WALKER’S 

歩く男の日日

4月16日 9日目 大瀬の館~45~古岩屋荘

2014-06-26 | 14年四国の旅


 今日の宿はチェックインが16時なので6時半の出発です。札所も45番岩屋寺だけなのでゆったりしたスケジュールです。ゆったりといっても6km出ないと自然と焦ってしまいますが。
 天気は曇り、予報では雨は降らないようです。ゆっくりのびのび休めたので気持ちのよい発ちあがりです。
 ここは突合の1200mくらい手前の地点、5年前ここに来たときはこの歩道はまだ工事中でした。対岸のバイパスやトンネルも工事中でまだ完全には開通していなかったような覚えがあります。



 旧小田町に入ります。小田町は合併して内子町になったけれど、小田の人はいつまでも町民としての誇りを持っているのかもしれません。左肩に小さく書き加えらえた「旧」の文字を見てそんなことを感じます。


 突合です。08年09年は右折して小田の方に向かったので、左折して下坂場峠を越えるのは7年ぶりになります。このちょっと手前にできた近道のトンネルは今回やっと歩けることにはなったけれど、タイムを比較したいので今まで通りの道を歩きます。近道といっても200mちょっとのことです。


 突合から800mほどの所に立派な休憩所ができていました。この近くにバス停があったはずでそれがリニューアルされたのかと一瞬思ったのですが、そうではないようです。あさイチでまだそんなに歩いていないので休みません。


 250m先にちゃんとバス停がありました。以前はここで休むようにしていたのですが、今回はもう少し先まで休みません。


 さらに4km行くと薬師堂です。以前はこの水屋で水を補給していたのですが、今回は宿で入れてきた水がまだあるので立ち寄りません。


 落合トンネルが見えてきました。標識は300m先右折県道42号久万高原町とあります。最初来たときこの標識が目に入らなくてひどい目に遭いました。


 トンネルを抜けると・・・


 砥部町に入ります。ここにも右折久万高原町の標識があるけれど見えてなかったです。本当に余裕など全くなくて彷徨っている感じでした。


 トンネルを抜けたところにあるバス停が本日最初の休憩ポイントです。バス停の中には砥部町にある二つの旅館の案内板がありました。バス停であり旅館の送迎待合所にもなっています。橘旅館はとてもいい宿だと佐藤さんに教えてもらったので一度は泊まっておかねばという気になっています。来年は一挙に久万高原まで登ってしまうので無理なのですが再来年以降何とかしたいと思います。


 バス停では20分休憩、8時50分に出発します。3.5km進むと三嶋神社の前に来ます。小田の町から畑峠を越えてくるとこの前で合流します。昔は真弓トンネルがなくて、真弓峠は険しいので、小田の町に入ったお遍路さんはほとんど畑峠を越えていたのだと、来楽苦のご主人が教えてくれました。今日ぼくが歩いてきた突合を左折する道よりも、小田から畑峠の方がメインの遍路道であったとも言われました。ぼくはまだ畑峠は歩いていませんが、再来年以降ぜひ歩いてみたいと思っています。
 この少し前で、男性お遍路さんを追い抜きました。


 三嶋神社から1500mで県道を離れ短絡路に入ります。


 さらに2300mで舗装道から山道に入ります。


 9時55分、バス停から65分かかって下坂場峠に上がってきました。登り口からは7分ほどでそんなに大変な峠越えではありません。峠の中では一番やさしいといってもいいかもしれません。植え込みの縁石に腰掛けて休憩します。ここでは毎回休むことにしています。屋根はないのですが、今まで一度も降られたことはありません。翌日に降られたことが2回、午前中は降っていてここではあがっていたことが1回、雨が降っていても傘をさしながら休むことになると思います。この先にも適当な休み所はなかったように思います。


 峠で先ほど追い抜いた人が上がってくるのを待ちました。少しお話しできたらいいなと思ったのですが、思いの外時間がかかりました。疲れたもんで坂の途中で休んだんですよ、と言われたのですが、無理矢理座りやすい縁石を勧めました。そうですかと、つきあって腰を下ろしてくれました。どちらから来られたんですか、と訊かれたので、「姫路です」と答えると、「ぼくも姫路ですよ」、さらに驚いたのは「高校は○○高校に通ってました」、「ぼくもですよ、26期です」「ぼくは16期、10年先輩ですね」、その後教えてもらった先生の名前が次々飛び出しました。今は大阪狭山市に住んでおられるそうです。
 同窓の橘さんと話が弾んで下坂場峠では50分も休んでしまいました。それでも、チェックインは16時なのでまだまだ余裕はあります。10時45分に出発しましたがすごく元気になって弾むように峠を下っていきます。


 峠から下りきったところの分岐点です。赤線の付いている遍路道は左折してひわ田峠へ向かうけれど、今回は右折して農祖峠に向かいます。農祖峠は歩いたことはあるけれど、その先、国道に下りてから日の出橋に向かう道はまだ歩いていません。この道を歩くと久万高原の赤線の付いている道はほぼ踏破したことになります。


 下坂場峠から29分で農祖峠の登り口に到着です。予定していたタイムより2分も早く着きました。休憩が効いているようです。


 農祖峠は5年ぶり2回目です。前回は1日の後半で全然調子が出なかったことを覚えています。
 ひわ田峠方面に向かう矢印もあります。真弓トンネルができるまではこの峠を歩く人などいなかった、遍路道ではなかったと、これも来楽苦のご主人の話。


 普通に「のうそとうげ」と最近まで読んでいたけれど、正しくは「のうそのとう」、へんろ地図にもちゃんとふりがながあるのに思い込みで呼んでいました。
 峠までは明らかに5年前より快調で短く感じました。登り口から17分ほどでした。


 峠から800mほどで舗装道が始まります。この下りもいい感じで歩くことができました。逆打ちの男性とすれ違ったのですが、この時間からだと小田の宿に泊まることはないだろうしどうして遠回りの道を歩くのか首を傾げました。逆打ちの場合45番から素鵞神社、日の出橋経由の道を歩けば、さほど遠回りにならないし、ひわ田峠よりも標高が140m低い農祖峠の方が楽だということなのかもしれませんが。そういえば逆打ちでこちらの道を歩いたという人のブログを見たことがありました。


 さらに1kmちょっと下りてきたところで、舗装道から山道に入ります。これだけ下ってきたのに、この先にまたちょっとした登りがあって、5年前は気持ちがくじけそうになりました。


 山道に入ってから5分ほどで44番へ向かう道と、先に45番へ行く道の分岐点があります。5年前来たとき、いつかはこちらの道も歩くのだとしっかりチェックしたのを覚えています。


 「岩屋寺への遍路道は不通」と書いてある「不」の文字が消されています。つまり今は通れるということのようです。何年か前、素鵞神社から茶店跡の山道が歩けなくなったという情報がありました。今回この道を歩くにあたっていろいろ調べてみると、13年の情報で普通に歩くことができたというページを二つ確認できたので、この看板ではなく消された方を信用して岩屋寺へ向かいます。


 峠から27分、久万の町並が見えてきました。時刻は正午、どこからかウェルナーの「野ばら」のメロディが聞こえてきます。


 国道に下りていくところです。久万の標高は480mあるのでけっこう桜が残っています(今日は4月16日)。


 国道33号に下りてきました。北、町の中心部方面をを眺めた画です。
5年前はもう少し北側に下りてきたので距離も違うのですが、その時より5分早く下りてきました(登り口から)。


 道しるべもしっかりあります。


 国道から200mほど東に行くと久万の町を南北に貫いている通りに出ます。おそらく昔の国道であったと思われます。この道に出てすぐ東(日の出橋方面)に向かう広い道が県道153号です。この三叉路にパティオのようなものがありました。このあたりで休憩する予定ではあったのですが、適当な場所があるかどうか、初めて歩く道なので当てはなかったのですが、いい感じの休み場所です。


 ちょうど自販機があったのでアクエリアスを買います。今回の旅で初めての飲料です。この先には岩屋寺まで水を補給できるところがないので、初めから買うつもりでした。昼食は相変わらずかりんとうです。


 三叉路では25分の昼食休憩をとって12時30分に出発です。
 500mほど進んだところで、左へ曲がる道があって、これは?と一瞬迷ったのですが真っ直ぐ広い道が続いているので、曲がるのはまずいだろうと、そのまま直進したのですが、ぼくが歩いているのは2010年までのへんろ地図には載っていない新しくできたバイパスなのでした。左の上の方を見るとうねうねとした赤線の付いている本来の153号が見えています。バイパスの方が明らかに距離は短くて時間もかからないだろうけれど、赤線の道をはずしてしまったのでちょっと複雑な気持ちです。新しい地図にはこちらの方に赤線が付くことは間違いないのだから問題はないと言ってもいいのでしょうが。


 元の153号が合流してくるところです。


 越ノ峠のちょっと手前が合流ポイントです。これだけ削っているのだから昔の道はもう少し高いところにあったのかもしれません。


 このあたりが越ノ峠のようです。


 県道153号は左へ折れて河合、住吉神社の方へ向かいます。ぼくは右に折れて日の出橋に向かいます。右折れの道は県道209号。


 ここから209号が始まります。岩屋寺まで6,5kmとあるけれど、途中険しい山道があるからどれくらい時間がかかるか見当はつきません。


 209号に入ってすぐ短絡路があります。こちらの道を歩く人はかなり少ないはずですが、ちゃんと遍路シールがあります。


 昼食休憩をした所から38分で日の出橋に到着しました。バイパスを歩いたので、予定していたタイムより5分以上早く着きました。
 日の出橋から岩屋寺までの道は6年前に歩いていて2度目になります。6年前は反対から来ました。小田の町から新真弓トンネル、その後は農祖峠には行かず、国道380号を直進、露峰落合の交差点も直進、美川小学校の先から県道209号に入りました。この道はカラーのへんろ地図になってからは赤線が付いていませんが、白黒の地図には付いていました。新真弓トンネルを抜けた場合、農祖峠を越えるよりも高低差が少なくて歩きやすいので赤線が付いたのかもしれません。時間的には、今回のバイパスを使った場合、6年前の道の方が3分くらい早く、バイパスがなかった頃には10分くらい早かったと思われます。赤線が付いていたのも納得がいきます。


 日の出橋から18分、6年前と同タイムで素鵞神社に到着しました。ここで本日4回目、最後の休憩をとります。


 素鵞神社では20分ほど休憩、13時45分に出発です。4分ほどで本格的な登り口です。ここまでの道は何となく記憶に残っていたのですが。ここからの5つの屋敷跡の横を登る急坂は全く記憶に残っていませんでした。急坂が終わるあたりで、6年前は工事(植林のための整地?)をしていて、そのあたりの景色はぼんやり覚えていました。


 素鵞神社から28分で八丁坂茶店跡に到着です。6年前より1分早く、後半の緩やかな起伏の所では身体の方が先に動いてしまうという感じでした。迷い所も全くなく道が荒れているところもありませんでした。草が多めの所や道が細いところもありますが少し注意すれば全く問題のない程度です。


 茶店跡の説明板には興味深いことが書かれています。槙ノ谷から上がるコースこそが本来のコースであることを示そうとしてこの大きな石碑が建てられた、しかも1748年という古い時代に。それだけ歴史のある道を今歩いてきたということのようです。もちろん順打ちが基本ですからその頃も八丁坂を歩く人の方が多かったのだとは思いますが。
 茶店跡からはいくらかの登りもありますが、素鵞神社からのきつい登りを味わったすぐ後のせいか、全く問題になりませんでした。この日までは午後からは疲れの目立つ歩きになっていくことが多かったのに、そういう感じはまるでありません。足にやさしい山道が影響しているのかもしれません。


 茶店跡から25分で行場の入口にやってきました。


 昨年、藤井寺の手前、鴨島駅の近くにあるさくら旅館の夕食時に話題になった『せりわり行場』です。前日数年がかりの区切り打ちで結願を済ませた二人の女性お遍路さんが、ある鎖場で滑落して大けがをした人がいたということを、話された。ただその場所がどこの札所だったか思い出せず、周りの人に訊いたところだれも答えられなかったのです。ぼくも、全く見当が付かなかった。鎖場で思い出すのは歯長峠と女体山くらいでした。この前には往路で5回、復路で2回も来ていたのに、全くなにも見ていませんでした。


 この解説板もまともに読んだことがありませんでした。


 入口には鍵がかかっていましたが、お願いすればだれでも入って登れるようです。中を覗くと、入ったところからすぐ鎖が連なっていました。


 茶店跡から31分、14時47分に45番札所岩屋寺に到着しました。雰囲気のある山門ですが、この光景は、バスツアーの人も、車遍路の人も、バイク遍路の人も、自転車遍路の人も見ることは先ずありません。たっぷり汗をかいて八丁坂を越えてきた歩き遍路さんだけが味わえる光景です(境内側からは見ることはできますが、でもこちら側にも山門があることをどれだけの人が気づいているか)。
 境内にはたくさんのバスツアーの人たちが次々と上がってくるところでした。岩屋寺だけは車で巡っている人も汗をかかねばなりません。太龍寺や雲辺寺はロープウェイ、八栗寺はケーブル、焼山寺、鶴林寺、横峰寺、などはお寺の近くに駐車場があるけれど、ここだけはすべての人が標高差230m下の駐車場から自分の足で登るしかない。息を切らせながら次々によろよろと境内にたどり着く、水屋を使う余裕もないくらいの人もいます。
 ぼくは、お参りを終えて水屋の水をペットボトルに入れて喉を潤します。ここと金剛福寺と横峰寺と一宮寺では毎回水屋の水をいただくことにしています。


 15時37分、岩屋寺から26分で本日の宿古岩屋荘に到着しました。3日連続初めて泊まる宿です。チェックインの時間より大部早いのですが、中で待つところもあるだろうし、運がよけりゃ早めに入れてくれるだろうと期待しながらフロントに行くと、用意はできていますのですぐに入れますということでした。


 夕食はまずまずです。お風呂は大きな岩風呂で時間が早くてぼく一人、部屋も特に問題はなし。フロントの応対もまあ普通以上だったし、◎をつける人が半分くらいいるというのも理解できます。でもぼくは、もう一度来たいかと訊かれると、いいえと言うしかないので、○の評価になります。一番安いAコースで2食付き7500円(税込み入浴料込み)、夕食付き6600円、素泊まり4650円です。


4月15日 8日目 ときわ旅館~大瀬の館

2014-06-23 | 14年四国の旅


 夕食の時に今日は別格金山出石寺への地蔵越えの道を歩く(2年前は瀬田道を歩いたので)と言っていたら、朝になってご主人が、道しるべを設置したいので同行させてもらえないかと言われました。そういえば、昨日鳥坂峠で見た道しるべと同じものが食堂の片隅に立てかけてあります。もちろん、何の問題もないので即同意します。初めての道だから、タイムを気にする必要もありません。
 バナナは昼食の時にいただくことにします。


 6時31分に宿を出発です。マメがきれいに乾燥して全く痛みも違和感もありません。めちゃくちゃ快適です。今回の旅で最高のコンディションといってもいいと思います。いくらでも出せそうな感じですが、もちろん無理はしません。初めての山道もありますし、距離も40kmちょうどです。


 気分がいいので肱川橋からの大洲城を押さえておきます。


 県道234号は右に折れて久米川を渡ります。足が本当に自由に動くので楽しくて仕方ありません。


 宿を出て35分、久米川を渡ります。


 直進すれば伊予平野駅、出石寺は右折、大きな道路標識があるので遍路シールを確認するまでもありません。


 踏切です。


 直進、沼田瀬田経由出石寺、2年前歩いた道です。
 右折、地蔵堂経由出石寺、これから歩きます。
 ここまでの平均時速は6.2kmですが、まだまだ余裕はあります。


 分岐から2分でこの登り、


 写真でも分かるくらいの結構な勾配ですが、そんなにきついという感じはありません。迷いどころですがすぐ先に道しるべが見えています。


 宿を出てから1時間05分、ここから山道に入っていきます。分岐点から1kmほど入ったところです。


 この白いロケット型の道しるべが、ときわ旅館のご主人が設置されたものです。ちゃんと立ってたぁ、とご主人も安堵の表情です。


 道しるべが色あせて分かりにくくなっているので、ご主人がザックから赤マジックを取り出して、書き直します。マジックを持って歩いているお遍路さんもいますが、ぼくなどはまだまだそこまでの余裕は持てません。


 また白ロケットです。要所であると本当に安心して歩けます。特に初めての道だと一本道でも道しるべが全然ないと自信がなくなって間違った道に入り込んでしまったのではないかと不安になることがあります。2年前歩いた瀬田道でまさにそういう感じの山道があって、何十分も足場の悪い山道をさまよってやっと見つけたのがときわ旅館の遍路札でした、あのときは本当にうれしかった。


 広い道に上がってきました。横断してすぐ山道に入ります。へんろ地図のH250のポイントに近いところだと思われます。


 リスがいたので撮影したのですが、うまく映っていませんでした。


 また広い道に出てきました。へんろ地図とは別にパソコンで作った地図を持っていたのですが、もうどのあたりを歩いているのかほとんど分かっていません。


 広い道から山道へ入ります。入口にはきっちり白ロケットがあります。


 舗装道に上がってきました。へんろ地図のH390のポイントの近くの道のようです。


 山道へ入っていきます。おそらくこれが最後で次に舗装道に上がったところがぼくのゴールだと思われます。


 瀬田道との分岐点から50分、そろそろゴールも近いかなと思われた、ここから少し登ったところで思わぬことが起こりました。道が二俣に分かれたところがあって、左の道はその入口が倒木で完全にふさがれている。当然右の方に入っていったのですが、後ろから歩いていたご主人が、こちらにへんろ札がありますよ、と声をかけてくれました。なんと倒木の横にへんろ札が掛かっているではありませんか、一人で歩いていたら完全に迷っているところでした。ここまで気持ちよく歩いてきて最後の最後で道をはずしていたら、かなり落ち込んでいたかもしれません。本当に同行二人です。


 ときわ旅館ご主人、藤江修さんです。最後までお世話になりっぱなしでした。
 8時28分、宿から2時間で赤線の付いた下りの舗装道(この道で登る人もいます)に上がってきました。ぼくはここから大洲の町へ引き返しますが、藤江さんは出石寺まで行ってお参りするということで、ここでお別れです。こういう素晴らしい人がいるからまた戻って来たくなります。


 合流ポイントで少し休憩、かりんとうとバナナをいただきます。
 下りの道は勾配が緩やかで膝に負担の掛かる所は少なくて気持ちよく歩けます。2年前は足に怪我をした直後で、あまり力が出せなかったのですが、その時よりは明らかに元気よく歩けています。ここにくると必ず1枚は押さえたくなる絶景です。写真ではよく分からないけれど、肱川橋も大洲城も見えています。
 下りの舗装道に合流したところから肱川橋まで89分で下ってきました。時速は6.1kmでした。2年前はチェックポイントが少しずれていてきっちりした比較はできないのですが、おおよそでいうと今回の方が2分ほど早かったようです。時刻は10時28分、宿まであと22kmほどです。1時間休憩しても15時半には楽々です。


 肱川橋から39分で別格8番札所十夜ヶ橋永徳寺に到着しました。ベストタイムより15秒だけ遅れました。昨日一昨日とは大違い、8~9割の力は出せているようです。
 この少し手前にスーパーがあったので昼食を調達しました。ミンチカツ2個とコロッケ1個、合計147円です。今日の夕食と明日の朝食は内子町に入ってから買うことにします。


 昼食を摂りながら、別格も開創1200年の記念スタンプや御影を出しているのだろうかとぼんやり考えています。


 残念ながらぼくはこの童謡を知りません。ラジオでもテレビでも聞いたことがありません。30枚近く持っている童謡のCDにも入っていません。この歌を知っているのは一世代二世代上の人たちだけになってしまったのかもしれません。これは板張りなので歌碑と言えるかどうか、迷うところですが、本物の歌碑は冨士山の頂上にあるそうです、なかなか頂上に登る余裕はないのですが、再来年以降何とかしたいという希望は持っています。


 30分ほど休憩して11時40分に十夜ヶ橋を出発します。
 まもなく、国道で歩きの女性を追い越します。宇和の宿から内子の宿まで32kmほど歩くようです。
 国道を離れ、稲田橋を渡って新谷の町に入っていきます。遍路道らしい雰囲気のある街道です。


 新谷郵便局です。6年前、ここでペットボトルに水を詰めてもらいました。出石寺にお参りして正午を過ぎていてすごく暑かった。午後からこのあたりを歩くのは6年前と今回の2回だけです。


 県道から国道に合流、1kmちょっとで大洲市から内子町に入ります。


 デイリーヤマザキは健在です。朝7時からの営業だから無理なくやっていけるのでしょう。すべてのコンビニがセブン~イレブンだともっと健全な世の中になるのにと常々思っています。
 ここから国道を離れ山道に入っていきます。


 運動公園を抜けて内子の町へ入っていくところです。国道を離れてからはあまり調子が出なくなりました。このすぐ後、鉄道の高架をくぐる所がタイムチェックポイントなのですが、ベストより3分ほど遅れました。昨日一昨日よりは大部ましですが1日の後半になると出だしのようないい感じでは歩けなくなります。


 高架をくぐってすぐ右折、駅前にスーパーがあったはずなので駅に向かうと、なんとスーパーが完全に消滅していました。今日の宿は素泊まりなので食料を調達せねばなりません。ちょっとうろたえながら駅の案内センターに入ってスーパーはどこでしょうと尋ねると、駅前の道を真っ直ぐ行って国道に突き当たったところにありますということで、一安心です。安心したので最後の休憩をとります。あまり早く着いてもどうかということでたっぷり30分休みます。
 めちゃくちゃ広い駐車場のあるパルティフジで、菓子パン4個と芋けんぴとかりんとうを買います。


 国道を離れて大瀬の集落へ入っていく分岐点です。時刻は14時57分、宿まであと1700mほどです。国道379号は午後から歩いた6年前よりやや調子が出なかった感じです。お遍路無料宿の前で二人の男性お遍路さんが休んでいました。この時間からだと小田や砥部町の宿まではちょっと時間がかかりすぎるし、来楽苦はこの日はお休み、大瀬の館はぼくが泊まるから、他に選択肢がなかったか、あるいはもともと野宿、善根宿、通夜堂中心で巡っているのか。
来楽苦の近くに「いかだや」という新しい宿ができたとときわ旅館で教えてもらったのですが常時営業しているようではないようです。ここがちゃんと営業してくれてお遍路さんの間に知られていくとどんなにいいかと思います。


 15時16分、本日の宿大瀬の館に到着しました。予約したときに、散髪屋の上本さんに鍵を預かってもらっていますのでそちらを尋ねて下さいと言われました。上本理髪店は街道を左折して宿に向かうその角にありました。奥さんが愛想良く宿に案内してくれます。お接待の牛乳と栄養ドリンクがテーブルに置いてありました。お風呂の入れ方を教えてもらって、鍵はテーブルの上に置いてそのまま出ていって下さい、店で声をかけなくても構いませんからと、説明を受けます。それから、屋根裏にムササビが居ついているようなので気になるかもしれませんが、と言われます。
 ホームページで間取り図や写真を見ていたので、大体のことは分かっているつもりでいたのですが、実際に入ってみると、やはりずいぶんとゆったりしています。一人で持て余すのではないか、落ち着かないのではないかという、懸念もあったのですが、むしろ逆でした。ものすごくくつろげたし落ち着けました。時々ムササビがごそごそするのですがそれも愛嬌です。テーブルには日本茶とインスタントコーヒーのセットもあって、これもありがたいところです。数年前まで3000円だったのが4000円(2人以上は3000円)に値上がりしたのですが、それでも安いと思えるほどいい気分の宿です。もう1回来たいと本気で思いました。


4月14日 7日目 遍路宿もやい~41,42,43~ときわ旅館

2014-06-13 | 14年四国の旅


 宿を6時03分に出発します。痛みは残っていますが靴下を薄手のものに換えると幾分楽な感じもします。雨は完全にあがっています。
 みま町(旧)に入るところで本日最初の1枚。


 務田駅の陸橋を越えたところ、この田圃の中の一本道は大好きな光景の一つです。山に霧(雲)がかかって,さらにいい感じです。


 7時13分、41番札所龍光寺に到着しました。時速は6.14km、昨日の前半より少しだけ速いくらいですが、雨が降っていないので昨日のようにだんだん落ちていくことはないと思います。


 気持ちのいいみまの花の道です。徳さんのお遍路さんでタイトルバックにも使われていました。目を奪われて一瞬痛みを忘れます。


 7時57分、42番札所仏木寺に到着しました。やはりベストよりは大部遅いのですが、昨日よりはよく動けています。龍光寺で一緒だった車遍路の人たちがお参りしています。龍光寺から30分なので車遍路のの人と再会することが多く、びっくりされる方もいます。
 お参りを終えて、鐘楼の前のベンチで休憩します。宿から10kmなので毎回ここで休むことにしています。


 仏木寺から2.2km、歯長峠の登り口ですが、2年前歩いたので今回はトンネルです。登りはいいのですが下りはかなり荒れている所があってあまり歩きたい道ではありません。


 トンネルを抜けると西予市です。

 歯長トンネルを抜けた後の下りの方が歩きやすいとたかをくくっていたら。途中倒木で完全に道がふさがれていて、下をくぐるにも、乗り越えるにも容易ではなくて、無理をしたらすてんと尻餅をついてしまいました。昨日の雨で少しぬかるんでいてズボンがどろどろです。
 5巡目までは肱川に架かる歯長橋の手前にある遍路小屋で休むようにしてきたけれど、3kmくらい先にも休憩所があって、そちらには水道もあるので6巡目からはそちらで休むようになりました。


 道中安全見守大師の前で本日2回目の休憩です。時間は9時46分、まだまだ快調という感じはありませんが、昨日に比べればだいぶましです。ペットボトルに水を満たして、15分の休みで出発です。


 10時30分、43番札所明石寺に到着しました。歯長橋からの平均時速は6.1km、遅いながらもペースは維持しているようです。境内は車遍路の人が数人いるだけ、歩きの人はまだ見かけません。徳島の方では相当なにぎわいだという話も聞いたけれど、こちらでは全然そんな感じがありません。むしろ例年より少ないのではという感じすらします。
 あと21km残っているので、ゆっくり30分休んで(お参りの時間も含む)きりよく11時00分に出発です。


 2年前は明石寺から卯之町駅へ向かったので、駅の近くから先の道は5年ぶりに歩くことになります。明石寺からは10km先のトンネルの手前のバス停まで休まないことが多かったのですが、もう少し手前で休みたいという気持ちも強くて適当なところを探すのですがなかなか見あたりません。そうしたら、いきなり新しい休憩所が目に留まりました。でも、5km足らずの所なので、まだまだ休めません。
 7km以上行った東多田のあたりに公民館のような建物があって、その軒下に腰掛けるところがあったのですが、あいにく何かの行事があるようで大勢の人が周りにたむろしていて休めませんでした。
 もうだいぶバス停に近くなった頃、道ばたにおあつらえ向きの段差があったので休むことにしました。雨が降っていなければ十分です。雨が降っていれば公民館で休めばいい。


 バス停のすぐ先に新しい遍路小屋ができていました。ここまで休まずがんばるというのもいいかもしれません。


 トンネルは4.5km、鳥坂峠へんろ道は5.5km(札掛庵まで)と書いてあります。今回は10年ぶり(2巡目の時以来)に峠道を歩きます。


 かかる時間も書いてあるけれど、真剣には見ていません。


 国道を離れていきます。


 国道を離れてから峠の登り口に至るまでの道は見事なくらい全く記憶に残っていませんでした。


 峠道の登り口です。ぼんやり残っていた記憶よりは道幅が広くて、10年の歳月を感じます。3~4回歩いても記憶に残らない道も多いから、当然のことではありますが。


 登り口から15分ほどで、大部高いところに上がってきました。ここまで歩いてきた宇和町の集落を望みます。国道もはっきり見えています。ここまでの登りはそんなに大変ではなくて、ぼんやり記憶にも残っていました。


 登りも緩やかになって、まだ味わいながら歩けています。


 道が二俣になってちょっとした迷いどころ。


 登り口から34分、まだ余裕はありますが、


 古いへんろ石があったので撮影したのですが、下りになってから撮ったのはこれ1枚です。本当にひどいものでした。10年前の記憶としては、下りはまずいということと2度と歩くべきではないという2点でした。そのことの意味を改めてかみしめながら下る長い長いへんろ道です。長くてそのほとんどが膝に負担がかかる急な勾配でしかも足場が悪い。ほとんどが歩きにくい砂利道です。あるいても歩いても終わりません。これだけの長さは記憶に全く残っていない、つまりそれだけ苦しく辛かったということでしょう。


 14時08分、登り口から61分かかって、ようやく峠道の最終盤にある番外霊場札掛大師堂までやってきました。


 お大師さんもおられますが・・・


 本堂の中は荒れ果てて住んでいる人はおろか面倒を見ている人もいないようでした。


 大師堂からどのような道を歩いて国道に合流したかも全く覚えていませんでした。道しるべに従って3分ほどで国道の標識が見えました。


 大師堂から4分で無事国道に合流しました。すぐに赤矢印が出迎えてくれてうれしくなります。


 14時15分、本日最後の休憩ポイント、ポケットパーク札掛に到着しました。6巡目以降はここで休むようになりました。それまではトンネルの手前のバス停から大洲の町(肱川橋)まで休みなしで歩いていました。
 トンネルの手前のバス停からここまで78分かかりました。トンネルを歩くより30分の遠回りになりました。ちなみに、10年前の峠歩きのタイムは、細かく区切ったタイムはとらなかったのですが、明石寺から十夜ヶ橋の700m先のふるさと旅館までの大きなタイムで比較してみると、今年の方が2分早いという結果でした。25kmで2分ですから、ほぼ同じと見ていいでしょう。10年前は足を痛めた覚えがなかったから、今回は辛い辛いと言いながらもよく頑張って歩けたということになります。
 15分の休憩、14時35分に出発です。ベストだと宿まで52分、峠の下りで膝がガクガクだから15時30分に着ければいい方でしょう。
 峠の下りは二度と歩きたくない、かといってトンネルも歩道がなくて危険、その両方を避ける道があります。峠まで登って少し過ぎたところから国道に出ていく道(トンネルを出たところにあるバス停に下りていく道)があったはずです。時間は同じくらいかかるかもしれませんが、あの下りの6割以上は回避できると思います。調子が良ければ来年試してみたいと思います。


 臥龍山荘まで0.7km、大洲市街へ入っていきます。本日のゴールも間近です。


 肱川橋です。この手前の部分、国道の両脇の建物がありません。新しい橋を架け替えるための立ち退きだそうです。宿まで700mです。


 15時31分、本日の宿ときわ旅館に到着しました。9回目にして初めて泊まります。いい宿だとは聞いていたのですが、翌日久万高原まで行くとなると、4km先のふるさと旅館まで行かないとかなりきつくなるので、行き過ぎるしかありませんでした。今回は明日別格7番出石寺への道を歩き、大瀬までしか行かないのでようやく泊まることができるのです。
 初めて泊まる宿ですが、ご主人はぼくのことを知っているようです。4年前、日帰りしかできなくなって、徳島の遍路小屋に自作の遍路宿情報を置いたところ、それを持って歩いてくれた方が、この宿で同宿の人に見せたところ、これはいいとなって、ご主人にコピーをお願いしてみなさんに配った、ということがあったそうです。たまたま鳴門のバス停で会った京都のAさんからそういうお話を伺いました。ぼくの宿情報やホームページを見ているお遍路さんは少なくないですよ、とAさんは言われたのですが、ほんとかなと、ぼくは半信半疑でした。
 とはいえ、ご主人とは面識はないし、ホームページでも宿情報でも名前は明らかにしていない(ブログでは1回だけ出したことはありますが)ので、玄関で挨拶したときもぼくがあの人だとは全く気づかれませんでした。
 玄関にあるソファで宿帳に記入していると、「区切り打ちですか」と訊かれます。ぼくのザックがあまりに小さいのでとても通しで巡っているとは思えなかったようです。「昨年37番の先で足を痛めて挫折したので、今年はその続きから88番まで行くんです」と答えると、とても信じられないというような顔をされました。遍路宿もやいから来るというのは予約フォームに書き込んでいたので、41kmの道のりで二つの峠を越えてこの時間に着いたことが、それ以上に不可解だと思われたようです。トンネルを歩いていたらさらに30分早かったわけですから、もっと当惑されたことでしょう。
 今日のお客はぼく一人、昨日は6人だったそうです。


 写真ではよく分かりませんが、ご飯は鯛飯です。ぼくはこの伊予の名物郷土料理をいただくのは初めてです。旅番組やグルメ番組で何回も見ているので一度は食べてみたいと思いつつ、倹約遍路なので昼食や夕食で外の食堂に入ることは皆無だし、宿でも素泊まりが多かったので、8回巡ってもなかなか口に入ることはありませんでした。それが思いがけず、目の前に現れて感激です。しかも小さめのおひつにいっぱい。もうこれだけですごいご馳走です。それに加えて奥の真ん中は牛肉の炒め物です。四国の宿でビーフは初めて、本当にすごすぎます。人気の秘密がいっぺんに理解できました。
 客はぼく一人なのでご主人が相手をしてくれました。そこで遍路宿情報を渡して、これを作ったのはぼくなのですと自己紹介します。一呼吸置いて、「そうだったんですか、わかりました、全部つながりました、おかしいなと思ってたんです。もやいから来られる方も時々おられるんですけど、ほとんどの方が17時を過ぎるんですよね。それが3時半に着かれたから、一瞬バスに乗られのではとも思ったんですよ」
 ぼくのホームページを見て居られるので、ぼくがどれくらいのスピードでどれくらい歩くかも把握されています。そしてそのホームページのことも「たくさんのお遍路さんが参考にされて助かっていると思いますよ」とほめてくださいました。ぼくとしてはあまりそういう感じがなくて、恐縮するばかりです。恐縮しながら鯛飯をほおばっています。
 延光寺で竹下さんに、今年初めてときわ旅館に泊まるんです、と言うと、「ほんと?予約とれたの?ご主人喜ぶわよ」と言われました。そのとおり、いやそれ以上に喜んでくれました。すごくありがたいことなのですが、何かもったいないような感じもしました。
 宿情報はお遍路に出る前に毎年書き換えると言うと、お客さんにコピーして配りたいのでその度に送ってくれませんかとお願いされました。わけもないことだし願ってもないことなので快諾します。


4月13日 6日目 旅館松乃家~40~遍路宿もやい

2014-06-10 | 14年四国の旅


 夜明け前どしゃ降りで目が覚めるほどだったのですが、それも1時間前後で明るくなる頃には普通の降りになっています。今日は1日雨の予報です。これまで傘を使わなかったからまだ運がいい方です。
 朝食は6時にお願いしていたのですが、5時40分に運ばれてきました。今日は45kmなので早ければ早いほどよかったので、歓迎するところです。



 6時20分に宿を出発、14分で40番札所観自在寺に到着です。今日は忘れず山門の撮影を済ませます。カメラは小さいビニール袋に入れて白衣のポケットに入れ、ストラップの先にクリップをつけてポケットの縁に留めて取り出しやすいようにしてはいるのですが、撮影の度に袋から出して、濡れないように気をつけねばならないとなると、余程のことがないと撮る気にはなれません。昨日でなくてよかったと思います。
 納経時間の前なので境内にはぼく一人と思いきや、中年の夫婦が見えました。当然納経帳は持たず、お遍路でもないようです。


 観自在寺から10km、旧内海村の柏のバス停までやってきました。本日最初の休憩ポイント、止まらないと写真は撮れません。
 101分もかかってしまいました。ベストより6分も遅れてしまいました。時速にすると6.12km、昨日の終盤と同じなのでかなりがっくりです。雨のせいではありません。ベストを出したときもしっかり雨が降っていました。ぼくは合羽を着ないので風さえなければ雨は全くハンデになりません。ただ、今回は左の小指が大部腫れて全部の部分が100%の力を出せません。マメができることは今までもよくあったのですが、ここまでの痛みが出て、歩きに影響するものはあまり記憶にありません。
 目の前の旭屋さんは、ネット情報で見た通り廃業していました。ぼくは8年前泊まったのですが、すごく新しくて部屋も広くてきれいで、お風呂も最高でした。そのときまだできて何年も経っていないような感じだったから、これだけの立派な建物が10年ちょっとで廃業というのはいかにももったいない。素泊まりで5000円とかなり高かったのですが、なくなるというのはやっぱり残念です。
 15分の休憩、8時45分に出発します。柏坂ではなく6年ぶりに国道を歩きます。


 6年前国道を歩いたときは、磯屋からの出発だったので柏のバス停では休まず、さらに3.5km先の須ノ川公園で休みました。休んだといっても、雨が降っていて下半身びしょぬれで寒かったのでゆっくりは休めませんでしたが。今回は柏で休んだのでそこはスルーで、休めそうな所は嵐郵便局くらいしか思いつかず、お願いするつもりだったのですが、はっと気がつくと今日は日曜日、となるとさらに1.5km先の休憩所しか思いつきません。11km近くあるのですが雨が降っているので仕方ありません。やや気落ちしながら歩いていると、嵐郵便局の1.5km手前、柏から7.5kmのちょうどいい場所に休憩所がありました。トイレもあります。6年前歩いたときは見た覚えがありません。それ以後できたのか、ぼんやり歩いていたのか。
 ここで休むと次の休憩ポイント、津島のスーパーまで8.5kmになるから理想的です。



 休憩所では15分休み10時15分に出発しました。800mほどで本日3つ目のトンネルがあったのですが、やっぱりカメラを出す気になれません。雨に加えて足の調子も悪いので立ち止まる気にはなれません。17分で、当初予定していた休憩ポイント、嵐に到着です。前回ここまでのタイムはとっていないのですが、平均時速で換算すると柏からここまでで7分くらい遅かったことになります。時速は5.97km、柏までより150m遅くなっています。6年前は6.47kmだったから全く別人の歩きといってもいいくらいです。


 郵便局の1km先にある嵐坂トンネルは平行して歩行者専用トンネルがあって格好の撮影ポイントですが、やっぱりカメラの出番はありません。そのあとも休憩所や柏坂からの合流ポイントや自転車道の入口、工事中で迂回してください、という看板、津島大橋など撮影ポイントはいくつもあったけれど全部無視してしまいました。何とか足を動かして目的地に近づかねばとそれしか考えられないような状態です。嵐からの時速は5.89km、また80m遅くなってしまいました。
 津島大橋を渡った所にあるスーパーでは毎回買い物をして昼食を摂るのですが、5年前と様相が一変していてびっくりです。よく見ると食品も扱っているようで一安心。前はレジを出たところに休憩スペースがあったのですが、それはなくなっていて、入口の横、屋根のあるところにベンチがあって、何とか休むことができました。
 昼食はコロッケ2個とドーナツ(197円)、たまには袋菓子以外のものを食べたくなります。30分の休憩で12時20分に出発です。宿まであと17km、今日はたどり着くことだけを目標にしようと思います。


 がんばって、松尾トンネルの写真は撮りました。今回はトンネルを歩きます。雨が降っていなくてもトンネルを歩くつもりでした。8回のうち6回はトンネルを歩いています。このトンネルは長いけれどあまり苦になりません。
 雨が降っていると津島のスーパーから宇和島駅まで14kmの間に休めそうな所は思いつきません。休みなしで歩いたこともあるけれど、この足の痛みようでは1回は休みを入れなければと思いつつ歩いていたら、トンネルを抜けてしばらく行くとバス停がありました。パイプ椅子が二つ置いてあったので迷わず腰を下ろしました。



 スーパーから宇和島駅の近くにある別格6番龍光院までは、時速5.80km、また90m遅くなっていました。朝から着実に遅くなっているというのも、考えてみればおもしろいし納得のいくことでもあります。
 写真は宇和島駅の近くにあるスーパーです。ちょっと遠回りになるのですが、駅のコンビニや遍路道沿いのコンビニではぼくの欲しい商品がないことが多いので、前回、別格巡りの時からこの店を利用するようになりました、今日の宿は素泊まりなので、菓子パン4つと芋けんぴとかりんとを買いました。明日の昼食はまた袋菓子です。


 15時58分、なんとか本日の宿、遍路宿もやいに到着しました。調子がよければ40分以上早く着いているはずでした。でも、16時までに歩いて来られたのだから、それでよしとしましょう。
 もやいの様相も2年前とは一変していてびっくりです。前は1階の部分は自動車の修理工場のようなものを営業していたはずですが、それが全部なくなって宿の事務所と居住スペースが新たに作られています。若いご主人の部屋は2階の右端にあったのですが、それは客室になって、今は1階に住まわれているようです。今まで3回泊まって、いずれもぼく一人でゆったりだったのですが、今回は3室満室でした。素泊まりのみ3000円、値上がりはしていませんでした。


4月12日 5日目 はたご~39~旅館松乃家(愛南町)

2014-06-02 | 14年四国の旅

 釣り人たちは5時前に出ていきました。やっと静かになったのですが、特にすることもなくテレビもなく、明るくなったら出発することにしました。本日の札所は1ヶ所ですが歩行距離は44,2kmで今回の旅、2番目の長さになります。


 宿を5時30分に出発、3kmほどで宿毛市に入ります。晴れていればもう少し明るくなっているかも知れませんが、今日は1日曇りの予報です。


 宿毛市に入って500mで福良川を渡ります。橋を渡れば小筑紫の町、昨年最後に泊まった大島屋旅館があります。


 エネオスのスタンドが見えてきました。あの前に昨年降車したバス停があります。あの前で国道を左折して海岸の方に向かい、海岸の道に出て右折すると大島屋旅館があります。


 宿から9200m、道の駅すくも・すくもサニーサイドパークに到着しました。時間は6時59分、左足の小指のマメが少し気になるものの、まずまずのスピードです。20分ほど休みます。


 先日NHKで放送された、高知発地域ドラマの舞台はここだったようです。


 道の駅から700mほど行くと宿毛の町が見えてきました。


 さらに500m行くと松田川大橋、宿毛の町に入っていきます。


 松田川大橋を渡ってすぐ右折、8年前はまっすぐ宿毛駅の方へ向かったから、ここからしばらくは初めて歩く道です。


 東宿毛駅を過ぎたところで鉄道の下をくぐります。その先には国道をくぐるトンネルも見えています。


 国道を抜けたところです。この部分国道に赤線が付いているのですが、やっぱりなじみの昔の国道の方を歩くことにしました。


 宿毛大橋の手前の遍路小屋で男性お遍路さんが休んでいます。延光寺まで休むつもりはなかったけれど、引き寄せられるように休んでしまいました。延光寺の近くの宿から出てきたと思われます。今日はどちらまでですかと訊くと、観自在寺の5kmほど先の宿まで、という答え。はて、そんなところに宿はあったろうか。3km先のよしもと民宿と8km先のビーチの間には宿はなかったはずだけれど。
 宿毛大橋の遍路小屋では14分の休憩、8時07分に出発です。
 延光寺の1km手前、国道を離れて短絡路に入ったところで、軽トラに乗って農作業に向かうおばちゃんが運転席から大きな声で「おはようございます」と挨拶してくれました。車の中から声をかけられたことは今までなかったので、ちょっとびっくりしたのですが、とてもうれしくて元気よく挨拶を返しました。


 9時08分、39番札所延光寺に到着しました。札所に到着すると、まずストップウォッチを止めて、山門の写真を撮るようにしているのですが、このときは、なぜか心が急いて写真を撮るのを忘れてしまいました(この写真は出発するときに撮影)。


 この亀さんも出発するときに撮ったもの、そそくさと水屋に向かいます。
 境内にあるベンチには歩き遍路さんのザックが3つ置いてあります。三原村の宿から来たに違いありません。
 本堂の前に行くと、4,5人の人がいます。右の方で一人邪魔にならないようにお参りしている女性が目に留まりました。黄色い小さめのザックを担いでいます。ぼくが般若心経をあげようとするときに大師堂の方へ移動していきました。ぼくが大師堂の方へ行き、ろうそく、線香をあげ終えて納札を入れようとしたとき、彼女がお参りを終えて振り返り、輪袈裟の名札が目に飛び込んできました。その名前を見て思わず声を上げそうになりました。「竹下雅枝」、2年前の別格区切り打ちの時、薬王寺の7km先の遍路小屋で会った先達さんではないですか。ぼくはまだお参りが終わっていなかったので、ここで名乗ることはせず、彼女が納経所の方へ向かうのを確認してから、急いで般若心経をあげました。
納経所の前で待ち伏せてご対面です。


 納経所の前に行くと、ちょうど納経帳をザックにしまうところでした。彼女が出てくる前に立つと、ぼくを見上げて、一瞬、本当に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされました。そりゃそうですよね、四国は広いです、歩く道は1本だといっても1200km、「○○さん、そうよね、私のこと覚えてる」「もちろん覚えてますよ」感激の3回目の出会いです。「会う人には、会えるのよねえ、昨日ときわ旅館で一緒だった大阪の佐藤さんとも3回会ってるの」。なんでも、2年前に会ったときの写真も、佐藤さんが先に見つけて、竹下さんに知らせてくれたそうです。佐藤さんも今年8巡目のベテラン遍路さんだそうです。ぼくのブログは書き込みができないので連絡が取れなくてうずうずしていたそうです。では、ということで、早速ぼくのメールアドレスを納札の裏に書いて、それを竹下さんがアイフォンで佐藤さんに送信、「これは字が小さいから扱いにくいのよ」なかなかスムースにはいかないようです。普段はアイパッドも使っていて、そちらは使い慣れているということでしたが、アイフォンの方はラインもやっているそうですが、カメラのシャッターボタンもまだ把握していないようでした。
 2年前に会ったときは、彼女の方から、前に会ったことがあるでしょ、と何回も言われて、そのときは結論が出ないまま別れて、帰ってからいろいろ考えて思い出して、04年のあのときではないですか、とブログに書いたのでした。佐藤さんから連絡があって、ブログを見て、その月日を調べてみたら、まさにそのとおり、ちゃんと同じ日に同じ所を歩いていたことが確認できたということでした。10年前は一巡する間に4回も別の日に会っていました。それで竹下さんも覚えていたようです。
 それにしても、2年前は彼女は逆打ちだったのですが、ぼくは別格の区切りで、とびとびの歩き、あの次の日は鯖大師から電車とバスで一気に須崎まで飛んでしまったから、すごい確率といえますが、今回はさらにすごくて、彼女は車での逆打ちだから、札所で出会うしかない。これを奇跡と言っていいのかどうか、でもお互いものすごくびっくりしたし、ものすごく喜んでくれました。自分という存在をこれほどに喜んでもらえることなんてまずないことだから、そのことに本当に感動してしまいました。ありがたかったです。お互いがお互いに手を合わせるという場面もあったくらいです。
 そこでは、いろんな話をしてくれた(ぼくはもっぱら聞き役)のですが、一番びっくりしたのは、彼女はまもなくスペインの巡礼道、サンチアゴデコンポステーラに行くというのです。「アイパッドの翻訳機能を使えば何とかなるでしょ」、2年前にお遍路は最後になるかもと言っていたのが嘘のようです。
 娘さんが千里の古江台にいてその娘(お孫さん)さんが早稲田摂陵高校の吹奏楽部(ウインドバンド)に所属していてぼくのホームページも見てくれているそうです。早稲田摂陵高校は前身が向陽台高校、その前身は阪急商業学園。その前身は阪急少年音楽隊です。ぼくが阪急の生の演奏を初めて聴いたのは、40年前です。心斎橋のYAMAHAに楽譜を買いにいく途中、梅田の阪急百貨店の前で立奏していました。曲はミュージカル南太平洋のメドレーでした。阪急から向陽台へ移る年の定期演奏会では、人目も憚らず客席で声を上げて大泣きしました。少年音楽隊の1期生が定年を迎える年で多くのOBが客席に来ていました。鈴木竹男先生の追悼演奏会にも行きました。昨年はコンクール大阪府大会と関西大会、マーチングコンテストの関西大会も見ています。
 話に夢中になっている間に境内には誰もいなくなっていました。あっという間に45分が過ぎていました。お別れしたとき、名残惜しいという感じは全くありません。四国に来ればいつでも会える、というより、これだけ会えればもう会わなくても会っているのと同じではないかという感じです。お大師さんと同じですよね。
 10時07分に延光寺を出発、国境に向かいます。


 延光寺を出て短絡路に入る手前に国道のバイパスが工事中です。5年前には全くなかった光景です。少し残念な感じです。このバイパスの手前の部分では、真念遍路道を下りてきたところの古い遍路道がほとんどバイパスに重なってまともに雰囲気を味わえなくなっていてがっかりした覚えがあります。


 延光寺から宿毛市街までの道は2回往復して10回目になるので、あえて写真を撮りませんでした。先に出た3人連れを追い抜いて、調子もそんなに悪くなく、タイムチェックポイント岡本旅館までは時速6.38km、でもベストは6.53kmだから、やはり、左の小指のマメが影響しているのかも知れません。歩いているとあまり気にならないけれど自然とかばって、全部の力がうまく出せていないようです。


 12時ちょうど、本日4ヶ所目の休憩ポイント地蔵堂に到着しました。松尾峠の登り口からちょっと脇に入ったところにありますが、ここで休む人は少ないようです。延光寺から11.3kmで、ここまでで屋根のある休憩所は宿毛大橋の遍路小屋だけ、あそこだとぼくの場合ちょっと短すぎる感じなので、ここ以外は考えられません。
 ここまでちょうど30km、でもまだ14km以上残っているので、峠越えを前にたっぷり30分休みます。昼食は坂道の手前にあるローソンで買った芋けんぴです。古い国道の交差点にもローソンができていてそちらにも入ったけれど、めぼしい商品がありませんでした。


 地蔵堂から27分、12時57分に松尾峠に到着です。峠の中では楽な方ですが、5年ぶりになるので、決して楽勝という感じではありませんでした。
 5年前ここに来たとき初めて展望台の方に行ったのですが、その時一緒に登ったのが宮城県名取市閖上の人でした。納札をもらったときは宮城県のどこにある市かも全然分からなかったけれど、震災で幾度となく悲惨な映像を見せられて胸が痛みました。


 松尾峠からの下りは、勾配も緩やかで楽しめる山道の一つだけれど、今回はやはりいつものような感じではありません。マメの方が気になっておもいきり歩くことはできないようです。このトイレまではベストより30秒遅いくらいで、そんなに差はないのですが。12分の休憩で、13時42分の出発です。


 一本松の交差点(国道の一つ手前)から左を見ると、7年前に泊まった大盛屋です。大漁祭りの日で観自在寺の近くの宿は全滅で9km手前のこの宿にやっと救ってもらったのでした。


 一本松からは近道の国道は行かず、5年前歩いた県道を行きます。5年前は4年ぶりにこちらの道を歩いて、見覚えのない道(過去3回歩いたはずなのに)に入り込んで当惑しながら歩いたので、その道の正体を確かめたかったのです。帰ってから地図を確かめても、遍路地図にもぼくのパソコン地図にもグーグルマップにもYahoo!(ZENRIN)の地図にもぼくが歩いたはずの道がのっていないのです。本当ならGPSロガーを使ってトレースしたかったのですが、スマホは半年で解約、ガラケーではどうにもなりません。写真をできるだけ撮って推定していくしかありません。ここが、その5年前初めて歩いた道の入口です。
 県道を離れる道は大盛屋の交差点から1700mの地点でした。最初の部分は地図に載っている道のようです。でも地図の道をそのまま行くと方角がかなり違ってしまいます。


 県道を離れて100m、道が二俣に分かれています、右側が地図に載っている道で、左側がこれから歩く地図にない道のような気がします。


 ここからが地図にない道だと思われます。確証はないのですが距離と方角から見て、そうとしか考えられません。


 交差点です、横に走っている道は地図にある道のようです。


 交差点に札掛のバス停がありました。この前の道が地図にないというのはどうしても納得がいきません。地図にないと首をひねりながら歩くしかありません。このすぐ先に札掛乃宿があると佐藤さんから指摘があったのですが、気がつかないまま行き過ぎてしまいました。


 右側の緑のトンネルに入っていきます。5年前はこの道に入ってやっと何か違うと気がついたのでした。


 緑のトンネルを抜けると県道に出てきます(たぶん)。最初のウサギの耳の上に行く部分の真ん中あたりではないかと思われます。この部分も3回歩いているはずですがほとんど記憶に残っていません。最後に歩いたのは9年前のことですから。
 道しるべには「癒しの里道 旧街道」と書かれています。県道は旧街道よりかなりの遠回りになるのにどうして赤線が付いてしまったのでしょう。そのころには旧街道は荒れていて歩きにくかったのが、最近になって整備されて歩けるようになったということなのでしょうか。


 県道を30mほど左に行くと旧街道の入口があります。


 旧街道に入ってしばらく行くと右に渓流が流れています。しばらく渓流沿いに歩き、入口から400mくらいのところで橋を渡ります。川もこの少し先で大きく右に曲がっていて、地図を見ると大体どのあたりを歩いているか把握できます。


 橋を渡ってすぐ舗装道に合流していきます。これも県道だと思っていたのですが、ウサギの耳の間から下に延びている別の道のようです。さらに上に見えているガードレールの方が県道で、二つ目の耳が下りてくる部分だと思われます。


 舗装道を100mくらい進むとまた山道に入っていきます。ここからは少し登りになります。


 300mほどで道は平坦になっていきます。


 さらに50mほどで県道の下に出てきました。


 県道に合流します。二つ目のウサギの耳の下りの付け根に近いところだと思います。


 県道に上がって右の方を見ると旧街道の入口が見えています。5年前、あそこに男性がへたり込んでいて、この道でいいのでしょうかと、地図を開きながら尋ねられました。ぼくも初めてで当惑しながら歩いていたので、大丈夫だと思いますが、と曖昧な返事しかできませんでした。


 旧街道の入口から100mほどで舗装道に出てきました。この道はへんろ地図にはない道ですが、ぼくのパソコン地図にははっきりあって、右側を見たこのカーブと距離から位置が特定できます。あと180mくらいで県道に合流するはずです。これで、大体『癒しの里道』の位置が確認できたことになります。県道をそのまま歩くより800mくらいの近道になるようです。納得できたので来年は近道の国道を歩こうと思ったのですが、この先にまだ歩いていない旧街道が残っているので、そちらを試すかも知れません。
 大盛屋の交差点から観自在寺まで、国道だと78分、癒しの里道は91分、県道は100分というところです(時速6.2kmで歩く場合)。


 県道に合流して200mほどで休憩所です。14時38分本日最後の休憩です。宿まで4kmほどなので15分ほど休みます。


 15時35分、本日の宿旅館松乃家に到着しました。44kmに加え、延光寺で1時間も休んだことを考えればなかなかいい時間です。でも最後の4kmはさすがに疲れました。小指のせいで思うように身体が動きませんでした。時速は6.1kmでしたが、明らかに気持ちの良い歩きとは言えませんでした。
 松乃家はこの前を通るたび気になる宿でした。昔ながらの街道沿いにある宿屋という感じがして、一度は泊まってみたいと思わせる宿でした。でもぼくは歩く距離が長いので三原村からでも観自在寺の先まで行ってしまうのでなかなか距離が合わせられませんでした。
 ぼく以外の多くのお遍路さんもなかなかこの宿屋に距離が合いません。三原村の宿に泊まった人は、一本松の交差点まで30km前後になるのでその近くの宿に泊まる人がほとんどだし、延光寺の近くの宿、宿毛市街の宿に泊まった人は観自在寺まで28km~22kmになるのでどうしても観自在寺の近くかその先の宿になってしまいます。観自在寺の1.4km手前ですから、もう少し頑張ってお参りしてしまいましょう、ということになるでしょう。だから、この宿に泊まったという人をネットの中で一度も見たことがありません。帰ってきてからやっと1件だけ見つけましたが。
 評判の全く分からない宿に泊まるのは、ちょっとドキドキするのですが・・・、
 口数が少なくておとなしそうなおばあちゃんが出てきてくれました。無愛想というのではなく感じも全然悪くありません。中に入ってみると相当歴史を感じさせる建物で明治くらいから何代かに渡って続けてこられたものと想像できます。でも古さはぼくには全くマイナスポイントではなく情緒を味わえるので好きなくらいです。須崎の柳屋旅館しかり屋島のささや旅館しかり。そしてお客はぼく一人、昨日のことがあるのでゆっくり落ち着けるのがありがたいし、テレビも液晶、dボタン付きのリモコンもあります。(薄型テレビでもdボタンのないリモコンを置いているところが結構あります)


 夕食は部屋食です。食堂がないようでおばあちゃんが2階の部屋まで運んでくれました。若いお手伝いの人はいないようでした。
 まず、メインの熱々の骨付きフライドチキンにびっくり、冷めてはもったいないと一番にかぶりつきました。めちゃくちゃ美味かったです。そして次の驚きはピンクの刺身、これはマス以外に考えられないけれど、首をひねりながら食べるとめちゃくちゃ甘い。内田屋で食べた刺身よりも甘さがダイレクトに来ます。帰ってから調べると、愛南町には確かに養鱒業者がありました。キビナゴの刺身はショウガを甘く煮たものがくるんであって、これも格別でした。ミニトマトもしっかり味がありました。
 予想以上で本当にうれしい宿です。トイレのこととか全体の古さとかで多くの人が○の評価をすると思いますが、ぼくは、敢えて◎の評価です。予想より良かったし、昨日のこともあるのでそうなってしまいます。
 2食付き6500円(ネット情報では6000円だったので値上がりしたのかもしれません)。