昨日の台風のニュース映像の中で大月町を歩く外国人お遍路さんの姿がありました。台風の大雨の中を歩くことよりもこの3週間の猛暑の中を歩きつづけてきたことの方に驚愕しました。ぼくだけでなくほかの多くのお遍路さんもそうであるように、外気が40℃近くになる炎天下では3km歩くのにもたいへんなダメージを受ける、用事がなければ外に出たくない、それを3週間も歩きつづけて折り返しまで、自然と頭が下がる思いでした。ぼくらなんかより一段も2段も上のステージを歩いているような感じさえするのでした。
情報ライブミヤネ屋、にときわ旅館のご主人藤江さんが紹介された、旅館ではボランティアの受け入れを行っていること、お風呂を無料開放していることなどを話されたようです。テレビは見ていなくてネットの記事で発見しました。
今朝の姫路の最低気温は24.7℃、11日ぶりに熱帯夜が途切れました。この間各地で史上最高ともいえる猛暑が続いていますが、姫路では記録の上では5年前の方がひどかった、5年前は四万十市で史上最高気温が更新された年、その年姫路では8月10日から13日連続で猛暑日でした。姫路では1年の猛暑日が5回前後なので本当にひどい暑さでした。今年の猛暑日はこの10日の間に4回だけでした。それでも昨日の最高気温は36.7℃、5年前の一番高かった日も同じ36.7℃だったからいい勝負であるともいえます。室温はきのうも38℃まで上がって4℃ほど低い1階で過ごす時間が多くなってしまいました。外歩きもイオンまでの2kmがかなり辛くなっています、5年前にはそんなことはあまり感じなかったと思いますが。この暑さの中でも皆さん(お気に入りに入れているお遍路ブログの)いろいろなところに出かけられて感心するばかりです。ぼくは9月になるまで青春18きっぷを使うのを断念、コンクール以外の遠出は諦めました。
立ち止まり見まわせば 作詞/平内一行
町はいつもと違う町 作曲/キダタロー
曲がり慣れてる四つ角を 歌/芹洋子
まっすぐ歩いただけなのに
そんなこと気にせずに
通り過ぎてもいいけれど
ほんの小さな驚きに
ときめく心を失くしたくない
近道や回り道
そこにいつでも旅がある
どんな小さな事にでも
ときめき感じて生きてゆきたい
何気なく見上げれば
空はきのうと違う空
雲の形とその色が
季節の流れを告げている
そんなこと気にとめず
窓を閉めてもいいけれど
ほんの小さな風景に
ときめく心を持ち続けたい
近道や回り道
そこにいつでも旅がある
どんな小さな事にでも
ときめき感じて生きてゆきたい
大人になって年齢を重ねるほど時間が早く過ぎると感じるのは・・・・・
人生にときめきがなくなったから
と先週の土曜日にチコちゃんが教えてくれたとき、先ず思い出したのが上の曲です。フレッシュ9時半キダタローですの10周年記念に作られた曲です。
とはいえ、日々の生活でときめきを感じるのは大人になるほど難しい、だから大人の皆さんは非日常、ときめきを求めて旅に出る、旅もいろいろ人によって好みも違う、したいことも違う、
一度四国を歩くと、また戻ってきたくなるのは、ときめきの数や質が不通の旅とは全然違っているからなのかもしれません。まあ、全ての人が同じようなときめきを感じるかと言えばそれもさまざま、ときめきを感じない人はお四国病にかからない健康な人なのでしょう。
初めて四国を歩く人は多かれ少なかれ失敗をする、道に迷う、時間通りにいかない、それも大きなときめきだと思えばいい、非難されるようなことでもない、楽しめばいいだけのこと、そういうときめきを味わえなくなったベテランお遍路さんは逆打ちをする、まだ歩いていない四国の道を行く、番外を押さえて回る、奥の院にも行く、さらには新四国曼陀羅霊場も歩いて回る。四国からときめきが尽きることはないと思われます。
さらに、ののはなこさんのブログを読んでいくと、せりわり行場の梯子が修復されていて登れるようになっているとの報告がありました。今年の4月9日の記録です。これで、ぼくも来年奥の院の満願が果たせそうです。
ののはなこさんの名前はdaboさんや日傘さんのブログで見ていたのですが、ご本人のブログを開いたのは今年の5月が最初でした。先ず驚いたのは今年の4月のお遍路で本当なら西林寺と八坂寺の間で会っているはずだった、ぼくが札始め大師堂の納経で大蓮寺に行って本来の遍路道を外したので会えなかった。
はなこさんの最初のお遍路は12年の3月、ぼくが別格だけを巡っていた年です。区切りの2回目は同年の四月半ば、17番井戸寺から、ぼくも同じ頃歩いていたはずと手帳を調べてみると、はなこさんが井戸寺の前から出発した日、ぼくは牟岐駅前の宿を出発していました、ぼくはその2日前慈眼寺の手前から歩き始めていました。そこで、はっと気がついたのは、牟岐の宿に入った日、逆打ちの竹下さんと8年ぶりの再会を果たしていたではないか。とすれば竹下さんとは会っていたに違いないと、ブログを読み進めていくと、ありました。はなこさんが立江寺の先、法泉寺の休憩所を出た後に逆打ちの女性と会って、金子やはキャンセルしてさかもとにしなさいと薦められた、写真も撮ってもらったとありました。間違いないですね。そういうお節介ができるのは竹下さんならでは、ぼくもその2日前薬王寺の7km先の休憩所でもう2人のお遍路さんと撮影大会があったばかり、その時は2巡目の時に4回ほど会ってお話もしていたことは思い出せなくて、でもいろんなお話ができてとても楽しくて力が湧いたのを覚えています。理想をいえば逆打ちはそうでなければと、今年自ら経験して考えました。竹下さんは、その時は会う人が少なくて寂しくて会う人ごとに話しかけたと言っていましたが。
お大師さんと巡り会うための旅だとすれば、ただすれ違って挨拶を交わしてそれで終わりというのはあまりに味気ないですからね。
猛暑日
姫路は近畿の大都市に比べると比較的気温が低くて、今日が今年最初の猛暑日となりました。とはいってもぼくが記録をとっているこの8年間の中では一番早い猛暑日です。17年=8月2日、16年=8月8日、15年=8月2日、14年=7月25日、13年=8月10日、12年=7月31日、11年=8月7日。一番早かった14年より6日も早い、異常気象だといわれても仕方がない。猛暑日の日数は1年平均6回、ですが、13年などは8月10日から連続13日猛暑日、終わってみればその年よりは少なかったということになるかもしれません。
そんな中、今日も10kmほど歩いてきました、梅雨明けしてから1日も休んでいません。2km屋外を歩いてあとはイオンモールの中をグルグル歩くだけなのですが、ここ数日は往復の4kmがかなり辛くなっています。炎天下の気温は40℃近くあるはずで、さすがに歩くのがいやになる環境です。ドイツ人の父娘は本当に歩けているのでしょうか、早々にリタイアしたでしょうか、焼山寺、鶴林寺、太龍寺の登山道の先日の大雨後の状態を保存協力会にリポートしてきた人がいる、いまも確実に四国を歩いている人がいます。
サッチモ、ルイアームストロングの歌声が強烈な午後の紅茶のCM、なぜサッチモなんだ、なぜビビディバビディブーなんだ、この歌声が入ったアルバムは。サッチモシングズディズニー、50年ほど前にリリースされたもの、ぼくはこのアルバムがFMで放送されたものをカセットテープに録音して持っていたのですが、今は所在知れずになってしまいました。久々に全部聞きたくなったのでamazonでプチッとしてしまいました。中古品で1263円。
ジッパディードゥーダー、地下より10フィート、ハイホー、口笛吹いて働こう、チムチムチェリー、バウトタイム、デビークロケット、ベアーネセシティ、星に願いを。50年以上前の曲ばかりだけれど、耳なじみのある曲もいくつか、ジッパディードゥーダーはバナナマンのせっかくグルメのテーマ曲に使われています。
今日のちちんぷいぷい、道案内のコーナーに登場したドイツ人父娘、今からバスに乗って徳島へ、何をしに行くかというとハイキング、よくよく聞けばお遍路でした。英語のルートガイドも見せてくれました。ただお遍路のことはほとんど何も知らないような感じ、友人から薦められて行くことにしたそうです。でもこの時季からだと本当にたいへん、歩いている人もすごく少ないし。それでも、ただそこを歩くだけで、思いもしない、魅力的な何かに出会うこと、感じ入ることができることは間違いないでしょう、それがSHIKOKUというものです。
知多四国のガイドブックが出ていたので、いきなり購入してしまいました。知多四国霊場会監修によるもので、なかなかの優れものでした。ぼくが今まで見た巡礼ガイドブックの中で四国の英語のルートガイドの次によくできています。期待していなかったけれど、歩きの地図が全部詳しく載っていました。農地の区画整理や宅地公園の造成でなくなってしまった古い遍路道も点線で記されています。古くて迷いやすい道の横には分かりやすい県道や国道に青線が引かれてあったりもします。
でも、歩きの人のためのガイドブックではあるけれど、近年では歩いて通しで巡礼する人はかなり少なくなっているようです。ほかのガイドブックには必ずあるのにこの本にはないものが、それは遍路宿の情報。広告すら一切ありません。歩く人でも日帰りで区切る人が圧倒的に多いのかもしれません、自転車で巡った人のブログも見ましたが、やはり区切りで2年近くかけて結願、歩きツアーも日帰りの区切り、ぼくのパソコン地図にある遍路宿らしき旅館も何軒もなくなっていました。
小豆島の開創ははっきりしないようですが、知多四国の開創は210年前とはっきり分かっています、今年は記念のスタンプも押してくれるようなので、小豆島の続きに巡っておきたいと考えています。
JR四国のサイトを見返すと、財田川鉄橋は早くても復旧に1ヶ月、と書いてありました。ということは遅くても2ヶ月以内には復旧できるような感じです、たぶんお盆までにはとJRは考えているでしょう。ということで秋の石鎚はたぶん予定通り、前日に久妙寺、安楽寺、妙雲寺を押さえておけば、来年、この夏行けなくなってしまった臼井御来迎と実報寺も無理なくお参りできます。
遍路道、本山寺の手前750m、予讃線が財田川を渡る、その橋脚がこのたびの水害で傾いて復旧の目途が立っていない、この夏の青春18きっぷで伊予小松まで行く計画は変更するしかありません、この秋に予定している石鎚登山も延期になるかもしれません。マリンライナーは通常運行しているので、徳島の方へは行くことができます。土讃線も通常運行なので金刀比羅宮には行けます。
2日前に国土地理院が倉敷や大洲などの浸水地域を推定した地図を発表していました。それによると伊予大洲駅の周辺は何とか浸水を免れたようです、ときわ旅館はギリギリセーフだったようです、大洲郷土館ユースホステルも大丈夫のようです、ただしこれはあくまで推定であるということ、でもやっとひとつ安心できました。
十夜ヶ橋
めぐめぐさんの掲示板に十夜ヶ橋の様子の報告がありました。別格霊場会のホームページに記載があったそうです。十夜ヶ橋はやはり床上浸水、御影、念珠、記念散華などは全部だめになって発注している最中、御朱印は対応してもらえるそうです。出石寺への県道も不通、52番太山寺の参道も土砂崩れで不通、本堂まで行けなくなっているそうです。報道ではありませんがほかにも歩けなくなっている遍路道がかなりあるのではと思うと、気分は沈みがち、知り合いのお遍路さんが住んでいる所でもひどい被害で確かめることすらできない、できたとしても何と言っていいか分からない、
1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目
前 0.9 H 0.7 H 0.4 H 0.6 H 3.4 H 0.7 H 3.7
1 3. 11 1.9 23 1.5 P 2.7 48 2.1 63 0.7 82 1,2
2 0.3 12 2.9 24 2.2 外 3.8 49 0.9 65 5.7 83 1.5
3 1.9 13 0.6 25 3.0 40 2.5 56 0.3 66 1.1 84 1.4
4 3.2 14 1.9 開 2.3 41 1.3 52 0.2 67 1.0 85 1.4
6 3.4 15 2.4 外 1.5 42 0.8 53 0.2 68 0.3 86 4.0
7 0.8 16 0.6 26 3.9 43 0.5 51 0.1 69 0.6 5 2.3
8 2.2 17 3.6 27 3.0 奥 4.6 50 1.3 70 1.6 88 3.0
9 1.6 18 0.9 28 2.4 44 2.3 55 2.4 71 4.6 87 0.3
10 1.4 外 2.4 29 2.8 47 1.1 57 7.3 72 2.3
外 0.7 34 - 46 0.7 外 0.1 76 -
54 4.7 33 - 45 0.3 58 0.3 74 -
19 0.8 31 - 59 1.6 75 -
20 2.0 32 - 60 2.3 73 -
21 3.1 30 0.9 61 1.6 77 2.5
22 0.3 外 1.4 62 2.0 78 1.2
35 1.8 64 0.5 79 1.7
36 0.3 80 0.8
81 0.4
19.3 km 29.5 km 27.6 km 20.4 km 26.6 km 25.4 km 18.8 km
34から32、76から73は100m以内の距離になります。4日目は二つの島に渡るのですが島内の距離は記していません、合計で2.5kmほどです。
宿は 丸登屋旅館、ファーストホテル武豊、観光ホテルやまや、ホテルみかど、ホテルミラーゴ中部空港、ビジネスホテル寺本、意外なことに全てバス電車での移動の必要のない丁度いいところにありました。
出発は名鉄前後駅、終了はJR大高駅です。
4月15日15時25分、宇和島市津島町ホテルアイリンの400m手前、アイリンに向かう男女のお遍路さん、ぼくは川を挟んだ緑の四国の道で三好旅館に向かっています。川を挟んでいますが二人ともきっちり会釈して挨拶してくれました。こういう風に挨拶できることは滅多にないのでとてもほっこりします。
とことこお遍路会で湖山さんに名刺をいただいてブログをなにげなく拝見していたら、何と、この日アイリンに泊まったとあるではないですか。写真のお二人は湖山さんとお姉さんでした。こういう思いもかけない出逢いが、順打ちのおそらく4倍以上は期待できる逆打ち、ほんとうはこの秋にでも逆に打ちたいほどの気持ですが、まだ奥の院も番外も終わっていないので今しばらくの辛抱でございます。