WALKER’S 

歩く男の日日

秋の計画修正

2016-04-29 | 16年四国の旅


 おへんろ。八十八歩記の再々放送を見ていたら、宿毛街道には3つのルートがあると紹介されていて、今回歩いた中道(大岩道、小岩道越えで満願寺に至る)に加え篠山道も宿毛街道だったのだと今更ながら知ることになりました。日本語のへんろ地図では篠山神社までの地図はあるのですがその先の下りの地図はありません。なぜならその向こうに下ってしまうと40番がお参りできない、篠山神社に登るお遍路の100%が同じ道を引き返すことになるからですが、英語の地図には向こうの地図もきっちり掲載されています。ただし「No food and water until Manganji Experienced hikers only」 と注意書きがあります。エクスペリエンスド=熟練した
 ぼくもこの秋は引き返すつもりをしていたのですが、よく考えれば40番はきっちりお参りしたので引き返す必要はない。しかも1日分宿を節約することもできる、ということで、迷うことなく向こうの道も歩くことにします。そうすると全部の距離が40kmを超えてしまうので、宿毛から県界まではまたバスに乗ることにします。また米屋の朝食はおあずけです。
 この道を歩くお遍路は皆無だと思いきや、めぐめぐさんの掲示板に、つい最近歩いたという人の歩行記が投稿されていました。でも峠を越えたところにある宿の人には、お遍路さんが来ることはないときっぱり言われたそうです。もしかしたらぼくが二人目になるかも。

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新しい宿

2016-04-24 | 16年四国の旅


 上の写真は新しい宿、チャンネルカン。阿波中央橋を渡って2つ目の信号のある交差点の近くにあります。普通のお遍路さんはあまり通らない道、鴨島駅の近くの宿に泊まる人が通る道。ぼくは今まで鴨島駅の近くの宿に5回泊まって、泊まらないときでも3回こちらの道を歩いたので、こちらの方がなじみがあるし慣れています。チャンネルカンはへんろみち保存協力会のサイトで見て知った宿、素泊まりのみの宿、シャワーのみで湯船はありません。いわゆるゲストハウス、外国人や若い人のための宿、ぼくも最初の頃なら喜んで泊まっていたかもしれないけれど、ここのところはちゃんと2食付きで泊まって、同宿の人たちと団らんするのが豊かなお遍路だと思っているので、これから先も泊まることはないでしょう。

 藤井寺の手前といえば、旅館吉野が人気の宿ですが、吉野が満室でもだいじょうぶ、近くにまたいい宿ができました。やまさ、鴨島駅から南へ1500m、真っ直ぐですから迷いようがありません。鴨島郵便局から吉野の前を通る道の1本東の通り、遍路道から少しはずれるけれど、藤井寺まで送迎があるので心配なし。10番の登り口からでも送迎してくれるそうです。料金は2食におにぎりも付いて5500円。食事は、元々仕出し屋さんだったから文句なし。ぼくは今回たまたま藤井寺の山門前で送迎に来ていたご主人に会って少しお話をしたのですがとても気さくで感じのいい方でした。吉野は超人気で相部屋になることもある。ぼくは一度相部屋になって、割引もなかったので、2度と泊まる気にはならないのですが、次回は迷わずこの宿に泊まることにします。

 昨年、鶴林寺の登り口にある鶴風亭に泊まって夕食がいまいちだと書いたのですが、今年泊まった佐藤さんによるとそれはしっかり改善されていたそうです。何でもぼくのようにブログに書くのではなくて直接クレームをいったお客さんがいて改善するようになったのだとか。鶏の鍋が出て量も十分、6000円でこの内容であれば、7000円のふれあいの里さかもとよりもいいかもしれないということでした。もちろん問題なく◎に推薦です。

 鴨島郵便局の近くにできた宿を教えてもらったのですが、こちらは兵頭で同宿だった二人の人が全然駄目だと、駄目な方で有名なワーストスリーの宿と同じくらい駄目だとこきおろしていました。まだ地図には載っていないようだからこのまま誰も気づかなければいいのにと思います。

 もう一つ教えてもらったのは高知駅の近くにあるかつおゲストハウス、ドミトリー2800円、個室3800円。高知駅から北東に1km、善楽寺から高知駅へ向かう一番の近道である幹線道路の途中にあります。距離は少し微妙な感じですが、オーナーはバックパッカーで世界を回った人だから英語はたぶんだいじょうぶ、外国の人は重宝するかもしれません。こちらは英語の遍路地図には載っています。


遍路宿あれこれ

2016-04-22 | 16年四国の旅

 昨年は全部歩いて、全部の札所で納経して、予定通り今までで最短の28日で一巡できたというのに、どうしてでしょう、足を痛めて途中で帰ってきた今年の方が満足度が高いというのは。
 昨年は全部歩きのためにどうしても全ての宿が◎という訳にはいかなかった。知らない宿で最悪の宿も一つあったし、微妙な宿も一つ、素泊まりの宿も二つあり、当然夕食の楽しみもなかったし、◎の宿でも同宿者がいなくて楽しめないことも3回あった。同宿者がいても嫌な感じの人で気分が悪かったり、あまり話ができなくてそんなに楽しめないこともあった。よく考えてみれば、昨年宿がよくて同宿者にも恵まれて楽しかったのは、宍喰の民宿えびす、うまめの木、旅の宿美園、高知屋、民宿田村、磯屋、ときわ旅館、笛ヶ滝、善根宿うたんぐら、の9軒、全体の3分の一でした。それに対して今年は評判の宿に泊まることを目的に計画を立てたから、それは満足のいくことが本当に多かった。同宿者のいない宿も3軒あったのですが、それはそれでとても感じのいい宿で満足できたし、1軒だけ評判がよく判らない宿を選択してそれはかなり残念な宿ではあったのですが、同宿者が佐藤さんだったので結構楽しめてしまったので、結局のところ泊まった21軒全部とても楽しめたしよくしてもらえたし、本当にいい旅ができたなあという感慨を持つことができています。歩き遍路というのは大変な旅です、ぼくのように40km歩かなくても、30kmでも20kmでも1日中歩くというのは本当に過酷なものだしそれを何日も何十日も続けるというのは誰にとってもたとえようのない厳しい戦いになると言ってもいいかもしれない。だからこそ遍路宿の存在は大きい。その迎え方一つで1日の疲れが一瞬にして吹き飛んでいくか、さらに深まっていくかの分かれ道にもなる。だから選びたい、できるだけお遍路さんのことを考えてくれている宿を。だから、ぼくは邪魔にならないように気をつけながら遍路宿情報を配り続ける。本当に心からくつろげる宿にできるだけ多く当たることができるように。
 今年何がうれしかったといって、ぼくのあのコピーを本当に大声を上げてくれて喜んでくれた人が二人いたことです。久百々の同宿者の山口から来た佐々木さんと渋谷区から来た横澤さんです。くももの女将さんもいい人に出会えたねえと二人に言ってくれました。もうひとり美園で同宿だったカナダから来たナジャさんも心から感謝してくれました。若い女の人にああいう形で言葉を、しかも英語でかけてもらうことなど皆無なので、ほんとうにどうしていいか判らないくらいだったし、自分勝手に思いこんで続けてきたことではあるけれど、間違ってはいなかったのだと認めてもらえたようで本当にうれしかった。へんろみち保存協力会を立ち上げた宮崎さんもお遍路で一番は人との出会いだと言っておられます。歩くこと、お参りすることはもちろん一番基本でしっかりしなくてはいけませんが、それにもまして人との出会いをいかに大切にするか、楽しめるかが大きいことだと今回身をもって学ばせていただいたような気がします。

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龍馬パスポートと秋の計画

2016-04-21 | 16年四国の旅




 帰宅した3日後に龍馬パスポートが届きました。本当なら来年からということですが、今回途中で切り上げてしまったので、秋から使うことができます。八十窪にキャンセルの電話を入れたときから、続きはこの秋に決めていました。本来なら秋は伊勢神宮から西国5番まで10日ほど歩く計画を立てていたのですが、それは来年以降にして、まず10巡目を完結させねばなりません。
 51番石手寺までは曲がりなりにもお参りしたので続きは松山からでもよかったのですが、足の調子が悪くなった足摺の打ち戻りからきっちり歩き直したいし、なによりそうすれば来年以降に予定していた、竜串の見残し海岸、大月町の姫ノ井郵便局、篠山神社、津島から宇和島への野井峠越え、月山神社、内子町の畑峠、久万高原で唯一歩き残していた素鵞神社に向かう途中越ノ峠までの道、なども歩くことができるし、まだ泊まっていない評判の宿にも泊まることができます。今回は17の初めての宿にお世話になったのですが、秋はさらに6軒の初めての宿に泊まることになります。その気になればもう少し増やすこともできたのですが、田村と米屋はもうはずせないという感じであるし、岡田以降の讃岐の国はやはりこの春の計画のままに歩く方が自分としても得心がいくので、無理に増やすことはしませんでした。1日平均の歩行距離は37kmで今までで一番余裕の持てる計画でもあります。一部電車バスを使って歩かない区間もあるのですが、普通のお遍路が歩かない区間も大分歩いたりして、全体としてはほぼ1周分の距離は歩くので、全歩きといっても差し支えないし交流サロンでバッジをもらうこともできます。


22日目=その6

2016-04-20 | 16年四国の旅

 10分ほど部屋で休んでいたら、お声がかかってお風呂へ。湯船に濾過装置が浸かっていて稼働中、なるほどこれならお湯を入れ替えずにきれいなお湯でみんなが気持ちよく入れます。一人一人入れ替えてくれる宿もありますがそれは3部屋以下の宿ばかり。昨日松屋で同宿だった逆打ちの人に訊いたら岡田の定員は8人、お湯を換えずに8番目の人はちょっときついかもしれない、女性ならなおさらでしょう。この点一つでも大きなおすすめポイントになります。
 ぼくが風呂から上がったのは3時少し前、ちょうど水車で休んでいた3人が到着したところです。食事まであと2時間半ほどで5人だから一人30分くらい使えます。こういうことも計算しながら早めに宿に入ったという訳。ビジネス旅館小松でも宿泊者が多いのは判っているから普通なら30分は浸かっているのに半分くらいで切り上げました。こういう気の使い方が普通にできるのもお遍路のいいところ。もちろんそういうことがあまり判っていないお遍路未満の人も時々見られますが。
 4時頃には松屋で同宿だった夫婦も到着、これで今宵の宿泊者がそろいました。食堂はそんなに大きくなくて、8人で食卓がちょうど埋まります。部屋はぼくが確認した範囲では7つ、つまり7組8人が限度ということになるようです。食事の時間になって皆が顔を合わせると、知らない顔は到着したときに出会った一人だけ、すでになじみの顔ばかり。ぼくは意識して時計がかけてある壁に近い端の席に座ります。そちらの壁に佐藤さんが写った写真が飾ってあると教えられたからです。そこはおじいちゃんが座ってご飯を装ってくれる隣の席でもありました。ぼくが箸をとるより先に写真を気にしているとおじいちゃんがいっしょになって探してくれます。やっとのことで見つけると、その写真に写った佐藤さん以外のメンバーも一人一人どういう人か紹介してくれます。もうそれだけでこの宿がどういう宿か判るでしょう。四方の壁はすべてこの宿に泊まった人たちの写真で埋め尽くされていますその写真はおじいちゃんが撮ったものでもなければ息子さん夫婦が撮ったものでもない。宿に泊まった人たちが送ってきたものばかりだそうです。さすがにこういう宿もほかには1軒たりともない。やっとぼくも一番有名な遍路宿に泊まることができたのだと、ちょっと心躍るものがあります。昨年初めて泊まった高知屋もそうですが、遅すぎたという感じはしますが、知らないままにしないで本当に良かったと思います。
 食事が一段落して懇談の時間、夫婦は3回目、落合さんはたぶん2回目、あとの3人は初めて、そしてぼくの前に座った男性は、超ベテランの先達、山口さん、18回目でその内歩きは13回目だそうです。ぼくだけ名刺(納札として使っている)をいただきました。赤札なので、赤い縁取りが手書きでしてあります。いろんなことをもちろんご存じなのですが、みんなの話を聞くとが多く、あまり出しゃばったりはせず、その代わりぼくにいろんな話をしてくれました。みんなが避ける評判が最悪な遍路宿もあえて一度は試してみたいと、挑戦したそうです。内子町の宿は食事はぼくが聞いていた通りでしたが、部屋や布団はそんなにひどくなくて普通だったそうです。ここら辺は聞いてみないと本当に判らない。キャンセルした人には本当にしつこくつきまとうということは実際に見たということでした。もっといろんな話を聞きたかったのですが、他の人の話もいろいろ出て、なかなかできませんでした。そうして、ついにおじいちゃんの遍路道案内の時間、知り合いのお遍路、神戸のSさんのブログで見て何となく知っていたのですが、想像以上におもしろくおかしくためになるお話、名人芸と言ってもいいほど練りに練られた語り口、これを知らずしてベテランお遍路だと大きな顔はできたものではありません。ほんとうにありがたいことでした。ここまで電車でつないできて本当に良かったし、今回はここで最後になっても十分満足だし何の悔いもありません。
 明日はバスで池田まで出て帰ります、と言ったらおじいちゃんがバスの時刻表を確認、ぼくが7時15分のバスに乗るといったら、時刻表にはそのバスはない、それはスクールバスではないかと、おじいちゃん、スクールバスは一般の人は乗れない、じゃあ1本遅いバスに乗るといったら、おじいちゃんが送っていくと、ぼくは用事があるから行けないけど息子か嫁に送らせると、言ってくれました。そこまで甘えていいのかと一瞬ためらったのですがせっかくのご好意、お接待は断ることはできないので、ありがたくお願いすることにしました。
 すばらしいお接待で今回の(今年のではない、年が変わる前にまた戻ってくる)お遍路を締めくくることができて、本当に最高でした。足摺を過ぎてからは思うような歩きはできなくなっていったけれど、今までで一番うれしいお遍路でした。
 


22日目=その5

2016-04-19 | 16年四国の旅

 昨年初めて登った境目峠を登ります。ぼくはトンネルをあまり苦にしないし、三島から観音寺まで歩くので、どうしてもトンネルを選択をしてしまいます。でも、思った以上に雰囲気がよくて登りやすくて険しくもなかったので、岡田に泊まるにしてもそのまま曼陀峠に向かうにしてもこの峠は登ることになると思います。半分以上登ってもうすぐ舗装道に上がるかなというところで女性が見えました。息継ぎのために少し立ち止まっています。追い越すときにもうすぐですよと声をかける。1年前の記憶だからたぶん合ってると思う。追い抜いて100mも行かないうちに舗装道に上がる。上がったところにあるベンチで伊藤さんと落合さんが休んでいます。なにぶん時間が大分あるからすぐ休んでしまう。ぼくも並んで腰をおろす、すぐ女性が到着。4人で一休みしていっしょに出発、舗装道はほぼフラットで県境の境目峠はすぐ、昨年見逃して間違いそうになった遍路道しるべは相変わらず植え込みに覆われて全然見えないままでした。岡田や白地荘に行く人が圧倒的に多いからあまり影響はないのかもしれないけれど、三島から青空屋まで行く人もそれなりにいるだろうから、この道しるべははっきり見えるようにしてほしいと、思います。峠から緩やかな下り、初めて歩く道です。本当ならいい感じのスピードが出せる道ですが3人の歩調に合わせてゆっくり下ります。国道に出るちょっと前で水車の近くに出る分岐点があってここで3人とお別れ、3時に入るようにコーヒーを飲んで待つということでしたが、ぼくはもう少し早くても入れてもらえることは判っていたし、土居の駅前で会った男性は先に行っているはずだから、早めに行ってお風呂に入ってお風呂の順番に余裕が持てるようにした方がいいということで、ぼくが宿に到着したのは14時20分でした。すでに、初めて見る男性客が洗濯をしているところ、もう一人の男性(土居駅前であった人)はお風呂に入っていました。


22日目=その4

2016-04-18 | 16年四国の旅


 今日同宿の3人は昼食を摂ってしばらく休んで出立、それでも時間の余裕があるので落合さんは境目峠を越えたところにある水車でコーヒーを飲んで、時間あわせをするといいます。あとの二人も同調するようです。ぼくは基本的に食堂も喫茶店にも入らないので、ここでもう少し休んでいきます。1時間以上あるので昨日のブログを更新します。携帯での文字入力は苦手ですが、時間の余裕があるので結構たっぷり書くことができました。送信が終わってしばらくしてそろそろ発とうかというとき4人の男女が入ってきました。小松の玄関で出会った人たちです。覚えていてくれたようで笑顔で挨拶を交わします。そうしていよいよ出発というときには松屋で同宿だった夫婦がやってきました。今、12時35分、ゆっくり歩いても2時間くらいで岡田まで行けるはずだから、4時頃には宿に入れるでしょう。
 今回の旅、最後の7kmになるのでできるだけしっかり自分らしい歩きで締めくくりたいと、久しぶりに力を入れて歩きます。境目峠の登り口まで3.8kmを40分、6kmは出ていないけれど自分の中では調子のいいときとあまり変わらない歩きができたという自覚はあります。


22日目=その3

2016-04-17 | 16年四国の旅

 足の具合は万全ではないし、あと13km以上あるし、時間の余裕もあるので二人の歩きに合わせながら椿堂に向かいます。椿堂へのフラットな舗装道は、たまに入れずに遠回りの昔の道に入ってしまう人もいる。事実、小松で隣になった男性は10年ぶりに歩くのでどちらに行ったらいいか判らずぼくに尋ねてきました。そして少し先に出ていったのですが、ぼくたちがあとから出てしばらく行くと、引き返して来るではありませんか。遍路シールや矢印が全くないので、違う道ではないかと思ったそうです。こちらがちゃんと教えているのに信用してもらえないというのはちょっと残念。もう少し歩けばちゃんと矢印も出てくるんですけどね。
 平山のバス停まで来ると、昨日伊予土居駅前で会った男性と小松で同宿だった若者が休憩を終えて発つところです。バトンタッチするようにぼくたち3人はバス停に腰をおろします。しばらく休んでいると落合さんともう一人が到着、時間がありすぎるので調整するのに一苦労だといいます。やっぱりここは土居から30km歩くのがスタンダードという感じもします。歩けないぼくが言っても説得力はありませんが。
 ほんの5分ほどで、椿堂に向かいます。高速道を抜けたあたりに新しい善根宿、やまももの里毛利荘ができたと聞いていましたが、その看板らしきものは見あたりませんでした、椿堂に後から来た人によるとちゃんと出ていたということでした、気をつけていたつもりでもうっかりしていたようです。三角寺から1時間半ほどで椿堂に到着、毎回休ませてもらうのできっちりお参りもします。少し遅れてきた女性もお参りして納経もしてもらっています。納経料はお接待でしたかと訊くと、やはりその通り、ぼくがしてもらった8年前と変わっていませんでした。
 伊藤さんと女性は初めてなので、88番へ向かう道をどうしたものかと迷っていたので、初めての人にはぜひ本来の遍路道を歩いて最後の札所なのだから山門から入ってほしいとお願いしたら、その通りにしたいと受け入れてもらえました。初めての人でもベテランの人でも本当に女体山から入る人が多い、8割以上がそうするのではないかと思うくらいですが、ぼくにはその意味がほとんど理解できません。


22日目=その2

2016-04-16 | 16年四国の旅

 昨年高知屋でいっしょだった男性は横浜の伊藤さん、昨年は高知県までの区切りで今年1巡目の結願を迎えます。先ほどの矢印は確認していたけれど宿の人に直進して高速道に当たったら左折の道を教えてもらったそうです。遍路道でもないし近道でもない、理解できません。そしてこの先も普通の遍路が歩かない一番東の道で三角寺に登るのがいいと教えられたそうです。それはちょっとまずい、ちゃんとした道しるべがあるかどうか判らないし、真ん中の昔の遍路道を歩いた方がいいと強く勧めて二人とも納得してくれました。ぼくは一度歩いているので、近道の自動車道(一部短絡路)を行く。15分くらい近道だし足の状態もあるので、分岐点までいっしょに歩いて分かれました。
 伊予三島駅から90分ほどで、三角寺に到着、時間はたっぷりあるし、二人に会わせて歩いた所もあるので、いつもとはかなり違う時間です。門前の駐車場を管理している店の縁台に女性のお遍路さんが荷物を預けてこれから境内に上がるところ。今日はどちらまでですかと訊くと、青空屋まで、岡田はもちろん白地荘も満室だったそうです。ほかに選択肢はなかったから仕方ない。でも距離にすれば28kmくらいだからそんなに無理な距離でもない。男性のお遍路さんで三島の宿を出て13時前に青空屋に着いてしまったという人もいました。それにしても直前に電話すると白地荘さえ満室という事態もそんなに珍しいことではないのかもしれません。三角寺では次々にタクシー(ハイエースタイプのバン)遍路がやってきてかなりのにぎわい、ぼくはいつもは朝6時に三島の宿を出て7時過ぎに来るからすごく静かな中でお参りすることが多かったので、ちょっと戸惑ってしまうくらいです。そんな中で最後のお参りを済ませて納経所の前のベンチで休んでいると次々に今まで見た顔がやってきます。昨日伊予土居駅の前で会った男性、延命寺で蜜柑を分けてもらった栃木の落合さん、小松で夕食のとき隣の男性、さらに小松で同宿だった若者、そして20分遅れで先ほど分かれた伊藤さんと女性もやってきました。時間はたっぷりあるので二人のお参りを待って、また3人で椿堂に向かいます。


22日目=ラストナイト

2016-04-15 | 16年四国の旅

 土居から雲辺寺手前の民宿岡田まで31㎞、電車バスを乗り継げば歩く距離は10㎞で済むけれど、3日間ほとんど歩いていないおかげで足の痛みやむくみもかなり引いたので、バスは止めにして21㎞歩くことにしました。三島から歩くと昨日出会った3人の歩きの人といっしょになる可能性もあるし、同宿の夫婦も三島まで電車に乗るそうです。さらに、2日前小松の玄関で会った4人、小松で同宿だった何人かも三島の宿に泊まっているはずです。松屋で同宿だった夫婦と6時44分発の電車に乗り込みました。赤星、書道ガールズの撮影地となった伊予寒川駅を過ぎあっという間に伊予三島です。7時を過ぎたばかり、ラストウォークの始まりです。
 駅の南に出て東へ向かう。この道は初めて歩く道、正しいと分かっていても初めて見る景色に一瞬の戸惑いを隠せません。信号のある交差点に出てくるとそこからは高雄やつるやに泊まった時に歩く道との合流ボイント、ここからはいつもの道だから何の心配もいりません。そうしてすぐ大成荘の前に出てくるとなんときれいな3階建てが完
成しているではありませんか。昨年は遍路別れを歩いたので確認できなかったけれど、一昨年は前半分の建物が削り取られて更地になっていた。思わず撮影していると女将さんが出てきたので挨拶、3回泊めていただきました、としばらく立ち話。昨日はどこに泊まったかと問われて、土居の松屋さんですと答えると、この時間に土居から、と一瞬びっくり、いえいえ足を傷めて三島まで電車でした。昨日泊まった女性がけがの人のことを話してたけど、はいぼくのことです。延命寺で会った女性は大成荘でした。また泊まりたいと言ったら3部屋なのでこのシーズンはすぐ埋まってしまう、1ヶ月くらい前に入れないと安心できないそうです。
 立ち話の間に夫婦に追い抜かれ、すぐさきのファミリーマートで昼食を買ったら全然見えなくなってしまいました。国道の交差点まで来るとサークルKの前にお遍路さんの姿、さらに前方の遍路道にも見えます。どちらかが夫婦で、また別のお遍路さんが現れた。前方の人は矢印を見逃したのか遍路道を外して直進して行きます。直進しても行け
るけど少し遠回りになるからすぐ追い付くことになりそうです。ぼくは矢印にしたがっていつもの遍路道を行く。そして高速道の下をくぐるボイントに来ると右の方から二人のお遍路さんがやってくるのが見える、思った以上に追い越していたようです。トンネルの前で二人を待つと、一人は昨日別格で出会った女性、もう一人は初めて出会う男性でした。と思う間もなくその男性ぼくを指差し、昨年会いましたよね、と歓声を挙げる。どこでですか、とこちらは少々うろたえる。高知屋でした。次の日ものすごいスピードで追い抜かれましたよ。と隣の女性にも説明するように語る。
 昨年ぼくは33番はお参りせずに宿に入ったのでお参りは翌朝、高知屋の同宿の人はほとんど先に34番に向かっていました。しかも納経が終わってもしばらく雨が残っていたので上がるのを待っていて随分遅れてしまった。それでも種間寺までに3人、次の清滝寺までにもう一人抜いたのを覚えています。彼はおそらく仁淀川大橋を渡る手前で追い抜いた人だと思われます。ともあれ年を違えて再会するのは先端さんに続
いて二人目のこと、最後にきてすごい御縁です。思わず納札をねだってしまいました。

続きは帰ってからパソコンで書きます。

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21日目=別格の庭

2016-04-14 | 16年四国の旅

 今日もほとんど電車移動の日、伊予小松7時47分の電車に乗るとそれは通学列車、満員だけど座席は確保、伊予西条と新居浜で大半が降車。ぼくは宿泊地の伊予土居で降りる。ブログの残りを仕上げて別格12番延命寺に向かおうとしたら歩き遍路さんがやってくる。これから電車に乗るのかと尋ねると、今日は20㎞で時間が余るのでこのあたりを散策しているとのこと。今日の宿は三島で明日が岡田、ぼくも明日は岡田です、ではまた明日会いましょう、と一旦別れます。
 10分ほどで延命寺に到着、本堂でお参りを済ませたところで、女性の歩き遍路さんがやってきました。訊くとこの人も昨日はMISORAで、明日は岡田、ゆっくりのペースだとこういう別の楽しみがあります。お参りが終わるといざり松の側のベンチでチェックインの時間を待ちます。あまりに時間があるので龍馬パスポートの葉書に記入して投函します、米屋のご主人は帰宅してから投函するようにと言われたけれど、もう2日後には帰るから問題ありません。おあつらえ向きにお寺の入り口にポストも見えていま
す。そうしてしばらくするとまた男性の歩き遍路さんがやってきました。この人は新居浜駅の近くの宿からで、やはり明日は岡田だと言います。同宿の人に1日前に3人もいっべんに出会うなんてこれまで一度もなかったことです。
 それから大分時間が経って14時頃夫婦の歩き遍路さんがやってきました。後で分かったのですが、この日同じ宿でさらに明日は岡田でまた同宿。1日前に岡田に泊まるメンバーがほとんど分かってしまいました。
 松屋旅館には14時55分に入りました。温かいトンカツ、魚ばかりだと飽きるから必ずお肉を入れるようにしていると、女将の配慮です。同宿は歩き5人、タクシーツアー6人でした。


20日目=香園寺の前で

2016-04-13 | 16年四国の旅

 昨夜は踊る御殿スペシャルをついつい見いってしまって更新出来ませんでした。
 昨日も一昨日同様ほぼ全て電車移動でした、シクロの家で9時までゆっくりさせてもらって、フリーPCでこの先の電車バスの時間やルートを調べていました。伊予土居からは電車で三島まで、そのあとはバスは平山までしか行かないので、そこから岡田までの10㎞が今回の最後の歩きになります。岡田からは池田駅までバスで、土讃線、瀬戸大橋線、山陽本線と乗り継いで帰ります。偶然とは言えシクロの家は本当にラッキーだったし泊まってよかったと思いました。但し一般の歩き遍路さんにはちょっと勧めにくい宿ではあります。
 今治発10時47分発の電車で一気に伊予小松まで飛んで、先ずは62番宝寿寺にお参り、続いて61番香園寺へ、四国にいる限りはお遍路ですからできることはちゃんとする。12時半にはお参りも終わり3時まで境内のベンチでお参りの人々を眺めながら待たせて貰います。その中で先達さんに導かれたバスツアーの一団がやってきました。灯明、線香をし
たら二階へ上がります、御杖は持って上がります、と何度も繰り返し叫んでいます。1階の正面にも納札と写経のボックスがあって大日さんもおられるので、ついつい上がる前にお参りする人が多く、ぼくもそうしていましたが、本当は二階で二回お参りするのが正しい、一階は二階に上がれない人のためにあるようです。だからそこで拝んでも間違いではない。二階では線香灯明はできないのでお参りを終えた集団の一部は子安大師の前で線香を上げていました。ぼくは今回は二階に上がらないつもりだったのですが子安大師には写経ボックスがなかったので、仕方なく上がってお参りもちゃんとさせてもらいました。
 それからしばらくして初めての歩きの人がやって来て灯明線香を済ませます。そのあとさてどうしたものかとしばし佇んで迷っている様子、そばに行って先ほどの先達さんの指示の通り教えてあげました。歩かない遍路でもこうして少しは人の役に立つことがある、何もできないようでできることもある。ありがたいことだと思います。そのあと来た歩きの人は一人だけ
、横峰を越える人は3時過ぎになるのが普通だから驚くほどのことではありません。
 14時半くらいまで香園寺で時間をつぶして宿に向かいます。14時50分、ビジネス旅館こまつに到着、玄関の前に立つと中に人影が確認できたので入っていくと、4人の男女が待機中。昨日この宿に泊まって荷物を預けて往復してきたところ。片方の夫婦はMISORAまで行くと言う。ここから20㎞ありますよ、とびっくりして言うと、電車に乗るから問題ないということでした。でも前神寺まで5㎞あるし、5時までには着かない感じです。電車を使うなら今日は西条駅前までにして明日宿に合わせてまた電車を使えばいいのにとベテランは思うのでした。
 小松の宿泊は15人、当然満室です。その中で連泊のすき焼きは1人、明日横峰に登る人はゼロ、こんなことは珍しいと宿の人が言います。ぼくの隣は10年前に歩いて今回は2回目、前回は全部歩いたけれど、今回は一部電車も使う。今日はビジハウスから30㎞以上の山越えだったので明日は電車も使って三島のつるやまで
、明後日は岡田が駄目で白地荘。向かいの人は8回目だけど歩くのは2回目。斜め前の人は6回目で40㎞歩く人でした。今日も壬生川の駅前から横峰を越えて西条駅前まで、電車で小松まで戻って来た。遠かったので何日で一巡するとか詳しいことは訊けませんでした。他には車で巡っている夫婦、自転車の男性、明日はMISORAまでという女性、昨年横峰の下りで足を傷めてそのまま断念、1年ぶりに明日からその続きを歩くという男性、ぼくが聞けたのはそれくらいです。ぼくの泊まる松屋までという人は意外にもいないのかもしれません。


19日目=坊っちゃん列車に乗って

2016-04-11 | 16年四国の旅

 14時53分、今治駅前にあるシクロの家に到着しました。4人用の相部屋に3人入っています。一人はしまなみ海道を自転車で2日かけて渡って来た年配の男性、もう一人は岡山から日本一周ヒッチハイクの旅で来た若者、若者に少しお遍路のことを話すと興味津々で聞いてくれて、いただいた錦の納札を見せたら撮影したいと頼まれました。
 昨夜、床の中で考えた結果、八十窪さんにはキャンセルの電話を入れることを決め、実際、南光坊の大師堂の前のボックスで入れました。1週間前だからほとんど迷惑にはならないし、すぐ予約が入るでしょう。これで帰宅は岡田に泊まった翌日の15日ということになります。3年前と同じ途中リタイアですが、あのときのような落ち込みはありません。むしろ、ここまでよくやったし、今まで以上のいい出会いがいっぱいあって充実感もあります。続きは今秋のお楽しみとすっきり割りきれてもいます。とはいえ、あと3つ有名な遍路宿に泊まるからまだまだ新たな出会いがあるかもしれません。


18日目=お接待所坂本屋

2016-04-10 | 16年四国の旅

 14寺59分、道後温泉の近くにある松山ユースホステルに到着しました。お遍路プラン2食付き個室で5076円、食事も最高レベル、部屋は洋室ベッドですが、道後でこれだけリーズナブルな宿はほかにないでしょう。安いだけなら相部屋のゲストハウスがいくつかありますが、何か味気なさを感じてしまいます。
 三坂峠を降りて来た所にあるお接待所坂本屋で初めてお茶とお菓子をいただきました。土日のみの開設なので、今回は初めからここに立ち寄ることを前提にスケジュールを組みました。お遍路にとって有名スポットだから一度は体験しておきたかった。お茶をいただきながら座敷の奥を見ると田中麗奈さんがお遍路をするNHKのドラマのポスターが貼ってありサインも書かれていました。お茶を出してくれた男性に尋ねると、なんとあのドラマの多くがここで撮影されたというのです。1か月もずっと撮影が続いたのでその間はお接待はできなかったそうです。ドラマのために作られた縁台はもらいうけてそのまま使っているし、ドラマ用に作られた遍路宿の看板もそば
に立て掛けてありました。録画はしてあるけれどまだ見ていなかったので、帰ってから見るのがすごく楽しみです。


17日目=やっぱり岩屋寺

2016-04-09 | 16年四国の旅

 15時48分、久万高原の中心部から5㎞ほど出たところにある桃李庵に到着しました。ご主人が、こんなに早く着いたことに感嘆の声をあげました。たちばなから歩く人はあまりいないし、いたとしても5時以降になるのが普通なのでしょう。本当はもう30分ほど早く着くつもりだったのですが、ひわ田峠が通交不能の看板が出ていて、遠回りの農祖峠を越えたのと、思わぬ所にお接待所ができていて長居をしてしまいました。しかも往復で2回、我ながらいやしんぼで困ります。お接待所は住吉神社の向かいにあって、土曜日曜のみの開設、6~8月、12~2月は完全にありません。明日は日曜なので三坂峠の下のお接待所もやっているはずですが、朝早いのでボケットパーク明神で時間を合わそうかと思案中です。ちなみにひわ田峠は注意をすればなんとか通れるそうです。