へんろみち保存協力会のHPで新しい宿が紹介されていました。
民宿是空 7番十楽寺から2.5km、国道の交差点のちょっとだけ手前、
素泊まりのみですが、朝は軽食がお接待で出ます、
それ以上の情報は不明、
秋の旅
明日、西国の続きを日帰りで歩いてきます。4回で和田山の手前まで行って、10月13日からその続きを8日間で最後まで行きます。その最初の3日間、成相寺の手前、与謝野町と、宮津、東舞鶴の3軒をネットで予約完了、あとの小浜、長浜、愛知川、関ヶ原の4軒はまた後日、
お遍路ちゃんのツイッターにスペインの巡礼路サンティアゴデコンポステーラの終点にある巡礼史博物館で四国遍路展が7月末から2ヶ月間に渡って開催されたと報じていました。スペインの巡礼路は1年に20万人の人が訪れる、来年の四国が益々楽しみになります。
来年の関西大会は彦根で行われるので、青春18きっぷはマスト。今年大吹峠と松本峠を残してしまったので、また来ることは決めていたけれど、それだけだとわずか2時間ほどの歩き。勿体ないので2泊してさらに昨年近くで見られなかった那智の滝と、迷いに迷った千里王子から岩代王子までの道を歩き直すことにしました、外にも道をはずしたところはいくつかあるけれど、思い残すほどのものはこれでなくなります。
残りの2回分は四国で気に掛かっている緑の道、丸亀から坂出にかけての遠回りの道と天皇寺の奥の院瑠璃光寺、さらに金刀比羅宮の奥社まで登ってきます。宿泊はうたんぐらで1000円だからインエクスペンシブな旅になります。
9月8日、9時42分姫路発、11時35分草津着、11時57分草津発、12時40分柘植着、12時42分柘植発、13時05分亀山着、13時16分亀山発、14時34分多気着、15時23分多気発、15時57分三瀬谷着。
写真は三瀬谷駅です、陸橋から乗ってきた気動車を見ています、鉄道好きはディーゼル車を電車とは呼ばないようです。今日のルートの多気までは小学校6年生の修学旅行、伊勢参りの時と同じルートです、その時、たぶん草津からだと記憶するのですが,SL(蒸気機関車)でした、ちょうど50年前ぼくの唯一のSL体験です。柘植を出てしばらくの所でトンネルがあります、草津から最初のトンネルで窓を開けていた客車に煙が充満して車内が騒然、一番後ろに座っていたぼくともう一人の友だちは素早く連結部に逃げ込んで難を逃れるという、その場面だけははっきり記憶に残っていたりします。
昨年10月の西国めぐりで二木島から熊野市まで電車で飛んでしまったので、もうその直後から今年は関西大会が滋賀であるはずで青春18きっぷを買うことになるから、きっと戻ってくると決めていました。関西大会は姫路だったのですが、比叡山や誕生寺に行く用ができたので、無事こうして戻ってくることができたというところです。区切り、日帰りながらも、全部歩いて繋いでいるので空白を放っておくことは許されない、たとえ1番の手前伊勢路であったとしても、現代の西国めぐりは1番からという人がほとんですが、江戸時代は伊勢から歩く人がほとんどであった、伊勢路の熊野古道が中辺路以上に整備されるようになったのは西国めぐりの巡礼者が急増したせいだと言われる、江戸時代1年に西国めぐりをする人は3万人にものぼり、江戸時代四国を歩く人は2万人といわれるから、それ以上に盛んだった。現代四国を歩く人は1年に3000人ほどだというから、その10倍、集落ごとに何軒も宿屋があったのは疑いもないことです、海水浴場もない小さな二木島の集落にも昔は宿があったと昨年電車を待っているときに地元の人から聞きました。
8寺03分、二木島駅に到着、乗ってきた列車を見送ります。三瀬谷では10分ほど遅れて到着したのですが、単線でいくつかの駅で待ち時間が長いのですぐに遅れを取り戻して定刻に到着しました。
駅の前、
駅から少し下りてきたところにすぐ道しるべがありました、
矢印は万全だったのですが、
歩きやすい道らしい道に入ってしまいました、20mほど進んで間違っていると気づきました。
こちらが正解の道、地図で調べていたのに、頭から勇み足、
地図を調べなくてもあたりをきょろきょろ見回せば迷わないようになっています。
ものすごい階段に入っていきます、
かなり急な階段、上の民家の人が普通に使っている階段でもあります。
歴史を感じる石段、
手前が二木島駅、むこうは二木島港、
ものすごく急な石段、
登り始めて6分ほどで国道に上がっていきます、
国道に上がってきました、
伊勢路を歩く人は中辺路などに比べるとかなり少ないと思われますが、道しるべなどはよく整備されています、
国道311号を行く、
3分ほど歩くと山道の入口です、
コンクリートに切れ込みがあって急な階段、
階段を上がってきたところから古道が始まります、
二木島峠の標高は240m、逢神坂峠の標高は290m、右端に曽根次郎・太郎坂とありますが、ぼくの感覚では伊勢路一番の難所でした、
熊野古道巡礼供養碑、ごく新しい。
国史跡 熊野参詣道伊勢路 二木島峠逢神坂峠道
登り始めは新しく整備された階段、
古道が始まります、
古い石段が続きます、
フラッシュオフで撮影したので色調が違います、こちらの方が自然な感じ、
敷かれた石は苔むして、
ちょっとした沢を越えて、
駅から17分かかっています、急な階段が多かったから時速3kmも出ていません。
すばらしい古道の雰囲気たっぷりの山道が続きます、
二木島峠まで600m、100m登のに5分かかったから時速は1.2km、もう熊野市駅まで行くのはほとんど諦めて、また来年も来ることを覚悟しているところです。
中辺路、那智山から小口までの古道でも見かけた 04/30 の標識、高野山の町石と同じで結構励みになります、
距離はおそらく100m前後かと思われる、4分かかりました。
二木島駅から1100m、26分かかっているから時速は4km、
この350mは5分かかっているからじそくはやはり4.2km、先ほどとは差が大きいから距離表示はあまり信用できない、
きれいに整備されていてあまり崩れてもいません、そしてもれなく苔むしています、
05から06まで2分かかりました、こちらも差が大きい、
行く手に切れ目が見えて、もしや峠かと、
06から07は4分かかりました、
先の切れ目はちょっと違って、3分後、間違いなく峠のようです。
07から08は1分、どう見ても等距離とは思えませんが、
フラッシュオフなので油断するとすぐ手ぶれ。8時42分、二木島駅から34分かかって二木島峠に到着、時速は2.47kmですが、距離表示は正しくないのもかなり含まれている感じです。
峠から緩やかな下りや、
平坦に近い道も、
09は見逃して08から10まで5分かかりました、
250mを4分かかったから時速は3.8km、
二木島峠と逢神坂峠の標高差は50m、下りも登りも厳しくなくフラットなところも多い、
10から11まで2分、
右側はきれいな石垣が続いています、
500mを8分で来たから時速は時速は3.8km、同じペースです。
峠に向かって厳しい登り、
11から12まで3分です、
12から13も3分、
左の方に明るいところが見えるから峠かもしれない、
これは間違いないでしょう、
間違いなく峠でした。
その前に13から14は4分、登りがきつかったから順当です、
二木島峠から16分かかったので時速は3.2kmでした。
地形を見ればこの地に峠道があるのはごく自然なこと、
ここからは下るばかり、のはず、
14から15は2分、
350mを9分かかったから時速は2.4km、下りだけれど足場が不規則なので全然スピードは出ない、
15から20は9分、間の数字は見逃しました、
下りもずっと苔むした石畳、平にきれいに並んでいるわけではないので、かなり気を使いながらそろりそろりという感じ、
しっかり石段、
20から23は4分、
フラットに近い道になる。
23から25は3分、
石畳のないスピードが乗る道ですが、こういう道はごく一部でした、
900mを20分で下ってきたから時速は2.7km、登りとほとんど変わらないスピード、自覚もあります。
25から28は7分、
フラットだけど石が出ているのでとても5kmは出せない、
28から29は3分。
こちら側の登り口はもう少し先のようです、
峠から31分かかったから時速は2.9kmでした、横峰寺は5km、雲辺寺は4.5kmほどで下るので、いかにきびしく歩きにくい道であったかということ。
左は登っているので、迷わず右へ、
29から30までは3分、9時29分、二木島駅から1時間22分、時速4kmはとてもとても、という感じの歩きごたえのある古道でした。でも雰囲気は最高だし石畳石段もよく整備されていて、ぼくの感じでは馬越峠、八鬼山に次ぐベスト3の古道でした。この3ヶ所歩けば伊勢路は十分という感じすらします。
新鹿(あたしか)の集落と海水浴場が見えてきました、海水浴場があるのでここにはいくつか民宿があります、シーズンオフにもやっているかどうか分かりませんが、
こちらが反対側の登り口、
次は波田須の道です、
反対側から来てもよく分かる、
小橋を渡って新鹿の集落へ、
橋を渡ってすぐ左折、
国道に合流する少し手前で脇道に入っていきますが、こういうところには矢印も道しるべもありません、山道にはしっかりいっぱいあるのですがその間の平地にはないところが多くて西国巡礼や全歩きの人はしばしば迷ってしまいます、
国道に合流します、
郵便局の前にベンチがあったので休憩です、9時43分、二木島駅から1時間36分です。まだ波田須の道、大吹峠、松本峠とあるからあと2時間では絶対無理です、
6分ほど休んで出発、
波田須の道がどれほどの山道か、あるいは山道でもないのかこの時点では全く分かっていません、
道しるべから5分で国道を離れるようです、でも1.4kmは来ていないからここが登り口ではないようです。
でも波田須の道と書いてある、
登ってはいない、
すごいヘアピンカーブで右へ登っていくようです、
ヘアピンの所でJRを越える、ここからトンネルになっています。
ここで左折、
左折してまだ少し登る、
真っ直ぐ行くかと思いきや、
左折の方に道しるべ、これがないと危ないところでした、
左折するとフラットですが山道らしい道、
右の方へやや急な登り、
すぐ出口が見えてきました、
ここまでは序盤のようです、
国道に出てきてしばらくは国道を行く、
この部分は古道の上に国道が敷かれた感じ、
トンネルの手前に登り口が見えてきました、ここが郵便局の近くの道しるべから1.4km地点のようです、21分かかったからこの間の時速は4kmです、
大吹峠は来年、
来る前はこういうしっかりした山道だとは思っていなかった、
発光禁止だとすぐ手ぶれ、
石段もあります、
登り始めて3分で峠のようです、
峠には茶屋があって西行法師も休まれたとか、その脇には江戸時代まで松があったそうな、
民家のすぐ前を通るので玄関先からワンコが出てきます、小さいし繋がれているのでびっくりするほどではありません、
高いところですが古道の脇にはぽつぽつと民家が見られます。
国道に下りてきたのですが、本当の古道はもう少し先で下りるのが正解でした、いつもちょっとだけ詰めが甘い、でも来年時間があるのでこの道も歩き直します。
4分ほど歩くと、本当の道が下りてくるポイントが見えます、
ぼくが下りてきたところには道しるべも何もなかったけれど、本当の道にはちゃんと道しるべと幟、
本当の道は国道を横断してすぐ下へおりていきます。
波田須の集落へおりていきます、
本当の道が下りてきた所に波田須神社がありました、
下から合流してくる道、ぼくの地図にもあります、
国道から下は徐福の道と呼ばれています、
ここで熊野古道から離れて波田須駅に向かいます、
10時38分、国道から13分で波田須駅に到着しました、二木島駅からだと2時間30分でした。
僅か2時間半8kmほどの古道歩きでしたが、改めて熊野古道は伊勢路がいいと感じました、外国の人を含め一番多くの人が歩く中辺路は、案外古道らしい道が残っている区間は多くはない、災害で歩けなくなって延々迂回路を行くところもあるし、自動車道でつぶされている区間も結構ある。那智山から本宮までは値打ちがあるけれど本宮から先はもう一度歩きたいとは思わない。
坂口屋がお遍路ハウスになったので最後の4日をまた変更です、
30日は中田から佐古まで電車に乗ります。
高知のゲストハウスもお風呂が使えるかつおゲストハウスに変更です、かつおは英語の地図にも載っているので外国の人と同宿になる可能性が高いはずです。最後の日は楽々15時22分のバスに乗れます。素泊まりの宿が7軒で宿泊費の合計は17万5千円くらいです、