WALKER’S 

歩く男の日日

36日目=讃岐富士見えず

2016-05-31 | 16年四国の旅

1 6時28分、善根宿うたんぐらに到着しました。うたんぐらのお風呂は5時からなので、これくらいが丁度いい。
 今朝は雨の旅立ち、といってもごく弱い霧雨、陽射しがあって暑くなるより歩きやすくていい。金堂の前でカーリーヘアの外国人女性に追い付きます、昨日甲山寺で会った小柄な人とは別の人、二人は素泊まりで宿坊に泊まり朝の勤行、戒壇めぐりにも参加していました。男性の外国人は食事は摂ったけれど勤行には参加しなかった。出口を訊かれたので赤門の方を指し示します。お遍路さんとの交流は今日はこれが最初で最後、いたってシンプルな1日ではありました。
 金倉寺までは身体はいたって軽く動きもいい、ベストタイは楽にでるとすぐに自覚します。結果ベストより1分早く着いてしまいました。とはいっても、この区間はいつも昼過ぎに歩いていたので朝一の今回とは正確な比較にはなりません。まあ普通だったともいえます。金倉寺に入っていくと外国人の男性がすでに納経の最中、この人は宿坊に泊まった人とは別の人。金倉寺から道隆寺まで
もベストを1分上回りました。朝ですから。山門の少し手前で逆打ちの人とすれ違います。本当に1日に一人は必ずと言っていいほど出会います。今から始めるとなると本当に大変、暑いし、雨は多くなるし、いいことは宿の予約がとりやすいだけ。できることなら一人一人になぜこの時季にしかも逆で巡るのか尋ねてみたいものです。
 道隆寺にはたくさんの観音様がおられます。今回初めて意識しながらのお参りです。坂東、秩父、四国などは目に留まったのですがついに西国だけは確認出来ませんでした。また宿題が残ってありがたい。次の郷照寺までは街中の歩き辛いお遍路さんが苦手とする道ですが、やはり朝のせいか幾分歩きやすく感じます。土器川を渡るときにいつも注目する讃岐富士が見えません。こんなことは初めてです。橋を渡ってセブンイレブンは無視して次のローソンで昼食を調達します。雨なのでアイスには手が伸びませんでした。
 郷照寺までもベストより1分早い到着でした。郷照寺には腰をかけるところがありません。よく探したらトイレの前にひとつだけベンチがあ
ったので休憩をとります。ここから79番天皇寺をとばして81番白峯寺に登ります。その距離12㎞、今日一番のハイライトです。


35日目=我拝師山を仰いで

2016-05-30 | 16年四国の旅

 14時51分、総本山善通寺に到着しました。宿坊いろは会館に入ったのはお参りを終えた15時06分でした。お遍路さんの宿泊は8人、うち一人が外国の人です。
 当初は朝食を断って5時に宿を出て善通寺のあとは電車で金比羅さんに行く計画だったのですが、予約の時に夕食だけと言うのを忘れてしまい、結局金比羅さんはなしにしたのですが、それが大正解でした。青空屋の朝食、とくに鮭が最高に美味い。ぼくはこんなに旨い鮭を食べた記憶がありません。熱々でしっとり、脂も甘くしっかりした味、これさえあれば他のおかずはなにもいらない。それくらいの衝撃でした。朝食が凄いのは先ず磯屋、そしてうまめの木、かがみ宿と続きますが、そこに青空屋が入ってきた。金比羅さんはまた行くこともできるけれど、青空屋にまた泊まることはないかもしれない、そのことが残念すぎて宿をあとにするのが悪いことをしているような妙な錯覚さえ覚えました。ぜひ多くの人にこの宿を味わってほしい。岡田からでもいい、三島からでもいい、土居からはやめた方がいい、とにか
く自分が歩ける範囲でできるだけ多くの人がこの素晴らしい遍路宿を利用することを願うばかりです。
 大興寺から観音寺まではいつもと違ってものすごく気持ち良く歩けました。朝早いうえに日曜日、車がほとんど通りません。そのせいかどうか、かなりいいタイムが出てしまいました。足の痛みは全くないし動きもなめらかで朝歩いたベストより1分早い。
 観音寺の境内では銭型へ行きたい人がいたので薬師堂への石段を登るよう教えてあげました。日曜日とあって車で巡る人達が次々やって来ます。歩きの人は一人だけ、観音寺に泊まった人達はもう本山寺を出た頃かもしれません。朝の霧がすごくて天気もこれから悪くなっていくので9時を過ぎても一向に冴えません。もちろん雲辺寺山の姿も見えません。本山寺が近くなっても五重塔の姿が全然見えません。不思議なこともあるとよく見れば、覆いがかけられて改修工事中でした。少し残念だけどこれもまたとない風景。山門が目の前になったとき向こ
うでどちらに行こうか迷っている人が見えたので大声で左ですよ、と指示、普段なら滅多に出さない。お遍路さんだからできる。気がついて、有難うと返してくれました。この人には後で追い付いたときあらためてお礼を言ってもらいました。65番からの区切りで今日はゆっくり弥谷温泉まで、善通寺まで行く人にはまだ追い付きません。
 弥谷寺までは何とかベストタイ、本山寺までもそうでした。俳句茶屋の前で白い顎髭を蓄えた人がザックを横に休憩中、この人は宿坊に違いありません。やっと13㎞前の人に追い付きました。弥谷寺に着いたのは12時18分でした。弥谷寺もかなりの人で賑わっていましたが歩きの人は見掛けませんでした。山門を出たのは12時50分、溜め池のほとりで髭の人を追い抜き国道を横断する交差点でも遍路小屋で休んでいた男性を追い抜きます、この人はぼくが我拝師山を撮影しているときに追い付いてきて話を 聞くとやはり宿坊だということでした。曼荼羅寺まではベストを少しだけ上回りました。境内にはまた初めて見る歩きの人がいました。この人とは先の3つの札所でもいっしょだったのですが話しはしませんでした。出釈迦寺まではベストタイ、次の甲山寺まではまたもベストを1分上回る、1日に3回もベストを更新するなど今まで考えられないことでした。甲山寺では弥谷寺でも見掛けた小柄な外国人女性がいました。横に大きなザックが、やはり歩きでした。弥谷寺ではザックを持っていなかったので判断がつきませんでした。山門を出たところで曼荼羅寺で見掛けた男性と二言三言、彼は英語がペラペラ、前にもどこかで会っていたのでしょう。二人を残しぼくは最後の善通寺へ勇んで向かう、ここが1日の最後になることなど今までなかったから変な感じです。動きは衰えずベストタイ、すべての区間でベストタイ以上の元気な1日でした。
 大浴場ではぼくは1時間近くのんびりしていたのでリレーのように3人の人としっかり話ができました。2番目に話したのは曼荼羅寺の手前で会った人、88番から1番へ戻るべきか相談されて、いろいろ話すうちにいい答えにたどり着いて感謝されました。3人目は英語ペラペラのかっこいい人、顔もちょっと日本人離れしている。明日は国分寺までいくけれど、その近くの3つの宿がいずれも良くないとさんざん聞かされたので高松まで電車に乗って駅前のホテルに予約を入れた。賢明です。お風呂の中でこうして話すのも初めてのこと、いい体験でした。夕食のときは団体さんがうるさくてお遍路さんたちはあ
まりお話が出来ません。お風呂の中でしておいてよかった、と早々に食堂をあとにするのでした。


34日目=雲辺寺も越える

2016-05-29 | 16年四国の旅

 15時56分、雲辺寺の下、青空屋に到着しました。今回の旅で一番長く歩く日でしたが、16時までにというこだわりは守りたかった。てもやはり最高峰、容易ではありませんでした。
 と、その前に昨日書き残した宿での話。松屋の同宿は前日小松てもいっしょだった愛知県の谷澤さん。小松では10人もいて、それぞれのグループで話が弾んで、ぼくは一切話には加わりませんでした。ただ連泊の3人が遅れて朝食をとっている時に、今日松屋まで行かれる方はいますか、と尋ねると、谷澤さんがぼくは松屋ですと答えてくれたのでした。結局松屋では同宿は谷澤さんだけで話も充分出来ました。その中で、彼が食堂にスマホを持ってきていたので、ぼくのページを紹介すると意外な反応が、これ2枚の印刷になっていませんか?彼はすでにぼくの遍路宿情報を持っていて、すごく参考にさせて貰ってますと、満面の笑み。聞くと、旅館吉野で同宿に なった逆打ちのお遍路さんがそれを持っていて、すぐコピーさせてもらったそうです。ぼくは逆打ちの人に渡した記憶はないから、おそら
くときわ旅館でもらったのでしょう。ときわ旅館で配って貰っているだけでも有難いのに、このようにもらった人がまた別の人にという広がりは本当にうれしいことです。
 ここからは今日の話。予報に反して朝から雨、でも大した降りではなく歩きには全く影響はなくむしろ昨日より涼しくて歩きやすいくらいです。それも歩き始めて2時間くらいで上がってしまいました。遍路分かれの少し手前のヘンロ小屋まではベストタイ、そこから三角寺までもベストタイで文句のないたちあがりです。三角寺には上がらず階段の登り口で休んでいると歩きの男性がやって来ました。少し手前の舗装道を歩いている時に下の林の中の遍路道から鈴の音が響いていました、その人に違いありません。大きな荷物なので野宿かと思いきや、今日の宿は民宿岡田、いま9時半であと14㎞だから楽勝です。岡田にはいつ予約を入れましたかと訊くと、4日ほど前、さすがにこの時期ともなると毎日満室ということにはならないようです。スマホで写真を撮っていたので検索ワードを教えてぼくのページを紹
介、ここまで来るともう大して役には立たないけれど、まあ挨拶代わりです。三角寺からの歩きもすこぶる快調で、40日前はこうはいかなかったよなぁ、としみじみ振り返る場面もありつつ、何とかベストタイで椿堂に到着です。椿堂でお参り、長めの休憩をとって出発したのは11時17分、雲辺寺まではベストで2時間40分はかかるからそんなに余裕のある時間ではありません。境目峠の登り口まではベストより1分ほど遅れました。国道はずっと緩い登りでかなり汗だくで動きもやや重かったようです。バス停で少し休んで、登り始めるとやはり動きは良くない。いってもすでに28㎞は歩いているわけだから、溌剌と登れる方がおかしい。ても峠からはフラットな山道が続くので再び元気を取り戻します。この道は本当にいい、ても通るお遍路さんはきわめて少ない。残念至極、これから好きな遍路道はと問われたら、この境目峠から曼陀峠までのフラットな山道だと答えることにしましょう。
 結局曼陀峠の手前の合流ポイントまではベストタイでした。てもその後が大変、いよいよ疲
れが溜まってきたのか栄養が切れたのかいつもの雲辺寺とは全然違ってヘロヘロでした。途中何度も立ち止まって呼吸を整えてそれでもベストより6分も遅れてしまいました。山門すぐ手前でお参りを終えた歩きの男性とすれ違います。どちらが下り口かと探す素振りだったので初めてに違いありません。この人は下りの山道で追い抜いたのですが、すごくゆっくり、青空屋さんにも泊まらなかった。おおひらに着くのは6時近くになったかもしれません。もう一人女性を追い抜いたのですが、こちらは同宿で15分ほど後に到着しました。青空屋さんは評判は聞いていたけれど本当にいい遍路宿です。間違いなくベスト5級のお宿です。夕食後もコーヒーをいただきながら楽しい語らいがあって最高でした。


33日目=横峰越えて

2016-05-28 | 16年四国の旅

 16時14分、四国中央市の松屋旅館に到着しました。電車が遅れなければ16時03分に着いていました、念のため。
 ビジネス旅館小松の同宿のうち3人は昨日横峰に登って連泊、7人が今日横峰に登ります。その内2人は大塔の交差点までバスで行って表参道を登ると言っていたけれど、結局みんなといっしょの下り山道を登ることにしたようです。ぼくは大塔まで4㎞歩いていつもの道を登ります。でないと本当につまらない。しかも最後の山道は2.2㎞しかないから体力の消耗もずいぶん軽いはず。栄家が廃業して本来の道を歩く人が少なくなったのはいかにも残念です。
 大塔の交差点から登り口までは今一つ身体の軽さがない。暑さと湿気でじわりと動きが鈍くなっているようでベストより1分遅れました。山道も必用以上に汗が出て昨年よりやや重い感じです。結果、7巡目までのベストと同タイムだったのですが昨年、一昨年よりは遅れてしまいました。境内では同宿の二人が到着していました。彼らで宿から3時間ほどかかっていることになります。
 下りは一転文句のない動きです。登ってくる同宿の3人
とすれ違いました。一番遅い人は4時間くらいかかっている計算です。多くの人がこまつで連泊するのもむべなるかなということでしょう。そしてすでに下っていた2人も追い越して同宿の全員と出会いました。横峰の下りは四国のすべての下りの中で一番きついと思っていたこともあったのですが、今回は足の調子がすこぶる良くて本当に味わいながら楽しみながら歩けました。これほど余裕のある横峰の下りはあまりなかったと思います。タイムは3分遅れですが、最後が迂回路になっているので正確な比較にはなりません。たぶん崖崩れの道を歩いていたら充分ベストタイだったでしょう。
 香園寺の前で野宿逆打ちの男性とすれ違います。挨拶をすると、やっぱり速いなあ、と声をかけられました。小松郵便局でお金を引き出して一息つきます。その後小松駅の近くても逆打ちの男性とすれ違います、こちらはややうなだれてつらそうな歩き、下界に下りてくると暑くてぼくもつらい。ても吉祥寺までも前神寺までも何とかベストタイを確保、この区間のベストは朝一のタイムで山を下った
後の真昼でこの記録は本当にエライと自分で思います。前神寺を出てしばらくいくと逆打ちの若い女性とすれ違いました。迷ったのですが声をかけて名刺を渡しました。聞くと松山あたりで一旦区切るということでした。松山ではぜひユースホステルにと勧めておきました。


32日目=ミニ西国と国際交流

2016-05-27 | 16年四国の旅

 16時18分、ビジネス旅館こまつに到着しました。シーパの朝食が7時からだったのでそれに電車の時間を合わせると大西駅の出発が8時15分で、かなりきびしいスケジュール、
 今日は人に合わせてゆっくり歩くことは出来ません。と思いながら歩き始めると歩いている人には全然会わない。時間の関係もあるし南光坊を飛ばしたことも原因かもしれません。仙遊寺の山門のすぐ手前で下りてくる男性とすれ違ったのが最初でした。仙遊寺でお参りを済ませ山門までの急な階段を下っていると脇の石仏に目が留まります。文字を見ると西国三十三観音、恥ずかしながら9回も来ていて全く気付きませんでした。登りはきつくて歩を前に進めるのに精一杯、下りは滑らないように足場を確認するのに精一杯、でも山門の下の舗装道の脇にもあったから、やはり忙し遍路の成せる業だったのかもしれません。写真は山門の下で撮った7番岡寺の観音様です(左)。山門の手前で写真を撮ろうとしたら、すぐ下で若い女性が水を汲んでいます。思わず、上でも汲めるところがありますよと声をか
ける。大きな荷物なので、野宿ですかと訊くとそうではない。なのに10キロ近くになってしまう、続けて今日の宿を訊くと、今治駅のあたりまで行けるとは思っていると、まだ決まっていない。じゃあシクロの家がいい、素泊まり2500円ですと言うと、それはいいと早速メモします。その後も決まっていないので名刺を渡してブログからHPに入るように説明して別れます。少しお話しできたせいかその後の足取りは快調そのものでした。国分寺までの区間も長い間ベストタイが出ていなかったのにベストを2分も上回ってしまいました。
 国分寺から宿まで18㎞以上あるのでゆっくりしていられません。三芳の1㎞ほど手前の屋根のない休憩所で少し休んで三芳の町に入っていくと、電気屋さんの店先が接待所になっていました。休んだばかりなのに、時間もないのに腰を下ろしてしまいました。置いてあったミカンを食べていると奥さんが帰って来て冷たいお茶を入れてくれさらに栄養ドリンクも持ってきてくれました。

 
 そこからすぐのところに通夜堂があることで知られている
光明寺がありました。入り口にトイレありますと書かれていたので入っていきます。用を済ませ、通夜堂に貼られている注意書きを見ていたら、中に外国人がいる。向こうも気がついて出てきました。ノルウェーから来た21才の青年クリスチャン、少し話してお得意の、ドゥユーマインドイフアイテイクユアフォトを使って写真を撮らせてもらって名刺も交換、もうちょっとゆっくり、はっきり喋れたらなあと改めて思います。


31日目=遍照院南無観世音菩薩

2016-05-26 | 16年四国の旅

 16時07分、シーパMAKOTOに到着しました。伊予亀岡駅まで歩いて電車で伊予北条まで引き返しました。明日は伊予亀岡のひとつ先の大西まで電車でそこから歩き始めます。
 今日は宿を出た時には雨はあがっていたのですが20分ほどで降り始め、あとは時々止み間がある程度、でも歩きには全く支障はありません。一昨日の炎天下に比べればどれだけ歩きやすいことか。
 ため池の脇を通る遍路道、その少し手前の国道を横断するところで男性に追い付きました。信号待ちで自然に声をかけてしまいました。今日の宿はマリーナシーガル、明日は仙遊寺、そこまで予約を入れている。それではと、その後の宿を順々に紹介していきます。一度に覚えられないと立ち止まって手帳に書き込んでいきます。それがため池の脇、あとは話しながらまたいっしょに歩きます。朝食が7時からだったのであまり余裕はないのですが、これくらいなら問題ないでしょう。三の門を抜けて境内に入るとまず休憩所で荷物をおろして地図で讃岐の宿を確認していきます。ゲストハウスそらうみの位置
を確認、電話番号を書き込みます。最後の日は八十窪に泊まるかバスですぐ帰るかはおまかせです。教えながら改めて思うのは、仙遊寺は本当に基点になるということ。その後は全く迷わず宿がすんなり決められます。
 お参り、初めて写経を納めます。三角寺以来41日ぶり、いっしょに歩かせてもらった福岡の人を境内に残し次の札所へ勇んで向かおうとしたら、二の門の下で女性が地元のおじさんになにやら相談している。捨て置くわけにもいかず首を突っ込みます。どうやら久万高原を飛ばして明石寺から電車で円明寺の前まで来たらしい。今日はこのあと浄瑠璃寺までバスで戻って道後まで歩く。明日バスで久万高原へ上がって、久万で泊まるというので八丁坂を推薦します。遍路宿情報は昨日はけてしまったので名刺を渡してブログからHPに入るように説明して52番を後にします。結構時間を使ったので自然と馬力が入ります。円明寺まではベストタイ、自然に動けていると自覚があります。
 円明寺では車の人は多かったのですが歩きの人は見掛けませんでした。道後に泊ま
った人は意外なほど少ないようです。円明寺から北条郵便局までは10年ほど前にベストを出して、以来一度もタイも出せなかったのですが、今日は本当に動けていて、これはいけそうだと光洋台駅あたりから感じていた通り、ようやくベストを1分上回りました。あの炎天下がいかにひどかったか、痛切に感じます。


30日目=野宿の人と

2016-05-25 | 16年四国の旅

 15時33分、松山ユースホステルに到着しました。もっと早く着く予定だったのですが、レストパーク明神で50分、三坂峠の下の坂本屋で1時間も休んだので、最後の方はバタバタになってしまいました。それというのも明神では同宿だった男性とご夫婦、さらに初めて出会うご夫婦が次々にやってきて遍路宿情報を渡したり、お話を聞いているうちに出そびれてしまいました。そして坂本屋に着いたとき、丁度野宿の逆打ちの青年も到着したところ、野宿の人とは話が合わないので基本的には話しはしたくないのですが、なぜか話しやすくて色んなアドバイスをすることになってしまいました。まず彼は通夜堂、善根宿リストを貰っていない。しかも遍路地図も別のおおざっぱなものを使っている。敢えてそうしているということだけど全く理解の外。なのでとりあえず通夜堂と善根宿をひとつひとつ教えていきます。おおざっぱな地図に書き込んでいきますがどれだけ利用できるものか、心許ない。もっとちゃんと下調べしていればいくらかは快適に巡れるのにということだけど初めての時はえてしてこういうもの、ぼくも他人のことは言えません。名刺を渡すと最近姫路城に行ったという、本当に来ている人は多いとびっくりします。1時間も話し込んでしまったので明神でいっしょだった人たちが次々通り過ぎていきます。初めて見る顔もありました。気にはなりつつ滅多にない機会だし歩く距離も短い日なので目一杯楽しみました。それだけ休んだものだからその後は元気を持て余すくらいの歩きになりました。
 1ヶ月前一番悔しかったのがこの区間です、坂本屋をいっしょに発った宍戸君にどんどん離されていく、黒潮町では反対にぼくの方が離していたのに、本来の力が出せないのが歯がゆくて仕方なかった。それが八十窪にキャンセルを入れる大きなきっかけになったと思います。ということでその悔しさを払拭するように力の入ること入ること。明神から浄瑠璃寺までのタイムはベストを5分も上回ってしまいました。そこまでやらなくても、と我ながら思いました。その後もベストタイの区間が続いたのですが八坂寺から西林寺までは20秒遅れでした。理由はアイスモナ
カを食べながら歩いたから、行儀の悪いお遍路ですがそれほど時間の余裕がなくなっていました。
 松山ユースホステルの夕食は一組のご夫婦だけがいっしょだったのですが、お遍路かどうか判らなくてなかなか声をかけられませんでした。東北の言葉だったので違うだろうなぁと躊躇していたらご主人が、観光で来ているのですか、と声をかけてくれました。お遍路です、と答えると、奥さんがお遍路のことを色々質問してくれて一気に盛り上がってしまいました。お二人は青森から車で1ヶ月かけて日本中を回っている。二人で商売をしているので、なかなか出られない、今回は奥さんのたっての希望で最後だと思って思い切って休みをとった。先の予定ははっきり決めていなくて、車の中で泊まることもあるとか。四国に来てもとくに行くところは琴平と大塚美術館くらいしか決めていない、地元の人に話を聞いて、88番大窪寺と1霊山寺だけお参りしようかと考えている。それならすぐ近くの石手寺に行けば88ヶ所のお砂さわりがありますからと勧めると、とても喜んで貰えまし
た。琴平に行くのなら善通寺に行って宿坊にも泊まって下さいと言うと、これまた大乗り気、いいこと教えてもらったわと感謝されることしきり。食事時間のリミット8時まで話が尽きませんでした。本当に有難いひとときでした。
 朝食の時にはいっしょに写真を撮ってくださいと頼まれて、ぼくが先に出るので玄関まで見送ってもいただきました。


29日目=八丁坂と八丁坂

2016-05-24 | 16年四国の旅


 15時06分、民宿八丁坂に到着しました。
 今日もふつうのお遍路さんが歩かない道を歩いてきました。下坂場峠から農祖峠、国道に降りてきて大宝寺に向かわず、越ノ峠へ。この道は2年前にも来たのですが、その時は新しくできた道を歩いてしまい、左上に古い道のガードレールを見たときこのままにはしておけないと思ったものでした。でもなかなかそんな機会は巡っては来ないだろうと思っていたところに今回の出直しです。峠を越えたあとは前回とは違って左折して住吉神社へ向かう。この道は赤線はなく遍路道でも何でもないので歩くお遍路さんは皆無。この道を行かないとまたも八丁坂を回避することになってしまうので仕方なくというところです。その八丁坂ですが茶屋跡から岩屋寺までは2年前に歩いているものの、その手前の八丁坂は長らく歩いていませんでした。前回歩いたのはもう9年前のこと、こんなに長く回避し続けるのもどうかということで今回は歩くことにしたのですが、いざ住吉神社の前まで来るとまたも県道を歩いて楽をしたくなってしまいます。とにかく暑
い、この日の久万高原の最高気温は29.6℃、炎天下ではゆうに35℃を超えていたでしょう。またも県道かという気持ちが強くなりかけて分岐点の前まで来ると、山の中の方が日射しが遮られて歩きやすいのではと思い、当初の予定通り八丁坂に向かいました。体調は全く問題ないのですが、やはり暑さのせいで何度も立ち止まって息を整える場面がありました、茶屋跡までも長かったですが、その後もいつも以上に苦労しました。せりわり行場のところで湧き水を頂いたのも初めてです。それほど汗だくでからからでした。結局分岐点からはベストタイムより10分も遅れて到着です。でもこれは完全に暑さのせいで、自分のせいではないと納得の八丁坂でした。打ち戻りはもちろん県道を選択、ものすごく暑かったのですが古岩屋荘まではベストタイ、やる~、分岐点までは1分遅れでした。体調はベスト以上と言っていいかもしれません。明日からは曇りか雨が続くようなのでホッとしています。晴れより雨がいいと思ったのは初めてです。
 民宿八丁坂の同宿は10人、夫婦2組に男性
4人、女性2人、ぼくは女性二人と同じ席で楽しくお話させてもらいました。

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28日目=旅は道づれ

2016-05-23 | 16年四国の旅


 15時26分、砥部町のゑびす屋旅館に到着しました。
 今日はいきなり大洲から電車に乗って2駅先の喜多山で降ります。ふつうのルートで行けばときわ旅館からゑびす屋旅館までは34㎞ほどなのですが、突合から小田の町に入り真弓トンネルの手前で畑峠に向かう。このルートでは全部歩くと47㎞、それで7㎞分電車に乗ります。ブラットホームで待っていたら同宿のご夫婦もやって来ます。訊くと、内子まで乗って小田のふじやまで歩くそうです。明日の宿はぼくの遍路宿情報を参考にして笛ヶ滝に連絡をしたそうです。その後はまだ決めていないので、歩ける距離を考慮して、八丁坂、長珍屋、松山ユースホステル、シーパMAKOTOの順で行けばよいと推薦します。ぼくが全部宿に泊まって16万円で一巡すると言うと目を丸くされました。やはり1日1万円はかかる、お二人は60日近くかけて1巡するので百万円はかかる計算、驚かれるのも無理ありません。そうこうしているうちに列車は喜多山に到着、一旦お別れです。今日は大瀬の手前で追い付くだろうし明後日の朝も大宝
寺の近くですれ違いそうです。
 喜多山駅を降りて国道に合流するところにサークルKがあってラッキーでした。この先買えそうなところはなくて内子で少し回り道をするところでした。内子まで5㎞ほど、この間のベストタイムはないからふつうに気持ちよく歩きます。内子を過ぎて道の駅からりでトイレ休憩、この先小田の道の駅までないはずです。気を引き締めて再出発、大瀬まではなかなかベストが出ていません。足は全く問題ないのでいけそうな感じもありますが、リラックスな歩きを心がけます。内子駅から5㎞ほどのところでご夫婦に追い付きました。奥さんが思わず、早い~、と喚声をあげます。
 大瀬の町へ入っていく脇道が崖崩れで通行止め、遍路矢印も貼り直してあります。次の橋を渡ってバス停で休憩です。タイムは最後道が違ってしまったので比較は出来ませんがここ数年の内では一番よかったようです。休んでしばらくすると向かいの家のおばあさんが牛乳を持って来てくれました。牛乳を飲むのは何年ぶりでしょう、まして瓶入りとなるとほとんど思い出せないくらいで
す。20分休んでもご夫婦はやって来ません、手前で休憩を入れたようです。出発してしばらく行くと前に歩き遍路さんの姿、おかしいなと思ったらすぐ先にも休憩所があってそちらで先に休んでいたようです。挨拶をしてふつうは追い抜いてしまうのですが、なぜか声をかけてしまいました。今日の宿を尋ねたのがきっかけで話が弾んでしまいいっしょに歩くことにしました。ちょっと足を痛めていて宇和島の診療所で痛み止めをもらったそうです。初めてのお遍路で宿も明日までしか決めていないというので遍路宿情報を手渡すとたいそう喜んでくれました。今日はたちばな旅館、明日は古岩屋荘、となると、次は長珍屋、松山ユースホステル、シーパMAKOTOがいいと薦めます。ほかにもいろんな話ができて本当に楽しいひとときでした。静岡県は富士市から来た太田さん、富士山が一番きれいに見える町なんです、やはり誇りを持っておられます。突合で右左ですが近くの宿なので明日も会えるでしょう。
 さて、今日のメインイベントの畑峠です。突合から小田の道の
駅まで37分、トイレを済ませたっぷり水と塩を摂ってボトルに水を詰めて、勇んで出発です。過去2回この道は歩いているのですが、真弓トンネルまでのタイムしかなくて三島神社までどれくらいかかるかよく分かりません。ただ前回かなりきつい思いをしたのは覚えています。覚悟していたせいか思ったより早く56分で到着、本殿の脇で休ませてもらいます。13時25分いよいよ峠に向かいます。写真の分岐点までの山道が結構な急斜、そこからはそれほどでもなくいくらか余裕を持って進んでいけました。一旦舗装道に出て次の山道に入るところには立派な道しるべが立っていましたが、その少し先が問題でした。昨年畑峠で迷ったと言う人に会ったし、ときわ旅館のご主人も迷った人の話を聞いたそうです。
 広めの山道が途中で少し下りに入る、見渡してもほかに道は見当たらないし道しるべもない。まさにここが迷い処、右の方にかろうじてという感じでらしきものが林の中に続いているようです。よく見るとその両脇の木にテープやペンキで記しが付けてある。これはと思って導か
れて行くとちゃんとした山道が出現、さらに進むと、遍路道しるべが出現、やりました。さすが篠山マイゴちゃん、冷静な判断でした。そこからの登りは大したことなくて拍子抜けするほどでした。下りはかなり長いのですが日射しが遮られ快適でした。三嶋神社まで65分、想像していた良い方のタイムに近くて大いに満足です。
 ゑびす屋旅館の夕食はまさに前代未聞、1時間かけて残さず頂きました。


27日目=野井坂遍路道

2016-05-21 | 16年四国の旅

 16時10分、ときわ旅館に到着しました。新しい遍路宿情報をご主人に手渡すと、早速両面コピーして夕食のときに同宿の皆さんに配ってくれました。そのうちの二人はネットでぼくのページを見たことがあると言います。同宿は5人、2回目順打ち、通しのご夫婦、60日くらいで巡る。ぼくの前は3回目逆打ち、そのとなりは2回目順打ち、相当な健脚で最初のときは108ヶ所を39日で巡った。40キロ平均で歩けるけど、あまりに余裕がなくて周りのものが見えなくてつまらないと感じ今回は大幅に距離を短くして観光やグルメ、温泉などを積極的に取り入れながらの巡拝です。1万円以上の宿もふつうに泊まる本当の贅沢遍路であり、スペインの巡礼路も3回歩いたそうです。倹約遍路にはついていけないこともしばしば。もう一人は初めてなのに逆打ち、何度も道を外したと言います。逆打ちの意味は人によってさまざま、お遍路は自由なものだから、他人がとやかく言うべきではないと判りつつ、首を傾げる私なのでした。
 昨日までの4泊で唯一の同宿(叶崎で)だった
男性は10巡目で8回が逆打ち、それは数人の人と付いたり離れたりして歩くのが鬱陶しくて逆にした、これからも逆しか考えられないという。確かにいっしょに歩こうとまとわりつかれて難儀をしたという人に会ったことがあるしブログでも見たこともあります。ぼくは人の1.3~1.5倍の速さで歩くのでそういう経験がほとんどありません。いわれてみれば納得のいく合理的な理由です。
 野井坂は数少ないこれぞ遍路道の情緒たっぷりなのですが、歩くお遍路さんが極端に少ないので、降り積もった枯葉枯れ枝がそのままで歩きにくくなっているところも多い、もし歩き遍路さん全員が歩くとすればもっと快適な遍路道になっていくことは間違いない。でもかなりの遠回りだから現状維持が続くことでしょう。残念。
 冨士山は登ったのですが、時間がなくて上の方の駐車場までしか行けませんでした。もう少しで頂上だったのですが時間も体力も限界でした。


26日目=篠山マイゴちゃん

2016-05-20 | 16年四国の旅

 15時46分、津島のよしのや旅館に到着しました。
 しかし、よくたどり着けたものだと不思議な感じがします。登りは順調だったのですが、下りに入ってまもなく、下るべき街道の道しるべを見落としてあらぬ方向にずんずん進んでしまいました。めぐめぐさんの掲示板に投稿されていた方が最初街道を敢えて避けて歩いた尾根づたいの道だと思われます。彼は結局下まで降りることが出来ず街道の分岐まで引き返したのですが、ぼくは自分が違う道を歩いていることに気づかないまま1時間以上歩いて完全に遭難してしまいました。宿に着くどころか、下界にたどり着くことすらおぼつかない。今思っても奇跡のような生還というしかありません。どこにいるか全く判らない、その道がどこへ向かっているかも判らない、最後は道なき道をとにかく下へ下へ、大きな川の流れの向こうに舗装道が見えた時には、これで何とかなると生き返った思いでした。幸い近くに橋があって舗装道に出られました。通りかかった軽トラを止めて方向を確認、祓川温泉の数㎞手前と聞いて、やっとガッテンです
。2㎞ほど歩くと、津島まで16㎞の標識が、宿に着くのは17時を過ぎる、宿に連絡を入れなければと思いかけたところにコミュニティーバスのバス停が、時刻表を見ると終点が今日の宿の前、しかも16時のちょっと前に着きそう、選択の余地はありません。何とか誰に迷惑をかけることなくこうして宿で寛げている次第。


25日目=月山神社

2016-05-19 | 16年四国の旅


 14時55分、宿毛の米屋旅館に到着しました。時間に合わせるために道の駅大月で40分、道の駅宿毛で50分のんびりしました。そのせいもあってか、歩きは快調そのものでした。月山神社から姫ノ井郵便局までは10年前より2分早く、姫ノ井郵便局から道の駅大月まではほぼベストタイ、道の駅大月から道の駅宿毛まではベストより3分も早い。ベストといってもこの道は過去2回しか歩いていない、その2回も10年前は1日中雨の日で膝から下は終始ずぶ濡れ、2年前は足の具合が良くなくて思い切り歩けなかった。だから今日が特別よかったわけではなくて、むしろふつうだったのかもしれません。
 月山神社の納札ボックスを覗くと5月に入れられたのは10枚くらいでした。ということは1年にここを訪れる歩き遍路さんは100~150人くらいと思われます。歩き遍路全体の2~3%、少なすぎるし勿体ない。とはいえ宿のことを考えれば最初からこちら側を歩くのは厳しいかもしれません。ぼくも今回が最後になるかもしれません。
 米屋の夕食は今回もぼく
一人、こんなにすごいメニューなのにどうしてという感しきりです。鍋はすき焼き、量は大したことないけど一応牛肉です。うどんも入っています。右下はたっぷりのかつおのたたき、全部食べきるのに45分かかりました。


24日目=見残し見残さず

2016-05-18 | 16年四国の旅


 15時33分、民宿叶崎に到着しました。
ジョン万次郎資料館で1時間、竜串で2時間たっぷりうろうろしてきました。龍馬パスポートで資料館は2割り引き、グラスボートは1割り引きです。ボートに乗らなくても、こちら側の海岸にも同じくらいすごい奇岩がいっぱい見られるのですが、そこは大師が見残されたという、その伝説に乗らないわけにはいかないでしょう。見残しから大師がこちらを展望している姿を想像する、それだけても値打ちというものでしょう。2時間近くかかるし1560円もするのでお勧めはしません。こちら側を歩くのも大変だし。
 足の具合は全く問題ありません。中浜からサニーマートまではベストだったし、それ以外の区間もベストに近いところでした。とくに無理もせずソフトに楽に歩くようにしています。明日は月山神社の手前の短絡路の一部が初めて歩く道になります。延光寺に行かなくていいので明日も楽できます。


23日目=足摺から

2016-05-17 | 16年四国の旅

 15時53分、足摺岬にある民宿田村に到着しました。今日は金剛福寺から宿までの1㎞ほどしか歩いていないので何か変な感じです。歩いていないと遍路宿は遍路宿ではないような。宿泊客もぼく一人で盛り上がりようもありません。5月も半ばを過ぎるとお遍路さんの数も一段と少なくなっているような感じです。そういえば、宿の予約も全部スッキリ決まりました。唯一ゲストハウスそらうみだけ宿がお休みの日でアンラッキーでした。


23日目=秋まで待てず

2016-05-17 | 16年四国の旅

 8時49分、南風3号アンパンマン列車に無事乗り込みました。32日ぶりに聞く瀬戸の花嫁。南風に乗るのは3年ぶり、あの日とは正反対の心持ちです。