WALKER’S 

歩く男の日日

スーパーJチャンネル

2020-06-30 | 日記

 今日は月末なので残ったギガでYouTubeを見ます。ポケットWi-Fiは7ギガの契約なので基本的に動画は見ないようにしています。久々に6年前エリーさんがテレビ朝日の取材を受けた時の動画を見直しました。ほかには慈眼寺の穴禅定を体験したアメリカ人男性のインタビュー。本当に四国は特別な場所なのだということを海外から来た人に改めて教えてもらう、その彼らはいつ戻ってくることができるのだろう、来年の春に計画している人はいっぱいいるけれど、観光客に国境がいつ開かれるかはいまだ全く見通しがつかない。

     エリーさん in  Shikoku  2014


53万都市

2020-06-28 | 日記

 姫路市は人口53万人、神戸に次いで兵庫県第2の都市です。尼崎や西宮よりも多い。ぼくが学生の時は尼崎に次いで3番目だったけれど、平成の大合併で一気に追い抜いた。全国でも25番目(東京区部を除く)の都市になった、半分以上の県庁所在地より多い。
 その大都市でこの1か月感染者はいない、1か月ちょっと前に市役所の支所の窓口の女性が感染したけれど、以降その付近での感染者も見られなかった。その女性が感染する前の1か月くらいも感染者はいなかった。つまり、大型連休以降姫路の感染者は1人だけだった。
 イオンモールではまだ入り口にマスクをするようにとポスターが貼ってあるので95%以上の人がマスクをしている。ぼくが行くもう一つの食品スーパーラムーではマスクをするようにとは書いていないけれど90%の人がマスクをしている。ぼくも中に入るときはマスクを必ずする。兵庫県全体を見てもこの1か月で10人ほどの感染者しか出ていない、それでもマスクをする姫路の人々をぼくは誇りに思う。ウィルスと戦うことはできない、でも確実に感染を避ける方法をこの2か月間であらゆる人が認識したはずだ、最後の一言はあえて口をつぐむ。


秋遍路の計画

2020-06-24 | 日記


 納経のない奥の院も巡ることになったので、秋の予定もちょっと変更。
 88ヶ所はこの春の残りの46番から88番までと1番。新四国曼陀羅霊場は1番から58番まで。36不動は21ヶ所。奥の院・前札・元札は21ヶ所。番外は34ヶ所。合計134ヶ所ですが重複している札所が何か所もあるので実質は120ヶ所ほどになると思います。
 
 出発は10月22日としました。三豊のお接待所の開設日に合わせました。1か月に2回だけなので今までなかなか合わせられなかった。
 10月22~26日、11月8~16日が今年の春歩き残した88ヶ所で、それ以外が新四国曼陀羅霊場です。左上の4日間は11月の最後の4日間です。
 左下は歩行距離、右下は新四国の札所番号、右上は36不動の札所番号と漢字は奥の院と番外。

 琴平の一心館はタウンページから消えていて2020年の英語の地図からも消えているので廃業されたと思われます。なので橋本屋旅館に変更です、7年前の投稿で2食付き6700円の記事がありました。


やり直しの時期は

2020-06-15 | 日記

 昨日久保さんの紫雲庵に泊まった人は、4月の中旬に大洲駅でやむなく中断して、6月になって納経所が再開したのに合わせて続きを歩いている。関東の人だけれど、野宿だからまあそんなに問題もないというところでしょう。ぼくは4月17日に大洲だったからぼくの少し先を歩いていたと思われます。この春ぼくが出会った歩き遍路さんは50人ほどでしたがそのほとんどが途中で断念したはずです。徳島で会った逆打ちの数人だけが結願できたでしょう。
 この時期普通はもうほとんどオフシーズンだからこういう状態でなくても歩く人はごく少ない。今日も家の周りを10kmほど歩いてきましたがつらい、真夏ほど気温が高くなくて曇りがちだったけれど暑くてしんどい、真夏の歩き遍路は危険だし効率がすごく悪くなるから絶対避けた方が良い。
 昨年の秋遍路の出発のピークは9月の末から10月の頭だったと窪川の接待所で聞きました。ぼくの出発は10月27日だったのですがそれでも前半はかなり暑い日が多かった。12月になると寒くなって歩きにくくなると思われがちですが12月上旬の気温は3月下旬とほとんど同じ。ということで理想的なお遍路の時期は11月初めから12月上旬にかけてということになります。
 でもやり直すとなると11月まで待てる人は少ないでしょうね、待ちきれずに9月中に出発してしまう人が昨年以上に多くなることも十分考えられます。そういう人たちに出会える可能性を増やすためにぼくの出発は10月18日に設定しました、すこし暑めの時期になりますが。


白鳥の歌

2020-06-08 | 日記

 ウィーンフィルの演奏会が3か月ぶりに開催されたと昨日のNHKのニュースが伝えていました。演奏されたのはモーツァルトのピアノ協奏曲だということはすぐ分かったのですが何番の協奏曲かは分からなかった。ぼくが聞いてきたのは20番、21番、22番、23番、26番くらいでそれ以外は聞き分けられない。あとで調べたら27番だと判明、最後の協奏曲だけどほとんど聞いてこなかった。ぼくのハードディスクにはバックハウスと内田光子の2種類の録音が入っていました。
 でもこの曲が演奏された理由は何だったんだろう、確かな根拠があるはずではないかと、14年前に放送されて録画しておいた毎日モーツァルトのDVDを久々に引っ張り出してきました。

 ピアノ協奏曲27番は第179回の放送でした。
 最初にヴァイオリニストの中西俊博さんがこの曲についての思いを語る。
「この曲はね、なんかこうメジャーなメロディなんだけどちょっともの悲しい、なんか切ないっていうのがねすごい充満している感じに聞こえるんですよ。確かに完成度も高いと思うし、円熟した者だけが出す誇張していない感じ。技を見せてるわけでもないし何か思いついたからそれをこう見せつけるような表現を一切してないけど、本当に自然にこう繋がっていく。だからねBGMにもなっちゃうんだけど、でも真剣に聴いたらすごいそこに感じるものがある、自然体で素晴らしいものを目指している感じが、やっぱり酸いも甘いも経験した人が出すっていう感じがちょっとするね。」
 次に案内人の山本耕史さんのナレーションが入る。
「1791年が始まった。新たな年モーツァルトは精力的に仕事に取り掛かる。作曲ペースが前の年の不調を振り払うかのように。
 1月5日モーツァルトが自作目録に最初に書き込んだのがピアノ協奏曲第27番だった。このピアノ協奏曲は後に白鳥の歌と呼ばれ長く人々に親しまれることになる。
 1791年モーツァルト人生最後の年、この年に作られたモーツァルトの曲はいずれも澄み切った音色と切々とした情感をたたえている。この年最初の作品が1月5日に完成したピアノ協奏曲第27番である」
  アウエルスペルク邸の映像が映し出され、画面下に字幕が出てくる。
 ~1月9日ここでナポリ王の歓迎式典が開かれモーツァルトの弟子のプロイヤー嬢がこの曲を弾いたといわれている。当時ウィーンでのモーツァルト人気は冷え込んでいてモーツァルト自身の演奏会を開くことは難しかった。この曲をモーツァルト自らが初めて人々の前で弾いたのはおよそ2か月後の3月4日自宅近くのなじみのレストランでだった~
  カフェフラウエンフーバーの映像
 ~現在はカフェになっているこの場所でクラリネット奏者の演奏会が開かれ、その時モーツァルトはこのピアノ協奏曲第27番を演奏した。かつては華麗なピアノ協奏曲を携え音楽会場を満席にしたモーツァルトのこれが最後の公開演奏となった。このピアノ協奏曲第27番はしばしば「白鳥の歌」と呼ばれる。「白鳥の歌」とは芸術家の最晩年の傑作を指す言葉、「白鳥は死ぬ直前に最も美しい声で鳴く」という伝承に由来する。第26番「戴冠式」以来3年ぶりになるこのピアノ協奏曲、温かみのある旋律と清澄な響きが聞く者の心をとらえる。澄み切った情感のピアノ協奏曲で幕を開けた1791年、のちにモーツァルトの“豊饒の年”と呼ばれるようになる。

 これで179回は終わりですが、180回により重要なものがありました

 180回はドイツ文学者の小塩節さんの感想~始まる
「5月よ来いというんですが、確か題名は春へのあこがれになってると思うんです。冬の寒い時に春よ早く来い、ドイツの場合、あるいはオーストリア、ウィーン、ザルツブルクもそうですね、春ってのは5月なんですよね、3月4月ははまだ冬なんですよ、で5月になって一斉に花が咲くんです。
 (モーツァルトは)経済的にも苦労する、妻のコンスタンツェは病気ばっかりしているわけですね、彼の心の中で5月よ早く来いと春にあこがれて歌った。草が萌えてくる草原、川辺、小川のほとり、すみれがポット顔を出してくる、ああすみれを摘みたいな,スミレを早く見たいな、今は寒い冬なんだけれど。彼の晩年の心を映していると思いませんか」
  案内人山本耕史さんのナレーション
「1791年1月14日モーツァルト34歳、
 自作目録に新たに3つの歌を書き込んだ。それは長い冬の間ひたすら春のおとずれを待つ子供たちの心をうたった曲だった」
  シュワルツコップの歌声が聞こえてくる
「子供のための歌曲集として出版された春へのあこがれ、その軽快なメロディーは9日前に完成したピアノ協奏曲の第3楽章にも登場している」
  3楽章のピアノのメロディーが流れる
「どん底のまさに冬の状態からようやく抜け出そうとしていたモーツァルト、そんなモーツァルトがこの上なく純粋な音で表現した春を待つ心、そして子供の世界。白鳥の歌と呼ばれるピアノ協奏曲の傑作はこうして新たな命をふき込まれた。春を主題にした3つの歌は今では童謡のように広く親しまれている」
   リート「春へのあこがれ」k596
              ソプラノ エリーザベト シュワルツコップ
              ピアノ  ワルター ギーゼキング
「懐かしい5月よ来い
 小川のほとりにすみれの花を咲かせておくれ
 すみれの花にまた会いたい
 僕は散歩に出かけたいんだ

 天気がおだやかになって
 あたり一面緑になればなあ
 いとしい5月よぼくたち子どもは
 君が来るのを待ちきれないんだ
 早く来てすみれを咲かせておくれ
 それから忘れずに
 小鳥たちもつれてきておくれ」 


27番奥の院 神峯神社

2020-06-06 | 四国 奥の院


 9時20分、27番神峯寺に到着、


 9時41分、大師堂のお参りを終えて奥の院に向かう。大師堂の正面突き当りに矢印があります。


 突き当りを左折したところ、


 この200mを甘く見ると大変です。




 前の写真の軽トラが泊まっているところが二又になっていてちょっと迷ったけれど、舗装道ではなく石段を選択、普通こちらを選ぶけれどここにこそ道しるべがあるべきでは、

結構な勾配ではあるけれどそんなに長くはなかった、


 石段が終わるとフラットな山道、


 
 最後の石段か、


 と思いきや、こちらが最後の石段、






 いよいよ本殿に上がっていく、


 神峯神社本殿です、大師堂から12分かかりました。




 聞いていた大師腰掛岩と思ったのですが、実際は別物でした。


 結局登りませんでした。腰掛岩と四国のみちはまた次回ということです。


ベストの遍路宿

2020-06-05 | 日記




 八栗寺門前の岡田屋旅館が廃業になったと遍路掲示板で報告がありました。3年前初めて泊まった時からずっとぼくのベストの宿でした。同宿になった人にもそのように勧めてきた。この宿のことを教えてくれたのは同宿になった男性のお遍路さんだった。それが何年前のことだったかは忘れてしまったけれどその思いのこもった言葉はいまだに忘れられない。そして3年前、どうしてもこの宿に泊まりたいという神戸のSさんのブログを見て、その年急遽予定を変更してこの宿に泊まることにした。そして実際にここに泊まった時同宿になった広島の玉井さんとの出会い。みなさんに改めて感謝したい思いでいっぱいです。
 今のぼくのベストは鶴林寺登り口の「みかんの宿」、神セブンは「青空屋」「八十窪」「うまめの木」「民宿岡田」「まほろば」「くろうさぎ」というところでしょうか(2食付きの宿限定)。
 素泊まり宿の神セブンは「歩き遍路宿びざん」「B&B m⁴」「お遍路・ゲストハウスりり庵」「お遍路ハウスファンファーム」「足摺倶楽部」「ゲストハウスさくら」「遍路宿もやい」。全部個室でお風呂があってWi-Fiもある。


今年のタイムメモ

2020-06-04 | 日記


 市役所での申請手続き、支所での健康保険の更新手続き、マイナンバーの更新手続き、給付金の申し込み、遍路中に欠けた奥歯の治療も終えて、あとは秋遍路を待つばかりになったので、昨年の秋と今年の春のタイムメモを清書して後々参考にするときに見やすくしました。こうして眺めてみると6時間以上歩いている日が多くない、前半の16日でたったの4回というのは我ながら意外なことでした。そのせいもあってかこの春は調子よく歩けた区間が多かった。ベストタイが出たのは2割もなかったけれど、全部がタイムを狙って歩いているわけではないのでそのくらいでも十分という感じです。今回は何年もタイで歩けなかったところでいい歩きができて気分が良かった。特に宍喰から室戸まで、この岬への道は大好きなへんろ道でもあるので余計気分が上がった。ゴロゴロから佛海庵までと徳増から椎名までの区間でベストタイで歩けたのは10年ぶりくらいだったかもしれない。そしてその後で泊ったSKY&SEA muroto も最高の宿だったし、特に印象に残る日になった。
 


さらなる奥の院の旅

2020-06-01 | 日記

 ぼくの奥の院一覧表は奥の院納経帳に記載されているものが中心、記載されていなくて御朱印のある社寺もいくつか含まれています。
 しかし、それが奥の院のすべてではありません。秋の新四国が終わったら、次の四国は御朱印のない奥の院を埋めていく旅になります。26番奥の院は四十寺のさらに山奥に踏み入っていきます(25番から9km)。37番の元札所ははるかに離れた八幡浜市(八幡浜駅から西へ2km)にあります。51番の奥の院は6ヶ所もあって、その一つは伊予市の海岸線にあるし、もう一つは石手川の源泉に近い福見山の山麓(石手寺から16km)にあります(へんろみち保存協力会の宮崎さんが遭難された)。85番の奥の院は登る手前のスーパーマルナカから北へ8kmの海岸線にあります。40番奥の院の一つ鯨大師は宇和島市街から海の向こうにあって、これだけは未だ行く方法が見えません。
 佐藤さんからメールがあって、九島へは4年前に橋が架かってバス路線も開設されたとのことです。よく見れば15年版の英語のへんろ地図には橋がなかったけれど、18年版にはちゃんと架かっていました。来年の春は嵐から宇和島駅までバスに乗る予定だったのですが、1日余分にとって、前日は篠山越えで秡川温泉から満願寺経由で津島の宿に泊まって、次の日は津島から野井坂へんろ道で宇和島に入ってそのまま歩いて九島に渡ることにしました。宿は遍路宿もやいなので距離も時間もだいぶ余裕のある行程です。その翌日はもやいから43番までは歩いて上宇和から電車で八幡浜へ、八幡浜から伊予大洲までも電車で15時到着です。
 伊予鉄バスは松山大阪間の高速バスが今月半ばから一部再開、東京名古屋京都広島などはまだですが。遍路宿もまだ開いていないところもありますが多くは営業しています。あれから2か月でここまで戻ったのだから、これから4か月先にはさらに通常に近いかたちに戻っていることを期待してもいいでしょう、