の鳥居が見えました。このすぐ右に農家民宿NOKOがあるはずですが、普通の民家のようで確認はできませんでした。


 さらに2分、橋を渡って県道46号、


 46号に入って1km、このトンネルはぼくの2010年第9版の地図には全く載っていません、英語の地図にはあります。


 三原村に入って43分、一旦入っているのに全然ゴールが近づかない感じがしています、こういうところが初めての道にありがちな感じ、


 さらに10分ほど来たところで自販機があったので休憩します、県道に入ってから10分ほどの休みを2回入れただけでした、疲れるのも当然、14時02分。


 14時33分、トンネルの入口に来て一安心したところ、ここから1.7kmほど手前の分岐で間違っていなかったかいまいち確証が持てなかったので半ば冷や冷やしながら歩いていました。


 歩いてきた道を左折して来栖野トンネルを抜けます、くろうさぎへはトンネルを抜けず直進した方が遙かに近道ですが、13年前今の山越えでここまで来たときトンネルを抜けずここから左の道へ行ったので、トンネルだけがまだ歩いていない赤線の道として残っていたので、遠回り承知でトンネルを行きます。


 15時18分、大回りしてあと500mまで来ました。トンネルを抜けてからはずっと逆打ち方向です。


 15時25分、くろうさぎに到着です、


 こちらがぼくの泊まる新築の宿泊棟、3部屋あって、もう一棟別にあります。
玄関の横に傘がありますが、食堂は別棟で雨が降ると傘が必要になります。でもこの宿の居心地は最高でした。トイレ、洗面、風呂、洗濯がすべて部屋と同フロアですぐそばでこの使い良さ快適さは味わったことのないものでした。しかも窓の外に広がる山々と田園はこれ以上はない癒しの風景です、
 同宿は東京のお遍路ブログのUさんは分かっていましたが、あとはMさんとユートピアと大岐の浜でも同宿だった高野山にいた女性でした。この女性も頭文字はMさん。足を痛めて上長谷の集会所の所からここまで地元の人の車で送ってもらった、明日も歩けそうもないので、バスと電車で宿毛まで行くという、ここから延光寺の近くまではバスはないのでご主人が車で送っていくと言っています、宿毛の宿を紹介して欲しいというのでフレックスホテルを紹介、すぐ電話すると受けてもらえたようです。


 龍馬パスポートでどぶろく1杯サービス、いい気持ちで食欲も進みます。この宿はテレビ番組「人生の楽園」で紹介されて、ぼくは再放送で見ていて、本当にいい感じの人たちだと分かっていたので、何の心配もしていませんでした。女性のMさんに宿情報を渡します、同宿だったけど二つとも彼女は素泊まりだったので話す機会はなかった。
  Unknown (日傘)2017-07-15 19:28:51
   ドライブイン水車で偶然出会い(Hさんは考察して下さり、たくさん待って頂きましたが)、
   またこちらのお宿でご一緒で来てほんとによかったです。くろうさぎさんご夫婦も素敵な方々
   でしたし、お宿自体も最高で私にとっても大切なお宿になりました。


15日目 民宿大岐の浜~民宿はやかわ

2017-07-08 | 17年四国の旅


 書き忘れましたが大岐の浜の夕食は18時30分から、食事が始まってしばらくしても香港の女性は到着しなかったから19時近くになっていたかもしれません、道に迷ったそうですが、到着して宿の人は皆一安心、四万十を渡ればあとは国道で一本道迷いようがないとも言えますが、初めてだと思わぬ所で思わぬ道に入ってしまうということも珍しくない、地図さえあれば矢印さえあれば、絶対とは決して言い切れるものではありません。ここではないけれど、町の中は矢印がないところが多くて迷ったという人が結構いました。
 朝食は6時から、ご夫婦は連泊で今日は金剛福寺を往復37km、早々に食事を済まされ6時半には出発、男性二人も同じように早く発たれました、ぼくは今日は昨日ほどではないけれど距離が短いので、ゆっくりいただき、終わったあともコーヒーを煎れてもらって女将と手伝いの男性と3人でいろいろお話しさせてもらいました、そこで図らずも感動的なことがあってウルッときてしまい、この日のオンタイムのタイトルが「大岐の浜の女将に泣かされる」となってしまったのですが、その詳細は故あって公表できません。ふいに心の奥底を揺さぶられたこのようなできごとはお遍路の最中には一度もなかったことです。自分でもちょっとびっくりでした。
 7時25分の出発で、1時間以上食堂で話していたことになります、玄関でアイパッドで撮影してもらい、女将が国道まで見送ってくれます、もうこれだけでも絶対はずせない宿になってしまったのですが、これで終わりではありませんでした。



 幡陽小学校の前から新しい以布利トンネルの方へ向かいます、今日は距離が短いので先に西海岸の方へ向かい打ち戻りは東海岸の道を歩きます。
 この道は全く新しくできた道だから遍路道でも何でもないし赤線も緑線もないけれど一度歩いておきたかった。幡陽小学校までは41分、ベストより3分遅れですが時速はちょうど6kmです。今日はこれくらいのペースでいいだろうとここまでは思っています。


 幡陽小学校から900m、新しい以布利トンネルが見えてきました、このトンネルは大いに意味があって、遍路道になっている古いトンネルを行く道はものすごい急坂にものすごいヘアピンカーブもあります、でも新しいトンネルができても路線バスはいまだにそのものすごい道を行く、そちらの方にバス停があるから飛ばす訳にはいきません。




 歩こうと思えば7巡目から歩けていた、最初来た頃とは本当に播陽小学校の前の景色は全然違ったものになってしまいました、あのころは今のバス停もなくて崩れかけたほったて小屋みたいなのがバス停で、そこで休んだのをいまだに覚えています、

 以布利トンネルを抜けたあたりで宿代を支払わなかったことに気づいて、慌てて電話を入れます、金剛福寺で連泊のご夫婦に会うから、預かってもらいますと言って切ったのですが、よくよく考えれば、他人にお金を預けるのは不味いだろうと思い直し、宿まで歩いて引き返すことにしました、幸い16時過ぎに大岐の浜から今日の宿の近くまでバスが通じている、と決めた時点で馬力を入れ直すことにしました。大岐の浜まで帰るのなら、15時までに帰ればなずなで同宿だったTさんに再会できるはず、



 大岐の浜に帰ると決めたので、西海岸は全部トンネルの近道を行くことにしました。これは大浜トンネルの入口、大浜トンネルは台風で大浜地区の岸壁が崩れて工事中で通行不能だった05年以来12年ぶり2度目の通行になります。


 これは新しくできた松尾トンネルのすぐ手前、高架になったところから遍路道を見下ろします。この少し手前で打戻の男性とすれ違ったときに短絡路の山道に倒木があるので気をつけてくださいと教えてもらいました。もちろんありがたく受けてトンネルを行くとはいいません、もう少し手前でも男性とすれ違いました。


 こちらのトンネルも遍路道ではないけれど一度は歩いておきたいと思っていました。


 こちらも車の人にはすごく安全に早く行けるようになった、もちろんこちらも路線バスは行けませんが。


 出口、まさかこちらからこの風景を見るとは思っていなかった、歩くにしても打ち戻りだろうと思っていました。


 3年前には歩けていた、でもこのトンネルができてこの脇から入っていく短絡路山道の入口が分かりにくくなっていました、前にはあったはずの矢印もいくつか剥がされているようでした。メインの遍路道に普通に入れないというのは大きな問題です、東側の道だけを往復する人も多いようですが、ここだけはもっと分かりやすい道しるべを作り直して欲しいと切に願うばかり、


 10時56分、38番金剛福寺に到着しました、幡陽小学校からトンネル3つを抜けた距離は16277m、東海岸を行くより2kmほど遠回りでした。152分かかったので時速は6.43km、スピードを意識するとこれくらいは出せる。
 お参りを終えたKさんが山門の前で撮影の最中です、Kさんは今日はいさりびからです、今日の宿はみかんの家というからあと12kmほど、時間はたっぷりなので岬観光を楽しむそうです。
 山門の手前では同宿の無口な男性とも会いました、境内には同宿のご夫婦の姿も、昨日ロッジカメリアの手前で会った野宿の男性もやってきました、大分暗くなってから以布利港のじんべい広場にやっと到着、今日もじんべい広場まで引き返したいけど大分疲れているので金平さんの善根宿になるかもしれないといっています。

 打ち戻りの東海岸の道では昨日会った人たちが次々やってきます、東京の女性とは立ち止まってしばらくお話ができました、明日の宿がくろうさぎで同宿になることが分かったので本当にではまたということで分かれます、そのあとはSさんとAさんが二人並んで来ます、そのあとフランス人やMさんも、土佐久礼駅で会った外国の女性も来ました、結局この日会った歩きの人は昨日までに会った人12人、今日初めて会った人14人でした。
 金剛福寺から幡陽小学校まで136分、かなり頑張って平均時速6.4km、以布利港の手前の山道や海岸の道のことを考えたらとんでもないスピード、これでベストタイくらいです。
 幡陽小学校の先、国道と遍路道の分岐では蜜柑売りのおじさんの前で男性が休んでいます、通りかかると一つ持っていきなと文旦を渡してくれました。休んでいるお遍路さんは初めて会う人ですが、今日は何処から来て何処へ行くのか、順打ちなのか逆打ちなのか、このあたりで出会う人は皆目見当がつきません。


 この看板を見たとき一瞬大岐の浜の素泊まり部門かと思ったのですが、全然違いました、民宿岡田のすぐ近くにあるようです。
 民宿大岐の浜に戻ってきたのは14時47分、幡陽小学校からは時速6.39kmでした。早速謝って支払いを済ませます、女将さんは車で宿まで送っていくと言われたのですが、今日の2食付きの宿泊は9人でこれから忙しくなる時間なのでそれは断りました、みちしおでも迷惑をかけたからこれ以上迷惑をかけるのはとても忍びない、バスの時間は16時過ぎなので1時間半ほど食堂で待たせてもらいます、15時過ぎに最初の宿泊者が到着、何年か前に奥さんと巡って今回は一人で2巡目の旅、二人で巡っているときは奥さんに気を使ってトンネルの近道を行くことが多かったので、今回はなるべく峠越えなど古い道を歩きたい。でも今日の伊豆田越えの入口は分からなくてトンネルに入ってしまった、トンネルの1kmほど手前から入る道がありますと教えると、そんな手前だとは思わなかった、トンネルのすぐ手前ばかりだと思いこんであの微妙な矢印には気がつかなかった。持っている地図もたぶん峠越えの道に赤線がないから見当の付けようもなかったようです、
 さらに、しばらくしてなずなで同宿だったTさんがやってきました、Tさんは連泊で明日は37km歩きます、先の人は部屋に案内されて今度はTさんとしばし歓談、女将が文旦の皮を甘く煮たおつまみを持ってきてくれて話も弾みます、
 時間が来て国道に出たところにあるバス停まで下りていく、100mほど離れた民宿の建物のそばで女将がずっとこちらを見てたたずんでいます、バスを待っている10分ほどの間ずっとです、バスが来るとこちらに大きく一礼、ぼくもそれに答えてから乗り込みます。車窓から手をふって本当のお別れです、もちろん来年も何が何でも戻ってくると強く決心しています、その女将からつい10日ほど前、伊藤さんが1泊2日の区切りでやってきてぼくの話をして帰っていったと手紙をいただきました、


 バスはなつかしの清水プラザパル前に16時38分に到着、パルから3分で本日の宿、民宿はやかわに到着です。


 民宿はやかわは初めての投宿、このあたりの宿はお遍路さんがあまり泊まらないのかネットでも評判はほとんど聞かない、特にこの宿はネットでも直接でも一度も泊まったという人を確認したことがありません、結果はまずまずでした、食事はご覧のように食べきれないくらい、部屋などは古いのですが居心地は全然悪くなかったしばあちゃんもすごく親切な感じでした、75点くらい、普通におすすめできます、2食付き6000円でおにぎりのお接待もありました。


14日目 土佐ユートピアC.C.~民宿大岐の浜

2017-07-07 | 17年四国の旅


 峠では10分ほど休んで12時25分に出発、下りの山道は思ったより長くて歩き応えがありました、それもそのはずで距離は登りの3倍以上あるようです。


 峠から28分ほどで舗装道に下りてきました、


 舗装道に下りて左、へんろみち保存協力会の道しるべは新しい、


 次の太い舗装道に合流、この道は古いトンネルを抜けて左から下りてくる道、今の伊豆田トンネルができる前はほとんどのお遍路さんがこの道を来たことでしょう。そしてその古いトンネルができる前は今歩いてきた山道を多くのお遍路さんが歩いたと思われます。


 でも地図を持っていないのでどのあたりをどのように歩いているかいまいちよく分かっていません。矢印に従えば問題なく行けるでしょう、という感じで歩いています。


 その先を右に分かれる道があって、三原村へと続くことは分かっています。


 13時12分、峠から47分かかって真念庵に到着です、Aさんは納経されるというので、引き返して大塚さんの家に行ったのですが、生憎不在、近所の人に聞くとさっき出かけたばかり、Aさんはしばらく待ってみるというので、ぼくは一人でまた山道を通ってドライブインに向かいます。


 13時31分、ドライブイン水車に到着、普通に一人でいつものペースでトンネルを歩いてきていたら11時半頃には着いていた計算です、でも今回はここで14時過ぎまで人を待つことにしていたので、峠道を二人でゆっくり歩いて大正解、ちょうどいい時間に来ることができました。
 今日は4月29日、大型連休の初日、ぼくがお気に入りに入れて毎日チェックしているお遍路ブログの筆者の方が、おそらく今日、土佐入野駅から歩き始めるのではないかと見当をつけています。彼女は東京の人で最初四国を巡ったときは9月から5月まで10回の区切り打ちで結願を果たされました、その往復はほとんど夜行バス、ぼくはそのことにすごく感心してしまいます、通しで歩くより何倍も大変です、ぼくも区切りで別格だけ回ったことがありますが、結局夜行バスに乗る勇気は持てなかった。四国を一巡した後は東海道歩きの旅を書かれていて、そして今は四国2巡目108ヶ所完全歩き旅の途中なのです、前回2月は土佐入野駅までで、大型連休に続きを歩くということは書かれていたのですが、何日から、何時からということは知らないままぼくは四国に入って、四国に入るとパソコンはないしスマホでもないので、当てずっぽうで今日10時に土佐入野から歩き始める彼女をここで待つと、決めていました。土佐入野からここまで18km、彼女の時速は5km前後だから休憩時間を入れて14時過ぎにはここに着くだろうという計算です、ぼくの予定は半年以上前に決めているから、ここでスケジュールが合うというのはすごい偶然なので、その偶然をはずすのは勿体ない、伊藤さんにはストーカーみたいに思われないよう気をつけるように言われていたので内心冷や冷やではありました。
 14時をしばらく過ぎて真念庵の入口に彼女が現れました、ちょうどSさんが来て二人でなにやら話して、彼女は真念庵へ、向こうで待ってればよかった、仕方ないので戻ってくるまでもう少し待つことにします。Aさんはこの少し前に来て結局納経はできなかったといって今日の宿安宿に向かったのですが、少し遅れてきたSさんはちょうど大塚さんが戻ってきたところでしてもらえたと言っていました。彼女を待っていることをSさんに話したら、少しくらい遅れても待った方がいいと励ましてくれました、ここから宿まで1時間半はかかるので、14時半がぎりぎりかなと思っていたのですが、15時まで、何ならバスを使って16時まで待ってもいいと腹をくくりました。彼女が大塚さんちから舗装道で戻ってきたのは15時10分、何とかバスは使わずにすみました、名刺だけ渡して、ブログをずっと読ませてもらっているということだけ伝えました、こういうことは期待していてもはずれるのが普通だから本当に会えたことが何か現実離れしているようでふわふわした感触のまま、今日の宿に向かいました。


 16時50分、大岐の浜に到着しました、ぎりぎり17時前、香港の女性はまた同宿だったのですが道に迷って18時過ぎても着きませんでした、


 素泊まりお遍路ハウスは香港の女性と高野山にいた女性、あと男性が何人かいたようですが別棟なのでよく分かりません、食事付きの同宿は4回以上は巡っているご夫婦と、2回目の男性、もう一人男性、男性二人は無口でほとんど喋らなかったのでよく分からない、ご夫婦だけが女将と喋って、ぼくも出番はないと悟ってほとんど喋りませんでした、部屋はベッド洋室で少し狭いタイプだったのですが、この宿も絶対はずせない宿になったのは翌朝の出来事。

 Unknown
 (亀乃歩)
2017-07-08 09:07:09
    ブログリンクに登録させていただいていつも拝見させていただいております貴重な情報ありがとうございます 東京の彼女もブログリンクに登録させていただいておりまして 姫路のHさん? と思っておりました点と線が繋がりました ブログで繋がりのあるお遍路さんと出会う事は感慨深いものがありますね いずれどこかでお会いできると思っております 今後ともよろしくお願いします

 Unknown (日傘)2017-07-15 17:05:12
    Hさん
    ご無沙汰しております。
    Hさんに頂いたお名刺を実家に置いてきてしまって
    ブログのアドレスが分からず、今日久しぶりに実家に来て
    ブログ拝見しました。
    お会いした時はとってもびっくりしましたが、
    距離や時間など色々考察されていてお会いできたんだと
    感慨ひとしおです。まずこの日のブログから拝見させて頂いたら
    なんと亀乃歩さんもいらしているではないですか!
    これからまた最初から読ませて頂きますね。

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13日目 岩本寺宿坊~土佐ユートピアカントリークラブ

2017-07-04 | 17年四国の旅

 岩本寺の朝の勤行は6時から、団体の人たちはスケジュールの都合でかなり早い旅立ちで姿は見えません。いっしょに夕食を摂った男性3人と、七子峠で会った香港の女性も参加していました。宿坊は当日予約はできないと聞いていましたが、素泊まりであれば問題ないみたいです。プリントが配られてお経も全部書かれているので、住職について唱和していきます。法話も長すぎることなく、しっかりまとまったお勤めができたという印象です。30分ほどで終了して、すぐ朝食が始まります。

 岩本寺の評価は分かれるようですが、ぼくとしては不足なところはほとんど感じなくてかなり満足です、点数でいうと80点くらい、テレビのない部屋もあるみたいだし、大部屋で相部屋になることも、そうなると評価が下がることもあるでしょう、同宿の3人の方がいずれも感じよくて、風呂でも夕食の時も朝食の時も話がたっぷりできたので、その点でも今回は大正解の宿になりました。
 食卓の横にはコーヒーのセットも用意されていて、今日は時間の余裕があるのでゆっくり2杯いただきました、
 身支度を整えて宿坊を出たのは7時25分、境内には雪蹊寺で会った外国人二人連れがお参りを終えたところでした、言っていたとおり昨日は須崎あたりから電車に乗ってここまで飛んできたようです、年配の方に今日の宿は何処ですかと問えば、金剛福寺宿坊、やはり電車バスで一足飛びのようです。ぼくは30km先の宿だから50km先を行かれてしまい、この後出会うことはありませんでした。

 同宿の人たちは皆ぼくより先に発たれ、ぼくがしんがり、追いかける形です。先ず追い抜いたのは同宿の人ではなく昨日境内で会った女性、その後東京板橋の人、その先、脇道に入る手前で埼玉鴻巣のSさんを追い抜きます、



 お大師さんの石像のところで国道を離れて左折するようSさんにアドバイスして先に進みました、矢印はいっぱいあるけど、下を向いて歩いていたりしたら結構はずすことも多い、ぼくも3回ほどはずしたし。
 西尾自動車の休憩所でSさんを待ち受けます。いつもはもう少し先の坂道を上りきったところのヘンロ小屋がタイムチェックポイントでそこで休むのですが、今回は国道を離れて四国のみちを行くので、そこは通らない。
 少し遅れてSさんが到着、すこし休んでいっしょに発ちます、西尾自動車からの国道の左の四国のみちは前に一度歩いたことがあるので、そちらは入らず国道を行きます。その道が国道を横断して右に入るところから国道を離れます、この右側の四国のみちはこの手前を歩いたときに続けて歩いたのか、あるいはここからそのまま国道を歩いたのか、全く記憶にありません。なにしろもう12年ほど前のことなので記憶を頭の中で作っている可能性もあるので確かなことはいえません、歩いていたとしても、途中で止めて国道に入ったような感じが何となく残っています。この写真の入り口ですでにSさんの30mほど前を歩いていて後ろをふり返りながらSさんがこの道に入るのを確かめてから歩を進めます。


 四国のみちの道しるべ、


 国道に比べて何と気持のよいこと、この時点で今まで歩かなかったことを後悔しています。でも日本語のへんろ地図にはずっと赤線はなかった。英語の地図には伊与喜駅まで緑の線がしっかりあります。


 これぞという道が続きます、人も車も全く通らない。


 右折れの箇所にはちゃんと道しるべがあります。


 たしかに国道よりは少し遠回りになりますが、トータルで1kmも長いとは思えない、それだけの理由で情緒のない危険なうるさい国道に赤線があるのは、何としてもおかしい。ぼくは来年は逆打ちでより多くの歩き遍路さんに出会うのが第一の目的なので国道を歩かざるを得ない、そのことを考えるだけですこし暗くなります。


 向こうの橋を渡る、


 道しるべはいずれも相当古くなっています。へんろ地図が普及する以前のお遍路さんはこちらの道を歩いたのだろうかと思ったり、


 集落の中もそれなりの味わい、


 橋の向こうには神社、


 四国のみちは遍路道とは違うのだ、だから惑わされないように気をつけるように。そんなことも聞いたことがあるけれど、この四国のみちの道しるべはただただありがたい。


 川に沿って歩くもまた良し、


 まだ国道には合流しません、


 まだまだたっぷり歩けるみたいです、四国のみちに入ってここで28分。


 文字はほとんど読めなくなっても存在意義は十分、


 国道とは別世界、すぐそばを走っているけれど、


 ちょっと右へ、荷稲駅の近く


 ここまで歩いてきたところは全く記憶に残っていません、おそらく歩かなかったのかも、でもこの分岐から国道へ入っていったような記憶だけはぼんやり残ってはいます。いずれにせよ、ここから先は歩いていないことは確かです。


 久々に矢印、


 楽しみます、


 ここは左、


 道しるべもあります。


 高知の田植えは早い、


 この矢印も、


 ず~っとお遍路らしい道、埋もれた遍路道を復元整備するのもいいけれど、こういう歩きやすい道を全てのお遍路さんが歩くように地図の赤線を書き換える方が先決ではないかと、そんな気もします。


 ちょっと古いタイプの矢印、


 まだもう少し楽しめます、


 土佐くろしお鉄道、


 四国のみちに入ってちょうど1時間、10時38分、いつものペースとは全然違うけれど、今日は歩く距離がかなり短いのでまだまだ余裕はあります。例年だと中村まで行く日だけど、今回はその10km手前までだから、もっとゆったりしてもいいくらい。

  懐かしい。(トトロ)2017-07-05 19:57:22
   逆打ちで歩いた道です。荷稲駅 拳の里 カワウソがいたという川など懐かしい
   以前歩いているお遍路さんを見かけて居たので、探検好きな私は伊与喜あたりから
   その道に入りました。ぜぜぜ絶対お勧めですよね☝️️


 線路の下を抜ける、


 伊与喜川の蛇行に合わせて大きくうねっているところ、


 西尾自動車の休憩所を出て1時間45分、伊与喜駅までまだ少しありそうなので道ばたに腰をおろして休憩します。しばらくするとSさんが追いついてきて、ここからはいっしょに歩きます。


 矢印があったので橋を渡って国道に合流します、でも英語の地図の緑の線はこの先もう少し続いていて伊与喜駅の近くで合流することになっています、ただその部分はふくらんでいて目立って遠回りになるのであえてここに矢印ということなのでしょう。


 橋の上から合流ポイントを望む、


 国道に合流して9分で伊与喜駅に到着、


 熊井トンネルを抜けたところ、大好きな道ですが、焦って手ぶれ。


 11時53分、再び国道に合流、ローソンで二人並んで昼食です。
 2年前には出発時間も早かったのでここには10時半には着いていました。


 ローソンの軒にツバメの巣、
 ローソンではアイスと芋けんぴ、天気がよくなってくるとチョコも買いにくい、
 30分ほど休んで、12時15分に出発、ここからは先に行かせてもらいました。今日の終点、道の駅ビオスおおがたまで14kmほどなのでまだまだ余裕はありますが。
 4kmほど進んだ土佐白浜の少し手前で前を行く男性二人に追いつきました、一人は同宿だった青森のKさん、もう一人は初めて出会う人でした、挨拶だけして先に進みます。
 3kmほど先のトンネルの手前の休憩所で二人を待ち受けます。ここはローソンと道の駅のちょうど中間地点で初めから休む予定でした。
 10分ほど遅れて二人が到着、初めて会う人の金剛杖に2年前の日付があったので2巡目ですかと訊くと、3巡目だということでした、働いているのでずっと区切りでつないでいる、今回もゴールデンウィークの間だけで大洲あたりまで行ければということでした、それではと宿案内を取り出して渡そうとすると、同じのを持ってますよ、と取り出したのはずいぶん前のもの、それは何処でと訊くと、徳島のヘンロ小屋に置いてあったのをもらってお遍路の度に持って歩いているという、いつのことですかと訊くと、少し考えて、2010年、間違いないです、ぼくが小柿のヘンロ小屋に置いたのは確かに歩けなくなった2010年のこと、それから丸々7年もの間使い続けられるなんて、感動と言うほかありません。納札を頂くと大阪は熊取の方で現在は兵庫県上郡に単身赴任中だということでした。昔の宿案内は今となっては不備なところが多く、かなり駄目な宿もおすすめに入っていたりして、今日Mさんが泊まる宿がまさにその宿で申し訳ない思いでいっぱい、昔は評判のいい宿だったけれど代替わりして駄目になったと言い訳をさせてもらって覚悟してくださいとお願いもしました。Kさんの宿はその隣の宿でその宿は問題ありません。
 そういうことで話が弾んで45分も休んでしまいました、出発したのは14時10分、道の駅まで7kmほどなのでまだまだ余裕はありますが、岬巡りの緑の道は今回は諦めることにしました。時間が余ることは分かっていたのでトンネルを行かず岬をぐるりと歩く予定にしていましたが、ゆったりのんびりしたのでそこまでの余裕はなくなりました。


 入野の浜を撮影していたら、この少し前で追い越したSさんが追いついてきました。トンネルの手前で休んでいるときに先に追い越されていたのを再び追い越していたのでした、Sさんも今日の宿はユートピアなので道の駅までいっしょに歩きました。
 道の駅では香港の女性も同宿で3人まとめて迎えの車に乗り込みました。


 土佐ユートピアカントリークラブは初めての投宿、2食付き5400円、大浴場は温泉、というのがなんといっても大きな魅力です、連休前の金曜日でゴルフ客は結構うるさかったですが、部屋に入ればほとんど気になりません、洗濯も無料で、うたんぐら以来2回目の洗濯をしました。料理も十分すぎるくらいだし、龍馬パスポートでソフトドリンクのサービスもあります。この宿も絶対はずせなくなってしまいました。

  3枚目の写真(トトロ)2017-07-05 20:08:06
    軽トラ脇の壁面は薄っすらと一面の苔に外国人か?キッチリとデフォルメなしの
    英語が書いてあった。なんて書いてあったか思い出せない。


 ユートピアのロビーになつかしい南海ホークスのサインが飾ってありました。なつかしい名前がいっぱいあるはずですが全然読めないので、帰ってからウィキで調べました。
 79年の開幕オーダーは
   1番 藤原満  背番号 7
   2番 河埜敬幸 背番号 8
   3番 片平晋作 背番号25
   4番 メイ   背番号17
   5番 王天上  背番号42(フランク・オイテンジョー)
   6番 新井宏昌 背番号 6
   7番 高柳秀樹 背番号23
   8番 定岡智秋 背番号 3
   9番 黒田正宏 背番号39
   投手 藤田学  背番号26
   監督 広瀬叔功 背番号12
 野村監督が退いて2年目のシーズン。前年最下位、この年は5位、彼等の活躍はテレビよりも「あぶさん」で見ることが多かったかもしれません。