WALKER’S 

歩く男の日日

ぼくたちの mis-take

2013-06-22 | 13年四国の旅


 上の左が今年四国で使ったミズノフリーウォークOD400GTX、
 上の右は09年の通し打ちで使った(08年、07年も同じタイプを使用)ミズノフリーウォークOD100GTXです。
 下の左は昨年別格区切り打ちで使ったミズノトラッドロード(ランニングシューズ)と同じタイプ、右は現在練習用に使っているミズノマキシマイザー(ランニングシューズ)です。
 ともに同じ色、同じメーカーなのであまり変わらないように見えますが大きな違いがあります。その違いに気づかなかったことが、今回の失敗の第一の要因ではなかったかと考えています。

 06年(4巡目)まではトラッドロードと同じようなランニングシューズで歩きました。3巡目の時はミズノと違うメーカーだったのでちょっとしたトラブルはあったのですが、それ以外は大したトラブルもなく順調に歩き通すことができました。イオンで3980円のバーゲン品でそれだけ歩ければいうことはないのですが、4巡目の時に異常に雨が多くて、考えが変わるきっかけになりました。
 04年は33日の内、雨が降った(一時雨も含む)日は9日、05年は31日の内、5日だったのに対し、06年は31日の内16日も降られてしまったのです。その中には窪川から足摺を経て宿毛までの5日連続と、松山から観音寺までの5日連続が含まれます。さすがに毎日のように宿に着くたびに靴に新聞紙を詰めるのにはまいりました。ゴアテックス素材の本格的なウォーキングシューズを求めるのはごく自然な流れでした。

 ミズノのウォーキングシューズでゴアテックスで一番安価なものがフリーウォークOD100GTXでした。安価といってもイオンの隣のスポーツショップで11219円、それまで使っていたシューズの3倍近くするのですが、ほとんど躊躇なくレジに持っていったのは、前年の雨が余程応えていたのでしょう。
 最初このシューズを履いたときは少し堅さと重さを感じました。でも1週間くらい慣らすと、ほとんど気にならなくなりました。むしろ土踏まずのふくらみが心地よくて自然に踏ん張りがきいて、スピードも出しやすい感じがしました。ただ、毎日40km近くの距離を1ヶ月も歩き続けるとどうなるかは全く予想がつきませんでした。その頃練習で歩いていたのは10kmまでだったので、この微妙な重さが距離が長くなると大きな負担にならないとも限らない。それまでも、10kmでは問題なくて30kmで靴擦れになるということも経験していたので、四国で歩くまではひやひやものでした。

 そうして迎えた07年の通し打ちは、思いの外順調に進みました。時折マメができたりすることもあったけれど歩きには全く影響が出ない程度のものでした。関節や筋肉が痛んだことも今からすればほとんど記憶にありません。過去4年のベストタイムと比較しても、早かった区間が96,同じだった区間が30,遅かった区間が19で、今でもこのときのタイムがほとんどの区間でスタンダードになっているくらいです。
 一つだけ気になったことといえば、当時のOD100のアウトソールの素材はマイナーチェンジした現在のものと違って丈夫ではなくて、四国を一周するとかなり磨り減ってしまう。ただ磨り減るのではなくて、ぼくの場合かかとの外側ばかりが磨り減って、内と外の差が2cm以上になってひどい傾きになってしまう。それで、特に歩きにくいとかスピードが落ちるということはなくて、讃岐の国に入ってもほとんどの区間でベストを上回ったので、大した問題ではないともいえるのですが、少し首を傾げながら四国を後にすることになりました。

 かかとの傾きがあまりにひどいので、次の年もOD100でいいのかと迷いました。迷ったあげくOD400に手が伸びてしまいました。OD400は100の一つ上のモデルでアウトソールの素材がX10というハードな素材で一周しても傾きが半分くらいに押さえられるのではないかという期待がありました。
 その年の11月、高野山に行った帰り、淀屋橋のミズノ本店で購入、本店は定価販売なので13650円でした。ところが帰って試してみると100とは全然違って何度歩いてもしっくりしませんでした。フィット感がなく身体の一部にはならず別の重りをつけて歩いているような感じです。10日ほど歩いて早々に四国で使うことは諦めました。改めてOD100を購入したのは、2月20日だったから2ヶ月以上は迷っていたのかもしれません。

 ということで08年の108ヶ所通し打ち、09年の88ヶ所通し打ちはOD100でつつがなく済ませることができました。相変わらず終盤になるとかかとの傾きはひどいことになるのですが、歩きそのものに影響が出ることはありませんでした。
 10年から12年は通しで歩くことができなくなって、日帰りで歩いたり、1泊で歩いたり、別格だけを区切りで交通機関を利用しながら歩いたりしたのですが、最長でも5泊6日だったので、シューズにまで気を使うほどのものではないと、改めてウォーキングシューズを買うこともなく、普段使っているランニングシューズ(トラッドロード)で出かけたのでした。

 4年ぶりになった今回の通し打ちでは計画を立て始めた当初からOD100を使うつもりはありませんでした。今回は初めて泊まる宿が13軒で、せっかく初めて泊まるのだから食事付きで泊まりたい、食事付きで泊まる宿の合計は15軒にもなって今までで最高、当然費用もかなり高めになってしまうので、1万円以上のシューズを買うわけにはいかなくなった、というのが理由です。今まで食事付きで泊まった宿が一番多かったのは08年の12軒ですから、今回はかなりの贅沢遍路になります。それで、シューズくらいはバーゲン品で済まそうというけちな考えです。
 別格を歩いたトラッドロードで行くことは決めていたところ、8月になって突如現れたのがマキシマイザーでした。

 イオンのシューズショップでマキシマイザーがバーゲンのバーゲンになっていました。2786円というのはトラッドロードの3割引の値段です。マキシマイザーはオール革張りなので布張りのトラッドロードよりは雨に強いはずだということもあり、すぐに購入してしまいました。ランニングシューズとはいえオール革張りで長距離を歩くのは無理があるかもしれないとは思ったけれど、だめな場合は普段履きにすればよいという軽い気持ちもありました。最初試したときは靴紐の結び方がうまくいかずすぐに靴擦れになってしまい、これはだめだと一旦は諦めたのですが、痛みが引くのをみはらかって、何回か靴紐の結び方を変えたところちょうどいい具合のところを見つけることができました。10km歩いても全く擦れ感がなく快適に歩けるようになりました。その時点ではどちらにするか決めかねていました。

 記憶とは曖昧なもので、昨年のブログを読み返してみると、マキシマイザーを再び試してみることになったのは最初諦めてから4ヶ月も経った12月20日のことでした。それまでは、ずっとトラッドロードで行くつもりだったということになります。なぜ再び試そうという気になったかはよく覚えていません。でも、ミズノの靴だから靴紐の締め方を変えれば普通に使うことはできるだろうと何となく思っていました。その思いが通じて4ヶ月ぶりに日の目を見て四国で使う可能性も一気に浮上してきたのでした。その時点ではどちらを使うかはまだ決めかねていたはずです。そして、2週間ほど経った1月7日、これまたどういう訳かピカッとひらめいたのが、4年以上ほったらかしにしていたOD400の復活です。これが今回のミステイクの入り口だったことに、そのときはもちろん気がついてはいませんでした。

 なぜ4年以上も放って置いたOD400が浮上したのか。
 マキシマイザーとトラッドロード、雨に強い靴か歩きやすい柔らかい靴か、その選択で迷っていたところに魔がさしたということなのかもしれません。
 二つのシューズに比べて雨に強いことは確かだし、なにより13500円も支払った物をそのままにしておくことはいかにも「MOTTAINAI」。そしてそのことが正義だという気持ちになっていったのかもしれません。
 もちろん5年前に試したときのように、履き心地が悪ければ直ちに諦めるつもりでいたし、さほど期待もしていなかった、うまくいけばもうけ物というほどの軽い気持ちだったかもしれません。ところが、幸か不幸か、靴紐をしっかり締め直すと履き心地は悪くはない。トラッドロードのような分厚い靴下のような身体との一体感や軽さはあまり感じられないものの、擦れ感はなくて、10km歩いても靴擦れは全くなくて疲労も残らなかったのです。練習を重ねるとさらに履き心地は良くなって重さもあまり気にならなくなっていきました。

 2月に入ってから、本格的な慣らし履きを続けると、もうこの靴以外のものは使わないと決め込んでいたように思います。神戸の山登りでひどい筋肉痛になっても、書写山の帰り思うように足が動かなくなっても、適当な言い訳を考えて、無意識のうちにマイナス要因を排除するようになっていました。はじめてOD100を使ったときのような慎重さはなくて、正義を行使するためにあらゆることを楽観的にとらえるようになっていたかもしれません。

四国に発つ2週間くらい前になると途中で足を痛めて挫折してしまう心配もしていたけれど、それは今回のような形ではなくて、捻挫や骨折、交通事故などしか考えられなかった。だから、確率はかなり少ないと思っていたし、山道の下りは捻挫しないように細心の注意も払うつもりだったから、本音の部分では安心や油断があったのかもしれません。7回巡って、挫折したこともないし、こういう痛め方で歩けなくなったこともないので、それは当然のこととも言えるでしょう。

 今回歩けなくなってしまうほどに痛めたのは、右の前頸骨筋、弁慶の泣きどころのすぐ外側にある筋肉です。患部は膝と足首の中央より5cmくらい下の部分、円錐の筋肉が急に細く狭まってくる部分です。日頃の練習でこの筋肉はよく発達していて、40km歩いても痛めたことはないし張りが出たという記憶もほとんどありません。足首に近いところがピクピクしてかなりの疲労を実感したことがあるくらいです。
 四国に入って初日の歩きは、高速バス停鳴門西から11番札所藤井寺の3km手前、鴨島駅前にあるさくら旅館までの34.2kmでした。距離はパソコンマップで正確に測定したものですが、山門から山門までの距離なので境内で動いた距離は含みません。熊谷寺や切幡寺は山門から本堂まで相当距離があるので。実際に歩いた距離は37km以上かもしれません。歩数計は自宅から飾磨駅までと舞子公園駅から高速舞子バス停までの距離が含まれているので、40.48kmになっていました。
 今までは初日はゆっくりの出発で、徳島駅近くの旅館に泊まったことが3回、1番霊山寺の門前の民宿に泊まったことが1回、3番金泉寺の近くの宿に泊まったことが2回。一番歩いたときでも7番十楽寺の2km先の宿までで。初日に始発のバスに乗ってこれだけの距離を歩くことはなかったのですが、それでも2日目には、今回とほとんど同じ道のり、同じくらいの距離を歩いていました。

 初日、さくら旅館に到着した後のブログを確認すると、すねの筋肉が痛んでいると書いている。今までこの区間、この距離を歩いて足を痛めたことは一度もありません。マメができそうになって焦ったことはあるのですが、足の筋肉が痛くなったことはない。もうこの時点で今回の結果は見えていたようなものです。でもそのときは全く深刻には受け止めなかった。少し痛んではいたけれど普通以上に歩けていたからです。初日のタイムはこれまでのベストと比較して早かった区間が6つ,同じだった区間が3つで最高といってもいいくらいの歩きができていたのです。後半もそんなに重い感じもしませんでした。
 それに、次の日の行程が最高に大変だったので、そんなことを考える余裕もありません。ここまで来ると前を向いて進むしかないから後ろ向きのことは考えても仕方ない。次の日は焼山寺までは全く問題なく最高に近い歩きができたものの、やはり宿に着いてみると前日以上の筋肉痛が足全体に広がっていました。このときは大腿部や臀部にも痛みがあったけれど、それはしばらくして消えて、残ったのはやはりすねの痛みだけでした。この部分の痛みは結局最後まで消えることはなく11日目で爆発したのでした。

 黒潮町で歩けなくなったときに最初に考えたのは、やはりスケジュールがハードすぎたのか、ということでした。確かに今回の旅の前半は今までで一番きつかったかもしれません。2日目の焼山寺越えで観音寺まで行くのは初めてだったし、須崎から黒潮町までの50kmも初めて。でも、それ以外の日の行程は全て経験している距離だし、焼山寺越えも5年前別格2番童学寺にお参りして7km余分に歩いて大日寺の門前で泊まったときと距離はあまり変わらない。そのときは旅館吉野に泊まったのでさくら旅館から吉野までの2kmと徳島駅から大鶴旅館までの1kmの合計3kmは長かったですが。とはいえ、11日の内40km超えは9日、4年前は最初の11日で40kmを超えたのは3日間だけでした。同じ28泊でも、今回は足摺の打戻りを月山神社経由にしたり、久万高原も農祖峠を越える道を行く予定だったし、浦戸大橋も渡ったし、ふれあいの里さかもとまでも歩いたりして、4年前より32kmほど余分に歩くことにしていました。本来ならもう1泊してもいいところをぎゅっと詰めてしまった、しかも前半にきつい行程を詰めてしまった。
 歩くのを断念した黒潮町上川口のバス停ではそんなことばかり考えていました。その時点では靴が悪かったなどとは全く考えませんでした。

バスで移動した12日目から14日目は何を考えていたかよく覚えてはいないのですが、まだ靴のことを考えるまでの冷静さはなかったような気がします。
 靴に第一の原因があったと思うようになったのは帰宅してずいぶん経ってからだと思いますし、その証拠を示すために靴の重さを量ったのは10日以上経ってからでした。

 OD400GTX  = 440g
 OD100GTX  = 320g
 マキシマイザーSL = 310g
 トラッドロード4  = 260g    いずれも片足、サイズ25.5cm

 この重さを見ると、下の3つの靴と上の靴は明らかに別物だということが分かります。400と100の間に点線が見える。最初OD400を履いた5年前の感覚が全く正しかったと言うしかありません。10kmで問題なくても30km歩き続けると深刻な問題が生じるという典型的な靴であったというしかありません。
 ずいぶん前のことですが、埼玉のシューズメーカーの社長さんが四国を通しで歩いて、「遍路道は95%以上が平坦な舗装道だから、登山靴やトレッキングシューズで歩くのは間違っている」と言って、独自に遍路シューズを開発された、という話を聞きました。トレッキングシューズといってもメーカーによって考え方は様々で、同じメーカーでもウォーキングシューズより軽いものもあれば登山靴に近いガッチリ重いものもある。OD400はウォーキングシューズのカテゴリーにありハイカットでもないけれど、その重さや形状を見ればトレッキングシューズに近いとも見ることができます。少なくともぼくのように歩幅95cmで時速6.5kmでスタスタ1日に40km以上歩くのには、絶対向いていない、というよりこの靴でそういう歩き方をするのは間違っている。間違っていたから筋肉を痛めて歩けなくなってしまった。


遍路ころがし

2013-06-13 | 13年四国の旅

 今回の旅は足摺の60km手前で不本意ながら挫折してしてしまいました。今まで7回も巡って一度もそういうことはなかっただけに本人も大いに当惑している(今なお)のですが、帰って2ヶ月にもなるので冷静に客観的にその要因を見つめることができつつあります。
 確かに、今回の旅は4年前までのものと何から何まで違っているような感じがしていました。11日間で470kmほど歩いたのですが、そんなに歩いたという感覚が先ずありません。札所でのお参りがほとんど流れ作業のようになりがちなように、札所間の歩きも流してしまっていたのではないか、そんなことも考えたりします。流せるほど無理なく楽に歩けたというのではなく、むしろ逆だったと思います。ほとんど常に膝から下の筋肉痛があって、午後からは思うように足が前に出なかったことに焦りやいらだちがあって、周りの景色を楽しんだり過去の歩きを思い出したりすることがほとんどなかった。そのことが、流してしまった、あまり歩いた実感が残っていないということに繋がっているのかもしれません。

 とはいっても、全ての道が味わえなかった、楽しめなかったということではありません。ありがたいことに、四国には流そうとしても絶対流すことのできない過酷な道が厳然と存在します。その代表が焼山寺への道です。もうずいぶん前のことですが、同宿のお遍路さんが「ぼくは焼山寺はそんなに辛くなかったなあ、下りの部分もだいぶあるし、平坦に近いところもあるから、きついばかりではない。それに比べると鶴林寺の方がきつい登りのいってんばりでよっぽど辛かったよ」と言われました。そのときはぼくも同じような感想を持っていたので、大きくうなずいて同意したものです。まだ3回くらいしか焼山寺に登っていない頃でした。その後、焼山寺に登るたびにその考えが間違っていることに気づき始めました。昨年まで9回焼山寺に登ったのですが、自分の思い通り快調に登ることができたのは1回だけです。その1回は、たぶん、3回目か4回目の時だと思うのですが、それとて本当に13kmの行程全てが快調だったかどうか疑わしいものです。タイム的には5年前6巡目(108ヶ所通し打ち)の時が一番良かったのですが、思い通り登れたという感じはありませんでした。その頃から『何度登っても焼山寺は慣れない』という思いが強くなりました。その証拠に、翌年は雨が降っていたとはいえ、柳水庵までは10分遅れ、柳水庵から焼山寺までは12分も遅れてしまったのでした。

 その翌年、10年は時間が取れなくて日帰りで登りました。日帰りするだけの時間でも取れたことが今からすれば不思議な感じがするし、遙かな昔のような感じもするし、そうまでしても四国に来なければならなかった理由はもう霞の中にあるような気がしています。
 そのときは、足首にひどい怪我をしてから半年くらいは経っていたけれど、長い距離を歩く練習はできないままの状態、山登りでも1日くらいなら何とかなると勇んで出かけたものの、気持ちが空回りして、柳水庵での休憩の仕方を誤って、後半はひどいことになってしまいました。駐車場からの参道に合流する前の広い林道に上がってきたときにはほとんど足が前に出ない、調子がよいときの半分のスピードしか出ず、倒れ込むように山門にたどり着いたのでした。神山町役場の近くのバス停まで下っていく道もただただ苦しくて全然楽しめませんでした。
 それから2年、昨年の区切り打ちでは1泊2日で登りました。スマートホンを持っていてGPSログを使いながら登ったのでこれは別物になってしまいました。登る調子は悪くなくてタイムはベストタイだったけれど、しっかり遍路道を味わえたか楽しめたかというと、疑問の残るところです。しかも、下りは完全にスタミナが切れて別格2番童学寺まで9分も遅れてしまいました。

 雲辺寺でも08年、09年、12年と3回続けてまともに登れていないので、今回の山登りはいつにもまして慎重に謙虚に臨みました。
 スマートホンは3Gが全然繋がらなくて(電車の中ではほとんどメール送信すらできない)パケット代も高いので半年で解約、今はパカパカ(ガラパゴス)を使っているのでGPSログは使えないし、写真も3年前にずいぶん撮ったので、今回は休憩ポイントだけにして歩きに集中します。
 急な坂はしっかり焦らず、平坦なところは息を整えつつスピードを上げる、下りは着地ポイントに細心の注意を払う。払いつつも安定したところでは積極的に歩を速める。そして今回は道がよく読めていました。これだけ回数を重ねると、次にどんな道が現れるかは判っていて当たり前のように思われるでしょうが、山道は余り変化がないので1年経ってしまうとほとんど記憶に残っていないということが多い、時折見覚えのある道が出てくるという程度ですが、今回は不思議なくらい次に出てくる道が読めていました、読めているから焦らず着実に登ることもできる。休憩ポイントまでまだかまだかと急く気持ちも全くなく、後これくらい登れば到着すると判っていました。淨蓮庵の手前の石段の門柱もずいぶん前のところから確認できていました。こんな下から門柱を見上げたのは初めてのことでした。
 休憩の仕方も計画通りうまくいきました。長戸庵でもしっかり食塩と水、そしてさくら旅館のお接待で頂いたおにぎりを1個だけ時間をかけて食べました。山登りの食事では何回か失敗しているので量は最小限にとどめるのがポイントです。長戸庵では休まないことが多かったけれど前回休んでうまくいったので先々のことを考えてきっちり休みました。その効果がうまく出たようで、柳水庵の手前の足場の悪い急な下りもしっかりとらえることができて、最近にない安定した歩きでした。柳水庵までは昨年と同じでベストタイでした。タイムは同じでも昨年よりもしっかり味わいながら登れたので満足感は比較になりません。柳水庵でもしっかり塩分を忘れず水は少な目で過去の教訓を生かしながら休みました。
 柳水庵から淨蓮庵まではベストタイ、石段の手前の急坂でも立ち止まって息を整えることはなくしっかり登り続けることができました。過去には腰を下ろしてしまったこともあったし、何度も立ち止まったこともありました。お大師さんの横で少しだけ水と食塩をとって短い休みで下り始めました。スピードの出る下りだけれど出し過ぎて足を痛めないよう注意を払いながら、それでも駆け足になっていきます。左右内谷まで下って最後の登りに入っても焦りはほとんどありません。足取りはしっかりしていたし疲労もさほどではありません。最後の林道に上がってきたときも余力は充分でした。3年前とは雲泥の差です。参道に上がってくると玉砂利が深くて思ったように力が出せないのがもどかしいくらいでした。ベストタイムより1分早く山門に到着したのですが玉砂利がなければもう1分早く着けていたと思うくらい力は残っていました。

 焼山寺では、お参り、休憩、食事に35分、電車の時間があるのでこれがぎりぎりです。焼山寺からの下りもまだ調子は落ちていない。昨年よりも明らかに足が前に出ていたけれど、それもバスターミナルまででした。玉ヶ峠へ向かう山道に入ると疲労が目立つようになりました。登り口でいくらか休めばよかったけど、やはり電車が気になってそのまま険しい山道に入っていくしかありません。それでも、登り初めは冷静で落ち着いてはいたのですが、後半は足が伸びず例年のように疲れ切ってはい上がるように自動車道に出てきました。焼山寺から玉ヶ峠まで昨年より2分早かったのですが、ベスト(07年、08年)よりは2分遅れでした。
 玉ヶ峠からの下りは最初の急な勾配1kmは膝の周りの筋肉が痛くて積極的な歩きができませんでした。これも昨年と同じ、やはり玉ヶ峠は焼山寺以上の鬼門だと改めて身にしみる思いです。玉ヶ峠から県道20号の合流ポイントまで昨年と同タイム、ベストより2分遅れでした。このあたりに来るともうほとんど歩きを楽しむような状態ではなかったと思います。眺望は最高の道なのにほとんど味わえていなかった。

 焼山寺に登った2日後、もう一つの難所、鶴林寺、太龍寺も今までになくしっかり味わいながら登ることができました。前日の午後、立江寺から「ふれあいの里さかもと」までは思ったように歩くことができず、山登りがちゃんとできるか心配だったのですが、さかもとの大浴場で筋肉痛がかなり癒されたようで、冷静に落ち着いてお山に向かうことができました。

 鶴林寺は昨年まで8回登りました。俳句掲示板から水呑大師までの急坂で毎回出鼻をくじかれてしまいます。午後から歩いたときなどは掲示板の前でへたりこんでしまったこともあるくらいです。慈眼寺にお参りしたあと西側の登山道を歩いたときはさらにきつい思いをしました。10歩登って立ち止まり息を整える、ということを何回も繰り返さないと登れない区間があったくらいです。
 昨年の区切り打ちでは、慈眼寺に登った後ではあったけれど、過去の経験を充分生かすことができ、落ち着いて登ることができました。ベストタイムを2分更新して、もうこれ以上の歩きをすることはないだろうと思っていました。

 朝一番で鶴林寺に登るのは7年ぶりになります。さすがにそのときの状態は全く記憶に残っていません。でもおそらく先はほとんど読めなくて、ただがむしゃらに上を目指して思うように足が出なくて焦ることが多かったような気がします。3回4回登ったくらいでは山道の記憶はほとんど残っていないのでなかなか1年前、2年前の経験が生かせません。
 それが9回目ともなると、焼山寺と同様、先がある程度判っているので焦ることなく落ち着いて着実に登ることはできます。昨年もうまくいったしそのときに写真もずいぶん撮ったから、しっかり思い出しながら登ることができました。もちろんタイムも全く気になりません。山登りもすごく速いですねと言われることがあるのですが、自分では全くそんなことはないと思っています。六甲全山縦走の練習をしている人たちのような歩き方はとてもできない。彼等は平地や下りではほとんど駆け足、登りでも勾配の緩いところでは駆け登っていく。そういうことは絶対できないし、やろうとも思わない。もう20年近く前、ウォーキングも山登りも全然やっていない頃、貴船口から鞍馬山に登ったときに料金所からいきなり20mくらい一気に登ると、動悸が激しくなって息がほとんどつけなくなって倒れ込みました。登り方を誤るとこういうことになるんだと思い知らされたことがあって、以来登りでは頑張らないと決めました。頑張ろうとて頑張れないことが多いのですが、そうであっても焦らないことが大切だと、タイムなど気にすることは全く意味がないと、これも回数をこなして身につけた知恵です。息をつくために立ち止まる必要がないくらいのペースを維持することが一番だと思って足を運びます。だから、全然速くはありません、ただ止まらないだけのことです。

 じっくり味わいながら鶴林寺の山門の前に到着したのは金子やの前から47分後のことでした。正確にいうと46分42秒、昨年より11秒早いベストタイムでした。
 山門をくぐって先ずはブログに投稿、オンタイムなのでお参りの前に到着したことを報告します。本堂でのお参りを終え、大師堂の前に来た頃に、西側の登山道を歩いた同宿の先頭の人がやってきた。一番ゆっくりな人でもぼくの15分遅れくらいでした。

 鶴林寺からの下りも引き続き快調でした。膝に負担のかかる急坂が続くのですが痛みは少なくて例年になく思い切って下れました。県道283号を横断した後にある階段も軽快でした。ここは、痛みに耐えながらおそるおそる下りることが多かったはずです。水井橋の手前にある遍路小屋までは(昨年より1分17秒早い)ベストタイのタイムでした。快調だったので休憩なしに那賀川を渡ります。その後の沢沿いの緩やかな登りに入っても疲れはありません。太龍寺への登り口に来たときも不思議と恐れや気負いはなく普通に立ち向かうことができました。もちろん楽ではないのですが、落ち着いて着実に登り、先を読みながら焦らず進むことができました。まだ10時前で体力的にも余裕があったのかもしれません。山門の手前の急な舗装道に上がってきても例年のようなヘトヘト感はあまりなく、山門までしっかり登り、その横で掃除をしていた若いお坊さんにも元気よく挨拶できました。昨年ベストタイムを3分更新したのですが(鶴林寺から)、その記録をさらに2分更新していました。全く信じられず狐につままれたような感じでした。

 昨年は太龍寺からの下りが異常に調子が良くて、ものすごい記録を作ってしまったのですが、それは調子に乗りすぎた上での結果なのでベストタイムにはしていません。そんなのを基準にするとどんな歩きをしても及ばなくてがっかりしてしまう。
 今回は、もちろん昨年のような快調さではなかったけれど、それ以前のベストと同じタイムでまあ良い方の歩きができました。でもそれは下りが終わる民宿坂口屋までのことで、坂口屋を過ぎると急に不調の波が押し寄せました。緩い登り坂があること以上に思うように足が出なくなったことを自覚します。国道までがいつも以上に長く感じました。そしてその後の大根峠の辛いこと、標高差は国道からわずか60m、鶴林寺の七分の一、にもかかわらずしっかり登ることができません。

 ということで、2日目も4日目も札所までの登りはじっくり味わいながらいいペースで登ることはできたけれど、その後の玉ヶ峠、大根峠は納得のいく歩きができませんでした。午前中4時間も険しい山を登り下りすれば、午後からは思い通り歩けなくなるのは当然かもしれないし、以前も同じような感じで歩いていたのかもしれない。でも、ぼんやりながら、何かが違うという感じは、3日目の午後もそうだったし、5日目はなおいっそう強く感じました。