WALKER’S 

歩く男の日日

累計30000km

2017-12-31 | 日記

 今日8kmほど歩いて万歩計の累計がちょうど30000kmに到達しました。万歩計を持って86ヶ月なので1ヶ月平均350km、1年の平均は4200kmほどです。知り合いのお遍路さんの中には5000km歩くという人もいるので特別たくさん歩いている感じはありません。特に今年は地元での歩きはちょっとさぼって1日平均10kmには届きませんでした。

 今年はなぜか笑ってはいけないを見る気になれず、録画だけしておいて、らららクラシックを見ています。落ち着いてベートーヴェンを聴くのも本当に久しぶりのことになってしまいました。
 
 今年は四国で210792円を使って、帰ってからも来年用の新しいシューズやザック、納経帳2冊などに29347円を使いました。来年は3冊の納経帳を持って歩くことになるので写経は持たないことにしました、賽銭用の5円玉もやめにして1円玉にします。写経は176巻まとめて高野山で納めることにします。


別格20番大瀧寺への道

2017-12-25 | 日記

 今年のお遍路では別格を含めて歩く通しの人に会うことが何回かあったのですが、大瀧寺の攻略の仕方について適当なアドバイスができませんでした。距離をほとんど把握していませんでした、ぼくは2回とも夏子ダムから登ったので塩江の方から行く距離は全く頭の中になかったし地図も持っていなかった。
 長尾寺=10.5km=多和小跡=10.7km=さぬき温泉=10.7km=大瀧寺=10.0km=夏子ダム=12.5km=大窪寺
 長尾寺と大瀧寺の間、大瀧寺から大窪寺の間には宿がひとつずつしかないから選択肢はすごく限られます、志度に泊まった場合、さぬき温泉まで28.2km、次の日は大窪寺まで33km、それがきつい人は竹屋敷まで30km、それも無理だという人はさぬき温泉まで戻るしかなくて21.4km。竹屋敷は2食付き9700円(遍路割引)~とちょっと高めの料金設定です。

 夏子ダムからの道は一番新しい地図でも全然改訂が為されていないので注意が必要です。二つの点線の短絡路はほとんど通行不能です。めぐめぐさんやdaboさんやぼくの知り合いの先達さんも無理して踏破されましたが、余程の強い意志がないと最後まで歩き通すことは難しい道になっているようです。県道の長靴の道を行くのが遠回りのようでいて結果的には近道なのです。H450から県道を離れる点線の山道は6月~10月は草木繁茂で通行不能と10年以上前から同じ記述がありますが、これもほとんど嘘で、十分に整備された緩やかな歩きやすい山道がほとんどです、ぼくはこの山道を時速4.2kmで歩き通したのですがもっと楽に歩けたという感覚です、鶴林寺や太龍寺、焼山寺、横峰寺などの最後の部分に比べても2段階くらい楽な登りになっていました。夏子ダムからH450までの県道も距離は長いですがほとんど平地と変わらないスピードで歩けます。ぼくは夏子ダムからH450まで58分、H450から大瀧寺まで62分ほどでした、そんなに足が速くないという人でも3時間あれば十分でしょう。


ツレさん

2017-12-24 | 日記

 先日、久々にテレビで鳳蘭さんが出演したのを見ました。先に出ていて迎える形になった真飛聖さんが大いに恐縮していたのが見ていて楽しかった、宝塚の大先輩ですからね。彼女は大先輩のことを「ツレさん」と呼んでいてそのこともなんだか嬉しかった。ファンはツレちゃんと呼ぶけれど、後輩はツレさん、この呼び名を聞くのも本当に久しぶりのことでした。


並べ替え完了

2017-12-23 | 日記

 知り合いのSさんのブログはFC2で、カテゴリーをクリックすると古い投稿から順に出てきてすごく読みやすかった、ぼくのそれぞれのカテゴリーは記事の数がすごく多いので初めに到達するだけでもかなりの手間と時間がかかる。

 3つのカテゴリーの並べ替えが完了、いずれも1番に近いところから順番にスムースに見ることが可能になりました。内容についてはまだまだ不十分でdaboさんや枯雑草さんには遠く及びませんが、来年、再来年の四国巡りが終えたところでほぼ完成系に近いところまで行けるとは思っています。

 


外国人の評判

2017-12-23 | 日記

 外国人が四国についてどんな感想を持っているか知りたくて英語のサイトを調べていたら次のような書き込みを見つけました。

 Many people have documented staying at Misono's Zenkonyado and had nothing but kind words for her hospitality.

 善根宿美園はお遍路ハウスになったのですが、前から英語の地図には電話番号が載っているし飛び込みでもたぶん断られることはないと思います。ほかのお遍路ハウスでは外国の人が予約でトラブルがあってできたと思っていたら満室でできていなかった、というようなことも書かれていました。外国の人はネットや電話がうまく使える環境にないとこういう不具合が生じることもある。

 


井戸寺の手前の道 (1)

2017-12-23 | 古道と四国のみち

 佐古五番町、7時15分発のバスに乗って入田に着いたのは7時43分、真っ直ぐ鮒の里まで行けばそんなに距離はなくて楽勝の1日になるのですが、今日は目一杯四国のみちを歩いて、いろいろ寄り道、遠回りをするので容易ではないはずです。

 8寺05分、13番大日寺に到着、さすがに境内にはぼく一人、やすらぎに泊まっている人がいなければ最初にここに歩きの人が来るのはどうしても9時を過ぎるでしょう。

 14番、15番と快調にお参りを済ませ16番観音寺に到着したのは9時38分、15番国分寺を出たところでmachanとばったり、立ち話しながら熱いコーヒーを煎れてもらいました。すでに16番で5~6人のお遍路さんにお接待をしてきたあとでした。彼女は自宅から7~8kmは離れた井戸寺、観音寺、国分寺まで自転車で来てお接待をするのが日課のようになっています、もちろん毎日ではなくて、自身バスツアーでお遍路や西国や新四国やいろんなところを巡っています。

 観音寺から600m東へ進んで左折したところ、この200m先で赤線は右折しますが、緑の四国のみちはそのまままっすぐ、

 ここがその分岐点、行政の新しいシールがでばって以前の矢印はみんな剥がされている、それまで頑張ってきてくれたものがないがしろにされてしまったようで気分のいいものではありません、多すぎるとか、目障りだとか言う人もいますが、あれがあったから迷わず歩くことができた、14年前にはへんろみち保存協力会のシールしかなかったんだからね。

 四国のみちの道しるべはまっすぐなのだ。

 50mほどで国道192号を横断、日本語のへんろ地図ではこの先道がなくて行き止まりのようになっているけれど、ご覧のようにちゃんと道は続いています、本当の遍路道が。

 下はちぎれてしまっているけど四国のみちはしっかり存在しているのだ。

 ペットボトルに守られた道しるべ、これも四国の優しさか。

 古いへんろ石もある、ここは紛れもなく遍路道。

 ほぼ真っ直ぐ来ているけれど、道しるべは意外なほど多い。

 踏切の手前でちょっとクランクが入る、それにしても静かで安全ないい道です。人も車も全然通らない。

 踏切の向こうも微妙にくねりが入ったいい感じの道が続いています。

 踏切から200mほど北上すると突き当たって右折、もちろん道しるべもはっきり。

右折して30mも行かないところで左折、大きめのクランクなのでした。もちろん道しるべもある。

 左折したところ、ほんとうに気持のよい道が続いています。

コメント (1)

井戸寺の手前の道 (2)

2017-12-23 | 古道と四国のみち


 前の左折ポイントから400mほど北上すると、

 ちょっとした水路を越える、この水が目印。向こうに見えているのは眉山、昨日は徳島市内は台風のようだったと言うから、このいい天気。

 水路から50mも行かないところで右折、目印にする必要もなかったようですが。

 右折したところ、相変わらずの遍路道の雰囲気。

 前の右折ポイントから300mほど東へ来たところ、ここを左折したのですが、もう1本向こうが正解だったようです。道理で道しるべがありませんでした。

 間違って左折したところ、したがってこの道は遍路道ではありません。この時点では正しいと思って歩いていますが。

 200mほど北上、突き当たって右折します、当然のことながら遍路シールも道しるべもありません。

 間違っているけど静かないい道。

 突き当たりから120mほど東に進んで、赤線の道に合流です。ここは赤線の道が県道から右折するポイント、したがってぼくはそのまま県道を横断して真っ直ぐ進めばいい。緑の正解の道はこのちょっと前で県道に合流するから少しだけ県道を歩くことになる、だからぼくが歩いた道の方が安全ないい道だったとも言える訳です。そしてこの緑の道は赤線の道よりわずか30mの遠回りにしかなっていません。車の往来が激しくて歩道もないような危険な道に赤線があるのはおかしい、わずか30mの近道であるという理由だけで。日本人ももれなくこの道を歩くようになればいいのにと思います。

 赤線の道に入ったところ。

 10時18分、無事17番井戸寺に到着、境内にはmachanがお接待をしてあげたであろう3人の歩きの人がいました。その内の一人の男性とは水屋の横のベンチで少しお話しして宿情報を渡しました。山門の外で電話をしていた女性は忘れ物があったのかしばらくして戻ってきました。


伊豆田越え(清水往還) 

2017-12-23 | 古道と四国のみち


 四万十大橋から65分、伊豆田トンネルの1kmほど手前から峠越えの道に初めて入ります、今までは中村の宿から足摺まで42kmほど歩く日なのでこの道はどうしても歩けませんでした、トンネルがさほど苦手ということもなかったし2010年の第9版の地図まで赤線もなかったから今まで歩くことを考えたことすらありませんでした。今回は初めての宿を試すので距離に余裕ができてこの初めての道も試すことができます、英語の地図には赤線がありますからね、日本語の地図でも最近のには赤線があるみたいだし、
 トンネル真っ直ぐ、峠越えは右への手書きの矢印がほほえましい、トンネルを行く人の方が多いからはっきり右だけ矢印をはりつけるのもちょっと問題あるからこうするのがベスト、でもこれに気づかなくて峠に入れなかったという人も居ました、トンネルのずっと手前だからこれだけだと見過ごされやすいことは確かでしょうね。

 右に折れたところ

 こういうのは折れたからこそ見えるのであって、最初の手書きを見過ごせばアウト、


 最初は広い舗装道、この道を進めば古いトンネルがあるけれどそれは現在通行不能でその手前から山道に入る、というのは何となく分かっています、
 しばらく行くと向こうから男性がやってきます、てっきり逆打ちかと思って声をかけたら、順打ち道が分からなくて引き返してきた、それでは一緒に登りましょうと、案内しながらゆっくり進むことにしました。なにしろ今日はめちゃくちゃ時間があるからどうということはありません、男性は初めての人で名古屋から来たAさん、本当に初めての人によく出会います。


 舗装道を離れるところにきっちり矢印がありました、ここまでも来ていなかったかも、来ていても初めてだと舗装道をはずれて山に入るという認識がなければこの矢印に気づかないのも不思議ではありません。


 かなり新しい道しるべ、日本語の地図にも赤線はあるでしょうね、今月中に東寺へ行くから一番新しいのを買ってきます。


 遍路札オンパレード、


 国道を離れて37分、舗装道から離れて17分で伊豆田峠に到着です、ゆっくり登ったつもりですがAさんはハイペースで相当きつかったようです、ときわ旅館のご主人といっしょに出石寺に登ったときも、かなり早くて着いていくのが大変だったと後から伊藤さんから聞かされました、申し訳ないっす、
 峠で一休み、宿案内を手渡します。


津島大橋の手前、山越えで満願寺へ

2017-12-23 | 古道と四国のみち

 今日は民宿の近くのバス停から6時49分発で津島の3kmほど手前まで飛んでしまうので朝食は摂りません、お遍路初めての男性は今日は宇和島駅の近くまで37km歩くので朝食なしで5時過ぎに出ていきました、彼を見送ったこともあってご夫婦の朝食の用意が早くできて、ぼくも時間の余裕があったのでご飯と味噌汁だけの朝食をお接待してもらいました。初めてこの宿に来た9年前に紹介してもらった久万高原の桃李庵に去年やっと泊まってきました、と女将さんに言うと、そこから桃李庵話がいっぱい出てきました、ぼくも伊藤さんからそういう話は聞いていたので、いろいろ考えることも多かったです。あんな宿を推薦するなんてどうかしていると言うお遍路さんもいたそうです、たしかに電話での受け答えはお遍路さんを見下したような態度だととられてもしょうがないかなと思うし、ああいう応対をされては2度と電話を入れたくないと思うのも自然だし、ぼくもその一人です、自らがお遍路さんを排除しておきながらお遍路さんが集まらなくて経済的にきびしいというのは、まさに自業自得、場所はすごくいいところにあるので考え方やり方を少し変えさえすれば大繁盛間違いないのに、それができないのは人間、性分は変えようがないからどうしようもないということでしょうか、何を捨てるか、何を大事にするか、経済活動はきびしいものです。ちなみに、なずな、でも桃李庵と森本まるを推薦されたのでした。


 ここはヘンロ小屋津島19,この1kmほど手前でバスを降りたのは7時16分でした、遍路道は芳原川の対岸なので国道に面したこのヘンロ小屋に来るのは初めてです、ここから津島のスーパーまで3kmほどなので、川を渡ってここまで休みに来ることはありませんでした。

 この横にトイレもあるのですが、女子は絶対使いたくないだろうなという状態でした、英語の地図にはトイレマークもありません。
 すぐ横が民家だから野宿も無理のようです、この近くだと嵐坂ポケットパークかこの先の松尾トンネルの入口か、

 ヘンロ小屋のすぐ横から国道を離れて右折、山越えが始まります。長い間この山越えの道に赤線があるのが不思議でした。こんな道を行く人がいるのだろうか、あるいはいたのだろうか。考えられるのは柏坂を越えた人が満願寺に向かう場合、でも山を越えなくても、津島の町から川沿いを上がればもっと楽に行けるはずだし、その道は昔からあったに違いない。ただそちらをいくと400m遠回り、400mなら絶対平地の方が時間はかからないし体力的にも楽なはず、それでもこの道にはずっと赤線がある、英語の地図にもあります。それほど多くの人が歩いたとはいまだに思えないけれど、気になったまま放っておけないので今回初めてのトライです。


 歩きやすそうな雰囲気もある山道です。


 矢印もありました、地図に赤線があるのだから矢印があってもおかしくはないけどちょっと意外でした。


 かなりうねうねしてるので思ったほどは急ではありません。でもしっかり登ってはいます。


 パソコン地図をみると分岐がいっぱいあったのですが、実際歩いてみると迷うような分岐はひとつもありませんでした、地図を書いてくる必要は全くありませんでした。


 登り始めて20分、ここが峠か、


 左へ緩やかに下っていきます。


 比較的新しい道しるべ、


 少しひざに負担がくるような下り坂、雰囲気はまさに遍路道、


 そろそろ平地という感じ、


 県道46号に合流します、昨年小岩道から下ってきた道です、去年ここだろうなと見当をつけていたとおりでした。

 無事山越え終了です。国道を離れてから34分かかりました、この間3.2kmなので時速は5.6km、なるほど山越えといってもこれくらいのスピードが出るのであればこの400mの近道も意味があるかもしれません、やっぱり実際に歩いてみないことには本当のことなど分からない、


野井坂遍路道

2017-12-23 | 古道と四国のみち


 篠山を越えた翌日、また初めて歩く道、野井坂に向かいます。へんろ地図では満願寺までは赤線がありますが、野井坂には赤線はありません。どうしても松尾トンネルとその上の山道の方がかなりの近道なので、近頃のお遍路が野井坂を行くことはほとんどなかったようです。
 宿毛街道中道の復元整備がすすめられるようになって、合わせて野井坂も近年整備が進められたという情報を聞いて一度は歩いておきたい、先月小岩道を越えたのでなおのことその続きは押さえておかねばということになりました。野井坂は中道の最後の部分になります。
 よしのや旅館を6時02分に出発、写真は6時30分、岩松川を渡ってすぐの所、昨日山から這い出てきた県道4号はここまで続いている。1ヶ月前小岩道を越えたときは満願寺からはこの少し南の農道を歩いて津島に向かったのでこの道を歩くのは初めてです。


 6時35分、右手を見ると一番向こうの稜線に風車が6つ見えます。紛れもなくあそこが小岩道、1ヶ月前はあんな所を越えてきたのかとつくづく思います。小岩道の標高は588m、昨日はそれより400m高いところを越えてきた。それに対して柏坂は500mほどだから国道が整備されるにしたがってお遍路が海岸の方に流れるのは仕方のないところでしょう。


 6時42分、番外霊場満願寺に到着、山門はありません。


 本堂はかなり新しい建物でした。線香もろうそくも納札入れもありません。お賽銭だけをして般若心経を読み上げます。


 満願寺を出てくると野井坂越えの新しい道しるべがありました。


 満願寺の近くで県道4号にクロスするのが県道46号、46号の多くの部分が宿毛街道中道であった。この谷間の道などはいかにも街道らしい。7時08分、満願寺から2kmの地点、比較的新しい矢印がありました。


 5分後、二つ目の矢印、はっきりとした勾配が出てきました。


 さらに5分後、観音堂分れ、地図を見ていてこの分岐が気になっていました。


 想像以上にはっきりした分かれ道です。


 道しるべも新しい。


 一旦野井川を渡ります。


 こちらも新しいタイプの道しるべ、地図に赤線がなかったことからして数年前までは道しるべは全くなかったのかもしれません。


 橋を渡ってから野井川に沿って500mほど北へ進むと、沢に下りていきます。


 名前が付いているのもおかしなくらいの小さな橋を渡ってまた川の東側へ。


 少し登って県道に上がってきました。日本語のへんろ地図ではここまでの川の西側の道は記されていないけれど、英語の地図ではきっちり赤点線があります。




 県道を横断してまたすぐ山道に入っていきます。ここで満願寺から43分です。


 県道を横断してから10分ほど登ってきたところ、落ち葉と小さな枯れ枝がかなり降り積もっている道が多く足にはやさしいけれど、通る人が少ないので踏みしめられていなくて足にまとわりつく感じもあってちょっと歩きにくくなっているところもあります。昔のように全てのお遍路さんがこの道を歩いていれば理想的なふかふかの山道(雲辺寺の下りの前半のような)になっているはずです。


 ここまで歩いてきた谷間の道、満願寺方面の眺望が開けました。7時42分、満願寺から54分でここまで来ました。


 県道から16分でなんとか峠に出てきたようです。ここの標高は262m、昨日の篠山に比べれば4分の1くらいだから大したことはないと思っていたのですが、結構しっかりした山登りでかなり苦労しました。甘く見ていると山登りは大抵苦労します。


 解説板を読んでみると、松尾トンネルの上の山道が整備されたのは明治時代、それまでは灘道(現在の遍路道)を来たお遍路の総てがこの野井坂を超えたようです。江戸時代、中道を歩く人と灘道を歩く人の割合はどうだったかは全く分からないけれど、総てのお遍路がこの峠を越えていったことは間違いありません。明治以降はさすがに松尾の方が4km、1時間前後近道になるからどうしても、こちらを歩く人は少なくなってしまった。


 逆打ちの人のための道しるべも新しい。でもこの山道を登る人がどれだけいるか、2010年のへんろ地図でもこの道に赤線はないから、こんな道があることを知っている人も少ないはずです。


 8寺08分、県道を横断してから37分で下界が見えてきました。


 山から出てくると、宇和島道路に突き当たって、高速の東側にできた新しい歩道を行きます。ここからの昔の道は高速の工事で完全になくなっているようです。宿毛の真念遍路道の最後も同じように国道バイパスの脇を行く道になっていました。


 矢印に従って


 トンネルをくぐります。


 今度は西側の脇を行く。


 遍路シールもあります。でもどれくらいの人がこの道を歩くのか、


 松尾トンネルの上の峠から下りてきた赤点線の道と合流しました。この道は満願寺からしばらく歩いた県道46号の続きになります。このあと宇和島道のトンネルの出口の近くで国道に合流していくけれど、合流する少し手前で左へ折れる矢印があって、脇道を指示していました。この脇道は日本語のへんろ地図にはないけれど、英語の地図にはきっちり赤線があって、初めて歩くことになりました。少し遠回りにはなるけれど国道を避けることができて気持ちよく歩けます。


金山出石寺 地蔵越

2017-12-23 | 古道と四国のみち


 夕食の時に今日は別格金山出石寺への地蔵越えの道を歩く(2年前は瀬田道を歩いたので)と言っていたら、朝になってご主人が、道しるべを設置したいので同行させてもらえないかと言われました。そういえば、昨日鳥坂峠で見た道しるべと同じものが食堂の片隅に立てかけてあります。もちろん、何の問題もないので即同意します。初めての道だから、タイムを気にする必要もありません。
 バナナは昼食の時にいただくことにします。


 6時31分に宿を出発です。マメがきれいに乾燥して全く痛みも違和感もありません。めちゃくちゃ快適です。今回の旅で最高のコンディションといってもいいと思います。いくらでも出せそうな感じですが、もちろん無理はしません。初めての山道もありますし、距離も40kmちょうどです。


 気分がいいので肱川橋からの大洲城を押さえておきます。


 県道234号は右に折れて久米川を渡ります。足が本当に自由に動くので楽しくて仕方ありません。


 宿を出て35分、久米川を渡ります。


 直進すれば伊予平野駅、出石寺は右折、大きな道路標識があるので遍路シールを確認するまでもありません。


 踏切です。


 直進、沼田瀬田経由出石寺、2年前歩いた道です。
 右折、地蔵堂経由出石寺、これから歩きます。
 ここまでの平均時速は6.2kmですが、まだまだ余裕はあります。


 分岐から2分でこの登り、


 写真でも分かるくらいの結構な勾配ですが、そんなにきついという感じはありません。迷いどころですがすぐ先に道しるべが見えています。


 宿を出てから1時間05分、ここから山道に入っていきます。分岐点から1kmほど入ったところです。


 この白いロケット型の道しるべが、ときわ旅館のご主人が設置されたものです。ちゃんと立ってたぁ、とご主人も安堵の表情です。


 道しるべが色あせて分かりにくくなっているので、ご主人がザックから赤マジックを取り出して、書き直します。マジックを持って歩いているお遍路さんもいますが、ぼくなどはまだまだそこまでの余裕は持てません。


 また白ロケットです。要所であると本当に安心して歩けます。特に初めての道だと一本道でも道しるべが全然ないと自信がなくなって間違った道に入り込んでしまったのではないかと不安になることがあります。2年前歩いた瀬田道でまさにそういう感じの山道があって、何十分も足場の悪い山道をさまよってやっと見つけたのがときわ旅館の遍路札でした、あのときは本当にうれしかった。


 広い道に上がってきました。横断してすぐ山道に入ります。へんろ地図のH250のポイントに近いところだと思われます。


 リスがいたので撮影したのですが、うまく映っていませんでした。


 また広い道に出てきました。へんろ地図とは別にパソコンで作った地図を持っていたのですが、もうどのあたりを歩いているのかほとんど分かっていません。


 広い道から山道へ入ります。入口にはきっちり白ロケットがあります。


 舗装道に上がってきました。へんろ地図のH390のポイントの近くの道のようです。


 山道へ入っていきます。おそらくこれが最後で次に舗装道に上がったところがぼくのゴールだと思われます。


 瀬田道との分岐点から50分、そろそろゴールも近いかなと思われた、ここから少し登ったところで思わぬことが起こりました。道が二俣に分かれたところがあって、左の道はその入口が倒木で完全にふさがれている。当然右の方に入っていったのですが、後ろから歩いていたご主人が、こちらにへんろ札がありますよ、と声をかけてくれました。なんと倒木の横にへんろ札が掛かっているではありませんか、一人で歩いていたら完全に迷っているところでした。ここまで気持ちよく歩いてきて最後の最後で道をはずしていたら、かなり落ち込んでいたかもしれません。本当に同行二人です。


 ときわ旅館ご主人、藤江修さんです。最後までお世話になりっぱなしでした。
 8時28分、宿から2時間で赤線の付いた下りの舗装道(この道で登る人もいます)に上がってきました。ぼくはここから大洲の町へ引き返しますが、藤江さんは出石寺まで行ってお参りするということで、ここでお別れです。こういう素晴らしい人がいるからまた戻って来たくなります。


金山出石寺 瀬田道

2017-12-23 | 古道と四国のみち


 大洲郷土館ユースホステルは大洲城のすぐ北側にある。大名屋敷があったに違いないと思われるくらい近いところにある。4年ぶり2回目の投宿になる。到着すると先ずダイニングテーブルで冷たい麦茶を入れてもらう。4年前に来たと言ったら、お手伝いの人がいたでしょう、と奥さんが言う。若い女性がいたけれどてっきり娘さんだと思っていた。彼女は元々お遍路さんで、この宿に泊まって、気に入ったので住み込みでお手伝いをするようになったのだそうだ。彼女にはファンが多かったという、たしかにぼくも会えるのを楽しみにしていたし、いなくなって少し拍子抜けの感じもあった。同宿の人が後から一人、電車で来るということだったけれど、結局来なかった。


 朝5時56分に出発、前回はお手伝いの女性のレクチャーを受けて一番北側の舗装道を登り、帰りも同じ道を引き返した。大洲の町に泊まった人はそのルートが一番近くて迷いにくいのでその道を行くのが普通になっているようです、今回は南側の瀬田道を行きます、


 6時01分、県道234号に合流するところ、ここから伊予平野駅の近くまでの2.5kmには赤線がありません、でも大洲に泊まって地蔵越や瀬田道を行きたいという人も少なくないはずだからこの道を歩くお遍路さんも普通にいるはずです。


 6時09分、県道を800mほど来たところ、ここを右に行くと西大洲駅、


 6時22分、大きな標識が出石寺の方角を指示している、


 標識に従って右折、橋を渡ります。川は肱川の支流久米川。


 6時23分、渡る手前に本日最初の矢印、赤線の道ではないけれどここを通るお遍路はいるようです、


 6時24分、出石寺21km、この3差路から赤線の道に入ります。赤線は向こうから来てこの右の方へ続いています。


 赤線を来た人と、大洲から来た人のためのシールが二つずつ、


 6時29分、踏切を渡ります、伊予平野駅は300mほど左にあります。


 6時38分、気になっていた分岐、右が昔の道で集落の中を行く、左が新しくできた短絡路、矢印は微妙だけど短絡の方を指している、地蔵越の場合右でも行けるけれど、この少し先で折れてもよい、


 6時40分、集落の中を行く昔の道がここで合流してくる、地蔵越はここで右に行く、地蔵越の方が近道でやさしそうな感じだけれど今回は敢えて瀬田道、地蔵越もいずれ試すつもりです。


 6時49分、大きなUターン、あそこから右の方へ入っていく、


 6時51分、ターンするところで直進の細い道に入っていきます。


 細い道が太くなっているし、標識の向きも中途半端で、本当にない方がいいような標識です。ぼくは地図を見ているので迷いませんでしたが、


 6時55分、右車道、左歩道。いよいよ山に入っていく、ここはまだ標高120m。


 7時01分、右へ曲がる舗装道を離れて直進、ここからが本当の山道、


 へんろ道、左出石寺、


 7時04分、舗装道に上がっていきます、


 7時05分、またすぐ山道に入っていきます、


 へんろ道、番外霊場出石寺


 7時08分、また舗装道に上がって横断、向こうの山道に入ります。


 7時13分、また舗装道に上がってきたけれど、ここが最初の迷い所でした、


 坂を登って、


 遍路札があったので、間違いないけれど、どう見ても民家に入っていく道にしか見えなかった。


 7時14分、民家の横に申し訳程度にへんろ道が続いていました。


 7時18分、舗装道に上がってくる、矢印もありました。


 今度はしばらく舗装道を歩くはずです、この地点の標高は280m、出石寺の標高は812mなのでまだまだ序盤です。


 7時24分、見晴らしのいいところに出てきました、標高は300mほどですが相当な山の中です。


 7時29分、山道の入口が見えました。


 7時29分、明らかに車が入っている、この轍がくせものです。


 7時30分、轍の道に入るとすぐ左に入る、遍路札はあるけれど、轍に気をとられて真っ直ぐ行ってしまう人は案外多いのではないか、


 7時31分、遍路標識が指している左の道は少し下りになっています、地図を見るとちょうど大洲市と八幡浜市の市境でした。


 7時37分、ここまで500mくらい全く標識も遍路札もなくてとても心細かった。一本道ではあるけれど、道は荒れているし初めて歩く道だから何の確信も持てない、こうして一つでも遍路札があるとすごく安心する、評判の遍路宿ときわ旅館さんがつけてくれたものです。


 7時44分、ようやく舗装道が見える、ここまでは下りも多かったけれど、決して歩きやすい道ではなかった。初めての道は先が読めないから精神的にもかなり疲れます。


 7時51分、ほぼ平坦な舗装道を600m歩いてくると山道の入口が見えます。この山道を入ると、あとは一度舗装道を横断するだけで出石寺まで全て山道です。ここの標高は380m、まだ半分も登っていません。


 7時52分、山の中へ入っていく、宿を出て2時間も歩き続けているのにまだここまでかという感じもある、目標としていた2時間半以内には着けそうもない。


 7時56分、倒木がいたるところで道をふさぐ、こんなに荒れた道はあまり覚えがない、倒木だけでなく枝打ちされたものが道の上に重なってさらに歩きにくくなっています。


 7時59分、最後の舗装道に上がってきた、ここの標高は470m、


 8寺00分、舗装道を横断するとちゃんと遍路標識があります、


 8寺01分、わかりにくい道だけど道しるべがあって迷わず入れます、


 8寺08分、山道が右側に大きく曲がって4年前登ってきた道との合流ポイントが近いことを肌で感じる。


 8寺09分、4年前登ってきた道に合流、やれやれです、ここからは迷ったり道をはずしたりする心配はありません。でも、初めてここに来た人であればまちがって右の方に下ってしまうかもしれない、進んできた道を左斜め後ろに行くのが正解なので間違っても何の不思議もありません、ここの標高は550m、出石寺まであと1.7km、あと30分はかかりそうです。


 8寺35分、4年前に往復しているので合流してからは快調、イメージの残っているところも多くて思い出しながら歩きます、ただ、やはり長さと坂のきつさはほとんど忘れていました、辛く苦しいところから忘れていくのは人間の本性らしい、ゴールが見えてきたようです。


 8寺36分、ぼくの知る限り四国で2番目に大きなお大師さんです、ここはまだ境内ではありません。


 山門までまだこれだけ石段を登らねばなりません、


 8寺38分、大洲郷土館ユースホステルから2時間39分で出石寺に到着、予定していた時間より9分余計にかかりました。4年前は2時間9分だったからちょうど30分余計にかかりました。4年前の道は本来は下りのための道ではあったけれど登るのにもよい道であったと痛感します、郷土館のお手伝いの人が熱心に教えてくれた意味も改めてかみしめるのでした。


卯之町から

2017-12-23 | 古道と四国のみち


 兵頭の朝食は6時半から、今回6時半からの宿が多かったような、でもぼくにとっては全く問題ありません、特に今日は大洲までなので26kmほど、冨士山に登るのでそれを入れても33km、


 7時30分に宿を出て、52分で43番明石寺に到着します、今回歩き残していた松山自動車道に沿って行く赤線の道を押さえました、でも今回の道は昔の道とはちょっと思えない、松山道を抜けてちょっと進んでから右折して奥の院方面に進んでいくのが本当の道ではなかったかと
 先に出た同宿のご夫婦は赤線のない道を進んでいきます、山門の手前の売店で追いついて訊いてみると、地元の人にこの道を行ったら近いよと教えてもらったそうです、この部分はどの道を行っても距離に大差はありませんが、
 お参りを終えると昨日龍光寺で宿を紹介した男性がやってきました、みやこに着いたのは18時を過ぎていたそうです、みやこの同宿は7人くらい、でもご主人はお遍路さんは少なくなったと、以前は連休などはいつも満室だったそうです、でもお遍路さんそのものは減ったとは思えません、おそらく複数回巡っている人は大型連休を避けるようになったのではないか、連休だけ歩ける区切りの人ばかりになったので満室になることが少なくなったのでかもしれません。くろうさぎも女性のMさんは当日予約だったし、津島では三好とよしのやは満室だったけれど新橋は空いていたと聞いたし、今日のときわ旅館も当日で大丈夫だったみたいです。



 明石寺を8寺39分に出て2.8km地点です、


 ヤマサキショップの前で一旦国道に合流してまたすぐ脇道に入るポイントですが、ここから初めての四国の道に入ります。ここから国道を横断して国道の西側を進みます。この道も英語の地図を買うまで全く知りませんでした。この部分は東側の脇道も静かで歩きやすいからこだわることもありませんが、昔の人が歩いた道は一度は味わっておいてもいいでしょう。


 国道を横断したところ、県道30号を西へ向かっています。


 60mほど進んで踏切の手前で右折、四国のみちの道しるべもあります。



 曲がるとこんな感じ、


 300m進んで大きめの交差点、ここは上宇和駅へは行かず直進です。


 交差点を渡ったところに直進の道しるべもあります。


 駅の近くは住宅街、北へ向かっています、


 交差点から50mでちょっと右にくの字に折れる、


 くの字に折れると今度はず~っと向こうまで一直線、


 さらに400mで県道260号の交差点を渡る、ここを右折して国道に出たところに宇和パークホテルがあります。


 県道渡って300m、まだまだ一直線、昔の道でこれだけ直線が続くのも珍しい、


 見たことのない新しいタイプの道しるべに出会うとちょっとうれしい。


 県道を横断してから850m、ちょっと右によれる、


 よれて100m先でちょっと左斜め後ろへクランク、すぐ先に右折れの道しるべも見えています。


 クランクしてまた一直線に北へ向かう、


 クランクして300mで突き当たって右折します、ずっと向こうに鳥坂峠が見えていますが全然近づいている感じがありません。


 右折したところ、ちょっと太めのあぜ道、


 あぜ道を180m進んで国道に合流です、


 国道を350m進むと郵便局の前で国道を離れて左のみちへ入ります。


 郵便局の前にも四国のみちの道しるべがあります。明石寺を出て1時間だから時速は5.4kmということになります。手製の地図を見ながら撮影しながらなのでいいところでしょう。


 今度は田圃の中ではないので緩やかなカーブ、


 このあたりは街道らしい雰囲気、郵便局から400mのあたり、


 郵便局から600mで国道に合流します。


 合流したところでまたすぐ左折して国道を離れるはずだったのですが、飛ばしてそのまま国道を進んでしまいました、そちらの道に入るとコンビニを行き過ぎてしまうからコンビニに引きつけられたのかもしれません。


畑峠(はたのとう)遍路道

2017-12-23 | 古道と四国のみち


 野井坂を歩いた翌日は畑峠遍路道を歩きます。
 畑峠も野井坂同様旧い遍路道です。ぼくが聞いたところによると、昔(おそらく江戸時代)は突合から落合に向かう国道379号は今のような歩きやすい幹線道路ではなく険しく歩きにくい山道があるだけで、総てのお遍路は小田の集落を経由していた。そしてその先は真弓トンネルがなかったので畑峠を越えるしかない。小田から畑峠、下坂場峠、ひわ田峠、これがメインの遍路道というよりは、この道しかなかったという。それがいつ頃までだったかは分かりません。ゑびす屋旅館の女将さんは子どもの頃(終戦直後)はすでに突合から落合への国道は整備されていて、お遍路は今と同じ道を歩いていたといいます。
 地図を見ただけでも、現代の道よりかなりの遠回り、距離もあるし余分に一つ多く山を越える、入口にはっきりした道しるべがあってもこの道を行く人はいない。でも全くいないかというとそうでもなくて、この道を歩いたという人にあったことがあるし、ときわ旅館のご主人も歩いたという人に会ったことがあるそうです。


 道の駅でしっかり水も食料も摂って、下の三島神社に向かう、この間、距離は5kmちょっと、標高差は200m以上、最初来たときはよく分からないまま歩いたけれど、前回の2回目はかなり苦労した覚えがあります。国道で舗装道だけれど息が上がるような所もあったしなかなか辿りつかないという感じが強かった。それから7年ぶりにこの道を歩くことになったのですが、前回よりはしっかり歩けたし、まだかまだかという焦りは全くないままいつの間にか着いてしまいました。タイムは三島神社ではなく真弓トンネルで区切ったので比較はできませんが、前回よりは少しよかったはずです。


 ここが国道380号を離れる畑峠遍路道の入口です。小田の宿に泊まる人もここまでは同じ道を歩いてそのまま国道で真弓トンネルへ向かいます。
 小田の宿に泊まる人は少なくないから、この道しるべを見た人も多いはず。真弓トンネルのあとは農祖峠を越えて久万高原に入るのが一般的で、へんろ地図にもその道だけに赤線がありますが、白黒のへんろ地図(第5版まで)では農祖峠は赤線どころか峠そのものが省略されていた。父二峰の三叉路をそのまま直進、落合も直進して河口から県道209号で日の出橋から素鵞神社に向かう。なぜそうだったかは考えるまでもない。峠を登ることがない楽な道だからです。むしろ新しい地図で農祖峠と越ノ峠から日の出橋に向かう道に赤線が付くようになったのがどうにも解せません。距離はやや短いかもしれませんが時間では大分昔の地図の方が短いはずです。
 三島神社からここまで距離はわずか500mながら標高差は100m、しっかりした山道で一仕事終えた感じになります。
 道しるべに、降雪の時は通行不能と書いてありますが、これは本当でした。雪が積もっていてこの道のことをよく知らない場合、確率5割以上で道を踏み外して崖下に滑り落ちてしまうところが1ヶ所ありました。雪がなくても余程慎重にならないと滑り落ちそうな感じです。


 国道を離れて4分、比較的新しい矢印があります。この道を歩く人は余程の人だと思うけれど、それだけ歴史のある意義のある遍路道だということかもしれません。あるいは世界遺産登録に向けての活動の一環でしょうか。


 国道を離れて9分で一旦舗装道に出てきます。矢印の方はやはり新しい。


 舗装道から再び山道に入るところに、今度は石の道しるべ、これだけ道しるべが充実していればだいじょうぶと思いかけてきたところですが、


 再び山道に入ると、それまでとは違って道幅も広くほとんどフラットです。ところがこれが曲者で、100mほど進んだところで道が下りになっていきます。思わず歩を止めて思案、周りを見回してもほかに山道はないし道しるべもありません。ほとんどの人がここで迷ったのだと確信、つまりこの道をそのまま下っても先に何もないであろう。右手の山の中を見ると、道らしい道はないのだけれど、いくつかの木の幹に白いテープが巻かれている。巻かれている木の間を行けば何とかなるかもと、その可能性にかけて道なき道を登っていきます。植林されているので、そんなに歩きにくいことはありません。篠山で迷ったことを思えば全然大したことはありません。


 木の幹に巻かれたテープを頼りに山の中に入り込み、2分ほど進んだところではっきりした山道が現れて、さらに2分ほど来たところで遍路道しるべの登場です。こんなところに設置するのならどうして一番迷いやすいところに設置しなかったのか、地権者の同意が得られなかったのか、同意得られないまま設置して撤去されてしまったのか。


 昔の道が通行止めで迂回路ができていました。迷いどころから10分ほど来たところですが、もうすでに下りに入っています。峠はほとんど分からないくらいで拍子抜けするくらいでした。真弓トンネルへの分岐の前後が一番しんどかったかもしれません。


 迂回路を下りてすぐのところ、この道しるべは大きい。14時03分、三島神社から38分かかっています。


 幅も広く緩やかな下りで気持ちよく歩けます。


 ここはというところには必ず道しるべ、14時08分。


 迂回路を下りてからは山道らしい道はほとんどなく、14時08分。


 確かにこういう感じの道は残したいし、多くのお遍路さんに歩いてもらいたいという気はするけれど。


 木立が日陰を作っているところも多くとても快適、ベストタイムがないので焦らずゆっくり楽しみながら下っていきます。


 14時31分、三島神社から65分で三嶋神社に到着しました。距離は4100mなので時速は3.8kmというところでした。
 突合からの合計タイムは159分、突合からメインの遍路道、落合トンネルへ向かう国道379号を歩いたときのベストタイムは99分なのでちょうど1時間の遠回りになります。はっきりした迷い所もあるからおすすめはできません。

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農祖峠~日の出橋~素鵞神社~岩屋寺

2017-12-23 | 古道と四国のみち

 同窓の橘さんと話が弾んで下坂場峠では50分も休んでしまいました。それでも、チェックインは16時なのでまだまだ余裕はあります。10時45分に出発しましたがすごく元気になって弾むように峠を下っていきます。


 峠から下りきったところの分岐点です。赤線の付いている遍路道は左折してひわ田峠へ向かうけれど、今回は右折して農祖峠に向かいます。農祖峠は歩いたことはあるけれど、その先、国道に下りてから日の出橋に向かう道はまだ歩いていません。この道を歩くと久万高原の赤線の付いている道はほぼ踏破したことになります。


 下坂場峠から29分で農祖峠の登り口に到着です。予定していたタイムより2分も早く着きました。休憩が効いているようです。


 農祖峠は5年ぶり2回目です。前回は1日の後半で全然調子が出なかったことを覚えています。
 ひわ田峠方面に向かう矢印もあります。真弓トンネルができるまではこの峠を歩く人などいなかった、遍路道ではなかったと、これも来楽苦のご主人の話。


 普通に「のうそとうげ」と最近まで読んでいたけれど、正しくは「のうそのとう」、へんろ地図にもちゃんとふりがながあるのに思い込みで呼んでいました。
 峠までは明らかに5年前より快調で短く感じました。登り口から17分ほどでした。


 峠から800mほどで舗装道が始まります。この下りもいい感じで歩くことができました。逆打ちの男性とすれ違ったのですが、この時間からだと小田の宿に泊まることはないだろうしどうして遠回りの道を歩くのか首を傾げました。逆打ちの場合45番から素鵞神社、日の出橋経由の道を歩けば、さほど遠回りにならないし、ひわ田峠よりも標高が140m低い農祖峠の方が楽だということなのかもしれませんが。そういえば逆打ちでこちらの道を歩いたという人のブログを見たことがありました。


 さらに1kmちょっと下りてきたところで、舗装道から山道に入ります。これだけ下ってきたのに、この先にまたちょっとした登りがあって、5年前は気持ちがくじけそうになりました。


 山道に入ってから5分ほどで44番へ向かう道と、先に45番へ行く道の分岐点があります。5年前来たとき、いつかはこちらの道も歩くのだとしっかりチェックしたのを覚えています。


 「岩屋寺への遍路道は不通」と書いてある「不」の文字が消されています。つまり今は通れるということのようです。何年か前、素鵞神社から茶店跡の山道が歩けなくなったという情報がありました。今回この道を歩くにあたっていろいろ調べてみると、13年の情報で普通に歩くことができたというページを二つ確認できたので、この看板ではなく消された方を信用して岩屋寺へ向かいます。


 峠から27分、久万の町並が見えてきました。時刻は正午、どこからかウェルナーの「野ばら」のメロディが聞こえてきます。


 国道に下りていくところです。久万の標高は480mあるのでけっこう桜が残っています(今日は4月16日)。


 国道33号に下りてきました。北、町の中心部方面をを眺めた画です。
5年前はもう少し北側に下りてきたので距離も違うのですが、その時より5分早く下りてきました(登り口から)。


 道しるべもしっかりあります。


 国道から200mほど東に行くと久万の町を南北に貫いている通りに出ます。おそらく昔の国道であったと思われます。この道に出てすぐ東(日の出橋方面)に向かう広い道が県道153号です。この三叉路にパティオのようなものがありました。このあたりで休憩する予定ではあったのですが、適当な場所があるかどうか、初めて歩く道なので当てはなかったのですが、いい感じの休み場所です。


 ちょうど自販機があったのでアクエリアスを買います。今回の旅で初めての飲料です。この先には岩屋寺まで水を補給できるところがないので、初めから買うつもりでした。昼食は相変わらずかりんとうです。


 三叉路では25分の昼食休憩をとって12時30分に出発です。
 500mほど進んだところで、左へ曲がる道があって、これは?と一瞬迷ったのですが真っ直ぐ広い道が続いているので、曲がるのはまずいだろうと、そのまま直進したのですが、ぼくが歩いているのは2010年までのへんろ地図には載っていない新しくできたバイパスなのでした。左の上の方を見るとうねうねとした赤線の付いている本来の153号が見えています。バイパスの方が明らかに距離は短くて時間もかからないだろうけれど、赤線の道をはずしてしまったのでちょっと複雑な気持ちです。新しい地図にはこちらの方に赤線が付くことは間違いないのだから問題はないと言ってもいいのでしょうが。


 元の153号が合流してくるところです。


 越ノ峠のちょっと手前が合流ポイントです。これだけ削っているのだから昔の道はもう少し高いところにあったのかもしれません。


 このあたりが越ノ峠のようです。


 県道153号は左へ折れて河合、住吉神社の方へ向かいます。ぼくは右に折れて日の出橋に向かいます。右折れの道は県道209号。


 ここから209号が始まります。岩屋寺まで6,5kmとあるけれど、途中険しい山道があるからどれくらい時間がかかるか見当はつきません。


 209号に入ってすぐ短絡路があります。こちらの道を歩く人はかなり少ないはずですが、ちゃんと遍路シールがあります。


 昼食休憩をした所から38分で日の出橋に到着しました。バイパスを歩いたので、予定していたタイムより5分以上早く着きました。

 日の出橋から岩屋寺までの道は6年前に歩いていて2度目になります。6年前は反対から来ました。小田の町から新真弓トンネル、その後は農祖峠には行かず、国道380号を直進、露峰落合の交差点も直進、美川小学校の先から県道209号に入りました。この道はカラーのへんろ地図になってからは赤線が付いていませんが、白黒の地図には付いていました。新真弓トンネルを抜けた場合、農祖峠を越えるよりも高低差が少なくて歩きやすいので赤線が付いたのかもしれません。時間的には、今回のバイパスを使った場合、6年前の道の方が3分くらい早く、バイパスがなかった頃には10分くらい早かったと思われます。赤線が付いていたのも納得がいきます。



 日の出橋から18分、6年前と同タイムで素鵞神社に到着しました。ここで本日4回目、最後の休憩をとります。


 素鵞神社では20分ほど休憩、13時45分に出発です。4分ほどで本格的な登り口です。ここまでの道は何となく記憶に残っていたのですが。ここからの5つの屋敷跡の横を登る急坂は全く記憶に残っていませんでした。急坂が終わるあたりで、6年前は工事(植林のための整地?)をしていて、そのあたりの景色はぼんやり覚えていました。


 素鵞神社から28分で八丁坂茶店跡に到着です。6年前より1分早く、後半の緩やかな起伏の所では身体の方が先に動いてしまうという感じでした。迷い所も全くなく道が荒れているところもありませんでした。草が多めの所や道が細いところもありますが少し注意すれば全く問題のない程度です。


 茶店跡の説明板には興味深いことが書かれています。槙ノ谷から上がるコースこそが本来のコースであることを示そうとしてこの大きな石碑が建てられた、しかも1748年という古い時代に。それだけ歴史のある道を今歩いてきたということのようです。もちろん順打ちが基本ですからその頃も八丁坂を歩く人の方が多かったのだとは思いますが。