WALKER’S 

歩く男の日日

30日目=納経ラッシュ14ヶ所

2019-04-30 | 日記


68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、70番奥の院妙音寺、71番弥谷寺、71番奥の院獅子の岩屋、番外七佛寺、72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺、73番奥の院捨身ヶ嶽禅定、74番甲山寺、74番奥の院多聞天堂、番外仙遊寺、75番善通寺…これだけのお参りと納経を1日でこなすのは、松山市内のことがあっただけにかなり厳しいと思っていましたが、善通寺で納経を終えたのは16時30分でした。2ヶ所まとめての納経が6回あったからなんとかこの時間で修まったという感じです。捨身ヶ嶽に登り始めたころ雨が落ちてきました、予報より1時間早い。それにしてもこの坂の異常なほどの急勾配、元々札所だったのが奥の院になったのもむべなるかな。この厳しさはある意味四国随一といえるかもしれません。辛いけれど登らないことには奥の院制覇は成らないと思うと自然と力が入ります。これで奥の院も残すところあと4ヶ所、ここまでよく来たなと、いつもの四国とはやっぱり全然違う景色、同じ景色よりはしんどい、でもその分やり遂げた感も大きい。
連休で車遍路の人がいっぱい、でも納経所が混雑することはありません、出会った歩き遍路さんは9人、何れも連休だけの区切り遍路さんです、たぶん!?
明日は変な道ばかり歩くので出会いはないかもしれませんが、一宮寺で待ち伏せします?

29日目=箸蔵寺から坪尻駅、県道6号経由で雲辺寺へ

2019-04-29 | 日記

箸蔵を坪尻方面に下山する英語の地図の赤線は途中で通せんぼになっていてかなり遠回りの道を行くことになりました。下りてきた国道は歩道がなくカーブが多く車も多く最悪でした。県道は静かでアップダウンも少なく雰囲気も良かったのですが、辿り着くまでがひどすぎます。下山ルートには一切矢印道しるべはないので、迷うことは必至、へんろ地図だけでは無理かもしれません。そして時間も現代の正規のルートに比べて40分も余計にかかりました。止めるべき道であると断言します、県道には丁石が残っているので昔の正規のルートかもしれませんが。箸蔵寺を出たのは8時05分、雲辺寺に着いたのは12時40分でした。連休2日目車遍路で賑わっています、歩きの人も一人、疲れたので下山はロープウェイ、これも初めての経験です。観音寺の町を眼下にしながらもう初めて歩く道はない、ぼやいたり文句を言ったりすることもないのかとぼんやり考えていました。
萩原寺を出て1㎞ほど行ったところでいきなり缶酎ハイのお接待、風呂上がりにいただきました。お遍路ハウスアミーコの同宿4人家族と男性2人、女性一人。女性は車遍路で5年かかってようやく今回結願、両親のためにあと2回は巡りたい、車遍路は歩き遍路に比べて感じることは少ない、でも彼女は室戸や足摺の風景の美しさには本当に感動したと生き生き語ってくれました。それだけでもお遍路に来た意味がある。歩き遍路は車遍路を軽視しがちですがそんなものではありません。また今日胆に銘じることができました。

28日目=66番奥の院長福寺へ、国道歩きの1日

2019-04-28 | 日記


白地荘から奥の院長福寺へは国道32号を南へ9㎞、阿波川口から国道319号を西へ7㎞行ったところにあります。32号は歩道のないところが多く大型トラックの往来も多くてお遍路にとって最悪といってもいい道でした。319号は歩道はありませんが車の数が1割くらいで大型車もほとんど来ないので快適でした。長福寺では缶コーヒーのお接待をいただきました。同じ道を引き返して白地荘の下まで戻って来たのは13時半、阿波池田駅の前にある今日の宿まであと4㎞、1㎞半手前のコンビニにはイートインがなくスルー、池田駅に隣接のセブンイレブンにはイートインがあったので15時まで休憩、なんとここではWi-Fiがパスワードなしでつながりました、ファミマでは一度もつながらなかったからちょっとびっくり、ファミマもWi-Fiはあるけれどセキュリティに問題ありの警告画面が表示されるばかり。つながらないのはないのと同じ、あってもつながらない宿も8軒ほどあった、手間と費用をかけて無意味なものを設置する、理解できません。

27日目=仙龍寺から平山までの古道

2019-04-27 | 日記

今日の道はまたきつかった、何となく大変なことになりそうだとは思っていたけれど、それ以上でした。一言でいえばおすすめできない。時間も体力もかかりすぎる。中間部のフラットな山道は享保年間の遍路石も残る素晴らしい古道ですが、その前後がひどすぎる、二度と歩きたくない、トンネルを行くより40分も余計にかかる、普通の人なら1時間余計にかかるでしょう。三角寺から仙龍寺へも山越えの道は避けるべきだと今回改めて痛感しました、へんろ地図から舗装道の赤線が消えてしまったのがどうにも解せない、三角寺の納経所が車道をすすめるのは全く賢明な判断です。古い道にこだわることと危険な道を避けること、どちらがより意味のあることでしょうかということです。平等寺道で女性が滑落して大怪我をしたという話も聞きました、女体山でも怪我人がでた、お遍路は登山家でも冒険家でもない、先ずは安全な道を選ぶのが正しい行き方ではないでしょうか。ということで今回予定していた大滝寺こんぴら道は止めにします。より楽で安全な道を行く、お遍路はそれでよい

26日目=横峰参拝、納経のない1日

2019-04-26 | 日記


ドイツ人の男性は宿の女性にボイルしましょうかと問われて、ダイジョウブと見よう見まねで玉子かけ御飯を食べる、西洋人も一律ではない。7時前から採石ルートで横峰に登る、湿度と気温が高く、序盤で汗だくになる、3回ほど小休止を入れて何とか辿り着いた。星が森に向かうものの石鎚の姿は拝めない。でもここまで来る意味は大いにある。境内に戻っても歩き遍路さんの姿は見えない、初めてのことかもしれない。下りは車道ルート、昨秋に63番64番は先にお参りしているのでショートカット、膝の具合が大分いいので車道下りはそんなにきつくはなかったもののベストには及びませんでした。登り口のバス停まで82分、バス停で休んでいたら山から下りてきた車が止まって乗っていきませんかと声をかける、一瞬躊躇ったけど受けることにした、今日はこの先お接待もないことだろうし。車お遍路の彼は香川の人、出身は愛媛、お墓参りのついでに四国を巡る、歩きでは2回、でも室戸や足摺ではバスに乗った。仕事で姫路の隣の太子町の東芝に来ていたそうでヤマトヤシキが閉店したのも知っていました。昨日は仙遊寺宿坊で歩きの男性ばかり8人と同宿だった、おそらく長珍屋で同宿だった皆さんでしょう。前神寺のお参りのあとは2㎞先のコンビニで昼食、イートインが普通になった。午後からの歩きは日差しが出て辛かった、新居浜は夏日になった。初めて萩生庵で休憩お茶とキャンディをいただきます。午後の歩きはジャスト時速6㎞、15時半に宿に到着しました。出会った歩き遍路さんはゼロでした!


25日目=伊予三芳からの遍路道

2019-04-25 | 日記


今日は別格2ヶ所に行くので伊予桜井から伊予三芳まで電車に乗ります。電車の時間を気にしすぎて宿を6時前にでたらずいぶん時間が余って桜井駅でウトウト、仙遊寺の宿坊に泊まった人に会える時間でしたが、出会ったのは昨日54番で見かけた尼ちゃんだけでした。彼女は昨日車のお接待をしてくれたおじさんが国分寺まで迎えに来てくれていてまた車で飛んでしまいました。横峰の登り口まで25㎞飛んでしまったかもしれません?道を味わうことも大事だと思うのですが。三芳からの赤線の道は本当に久し振りで、前いつ歩いたか思い出せないくらいです。7年に別格に行ったからその時以来かもしれません。以降は三芳やその手前から小松に向かう赤線のない道を行くのが普通になってしまいました。宿はどうしてもしこくより小松を選ぶしかない。
7年ぶりの興隆寺の登りは思ったより厳しかったのですが、昨日あまり歩かなかったせいか足の動きは今までにないたくましさで、快調でした。初めて行った番外の久妙寺では座敷に通してもらってコーヒーのお接待、生木地蔵でもみかんのお接待がありました。何より生木地蔵の納経所が一変、とても感じの良い応対で難所ではなくなっていました。
小松の同宿は5人、その中に12日前大間駅の前で宿案内を渡したOさんがいました。彼女の方から声をかけてくれました。彼女はあの日以来ぼくのリスト通りの宿に予約を入れてとても良かったと喜んでくれました、まほろばは満室だったけどシーパがとれてこれまた良かった。シーパマコトはホームページからお遍路優待が消えていたのですが6千円台で泊まれたそうです。彼女は足を少し痛めて30㎞歩くのは難しいので明日は電車を使って予定通り松屋旅館まで行くそうです。
昨日の写真は大山祇神社ではなく円福寺です。今日の写真は興隆寺山門。


24日目=急行バスで大三島へ

2019-04-24 | 日記
今日は海を渡って大山祇神社へ行くので歩きは午前中だけです。しかも安全策で伊予北条から菊間まで電車に乗りました。まほろばの奥さんが駅まで車で送ってくれました。
青木地蔵の納経は少し先にある円福寺でしてくれます、ネット情報ではすごく時間がかかるということだったのですが、普通に10分かからずしてくれました。延命寺では若い尼さんが車のお接待で到着、すごい荷物だったから野宿かもしれません。南光坊で納経のあと隣の別宮大山祇神社へ参拝、御殊印もいただきました。別宮大山祇神社は新四国の40番札所でもあるのでその時にまとめてとも考えたのですが、今日本社に行くのでいっしょにするのがいいと、何となく考えました、時間も大分余っていました。大山祇神社は元札所といわれているようですが、実際のところ昔のお遍路さんが海を渡っていたのか全く判らないままです。でも神宮に次ぐ、出雲などと並ぶ大社であることは分かりました。天照大神のお兄さんが祀られています。
宿では外国人お遍路ピーターと少し話しました。野宿案内を渡すと、オーマイグッドネスと喜んでくれました。そしてみかんのお接待をしてくれました。
今日出会った歩き遍路さんは4人でした。同宿の若い女性も四国の納経帳を持っていて54番と55番に行ってきたということですが、メインは明日のしまなみサイクリングなのでカウントしません。

23日目=松山市内で奥の院5ヶ所納経

2019-04-23 | 日記


昨日と同様今日も想定を大きく外れて宿に着いたのは17時05分になってしまいました。距離は30㎞ちょっとのはずだしそんなに長い休みもとらなかったから未だによく解らない?でも予定通り6ヶ所の納経と奥の院のお参りもきっちりできたし宿にも16時過ぎに連絡したので、まぁ問題はありませんが。今日はあまり歩き遍路さんには出会いませんでした、昨日すでに久万高原で会った人ばかり、46番を朝早く出ても道後に泊まった人にはどうしても追い付けない、今回は奥の院のお参りもあるから余計難しくなります。諦めかけたところで52番でフランスの女性二人に追い付きました。彼女たちには43番明石寺でも会っていたのですが、その時はザックを持っていなかったので歩いているかはっきりしなかったのでカウントしていませんでした。休憩所で二人からみかんをお接待してもらいました。彼女たちは野宿ではないと判ったので野宿案内は渡しませんでした。
今日の宿まほろばは二人からほんとうにいい、とは聞いていましたが、ここまでとはと、ちょっとびっくりです。最高だと言ってもいいくらいです。すでに10ヵ国の外国人が泊まっていてかなり知られてきているようですが、間もなく予約がなかなか取れなくなることは間違いないでしょう。あらゆることが完璧、洗濯が有料、Wi-Fiが繋げにくいことくらいでしょうか、でもぼくにとっては百点満点以上、ナンバーワンの遍路宿だと言い切ります!全ての歩き遍路さんにできるだけ早く味わって欲しいものです。食事については物足りない、もっと豪華な食事を出す宿はいくつもあると言う人もいるかもしれませんが、ハンバーグセットの場合ご飯のお代わりができるので大丈夫、3回お代わりしましたがおかずが足りないということはありませんでした。オムライスやカレーの場合お代わりがあるかは不明ですが、選択する前に尋ねればいいことです。食後のコーヒーもあります。ぼくは夕食付きで4752円、2食付きだと5616円、いずれもお遍路割引です!これだけの宿はそうはない、はずです。

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22日目=久万高原夏日の中、無事せりわり務めあげる

2019-04-22 | 日記

下の写真がせりわりの第2段階鎖場の崖登りです。ここが一番怖くて最後の梯子は意外にも一番楽でした。思った以上にしっかり安定していました。やっぱりテレビで見たのと実際に自分やるのとでは全く違う、
今日はその前に峠御堂トンネルの前に下りてきた時に外国人男性がいて野宿案内を渡して少し話していたら、なんと向こうからKさんがやってくる、6日ぶりの再会です。たぶん八丁坂に泊まっているとは思っていたけれど7時半を過ぎていたのでもう通過していると決めつけていた。昨日は内子から岩屋寺を打ち戻って八丁坂!?50㎞超えです、今日は道後までで大分短いのでゆっくり出てきた。大岐の浜での話を聞いて、なずなでお話できたのは本当に幸運だったと思います。今回もひとつ思いもよらぬ情報を提供したら、それはいいことを聞いたと喜んでくれました。今回の旅ではこれが最後ですが本当に豊な旅になって感謝します。
岩屋寺の納経所でせりわりの鍵をお願いしたら鍵といっしょにお札の束を渡されました。36童子にお札を納めてお参りした後にせりわりに入っていく。36童子の修行があるのは知っていましたが、それがせりわりの前行であったことは初めて知りました。1時間半かかると聞かされて少し焦ったのですが、もちろん止めるわけにはいかない!!お札には自分の名前と願いを書くスペースがありますが多くの人が何も書かず箱に入れていました、ぼくは全部のお札に署名してきっちりお参りします、でないと胸をはって納経してもらえない。その結果岩屋寺には2時間滞在することになりました。宿にたどり着いたのは17時15分でした。坂本屋もカヨコさんも休みだったのがかえって良かった。久万の接待所もやっていませんでした。出会った歩き遍路さんは日本人14人、外国人2人でした。

21日目=51番石手寺奥の院

2019-04-21 | 日記

石手寺の奥の院は砥部町にあります。お遍路さんには馴染みの宿、たちばな旅館からさらに1.5㎞奥に入ったところにある石鉄寺(いしづちじ)、小さな祠のようななものがひっそり、と想像していましたがかなり違いました。いろんなものが有ってちょっとにぎやかと言ってもいいくらい、ここは大師が18才のときの修行の地で西の高野とも呼ばれているそうです。舗装道のゆるい登り坂、想定どおりの時間で行くことができました。ただその後宿にたどり着くまでが暑くなって大変でした。水の補給を怠って、下坂場峠の手前の沢の水を飲んでなんとか耐えることができました。大分危ない感じでした。宿のtentsuki place は夕食朝食お接待で2800円、破格ですがお遍路宿としては少しくせがあって居心地の悪い部分も、野宿の人にはすすめますが、宿を使っている人にはすすめません。普通の遍路宿のペースと違うのでちょっとストレスを感じたりも。お遍路を受け入れるようになって間もないから仕方のないところかもしれませんが、

20日目=7年ぶりの出石寺、5年ぶりの地蔵道

2019-04-20 | 日記

5年前は舗装道に合流したところで引き返して出石寺まで行きませんでした。その時は初めての地蔵道を味わうことが目的でした。そして道しるべを設置したいというときわ旅館のご主人といっしょに歩いたのでした。
今年は昨年の水害で瀬田道が歩けなくなっているし、北側の舗装道ルートも最初の点線の山道が寸断されているということで地蔵道以外の選択肢はありませんでした。ただ打ち戻りは舗装道ルートで最後山道は回避して西大洲駅のところへ降りてくるルートを選択しました。舗装道ルートの下りは眺望のいいところがあるからはずせない。西大洲に出ると大分遠回りになりますが仕方のないところでしょう。
6時47分宿を発つ、出石寺へ行く同宿の3人はすでに出ています、早い人は5時半に出ました。ぼくが最初に大洲郷土館から舗装道ルートで登ったときは2時間半ほどで着いたからそんなに慌てる必要はないのにと思ったけど、やっぱり容易ではなかった。5年前の記憶はほんの部分的なもので、こんなに長かったか、時間がかかったかと意外な感じで歩を進めます。特に長く感じたのは舗装道に合流する前、こんなにも憶えてなかったかと呆れるくらいです。宿から舗装道まで2時間3分、その後出石寺まで46分、最初に舗装道ルートを行った時より15分ほど遅いだけ、思ったほど遠回りになっていないことが確認てきたし、西大洲から舗装道ルートに入ると地蔵道ルートより時間がかかるのは間違いないでしょう。出石寺では金子さんともう一人の方と3人でうどんをいただきながら1時間ほど休んで10時55分下山を始めました。舗装道の下りは快調でしたが大分遠回りなのでときわ旅館まで2時間23分かかりました。山でゆっくりし過ぎたので内子のホテルに着いたのは16時1
5分でした。
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19日目=迂回路県道31号を行く

2019-04-19 | 日記

宇和島から務田まで電車に乗り務田から歩き始めました。仏木寺からの遍路道の様子はネットでの情報で大体把握しているつもり、ここは無理をせず全部県道を行くことにしました。手前の部分もトンネル以降も初めてなのでどういう感じかどれくらい時間がかかるか確認しておきたいという気持ちもありました。距離は事前に測定していて3㎞の遠回り、そしてほぼ想定したとおり30分の遠回りで歯長を越えることができました。登りは楽ではないけれど、とりわけ険しいとかきついという感じではありません、下りはやや膝に来ますがゆっくり行けば問題なし。仏木寺から明石寺まで3時間から4時間でほとんどの人が行けると思います。明石寺から4㎞のところにある休憩所でいつものようにお接待のみかんをいただく、玉井さんのお札を発見、13番大日寺からここまで28日で来ています、宿に着くなりご主人に尋ねると、この宿に泊まられたそうです。翌日ご主人に勧められて水戸森峠の桜をおおいに楽しまれたそうです。ときわ旅館では男性ばかり6人の方と同宿、その中になんと
!昨年四万十川のヘンロ小屋でお札を交換した23巡目金子さんが居られました。今年はこれで年違いの再会が5人目です。昨年までの合計が5人ですから今年は目茶苦茶です。夕食時には最後まで残った大平さんと8時近くまでいろんな話しを聞かせてもらいました。彼は8巡目のベテラン別格も3回、石鎚にも登っています。いやぁ、楽しい。
今日出会った歩き遍路さんは13人、内外国人2人でした。大洲の町に下りてきたところにある北只郵便局でお金をおろしたすぐあとデコポン2個とペットのお茶をお接待していただきました。13回目だと言うと、お札をとても喜んで受け取ってくれました。本当にありがたい。

18日目=癒しの道土佐をあとに

2019-04-18 | 日記

土佐の国に入って12日、阿波の国で痛めた筋肉を癒しながら徐々に本来の歩きを取り戻していく、歩きが自然になっていくと時間も短く感じます、
朝6時に出たかったので5時半におにぎりを作ってもらいました。おにぎりはお接待なので支払いは6000円でした。延光寺までの動きは快調そのものでしたが敢えてベストを狙わず95%に押さえて無理をしないようにします。延光寺で高崎さんに追いついて宿毛の街までいっしょに歩きます。高崎さんはジョイフルで朝食、一人で松尾峠に向かいました。松尾峠は2年前2年ぶりに歩いて思いの外苦労した経験があるのでこころしながら登ったのですがやはり容易ではない。2年前よりは冷静に合わせながら登れたとはいえますがかなり疲れました。観自在寺に到着したのは14時20分、6時出発は正解でした。15時07分のバスに乗って宇和島駅まで、龍光院の納経も間にあいました。出会った歩き遍路さんは9人でした。

17日目=打ち戻りはのんびりと、のはずが!?

2019-04-17 | 日記

お参りがなく初めての道も1ヶ所だけなので、時間の余裕もたっぷり、15時には宿に入るつもりで岬をあとにしたのですが、思うようにいかないのがお遍路の楽しいところ。宿を出たところで2日前伊豆田トンネルで追い抜いた男性とばったり、彼は安宿から田村まで、今日はロッジカメリアだと言っていました。そのあと窪津の港を過ぎたところで2日前浮鞭の手前で追い抜いた女性二人、海岸に出る手前の2番目の短絡路ではとうの浜で同宿だった北海道の男性と出会いました。播陽小学校を少し過ぎたところでSさんと再会、今日は安宿から足摺テルメまで、明日は大平までと少しゆっくりするそうです。そのあとカメリアの手前ではトンネルで追い抜いたもう一人の男性に追い付く、彼は大岐の浜から土佐清水の宿まで、今日の宿はその時は訊かなかったですが、あとで同宿になることが判明します。安宿の側のローソンに着くと3人のお遍路さんがベンチで休んでいました。一人は久礼のゲストハウスで同宿だった男性、一人は初めて出会う外国人女性、二人は間もなく連れだって岬に
向かいました。残った男性と話し始めてぼくのブログを紹介したら、男性の声のトーンが変わる、ぼくのことを知っている何年か前に出会っていると!?なんと!7年前龍山荘とあづまで同宿だった福岡の高崎さんでした!牟岐の手前の休憩所で8年ぶりに竹下さんと再会を果たしたその場所にもいっしょにいて、話が弾んで撮影会みたいにもなった。そういう人と7年ぶりの再会?いやぁ、ちょっと凄すぎないか、このお遍路。彼はその時4巡目で、そのあとは仕事の立ち上げで忙しくなって四国からは離れていた、それが昨秋2泊3日で四国に来てまた火がついた。今回はほとんど野宿で廻っています、ローソンでひとしきり喋って、水車までも歩きながら喋って、水車にはまた別の二人がいていっしょに喋って、内一人はとうの浜で同宿の人でしたがもう一人は初めて出会う人で宿案内を渡します、豊橋市のYさん、弘前市のNさん、久々にお札の交換会になりました。二人はやっぱり海坊主から、スッゴク良かったと太鼓判を押してくれました。そんなこんなで13時に水車を発つつも
りがいつの間にか14時を過ぎようとしています、これがお遍路なのですよ。下の写真は成山の旧道を登る高崎さん、このザックの小ささ軽さで野宿、みんなびっくりしていました。高崎さんは上長谷の集会所で野宿、そこにいたのが今日の同宿Mさんでした。ローソンで喋っている時に追い抜かれたようです。夕食の時に2時間近くお喋りができてこれまた楽しかった。森本まるは想像を完全に超えたすごいお宿でした。佐藤さんがあれだけ薦めるのが今さらながら納得いきました。この宿ははずせないはずしたくない、次はどうしたらいいの!?
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16日目=足摺ユースで土佐最後の御朱印

2019-04-16 | 日記

朝、7時丁度民宿大岐の浜の前を通りかかる、大岐の浜の朝食は6時からだからこの時間だとKさんも出立しているだろうという目論見で宿を出てきた。岬に着くまで追い付かないのは想定内、でも境内にいないのは予想していなくてどうしたものかと思っていたら30分遅れで到着、ぼくが通過したときはまだ宿を出ていなかった。奥の院のファイルを見ながら女将と喋っていたそうです、2年前のぼくといっしょです。岬までに出会ったのはくももからの人二人、大岐の浜からの人一人、野宿の人一人でした。金剛福寺の境内では6人、内一人は外国人女性、彼女はザックを持っていなかったのですが土佐清水の宿に連泊するのだと思います。それにしてもこの道のりを歩く人は少ない、3度目4度目でバスを使うのはまだ理解できるとしても最初からバスに乗るのはいかがなものか。
足摺ユースホステルでは38番奥の院白皇神社の御朱印を無事いただきました。これで土佐の奥の院も完了、残す奥の院は19ヶ所になりました。