WALKER’S 

歩く男の日日

区切り打ち5回目の計画

2012-05-31 | 日記

 4回目に出る前には6回で20番まで行く計画だった。あと3泊4日を2回、のつもりだったけれど、4回目を歩いているときにあと1回でまとめてしまうことを思いついた。5泊6日で最後まで行くと1万円以上の節約になるし、何より梅雨に入る前に全部歩くことができる。天気予報をチェックしているけれどdボタンの予報とテレビで放送されている予報がかなり違っていてどちらを信用していいのか迷ってしまう。


11日目 5月11日 

2012-05-28 | 12年別格巡り


 6:21
いよいよ最終日が始まる、今日は歩く距離は少ない。


 6:23
ここから松山市駅までバスに乗る予定だったけれど、今日は歩く距離が少ないし時間の余裕もあるので、鷹ノ子まで歩いて電車で市駅に戻ることにした。


 6:30
こんな所にマンダリンパイレーツの独身寮があった。ぼくは6年前高知ファイティングドッグスのキャップをかぶって四国を一周した。


 7:04
昨日と同じコンビニで昼食とお茶を調達。ゴミ箱の横にあるザックはぼくのあとから来た野宿遍路さんのもの、昨日は八坂寺の通夜堂に泊まったようだ。八坂寺は野宿の人たちにはよく知られている。


 7:17
西林寺の横を通過する。鷹ノ子まで2km半。


 7:39
伊予鉄の踏切を渡る。鷹ノ子駅は右折してすぐ。

 右に折れるとすぐ駅舎が現れて、しかも駅名の看板もなく少しとまどってしまう。この時間なのでホームは通勤通学客でいっぱい。


 7:59
満員電車に揺られて松山市駅に到着、JR松山の電車は9時28分発なので松山城に登ることにする。

 4年前泊まった駅前のカプセルホテルは健在。安いのはいいけれどやはりお遍路にカプセルはよくない、ドミトリーのホテルエコ道後か相部屋の道後あいの方が余程いい、と今なら判断がつく。


 8:06
松山市役所にロンドンオリンピック出場を決めた選手の大きな垂れ幕がある。4年前に来たときには女子マラソンの土佐礼子選手の垂れ幕があった。これにはどういう意味があるのだろう。


 8:09
市役所と県庁の間、現在NTTがあるところが「坊っちゃん」の舞台となったところ、お城の前の超一等地だった。


 8:10
二之丸史跡庭園の手前から東の方へ登っていく。後から分かったことだけど、この道は明治になってから造られた登山道で、江戸時代には全く影も形もなかった。江戸時代の気分を全く味わえないのは少し残念。


 8:26
33年ぶりに松山城の前まで上がってきた。そのときは天守閣の上まで上がったけれど、今回は時間の余裕がないので中には入らない。


 8:34
城下の眺めは抜群、瀬戸の海も見える。今回はあの海の横を歩くことはない。お遍路はやっぱり歩かないとね。


 8:37
昭和40年代に再建された門や櫓もあるし立派な石垣も多く残されているのでくまなく縄張りを見て歩きたいけれど、時間がないので登ってきた道を引き返すだけにならざるを得ない。


 山を下りて堀端にある地図を何げなく見ていると、済美高校の文字が目に留まった。少しだけ遠回りになるけれど無理な距離ではないのでやってきた。

 学校の外の道からでもこの記念碑が見られるように作られている。


 9:10
15分ほどの余裕を持ってJR松山駅に戻ってきた。


 9:13
1番ホームにしおかぜが停まっている。帰りは特急には乗らない。そのあとに来る伊予西条行きに乗る。ベンチにお遍路さんが座っている。区切り打ちで家に帰るのであれば高速バスか飛行機が定番、ましてや特急にも乗らず普通電車に乗るというのはまだ続きがあるということに違いない。予想通り、53番札所円明寺の近くの伊予和気駅で降りていった。昨日53番まで歩いて電車で道後に戻ってまた続きから歩くということらしい。長珍屋に泊まるとどうしても道後温泉を行きすぎて53番まで行ってしまう、せっかく松山に来たのだから道後温泉に泊まりたいというのは人情。


 10:30
車窓からしまなみ海道、来島海峡大橋を望むことができる。また途中の駅から歩きへんろさんが乗り込んできた。53番から54番までは34kmあるし、遍路道沿いをJRが走っているのでワープする人もいるようだ。まもなく今治に到着する。


 11:02
一つ前の伊予桜井駅からも女性のお遍路さんが乗り込んできた。昨日は仙遊寺の宿坊に泊まって、国分寺まで歩いて、電車で伊予小松駅まで行くに違いない。香園寺、宝寿寺、吉祥寺と打って横峰寺は明日登るのだろう。それにしても今日こんなに歩きの人に会うとは思わなかった。乗り物を使いながら歩いている人は本当に多いし何より例年以上に多くの人が四国に戻ってきているという感じが強い。


 11:07
伊予三芳駅から5分で今まで5回お世話になった敷島旅館の前まで来た。ここからタイムチェックが始まる。


 11:14
大明神川を渡るところで遍路道に合流。


 11:31
東予西中学校を少し過ぎたところで前を行く男性に追いついた。この時間こんな所を歩いている人がいるとは思わなかったのでちょっとびっくり。仙遊寺から来たのであればかなり早いし、湯ノ浦温泉からだとかなり遅い。


 11:34
注目していたお遍路さん接待所「鈴なる」の前にやってきた。ベンチとテーブルはあるけれどお茶の用意はしていない。玄関を開けて声をかければお接待してもらえると思うけれど、なかなかそこまでできるものではない。宿泊できるという情報も1度だけ見たことがあるけれど定かではない。来年来ることがあったら電話で確認するつもりだ。


 11:45
遍路道をはずれて別格10番西山興隆寺に向かう道に入っていく。この少し手前でも歩きの男性を追い抜いた、野宿のようだったから横峰寺の登り口にある遍路小屋で泊まるのかもしれない。


 11:46
のどかで豊かな田園が広がる、そして背後には神の山が控えている。つくづく眺めてしまう。


 12:01
徳田小学校の前に大きな道しるべ。ここから山登りが始まってくるのはもちろん記憶に残っていなかった。


 12:06
県道151号を離れて右折。


 12:23
敷島旅館から70分26秒で別格10番西山興隆寺の山門までやってきた。本堂までは長い長い石段を登らねばならないのでまだ道半ばといってもいい。4年前より4分も早くてびっくりした。今回の旅では足の痛みが残っていて本来の歩きができなかったけれど、最終日の午後になってようやく力強い歩きが戻ってきた。


 12:40
興隆寺の本堂は国指定重要文化財、4年前は撮影できなかったのできっちり押さえておく。


 12:57
目の前の山が神の山かどうかは分からない。でも高い峰を見るとどうしても意識して眺めてしまう。


 13:01
別格の道となると遍路標識が全く見られないところもあるから、この一つがとてもありがたい。


 13:07
県道151号を横断する。

 古い遍路シールも色落ちしていない。


 13:10
橋まで来ると右折、要所にもれなく遍路標識がある。


 13:11
手前の小山のふもとに目指す別格11番札所があるはず。


 13:24
県道48号の交差点が見えてきた、最後の目標もいよいよ目の前。


 13:25
興隆寺から31分17秒で別格11番札所生木地蔵に到着、4年前より1分早かった。

 今回の旅の目的全てを果たし、壬生川駅に向かう。


 14:05
生木地蔵から壬生川駅までは5kmくらい、もちろん遍路道ではないしほとんどが初めて歩く道になる。今治小松自動車道の下をくぐる。


 14:11
ヤマダ電気の一つ先の信号から900mほど先までは2回歩いたことがある。敷島旅館から60番横峰寺より先に61番香園寺に向かう道がこの道になる。1回目の時は横峰寺の登山道が土砂崩れで歩けなくなってこの道を行くしかなかったのだ。


 14:21
元は東予市役所、今は西条市役所東予総合支所になっている。この交差点を左の方から来てヤマダ電気の方へ歩いたのが6年前と7年前。


 14:27
予讃線を越える。壬生川駅のホームも見えている。


 14:32
20分の余裕を持って無事壬生川駅に到着した。興隆寺でも生木地蔵でもほとんど休憩をとらなかったから楽々という感じでもなかった。

 4回目に出る前には6回で20番まで行く計画だった。あと3泊4日を2回、のつもりだったけれど、4回目を歩いているときにあと1回でまとめてしまうことを思いついた。5泊6日で最後まで行くと1万円以上の節約になるし、何より梅雨に入る前に全部歩くことができる。天気予報をチェックしているけれどdボタンの予報とテレビで放送されている予報がかなり違っていてどちらを信用していいのか迷ってしまう。


10日目 5月10日

2012-05-22 | 12年別格巡り


 6:09
信号を右に折れると西大洲駅の方に行く。初めての道ではチェックできるポイントはきちんとしておかないと何が起こるか、どこで迷うか分からない。


 6:22
でっかい道路標識が出石寺の方角を指し示している。

 標識に従って右折、橋を渡る。川は肱川の支流久米川。


 6:23
本日最初の赤矢印を発見。このみちは赤線のついている道ではないけれど、大洲に泊まってからこの道に来る人も少なくないから、考慮して貼ってくれている。


 6:24
出石寺21kmの標識、この三差路で遍路道に合流。遍路道は向こうから来てこの角を右の方へ行く。

 向こうから来た人とこっちから来た人のためのシールが二つずつ。


 6:29
予讃線の踏切を渡る。左に300mほど行くと伊予平野駅。


 6:38
気になっていたポイント、左側の道は10年ほど前にできた新しい近道。


 6:40
合流ポイントの少し手前に地蔵堂への登り口があるようだ、地図を見ると明らかに地蔵堂の方が近道だけど今回は直進する。


 6:49
向こうの道路の感じを見るとヘアピンカーブは近いようだ。


 6:51
ヘアピンカーブにやってきた。ここから県道を離れて直進する。

 角度的にちょっと微妙な道路標識。


 6:55
右車道、左歩道の遍路標識。いよいよ山に入っていく。ここはまだ標高120m。


 7:01
右へ曲がる舗装道を離れて直進、ここからが本当の山道だ。

 へんろ道左出石寺、標識も確認。


 7:04
3分ほどで舗装道に上がってきた。


 7:05
舗装道に上がるとまたすぐ山道に入る。

 へんろ道 番外霊場出石寺、の標識を確認。


 7:08
再び舗装道に上がってくる、横断してすぐ山道に入る。


 7:13
また舗装道に上がってきたけれどここが最初の迷いどころだった。

 標識がぶら下がっていたので間違いないと確信できたけれど、どう見ても民家に入っていく道にしか見えなかった。


 7:14
民家の横に申し訳程度にへんろ道が続いていた。


 7:18
自動車道に上がってくる。ちゃんと赤矢印がある。

今度はしばらく舗装道を歩くはず。この地点の標高は280m、出石寺の標高は812mだからまだまだ序盤だ。


 7:24
見晴らしのいいところに出てきた。標高300m程度とはいえ相当な山の中。


 7:29
山道の入り口が見えてきた。

 山道とはいえ明らかに車が入っている。この轍がちょっとしたくせ者だった。


 7:30
轍の道を行くとすぐ左に入る。遍路標識はあるけれど轍に気をとられて真っ直ぐ行ってしまう人がいても不思議ではない。


 7:31
遍路標識が指している左の方は少し下りになっている。地図を見るとちょうど大洲市と八幡浜市の境界になっていた。


 7:37
ここまで500mくらい全く標識も何もなくてとても心細かった。一本道ではあるけれど道は荒れているし初めて歩く道だから何の確信もない。こうして一つでも遍路札があるとすごく安心する。評判の遍路宿ときわ旅館さんがつけてくれたものだ。


 7:44
ようやく舗装道が見えてきた。ここまでは下りも多かったけど決して歩きやすい道ではなかった。初めての道は先が読めないから精神的にもかなり疲れる。


 7:51
ほぼ平坦な舗装道を600m歩いてくると山道の入り口が見えてきた。この山道を入るとあとは1度舗装道を横断するだけで出石寺まで全て山道になる。ここの標高は380m、まだ半分も登っていない。


 7:52
山の中へ入っていく。宿を出て2時間も歩き続けているのにまだここまでかという感じもある。目標としていた2時間半以内には着けそうもない。


 7:56
倒木がいたるところで遍路道をふさぐ。こんなに荒れた道は経験したことがない。倒木だけでなく枝打ちされたものが道の上に重なってさらに歩きにくくなっている。


 7:59
最後の舗装道に上がってきた。ここの標高は470m。


 8:00
舗装道を横切るとちゃんと遍路標識がある。


 8:01
わかりにくい道だけど道しるべがあるので迷わず入ることができる。


 8:08
山道が右側に大きく曲がって、4年前登ってきた道との合流ポイントが近いことを肌で感じる。


 8:09
4年前登ってきた道に合流、やれやれだ。ここからは迷ったり道をはずす心配はない。でも、この道を知らなくて初めてここに来た人は、このポイントから逆に行ってしまうこともありそうな感じだった。合流してからは「く」の字に折れて反対の方角に行かねばならない。写真のように頼りなげな道しるべもあるけれど、見逃して今来た方角をまっすぐ行って下ってしまう人も少なからずいるのではないかと思ったりした。
 ここの標高は550m、出石寺まであと1.7km、たっぷり30分はかかりそうだ。


 8:35
4年前に往復しているので、合流してからは快調だった。イメージの残っているところも多くて思い出しながら歩いた。ただ、やっぱり長さと坂のきつさはほとんど忘れていた。辛く苦しい所から忘れていくのが人間の本性らしい。ゴールが見えてきたようだ。


 8:36
ぼくの知る限り四国で2番目に大きなお大師さん、ここはまだ境内ではない。

 山門までまだこれだけの石段を登らねばならない。


 8:38
大洲郷土館から2時間38分57秒で何とか別格7番金山出石寺に到着した。予定していた時間より9分余計にかかったけれど、本当に甘くはない道のりだった。4年前は2時間9分だったからちょうど30分余計にかかったことになる。4年前の道は下り道ではあったけれど、登るのにも良い道であったと痛感する。郷土館のお手伝いの人が熱心に教えてくれた意味も改めてかみしめる。卯之町の宿を出て、大洲に入る前に出石寺に登ってから大洲の宿に入るということは余程の荒技であることも判った。でも、ぼくは地蔵堂の登山道もいつか歩きたいと思っている。

 お参りを終えて念珠をいただくと、もうほとんど時間の余裕はなくなっていた。水分と塩分だけはきっちり摂って、休憩なしで下山することにした。


 9:32
出石寺を下って2.5km自動車道に合流する。9時10分に出たから時速6.5km以上で下ってきたことになる。歯長峠などより緩やかで下りやすい道ではあるけれど思った以上にスピードが乗っていた。

 歩道山道は2.5kmだけど自動車道は7kmもある。ここから600mほどは登りになる。下りの途中の登りはダメージが大きい。


 9:39
ようやく峠(八幡浜市と大洲市の境)までやってきた。ここからは下るばかり。この少し手前で歩き遍路さんとすれ違った。4年前もこの近くですれ違った。大洲の宿を7時過ぎに出るとちょうどこれくらいの時間になるようだ。


 10:24
4年前このあたりまで登ってきたとき、こんな高いところまで来た、と感慨深げに冨士山と大洲城を眺めたものだったけれど、今回はもうこんな所まで下ってきたという感じ。この標高は300mくらい、冨士山の頂上とほぼ同じ。


 10:29
最初の短絡路、ここまで来ると下りも終盤。標高は230m。

 短絡路の入り口。


 10:30
1分ほどですぐ自動車道に合流する。


 10:31
二つ目の短絡路は通行止め、4年前もそうだった。たぶん5~6年前までは歩けたのだと思う。道が荒れて危険なところがあるのかもしれない。


 10:38
三つ目の短絡路も通行止め、この遍路標識も無駄なものになってしまった。


 10:44
最後の山道に入る。山道といってももうここの標高は120m、半分以上が平坦な道だという記憶がある。大洲郷土館まであと1.5km。


 10:55
下界、登り口が見えてきた。でもこの道は下りのための道なので、ここから登るときに登り口には一切標識もシールもない。ここさえクリアすればあとは迷いどころは全くないのだが。


 10:56
下界まで下りてくると正面に冨士山。


 10:57
予讃線の下をくぐり抜ける。


 11:03
久米川に架かる新しい橋を渡る。けれど4年前はこの橋もその手前の道路もなかったと思う。4年前はここより250mほど肱川よりの所を渡った。しかも橋ではなく水がなくてそのまま渡れるようになっていたと記憶している。そこは完全に地形が変わって水があって橋もなく渡ることができなくなっていた。4年の歳月に最も驚かされた瞬間だった。


 11:12
肱川橋まで戻ってきた。前回はこちらの橋を渡らず十夜ヶ橋まで行ったので正確な比較はできないけれど、大体で換算してみると5分ほど遅かったことになる。往きの道のりが全然違ったからその影響もあるかもしれない。


 11:20
ときわ旅館の前を通過。まだ一度も泊まったことはないけれど、来年来ることがあったら投宿したいと思っている。


 11:24
伊予大洲駅まで何とか戻ってきた。電車の時間まで20分ほどしかない。キオスクでアクエリアスを買って一息入れる。


 12:59
定刻より3分ほど遅れて列車は松山駅に到着した。松山駅の前に出てくるのは33年ぶりだ。そのときの駅前の様子はほとんど覚えていないので、変わったのか変わっていないのかはよく分からない。徳島駅、高知駅、高松駅と比べてかなり地味なので30年前のままなのかもしれない。


 13:14
伊予鉄松山市駅の前までやってきた。JRから1.5km、15分ほどの道のりだけど初めて歩く道で地図も持っていなかったので、やはり長く感じた。迷いようのない道だけど初めての道はどうしても緊張感がつきまとう。


 13:19
松山市駅に来るのは2度目だけれど4年前は降車するだけだった。横河原行きの電車がどこから出るのか分からなくて少し迷いながら1階の横河原線のホームに来た。


 13:33
49番札所浄土寺の最寄り駅久米駅に到着、ここから46番札所まで逆打ちをする。


 13:42
久米駅から4分で浄土寺に到着、へんろ道に合流する交差点で歩きの男性が50番札所に向かって行くところだった。この時間だと、繁多寺と石手寺をお参りしてちょうどいい時間に道後温泉に着く。浄瑠璃寺から道後温泉までの14kmの間に遍路宿はないから、今日はもう歩きの人には会わないかもしれない。


 14:19
浄土寺から28分23秒で48番札所西林寺に到着した。ベストより1分遅かった。電車の中で充分休んだけどまだ山登りの疲れがとれていないのか。いつもとは逆の風景で新鮮だったし、とても長く感じた。逆打ちの難しさを少しだけ味わったような感じがした。


 14:41
重信川に架かる久谷大橋を渡る。


 14:47
今日の宿は、昨日一昨日の宿とは違って素泊まり宿ではないけれど、団体さんが多いので素泊まりで予約している。故に橋を渡ってすぐの交差点にあるコンビニで夕食の調達をする。贅沢をして野菜ジュース500ccを買ってしまった。


 14:59
番外霊場札始大師堂、衛門三郎のゆかりの地らしいけど詳しいことは知らないしお参りしたこともない。


 15:11
西林寺から33分10秒で別格9番文珠院に到着した。ベストより2分遅かった。

 親玉にはお大師さんの御影があるのが値打ち。
 納経所から出てくると男性がお参りに来ていてぼくに話しかけてくる。こんな時間に珍しいなと首を傾げていたら、彼はバイク遍路さんだった。それもぼくと同じで別格だけを巡っている。彼は5~6年前に自転車で88ヶ所を巡って大変な思いをしたそうだ。自転車で28日かかった。自転車は山道ではお荷物にしかならず懲りたので今回はバイクにしたそうだ。バイクでも今日の出石寺のように迷路のような山道でナビがうまくきかず相変わらず大変だったと愚痴が出る。あと2日で20番まで行ければいいがと不安そうだった。20番まで行けてもそのあと岐阜まで帰らねばならない。


 15:48
バイクさんと話し込んでしまったので少し遅くなった。文珠院から7分58秒で47番札所八坂寺に到着した。ベストタイ、ここへ来てようやく普段の歩き。


 16:09
八坂寺から浄瑠璃寺まで900m、逆に打ったので道をはずしてしまった。順打ちの時は1度もはずしたことがない迷いようのない道なのに逆だとごく当たり前にはずしてしまう。改めて逆打ちの怖さを味わった。でも時間は8分37秒でベストタイ、そんなに遠回りにならない道だった。


 16:20
浄瑠璃寺の目の前にある長珍屋には3年ぶり7回目の投宿になる。写真では見えない本館の奥の木造だった部分が取り壊されて3階建ての新館ができていた。新館には各室にお風呂がついているようだ。おかげで大浴場はぼく一人でのんびり楽しむことができた。今回初めて本館の右の部分(白いところ、1階は食堂と売店がある)に泊まった。ぼく一人だけだった。団体さんや他の人は全部左の部分と新館で、すごく快適に過ごすことができた。


9日目 5月9日

2012-05-15 | 12年別格巡り


 6:47
いつもなら大洲まで歩くので6時に出ねばならない。今回は卯之町から大洲まで電車に乗るので1時間遅い出立になる。それでも30kmは歩くことになる。


 6:49
クアホテルの前を通過、この宿は評判は悪くないけれど遍路宿としては少し高いのでぼくの眼中にはない。


 6:59
前を行く夫婦遍路に追いついた。彼らは今日は宇和島駅前の宿から卯之町まで24kmくらい歩くはずだ。宇和島の駅前に泊まる人と、その15kmほど手前の旧津島町の宿に泊まる人の二つに分かれるけれど、宇和島に泊まる人は少数派だとぼくは思っている。


 7:07
いきなり歩道がなくなる、しかもこちら側にカーブしているので非常に危険だ。100mくらい先でまた右側に歩道が現れるので反対側に渡ることもできない。


 7:26
こういう看板は初めて歩く人にとってはとてもありがたい、ぼくのように7回歩いていても1年以上間が空くと忘れてしまうから変わらずありがたい。


 7:27
講談師神田山緑さんが野宿したのがこの遍路小屋。ジェットコースターのような破天荒な彼のお遍路には呆れるばかりだった。


 7:29
これは3年前にはなかった。北宇和島から龍光寺まで8kmの間コンビニも何もないからこれはとてもありがたいと思う。


 7:33
3年前は逆光でうまく撮れなかった。今回は曇っているのできれいに撮れた。


 7:41
務田の交差点にやってきた。最初来たとき車の標識に惑わされて左折して遠回りしてしまった。


 7:42
務田駅のそばの陸橋を渡る。


 7:48
突き当たりに矢印が三つ。

 10m先を右に折れる。


 7:54
長命水の角を左に折れれば41番札所は目の前。


 7:57
もやいから68分54秒で41番札所龍光寺に到着した。ベストより3分遅い。理由ははっきりしている。はっきりしているけれどしっかり歩けているからベストと同じくらいのタイムが出てもいいと思っていたけれど甘かった。


 8:11
墓地の中の急坂を登って裏山を越える。


 8:12
墓地の上から龍光寺全景を眺める。ここまで上がってくると、登りも一段落、後はほぼ平坦な感じのいい山道が続いて最後は下りになる。


 8:18
裏山を抜けて県道31号に下りてきた。やはり下りはより普通には歩けない。


 8:40
龍光寺から29分13秒で42番札所仏木寺に到着した。ベストより1分遅い。下りの山道があったから納得の数字ではある。それより仏木寺の山門が新しくなっていてびっくり。2年前の秋から建て替えの工事が始まって昨年の5月28日に落慶法要が行われたようだ。


 9:13
水屋を使って本堂の前に行くと、ぼくが龍光寺に着いたとき、裏山に登っていった女性が大師堂の前にいた。ここから卯之町の宿まで10km、その向こうとなると大洲の宿までさらに20km歩かねばならない。今から歯長峠を越えて30kmも歩けるのだろうか。


 9:16
仏木寺の前を松山道が走る。3年前はまだ工事中だったけどちゃんと車が走っている。今年の3月10日に西予宇和=宇和島北が開通したばかり。3年経つと本当に風景が変わる。


 9:21
左折して県道を離れていく。


 9:22
最初は舗装道が数百メートル続く。


 9:27
ここから山道に入っていく。


 9:29
100mほど登ると石畳の道になる。


 9:39
県道が見えてきた、ここだけ下りになる。


 9:40
しばらく県道を歩く。


 9:44
鎖場峠道の入り口までやってきた。ぼくは06年から09年までトンネルの道を歩いたので本来の歯長峠を歩くのは7年ぶりになる。

 階段を上がってくるとすぐ遍路小屋がある。これからが本番なので休むわけにはいかない。


 9:46
左側下にはトンネルに続く県道が走っている。


 9:47
鎖場が始まる。確かに急登坂だけれど杖(ぼくはこうもりだけど)があれば鎖を使わなくても無理なく登れる。


 9:49
鎖場もそろそろ後半か、なにぶん7年ぶりなのでほとんど記憶に残っていない。


 9:51
鎖場が終わって道はほぼ平坦になった。


 10:00
歯長峠に到着した。この少し前で逆打ちの男性とすれ違った。あごひげをたっぷり蓄えた見るからにベテランのお遍路さんだった。挨拶を交わしたときの笑顔がとても感じよかった。


 10:05
太い林道を横断するけれど、7年前こんな道があったかなと首をひねる。今回は登りより下りの方が遙かにきつい。本当なら駆け下れそうな道がおそるおそる足を運ぶしかない。


 10:19
下りも最終盤になった。この左側の風景が7年前とは全然違う。この下り道もなくてもっとひどいむき出しの工事中の道なき道だったことを覚えている。それが嫌でトンネルの道を行くようになった。


 10:21
これが左側の風景、7年前は影も形もなかった。


 10:22
県道に合流する、下りの山道は荒れているところが多くて本当に一仕事終えたという感じ。


 10:25
仏木寺から69分50秒で肱川手前の遍路小屋に到着、7年前より5分も遅い。普通の状態ではないから仕方ないけどちょっと悔しい。8年前のタイムとは同じだった。


 10:37
遍路小屋で12分休憩、歯長橋を渡る。


 10:44
県道29号を行くと、まもなく民宿兵藤が見えてくる。


 10:52
完成した松山道の下を行く。3~4年前は工事中でちょっとだけ迂回するようなこともあったけれど、歩き始めた頃は全く何もなかった。


 11:05
歯長橋から27分12秒で遍路小屋に到着、ベストより1分遅れだけど、3年前の記録と同じ。水道があるので水を補給しておく。



 11:10
6分ほどの休憩で43番札所に向かう。明石寺までの距離表示はこの手の道しるべにしては珍しく、全く正確なものになっている。


 11:20
西予宇和インターチェンジへ上り下りする道路の下をくぐって卯之町へ入っていく。このトンネルは9年前からあった。最初来たときこの少し手前にややこしい道しるべがあってトンネルに入れず迷ってしまった。トンネルとは別の道もあるけれど初心者にはちょっと難しい道になっている。そちらが本来の遍路道かもしれないけれどインターチェンジの建設で分断されてややこしくなっている。


 11:31
県立宇和高校の前を過ぎると昔ながらの道へ入っていく。


 11:33
先のトンネルを抜けないもう一つの道が合流するポイントが見えてきた。そちらの方を見ると仏木寺を15分くらい先に出た男性がやって来るところだった。


 11:36
明石寺の手前の自動車道に出てきた。すごく苦手な登り坂。気持ちよく登れたことは一度もない。


 11:41
ベストより3分遅れで43番札所明石寺に到着した。


 11:42
本堂に工事用の覆いがかけられている。でもお参りはできるようだ。


 12:00
納経所の前のベンチに大きなザックが二つ、トイレの前のベンチには明らかに歩きの人が休んでいる。彼ら3人はこの時間から大洲の宿まで20kmも歩かねばならない。人ごとながらやや心配になる。ぼくはこれから電車に乗るので何の憂いもない。電車の時間まであまり余裕がないので休憩なしで宇和文化の里へ下りていく。


 12:10
文化の里へ下りていく道は快適で好きな道だけれど足の調子がよくないのでいつものような気持ちよさはないしスピードも乗らない。


 12:22
明石寺から21分48秒で卯之町駅に到着した。ここまで来るのは初めてだから記録は比べようがない。電車が来るまで23分、


 12:45
定刻に伊予市行き普通列車がやってくる、大洲までは約40分。


 13:24
西大洲駅を過ぎると、大洲のシンボル冨士山(とみすやま)と大洲城が重なって見える。動いている電車の中からにしてはいい角度でとらえることができた。


 13:29
定刻より3分遅れで伊予大洲駅に到着、これから別格8番十夜ヶ橋に向かう。宿は反対側にあるので同じ道を3km以上引き返すことになる。この都合で電車に乗るしかなかったのだ。十夜ヶ橋を明日にすると松山行きの電車に乗れなくなる。


 13:33
駅から南へ300m、国道56号に当たる。

交差点を左折して国道(遍路道)を東に向かう。左側の更地は5年くらい前までローソンがあったところ、駅前の国道の交差点だから最高の立地と思われたけれど、いかんせん駐車場がなくて期待ほどはやらなかったのかもしれない。


 14:01
大洲駅から31分48秒で別格8番十夜ヶ橋永徳寺に到着した。駅から来るのは初めてなので記録の比較はできない。調子は悪くないししっかり歩けている自覚もあるけれど、やはり見えないところで影響は出ていてタイムとしては良くないのかもしれない。



 14:16
大師伝説はあまたある中に今なお全てのお遍路さんが聞かされ浸透しているのが十夜ヶ橋の伝説であろう。この橋の下で一晩を過ごしたお大師さんがその寒さのあまり一夜を十夜のように感じたところからこの名前が付いた。そして橋の下で眠るお大師さんのことを思い、お遍路はどんな橋の上でも杖を突いてはならないという不文律が今なお生きている。

新しい橋の下で今もお大師さんは横たわっている。
永徳寺の御詠歌は
 「ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば
        一夜も十夜の 橋と思ほゆ」


 14:57
駅の近くの食品スーパーまで戻ってきた。今夜の食事を調達する。クオリティフードパワーセンター、ものすごいネーミングに一歩立ち止まる。


 15:12
肱川を渡って右折、松楽旅館の前までやってきた。宿泊4500円、朝食500円、夕食1000円とあるけれどこの宿の評判はあまり聞かない。


 15:21
8回目にして初めて大洲城の前まで上がってきた。いつもは45km以上歩く日なので500m離れた肱川橋の上から眺めるしかなかった(4年前だけはすぐ裏の大洲郷土館から見たけれど)。目の前で見ると想像以上に立派で威圧感がある。


8日目 5月8日

2012-05-12 | 12年別格巡り

 帽子、財布、時計、鍵、ハンカチ、ペン、五円玉、カメラ、経本、小銭。持ち物を全部机の上に並べて、今一度点検する。


 6:53
予定していたのより1本早い山陽電車でJR姫路駅前までやってきた。姫路駅ビルは完全に破壊され駅前は工事の真っ最中。どういう駅前になるか一市民であるぼくは全く知らない。


 6:55
久しぶりにみどりの窓口にやってきた。ぼくがみどりの窓口に行くのは青春18切符を買うときぐらいだから2年ぶりになる。


 6:59
無事乗車券と特急券を購入、JRの特急に乗るのは本当に久しぶり。おそらく大学時代、依頼演奏で鳥取まで「まつかぜ」と「はまかぜ」に乗った時以来ではないかと思う。

 13:44
岡山から特急しおかぜ5号、松山から特急宇和海13号を乗り継いで6時間かかってようやく本日の目的地宇和島に着いた。でも本来の通し打ちであれば17日間毎日40kmを歩いてやっと到達することを思えば、あっという間だった。

 13:49
宇和島といえば闘牛を先ず連想する人もいるかもしれない。

 13:51
「汽笛一声新橋を・・・」鉄道唱歌を作詞した大和田建樹は宇和島の人、駅前のこの詩碑に気がつく観光客やお遍路さんは少ないと思う。彼を誇りに思っている地元の人は多いそうだ。






 13:55
宇和島駅から150mで別格6番龍光院の前に来る。本堂、大師堂はちょっとした丘の上にある。



 14:25
今まで7回も宇和島に来ていながら宇和島城に登ることは一度もなかった。40km以上歩く日だからとてもそんな余裕はなかった。今回は龍光院のお参りを済ませると後は宿まで2kmほど歩くだけだから、初めて城山に登ることができる。登城口に立派な武家長屋門があった。門の入り口に設置されていたパンフレットを見ると、この門は移築されたもので元々この位置には門などなかった。この左側には三の丸御殿があってここはすでに城内だった。ちなみに城山を囲むように走っている国道56号も城内で、堀はそのひとまわり外側にあったようだ。


 14:27
三の丸から井戸丸に続く急な坂道を上る。この坂は江戸時代からあったものと思われる。


 14:32
井戸丸から二之丸まで上がってくると天守が見えてくる。


 14:33
二之丸から本丸へ上がっていく。ここには一の門があった。宇和島城は石垣と天守以外の全ての門、矢倉、御殿が失われている。


 14:36
本丸、天守の前までやってくる。入館料は200円、時間の余裕がないので入らない。天守は2代藩主伊達宗利の時1671年に再建されたものがそのまま今も残されている。矢倉や門や堀が残っていれば国宝に指定されてもおかしくない(重要文化財には指定されている)


 14:41
本丸から市街地北西部を眺める。江戸時代初期にはこの市街地の多くが海だった。城山の北西部は海に面していて、平山城ではなく海城だったかもしれない。

 15:00
籐兵衛丸にある城山郷土館を少し覗いて長門丸まで下りてきた。縄張りの多くは藤堂高虎が創建した時代のものだけに本当に見事な城構えになっている。


 15:12
城山から下りて国道を歩いていると電柱に気になる白丸が。写真では全く見えないけれど肉眼だと完全に色あせてしまったへんろ人形のマークがかろうじて確認できる。この、へんろみち保存協力会宮崎さんが作ったシールはほとんど色あせていて、いろんな種類のへんろシールの中で少数派になりつつある。ぼくが四国を歩き始めた頃はこのシールと赤矢印の2種類くらいしかなかったことを思えば、何か切なく寂しい感じがする。


 15:28
駅の近くのパルティフジで今夜と明朝の食事を調達する。ここに入るのは最初の時以来9年ぶりになる。


 15:43
これだけへんろシールがあっても一番古いへんろ人形のシールは見られない。フジから今日の宿まで2.8km、中間点を過ぎたところ。


 15:48
遍路道から少し奥まったところに北宇和島駅が見える。今まで5回もこの前を歩いておきながら駅を確認したのは初めて。この駅から予土線と予讃線が分かれていく。


 15:53
予土線の踏切を渡る。向こうに見えている白い建物はクアホテル、今日の宿はその手前にある。


 15:54
本日の宿、へんろ宿もやいに到着、3年ぶり3回目の投宿になる。高崎さんは最高の遍路宿だと言っていたし、ぼくも柳屋旅館とこの宿が甲乙つけがたい最高の宿だと思っている。部屋は二つあるけれど今回もぼく一人のようだ。


 17:20
お風呂から上がるとダイニングのテーブルにじゃこ天が用意されていた。テーブルには他にも紅茶、緑茶、伊予柑。クッキーなどが自由にいただくことができる。冷蔵庫には烏龍茶とミネラルウォーターもある。


連休中の遍路宿

2012-05-07 | 日記

 半年ぶりに更新されたしいなさんのお遍路ブログを読む。
 70番本山寺の門前にある一富士旅館以外はほぼ満室のようだ。雲辺寺手前の民宿岡田が満室になるのはごく当然としても、大興寺門前の民宿おおひらや、国分寺近くの民宿あずさまでもがいっぱいになるというのは、さすが大型連休。そして例年並みの人が四国に戻ってきたということでもあるようだ。


姫路市文化センター

2012-05-04 | 日記

 2日続けて文化センターにやって来た。今日は琴丘高校吹奏楽部の定期演奏会がある。琴丘の定期演奏会に来るのは初めて。
 さすが、昨年関西大会に出場した実力校だけあって、市吹とは違ってまとまりと迫力を充分見せてくれた。市吹の半分くらいの40名で市吹以上の迫力があった。やはり、市吹はあんまりまとまり切れていなかった。小舟のフルートの出だしからしてピッチが違うと感じた。あれだけ人数が多くなると音量よりピッチのずれによるつぶし合いの弊害の方が大きくなるようだ。合ってこその迫力、合わなければ力は半減する。


宿の予約完了

2012-05-04 | 日記

 数日前から週間予報をずっとチェックしている。NHKのdボタンでは各地の週間予報が簡単に見ることができる。宇和島市や大洲市の天気をすぐ見られるようにしていた。10日までの天気が落ち着いているようなので、宿に予約を入れた。8日遍路宿もやい、9日大洲郷土館ユースホステル、10日長珍屋、それぞれ問題なく予約することができた。連休が過ぎれば満室で断られることはほとんどない。遍路宿情報も変更して印刷が終わったところ。


姫路市文化センター

2012-05-03 | 日記

 姫路市吹奏楽団の定期演奏会に来るのは10年ぶりになる。03年からはこの時季は四国に行くようになってしまったので来られなかった。今回のメインはマイスタージンガーだ。最近はコンクールでも演奏会でもほとんど聴かれなくなった。壮大な曲だ、宇宙を感じさせる奥深い曲、言い換えればややこしい曲。一つ間違えればごちゃごちゃして訳が分からなくなる。それだけにやりがいもあるけれど、市民バンド、姫路市吹は県大会で金賞を獲り続けている実力はあるけれど、にとってこれだけの曲をまとめるのはやはり相当骨の折れる作業だったと言わざるを得ない。週に2回3時間の練習では聴衆を納得させるレベルまで仕上げるのはなかなかだ。でもドビュッシーの小組曲は各楽器の特徴や実力がよく発揮できていて楽しめた。


区切り打ち4回目の計画

2012-05-03 | 12年別格巡り

 3回目に出る前まで、4回目は足摺を1周歩くつもりだった。でも3回目を歩いている内に考えが変わって、いきなり別格6番の龍光院に行く方がいいのではと思い始めた。宇和島から始めることで2万円ほど節約できるし、スマートホンも4月中に解約して普通の携帯にすることでさらに1万円節約できる。
 1日目はJRで宇和島に行くだけでほとんど歩けない。2日目は宇和島から卯之町まで20kmほど歩いて、大洲までは電車に乗る。3日目は別格7番金山出石寺を往復して大洲から松山まで電車に乗ってしまう。伊予鉄で49番札所浄土寺の近くまで行き、浄土寺、西林寺、別格9番文珠院、八坂寺、浄瑠璃寺をお参りして長珍屋に泊まる。4日目は長珍屋の前からバスで松山市駅まで行き,JRで松山から伊予三芳駅まで行く。三芳から歩いて別格10番西山興隆寺と別格11番生木地蔵をお参りして壬生川駅に戻る。歩く距離は3回目より少なくなるし全部素泊まりになるので今回のようなたっぷり感は味わえないかもしれない。