WALKER’S 

歩く男の日日

アルプス交響曲

2009-08-25 | 演奏会
 立命館大学の自由曲はアルプス交響曲。その演奏があまり良くないと感じたのには理由がある。ぼくがこの曲を最初に聞いた95年の明石北高校の演奏がすごすぎた。そのあと尼崎市吹奏楽団の全曲版を聴いたし、オーケストラの録音も手に入れた。でも、ぼくにとってのアルプスはいまだに明石北高校だけだといってもいい。結局オーケストラ版はいまだに一度も通しでは聴いていない。聴く必要がない。明石北の演奏だけで必要十分だと信じ込んでいる。そのイメージがあるものだから、今回の立命館の演奏も平凡で飽き足りないものに感じてしまった。当然関学の方により魅力を感じてしまうことになった。過去の思い出を美化しているだけではないかと、久しぶりに録音を聞き直してみると、やっぱり、何度聞き直してもすごいとしかいいようがない。金管楽器が全部鳴りまくっている、ラッパもホルンもトロンボーンもチューバも目立ちまくって格好いいことこの上ない。さらに、そういう金管に木管が全然負けていない。ものすごいスピードでスケールがぶっ飛んでくる。吹奏楽というのはこんなにも痛快なものなのかと呆れまくったものすごい演奏だった。この演奏が金賞だとすると、立命館の演奏は明らかに銀賞だ。誰が聴いてもそうするだろう。でも、そういう予備知識がなければ、立命館と関西学院の演奏を比べて、立命館を代表にするのは、間違ってもいないし、おかしいとも言えないかもしれない。立命館の演奏は堅実で曲の広がりを十分表現できてよりシンフォニックな演奏になっていたとも言える。どちらがどれだけよくその曲を表現できていたか、全く種類の違う二つの曲を細かく判定するのは不可能かもしれない。今回の審査は間違ってはいない、でも絶対ではない。兵庫県の審査と関西の審査が食い違うことなど何回もあった。どちらの審査員が正しいというのではない。どちらの審査員も正しい。そう感じたのだから仕方がない、すべての人が満足し納得するような審査など結局は存在しないのかもしれない。

8月23日(日) 第59回関西吹奏楽コンクール 大学の部

2009-08-24 | 演奏会
 演奏がすべて終わって、審査発表を待たず、電車に乗り込んだ。久々に晴れやかな気分だった。近大と関学が代表になることは間違いないと思い込んでいた。帰って連盟のHPを開いて愕然とした。代表は近大と立命館になっていた。そういう可能性がゼロではないと一瞬頭をよぎったけれど、まさか現実のものになるとは。疲れがどっと出て何をする気も起こらなくなった。
 関学の演奏は非常に明確で美しく終始音楽の喜びに溢れていた。ぼくが聴いてきた関学の演奏の中で、この19年の中では最も感動的な演奏だった。これが代表にならずしてどんな演奏が代表になるのかと思った。ぼくの耳がプロの審査員より優れているとは思わないし、偏見やえこひいきも少なからずあると思う。でも審査員にも前年の結果を参考にする人がいるという噂を聞いたことがある。昨年立命館は代表にはなれなかったけれど金賞を獲得、関学は史上初の銅賞だった。昨年の金賞をさしおいて銅賞の団体を代表にするのはどうかという思いが審査員になかったか。立命館は昨年と指揮者が違っていた。関学も昨年は学生だったけれど、今年は専門家が振った。昨年の結果など全く関係ない。本当に素晴らしい音楽を披露したものが代表になる。そういう当たり前の審査が行われたのか、疑念は当分晴れることはないと思う。

明日は関西大会

2009-08-22 | 演奏会
 今年の吹奏楽コンクール関西大会(大学の部)は10年ぶりに尼崎で行われる。滋賀県や奈良県で行われるときより1時間はゆっくりできるので、いつものような緊張感がない。特に昨年の守山ときたら、駅から30分も歩かねばならない。もちろんバスもあるけれど、待ち時間を考えると歩く方が早いような気がした。同じ滋賀県ならやはり大津でやってほしい。ただでさえ田舎なのだから、駅の近くにホールがある場所を選ぶべきだ。関西の西の端から東の橋まで行かねばならない者の身にもなって欲しいものだ。それとローテーションはきちんと守って欲しい。大阪の順番が時々抜けてより遠いところで行われてげっそりすることがある。
 今年は20年ぶりに兵庫県から2校が出演する、関学はもう19年も全国大会で金賞を獲っていないのだ。今回は前年全国で金賞を獲ってシードになったのではなくて、県大会の出場団体が増えて(6団体)出場枠が2校になったようだ。そして大阪からは3校、京都から2校と、最もにぎやかな大会になる。今回の注目は昨年銅賞に終わった関学が久々にプロの指揮者で挑む。ねらうのは銀賞でも金賞でもない、もちろん全国代表だ、今年は龍谷大が3出でお休みなので可能性は十分だ。自由曲はカバレリアルスティカーナ、課題曲は5番。県大会は地元姫路で行われたけど聴きに行かなかった。
 もう一つの注目は関大の結果。3学年でどこまでのことができるのか、やはり大したことはできないのか、見届けなくてはならない。
 近大の演奏はすでに聴いている。厚生年金会館のさよなら公演が兵庫県の高校の部の日にあったのでついでに聴いてきた。笑ってしまうような演奏だった。初めて聞く曲なのに身体中の血が沸き上がって思わず笑みがこぼれてしまう、これこそまさに音楽ではないかというような演奏だった。判定するのではない、評価するのでもない、ミスを捜すのでもない。ただただ音楽を楽しむための演奏だった。

四国歩きの総括 5

2009-08-17 | 09年四国の旅
 以前、自分のホームページに「納経所が鬼門?」という文章を書いたことがあったけれど、今回初めて88箇所の納経所をすべてまわって、その文章が真実ではなかったことが判りました。あの文章はぼくが人から聞いた話や、書いてあるものをまとめた、すべて伝聞の文章だった。それぞれの話は確かに事実ではあっただろう。でも真実ではなかった。納経所で受ける印象というものは、人によって心構えが違うし、期待するものも求めるものも違うから、違ってくるのも致し方のないことだといえる。だからそれぞれが受ける印象は事実ではあっても普遍的な真実とは言えない。
 ぼくは今回鬼門だと感じたことは一度もなかった。いやな思いをしたことも一度もなかった。「ありがとうございました」と最敬礼するとほとんどの人が「お気をつけて」と言葉をかけてくれた。おそらく3分の2以上の納経所で声をかけて貰ったと思う。声をかけてくれなくても気分の悪い言動をする人は一人もいなかった。ちょっとしたトラブルがあったという札所は10ヶ所以上聞いて知っていたけれど、それらすべてが何の問題もなくスムースに終えることができたので逆の意味で期待はずれだったくらい。

四国歩きの総括 4

2009-08-17 | 09年四国の旅
 初めての道は8箇所歩くことができた。焼山寺から南回りの道、愛南町の癒しのへんろ道、宇和島市の松尾トンネルの上の峠道、久万高原町の農祖峠、松山市内の番外蓮華寺の前を通る道、栄福寺の手前の山越えの道、観音寺市の財田川右岸の道、88番から大坂峠への道。
 これで、主なへんろ道はほとんど歩いてしまったことになる。あと残すところは月山神社からの旧いへんろ道(赤線はない)、農祖峠から先に岩屋寺へ行く道、88番から與田寺へ行かず大坂峠へ直行する道、大坂峠から1番へ下りていく道の4箇所くらいになってしまった。別格への道も4箇所くらい残っているから合わせて8箇所くらいになる。

四国歩きの総括 3

2009-08-16 | 09年四国の旅
 歩行距離の合計は1143.1km。歩行時間の合計は11391分。
 1日の平均は39.42km、6時間33分。平均時速は6.02km。
 2年前の平均時速は6.1kmだったから、やはり全体としての調子はやや良くなかったと言えるかもしれないし、撮影のロスタイムを考慮すればあまり変わらなかったのかもしれない。でもやはり、明らかにうまく歩けなかった箇所が目立った年ではあった。特に山歩きの調子が出なかった。焼山寺は今までで最悪だったし、太龍寺の下り、柏坂の登り下り、横峰寺の下り、雲辺寺の登り下りも目立ってよくなかった。
 今回は写真をたくさん撮るから、タイムはあまり気にしないつもりだったけれど、結局最初から最後まで例年のように細かくチェックしながら一喜一憂する日々だった。でも、それがこの旅の一つのアトラクションではあった。歩いてお参り、歩いてお参りを繰り返すだけの単調な旅を、よりおもしろくするための一つの工夫ではあった。速く歩くことが偉いことでも良いことでもないけれど、気にしながら、目標にしながら、比較しながら歩くことはおもしろいことではある。同じ道を何回も歩くわけだから、年々欲張りになって何かおもしろいことを求めるようになる、昨年今年と遍路日記を書こうと思ったのもその一つの現れであったろう。

四国歩きの総括 2

2009-08-13 | 09年四国の旅
 宿泊費の合計は116,170円、お接待で頂いた500円をあてて実質は115,670円とします。

 宿泊費  115,670円
 食料費   11,460円
 飲料費      751円
 バス代     4,900円
 電車賃      200円   合計132,981円
 納経料   26,400円
 お賽銭       880円    合計160,261円

 プリペイドカードで支払った舞子公園までの電車賃と、電話代は含みません。
 食費は、4日多くかかった昨年が16,639円、今回と同じ日数だった一昨年が17,538円だったから年々節約が進んでいる。でも今年の水準が限界と思われる。食事付きの宿が7つあったとはいえ、1日の食費が420円というのは、我ながら信じられない。それだけの熱量で毎日40kmも歩き続けられるというのは驚くべきことかもしれない。 

2009年四国歩きの総括

2009-08-12 | 09年四国の旅

4.24 越久田屋       4500円(素) 20.4km 3時間09分
  25 さくら屋旅館      7800円(2)  37.4km 7時間15分
  26 大鶴旅館       3000円(素) 32.1km 5時間10分
  27 坂口屋         3000円(素) 38.7km 7時間00分
  28 民宿あづま       6000円(夕) 42.4km 6時間48分
  29 民宿徳増       3500円(素) 45.2km 7時間01分
  30 ホテルなはり      3800円(素) 43.1km 7時間05分
5. 1 香南市サイクリングT  3570円(素) 38.5km 6時間11分
   2 レインボー北星     3500円(素) 35.5km 5時間36分
   3 喜久屋旅館      3000円(素) 39.2km 6時間14分
   4 柳屋旅館        6500円(2)  36.1km 5時間54分
   5 村の家         3500円(素) 30.3km 4時間54分
   6 民宿中村        3500円(素) 43.3km 7時間01分
   7 民宿田村        4000円(素) 41.8km 6時間53分
   8 清水川荘        5000円(2)  43.3km 6時間58分
   9 民宿磯屋        4000円(素) 37.7km 6時間15分
  10 遍路宿もやい      3000円(素) 40.1km 7時間13分
  11 ふるさと旅館       4000円(素) 45.1km 7時間23分
  12 おもご旅館        3800円(素) 46.0km 7時間43分
  13 長珍屋          4200円(素) 39.1km 6時間47分
  14 コスタブランカ        5500円(2)   40.1km 6時間22分
  15 敷島旅館        3500円(素) 46.5km 7時間25分
  16 にぎたつ旅館      3000円(素) 36.8km 6時間44分
  17 ビジネス旅館高雄    3000円(素) 36.4km 5時間47分
  18 藤川旅館        3500円(素) 42.6km 7時間58分
  19 三中井ビジネスH    4500円(夕) 41.3km 6時間30分
  20 ビジネス旅館三鈴    4000円(素) 39.6km 6時間33分
  21 民宿八十窪       6000円(夕) 40.8km 6時間38分
  22                        43.7km 7時間24分
  


29日目 5月22日

2009-08-08 | 09年四国の旅

 5:30 お大師さんのわんこ
29日目、最後の日が始まる。今日は1番まで戻るのではなく1番の近くの高速バスのバス停まで戻る。1番霊山寺にお礼参りするのは意味がないとする人も多く、ぼくもその意見に賛成。今まで何回か戻ったこともあるけれど、今回は2番の前を通ってそのままバス停に直行する。そして今回は初めて大坂峠を越える道を行く。88番から1番へは南回りで10番切幡寺の前を通る道が一番近く、登りの道もないので女将さんは薦めるけれど、ぼくはもう4回も歩いているので今回は初めての道を行く。
 宿の前でわんこが待っていてくれた。何をするでもなくただ寝そべっているだけだけれど、宿のすぐ前にいたのでやはり見送ってくれているとしか思えなかった。


 5:36
さぬき市から東かがわ市に入る。引田町、白鳥町、大内町が2003年に合併してできた。



 6:12
ここから70mの山越えが始まる。2年前この道に入ったときはこの先のT字路を逆に折れてトンネルの方に行ってしまった。


 6:28
T字路の所に標識はないけれど、この登り口の所にはちゃんと遍路標識があった。T字路の前後の部分は旧い道ではなくて新しくできた迂回路だと思われる。昔の道がつぶされてしまって、その部分だけ新しい道になった、それで標識も付いていない。


 6:31
峠に大きな昔の道標があった。間違いなくここが昔のへんろ道であったことが判る。10番の方に下りていくお遍路はほとんどいなかったのかもしれない。


 6:33
山道を下りてくると、そこは徳島県阿波市。でも100mくらい行くとまた東かがわ市に入る。ここから與田寺の手前までは2年前に歩いたのでいくらか余裕を持って歩ける。


 7:09 白鳥温泉
大窪寺から9.3kmだから、長尾寺の近くの宿から出た人は、ここまで来る人と、コミュニティバスで高速のバス停まで戻る人とに別れるようだ。5年前、80番国分寺のそばの宿でいっしょだった108ヶ所巡りのベテラン遍路さん(佐藤光代さんの遍路日記にも登場する、その年ぼくは佐藤さんと八十窪で同宿だった)は、ここの宿が大のお気に入り。3つある宿の内どの宿かは聞きそびれたけれど、たぶん1番の白鳥温泉だと思う。


 7:25
四国総奥の院といわれている與田寺に行く人はここを左折する。大坂峠へ直行する人は直進する。與田寺に寄ると5kmくらいの遠回りになる。2年前與田寺に行こうとしてそのすぐ手前で挫折したので、今回も左折する。直進の道は来年以降にとっておく。大坂峠からの道も2種類あるからどっちみちもう1回は来なければならない。


 7:53 大内ダム
この少し手前にちょっとした峠(県道132号)があった。與田寺まではもう登りはない。12.7kmからの短絡路は工事中で歩けなくなっていた。工事が終わっても歩けないかもしれない、2年前歩いておいてよかった。


 7:57
こういう場合、表示より長くてがっくりすることが多いけれど、実際はその反対でした。


 8:25 高松自動車道
2年前はこの手前の所を折れずそのまま真っ直ぐ行ってしまったので、この下は通らなかった。與田寺はこちらの看板もあったのに、思い込みだけで地図を確認もせず間違った道を行った、すぐ気がついたけれど、結局與田寺には行けず、このすぐ先を左に行ったところにある大内高速バス乗り場からバスに乗ってしまった。2年前の失敗を埋め合わせるために今歩いている。


 8:31
四国初十八ヶ所総奥の院、山門の横の石柱にはっきり刻まれている。そうはっきり書かれては八十八ヶ所を巡ったあとここに来ないのは片手落ちという感じがしないでもない。少なくとも1番にお礼参りに行くよりは有意義なような感じがした。江戸時代のお遍路はこのお寺で最後のお参りを済ませたあと、この先の港から船で関西方面へ帰る人が多かったという。でも現代のお遍路がここを訪れることはあまりない。今日も広大な境内に人影は全くなかった。山門の横で小僧さんが竹箒を使っているだけだった。


 9:55 高徳線
與田寺ではお参りを含めて20分の休憩、8時55分に発つ。ここからは全部初めての道になる。今まで何回も地図を頭の中に入れてきたけど、発つ前に今一度確認しておく。でも、曲がり角にはもれなく遍路シールがあった。地図にはもちろん赤線があるけれど、この道を行く人はものすごい少数派だと思われるのに、これだけちゃんと遍路標識、シールがあるというのは本当に意外だった。別格の道にもこれくらいちゃんとあればいいのにと思う。この道を行く人より別格を歩く人の方が遙かに多いはずだ。


 9:56 国道11号
踏切を渡るとすぐ国道に合流する。讃岐相生駅の近くまで、しばらく国道を歩く。


 10:34 引田駅
本当はこの駅で休む予定だったけれど、1kmほど手前に廃業したたこ焼き屋があって、その前にベンチもあったので、そこで休んでしまった。そこまで8kmくらいしか歩いていないのに相当疲れていた。やはり初めての道で、先が読めない、時間が読めない、距離が見えないということで、慣れた道よりかなり神経を使うのかもしれない。平地ばかりなのに6.2kmしか出ていない。


 10:44
コンビニの前に重装備の歩き遍路さんがいる。この道を歩いている人がいるのはすごく意外。ぼくはもう何も買わない。最後まで歩くための水と食料はまだザックの中にある。


 10:58
讃岐相生駅の前を過ぎ、国道を離れる。


 11:09 高徳線
この下をくぐって左に折れると、すぐ山道が始まる。


 11:17
ここまでは幅の広い緩やかな山道、70m登っただけだからほんの序の口。これからが本当の峠道になる。


 11:35
この少し手前で男の歩き遍路さんが立ち止まって眺望を楽しんでいた。白鳥温泉から17km地点。やはり、こちらの道を行く人も確実にいるようだ。県境といってもここが峠ではない、峠はさらに120mも高いところにある。


 11:47 大坂峠
標高380m、ここからは下るばかり。引田駅からの平均時速は4.9km。休憩所があるようだけど、休む場所は決めてある。


 11:53
峠から160mの標高差を一気に下ってきた。距離は500mくらいだから、ものすごい傾斜になっている。県道を横切ってまた目の前の山道に入る。


 11:56
300mで再び県道を横切る。このあとに恐ろしい階段が待っていた。下り道や階段は数え切れないくらい歩いてきたけれど、こんなに危険な下りは初めてといってもいい。写真を撮る余裕など全くない。60°以上の急傾斜、実際はどうか判らないけれど、そんな感じさえした。手すりにつかまりながらそろりそろりと下りていく。


 12:06
標高はまだ100mあるけれど、坂道は終了。ほっと一息つく。


 12:07 高徳線
踏切を渡って右に折れるとしばらくは線路沿いの道を行く。


 12:16 阿波大宮駅
引田駅から8.6kmを102分、平均時速は5.1kmだった。バス停鳴門西まであと8.4km、ほとんど平地だから80分ほどで着けるはずだ。40分は休むことができるけれど、余裕を見て20分の休憩をとる。


 12:47
高徳線の下をくぐる。


 13:02
県道を離れまた高徳線の踏切を渡る。地図を出すことなく迷わず左折する。


 13:03 高松自動車道
この下をくぐったところまでが初めての道、そのあとは何度か歩いたことのある道になる。


 13:06
 昨年と一昨年にお世話になった道しるべが見えた。本当に帰ってきたと実感する。手前の大きな家ではなく奥に小さく見えているのが道しるべ。


 13:18
3番金泉寺の前を通過、いよいよゴールは近い。


 13:36
この裏には板野町と書いてある。28日前写真を撮った。確かにぐるりんと1周してきた。


 13:44
2番極楽寺の前を通過、ここから県道を離れリューネの森という新興住宅地の中を通ってバス停に向かう。リューネの森の地図も頭の中に入っている。最後の最後で道をはずすわけにはいかない。


 13:55 鳴門西
阿波大宮駅から8.4kmを80分、平均時速は6.3kmだった。撮影のロスタイムを引けば6.4kmくらいだろう。ここが旅のゴール、もう歩かなくてもよい。でも、四元さんのように両手を高々と挙げて「ゴ~ル~!」と叫ぶ気には全くなれない、旅が終わったという感じはほとんどない。頭の中は1500枚の写真のことばかりだ。帰ればこの写真に一つ一つコメントを着けてアップしなければならない、2ヶ月以上かかることは明白、別の旅が始まることになる。
 そして、8月11日の今、2ヶ月と20日かかってようやく2009年のブログの旅が終了、本当に旅が終わったという感じがする。昨年まで板東駅や高速のバス停で感じていた脱力感を今やっと味わえている。


28日目 5月21日

2009-08-02 | 09年四国の旅

 6:08
三鈴ではいつもおにぎりのお接待を頂く(昨年は夕食)けれど、今回は朝食をまるまるお接待して頂いた。一人同宿のお遍路さんがいるのでお接待とも何も言わず普通に食べて、と言われる。もちろんそういうことは言われなくても心得ている。同宿の人は連泊、連泊してどういう行程で巡っているのか想像もつかない。
 おなかいっぱい頂いて6時32分に発つ。28日目が始まる、今日はいよいよ結願の日、41kmくらいの行程になる。出発が遅れたので大窪寺には3時半くらいに着く予定。


 6:32
宿の玄関を出ると天満屋が見える。まだ表からは見たことがない。


 6:36
国道に出てすぐコンビニがあったので、今日の昼食用のかりんとうを一袋購入。朝食をたっぷり頂いたのでこれだけで88番まで動けるだろう。


 7:04
これから登る屋島がくっきり姿を現した。まさに屋島そのものの姿。


 7:12
 偶然にしてはいい感じの1枚が撮れた。この終点は86番志度寺のすぐ近く。


 7:17 潟元駅
国道を左折するとすぐ琴電の踏切を渡る。


 7:26
屋島の標高は284m、でもその山道より登り口までの400mの方が余程険しい。この急勾配は太龍寺の山門の手前の道を思い起こさせる。息が上がって登り口までにたっぷり一汗かいてしまう。ぼくは常々ここが最後の遍路ころがしだと思っている。


 7:48 屋島寺
山門までの登山道で何人もの地元の人にすれ違ったり追い越したりした。ここは地元の人の散歩(早朝登山)コースになっている。みなさんもれなく気持ちよく挨拶してくださる。登りに入ってからはかなり調子は良かったけれど、例年より2分遅れ、7kmを72分で到着した。食事直後で最初は少し動きが鈍かったかもしれない。


 8:06
お参り、納経を終えて、納経所の前のベンチで一休み。山門の少し前で追い抜いた早朝登山のみなさんの間で休ませて貰う。こちらから二人目の人が「今日はどこまで行くの?長尾まで?」と訊かれたので「88番大窪寺まで行きます」と答えると、一同揃って声を上げてびっくりされる。「この時間から大窪寺まで行く人は初めてやなぁ」「たいてい長尾寺までやもんなぁ」「志度までしか行かん人もおるくらいやのに」「長尾から大窪寺まで相当あるで」などと口々に言う。「大窪寺までやったら、5時か6時くらいまでかかるんとちがうか?」、「3時半くらいには着くはずですけど」と答えると、また一同声を上げてびっくり。「ここまで何日かかった?」といつもの質問、「28日目です」と答えると。「それはすごいなぁ、普通は40日以上かかるというのに」と半ばあきれ顔、せっかくいろいろ話させて貰ったので写真をお願いしたら、「そらちょっと困るなあ、指名手配されてるんや」と向こうの人が軽口を叩いて一同爆笑。その隙にシャッターを切ったら、なかなかいい一枚が撮れた。ブログに載せますといったら、二人目の人がどうやったら見られるのかと尋ねられる。遍路宿情報にホームページのアドレスが書いてあるので、それを渡そうとしたら、いやいや書き写せばいいからと、納経所の人に頼んで鉛筆とメモ用紙を借りに行った。帰って1番から書き始めるのでみなさんの写真を載せるのは1ヶ月以上後になりますが、と言ったけど2ヶ月半もかかってしまった。少し遅れたけれどちゃんと約束は果たすことができた。みなさん本当にありがとうございました。元気をいっぱい頂いたおかげで、この日は本当に気持ちよく歩くことができました。


 8:15
屋島寺ではお参り、納経を含め25分の休憩、8時13分に発つ。これから本当の遍路ころがしが待っている。その前に眺望のいいところからこれから登る五剣山をしっかり見届ける。


 8:17
写真ではこの足場の悪い急な下り坂が全然伝わらない。遍路ころがしと言われている所はいくつかあるけれど、本当の遍路ころがしはここだけだと言ってもいいだろう。本当に転がって枝に引っかかって命拾いをしたという人の話を栄荘の女将が伝えている。


 8:22
急峻な山道を下ってドライブウェイまで落ちてくる。ドライブウェイは歩行不能だけれど、お遍路だけ横切ることは許されている。ここから先はさらに急な石畳や舗装道路が待っている、膝への負担はここからの方が大きいくらいだ。


 8:27
ここはまだ急坂の途中、まだまだ休んでいる場合ではない。お茶の用意がしてあれば立ち止まったかもしれないけれど。


 8:42
埋め立てが進んで運河のようになっているけれど、元は海(入江)、檀の浦の南の部分、那須与一が扇の的を射たのがこのあたりだと言われている。


 8:44
この辻にある遍路標識が曲者、右を指した矢印を信じると痛い目に遭う。地図には右へ行く道に赤線はない。無視して直進しましょう。前を行くお遍路さんは惑わされることなく直進していった。すぐ追いついたら、昨日飯田休憩所でいっしょだった人だった。きららで泊まると言っていたのにもうこんな所まで来ている。時間が早かったので変更したのかもしれないし、電車に乗ったのかもしれない。


 8:58
ここの標高は70m、八栗寺の標高は230m、ここからの登りがけっこうきつい。屋島より50mも低いけれどこの道が楽だと感じたことは一度もない。


 9:12
山門の手前にある旅館、たいへん良い宿だったと橋本さんが教えてくれた。


 9:13 八栗寺
屋島寺から5.2kmを60分で到着、例年より1分早いベストタイムで到着した。写真もずいぶん撮ったから、かなり早い。体調はどんどん良くなっている。


 9:17
山門を入って右側に緑茶サーバーが設置してあった。昨年までは気がつかなかったから最近置かれたのかもしれない。お参りの前に早速熱いお茶を頂く。冷たければさらにありがたかったけど、贅沢は言えない。お参り、納経を含め23分の休憩。


 10:09 国道11号
9時36分に八栗寺を発つ、下りの自動車道は急傾斜の所が多く膝に負担がかかり、思い切ってスピードを乗せることもできない。昨年この区間は全然駄目だったから、いくらか意識しながら下る。途中、重装備の逆打ちの若者とすれ違った。、初めて=野宿=逆打ち、ぼくなどとは別世界に生きている人だ。全部野宿で回って何がおもしろいのだろうと、ぼくは首を傾げる。いくら安上がりでも、おもしろくなければ意味がない、修行で巡っているのではない。


 10:10
国道に合流すると、すぐ左に新しくできた道の駅がある。昨年は工事中だったはずだ。志度寺まであと2km半だけど、ゆっくり歩く人にはいい休憩所になるかもしれない。


 10:12
道の駅を過ぎるとすぐ脇道にはいる、国道を歩いたのは300mだけ。


 10:18
琴電の踏切を渡ると、まもなく志度の町の中に入っていく。


 10:25
記念館、遺品館に「先生」が付くのは極めて珍しく、おもしろい。志度の人々がいかに愛着と尊敬のまなざしで彼を見ているかということだろう。これだけの距離を歩くとなかなか見学する余裕は持てない。


 10:25 源内先生
台座には杉田玄白の言葉「あゝ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常、何ぞ非常の死なる」が刻まれている。


 10:30
すごく評判のいい宿、ぼくも1回目のときお世話になった。素泊まりだったけどおにぎりのお接待を頂いた。


 10:34 志度寺
八栗寺から6.4kmを58分、例年と同タイムで到着した。写真も撮ったからベストといってもいい。昨年のリベンジを果たせて大満足。山門の手前で逆打ちの夫婦遍路とすれ違う。この時間ここにいるというのはちょっと理解できない、88番の前の宿からだと22km、時速5kmでもこの時間に来るのは難しい。助光から長尾までバスに乗ったということか。


 11:03
志度寺ではお参り、納経を含めて25分の休憩。3時半に着くと言ってしまったので、それが嘘にならないように休憩は最小限になってしまう。10時59分に発つ。
 高徳線の踏切を渡るのは、旅の初日以来27日ぶりのことになる。


 11:08
最後の買い物をする。明日の朝食用のパン一つ、今日の宿代と明日のバス代を合わせて支出の合計は132981円になる。今日は夕食付きで予約しているから、手持ちの熱量でなんとか明日の午後まで動けるだろう。


 11:27
眩しいくらいの鮮やかな赤、悲しいかな花の名前は判らない。


 11:39
脇道に入ると、番外霊場玉泉寺の前を通る。玉泉寺は87番長尾寺の奥の院。


 11:52
県道に合流すると、すぐ右折して川沿いの道を行く。前に二人連れが見える。この時間だと長尾までということはあり得ないから、88番まで行くということか。追いついて男の人に尋ねると、竹屋敷に予約しているということだった。竹屋敷は88番の3km手前、ここからだと14kmくらいになる。全然無理な距離ではない。


 12:08
長尾寺の前にある遍路宿、この女将さんはすごく親切で気持ちのいい人。2年前にお世話になった。


 12:08 長尾寺
志度寺から6.9kmを62分、例年より2分早いベストタイムで到着した。調子はますます上がっていく。昨年より5分も早い、またもリベンジ達成。気分は上々。この調子で88番まで行くぞ~。


 12:49
長尾寺ではお参り、納経を含めて23分の休憩、12時32分に発つ。88番までは15km以上あるからまだ2時間半は歩かねばならない。休憩を20分入れると3時半までに着くことができる。何とか嘘をつかずに済みそうだ。


 12:59
脇道に入って1kmの所に休憩所がある。長尾寺から3km弱、まだまだ休んでいる場合ではない。


 13:02
県道3号に合流する。


 13:04
200mでまた脇道が始まる。ここらあたりからダムに向かって登りが始まる。


 13:11
700mでまた県道に合流、ここから恐ろしい急坂が始まる、時間と坂との二重の戦い。


 13:19
前山ダムのそばにある休憩所、3年前までここで休んでいたけれど、昨年からはおへんろ交流サロンで休ませて貰うことにしたので、行き過ぎる。長尾寺から4.7kmを45分、今までのベストと同タイムで来た。昨年より3分早いのでまたもリベンジ達成。昨年は、八栗寺からここまで本当に調子が悪かった。


 13:23
おへんろ交流サロンに行くと、バスツアーの団体が資料室を見学しているところだった。館長はその解説のために立ち会っていて、昨年のように出迎えて貰えなかった。見学を終えた団体がぼくの周りに来て同じようにお茶を汲んで休み始める。ここは歩きへんろの疲れを癒すための休憩所なのだ、資料室を見学しただけでなぜに一服しなければならないのだ、早くバスに乗って出発すればいいのに。おまけに館長はぼくもその仲間だと思って全然相手にしてくれない。本当に大阪の人間は厚かましくていやだ。


 13:33
最初は緑茶サーバーでお茶を頂いていたけれど、インスタントコーヒーも飲めるようになっていたので遠慮なく頂くことにする。2杯たて続けにいただく。熱かったので汗が体中から噴き出てくる。糖分の補給も十分できたところで1時40分に出発する。昨年はここから1時間44分で88番に着いたので、3時半までには楽々着けるだろう。
 出ていくときに名簿を見ると、今日は25人、昨日は20人くらいの歩き遍路が来ていた。歩きの人は例年より少ないような印象だったけど、昨年とほとんど変わらなかった。ここへ来る人のほとんどが長尾寺か志度寺の近くの宿を出発した人だから、午前中にここに来る。ぼくが絶対追い抜くことのできない時間帯を歩いているから、そういう印象になる。


 14:13
交流サロンからは3つの道がある。大半の人が女体山越えの道を行く、ぼくも2年前に歩いたけれど、本来のへんろ道ではないし楽でもないので1回で充分。今年も本来のへんろ道である花折峠を越えることにする。7回の内5回がこの道。この道は本当に静かで車も人もほとんど通らない。さびしいといえばこれほどさびしい道はないかもしれない。標高差270mを5kmで登っていく。傾斜は緩いところも多いけれど常に登りなので気が抜けない。熱いコーヒーを2杯飲んで相当汗を出してしまったので、却って水分不足になってしまったのではないかと心配したけれど、糖分とカフェインのおかげか、足取りは驚くほど力強くなっていた。峠を越えれば、しばらく下り坂が続く、思い切りスピードを乗せることができる具合のいい坂が続く。


 14:19
県道3号に合流する。多和まで快適な下り坂が続く。


 14:33
多和分岐に大窪寺5kmの標識。この標識が正しければあと50分くらいで到着だ。でもここからは登りになる。


 14:34
ここからは竹屋敷の先まで国道377号を行く。しばらく行くとおへんろ交流サロンでいっしょだったバスツアーが大窪寺のお参りを終えて引き返してきた。この時間だとそのまま大阪まで直行だろう。


 14:54
ぼくは3時前にここまで来たけど、長尾寺の手前で会った夫婦は5時までに来られるのだろうか。


 14:58
これより2km、と書いてあるけれど、これを信用してはいけない。実際は2.4kmある。しかも標高差は100mもある。だらだらした登りが最後まで続く。


 15:21 大窪寺
坂道を登ってきてやっとこの山門が見えたときの感激、女体山を越えるとこの感激は味わえない。何しろいきなり境内に下りてきてしまうのだから。3回目まではこの山門から境内に入ったけれど、4回目からは古い本来の山門から入ることにした、雰囲気が大分違う。


 15:21
山門の下に、昨年ここから大瀧寺に向かうときに見送ってくれたわんこがいた。1年間健在で少しほっとする。


 15:23
こちらが本当の山門。屋島寺で宣言したとおり3時半までに到着した。交流サロンから10.4kmを101分、昨年のベストタイムより3分も早かった。コーヒー2杯が効いたのかもしれない。


 15:35 結願
くっきり結願所の御朱印を頂く。28日間で88ヶ所すべての御朱印を頂いた。納経帳を持たなかった過去6回とはひと味も二味も違う感慨がある。ぼくもやっとお遍路さんらしくなれたという実感がある。


 15:37
納経所から出て、改めて本堂と女体山を仰ぎ見る。7回も来ているのに、やはり結願所は特別なのか冷静になれず水屋を使わずいきなり本堂に行ってしまった。何度来ても反省することばかり、1100km、88ヶ所すべての行程を完璧にこなすことなど何十回巡っても不可能に違いない。だから、また巡りたくなる。でも、今はまだ来年のことは考えられない、明日43.7kmも歩かねばならない。しかもバスの時間は14時22分、初めての道が半分以上なので時間の予測もたてにくい。


 15:40
民宿八十窪は5回目の投宿。志度寺の近くの宿から来る人が多いので、この時間だとほとんどの人はすでに到着している。今女の人がお風呂に入っているので、すぐに入りたいのであれば奥の小さい方のお風呂があるけれど、と言われたので、もちろんそちらの方で構わないと答える。何十kmも歩いて宿に到着すれば、何よりも先にお風呂に入りたい、お遍路の気持ちを大事にしてくれる良い遍路宿である。


 17:42
同宿の人は女性3名、男性1名、久々ににぎやかな夕食になった。三中井ビジネスホテルでも男性二人といっしょだったけれど、お遍路かどうかも判らず、一言も交わさなかった。ほとんど素泊まりということもあり、同宿のお遍路とお話ししながら食べるのは13日ぶり、高知県の最後の宿、清水川荘以来だった。
 女性二人はいっしょに歩いていて、1週間歩いて1週間休みを繰り返している。3月の初めから歩き始めて11週間で結願、そのうち歩いたのは6週間、42日で1巡したという。四国の人だからそういう歩き方でも比較的交通費はかからない。そういう区切り打ちの仕方は初めて聞いた。もう一人の女性は別格も巡っている。今日は大瀧寺を打ってからここへ来たけれど、下りの道が判らなくて難儀したという。確かにあの道は登ってくれば判るけれど、彼女はたぶん向こう側から登ってきたので、あの道に入るのは容易ではなかったろう。遍路標識は下りはじめの部分にはない。
 ぼくの向かいに座っている男性は逆打ちで明日から歩き始める。でもただの逆打ちではない、知り合いが6月1日から順打ちで1番から歩きはじめる、それまでは逆打ちで行けるところまで行って、1日に1番で落ち合って、いっしょに順打ちをするということだった。明日の行程をどうするか決めかねているようだったので、女体山の逆打ちは大変危険だと一同声を合わせて助言する。今日ぼくが来た花折峠を行くのがベスト、でも県道から峠への入り口は遍路標識がないので分かり難い。判らなければそのまま県道を行くしかない、少し遠回りになるけれどおへんろ交流サロンには間違いなく行ける。最後の1枚になった遍路宿情報を渡す。