WALKER’S 

歩く男の日日

27日目 5月20日

2009-07-30 | 09年四国の旅

 6:10
27日目が始まる。もうあと3日となってしまった。今日は40km、昨日と違って大変な山越えが待っている。天皇寺までは30分くらいなので納経の時間に合わせると、あまり早く出ることもできない。6時8分に出発。


 6:29
予讃線の踏切を渡る。この先に有名なところてん屋さんがあるけれど、この時間なのでいつも開店前。


 6:31
「お疲れさま」と一言あるだけなのに、すごく嬉しくなってくる。みんなに後押しして貰ってるような気分になってくる。


 6:37
宿から3.1kmを29分、例年より2分早いけれど三中井はみき旅館より200m近いので、例年と全く同じだということになる。天皇寺は高知の善楽寺と同じで白峰宮の一部を間借りしているという感じ、だから山門もなくて裏からいきなり境内に入ってしまう。こぢんまりした本堂と大師堂がお宮の参道の片隅に建っているという感じ。大師堂の前のベンチに年輩の女性がお参りを終えて休憩していた。お遍路ではなく地元の人のようだ。ぼくがお参りを終えるとバナナを1本手渡してくれて、自分もお遍路に出たいけれど、どれくらいの費用、日数がかかるのか熱心に尋ねられた。


 7:32
天皇寺を7時5分に出発、しばらく歩いたところで登校中の小学生とすれ違う、お兄ちゃんは元気に挨拶、その後の弟君は恥ずかしそうに小さな声で挨拶してくれた。今日も元気に歩けそうだ。
 加茂川駅の前から橋を渡り綾川の土手の道を行く、600mほど行くと民家の庭先に接待所が設けられている。ネットの情報で見ていて、初めから寄せて貰うつもりだった。冷蔵庫に入っているお茶と、夏みかんを1個頂く。人影は見えず勝手に頂いてそのまま出ていく。


 8:14 国分寺
天皇寺から6.5kmを59分、例年より2分も早く着いてしまった。例年この区間は休まないのに、今年は接待所で休んだのが影響したかもしれない。夏みかんの酸と糖分も効いたような気がする。昨日の後半からずっと調子がよい、雲辺寺の不調を挽回したようでとても気分がよい。


 8:47
国分寺では軽食を摂っただけで、お参り納経を含めて21分の滞在だった。今回は納経時間の都合で出足が遅くなった(天皇寺を出た時間は昨年より40分遅い)ので、ゆっくり休むわけにはいかない。すぐに五色台の峰峰が姿を現す。写真の中央のへこんだところまで登るけれど、実際の高さは手前の一番高いところと同じだ。自動車道まで350mの標高差がある。一般的にはここが最後の遍路ころがしといわれている。88番の手前の女体山越えは本当はへんろ道ではない。ないけれど現在では大半の歩きへんろが女体山を越えるから、実質五色台は最後の遍路ころがしではなくなっている。


 9:16
遍路ころがしの途中で、国分寺方面の風景が開けてくる。しばし歩を止めて絶景を楽しむ。中国の桂林にも似た、特徴的な穏やかな峰峰が幾重にも重なる。


 9:20
五色台を巡っている県道180号に出てくる、ここまでのタイムは判らないけれど、かなり調子よく登ることができた。ベストを出した昨年と変わらない感じだ。


 9:48 白峯寺
国分寺から6.5kmを78分、最後の下りは思いっきり駆け足でなんとか昨年と同タイム。昨年は、こちらから登るのは最後のつもりで後半はできる限り飛ばしたから、それと同じタイムを出すにはこうするしかなかった。考えればちょっと無謀だけれど、足は普通に耐えていた。


 10:04
2年前から工事していた白峯寺のトイレがようやく使えるようになっていた。昨年は完成していたようだったけれど、使用不能になっていた。山門を出たところにある前のトイレは本当にひどかったから、これで一安心。水の補給もできるようになった。あと新しくして欲しいのは、41番龍光寺と44番大興寺のトイレ。


 10:29
白峯寺では32分の滞在、10時20分に発つ。打ち戻りの道は自衛隊の演習場の横を行く、銃声や砲声が聞こえることもある。すぐ前に、外人の男性が立ち止まって装備を調えているところだった。外人の歩きの人に会うのは今年初めてかもしれない。こんにちわー、と声をかけたら、とびきりの笑顔で「コンニチワ」と返してくれた。とても晴れやかな気分。


 11:01
県道に上がってくるちょっと前に男性二人連れを追い抜く。白峯寺に着くすぐ前にすれ違った人たちだった。ここまで上がってくると本日の登りはこれで終了。根香寺の打ち戻りはやや登り坂だけれど全く大したことはないから、遍路ころがしもこれで最後となる。(屋島寺の下りは、本当の遍路ころがしだけれど)


 11:14 根香寺
白峯寺から5kmを54分、2年前と同タイムで到着した。昨年は全然調子が出なかったので、何とか記録をねらった。最後またバタバタで駆けっこになってしまった。ちょっと浅ましい感じもするけれど、最後も近くなったのでけじめを付けておきたいという気分が勝ってしまった。


 根香寺の伝説”牛鬼”
 今から四百年くらい昔、このあたりに”牛鬼”と呼ばれる怪獣が住んでいて、人々を大変困らせていました。そこでこの地方を治めていた殿様は、山田蔵人高清という弓の名人に牛鬼の退治を命じました。高清は根香寺の本尊である千手観音にお願いをして、そのおかげで牛鬼を見つけだし、みごと退治したそうです。
 そして怪獣の角を根香寺に奉納して、その菩提をとむらったと伝えられています。
 四元さんに紹介されるまでこの像があることは知らなかった。7回目にして初めて根香寺を全部見たことになる。


 12:23
五色台から下界へ下りていく。短絡路へ入る前に女性二人を追い抜く。白峯寺に向かう県道でもすれ違っていた。でも、根香寺では会わなかった。根香寺の手前の歩きの道を行かず全部自動車道を歩いたとしか考えられない。挨拶をしたら素っ気なく無愛想だったけれど、話している言葉を聞くと、アジア系の言葉だった。挨拶も通じていなかったようだ。


 12:26
短絡路が自動車道に合流すると屋島が見えてくる。下り坂は気持ちいいけれど、膝に負担のかかる厳しいところも多い。


 12:45
鬼無まで5.4kmを57分かかる。タイムチェックポイントではないので、早いか遅いかよく分からない。身体の動きは悪くない。


 12:46
踏切の手前の道沿いはほとんど植木畑だった。小さな植木がきれいに並んで畑に植わっている光景というのはちょっとおもしろかった。


 12:50
踏切から500mくらいの所に新しい休憩所ができていた。できたのは2年くらい前のようだけれど、昨年は全く気づかなかった。というのも、根香寺から一宮寺まで12kmの間は休みを取らないと決めていた。今年は、旅に出る前からここで休むことは決めていた。前のベンチで年輩の男性が休んでいたけれど、中に入る様子はなくまもなく発っていった。


 12:52
休憩所の中には冷水器が設置されていた。たて続けに2杯3杯とがぶがぶ頂く。思った以上に渇いていたようだ。休みなしで12km歩き続けるというのはかなり無理しているということになる。梅干しもたくさん用意されていたけど、それは遠慮する。最高にきれいなトイレも使わせて貰う。人影はなかったので冷蔵庫のペットボトルはお接待して貰えなかった。15分ほど休ませて貰う。


 13:23
この川を渡らず、右岸沿いを行く道が近道で地図には赤点線も付いている。でもぼくはまだ歩いたことはない。昔の白黒地図には赤線はなく、もちろんへんろ道でもないから。でも、せっかく今の地図には赤線が付いているから一度は歩いておかねばと思う。今回は撮影があるのでいつも通り本当のへんろ道を歩く。


 13:30
高松自動車道のすぐ手前に、また接待所があった。前の接待所から2km半ほどしか歩いていないけれど、冷蔵庫に引きつけられて立ち止まってしまった。


 13:31
冷蔵庫の中には缶入りのコーラやお茶もあったけど、迷わず珈琲を選ぶ。珈琲を飲むのはコスタブランカのモーニング以来、6日ぶりになる。とってもありがたい。来年香東川の右岸を歩く理由がなくなった。


 13:34
高松道の下をくぐって100mの所を左に折れる、この狭い道がなかなか入れない。大体ここら辺だと判っていて2回目の時に入れなかった。3回目でようやく見つけることができた。


 13:36
側溝に挟まれながらも残り続けている、これぞへんろ道の醍醐味という感じ。


 13:43
ここに入る手前で、先ほど飯田休憩所で会った男の人が迷っていたので、こちらですよと、導いてあげる。このショッピングセンターの駐車場の脇を抜ける道もなかなか入れない。この道も3回目でやっと入れた。電柱には年々遍路シールが増えて判りやすくはなっているけれど。


 14:01
水道もあるいい感じの休憩所だけれど、一宮寺まで600mの所にあるので休んでいる場合ではない。


 14:07 一宮寺
根香寺から12kmを119分、例年より1分早いベストタイムで到着した。やはり途中で休憩を入れたのがよかったのかもしれない。納経を終えたとき先ほどの男性が到着、国道を渡ったあとまたちょっと迷ったけど何とか着くことができた、今日はこの近くの宿までだという。
 17分の滞在、休みなしですぐ出発する。買い物もあるから3時半までに宿に着くのは微妙な感じ。


 14:26
一宮寺から県道に出てきた所にあるコンビニで食料を仕入れる。でも、昨年と同じでぼく好みの菓子パンはなかった。何も買わずに出てくるしかない。時間が悪いのかもしれない、夕方から夜の分の配送はこれからで、一番品薄になっている時間なのだろう。この先にもローソンがあるからそちらで買うことにする。


 14:36
へんろ道を600m行くとまたローソンがある。ここも品薄で希望の商品はなかったけれど、第3希望くらいのものを3つ買う。ここまでの支出は120316円、今日と明日の宿代が10000円、バス代が2450円、合計すると132766円。当初はお賽銭と納経料以外で135000円が目標だったけれど。あと2日230円で耐えれば133000円で収まることになる。2年前より3000円多いけれど有料の宿は一つ多いし、食事付きで泊まった宿も3つ多いからさらに倹約できたことは間違いない。


 14:52
ローソン2から1km半くらいの所に新しいコンビニができていた。来年からこちらで買うことにする。


 15:15
へんろ道が国道に合流、大都会高松の中心部に入ってきた。


 15:23
くねくね曲がったあぜ道のようなへんろ道も好きだけど、大都会高松の中心部を斜めに真っ直ぐ突っ切ったこの道にもへんろ道の醍醐味を感じずにはいられない。まず最初にへんろ道ありき、町はへんろ道を侵すことなく、遠慮しながら大きくなっていった。実際はどうだか判らないけれど、そういうことすら想像させる、ものすごい道だとぼくは思っている。思いながら歩いている。


 15:31
琴電が瓦町駅に入ってくるところ。


 15:31
すぐ前にもう一つ踏切、こちらの線を終点まで乗ると87番長尾寺の前に着く。


 15:32
踏切を二つ渡ってすぐ前の交差点を右に折れれば今日の宿が見える。一宮寺から6.5kmを59分、例年と同じタイムで到着した。特に力を入れたわけではないけれど、1日の最後の行程を時速6.6km、信じられないくらい元気に歩けている。
 ビジネス旅館三鈴は4年連続4回目の投宿。1回目は4畳半の部屋で3500円、2回目は6畳の部屋で4000円、3回目は6畳の部屋で3500円、そして今回は4畳半の部屋で4000円だった。この宿の本当の料金はいったい・・・という感じ。でも4000円でも大満足の落ち着ける遍路宿です。洗濯は洗濯袋の中に入れておけば全部して貰える。


26日目 5月19日

2009-07-29 | 09年四国の旅

 6:01
26日目が始まる。昨日と違って今日はほとんど平地を歩く。距離は41kmほどだけれど、札所が9ヶ所もあるので、相当ハードな行程になる。4時までに宿に入ることは難しい。
 本山寺の納経の時間に遭わせて、5時54分に宿を出る。財田川の右岸(上流に向かって)の道は初めて歩く、遠回りだけど赤線がついているし、四元さんも歩いたし、花も咲いている。


 6:18
行く手にこれから向かう本山寺の五重塔が見えてくる。ちょっと幽玄な雰囲気もある。


 6:35
前の写真ではほとんど見えていなかったけれど、肉眼ではあれくらい遠いところに見えている方が雰囲気があっていい感じに見える。橋を渡ればすぐ山門が待っている。


 6:38
宿から4.6kmを44分で到着。初めて歩く道だから比較はできないけれど、時速で計算してみると、2分くらいの遅れだった。調子は全然悪くないけれど、まだ身体が充分起きていないのかもしれない。昨日のことがあるから、今日は積極的に体を動かしたいとは思っている。
 境内には、昨日観音寺でいっしょだった夫婦の歩きの人や男性もみえる。この横の一富士旅館に泊まったようだ。そして昨日はここの納経時間には間に合わなかったというところだろう。少し早く着きすぎた、お参りが終わって納経が始まるまで10分以上待つことになった。納経所の横には噂に聞いていた新しいトイレがあった。いつも山門の横のひどいトイレを使っていたから、その差の大きさにちょっとびっくりする。ここで水の補給もできる。


 7:13
7時8分に本山寺を出発、一富士旅館の横を通って国道に出てくる。11号を歩くのは2日前新居浜から旧土居町を歩いて以来になる。


 7:18
この前で歩きの男の人に追いついた。やはり、一富士旅館を出たと思われる。今日は善通寺宿坊に泊まると言っていた。ぼくは坂出まで行くと言ったら、目を丸くしていた。


 7:38
昼食用のパン一つ購入。


 7:45 高瀬町
本当は肩の所に(旧)のシールが貼られていなくてはならない。豊中町、高瀬町、三野町、山本町、詫間町、仁尾町、財田町が2006年に合併して、現在は三豊市になっている


 7:46
高瀬町に入るとすぐ池沿いの脇道にはいる。地図に赤線はない(少し遠回りになる)けれど、遍路標識はしっかり立っている。国道より静かで歩きやすく安全。


 8:03 香川西高校
甲子園にも出場したことのある野球の強い高校。でもこのところ香川県の高校はなかなか甲子園で勝てない。香川県の高校野球連盟ではかなり深刻な問題になっているという。


 8:59 俳句茶屋
ここに来ると、四元さんが詠んだ俳句「秋日和 頭をひねる 俳句茶屋」を思い出す。彼女の俳句の中では特によくできた一句だと、素人ながら思う。


 9:00 弥谷寺
本山寺から11.3kmを109分、例年より1分早いベストタイムで到着した。ちょっと意外だった。途中で二人追い抜いたのが影響しているかもしれない。


 9:15
本堂から下りてきたところにある道標、その下には「白方へ(へんろみち)」と書いてあるから、たぶん別格18番海岸寺へ下りていく道だと思われる。昨年は17番神野寺に先に行ったのでこの道は歩かなかった。でも一度は歩いておきたい道。


 9:44
弥谷寺は山門から本堂までものすごい階段を登らねばならないし、大師堂へは靴を脱いで上がるので、普通にお参り、納経をするだけでも相当時間がかかる。ベンチで軽食を摂ったりもしたので、再び山門に戻ってきたのは39分後のことだった。9時39分に次の曼茶羅寺に向かう。いつもは出釈迦寺に先に行くけれど、今年は納経するので順番通りにお参りする。


 10:11 曼荼羅寺
弥谷寺から3.3kmを32分で到着。弥谷寺から曼茶羅寺までの記録はないけれど、時速で換算してみると、2分くらい遅かったようだ、ただ昨年よりは2分くらい早かった。昨年のこの区間の歩きは最悪だったから少し意識しながら歩いたけれど、思ったほど早くはなかった。
 バスツアーの団体がお参りを終わって引き上げるところ、当然納経は終わっている。


 10:31 出釈迦寺
曼茶羅寺から500mを6分かかる。この道を登るのは初めて。バスツアーの人たちといっしょに山門をくぐる。そして、お参りを終えて納経所に行くと、団体の納経が始まったところだった。まあこういうこともあるでしょう。休憩はしなかったのに27分もかかってしまった。10分以上待ったことになる。でも、ぼくが納経帳を出したとき墨書してくれる女性が「長いこと待たせてごめんなさいね」、と言ってくれた。気分は晴れやかだった。
 納経所の壁面に、家田さんと住職が並んでいる写真が飾ってあった。


 10:40 我拝師山と捨身ヶ嶽禅定
今年もこの聖地は仰ぎ見るだけに終わってしまった。いつになったら登れるのだろう、それだけの余裕を持って巡れるのだろう。


 11:14
ぼくの好きなへんろ道の一つ、正面にうっすら讃岐冨士が見えている。


 11:23 甲山寺
出釈迦寺から2.6kmを25分、例年より1分早いベストタイムで到着した。パンの消化も完全に終わって動きはますます良くなってきたようだ。バスツアーはまだ到着していない、ぼくの納経が終わった頃ようやく到着、そうそう待たされてはかなわない。


 12:00
7回目にして初めてカタパンを確認、定休日だったけど。もう御影堂のすぐ手前だから周りのものは全く目に入っていなかったということなのでしょうか。


 12:01 善通寺
写真は御影堂の山門、善通寺はめちゃくちゃ広いので大師堂(御影堂)からお参りさせて頂く。そして納経所も御影堂の方にあるので、本堂でお参りする前に納経も済ませる。ちょっとルール違反だけど、歩き遍路にとってこの距離を往復するのは辛い。


 12:19 赤門と五重塔
納経所は若い女性で、すごく丁寧な文字で墨書してくれた、88ヶ所中一番判りやすくきれいな文字、さすが善通寺、と意味なく感心することしきりだった。五重塔は何枚も写真を撮ったけれど、これはというものは1枚もなかった。


 12:28
以前はこんなにたくさん遍路シールはなくて、何回も行き過ぎてしまった。意識しないと入りづらい道だった。今でも、ぼんやり歩いていたら行き過ぎてしまうことは普通にあるのかもしれない。


 12:32
土讃線の下をくぐる。頭のすぐ上を線路が走る。


 12:52 金倉寺
善通寺から3.4kmを32分、例年より1分遅れで到着した。まあ誤差の範囲。この時間歩きの人は見られない。歩きの人は善通寺から出た人がほとんどだから、午前の早い時間にここを通り過ぎてしまう。休憩所に流し台があって水を補給することができる。お参り、納経を含めて35分の休憩、1時27分に出発。


 13:21 善通寺金蔵寺郵便局
88ヶ所の二つの名前がついたありがたい郵便局。百円玉20枚をおろす。明日の札所は5ヶ所だけれど明後日の5ヶ所の分もまとめておろして、これで郵便局に入るのも最後になる。


 14:03 道隆寺
金倉寺から3.9kmを35分、例年と同タイムで到着した。先ず、納経所の前にある冷水器でたっぷり水を頂く。お参りを終えて、納経所に入る前にまた一口二口、各札所で手持ちの水を飲んでいるけれど、それくらいでは足りないほど渇ききっているという感じ。休憩なしで2時18分に出発。


 14:52 丸亀城
道隆寺からここまで男性一人、女性一人を追い抜いた。女性は地図を広げながら立ち止まったりしているので、少し迷っているような感じだった。県道33号に出る道が判らないと言ったので、突き当たりを右に折れれば出られると教えてあげる。


 15:00
土器川に架かる蓬莱橋から見る讃岐富士が、最も大きく美しく見える。右側を歩けば欄干が邪魔にならずに済んだけど、橋を渡ったところにあるコンビニが左側にあるので歩道のない左側を無理矢理歩くようになってしまった。


 15:01
今日の宿は夕食付きで予約しているので、かりんとう一袋だけ購入。


 15:18
宇多津のシンボルは瀬戸大橋、ゴールドタワー、それにこれから向かう78番郷照寺。


 15:34 郷照寺
道隆寺から7.2kmを65分、例年より1分早いベストタイムで到着した。意外なくらい身体がよく動いている。水の補給が効いたかもしれない。納経は若い女性がしてくれた、とても愛想がよく終始にこにこととても感じがいい。実は、ぼくは88ヶ所中この郷照寺が最も嫌いだった。というのも、このお寺には腰掛けるところが全くない、歩き遍路に最も優しくないお寺だという認識しかなかったけれど、納経所での応対で印象が一変してしまった。


 15:57
坂出のシンボルは瀬戸大橋、瀬戸大橋の香川県側はすべて坂出市域に架かっている。この少し先の所で野宿遍路を追い抜いたけれど、この人がものすごいスピードで、逆に追い抜かれそうになった。あれだけの荷物で6.3km以上のスピード、上には上がいるということをまた見せつけられた。


 16:25
 今日予約しているみき旅館には4時13分に着いた。郷照寺から3.1kmを29分、野宿遍路さんと競争みたいになったので例年より1分早いベストタイムだった。着いたはいいけれど、女将さんが出てきて、今日は泊められなくなったという。別の旅館にお願いしてあるのでそちらに行って欲しいという。なんだか狐につままれたような感じ、有無をいわせない感じでその旅館の場所を教えて貰う、でも要領を得なくて再び戻ると、車で送ってくれる。最初からそうしてくれればいいのに。
 ということで、三中井ビジネスホテルに初めて泊まることになった。料金はみき旅館と全く同じで、2食付き5000円、夕食付き4500円、素泊まり3500円。部屋は確かに古い感じはするけれど、掃除は行き届いているし布団もきれいで言うことない。食事はボリュームたっぷりで味も最高だった。女将さんの応対もすごくいい。名前はビジネスホテルだけれど和室で部屋にバスルームはない。偶然だけれどまたいい遍路宿を見つけてしまった。みき旅館は今まで2回断られたから、来年からはこちらに先ず予約を入れることにする。


25日目 5月18日

2009-07-26 | 09年四国の旅

 5:41
25日目が始まる。タイムのメモは最後の4枚目になる、A5の用紙を8等分して1日分のメモにしている。4枚目は5日分しか使わない。そして、この25日目が一番厳しい行程になっている。距離は43kmで一番長いわけではないけれど、何といっても最高地雲辺寺を越えなくてはならない。それに例年と違って、納経をするので今日の内に観音寺と神恵院をお参りしなくてはならないし、そのあと銭形も見る予定にしている。例年より2km以上長く、札所も2つ多く、おまけに銭形もある。どんなに頑張っても4時半までに宿に入ることはできない。
 宿を5時37分に発つ。3年前までお世話になっていた大成荘の前を通過する。


 5:43
市役所の手前に昨年までなかったコンビニができていた。いつもはこの先の県道の交差点で買うことにしていたけれど、せっかくだから早めに買うことにする。


 6:15
伊予三島から三角寺までで、ここが大きな分かれ道。地図ではここを右折する道に赤線はないし、遍路シールも自動車のみが右折のようになっている。でも昔の白黒地図には右折する道にだけ赤線が引いてあった。ここを直進する赤点線の道は旧いへんろ道だけれど、右折するより10分前後余計にかかる。ぼくは一度歩いたけれど、後半はかなり険しくなるし時間もかかるので、以後はずっとここを右折することにしている。


 6:22
45分でこんなところまで登ってきた。伊予三島をあとにする、間もなく伊予の国もあとにすることになる。


 6:49 三角寺
宿から5.8kmを68分、例年より2分遅れで到着した。静かな境内、でも車遍路の人がすでに何人か見える。いつもこれくらいの時間だけど一人っきりだったことは一度もない。


 7:44
三角寺を出て38分、遙か行く手に雲辺寺山がその威容を現した。いつものことながら、4時間後にあの頂に立っている、そういう実感は全くない。不思議という感じしかない。


 7:47 ゆらぎ休憩所
四元さんはここから雲辺寺山を見上げて腰を抜かしそうになった。1回目の時はここで休んだけれど、2回目からは椿堂まで休まなくなった。三角寺から椿堂まで6kmしかない。


 8:11 椿堂
三角寺から6kmを64分、例年より2分遅れで到着した。調子はとくに問題はなかった、ここまでは。30分休んでパンを一つ食べる、水の補給はトイレでできたかもしれないけれど、まだ500ccくらい残っていたのでしなかった。でもこの休み方すべてが間違っていたことをあとで思い知ることになる。


 8:44
国道に合流する。この国道は池田から先は吉野川沿いを徳島の中心部まで続いている。緩やかな登りになっているけれど、歩き始めてすぐいつもの調子でないことを認識する。このときには全然その理由は判らなかったけれど、帰ってから岩屋寺の時と同じであることを思い出した。午前中の早いときに休憩でパンを食べた。食べたときにしっくりこなかった。力が沸いてくるどころか、その逆の感じがした。たぶん消化の方にエネルギーが使われたのではないかと思われる。パンが米より消化が悪いのは周知の事実。


 9:15
 ここを左に入ると曼陀峠に至る。この道を行く人は少ないけれど、ぼくは2度歩いた。今年は撮影があるし、郵便局にも用事があるのでトンネルを通ることにする。


 9:21
トンネルの手前に簡易宿があった。一応「素泊まりバスいしかわ」という名がついている。素泊まり2500円(2人相部屋の場合2000円、3人相部屋の場合1500円)、シャワーは300円。この先の人気宿、民宿岡田が満室の時には重宝するかもしれない。


 9:26
トンネルを通るのもこれが最後。歩道はある。


 9:35
 3年前まで池田町だった。徳島県だけれど便宜上カテゴリーは讃岐の旅にします。


 9:52 民宿岡田
伊予三島から雲辺寺を越えるのは多くのお遍路にとって容易ではないので、この宿に泊まらないと越えられない。遍路シーズンには満室になることも多く数日前からの予約が不可欠とされる。でも、ぼくはまだ1度も泊まったことはない。


 9:54 佐野郵便局
椿堂から7.1kmを72分、例年より4分遅れで到着した。動きが鈍いのははっきり自覚していた。足の状態はよいので理由は判らなかった。ここで納経料の百円玉をおろそうとしたら、最初の1回、4枚はうまくいったけれど、2回目からは不能になってしまった。硬貨の補充が不十分だったのかもしれない。ここで気落ちしたのがこの先の歩きに影響するとは思いもしなかった。残りの16枚は観音寺に下りてからおろすことにする。郵便局の前で12分休憩、あとは山の上まで休まないから水の補給は考えなかった。


 10:11
ここから最高地910m(標高差650m)を目指すことになる。80分近く登り詰め、鶴林寺より柏坂より横峰寺より長い時間登り続けねばならない。


 10:16
仰ぎ見るほど高いところを走っていた徳島自動車道がもう目の前。5分で一気に40mは登っているはずだ。


 10:17
すぐ徳島道を見下ろすところまで出てくる。これからが本当の山道になる。



 10:55
前半部分の山道が終了したけれど、全然駄目だった。2年前に比べると、疲労が先にたって躍動感が全然なかった。タイムが出ていないことは明らかだ。理由ははっきり判らないけれど、休憩の仕方、水と食料の摂り方がうまくなかったのだろう。


 10:55
ここからは自動車道(一部短絡山道がある)が山門まで続く。標高差245mを2.1kmで登る、緩やかな坂ではあるけれど、まだ遙か彼方としか思えない。


 11:17
別格15番箸蔵寺、池田方面から登ってくる道がここで合流する。ここまで来ると、もう山門は近いけれど、この少し前の所で大変なことが起こった。胃が急に痛み始めて座り込んでしまった。この症状は前にも何回か経験している、胃酸が出過ぎている、これを抑えるには食物を胃の中に入れるしかない。ザックの中にかりんとうはあるけれど、水がない。水なしで食べるのは厳しいと思ったけれど仕方ないので、無理矢理口の中に放り込む。数分ですぐ落ち着いた、喉はからからだけど何とか前へ進むしかない。ふらふらとまた歩き始めた。昨年のリベンジをするつもりが完全に返り討ちにあってしまった。また1からやり直しだ。


 11:18
昨年登ってきた箸蔵寺からの道、昨年もこの手前で2回もへたり込んでしまった。昨年は初めての道だったし、ものすごく暑い日だったから仕方ないとは言えるけれど、それにしても2年続けての情けない山登りになってしまった。来年どちらのリベンジをするかはまだ決めかねているところ。


 11:29 雲辺寺(旧山門)
かりんとうの効き目は絶大で、以後の登りは普段に近いものになっていった。休みと水分と栄養のとりかたは本当に重要であることを改めて思い知った。郵便局から5kmを79分(正味歩行時間)、2年前に比べて4分遅れで到着した。でも5年前の記録(3年前、4年前は別の道を歩いた)よりは少し早かった。


 11:36
これは水屋ではなく水堂、ありがたい山の飲料水を頂くためのお堂。真っ先にここに来たかったけれど、お行儀よく先ず水屋で身を清める。水屋はロープウェイ客に都合のよい場所にあって、歩き遍路はわざわざそこまで行って、また戻ってくることになる。最初の頃はそんな所にあることは知らなくて、手を洗わないままお参りをしていた。
お参りの前に、とりあえず1本分頂いて渇きを癒しておく。本堂は今年もまだ工事中、仮本堂は左手の方にある。


 12:10
お参り、納経を含めて、36分の休憩、下着がびちゃびちゃになって着替えることもあったけれど、今回はその必要はないようだ。12時5分に出発する。4時間前、椿堂の手前から見えていた電波塔のその真下にやってくる。動きは鈍かったけど、とにかくここまでやってきた。感慨はひとしおである。


 12:14
別格16番萩原寺への分岐点、昨年はここから左へ下りた。6300mと書いてあるけどこれは間違い、ぼくが歩いた感じでは少なくとも7500mはある。でも萩原寺へ下りる道はロープウェイの駅の近くから始まる別の道が正しいへんろ道、でもぼくはその下り口が見つけられなかった。


 12:42
雲辺寺の下りは横峰寺と違って、前半は枯れ葉が積もったふかふかの山道が続く、膝や足首にも優しいけれど、さすがに最後までそういう道が続くわけもなく、後半はかなり段差が激しく、足場も悪い横峰寺と変わらない険しい道へと変貌していく。いくら下っても下界に着かないのではないかという錯覚すら覚える長い長い下りの山道。


 12:59
横峰寺に比べれば、自動車道までの距離は7割くらいだし、前半は楽な山道ではあったけれど、それでも容易ではない。下りなのに時速は4.8kmしか出なかった。膝は相当痛めつけられて、がくがくだ。


 13:05
家田荘子さんもお薦めの評判の民宿。伊予三島から28km、900mの山越えではあるけれど、少し頑張れば大半のお遍路がここまで来ることができそうだ。民宿岡田にこだわる必要はないともいえる。


 13:18
ここまで下りてくると必ず振り返る。振り返ると雲辺寺山の電波塔が見える。あんな高いところから1時間ちょっとで落ちてきた。自分をほめてやりたい気分になる。


 13:51
昨年を含め3回お世話になった民宿おおひら。伊予三島からだとここまで来る人は珍しくはない。でも青空屋ができたから大分客の数は減ったことだろう。ぼくは、来年箸蔵寺と萩原寺に行けばまたお世話になることになる。この宿以外の選択肢はない。


 13:54 大興寺
雲辺寺から9.4kmを107分、2年前より8分遅れで到着した。相当ひどい。あるいは2年前の動きが良すぎたか。ちなみに3年前は113分、4年前は103分、5年前は133分。真ん中あたりの記録ではあるけれど、今日は1日中動きは本調子でなかったことは否めない。納経が終わってその前のベンチで荷造りをしていたら住職が声をかけてくれた、山越えの道が大変でまいったこと、などをお話しする、気持ちがちょっとほぐれて楽になった。お参り、納経を含めて34分の休憩、14時26分に出発する。


 14:38
観音寺市のシンボルはやはり銭形、実は、ここで初めて観音寺市に入るわけではなくて、雲辺寺の下りからずっと観音寺市内を歩いていた。大興寺の前後数kmの間だけが三豊市に入っている。


 15:01 観音寺池之尻郵便局
大興寺から観音寺までのへんろ道沿いにある郵便局はここだけ。ここがなければ遠回りを余儀なくされるところ。百円玉16枚を無事おろすことができる。明日の札所は9ヶ所、お参り、納経だけで3時間近くかかりそう。


 15:22
下校中の小学生がにこにこ笑いながら「こんにちわぁ~」と大きな声で挨拶してくれた。思わずこちらも笑みがこぼれて、元気よく返す。今日は1日さえない動きだったけれど、これですべて帳消し、終わり良ければすべて良しの1日になった。


 15:44
1日の最終盤になって、ちょっと気が抜けたのか、この手前のコンビニの写真を撮り忘れてしまった。この400m手前、県道237号との交差点にあるサンクスで毎回食料を仕入れる。今回はパン3つ、かりんとうと芋けんぴ、それと野菜ジュース500cc、120円を張り込んでしまう。飲料を買うのは7回目、我ながらよく辛抱していると思う。


 15:47 まめ珈房
テレビディレクター佐藤光代さんが結願のあと再び戻って珈琲豆を買ったのがこのお店。昨年は見つけられなかったけど、今年は確認、でも定休日だった。
 「私のお遍路日記 歩いて回る四国88ヶ所」 佐藤光代著のこの本は、ぼくが読んだ遍路本の中で一番おもしろく優れたものです。amazonで買えますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。


 15:55
 財田川を渡ると今日最後の札所は目の前。


 16:01 神恵院・観音寺
大興寺から8.5kmを81分、昨年より3分遅れで到着した。ただし、昨年は朝一で歩いたので正確な比較はできない。午後から歩いた中ではベストタイムだった。女の子に元気を貰ったおかげだろうか。やはり終わり良ければ・・・になった。


 16:22
観音寺の本堂の左側に長い石段がある。この上に薬師堂がある。7年前までこちらが神恵院の本堂だった。ご詠歌の額がいまだに飾られてあった。この前を右に行くとお待ちかねの銭形展望台に至る。


 16:29
6回も観音寺に来ていて1度も銭形を見ていなかった、それでは観音寺に来たことにはならないといつも引け目を感じていた。この区間はとにかく忙しい行程にしているので、全く余裕がなかった。今回は納経をするので、何とか無理矢理押し込むことができた。写真や映像では何度となく見ているのでとくに目新しくもないけれど、肉眼で見ておかないと見たことにはならない。


 16:47
観音寺の境内から銭形展望台を往復するのに20分くらいかかった。思ったよりスムースに行くことができ時間も予想範囲内だった。予定通り宿にも5時までに入ることができた。5時というのはぼくの感覚ではものすごく遅いけれど、まあ仕方のないところ。
 藤川旅館は3回目の投宿。素泊まり3500円、2食付き5000円。トイレはウォシュレット完備、洗面も清潔。今まで隣の音が気になったこともない。何の文句もない最高の宿といっていい。もちろん3000円の宿よりはポイントは低くなるし、食事は摂ったことがないのでどうか判らないけれど。


24日目 5月17日

2009-07-24 | 09年四国の旅

 5:53
24日目の始まり、今日の行程は36.4kmで平地ばかり、しかも札所はなし。7時以降に出発するのは12日ぶりのことになる。今のところは晴れ間も覗いているけれど予報は曇りのち雨、平地だから苦にならない。


 6:58
7時前に玄関に下りていくと、ちょうど同宿のお遍路さんが出かけるところだった。3年前はお遍路さんがここまで来ることはあまりないと言っていたけれど、昨日お風呂を待っているときに訊いたら、前日にも二人のお遍路が泊まったと言うから、ずいぶん事情は変わってきているのかもしれない。少しへんろ道から外れるけれど安く泊まれる宿があることは大分浸透してきたのかもしれない。
 10月の西条まつりのポスターが今頃から・・・、とよく見たら昨年のポスターでした。オペラ歌手の秋川雅史さんは何事があってもこの祭りには帰ってくる、ローマにいても帰ってきたという。


 7:12
12分で国道11号に復帰してくる、本当はここはへんろ道ではないけれど。


 7:18
国道11号は片側にしか歩道がないところが多く、それもすごく狭くて歩きにくい。だからへんろ道を行く方が絶対いい、でも、にぎたつに泊まれば国道を行くしかない。こういう新しい歩道がずっと続けば言うことはないのだけれど。


 7:26
本日の昼食用のパン1個だけ買う。夕食と明日の分はもっと宿に近いコンビニで買うことにする。


 7:54
へんろ道が国道に合流してくるところ。ここからしばらくは国道がへんろ道になる。


 7:56
西条とはここでお別れ、新居浜市に入る。西条市に入ったのは二日前の15時半くらいだったから40時間くらいこの市に滞在したことになる。


 8:09
ここから長い脇道(旧街道)に入る。しかしこの脇道は今までの脇道と違って油断できない。狭い割に車の通りが激しいし、車は我が物顔で全くスピードを落とさない。国道より遙かに危険だといってもいい。


 8:52 喜光地商店街
脇道に入ってからここまでが長い、もう何度も歩いているから、長いことは承知のうえだし、どれくらい歩けば着くことも判っているけれど、最初の頃はいくら歩いても着かないのではないかと思えるくらい長かった。今回は宿から12kmくらいだけれど、いつもは前神寺からここまで15kmは休めなかったから余計そんな感じがするのかもしれない。


 8:53
ステージがある商店街の広場で朝市が行われている。ここにはベンチもトイレもあるので一休みする。ここまでは適当な休み所がない。今日は札所がないので自分で休み所を決められるけれど、休めるところは多くはない。結局12km地点のこの場所と、24km地点の別格12番の2ヶ所だけで休むことになる。最初の頃から変わらないし、変えようがない。


 9:46
喜光地商店街では37分たっぷり休む。休憩が2回しかないので、それくらい休まないと早く着きすぎてしまう。9時30分に出発、歩き始めて16分、民家の前に立っているおじさんが手招きしてぼくを呼び止める、にこにこしながら「お接待しようと思って待ってたの」と、この袋を渡してくれる。中には百円玉が5枚入っていた。お金を頂くのは6年前以来2回目のことだった。とてももったいなくて使えないけれど、ご厚意を生かすのは使うことでしかないから大切に使わせて貰うことにする。


 9:56
市民運動会が行われている小学校から、銀河鉄道999の軽快なメロディが流れてくる。完全な吹奏楽アレンジ、各楽器の特性が生かされたぼく好みのアレンジになっている。しばらくは音楽に合わせてうきうきしながら歩くことができる。


 9:59
2時間ぶりに国道を歩くことになる。


 10:00
国道に合流したところにスーパーがあって、その前に電話ボックスがある。2日後、坂出のみき旅館、3日後、高松のビジネス旅館三鈴、4日後、さぬきの民宿八十窪に予約を入れる。3軒とも無事終了、これですべての宿の予約が終わった。旅の終わりが本当に近いことを実感する。


 10:14
合流地点から7分、ちょっとした峠を越えて、また脇道に入る。


 10:21
700mで国道に合流する。


 10:22
合流してすぐの所にコンビニがある。今まではいつもここで夕食を仕入れたけれど、もっと宿に近いところに新しいコンビニができたので、そちらで買うことにする。


 10:32
今日のゴールまで18km、ということはあと3時間。ということは1時間半くらい休憩しなければならない。


 10:41
新居浜市から四国中央市に入る。合併前は土居町。土居町、伊予三島市、川之江市が合併して四国中央市になった。とっても歩き甲斐のある大きな市。


 10:43
いろんなシールが付いてる脇道の入り口。ここから宿までもう国道を歩くことはない。ほとんど車の通らない歩きやすいへんろ道を行く。


 10:55
6年前にお金を頂いたのがこのあたりだった。偶然にも同じ区間だった。ほとんどのことは忘れてしまったけれど、決して忘れられないこともいっぱいある。


 11:20
国道を横断すればもう延命寺は近い。


 11:35 延命寺
喜光地商店街から12.1kmを117分、例年より2分遅れで到着した。ここが2回目にして最後の休憩地になる。ここから宿まで12km、2時間ほどで着いてしまうから、相当休まねばならない。このお寺のシンボルになっている「いざり松」を初めてゆっくり見物する。


 12:44 松屋旅館
延命寺で休んでいると雨が降り始めた。あと全部降られたところで2時間だから、大したことはない。1時間ちょうどの休みで12時35分に出発する。3時までに着いてしまうけれど、これ以上休む気にもなれない。1時間休んでいたけれど、この前を通るお遍路は一人もいなかった。今日はここまで一人のお遍路にも会っていない。宝寿寺や前神寺の近くの宿に泊まった人のほとんどは、この別格の近くの二つの宿に泊まるから、この前を通るのは4時前後になるし、西条の駅の近くに泊まって伊予三島まで行く人はここを通るのは1時間以上後になる。ぼくは一番人に会いにくい時間を歩いている。


 12:56
へんろ道はここから国道の南側を行く。ほとんど平地だし車もあまり通らないので最高に歩きやすいへんろ道らしいへんろ道。


 13:53
新しくできたコンビニ、国道とへんろ道の間にあって、どちらからでも入れるようになっている。4年ぐらい前にこの近くにできたローソンは1年後につぶれていた。それは国道の反対側だったから、同じ運命を辿る可能性は少ないと思いたい。


 14:29
昨年まで影も形もなかったものすごい道がへんろ道を横断している。国道11号のバイパスみたいですね。


 14:38
当初ここで納経料の百円玉をおろすつもりだったけれど、明日の分は確保できているので入らない。


 14:40 伊予三島駅
延命寺から12.1kmを116分、例年より1分遅れで踏切まで来た。誤差の範囲で満足。今日は大体例年並みの歩きができたようだ。ここから宿まで5分くらい、踏切の手前にベンチがあったので時間合わせに少し休むことにする。


 14:49 ビジネス旅館高雄
踏切のところで6分休んで、ちょうどいい時間に着いた。ビジネス旅館高雄は3年連続3回目の投宿。素泊まり3000円だから、ほかのところは考えられない。しかもご主人の笑顔の出迎えが何とも言えない。迎え方一つで1日の疲れが本当に吹き飛んでいく。コスタブランカといっしょで風呂は自分で入れる。ぼくの部屋は2年前と同じでお風呂の隣の部屋。お湯の勢いがすごいので10分くらいですぐ入れるようになる。
 風呂からあがり、夕食も摂って、ゆっくりしていたら夫婦の歩き遍路がやってきた。もう6時少し前、飛び込みなのか、夕食は外で摂るようでご主人に店の場所を教えて貰っている。それにしても、ぼくなどからすれば無計画なやや無謀な感じがした。飛び込みなのはいいとして、それなら食事は用意しておくべきだろうし、外で食事を摂るならもっと早い時間に宿に着くべきだろう。もっと余裕を持って宿に着けるようにすべきだし、予約も早めにしておけば外で食事を摂ることもないし、もっとゆっくり休めて明日の歩きに備えることもできるのに。食事を終えて風呂に入ったのは8時を過ぎていた。


23日目 5月16日

2009-07-23 | 09年四国の旅

 6:33
23日目の始まり、今日の行程は横峰越えの36.8km。距離は短い方だけれど、山越えなので6時間半は歩かねばならない。札所も5つあるので3時までに宿に入るのは難しいかもしれない。5時58分に宿を発つ。天気は曇り、予報は一時雨だったけれど、登りきるまでは持ちそうな感じがする。
 昨年はこの分岐を西の方に行った。


 7:22
前を行く人の歩はやや緩やか、6時半頃に栄家旅館を出たと思われる。62番近くの宿に着くのは5時近くになりそうな感じがする。橋を渡ると、いよいよ山が近くなってくる。


 7:44
橋を渡ると国道11号との交差点、右の方から、昨日道の駅で追い抜いた野宿の人がやってくる。国道の右の方には「湯の里小町温泉しこくや」という宿がある。大きな荷物なので野宿かと思ったけど宿に泊まる人だったのかもしれない。妙雲寺の横を通るとすぐ松山自動車道の下をぬける。200mくらい前を行く二人のお遍路が見える。内一人が立ち止まって地元の人と何か喋っているようだ。ぼくがその近くを通ると、そばの畑で作業をしているおばさんが声をかける「お遍路さん、ちょっと待って」と言って袋に入った苺を差し出す「お接待しようと思って持ってきたの」。「え、こんなにいっぱい貰っていいんですか」度肝を抜かれながらも丁寧にお礼を言う。すごく嬉しくてありがたいけれど、いいのかなという気持ちもどこかにある。ザックの中には入れられないので、左手にぶら下げて次の休憩ポイントまで持っていくことにする。


 8:34
横峰寺の登山口にある遍路小屋まで宿から15.9kmを2時間33分で到着した(もちろんこの間休みなし)。片手に苺をぶらぶらさせていたのにベストタイムを出してしまった。理由ははっきりしている。松山道から先、二人の人を追い抜いたけれど、その一人が荷物を持っていないせいもあってかなり速かった。栄家に泊まると次の宿まで荷物を運んで貰えるのかもしれない。その人に引っ張られて自然にスピードが乗ったと思われる。この小屋に着くすぐ前にももう一人前を行く人がいて、追い抜けはしなかったけどほぼ同時に着いたという感じだった。合計5人に会ったことになる。


 8:49 村上さん
横峰寺の登り口には湧き水が汲めるようになっていて、いつも地元の人がここまで車で来ている。その順番待ちをしている人がぼくの向かいに来ていろんな話を聞かせてくれた。先ず、びっくりしたのが彼のお母さんの話。お母さんはすべて車遍路ではあるけれど100回以上四国を巡った、真っ赤に染まった50回分の納経帳が2冊あるそうだ。83歳の時金剛福寺で骨折をして、それからは家族に止められて、ようやく打ち止めにしたけれど93歳の今も元気だということだ。村上さん自身も3回車で巡ったけれど、足の調子がよくないので歩いて巡ることは考えられないと言う。でも、歩数計で東海道と山陽道は踏破して、現在は四国を巡っている最中だ、と笑う。ぼくの話も少しさせて貰うと、へぇ~、そんな人がいるのかと目を丸くしてびっくりすることしきりだった。自慢するようなことではないけれど、お母さんとの話の種にして貰えれば嬉しいと思った。


 9:13
村上さんとは20分くらいお話をして、8時56分に登り始める、石鎚橋で抜いた人以外の4人はここでは休まずすでに山の中へ入っている。宿からここまで9kmはあるはずなのにどうして休まないのか不思議だった。この山登りは5回目になる(2回は自動車道を行った)けれど、昨年気合いを入れすぎてすごい記録を出してしまったので、到底それ以上のタイムを出せるとは思えなかった。でも、できるだけ普通以上には登りたいと思う。登り始めて17分で、04年の秋の台風で起きた土石流の跡にやってきた。この部分だけは当時のままで迂回路が設けられている。


 9:41 横峰寺
今回は前に行く人がいたりして、あまり時間を感じることなく山門の下までやってきた。まだまだだと思っていたところに急にその姿が見えたのでびっくりした。タイムは昨年より2分も早かったのでさらにびっくりした。やはり、村上さんといっぱいお話ししたので、余分な力や毒素が抜けて自然と元気が出てきたに違いない。普段はずっと一人で歩いているからどうしても精神が解放されない。お話しすることによって、精神のいずれかの部分が解き放たれて、それが動きにも影響してくることは間違いないと思う。実際何度も経験してきたことだ。


 9:43
昨年は土台のコンクリートしか見えていなかった新しい納経所が完成間近のたたずまいを見せている。今年も納経は靴を脱いで本堂の中でして貰う。バスツアーや車遍路の人で境内はにぎわっていたけれど、納経は待ち時間なくすっきり済ませることができた。


 10:08
納経が終わると一休み、この新しい休憩所は昨年からできていた。納経所より先に建てたというのは、本当に参拝者、登山者のことをおもんばかったことだと思われる。でも、ぼく以外に休んでいる人は一人もいない。それもそのはずで、山門、休憩所、水屋、工事中の納経所と並んであって、本堂と大師堂は一段高いところにある。車の人は裏の駐車場から入ってくるので本堂の高さの所から入ってくるので、わざわざこの低いところまで下りて休もうなどとは思わないし、歩きの人の出口は裏側なので、これまたここまで下りて休むと、また登ることになるので面倒なことになる。車の人などは水屋を使わずそのままお参りする人も多い。でもトイレは山門を出た先にあるので仕方なく階段を下りてこの休憩所の前を通ることになる。
 10分ちょっと休んで10時19分に発つ。下りだと思って気を緩めている場合ではない、ここからが本当の横峰寺なのだ、いつも思い知らされる。


 11:05
改めて横峰の下りが一番きついことを思い知る。三坂峠とは段違い、三坂峠は後半の急傾斜の舗装道は相当負担がかかるけれど、前半はハイキング気分で下れる。この横峰はそれよりずっと負担がかかる、足場がゴロゴロして落ち着かないしスピードも出せない、そして何より、途中で登りも待っている。細かい区間でも下りの途中に登りが入ると気持ちが折れそうになる。ハイウェイオアシスへ向かう分岐点には、以前のような標識がなくなっていた。こちらの方も相当険しいけれど、登りはなくて下るばかりなので、少しは楽に下れるかもしれない。


 11:22
これから下りていく小松の町が見える。1時間下り続けてまだこんなにも下らねばならない。半ばがっくり。


 11:40
1時間20分かかってようやく自動車道まで下りてくる。本当にこの下りは楽なところはほとんどなかったといっていいくらいだった、常に膝や足首に負担のかかる油断のできない所ばかりだった。そしてこの自動車道も容易ではない。少しスピードを上げようものならたっぷり膝に負担がかかってくる。


 11:56
4時間ぶりに松山道の下を通過する。ここまで来るともう余裕を持って歩けるけれど、この先にはまだちょっとした登りが待っている。最後の最後まで横峰寺は許してくれない。


 12:11 香園寺
最後、高鴨神社の中の道は5年ぶりに歩く、そこの手前の道はほとんど記憶に残っていなかった。横峰寺から9.6kmを111分で下りてきた。同じ道を歩いた5年前よりは2分ほど早かったけれど、松山道から乙の道を歩いた2年前よりは9分も遅かった。乙の道は距離もほとんど変わらないし、登り坂は甲よりもきついくらいだから、完全に負けたという感じ。2年前は登りが全然力が出なかったけれど、下りはかなり復活していたということかもしれない。ちなみに、ハイウェイオアシス=丙の道を歩いた昨年のタイムは2年前と全く同じだった。納経を終えて少し休もうとしたらぽつぽつと雨粒が落ちてきた。山登りが終わればいくら降られてもどうってことない。


 12:52 宝寿寺
香園寺から1.3kmを13分、例年より1分遅れ、写真は撮らなかったけれど誤差の範囲とする。確かに横峰寺の下りで相当痛んでいるという感じもある。狭い境内は団体の人でごった返していた。お参りを終えて納経所に行くと、案の定、その団体の記帳で大わらわだった。その後にも車の人数人、歩きの人も並んでいる。納経所で待つのは、初日の2番極楽寺以来だったかもしれない。待つといっても、お参り納経を含めて19分しかかからなかったから、ほかの札所と比べて2~4分くらい余分にかかっただけだった。ぼくの前の歩きの人はイライラして「歩きだから先にしてくれ」と言っていたけれど、本当にさもしい行為に見えた。たった数分のことじゃないか。他人を押しのける行為は他人に迷惑をかけるに等しい。遍路にあるまじき醜い行為だった。


 13:16
小松駅を過ぎたところにあるこのコンビニでいつも食料を仕入れていたけれど、もっと宿に近いところにコンビニがあるのでまだ買わない。まだ札所が二つ残っているのでほっとしていられない。


 13:24 吉祥寺
宝寿寺から1.4kmを13分、例年より1分遅れで到着、誤差の範囲とする。それより何より、びっくりしたことがある。ぼくはこのお寺に山門があることを今の今まで知らなかった。というのも、国道からすぐこのお寺に入れるようになっていて、迷うことなく一番の近道で境内に入り込んでしまっていた。ところが、今年はその入り口には紐が渡してあって、ここは入り口ではありません、と看板があった。それでようやく初めて山門の前に立つことができた。すごく恥ずかしい。7回巡ったとてまだまだ偉そうなことは何も言えないと自分を戒めた。
 納経の後、ベンチで軽食を摂っていたら雨足がはっきりしてきた。山門を出ようとしていた歩きの人が、思わず立ち止まってザックの中から合羽を出し始めた。この程度の雨で合羽を着けるのは本当に面倒だと思う、傘を持っていて本当に正解だと改めて納得する。


 13:52
「お四国巡拝者様 甘夏御自由にお食べ下さい!(持帰り可)」
余程一つ頂いて持っていこうかと思ったけれど、躊躇してしまった。なぜか余裕がなかった。


 14:14 前神寺
吉祥寺から3kmを31分で到着、例年より3分遅れ、これは誤差の範囲とは言えない、雨のせいとも言えない。横峰の後遺症がじわりと押し寄せてきたか。山門をくぐると宝寿寺で一緒だったバスツアーの人たちが戻ってくるところ、納経は完全に終わっているはずだ。トイレに金剛杖を忘れた人がいて、添乗員の人が慌てて走って取りに戻るところだった。


 14:44
前神寺を出て10分で国道に合流、へんろ道は国道に合流せずこのすぐ手前から農道を行くことになるけれど、今日の宿はへんろ道を外れた西条の駅の近くにあるので、国道を行くしかない。


 14:52
距離はものすごくあるけど徳島の文字が現れた。1巡が近いことを実感する。伊予の国も明日、明後日を残すのみだ。


 14:56
3年前にあることは確認していたけれど、つぶれている可能性もあるのでひやひやだった。パン4つとかりんとうを購入。


 15:06
白いアーチではなくて、その少し下から覗いているピンクの橋が、四元さんが迷演奏を聞かせてくれたメロディ橋。へんろ道はあんなに南側を走っている。国道より遠回りになるけれど歩き心地は段違いに良い。


 15:12
加茂川橋を渡って二つ目の信号を左折、伊予西条駅方面へ向かう。


 15:18
踏切から右を見ると伊予西条駅が見える。市の中心とはいえ大きな駅ではない。


 15:21
前神寺から4kmを38分で到着、3年前より3分早かった。でも今年が特別早いということではなくて3年前が余程ばてばてだったと思われる。何といっても平地で時速6.3kmだから標準以下という感じ。でも一応はベストなので気分は悪くない。
 にぎたつ旅館は3年ぶり2回目の投宿、へんろ道からは少し外れてしまうけれど、何といっても素泊まり3000円という料金が嬉しい。ビジネス旅館小松の3675円、石鎚温泉の3800円もいいけれど、600円以上安いと、どうしてもこちらということになってしまう。でも、この宿は風呂の時間が遅い。5時過ぎにようやく入ることができた。それでもこの値段なら我慢するのも仕方のないところ、風呂にすぐ入れれば文句なし◎の宿になる。


22日目 5月15日

2009-07-18 | 09年四国の旅

 5:56
22日目が始まる。今日の距離は今年の旅で一番長い46.5km、しかも札所が6つもあるから、本当なら6時前に発ちたいところだけれど、この朝食を見逃すことは容易にできない。向こうのビニール袋はお接待のせんべいやキャンディが入っている。生涯4度目の納豆(内3回がこの宿のもの)は昨年、一昨年と違って、違和感を全く感じることなくしっかり味わうことができた。3年できっちり自分のものにすることができたようだ。


 6:09
食事が終わる頃、コーヒーが運ばれてくる。だから、少々発つのが遅くなっても朝食をはずすことはできない。ゆっくり味わうことができないのは残念だけど、それでもしばしリッチな気分に浸ることができる。昨年まで2食付き5000円だったけれど、今年は5500円に値上がりしていた。それでも、十分すぎるほどのコストパフォーマンスだと思う。道後からここまで27km、そして次の仙遊寺宿坊まで30km、これ以上の選択肢はないような気がする(普通のお遍路にとって)


 6:31
6時16分に宿を発つ、15分で今治市にはいる。今は松山市と今治市は隣接しているけれど、数年前までその間に北条市と菊間町と大西町があった。これからしばらく旧菊間町を歩く。


 6:37
トンネルを避ける道もあるけれど、短いので中を歩く。


 6:56
菊間の中学生は皆挨拶をしてくれる、でも自転車で追い抜きざま急に声をかけるので、ウワッ、とびっくりさせられてしまう。挨拶を返す余裕もないくらいだった、二人にびっくりしたけれど、3人目は用心していたのできっちり返すことができた。


 7:01
菊間の町に入っていく600mくらい手前の所に新しいお接待処ができていた。少し気になったけどまだ1時間も歩いていないのでスルーするしかなかった。


 7:07
2回目から3年連続でお世話になった宿、こちらに泊まると今日の行程がずいぶん楽になるけれど、素泊まりが4500円とちょっと高いのでコスタブランカに乗り換えてしまった。


 7:42
菊間から延命寺までの間に国道を離れる脇道が4つある。本当はこの2kmくらい前にも青木地蔵までの脇道があったけれど、その後半部分は精油所の敷地内で消失してしまった。前半部分は一度歩いたけれど、少し遠回りになるので、もう歩かない。この脇道は簡単には入れない。国道の歩道が左にあるので、右側に入る遍路標識はとても見えにくくなっている。


 7:56
最後にちょっとした峠を越えて国道に合流する。向こう側にすぐ脇道2が見えている。


 8:00
脇道2が国道に合流するところで旧大西町に入る。


 8:09
こちらも意識していないと入れないことが多い、国道の左側からだとなかなかこの標識は気がつかない。事実、このすぐ先の所で国道を歩いている人を見たことがある。


 8:17
800mほどでまた国道に合流する。


 8:19
 国道から一段低いところへ下っていく、この道も何人かに一人ははずす可能性がありそうだ。ぼくも最初の時少し行き過ぎてから気がついた。


 8:45
一番長い脇道が国道に合流するところにコンビニがあった。買い物はしないけれどトイレを借りる。脇道を全部歩くと菊間のコンビニからここまで10kmの間にトイレが全くない。4つ目の脇道を行かなければ国道沿いに公園やコンビニはある。心得ていないとちょっとした難所になる可能性もある。


 8:56
昔の大西町と今治市の境。ここまで来ると延命寺も近い。


 9:10
ここから500mくらい先に左に入るへんろ道があるけれど、なかなか入れない。ぼくは3回か4回はずしている。1度うまく入れたのに翌年はずしたということもあった。


 9:15
この手前を左にはいる、前よりは判りやすい遍路シールも見える。


 9:18 延命寺
宿から18.6kmを177分で到着、昨年より6分遅れ。昨年が6.5km、今年は6.3km。確かに出だしは食事の直後だったので体は重かった。
 納経所の若い坊さんは超高速の墨書、おそらく88ヶ所一のスピードと思われる。早すぎるのもありがたみが薄いような感じがしたけれど、団体が来るとこの早さが生きてくる。必要に迫られた早さだといえる。
 3時間休みなしに歩いてきたからゆっくり休めばいいようなものだけれど、今日は長いし札所も多いので、納経のあと水を補給してすぐ発つことにする。


 10:08 南光坊
南光坊までの間に大谷霊園があってその階段を登るみちがはずしやすい。太い舗装道路が右側にカーブして登っていくから、その手前でいきなり階段を登るとはあまり考えにくいようだ。ぼくも1回目2回目ははずしたし、はずしている人を見たこともある。でも今回その階段の登り口にこれでもかというほど多くの遍路標識が付いていた。それだけ今まではずす人が多かったということだろう。これではずす人は・・・、でも意識が前に向いていたら気がつかない人も希にいるかもしれない。
 例年通り33分で到着。足の調子は伊予の国に入ってから全く問題はない。いくらか遅くなるのは撮影のロスタイムが大きい。この間は1枚も撮らなかった。
 納経所の年輩の坊さんはとても気のいい人で、一人一人に声をかける。ぼくが納経帳を手渡すと、「栃木から?」「いいえ姫路です」「さっき栃木の人が二人続いたんでね、さらに続くことがあるんだよ」栃木の人はコペンおじさんだ。納経帳の最後のページを確認して住所氏名を書いておくようにと注意された。なくすことはないと思うけど、尤もなのでその場で書き入れた。納経所の前のベンチで軽食を摂る、お参り、納経を含めて30分の休憩。


 10:55
民家の庭先に建っている不動産会社の事務所、5年前ここでコーヒーを飲ませて貰った。


 11:07 泰山寺
 3.1kmを28分、例年と同タイムで到着。
 ぼくが納経して貰っている間中、そのすぐ横でわんこが寝そべっている。ぼくが納経料の三百円を差し出すと、その上でじゃれ始めた。納経所ではいつも緊張して直立不動だけれど、その仕草を見ていると自然に緊張がほぐれていく。納経が終わるともう一匹が現れて、二匹並んで受付の所に並んでいる。ここは納経帳を提出するところであり、墨書御朱印を頂くその上、でも不謹慎という感じは全くしなくて、かわいいから全部許せてしまう。


 11:25
休憩なしで泰山寺を11時23分に発つ。泰山寺を出て50mで左へ折れるあぜ道がある・・・はずだったけど?それが10倍近い幅のある農道に変貌しようとしている最中だった。なぜだ、と言いたかった。せっかくの雰囲気が台無しな上に、この広い道の用途が全く見えなかった。


 11:26
工事中の農道は100mくらい、そのあとは前のままのあぜ道が続く。100mだけの農道、ますますその意味が分からない。


 11:45
栄福寺の手前には二つの道がある。八幡神社の山越えの道は昔の白黒の地図に赤線はなかった。距離的には大差ないようだけど、登り下りが大変なのは判っていたので今まで気にもかけなかったけど、四元さんがこの道を歩いたので、歩かないわけには行かなくなった。


 11:48
初めての道には遍路標識シールは一切見えなかった、確信の持てないまま石段の下に到着、四元さんが登っていたのはこういう感じだったからたぶん間違いないと思う。


 11:49
前の写真ではこの石段がどれだけ急角度か判らないので、こういう写真で証明。45度まではいかないけれどそれに近い急斜面であることが判る。こういうものすごい急坂を登ってまで遠回りをするへんろ道はあり得ないという感じ、白黒地図が正解だと思う。


 11:58
神社の上へ登ってから、下へ下りる階段はすぐ前にあったのに、社の方へ行ってしまったので、下りる道がわからず山の中へ入ってしまった。山の中をぐるっと回ると下り階段の前へ出てきた。思わぬ遠回り、これだから初めての道は怖い。迷った分も含めると泰山寺から35分かかる。例年より8分遅れ、迷っていなかったら4分ぐらい遅かったと思われる。
 お参り、納経に15分、水屋で水を補給して休憩なしで出発。


 12:15
栄福寺を出るとすぐ、これから登る山の上に仙遊寺の宿坊が見える。


 12:31
だいぶ高いところまで登ってきたので、しまなみ街道、来島海峡大橋を見ることもできた。


 12:38
栄福寺から2.1kmを25分、例年より1分遅れで仙遊寺に到着、到着といっても山門から境内まで標高差45mのものすごい階段を登らねばならない。でもタイムチェックは終わっているのでこの登りは人が言うほどぼくには苦にはならない。余裕を持って登るから滞在時間はかなり長くはなってしまうけれど。
 お参り、納経のあと建設に1億円を要したという自慢のトイレを使わせて貰い、その横のベンチで軽食を摂る。でも休憩は5分ほどですぐ発つことにする。この時間であと16kmも残しているのでゆっくりする気にはなれない。再び山門まで下りてきたのは30分後だった。


 13:59
いつもは仙遊寺から3.4km、国道196号の交差点にあるローソンで食料を仕入れるけれど、ローソンはぼくの希望する袋菓子を置いていないので、予讃線を越え、頓田川を渡ったところにあるこのコンビニで買うことにする。この先には買う場所がないのでもしこのコンビニがつぶれていたら大変なので、早めに買うことにしていたけれど、宿のそばにも新しいコンビニができたので、ここまで我慢することができた。例によってパン3つとかりんとうと芋けんぴを購入。大体これくらいの熱量で動けているので迷うこともなくなってきた。そして、このすぐ先の国分郵便局で明日の納経料のための百円玉10枚をおろす。明日の札所は5ヶ所。


 14:14 国分寺
仙遊寺から6.1kmを57分(正味歩行時間)、ベストより1分遅れで到着した。昨年は記録が出なかっただけに少し意識したけれど、やはり下りの山道は思い切れない部分もあったようだ。
 ここから宿まで10km休めないので、納経のあと軽食を摂って少し休憩する。車遍路の人がお大師さんと一緒に写真を撮って欲しいというので、シャッターを押してあげた。握手はしなかった。ぼくも、7回もここに来て一度も握手をしていない。毎年通しで四国を歩くことができて、それ以上のなにを望めばいいのかと思う。


 14:37
国分寺を出たすぐの所にあるタオル屋さん、昨年タオルハンカチを頂いた。今年はそれを使わせて貰っている。今年も声をかけられるかと思ったけど、お兄さんは店の中だった。声は聞こえていたけどね。


 14:54
1回目の時はこの駅まで歩いて、電車で今治まで引き返して、駅前のホテルに泊まった。少し先には湯ノ浦温泉があるけれど、当時は今の地図を持っていなかったので、そういう宿があることは知らなかった。知っていたところで温泉の宿は料金が高いから泊まる気になれなかったとは思うけれど。湯ノ浦の付近に安価な宿があれば今でも泊まりたいと思うけれど、ないので仕方なく46kmも歩くことになる。この少し手前で、国分寺を先に出た年輩の男性を追い抜いた。彼はかなり足を痛めているような感じだったから、湯ノ浦までかもしれない。


 15:19
この道の駅の手前、国道に合流するところで、野宿の人を追い抜く。こちらは大分速く元気そうだった。


 15:32
国道を離れ予讃線の踏切を渡る。


 15:34
踏切を渡り、今治小松自動車道をくぐると、西条市に入る。ここから宿までは静かな道が続く。1日の最後を楽しみながら歩ける。


 15:58
農道を抜けて三芳の町に入った所で下校中の小学生が大きな声で「こんにちわぁ~」と叫びながら駆け抜けていった。もちろん同じくらい大きな声で挨拶を返す。1日の最後に気持ちのいいお接待を頂いたという感じがする。心の中が暖かくなる。


 16:07
今日の宿はへんろ道から外れたところにある。ここを左折して三芳駅方面へ向かう。


 16:14
国分寺から10kmを96分、例年より1分遅れだった。誤差の範囲で満足。今日は出足以外はほぼ例年通りの快調な歩きができた。
 敷島旅館は5回目の投宿、ぼくにとってはここ以外は考えられない都合の良い宿だけれど、普通のお遍路はあまり利用することがないようで、5回泊まってお遍路の同宿は一人だけだった。多くの人は仙遊寺の宿坊に泊まって、栄屋旅館まで行き、そこから横峰を目指す。栄屋から横峰を越えると次の宿まで23km、敷島旅館からだと29km、山越えのこの距離は相当ハードになる。
 玄関に置き手紙があった。「外出中なので、左の部屋に入って下さい」ということだった。前にも同じことがあった、でも従うことはできない、1階の部屋は4200円、2階の部屋は3500円なのだ。昨年は予約の時に2階をお願いしたけれど、今年は忘れていた。しばらくして、女将さんが帰宅、2階の方がいいのですが、と言うと快く受けて貰えた。女将さんは足の具合があまりよくなくて、1階の方が都合がよかったようだけど。1階の部屋に用意されていたお茶のセットは自分で持って上がる。


 16:41
お風呂の用意をして貰っている間に、お接待の豆御飯が運ばれてくる。おかずはインスタントのお吸い物だけだけれど、ぼくにとっては十分なごちそうだ。洗濯も出しておくだけで物干し、取り込みまですべてやって貰える。この宿はお遍路が泊まる機会は多くないはずだけれど、普通の遍路宿以上に遍路宿だと言ってもいいくらいだ。


21日目 5月14日 

2009-07-16 | 09年四国の旅

 6:30
21日目が始まる。今日は40km、山は最後の北条と浅海の境の峠越えだけで、ほとんど平地の旅になる。札所が6ヶ所あるので3時までに宿に入るのは難しいかもしれない。5時57分に出発、八坂寺は昨日の打ちにお参りしたので、西林寺への道はいつものへんろ道ではなく近道を行くことにする。初めての道なので地図を入念にチェック、最初からはずすと目も当てられない。出発して6分、久谷中学校の近くに長珍屋の別館があった。


 6:32
この久谷大橋の少し前の所で無事へんろ道に合流した。迷いようのない道ではあるけれど、やはり初めての道はドキドキする。


 6:40 西林寺
4.5kmを42分で到着、朝からいい感じで歩けている。納経が始まる20分前だから境内には誰もいないと思いきや、本堂の前で大声で熱心にお経を読んでいる人がいる。ぼくたち普通のお遍路が読むお経とは別のものを読んでいる。ぼくが本堂でのお参りを終え、大師堂でのお参りを終えてもまだ同じ所で読んでいる。7時10分前に納経所に行く、納経時間より前に行くのは予定通り。7時にすぐ発てればいいと思っていたら、5分前に女の人がやってきて始めてくれた。こういうこともあろうかと10分前にやってきたのだ。納経が終わって境内に戻るとまだお経を読んでいる。17分以上読んでいる。大師堂の前でも同じくらい時間をかけるとしたら、全部でいくら時間をかけるのだろう。歩き遍路、とくにぼくのような距離を歩く遍路には到底まねのできないことだ。駐車場に小さなキャンピングカーが停めてあった。車だとあれだけ時間をかけても問題ないだろう。普通の車遍路より日数はかかるかもしれないけど。


 6:57
山門を出たところに正岡子規の句碑があった。
「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」


 6:58
県道に出てすぐ、左の矢印がある。でも無視して県道をそのまま行く。


 7:00
200m先にまた左の矢印、二つの道は合流して同じ道を行くことになる。新しい地図では最初の方に赤点線があるけれど、古い白黒の地図ではこちらの方だけに赤線があった。昔は、最初の方は途中で行き止まりになっていてへんろ道に入れなかった。でも、ぼくはまた県道を直進する。へんろ道は歩道がなくてすぐ横を車がびゅんびゅん通って歩きにくいところがあった。ぼくは1の道は1回、2の道は2回歩いたので、4回目からは歩道のある県道を歩くようになった、県道の方が近道でもある。


 7:18
伊予鉄の踏切を渡ると左へ折れる、ここからは歩道がなくてやや歩きにくくなる。


 7:26 浄土寺
例年より1分遅れで到着。この時間静かな境内、この周りの宿が廃業する前はこの時間でも歩きの人を見かけたことはあったけれど、宿がなくなってからは、歩きの人がここに来るのは9時半以降になってしまった。だからぼくが歩きの人に出会うのは、13時以降になる。14km先の道後の宿を出た人たちを追いかけることになる。


 7:58 繁多寺
浄土寺ではお参り、納経に17分、休憩なしですぐ出発した。繁多寺までは僅か1.6km、でもこの道が結構な難所になっている、狭い自動車道に歩道はなく、通勤通学の車、単車、自転車がひっきりなしに通過していく。後半は墓地の中に入っていくから大して長くはないけれど、本当に嬉しくない道になっている。例年と同じ15分で到着した。境内は車遍路の人が一組いるだけでいたって静かだった。もちろん納経も待ち時間なしで済ませることができた。宿を出て2時間経っているけれど、まだ休まない。休みは石手寺と決めている。


 8:17
繁多寺は高台にあるので、山門を出てくると松山市街を遠望することができる。松山城もかすかに望むことができる。


 8:29
繁多寺から石手寺まで2.6km、その前半は閑静な住宅地を抜けていく。後半はまた浄土寺からの狭くて交通量の多い県道に合流する。


 8:41 石手寺
繁多寺から2.5kmを23分、例年と同じタイムで到着。境内はバスツアーの団体さんでにぎわっている。石手寺は普通の観光旅行のコースにもなっているけれど、今来ているのはお遍路のツアーのようだ。お経をリードするお坊さんもいるし、添乗員の人は納経所にたくさんの荷物を持ち込んでいる。ぼくが団体の人の脇でお参りを済ませ納経所に行くと、団体の納経はちょうど終わったところで、待ち時間なく納経を終えることができた。


 9:14
石手寺からへんろ道は二つ、ぼくは表の県道187号しか歩いたことはない。5回目まで、この境内から階段を登る道は知らなかった。地図では見ていたけれど、ほとんど無意識に表へ出てしまっていた。昨年は、分かっていたのでこの道を行こうとしたら、工事中で通行止めになっていた。そして7回目でようやくこの道を行くことになった。


 9:20
数十メートルも急な石段をふうふういいながら登ってきてこの看板。
「道路工事のため三百米先通行止め へんろ道通り抜けできません。
 平成二十一年九月三十日まで(予定)」
初めて怒りがこみ上げる、昔のお遍路は命がけで、ほんの数十メートル、数メートルでも近道があればそちらを選んで歩いたといわれる。それを、こんなに高い石段を無駄に登らせる、その労力と時間を無駄使いさせるこの思いやりのなさは何だっていうんだ。しかもここは松山で一番大きなお寺、有名なお寺でしょうが。毎年何万というお遍路がお参りに訪れ、何千万というお金を落としていく。命がけで歩いているお遍路にこの仕打ちはとても許されることではない。それだけの気遣いもできないのに四国霊場第51番が聞いて呆れる。


 9:35
新しくできたドミトリー専門の格安宿「ホテルエコ道後」。2300円だから野宿の人も使いやすいだろう。夫婦で巡っている人は5500円の個室もあるから便利。お風呂はないけれど、200m先に道後温泉本館があるから問題ありません。
 道後温泉駅の近くの道後商店街には「道後あい」という相部屋のみの宿もできて、こちらは2000円、朝食と道後温泉入浴券が付くと3000円。道後温泉でもちゃんとお遍路のための格安宿がある。


 9:36 道後温泉本館
正面からの写真は何枚も撮ったから、今回は裏から1枚、裏の姿もなかなか趣がある。今回も中に入れない。来年は無理しても「道後あい」に泊まるつもり。


 9:37
道後温泉本館のすぐ前から商店街が始まる、「坂の上の雲」の幟があったので思わず写真を1枚。でもこれはこの秋から始まるドラマの宣伝用ではなく、一六本舗の新しい銘菓「坂の上の雲」の宣伝用のものでした。


 9:37
一六本舗のウィンドウにドラマのポスターが掲示してあった。ドラマの宣伝であり、当然商品の宣伝にもなっている。


 9:50
石手寺から太山寺までは細かく分けると5通りくらいの道がある。ぼくは全部の赤線の道を歩きたくてほとんど毎年違う道を歩いている。この護国神社の前を通るのも3年ぶりになる。


 9:51
山頭火が亡くなるまで暮らしていた一草庵は護国神社の側にある。その入り口がバス停になっていた。


 9:52
山頭火の幟が一草庵へ誘う。山頭火は山口の人だけど、松山の人は本当に彼を愛しているようだ。


 9:53
山頭火はこういう角度で松山城を仰いでいたことになる。


 10:06
松山大学グラウンドの横を歩いていたら電話ボックスがあったので、宿の予約を入れる。2日後、西条のにぎたつ旅館、3日後、伊予三島のビジネス旅館高雄、4日後、観音寺の藤川旅館、予定通り受けて貰える。
 そして、この600mくらい先にある御幸郵便局で納経料の百円玉10枚をおろす。明日も6ヶ所の札所がある。


 10:33
太山寺への道で今まで唯一歩いていなかった蓮華寺への道を行く。初めてだけにこの入り口は前日から入念に地図をチェックしていたけれど、ちゃんと遍路シールが貼ってあった。


 10:40
一直線だから迷いようもなく無事蓮華寺に到着した。お寺の右側を半円形に巡る道があってその先は国道196号。


 10:45 国道196号
左の方に横断歩道と信号もあるけれど、歩道橋に赤矢印が貼ってあるので、階段を登ることにした。よく見ると地図の方にも歩道橋の印がわざわざ書いてあった。


 10:49
普通のお遍路はこの池の向こうの岸辺の道を歩いてくる。でも地図にその道に赤線はない。昔の白黒の地図にはちゃんと赤線が引いてあった。


 10:53
これだけはっきりした遍路標識があると、すべてのお遍路が右折するけれど、ぼくは直進する。予讃線を越えてからの中学校の裏を行く点線の道はまだ一度も歩いていない。昨年歩くチャンスはあったのに、深く考えずやり過ごしてしまった。そこを歩けば赤線の道は全部踏破したことになる。


 11:04
 快晴の空に気になる3本の筋、週間予報では明後日の横峰寺登山の日にずっと雨マークが付いていたけど、どうやら予報は当たりそうな雰囲気。
 点線の道を散歩していた男の人が、こちらこちらと手招きで導いてくれた。判っていたけど嬉しかった。


 11:22 太山寺
石手寺から10.6kmを102分かかって到着。初めての道もあったから正確な比較はできないけれど、時速で比べれば昨年とほぼ同じ数字だった。この山門は2番目の門で最後の山門までまだ400mくらいあるし急な登り坂もある。でもここがタイムチェックポイントなので着いたことにする。だから、このお寺での滞在時間は休憩しなくてもずいぶん長いものになってしまう。
 休憩は20分くらいだったけれど、お参り、納経を含めると再びこの門まで戻ってきたのは40分後だった。


 12:20
太山寺の山門を出たところで半袖半パンの若い男の人とすれ違う、今日初めて出会う歩きの人だった。この時間こんな所を歩いているというのはちょっと不可解な感じもする。途中で市内観光をしていたかもしれない。
 円明寺まで2.1km、途中写真を撮らなかったけれどベストより1分遅れ、でもベストは時速6.8kmだから仕方のないところ。


 12:39
円明寺でお参り、納経を17分で終え出てくると、駐車場に見覚えのある顔があった。そして見覚えのある車、そう、コペンおじさんだった。4日前宇和島を一緒に出たのに、こんな所で出会うなんて信じられない。ぼくは車と同じ速さで歩いている。おじさんは余程地図が読めないか、方向音痴か、運転が苦手なのかもしれない。もっと驚いたのは、おじさんは野宿で巡っている、車が小さいので車外で眠るのだといっていた。最初会ったときの印象とは違って、全然スマートではなかった。


 12:42
今日の宿は2食付きなので食料を仕入れなくてもいいのだけれど、なんだか冷たいものが欲しくなって、ふらふらと立ち寄ってしまった。昨日命を救って貰ったラクトアイス「爽」を籠に入れた。本当はもう少し先で休むつもりだったけれど、コンビニの横に東屋があったのでゆっくりすることにした。13分の休憩。


 13:26
ぼくが一番好きなへんろ道にやってきた。ここは瀬戸内海、瀬戸内海を見るのは旅立ちの日以来になる。いよいよゴールに近づいているの感を強くする。


 13:34
海の歩道が終わって海鮮北斗を過ぎると地獄の歩道が続く。数メートルおきに絶え間なく段差があるのだ、この15~20cmの段差がばかにならない。絶え間ない、とにかく絶え間ない、このばかな歩道が伊予北条駅の近くまで5km以上続く。必要以上にスタミナが奪われるし、平常心も保てなくなってくる。


 13:38
遍路シールは直進だけれど、地獄を避けるため、海鮮北斗から最初の信号を右に折れる。


 13:39
本当はこの駅で休むつもりだったけれど、ローソンで休んだのでスルーする。ローソンから次の休憩ポイントまで11kmくらい歩きっぱなしになる。


 13:40
国道196号バイパスを行く。バイパスの歩道は広くて段差も全くない。地図で見るとバイパスはふくらみがあって、本線より遠回りのように見えるけれど、実際は全く同じ距離になっている。スピードの乗り方は全然違うはずだ。


 13:41
この風景は例年なら今日の朝早くに見ることができていた。八坂寺と西林寺の間に麦畑がある。今年は西林寺まで近道を行ったので見ることができなかった。この風景はぼくの住む関西ではもう何十年も前から見られなくなってしまった。当地でやっと見られるこの風景も多額の補助金によってかろうじて維持されているのがなんともせつない。


 14:26
バイパスを離れるポイントには遍路標識もシールもない、すぐ前にENEOSのガソリンスタンドがある。その裏を通るあぜ道を行くことになる。


 14:27
 バイパスの10mくらい西を並行して走るあぜ道に入る。右前にENEOSが見えている。


 14:36 北条郵便局
 休憩時間を除いて円明寺から106分、昨年より3分遅れで休憩ポイントに到着した。調子は悪くなかったのでちょっと意外だった。しかも昨年は風雨の中傘もささずに歩いて、それより遅いというのは納得できない。昨年は寒すぎて身体が必要以上に自然に動いて、いいタイムが出たのかもしれない。


 14:41
郵便局の交差点にある電話ボックス、昨年は土曜日だったのでこの中で休憩した。今年はもちろん郵便局の中で休ませて貰う。3時半までに宿に入りたいので、5分だけの休み。


 14:47
行く手にこれから登る峠が見える、標高は80mしかないけれど、今日は平地しか歩いていないので結構な負担になる。


 14:58
 番外霊場、鎌大師の前に今朝西林寺の駐車場で見たキャンピングカーが停めてあった。中から例の読経の声が響き渡ってくる。計算すると、一つの札所に50分くらいかけていることになる。歩き遍路にはなかなかまねのできないことだ。


 15:07
 仙波花叟は地元(旧)北条市生まれ、正岡子規の弟子、明治7年生まれ。


 15:08
舗装道の登りはやはり容易ではない、最後に来てたっぷり一汗かいてしまう。


 15:11
峠を過ぎるとみかん畑の間から今日の宿がある浅海の町が見えてくる。


 15:29 コスタブランカ
郵便局から4.5kmを47分、同タイムで到着。撮影のロスタイムがあったから今までで一番早いかもしれない。郵便局までも思ったほど遅くはなかったのかもしれない。結局今日は、歩きの人には一人しか会わなかった。バイパスを行かなければ、何人か追い越すことはできたかもしれないけれど、それにしても例年に比べて歩いている人は少ないという印象だ。
 コスタブランカは3回目の投宿、最初の時は到着したときに2階のカフェでアイスコーヒーのサービスがあったけれど、昨年はカフェが休みでなし、今年は営業はしているようだったけれどサービスはなかった。その代わり、冷蔵庫に缶入りのサイダーと緑茶が1本ずつサービスで用意されていた。部屋にお茶のセットは用意されていない。
 同宿のお遍路はいなかった、工事関係者が5人泊まる。宿帳を見ると、ここ数日は大体一人か二人、連休中でも最大5人くらいしか泊まっていなかった。道後からここまで27kmを歩ける人がそんなに少ないのかと不思議な感じがした。


コスタブランカは洋室にベッドが二つある。狭いという人もいるようだけどぼくはそう思わない。普通のビジネスホテルと違ってバスルームがなくてそこにもう一つのベッドがあって、その上に荷物を広げることができるので、不自由は感じないし狭さも感じない。和室の方が好きだけれど、こういう部屋ならあまり変わらないという感じがする。
 風呂は二つあって自分で入れる。脱衣場のスペースが狭いのはちょっと不便。
 夕食は釜飯に豚しゃぶ、海老は昨年の甘エビと違って殻付きの塩ゆでしたもの、それに、カレイの唐揚げ、鯛の刺身、きんぴら、なます、デザートはアメリカンチェリー。量も味も内容も大満足。この宿には素泊まりする意味はほとんどないという感じだ。


20日目 5月13日 

2009-07-14 | 09年四国の旅

 6:20
20日目の始まり、夜明け前から雨が降っている。5日続きの晴天で、あれだけ気温が上がれば当然のことだろう。ただ、雨は一時的なもので午前中の早い時間にあがってしまうと天気予報は伝えている。今日は45番を打ち戻って、松山まで下りていく。例年だと46番浄瑠璃寺までだけれど、今年は納経するので47番八坂寺まで今日の内に打っておく。そうしないと明日の出発時間が1時間近く遅くなってしまう。ということで今日の道のりは例年より1.3km長い39.1kmになる。大宝寺の納経時間に合わせるので、出発は例年よりやや遅く6時19分。


 6:23
昨年民宿磯屋の女将さんから名刺をもらって紹介されたときは、こういう場所にあっても利用のしようがないなあ、と思ったけれど、よく考えてみれば普通の歩きの人にとってはかなり有用であることが分かった。というのも、三坂峠を下った46番浄瑠璃寺から51番石手寺までの14kmの間に宿が全くない。昔は49番の近くにいくつかあったけれどすべて廃業してしまった。故に、久万高原の宿に泊まった人は浄瑠璃寺までしか行けない。ところが、桃李庵からだと、少し頑張れば道後温泉までいける。行程にバリエーションが増えた。新しい地図には載っているようだし、評判も上々だ。


 6:31 大宝寺
雨に濡れた参道、久万の雨は4回目、7回の内4回雨。でも今日は傘は必要ないだろう。この時間だから参拝客はいないと思いきや、車のカップルが一組やってくる、でもお遍路ではなかった、納経所を素通りして駐車場へ戻っていった。7時5分前に納経所へ行く。7時3分過ぎに女の人がやってきて滞りなく終了する。


 7:07
ぼくはいつも7時前に来るので、朝参りは自分一人だけれど、いつもこの季節なので銀杏は散り敷くことはない。


 7:25
大寶寺からの山道は標高差155mを800mの距離で登る。時速3kmも出ない険しい山道が続く。


 7:33
大寶寺から峠御堂トンネルの出口まで1.4kmを26分でやってきた。下りも思ったほどスピードは出ない。


 7:48
評判の遍路宿和佐路、ぼくは今まで一度も泊まったことはないけれど、来年はお世話になる予定。トンネルからここまでの間に3人の歩きの人とすれ違う、二人は野宿、そのうち一人は昨日スーパーで休んでいた人だった。


 8:00
県道を離れ山道に入る。この山道は八丁坂までは大した登りはなく途中から下りもある。


 8:25
ここからが本当の登り坂、八丁坂へ向かう道、でも今回は右へ折れず、直進して古岩屋荘へ向かう。だらだら下る楽勝の道、左と右は天国と地獄。八丁坂は4回登ったし、直進する道は一度も行ったことがなかったのでタイムを調べておきたかった。


 8:31
古岩屋荘、岩屋寺その名前の由来となった奇岩が見られる。岩屋寺ではこれと同様の奇岩そのものがご本尊として祀られている。


 8:35
県道からの分岐から32分で到着、県道をそのまま来た2年前のタイムと比較したかったけれど、その時は岩屋寺までのトータルのタイムしかとっていなかった。結局正確な比較はできない。でもそんなに変わらないとは言える。せいぜい1~2分の差でしかない。打ち戻りの場合もほとんど差はないようだ。でも、行きか帰りかどちらかは八丁坂を味わっておくべきでしょうね。あの最後の行場を歩かないことには岩屋寺を全部味わったことにはならない。


 8:46
古岩屋荘を過ぎてしばらく行ったところから、県道を離れる歩道があるけれど、少し遠回りになるので今回はずっと県道を行く。


 8:54
岩屋寺の麓までやってきた。ここから境内まで600mの距離で標高差は220mもある、八丁坂を避けたつけが最後に回ってくるということでした。バスツアーの人たちが橋を渡り終えるところだ。車遍路の人もすべてこの220mを登らねばならない。ここには太龍寺のようなロープウェイもなければ八栗寺のようなケーブルもない。焼山寺や横峰寺のように山の上に駐車場はない。


 8:59 岩屋寺
これは山門だけれど、まだ着いたわけではない、まだ半分も登っていない、時計はまだ止められない。ここから7分登ってようやく水屋の前に出てくる、そこがゴール。大寶寺から1時間55分かかった。2年前ずっと県道を来たときより7分遅く、3年前八丁坂を来たときと同じタイムだった。最後の坂道は時速3kmだから結局大して変わらないということのようだ。


 9:15
大師堂に向かって左側に山門がある。八丁坂から来るとこの山門をくぐって境内に入る。こちらにはちゃんと仁王様がいるから、こちらが正式な山門だろう。昔は県道の方から来る道はなかったのかもしれない。道はあったかもしれないけれど、お遍路は皆八丁坂を登ったのかもしれない。
 団体の人で本堂の前はごった返している、整理する先達の人の声が響き渡る。邪魔にならない隅っこでなんとかお参りを済ませる。大師堂の前は比較的まばらでいくらか落ち着いてお参りできる。これだけの団体だから納経は大変なことになるかもと懸念したけれど、うまく間隙を縫って待ち時間なしですぐ済ますことができた。水屋でペットボトル2本に水を補給、前のベンチでパンを食べる。お参り、納経を含めて32分の休憩、でも、いつもと違って何か落ち着かない変な休憩だった。でも時間に余裕はないから深く考えることもなく前に進むしかなかった。


 9:52
打ち戻りも八丁坂を行かず、県道に下りてきた。こちら側に下りてくるのは5回目、2回は川沿いの歩道を歩いたけれど、今年は県道を行く。雨が降った後で歩道は歩きにくくなっているところがあるかもしれない。


 10:06
この少し前で夫婦遍路とすれ違う。軽装だったから宿に荷物を預けて、連泊するのかもしれない。往復で20kmくらいだけれど厳しい山道が二つあるから、連泊する人も多い。少し頑張って三坂峠の手前の桃李庵まで行けば翌日は道後温泉まで行けるからだいぶ差が出てしまう。久万の宿から道後までは30kmあるし、その間札所は6つあるから1日で行ける人は多くない。


 10:23
古岩屋荘からもそのまま県道を行く。この県道を打ち戻ったのは6年前の最初の時以来になる。その時はタイムをとっていなかったので今回初めて計測する。
 その途中にあるこれはバス停なのか遍路小屋なのか、いずれにせよ、最高の野宿場所になっている。入り口も窓もサッシでぴっちり締まる遍路小屋、バス停などここ以外に見たこともない。


 10:57
このすぐ手前、河合の交差点で女の人とすれ違う、すぐ後に男の人。ともに砥部町(旧広田村)の宿から来たと思われる。砥部町の宿は新しい地図からは切れてしまったのに、未だ利用する人もいるみたいだ。ぼくも、来年はたちばな旅館に泊まる予定にしている。
 この標識を右に折れると、高野休憩所、千本峠の山道を行くことになる、一見県道より近道のように見えるけれど、県道より150mも高い峠を行くので、時間は余計にかかることになる。ぼくは5年前に歩いて大変な思いをした。2度と歩く気になれなかった。


 11:06
大寶寺から来ると左の坂を下りてくる。このトンネルは歩道がなくてやや狭くて中にカーブもあって、トンネルを苦にしないぼくが一番恐れ、緊張するトンネル。


 11:12
何とか無事にトンネルを通過する。トンネルを出たすぐの所に左へ折れる短絡路山道があるので、トンネルの中で右から左へ横切らねばならない、しかも出口に近いところはカーブになっているので、さらに緊張する。


 11:18
短絡山道が県道に合流するところだけど、この道中で大変なことが起こった。めまいがして倒れ込みそうになった。古岩屋荘の手前でもその兆候はあった、そのときは歩道の模様が影響したと思い、すぐ顔を上げて歩くと持ち直すことができたのでそのまま歩き続けた。トンネルを出てこの下りに入ると、ぐるぐる世界が回り始めた、気持ちがすごく悪い、休憩ポイントはすぐ先なので、そこまで必死で耐えることにする。


 11:20
ほとんど倒れ込みそうになりながら、久万公園の入り口にある東屋に到着、椅子に腰掛けると改めて大きなめまいがする。この時点でほとんど理性は失われつつある。何をどうしていいか分からない。とりあえず渇きを癒そうと水を飲む、気分が悪くなってすぐ全部戻してしまった。岩屋寺で食べたパンは完全に消化が終わっているようで、戻ってくるのは水だけだった。水も飲めない、食料も口にできない、どうすればいいのか分からない。あと16kmも歩けるのだろうか。途方に暮れるばかりだった。
 今まで四国でこんな目にあったことはない、普段でもない、でも、何ヶ月か前に一度同じようなことがあった。その時と今との明確な共通点もあった、でもそんなことを思い出す余裕もなく、貧血ならどうすればよいということも考えられなかった。考えたのはとにかく口に入れるものを買うこと、こういうときには栄養価が高くて消化吸収のよいもの、アイスクリームがいいとぼんやり考えた。1300m先のコンビニまでなんとか我慢して歩いてアイスを食べる、先のことはそれから考えればいい。

 12:04
久万公園で30分休み、ふらふらと歩き始める、めまいは何とか治まっているけれど、普通の状態ではない。こんな状態でも前を行く若い野宿遍路を追い抜いた、例年より1分遅れでなんとかコンビニに到着、メモをとるのが精一杯で写真を撮るのは忘れてしまった。予定通りアイスクリーム(正確にはラクトアイス)「爽」を籠に入れる。アイスはこの1年で本当に高くなった。昨年までは四国でもよく買ったけれど、今年は全く手が出なくて、今日が最初だった、そしてたぶん最後になると思う。あと、かりんとうと菓子パン3つを買う。今日の道中ではほかに買うところはない。
 野宿遍路さんがコンビニの正面にへたり込んでお弁当を広げ始めた、ぼくはそんな恥ずかしいことはできないので、コンビニの横に回って同じようにへたり込んだ。アイスを口に運びようやく人心地着いた。力が漲って来るという感じは全くないけれど、めまいや吐き気はほとんどなくなった。時間の余裕がないので20分休んで、そろそろと歩き始めた。普段のようには歩けない、でも倒れ込むようなことはないだろう、5km先のレストパーク明神まで辿り着けさえすれば上々としよう。

 13:11
コンビニから47分かかってレストパークに到着した、例年より3分遅れだった。例年が時速6.4km、今回は6km、歩くのが辛かった。普段はそんなことはほとんど感じないのに、この間は頑張ってる、無理してる、耐えている、そういう感じが常にしていた。でも何事もなく辿り着けたので本当によかった。あと10kmで宿に着ける、何とか迷惑をかけずに済みそうだ。でも、まだタイムをメモするのに精一杯で、また写真を撮るのを忘れてしまった。全然余裕はない、逆打ちの野宿遍路さんが到着したところだったけど、挨拶するのが精一杯で一言も声をかけられなかった。


 13:46
レストパークから緩やかな登りを2kmほどいくと国道から山道へ入っていく。写真を撮る余裕は戻ってきた。この少し前でうるさいワンコがいっぱいいる所があったけれど、それを避ける余裕も出てきた。


 13:51
峠を少し下りてきたところで、今から落ちていく下界の風景が見えてくる。この山の中もすでに松山市内だ。


 14:10
この少し先の所で年輩の男性を追い抜いた。「元気だねえ」と声をかけられた、さっきまで調子が悪くて大変だったんですよ、と答えたけれど、下りを歩いている内に本当に元気になっていた、言われてやっと気がついた。「今日はどこまで」「長珍屋までです」「じゃあもうすぐじゃないの、ぼくは膝を痛めててね、登りは問題ないけれど、下るのがきつくてねぇ」「ここの下りが一番きついですもんねぇ」。二言三言交わしただけでいっぱい元気を頂いた。このあとはもういつものように普通に元気に歩くことができていた。


 14:36
下りが一段落してしばらく行ったところにある、伝説の奇岩。この岩は本当に不思議で、どんな伝説が語られても納得するしかないと思われる。この前で一休みする人も多いけれど、調子がいいのでもちろん休まない。


 15:00
浄瑠璃寺のすぐ手前にある郵便局でお金をおろす。ここまでの支出は90851円、財布に2万円近く残っているから3万円おろせば最後まで行けるだろう。それと納経料の百円玉を20枚おろす、明日の札所は6ヶ所。


 15:14 浄瑠璃寺
レストパーク明神から10kmを102分で下りてきた。例年より2分遅れ、撮影の時間を考慮に入れると誤差の範囲といっていい、峠のあたりから完全に復活したといっていいだろう。まだ八坂寺を往復しなければいけないので落ち着いてもいられない。納経のあと冷水器の水をペットボトルに詰めて一気に飲み干し、すぐ次に向かう。同宿のバスツアーの人たちが、八坂寺まで歩いている。往復で1800m、束の間の歩き遍路を味わっている。


 15:36 八坂寺
せっかく元気が戻ったので、短い距離でも例年と同じタイムを出したいと思って、力が入る。力を入れすぎて1分早く着いてしまった。バスツアーの人たちの横をすり抜けてお参りを済ませ、納経所に行くと、今朝トンネルを過ぎたところですれ違った野宿の若い人がいた。古岩屋荘のあたりから来たとしたら23kmくらい、ぼくの顔を覚えていたようで、びっくりしたようなまなざしをこちらに向けている。あそこから岩屋寺を往復するということは、ぼくは彼の12km後ろを歩いていたことになる。7時間半でその差をゼロにした。


 15:59
何とか目標の4時までに本日の宿長珍屋に到着した。一時はどうなるかと思ったけど、結局のところ例年とあまり変わらない歩きができていた、岩屋寺から久万公園までもあとから計算してみるとベストに近いタイムだった。よく歩けなかったのは久万公園から明神までの6kmの間だけだった。
 長珍屋は6回目の投宿、昨年だけ「坂の上の雲ミュージアム」の見学をしたので泊まれなかった。美人の若女将が出迎えてくれて旧館の方に通してくれた。2年前3年前はエレベーターのある新館だったけれど、それぞれ長所短所がある。今年の部屋は5年前、2回目の時と同じ部屋だった。その時と決定的に違うものがあった。地デジ対応液晶テレビがデ~ンと居座っていた。Panasonic VIERA TH-26LX80HT だった。初めは32型だと思ったけど、よく見ると26型。4畳半くらいの部屋では26型で十分だとはっきり認識できた。電気屋さんでは何度となく見てきたけれど、改めて落ち着いて見ると本当にきれいだ。このタイプはフルハイビジョンではないようだけれど、全く問題は感じない。これ以上の何が必要かというくらいの満足感がある。


19日目 5月12日

2009-07-12 | 09年四国の旅

 5:47
19日目の始まり、44.7kmと昨日よりちょっとだけ短いし、札所もないけれど、久万高原まで2つの峠を越えるので昨日以上に時間がかかりそうだ。しかも、昨日最高気温を記録した久万高原、そして今日も快晴だ。5時38分に出立、9分で国道を離れる分岐点。


 5:55
昨年この新谷郵便局で記念切手を買って、ペットボトルに水を汲んで貰った。昨年は金山出石寺(標高812m)に登って下りて、48km以上の道のりだったからこの500ccは命の水だった。


 6:09
この先で脇道が国道に合流する。


 6:23
大洲市から内子町に入る、内子のシンボルは内子座。今回初めて内子座の前を通ることにする。


 6:28
ここから国道を離れ斜め左の山道へ向かう。山道とはいえほとんど坂はなく農道といってもいいくらい。ヤマザキショップは7時からの健全な営業なので、開店前。


 6:31
右が農地、左が山。雨が降ると下がぬかるんで相当歩きにくくなるけれど、昨日まで4日続きの晴天なので全く問題ない。


 6:39
山道(農道)も車は通れるようだったから、ここから自動車道というのは変なので舗装道とする。これから運動公園の中を通って内子の町へ入っていく。


 6:49
予讃線の高架をくぐる、7.5kmを71分、時速6.34km、例年通りのタイム。ここまでは順調だったけど。


 6:50
高架をくぐって右を見ると内子駅。枝分かれする向井原から内子までは予讃線で、内子から新谷までが内子線、新谷から大洲まではまた予讃線になる。ぼくはその全部が内子線だと思っていた。なぜそんなややこしいことになっているかはこの鉄道の歴史的な背景があるようだけど説明されてもよく分からない。


 6:54
へんろ道を外れて、内子座の裏の道を行く、本当に意外なことに普通に町の中に建っていた。琴平の金丸座とはだいぶ印象が違う。


 6:55
内子座からへんろ道に戻ってきたところに松乃屋旅館がある。評判はいいけれど遍路宿にしては料金は高め。内子で手頃な宿は龍王荘、素泊まり4000円、2食付き6800円。


 7:04
川を渡ると内子の町とお別れ。


 7:07
橋を渡ったところにある道の駅で水を補給して一休み、今までここで休んだことはなかった。大瀬まで17kmを一気に歩いていたけれど、今回はなぜか慎重になる。


 7:21
今日のゴールの久万高原町まで42kmの文字、ぼくはずっと国道を行くわけではないので、大体あと36kmくらい歩けばよい。


 8:02 長岡山トンネル
ここまではまだ調子が悪いという自覚は全くない、気温もそんなには上がっていないだろうし。


 8:16 和田トンネル
ごく短いトンネル、交通量も少ないので何の問題もない。


 8:26
国道を離れて脇道へ、大瀬の集落に入っていく。当然昔はこちらの方が国道だったはず。この時点ではまだ調子が悪いという自覚はない。


 8:40
大瀬の町の中心地にある休憩所。とくにお遍路のためのということではないみたいで、バス停としても使われているようだ。毎年ここで休んでいるけれど、今年は内子からのタイムは例年より4分も遅れてしまった。時速は6.33km、例年は6.6km。とくに調子が悪いとか、動きが鈍いというような自覚は全くなかった。この時間だから暑いという感じもない。いつもの年よりは、昨日真夏日を記録した余熱というものが尾を引いているかもしれないけれど。首を傾げながら、20分の休憩、切りよく9時ちょうどに発つ。


 9:03 大瀬の館
昨年満室で泊まれなかった宿を見学する。一組しか泊まれないから仕方ないけれど、連休後の7日で、3日も前に予約を入れたのに駄目だった。素泊まり3000円だったのが4000円になったので、もうこの宿に泊まるメリットはない。


 9:10
国道に合流して大瀬の町ともお別れ、この時間でそろそろ暑さが気になってきた。このままいくと昨日と同じことになりそうだ。


 9:40
今回も昨年と同じ小田回りの道を行く、大瀬から小田まで11kmその間休むつもりはなかった。


 9:55
民宿来楽苦を過ぎてしばらく行ったあたりから国道の拡幅工事が大々的に行われている、その一環として造られたと思われる遍路小屋があった。中で女性二人が休憩中、内子から14kmの地点だから、かなりいいペースで来ている。


 9:58
こちらの休憩所は昨年からあった、休むつもりはなかったけれど、水道が見えたのでふらふらと立ち寄ってしまった。暑さが相当こたえはじめている。山の中の水道にしてはあまり美味しくない水だったけれど、この先当てがないのでたっぷり2本分汲んでいく。休憩所はこのように要所にあるけれど、トイレはない。内子の道の駅からここまでなかったはず、コンビニも何もなかったように思う。ガソリンスタンドは大瀬に2軒(脇道に1軒、国道に1軒)あるからそこでお願いするしかないかもしれない。そこでできなければ、下坂場峠方面は落合トンネルの手前の薬師堂まで20km、小田方面は道の駅まで19kmの間できないことになる。これは一つの難所といっていいかもしれない。


 10:09
ほとんど見えないくらい小さな(旧)のシールが貼られている。小田町は合併して現在は内子町。


 10:13
左が国道379号下坂場峠方面(近道)。右が国道380号小田方面(遠回り)。大瀬からここまで休憩時間を除いて71分、昨年より2分遅れ、微妙な感じ。前の区間よりは少しましかもしれないけれど、やはり遅いということになる。でもこの区間ははっきり暑さの影響を感じる。


 10:47 小田小学校
この少し手前に小田高等学校、右手の山の上に小田中学校。昨年はちょうど登校時間だったので何十人もの生徒たちと挨拶を交わしながらこの小田の郷を歩いた。今年はこの時間だから静かな国道を一人で歩く。


 10:52
ここでは休まない、ぼくの休憩所、タイムチェックポイントはもう少し先の遍路小屋。


 10:58 小田駐在所
中村の駐在所も良かったけれど、こちらはさらに地元色が出ていて好感が持てる。


 11:02
小田の町のはずれにある遍路小屋で一休み、ここにも水道はあるけれど、やはりあまり美味しくない。さっきの休憩所では9分しか休まなかったので、ちょっと長めの休みを取る。ここから先は真弓トンネルを目指す長く緩やかな登りが続く。昨年はさほどきついという印象はなかったけれど、時間が違う。しかも今年は、信じられないほど気温が上がってしまっている。


 12:13 三島神社
遍路小屋から4.4km、標高差210mのだらだら坂を48分かかって登ってきた。昨年とは全然違う、日差しの圧力を常に感じながらの我慢の歩きだった。そして、昨年1回登っただけなので、道中の風景の記憶はほとんど残っていなかった。8割くらいは初めての道を行く感じだった。やはり2回3回と繰り返して歩いてようやく記憶が定着してくるものだと改めて感じた。この神社の横から国道を離れ、短絡路の山道に入る。


 12:14
正面が短絡路の入り口、国道は右へ大きく蛇行していく。


 12:21
細く急な山道を登って国道に合流。


 12:21
国道に上がるとすぐ向かい側にまた短絡路の入り口がある。農祖峠経由遍路道と書いてある。農祖峠は本来の旧いへんろ道ではないようだけれど、小田の宿に泊まると一番の近道なので、現在は多くの人が通るへんろ道になっているようだ。


 12:28
また国道に上がってくる、大して長くない道だけど7分もかかる急坂。


 12:29
また向かい側に遍路標識があるけれど、これは農祖峠への道ではない。畑峠を越えると下坂場峠の手前に出るので、ものすごい遠回りになる。鶸田峠を含め3つの峠を越えることになる。でも本来はこの道がへんろ道だった。昔は真弓トンネルがなかったし、真弓峠はすごく険しい峠なのでこちらを行くのが普通だった、と、民宿来楽苦のご主人が教えてくれた。ぼくはもちろん国道をそのままトンネルの方へ向かう。でもこの標識を見て遠回りしてしまう人も多いのではないかと思ったりする。


 12:35
小田町の遍路小屋から68分で真弓トンネルのすぐ手前にある遍路小屋に到着した。昨年より5分遅れ。暑さがひどく、ばてばてでなんとか辿り着いたという感じ。自分の体力のせいではなく、太陽のせいにする。ここでも20分の休みを取る、峠はあと一つ、残る距離は11km。


 12:56 真弓トンネル710m
こういう日にはとてもありがたいトンネル、休憩している間車は1台も通らなかったから、とても静かなトンネルでもある。車遍路は必ずこの道を通るはずだけれど、時間帯がはずれているようだ。


 13:03
予定通り7分でトンネルを通過、ここからは快適な下りになる。


 13:04
トンネルを抜けると久万高原町。高原なのに最も暑い町。


 13:33
農祖峠方面と落合方面への分岐点、落合方面は遠回りになるけれど、峠を登らなくていいから早く着けるかもしれないし、すぐ先にトイレのある休憩所もある。地図には農祖峠の方にだけ赤点線が引かれているけれど、昔の白黒の地図には農祖峠には赤線がなく落合から国道33号の方にだけ赤線が引いてあった。国道を行く方が楽な上に早いということだったかもしれない。


 13:51 農祖峠入り口
遍路小屋からここまで5.7kmを56分もかかった。この間ほとんど下りだから52分くらいで来られたはずだ、暑さのせいで相当消耗している、水も塩分も栄養も全部不十分なくらい消耗しているとしか考えられない。でも手持ちの水も食料も尽きかけている。見通しが甘かったというしかない。時間も余裕がないので、5分で出発。


 13:56
登りの最初は車も通れるくらいの広くて緩やかな登り、峠までこんな道が続くとは思えないけど。


 14:14
鶸田峠より140mも低いのでもっと楽かと思っていたけど、峠は峠だった。体力が消耗しているせいもあって、同じくらいきついと感じた。でも1.2kmを18分で登ってきたからスピードはまずまずだったかもしれない。


 14:33
峠を下りてきて、山道が舗装道になるけれど、ここから舗装道を離れてまた山道に入る。ここまで下りてきてまた登るとなるとげっそりする。


 14:47
峠から2.9kmを33分かかった。分岐点からの登りが思ったよりきつかった。初めての道だから比較の仕様がない。


 14:58
表まで木の香りが漂ってきそうな、かわいい小学校。四元さんのように中に入って見学したかったけど、もちろんそんなことができるわけもなく。


 15:03
町役場の前を通って国道を横切るとスーパーがある、最初来たときはAコープだったけれど、今は普通のスーパーのようだった。まず500ccパックの所へ行く、例によってカフェオレ110円を籠に入れる。スーパーでは果実ジュースの500パックがないので選択の余地がない。あと袋菓子2つ、バナナ4本、菓子パン2つを買う。レジを出たところに休憩所があったので、カフェオレを一気に流し込む。500でも足りないくらい渇いていた。向こうの方で野宿遍路さんが休憩している、長岡山トンネルを出たところにある善根宿から来たに違いない。ここまで29kmくらいになる。


 15:23
 細かく測ってみたら今日の歩行距離は46kmだった。下坂場峠の道より3km遠回りだった。札所はないとはいえ二つの峠を越えてこの時間はよく頑張ったと我ながら思う。久万の宿は一里木に決めていたけれど、3日前に再度電話したときも連休明けの休業中で通じなかった。仕方ないので第2候補の笛ヶ滝にしようと思ったけれど、そこでひらめいた。ここまで予定より高かった宿がいくつかあったので、2食付きをやめて素泊まりにすれば支出の調整ができる。素泊まりなら、笛ヶ滝はワンルームマンションタイプと聞いていたから、おもごの方がくつろげるのではないかということで、この宿にした。遍路宿情報には4000円と書かれてあったけれど、3800円だった。おまけしてくれたのかもしれない。ぼくが着いたときにはすでに一人が到着していた。その靴が何と、ぼくと全く同じ、ミズノフリーウォークOD100GTXだった。そのあとも続々お遍路さんが到着、合計8人ぐらいになった。笛ヶ滝の食堂は定休日、宿の方も定休で客がこちらに流れたのかもしれない。ぼくの部屋はかなり古い明治時代くらいの建物ではないかと思われたけど、他の部屋と接していなくて雰囲気も良く快適だった、ただ廊下の灯りが部屋にも漏れてきて眠るときにはちょっと気になった。


18日目 5月11日

2009-07-08 | 09年四国の旅

 4:59
18日目の始まり、今日の行程は大洲市の別格8番十夜ヶ橋の少し先まで45.1kmの道のり。45kmを越えるのは、6日目の牟岐から佐喜浜まで以来だ。そのときは札所がない日だったけれど、今日は札所が3つあるので負担が大きい。3時までに宿に着くことはかり難しい。
 朝も熱い紅茶を2杯頂く。予定通りスポーツドリンク500cc、麦茶500ccをペットボトルに詰める。いつもは水道の水なのでとてもリッチな気分。5時45分に発つ。これ以上早く出ても納経が始まるまでに着いてしまうので意味はない。


 6:25
この少し手前の所で、小さな車がぼくの横に止まって、遍路装束の男の人が声をかける、「歩くの速いなあ、荷物になるかもしれんけど、よかったら持っていって」と大きな夏みかんを差し出す。ちょっとためらったけど、せっかくなので頂くことにした。何とかザックに詰めこむこともできた。夏みかんはお接待の定番だけれど、ぼくは夏みかんを頂くのは初めてだ。


 6:31
三間町は合併して現在は宇和島市になっている。ぼくのカメラは型が古くて逆光補正ができない。


 6:39
新しくできた民宿みまを確認、雰囲気はかなりよさそう。


 6:40
2回目から4回目まで、この務田駅まで歩いて、電車で宇和島まで戻って宇和島の宿に泊まるというややこしいことをしていた。ここまで歩くと次の日の行程がだいぶ楽になるし、宇和島には3500円の宿があった。まだもやいはできていなかった。


 6:41
田んぼの中の一本道、ここを歩くときはいつもえもいえぬ感動を覚える。


 6:54 龍光寺
例年より1分遅れ、誤差の範囲、朝からいい感じで歩けている。さっきみかんをくれたおじさんがまだ来ていない、どうしたことか。


 7:09
ぼくが納経を終える頃、ようやく車のおじさんが到着、「いやぁ、道に迷ってしまって・・・」、どうしたら迷えるんだろう。最初はちょっとかっこいいと思ったけれど、後々ずいぶんイメージと違うことが判明する。


 7:12
龍光寺の裏山を超える道、旧いへんろ道は中山池のほとりを行く道らしいけどちょっと遠回りになる。ぼくは1回目の時歩いたけれど、まあ1回で充分という感じ。


 7:17
県道に下りてくるところ、山越えといっても大した登りはなく僅か6分の山道。


 7:36
これも数年前まで影も形もなかった、西予市宇和町まで来ている松山道とつなげて宇和島、津島、やがては愛南、宿毛までつなげるつもりだろうけど、本当に必要なのかなと思ったりする。歩いている者からすれば、国道56号は高速道路のような感じがすることもある。
 この少し前の所で、民宿稲荷を出た男の人二人を追い抜く、龍光寺のお参りは昨日の内に済ませていたようだ。


 7:39 佛木寺
同タイムで仏木寺に到着、まだ全然調子は落ちていない。むしろ例年以上と言ってもいいくらい。


 8:06
仏木寺といえばこの茅葺きの鐘楼、この前のベンチで一休み。コペンおじさんに頂いた夏みかんを頂く。おじさんの言ってたとおり、果汁たっぷりでぼとぼとしたたり落ちる。


 8:15
10km近く歩いたので、仏木寺ではたっぷり30分の休憩、8時9分に出発する。仏木寺の前は真っ直ぐな県道、でも500m行くと山道が待っている。歯長峠はここからの標高差は290m、でもぼくはトンネルを行くので標高差は210m。


 8:21
最初の部分が石畳の急坂でひどく登りにくい。そんなに長くはないけれど、ちょっと意気がくじかれてしまう。


 8:32
県道とはいえ、ちょっとした勾配があって楽には歩けない。トンネルまで標高差は100m以上ある。


 8:36
標識に書いてあるとおり、きついのは最初だけ、だけれど、いっても鎖につかまりながら登るから楽ではない。ぼくは4回目からずっと県道を歩いている。


 8:42
歯長トンネルの中を歩く人が見える、この道を行く人は少ないので意外だった。歩道はない。


 8:46
トンネルを出たところに遍路小屋がある、仏木寺から37分なので、まだまだ休めない。


 8:46
トンネルの中が西予市と宇和島市の市境、5年前までは宇和町と吉田町の町境だった。


 8:47
遍路小屋のすぐ先に県道を離れる下りの道がある。とっても急な下りの道なので油断はできないし、スピードも出せない。


 8:55
県道が見えてきた、8分で150mを一気に下ったので、かなり膝に負担がかかった。


 8:56
この距離表示が正しいとしたら、仏木寺から3.6kmを47分で来たことになる。時速4.6kmだからトンネルといえどかなり厳しい山道だったことがわかる。鎖場、峠道を行くと10分余計にかかる。


 9:04
2年前までずっと、この遍路小屋で休んでいたけれど、3kmくらい先の休憩所に水道があることが分かったので、昨年から休まなくなった。


 9:05
肱川というと、大洲市内を流れている大きな川。番外霊場永照寺の方から歩いてくる女の人がいる。前にも番外の方へ歩いていく人を見たことがあるから、このお寺は有名なお寺なのかもしれない。


 9:12
年は探しながら歩いたのに確認できなかった民宿兵頭。今年は、なんなく見つけることができた。来年お世話になる予定。


 9:32
水道のある休憩所で一休み、この手前でもう一人女の人を追い抜いたけれど、二人とも全然やって来ない。ここまでに休めるような所はなかったはずだけど。
まだまだ先は長いので、13分の休憩で発つ。


 9:56
ここが松山道の終点になる。このトンネルが宇和の町の入り口になっている。


 10:02
この商店街に入る手前で右折する、へんろ道はこの300mくらい手前から斜めに入っていく。一度歩いたことがあるけれど、ちょっと首を傾げるような道だったので、以後は歩かないようになった。


 10:04
右折するとすぐ宇和高校の前を通る、すぐ県道を離れて旧くて細い道に入る。


 10:10
もう明石寺は目の前、でもこの急坂(写真では全然分からないけれど)があるのでなかなか辿り着けない。この坂はさっき歩いてきたトンネルの前の坂より遙かに急峻な感じさえする。


 10:15
たっぷり一汗かいて明石寺に到着、仏木寺からのトータルでベストタイムより5分遅れ。距離は10km以上あるし、撮影のロスタイムもあるけれど、ちょっと遅かったという感じはする。登りでは暑さの影響が加わった感じもするし、下りは慎重になりすぎたかもしれない。
 明石寺の納経所は、2年前連休中に来たときには大変なことになっていた。住職が一人一人に話しかけながら墨書をするので、あっという間に長蛇の列ができていった。今回は、連休も終わって、参拝者も少なく、住職でもないようだったので、至ってあっさり終了した。お参り、納経に17分、休憩なしで出発する。まだ25kmも残っている。


 10:31
宇和の町へ下りていくへんろ道ははっきり標識があるけれど、もう一つの山周りの近道にはどこから入っていいのかいまだに分からないでいる。一度くらいは歩いておきたいけれど。


 10:35
明石寺から最初は登りがあるけれどそれはごく短くて、あとは気持ちのいい下り坂が文化の里まで続く。


 10:44
ごらんのとおり、文化の里には電柱などないのだ。


 10:45
テレビにも登場する有名な松屋旅館、「旅の香り」と「遠くへ行きたい」で名物女将の顔を拝見した、ぼくは1回目の時にお世話になったのでとても懐かしい思いがした。


 10:45
松屋旅館の名物はお漬物、ぼくは素泊まりだったので味わっていない。ただし普通の2食付きで泊まっても味わえない、名物漬物は別料金になっている。


 10:49
歴史的町並みは最後まで行かず、途中で左折して卯之町駅の前に出てきた。


 11:27
宇和加茂郵便局の前で国道に合流する。大洲に入るまで国道に入ったり離れたりを繰り返す。


 11:36
昨年はへばって、飲料を買ってこのコンビニの前で休んだけれど、今年はまだその必要はない。


 11:38
サンクスから200m先に脇道がある。へんろみち保存協力会の地図にはこの道がなく国道に赤線が引かれているけれど、古い白黒の地図にはちゃんとこの脇道の方に赤線が引かれている。


 11:41
わずか300mで国道に合流、ぼくはトンネルを歩くので、この距離表示は関係ない。


 11:46
今度は相当長い脇道。天気は快晴、気温もずいぶん上がって、1時間以上歩き続けている。とても動きがいいとは言えない。明石寺を出てから歩きの人には会わない、目標がないと力が入りにくい。


 11:59
脇道は静かで歩きやすいけれど、味わう余裕はほとんどない。楽しめていない、太陽に打ち負かされている感じ。


 12:03
これが最後の脇道、ごく短いし、国道に合流すればすぐ休憩地点が待っている。


 12:10
国道に合流して200mの所にお遍路さん休憩所ができていた。昨年はなかったと思う。でも、ぼくの休憩所はもう300m先にある。十夜ヶ橋まで13km、と書いてあるけれど本当は14kmはある。あと2時間半、休憩時間を入れると3時までに宿に入ることはできないだろう。


 12:13
昨年より3分遅れでぼくの休憩所に到着した。撮影のロスタイムもあり、この暑さで、動きも良くなかった割にはいいタイムだといえるだろう。時速はちょうど6km。
18分の休憩、きりよく12時30分に発つ。


 12:40 鳥坂トンネル 1117m
鳥坂峠は登り口からの標高差は170m、今日登ってきた歯長峠のトンネルの方より低いけれど、4年前に登ったとき、すごく苦労した覚えがある。時間は5分くらいしか余分にかからないけれど、1回で充分という感じになった。でも、トンネルには歩道はないし、相当長いし、交通量も多いし、トンネルの手前の部分にも歩道がなくて(現在工事中、来年にはできているかも)危険なので、峠道を登る方が賢明であろうとは思う。


 12:51
11分でトンネルを通過、こういう日には涼しくて歩きやすいという利点はある。


 12:52
トンネルを抜けると、そこは大洲市。大洲の名物は大洲城、鵜飼、冨士山のツツジ。


 12:52
トンネルを出たところに電話ボックスがあったので、今日の宿、ふるさと旅館に連絡する。予約は3日前にしたけれど、その時に携帯を持っていないと言ったら、心配なので当日にもう一度連絡するよういわれていた。それくらい、当日キャンセルや連絡なしのキャンセルが多いということなのだと思う、キャンセルしなくても宿に着くのが6時を過ぎるような人も珍しくないようだ。多くのそういう人のおかげで、携帯を持っていないぼくたちが迷惑する。携帯を持っていないと言ったら、危うく断られそうになったこともあった。それくらいお遍路は信用されていないし、信用されないような行動をするお遍路が多い。
ついでに3日後の宿、コスタブランカと、4日後の敷島旅館に予約を入れる。


 13:27
トンネルの出口から3.1kmのポケットパーク札掛、標高差180mを一気に下ってきた、時速にすると7.1km、いくら下りとはいえあり得ない速さ。山道の下りとは違って余裕さえあれば安心してスピードを乗せることができる。


 13:56
国道が平地に落ち着く所で、へんろ道は国道を離れ右折、川を渡ってすぐの所に北只郵便局がある。ここがタイムチェックポイント、何とか例年と同じ、この暑さの中でも下りを生かすことができたようだ。


 13:58
 行く手正面に大洲のシンボル冨士山が見えてくる。10日ぐらい早ければ山頂のピンクはもっと鮮やかだったかもしれない。でも、つつじ祭りはまだ開催中のようだ。


 14:12
歯長峠から下りてきたときに見た肱川に、5時間ぶりに再会。橋を渡れば大洲の町並みだ。


 14:19
初めておはなはん通りに入る。というのも、へんろ道はこの通りの1本東の筋になる。この通りがあることは知っていたけれど、ただへんろ道から外れないようにシールだけを目指して歩いていたので気がつかなかった。今回は撮影のために意識的にこの通りを目指して大洲の街に入ったので、なんなく見つけることができた。


 14:19
大洲では今なお、おはなはんは生きている。でも、このテレビ小説を知っている人というのは50代以上の人に限られるし、もう43年も前のことだから記憶も相当薄れてしまった人がほとんどだろう。この解説板には、はっきりはなは大洲に生まれ育ったと書いているし、確かにテレビではそうだったのだけれど、帰ってから調べてみると、驚いたことに、原作でははなの故郷は徳島だった。テレビでも当初は徳島で撮る予定だったのが、徳島市が撮影に協力的でなかったので、大洲になったという。徳島で撮影が行われていたら、おはなはん通りは存在しなかったに違いない。


 14:23
郵便局から2.8kmを27分で到着、すごく速いというわけではないけれど例年と同タイム。平地になっても調子は落ちていない。おはなはん通りを行くと少し遠回りになるし撮影のロスタイムもあるから、今までのベストといってもいい。橋のたもとにちょっとした休憩所があるので一休みしようとしたら、夫婦遍路さんが休んでいた。詰めて貰って並んで休む。ご夫妻は大洲駅の近くの宿に泊まるけれど、時間が早いのでここで時間調整しているという、今日は宇和町の宿から来たようだ。19kmくらいだからこの時間に着いてしまう。そういえば、明石寺から歩きの人に会うのは初めてだった。明石寺までに追い抜いた6人の人たちはここまで来られるのだろうか。
9分の休憩で発つ。


 14:33
肱川橋から見た大洲城、こちらから見るとあの裏側に昨年お世話になった大洲郷土館ユースホステルがある。もう一度泊まりたい宿、故に来年は泊まる予定。


 14:50
例によって菓子パン3つと、袋菓子(いもけんぴとかりんとう)2つを購入。これで明日の15時まで動く、これだけ暑いのに飲料は買わない。18日で5回しか買っていない、我慢するのにも慣れてしまったのだろうか。


 15:11
大洲で一番新しく立派な大洲プラザホテル、でも、お遍路割引もしてくれる。それでも普通の遍路宿より幾分高い。


 15:15 十夜ヶ橋
肱川橋から4.1kmを37分、時速6.6km。自分でも、この暑さの中40km以上歩いてきてこのスピードが出るのはちょっと信じられない感じもする。


 15:28 ふるさと旅館
45km歩いて、札所が3つ、それで3時半はできすぎという感じ。しかも、今日の大洲の気温は31.3℃、久万高原に次いで県内2番目の高さを記録した。これで例年並み、それ以上の歩きができたというのは、ちょっと信じられない。水、塩分、栄養の摂り方が偶然うまくいったのかもしれない。あくまで偶然、意識しても理想的な補給ができることはあまりないと思う。
 ふるさと旅館は2年ぶり5度目の投宿、昨年は別格7番金山出石寺に行ったので泊まれなかった。この時間なのにお風呂の用意ができている、こういう日にすぐお風呂に入れるというのは何よりありがたいこと。2年前まで洗濯は有料だったけど、無料になっていた。乾燥は有料のまま。素泊まり4000円、この宿の良いところは部屋が広くて隣の音が全く気にならないこと、5回とも本当に静かに休むことができた。風呂にすぐ入れて静かに休めれば言うことない。


17日目 5月10日

2009-07-05 | 09年四国の旅

 6:09
17日目は宇和島の2km先まで40.4kmの行程、例年なら6時間40分くらいの歩行時間になるけれど、今年は松尾トンネルを行かず、2年前に復元された峠の山道を初めて行くのでどれくらいかかるか判らない。5時53分に宿を発つ、天気は快晴、朝のうちはその意味を考えることはなかった。


 6:21
観自在寺から5kmくらいのところにあるバス停、柏のバス停までの中間地点にもなるのでちょうど良い休憩所になっている。ぼくは柏まで8km休まない。


 6:41
ここに来ると必ず思い出す人がいる。大学の時ぼくの入っていたクラブは中央大学の吹奏楽部と毎年交換合同演奏会を行っていた。東京と大阪で交互に合宿を行い演奏会をする。ぼくと同学年の中大のトランペット吹きが菊川という名前だった。同学年のほかのメンバーはほとんど忘れてしまったけれど、彼のことだけは絶対忘れられない。というのも、彼はアンソニー・パーキンスそっくりの顔をしていた。といわれてもぴんと来ない人が多いと思いますが、アンソニー・パーキンスは往年のハリウッドスター、ヒッチコック監督の「サイコ」という映画に主演した人です。今でこそ、サイコスリラー、という言葉は一般的ですが、ぼくが最初この映画を観たときには、サイコという言葉の意味すら知りませんでした。この種の映画の元祖であり、その言葉を一般的にするきっかけにもなった映画です。ぼくのクラブにはもう一人映画好きのMという男がいて、ぼくと彼との間では菊川君のことを“トニパキ”と呼んでいた。映画ファンの間ではアンソニー・パーキンスのことをそう呼ぶのが普通だった。


 6:48
すごく評判のいい西予市の遍路宿、最初は5000円だった。ぼくは来年泊まる予定だ。


 6:51
こちらはさらに新しいできたばかりの民宿、宇和島を出て8km、41番龍光寺の手前1.7kmのところにできた。ぼくは第1候補の遍路宿もやいが満室の時に泊まるつもりだった。素泊まり4000円、2食付き6500円。


 7:03
結局愛南町には今なお4つの町村が存在しているわけね、でも本当は海に浮かんでいる西海町と合わせて5つの町村が合併して愛南町になった。


 7:12
売物件、と日本語そのままでタイトルにするには忍びない。1回目から3年続けてお世話になった内海リゾートホテル、4年目に電話したときに不通になっていてひどいショックを受けた。素泊まり3000円だった、すぐ近くの旭屋旅館は5000円だったのでその点でもショック。ここに泊まれなくなったので、三原村の清水川荘に泊まるようになった。


 7:14
これから越えるべき壁が立ちはだかる、昨年は時間を計るために国道を歩いたので2年ぶりのことになる。松尾峠が標高300m、こちらの柏峠は460m。登坂時間も1.5倍の45分以上かかる。これだけの時間登り詰めというのは焼山寺にも太龍寺にもない、鶴林寺とほぼ同じになる。我慢の登りを思い出さねばならない。


 7:17
昨年より5分遅れで柏のバス停に到着した。撮影のロスタイムをとっていないけれど、それにしてもいくらかは遅い。昨年はどしゃ降りの中でここまで歩いたけれど、一番早いタイムだった。寒くて自然に力が入ったのかもしれないし、それまでの4回は午後の一番暑いときに歩いたのに対し、昨年は朝一番に歩いたのが大きな理由かもしれない。雨よりも暑さの方が負担になることは何度も経験したことだ。


 7:20
バス停の中に闘牛の番付があった。当地ならではのもの、峠を越えればもう宇和島市ですから。13分の休憩で峠に向かう。


 7:36
いよいよ壁が迫ってくる、登り口まで200m。


 7:41
峠までの山道には野口雨情の詩の一節が書かれたプレートが設置されている。と、2年前までは思っていたけれど、今回撮影するに当たってよく見ると、これは、七七七五、つまり都々逸であることが判った。
「沖の黒潮荒れよとまゝよ 船は港を唄で出る」


 7:45
「雨は篠つき波風荒りょと 国の柱は動きやせぬ」


 7:48
「松はみどりに心も清く 人は精神満腹に」
柏坂休憩地は峠の700mくらい手前にある、ぼくが休憩するのは峠の300mくらい先なので、まだ45分くらいは登らねばならない。


 7:50
「空に青風菜の花盛り 山に木草の芽も伸びる」


 7:54
「松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら」
涙はこぼれないけれど、汗はだらだら、太股やふくらはぎからもしたたり落ちる。この少し前のところで男の人を追い抜く、柏の近くの宿を出たに違いない。


 8:00
「梅の小枝でやぶ鶯は 雪のふる夜の夢を見る」


 8:09
標識から1.1kmを21分で来た、時速3kmくらいだから山道としては標準的といえる。 東屋で女性が一人休憩している。


 8:15
2年前工事中だった林道が完成していた。こんな高いところに全く似つかわしくない幅の広い自動車道がへんろ道を突き抜いている、ここだけ風情が吹き飛ばされている。


 8:22
「山は遠いし柏原はひろし 水は流れる雲はやく」
最後の都々逸、峠は近い。


 8:24
柏坂は峠の位置がはっきりしない、町境の上を200mくらい平らに近い道が走っている。標高で一番高いところはその手前にあるようだし、標識もない。この写真のところがまあ峠らしきところという印象。ここからは一気にスピードが上がるけれど、ここまでの歩きは、ひどいものだった。2年ぶりともなると本当に先が読めなくなっている、まだか、まだか、と思いながらひたすら前へ進むしかない、立ち止まることはほとんどなかったけれど余裕は全くなかった。


 8:26
左の道を下りていくと清水大師、ぼくはまだ一度も行ったことはない。


 8:33
この手前にはベンチのある休憩所があったけれど、ぼくは視界が開けたここで休むことにしている、ベンチはないけれど切り株がある。雨が降ると休めないけれど今まで一度も降られたことはない。バス停から63分、例年より7分の遅れ、撮影のロスタイムを考えてもやや遅かったという感じ。17分の休憩。


 9:09 茶堂休憩地
柏坂休憩地で休んだ人が次にここで休むと距離も時間もちょうどいい。ぼくは津島まで10km休まない。


 9:11
茶堂から急坂をしばらく下りると、いきなり民家の前に出てくる、ここからはしばらく平地が続くけれど、山道が終わったわけではない。しばらく行ったところにベンチがあって夫婦遍路が休憩中だった。


 9:31
ここからはずっと自動車道。これで今日の仕事の半分は終わったという感じだけど、とんでもないことだった、空を見るのを忘れていた。


 9:31
茶堂から2.2kmを22分で来た。時速6km、ここまでは遅いという感じはなく、足の調子も全然悪くない。


 9:49
国道の下を抜ける歩道トンネル、山から下りてきたところから、1.7kmを18分もかかっている。ものすごく遅い、水が切れているのか、栄養がきれているのか、気温が高いためか、理由は判らないけれど、確かに動きに切れはなくなっている。


 10:10
国道を横切ってからは芳原川沿いの道を進む、最初右岸、橋を渡って左岸、もう一度橋を渡ると自転車道の右岸を行くことになる。相変わらず全然調子が出ない、スタミナが切れている上に相当暑くなってきた。


 10:20
国道が寄り添ってくる、津島の町は近い。


 10:32
珍しいオレンジローソンがあった、ここでは買い物はしない、橋を渡ったところのスーパーで買うことに決めている。


 10:33
橋を渡れば次の休憩地だけど、時間は相当遅れてしまっている。


 10:33
津島大橋から眺める岩松川河口、ここで捕れる鰻が当地の名物になっている。


 10:35
2年前のベストタイムより9分遅れで津島のスーパーに到着した。確かに山を下りてからは思うように体は動いていなかった。2年前は時速6.69kmに対し、今回は6.17km。これだけの差が出たのは今回の旅で初めてかもしれない。でも、3年前よりは4分早い。2年前が異常に早かったという見方もできるけれど。


 10:56
スーパーのレジを出たところにお休み所が設けてある。毎回ここで買い物をして、毎回ここで休んできた。身体も疲れたし、タイムも出なかったので精神的にも疲労した。もう飲料を買うしかない。カフェオレ500cc、110円。


 11:03
スーパーでは27分の休憩、水もたっぷり補給して11時2分に出発する。これからは初めての峠越えの道を行くので時間は気にする必要がない。ただ元気に歩ければよい。歩き始めてすぐ左に洋品店が見える。1回目の時キャップを買った店だ。ここまで菅笠も帽子も着けず歩いていた。


 11:30
ここを左折すると旧国道に入る、2年前までへんろ道だった。2年前まで左折の遍路標識があったけれど今はない。松尾トンネルの入り口のところから登る旧いへんろ道が復元され、新しい地図ではそちらに赤点線が引かれ、旧国道の赤線は消えてしまった。


 11:35 松尾トンネル 1710m
このトンネルは嫌いな人にとっては最大の難所だろうけれど、ぼくは2回目から5年連続でこの中を歩いた。嫌いではないし辛くもない。普通の人よりも距離を歩かねばならないので、山越えに時間を掛けるわけにはいかないという事情もある。でも、今回は復元された峠道を行く。どれくらい余計に時間がかかるか判らないけれど、3時までに宿に入るという目標は変わらない。


 11:36
ここが未知の世界の入り口。初めて歩く道は、3日目の神山から大日寺までの道、昨日の癒しの里道に続いて3回目ということになる。


 11:37
登り口からすぐの所ににぎやかな遍路小屋がある。


 11:39
木陰に入るとほっとする。気温は平年値を遙かに越えているだろう、スーパーまではあまり気にならなかったけれど、この日差しは想像以上にスタミナを奪いつつある。山道はいくらか日差しを遮ることはできるけれど、登りが負担になって結局楽にはならない。


 11:51
旧国道を横断する。このすぐ先に旧トンネルがあるようだ、トンネルの上の部分に峠があるから、新しくできた道が楽だということで旧いへんろ道が廃れていったということだろう。


 11:59
傾斜がなくなった、ということは、おそらく峠に違いない。登り口から1.7km、標高差180mを23分で登ってきた。時速4.4kmだから、松尾峠や柏坂よりはだいぶ楽な感じだけど、とにかく暑くて初めての道でそんな余裕は全くなかった。


 11:59
峠に新しい遍路小屋があった。この道が復元整備されたときに造られたものだろう。歩き始めて1時間なので、当然休憩をとる。


 12:13
遍路小屋の天井を津島名物大うなぎが泳いでいる。


 12:34
峠で丸30分の休憩、その間誰もこの前を通らなかった。宇和島まで11kmくらいだから、柏を出た人のほとんどが1時から2時の間にこの前を通ることになる。津島に泊まった人は当然朝の10時までに通る、故に、ぼくは誰にも会わない。宇和島駅前の別格6番龍光院には2時半までに着けるだろう。


 12:39
標高差にして100mくらい下りてくると落ち着いた舗装道になるけれど、これで山道が終わったわけではない、まだ50mは下ることになる。


 12:42
旧国道に合流、6年前に一度歩いているはずだけど全く記憶に残っていない。100m先ですぐ山道に入る。


 12:47
旧国道を離れて入った山道が再び自動車道へ合流、ただし今度は旧国道ではなくて番外霊場満願寺からここまで来ている県道46号、この先で旧国道に合流する。


 12:48
県道を横切って短絡路に入る。


 12:49
自動車道が見える、これで山道、短絡路は終了。ここから宇和島までずっと自動車道だ。峠から2kmを19分で下ってきた。


 12:49
旧国道と県道46号が合流した道、たぶんこの部分も県道46号であると思われる。6年前に通っているはずだけれど、全く記憶に残っていない。やはり、2回、3回と積み重ねないと記憶には残らないようだ、何といっても1200kmですから。


 12:55
工事中の宇和島道路の下をくぐる。


 12:56
国道に合流する、休憩時間を除くと、松尾トンネルの入り口から49分かかったことになる。トンネルを行くより20分くらいの遠回りになった。


 12:59
6日前、須崎で松山まで259kmを見たときには、いつのことかと思ったけど、100kmを切ると俄然現実的な数字に見える。3日後には松山市内を歩いているはずだ。


 13:07
去年までこんなところにはなかったはず、まだ開店前かもしれない。


 13:11
めちゃくちゃ暑く、めちゃくちゃ渇いているので、水分補給のために思わず駆け込んでしまう。買い物はしない。買い物は宇和島駅の近くのコンビニでする予定。


 13:32
昨年はこんな大がかりなことにはなっていなかった。左側の看板には「宇和島道路(津島IC(仮称)~宇和島南IC間)平成21年度供用を目指しています」と書かれている。来年には新しい松尾トンネルも開通しているということか。


 13:43
ダイハツの赤いDの左上にかすかに宇和島城がのぞいている。本当はこの少し前の所から見えていたけれど、ぼくのカメラでは捉えきれなかった。


 13:49
この前を右に折れて馬目木大師の前を通って宇和島の中心部に入っていく。新しい地図にはここにしか赤線が引かれていないけれど、昔の白黒の地図では、この道に赤線はなく、国道をそのまま進み、天赦園公園の角を右に折れて宇和島東高校の前を通る道だけに赤線が引かれていた。だから、この斜めに入っていく道を歩いたのは4回目からだった。


 13:54
へんろ道沿いにあっても、なかなか番外霊場までお参りできない。今日は札所がないからお参りしてもいいようなものだけど。


 13:56
馬目木大師の近くの泰平寺で花祭りが行われていた。花祭りは4月8日だけど、こちらでは旧暦で行われるようだ。ちょうど終わりかけていたところで、帰ろうとしていた奥さんが、「もうちょっと早かったら甘茶でもお接待できたのにねぇ」と、声をかけてくれる。遅くてよかった、甘茶の味は雪蹊寺で経験済み。


 13:57
右へ40m行くと大村益次郎の家がある。番外にお参りする余裕もないくらいだから、なかなか観光することはできない。宇和島城にもまだ登っていない。


 14:09
アーケードはへんろ道ではないけれど、少しでも涼しい道を歩きたくなって誘われるようにこの道に入ってしまった。


 14:11
6年前からずっと四国銀行のイメージガールを務めている四国のアイドル、島崎和歌子さん。


 14:15 別格6番
スーパーからここまで2時間38分、峠越えの分を除いた平地の歩きは昨年より5分遅かった。撮影のロスと、この異常な暑さを考えれば相当健闘したといえる。スーパーまでの歩きに比べると普段に近い元気な歩きができたと思う。
 タイムをメモしていたら、石段を下りてくる人がいる、昨日一本松の手前で写真を撮らせて貰ったベテラン遍路さんだった。一瞬訳が分からなくて、「すごく早いですね」と声をかけたら、「いやいや、身体がえらくて途中からバスに乗ってここまで来たんですよ」と言う。よく考えれば、札掛宿からここまで45km以上あるから全部歩いて来られるはずはなかった。柏あたりまで、16kmくらい歩いたと思われる。


 14:24
龍光院から今日の宿まで2.6km、買い物をしても楽に3時までに入れるだろう。宇和島駅のすぐ側の踏切を渡る。


 14:27
ぼくの好みの菓子パンはなくて少し迷ったけれど、何とか3つ購入。明日の午後まで動ける熱量は確保できているだろう。


 14:50
クアホテルが見える、今日の宿はその手前、踏切を渡ったすぐのところにある。


 14:53
柏坂の登り下りで15分、松尾トンネルの峠道で20分以上昨年より余分にかかったけれど、何とか3時までに宿に到着した。遍路宿もやいは2年ぶり2回目の投宿、昨年も予約の電話は入れたけれど、連休中で満室だった。満室といっても部屋は2つだけだから無理のないところ。でもこの宿はできたばかりで第8版の地図には載っていなかったし、素泊まり宿だし、宇和島に泊まる人は比較的少ないので、連休中でも大丈夫だと思っていた。その考えが甘いことを思い知らされたので、今年は敢えて連休をはずすスケジュールを組んだ。この宿と、足摺の宿を連休からはずすことから、計画が始まったといってもいいくらい、それくらいこの宿には泊まらなければと思っていた。素泊まり3000円の宿はほかにもあるけれど、この宿にはそれ以上のものがある。とにかく全部が超新しい、清潔で気持ちがいい。ぼくは古い宿でも全く気にはならないし、それをマイナスとしてとらえることもない。でも、これくらいすべてが新しくて気持ちがいいと、どうしてもプラスポイントになる。
 階段を登って2階へ、ブザーを押すけれど反応がない、ドアには鍵が掛かっていないけれど中には人の気配がない、玄関の椅子に座ってしばらく待機する。でも落ち着かないので、住宅の方を覗く、玄関の横の部屋で奥さんがお昼寝中、悪いと思ったけれど、ブザーを押すと、起きて出てきてくれる。奥さんもご主人(息子)がいないのを不思議がっている。宿はすべて息子さんがしきっているけれど、一応通してくれてお茶を入れてくれる。奥さんがお風呂を覗くと、入っているところだった。道理でと、納得する。しばらくして、「こんな格好で済みません」と頭をかきながら息子さんが出てきてくれる。「すぐお風呂入れ直しますので、15分くらいで入れると思います」お風呂はパナソニックのコンピューター制御の全自動、それにしてもいちいち入れ替えてくれる心遣い。2年前に1度来ただけなのにぼくのこともよく覚えていてくれた。「お元気でしたか」にこにこと話しかけてくれる。分かっていると思いますが、と前置きをして、洗濯機の扱い方を簡単に確認してくれる、冷蔵庫の中の、スポーツドリンク、お茶、水も全部フリーであることも一応確認「ビールだけは有料ですから」、と笑う。本当にこのもてなし方、心遣いにはものすごく癒される。ここまでの疲れがいっぺんに吹き飛んでいくようだ。


 17:38
お風呂の用意がすぐにできたので、洗濯は上がってからにする。冷蔵庫の冷たいものは明日自分のペットボトルに詰めて持っていきたいので、今日の所は遠慮して、テーブルに用意された熱いお茶を頂くことにする。日本茶もあったけれど、紅茶のティーバッグがあったのでそちらを頂くことにする。コーヒーがあれば尚良かったけれど、それはなかった。砂糖をたっぷり入れて2杯たて続けにいただく、ようやく喉の渇きが癒えたような気がする。部屋でゆっくりしたあとダイニングに行くとお接待の用意がしてあった。南予の郷土料理じゃこ天だ。昨年民宿磯屋で頂いて以来2度目になる。


16日目 5月9日

2009-07-01 | 09年四国の旅

 6:29
朝食は6時から、男性二人と一緒、一人は夕食同様、一眼レフのデジカメで食事を撮影してから食べ始める、ホームページに載せるのかもしれない。九州の姉妹遍路さんはもっとゆっくりのようだ。素泊まりの若者は6時に出ていく、延光寺に着くまでに追いつけるだろう。宿の前に架かっている吊り橋を渡って県道に出る。この吊り橋も増井さんが作られたもの。


 6:46
本当ならタイトルは「宿毛市」とすべきところだけど、ここが今回の八十八ヶ所巡り全行程のちょうど中間地点になる。今回は88番から三本松の與田寺、大坂峠を経て2番極楽寺の近くの高速バス停まで歩くので全行程は1140kmくらいになる。折り返しを過ぎると足の調子は飛躍的に良くなってくる、今年も例外ではないようだ。中村までの歩きはもう過去のものになっている。


 6:50 梅ノ木トンネル
この手前の橋もかなり高いところに架かっているのでちょっと怖い、この時間車は通らないので車道を歩いて下を見ないようにする。


 6:52 中筋川ダム
トンネルを抜けるとまた橋、橋の上からできるだけ近くは見ないようになんとか撮影する。この黒川大橋を渡れば本日の難所は終了。


 6:56 黒川トンネル
右手には川沿いの旧い道が見えている。確かにトンネルと橋で相当近道で便利にはなったけれど。


 7:15
山から下りてくると県道から離れて、いい感じの旧道を行く。県道をそのまま行く方がいくらか近道になるけれど、ぼくはいつも吸い込まれるように旧道に入ってしまう。一度は自動車道の方も歩いておかねば、という気もするけれど、この道の魅力には勝てない。


 7:29 平田郵便局
何年か前まで、表に、お茶のお接待します、という看板が出ていた。朝早いからないだけで、営業時間になると今でもお接待して貰えるのかもしれない。


 7:33
すぐ右に平田駅がある。中村で泊まって、電車でここまで来て、ここから歩き始めるという区切り打ちの人が結構いる。


 7:35
鶴の家旅館の前を過ぎるとすぐ国道56号に当たる。これから3日間は56号についたり離れたりしながら進んでいく。


 7:39
国道に出てしばらく行くとコンビニがある。4年前までは午後からこの前を通ったので利用していたけれど、清水川荘に泊まるようになってからは入ることはなくなった。


 7:58 延光寺
例年より1分遅れで土佐最後の札所に到着。誤差の範囲なので満足のいくところ。昨日、一昨日は朝一番の動きがやや重かったけれど、今日は朝から全開という感じ、ようやく普段の歩きが復活したといえる。お参り、納経を含め40分の休憩、もう少し短くしたかったけれど野暮用ができてしまった。


 8:43
延光寺から国道に入る道は、地図では赤の実線と点線の2種類が記されているけれど、初めての人の半分以上がその両方の道に入れないと思われる。真っ直ぐ行ってしまう。ぼくもこの実線の方の道を行けたのは3回目からだった。遍路標識も、シールも一切ないからどうしようもなく行き過ぎてしまう。ちなみに点線の方の道は旧い道で雰囲気はあるけれど、通る人がほとんどいないのでかなり荒れ果てていて歩きにくいところもある。あまり近道にもなっていないのでお薦めはできない。


 9:03
右の旧い道を行くとしばらく静かに歩けるけれど、ぼくは1回歩いたきり、国道を行くことにしている。ほんのわずかだけれど近道だし、合流するところで、国道を横切るのに時間がかかりそう。


 9:10
家田さんが遍路日記で推薦していた宿、ぼくも来年泊まる計画をしていたけれど、一心庵が浮上したのでどうなるか判らない。


 9:21
短絡路から国道に入ると、すぐまた国道を離れて宿毛の町へ一直線。昔はこちらが国道だったかもしれない。しばらく行ったところで野宿の若者二人とすれ違う、初めてで、野宿で、逆打ち。ぼくなんかとは全く別世界のお話のような気がする。


 9:32
ちょっと見えにくいけれど、松田川の上を大量の鯉のぼりが泳いでいる。ちょっと、気分が変わる好ましいひととき。


 9:33
橋を渡って宿毛の町に入ったところに新しい遍路小屋ができていた。宿毛の町には今まで休むところがなかった。延光寺から6kmだからちょうどいい場所だ。でもぼくにとってはちょっと短いので休まない。


 9:41
 今まで2回泊まった宿。タイムチェックポイント、2分遅れだけれど、撮影のロスタイムを入れていないので納得の数字、調子は落ちていないようだ。


 9:44
この前から斜め右に入っていく細い道が遍路道。


 9:44
入り口にはこんなにたくさん遍路シールが貼ってあるのに最初の時は入れなかった。まともな地図も持っていなかったけど。


 9:55
県境の松尾峠に向かう、その手前に3つの山道がある、山に入って里に下りてを3回繰り返した後、本当の山越えの道に入る。3回の内後の2回は大した登りはないけれど、何度も里に出てくるので拍子抜けの感じがしないでもないし、本当の山越えに入るまでに疲れてしまう。


 9:58
湾というより松田川の河口かもしれないけれど、とにかく海らしきものが見えた。1つ目の山道は登り初めがすごくきつい、スピードがぴたりと止まる。この山道を避ける平らな道があるので、来年からはそちらを歩こうかと思い直すくらいきつい。そして、このすぐ後にトラップが待っていた。7回目にして初めてここで道をはずす、普段は絶対はずさないのにはずす、トラップとしか言いようがなかった。



 10:11
一番長い1つ目の山道を下りてきたところ、民家の門先から子供が飛び出してきて「しゃしんとってぇ~」とぼくにせがむ。突然のことで面食らったけれど、断る理由もないので、1枚パチリ。そしたら、「みせてぇ」というので液晶モニターを見せて確認、それで得心したようで「ばいばい、またとってねぇ」と言って手を振って別れる。また来年も来られるのだろうか、としばし考えてしまった。


 10:12
次の山道は先の半分くらいの長さで、登りも大したことはない。


 10:19
二つ目の里に下りてくると、牛が出迎えてくれる。三つ目の山道も二つ目と同じくらいの長さ、登りというほどのものはない。


 10:26
これからが本当の山道なのだ。


 10:30
行く手に立ちはだかる壁、とても30分足らずで峠まで行ける感じはしないけどね。


 10:33
松尾峠に登る前に、地蔵堂で一休み。でもこの地蔵堂への標識は判読不能になってしまっている。でも、登りが始まろうとしているところで一休みする人は少ないでしょうね。宿毛の遍路小屋から、松尾峠まで6kmちょっとだから一気に登って峠で休むのが普通かもしれない。


 11:19
松尾峠ではいつもは休まない、でも今年はどうしても展望台へ行かねばならないので、地蔵堂ではゆっくりしていられない。延光寺でも休みすぎたので、14分の休みで峠へ向かう。本格的な山登りは4日前の七子峠以来だから、身体が半分以上慣れていない。しかも、この峠は七子峠の1.5倍の長さ、時間がかかる。一汗どころの話ではなかったけれど、何とか6回目のキャリアを生かして昨年と同じ27分で到着。到着する少し前に一人を追い抜き、県境の標識のところには別の男性が到着したところ、目の前の東屋ではすでに二人が休んでいる。ちょっとにぎやかな峠の風景だった。峠から左の道へ入ると展望台のはず、四元さんの映像では確かそうだった。峠だけれどさらに登りになっている、前を行く女性の姿が見える。この道で間違いなさそうだ。でも道標に展望台の文字は見られない、純友城址はこちらの標識しかない。


 11:19
展望台は純友城址に建っていた。松尾峠から5分くらいかかった。まあ峠までやっと登り着いて、さらにここまで来ようという人はあまりいないでしょう。ぼくは、その存在すら知らなかった。四元さんの前半のゴールがここだったので、やっと知ったくらい。


 11:20
展望台からの眺め、今度は紛れもなく宿毛湾が見えている。途中で追い抜いた女性と一緒に眺める。彼女は今日は一本松温泉まで、あと6kmくらいだから、かなり休憩をとっても3時までに楽々着ける。でも、明日は宿毛市、愛南町、宇和島市の境にある番外霊場、篠山観音寺(跡)を往復するという。標高880m、一本松温泉から往復すると30kmくらいになる。彼女は前回1巡するのに50日以上かかったと言うから、そんな距離、高さを行けるわけはないと、気がついたのは、彼女と別れた後地図を見直してからだった。その間宿は全くないから、やめておきなさいと助言できなかったのは、心残り。
 2日前、3日前に家田荘子さんに会った話をしたら、「去年でしょう?」と怪訝な顔、というのも、彼女の知り合いが昨年自転車で巡っているときに、家田さんに会って、そのことを電話で連絡してきたのだった。昨年は2巡目で今年は3巡目なのだと説明する。その知り合いもものすごいオーラを感じたそうだ。ぼくはバリアだと思っているけれど。遍路宿情報を渡して、納め札を交換、何と、宮城県の人だった。名取市という初めて聞く市、調べてみると仙台市のすぐ南、海岸沿いの市だった。


 11:44
展望台ではそのほかにぼくの最大おすすめの宿、遍路宿もやいの話などじっくり20分くらい話し込んでしまった。松尾峠に戻ってきたのは11時43分、夫婦遍路さんが到着したところだった。松尾峠の下りは、最高に気持ちのいい下りだ。下りの山道では最も負担のかからない快適な散歩道になっている。


 11:58
快適な下りはわずか15分で終わり、あっという間に自動車道に下りてくる。


 12:13
数年前にできた新しいトイレ、この前で休憩する。このすぐ先に遍路小屋があるけれど、水も補給できるので、晴れているときはこちらで休む。


 12:25
松尾峠に着いたときに居たベテラン遍路さんに休憩所のすぐ手前で追いついたので一緒に休む。彼は4年くらい前にも四国に来ていて、ぼくの渡した遍路宿情報を眺めながら、この宿は良かった、この宿は満室で泊まれなかった、などと思い出している。通しですか?と訊いたら、数日後に病院で検査を受けなければいけないので、一旦戻るけど、それが終わったらすぐ続きから歩き始めるそうだ。医者に止められても、絶対戻ってくる、と意気軒昂だ。今日は札掛宿に泊まるというから、あと4kmくらい。1時間休んでも3時までに着いてしまう。


 12:35
奥に見えているのが遍路小屋、その前に新しい松尾大師ができていた。


 12:38
松尾峠から一本松の交差点まで本当に快調な歩き、例年より2分も早い。過去3年はここを左折して国道を歩いたけれど、今年は撮影があるので4年ぶりに直進する。普通のお遍路はほとんど直進する。国道は近道だけれどそれだけの取り柄で風情など全くない。


 12:58
この前に遍路標識があってその通りに歩いてきたのだけれど、全く見覚えのない道に入ってしまった。いくら4年ぶりとはいえ、5年前と6年前にも歩いているから、完全に忘れてしまったということはないと思う。首を傾げながらも前へ進むしかない。


 13:01
こういう標識はもちろん4年前にはなかった。旧街道と書いていることからして新しくできたのではなく、復元されたということなのだろう。つまりこの道は県道299号が整備されてそちらがへんろ道になってしまって、一旦忘れられてしまったということらしい。もちろん、そういう道は各地に存在するけれど、復活するというのは珍しい。宇和島市の松尾トンネルの山越えの道もそうだ、旧国道と旧トンネルができた時にそちらがへんろ道になってしまったのに、2年くらい前に旧へんろ道が復元されて旧国道の方は赤線も遍路標識も完全に消えてしまった。復活するのなら、最初から見捨てなきゃいいのにと思ってしまう。


 13:02
確かにこういう道は歩いていない、地図ではずっと県道に赤線が引いてあるし。ウサギの耳のような県道はかなり遠回りになるからこちらの方が近いかもしれない。


 13:12
県道に合流するけど、横切って少し戻ったところに旧い道の入り口がある。その入り口のところで、男の人がへたり込んでいる。地図を広げて思案顔、ぼくにこの道でいいのか、と尋ねる。ぼくも4年前の道と違うのでおかしいなと思いながら歩いているんです、と答える。お互い、確信の持てないまま標識に従うしかないと結論を出す。


 13:19
やはりというか当然というか、はっきり見覚えのある道に出てきた。でも、どこら辺を歩いてきたのか、全く判らないままだった。近いのか遠いのかも判らない、観自在寺に着くまで判らない。


 13:20
標識に書いてあったとおり、新しいトイレができていた。4年前にはなかった。観自在寺まで休むつもりはなかったけれど、新しい道にあたふたしている間に相当汗をかいたようだ、気温もかなり上がっている、たまらず、水分補給をしてしばし休憩する。


 13:28
(旧)の字がすごく小さい、単にスペースがないからそうならざるを得なかったのだろうけれど、自分たちはまだ城辺町の住民なのだ、と主張しているように感じる。愛南町の中の(旧)一本松町と(旧)城辺町の境にこの標識を残しておくことの意味は、そこにしかないような気がする。


 13:43
標識に従って右に折れると、川の土手を行くことになる。土手の道は近道だけど、へんろ道ではないと言う人もいる。四国のみちではあるけれど、へんろ道ではない。ぼくはそれを信用して、1回目に歩いたきり、2回目からはこの道を行かないようになった。


 13:44
県境を挟んで宿毛にも岡本旅館があるので勘違いする人もいるようだ。こちらの本職は魚屋さんなので美味しいお魚を頂いて6000円で泊まることができます。素泊まりも3700円とリーズナブル。



 14:05
この橋に渡るところでしこくの道が合流してくる。岡本旅館を過ぎたところで見えた土手を行く人がだいぶ遅れて後に見える。でも土手の道の方が150mくらい短い。


 14:09
こちらの(旧)はかなり大ききけれど、あえてこの標識を作るというのは、やはり町名に対する誇りのようなものがあるからに相違ない。建物は県立南宇和高等学校。


 14:17 観自在寺
伊予の国の最初の札所に到着、一本松から国道を行くと78分、直進した今回は91分、でも思ったより早く着いた。国道より1.5kmくらい長いし、直進した4年前の記録と比べても7分も早かった。やはりあの復元された癒しの里道は県道を行くより結構な近道になっているようだ。


 14:50
観自在寺では、お参り、納経に22分、休憩なしで宿に向かう。今日の宿はあと2km足らず。2時39分に出たけれど、今日は素泊まりなので食料を仕入れねばならない。3時には着けないだろう。パン3つと袋菓子、そして、カフェオレ500cc、110円を購入。飲料を買うのは4回目、それくらい午後からの日差しはきつかったということになる。思わず、自然に手が伸びてしまったから。


 15:03
民宿磯屋は昨年に続いて2度目の投宿、昨年は2食付きだったけど今回は素泊まり、食事が悪かったということではなく、全体の支出額を考えてバランスのために素泊まりにした。玄関で「こんにちは~、ごめんください」と声をかけたら、すぐ横の部屋から「○○さん?」と女将さんが出てきてくれる。どうやら今日の予約はぼくだけらしい、2階へ通されて好きな部屋に入ってちょうだいと言われる、やはりぼくだけだった。昨年初めに通された部屋を選択、昨年はそのあと夫婦連れが来て、やむなく向かいの小さな部屋に移ることになった。その部屋は荷物部屋みたいだったけれど、今年のぞいてみたら、整理されて、衣類ケースや布団は積んであったけれど、居住スペースは少し広くなって部屋らしくなっていた。


 16:08
畳が焼けるので閉めていたというカーテンを開け、窓も開けると、海(入江)からの涼しい風が絶え間なく吹き抜ける、すっご~く気持ちいい。ほかにお客さんも来ないし、本当に贅沢な感じがする。そしてすぐお風呂の用意もしてくれる。素泊まり3500円という情報もあったけれど、実際は4000円だった、それでも充分納得のいく安さ。初めは観自在寺の宿坊(3500円)に泊まろうと思っていたけれど、500円高くてもこちらにして良かったと心底思える。


 17:50
部屋に入ってしばらくしたときに、女将さんが「前にも来られたことありませんか」と思い出してくれる。昨年の今頃、ダラスから来たご夫妻と一緒でした、と言うと、納得されたようだ。「ダラスのご夫妻は逆打ちだったので、たくさんお接待を頂いたんですよ」と懐かしげに語る。行く先々の宿で一緒になった人にこの宿を勧めたので、それを聞いてこの宿に来たという人が何人も続いたそうだ。
 客はぼく一人で素泊まりなので、女将さんは食事の用意をしなくていいのでゆっくりしている。「息子がカレーを作ってくれているけれど、食べますか」と、お接待の申し出、もちろんありがたく頂きます、と答える。息子さんは近所に住んでいて、昨年はその娘さん二人(女将さんの孫)が食事の後かたづけに来ていた。