WALKER’S 

歩く男の日日

09年四国の旅 索引

2009-09-15 | 09年四国の旅

 1日目  1 ~  7
 2日目  8 ~ 12
 3日目 13 ~ 17
 4日目 18 ~ 21
 5日目 22・23
 6日目 
 7日目 24・25・26
 8日目 27
 9日目 28・29・30
10日目 31 ~ 35
11日目 36
12日目 37
13日目 
14日目 38
15日目 
16日目 39・40
17日目 
18日目 41・42・43
19日目 
20日目 44 ~ 47
21日目 48 ~ 53
22日目 54 ~ 59
23日目 60 ~ 64
24日目 
25日目 65 ~ 69
26日目 70 ~ 78
27日目 79 ~ 83
28日目 84 ~ 88
29日目


四国歩きの総括 5

2009-08-17 | 09年四国の旅
 以前、自分のホームページに「納経所が鬼門?」という文章を書いたことがあったけれど、今回初めて88箇所の納経所をすべてまわって、その文章が真実ではなかったことが判りました。あの文章はぼくが人から聞いた話や、書いてあるものをまとめた、すべて伝聞の文章だった。それぞれの話は確かに事実ではあっただろう。でも真実ではなかった。納経所で受ける印象というものは、人によって心構えが違うし、期待するものも求めるものも違うから、違ってくるのも致し方のないことだといえる。だからそれぞれが受ける印象は事実ではあっても普遍的な真実とは言えない。
 ぼくは今回鬼門だと感じたことは一度もなかった。いやな思いをしたことも一度もなかった。「ありがとうございました」と最敬礼するとほとんどの人が「お気をつけて」と言葉をかけてくれた。おそらく3分の2以上の納経所で声をかけて貰ったと思う。声をかけてくれなくても気分の悪い言動をする人は一人もいなかった。ちょっとしたトラブルがあったという札所は10ヶ所以上聞いて知っていたけれど、それらすべてが何の問題もなくスムースに終えることができたので逆の意味で期待はずれだったくらい。

四国歩きの総括 4

2009-08-17 | 09年四国の旅
 初めての道は8箇所歩くことができた。焼山寺から南回りの道、愛南町の癒しのへんろ道、宇和島市の松尾トンネルの上の峠道、久万高原町の農祖峠、松山市内の番外蓮華寺の前を通る道、栄福寺の手前の山越えの道、観音寺市の財田川右岸の道、88番から大坂峠への道。
 これで、主なへんろ道はほとんど歩いてしまったことになる。あと残すところは月山神社からの旧いへんろ道(赤線はない)、農祖峠から先に岩屋寺へ行く道、88番から與田寺へ行かず大坂峠へ直行する道、大坂峠から1番へ下りていく道の4箇所くらいになってしまった。別格への道も4箇所くらい残っているから合わせて8箇所くらいになる。

四国歩きの総括 3

2009-08-16 | 09年四国の旅
 歩行距離の合計は1143.1km。歩行時間の合計は11391分。
 1日の平均は39.42km、6時間33分。平均時速は6.02km。
 2年前の平均時速は6.1kmだったから、やはり全体としての調子はやや良くなかったと言えるかもしれないし、撮影のロスタイムを考慮すればあまり変わらなかったのかもしれない。でもやはり、明らかにうまく歩けなかった箇所が目立った年ではあった。特に山歩きの調子が出なかった。焼山寺は今までで最悪だったし、太龍寺の下り、柏坂の登り下り、横峰寺の下り、雲辺寺の登り下りも目立ってよくなかった。
 今回は写真をたくさん撮るから、タイムはあまり気にしないつもりだったけれど、結局最初から最後まで例年のように細かくチェックしながら一喜一憂する日々だった。でも、それがこの旅の一つのアトラクションではあった。歩いてお参り、歩いてお参りを繰り返すだけの単調な旅を、よりおもしろくするための一つの工夫ではあった。速く歩くことが偉いことでも良いことでもないけれど、気にしながら、目標にしながら、比較しながら歩くことはおもしろいことではある。同じ道を何回も歩くわけだから、年々欲張りになって何かおもしろいことを求めるようになる、昨年今年と遍路日記を書こうと思ったのもその一つの現れであったろう。

四国歩きの総括 2

2009-08-13 | 09年四国の旅
 宿泊費の合計は116,170円、お接待で頂いた500円をあてて実質は115,670円とします。

 宿泊費  115,670円
 食料費   11,460円
 飲料費      751円
 バス代     4,900円
 電車賃      200円   合計132,981円
 納経料   26,400円
 お賽銭       880円    合計160,261円

 プリペイドカードで支払った舞子公園までの電車賃と、電話代は含みません。
 食費は、4日多くかかった昨年が16,639円、今回と同じ日数だった一昨年が17,538円だったから年々節約が進んでいる。でも今年の水準が限界と思われる。食事付きの宿が7つあったとはいえ、1日の食費が420円というのは、我ながら信じられない。それだけの熱量で毎日40kmも歩き続けられるというのは驚くべきことかもしれない。 

2009年四国歩きの総括

2009-08-12 | 09年四国の旅

4.24 越久田屋       4500円(素) 20.4km 3時間09分
  25 さくら屋旅館      7800円(2)  37.4km 7時間15分
  26 大鶴旅館       3000円(素) 32.1km 5時間10分
  27 坂口屋         3000円(素) 38.7km 7時間00分
  28 民宿あづま       6000円(夕) 42.4km 6時間48分
  29 民宿徳増       3500円(素) 45.2km 7時間01分
  30 ホテルなはり      3800円(素) 43.1km 7時間05分
5. 1 香南市サイクリングT  3570円(素) 38.5km 6時間11分
   2 レインボー北星     3500円(素) 35.5km 5時間36分
   3 喜久屋旅館      3000円(素) 39.2km 6時間14分
   4 柳屋旅館        6500円(2)  36.1km 5時間54分
   5 村の家         3500円(素) 30.3km 4時間54分
   6 民宿中村        3500円(素) 43.3km 7時間01分
   7 民宿田村        4000円(素) 41.8km 6時間53分
   8 清水川荘        5000円(2)  43.3km 6時間58分
   9 民宿磯屋        4000円(素) 37.7km 6時間15分
  10 遍路宿もやい      3000円(素) 40.1km 7時間13分
  11 ふるさと旅館       4000円(素) 45.1km 7時間23分
  12 おもご旅館        3800円(素) 46.0km 7時間43分
  13 長珍屋          4200円(素) 39.1km 6時間47分
  14 コスタブランカ        5500円(2)   40.1km 6時間22分
  15 敷島旅館        3500円(素) 46.5km 7時間25分
  16 にぎたつ旅館      3000円(素) 36.8km 6時間44分
  17 ビジネス旅館高雄    3000円(素) 36.4km 5時間47分
  18 藤川旅館        3500円(素) 42.6km 7時間58分
  19 三中井ビジネスH    4500円(夕) 41.3km 6時間30分
  20 ビジネス旅館三鈴    4000円(素) 39.6km 6時間33分
  21 民宿八十窪       6000円(夕) 40.8km 6時間38分
  22                        43.7km 7時間24分
  


29日目 5月22日

2009-08-08 | 09年四国の旅

 5:30 お大師さんのわんこ
29日目、最後の日が始まる。今日は1番まで戻るのではなく1番の近くの高速バスのバス停まで戻る。1番霊山寺にお礼参りするのは意味がないとする人も多く、ぼくもその意見に賛成。今まで何回か戻ったこともあるけれど、今回は2番の前を通ってそのままバス停に直行する。そして今回は初めて大坂峠を越える道を行く。88番から1番へは南回りで10番切幡寺の前を通る道が一番近く、登りの道もないので女将さんは薦めるけれど、ぼくはもう4回も歩いているので今回は初めての道を行く。
 宿の前でわんこが待っていてくれた。何をするでもなくただ寝そべっているだけだけれど、宿のすぐ前にいたのでやはり見送ってくれているとしか思えなかった。


 5:36
さぬき市から東かがわ市に入る。引田町、白鳥町、大内町が2003年に合併してできた。



 6:12
ここから70mの山越えが始まる。2年前この道に入ったときはこの先のT字路を逆に折れてトンネルの方に行ってしまった。


 6:28
T字路の所に標識はないけれど、この登り口の所にはちゃんと遍路標識があった。T字路の前後の部分は旧い道ではなくて新しくできた迂回路だと思われる。昔の道がつぶされてしまって、その部分だけ新しい道になった、それで標識も付いていない。


 6:31
峠に大きな昔の道標があった。間違いなくここが昔のへんろ道であったことが判る。10番の方に下りていくお遍路はほとんどいなかったのかもしれない。


 6:33
山道を下りてくると、そこは徳島県阿波市。でも100mくらい行くとまた東かがわ市に入る。ここから與田寺の手前までは2年前に歩いたのでいくらか余裕を持って歩ける。


 7:09 白鳥温泉
大窪寺から9.3kmだから、長尾寺の近くの宿から出た人は、ここまで来る人と、コミュニティバスで高速のバス停まで戻る人とに別れるようだ。5年前、80番国分寺のそばの宿でいっしょだった108ヶ所巡りのベテラン遍路さん(佐藤光代さんの遍路日記にも登場する、その年ぼくは佐藤さんと八十窪で同宿だった)は、ここの宿が大のお気に入り。3つある宿の内どの宿かは聞きそびれたけれど、たぶん1番の白鳥温泉だと思う。


 7:25
四国総奥の院といわれている與田寺に行く人はここを左折する。大坂峠へ直行する人は直進する。與田寺に寄ると5kmくらいの遠回りになる。2年前與田寺に行こうとしてそのすぐ手前で挫折したので、今回も左折する。直進の道は来年以降にとっておく。大坂峠からの道も2種類あるからどっちみちもう1回は来なければならない。


 7:53 大内ダム
この少し手前にちょっとした峠(県道132号)があった。與田寺まではもう登りはない。12.7kmからの短絡路は工事中で歩けなくなっていた。工事が終わっても歩けないかもしれない、2年前歩いておいてよかった。


 7:57
こういう場合、表示より長くてがっくりすることが多いけれど、実際はその反対でした。


 8:25 高松自動車道
2年前はこの手前の所を折れずそのまま真っ直ぐ行ってしまったので、この下は通らなかった。與田寺はこちらの看板もあったのに、思い込みだけで地図を確認もせず間違った道を行った、すぐ気がついたけれど、結局與田寺には行けず、このすぐ先を左に行ったところにある大内高速バス乗り場からバスに乗ってしまった。2年前の失敗を埋め合わせるために今歩いている。


 8:31
四国初十八ヶ所総奥の院、山門の横の石柱にはっきり刻まれている。そうはっきり書かれては八十八ヶ所を巡ったあとここに来ないのは片手落ちという感じがしないでもない。少なくとも1番にお礼参りに行くよりは有意義なような感じがした。江戸時代のお遍路はこのお寺で最後のお参りを済ませたあと、この先の港から船で関西方面へ帰る人が多かったという。でも現代のお遍路がここを訪れることはあまりない。今日も広大な境内に人影は全くなかった。山門の横で小僧さんが竹箒を使っているだけだった。


 9:55 高徳線
與田寺ではお参りを含めて20分の休憩、8時55分に発つ。ここからは全部初めての道になる。今まで何回も地図を頭の中に入れてきたけど、発つ前に今一度確認しておく。でも、曲がり角にはもれなく遍路シールがあった。地図にはもちろん赤線があるけれど、この道を行く人はものすごい少数派だと思われるのに、これだけちゃんと遍路標識、シールがあるというのは本当に意外だった。別格の道にもこれくらいちゃんとあればいいのにと思う。この道を行く人より別格を歩く人の方が遙かに多いはずだ。


 9:56 国道11号
踏切を渡るとすぐ国道に合流する。讃岐相生駅の近くまで、しばらく国道を歩く。


 10:34 引田駅
本当はこの駅で休む予定だったけれど、1kmほど手前に廃業したたこ焼き屋があって、その前にベンチもあったので、そこで休んでしまった。そこまで8kmくらいしか歩いていないのに相当疲れていた。やはり初めての道で、先が読めない、時間が読めない、距離が見えないということで、慣れた道よりかなり神経を使うのかもしれない。平地ばかりなのに6.2kmしか出ていない。


 10:44
コンビニの前に重装備の歩き遍路さんがいる。この道を歩いている人がいるのはすごく意外。ぼくはもう何も買わない。最後まで歩くための水と食料はまだザックの中にある。


 10:58
讃岐相生駅の前を過ぎ、国道を離れる。


 11:09 高徳線
この下をくぐって左に折れると、すぐ山道が始まる。


 11:17
ここまでは幅の広い緩やかな山道、70m登っただけだからほんの序の口。これからが本当の峠道になる。


 11:35
この少し手前で男の歩き遍路さんが立ち止まって眺望を楽しんでいた。白鳥温泉から17km地点。やはり、こちらの道を行く人も確実にいるようだ。県境といってもここが峠ではない、峠はさらに120mも高いところにある。


 11:47 大坂峠
標高380m、ここからは下るばかり。引田駅からの平均時速は4.9km。休憩所があるようだけど、休む場所は決めてある。


 11:53
峠から160mの標高差を一気に下ってきた。距離は500mくらいだから、ものすごい傾斜になっている。県道を横切ってまた目の前の山道に入る。


 11:56
300mで再び県道を横切る。このあとに恐ろしい階段が待っていた。下り道や階段は数え切れないくらい歩いてきたけれど、こんなに危険な下りは初めてといってもいい。写真を撮る余裕など全くない。60°以上の急傾斜、実際はどうか判らないけれど、そんな感じさえした。手すりにつかまりながらそろりそろりと下りていく。


 12:06
標高はまだ100mあるけれど、坂道は終了。ほっと一息つく。


 12:07 高徳線
踏切を渡って右に折れるとしばらくは線路沿いの道を行く。


 12:16 阿波大宮駅
引田駅から8.6kmを102分、平均時速は5.1kmだった。バス停鳴門西まであと8.4km、ほとんど平地だから80分ほどで着けるはずだ。40分は休むことができるけれど、余裕を見て20分の休憩をとる。


 12:47
高徳線の下をくぐる。


 13:02
県道を離れまた高徳線の踏切を渡る。地図を出すことなく迷わず左折する。


 13:03 高松自動車道
この下をくぐったところまでが初めての道、そのあとは何度か歩いたことのある道になる。


 13:06
 昨年と一昨年にお世話になった道しるべが見えた。本当に帰ってきたと実感する。手前の大きな家ではなく奥に小さく見えているのが道しるべ。


 13:18
3番金泉寺の前を通過、いよいよゴールは近い。


 13:36
この裏には板野町と書いてある。28日前写真を撮った。確かにぐるりんと1周してきた。


 13:44
2番極楽寺の前を通過、ここから県道を離れリューネの森という新興住宅地の中を通ってバス停に向かう。リューネの森の地図も頭の中に入っている。最後の最後で道をはずすわけにはいかない。


 13:55 鳴門西
阿波大宮駅から8.4kmを80分、平均時速は6.3kmだった。撮影のロスタイムを引けば6.4kmくらいだろう。ここが旅のゴール、もう歩かなくてもよい。でも、四元さんのように両手を高々と挙げて「ゴ~ル~!」と叫ぶ気には全くなれない、旅が終わったという感じはほとんどない。頭の中は1500枚の写真のことばかりだ。帰ればこの写真に一つ一つコメントを着けてアップしなければならない、2ヶ月以上かかることは明白、別の旅が始まることになる。
 そして、8月11日の今、2ヶ月と20日かかってようやく2009年のブログの旅が終了、本当に旅が終わったという感じがする。昨年まで板東駅や高速のバス停で感じていた脱力感を今やっと味わえている。


28日目 5月21日

2009-08-02 | 09年四国の旅

 6:08
三鈴ではいつもおにぎりのお接待を頂く(昨年は夕食)けれど、今回は朝食をまるまるお接待して頂いた。一人同宿のお遍路さんがいるのでお接待とも何も言わず普通に食べて、と言われる。もちろんそういうことは言われなくても心得ている。同宿の人は連泊、連泊してどういう行程で巡っているのか想像もつかない。
 おなかいっぱい頂いて6時32分に発つ。28日目が始まる、今日はいよいよ結願の日、41kmくらいの行程になる。出発が遅れたので大窪寺には3時半くらいに着く予定。


 6:32
宿の玄関を出ると天満屋が見える。まだ表からは見たことがない。


 6:36
国道に出てすぐコンビニがあったので、今日の昼食用のかりんとうを一袋購入。朝食をたっぷり頂いたのでこれだけで88番まで動けるだろう。


 7:04
これから登る屋島がくっきり姿を現した。まさに屋島そのものの姿。


 7:12
 偶然にしてはいい感じの1枚が撮れた。この終点は86番志度寺のすぐ近く。


 7:17 潟元駅
国道を左折するとすぐ琴電の踏切を渡る。


 7:26
屋島の標高は284m、でもその山道より登り口までの400mの方が余程険しい。この急勾配は太龍寺の山門の手前の道を思い起こさせる。息が上がって登り口までにたっぷり一汗かいてしまう。ぼくは常々ここが最後の遍路ころがしだと思っている。


 7:48 屋島寺
山門までの登山道で何人もの地元の人にすれ違ったり追い越したりした。ここは地元の人の散歩(早朝登山)コースになっている。みなさんもれなく気持ちよく挨拶してくださる。登りに入ってからはかなり調子は良かったけれど、例年より2分遅れ、7kmを72分で到着した。食事直後で最初は少し動きが鈍かったかもしれない。


 8:06
お参り、納経を終えて、納経所の前のベンチで一休み。山門の少し前で追い抜いた早朝登山のみなさんの間で休ませて貰う。こちらから二人目の人が「今日はどこまで行くの?長尾まで?」と訊かれたので「88番大窪寺まで行きます」と答えると、一同揃って声を上げてびっくりされる。「この時間から大窪寺まで行く人は初めてやなぁ」「たいてい長尾寺までやもんなぁ」「志度までしか行かん人もおるくらいやのに」「長尾から大窪寺まで相当あるで」などと口々に言う。「大窪寺までやったら、5時か6時くらいまでかかるんとちがうか?」、「3時半くらいには着くはずですけど」と答えると、また一同声を上げてびっくり。「ここまで何日かかった?」といつもの質問、「28日目です」と答えると。「それはすごいなぁ、普通は40日以上かかるというのに」と半ばあきれ顔、せっかくいろいろ話させて貰ったので写真をお願いしたら、「そらちょっと困るなあ、指名手配されてるんや」と向こうの人が軽口を叩いて一同爆笑。その隙にシャッターを切ったら、なかなかいい一枚が撮れた。ブログに載せますといったら、二人目の人がどうやったら見られるのかと尋ねられる。遍路宿情報にホームページのアドレスが書いてあるので、それを渡そうとしたら、いやいや書き写せばいいからと、納経所の人に頼んで鉛筆とメモ用紙を借りに行った。帰って1番から書き始めるのでみなさんの写真を載せるのは1ヶ月以上後になりますが、と言ったけど2ヶ月半もかかってしまった。少し遅れたけれどちゃんと約束は果たすことができた。みなさん本当にありがとうございました。元気をいっぱい頂いたおかげで、この日は本当に気持ちよく歩くことができました。


 8:15
屋島寺ではお参り、納経を含め25分の休憩、8時13分に発つ。これから本当の遍路ころがしが待っている。その前に眺望のいいところからこれから登る五剣山をしっかり見届ける。


 8:17
写真ではこの足場の悪い急な下り坂が全然伝わらない。遍路ころがしと言われている所はいくつかあるけれど、本当の遍路ころがしはここだけだと言ってもいいだろう。本当に転がって枝に引っかかって命拾いをしたという人の話を栄荘の女将が伝えている。


 8:22
急峻な山道を下ってドライブウェイまで落ちてくる。ドライブウェイは歩行不能だけれど、お遍路だけ横切ることは許されている。ここから先はさらに急な石畳や舗装道路が待っている、膝への負担はここからの方が大きいくらいだ。


 8:27
ここはまだ急坂の途中、まだまだ休んでいる場合ではない。お茶の用意がしてあれば立ち止まったかもしれないけれど。


 8:42
埋め立てが進んで運河のようになっているけれど、元は海(入江)、檀の浦の南の部分、那須与一が扇の的を射たのがこのあたりだと言われている。


 8:44
この辻にある遍路標識が曲者、右を指した矢印を信じると痛い目に遭う。地図には右へ行く道に赤線はない。無視して直進しましょう。前を行くお遍路さんは惑わされることなく直進していった。すぐ追いついたら、昨日飯田休憩所でいっしょだった人だった。きららで泊まると言っていたのにもうこんな所まで来ている。時間が早かったので変更したのかもしれないし、電車に乗ったのかもしれない。


 8:58
ここの標高は70m、八栗寺の標高は230m、ここからの登りがけっこうきつい。屋島より50mも低いけれどこの道が楽だと感じたことは一度もない。


 9:12
山門の手前にある旅館、たいへん良い宿だったと橋本さんが教えてくれた。


 9:13 八栗寺
屋島寺から5.2kmを60分で到着、例年より1分早いベストタイムで到着した。写真もずいぶん撮ったから、かなり早い。体調はどんどん良くなっている。


 9:17
山門を入って右側に緑茶サーバーが設置してあった。昨年までは気がつかなかったから最近置かれたのかもしれない。お参りの前に早速熱いお茶を頂く。冷たければさらにありがたかったけど、贅沢は言えない。お参り、納経を含め23分の休憩。


 10:09 国道11号
9時36分に八栗寺を発つ、下りの自動車道は急傾斜の所が多く膝に負担がかかり、思い切ってスピードを乗せることもできない。昨年この区間は全然駄目だったから、いくらか意識しながら下る。途中、重装備の逆打ちの若者とすれ違った。、初めて=野宿=逆打ち、ぼくなどとは別世界に生きている人だ。全部野宿で回って何がおもしろいのだろうと、ぼくは首を傾げる。いくら安上がりでも、おもしろくなければ意味がない、修行で巡っているのではない。


 10:10
国道に合流すると、すぐ左に新しくできた道の駅がある。昨年は工事中だったはずだ。志度寺まであと2km半だけど、ゆっくり歩く人にはいい休憩所になるかもしれない。


 10:12
道の駅を過ぎるとすぐ脇道にはいる、国道を歩いたのは300mだけ。


 10:18
琴電の踏切を渡ると、まもなく志度の町の中に入っていく。


 10:25
記念館、遺品館に「先生」が付くのは極めて珍しく、おもしろい。志度の人々がいかに愛着と尊敬のまなざしで彼を見ているかということだろう。これだけの距離を歩くとなかなか見学する余裕は持てない。


 10:25 源内先生
台座には杉田玄白の言葉「あゝ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常、何ぞ非常の死なる」が刻まれている。


 10:30
すごく評判のいい宿、ぼくも1回目のときお世話になった。素泊まりだったけどおにぎりのお接待を頂いた。


 10:34 志度寺
八栗寺から6.4kmを58分、例年と同タイムで到着した。写真も撮ったからベストといってもいい。昨年のリベンジを果たせて大満足。山門の手前で逆打ちの夫婦遍路とすれ違う。この時間ここにいるというのはちょっと理解できない、88番の前の宿からだと22km、時速5kmでもこの時間に来るのは難しい。助光から長尾までバスに乗ったということか。


 11:03
志度寺ではお参り、納経を含めて25分の休憩。3時半に着くと言ってしまったので、それが嘘にならないように休憩は最小限になってしまう。10時59分に発つ。
 高徳線の踏切を渡るのは、旅の初日以来27日ぶりのことになる。


 11:08
最後の買い物をする。明日の朝食用のパン一つ、今日の宿代と明日のバス代を合わせて支出の合計は132981円になる。今日は夕食付きで予約しているから、手持ちの熱量でなんとか明日の午後まで動けるだろう。


 11:27
眩しいくらいの鮮やかな赤、悲しいかな花の名前は判らない。


 11:39
脇道に入ると、番外霊場玉泉寺の前を通る。玉泉寺は87番長尾寺の奥の院。


 11:52
県道に合流すると、すぐ右折して川沿いの道を行く。前に二人連れが見える。この時間だと長尾までということはあり得ないから、88番まで行くということか。追いついて男の人に尋ねると、竹屋敷に予約しているということだった。竹屋敷は88番の3km手前、ここからだと14kmくらいになる。全然無理な距離ではない。


 12:08
長尾寺の前にある遍路宿、この女将さんはすごく親切で気持ちのいい人。2年前にお世話になった。


 12:08 長尾寺
志度寺から6.9kmを62分、例年より2分早いベストタイムで到着した。調子はますます上がっていく。昨年より5分も早い、またもリベンジ達成。気分は上々。この調子で88番まで行くぞ~。


 12:49
長尾寺ではお参り、納経を含めて23分の休憩、12時32分に発つ。88番までは15km以上あるからまだ2時間半は歩かねばならない。休憩を20分入れると3時半までに着くことができる。何とか嘘をつかずに済みそうだ。


 12:59
脇道に入って1kmの所に休憩所がある。長尾寺から3km弱、まだまだ休んでいる場合ではない。


 13:02
県道3号に合流する。


 13:04
200mでまた脇道が始まる。ここらあたりからダムに向かって登りが始まる。


 13:11
700mでまた県道に合流、ここから恐ろしい急坂が始まる、時間と坂との二重の戦い。


 13:19
前山ダムのそばにある休憩所、3年前までここで休んでいたけれど、昨年からはおへんろ交流サロンで休ませて貰うことにしたので、行き過ぎる。長尾寺から4.7kmを45分、今までのベストと同タイムで来た。昨年より3分早いのでまたもリベンジ達成。昨年は、八栗寺からここまで本当に調子が悪かった。


 13:23
おへんろ交流サロンに行くと、バスツアーの団体が資料室を見学しているところだった。館長はその解説のために立ち会っていて、昨年のように出迎えて貰えなかった。見学を終えた団体がぼくの周りに来て同じようにお茶を汲んで休み始める。ここは歩きへんろの疲れを癒すための休憩所なのだ、資料室を見学しただけでなぜに一服しなければならないのだ、早くバスに乗って出発すればいいのに。おまけに館長はぼくもその仲間だと思って全然相手にしてくれない。本当に大阪の人間は厚かましくていやだ。


 13:33
最初は緑茶サーバーでお茶を頂いていたけれど、インスタントコーヒーも飲めるようになっていたので遠慮なく頂くことにする。2杯たて続けにいただく。熱かったので汗が体中から噴き出てくる。糖分の補給も十分できたところで1時40分に出発する。昨年はここから1時間44分で88番に着いたので、3時半までには楽々着けるだろう。
 出ていくときに名簿を見ると、今日は25人、昨日は20人くらいの歩き遍路が来ていた。歩きの人は例年より少ないような印象だったけど、昨年とほとんど変わらなかった。ここへ来る人のほとんどが長尾寺か志度寺の近くの宿を出発した人だから、午前中にここに来る。ぼくが絶対追い抜くことのできない時間帯を歩いているから、そういう印象になる。


 14:13
交流サロンからは3つの道がある。大半の人が女体山越えの道を行く、ぼくも2年前に歩いたけれど、本来のへんろ道ではないし楽でもないので1回で充分。今年も本来のへんろ道である花折峠を越えることにする。7回の内5回がこの道。この道は本当に静かで車も人もほとんど通らない。さびしいといえばこれほどさびしい道はないかもしれない。標高差270mを5kmで登っていく。傾斜は緩いところも多いけれど常に登りなので気が抜けない。熱いコーヒーを2杯飲んで相当汗を出してしまったので、却って水分不足になってしまったのではないかと心配したけれど、糖分とカフェインのおかげか、足取りは驚くほど力強くなっていた。峠を越えれば、しばらく下り坂が続く、思い切りスピードを乗せることができる具合のいい坂が続く。


 14:19
県道3号に合流する。多和まで快適な下り坂が続く。


 14:33
多和分岐に大窪寺5kmの標識。この標識が正しければあと50分くらいで到着だ。でもここからは登りになる。


 14:34
ここからは竹屋敷の先まで国道377号を行く。しばらく行くとおへんろ交流サロンでいっしょだったバスツアーが大窪寺のお参りを終えて引き返してきた。この時間だとそのまま大阪まで直行だろう。


 14:54
ぼくは3時前にここまで来たけど、長尾寺の手前で会った夫婦は5時までに来られるのだろうか。


 14:58
これより2km、と書いてあるけれど、これを信用してはいけない。実際は2.4kmある。しかも標高差は100mもある。だらだらした登りが最後まで続く。


 15:21 大窪寺
坂道を登ってきてやっとこの山門が見えたときの感激、女体山を越えるとこの感激は味わえない。何しろいきなり境内に下りてきてしまうのだから。3回目まではこの山門から境内に入ったけれど、4回目からは古い本来の山門から入ることにした、雰囲気が大分違う。


 15:21
山門の下に、昨年ここから大瀧寺に向かうときに見送ってくれたわんこがいた。1年間健在で少しほっとする。


 15:23
こちらが本当の山門。屋島寺で宣言したとおり3時半までに到着した。交流サロンから10.4kmを101分、昨年のベストタイムより3分も早かった。コーヒー2杯が効いたのかもしれない。


 15:35 結願
くっきり結願所の御朱印を頂く。28日間で88ヶ所すべての御朱印を頂いた。納経帳を持たなかった過去6回とはひと味も二味も違う感慨がある。ぼくもやっとお遍路さんらしくなれたという実感がある。


 15:37
納経所から出て、改めて本堂と女体山を仰ぎ見る。7回も来ているのに、やはり結願所は特別なのか冷静になれず水屋を使わずいきなり本堂に行ってしまった。何度来ても反省することばかり、1100km、88ヶ所すべての行程を完璧にこなすことなど何十回巡っても不可能に違いない。だから、また巡りたくなる。でも、今はまだ来年のことは考えられない、明日43.7kmも歩かねばならない。しかもバスの時間は14時22分、初めての道が半分以上なので時間の予測もたてにくい。


 15:40
民宿八十窪は5回目の投宿。志度寺の近くの宿から来る人が多いので、この時間だとほとんどの人はすでに到着している。今女の人がお風呂に入っているので、すぐに入りたいのであれば奥の小さい方のお風呂があるけれど、と言われたので、もちろんそちらの方で構わないと答える。何十kmも歩いて宿に到着すれば、何よりも先にお風呂に入りたい、お遍路の気持ちを大事にしてくれる良い遍路宿である。


 17:42
同宿の人は女性3名、男性1名、久々ににぎやかな夕食になった。三中井ビジネスホテルでも男性二人といっしょだったけれど、お遍路かどうかも判らず、一言も交わさなかった。ほとんど素泊まりということもあり、同宿のお遍路とお話ししながら食べるのは13日ぶり、高知県の最後の宿、清水川荘以来だった。
 女性二人はいっしょに歩いていて、1週間歩いて1週間休みを繰り返している。3月の初めから歩き始めて11週間で結願、そのうち歩いたのは6週間、42日で1巡したという。四国の人だからそういう歩き方でも比較的交通費はかからない。そういう区切り打ちの仕方は初めて聞いた。もう一人の女性は別格も巡っている。今日は大瀧寺を打ってからここへ来たけれど、下りの道が判らなくて難儀したという。確かにあの道は登ってくれば判るけれど、彼女はたぶん向こう側から登ってきたので、あの道に入るのは容易ではなかったろう。遍路標識は下りはじめの部分にはない。
 ぼくの向かいに座っている男性は逆打ちで明日から歩き始める。でもただの逆打ちではない、知り合いが6月1日から順打ちで1番から歩きはじめる、それまでは逆打ちで行けるところまで行って、1日に1番で落ち合って、いっしょに順打ちをするということだった。明日の行程をどうするか決めかねているようだったので、女体山の逆打ちは大変危険だと一同声を合わせて助言する。今日ぼくが来た花折峠を行くのがベスト、でも県道から峠への入り口は遍路標識がないので分かり難い。判らなければそのまま県道を行くしかない、少し遠回りになるけれどおへんろ交流サロンには間違いなく行ける。最後の1枚になった遍路宿情報を渡す。


27日目 5月20日

2009-07-30 | 09年四国の旅

 6:10
27日目が始まる。もうあと3日となってしまった。今日は40km、昨日と違って大変な山越えが待っている。天皇寺までは30分くらいなので納経の時間に合わせると、あまり早く出ることもできない。6時8分に出発。


 6:29
予讃線の踏切を渡る。この先に有名なところてん屋さんがあるけれど、この時間なのでいつも開店前。


 6:31
「お疲れさま」と一言あるだけなのに、すごく嬉しくなってくる。みんなに後押しして貰ってるような気分になってくる。


 6:37
宿から3.1kmを29分、例年より2分早いけれど三中井はみき旅館より200m近いので、例年と全く同じだということになる。天皇寺は高知の善楽寺と同じで白峰宮の一部を間借りしているという感じ、だから山門もなくて裏からいきなり境内に入ってしまう。こぢんまりした本堂と大師堂がお宮の参道の片隅に建っているという感じ。大師堂の前のベンチに年輩の女性がお参りを終えて休憩していた。お遍路ではなく地元の人のようだ。ぼくがお参りを終えるとバナナを1本手渡してくれて、自分もお遍路に出たいけれど、どれくらいの費用、日数がかかるのか熱心に尋ねられた。


 7:32
天皇寺を7時5分に出発、しばらく歩いたところで登校中の小学生とすれ違う、お兄ちゃんは元気に挨拶、その後の弟君は恥ずかしそうに小さな声で挨拶してくれた。今日も元気に歩けそうだ。
 加茂川駅の前から橋を渡り綾川の土手の道を行く、600mほど行くと民家の庭先に接待所が設けられている。ネットの情報で見ていて、初めから寄せて貰うつもりだった。冷蔵庫に入っているお茶と、夏みかんを1個頂く。人影は見えず勝手に頂いてそのまま出ていく。


 8:14 国分寺
天皇寺から6.5kmを59分、例年より2分も早く着いてしまった。例年この区間は休まないのに、今年は接待所で休んだのが影響したかもしれない。夏みかんの酸と糖分も効いたような気がする。昨日の後半からずっと調子がよい、雲辺寺の不調を挽回したようでとても気分がよい。


 8:47
国分寺では軽食を摂っただけで、お参り納経を含めて21分の滞在だった。今回は納経時間の都合で出足が遅くなった(天皇寺を出た時間は昨年より40分遅い)ので、ゆっくり休むわけにはいかない。すぐに五色台の峰峰が姿を現す。写真の中央のへこんだところまで登るけれど、実際の高さは手前の一番高いところと同じだ。自動車道まで350mの標高差がある。一般的にはここが最後の遍路ころがしといわれている。88番の手前の女体山越えは本当はへんろ道ではない。ないけれど現在では大半の歩きへんろが女体山を越えるから、実質五色台は最後の遍路ころがしではなくなっている。


 9:16
遍路ころがしの途中で、国分寺方面の風景が開けてくる。しばし歩を止めて絶景を楽しむ。中国の桂林にも似た、特徴的な穏やかな峰峰が幾重にも重なる。


 9:20
五色台を巡っている県道180号に出てくる、ここまでのタイムは判らないけれど、かなり調子よく登ることができた。ベストを出した昨年と変わらない感じだ。


 9:48 白峯寺
国分寺から6.5kmを78分、最後の下りは思いっきり駆け足でなんとか昨年と同タイム。昨年は、こちらから登るのは最後のつもりで後半はできる限り飛ばしたから、それと同じタイムを出すにはこうするしかなかった。考えればちょっと無謀だけれど、足は普通に耐えていた。


 10:04
2年前から工事していた白峯寺のトイレがようやく使えるようになっていた。昨年は完成していたようだったけれど、使用不能になっていた。山門を出たところにある前のトイレは本当にひどかったから、これで一安心。水の補給もできるようになった。あと新しくして欲しいのは、41番龍光寺と44番大興寺のトイレ。


 10:29
白峯寺では32分の滞在、10時20分に発つ。打ち戻りの道は自衛隊の演習場の横を行く、銃声や砲声が聞こえることもある。すぐ前に、外人の男性が立ち止まって装備を調えているところだった。外人の歩きの人に会うのは今年初めてかもしれない。こんにちわー、と声をかけたら、とびきりの笑顔で「コンニチワ」と返してくれた。とても晴れやかな気分。


 11:01
県道に上がってくるちょっと前に男性二人連れを追い抜く。白峯寺に着くすぐ前にすれ違った人たちだった。ここまで上がってくると本日の登りはこれで終了。根香寺の打ち戻りはやや登り坂だけれど全く大したことはないから、遍路ころがしもこれで最後となる。(屋島寺の下りは、本当の遍路ころがしだけれど)


 11:14 根香寺
白峯寺から5kmを54分、2年前と同タイムで到着した。昨年は全然調子が出なかったので、何とか記録をねらった。最後またバタバタで駆けっこになってしまった。ちょっと浅ましい感じもするけれど、最後も近くなったのでけじめを付けておきたいという気分が勝ってしまった。


 根香寺の伝説”牛鬼”
 今から四百年くらい昔、このあたりに”牛鬼”と呼ばれる怪獣が住んでいて、人々を大変困らせていました。そこでこの地方を治めていた殿様は、山田蔵人高清という弓の名人に牛鬼の退治を命じました。高清は根香寺の本尊である千手観音にお願いをして、そのおかげで牛鬼を見つけだし、みごと退治したそうです。
 そして怪獣の角を根香寺に奉納して、その菩提をとむらったと伝えられています。
 四元さんに紹介されるまでこの像があることは知らなかった。7回目にして初めて根香寺を全部見たことになる。


 12:23
五色台から下界へ下りていく。短絡路へ入る前に女性二人を追い抜く。白峯寺に向かう県道でもすれ違っていた。でも、根香寺では会わなかった。根香寺の手前の歩きの道を行かず全部自動車道を歩いたとしか考えられない。挨拶をしたら素っ気なく無愛想だったけれど、話している言葉を聞くと、アジア系の言葉だった。挨拶も通じていなかったようだ。


 12:26
短絡路が自動車道に合流すると屋島が見えてくる。下り坂は気持ちいいけれど、膝に負担のかかる厳しいところも多い。


 12:45
鬼無まで5.4kmを57分かかる。タイムチェックポイントではないので、早いか遅いかよく分からない。身体の動きは悪くない。


 12:46
踏切の手前の道沿いはほとんど植木畑だった。小さな植木がきれいに並んで畑に植わっている光景というのはちょっとおもしろかった。


 12:50
踏切から500mくらいの所に新しい休憩所ができていた。できたのは2年くらい前のようだけれど、昨年は全く気づかなかった。というのも、根香寺から一宮寺まで12kmの間は休みを取らないと決めていた。今年は、旅に出る前からここで休むことは決めていた。前のベンチで年輩の男性が休んでいたけれど、中に入る様子はなくまもなく発っていった。


 12:52
休憩所の中には冷水器が設置されていた。たて続けに2杯3杯とがぶがぶ頂く。思った以上に渇いていたようだ。休みなしで12km歩き続けるというのはかなり無理しているということになる。梅干しもたくさん用意されていたけど、それは遠慮する。最高にきれいなトイレも使わせて貰う。人影はなかったので冷蔵庫のペットボトルはお接待して貰えなかった。15分ほど休ませて貰う。


 13:23
この川を渡らず、右岸沿いを行く道が近道で地図には赤点線も付いている。でもぼくはまだ歩いたことはない。昔の白黒地図には赤線はなく、もちろんへんろ道でもないから。でも、せっかく今の地図には赤線が付いているから一度は歩いておかねばと思う。今回は撮影があるのでいつも通り本当のへんろ道を歩く。


 13:30
高松自動車道のすぐ手前に、また接待所があった。前の接待所から2km半ほどしか歩いていないけれど、冷蔵庫に引きつけられて立ち止まってしまった。


 13:31
冷蔵庫の中には缶入りのコーラやお茶もあったけど、迷わず珈琲を選ぶ。珈琲を飲むのはコスタブランカのモーニング以来、6日ぶりになる。とってもありがたい。来年香東川の右岸を歩く理由がなくなった。


 13:34
高松道の下をくぐって100mの所を左に折れる、この狭い道がなかなか入れない。大体ここら辺だと判っていて2回目の時に入れなかった。3回目でようやく見つけることができた。


 13:36
側溝に挟まれながらも残り続けている、これぞへんろ道の醍醐味という感じ。


 13:43
ここに入る手前で、先ほど飯田休憩所で会った男の人が迷っていたので、こちらですよと、導いてあげる。このショッピングセンターの駐車場の脇を抜ける道もなかなか入れない。この道も3回目でやっと入れた。電柱には年々遍路シールが増えて判りやすくはなっているけれど。


 14:01
水道もあるいい感じの休憩所だけれど、一宮寺まで600mの所にあるので休んでいる場合ではない。


 14:07 一宮寺
根香寺から12kmを119分、例年より1分早いベストタイムで到着した。やはり途中で休憩を入れたのがよかったのかもしれない。納経を終えたとき先ほどの男性が到着、国道を渡ったあとまたちょっと迷ったけど何とか着くことができた、今日はこの近くの宿までだという。
 17分の滞在、休みなしですぐ出発する。買い物もあるから3時半までに宿に着くのは微妙な感じ。


 14:26
一宮寺から県道に出てきた所にあるコンビニで食料を仕入れる。でも、昨年と同じでぼく好みの菓子パンはなかった。何も買わずに出てくるしかない。時間が悪いのかもしれない、夕方から夜の分の配送はこれからで、一番品薄になっている時間なのだろう。この先にもローソンがあるからそちらで買うことにする。


 14:36
へんろ道を600m行くとまたローソンがある。ここも品薄で希望の商品はなかったけれど、第3希望くらいのものを3つ買う。ここまでの支出は120316円、今日と明日の宿代が10000円、バス代が2450円、合計すると132766円。当初はお賽銭と納経料以外で135000円が目標だったけれど。あと2日230円で耐えれば133000円で収まることになる。2年前より3000円多いけれど有料の宿は一つ多いし、食事付きで泊まった宿も3つ多いからさらに倹約できたことは間違いない。


 14:52
ローソン2から1km半くらいの所に新しいコンビニができていた。来年からこちらで買うことにする。


 15:15
へんろ道が国道に合流、大都会高松の中心部に入ってきた。


 15:23
くねくね曲がったあぜ道のようなへんろ道も好きだけど、大都会高松の中心部を斜めに真っ直ぐ突っ切ったこの道にもへんろ道の醍醐味を感じずにはいられない。まず最初にへんろ道ありき、町はへんろ道を侵すことなく、遠慮しながら大きくなっていった。実際はどうだか判らないけれど、そういうことすら想像させる、ものすごい道だとぼくは思っている。思いながら歩いている。


 15:31
琴電が瓦町駅に入ってくるところ。


 15:31
すぐ前にもう一つ踏切、こちらの線を終点まで乗ると87番長尾寺の前に着く。


 15:32
踏切を二つ渡ってすぐ前の交差点を右に折れれば今日の宿が見える。一宮寺から6.5kmを59分、例年と同じタイムで到着した。特に力を入れたわけではないけれど、1日の最後の行程を時速6.6km、信じられないくらい元気に歩けている。
 ビジネス旅館三鈴は4年連続4回目の投宿。1回目は4畳半の部屋で3500円、2回目は6畳の部屋で4000円、3回目は6畳の部屋で3500円、そして今回は4畳半の部屋で4000円だった。この宿の本当の料金はいったい・・・という感じ。でも4000円でも大満足の落ち着ける遍路宿です。洗濯は洗濯袋の中に入れておけば全部して貰える。


26日目 5月19日

2009-07-29 | 09年四国の旅

 6:01
26日目が始まる。昨日と違って今日はほとんど平地を歩く。距離は41kmほどだけれど、札所が9ヶ所もあるので、相当ハードな行程になる。4時までに宿に入ることは難しい。
 本山寺の納経の時間に遭わせて、5時54分に宿を出る。財田川の右岸(上流に向かって)の道は初めて歩く、遠回りだけど赤線がついているし、四元さんも歩いたし、花も咲いている。


 6:18
行く手にこれから向かう本山寺の五重塔が見えてくる。ちょっと幽玄な雰囲気もある。


 6:35
前の写真ではほとんど見えていなかったけれど、肉眼ではあれくらい遠いところに見えている方が雰囲気があっていい感じに見える。橋を渡ればすぐ山門が待っている。


 6:38
宿から4.6kmを44分で到着。初めて歩く道だから比較はできないけれど、時速で計算してみると、2分くらいの遅れだった。調子は全然悪くないけれど、まだ身体が充分起きていないのかもしれない。昨日のことがあるから、今日は積極的に体を動かしたいとは思っている。
 境内には、昨日観音寺でいっしょだった夫婦の歩きの人や男性もみえる。この横の一富士旅館に泊まったようだ。そして昨日はここの納経時間には間に合わなかったというところだろう。少し早く着きすぎた、お参りが終わって納経が始まるまで10分以上待つことになった。納経所の横には噂に聞いていた新しいトイレがあった。いつも山門の横のひどいトイレを使っていたから、その差の大きさにちょっとびっくりする。ここで水の補給もできる。


 7:13
7時8分に本山寺を出発、一富士旅館の横を通って国道に出てくる。11号を歩くのは2日前新居浜から旧土居町を歩いて以来になる。


 7:18
この前で歩きの男の人に追いついた。やはり、一富士旅館を出たと思われる。今日は善通寺宿坊に泊まると言っていた。ぼくは坂出まで行くと言ったら、目を丸くしていた。


 7:38
昼食用のパン一つ購入。


 7:45 高瀬町
本当は肩の所に(旧)のシールが貼られていなくてはならない。豊中町、高瀬町、三野町、山本町、詫間町、仁尾町、財田町が2006年に合併して、現在は三豊市になっている


 7:46
高瀬町に入るとすぐ池沿いの脇道にはいる。地図に赤線はない(少し遠回りになる)けれど、遍路標識はしっかり立っている。国道より静かで歩きやすく安全。


 8:03 香川西高校
甲子園にも出場したことのある野球の強い高校。でもこのところ香川県の高校はなかなか甲子園で勝てない。香川県の高校野球連盟ではかなり深刻な問題になっているという。


 8:59 俳句茶屋
ここに来ると、四元さんが詠んだ俳句「秋日和 頭をひねる 俳句茶屋」を思い出す。彼女の俳句の中では特によくできた一句だと、素人ながら思う。


 9:00 弥谷寺
本山寺から11.3kmを109分、例年より1分早いベストタイムで到着した。ちょっと意外だった。途中で二人追い抜いたのが影響しているかもしれない。


 9:15
本堂から下りてきたところにある道標、その下には「白方へ(へんろみち)」と書いてあるから、たぶん別格18番海岸寺へ下りていく道だと思われる。昨年は17番神野寺に先に行ったのでこの道は歩かなかった。でも一度は歩いておきたい道。


 9:44
弥谷寺は山門から本堂までものすごい階段を登らねばならないし、大師堂へは靴を脱いで上がるので、普通にお参り、納経をするだけでも相当時間がかかる。ベンチで軽食を摂ったりもしたので、再び山門に戻ってきたのは39分後のことだった。9時39分に次の曼茶羅寺に向かう。いつもは出釈迦寺に先に行くけれど、今年は納経するので順番通りにお参りする。


 10:11 曼荼羅寺
弥谷寺から3.3kmを32分で到着。弥谷寺から曼茶羅寺までの記録はないけれど、時速で換算してみると、2分くらい遅かったようだ、ただ昨年よりは2分くらい早かった。昨年のこの区間の歩きは最悪だったから少し意識しながら歩いたけれど、思ったほど早くはなかった。
 バスツアーの団体がお参りを終わって引き上げるところ、当然納経は終わっている。


 10:31 出釈迦寺
曼茶羅寺から500mを6分かかる。この道を登るのは初めて。バスツアーの人たちといっしょに山門をくぐる。そして、お参りを終えて納経所に行くと、団体の納経が始まったところだった。まあこういうこともあるでしょう。休憩はしなかったのに27分もかかってしまった。10分以上待ったことになる。でも、ぼくが納経帳を出したとき墨書してくれる女性が「長いこと待たせてごめんなさいね」、と言ってくれた。気分は晴れやかだった。
 納経所の壁面に、家田さんと住職が並んでいる写真が飾ってあった。


 10:40 我拝師山と捨身ヶ嶽禅定
今年もこの聖地は仰ぎ見るだけに終わってしまった。いつになったら登れるのだろう、それだけの余裕を持って巡れるのだろう。


 11:14
ぼくの好きなへんろ道の一つ、正面にうっすら讃岐冨士が見えている。


 11:23 甲山寺
出釈迦寺から2.6kmを25分、例年より1分早いベストタイムで到着した。パンの消化も完全に終わって動きはますます良くなってきたようだ。バスツアーはまだ到着していない、ぼくの納経が終わった頃ようやく到着、そうそう待たされてはかなわない。


 12:00
7回目にして初めてカタパンを確認、定休日だったけど。もう御影堂のすぐ手前だから周りのものは全く目に入っていなかったということなのでしょうか。


 12:01 善通寺
写真は御影堂の山門、善通寺はめちゃくちゃ広いので大師堂(御影堂)からお参りさせて頂く。そして納経所も御影堂の方にあるので、本堂でお参りする前に納経も済ませる。ちょっとルール違反だけど、歩き遍路にとってこの距離を往復するのは辛い。


 12:19 赤門と五重塔
納経所は若い女性で、すごく丁寧な文字で墨書してくれた、88ヶ所中一番判りやすくきれいな文字、さすが善通寺、と意味なく感心することしきりだった。五重塔は何枚も写真を撮ったけれど、これはというものは1枚もなかった。


 12:28
以前はこんなにたくさん遍路シールはなくて、何回も行き過ぎてしまった。意識しないと入りづらい道だった。今でも、ぼんやり歩いていたら行き過ぎてしまうことは普通にあるのかもしれない。


 12:32
土讃線の下をくぐる。頭のすぐ上を線路が走る。


 12:52 金倉寺
善通寺から3.4kmを32分、例年より1分遅れで到着した。まあ誤差の範囲。この時間歩きの人は見られない。歩きの人は善通寺から出た人がほとんどだから、午前の早い時間にここを通り過ぎてしまう。休憩所に流し台があって水を補給することができる。お参り、納経を含めて35分の休憩、1時27分に出発。


 13:21 善通寺金蔵寺郵便局
88ヶ所の二つの名前がついたありがたい郵便局。百円玉20枚をおろす。明日の札所は5ヶ所だけれど明後日の5ヶ所の分もまとめておろして、これで郵便局に入るのも最後になる。


 14:03 道隆寺
金倉寺から3.9kmを35分、例年と同タイムで到着した。先ず、納経所の前にある冷水器でたっぷり水を頂く。お参りを終えて、納経所に入る前にまた一口二口、各札所で手持ちの水を飲んでいるけれど、それくらいでは足りないほど渇ききっているという感じ。休憩なしで2時18分に出発。


 14:52 丸亀城
道隆寺からここまで男性一人、女性一人を追い抜いた。女性は地図を広げながら立ち止まったりしているので、少し迷っているような感じだった。県道33号に出る道が判らないと言ったので、突き当たりを右に折れれば出られると教えてあげる。


 15:00
土器川に架かる蓬莱橋から見る讃岐富士が、最も大きく美しく見える。右側を歩けば欄干が邪魔にならずに済んだけど、橋を渡ったところにあるコンビニが左側にあるので歩道のない左側を無理矢理歩くようになってしまった。


 15:01
今日の宿は夕食付きで予約しているので、かりんとう一袋だけ購入。


 15:18
宇多津のシンボルは瀬戸大橋、ゴールドタワー、それにこれから向かう78番郷照寺。


 15:34 郷照寺
道隆寺から7.2kmを65分、例年より1分早いベストタイムで到着した。意外なくらい身体がよく動いている。水の補給が効いたかもしれない。納経は若い女性がしてくれた、とても愛想がよく終始にこにこととても感じがいい。実は、ぼくは88ヶ所中この郷照寺が最も嫌いだった。というのも、このお寺には腰掛けるところが全くない、歩き遍路に最も優しくないお寺だという認識しかなかったけれど、納経所での応対で印象が一変してしまった。


 15:57
坂出のシンボルは瀬戸大橋、瀬戸大橋の香川県側はすべて坂出市域に架かっている。この少し先の所で野宿遍路を追い抜いたけれど、この人がものすごいスピードで、逆に追い抜かれそうになった。あれだけの荷物で6.3km以上のスピード、上には上がいるということをまた見せつけられた。


 16:25
 今日予約しているみき旅館には4時13分に着いた。郷照寺から3.1kmを29分、野宿遍路さんと競争みたいになったので例年より1分早いベストタイムだった。着いたはいいけれど、女将さんが出てきて、今日は泊められなくなったという。別の旅館にお願いしてあるのでそちらに行って欲しいという。なんだか狐につままれたような感じ、有無をいわせない感じでその旅館の場所を教えて貰う、でも要領を得なくて再び戻ると、車で送ってくれる。最初からそうしてくれればいいのに。
 ということで、三中井ビジネスホテルに初めて泊まることになった。料金はみき旅館と全く同じで、2食付き5000円、夕食付き4500円、素泊まり3500円。部屋は確かに古い感じはするけれど、掃除は行き届いているし布団もきれいで言うことない。食事はボリュームたっぷりで味も最高だった。女将さんの応対もすごくいい。名前はビジネスホテルだけれど和室で部屋にバスルームはない。偶然だけれどまたいい遍路宿を見つけてしまった。みき旅館は今まで2回断られたから、来年からはこちらに先ず予約を入れることにする。


25日目 5月18日

2009-07-26 | 09年四国の旅

 5:41
25日目が始まる。タイムのメモは最後の4枚目になる、A5の用紙を8等分して1日分のメモにしている。4枚目は5日分しか使わない。そして、この25日目が一番厳しい行程になっている。距離は43kmで一番長いわけではないけれど、何といっても最高地雲辺寺を越えなくてはならない。それに例年と違って、納経をするので今日の内に観音寺と神恵院をお参りしなくてはならないし、そのあと銭形も見る予定にしている。例年より2km以上長く、札所も2つ多く、おまけに銭形もある。どんなに頑張っても4時半までに宿に入ることはできない。
 宿を5時37分に発つ。3年前までお世話になっていた大成荘の前を通過する。


 5:43
市役所の手前に昨年までなかったコンビニができていた。いつもはこの先の県道の交差点で買うことにしていたけれど、せっかくだから早めに買うことにする。


 6:15
伊予三島から三角寺までで、ここが大きな分かれ道。地図ではここを右折する道に赤線はないし、遍路シールも自動車のみが右折のようになっている。でも昔の白黒地図には右折する道にだけ赤線が引いてあった。ここを直進する赤点線の道は旧いへんろ道だけれど、右折するより10分前後余計にかかる。ぼくは一度歩いたけれど、後半はかなり険しくなるし時間もかかるので、以後はずっとここを右折することにしている。


 6:22
45分でこんなところまで登ってきた。伊予三島をあとにする、間もなく伊予の国もあとにすることになる。


 6:49 三角寺
宿から5.8kmを68分、例年より2分遅れで到着した。静かな境内、でも車遍路の人がすでに何人か見える。いつもこれくらいの時間だけど一人っきりだったことは一度もない。


 7:44
三角寺を出て38分、遙か行く手に雲辺寺山がその威容を現した。いつものことながら、4時間後にあの頂に立っている、そういう実感は全くない。不思議という感じしかない。


 7:47 ゆらぎ休憩所
四元さんはここから雲辺寺山を見上げて腰を抜かしそうになった。1回目の時はここで休んだけれど、2回目からは椿堂まで休まなくなった。三角寺から椿堂まで6kmしかない。


 8:11 椿堂
三角寺から6kmを64分、例年より2分遅れで到着した。調子はとくに問題はなかった、ここまでは。30分休んでパンを一つ食べる、水の補給はトイレでできたかもしれないけれど、まだ500ccくらい残っていたのでしなかった。でもこの休み方すべてが間違っていたことをあとで思い知ることになる。


 8:44
国道に合流する。この国道は池田から先は吉野川沿いを徳島の中心部まで続いている。緩やかな登りになっているけれど、歩き始めてすぐいつもの調子でないことを認識する。このときには全然その理由は判らなかったけれど、帰ってから岩屋寺の時と同じであることを思い出した。午前中の早いときに休憩でパンを食べた。食べたときにしっくりこなかった。力が沸いてくるどころか、その逆の感じがした。たぶん消化の方にエネルギーが使われたのではないかと思われる。パンが米より消化が悪いのは周知の事実。


 9:15
 ここを左に入ると曼陀峠に至る。この道を行く人は少ないけれど、ぼくは2度歩いた。今年は撮影があるし、郵便局にも用事があるのでトンネルを通ることにする。


 9:21
トンネルの手前に簡易宿があった。一応「素泊まりバスいしかわ」という名がついている。素泊まり2500円(2人相部屋の場合2000円、3人相部屋の場合1500円)、シャワーは300円。この先の人気宿、民宿岡田が満室の時には重宝するかもしれない。


 9:26
トンネルを通るのもこれが最後。歩道はある。


 9:35
 3年前まで池田町だった。徳島県だけれど便宜上カテゴリーは讃岐の旅にします。


 9:52 民宿岡田
伊予三島から雲辺寺を越えるのは多くのお遍路にとって容易ではないので、この宿に泊まらないと越えられない。遍路シーズンには満室になることも多く数日前からの予約が不可欠とされる。でも、ぼくはまだ1度も泊まったことはない。


 9:54 佐野郵便局
椿堂から7.1kmを72分、例年より4分遅れで到着した。動きが鈍いのははっきり自覚していた。足の状態はよいので理由は判らなかった。ここで納経料の百円玉をおろそうとしたら、最初の1回、4枚はうまくいったけれど、2回目からは不能になってしまった。硬貨の補充が不十分だったのかもしれない。ここで気落ちしたのがこの先の歩きに影響するとは思いもしなかった。残りの16枚は観音寺に下りてからおろすことにする。郵便局の前で12分休憩、あとは山の上まで休まないから水の補給は考えなかった。


 10:11
ここから最高地910m(標高差650m)を目指すことになる。80分近く登り詰め、鶴林寺より柏坂より横峰寺より長い時間登り続けねばならない。


 10:16
仰ぎ見るほど高いところを走っていた徳島自動車道がもう目の前。5分で一気に40mは登っているはずだ。


 10:17
すぐ徳島道を見下ろすところまで出てくる。これからが本当の山道になる。



 10:55
前半部分の山道が終了したけれど、全然駄目だった。2年前に比べると、疲労が先にたって躍動感が全然なかった。タイムが出ていないことは明らかだ。理由ははっきり判らないけれど、休憩の仕方、水と食料の摂り方がうまくなかったのだろう。


 10:55
ここからは自動車道(一部短絡山道がある)が山門まで続く。標高差245mを2.1kmで登る、緩やかな坂ではあるけれど、まだ遙か彼方としか思えない。


 11:17
別格15番箸蔵寺、池田方面から登ってくる道がここで合流する。ここまで来ると、もう山門は近いけれど、この少し前の所で大変なことが起こった。胃が急に痛み始めて座り込んでしまった。この症状は前にも何回か経験している、胃酸が出過ぎている、これを抑えるには食物を胃の中に入れるしかない。ザックの中にかりんとうはあるけれど、水がない。水なしで食べるのは厳しいと思ったけれど仕方ないので、無理矢理口の中に放り込む。数分ですぐ落ち着いた、喉はからからだけど何とか前へ進むしかない。ふらふらとまた歩き始めた。昨年のリベンジをするつもりが完全に返り討ちにあってしまった。また1からやり直しだ。


 11:18
昨年登ってきた箸蔵寺からの道、昨年もこの手前で2回もへたり込んでしまった。昨年は初めての道だったし、ものすごく暑い日だったから仕方ないとは言えるけれど、それにしても2年続けての情けない山登りになってしまった。来年どちらのリベンジをするかはまだ決めかねているところ。


 11:29 雲辺寺(旧山門)
かりんとうの効き目は絶大で、以後の登りは普段に近いものになっていった。休みと水分と栄養のとりかたは本当に重要であることを改めて思い知った。郵便局から5kmを79分(正味歩行時間)、2年前に比べて4分遅れで到着した。でも5年前の記録(3年前、4年前は別の道を歩いた)よりは少し早かった。


 11:36
これは水屋ではなく水堂、ありがたい山の飲料水を頂くためのお堂。真っ先にここに来たかったけれど、お行儀よく先ず水屋で身を清める。水屋はロープウェイ客に都合のよい場所にあって、歩き遍路はわざわざそこまで行って、また戻ってくることになる。最初の頃はそんな所にあることは知らなくて、手を洗わないままお参りをしていた。
お参りの前に、とりあえず1本分頂いて渇きを癒しておく。本堂は今年もまだ工事中、仮本堂は左手の方にある。


 12:10
お参り、納経を含めて、36分の休憩、下着がびちゃびちゃになって着替えることもあったけれど、今回はその必要はないようだ。12時5分に出発する。4時間前、椿堂の手前から見えていた電波塔のその真下にやってくる。動きは鈍かったけど、とにかくここまでやってきた。感慨はひとしおである。


 12:14
別格16番萩原寺への分岐点、昨年はここから左へ下りた。6300mと書いてあるけどこれは間違い、ぼくが歩いた感じでは少なくとも7500mはある。でも萩原寺へ下りる道はロープウェイの駅の近くから始まる別の道が正しいへんろ道、でもぼくはその下り口が見つけられなかった。


 12:42
雲辺寺の下りは横峰寺と違って、前半は枯れ葉が積もったふかふかの山道が続く、膝や足首にも優しいけれど、さすがに最後までそういう道が続くわけもなく、後半はかなり段差が激しく、足場も悪い横峰寺と変わらない険しい道へと変貌していく。いくら下っても下界に着かないのではないかという錯覚すら覚える長い長い下りの山道。


 12:59
横峰寺に比べれば、自動車道までの距離は7割くらいだし、前半は楽な山道ではあったけれど、それでも容易ではない。下りなのに時速は4.8kmしか出なかった。膝は相当痛めつけられて、がくがくだ。


 13:05
家田荘子さんもお薦めの評判の民宿。伊予三島から28km、900mの山越えではあるけれど、少し頑張れば大半のお遍路がここまで来ることができそうだ。民宿岡田にこだわる必要はないともいえる。


 13:18
ここまで下りてくると必ず振り返る。振り返ると雲辺寺山の電波塔が見える。あんな高いところから1時間ちょっとで落ちてきた。自分をほめてやりたい気分になる。


 13:51
昨年を含め3回お世話になった民宿おおひら。伊予三島からだとここまで来る人は珍しくはない。でも青空屋ができたから大分客の数は減ったことだろう。ぼくは、来年箸蔵寺と萩原寺に行けばまたお世話になることになる。この宿以外の選択肢はない。


 13:54 大興寺
雲辺寺から9.4kmを107分、2年前より8分遅れで到着した。相当ひどい。あるいは2年前の動きが良すぎたか。ちなみに3年前は113分、4年前は103分、5年前は133分。真ん中あたりの記録ではあるけれど、今日は1日中動きは本調子でなかったことは否めない。納経が終わってその前のベンチで荷造りをしていたら住職が声をかけてくれた、山越えの道が大変でまいったこと、などをお話しする、気持ちがちょっとほぐれて楽になった。お参り、納経を含めて34分の休憩、14時26分に出発する。


 14:38
観音寺市のシンボルはやはり銭形、実は、ここで初めて観音寺市に入るわけではなくて、雲辺寺の下りからずっと観音寺市内を歩いていた。大興寺の前後数kmの間だけが三豊市に入っている。


 15:01 観音寺池之尻郵便局
大興寺から観音寺までのへんろ道沿いにある郵便局はここだけ。ここがなければ遠回りを余儀なくされるところ。百円玉16枚を無事おろすことができる。明日の札所は9ヶ所、お参り、納経だけで3時間近くかかりそう。


 15:22
下校中の小学生がにこにこ笑いながら「こんにちわぁ~」と大きな声で挨拶してくれた。思わずこちらも笑みがこぼれて、元気よく返す。今日は1日さえない動きだったけれど、これですべて帳消し、終わり良ければすべて良しの1日になった。


 15:44
1日の最終盤になって、ちょっと気が抜けたのか、この手前のコンビニの写真を撮り忘れてしまった。この400m手前、県道237号との交差点にあるサンクスで毎回食料を仕入れる。今回はパン3つ、かりんとうと芋けんぴ、それと野菜ジュース500cc、120円を張り込んでしまう。飲料を買うのは7回目、我ながらよく辛抱していると思う。


 15:47 まめ珈房
テレビディレクター佐藤光代さんが結願のあと再び戻って珈琲豆を買ったのがこのお店。昨年は見つけられなかったけど、今年は確認、でも定休日だった。
 「私のお遍路日記 歩いて回る四国88ヶ所」 佐藤光代著のこの本は、ぼくが読んだ遍路本の中で一番おもしろく優れたものです。amazonで買えますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。


 15:55
 財田川を渡ると今日最後の札所は目の前。


 16:01 神恵院・観音寺
大興寺から8.5kmを81分、昨年より3分遅れで到着した。ただし、昨年は朝一で歩いたので正確な比較はできない。午後から歩いた中ではベストタイムだった。女の子に元気を貰ったおかげだろうか。やはり終わり良ければ・・・になった。


 16:22
観音寺の本堂の左側に長い石段がある。この上に薬師堂がある。7年前までこちらが神恵院の本堂だった。ご詠歌の額がいまだに飾られてあった。この前を右に行くとお待ちかねの銭形展望台に至る。


 16:29
6回も観音寺に来ていて1度も銭形を見ていなかった、それでは観音寺に来たことにはならないといつも引け目を感じていた。この区間はとにかく忙しい行程にしているので、全く余裕がなかった。今回は納経をするので、何とか無理矢理押し込むことができた。写真や映像では何度となく見ているのでとくに目新しくもないけれど、肉眼で見ておかないと見たことにはならない。


 16:47
観音寺の境内から銭形展望台を往復するのに20分くらいかかった。思ったよりスムースに行くことができ時間も予想範囲内だった。予定通り宿にも5時までに入ることができた。5時というのはぼくの感覚ではものすごく遅いけれど、まあ仕方のないところ。
 藤川旅館は3回目の投宿。素泊まり3500円、2食付き5000円。トイレはウォシュレット完備、洗面も清潔。今まで隣の音が気になったこともない。何の文句もない最高の宿といっていい。もちろん3000円の宿よりはポイントは低くなるし、食事は摂ったことがないのでどうか判らないけれど。


24日目 5月17日

2009-07-24 | 09年四国の旅

 5:53
24日目の始まり、今日の行程は36.4kmで平地ばかり、しかも札所はなし。7時以降に出発するのは12日ぶりのことになる。今のところは晴れ間も覗いているけれど予報は曇りのち雨、平地だから苦にならない。


 6:58
7時前に玄関に下りていくと、ちょうど同宿のお遍路さんが出かけるところだった。3年前はお遍路さんがここまで来ることはあまりないと言っていたけれど、昨日お風呂を待っているときに訊いたら、前日にも二人のお遍路が泊まったと言うから、ずいぶん事情は変わってきているのかもしれない。少しへんろ道から外れるけれど安く泊まれる宿があることは大分浸透してきたのかもしれない。
 10月の西条まつりのポスターが今頃から・・・、とよく見たら昨年のポスターでした。オペラ歌手の秋川雅史さんは何事があってもこの祭りには帰ってくる、ローマにいても帰ってきたという。


 7:12
12分で国道11号に復帰してくる、本当はここはへんろ道ではないけれど。


 7:18
国道11号は片側にしか歩道がないところが多く、それもすごく狭くて歩きにくい。だからへんろ道を行く方が絶対いい、でも、にぎたつに泊まれば国道を行くしかない。こういう新しい歩道がずっと続けば言うことはないのだけれど。


 7:26
本日の昼食用のパン1個だけ買う。夕食と明日の分はもっと宿に近いコンビニで買うことにする。


 7:54
へんろ道が国道に合流してくるところ。ここからしばらくは国道がへんろ道になる。


 7:56
西条とはここでお別れ、新居浜市に入る。西条市に入ったのは二日前の15時半くらいだったから40時間くらいこの市に滞在したことになる。


 8:09
ここから長い脇道(旧街道)に入る。しかしこの脇道は今までの脇道と違って油断できない。狭い割に車の通りが激しいし、車は我が物顔で全くスピードを落とさない。国道より遙かに危険だといってもいい。


 8:52 喜光地商店街
脇道に入ってからここまでが長い、もう何度も歩いているから、長いことは承知のうえだし、どれくらい歩けば着くことも判っているけれど、最初の頃はいくら歩いても着かないのではないかと思えるくらい長かった。今回は宿から12kmくらいだけれど、いつもは前神寺からここまで15kmは休めなかったから余計そんな感じがするのかもしれない。


 8:53
ステージがある商店街の広場で朝市が行われている。ここにはベンチもトイレもあるので一休みする。ここまでは適当な休み所がない。今日は札所がないので自分で休み所を決められるけれど、休めるところは多くはない。結局12km地点のこの場所と、24km地点の別格12番の2ヶ所だけで休むことになる。最初の頃から変わらないし、変えようがない。


 9:46
喜光地商店街では37分たっぷり休む。休憩が2回しかないので、それくらい休まないと早く着きすぎてしまう。9時30分に出発、歩き始めて16分、民家の前に立っているおじさんが手招きしてぼくを呼び止める、にこにこしながら「お接待しようと思って待ってたの」と、この袋を渡してくれる。中には百円玉が5枚入っていた。お金を頂くのは6年前以来2回目のことだった。とてももったいなくて使えないけれど、ご厚意を生かすのは使うことでしかないから大切に使わせて貰うことにする。


 9:56
市民運動会が行われている小学校から、銀河鉄道999の軽快なメロディが流れてくる。完全な吹奏楽アレンジ、各楽器の特性が生かされたぼく好みのアレンジになっている。しばらくは音楽に合わせてうきうきしながら歩くことができる。


 9:59
2時間ぶりに国道を歩くことになる。


 10:00
国道に合流したところにスーパーがあって、その前に電話ボックスがある。2日後、坂出のみき旅館、3日後、高松のビジネス旅館三鈴、4日後、さぬきの民宿八十窪に予約を入れる。3軒とも無事終了、これですべての宿の予約が終わった。旅の終わりが本当に近いことを実感する。


 10:14
合流地点から7分、ちょっとした峠を越えて、また脇道に入る。


 10:21
700mで国道に合流する。


 10:22
合流してすぐの所にコンビニがある。今まではいつもここで夕食を仕入れたけれど、もっと宿に近いところに新しいコンビニができたので、そちらで買うことにする。


 10:32
今日のゴールまで18km、ということはあと3時間。ということは1時間半くらい休憩しなければならない。


 10:41
新居浜市から四国中央市に入る。合併前は土居町。土居町、伊予三島市、川之江市が合併して四国中央市になった。とっても歩き甲斐のある大きな市。


 10:43
いろんなシールが付いてる脇道の入り口。ここから宿までもう国道を歩くことはない。ほとんど車の通らない歩きやすいへんろ道を行く。


 10:55
6年前にお金を頂いたのがこのあたりだった。偶然にも同じ区間だった。ほとんどのことは忘れてしまったけれど、決して忘れられないこともいっぱいある。


 11:20
国道を横断すればもう延命寺は近い。


 11:35 延命寺
喜光地商店街から12.1kmを117分、例年より2分遅れで到着した。ここが2回目にして最後の休憩地になる。ここから宿まで12km、2時間ほどで着いてしまうから、相当休まねばならない。このお寺のシンボルになっている「いざり松」を初めてゆっくり見物する。


 12:44 松屋旅館
延命寺で休んでいると雨が降り始めた。あと全部降られたところで2時間だから、大したことはない。1時間ちょうどの休みで12時35分に出発する。3時までに着いてしまうけれど、これ以上休む気にもなれない。1時間休んでいたけれど、この前を通るお遍路は一人もいなかった。今日はここまで一人のお遍路にも会っていない。宝寿寺や前神寺の近くの宿に泊まった人のほとんどは、この別格の近くの二つの宿に泊まるから、この前を通るのは4時前後になるし、西条の駅の近くに泊まって伊予三島まで行く人はここを通るのは1時間以上後になる。ぼくは一番人に会いにくい時間を歩いている。


 12:56
へんろ道はここから国道の南側を行く。ほとんど平地だし車もあまり通らないので最高に歩きやすいへんろ道らしいへんろ道。


 13:53
新しくできたコンビニ、国道とへんろ道の間にあって、どちらからでも入れるようになっている。4年ぐらい前にこの近くにできたローソンは1年後につぶれていた。それは国道の反対側だったから、同じ運命を辿る可能性は少ないと思いたい。


 14:29
昨年まで影も形もなかったものすごい道がへんろ道を横断している。国道11号のバイパスみたいですね。


 14:38
当初ここで納経料の百円玉をおろすつもりだったけれど、明日の分は確保できているので入らない。


 14:40 伊予三島駅
延命寺から12.1kmを116分、例年より1分遅れで踏切まで来た。誤差の範囲で満足。今日は大体例年並みの歩きができたようだ。ここから宿まで5分くらい、踏切の手前にベンチがあったので時間合わせに少し休むことにする。


 14:49 ビジネス旅館高雄
踏切のところで6分休んで、ちょうどいい時間に着いた。ビジネス旅館高雄は3年連続3回目の投宿。素泊まり3000円だから、ほかのところは考えられない。しかもご主人の笑顔の出迎えが何とも言えない。迎え方一つで1日の疲れが本当に吹き飛んでいく。コスタブランカといっしょで風呂は自分で入れる。ぼくの部屋は2年前と同じでお風呂の隣の部屋。お湯の勢いがすごいので10分くらいですぐ入れるようになる。
 風呂からあがり、夕食も摂って、ゆっくりしていたら夫婦の歩き遍路がやってきた。もう6時少し前、飛び込みなのか、夕食は外で摂るようでご主人に店の場所を教えて貰っている。それにしても、ぼくなどからすれば無計画なやや無謀な感じがした。飛び込みなのはいいとして、それなら食事は用意しておくべきだろうし、外で食事を摂るならもっと早い時間に宿に着くべきだろう。もっと余裕を持って宿に着けるようにすべきだし、予約も早めにしておけば外で食事を摂ることもないし、もっとゆっくり休めて明日の歩きに備えることもできるのに。食事を終えて風呂に入ったのは8時を過ぎていた。


23日目 5月16日

2009-07-23 | 09年四国の旅

 6:33
23日目の始まり、今日の行程は横峰越えの36.8km。距離は短い方だけれど、山越えなので6時間半は歩かねばならない。札所も5つあるので3時までに宿に入るのは難しいかもしれない。5時58分に宿を発つ。天気は曇り、予報は一時雨だったけれど、登りきるまでは持ちそうな感じがする。
 昨年はこの分岐を西の方に行った。


 7:22
前を行く人の歩はやや緩やか、6時半頃に栄家旅館を出たと思われる。62番近くの宿に着くのは5時近くになりそうな感じがする。橋を渡ると、いよいよ山が近くなってくる。


 7:44
橋を渡ると国道11号との交差点、右の方から、昨日道の駅で追い抜いた野宿の人がやってくる。国道の右の方には「湯の里小町温泉しこくや」という宿がある。大きな荷物なので野宿かと思ったけど宿に泊まる人だったのかもしれない。妙雲寺の横を通るとすぐ松山自動車道の下をぬける。200mくらい前を行く二人のお遍路が見える。内一人が立ち止まって地元の人と何か喋っているようだ。ぼくがその近くを通ると、そばの畑で作業をしているおばさんが声をかける「お遍路さん、ちょっと待って」と言って袋に入った苺を差し出す「お接待しようと思って持ってきたの」。「え、こんなにいっぱい貰っていいんですか」度肝を抜かれながらも丁寧にお礼を言う。すごく嬉しくてありがたいけれど、いいのかなという気持ちもどこかにある。ザックの中には入れられないので、左手にぶら下げて次の休憩ポイントまで持っていくことにする。


 8:34
横峰寺の登山口にある遍路小屋まで宿から15.9kmを2時間33分で到着した(もちろんこの間休みなし)。片手に苺をぶらぶらさせていたのにベストタイムを出してしまった。理由ははっきりしている。松山道から先、二人の人を追い抜いたけれど、その一人が荷物を持っていないせいもあってかなり速かった。栄家に泊まると次の宿まで荷物を運んで貰えるのかもしれない。その人に引っ張られて自然にスピードが乗ったと思われる。この小屋に着くすぐ前にももう一人前を行く人がいて、追い抜けはしなかったけどほぼ同時に着いたという感じだった。合計5人に会ったことになる。


 8:49 村上さん
横峰寺の登り口には湧き水が汲めるようになっていて、いつも地元の人がここまで車で来ている。その順番待ちをしている人がぼくの向かいに来ていろんな話を聞かせてくれた。先ず、びっくりしたのが彼のお母さんの話。お母さんはすべて車遍路ではあるけれど100回以上四国を巡った、真っ赤に染まった50回分の納経帳が2冊あるそうだ。83歳の時金剛福寺で骨折をして、それからは家族に止められて、ようやく打ち止めにしたけれど93歳の今も元気だということだ。村上さん自身も3回車で巡ったけれど、足の調子がよくないので歩いて巡ることは考えられないと言う。でも、歩数計で東海道と山陽道は踏破して、現在は四国を巡っている最中だ、と笑う。ぼくの話も少しさせて貰うと、へぇ~、そんな人がいるのかと目を丸くしてびっくりすることしきりだった。自慢するようなことではないけれど、お母さんとの話の種にして貰えれば嬉しいと思った。


 9:13
村上さんとは20分くらいお話をして、8時56分に登り始める、石鎚橋で抜いた人以外の4人はここでは休まずすでに山の中へ入っている。宿からここまで9kmはあるはずなのにどうして休まないのか不思議だった。この山登りは5回目になる(2回は自動車道を行った)けれど、昨年気合いを入れすぎてすごい記録を出してしまったので、到底それ以上のタイムを出せるとは思えなかった。でも、できるだけ普通以上には登りたいと思う。登り始めて17分で、04年の秋の台風で起きた土石流の跡にやってきた。この部分だけは当時のままで迂回路が設けられている。


 9:41 横峰寺
今回は前に行く人がいたりして、あまり時間を感じることなく山門の下までやってきた。まだまだだと思っていたところに急にその姿が見えたのでびっくりした。タイムは昨年より2分も早かったのでさらにびっくりした。やはり、村上さんといっぱいお話ししたので、余分な力や毒素が抜けて自然と元気が出てきたに違いない。普段はずっと一人で歩いているからどうしても精神が解放されない。お話しすることによって、精神のいずれかの部分が解き放たれて、それが動きにも影響してくることは間違いないと思う。実際何度も経験してきたことだ。


 9:43
昨年は土台のコンクリートしか見えていなかった新しい納経所が完成間近のたたずまいを見せている。今年も納経は靴を脱いで本堂の中でして貰う。バスツアーや車遍路の人で境内はにぎわっていたけれど、納経は待ち時間なくすっきり済ませることができた。


 10:08
納経が終わると一休み、この新しい休憩所は昨年からできていた。納経所より先に建てたというのは、本当に参拝者、登山者のことをおもんばかったことだと思われる。でも、ぼく以外に休んでいる人は一人もいない。それもそのはずで、山門、休憩所、水屋、工事中の納経所と並んであって、本堂と大師堂は一段高いところにある。車の人は裏の駐車場から入ってくるので本堂の高さの所から入ってくるので、わざわざこの低いところまで下りて休もうなどとは思わないし、歩きの人の出口は裏側なので、これまたここまで下りて休むと、また登ることになるので面倒なことになる。車の人などは水屋を使わずそのままお参りする人も多い。でもトイレは山門を出た先にあるので仕方なく階段を下りてこの休憩所の前を通ることになる。
 10分ちょっと休んで10時19分に発つ。下りだと思って気を緩めている場合ではない、ここからが本当の横峰寺なのだ、いつも思い知らされる。


 11:05
改めて横峰の下りが一番きついことを思い知る。三坂峠とは段違い、三坂峠は後半の急傾斜の舗装道は相当負担がかかるけれど、前半はハイキング気分で下れる。この横峰はそれよりずっと負担がかかる、足場がゴロゴロして落ち着かないしスピードも出せない、そして何より、途中で登りも待っている。細かい区間でも下りの途中に登りが入ると気持ちが折れそうになる。ハイウェイオアシスへ向かう分岐点には、以前のような標識がなくなっていた。こちらの方も相当険しいけれど、登りはなくて下るばかりなので、少しは楽に下れるかもしれない。


 11:22
これから下りていく小松の町が見える。1時間下り続けてまだこんなにも下らねばならない。半ばがっくり。


 11:40
1時間20分かかってようやく自動車道まで下りてくる。本当にこの下りは楽なところはほとんどなかったといっていいくらいだった、常に膝や足首に負担のかかる油断のできない所ばかりだった。そしてこの自動車道も容易ではない。少しスピードを上げようものならたっぷり膝に負担がかかってくる。


 11:56
4時間ぶりに松山道の下を通過する。ここまで来るともう余裕を持って歩けるけれど、この先にはまだちょっとした登りが待っている。最後の最後まで横峰寺は許してくれない。


 12:11 香園寺
最後、高鴨神社の中の道は5年ぶりに歩く、そこの手前の道はほとんど記憶に残っていなかった。横峰寺から9.6kmを111分で下りてきた。同じ道を歩いた5年前よりは2分ほど早かったけれど、松山道から乙の道を歩いた2年前よりは9分も遅かった。乙の道は距離もほとんど変わらないし、登り坂は甲よりもきついくらいだから、完全に負けたという感じ。2年前は登りが全然力が出なかったけれど、下りはかなり復活していたということかもしれない。ちなみに、ハイウェイオアシス=丙の道を歩いた昨年のタイムは2年前と全く同じだった。納経を終えて少し休もうとしたらぽつぽつと雨粒が落ちてきた。山登りが終わればいくら降られてもどうってことない。


 12:52 宝寿寺
香園寺から1.3kmを13分、例年より1分遅れ、写真は撮らなかったけれど誤差の範囲とする。確かに横峰寺の下りで相当痛んでいるという感じもある。狭い境内は団体の人でごった返していた。お参りを終えて納経所に行くと、案の定、その団体の記帳で大わらわだった。その後にも車の人数人、歩きの人も並んでいる。納経所で待つのは、初日の2番極楽寺以来だったかもしれない。待つといっても、お参り納経を含めて19分しかかからなかったから、ほかの札所と比べて2~4分くらい余分にかかっただけだった。ぼくの前の歩きの人はイライラして「歩きだから先にしてくれ」と言っていたけれど、本当にさもしい行為に見えた。たった数分のことじゃないか。他人を押しのける行為は他人に迷惑をかけるに等しい。遍路にあるまじき醜い行為だった。


 13:16
小松駅を過ぎたところにあるこのコンビニでいつも食料を仕入れていたけれど、もっと宿に近いところにコンビニがあるのでまだ買わない。まだ札所が二つ残っているのでほっとしていられない。


 13:24 吉祥寺
宝寿寺から1.4kmを13分、例年より1分遅れで到着、誤差の範囲とする。それより何より、びっくりしたことがある。ぼくはこのお寺に山門があることを今の今まで知らなかった。というのも、国道からすぐこのお寺に入れるようになっていて、迷うことなく一番の近道で境内に入り込んでしまっていた。ところが、今年はその入り口には紐が渡してあって、ここは入り口ではありません、と看板があった。それでようやく初めて山門の前に立つことができた。すごく恥ずかしい。7回巡ったとてまだまだ偉そうなことは何も言えないと自分を戒めた。
 納経の後、ベンチで軽食を摂っていたら雨足がはっきりしてきた。山門を出ようとしていた歩きの人が、思わず立ち止まってザックの中から合羽を出し始めた。この程度の雨で合羽を着けるのは本当に面倒だと思う、傘を持っていて本当に正解だと改めて納得する。


 13:52
「お四国巡拝者様 甘夏御自由にお食べ下さい!(持帰り可)」
余程一つ頂いて持っていこうかと思ったけれど、躊躇してしまった。なぜか余裕がなかった。


 14:14 前神寺
吉祥寺から3kmを31分で到着、例年より3分遅れ、これは誤差の範囲とは言えない、雨のせいとも言えない。横峰の後遺症がじわりと押し寄せてきたか。山門をくぐると宝寿寺で一緒だったバスツアーの人たちが戻ってくるところ、納経は完全に終わっているはずだ。トイレに金剛杖を忘れた人がいて、添乗員の人が慌てて走って取りに戻るところだった。


 14:44
前神寺を出て10分で国道に合流、へんろ道は国道に合流せずこのすぐ手前から農道を行くことになるけれど、今日の宿はへんろ道を外れた西条の駅の近くにあるので、国道を行くしかない。


 14:52
距離はものすごくあるけど徳島の文字が現れた。1巡が近いことを実感する。伊予の国も明日、明後日を残すのみだ。


 14:56
3年前にあることは確認していたけれど、つぶれている可能性もあるのでひやひやだった。パン4つとかりんとうを購入。


 15:06
白いアーチではなくて、その少し下から覗いているピンクの橋が、四元さんが迷演奏を聞かせてくれたメロディ橋。へんろ道はあんなに南側を走っている。国道より遠回りになるけれど歩き心地は段違いに良い。


 15:12
加茂川橋を渡って二つ目の信号を左折、伊予西条駅方面へ向かう。


 15:18
踏切から右を見ると伊予西条駅が見える。市の中心とはいえ大きな駅ではない。


 15:21
前神寺から4kmを38分で到着、3年前より3分早かった。でも今年が特別早いということではなくて3年前が余程ばてばてだったと思われる。何といっても平地で時速6.3kmだから標準以下という感じ。でも一応はベストなので気分は悪くない。
 にぎたつ旅館は3年ぶり2回目の投宿、へんろ道からは少し外れてしまうけれど、何といっても素泊まり3000円という料金が嬉しい。ビジネス旅館小松の3675円、石鎚温泉の3800円もいいけれど、600円以上安いと、どうしてもこちらということになってしまう。でも、この宿は風呂の時間が遅い。5時過ぎにようやく入ることができた。それでもこの値段なら我慢するのも仕方のないところ、風呂にすぐ入れれば文句なし◎の宿になる。


22日目 5月15日

2009-07-18 | 09年四国の旅

 5:56
22日目が始まる。今日の距離は今年の旅で一番長い46.5km、しかも札所が6つもあるから、本当なら6時前に発ちたいところだけれど、この朝食を見逃すことは容易にできない。向こうのビニール袋はお接待のせんべいやキャンディが入っている。生涯4度目の納豆(内3回がこの宿のもの)は昨年、一昨年と違って、違和感を全く感じることなくしっかり味わうことができた。3年できっちり自分のものにすることができたようだ。


 6:09
食事が終わる頃、コーヒーが運ばれてくる。だから、少々発つのが遅くなっても朝食をはずすことはできない。ゆっくり味わうことができないのは残念だけど、それでもしばしリッチな気分に浸ることができる。昨年まで2食付き5000円だったけれど、今年は5500円に値上がりしていた。それでも、十分すぎるほどのコストパフォーマンスだと思う。道後からここまで27km、そして次の仙遊寺宿坊まで30km、これ以上の選択肢はないような気がする(普通のお遍路にとって)


 6:31
6時16分に宿を発つ、15分で今治市にはいる。今は松山市と今治市は隣接しているけれど、数年前までその間に北条市と菊間町と大西町があった。これからしばらく旧菊間町を歩く。


 6:37
トンネルを避ける道もあるけれど、短いので中を歩く。


 6:56
菊間の中学生は皆挨拶をしてくれる、でも自転車で追い抜きざま急に声をかけるので、ウワッ、とびっくりさせられてしまう。挨拶を返す余裕もないくらいだった、二人にびっくりしたけれど、3人目は用心していたのできっちり返すことができた。


 7:01
菊間の町に入っていく600mくらい手前の所に新しいお接待処ができていた。少し気になったけどまだ1時間も歩いていないのでスルーするしかなかった。


 7:07
2回目から3年連続でお世話になった宿、こちらに泊まると今日の行程がずいぶん楽になるけれど、素泊まりが4500円とちょっと高いのでコスタブランカに乗り換えてしまった。


 7:42
菊間から延命寺までの間に国道を離れる脇道が4つある。本当はこの2kmくらい前にも青木地蔵までの脇道があったけれど、その後半部分は精油所の敷地内で消失してしまった。前半部分は一度歩いたけれど、少し遠回りになるので、もう歩かない。この脇道は簡単には入れない。国道の歩道が左にあるので、右側に入る遍路標識はとても見えにくくなっている。


 7:56
最後にちょっとした峠を越えて国道に合流する。向こう側にすぐ脇道2が見えている。


 8:00
脇道2が国道に合流するところで旧大西町に入る。


 8:09
こちらも意識していないと入れないことが多い、国道の左側からだとなかなかこの標識は気がつかない。事実、このすぐ先の所で国道を歩いている人を見たことがある。


 8:17
800mほどでまた国道に合流する。


 8:19
 国道から一段低いところへ下っていく、この道も何人かに一人ははずす可能性がありそうだ。ぼくも最初の時少し行き過ぎてから気がついた。


 8:45
一番長い脇道が国道に合流するところにコンビニがあった。買い物はしないけれどトイレを借りる。脇道を全部歩くと菊間のコンビニからここまで10kmの間にトイレが全くない。4つ目の脇道を行かなければ国道沿いに公園やコンビニはある。心得ていないとちょっとした難所になる可能性もある。


 8:56
昔の大西町と今治市の境。ここまで来ると延命寺も近い。


 9:10
ここから500mくらい先に左に入るへんろ道があるけれど、なかなか入れない。ぼくは3回か4回はずしている。1度うまく入れたのに翌年はずしたということもあった。


 9:15
この手前を左にはいる、前よりは判りやすい遍路シールも見える。


 9:18 延命寺
宿から18.6kmを177分で到着、昨年より6分遅れ。昨年が6.5km、今年は6.3km。確かに出だしは食事の直後だったので体は重かった。
 納経所の若い坊さんは超高速の墨書、おそらく88ヶ所一のスピードと思われる。早すぎるのもありがたみが薄いような感じがしたけれど、団体が来るとこの早さが生きてくる。必要に迫られた早さだといえる。
 3時間休みなしに歩いてきたからゆっくり休めばいいようなものだけれど、今日は長いし札所も多いので、納経のあと水を補給してすぐ発つことにする。


 10:08 南光坊
南光坊までの間に大谷霊園があってその階段を登るみちがはずしやすい。太い舗装道路が右側にカーブして登っていくから、その手前でいきなり階段を登るとはあまり考えにくいようだ。ぼくも1回目2回目ははずしたし、はずしている人を見たこともある。でも今回その階段の登り口にこれでもかというほど多くの遍路標識が付いていた。それだけ今まではずす人が多かったということだろう。これではずす人は・・・、でも意識が前に向いていたら気がつかない人も希にいるかもしれない。
 例年通り33分で到着。足の調子は伊予の国に入ってから全く問題はない。いくらか遅くなるのは撮影のロスタイムが大きい。この間は1枚も撮らなかった。
 納経所の年輩の坊さんはとても気のいい人で、一人一人に声をかける。ぼくが納経帳を手渡すと、「栃木から?」「いいえ姫路です」「さっき栃木の人が二人続いたんでね、さらに続くことがあるんだよ」栃木の人はコペンおじさんだ。納経帳の最後のページを確認して住所氏名を書いておくようにと注意された。なくすことはないと思うけど、尤もなのでその場で書き入れた。納経所の前のベンチで軽食を摂る、お参り、納経を含めて30分の休憩。


 10:55
民家の庭先に建っている不動産会社の事務所、5年前ここでコーヒーを飲ませて貰った。


 11:07 泰山寺
 3.1kmを28分、例年と同タイムで到着。
 ぼくが納経して貰っている間中、そのすぐ横でわんこが寝そべっている。ぼくが納経料の三百円を差し出すと、その上でじゃれ始めた。納経所ではいつも緊張して直立不動だけれど、その仕草を見ていると自然に緊張がほぐれていく。納経が終わるともう一匹が現れて、二匹並んで受付の所に並んでいる。ここは納経帳を提出するところであり、墨書御朱印を頂くその上、でも不謹慎という感じは全くしなくて、かわいいから全部許せてしまう。


 11:25
休憩なしで泰山寺を11時23分に発つ。泰山寺を出て50mで左へ折れるあぜ道がある・・・はずだったけど?それが10倍近い幅のある農道に変貌しようとしている最中だった。なぜだ、と言いたかった。せっかくの雰囲気が台無しな上に、この広い道の用途が全く見えなかった。


 11:26
工事中の農道は100mくらい、そのあとは前のままのあぜ道が続く。100mだけの農道、ますますその意味が分からない。


 11:45
栄福寺の手前には二つの道がある。八幡神社の山越えの道は昔の白黒の地図に赤線はなかった。距離的には大差ないようだけど、登り下りが大変なのは判っていたので今まで気にもかけなかったけど、四元さんがこの道を歩いたので、歩かないわけには行かなくなった。


 11:48
初めての道には遍路標識シールは一切見えなかった、確信の持てないまま石段の下に到着、四元さんが登っていたのはこういう感じだったからたぶん間違いないと思う。


 11:49
前の写真ではこの石段がどれだけ急角度か判らないので、こういう写真で証明。45度まではいかないけれどそれに近い急斜面であることが判る。こういうものすごい急坂を登ってまで遠回りをするへんろ道はあり得ないという感じ、白黒地図が正解だと思う。


 11:58
神社の上へ登ってから、下へ下りる階段はすぐ前にあったのに、社の方へ行ってしまったので、下りる道がわからず山の中へ入ってしまった。山の中をぐるっと回ると下り階段の前へ出てきた。思わぬ遠回り、これだから初めての道は怖い。迷った分も含めると泰山寺から35分かかる。例年より8分遅れ、迷っていなかったら4分ぐらい遅かったと思われる。
 お参り、納経に15分、水屋で水を補給して休憩なしで出発。


 12:15
栄福寺を出るとすぐ、これから登る山の上に仙遊寺の宿坊が見える。


 12:31
だいぶ高いところまで登ってきたので、しまなみ街道、来島海峡大橋を見ることもできた。


 12:38
栄福寺から2.1kmを25分、例年より1分遅れで仙遊寺に到着、到着といっても山門から境内まで標高差45mのものすごい階段を登らねばならない。でもタイムチェックは終わっているのでこの登りは人が言うほどぼくには苦にはならない。余裕を持って登るから滞在時間はかなり長くはなってしまうけれど。
 お参り、納経のあと建設に1億円を要したという自慢のトイレを使わせて貰い、その横のベンチで軽食を摂る。でも休憩は5分ほどですぐ発つことにする。この時間であと16kmも残しているのでゆっくりする気にはなれない。再び山門まで下りてきたのは30分後だった。


 13:59
いつもは仙遊寺から3.4km、国道196号の交差点にあるローソンで食料を仕入れるけれど、ローソンはぼくの希望する袋菓子を置いていないので、予讃線を越え、頓田川を渡ったところにあるこのコンビニで買うことにする。この先には買う場所がないのでもしこのコンビニがつぶれていたら大変なので、早めに買うことにしていたけれど、宿のそばにも新しいコンビニができたので、ここまで我慢することができた。例によってパン3つとかりんとうと芋けんぴを購入。大体これくらいの熱量で動けているので迷うこともなくなってきた。そして、このすぐ先の国分郵便局で明日の納経料のための百円玉10枚をおろす。明日の札所は5ヶ所。


 14:14 国分寺
仙遊寺から6.1kmを57分(正味歩行時間)、ベストより1分遅れで到着した。昨年は記録が出なかっただけに少し意識したけれど、やはり下りの山道は思い切れない部分もあったようだ。
 ここから宿まで10km休めないので、納経のあと軽食を摂って少し休憩する。車遍路の人がお大師さんと一緒に写真を撮って欲しいというので、シャッターを押してあげた。握手はしなかった。ぼくも、7回もここに来て一度も握手をしていない。毎年通しで四国を歩くことができて、それ以上のなにを望めばいいのかと思う。


 14:37
国分寺を出たすぐの所にあるタオル屋さん、昨年タオルハンカチを頂いた。今年はそれを使わせて貰っている。今年も声をかけられるかと思ったけど、お兄さんは店の中だった。声は聞こえていたけどね。


 14:54
1回目の時はこの駅まで歩いて、電車で今治まで引き返して、駅前のホテルに泊まった。少し先には湯ノ浦温泉があるけれど、当時は今の地図を持っていなかったので、そういう宿があることは知らなかった。知っていたところで温泉の宿は料金が高いから泊まる気になれなかったとは思うけれど。湯ノ浦の付近に安価な宿があれば今でも泊まりたいと思うけれど、ないので仕方なく46kmも歩くことになる。この少し手前で、国分寺を先に出た年輩の男性を追い抜いた。彼はかなり足を痛めているような感じだったから、湯ノ浦までかもしれない。


 15:19
この道の駅の手前、国道に合流するところで、野宿の人を追い抜く。こちらは大分速く元気そうだった。


 15:32
国道を離れ予讃線の踏切を渡る。


 15:34
踏切を渡り、今治小松自動車道をくぐると、西条市に入る。ここから宿までは静かな道が続く。1日の最後を楽しみながら歩ける。


 15:58
農道を抜けて三芳の町に入った所で下校中の小学生が大きな声で「こんにちわぁ~」と叫びながら駆け抜けていった。もちろん同じくらい大きな声で挨拶を返す。1日の最後に気持ちのいいお接待を頂いたという感じがする。心の中が暖かくなる。


 16:07
今日の宿はへんろ道から外れたところにある。ここを左折して三芳駅方面へ向かう。


 16:14
国分寺から10kmを96分、例年より1分遅れだった。誤差の範囲で満足。今日は出足以外はほぼ例年通りの快調な歩きができた。
 敷島旅館は5回目の投宿、ぼくにとってはここ以外は考えられない都合の良い宿だけれど、普通のお遍路はあまり利用することがないようで、5回泊まってお遍路の同宿は一人だけだった。多くの人は仙遊寺の宿坊に泊まって、栄屋旅館まで行き、そこから横峰を目指す。栄屋から横峰を越えると次の宿まで23km、敷島旅館からだと29km、山越えのこの距離は相当ハードになる。
 玄関に置き手紙があった。「外出中なので、左の部屋に入って下さい」ということだった。前にも同じことがあった、でも従うことはできない、1階の部屋は4200円、2階の部屋は3500円なのだ。昨年は予約の時に2階をお願いしたけれど、今年は忘れていた。しばらくして、女将さんが帰宅、2階の方がいいのですが、と言うと快く受けて貰えた。女将さんは足の具合があまりよくなくて、1階の方が都合がよかったようだけど。1階の部屋に用意されていたお茶のセットは自分で持って上がる。


 16:41
お風呂の用意をして貰っている間に、お接待の豆御飯が運ばれてくる。おかずはインスタントのお吸い物だけだけれど、ぼくにとっては十分なごちそうだ。洗濯も出しておくだけで物干し、取り込みまですべてやって貰える。この宿はお遍路が泊まる機会は多くないはずだけれど、普通の遍路宿以上に遍路宿だと言ってもいいくらいだ。


21日目 5月14日 

2009-07-16 | 09年四国の旅

 6:30
21日目が始まる。今日は40km、山は最後の北条と浅海の境の峠越えだけで、ほとんど平地の旅になる。札所が6ヶ所あるので3時までに宿に入るのは難しいかもしれない。5時57分に出発、八坂寺は昨日の打ちにお参りしたので、西林寺への道はいつものへんろ道ではなく近道を行くことにする。初めての道なので地図を入念にチェック、最初からはずすと目も当てられない。出発して6分、久谷中学校の近くに長珍屋の別館があった。


 6:32
この久谷大橋の少し前の所で無事へんろ道に合流した。迷いようのない道ではあるけれど、やはり初めての道はドキドキする。


 6:40 西林寺
4.5kmを42分で到着、朝からいい感じで歩けている。納経が始まる20分前だから境内には誰もいないと思いきや、本堂の前で大声で熱心にお経を読んでいる人がいる。ぼくたち普通のお遍路が読むお経とは別のものを読んでいる。ぼくが本堂でのお参りを終え、大師堂でのお参りを終えてもまだ同じ所で読んでいる。7時10分前に納経所に行く、納経時間より前に行くのは予定通り。7時にすぐ発てればいいと思っていたら、5分前に女の人がやってきて始めてくれた。こういうこともあろうかと10分前にやってきたのだ。納経が終わって境内に戻るとまだお経を読んでいる。17分以上読んでいる。大師堂の前でも同じくらい時間をかけるとしたら、全部でいくら時間をかけるのだろう。歩き遍路、とくにぼくのような距離を歩く遍路には到底まねのできないことだ。駐車場に小さなキャンピングカーが停めてあった。車だとあれだけ時間をかけても問題ないだろう。普通の車遍路より日数はかかるかもしれないけど。


 6:57
山門を出たところに正岡子規の句碑があった。
「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」


 6:58
県道に出てすぐ、左の矢印がある。でも無視して県道をそのまま行く。


 7:00
200m先にまた左の矢印、二つの道は合流して同じ道を行くことになる。新しい地図では最初の方に赤点線があるけれど、古い白黒の地図ではこちらの方だけに赤線があった。昔は、最初の方は途中で行き止まりになっていてへんろ道に入れなかった。でも、ぼくはまた県道を直進する。へんろ道は歩道がなくてすぐ横を車がびゅんびゅん通って歩きにくいところがあった。ぼくは1の道は1回、2の道は2回歩いたので、4回目からは歩道のある県道を歩くようになった、県道の方が近道でもある。


 7:18
伊予鉄の踏切を渡ると左へ折れる、ここからは歩道がなくてやや歩きにくくなる。


 7:26 浄土寺
例年より1分遅れで到着。この時間静かな境内、この周りの宿が廃業する前はこの時間でも歩きの人を見かけたことはあったけれど、宿がなくなってからは、歩きの人がここに来るのは9時半以降になってしまった。だからぼくが歩きの人に出会うのは、13時以降になる。14km先の道後の宿を出た人たちを追いかけることになる。


 7:58 繁多寺
浄土寺ではお参り、納経に17分、休憩なしですぐ出発した。繁多寺までは僅か1.6km、でもこの道が結構な難所になっている、狭い自動車道に歩道はなく、通勤通学の車、単車、自転車がひっきりなしに通過していく。後半は墓地の中に入っていくから大して長くはないけれど、本当に嬉しくない道になっている。例年と同じ15分で到着した。境内は車遍路の人が一組いるだけでいたって静かだった。もちろん納経も待ち時間なしで済ませることができた。宿を出て2時間経っているけれど、まだ休まない。休みは石手寺と決めている。


 8:17
繁多寺は高台にあるので、山門を出てくると松山市街を遠望することができる。松山城もかすかに望むことができる。


 8:29
繁多寺から石手寺まで2.6km、その前半は閑静な住宅地を抜けていく。後半はまた浄土寺からの狭くて交通量の多い県道に合流する。


 8:41 石手寺
繁多寺から2.5kmを23分、例年と同じタイムで到着。境内はバスツアーの団体さんでにぎわっている。石手寺は普通の観光旅行のコースにもなっているけれど、今来ているのはお遍路のツアーのようだ。お経をリードするお坊さんもいるし、添乗員の人は納経所にたくさんの荷物を持ち込んでいる。ぼくが団体の人の脇でお参りを済ませ納経所に行くと、団体の納経はちょうど終わったところで、待ち時間なく納経を終えることができた。


 9:14
石手寺からへんろ道は二つ、ぼくは表の県道187号しか歩いたことはない。5回目まで、この境内から階段を登る道は知らなかった。地図では見ていたけれど、ほとんど無意識に表へ出てしまっていた。昨年は、分かっていたのでこの道を行こうとしたら、工事中で通行止めになっていた。そして7回目でようやくこの道を行くことになった。


 9:20
数十メートルも急な石段をふうふういいながら登ってきてこの看板。
「道路工事のため三百米先通行止め へんろ道通り抜けできません。
 平成二十一年九月三十日まで(予定)」
初めて怒りがこみ上げる、昔のお遍路は命がけで、ほんの数十メートル、数メートルでも近道があればそちらを選んで歩いたといわれる。それを、こんなに高い石段を無駄に登らせる、その労力と時間を無駄使いさせるこの思いやりのなさは何だっていうんだ。しかもここは松山で一番大きなお寺、有名なお寺でしょうが。毎年何万というお遍路がお参りに訪れ、何千万というお金を落としていく。命がけで歩いているお遍路にこの仕打ちはとても許されることではない。それだけの気遣いもできないのに四国霊場第51番が聞いて呆れる。


 9:35
新しくできたドミトリー専門の格安宿「ホテルエコ道後」。2300円だから野宿の人も使いやすいだろう。夫婦で巡っている人は5500円の個室もあるから便利。お風呂はないけれど、200m先に道後温泉本館があるから問題ありません。
 道後温泉駅の近くの道後商店街には「道後あい」という相部屋のみの宿もできて、こちらは2000円、朝食と道後温泉入浴券が付くと3000円。道後温泉でもちゃんとお遍路のための格安宿がある。


 9:36 道後温泉本館
正面からの写真は何枚も撮ったから、今回は裏から1枚、裏の姿もなかなか趣がある。今回も中に入れない。来年は無理しても「道後あい」に泊まるつもり。


 9:37
道後温泉本館のすぐ前から商店街が始まる、「坂の上の雲」の幟があったので思わず写真を1枚。でもこれはこの秋から始まるドラマの宣伝用ではなく、一六本舗の新しい銘菓「坂の上の雲」の宣伝用のものでした。


 9:37
一六本舗のウィンドウにドラマのポスターが掲示してあった。ドラマの宣伝であり、当然商品の宣伝にもなっている。


 9:50
石手寺から太山寺までは細かく分けると5通りくらいの道がある。ぼくは全部の赤線の道を歩きたくてほとんど毎年違う道を歩いている。この護国神社の前を通るのも3年ぶりになる。


 9:51
山頭火が亡くなるまで暮らしていた一草庵は護国神社の側にある。その入り口がバス停になっていた。


 9:52
山頭火の幟が一草庵へ誘う。山頭火は山口の人だけど、松山の人は本当に彼を愛しているようだ。


 9:53
山頭火はこういう角度で松山城を仰いでいたことになる。


 10:06
松山大学グラウンドの横を歩いていたら電話ボックスがあったので、宿の予約を入れる。2日後、西条のにぎたつ旅館、3日後、伊予三島のビジネス旅館高雄、4日後、観音寺の藤川旅館、予定通り受けて貰える。
 そして、この600mくらい先にある御幸郵便局で納経料の百円玉10枚をおろす。明日も6ヶ所の札所がある。


 10:33
太山寺への道で今まで唯一歩いていなかった蓮華寺への道を行く。初めてだけにこの入り口は前日から入念に地図をチェックしていたけれど、ちゃんと遍路シールが貼ってあった。


 10:40
一直線だから迷いようもなく無事蓮華寺に到着した。お寺の右側を半円形に巡る道があってその先は国道196号。


 10:45 国道196号
左の方に横断歩道と信号もあるけれど、歩道橋に赤矢印が貼ってあるので、階段を登ることにした。よく見ると地図の方にも歩道橋の印がわざわざ書いてあった。


 10:49
普通のお遍路はこの池の向こうの岸辺の道を歩いてくる。でも地図にその道に赤線はない。昔の白黒の地図にはちゃんと赤線が引いてあった。


 10:53
これだけはっきりした遍路標識があると、すべてのお遍路が右折するけれど、ぼくは直進する。予讃線を越えてからの中学校の裏を行く点線の道はまだ一度も歩いていない。昨年歩くチャンスはあったのに、深く考えずやり過ごしてしまった。そこを歩けば赤線の道は全部踏破したことになる。


 11:04
 快晴の空に気になる3本の筋、週間予報では明後日の横峰寺登山の日にずっと雨マークが付いていたけど、どうやら予報は当たりそうな雰囲気。
 点線の道を散歩していた男の人が、こちらこちらと手招きで導いてくれた。判っていたけど嬉しかった。


 11:22 太山寺
石手寺から10.6kmを102分かかって到着。初めての道もあったから正確な比較はできないけれど、時速で比べれば昨年とほぼ同じ数字だった。この山門は2番目の門で最後の山門までまだ400mくらいあるし急な登り坂もある。でもここがタイムチェックポイントなので着いたことにする。だから、このお寺での滞在時間は休憩しなくてもずいぶん長いものになってしまう。
 休憩は20分くらいだったけれど、お参り、納経を含めると再びこの門まで戻ってきたのは40分後だった。


 12:20
太山寺の山門を出たところで半袖半パンの若い男の人とすれ違う、今日初めて出会う歩きの人だった。この時間こんな所を歩いているというのはちょっと不可解な感じもする。途中で市内観光をしていたかもしれない。
 円明寺まで2.1km、途中写真を撮らなかったけれどベストより1分遅れ、でもベストは時速6.8kmだから仕方のないところ。


 12:39
円明寺でお参り、納経を17分で終え出てくると、駐車場に見覚えのある顔があった。そして見覚えのある車、そう、コペンおじさんだった。4日前宇和島を一緒に出たのに、こんな所で出会うなんて信じられない。ぼくは車と同じ速さで歩いている。おじさんは余程地図が読めないか、方向音痴か、運転が苦手なのかもしれない。もっと驚いたのは、おじさんは野宿で巡っている、車が小さいので車外で眠るのだといっていた。最初会ったときの印象とは違って、全然スマートではなかった。


 12:42
今日の宿は2食付きなので食料を仕入れなくてもいいのだけれど、なんだか冷たいものが欲しくなって、ふらふらと立ち寄ってしまった。昨日命を救って貰ったラクトアイス「爽」を籠に入れた。本当はもう少し先で休むつもりだったけれど、コンビニの横に東屋があったのでゆっくりすることにした。13分の休憩。


 13:26
ぼくが一番好きなへんろ道にやってきた。ここは瀬戸内海、瀬戸内海を見るのは旅立ちの日以来になる。いよいよゴールに近づいているの感を強くする。


 13:34
海の歩道が終わって海鮮北斗を過ぎると地獄の歩道が続く。数メートルおきに絶え間なく段差があるのだ、この15~20cmの段差がばかにならない。絶え間ない、とにかく絶え間ない、このばかな歩道が伊予北条駅の近くまで5km以上続く。必要以上にスタミナが奪われるし、平常心も保てなくなってくる。


 13:38
遍路シールは直進だけれど、地獄を避けるため、海鮮北斗から最初の信号を右に折れる。


 13:39
本当はこの駅で休むつもりだったけれど、ローソンで休んだのでスルーする。ローソンから次の休憩ポイントまで11kmくらい歩きっぱなしになる。


 13:40
国道196号バイパスを行く。バイパスの歩道は広くて段差も全くない。地図で見るとバイパスはふくらみがあって、本線より遠回りのように見えるけれど、実際は全く同じ距離になっている。スピードの乗り方は全然違うはずだ。


 13:41
この風景は例年なら今日の朝早くに見ることができていた。八坂寺と西林寺の間に麦畑がある。今年は西林寺まで近道を行ったので見ることができなかった。この風景はぼくの住む関西ではもう何十年も前から見られなくなってしまった。当地でやっと見られるこの風景も多額の補助金によってかろうじて維持されているのがなんともせつない。


 14:26
バイパスを離れるポイントには遍路標識もシールもない、すぐ前にENEOSのガソリンスタンドがある。その裏を通るあぜ道を行くことになる。


 14:27
 バイパスの10mくらい西を並行して走るあぜ道に入る。右前にENEOSが見えている。


 14:36 北条郵便局
 休憩時間を除いて円明寺から106分、昨年より3分遅れで休憩ポイントに到着した。調子は悪くなかったのでちょっと意外だった。しかも昨年は風雨の中傘もささずに歩いて、それより遅いというのは納得できない。昨年は寒すぎて身体が必要以上に自然に動いて、いいタイムが出たのかもしれない。


 14:41
郵便局の交差点にある電話ボックス、昨年は土曜日だったのでこの中で休憩した。今年はもちろん郵便局の中で休ませて貰う。3時半までに宿に入りたいので、5分だけの休み。


 14:47
行く手にこれから登る峠が見える、標高は80mしかないけれど、今日は平地しか歩いていないので結構な負担になる。


 14:58
 番外霊場、鎌大師の前に今朝西林寺の駐車場で見たキャンピングカーが停めてあった。中から例の読経の声が響き渡ってくる。計算すると、一つの札所に50分くらいかけていることになる。歩き遍路にはなかなかまねのできないことだ。


 15:07
 仙波花叟は地元(旧)北条市生まれ、正岡子規の弟子、明治7年生まれ。


 15:08
舗装道の登りはやはり容易ではない、最後に来てたっぷり一汗かいてしまう。


 15:11
峠を過ぎるとみかん畑の間から今日の宿がある浅海の町が見えてくる。


 15:29 コスタブランカ
郵便局から4.5kmを47分、同タイムで到着。撮影のロスタイムがあったから今までで一番早いかもしれない。郵便局までも思ったほど遅くはなかったのかもしれない。結局今日は、歩きの人には一人しか会わなかった。バイパスを行かなければ、何人か追い越すことはできたかもしれないけれど、それにしても例年に比べて歩いている人は少ないという印象だ。
 コスタブランカは3回目の投宿、最初の時は到着したときに2階のカフェでアイスコーヒーのサービスがあったけれど、昨年はカフェが休みでなし、今年は営業はしているようだったけれどサービスはなかった。その代わり、冷蔵庫に缶入りのサイダーと緑茶が1本ずつサービスで用意されていた。部屋にお茶のセットは用意されていない。
 同宿のお遍路はいなかった、工事関係者が5人泊まる。宿帳を見ると、ここ数日は大体一人か二人、連休中でも最大5人くらいしか泊まっていなかった。道後からここまで27kmを歩ける人がそんなに少ないのかと不思議な感じがした。


コスタブランカは洋室にベッドが二つある。狭いという人もいるようだけどぼくはそう思わない。普通のビジネスホテルと違ってバスルームがなくてそこにもう一つのベッドがあって、その上に荷物を広げることができるので、不自由は感じないし狭さも感じない。和室の方が好きだけれど、こういう部屋ならあまり変わらないという感じがする。
 風呂は二つあって自分で入れる。脱衣場のスペースが狭いのはちょっと不便。
 夕食は釜飯に豚しゃぶ、海老は昨年の甘エビと違って殻付きの塩ゆでしたもの、それに、カレイの唐揚げ、鯛の刺身、きんぴら、なます、デザートはアメリカンチェリー。量も味も内容も大満足。この宿には素泊まりする意味はほとんどないという感じだ。