WALKER’S 

歩く男の日日

9月18日 ①

2010-09-18 | 10年日帰り遍路

 気候もよくなったので、また日帰りで四国を歩くことにする。今朝の室温は3ヶ月前,神山から徳島まで歩いたときとほぼ同じ。今日は快晴の予報だから日中の気温はもっと上がりそうだけれど、歩く距離は15kmだけなので、高野山を登ったときのようなひどいことにはならないはずだ。


 8:39
 8時ちょうどに姫路駅を出た岡山行きが上郡を出たところで車掌さんが巡回に来てくれた。自販機では2000円くらいまでしか買えないので、どうしても乗り越し精算が必要になる。目的地観音寺までは3140円。


 10:10
 マリンライナーが定刻に坂出駅に到着、階段を下り、反対側の上りホームに向かう。


 10:21
観音寺行きがホームに入ってくる。坂出から西の予讃線に乗るのは初めてではない。7年前に一度往復したことがある。でも車窓の風景は何一つ記憶はない。


 10:39
多度津駅を出るといよいよ我拝師山が近い。7年前はその名すら知らず、全く気にもとめなかったことだろう。来月はあの中腹にある捨身ヶ嶽禅定(73番出釈迦寺奥の院)に初めて登る。88カ所を7回巡っても我拝師山に登っていなければ本当に四国を巡ったことにはならないとずっと思っていた。


 10:45
海岸寺駅を出るとすぐ左手に大塔(二重塔)が見える。7年前は、別格18番海岸寺はもちろん別格20カ所があることすら知らなかった。大塔は線路の左側(山側)にある奥の院の中にある。海岸寺は線路を挟んで海側にある。大師堂は奥の院の中にあるのでお参りに来たお遍路はもれなく奥の院の方にも行くことになる。2年前納経をしてもらったユニークな住職のことは当分忘れられそうにない。


 10:47
海に浮かぶ津嶋神社を何とかとらえることができた。津島橋を渡ることができるのは夏期大祭8月4日5日の前後数日だけ。初代てくてくウォーカー岩崎恭子さんもその入り口から眺めるしかなかった。臨時駅津島ノ宮も8月4日5日の二日間しか電車は停まらない。


 11:17
列車が観音寺駅のホームに入ったのは11時14分、改札を出て待合所で白衣と手甲をつける。駅前に出てくるのに3分かかった。


 11:18
駅前の交差点を過ぎると、すぐ橋を渡る。橋の上にはおなじみ寛永通寶。


 11:19
橋を渡って左に折れると、4年前お世話になった一富士旅館。玄関の脇に別館の看板が掛かっているところを見ると、本山寺門前の一富士旅館と関係があるのかもしれない。雰囲気は抜群だけれど、素泊まり4725円と遍路宿にしてはちょっと高い。


 11:20
一富士旅館の前の道は遍路道ではない。でもぼくは4年前に歩いているので初めての道ではない。あまり記憶に残っていないけれど、一応地図は確認してきたから問題はないだろう。


 11:22
一富士旅館から200mで突き当たって右に折れる。折れるとやや広い道。ここを真っ直ぐ行って二つ目の信号で遍路道に合流するけれど、ちょっと遠回りになるので一つ目を左折する。


 11:23
一つ目の信号を左折したところ、50m先をすぐ右折する。


 11:24
右に折れて県道21号を行く。ここを真っ直ぐ行けば遍路道に合流する。


 11:26
3回お世話になった藤川旅館の前を通過する。素泊まり3500円、2食付き5000円の看板は健在、値上がりはしていないようだ。この大きな町でこの値段は本当に安いと思う。設備も決して悪くない(ウォシュレット完備)し、女将さんも親切丁寧な対応をしてくれる。


 11:27
藤川旅館の50m先の交差点で遍路道に合流する。ここからはなじみの道が続くことになる。


 11:28
マンホールにも寛永通寶、これはデザインしやすい。でも今まで7回も来ていてこのマンホールに気がついたことはなかった。


 11:29
財田川に架かる三架橋を渡る。本日最初の遍路シール。


 11:30
財田川を渡ると左手に琴弾八幡宮の鳥居が迎えてくれる。まだ一度もお参りしていない。讃岐の国は距離の割に札所の数が多く、いつも慌ただしく4日ほどで歩き抜けてしまうのでそこまでの余裕は持てなかった。


 11:31
下側の遍路標識は全く判読不能になっている。ぼくが歩き始めた頃にははっきり読めたはずだ。


 11:32
趣のある低い白塀の小径を行く、内は墓地。


 11:34
左に折れるところに69番の石柱、山門は向こうに見えている。


 11:39
駅から1.6kmの距離を17分かかって68番と69番の山門に到着した。境内に入る前から車遍路やバスツアーの参拝者の往来が激しい。そういえば今日は3連休の初日であった。車ならこの3日で讃岐の一国打ちは十分可能だ。


 11:54
神恵院の本堂、大師堂、観音寺の本堂、大師堂と立て続けに滞りなくお参りを済ませる。いずれのお堂の前でも4~5人の人といっしょでさびしくなかった。このお寺は朝一で来ることが多いので、こういうにぎやかなのは新鮮で気持ちがよかった。納経所にも10人近い人が並んでいる。


 11:57
山門を出て左が駐車場になっている。この中を突っ切って車の出口から出る。今まで何の迷いもなくそうしてきたし、地図にもそのように赤線が引いてある。でも山門の前の道を真っ直ぐ引き返して、石柱の四つ辻を左折した方が10mくらい近道にはなる。

駐車場の出口に道標がある。本山寺まで4.5kmというのはかなり正確。ぼくの地図では4.4km。


 11:58
こちらは5kmとなっているけど、これは車遍路のための標識。車道はちょっと遠回りになる。


 12:00
県道21号の交差点にある道標、本山寺まで5.0kmというのは全く誤り。財田川の右岸を行けばそれくらいになるかもしれないけれど、最短距離は4.2km。


 12:02
財田川まで出てきた。そのまま真っ直ぐ染川橋を渡って右岸を行く方にも赤線はあるけれど、最後にまた橋を渡ることになるので100mくらい遠回りになる。ぼくは昨年歩いたのでこれからはずっと左岸を歩くつもり。


 12:03
上流に向かって左岸は県道49号、歩道の幅は車道の片側と同じくらいある。とても気持ちよく歩ける道。


 12:07
川の向こうに観音寺第一高校の校舎が見える。その上には雲辺寺山の鉄塔が3本くっきり見えている。例年なら、あの山を越えてきた、900kmを歩き続けてきた自信と誇りを持って仰ぎ見る。そういう感慨はもてないけれど、今歩けるだけでもありがたいことだと、かみしめ直す。


 12:14
車は目の前の橋を渡る、歩きは直進。でもあれだけはっきりした標識があると、惑わされる人がいるかもしれない。


 12:15
交差点には歩き遍路のための直進のシールがある。


 12:17
本山寺まで5.8kmとあるけれど、実際は2.6km。四国のみちの標識には惑わされることが少なくないけれど、これだけの誤差は珍しい。

先の稲積橋の交差点から100mくらいは歩道がないけれど、ここからまた幅の広い歩道が整備されている。


 12:22
4つ目の橋が見える、その150mくらい手前から歩道がなくなった。


 12:24
橋のたもとから右側に歩道がある。ずぼらをしてこちら側に渡らずそのまま県道の左側を歩いていると大変なことになる。


 12:25
大きな橋から歩道を100mくらい行くと小さな橋がある、右折してこの橋を渡るのが遍路道。県道の左側を歩いているとこの右折の標識に気づかない。ここで道をはずす人が少なからずいるようだ。ネットでも見たことがあるし、はずしたという人に実際に会ったこともある。

小橋を渡る。この小川はさっきの大きな橋のところで財田川から分岐した竿川。


 12:26
橋を渡って左折すると道が二またに分かれている。右側の財田川の土手を行く道がへんろ道。


 12:27
土手の道は車が来ないので快適に歩ける。例年だと朝散歩している人とすれ違うことはあるけれど、昼間は誰一人通らない。自転車も来ない。


 12:34
左手に我拝師山と弥谷山が見えてきた。あの曲線は本当に讃岐の国ならではという感じ。


 12:35
アンパンマン列車が財田川を渡ろうとしている。帰ってから調べたら、特急しおかぜ9号、宇和島行きだった。


 12:36
予讃線の踏切はなく、土手から河原に下りていく道がある。江戸時代から明治の初めまでは、当然そんな必要はなくそのまま土手の道が続いていたはず。


 12:37
予讃線の下をくぐる。


 12:38
また土手にあがってくる。本山寺のすぐ手前まで同じような道が続く。五重塔も見えている。


 12:45
観音寺から47分で本山寺に到着。ベストタイムは40分だからすごく遅い。今回は距離も短いし時間の余裕もだいぶあるので、速さは気にせず歩いてきたけれど、それにしても遅い。時速6kmを切ることは想定していなかったのでちょっと焦る。


 13:04
観音寺では山門を出るときに二人の歩き遍路の男性とすれ違った。二人とも民宿青空屋から来たと思われる。本山寺では女性と男性が近くのベンチで休んでいた。二人連れで歩いているのか、たまたまここで一緒になったのかは分からない。彼らは大興寺裏の民宿おおひらから来たのだろう。ここまで13kmほどだから相当ゆったりした歩きだ。でもこのところの暑さを考えると、それが賢明な着実なへんろ旅なのかもしれない。今日は弥谷寺のそばの宿までが精一杯だろう。
 ぼくは、ここまでのスピードを考えるとそんなにゆっくりしていられない。5分ほど休んですぐに山門を出た。山門を出て左にこの標識がある。これも車のためのもので、歩きは左折する。最初来たときこの標識に従って遠回りをしてしまった。

本山寺の東側の道を行く。こちら側の山門は相変わらず工事中だ。


 13:05
観音寺駅前の一富士旅館の本館かもしれない一富士旅館、こちらには一度もお世話になったことはないけれど、評判は悪くないようだ。


 13:08
行く手に国道が見えてきた。静かな道はわずか500m。


 13:09
国道11号に合流、ここから3kmほど苦手な道が続く。

国道の歩道は最低限の広さ、でもこれでもあるとないでは大違い。あるだけで安心感は大きい。


 13:13
県道229号の交差点、ここを左に行けば最初のお遍路でお世話になったビジネスホテルウエストプレイズがある。


 13:22
1.5km歩いてやっと歩道の幅が広くなった。


 13:36
本山寺から32分でサークルKに到着、昨年より2分遅いけど、時速6kmは出ている。


 13:41
高瀬町(旧、現在は三豊市)に入る。ここまで来ると国道ともお別れ。


 13:42
歩道に大きな道標、指が左を向いている。ここから古い遍路道が始まる。でも、第8版(2007年)までのへんろ地図にはこちらの道に赤線はなく、この先4kmまで国道に赤線が引かれていた。第9版(2010年)の地図には両方に赤線がある。昔の地図を持っていた人はこの道標を無視して地図の通り国道を歩く人も多かったようだ。


ため池の手前を左に折れる。ぼくはずっと国道の左側を歩いてきたけど、右側を歩いているとさっきの道標やjこのへんろシールが目にとまらないから、入りたくても入れない人がいるかもしれない。

水の横を歩くのはすがすがしい。国道を歩くのとは段違い。国道は160mの近道でしかなく、わずか2分くらいの短縮にしかならない。国道を歩く理由は全くない。


 13:43
ため池の向こうに我拝師山を望む。


 13:45
最初のため池を過ぎたところのこの風景が全く記憶に残っていなかった。過去5回も歩いているのに初めて歩くような妙な感じがする。四国のみちは1200kmもあるわけだから5回や6回歩いたところで全ての風景が頭の中に刻まれているといようなことはない。でもほとんどの道は大体何となく覚えている。このように初めて来たような感覚というのは珍しい。


 13:48
このへんろシールは5年くらい前から見かけるようになった新しいものだけど、5年も経てばこれだけ褪せてくる。


 13:51
Netzの前まで来た。この手前のため池の風景ははっきり記憶に残っている。二つのため池が印象に強すぎてその間の風景が記憶から抜けてしまったのかもしれない。


 13:52
Netzの裏の道を行く。表は国道だから、遍路道と国道がもっとも近づくところ。


 13:53
遍路道はとても静かでのどか。車は全く通らないし人影も本当に少ない。


 13:56
広い道を横断、斜め左にへんろ道は続く。行く手に瀬戸内短期大学の校舎が見える。


 13:57
ちょっと雰囲気のある神社の前を通る。この神社も記憶に残っていなかった。毎年この区間は1日に42km歩く上に札所が11カ所もあるので、とにかく忙しくて気が前へ前へと向いて風景を味わっている余裕がないということもあったのかもしれない。


 14:01
道幅はやや広くなったけれど、相変わらず車が通る気配はない。


 14:03
交差点に古いへんろ石が残る。古いといっても明治以降のもの。

すぐそばには分かりやすい新しいへんろシール。


 14:05
交差点から右を見ると、国道沿いにでっかいショッピングモールがある。西村ジョイにマックスバリュ、左の方にはイオンの文字も見える。


 14:06
24分ぶりに国道に合流する。ただし10mほどでまた離れてしまう。

高瀬川に架かる橋の手前で左折する。

左に折れて高瀬川の土手を行く。


 14:10
右に折れて高瀬川を渡る。


 14:11
橋を渡ると最初は歩道のある広い道だけれど、この幅は100mも続かない。


 14:12
すぐ道幅は元のように狭くなった。ただし、ここからは前とは違って車が結構通る。のんびり道の真ん中を歩くことはできない。


 14:15
本山寺から6.9kmとあるけど、それが正しければ後32分でゴールということになる。


 14:19
ちょっと古いタイプの赤矢印、このシールもあまり見かけなくなってしまった。


空海の旅4

2010-09-17 | 日記
 本当に久々に喜多郎で検索をかけたら、空海の旅4がリリースされていた。2から3までに2年8ヶ月かかったから、ほとんど期待していなかった。でも、予想に反して3年以内に修行の道場は完成していた。今回の注目は38番金剛福寺、そのタイトルは「レクイエム」となっていた。なるほど、と膝を打つ。足摺岬は補陀落渡海の地だからこのタイトルは納得がいく。それにしてもこのペースで行くと大窪寺に達するのは早くても12年後ということになる。

最後の熱帯夜

2010-09-13 | 日記
 木金土と最低気温が25℃を下回って夏も終わりと一息つきかけたのに、昨日今日はまた熱帯夜、昨日は25.0℃とぎりぎりだったけれど今日は26.4℃で、また夜中に起きてスポ飲を補給しなければならなかった。でもそれも今日が最後で週間予報ではこの先は24℃を上回ることがないと言っている。日中は30℃以上ばかりだけれど熱帯夜とはおさらば。
 3日前7km歩き、昨日も7km。そして今日は高野山以来50日ぶりに10kmを歩いた。昨日と3日前は久しぶりの本格的な散歩で身体全体がバランスがとれずしっくりこなかった。暑さもあって終止ふわふわ、動悸も激しくなることもあった。2回の練習が効いたせいか、今日は比較的自然な歩きができた。広栄橋までの往きの時速は6.55kmだった。雲が多くて前2回よりは楽なこともあったけれど、この時季にこれだけのスピードが出たことは自信になる。5日後の本番も何とかなりそうな気がする。

スキップ

2010-09-10 | 日記
 9月からの日帰り遍路は予定を変更して讃岐の国から始めることにする。19番立江寺から68番神恵院まで一気に850kmスキップすることになる。不本意だけれど仕方ない。今できることをできるようにやるしかない。それでも十分ありがたさを感じることはできる。

台風一過

2010-09-09 | 日記
 今朝の室温は29.5℃、7月29日以来42日ぶりに30℃を下回りました。期待したとおり台風が空気を入れ換えてくれました。気象台の観測所では21.9℃まで下がった。おかげで久しぶりに汗をかかずぐっすり眠ることができた。この一月半というもの眠りについて2~3時間で必ず目が覚めて水分補給をしなければならなかった。
 パソコンが壊れて復旧するのにあれこれ忙しくて大して苦にもならなかったけれど、より快適に暮らせることには違いない。歩く練習も始めることができる。本日ホームページビルダーも復旧してパソコンは完全復活。何から何まで気分がいい。

台風

2010-09-07 | 日記

 台風が近づいて結構な雨が降っています。姫路で雨が降るのは25日ぶりのこと、いくら瀬戸内式気候とはいえ、ここまで間隔が空くのは相当珍しい。記録的な猛暑だった96年でも雨の降らない日は20日しか続かなかった。掛け値なしの異常気象だと人は言いたいだろう。でもたまたま突出した年が出現したにすぎないとも言える。このまま10月まで夏が続けば本当の異常気象だけれど、確実に秋も冬もやってくる。


最高の最低気温

2010-09-07 | 日記
 今朝の姫路の最低気温は27.4℃、この夏最高を記録してしまいました。2日前24.9℃で22日間続いた熱帯夜がようやくとぎれてほっとしていたのが、一気にぶり返してしまった。もう汗まみれで眠るのにも慣れたから、後半月ぐらい続いても平気だけれど、歩くとなるとそうはいかない。福井の区切り遍路さんは、6月から8月までお休みにして、9月から歩き始める予定にしていたのが、この暑さに怖じ気づいて、10月に延期したと、3ヶ月ぶりの更新で書いていました。ぼくも9月は四国に戻ると決めていたけれど、鶴林寺、太龍寺越えはかなりきびしいので変更を検討しているところ。

8月21日 12:32

2010-09-07 | 日記
 伏見桃山駅に戻ってきたときには上半身ぐっしょり、500ccのペットボトルを一気に飲み干すことができたから、それだけの汗をかいていたことになる。京阪でまた四条まで戻って円山公園を目指す。京都には数えきれないくらい来ているし、そのたびに八坂さんの前を通る。でもその中に入るのは20年以上ぶりになる。お参りはせず境内を突っ切って円山公園に至る。円山公園に来るのは初めてだ。
 円山公園は広いし、この暑さもあって龍馬像の前は寺田屋ほどにぎわってはいない。でも、二組5人ほどの人が写真を撮りに来ている。ここから高台寺奥のお墓に行くのが定番のコースだけれど、それだけの余力は残っていない。寄り道は一切できず阪急の乗り場に直行した。 

8月21日 11:41

2010-09-06 | 日記
 龍馬通りを通って伏見桃山駅へ引き返す。初めの予定では竹田街道を通って市内、東寺のあたりまで歩くつもりだったけれど、この暑さではどうにもならない。30分しか歩いていないのにもう半分以上の体力は消耗してしまった。

8月21日 11:36

2010-09-06 | 日記
 寺田屋の前を行き過ぎて京橋の上に立つ。東を見ると三十石船の船着き場があったあたり。当時はこの3倍以上の川幅があったらしい。そして、寺田屋の前から同じ川幅の水路が真南に宇治川まで通じていた。おそらく、上りの船が西からここまで来て、下りの船はここから南へ下がって宇治川へ下っていったのだろう。ここが大きな水運のロータリーになっていた。その中心、要に寺田屋があったことになる。この風景からその面影を拾うにはとても難しい。せめてあの白いマンションがなければ、寺田屋から水路が見えていくらかは空想しやすいのにと恨めしく思う。

8月21日 11:35

2010-09-06 | 日記
 庭の入り口に高札が掲げてある。寺田屋騒動の解説が記されている。寺田屋騒動といっても昨日放送された龍馬が襲われたものではなくて、その4年前薩摩藩の攘夷派が藩主島津久光の命によって鎮圧されたときのもの。
 ちなみに、当時の寺田屋は現在の建物の東側、この庭の部分に建っていたという。

8月21日 11:34

2010-09-05 | 日記
 京橋の一つ手前の橋の所で遊歩道から上へ上がる。橋を渡って左に折れるとすぐ寺田屋が見えてくる。その前も中も観光客で結構にぎわっている。宿の中は有料で見学できるようになっている。ぼくは中には入らない。現在の建物は明治30年代に再建されたものだということが定説になっている。当主は認めようとはしないけれど。

8月21日 11:30

2010-09-04 | 日記
 水路沿いは遊歩道になっていて、寺田屋の方から何人もの観光客がこちらに向かって歩いてくる。ぼくのようにこちらから歩く人は一人もいない、水路の右側は月桂冠の蔵が見えてとても風情があるけれど、これも新しい建物。歴史や風情を残すために新しく古い建物を建てる、儲けや利潤だけを追求していたらこういう風情は残らない。

8月21日 11:27

2010-09-03 | 日記
 十石舟と三十石舟の水路は、宇治川から北へ800m延び、直角に東に折れて300mで寺田屋の前に到着、ここがかつての三十石船の船着き場、さらに東に100m延びたところで南へ折れ200m進んだ所がここ、十石舟の船着き場になる。ここからまた東に方向を変え宇治川に至る。宇治川とこの水路に囲まれた区域が中書島だと、現代の地図を見ていて思った。この区域の南には京阪の中書島駅がある。
 ところが、古地図では全く違っていた。この区域はさらに水路によって分割されていて、それぞれの島に名前が付いている。中書島はこの区域の十分の一くらいの面積でしかなかった。場所は北側の中央部、ちょうどぼくが歩いている水路沿い左側、寺田屋の南の部分になる。

8月21日 11:27

2010-09-03 | 日記
 大倉記念館の入り口から100mほどで水路を越える。この橋のあたりが十石舟の船着き場、十石舟は現在も観光船として営業しているようだ。