1か月前四国から帰ってきたらイオンの専門店街がみな閉まっていた。そんな中を歩くのはいかがなものかと、控えていた。先週の月曜から専門店街がオープンしてやっと歩けると思ったら、入り口にこんな張り紙が、マスクをしてウォーキングはできないので、また外を歩くことになりました。家はグリーンベルトの公園のような中にあって遊歩道があって半分以上が木陰になっていていうことはないのですが、これから真夏になると10kmぶっ通しで歩くのは相当きつくなるかも、それまでにポスターが剥がされることを願うしかないようです。
帰宅する2日前の宿、ときわ旅館でぼくは失望していた。半分絶望していた。同宿の岐阜の人と宿のご主人と3人でこれから先の展望について話し合った、ぼくは秋は駄目だろうと言った、来年の春も怪しいのではないか、とこれはその時の本音だったけれど、大した情報もない中でそれだけ思い込むというのは相当メンタルがやられていたに違いない、秋にはみんな戻ってくると確信していたご主人を打ちのめすようなことばかり口にして本当に申し訳なかった。さほどに失望と怒りのぶつけ所がなかった、来年のオリンピックが中止になるだろうという意見は岐阜の人も同じだった。この意見だけは1か月たった今も変わっていない。でも1か月で大分事態は好転してきた、岡田晴恵さんが3月に言っていたとおりになってきた。国境封鎖が解けるのは1年先か2年先か分からないけれど、県境封鎖がこのまま4か月以上続くとはとても思えない。高速バスの運行が再開されなくてもJRで四国に入れるし、現在でも営業している宿は多い、4か月後にはほとんどの宿が再開していると期待してもいい。劇場やカラオケボックスや居酒屋やライブハウスがいつ元のように営業できるか全く予想できなくても、4か月後5か月後の四国を歩く自分は無理なく想像できる。予定表を作るのも全く虚しさを感じないで普通にできるようになった。
写真の表はかなり複雑な行程になっています。
先ずJRで坂出に到着、79番から88番まで歩く、そして88番から番外の高越寺に登って電車で徳島へ、その後は新四国曼陀羅霊場を鳴門の1番から順に松山まで行く、松山からは今回歩けなかった四国の残り46番から78番まで歩く、風のくぐるに泊まった翌日また電車で松山に戻って新四国の続きを歩く、新四国は逆回り、松山、伊予、内子、大洲、宇和島と巡って高知市内まで、高知からJRで帰宅というだんどりです。
期日は変更の可能性もありますが、宿はこのままでいきたい。須崎の柳屋旅館だけは絶対泊りたいですね。最後の日は柳屋旅館から伊野駅まで歩いて電車で高知の宿へ、翌日はJRで帰るだけ。
金剛福寺の手前で3人の歩き遍路さんに会った、ときわ旅館で再会した岐阜羽島の人と広島から来たお遍路は初めての人、松山から始めたけれど岩屋寺は1日か2日間に合わなかったかもしれない。そしてもう一人は外国人の青年。午後からは足摺スカイラインに入ったのでもちろん誰にも会わなかった。
その次の日は大月の方に行ったのでお遍路さんには一人も会わなかった。
ベルリーフ大月を出発した日は、道の駅宿毛の手前で逆打ちの男性に会った。時間からしてその日の宿は民宿叶崎しかないけれどやっていたのだろうか、少し前に休業していると聞いたことがある。
宿毛の宿ゲストハウスさくらを出発した日は観自在寺の境内で二人の男性に会った。一人はたぶん金剛福寺の手前で会った広島の人、もう一人は富山から来たお遍路は初めての人。富山は真宗王国だからまわりにお遍路をした人が誰もいない、情報を集めるところから苦労したという。そういえば富山の人に会ったのは初めてだ。40番の周りの宿が全部休業、仕方なく手前の一本松のホテルセレクトに宿をとった。そしてきょうは西遊漁センターまで、次の日は宇和島のホテルに予約済み、でも45番の閉め切りには間に合わなかったはずだから大洲か内子で区切ることになったろう。
その翌日、もやいを出発した日は仏木寺で男性と会って、歯長峠は普通に行けるとアドバイス。県道を歩くつもりだったようだ。その後明石寺で外国人男性と会ったけどもちろん声はかけなかった。鳥坂トンネルの2kmほど手前で休んでいる野宿の男性がいたので話し込んでしまった。聞くと逆打ちで別格も回っている。その時点で54番と56番が閉鎖になっていたけど、逆だからすでに打ち終えている、でもその4日後くらいから他の納経所もどんどん閉鎖になったから最後まで当然行けない。でも彼は帰りたくない、歩き続けたいという。ヴァイラスのいっぱいいる横浜に帰って何もすることがなくて引きこもっているなど耐えられない、野宿だから宿が休業しても問題ない、納経できないのは残念だけど歩き続けるつもりのようでした。彼は初めてのお遍路で逆打ち、まだ結願もしていないのに順打ちもやりたいと四国に対して相当な意欲を持っていました。野宿だから宿案内を渡しても仕方ないので英語の野宿ポイントのページを教えました。そして頼まれたので電話番号も交換。その後は大洲に下りる最後の坂で女性を追い抜きました。ときわ旅館では岐阜の人以外にもう一人いたのですが素泊まりだったので顔は合わしませんでした。
ときわ旅館を出た日は38番のヘンロ小屋で男性二人と話しました。大阪と加東市(兵庫県)の人。二人とも今日は内子からガーデンタイムまで行く。そのあと落合トンネルの先で逆打ちの男性、大宝寺で男性二人、トンネルの先で打ち戻ってくる男性と会いました。
21日間で出会った歩き遍路さんは日本人男性47人(逆打ち13人)、日本人女性16人(逆打ち2人)、外国人男性3人(逆打ち1人)、外国人女性5人(逆打ち1人)でした。昨年と比べて日本人は4割くらいでした。
おわり。
38番金剛福寺に着く300mほど手前ですれ違った人は、久々のびっくりでした。時間は10時40分、民宿久百々に連泊、ということは往復41km。しかもこの時間ですでにお参りを終えている。いくら荷物は宿に置いているとはいえ、なかなか見ないくらいの健脚です。体格は見るからにスタウト、年齢もそれなりにいっているようだけど、これくらいなんてことないよと余裕たっぷり、久百々や大岐の浜を1日で往復する人は時々見られる(昨年の秋、大岐の浜で同宿だった若い女性も往きは東海岸、復路は西海岸で歩いた)けれど15時前に宿に着いてしまうなんて人は見たことがない。
ぼくは大月周りだったこともありその人とはしばらく会うことはなかった。
その4日後、大洲のときわ旅館で再会することになった。ぼくは大月廻りとはいえ柏から宇和島駅まで30km以上バスに乗った、しかも彼は昨日もここに泊まって今日出石寺に行ってきた。ありえないスピードではないか。久百々から大洲まで3日、距離にして143km、1日平均47km。電車かバスに乗ったと思われるけれどそこは聞きそびれました。出石寺を往復して昼前に戻ってきて時間を持て余して仕方なかったという。ぼくは大洲の宿から出石寺を往復してそのまま大瀬の4km先の来楽苦まで歩いたことがあるけれど、彼なら同じくらい行けたかもしれない。
40kmくらいなら何の問題もなく歩けると言っていました。彼はお遍路は2回目、年齢は72歳、岐阜羽島の人で消防署のレスキュー隊を定年まで勤めあげた、なるほど、ようやく納得できたのでした。翌日は砥部町のえびすや旅館まで、そして久万高原のでんこで連泊。彼の脚力なら連泊する必要ないとアドバイス、その場で2泊目を取り消していました。えびすやからだと45番を打ち戻ってでんこまで34kmほどですからね。
道後温泉も閉鎖になってると聞いて彼もお遍路は中断することになった。
番外と古道の写真はすべて投稿したので、また今回出会った歩き遍路さんのことを書いていきます。
これは種間寺の手前、新川川橋を渡る手前で右折したところ、手前で右折する道に緑の点線があったので土手の道を歩いたけれど、本当の緑の道はもう一つ手前の土手の下の道でした、景色としては土手の方がいいけれど。
種間寺の前後は歩いたことのない緑の道がいくつかあって今回全部歩いてみたけれど、さすがに初めてで矢印もないので半分はうまく入れませんでした。
種間寺に着くと鈴木さんがお参りを終えて休憩中、今日の宿ゲストハウスりり庵でまた同宿です。鈴木さんは昨日は海老庄だったから今日は36kmほど歩きます。昨日も32km歩いている、
種間寺の先では仁淀川を渡る手前2か所に緑の道があります。そのことをりり庵で話したら、なんと奥さんもその道のことをよく知っていた、遍路宿をするためにあちこち物件を探していた時に歩いたそうです。仁淀川を渡ってからの緑の道も知っていました、ぼくが間違ってお弁当屋さんのところに出たというのも分かってくれました。普通のお遍路さんが歩かない道で、しかも外したところの様子も分かってもらえるとは、嬉しくなってしまいました。ぼくが一番遍路宿が欲しいと思っている国分寺の前後や禅師峰寺の手前なども探したそうですが、条例の関係で宿ができないというところも多いようです。でも宇佐大橋の手前というのも多くの歩き遍路さんが待ち望んでいた場所です。ぼくが昨年の秋に泊まったゲストハウス宇楽家はお遍路さんは断ることになったそうだし、三陽荘はお遍路プランでも1万円を超える。情報さえいきわたれば33番の近くに泊まった人の大半がりり庵に泊まることになるでしょうね。
りり庵でどんなおもてなしがあったのだと、オンタイムの投稿をみてほとんどの人が消化不良になったと思いますが、残念ながらそれは公表できないことになっております、ご容赦のほど。どうしても知りたいという方は秋遍路で泊って直接美和さんに訊いてください。5時間も話を聞いてもらえたのが最大のお接待ではありましたが。
羽根岬を過ぎてすぐ奈半利町に入る、奈半利町に入って700mで目の前の加領郷のバス停、というのは国道を歩いた場合、中山峠の短絡路を歩くとバス停のすぐ先で国道に合流する。峠道は1.2km短いと地図に書いてあるけれど、それなりに厳しい登りなので今まで2回しか歩いていない、これからも歩く気はありません。
バス停を過ぎるとすぐ国道の下に御霊跡が見えます。
こちらにも御蔵洞のような岩屋があったということでしょうか、
国道の反対側にも建物がありました、岩屋があるとすればこちら側ですからね、
2020年4月6日 参拝
昨年は7時過ぎに来て納経所が閉まっていたので今回は8時過ぎに来ました。
こうなる前にちゃんと写真を撮っておけばと少し後悔してます。入り口の横の二つのボックスにヘルメットが入っていてそれをかぶってから入場する。
お参りを終えて国道まで出てきてからの空と海、洞の中からではどうしてもいい写真が撮れません。
2020年4月6日 参拝
これは歯長峠の少し手前、
峠を下って、肱川を渡って800mのところに導引大師があります、今まで15回もこの前を通っておきながらこのお堂の存在に気づいたことは一度もありませんでした。時間とスピードばかり気にして歩くことが多かったから、
2020年4月17日 参拝
高知と愛媛の県境、松尾峠の50mくらい手前で眺望が開ける、これだけすっきり見えたことは今まであったろうか。
以前は峠に松尾大師があった。
昨年の秋に来た時よりもきれいにすっきり峠のたたずまい、峠の手前の山道もきれいに補修されていました。
峠から40分下って、一本松の交差点の700m手前に新しい松尾大師があります。昨年秋後ろに見えている休憩小屋で沖縄の青年と長い間喋った、ぼくはその日、津島から40番までバスに乗ったので時間がすごく余っていた。大阪に弟さんが住んでいて毎年暮れから正月にかけて高野山に行く、彼はまず高野山に魅せられて、それから四国に来ることになった。正月には京都にも行くというので三弘法のお守りを見せて紹介すると、お正月にはちゃんと三弘法に行ったことがブログに記されていました。秋は43番で区切ると言っていたけど、続きはまだ歩けていないかな、
2020年4月16日 参拝
月山神社からベルリーフ大月までの道はほとんどが四国のみちに指定されていますが。昔のお遍路さんが歩いた道は赤泊の浜から赤泊の集落までの1kmちょっと、だから古道ということにはならないと思いますが四国の道なのであえてこのカテゴリーに入れました。
月山神社を出て2分、
さらに7分、15年ほど前に復元整備された赤泊の浜へ下りていく古道の入り口。2004年の第6版のへんろ地図には全く道すら書かれていなくて赤線は姫ノ井小学校の近くで国道に合流する太い舗装道のみ、赤泊の浜に下りていく遠回りの道に赤線はなかった。2007年の第8版では赤線はこの古道のみにひかれています。ぼくはこの道は6年前に歩いたので今回は浜へ下りていく遠回りの道を初めて歩きます。
古道の入り口から2分で、国道への道と浜への道の分岐、左が浜への道。
最初ここに来たのは14年前、1日中雨で姫ノ井の郵便局で休ませてもらったことは忘れられない思い出です。
この遠回りは細い線で書かれていたのでてっきり山道だと思い込んでいたのですが、この通り舗装道でなだらかな下りが続きます。
分岐から20分で海が見えました、初めての道なので思っていたより長く感じる。
古道の分岐から24分で赤泊の浜に到着です。
西泊経由だとさらに2km以上遠回りです。
この浜は一つの見どころと言えるでしょう。
西泊と書いてありますが普通のお遍路さんは西泊へは行きません。西泊の道は四国のみちなのでこの標識に書かれている。
赤泊の浜から13分で四国のみちの分岐です、神社が目印ですが、
道しるべもありました。
神社の横から山越えです、
神社から9分で峠です、舗装道でくねくねした道なので勾配は大したことありません。
峠を越えるとこの眺め、だから四国のみち、
18分で山を越えました。
樫西の海岸は本当に見どころたっぷりでした、
月山神社から10.2kmを104分、時速5.8km。この入り口からがまたひと登り。
15時07分、本日の宿ベルリーフ大月に到着、
自室のテラスからの眺望、遍路宿でこういうのはめったにない。
夕食は焼肉コースを選択、見栄えはいいけどお肉は噛み応え十分でした。
てんぷらは熱々、
デザートもついて、2食付き6700円。
朝食は洋食を選択、パンが少なくて少し物足りない。でも大満足であることは変わりない。客は3人だけだったけど大浴場もありました。SP春野では客は7人ぐらいいたけど大浴場は入れなかった。
2020年4月14日 撮影
足摺倶楽部を7時15分に出発、大月町月山神社へ向かう。こちらの道を行くのは4年ぶり4回目。
夫婦岩はいろんなところにあります。
道の駅めじかの里、8.9kmを89分、ちょうど時速6kmだけどベストよりは4分遅い。
6年ぶりに見残し展望に来た、
見残し海岸へはグラスボートですが、乗らなくてもこちら側でも化石レンコンや奇岩はたっぷり見ることはできます。
竜串海岸から15分、下川口トンネル。
さらに15分、片粕トンネルへ、
片粕トンネルの出口から歯朶浦トンネルが見えている。四国のみちはトンネルに入らずに海岸線の道ですがなかなかそこまでの余裕はもてません、
前の写真から19分、貝ノ川トンネルです。ここも四国のみちがあります。だいぶ遠回りですが、
貝ノ川トンネルを出るところ、すぐ叶崎の集落が見えるはず、
叶崎、灯台も見えています。
叶崎トンネル、トンネルの中は工事中ですが今回はトンネル回避で四国のみちを行くつもりだった。ここだけはね。
初めてここまで来た。
灯台の手前はちょっとした公園のようになっていて、猫の遊び場にもなっている。軽トラでやってきたおじさんがネコと戯れている、話を聞くと伊豆田トンネルを出たところにある喫茶店ルーチェのご主人だった。2日前通った時は営業していたけどやはり相当暇なのか、
叶崎で昼食をとって11時20分に出発、3分ほどで西叶崎トンネルです。
西叶崎トンネルの出口から次の脇ノ川トンネルが見えています、本日最後のトンネル、
小才角から大月町です。
大月町に入る、
国道を離れる大浦分岐、
月山神社まで3.6km、
大浦の港、この先でちょっとした山越え、
昔はこちらがメインルート、今こちらを歩くお遍路さんはほんの数%、
登る、
登りはあっという間に終わる、ここで橋から3分ほど、
橋から5分で山道は終わり、舗装道を横断して再び山道ですが今回も山に入らず左折して舗装道を行く。
この山道は2回歩いているので、
舗装道はフラットに近い道がほとんど、
眺望もこちらの方が良い、
山道が合流してくる所、
灯台から73分で月山神社が見えました、前回舗装道を歩いたときは71分だった。
前日に電話をしたら御朱印は今は全くしていない、ということでした。そのために今回こちらに来たのに、でも初めて歩いた道も長かったからそれなりに満足はしています。
こちらが本殿です。
こちらの石はレプリカだった、
ぼくのスマホ(ASUS)ではこれが限界でした。
こちらは大師堂、神社だけど般若心経を詠める。
明治の初めまでは南照寺だった、大師堂があるのも当然。
これを見てびっくり、
裏山に行く、この石も本物ではなくて、まだ上にあります。
こちらが本物です、
大師堂の鳥居のところからも見えました。
光の加減がよくなった、
2020年4月14日 参拝
ここは22番平等寺から6.7kmの地点、鉦打のヘンロ小屋から500m先、国道を離れて右へ降りていきます。ほとんどのお遍路さんが行く現代のへんろ道です。
国道の下を抜ける。
国道の下をくぐって400mで県道に突き当たって左折、
県道に入って400m、ここから先が古道になります。
標高185mの山越えです、由岐の街へ入る峠越えの山道もあるようですがこちらが昔のへんろ道でしょう。
右が街道の入り口です。
500m進むと、
山道の入り口です、
この山道を復元整備してくれたのは昨年の秋お世話になったタクミさんたちのグループです。ぼくがお接待してもらった前日もこの峠を歩いていたと言います。
この辺りはかなり荒れていて整備には相当な苦労があったと思われる。
天保の文字が刻まれている、まさに古道そのもの。
こちらも、
前の写真か前の前あたりが峠かと思われます、ここはちょっと下ってきたところ、ここまで登り口から18分、展望所に行きます。
左が由岐の町、山の右が田井ノ浜。
この辺りはすごく歩きやすいけれど、
だんだん荒れてくる、
整備の前はほとんど道がなくなっていた感じ、
古道が日和佐道路で分断されている、
日和佐道路の下をくぐる、
くぐってすぐ左折、
古道の入り口が見える、
古道です、
こちらも結構荒れてる、
ようやく下界です、登り口から42分かかりました。
一旦右の方に出て、すぐヘアピンカーブで左の方へ、
左の方が海の方角ですから、
赤線のへんろ道に合流です、登り口から52分かかりました。赤線の遍路道(県道)を行くより6分ほどの遠回りでした。鶴林寺、太龍寺、大根峠を越えてきた後だったのでかなりしんどかった。
2020年4月3日 撮影
内子の街の赤点線の道、この伊予銀行の交差点で左折するのが古いへんろ道です。水戸森峠の道は日本語のへんろ地図には載っていないのでこの道があるのを知ったのは4年前のこと、足を痛めてバス電車で移動していたので時間が余って内子の古い街並みを見学に行ったとき意外なものを発見して驚いたのが初め。
今のへんろ道を離れて左折したところ、
この「旧街道へんろみち」の標識を見てびっくりした。今のへんろ道からすれば明後日の方角ではないか、その少し後で英語の地図を買うと緑の点線があって思ったほど遠回りになっていなくて納得したものでした。
重要伝統的建造物群、この中にも宿はあるけどちょっと手が出ない料金、
もちろん四国のみちなのだ、
ここで右折ですが、標識、矢印はないので地図で見当をつけておくひつようがあります。地図持っていても行き過ぎかけた。
右折すると急な下り坂、このくねり具合。
下りを突き当たって左折したところ、ここからはずっとまっすぐ。
橋を渡って、
しばらく行くと国道に突き当たる。
国道を横断する手前に道しるべ、
国道を横断してすぐ橋を渡る、道の駅のところの橋よりずいぶん歴史を感じる。
橋を渡るとすぐ標識が見える、
地図を作ってきたけれどほとんど必要ないくらい、
結構な登り、
右の方へ大きくカーブ、
突き当たって左折です、
左折したところ、
高速の下を抜ける、この辺りは当然のことながら昔の道が大分つぶされている。
高速の下を抜けたところ、道なりに左折、
おそらくdaboさんの遍路札、
ここで二又、英語の地図の緑の点線はこのまままっすぐだけど、
矢印に従います、昔の道ではないけれど、左の方も昔の道ではないからね。
ジグザグの急な登り、新しく造られた道には違いないけれど、
四国のみちなのですよ。
防護柵が、
わきの扉を抜ける。
このあたりから昔の道の感じ、
もひとつ防護柵、
カラビナで止めてある、きっちりスムース、小豆島で難儀したことを思い出す。
尾根に出てきました、矢印は右左、ぼくは左へ進んだのですが、水戸森峠は右でした(たぶん)。帰ってから地図を見直しているとぼくの進んだ道はだいぶ遠回りの道、しかもほとんど広い舗装道、歩いていてどう考えても昔の道ではないと訝っていたのですが四国のみちの標識がずっとあったので間違ってはいないと確信も持ちながら歩いていました。でもそれは現代の大回りの四国のみちで、昔の峠道ではなかった。
ぼくが進んだ左の道、少し登っているからてっきりこちらが峠だと思った。
標識も何もなかったはず、ここ水戸森峠ではなかった。ここから先は下る一方。
桜並木、ここが見どころの一つ、10日遅かった。
すぐ舗装道に合流、あとはずっと舗装道で雰囲気はなかった。
標識があるから間違ってはいないとこのときは安心していた。
尾根に出てきたときの標識にちゃんと右が水戸森峠だと書いていないとまずい、ここまでさんざん水戸森峠△〇kmと書いておきながら一番肝心の迷いやすいところに表示がないというのは馬鹿かまぬけというしかない。
舗装道でなんとか大師堂の前まで下りてきました。
ここから先は昔の道、
この道を降りてくるのが昔のへんろ道、ぼくはこの左の方からやってきた。ときわ旅館で水戸森峠の写真が小さなアルバムになっていて予習していたけれど、この大師堂の横の道にロープが張って通せんぼになっているのを越えると解説があったのを思い出して違う道を歩いてしまったのだとここで気づいた。
国道へ向かいます。
伊予銀行の前からちょうど1時間で現代のへんろ道に合流しました。20分の遠回り、ちゃんと峠を歩いていたら15分前後の遠回りだったと思われます。
久万高原へ向かう。本当の峠はまた次回、
渡る橋は志和分大橋、影野駅から8kmです。
橋を渡ると県道322号に突き当たって左折、高岡神社までずっとこの県道です。
三差路や分岐にはもれなく道しるべがあります。県道19号の手前の分岐は道の方が後からできたからないのは仕方ない。
のどかな県道、
1車線、
これは?
やはりこちらの方が表参道だった、
神社までまだ3.6kmもある、広大な境内!?
人家が増えてきました、
30年以上前ですから、
自販機があったので少し休憩、影野駅から10km以上歩き詰めでした。
橋を渡って2km来て再び四万十の姿を確認、県道は川沿いではあるけれど本流までは距離があって田園が広がっているので流れは確認できない、
下流方面、
上流方面、ここからまた流れは見えなくなってしまう。
あと1.5km、
影野駅から2時間10分かかってようやく高岡神社に到着、まずは東大宮、もちろん五社きっちりお参りする。
37番は福円満寺が始まり、大師が五社に分けて各社に諸仏を祀った、岩本寺のご本尊が五尊あるのはここからきているようだ。
東大宮,社は新しい。
2番目は今大神宮、
こじんまりしているがさらに新しい、
3番目は中ノ宮、ここが中心、隣に社務所もあります。
間違いなくここが37番だった、
みんな新しい、社務所の左側面の壁に御朱印がもらえる民家の地図が貼ってあります、社務所は閉まっていました。中ノ宮を出て橋に向かう道の左側の家です。2軒あるうち橋に近い方、表札がないので当てずっぽうでした。
4番目は今宮、みんな同時期に再建されたみたい、
5番目は森ノ宮、ここはすごい、
最後にすごい石段が!
森ノ宮、つつがなく五社お参りさせていただきました。
森ノ宮の石段を上から見たところ。
2020年4月10日 参拝
安和駅から影野駅まで電車に乗りました。ここから初めての道を行きます。
影野駅から国道に出てきた、ここはまだいつものへんろ道。
標識の右折の県道を行く、
県道に入るちょっと手前で右折、こちらがちょっと近道になっている。影野駅から600m地点、
橋を渡ると県道323号に突き当たる、影野駅から1km。
突き当たって右折したところ、ここからしばらく県道を行く、
県道とはいえ昔のへんろ道の雰囲気が残る、
もちろん四国のみちであります。高岡神社へは国道の方が近道ですが、昔のお遍路はこの道を行くことが多かったかもしれない。
下にも道があるからちょっと迷ったけれど上が正解でした。
上の道にこの看板があったので一安心、
思わぬところにトンネルが、地図をよく見るとたしかに Sasanogoe Tunnel とある。
トンネルを抜けたところ、
ここで県道を離れる、影野駅から4km、
道しるべもばっちり、
県道を離れるとさらにいい雰囲気、
イノシシ防護柵、
ほんとにへんろ道、
出口にも防護柵、
この二又は、
左です、
右折ポイントにきっちり道しるべ、
橋を渡る、この川もちゃんと地図にある、もうすぐ県道に合流する。
県道に突き当たって左折、影野駅から6km、
ちょうど中間地点です。
県道に戻って900m、新しい道ができていてそのまま左に行きそうになったけれど、右折が正解、危ないところだった。
新しい道ができて誰もが迷いそうな感じ、
県道19号を横断すれば待望の四万十です、
19号を横断する手前の道しるべ、
横断してちょっと右へクランク。
すぐ左折、
左折すると橋が見える、
いよいよ四万十を渡る、
四万十川です、