何千曲もハードディスクに入れていても、まだ初めて聞く曲がある。一番有名な作曲家の、有名な曲でも、アレンジされたものになるとなかなか出会うことはない。モーツァルトのオペラでもフィガロの結婚などは管楽合奏にアレンジされたもの(ヨハンベント編)があって、それはもう高校生の時から聴いていたけれど、昨日FMでかかったデュエットは本当に初めてでその美しさに素直に感動できました。たったクラリネット2本でこの感動は何なんだと思う、そんなに複雑なアレンジでも、超絶技巧を駆使している訳でもない、美しいメロディ、美しいハーモニー、美しい音色、総てが単純に揃っただけで自然に心は動かされる。
演奏しているレオポルト・ウラッハは伝説のクラリネット奏者、1920年代からウィーンフィル、国立歌劇場の主席奏者として活躍した人。
好日山荘
ハイデクスブルク万歳 R・ヘルツァー
カーペンターズ・フォーエバー 真島俊夫 編曲
大阪俗謡による幻想曲 大栗裕
なにわのモーツァルト「キダタロー」メドレー 小島里美 編曲
幻想曲シルクロード 藤田玄播 編曲
マーチングオンステージ
アルメニアンダンス・パート1 A・リード
大序曲「1812年」 P・I・チャイコフスキー
ザ・ヒットパレード スペシャル
アンコール お嫁においで~サライ 磯崎敦博 編曲
星条旗よ永遠なれ J・P・スーザ
阪神タイガースの歌 古関裕而
PAが入っていたのかいないのか、入っていたとしたら見事と言うしかない。プロの仕事とはこういうものか、と感心も得心もさせて貰いました。普通のホールに比べて遠い、音量が少ないという感じは否めなかったけれど、音質、バランスに関しては申し分なかった。ぼくの席はステージの斜め後ろ(指揮者とクラリネットパートを結んだ延長線上)で決して良いとは思えなかったのですが、全く違和感や不足は感じませんでした。
1000人の演奏については、さほど期待はしていなかった。というのも、1000人以上の演奏は「3000人の吹奏楽」で何度も見ていたからです。ところが、今回の演奏は、西宮とも京セラとも全く違ったものでした。1部が終わり休憩にはいって、アリーナ席の半分(ステージの両脇の席)から楽器の音が聞こえたときには度肝を抜かれました。縦長に半分に割ったアリーナの客席、その半分は客席ではなく演奏者が座っていた。想像していたのと全く違っていました。アリーナの半分を使わないと1147名のバンドは収容しきれない。クラリネットの一番後に座っている人と向こうのチューバ、コントラバスとは100m以上離れている。真ん中のステージには淀工の総てのパートが座ってバランスをとってはいるけれどぼくの目の前には100人以上のトランペットが固まって座っている。スタジアムに比べて客席と奏者の距離がだいぶ近い。一番近いところでは20mも離れていない、逆に向こうの端は100m以上離れている。確かにこちらのパートと向こうのパートでは聞こえ方はかなり違うし、テンポの速いところではホルンの裏打ちはどうなのかというところもあったけれど、大崩れすることはなくバランスが保てていないということもなく、音楽の輪郭は常にはっきり捉えることができていました。向こう正面のロイヤルシートやその上部の席ではかなりバランスも良く、相当よくまとまった大迫力の演奏が聞かれたはずです。実際、昨日のムーブで堀江アナウンサーがそのように話していた。
そういうことで、1000人の演奏は場所の関係で十分に味わえたとはいえなかったのですが、その次に演奏された「1812年」は最高でした。斜め後ろの席でもバランスは完璧でした、木管の細かい動きも金管を圧倒するほどの力強さがあったし、常に音楽をリードしている感じもあった。そしてフィナーレのバンダ、舞台の後の席には昨年全国大会金賞に輝いた伊奈学園と岡山学芸館高校の金管部隊がスタンバイしていることは判っていたのですが、反対側の客席中央通路にもずらりとトランペット隊が並んでいることは演奏が始まる直前まで気づかなかった。会場中があのギリシャ正教の聖歌に包まれた、響きの渦で満たされた、わけもなく涙が止めどなくこぼれてきました。そこに詩はない、意味もない、音があるだけだ。その音だけで人の心を激しく揺さぶる、これこそが本当の音楽の力なのだろうと思う。
彼らは足を痛めると楽しくないので20km以上は歩かないと決めているとも書いてありました。それも一つの見識です、むしろ一番大事なことかもしれません。もちろんお金と時間に余裕があればという話です。多くの人はどうしても制限があるから、野宿をしたり、素泊まりを多くしたり、区切り打ちにしたり、無理にたくさん歩こうとする。ぼくも余裕がなくて人の1.3倍くらい歩くのですが、足を痛めることはできるだけ避けたいというのは彼らと同じです。楽しくないと何のために歩いているのだろうと、辛いばかりになってしまう。その中で得られるものも少なくはないのですが、余裕がないと挨拶一つまともにできなくなってしまうので、それを排除することに神経を使うのは本当に大事なことだと思います。
ちなみに彼らの費用は一人55万円以上、普通の人の1.5倍以上、ぼくの3倍以上でした。
平成百景
もっと大変なのは、毎月歩くということは真夏も、真冬も、梅雨時も歩かねばならないということ。冬は比較的楽かもしれないけれど、真夏の歩きは尋常ではない。ぼくは、秋から冬にかけてだと、3時間くらい休まずに楽にウォーキングできるけれど、真夏だと45分歩くとほとんど脱水状態になって30分は休まないと帰りの45分が歩けなくなってしまう。帰って体重を量ると1.5~2kgは減っている。とても1日中歩くことなどできないと確信している。そんな中で彼女は、3日(実質2日半)で毎回100km以上歩く、時速5.8~6kmくらいで1日に40km以上歩くこともあるというから、驚くべき健脚だ。女性でそんなに速く歩く人を見たことがない。さすが荒行もこなす修験者だ。
彼女のおすすめの宿は、室戸市の「うまめの木」、宿毛市の「米屋旅館」、宇和島市津島町の「三好旅館」、大洲市の「ときわ旅館」、観音寺市の「民宿青空屋」。
初夢
年の初めから夢の中で四国を歩いてしまいました。場所は高知市内、今年は高知市内を少し観光できるので、そのことが頭に残っていたようです。
今年の予定は年末に固まったのですが、またまた新しい情報がやってきました。さぬきコミュニティバスの時刻表が変わっていた。大窪寺からは1日2本だったのが、3本になっていた。しかも3本目が15時51分発、その時間までに88番に着けば門前に泊まる必要がなくなるのです。1番に戻る気がなければ、志度から高速バスに乗れば大阪のホテルに泊まって、翌日一番で高野山に向かうことができるのです。八十窪さんに泊まる人はやや減ってしまうかもしれません。ぼくは今年は翌日大坂峠を越えたいので泊まるけれど、来年以降はそのままバスに乗ってしまうかもしれません。
謹賀新年
街道てくてく旅の総集編も無事、録画ダビングが終了、本編で見逃していた香園寺から前神寺への回と龍光寺から明石寺への回も確認することができた。ほとんどの道や風景はぼくの記憶の中にあるもので、自分が歩いたときの風景を思い出すことができるけれど、まだ歩いていない道も何ヵ所かあった。焼山寺を下った後の神山温泉への道、この道はどう見ても遠回りで歩く理由は全く見いだせなかったけれど、正確に測ってみると、驚いたことに僅か800mほどの遠回りでしかなかった。しかも玉が峠を避けることができるので時間的にはほとんど変わらないかもしれない。大月町の月山神社からの道はちょっとショックだった。ぼくが歩いた赤線の道ではない、一旦海岸線に下りていく遠回りの道が古い遍路道だった。江戸時代の遍路は皆この道を歩いたという。この道を歩かないことには遍路道を完全踏破したとはいえないという気分になってきた。赤線の道より1kmほど長いだけだけれど、元々この道は三原村を行くより10kmほど長いので、距離を調整するのが大変だ。そして宇和島市の松尾トンネルの上を越えていく、最近復元された古い峠道、トンネルより1km長く、登りもあるので20分は余分にかかるけれど、この道も一度は歩いておかねばならない。後は久万高原への農祖峠。そして今治の栄福寺へ裏山から入っていく道、これは大した遠回りにはならないだろう。観音寺から本山寺への財田川の対岸の道も歩いていなかった。これもやや遠回りだけれど押さえておく必要はあるだろう。まだまだ四国を歩ききることはできない、できないから四国に対する意欲は薄れることはない。