WALKER’S 

歩く男の日日

15日目 大岐の浜の女将に泣かされる

2017-04-30 | 17年四国の旅

 16時42分、民宿はやかわに到着しました。今日も思わぬハプニング、完全に自分のせいですが。少し迷惑をかけてしまうことになったのですが、結果的には良かった、なずなで同宿だったTさんと再会できたし、また別の人とも話すことができました。ただ困ったのは来年以降もこの宿に戻って来なくてはいけない。色んな女将に出会ってきたけど泣かされたのは初めてです。


14日目 続き

2017-04-30 | 17年四国の旅

 ユートピアで同宿だったSさんとは送ってもらった道の駅で別れてぼくが先に出ます。ネストウエストガーデンを過ぎたところで岩本寺で同宿だった青森市のKさんに追い付いてしばらくいっしょに歩きました1㎞ほど先のヘンロ小屋で熊取のMさんが休んでいたので合流、Sさんはすぐに出ていきましたがぼくはMさんとしばらく休憩、彼は同宿の人や香港の女性、高野山で尼さんをしていたことがある女性に宿情報を見せて写真を撮らせてあげたそうです、すごく喜んでくれたとか、女性は値段の安い素泊まり宿の方がありがたいと言っていたそうです。右側のリストもしっかり生きたわけです。その後四万十川の手前のコンビニまでMさんといっしょに歩いて色んな話しを聞かせてもらいました。
 コンビニではMさんと日ノ出で同宿だったフランス人男性と合流、ベンチに並んで座って軽食を摂りました。Mさんは先に出発、ぼくは残ってフランス人としばらく話しました。高野山への行き方をレクチャーしたりしました。
 伊豆田トンネルの手前1kmで峠越えのわき道に入ってしばらく行くと向こうからお遍路さんが、逆打ちかと思いきや、道が判らなくなって引き返してきた、それではいっしょに行きましょうと案内する形になりました。ぼくもこの道は初めてですが歩いている人は少なくないと承知しているので迷うことはないでしょう。初めてのお遍路だと言うので峠で一休みしたときに宿情報を渡します。彼は名古屋市から来たAさん、昨日はネストで今日は安宿に泊まるそうです、安宿といえばMさんと同宿です。峠を下って真念庵、納経所と案内したのですが生憎大塚さんは不在で納経はできませんでした。その1時間ほど後に来たSさんはちょうど帰ってきたところでして貰えたと言っていました。Sさんは今日はくももまで、フランス人と同宿です。Kさんはロッジカメリア、みなさんとはまた明日の道中で出会うことになりそうです。


14日目 二人で伊豆田越え

2017-04-29 | 17年四国の旅

 16時50分、民宿大岐の浜に到着しました。土佐ユートピアカントリークラブの朝食が7時からで送って貰うのが7時半ということではあったのですが、普通に一人で歩いていれば、楽々15時までに到着しているはずでした。今日もまた色んなことが起こる道中なのでした。予想したり期待したものは得てしてはずれたり裏切られたりするものですが、今日はほぼ期待通りで一瞬現実ではないような感じすらしました。これで今年のお遍路の何割かは成功してしまったような、これからは石鎚を目指してしっかり自分の歩きに専念することにしましょう。もちろん余裕さえ有れば出会いを大切にする歩きは心掛けたいとは思います。


13日目 続き

2017-04-29 | 17年四国の旅

 岩本寺の朝のお勤めには七子峠で出会った香港の女性も参加していました。七子では宿はまだ決めていないと言っていたから素泊まりしかなかったのかもしれません。宿坊は当日予約はできないのが原則です。
お勤めは6時から、朝食は6時半からです。コーヒーの用意もあったのでのんびり2杯いただきました。何しろ今日は32㎞、7時15分宿坊を出ると境内に雪蹊寺の門前で挨拶した外国人二人がお参りの最中でした。終わるのを待って訊いてみると、昨日は国民宿舎を出発して25㎞先の須崎から電車でここまで30㎞飛んで来た、今日も電車とバスで一気に足摺まで、宿は金剛福寺の宿坊です。
 いっしょに朝食を摂った3人はすでに出発ぼくがしんがり7時半の出発です。板橋の人には2㎞ほど先で追い付きます、さらに2㎞先で埼玉鴻巣のSさんに追い付きました。片坂下の休憩所で休んでいたらSさんが追い付いてきて少しお話し、いっしょに出てしばらく並んで歩き久々の四国のみちに入ります。いつもはこの区間は中村まで43㎞歩く日なので遠回りは出来なかった、前に一度歩いたときは通行止めがあって途中断念していました。それから10年くらい経っているので、歩いたはずの景色もほとんど記憶に残っていませんでした。唯一途中断念して国道に合流したあたりの感じは覚えていました。
 佐賀の手前のローソンでSさんと昼食、出てからは先に行かせてもらいました。ローソンから3㎞ほど先で二人の男性に追い付きます、一人は同宿だった青森市のKさん、もう一人は初めて会った人です。伊ノ岬の休憩所に先に着いて二人を待ち受けます。追い付いてきてザックをおろしたその人の金剛杖を見ると昨年の日付、2巡目ですかと訊くと、3巡目です、区切りばかりで今回も大洲辺りまでの予定です。ではと宿情報を手渡すと、同じようなものを持ってますよとかなり古いタイプのものを取り出しました。どこでそれをと訊くと、徳島のヘンロ小屋に置いてあった、2010年のこと、以来お遍路の度に持ち歩いて参考にしている、ぼくが四国を巡ることができなくなった時期でせめてこれを持って巡ってくれるお遍路さんが何人かいればというささやかな願いでした。それを7年も持ち続けているというのは冥利に尽きるというか本当に有り難いことです。その頃のものは不備な点もあって心苦しく申し訳ない思いもあるのですが、こうして最新のものを直接渡すことができたのは何よりです。大阪熊取の方で現在兵庫県上郡に単身赴任中だとか、本当にうれしい1日になりました。


13日目 片坂下から伊与喜までの四国のみち

2017-04-28 | 17年四国の旅

 15時26分、道の駅ビオスおおがたに到着しました。今日の宿はここから山の方へ3㎞ほど入ったところにある土佐ユートピアカントリークラブ、ゴルフはしなくてもお遍路さんを泊めてくれます。ビックアップの電話を入れて迎えをお願いします。頼まずに全部歩くことも考えていたのですが、昨日同宿で今日も同宿の埼玉のSさんと最後はいっしょに歩いていたので迷わす車を選択しました。
 今日もうれしい出会いがあったのですが、それはまた明朝。


12日目 続き

2017-04-28 | 17年四国の旅

 なずなは評判以上の良い宿でした。敢えて難点をつければ、トイレ洗面が階下にあること、洗濯が有料であること。そういうことはよくあることで難点とも言えないくらいで最上位に値することはまちがいありません。
 足首の痛みはさらに引いて意識しなくても前へ前へと自然に出ていく感じです。ベストタイまではいかないものの6、2㎞くらいは頑張らなくても出るようになりました。朝食が6時半からだったので、安和から電車に乗る予定でしたがひとつ手前の土佐新荘から乗りました。それでも40㎞ですから十分です。
道中で出会った歩きの人は、七子峠を国道で登ってきた香港の女性、七子峠からそえみみずに入っていった逆打ちの男性、窪川の郵便局の近くで見かけた男性、岩本寺の境内にいた女性、この人は近くの宿に泊まると言っていたからまた会えるかもしれません。
 同宿は団体16人、個人3人。何れもお遍路は初めてで、宿情報を渡すと、こんなのがもっと早く欲しかった、と言われました。みなさん連休の分の予約までは済ましています。一人の方は別格も回っていて20番や町石道のアドバイスもすると大変喜んでくれました。


12日目 3年ぶりの浦ノ内湾

2017-04-27 | 17年四国の旅

 15時41分、岩本寺に到着しました。今日は宿坊です。岩本寺にはいろんなタイプの部屋があって、ぼくの部屋は個室、床の間、押し入れ、テレビ付きの一番いいのが当たりました。部屋によって評価が別れるのも解ります。
 続きはまた明朝。


11日目 続き

2017-04-27 | 17年四国の旅

 雪蹊寺に着いたのは7時半、高知屋に泊まった人はすでに随分先に進んでいるはずですが、ちょうど二人の外国人男性が出てくるところでした。その時は挨拶しただけですが、4㎞ほど先で追い付きました。年配の方の人は日本語が大丈夫で、昨日は高知駅の近くのホテルに泊まって今朝バスで雪蹊寺まで来た、基本的に宿泊で今日は国民宿舎土佐まで。
 種間寺に到着したのは9時、雨具姿のご夫婦がお参りを終えたところ、かなりゆっくりで国民宿舎まで行けるのかと思っていたら、青龍寺で再会、その時は別人と思って声を掛けたら車に乗せて貰って飛んで来た、納得かつ安心したという次第です。
 土佐の街を抜けて田園の道に入ると打ち戻ってくる3人と出会います、何れも野宿の荷物、種間寺の通夜堂に泊まったのでしょう。その先の高速を抜けたところで二人に追い付きます、お寺に着いてから訊いたら高知屋には7人くらい泊まっていたそうです。もちろん今日は国民宿舎まで。清滝寺の山門には外国人男性と日本人女性のカップル、ザックを山門の軒下に残して上がっていきます。これで高知屋の6人を確認、もう一人は山門の少し手前ですれ違った人、この人は昨日禅師峰寺の登り口で会った人です。青龍寺の1㎞ほど手前で追い付いて訊いたらやはり国民宿舎、今日は国民宿舎に9人が泊まります。
 その手前、宇佐大橋の上ですれ違った人は今日の同宿で鮒の里でも同宿でした、もちろん橋の上では気づきませんでした。青龍寺の打ち戻りでは外国人男性とすれ違って、これで初めて会った歩きの人は12人ということになりました。なずなの同宿は3人、白石旅館から来た大阪の男性、高知のホテルに泊まってバスで雪蹊寺まで来た男性、この人は青龍寺は飛ばしてここまで、東京の人でお遍路は2回目、それと前述の鮒の里で同宿だった男性、ぼくとほぼ同じペースですが足が痛んでこの先心配だと言います。


11日目 3年連続雪蹊寺の雨

2017-04-26 | 17年四国の旅

 15時43分、民宿なずなに到着しました。1日中雨の中を40㎞歩きました。さぞかし辛く大変だったろうと思われるかもしれませんが、風がほとんどなくさほど強い降りもなく注意報の出ていた雷も全くありませんでした。さすがに靴の中は初めてずぶ濡れですが気温が低めで陽射しがある時より身体は動きやすかったかもしれません。足首の筋の痛みは一段と癒えて歩いている時には全く気にならないほどですが今日も押さえ目の歩きで通しました。7時少し前に出てこの時間に着くのだからいうことありません。
 続きはまた明朝。


10日目 続き

2017-04-26 | 17年四国の旅

 民宿喫茶きらくは聞いていた印象より良い宿でした。近くの遊庵と比べてさすがに食事は遊庵には及ばないもののそれ以外は全部こちらの方が良かった。各部屋にトイレ洗面完備、和室でスウェットトレーナーも用意されていて洗濯乾燥機も無料、冷蔵庫にはペットボトルの水とお茶が無料、せんべいキャンディも無料、朝食はパンを選択、十分すぎる内容でした。同宿は居ませんでした。今年に入ってから3室が満室になったのは4回くらい、前日予約でもほぼ大丈夫です。文句なくベストテンに入る遍路宿です。
 国分寺でぼくの少し後に入ってきた男性は途中で会わなかったからてっきり逆打ちかと思ったら順打ち、野宿のような荷物だったから道沿いではないところにいたようです。善楽寺でぼくが出ようとした時に入ってきた男性はさすがに逆打ちかと思われます。竹林寺で本堂のお参りを終えた時に入ってきた外国人女性もやはり野宿の装備、ぼくがお接待所で昼食をとっている間に先に出ていきました。おそらく雪けい寺の通夜堂に泊まるのでしょう、知っていればの話しですが。
竹林寺を下り終えた頃雨が降ってきました。橋を渡り終えた高速道の下で彼女が雨具を取り出そうとしているところで追い抜いていきました。降りは強めだったのですが長くは続きませんでした。禅師峰寺の登りでは傘をたたみました。
 お参りを終えて山を下ったところで今日4人目の歩きの人に出会います、この時間でここまでというのは今日が区切りの初日でしょう。高知市は交通の便が良いから30番31番で区切る人がかなり多い。今日出会った歩きの人は以上の4人でした。話しかけることもほとんどなく静かな1日でした。まさごもぼく一人でした。オフシーズンに入ってきたという印象ですが、まもなく大型連休ですからまたにぎやかになります。
 今日は1日雨の予報ですが高知県中部はぽっかり雨の切れ目、出だしのしばらくは降られないかもしれません。


10日目 ゆるりと4ヶ寺おとなしい1日

2017-04-25 | 17年四国の旅

 14時52分、民宿まさごに到着しました。意識して早くしようとした訳ではありません。むしろ逆で今日はスピードをセーブしてタイムは気にしないようにしました。時速は5、9㎞前後というところでした。右の足首に近いところの筋がちょっと痛んできて、そこは前に何回かか痛んで深刻にはならないのですが、あえて無理をすることはない。
 続きはまた明朝です。


9日目 続き

2017-04-25 | 17年四国の旅

 昨日夕食に間に合わなかった人は結局キャンセルでした。朝から山に登るのはぼくとぼくの隣に座った人の二人、ぼくより20分ほど早くザックをおいて出ていきました。山登りに入ると明らかに野宿だと判る二人が続いて下りてきました。おそらく上の通夜堂に泊まったのでしょう。地道の山道に入ると男性に追い付きました。安芸の宿に泊まって登り口までバスで引き返してきた。下ってからもバスを利用して今日は30番まで行ってしまう。そのすぐ後で同宿の人に追い付き、一旦舗装道に出るところで下ってきた人に出会います。声をかけなかったのでどこから来てどこまで行くか判らなかったのですが、その後会わなかったから電車に乗ったのかもしれません。そのあとはお寺まで出会いはなく、下り始めの山門のところで上がって来たのは台湾の男性、いっしょに下ろうとしたバス利用の男性が教えてくれました、ここまで何度か出会っている。少し下ったところで会ったご夫婦は奈半利から、下ったあとはやはり電車で野市まで飛んで今回は大日寺で区切るそうです。この下から大日寺の手前まで32㎞電車で行けてしまうから利用する人は少なくない。
 そして道の駅まで来ると同宿だった吹田さん(名前を聞かなかったので仮称、吹田市在住であることは聞いた)と外国人カップルが歓談中、昨日出会って唐浜のビーチで野宿したことは承知していたそうです。暫くしていっしょに歩き始めたのですが、今日の野宿ポイントが気になって尋ねると何もあてはないというので、萩森を教えます。地図を出させてここから13㎞だというと、十分だと納得、その後も通夜堂や善根宿の場所を教えましょうかというと、ぜひにということで、頁をめくりながらペンでチェックを入れていきます。入れるのはカナダの女の子、めちゃめちゃ可愛い。男性はオランダ人でちょっとアラビア系の感じもしました。二人は四国に入る前に熊野古道も歩いて来たという。さらに20㎏はあろうかという男性のザックにはアジア10ヶ国以上のワッペンが貼り付けてあります。彼は刺青彫り師をしています。道後温泉のことを教えた時にタトゥーでも入れるかと気にしていましたが日本人二人して大丈夫ですと言う。外国人のそれはファッションとして多くの人が認知するところでしょう。そうして25分ほどかけてぼくの知るところをチェックし終えました。そして二人から納札をいただきぼくも名刺を渡しました。英語の宿情報は初日の2枚ではけてしまっていたのでこういうことになったのですが、これはこれで良かった、得難い経験だったと思います。その後は8人の歩きの人と出会って合計は17人、同宿は居ませんでした。


9日目 道の駅大山で

2017-04-24 | 17年四国の旅

 16時28分、民宿喫茶きらくに到着しました。とうの浜の朝食が6時半からで出発したのが7時23分になってしまったのでこの時間になってしまいました。予定ではもちろん16時前。
 とうの浜はおもしろい宿でした。何しろ女将がカンボジアの人、といってもカンボジア国籍ではなく住所がカンボジア。青年海外協力隊でカンボジアで活動、そのまま居着いてしまった。それがどうして四国で民宿の女将?来年にはカンボジアを引き払って四国に居着いているかも、とこれは本人の談、元々は神奈川の人です。宿を出る時に握手しましょうと言われ、がっちり両手でして来年も来ますと宣言してしまいました。だって本当にカンボジアを引き払ったか確かめたい。料理はそんなに豪華ではなかったけれどごはんをしっかりたっぶり味わえてそれはそれで満足でした。トイレが女性にとっては少し残念なタイプなのでおおっぴらにオススメすることはできませんが、近くのふたつの宿に比べればすごくいいことは間違いないのでどんどん繁盛していくのは疑う余地がありません。
大山で素敵な出会いがあったのですがそれは明朝、


8日目 続き

2017-04-24 | 17年四国の旅

 足の筋肉の状態が過去3回に比べてよいのにははっきりした理由があります。年初辺りから食事を意識して改めました。それまで公的機関が推奨する蛋白質の1日の摂取量50gを守ってきたのですが、それでは何かしら不十分な感じがして70gに引き上げました。効果はてきめんで、なかなか取れなかった筋肉痛がすぐ癒えたり何週間治らなかった口内炎がすぐ消えたりしました。だから焼山寺の翌日それまでのように痛みが出なかったのも当然のこととして受け止められました。
 四十寺で大分遠回りしたので金剛頂寺の5㎞先までは全く歩いている人に出会いませんでした。岬の近くの宿に泊まった人でもぼくが頂寺を出た11時には3㎞は前を進んでいるのは明らかです。前を行く人が見えたのは羽根橋の手前でした。男性の二人連れ、追い抜く時に訊いたら奈半利までとのことでした。その後奈半利の3㎞ほど手前のバス停で休んでいる外国人男性と挨拶をして、それが道中で会ったすべて、25番で会った香港の男性は昨日24番で会っていたのでカウントに入れません。
 同宿は6組7人、車逆打ちのご夫婦以外は歩きの男性で初めての人が3人、4回目の人が1人、もう一人は遅れて到着してぼくが食堂退出した時まで来なかったので男性か女性かも分かりませんでした。
 ぼくの隣の人は宿の人がぼくの名前を呼ぶと、今日出会った自転車で日本一周している人からぼくのことを聞いたという。彼はその人とぼくが知り合いだと思ったようですが、よく聞くとそうではなくぼくのブログの読者でした。お遍路に詳しい人が同じ宿に泊まるからなんでも相談したらいいと言ってくれたそうです。ブログの読者との間接的な出会いといえるでしょうか、ちょっとうれしい。


8日目 すごい !! 四十寺山からの眺望

2017-04-23 | 17年四国の旅

 15時41分、民宿とうの浜に到着しました。
 番外四十寺は予想を遥かに超えた感動でした。大体山に登るつもりすらなかったのに延々と登るはめに、標高はかなり(地図がないのではっきりしない)のものですが距離もあるので2日前の泰仙寺よりは少し楽、平坦なところ勾配の緩いところも時々現れて息を抜けます。道も泰仙寺のように荒れたところは少なくよく整備されています。山頂展望台からの眺めはまさに絶景というにふさわしい。何しろ室戸岬の東側の海と西側の海が一度に望むことができる。空と海と岬の山、ここに奥の院が設けられたのは当然だと納得できるのです。
 続きは朝食の前に書きます。