9:53
高速舞子8時10分発のバスに乗ると徳島駅に9時28分に着くことになっている。鍛冶屋原行きのバスは9時30分発、そのあとは10時00分発になっている。ぼくは10時のバスに乗るつもりだけれど、運が良ければ30分早いバスに乗れると思っていた。でも、高速バスは高速を下りてからは順調には行かず、徳島駅に到着したのは9時31分だった。通勤時間ではなかったけれど市内に向かう車は多かった。当初の予定通り30分近く駅前のバス停で待つことになった。
鍛冶屋原行きの3番のベンチには若い女性のお遍路さんが休んでいた。金剛杖は新しいけれど先は磨り減っているし、へんろ地図は使い込んで半ばぼろぼろになりかけている。四国を一巡してきたのか、薬王寺あたりまで行って戻ってきたのかよく分からない。感じとしては後者、金剛杖やシューズの汚れ具合は一国打ちの感じ。そのシューズは、ぼくがHPなどで推奨している、ミズノのフリーウォークOD100GTXだった。四国でこの靴を見るのは3度目だ。
10:58
板野駅南の二つ先のバス停で一人降りて、あとはずっと車内の乗客はぼく一人だった。2週間前通ったなじみのある風景を楽しみながら、前回の終点、鍛冶屋原に到着、予定時刻より4分ほどの遅れだった。バス停で白衣を着ける。手甲は車内で着けていた。
10:59
左に折れるとへんろ道が始まる、ここから50m先までは2週間前に歩いたけれど、その先はもちろん1年ぶりになる。
11:05
県道の交差点までやってきた。横断すると6番札所はもう目の前、といっても500mはあるけど。
11:07
橋は二またに分かれている。左の細い橋が本来のへんろ道。
11:10
バス停からの1.2kmを11分で到着、なかなかのスピードだ。安楽寺の納経所は本堂の中にあるので撮影はできず、代わりに大師堂の杖立を撮影。左側の方にも山頭火の句が刻まれていて、そちらは「もりもり もりあがる 雲へあゆむ」とあった。
11:24
安楽寺には車遍路の二組4人がいるだけで、とても静か。この時間だと5番門前の宿を出た人でももっと先(8番あたり)に行っているので歩きの人に追いつくのはずっと先になる。山門を出て県道の前へ出てくる。
県道に面して近代的な安楽寺の宿坊が建ち並ぶ。この左端にはやや古い建物も見える。余程の健脚でない限りこのあたりに宿をとって藤井寺まで行き、翌日の焼山寺越えに備える、というのが一般的な歩き遍路の計画になる。二日先、三日先のことを考えず行き当たりばったりで宿を決めていると、思わぬ痛い目に遭うことがある。
11:25
県道を右へ折れて旧いへんろ道に入る。前はこんなにたくさん遍路シールが貼っていなくて真っ直ぐ行ってしまう人も多かった。事実、この道へ入れなかった二人連れに道案内したことがある。ぼくはその時88番から戻って来るときで、7番札所に立ち寄る必要がなかったのでこの県道を向こうから歩いていた。
11:29
1.1kmと刻まれているけれど、実際のところは600mくらいしかない。
11:31
熊野神社の前で左手に大きく視界が広がった。あの山並みを越えたはるか向こうに、次回お参りする焼山寺が待っている。
11:35
6番からの1.2kmを12分で7番十楽寺に到着、まずまずのスピード。この区間を11分で歩けたのは2回だけだから、十分満足できる。こちらも境内の人影はまばら、いずれも車遍路だ。山門の横には白いキャンピングカーも停まっていた。
11:47
12分で滞りなくお参りを済ませ山門を出る。今回もほとんど休憩する余裕はない。
11:49
熊谷寺は右、の大きな標識があるけれど、これは車遍路のための標識で、歩きは左斜め前へ進まなくてはならない。最初の時これを信用して右の方へ進んでしまった。大して遠回りではないけれど、登りのきついところがある。
11:50
新しくできた遍路宿の案内板があった。もし通しで108ヶ所巡りをする機会があったら、初日はこの宿に泊まろうと決めている。素泊まり4000円で、越久田屋より500円安い。
交差点にさしかかると電柱に左矢印。最初来たときは、このシールもなかったし、まともな地図も持たずに歩いていた。
11:51
県道を横切ると、右矢印の看板。歩き道と書いてあるけれど、もちろん歩いていけるけれど、旧来のへんろ道ではない。遍路接待所を運営している越久田屋さんがこの看板を作ったようだ。越久田屋に行くにもこの矢印に従って進む。ぼくは昨年越久田屋に泊まったので6年ぶりにこちらの道を歩いた。
すぐ横には反対向きの矢印がある。初めて来た人はどちらの矢印に従うのだろう。へんろみち保存協力会の地図にはこちらにしか赤線が引いていないから、こちらを選ぶ人が多いとは思うけれど。ちなみに、四元さんは右矢印の道を行って接待所に立ち寄っていた。
旧来のへんろ道に入る。車はほとんど通らずいい感じ。
12:00
宮川内谷川を渡る。向こうに見えている橋を渡って200mくらい先に越久田屋がある。
12:03
御所小学校の側にある道しるべに赤矢印が貼ってある。矢印の下は指が反対方向を指しているのだ。この道しるべを信用して多くの人が右側へ入っていったことだろう。ここを入るとはっきり遠回りになるし、ちょっとした山越えもある。
12:10
国道318号の交差点にやってきた。ここにも熊谷寺は右の矢印がある。これも車のための標識。
12:21
右に折れると熊谷寺、遍路シールはあるけれど、肝心の熊谷寺の文字が色あせてほとんど判らなくなっているのが残念なところ。
12:22
徳島自動車道の下から熊谷寺の山門がのぞいている。山門の前に着いたのはこの2分後、十楽寺からの3.8kmを37分かかった。ベストより3分遅いけれど、時速6kmを確保できたので満足。
12:24
山門を入って数メートル前にこの道標がある。熊谷寺はものすごく奥行きがあって、しかも本堂まで緩やかな登りになっているので普通の札所の倍近い時間を要する。一番早くて20分かかっている。
12:26
これも熊谷寺の特徴、同じように禁煙の注意書きがあるのは、27番神峯寺と66番雲辺寺、でも両札所とも納経所の前に喫煙所はある。
12:38
大師堂は本堂よりさらに高いところにある。石段を登る。お参りを終えて、石段を下りようとしたら下界の風景を望むことができた。こうしてみると思ったより高いところまで登ってきたことが判る。
12:40
納経所の前を通って山門に向かう。昨年88ヶ所すべての納経所を巡ったけれど、この納経所は忘れられない。若い坊さんとモーニングコーヒーとモーツァルト。昨年のブログではピアノ協奏曲22番と書いたけれど、23番の誤りだった。
山門を出たのは12時43分、19分でお参りを済ませることができた。25分と見ていたからかなり時間を稼ぐことができた。
12:46
土成町役場前の広い交差点にやってきた。最初来たときこの道は車がすれ違うのがやっとという感じの農道だった。雰囲気のあるへんろ道だった。
12:50
最初来たときこの道標が目に入らなかった。いい加減な地図しか持たず、それを信用しすぎていたせいもあるけれど、何も見えていなかった。歩いていたのではなく、彷徨っていただけだった、以降ちゃんと歩きたいと思うようになった。ここに来るたび7年前の自分をまざまざと思い出す。
12:56
この少し手前の所で、今日初めて歩きへんろの人に出会う。男性1人、女性3人が連なって歩いている。初めから4人連れなのか、途中で知り合って一緒に歩いているのかよく分からない、今日は5番門前の宿から出たに違いない、時速は3km前後だから鴨島まで行くのは難しいかもしれない。鴨島の手前となると旅館八幡しかないけれど、そこから焼山寺を越えるのは相当無理があるように思えた。追い抜きざま一人一人に遍路宿情報を手渡した。
13:01
9番法輪寺に到着。前に歩きの人がいると、追い抜いた後でも自然と足が速くなる。写真の枚数が少ないこともあって、ベストタイムと同じ2.0kmを18分で到着した。境内は自転車遍路の二人組とあと数名の車遍路だけでとても静か。13時50分までに10番札所に着きたいので、慌ただしくお参りを済ませる、ほめられたことではないけれど、致し方ない。
13:13
山門を出ると、先に追い抜いた4人連れが到着するところ、ちょうど時速3kmくらいだ。遅いと1日に歩ける距離も短くて、日数も費用もかさむけれど、その分豊かなお遍路ができることは間違いない。ぼくはとにかく早いけれど、良いことは費用がかからないだけで、うらやましがられることは何もないし、豊かでないことは自覚しながら歩いていた。
この標識のある交差点を右に折れると、前に二人連れの歩きの人が見えた。二人ともやや足を引きづり加減で、辛そうな歩きだ。追い抜くときに遍路宿情報を手渡す。あの足では明日の焼山寺は相当きつそうだ。
13:20
番外霊場、小豆洗大師の前にやってきた。小さな祠があるだけだけれど、番外とはいえ霊場なのできっちりお参りしていくお遍路さんもいる。ぼくはとてもそこまでの余裕は持てない貧しいへんろ旅。
13:23
四国のみちは必ずしもへんろ道と一致しない。だから四国のみちの道標や矢印を100%信用してはいけない。この矢印がよい例、誤解しないように三つも赤矢印が貼ってある。
13:25
県道に合流したところに接待所がある。9番から10番までは3.7kmほどしかないので、今まで一度も休んだことはない。もちろん今回もスルー。
この少し先で夫婦遍路に追いついた。男性が奥さんのリュックを左手に提げている。そんなに大きなリュックではないけれど、それすらも負担に感じて普通に歩けなくなっているようだ。右手には金剛杖を持って手がふさがっているので遍路宿情報を渡すのは控えた。時速3kmも出ていない、この調子では焼山寺を越えるのは無理だろう。
13:27
URLが、http://www.omotenashi88.net となっている。これはNPO法人遍路とおもてなしのネットワークのもの。2000年頃から香川県を中心に活動を始めた。この遍路人形のシールも5年くらい前までは香川県でしか見かけなかった。同じデザインの遍路大使のバッジもこの団体が制作しておへんろ交流サロンで配っている。
13:39
県道を右に折れて参道にはいる。山門まであと500m。
参道に入ってすぐの民宿坂本屋、入り口に休業中の張り紙がある。2年前四元さんがこの前に来たとき、女将さんが出てきて、体調が優れないのでお休みしているのだといっていた。まだ再開のめどはたたないようだ。
この先の徳島自動車道の下で男の人が立ち止まって地図を広げている。遍路宿情報を手渡すと、この先どう行けばいいのかと訊かれた。県道に出たら横断してそのまま真っ直ぐですと教えてあげる。たしかに、地図には右折れの方にも赤線が引いてあってややこしくなっている。右折れの赤線は88番から戻ってくるときの道。そして地図はそのあとすぐ切れて11番札所とのつながりが分かり難くはなっている。1度来ていれば何ていうことのない道だけど、初めてだと地図を持っていてもこういう風に迷うことがある。
13:44
10番切幡寺に到着、山門までの3.5kmを34分かかった。ベストタイムと同じだ。写真も撮ったから一番速いかもしれない。やはり前に歩きの人がいるとスピードの乗りが全然違ってくる。
13:45
山門を抜けるとすぐこの道標が待っている、熊谷寺より少し短いけれど、実質はそうではない。
犬を連れて歩いているお遍路さんを見たことがある。犬は1日に20km以上毎日のように歩かされて嬉しいのだろうか、辛いのだろうかと首をひねったことがある。
13:46
ここからが本当の切幡寺、ちょっとした修行の参道になる。1番から10番まででこういうところは初めてになる。でも普段歩いていない人にとっては平地でも20kmを超えれば充分な修行にはなっていることだろう、実際そういう人を目にしてきたばかりだ。ぼくも山道や長い石段は本当に久しぶりなので、男厄坂の途中では相当息が上がった。でも立ち止まって息を整えることは一度もなく、何とか快調に登りきることができた。水屋で息を整え本堂へ行くと、丁度二人の男性がお参りをしていた。大師堂へも二人に続き、二人が納経を終えるのを待って、遍路宿情報を手渡す。少し余裕ができたので、納経所の横のベンチで軽食を摂る。あとは鴨島駅までの8kmを歩くだけ、予定通りの電車に乗れそうだ。
14:15
山門手前の駐車場には十楽寺の山門横で見かけたキャンピングカーが停まっていた。熊谷寺、法輪寺でも見かけた自転車遍路の二人組もいる。このあたりは札所の間隔が短いので歩いていてもいい勝負ができる。山門を14時10分に発つ。20分に発てば間に合うと見ていたけれど、さらに10分の余裕ができた。ここから藤井寺までは絶対迷いようがないくらい、道標や遍路シールがいっぱい出てくる。
14:21
このシール(ステッカーと言うべきか)は初めて見る。そういえば、どういう事情か知らないけれど、昨年は3人の外人サイクリストに会ったし、今年もすでに一人と会っている。20日で一巡ということは1日60km、無理のないところだろうけれど、ぼくは自分では絶対自転車は無理だと思っている。坂道、山道が多いし、歴史的なへんろ道(山道)は通れないところも多いし、国道やそのトンネルでは危険がいっぱいだし、へんろの味わい、豊かさといったら、歩きに比べればそれは貧しいものにならざるを得ない。
14:22
振り返ると切幡寺の大塔が見える。あの中腹の標高は150m。
14:25
県道12号の交差点、この大きな道標は無駄なようにも思えて、案外初めての人には安心感を与えているかもしれない。
道標の上には地図も用意されている。至れり尽くせりのへんろ道。
14:26
交差点から右に旅館八幡が見える。ここから藤井寺まで8kmあるので、この宿に泊まって焼山寺を越えるのは健脚でないと難しい。
14:31
八幡郵便局の手前に遍路シールと五鈷杵のマーク。左に折れる。
14:33
切幡寺から吉野川までで曲がるのは、さっきの郵便局の前とこの角の2回だけ、これだけ大きな標識があるのはそのまま直進してしまう人が多かったからだろう。
14:36
矢印が直進と左折れの二つある。直進するのが本来のへんろ道、左折れは鴨島駅への近道、ただしこちらから藤井寺に向かうと遠回りになる。主に鴨島駅の近くの宿に泊まる人がこの道を行く。ぼくは過去3度直進し、3度左折した。最初の時は誰もが行かないようなおかしな道を行った、何しろ彷徨っていたから。今回は終点が鴨島駅なので、左折する。
14:38
左折すると水路沿いの道を行く。
14:45
右側の吉野川の土手が近づいてくる。
14:48
突き当たりの吉野川の土手を上る。登り口にはちゃんと遍路シールが貼ってある。
14:49
土手に上がるとこういう感じ、目の前の流れは吉野川の本流ではない。
14:55
ほとんど読みとれないほど色あせた赤矢印、へんろみち保存協力会のシールはこのように色あせたものが目立つ、それだけ古くから活動しているということではあるけれど、
14:57
渡るべき橋が近づいてくる。遠く眉山もはっきり姿を現した。
15:04
この少し手前に、吉野川河口より26km、の標識があった。それで尚これだけの川幅を有している。淀川の河口あたりと同じくらいかもしれない。
15:05
こちらの矢印は何とか読みとれる。橋には両側に歩道がある。
15:08
ぼくのカメラではこの広大な川を捉えきれない。
15:12
3分の2くらいの所で吉野川市に入る。ぼくが最初来たときは鴨島町だった。6年前、鴨島町、山川町、川島町、美郷村が合併してできた。
15:14
8分07秒かかって阿波中央橋を渡りきる。帰って距離を調べると815mだった。丁度時速6kmで歩いたことになる。
橋を渡ったところにきっちり遍路シールがある。こちらも薄い。
15:18
わざわざペンキ塗りたてを撮影した理由はいかに、
15:19
この形のポストはぼくの街でも何ヵ所か見られるけれど、本当に希少な存在になってしまった。このポストはこれだけきれいにして貰ったのだから、あと10年は頑張ってくれるだろう。
15:24
JR徳島線の踏切を渡り、すぐ前の辻を左折して線路沿いの道を行く。
15:29
6年前、2回目の時にお世話になった尾池旅館、新しくて広くて気持ちの良い宿だけれど、素泊まり5500円で遍路宿としてはちょっと高い。
その隣にあるのがしげる旅館、こちらは4年前4回目の時にお世話になった。素泊まり3500円で部屋もきれいで女将さんも愛想が良く、もう一度泊まりたい宿。でも以降はルートがちょっと違ってしまったので鴨島駅の近くに泊まることがなくなってしまった。
15:30
本日のゴール鴨島駅に到着、切幡寺山門からの7.7kmを80分かかった。撮影の時間を差し引けば何とか時速6kmは出ていただろう。前回のような違和感や痛みも全く感じることはなかった。完璧にはほど遠いけれど、前回よりはいくぶんいい歩きができたと思う。
今回もやっぱり慌ただしかった、バスと電車に合わせないといけないからこれはどうしようもない。法輪寺では水屋に寄るのも忘れたりしたけれど、撮影は比較的思い通り落ち着いてできたのは良かった。昨年はこの区間雨が降っていたので極端に写真が少なかった。
歩きの人には12人に会って、9人に遍路宿情報を渡せた。これは予想外、この時期から歩き始める人は少ないと思っていたので、切幡寺までにこんなに追いつけるとは思わなかった。会ってもほとんどお話はしないけれど、歩いている人を見かけるのと、全く一人で歩いているのとでは大分気分が違ってくる。その点でも満足感はあったし、嬉しかった。
足の調子は明らかに前回より落ち着いていた、最終盤でも疲労というほどのものは感じなかった。高速バスを降りるときにはさすがにおかしな具合ではあったけれど、前回ほどひどくはなくて、翌日の後遺症も大したものではなかった。手すりなしで階段を軽快に下りる回数も増えて、また何%か良くなったという自覚もある。
次回焼山寺越えは来週の金曜かその次の月曜くらいに予定しているけれど、足の具合も大分良くなったのであまり不安はない。ただ、山の中の写真は伝わりにくいので、その点がちょっと不安。
14:40
松島小学校の手前で左に折れて県道に出るはずだったけれど、小学校の正面まで来てしまった。50mくらい行き過ぎてしまった。
14:42
50m引き返してへんろ道を左に折れる。県道に出ると正面に阿波銀行。
県道に出て左に折れるとすぐバス停があった。徳島バスのHPで検索したとおり。ここが第1日目の終点だけど、まだ4kmほど歩かねばならない。この鍛冶屋原線は徳島駅まで行くけれど、その途中で高速のバス停、鳴門西に一番近いところで降りる。それは板野駅南というバス停、3番金泉寺の近くにある。
白衣を脱ぎ手甲をはずす、バスが来るまで13分あるので今日初めての休憩、家から持ってきたどらやきを頂く。
15:21
予定時刻より2分遅れで板野駅南に到着。でも鍛冶屋原を出たのが3分遅れだったから順調な走行だった。この23分が結構スリリングだった。地蔵寺の近くの羅漢という所から左へ折れて大日寺方面へ向かう、徳島道の手前で右へ折れたところが大日寺口というバス停、ここで女性のお遍路さんが乗り込んできた。不思議だった。こんな所で中断というのは全く理解できない。近くには森本屋さんがあるから、そちらに行かないというのはお遍路をここでやめてしまうとしか思えない。そのあと、あすたむランドという山の中に入っていく、ほんとに時間通りに板野駅に着くのかとひやひやものだった。
15:57
ここは極楽寺から北の方へ入った新興住宅街「リューネの森」、鳴門西まであと700mの地点。バスを降りた直後はさすがに足の具合がおかしかったけれど、歩き始めるとすぐ普通の状態に戻っていった。金泉寺の前から極楽寺までへんろ道を反対に歩くけれど、わずか2.7kmだし、この時間だし、お遍路さんに会うとは思っていなかった。でも、予想に反して3人の歩きの人に会うことができた。それぞれに遍路宿情報を手渡す。ぼくは装束を着けていないので、3人とも一瞬面食らったような感じだったけれど、気持ちよく受け取ってくれた。
15:58
リューネの森に極楽寺への案内板、鳴門西から1番を飛ばして先に2番へ行く人などいるのだろうか。
16:02
昨年の記憶が残っていたので無事リューネの森を通過、高速のトンネルまでやってきた。トンネルを抜けて左に折れると神戸方面のバス停がある。
16:04
バス停の入り口に無事到着、むろん鍵は掛かっていない。
ここが本日のゴール、バス停鳴門西。なんとか20kmを歩ききった。偶然にもこれが88枚目の写真となった。
通しで7回も巡った者が、日帰りで20km歩いたくらいでどれだけの満足や充実が得られるのか。自分でもその懸念はかなり持っていた。でも実際に歩いてみてそれは完全なる杞憂に過ぎなかったことがはっきり分かった。歩いているとき、お参りしているときは、通しで巡っているときと何ら変わらない。嬉しさ、楽しさ、ありがたさ。同じ道を8回も歩いて何ら目新しいものはないはずなのに、何が楽しいのか。それは普通の人に理解できないことでしょう、1回ぐらい歩いても判らないかもしれない。2度3度歩いてそういう訳の分からないものが自分の中にじわじわと沸き上がってくる、病気だと云われるけれど、まさにそういうことなのかもしれない。日帰りでも、同じ充足感が得られるのは本当にそういうことだとしか思えない。
四国遍路は癒しの道、ということが云われる。それは主に精神的な作用だけれど、今回の旅はそれに加えて身体的にも癒された旅になった。高速バスが舞子に着いたあとは足の具合が相当おかしくなって、違和感や時に痛みも感じたりして普通に歩けなくなったけれど、一夜明けると思ったほど後遺症は残っていなかった。それより、他の部分の筋肉が一斉に張りを持っていた。ふくらはぎの筋肉、太股の筋肉、腰の筋肉、背筋、それも痛めた左足だけでなく右足も同等に全部の筋肉に張りがあった。その翌日にはそれらの張りが癒えて、足首の周りもいい感じになっていた。この前10kmを歩いた翌日よりいい感じになっていた。まだ100%ではないけれど、10kmまでなら抵抗なく歩ける自信は持てるようになった。事実、この1週間で3回10kmを歩いたけれど、全く問題はなく、翌日の疲れや痛みもない。四国で20km歩けたことで、筋力が改善されたことは間違いない。
9:23
今年3回目の高速バスの入り口だけど、前2回とは全く気分が違う。日帰りでも、たった4時間でも、白衣を着けて実際に札所を巡るのと、傍観者として四国へ行くのとでは全然違う。
9:25
乗り場へ上がっていくエスカレーターから淡路島を望む。天気は曇り、徳島の予報は快晴だったけれど。
9:31
定刻の4分前、高松行きのJRバスがやってくる。高松行きに乗るのは1年ぶり、昨年同様半分くらい席は埋まっている。ぼくの席は5D、進行方向右側の窓際だ。
9:37
どんなに頑張っても明石海峡大橋の写真は、バスの中からでは上手く撮れない。せいぜいこんな感じ。鳴門大橋から渦潮の写真は撮れるけれど、それは左側の窓際だけ、諦めてシャッターは切らなかった。
10:38
高速からドイツ館が確認できた。バス停鳴門西はもう目の前だ。デジカメをしまって、乗車券を用意する。
10:40
予定時刻より6分早く鳴門西に到着、降りたのはぼく一人。お遍路以外の人はここで降りることはない。
バス停のすぐ前に遍路シールがある。初めてここに来る人でも、これを見ると安心して先へ進めそうだ。
10:41
トイレの前の休憩所で白衣を着けたお遍路さんが休んでいる。高松方面のこちらのバス停からは乗車できないし、これからお遍路を始めるという感じでもない。首をひねりながら、ぼくも白衣と手甲を着ける。
10:48
身支度を整え歩き始めるとすぐこの標識がある。赤矢印に従って左の方へ行くのが正解だけど、2年前初めてここへ来たときにはそれが目に入らず、神戸方面のバス停の方へ行って、大変な遠回りをしてしまった。
10:49
高速沿いの遊歩道を東へ進む。これから渡る陸橋が見えている。
10:50
遊歩道にフェンス、もちろん鍵はかかっていない。かかっていないのなら、どうしてこんな所にと思う。
階段を登って左に折れれば陸橋。
10:51
陸橋を渡って高速の北側沿いの道へ、ここから先は南側の道はないのでね。
陸橋を渡るとはっきりした道しるべがある。方角が分かっていれば迷いようのない道だけれど、初めてここに来たお遍路さんにとってはありがたい道しるべだろう。
10:52
高速の北側沿いの道を行く。
北側の道は高速より高いところにあって、南側には結構な眺望が開けている。眉山もくっきりはっきり確認できた。
10:53
山の中腹から下界へ下りていく。階段は右へ左へ折れていく。
普通に歩くのは何の支障もないけれど、下り階段はいまだに慎重になる。こんな所で足を痛めている場合ではない。
10:55
階段を下りてきたところにすぐ遍路シールがあった。これならどんな方向音痴の人でも迷わないだろう。
10:56
県道41号を横切るとすぐ板東谷川を渡る。ここから南側、この川の西岸一帯があの板東俘虜収容所だったところ。
10:57
橋から北西の方角にドイツ館が見える。ベートーヴェンが理想とした地上の楽園がここには確かに存在した。
10:59
大麻比古神社の鳥居の横にある案内板に遍路シール、この交差点を右に折れる。でもこの案内板は左側にあるので、右側を歩いていると、この小さな遍路シールには気がつかないかもしれない。
右に折れて高速道の下をくぐると、1番霊山寺まで300m。
11:00
霊山寺の植生が見えてきた。多宝塔の九輪と水煙も覗いている。
11:02
鳴門西から14分かかって1番札所霊山寺に到着した。昨年より1分遅いけれど、写真をいっぱい撮ったので納得のいくところ。脚力が落ちたわけではない。昨年の遍路日記では札所の写真は主に山門だったけれど、同じにするのはつまらないので、今年は納経所の写真を撮ることにする。霊山寺の納経所は本堂の中にあるので写真は撮れず、代わりに多宝塔の写真にする。
11:04
この時間となると、バスツアーの団体さんは大方先へ進んでいるので、比較的落ち着いた境内、本堂ではきちんと装束を着けた夫婦遍路がお参りをしていた。最初の札所でやや手際が悪そうだった。先にお参りを終えて後で待っていた奥さんの方に「歩きですか」と声をかけたら。「いいえ」と返された。意外だった、これだけきちんと装束を着けてザックも背負っていたので、車遍路だとは思えなかった。なので、遍路宿情報を渡すのは控えることにした。歩きの人は、男性一人くらいしか見当たらなかった。14分でお参りを終えて山門を出る。納経帳はザックの中に入っているけど、納経はしない。日帰りでは阿波と讃岐しか巡れないので中途半端になるし、重ね判というのもぼくは良しとしない。もし次ぎ通しで巡る機会があったとしたら、新しい納経帳を買ってまた墨書して貰うつもりでいる。
11:15
山門から南へ続く道、JR板東駅から来る歩き遍路さんは皆この道をやってくる。そして2番札所へもこの道を戻ることになる、突き当たりを板東駅とは反対の西側へ折れると極楽寺へ至る。でもこの旧いへんろ道を行く人はほとんどいない、県道を行くより200mほど遠回りになるし、へんろみち保存協力会の地図に赤線はない。ぼくも6年前一度歩いたけれど、あとはすべて県道を歩いている。
県道12号には歩道があるので安心して歩ける。旧へんろ道は2回県道を横切ることになるけれど、その必要もない。2番極楽寺まで1200m。
11:16
この矢印は新しい方で、最初に四国に来た7年前はほとんど見かけることはなかった。
11:20
この遍路シールはたぶん初めて見るかもしれない。2年前、前山おへんろ交流サロンで頂いた遍路大使のバッジと同じデザイン。
11:21
川を渡って北側へ300m行くとバルトの楽園に至る。あの板東英二さんは満州から帰ってきた当初そこで暮らしていたという。
11:27
2番極楽寺の山門に近づくと、大きなザックを背負った男の人が3番に向かってお墓の中の道へ入っていくところだった。あれだけの荷物だと野宿に違いない。この先追いついても遍路宿情報を渡すことはないだろう。
1番から2番まで11分かかった。ベストタイムより1分遅いけれど、無理に速く歩こうともしていないし、時速は6km以上出ているから、不満はない。広い境内にお参りの人は数名しかいなくて、とても静かで気持ちがいい。歩きの人は見当たらない。15分で山門を出る。
11:42
山門を出たところに道しるべがある。矢印に従って右の方へ行くとちょっと高いところにあるお墓の中の道を行くことになる。わずか20mほど近くなるだけだし、登り下りもあるので、ぼくは県道を行くことにしている。近道は2回ほど歩いてはいる。
11:45
県道を250mほど行くと遍路道に入る。大きな標識があるので初めて来た人でもそのまま県道を行ってしまうことはないだろう。
お墓の近道を行くとここに下りてくる。この標識はほとんど役に立っていないようだけど、逆打ちの人には判りやすいかもしれない。
11;47
先のシールと同じデザインに矢印と文字も付いている。このシールも初めて見るものだと思う。
11:50
このシールも新しい。昨年までは見かけなかったはずだ。
11:51
あまりに美しいピンクで思わず足を止めた。四国に来るまでは庭先や野辺の花に目をとめることはなかったと思う。昨年須崎市で同じように美しい薔薇を見かけたのを思い出す。
11:52
2ヶ月前、電車の中からこの諏訪神社の前をポンチョを着けて歩くお遍路さんを見た。その2週間後にもこの付近を歩く多くのお遍路さんを見た。それがなければ、今自分はここを歩いていなかっただろう。四国は電車の中から眺めるものではない。自らの足で踏みしめてこそそのありがたみが実感できる。
11:53
植生に隠れてよく分からないけれど、阿波川端駅を撮ったつもり。向こうからこっちに移ってくるのに2ヶ月かかった。
12:00
ここは四元さんが最初にお接待を受けて、最初に納め札を手渡した場所。
12:02
板野インターへ上がっていく道の下を抜けると、まもなく3番金泉寺の杜が見えてくる。
12:09
金泉寺手前の近道は今年も無視してやや遠回りの街道をそのまま行く。遠回りといっても僅か100mくらいのもの。お寺の脇から入っても結局水屋の所まで行かねばならないから、いくらも近道になっていない。街道からお寺の方へ入っていく交差点の所で次の札所へ向かう二人連れの歩きの人が出てきた。ぼくの目の前50mくらいで右へ折れていった。もう1分早ければ遍路宿情報を手渡すことができたのに、でも4番までは距離があるから追いつけるだろう。3番金泉寺までは2.7kmを27分かかって到着。時速は6kmだけどベストタイムより3分遅れ。足の痛みは全くないけれど、例年のような軽さや力強さも当然ない。本堂でお参りを終えた頃境内の脇から、極楽寺の山門前で見かけた大きな荷物の人が入ってきた。知らずの内に追い抜いていた。道に迷ったか、さもなくば食堂かコンビニに立ち寄っていたか。水屋に立ち寄ることなく大師堂からお参りを始めた。お賽銭は入れたけどお経は読まない。白衣はちゃんと着けているけれど、まだまだお遍路には成れていないという感じだ。ぼくの最初の時はもっとひどかったけどね。13分でお参りを終え山門をあとにする。
12:28
金泉寺を出て板野の町の中を歩く。ここは本当に昔ながらの街道という感じがする。その中の散髪屋さんの入り口の横にすごいポスターを発見。菅直人財務大臣は霊山寺の手前で丸刈りにしたというけれど、こちらに来てから坊主になろうという人は滅多にいないでしょう。
このすぐ先の高徳線の踏切の手前で小柄な男性に追いつく。初めて遍路宿情報を手渡す。「これはへんろみち保存協会のですか?」「いいえ、ぼくがインターネットなどを調べて作ったんです」「値段が書いてありますね、助かります」
12:36
このシールは讃岐の国ではよく見るけれど、こちらではほとんど見かけない。
12:45
高速道の下を抜けると、いよいよぼくの大好きな山際の細道が始まる。10番までで最も遍路道らしいところ。
12:47
道しるべに解説、これも昨年まで見かけなかったと思う。街道をそのまま行けば先に5番に着くけれど、そういうルートをとる人はほとんどいないだろう。
最初はあぜ道。
12:51
山際の道は山道だけどほとんどアップダウンはなく快適に歩ける。
12:52
愛染院のすぐ手前に昨年お世話になった越久田屋の看板があった。ここで前を行く女性に追いついたので、遍路宿情報を手渡す。愛染院の境内には自転車の外人男性が住職らしき人となにやら話している。女性はそちらの方に歩いていく、ぼくは境内に入らず先を急ぐ。
12:54
愛染院を過ぎると用水路沿いの細道を行く。
12;55
あぜ道からまた山際の道へ入っていく。
12:57
左は水田、右は民家の庭先、というより庭の中を歩いてる感じ。おそらくお遍路さんのために50cm幅の通路を提供してくれているのだと思う。
12:58
田んぼの中の新しい道しるべ。この距離表示が正しいとしたら、金泉寺からここまで3.9kmを36分で来たことになる。でもそれだけのスピードが出ていたとは思えない。
13:01
自動車道を横切って山の方へ向かう、昨年この先の所で自転車の外人遍路さんに道を尋ねられた。
左へ折れてお堂の横の細道を行く。
13:02
気をつけないと転げ落ちてしまいそうな細いあぜ道を行く。
13:03
徳島自動車道の下をくぐる。
13:04
ほんの200mほどだけど山道と峠がある。標高差も10mあるかないか。この200mが本日唯一の山道になる。
13:06
峠を下りてくると新しい橋を渡る、5年前、この橋の付け替え工事でこの峠道は歩けなかった。迂回路はさほどの遠回りでもなく問題はなかった。
13:08
橋を渡ると果樹園の中の道、目の前の樹は梅のようだ。
13;10
県道に合流、4番札所まであと500m。
13:15
金泉寺からの5.1kmを53分かかって4番大日寺に到着した。時速は6kmを下回ってしまったし、ベストタイムより8分も遅れてしまった。足の痛みや違和感は全くないけれど、丁度10km歩いたのでやや疲れ気味ではある。
境内は車遍路の2組5人くらいでいたって静か、金泉寺を出たところで見かけた二人連れには結局会えないままだった。時分時だったから食堂か喫茶店に入っていたのかもしれない。12分でお参りを終え次の札所へ向かう。徳島バスの停留所までまだ6km歩かねばならないし、5番でのお参りもあるからまだゆっくり休むわけにはいかない。
13:30
13時27分に山門を出る、5番札所へは県道を南へ一直線。板野駅の近くで遍路宿情報を渡した小柄な男の人がやってくる。時速3kmくらい、途中で休憩したか愛染院でお参りしたか。そういえば愛染院の手前で会った女の人はまだ来ない。自転車の外人男性はすでに大日寺の境内にいる。
13:35
徳島自動車道の下から県道を離れるへんろ道があるけれど、そのまま県道を行く。へんろ道は過去3回歩いたけれど、この2年は県道を歩いている。遍路道の方が歩きやすいけれど、やや遠回りになる。
13:42
右に入ると五百羅漢があるけれど、まだ一度も行ったことはない。テレビの2時間ドラマで見たことはある。
13:44
大日寺から1.8kmを17分で5番地蔵寺に到着、写真が少なかったので時速6kmを確保した。それでもベストタイムより2分遅れ。山門をくぐるとバスツアーの団体さんで本堂の前はごった返している。その間をすり抜けるようにして、蝋燭線香をあげ、本堂に上がりお賽銭と納め札を入れる。ぼくがお経を詠み終わった頃、団体のお経が始まった。何とかかぶらずに済んで一安心。
13:57
お参りに13分、13時57分に山門を出る。14時にここを発つと余裕で徳島バスのバス停に着けると見ていたので、何とか目標はクリアした。でも、全体に慌ただしかったかなという反省も残る。山門のすぐ前に民宿森本屋さん、入り口に「四国霊場先達推薦の宿」のプレートが見える。
13;59
突き当たりにまた解説付きの道しるべ。距離表示は正確でないこともあるけれど、この「6番まで丁度5km」というのは全く正しい数字。今回の旅の終点、徳島バスの鍛冶屋原は1kmくらい手前にある。6番は次回ということになる。
14:03
県道12号と平行して進む。へんろ道の方がふくらみがあって少し遠回りになるけれど、県道はかなり危険で落ち着いて歩けない。ぼくは一度だけ88番から戻ってくるときに歩いたけど、二度と歩く気にはなれなかった。
14:11
大きな道しるべ、これがなくても誰も迷わずそのまま道なりに西へ進めるけれど、逆打ちでここへ来た人にとってはちょっとありがたい位置に立っている。
14:14
明治か江戸の古い道しるべは文字がよく分からないけれど、これも一つの文化財だから大切に保存されている。すぐ横に新しい道しるべも立てられている。
14:15
電柱にスプレーで印刷されたこのマークは4~5年前から見かけるようになった。最初見たとき何やら気味悪い感じがしたけれど、これは五鈷杵をデザインしたもの。五鈷杵(ごこしょ)というのは密教の法具で、空海が唐から持ち帰り、これを使って多くの奇跡を起こしたという伝説がある。伊予の最初の札所、40番観自在寺の大師堂には大きな五鈷杵が展示してあって触れることもできる。
14:24
昨年最初に休んだへんろ小屋までやってきた。今年は停留所まで休めない。小屋の中を覗いて行き過ぎるときに、閃いたことがある。それは帰り道ずっと頭の片隅に残っていた。
14:28
県道の交差点にやってきた。ここからは県道の南側をいく。
横断すると、県道を行く方にも矢印はあるけれど、これは車遍路のためと思われる。
14:29
へんろ道は道幅はあるけれど、車はほとんど通らない。とても気持ちよく歩ける道。
14:33
南側の県道沿いにある上板町役場が見えた。あの先に郵便局があって、そのまた先に銀行がある。銀行の前が本日のゴール、バス停鍛冶屋原。
14:36
距離表示の部分が出っ張っているのにお気づきでしょうか。これは、最初にできたときの距離がかなり間違っていたので、あとで正しい距離を貼り付けたというわけ。最初の頃この手の道しるべに惑わされることが多かったので、自然と距離は見ないようになった。
この曲は1936年に作曲されたデキシーランドジャズのスタンダードだけれど、吹奏楽以外のアレンジで聴いたことは一度もない。それが思いがけないところで耳にすることになった。一昨日、刑事コロンボの中でこの曲が流れてきた。犯人役のジャネットリーが昔の自分の映画を観ている。彼女は過去のミュージカルスターの役柄。そこで上映されている映画は「Walking My Baby Back Home」という作品で、それはジャネットリーが実際に主演したミュージカル映画で、このドラマの中の忘れられたスターが主演した作品として扱われている。昔このドラマを初めて見たとき、このドラマのために改めて古めかしく作られたものだろうと思っていたけど、実際に若々しいジャネットリーがタップダンスを踊っている。昔の作品をそのまま使っていると知ったときは、言葉もなかった。その映画から聞こえてきたのが「サウスランパート」だった。共演したドナルドオコンナー(「雨に歌えば」でジーンケリーの友人役で出演した)の歌声も聞こえる。
この3週間は慎重にならざるを得なかったけれど、一昨日の7kmでようやく光が見えた。前半の広栄橋まで43分で行けた。時速は6.7km、怪我をする前のベストが7.0kmだったから思いがけないくらいいいタイムだった。痛みや疲れは全くない。違和感は時々感じたけれど、歩きには全く影響しないほどのものだ。明日になって違和感が残っていなければ、来週の金曜日に出発することにする。