WALKER’S 

歩く男の日日

12年別格巡り

2012-08-17 | 12年別格巡り

 1日目 1大山寺
 2日目
 3日目 2童学寺
 4日目 3慈眼寺
 5日目
 6日目 4鯖大師・5大善寺
 7日目
 8日目 6龍光院
 9日目 8十夜が橋
10日目 7出石寺・9文珠院
11日目 10興隆寺・11生木地蔵
12日目 12延命寺
13日目 13仙龍寺・14椿堂
14日目 15箸蔵寺・16萩原寺
15日目 18海岸寺・17神野寺
16日目 19香西寺
17日目 20大瀧寺
総括


2012年 四国別格霊場巡拝 総括

2012-07-19 | 12年別格巡り

① 日帰り                 31.2km  1
② 旅館吉野 6500円(2食、おにぎり) 21.7km
 
                     37.4km  2
③ 龍山荘       6500円(2食)  25.3km  3
   民宿あづま     6500円(2食) 45.2km
   柳屋旅館      6000円(夕食)  8.2km   4,5
                      30.0km
④ 遍路宿もやい    3000円(素泊)  6.5km  6
   大洲郷土館ユースH 3200円(素泊)  37.6km  8
   民宿旅館長珍屋   4200円(素泊)  30.9km   7,9
                       27.9km 10,11 
⑤ ビジネス旅館高雄  3000円(素泊)  13.3km     12
   寿司六旅館     3500円(素泊) 38.2km  13.14
   民宿おおひら    5500円(夕食) 39.8km  15,16
   善根宿うたんぐら  1000円(朝食) 40.1km  18,17
   民宿八十窪     6000円(夕食) 30.1km  19
                       38.7km  20
   合計        54900円   502.1km

5回合計の費用
  宿泊費    54900円(12泊)
  交通費    57180円
  食費飲料費  5431円
  念珠       9700円

  合計    127211円

 1月に始めたときの計画では12回に分けて88ヶ所の山道もほとんど歩くつもりだった。費用は18万円以上かかるはずだった。2月になって事情が変化して、山道のトレースは諦めて、夜行バスも避けて別格だけを効率よく巡ることにした。それで6万円以上費用を節約することができたけれど、前回09年の通し打ちと比べて、日数は59%、宿泊数は43%、歩行距離は44%にしかならなかった。高知県はたったの32kmほどしか歩けなかったし、愛媛県も松尾峠、柏坂、松尾トンネルの上の道、鳥坂峠、久万高原、横峰寺とほとんど全ての山道を歩くことができなかった。香川県も弥谷寺から志度寺までほとんどワープ、別格巡りだと割り切っていても少し物足りないと感じることもあったし申し訳ないなと思うこともあった。

 27時間テレビは悪くなかったけれど、100kmマラソンだけは苦手で見る気がしなかった。身体を痛めつけるのを見せ物にするのは全くぼくの趣味に合わない。四国の旅でもほとんどのお遍路さんが足を痛め苦しみながら歩いているけれど、ぼくは何より足を痛めないことに重きを置いている。楽しみながら歩けなければお遍路ではない、とすら思っている。
 そのことからすれば、今回の別格は足を痛めることなく歩けたので上々だったといえる。思い通りに歩けなかった箇所、タイムが出なかった箇所、草臥れてへたり込んだ箇所、いつまで経っても下界が見えずやけくそになった箇所、いろいろあったけれど足を痛めることはなかったからそれら全てが楽しみであったし思い出になった。


 1月に歩いているときには、20ヶ所を歩いた後のことは全く考えられなかった。3月の焼山寺越えのときもまだイメージが湧かなかった。4月の3番から5番のときにいろんな人と出会って、またちゃんと通しで歩きたいという気持ちが芽生えてきた。龍山荘で一緒になった福岡の高崎さんには多くの遍路宿のことを教えて貰った。民宿あづまで一緒になった枯雑草(かれくさ)さんは素晴らしく豊かなベテラン遍路さんだった。民宿あづまの女将さんはいつもながら親身になってくれる。広島府中の9巡目逆打ちの女性は本当に素晴らしいお遍路さんだった。出会う人みんなを明るく元気にしてくれる、お大師さんのような人だった。8年前に何度も出会った人だということはいまだに確認できないけれど、そうであってもなくても、かけがえのない宝物になった。そして、3年ぶりだというのに名前だけではっきり覚えていてくれた柳屋旅館の女将さん。このままで終わっていいわけがないと思うようになった。そして、6月、八十窪で一緒だった杉並区から来たお四国病の明るい男性には、ポンポンと肩を叩いて貰ったような感じがした。深く考えることはない、歩きたければ歩いたらいいし、来たくないのなら来なくていい。四国はいつでもいつまでも待ってくれている。
 ブログを書きながら、来年の通し打ちの計画を考えていた。3年前の通し打ちが終わった後に大体の計画は立てたけれど、新しい情報がいくつかあったので、調整し直した。


 65日かかってようやく表装の詠智会から別格の念珠が送られてきた。これで今年のお遍路も完了したことになる。思いはすでに来年の88ヶ所通し打ちに飛んでいる。線香528本、蝋燭176本はすでにケースの中にある。


17日目 6月8日 

2012-07-13 | 12年別格巡り


 朝が早いので夕食が終わったときに支払いを済ませた。大女将がねぎらいと明日の応援の言葉をかけてくれた。こういうとき本当にお遍路をしているのだと思う。一人で歩いているのではない、こういう四国の人たちの応援、後押しがあってこそ気持ちよく1200kmを歩くことができる。こういう送り方をされたら、しっかり元気に気持ちよく歩かねばと思う。自分たちの代わりに歩いて貰っていると本気に考えてくれている人はそんなに多くないかもしれない。でも時々はそういう期待をかけられているのだと心底感じることがある。
 朝玄関を出て靴を整えていたら、勝手口から大女将がおにぎりを持って出てきてくれた。4年前は玄関に腰掛けて待っていてくれた。5時前ですよ。これが本当の遍路宿というものだ。今年のおへんろ最後の日になった寂しさはない、来年が始まった嬉しさの方が大きい。


 5:18
国道まで20分で下ってきた。いい感じの下り坂なので時速は6.9kmも出てしまった。足の調子も最高、筋肉の張りも足首の違和感も全くない。


 5:20
3年前と4年前、大窪寺で出迎え、見送ってくれたワンコが出てきてくれた。昨日も今朝も大窪寺の近くで見かけなかったのでどうしたのだろうと心配していた。これではずみがついてさらに調子よく歩ける。


 5:22
竹屋敷の前から国道を離れて行く。

この矢印も4年前にはなかったはずだ。


 5:40
向こうの方にこれから合流する国道が見えてきた。


 5:43
一旦国道の下を抜ける。


 5:44
ダイハツの前で国道に合流。

合流するとUターン。


 5:58
さぬきコミュニティバスの起点、中山。4年前同様ここが今回の旅(歩き)の終点になる。

時刻表に変更がないか念のためチェックしておく。ここから大瀧寺まで7時間で往復すればよい。


 5:59
さぬき市から三木町に入る。


 6:03
国道377号が国道193号に突き当たる。ここが県境になっていて、大滝寺までずっと徳島県美馬市を歩くことになる。


 6:03
突き当たりにそれらしい神社の杜がある。この奥から県境の尾根道を行くと別格20番大滝寺に至る、と教えられた高崎さんが登ったところ、ものすごく険しい道で遭難しそうになった。これは遍路のための道ではなくて、上級登山家のための道、杖を持って登れるような道ではないようだ。全然近道にもなっていなくて倍以上の時間がかかるそうだ。


 6:04
確かに神社があるようだ。でもお遍路がこの鳥居をくぐるのは絶対避けなければならない。


 6:15
若い二人連れのお遍路さんとすれ違った。見るからに野宿、昨日は夏子ダムの休憩所で泊まったに違いない。後から分かったけど逆打ちだった。初めてで野宿で逆打ちで108ヶ所、ぼくなどからすれば無謀だとしか思えない。何よりお遍路の本当の良さを充分味わうことができないまま終わってしまうことになるだろう。


 6:30
夏子休憩所まで1.3km、ということはあと12分、ということは4年前よりかなりいいペースだ。


 6:38
夏子休憩所が見えてきた。


 6:40
夏子ダムが見えてきた。休憩所は目の前。


 6:42
民宿から105分03秒で夏子休憩所に到着した。4年前より3分も早かった。4年前もこの区間は絶好調だったからこれだけのタイムが出るとは思わなかった。大滝寺まで2時間以上休めないので、おにぎりを食べておく。今回は栄養不足と休養不足でうまく歩けなかったことが度々あったので最後くらいはきっちりまとめておきたい。


 7:03
国道を離れて大滝山に向かう。


 7:04
三角寺と負けないくらい大きな矢印がある。15kmとあるけれど、歩き登山道を行くと12kmくらい。

距離表示が消してある、おそらく正確ではなかったのだろう。


 7:12
短絡路の入り口はやはりペンキで塗りつぶされたまま。新しく開発されたという噂も聞いたけれど、全く見あたらなかった。自動車道は確かにものすごく迂回した道になっているけれど、時間にすれば大したことはない。訳の分からない道で迷っている方が余程時間を食ってしまうのだ。


 8:01
夏子休憩所から58分26秒で歩き登山道の入り口まで来た。4年前と同タイム、ここからが本当の登山。この標高は450m、大滝寺の標高は910m。


 8:02
腰掛けるところはないけれど、地べたに座って10分ほど休憩する。4年前は30分かけて迷って一周してここに戻ってきた。完全にパニックだった。リベンジを果たす前に一休み。


 8:10
登り始めてすぐ、貼りにくい所に無理矢理矢印があった。右折れの道があるので初めて来た人にはありがたい。もちろん4年前にはなかった。


 8:12
新しいのか古いのかよく分からない丁石がある。この20丁は全く信用できないけれど。


 8:16
4年前最初に道をはずした所に来た。分かりやすい黄色い遍路札が掛けてある。草も刈られていて右後ろへUターンする道がすぐ確認できる。4年前はこの道があることすら判らなかった。


 8:21
2回目道をはずした所にも黄色い遍路札が掛けてあった。もうこれで道をはずす人はいなくなるはずだ。別格の道も4年前に比べてずいぶん歩きやすくなった。


 8:57
思ったよりずいぶん早く広いところに出てきた。拍子抜けといってもいいくらいの山道だった。ほとんどの山道は辛かったことや苦労したことは忘れているので新たな苦しみに出会うことになるけれど、この山道だけは全然辛くも苦しくもなかった。こんな快適な道で900mの標高まで来たというのは不思議な感じさえする。


 8:58
大瀧寺まで900m、ここまでの山道よりここからの舗装道の方が急で歩きにくい道になっている。


 9:09
県道106号に出てきた。ここまでの10分の舗装道のきつさは忘れていた。それにしてもつづら折れの山道は本当に快適だった。登っているという感じすらあんまりなかった。


 9:09
県道に出るとちょっと下りになる。


 9:11
歩き登山道登り口から62分14秒で四国別格霊場第20番大瀧寺に到着した。四年前は二回目に道をはずしたロスタイムを含めたとはいえ80分もかかった。これだけ短縮できるとはとても思わなかった。本当にパニックだったし空回りしていたのだとつくづく思う。


 9:16
大師堂が新しくなっていた、そしてその隣に立派な住宅もくっついてできていた。ブザーを押すと出てきたのは、4年前とは違って年配の貫禄のある住職だった。新しい住職が来るから住宅が新しくなったのか、住宅が新しくなったから新しい住職が来たのか、いずれにせよ若い名物住職と再会できなくてがっかりだった。

無事20個目の念珠をいただくことができた。前回と違って全くロスタイムがなかったからゆっくり休むことができる。昨日コンビニで買ったパンを食べながらたっぷり30分以上休憩する。


 11:46
納経所の前で休んでいる頃から雨が激しくなってきた。10時ちょうどに下山を始めることにした。傘もさしているし、足場のそんなに悪い山道ではないけれど、タイムを気にせず慎重に歩くことにした。登り口まで50分55秒かかった。前回より3分遅れだけどこれは納得の数字。前回は時間がなくて飛ぶように下ってきたはず。
 登り口から夏子ダムまでの自動車道は53分08秒で下ってきた。こちらは足場が安定しているので4年前と勝負する気満々だった。結果1分早くて大満足。中山のバス停にはベンチも屋根もなかったはずだからできるだけぎりぎりまで夏子いなか市の前にあるベンチで休むことにする。35分の休憩。


 13:04
夏子ダムから45分02秒で中山のバス停まで戻ってきた。前回この区間はバテバテで48分もかかった。今回は、傘もさして靴の中はビチャビチャだったけど気力も充実足元もしっかり、予想以上のタイムで大満足で今年の四国の旅を締めくくることができた。


 14:47
コミュニティバスは国道をローラーコースターのように飛ばす。大窪寺に着くと、歩き遍路さんが3人乗り込んできた。70歳の女性は神戸の人、60代の男性、20代の男性、いずれも初めてのお遍路だと言っていた。女性は昨日は屋島の宿から長尾寺門前のあづまや旅館まで、距離が短いので13時過ぎに着いてしまった。女将さんに、そのまま入ってもいいけどお遍路交流サロンまで歩いてきたら、と薦められたのでそのとおりにしてバスで旅館に戻ったそうだ。朝早くに宿を出ると交流サロンが開いていないこともあるから充分意味のあることだ。あづまやの女将にはものすごくよくして貰った、と感激していた。そう、ぼくも5年前あづまやでお世話になってとてもいい気持ちだった。これこそがお遍路の醍醐味、その醍醐味を野宿の人は味わうことはできない。お金がかからない分本当のお遍路を味わうこともできない、コスパはとても貧しいとぼくは信じている。
 女性は高速志度バス停で降りていった。男性二人はぼくと同じJR志度駅で降りた。電車で徳島に戻る、オレンジタウン駅で降りればよかったと後悔していた。手前のJR駅にバスが寄ることを分かっていなかったらしい。ぼくは駅には入らず、歩いて「表装の詠智会」に向かう。昨年の日帰りで位置は把握している。駅から8分で到着した。
 詠智会の奥さんは自ら何人かを先導して別格巡りもすると話していた。さっきまで雨の中大瀧寺まで登って下ってきたと言うと、それは値打ちあるわぁ、と感心してくれた。別格だけとなると距離がすごく離れている箇所がいくつもあるから車やバイクで巡る人が多いようだ。実際にバイクで巡っている人には二人会ったし、車で巡っている人も何組も見かけた。念珠の色は緑、房は利休梵天でお願いした。木箱にして欲しいと言ったら、使うのだから紙箱にしておきなさいと、全く商売っ気なし。今年の逆打ちツアーの盛況さにも半ば呆れていた。訳も分からず辰年の閏年は御利益が3倍というそのうたい文句だけで参拝者をかき集める旅行社のやり方には否定的だった。何しろ1月から始めて12月に終わるのはまだ分かるとして、6月から始めて12ヶ月で巡るツアーも募集しているのは理解に苦しむと嘆いていた。ぼくも、逆打ちの人には何人もすれ違ったけれど、その半分くらいはこちらから挨拶しても返事すらできない人たちだった。全く逆打ちの意味を分かっていない人たちだ。逆打ちは衛門三郎の故事に始まる。お大師さんに巡り会うために逆に打つ。すれ違う歩き遍路の人は皆同行二人、お大師さんと一緒に歩いている。お大師さんと会うために逆に打っているのにそのお大師さんと会ってなぜ挨拶すらできない。本当に嘆かわしい奴らだ。訳も分からず四国をさまよって真面目なお遍路さんのじゃまをするのは止めて貰いたいものだ。


16日目 6月7日 

2012-07-08 | 12年別格巡り


 うたんぐらは夕食はなし、朝食付き1000円。当初は素泊まりで無料だった。1年くらい前から朝食がついてこの値段になった。それでもめちゃくちゃ安いから、野宿の人やバイク遍路、サイクル遍路の人が多く訪れるそうだ。野宿の人は時間が自由だから入る時間が18時を過ぎて20時近くになる人もいるそうだ。夕食がないからより自由になりやすいみたいだ。野宿の人は、特に最初のお遍路となると宿の人がどんな思いで待っているか、そういうことに全く思いが至らない人も多いようだ。そういうぼくも最初の時は本当に何も分からなくてたくさん迷惑をかけてしまった。2回目以降はそんなに遅くなることもなく、キャンセルすることもなくなったけれど、自分が気がつかないだけで迷惑をかけながら歩いていたのかもしれない。よく考えればお遍路という存在そのものが迷惑だといえなくもない。つい先日,NHKのお昼の番組「お元気ですか、日本列島」で、久万高原町のトンネルの入り口にお遍路のための反射たすきとライトが設置されたことを伝えていた。久万高原町には二つのトンネルがあるけれど、これはたぶん峠御堂トンネルの方だと思われる。ぼくはトンネルを苦にしない方だけれど、四国中でこのトンネルだけは怖い、できれば避けたい唯一のトンネルだ。何しろ幅員が狭い、歩道がない、車が多い、トンネルの中に緩やかなカーブがある、いつもこの四重苦におびえながら歩いている。このトンネルでお遍路さんを避けようとした車が対面車と衝突する事故があった。それでたすきとライトが設置されるようになったそうだ。このトンネルを歩く地元の人はいない、歩くのはお遍路さんだけ、おへんろがいなければ事故は起こらなかった。ここだけでなく歩道のない国道などで怖い思いをしている車の人は多いはずだ。迷惑をかけずに四国を歩くことなどできない。ぼく自身、7回歩いて少し慣れていたかもしれないし、思い上がっていたかもしれない。ご主人の話を聞きながら、そんなことを考えていた。


 6:58
お二人は10回くらい四国を歩かれたことは知っていたけれど、先達の資格を持っていることは知らなかった。お遍路を経験した女将さんがいる宿は3つほど知っているけれど、先達さんの宿は初めて。茶の間の床の間に先達用の立派な錫杖が飾ってあった。奥さんからは、長尾寺の本堂に竹ぼうきの彫刻があることや、大窪寺の本堂の「薬師如来」の薬の字の右側の点々が無いことについて教えていただいた。7回も巡ってそういうことは全く気がつかなかったし知らなかった。ちゃんとお参りはするけれど札所の縁起や建物などにあまり関心が無くて、歩くのを楽しむのが第一、遍路宿で休むのが第二、でずっときたからいまだに知らないことは多い、というより回数の割には何も知らないと言った方がいいくらいだ。
 玄関の前で遍路の広場のための写真を撮って貰う。お返しにぼくも撮らせて貰う、こういう機会でもないとなかなか女将さんの写真を撮らせて貰うのは難しい。撮りたくてもなかなか頼むことはできない。


 7:11
昨日に続いて今日も電車の日。昨日はそれでも39kmは歩いたけれど、今日は28kmくらいしか歩かない。宿から天皇寺とは逆方向の宇多津駅に歩き始めたのも、何かしら忸怩たる思いがあった。宇多津駅の少し手前のコンビニで紙パックのお茶を購入。朝食をしっかりいただいたので食料は買わない。このコンビニも新しくできたもので、最初来たときにはなかった。


 7:17
宇多津駅に無事到着、と言いたいところだけど、逆打ちになったので道をはずしてしまった。逆打ちってほんとに怖い。


 7:53
予定していたのより1本早い電車で香西駅に到着。宇多津駅は初めてだったけれど香西駅は4年前に来たことがある。花曼茶羅を買うためだけに電車に乗ってここまでやってきた。


 8:01
本津川を渡ったところで県道を離れて右の道へ行く。4年前はこの道を知らなくてものすごい遠回りをしてしまった。


 8:11
2回目でもあり、問題なくここまでやって来る。でも根香寺からの本来の遍路道はなかなかうまく下りてこられない、うたんぐらのご主人もかなり迷ったと言っていた。


 8:13
香西駅から17分25秒で別格19番香西寺に到着、前回は遠回りの道だったので比較はできない。境内は近所の人が犬の散歩に来ているだけ、参拝者はぼく一人。

 1月から始まった別格の旅もあと20番を残すのみとなった。


 9:07
香西から電車に乗って高松駅まで来た。高松駅の外まで出てくるのは最初の時以来9年ぶりになる。最初の時は鬼無駅から電車に乗って高松駅前のビジネスホテルに泊まった。鬼無駅前に宿があることなど知らなかった。


 9:18
高松城址公園は有料だったので堀の内には入らなかった。南東の角にあるこの櫓が天守であるかどうかも分からない。


 9:30
高野山讃岐別院の前にやってきた。昔の白黒の地図では国道11号から300mほど北にあるこの前を通るのが遍路道だった。赤線はこの部分だけ北にふくらんでいる。もちろん番外霊場のマークも付いていた。でも04年のカラー地図になってからは全部消えてしまった。国道に出るとすぐに右折して屋島に向かうのが現在のへんろ道になってしまった。


 9:34
高松駅から18分43秒で琴電今橋駅までやってきた。ここから志度まで電車で行く。やはり予定の電車より1本早いのに乗ることができる。


 10:01
琴電の中にトンボが迷い込んできた。


 10:20
終点琴電志度駅に到着、ここに来るのは昨年の10月以来、こんなに早く戻ってくるとは思ってもみなかった。


 10:22
駅からへんろ道に入るとすぐ栄荘の前に来る。


 10:27
駅から5分ほどで86番札所志度寺に到着、電車で来たから感じが出ない。境内のベンチには歩きの人のザックが二つあった。この時間からだとどこへ行くのだろう。長尾寺までだと12時半くらいに着いてしまうし、大窪寺だと17時前後になってしまう。二つの札所の間に宿はない。屋島の近くの宿に泊まるとどうしても中途半端なことになってしまう。でも初めてだと二日先が読めないから、ありがちなことではある。


 11:01
志度寺ではお参りと休憩で30分ほど滞在、10時51分に発つ。いつものコンビニで明日の朝食と昼食を調達する。明日は朝が早いので今日の宿は夕食だけでお願いしてある。


 11:10
高松自動車道の下を抜ける。半年前はここを右折して高速バス停に向かった。したがって、ここから先は3年ぶりに歩くことになる。


 11:58
志度寺から62分36秒で87番札所長尾寺に到着した。ベストより1分早かった。ベストを出したのは3年前だけど、そのときはめちゃくちゃ調子が良くて、これ以上のタイムはもう出せないと確信してくらいだった。それをあっさり更新してしまったけれど、厳密にはベストとは言えない。なにしろいつもは屋島と八栗を登って下っての後のこの区間、今回はそれが全くなかったわけだから比較にはならない。でも、気分は悪くない。

うたんぐらの奥さんに教えて貰ったとおり、本堂の正面に竹ぼうきの彫刻があった。これには日光東照宮の柱と同じような意味があるそうだ。


 13:11
長尾寺ではお参りと休憩で25分滞在、12時23分に発った。長尾寺から大窪寺まで2時間半はかかるからゆっくり休むことはできない。前山ダムの休憩所まで44分41秒で到着、ベストと同タイムだったけれどそろそろエネルギーが切れかけている。この先この調子を維持するのは難しい。

ダムの手間の急坂で力を出し切ってしまい、身体中汗まみれでふぬけのようになってしまった。ダム湖を眺めながらふらふらとお遍路交流サロンへ向かう。


 13:15
おへんろ交流サロンに到着、やはりこの時間にお遍路の姿はなく今回も交流することはなかった。志度から来ても長尾から来ても午前中にここを通り過ぎてしまう。八栗からでも昼過ぎにはここに来ることができる。屋島から大窪寺まで行く人はあまりいない。休憩所で熱いお茶を3杯ほどいただく。汗まみれで熱いお茶はちょっと厳しいけれど、かなり脱水しているから我慢して流し込むしかない。


 13:26
もっと汗を乾かしてたっぷり水分も摂ってゆっくり休みたかったけれど、またも時間がなくて11分しか滞在することができなかった。女体山を越えるつもりだったけれど、自信がなくなってきたので花折峠へ向かう。花折峠は6回目になる。


 13:53
花折峠の標高は410m、前山ダムからの標高差は270mしかないけれど、最初から急坂が続いていきなり汗まみれで力が失せていく。この道を楽に登れたことは一度もない、今回も過去の苦しみは完全に忘れていて新鮮な苦しみが次々訪れた。


 14:05
いよいよ身体が動かなくなって、峠の手前の遍路小屋で休憩を入れてしまった。この道で休憩したのは初めてのことだ。休み方も水分塩分の摂り方も中途半端だという自覚はあったけど、ここまでとは思わなかった。


 14:06
ようやく花折峠に到着、70丁の地蔵とあるように、ここから大窪寺まで7.6km。75分で行ければ上々というところだろう。


 14:13
県道3号に合流、峠からの下りはいたって快調、標高差50mをあっという間に下ってきた。ここから多和小学校までもさらに歩きやすい緩やかな下りになっている。


 14:26
多和小学校の前で国道377号に突き当たる。大窪寺まであと5km、この距離表示が正しいとすれば2.6kmを20分で来たことになる。時速にすると7.5km以上。ほんとかなというくらいのスピードだ。


 14:35
国道に入ると緩やかな登りになる。快調に下ってきただけに少しこたえる登りになる。3年前には明らかになかった短絡路ができていた。ここを右へ行くとかなりきついヘアピンカーブがあったはずだ。坂も急で大型バスやトラックにとって難しい道だったはず。それを避ける道がこの3年の間に完成していた。最後半になってまた歳月を感じさせられた。


 14:40
峠の処で古い道が合流してくる。100mくらい近道になっているかもしれない。


 14:41
大窪寺まで4km、この1kmを15分もかかっていることになる。そんなにきつい登りだったかなという感じもする。


 14:46
竹屋敷の前を通過、この道を右の方へ行くと別格20番に至る。


 14:50
国道を離れて脇道に入る。この距離表示は正確だからあと23分で着けるはずだ。


 15:06
この1.6kmを16分で来た。脇道に入ってからずっと緩やかな登りだから時速6kmであれば上々。


 15:12
ようやく88番札所の山門を確認、最後の坂は急だったけど、だんだん見えてくるこの感覚は何とも表しがたい。最初のお遍路ではやはりこの道を歩くべきだと思う。女体山は2回目以降にしましょうと、全ての歩き遍路さんに言いたい気持ちは変わらない。


 15:13
四国霊場結願所 医王山大窪寺に到着。前山ダムから103分26秒かかった。ベストより2分遅れ。でも4年前の記録とほぼ同じ。4年前は前半は調子が悪かったけれど、前山ダムからは嘘のように調子が良くなってそれまでの記録を5分も縮めた。そのときと同じだからまあそんなに悪くない。30度近い暑さだったことを思えばよく歩けた方だ。


 15:24
本堂ではきっちり薬師如来の「薬」の文字を確認、奥さんの言われたとおり右側の点々がなかった。理由ははっきりしないそうだけど、弘法も筆の誤り、を象徴するものかもしれない。
 あの日、確かにここでカメラのシャッターを切っていた、原田芳雄さんはもういない、少し寂しい思いで女体山を見上げた。



 15:33
古い山門を下りてきたすぐ前にあるうどん屋さんに高札がかけてある。ドラマ「ウォーカーズ」がないのはちょっと残念。


 15:34
今回の旅、そして今年の四国の旅最後の遍路宿、民宿八十窪に到着。民宿八十窪は3年ぶり6回目の投宿になる。意外なことに玄関にウォーキングシューズは1足しかなかった。宿の関係でもっと早い時間に着く人が多いのだけれど、ぼくのあとに次々入って、同宿は9人になった。3人連れが二組と一人で歩いている人が二人。ぼくはその二人と同じテーブルで夕食を摂った。隣に座ったのは東京杉並区から来たベテラン遍路さん。自ら「ぼくはお四国病なんですよ」豪快に笑いながら言う。娘さんと旅行するときでも札所以外の四国の名所をまわるほど。今回は別格も巡って、今日は大滝寺をお参りしてきたそうだ。明日は白鳥温泉から大坂峠越えで3番札所の近くに出る。向かい側に座ったのは小金井市から来た人で、こちらは今回が初めてで区切り打ち。珍しいことに宇和島から歩き始めた。宇和島に知り合いの人がいて都合が良かったようだ。初めてなのでどんな宿に泊まったらよいか分からないと言うので、久々に遍路宿情報を手渡した。当然、徳島駅近くの大鶴旅館と須崎市の柳屋旅館を推しておく。


15日目 6月6日 

2012-07-01 | 12年別格巡り


 5:37
4日目の朝、今日は電車の日。とはいっても40km近く歩くことになる。電車の時間が気になるので、少し早めに宿を出る。車は三河ナンバー、4人連れの車へんろさんが宿に入ったのは昨日の17時半を過ぎていた。


 5:47
国道377号が見えてきた。いつもは左折して観音寺、神恵院へ向かうけれど、今回は68番69番はパスして一気に70番に向かう。従って突き当たりを右折、ここからは70番まで初めての道を歩くことになる。


 5:53
驚いたことに辻小学校の手前の交差点に古い道しるべがあった。この道には赤線も何も付いていないのに。たしかに、この角を左折すると現在の赤線の付いた遍路道とあまり変わらない距離で68番69番に行くことができる。昔はこちらの道がメインだったのか?


 6:06
今回の旅で初めての日差し、昨日までの3日間ずっと曇りか雨だった。足の調子も最高潮、太股の張りは完全に消えたし足首の違和感も全くない、膝の痛みもない。思い切りいくらでも歩けそうな感じだ。


 6:11
県道6号を横切った後の第1目標、県道24号の交差点まで無事やってきた。古い地図にも載っているファミリーマートは健在だ。


 6:17
第2目標、高松自動車道の下をくぐる。


 6:23第3目標、右折ポイント国道11号の交差点までやってきた。県道6号を横切れば直進するだけなので迷いようのない道だけれど、これが国道だという確信はない。

 右折して国道11号(たぶん)を行く。


 6:26
ようやく国道11号の証拠を発見。財田川を渡ればすぐ本山寺だ。


 6:30
今日の宿は夕食がないので、昼食と夕食を調達する。


 6:51
財田川の手前で国道を左折、こちらの橋でへんろ道に合流。財田川の向こうに本山寺の五重塔が見える。


 6:54
宿から58分52秒で70番札所本山寺に到着した。時速は6.3km、遅くはないけれど速くもない。初めての道だから慎重になってスピードに意識がいきにくかったのかもしれない。仁王門の前の電話ボックスで本日の宿「善根宿うたんぐら」に予約を入れる。弥谷寺の大師堂の前にもボックスはあるけれど、前に入ったとき故障していたので、早すぎるとは思ったけどできるところでしておくのが無難だと思った。携帯は持っているけれどメール以外は使わないことにしている。メールだけだと1ヶ月の料金は1394円。


 7:08
本山寺では水分と塩分は摂ったけれどゆっくり休むことはできなかった。コンビニで少し時間がかかったので電車の時間にゆったり間に合う感じではなくなってきている。


 7:17
本山寺を出て1km、国道の交差点に右折れの矢印、これは番外霊場妙音寺へ行く道のようだ。この少し先には、赤線は付いていないけれど脇道がある。遍路道であったかどうかは分からないけれど、一度は歩いておかねばと思っている。


 7:42
高瀬町の標識が新しくなっていた。2年前日帰りできたときには三豊市は付いていなかったはず。


 7:57
前を行く歩きの人2人、今朝は本山寺近くの宿を7時前に発ったのだろう。手前の人は一昨日椿堂で会った人だった。民宿岡田に泊まって本山寺まで来たのであれば健脚の方だ。


 8:02
脇道から一旦国道に合流する。


 8:03
高瀬川の手前を左折、土手の道を行く。昔はこんなにいっぱい遍路シールがなくてそのまま国道を行く人も多かった。この部分は国道の方がちょっと近道になる。でもこちらの方が遙かに気持ちよく歩ける。


 8:56
本山寺から105分28秒で71番札所弥谷寺へ到着した。ベストより1分遅れ、前半から中盤にかけては絶好調だっただけにすごく残念な結果。後半登りに入るとてきめんに力が出なくなった。またスタミナ切れ、食物が不十分だったようだ。今回は水と塩分は気を使っているけれど食物はかなりいい加減でエネルギー不足になることが多い。


 9:24
大師堂ではバスツアーの団体さんが占拠してろうそくも線香もあげることができなかった。やっとの事で納札と賽銭を入れて退散する。本堂を下りてきたところに天霧城跡へ行く矢印がある。この道が別格18番海岸寺へ下りていく山道だ。下りていくといっても分岐点までは登りになる。4年前は先に17番へ行ったのでこの道は歩かなかった。


 9:35
聞いていたとおり分岐点には分かりやすい道しるべがあった。ここまでの登りはそんなに厳しくはなかった。ここから一気に下っていくけれど、本当にきつかったのはこの先だった。


 10:03
下り山道は途中で道なき道という感じで水のなくなった沢の中を歩くということもあるくらいだった。多くのお遍路さんが歩いてきた道という感じでは全然なかった。やはり順番通り神野寺に先に行くのが正解なのかもしれない。山道を下りてからは要所にもれなく矢印があって迷うことはない。白方小学校の横を過ぎればもう海岸寺は目の前。


 10:12
弥谷寺から47分02秒で別格18番海岸寺に到着した。琴ヶ濱と大豪が出迎えてくれる。地図では4.1kmとなっているから思っていたよりずいぶん早く着いた。でも電車は10時47分に出るから余裕はあまりない。この札所は普通と違って大師堂が少し離れた奥の院にあるからだ。しかも前回は本堂の中に入ってお参りするように薦められて、そのあとは隣接する不動堂も見学するように言われた。そのあと奥の院となると、普通の札所の倍はかかるから、ひやひやものだった。本堂ではすぐ横に納経所があって住職が控えていたけれど、運良く今回は声をかけられなかった。すぐにそそくさと奥の院に向かう。


 奥の院にも納経所があるので、時間の節約のためそちらで念珠をいただくことにした。先に墨書御朱印をしてもらっている方がいて少し待たされた。納経所の女性が「待たせてしまってごめんね」と言ってくれた。


 10:33
思ったよりお参りは滞りなく済み14分の余裕を持ってJR予讃線海岸寺駅に到着することができた。これで一安心。この電車に乗り遅れると今日の予定はめちゃくちゃになってしまう。


 11:11
多度津で土讃線に乗り換え、定刻に琴平駅に到着した。今回も車窓から我拝師山、捨身ヶ嶽禅定を眺めることになった。いつになったら登ることができるのだろう。あそこに登らない限りお遍路として1人前だとはとても言えない。
 満濃池神野寺(塩入駅)行きの列車が来るまで40分以上待たねばならない。ここから歩いた方が早く着けるけれど、そうすると本日の歩行距離が45km近くになってしまうので無理をしないことにした。


 11:59
定刻に塩入駅に到着した。ここから満濃池までは初めて歩く道になる。へんろ道ではないから遍路シールはない。


 12:02
へんろ道ではないけれど、満濃池は名所なので矢印があった。


 12:20
塩入駅から20分で満濃池の畔に到着、ほとんど1本道だけれど、初めてだからここに来るまで安心はできなかった。

別格17番神野寺は満濃池の畔にある。山門はない。


 12:33
神野寺には大師堂がない。この満濃池を見つめるお大師さんの前が大師堂の代わりになる。ろうそくと線香をあげるところもあるし賽銭箱もある。納札入れはないので本堂で2枚入れるのが決まりになっている。前回はよく分かっていなかったのでこちらでお参りはしなかった。今回は作法通りこちらでも般若心経を詠む。
 納経所に歩きの男性が一人いるばかり、境内に人はいない。前回はバスツアーの団体でごった返していたので落ち着いてお参りできなかった。バスツアーの人は琴平に泊まるから朝一で来ることが多いはず、この時間には滅多に参拝者は来ないのだろう。


 12:38
やはりこの奇跡の海の雄大さはぼくのカメラでは半分もとらえきれない。
ここから歩いて琴平駅へ向かう、4年前往復した道だから今度は何の心配もない。


 13:00
金倉川に架かる吉井橋を渡ると左折、ここがこの道のポイント。

左折する手前に矢印があった。4年前は琴平から満濃池まで一切遍路シールは見なかった。往きの場合このシールは右折してから見ることになるからあまり意味がないかもしれないけれど、右折する前には貼るところがないので仕方なくここに貼ったと思われる。右折してからでも間違っていなかったことを確かめられるので意味がないことはない。


 13:06
二つ目の矢印を発見、反対側には往きの人のための同じシールが貼ってある。


 13:14
まんのう町には満濃池と蛍のマンホール。


 13:18
まんのう町から琴平町へ入る。この標識は4年前と同じ。


 13:21
76番札所金倉寺へ向かう分岐点にもちゃんと矢印があった。ぼくは琴平駅に向かうので直進するけれど。


 13:31
琴平町のマンホールにはこんぴらさんのかごかき。


 13:36
金刀比羅宮の登り口の交差点まで戻ってきた。電車の時間まで1時間ほどしかないけれど登れるところまで登ってみる。初めて登るのでどこまで行けるか見当もつかない。


 13:40
交差点から200mくらいは平坦な道。ここから階段の始まり。


 13:48
10分で大門の前まで来た。地図を持っていなかったのでいい感じだと思っていたけど、実際はまだ半分も来ていなかった。門を抜けると、先日ドキュメンタリーで見た五人百姓の露店が両側に並んでいた。


 13:59
すごく立派な建物なので一瞬御本宮かと思ったけれど、これは旭社。ここでタイムアップ。御本宮まで上がらず引き返すことにした。ここまで来て、という感じもするけれどお楽しみを次の機会にとっておくのも悪くない。電車に乗り遅れると次の用事が果たせなくなる。


 14:07
琴平駅まで15丁(1635m)、電車の時間は14時32分だからそんなに余裕はない。御本宮まで上がっていたら絶対に間に合わなかった。


 14:20
12分の余裕を持って無事琴平駅に到着、登り下りはそんなにきつくなかったけれど、時間に追われているのがきつかった。


 15:09
善通寺駅から神野寺で一緒だった歩きの人が乗ってきた。今回は善通寺までの区切りのようだ。今日の宿は宇多津駅の近くにあるけれど、丸亀でもう一つ用事を済ませなければならない。


 15:10
駅前にひときわ高くそびえるのはホテルαー1、9年前、最初の時に泊まったホテル。あのときのことを思うと本当に恥ずかしい。でもそれがなければ今回もなかった。


 15:19
丸亀城のお堀端までやってきた。今まで7回もここに来ておきながら国道から横目にちらと眺めるしかなかった。なにしろこの区間は41km歩いてその間に11の札所を巡らねばならない。宿に入るのが一番遅くなる区間だからとても寄り道などしている余裕はなかった。今回はどうしてもお城の前まで登りたくて無理矢理に電車の都合をつけた。


 15:34
天守は三層でややこぢんまりしているけれど、ここに登ってくるまでの石垣はそれは立派なものだった。やはり国道からでは何も見えていなかった。


 15:38
天守前広場から我拝師山、弥谷山が一望の下にある。


 15:39
今まで見た中で一番美しい讃岐富士、無理して登ってきた甲斐があった。


 15:44
姫路城より遙かに立派な追手門を抜けて城外に出る。


 15:57
いつも夕食を調達していたコンビニ(サンクス)がアルソックに変わってしまっている。3年経てば風景も変わる。


 16:23
本日、4日目の宿、「善根宿うたんぐら」にようやく到着。この宿ができて2年4ヶ月、当初からほぼ毎日、遍路の広場をチェックしているから、この建物が初めてのような感じがしない。ようやく来られた、と言うべきか、思ったより早く来られたと言うべきか。ご主人が出迎えてくれる。奥さんは親戚のお引っ越しの手伝いに行っていて不在だった。ご夫妻はご主人の定年を機に大阪からこちらへ移って遍路宿を始められたけれど、奥さんは元々こちらの人で、実家は70番札所本山寺の近くにあるそうだ。


 今日は女性の宿泊者がいないので、女性棟に通された。床の間に懐かしいナショナルのインターホンが掛かっていた。これと同じのが大学時代の部室にあった。誠之館という立派なクラブハウスがあったけれど、吹奏楽部は正門を入ってすぐ左にあった西村食堂の2階に間借りをしていた。部室も練習場もあったけれど電話はなくて、食堂に取り次いでもらうしかなかった。吹奏楽部に電話がかかると下からこのインターホンで呼び出しがかかる。幹部の誰かがスイッチを押して「すぐ行きま~す」と返事をしてぼろぼろの階段をダダダと駆け下りていく。現代の部員は想像もつかないことだろう。何しろみんな携帯電話を持っている。でも当時はそれが当たり前だったから不便だとも何とも感じなかった。それで、ぼくが幹部の時は1年に40回の依頼演奏を受けた。30人ほどで出かけて、1回10万円貰ってくる。もちろん全てクラブの金庫に入る。交通費は原則自腹、交通費を払って手元に一銭も入らない。それだけのお金が入りながら、定期演奏会のチケットも払わされる。幹部は400円のチケット50枚、売れる当てがないから全部自腹になる。部費は月500円。それでも文句も言わず続けてしまったのは、やっぱりフェスティバルホールの観客の度肝を抜きたかった、それにつきる。素人なりに音楽で人の心を動かすことができるのだと、思い上がったことを考えていた。


14日目 6月5日

2012-06-23 | 12年別格巡り


 5:57
アーケードの突き当たりに阿波池田駅の駅舎が見える。今日は大きな山に二つ登るので早めの出発になる。昨日の山下りがきいたのか太股の張りは残っている。


 6:00
昨日NHKのニュースで記者会見の模様が放送されていたばかりだった。


 6:04
県道5号と国道192号の間を東西に走るこの通りが昔の本街道、メインストリートだったのかもしれない。うだつの上がった立派な家が建ち並んでいる。中には空き家になってうだつが崩れかかった家もあってかつての栄華が偲ばれる、という感じの通りになっている。


 6:05
突き当たりはS字の急降下になっているから、やはりメインストリートは県道5号だったのかもしれない。


 6:09
国道192号に上がっていく。雨は降っていないけれど雲は厚い。夜明け前のような暗さだ。

国道には広めの歩道があって歩きやすくなっている。ここからは4年前に歩いた道になる。


 6:20
四国中央橋を渡る。


 6:21
四国中央橋は平成15年3月に開通した。ぼくが最初に購入したプロアトラスには載っていなくて当初は東側にある三好大橋を渡る計画を立てていた。


 6:23
箸蔵寺本堂の標高は540m、あの山のどのあたりになるかは分からないけれど、中腹よりは上にあるに違いない。


 6:32
国道32号を離れて山へ向かう。4年前はこの矢印がなくて、地元に人に尋ねて確認したことを覚えている。


 6:35
箸蔵小学校の前の橋を渡る。川は鮎苦谷川。


 6:36
左の急坂に入っていく。ここも4年前は少し迷ったと思う。


 6:45
目の前の陸橋は国道32号、土讃線を越える。

陸橋を渡ると登り口は目の前。ここから見てもかなりの勾配。


 6:46
この登り口は特徴的なのではっきり記憶に残っていた。


 このステッカーは初めて見る。ぼくはどちらかというと世界遺産にはなって欲しくないと思っている。


 7:00
山道は信じられないくらい暗い。完全に夜は明けているのに怖いくらいだ。山道の最初の部分は覚えていたけれど自動車道に出てくるところは完全に忘れていてちょっと迷ったりした。これは2回目の自動車道に出てきたところ。


 7:02
二つ目の自動車道を横断して山道に入るとまたすぐ3つ目の自動車道、この左の方にヘアピンカーブがあるようだ。


 7:11
やっと明るいところに出てきた。やはり山道のきつさと長さはほとんど記憶に残っていなかった。この先の石段の過酷さが印象に強かったせいもあるのだろうけれど。
 ロープウェイの支柱の先に山門が見える。4年前は意外と早く着いたものだと安堵したけれど、まだまだこれからが本番なのだった。


 7:13
山門を抜けると鳥居が待っている。4年前は首を傾げたけれど、箸蔵寺は金刀比羅宮の奥の院だということは参拝のあと学んだ。本尊も金毘羅大権現。ちなみに、デュークエイセスのにほんのうた、香川県の歌は「クンビーラ大権現」。作詞:永六輔、作曲編曲:いずみたく。


 7:17
橋の向こうに最初の石段が見える。

ここから先は大体記憶に残っているし覚悟もできている。


 7:19
2分登ってまだ先が見えない。


 7:20
3分登って右折、また先の見えない石段が続く。


 7;21
今度は行き着く先が見えているようだけど、ゴールはまだまだ先なのだ。


 7:24
行き着いた先には右折する石段が、今度はごく短いが。

ようやく広いところに出てきた。4年前はぬか喜びしたけれど、ここには本堂も大師堂もない。納経所があるだけなのだ。


 7:25
本殿はこちらの赤矢印、4年前はがっくり力が抜けた。本堂ではなく本殿となっているのはさすがクンビーラ大権現。

石段の先に今度こそ本殿が、と初めて来た人なら思うかもしれないけれど、甘い。あれは鐘楼殿なのでした。


 7:26
鐘楼堂の前を左折すればいよいよ最後の石段、遙か彼方に本殿の唐破風がのぞいている。


 7:30
山門から16分33秒かかってやっと本殿の前に到達した。登り口からだと43分だから、山門からここまで40%の距離を占めていることになる。山門までは本当に道半ばだった。

本殿は奥行きがあって見事な建物になっている。この豪壮さは1枚の写真ではとらえきれない。もちろんのこと国の重要文化財に指定されている。


 7:45
箸蔵寺は本殿にも大師堂にも蝋燭、線香をあげる場所がない。どこまでも金刀比羅宮なのでした。納経所で念珠をいただくと、水と塩分を摂ってようやく一息入れる。でも休憩はなしですぐ下山することにした。まだ先は長いし、このあとには最大の御山が待っている。


 7;56
山門まで戻ってきた。ほとんど休憩していないのに43分も境内にいたことになる。88ヶ所でこれだけ時間のかかる札所はない。88ヶ所で一番時間のかかるのは10番切幡寺か、21番太龍寺か、52番太山寺、いずれも35分以内には山門まで戻ってこれるはずだ。


 8:13
途中で道を間違えてロープウエイの近くの登り口に下りてきてしまった。


 8:29
ここを左折すれば四国中央橋だけれど、そのまま県道267号を直進する。本来であれば往きも帰りもこの道を行くのが正しいへんろ道。


 8:50
池田ダムの向こうに池田高校の校舎が見える。


 9:22
徳島自動車道の真下に何とか腰掛ける場所があったので休憩、朝食を摂る。登り口の白地郵便局の周りには休む処はなかったはずだからちょうど良かった。


 9:44
白地郵便局の手前を右折すると雲辺寺への登りが始まる。箸蔵寺山門から89分08秒で到着、4年前より1分早いけれど、降り口で100mほど近道を来たから同タイムと見ていいだろう。一番古い遍路シールが色落ちせずきれいに残っているのが嬉しい。


 9:53
こちらの登山道はほとんど自動車道だけれど、唯一の短絡路がこれ。


 9:56
自動車道に合流する、進行方向が逆になるので新しい矢印がある。


 9:59
幅の広い自動車道に入っていく。ここにも古い遍路シールがある。


 10:04
雲辺寺9kmの標識があるけれど、こういう距離表示は信用しないようにしている。


 10:21
前回来たとき、動けなくなってへたり込んだところ。今回はまだ休まなくてもいいけれど、同じくらい疲れている。ここは標高400mくらい。自動車道だけれど最初の2kmがとにかくきつい。


 10:29
雲辺寺まで6kmの標識。3kmを25分で来たことになる。平地でも不可能なスピードだ。やはり距離表示は信用できない。


 10:58
この少し手前で逆打ちの男性と会って少し立ち話をした。あごひげを蓄えたベテランの方だった。そういえば前回5月9日歯長峠ですれ違ったあごひげの男性がいた。話を聞くと彼は松山の人。同一人物の可能性は充分だ。ぼくが別格巡りをしていると言ったら、海岸寺や大滝寺への山道のことを丁寧に教えてくれた。


 11:13
三差路でお茶休憩、雨が降っていて座るところもないので立ったままの休憩。この2kmくらいは平坦に近い道が続いたのでかなり快調に歩くことができた。


 11:18
2kmを20分で来たことになる。間にお茶休憩も入れたからやっぱりおかしい。距離は短くなったけれどこれからがまたすごいことになってくるはず。


 11:20
県道は右へ折れて大興寺方面へ下っていく。この標高は610m、地図を見るとここからの勾配はこの手前2kmの勾配の倍以上の急峻さになっている。1時間半以上登ってきて最後に一番きつい登りが待っている。


 11:34
山頂の電波塔を確認、でも近づけば近づくほどきつくなってくる。完全に足が止まった。


 11:37
佐野からの登山道との合流ポイントが見えた、とはいってもゴールはまだまだ先。


 11:50
山門が消えていた。ようやく到達したのに目標物がなくなってしまったというのは、何ともやるせない感じ。白地郵便局から114分12秒、4年前より2分遅かった。4年前は暑くて水がなくてバテバテだったのに、今回より早かった。今日は水は充分あったし倒れ込むほどではなかったのに遅かった。確かに後半はスタミナが切れたし足も思うように出なかった。やはり丸2時間登り詰めの道のりというのはそうそう思い通りにいかないということか。


 11:53
新しい山門ができていた。ここだとロープウェイの参拝者も山門をくぐることができる。


 12:31
04年第6版の地図では、萩原寺へ下る道は大興寺へ下る道とは反対側に赤線が付いている。4年前その道を狙ったけれど降り口が見あたらなくて仕方なく大興寺の道から途中で左に折れた。07年第8版の地図からはその道は跡形もなく消えていた。赤線どころか道そのものがない。本当にその道はあるのか、あったとして下ることができるのか、はてなマークのまま登ってきたけれど、雨も降っているし、相当ばてているし、汗まみれで寒いし、時間もあまり余裕がないので、安全策を採って大興寺方面に下ることにした。


 12:41
別格への分岐点に順調に10分で到着。この6500mがくせものなのだ。


 13:15
分岐点から急降下の下り道が延々と続く。下っても下っても下りきれない。膝が悲鳴を上げそうになる。ここまで長くきつい下り坂であったことはやはりほとんど記憶に残っていなかった。900mは伊達ではない。そう簡単に下りきることなどできるものか。下り始めて45分かかってようやくロープウェイの支柱までやってきた。4年前より苦労している感じがしてならない。


 13:24
ロープウェイ駅が見えた。ようやく山道も終わり。でも、昔の道を歩けなかったから、あまり達成感もない。


 13:26
大興寺はこちらの矢印に従えば萩原寺に行けることになっている。4年前は首を傾げながら歩いたけれど、2回目だから迷う必要はない。


 13:31
この道しるべは4年前にはなかった。萩原寺という文字は最後まで見なかったと思う。だから最後まで確信は持てなかった。


 13:35
道が二俣に分かれている、右の方にいっても同じくらいの距離で萩原寺には行けるけれどせっかく大きな矢印があるので左に行く。

標識はどうしても大興寺がメイン、ロープウェイで雲辺寺に行く人、すなわち車遍路の人が次に行くのは大興寺だから仕方ない。別格に行く歩き遍路の人も昔はこの道は歩かなかったから萩原寺の標識がないのもしょうがない。


 13:59
雲辺寺から85分18秒で別格16番萩原寺に到着した。意外なことに4年前と同タイムだった。山道は半ばやけくそだったからとても前回と同じタイムが出るとは思っていなかった。山門をくぐる頃から雨が降ってきた。傘をさしながら本堂から大師堂へ、そして今回は迷うことなく納経所へ一直線。



 14:34
脇道の入り口に矢印があった。4年前は88ヶ所のへんろ道に合流するまで遍路シールは一切見なかった。


 14:48
大きな交差点に丁寧に直進の矢印、4年前は自作の地図を片手に歩いて、それでも迷いそうになった。もうそんなの全く必要ないようだ。


 14:51
最も重要な右折ポイントにもきっちり矢印がある。4年前は本当に半信半疑だった。


 14:52
前回はこの観音寺市の標識でようやく救われたのだった。


 14:55
2番目の右折ポイントにもきっちり矢印があった。やはり地図は全く必要なくなっていた。右折すれば突き当たりまで真っ直ぐ行けばへんろ道に合流する。


 15:12
雲辺寺から大興寺へのへんろ道に合流する。合流ポイントに新しい遍路小屋ができていた。これでいくつめだろう。


 15:27
萩原寺から59分29秒で本日の宿、民宿おおひらに到着した。4年前と同タイム、後半はスタミナ切れで力が出なかったし傘もさしていたから、このタイムが出るとは思わなかった。
 民宿おおひらは4年ぶり4回目の投宿になる。今まではいずれも素泊まりだったけれど、今回初めて夕食付きで泊まる。出迎えてくれた女将さんは4年前と違う人だった。4年前はおばあさんもいたから、具合が悪くなって面倒を見るために、知り合いか親戚の人に経営を譲ったのかもしれない。慣れないせいか、女将さんの愛想は良くなかった。でも感じは悪くなかった。食事も全く問題なかった。充分平均点以上、75点の良という感じだった。


13日目 6月4日

2012-06-13 | 12年別格巡り


 6:01
伊予三島から観音寺まで行くのが常だったけれど、今回は別格巡りなので、いくらか時間の余裕がある。朝も用意してもらえるので7時に出発すると伝えておいた。4年前は6時に出ると言ったのにお弁当を用意してくれた。お遍路をする最高の喜びは、こういう本当の遍路宿に当たること。


 6:42
朝食が早めに届いたので予定を早めて6時41分に宿を発つ。三島小学校の横を東へ。


 6:45
04年から3年連続でお世話になった大成荘、値段は高雄と同じ素泊まり3000円だけど、部屋、お風呂、トイレ、布団、どれも高雄の方が1枚上。07年に満室で断られてラッキーだった。


 6:49
市役所の手前のコンビニでお茶を買う。この前の道はへんろ道ではないけれど、駅の近くの宿に泊まったお遍路はほとんどこの前を通るのでベンチが置いてある。コンビニのベンチのありがたさは実際に四国を歩いた者でないと分からない。


 6:56
国道11号の交差点、4年前までは市役所の側のコンビニがなかったのでこちらのコンビニで食料を調達していた。


 7:00
新旧遍路シールのそろい踏み、一番古い遍路人形のシールが残っているのが嬉しい。


 7:06
松山自動車道の下を抜ける。


 7:22
今回も古い遍路道は行かず、新しい自動車道とその短絡路を行く。古い道は雰囲気のあるところもあるけれど最後の方はかなりきついところもあって時間もかかるので、1回で充分という感じ。


 7:24
最初の短絡路を上がってきたところ。


 7:25
車の人にも歩きにも分かりやすい大きな道しるべ。舗装されているけれどこれも短絡路。


 7:28
山道に向かって上がっていく。


 7:29
三角寺までの唯一の山道に入っていく、勾配はなかなかだけれどそんなに長くは続かない。


 7:32
自動車道に上がってきた。短絡路はここでおしまい。ここからは三角寺までほぼ平坦な歩きやすい道が続く。


 7:34
おそらく四国で一番でかい矢印、距離は正確。


 7:47
こちらは正確ではなくて700m近くあるはず。


 7:50
古い遍路道が合流してくるところだと思われるけれど、定かではない。何しろぼくが歩いたのは6年前で雨も降っていて最後の方の記憶はほとんどない。


 7:54
宿から65分07秒で65番札所三角寺に到着した。ベストより1分早かった。昨日は12kmしか歩いていないから当然の結果。


 8:04
大きな下向きの矢印の横に小さい矢印が上を向いているけれど、訳の分からないまま下の道に行ってしまう歩きの人もいるようだ。下に行くとかなり遠回りになるしアップダウンも激しい。


 8:09
4年前、別格13番仙龍寺に行く道を自動車道にするか山道にするか前日まで迷って、結局自動車道を歩いた。自動車道は遠回りにはなるけれど峠の標高が480m、山道の最高点は780mにもなる。自動車道の方には赤線はないけれど確実だし楽だろうと思った。その選択が正しかったどうか、今回は山道を歩く。

 山道の入り口はこんな感じ。


 8:10
本堂のすぐ下の所にやってきた。でもこの近道はマナー違反だからね。納経所に行けば大して近道にもならないし。


 8:11
ちょっと心配になりかけてきたときにきっちり道しるべが現れて胸をなで下ろす。


 8:12
ちょっと広いところに上がってきた。道しるべは確実にある。


 8:15
かなりいい感じのへんろ道。ぼくの大好きなタイプの道だけど、こういう道に限って長く続かない。


 8:19
山の中に入っていくと立派な道しるべがあった。この道が確かにへんろ道であるということだし、奥の院、別格13番に行く人が少なくなかったということでもあろう。


 8:32
平坦な所に出てきたけれど、まさか峠ということはないだろう。ここまではそんなに厳しい坂もなくいい感じの山道が続いた。

 8:54
自動車道に上がってきた。ここまで来ると峠も近いはず。

自動車道を横断してすぐ山道へ。


 8:56
なだらかな道に上がってきた。


 8:57
いきなり峠に出てきてちょっと不意をつかれた感じ。ここまでの時速は3km強、山道の中ではきつい方だ。


 9:41
峠から2.1kmと書いてあったから30分くらいで下りてこられると思っていたら、とんでもなかった。最高に過酷で危険な下り山道が続いてスピードどころではなかった。下りで過酷なところはいくつもある。雲辺寺、横峰寺、焼山寺、三坂峠、鶴林寺、でも大体時速5kmくらいは出せるし、危険なところもほとんどない。しかし、この別格13番はどうにもならなかった。無事に下りてこられただけで満足するしかなかった。結局4年前の自動車道より10分も余計にかかってしまった。三角寺の納経所の人がこの道を薦めないのも納得がいく。そういうことで写真は1枚も撮れなかった。

 10:05
納経所の前を通ると、「納経帳を出してもらえれば先にしておきますよ」と声をかけられた。「念珠だけなんですが」と答えると「それでも結構ですよ」と言う。納経と念珠は一体のものだと袋に書かれているし、念珠だけではだめだと言われる納経所もある、という情報(事実かどうかは不明)も見たことがあるからちょっとどっきりした。お参りを済ませつつがなく念珠をいただくことができた。


 10:16
水屋では龍口から勢いよく山の水が噴き出している。飲んでみるととても自然でうまい。せっかくなのでペットボトルに1本詰めていく。予想以上に山道に時間がかかって、太股の筋肉も少し張りが出てきた。歩きに影響が出るほどではないけれど快調という感じではない。少し疲れが残っているかもしれない。


 10:17
札所の前から500mくらいは国道を行く。


 10:56
堀切トンネルの入り口までやってきた。この手前の登り坂は4年前の記憶以上にハードな感じがした。全体にスピードも乗らなくて時速6kmも出ていない。仙龍寺手前の下りで見えないダメージを受けていたのかもしれない。


 11:08
ようやくトンネルの出口、時速6kmは出ているようだけど、やはり快調ではないことははっきり感じる。


 11:25
三角寺からのへんろ道に合流。トンネルからはずっと緩やかな下りで歩きやすかったけれど前回ほどスピードが乗っているかはよく分からない。


 11:31
いつもならはっきり見える雲辺寺山の電波塔が霞んで確認できない。今回は今日登るわけではないから例年のような感慨はない。


 11:32
こんな所に宿泊所の看板が・・・

別格12番延命寺の近くの宿からここまで23kmくらい、民宿岡田まで行くのはちょっときついという人にはちょうどいい場所になる。翌日も雲辺寺を越えて大興寺まで無理のない距離になる。このあたりに宿があれば重宝する人が多いはずだと前々から思っていた。


 11:35
3年前にはなかったお遍路さん休憩所ができていた。


 11:36
椿堂まで休むつもりはなかったけれど冷蔵庫があったのでふらふらと吸い寄せられた。


 11:37
冷たい麦茶を2杯いただいてすぐ出発、予定より時間がかかっているのでゆっくりすることはできない。


 11:42
高知自動車道の下を抜ける。


 11:54
仙龍寺から97分29秒で別格14番椿堂常福寺に到着した。4年前より1分遅かった。やはり前回に比べて身体の動きは鈍かった。


 12:15
お参りを終えて休んでいると男性と女性の歩き遍路さんがやってきた。女性は昨日コンビニの先で追い抜いた人だった。伊予三島駅の近くの宿に泊まって今日は民宿岡田までの19.3km。かなり短いけれどその次の宿となると雲辺寺を越えた向こうの青空屋、9km先になるから無理をしない人も多いようだ。


 12:23
もっとゆっくり休みたかったけれど、まだ18km以上歩かねばならない。余裕のないまま14番をあとにすることにした。札所の前の地面に道しるべがあった。


 12:25
別格を出たところに次の別格の案内板があるのは自然なことだけれど、箸蔵寺に行くお遍路さんはごく少ない。


 12:49
国道192号を2kmほど行くと、また新しい遍路小屋ができていた。これでいくつめだろう。改めて3年という歳月を感じる。


 12:54
今日の宿は池田の駅前だから、この距離表示が正しいのであればあと15km歩くことになる。


 13:09
境目峠の道しるべを初めて確認した。4年前椿堂で会った、60日で一巡した北海道の夫婦遍路さんは、とにかくトンネルが嫌いでこの道を歩くのだと言っていた。トンネルを避ける道があるのは知っていたけれど、その入り口を確認したことはなかった。

こちらがその入り口。


 13:15
時間も体力もないので当然トンネルを行く。この少し手前で身体が動かなくなってへたり込んでしまった。休むつもりはなかったけれど、水とスナックを摂って一息ついた。やっぱり13番の手前の下りが尾を引いているのかもしれない。


 13:24
855mの境目トンネルを9分かかって抜ける。調子は芳しくない。

これから丸1日は徳島県三好市を歩くことになる。


 13:37
国道を離れて佐野の集落へ下りていく。


 13:40
お遍路の間では名高い民宿岡田、でもぼくはまだ一度も泊まったことがない。


 13:41
椿堂から70分33秒で佐野郵便局まで来た。ベストより3分遅い、途中でへたり込むくらいだから納得のタイムではある。


 13:56
徳島自動車道を見上げながら国道を東へ東へ。


 14:25
この1.5kmほど手前から国道を離れて脇道を歩いてきた。4年前来たときはたぶんずっと国道を歩いてきたと思う。脇道の入り口に新しい矢印があったので入ることができた。4年前にはなかったと思う。ここで合流してあとはずっと国道を行く。


 14:29
JAの前のバス停に腰掛けがあったので一休みすることにする。トンネルの手前から1時間以上歩き続けて限界に近いところまで来ていた。


 14:47
天神トンネルが見えた。白地の町が近いことは何となく分かっている。


 14:49
次は白地トンネル、さらに町が近い。


 14:59
あと400mでやっと吉野川、池田大橋だ。


 15:02
5月11日に宇多津町の善根宿うたんぐらに泊まった韓国の崔さんが貼ったと思われる韓国語の遍路シール。

ここから箸蔵寺に向かうにはシールの通り白地郵便局の角を左折するけれど、ぼくは阿波池田駅前の宿に向かうので直進して川を渡る。


 15:08
佐野郵便局から75分16秒で池田大橋のたもとまで来た。前回は橋の手前で右折して南側の宿に向かったから正確な比較はできないけれど、大体2分くらい遅かった計算になる。前回は絶好調で歩いた記憶があるから、思ったほど遅くはなかったことになる。

三郎と名がつくだけあって怖いくらいの迫力がある。


 15:15
池田高校の野球部が徳島自動車道の下をランニングしていく。ぼくを追い抜いていくたびに「こんにちは」と大きな声で挨拶していく。習慣なのだろうけれど、とても気持ちいい。もちろんぼくも大きな声で返す。上はアンダーシャツだけれど、ズボンはあの懐かしいブルーのラインの入ったユニフォーム。甲子園に出てこなくなってもう10年以上になるだろうか。


 15:29
4年前にも入ったコンビニで夕食を調達する。今日の宿も素泊まり。


 15:42
コンビニから池田の中心部へ入っていく道は初めて歩く。思いがけず見晴らしのいいところに出てきた。阿波池田駅の全貌がよく見渡せる。


 15:46
池田高校の通用門の前に来た。池田高校は高台にあって、この道はその崖下を走っている。


 15:48
意外なことに駅前通はアーケードだった。でも車はバンバン走っている。


 15:49
第二目標の4時までになんとか本日の宿寿司六旅館に到着した。池田に泊まるのは2回目、この宿はもちろん初めての投宿になる。駅前には4つほどの宿があるけれど、ホームページに素泊まりのみで3500円とはっきり書かれていたので迷わずこの宿に決めた。昔はかなり繁盛した感じだけど、現在はこの右の奥で経営しているイタリアンレストランが本業のようだ。玄関は深閑として人の気配がない。ブザーを押すとレストランの方から若い奥さんが出てきてくれた。ぼくを見て「お遍路さんですか」と訊く。やはり、この地にお遍路さんが来ることはかなり珍しいようだ。別格巡りの人でも、民宿岡田に泊まって、箸蔵寺を往復して岡田に連泊する人が多いかもしれない。奥さんは愛想もよく感じはよかった。お風呂は早いほうがいいと言ったらすぐ入れてくれた。ステンレスの一人用の湯船が横に二つ並んでいる。こういうパターンは初めて。ぼく好みの熱い湯でとても気持ちいい。部屋はすごく新しい。畳も壁紙もふすまも全部張り替えたばかりのようで、一見新築ではないかと思うほど新しくきれい。しかも部屋が大きい。12畳くらいあって使い切れないほどだ。お茶は食堂にあって、インスタントコーヒーの用意もしてあった。この大きな旅館に客はぼく一人だけだった。観光資源がさほどあるわけではないし、池田高校も20年も甲子園に出ていない、お遍路さんも滅多に来ないとなると、素泊まり専門にしてレストランを本業にしていくしかなかったのだろう。理想的な宿だけれど次いつ別格に来るか分からない。


12日目 6月3日

2012-06-10 | 12年別格巡り


 7:36
23日ぶりに姫路駅に戻ってきた。3週間前には何もなかった駅前に駅ビルの骨組みが立ち上がり始めている。

5回目、最後の区切り打ちの旅が始まる。5回目は一番長く5泊6日になる。


 7:40
今回は愛媛県の東の端、四国中央市からなので特急には乗らない。


 12:14
岡山駅の乗り換えが4分しかなくてちょっと心配だったけど、無事定刻12時13分に伊予土居駅に到着した。この駅に降り立つのはもちろん初めて。ここから別格12番まで1kmもない。


 12:21
駅前通の突き当たりに蔦廼家が見える。あの角を折れると駅に行き着くことは知らなかった。駅を気にしながら歩いてはいなかった。


 12:30
こちらから行くといざり松が出迎えてくれる。いざり松は別格12番延命寺のシンボル、弘法大師お手植えの松とされる。その枝は東西30m南北20mに傘状に広がりその名が付いた。昭和43年に枯死して、幹の一部が保存されている。

駅から9分で別格12番に到着。



 13:19
延命寺には車遍路の人が二組いただけ。歩きの人はこの近くの宿に泊まる人が多いからもっと後の時間に来る。伊予三島まで行く人でももう少し後になる。
 8年前ここに来たとき、ため池の護岸工事中だった。その前は岸に腰掛けて休んだこともあった。風景は変わっていく。


 13:22
国道11号を横断する。ここからはずっと国道の山側を歩く。車の通りも少なく街道の雰囲気が残るとても歩きやすい道。


 13:42
松山自動車道土居インターチェンジへ上がっていく道を抜ける。松山道は山際すれすれを走っている。


 13:59
10mほど先で道が二俣になっている。分かれるところの電柱にも矢印はあるけれど手前にも念のため貼ってある。ぼくが歩き始めた頃にはもちろんなかったものだ。


 14:14
ファミリーマートは健在だった。この近くの国道沿いにあったコンビニが3軒廃業していた(ぼくが四国に来るようになった4~5年の間に)のでちょっと心配していた。このコンビニは表が国道に面して、裏が遍路道に面しているので本当にコンビニエンス。今日の宿は素泊まりなので夕食を調達する。


 14:20
この工場のこの文字はずっと遠くからでもはっきり見えていて、あれはいったい何だろうとここに来るたび思っていた。コンビニの前から見るとその意味がはっきり読みとれる。王国のひとつの象徴だったというわけ。


 14:33
コンビニの少し手前の道ばたで休んで地図を見ていた女性のお遍路さんがいた。その人がぼくがコンビニで休んでいる間に先に進んだようだ。この時間にここまで来るということは今日は新居浜の宿から着たに違いない。新居浜から伊予三島まで24kmくらい。この間札所もなくほとんど平坦な道ばかりだけれど女性にとってはちょうどいい距離かもしれない。


 14:58
3年前にできていてびっくりした新しい国道11号の交差点。この部分では国道11号はJRの北側南側2本に分かれていてこちらは主に国道192号で徳島に向かう車が使う。


 14:59
交差点に新しい遍路小屋ができていた。これは3年前にはなかった。


 15:02
街道を離れて右折するポイント、ぼくはいつも伊予三島駅の近くの宿に泊まるのでここを右折したのは9年前の最初の時だけ。


 15:06
郵便局の交差点まで来た。本日のゴールも近い。


 15:08
踏切まで107分23秒で来た。ベストより8分も早かった(平均時速は6.76km)。でも、いつもは36km歩いていて、今日は12kmしか歩いていないから当然の結果だとも言える。足の調子はすごく良かったからこれくらいのタイムは出るだろうと思っていた。


 15:15
駅のすぐ北のアーケード、日曜の午後だというのに全く人通りがない。半分以上シャッターが下りている。


 15:17
1日目の宿、ビジネス旅館高雄に到着した。3年ぶり4回目の投宿になる。いつもご主人が応対してくれていたのに今回は奥さんが応対してくれた。笑顔がとても感じいい。高崎さんが言われたように素泊まり専門になっていた。ただしお遍路には朝食のおにぎりがお接待してもらえる。


11日目 5月11日 

2012-05-28 | 12年別格巡り


 6:21
いよいよ最終日が始まる、今日は歩く距離は少ない。


 6:23
ここから松山市駅までバスに乗る予定だったけれど、今日は歩く距離が少ないし時間の余裕もあるので、鷹ノ子まで歩いて電車で市駅に戻ることにした。


 6:30
こんな所にマンダリンパイレーツの独身寮があった。ぼくは6年前高知ファイティングドッグスのキャップをかぶって四国を一周した。


 7:04
昨日と同じコンビニで昼食とお茶を調達。ゴミ箱の横にあるザックはぼくのあとから来た野宿遍路さんのもの、昨日は八坂寺の通夜堂に泊まったようだ。八坂寺は野宿の人たちにはよく知られている。


 7:17
西林寺の横を通過する。鷹ノ子まで2km半。


 7:39
伊予鉄の踏切を渡る。鷹ノ子駅は右折してすぐ。

 右に折れるとすぐ駅舎が現れて、しかも駅名の看板もなく少しとまどってしまう。この時間なのでホームは通勤通学客でいっぱい。


 7:59
満員電車に揺られて松山市駅に到着、JR松山の電車は9時28分発なので松山城に登ることにする。

 4年前泊まった駅前のカプセルホテルは健在。安いのはいいけれどやはりお遍路にカプセルはよくない、ドミトリーのホテルエコ道後か相部屋の道後あいの方が余程いい、と今なら判断がつく。


 8:06
松山市役所にロンドンオリンピック出場を決めた選手の大きな垂れ幕がある。4年前に来たときには女子マラソンの土佐礼子選手の垂れ幕があった。これにはどういう意味があるのだろう。


 8:09
市役所と県庁の間、現在NTTがあるところが「坊っちゃん」の舞台となったところ、お城の前の超一等地だった。


 8:10
二之丸史跡庭園の手前から東の方へ登っていく。後から分かったことだけど、この道は明治になってから造られた登山道で、江戸時代には全く影も形もなかった。江戸時代の気分を全く味わえないのは少し残念。


 8:26
33年ぶりに松山城の前まで上がってきた。そのときは天守閣の上まで上がったけれど、今回は時間の余裕がないので中には入らない。


 8:34
城下の眺めは抜群、瀬戸の海も見える。今回はあの海の横を歩くことはない。お遍路はやっぱり歩かないとね。


 8:37
昭和40年代に再建された門や櫓もあるし立派な石垣も多く残されているのでくまなく縄張りを見て歩きたいけれど、時間がないので登ってきた道を引き返すだけにならざるを得ない。


 山を下りて堀端にある地図を何げなく見ていると、済美高校の文字が目に留まった。少しだけ遠回りになるけれど無理な距離ではないのでやってきた。

 学校の外の道からでもこの記念碑が見られるように作られている。


 9:10
15分ほどの余裕を持ってJR松山駅に戻ってきた。


 9:13
1番ホームにしおかぜが停まっている。帰りは特急には乗らない。そのあとに来る伊予西条行きに乗る。ベンチにお遍路さんが座っている。区切り打ちで家に帰るのであれば高速バスか飛行機が定番、ましてや特急にも乗らず普通電車に乗るというのはまだ続きがあるということに違いない。予想通り、53番札所円明寺の近くの伊予和気駅で降りていった。昨日53番まで歩いて電車で道後に戻ってまた続きから歩くということらしい。長珍屋に泊まるとどうしても道後温泉を行きすぎて53番まで行ってしまう、せっかく松山に来たのだから道後温泉に泊まりたいというのは人情。


 10:30
車窓からしまなみ海道、来島海峡大橋を望むことができる。また途中の駅から歩きへんろさんが乗り込んできた。53番から54番までは34kmあるし、遍路道沿いをJRが走っているのでワープする人もいるようだ。まもなく今治に到着する。


 11:02
一つ前の伊予桜井駅からも女性のお遍路さんが乗り込んできた。昨日は仙遊寺の宿坊に泊まって、国分寺まで歩いて、電車で伊予小松駅まで行くに違いない。香園寺、宝寿寺、吉祥寺と打って横峰寺は明日登るのだろう。それにしても今日こんなに歩きの人に会うとは思わなかった。乗り物を使いながら歩いている人は本当に多いし何より例年以上に多くの人が四国に戻ってきているという感じが強い。


 11:07
伊予三芳駅から5分で今まで5回お世話になった敷島旅館の前まで来た。ここからタイムチェックが始まる。


 11:14
大明神川を渡るところで遍路道に合流。


 11:31
東予西中学校を少し過ぎたところで前を行く男性に追いついた。この時間こんな所を歩いている人がいるとは思わなかったのでちょっとびっくり。仙遊寺から来たのであればかなり早いし、湯ノ浦温泉からだとかなり遅い。


 11:34
注目していたお遍路さん接待所「鈴なる」の前にやってきた。ベンチとテーブルはあるけれどお茶の用意はしていない。玄関を開けて声をかければお接待してもらえると思うけれど、なかなかそこまでできるものではない。宿泊できるという情報も1度だけ見たことがあるけれど定かではない。来年来ることがあったら電話で確認するつもりだ。


 11:45
遍路道をはずれて別格10番西山興隆寺に向かう道に入っていく。この少し手前でも歩きの男性を追い抜いた、野宿のようだったから横峰寺の登り口にある遍路小屋で泊まるのかもしれない。


 11:46
のどかで豊かな田園が広がる、そして背後には神の山が控えている。つくづく眺めてしまう。


 12:01
徳田小学校の前に大きな道しるべ。ここから山登りが始まってくるのはもちろん記憶に残っていなかった。


 12:06
県道151号を離れて右折。


 12:23
敷島旅館から70分26秒で別格10番西山興隆寺の山門までやってきた。本堂までは長い長い石段を登らねばならないのでまだ道半ばといってもいい。4年前より4分も早くてびっくりした。今回の旅では足の痛みが残っていて本来の歩きができなかったけれど、最終日の午後になってようやく力強い歩きが戻ってきた。


 12:40
興隆寺の本堂は国指定重要文化財、4年前は撮影できなかったのできっちり押さえておく。


 12:57
目の前の山が神の山かどうかは分からない。でも高い峰を見るとどうしても意識して眺めてしまう。


 13:01
別格の道となると遍路標識が全く見られないところもあるから、この一つがとてもありがたい。


 13:07
県道151号を横断する。

 古い遍路シールも色落ちしていない。


 13:10
橋まで来ると右折、要所にもれなく遍路標識がある。


 13:11
手前の小山のふもとに目指す別格11番札所があるはず。


 13:24
県道48号の交差点が見えてきた、最後の目標もいよいよ目の前。


 13:25
興隆寺から31分17秒で別格11番札所生木地蔵に到着、4年前より1分早かった。

 今回の旅の目的全てを果たし、壬生川駅に向かう。


 14:05
生木地蔵から壬生川駅までは5kmくらい、もちろん遍路道ではないしほとんどが初めて歩く道になる。今治小松自動車道の下をくぐる。


 14:11
ヤマダ電気の一つ先の信号から900mほど先までは2回歩いたことがある。敷島旅館から60番横峰寺より先に61番香園寺に向かう道がこの道になる。1回目の時は横峰寺の登山道が土砂崩れで歩けなくなってこの道を行くしかなかったのだ。


 14:21
元は東予市役所、今は西条市役所東予総合支所になっている。この交差点を左の方から来てヤマダ電気の方へ歩いたのが6年前と7年前。


 14:27
予讃線を越える。壬生川駅のホームも見えている。


 14:32
20分の余裕を持って無事壬生川駅に到着した。興隆寺でも生木地蔵でもほとんど休憩をとらなかったから楽々という感じでもなかった。

 4回目に出る前には6回で20番まで行く計画だった。あと3泊4日を2回、のつもりだったけれど、4回目を歩いているときにあと1回でまとめてしまうことを思いついた。5泊6日で最後まで行くと1万円以上の節約になるし、何より梅雨に入る前に全部歩くことができる。天気予報をチェックしているけれどdボタンの予報とテレビで放送されている予報がかなり違っていてどちらを信用していいのか迷ってしまう。


10日目 5月10日

2012-05-22 | 12年別格巡り


 6:09
信号を右に折れると西大洲駅の方に行く。初めての道ではチェックできるポイントはきちんとしておかないと何が起こるか、どこで迷うか分からない。


 6:22
でっかい道路標識が出石寺の方角を指し示している。

 標識に従って右折、橋を渡る。川は肱川の支流久米川。


 6:23
本日最初の赤矢印を発見。このみちは赤線のついている道ではないけれど、大洲に泊まってからこの道に来る人も少なくないから、考慮して貼ってくれている。


 6:24
出石寺21kmの標識、この三差路で遍路道に合流。遍路道は向こうから来てこの角を右の方へ行く。

 向こうから来た人とこっちから来た人のためのシールが二つずつ。


 6:29
予讃線の踏切を渡る。左に300mほど行くと伊予平野駅。


 6:38
気になっていたポイント、左側の道は10年ほど前にできた新しい近道。


 6:40
合流ポイントの少し手前に地蔵堂への登り口があるようだ、地図を見ると明らかに地蔵堂の方が近道だけど今回は直進する。


 6:49
向こうの道路の感じを見るとヘアピンカーブは近いようだ。


 6:51
ヘアピンカーブにやってきた。ここから県道を離れて直進する。

 角度的にちょっと微妙な道路標識。


 6:55
右車道、左歩道の遍路標識。いよいよ山に入っていく。ここはまだ標高120m。


 7:01
右へ曲がる舗装道を離れて直進、ここからが本当の山道だ。

 へんろ道左出石寺、標識も確認。


 7:04
3分ほどで舗装道に上がってきた。


 7:05
舗装道に上がるとまたすぐ山道に入る。

 へんろ道 番外霊場出石寺、の標識を確認。


 7:08
再び舗装道に上がってくる、横断してすぐ山道に入る。


 7:13
また舗装道に上がってきたけれどここが最初の迷いどころだった。

 標識がぶら下がっていたので間違いないと確信できたけれど、どう見ても民家に入っていく道にしか見えなかった。


 7:14
民家の横に申し訳程度にへんろ道が続いていた。


 7:18
自動車道に上がってくる。ちゃんと赤矢印がある。

今度はしばらく舗装道を歩くはず。この地点の標高は280m、出石寺の標高は812mだからまだまだ序盤だ。


 7:24
見晴らしのいいところに出てきた。標高300m程度とはいえ相当な山の中。


 7:29
山道の入り口が見えてきた。

 山道とはいえ明らかに車が入っている。この轍がちょっとしたくせ者だった。


 7:30
轍の道を行くとすぐ左に入る。遍路標識はあるけれど轍に気をとられて真っ直ぐ行ってしまう人がいても不思議ではない。


 7:31
遍路標識が指している左の方は少し下りになっている。地図を見るとちょうど大洲市と八幡浜市の境界になっていた。


 7:37
ここまで500mくらい全く標識も何もなくてとても心細かった。一本道ではあるけれど道は荒れているし初めて歩く道だから何の確信もない。こうして一つでも遍路札があるとすごく安心する。評判の遍路宿ときわ旅館さんがつけてくれたものだ。


 7:44
ようやく舗装道が見えてきた。ここまでは下りも多かったけど決して歩きやすい道ではなかった。初めての道は先が読めないから精神的にもかなり疲れる。


 7:51
ほぼ平坦な舗装道を600m歩いてくると山道の入り口が見えてきた。この山道を入るとあとは1度舗装道を横断するだけで出石寺まで全て山道になる。ここの標高は380m、まだ半分も登っていない。


 7:52
山の中へ入っていく。宿を出て2時間も歩き続けているのにまだここまでかという感じもある。目標としていた2時間半以内には着けそうもない。


 7:56
倒木がいたるところで遍路道をふさぐ。こんなに荒れた道は経験したことがない。倒木だけでなく枝打ちされたものが道の上に重なってさらに歩きにくくなっている。


 7:59
最後の舗装道に上がってきた。ここの標高は470m。


 8:00
舗装道を横切るとちゃんと遍路標識がある。


 8:01
わかりにくい道だけど道しるべがあるので迷わず入ることができる。


 8:08
山道が右側に大きく曲がって、4年前登ってきた道との合流ポイントが近いことを肌で感じる。


 8:09
4年前登ってきた道に合流、やれやれだ。ここからは迷ったり道をはずす心配はない。でも、この道を知らなくて初めてここに来た人は、このポイントから逆に行ってしまうこともありそうな感じだった。合流してからは「く」の字に折れて反対の方角に行かねばならない。写真のように頼りなげな道しるべもあるけれど、見逃して今来た方角をまっすぐ行って下ってしまう人も少なからずいるのではないかと思ったりした。
 ここの標高は550m、出石寺まであと1.7km、たっぷり30分はかかりそうだ。


 8:35
4年前に往復しているので、合流してからは快調だった。イメージの残っているところも多くて思い出しながら歩いた。ただ、やっぱり長さと坂のきつさはほとんど忘れていた。辛く苦しい所から忘れていくのが人間の本性らしい。ゴールが見えてきたようだ。


 8:36
ぼくの知る限り四国で2番目に大きなお大師さん、ここはまだ境内ではない。

 山門までまだこれだけの石段を登らねばならない。


 8:38
大洲郷土館から2時間38分57秒で何とか別格7番金山出石寺に到着した。予定していた時間より9分余計にかかったけれど、本当に甘くはない道のりだった。4年前は2時間9分だったからちょうど30分余計にかかったことになる。4年前の道は下り道ではあったけれど、登るのにも良い道であったと痛感する。郷土館のお手伝いの人が熱心に教えてくれた意味も改めてかみしめる。卯之町の宿を出て、大洲に入る前に出石寺に登ってから大洲の宿に入るということは余程の荒技であることも判った。でも、ぼくは地蔵堂の登山道もいつか歩きたいと思っている。

 お参りを終えて念珠をいただくと、もうほとんど時間の余裕はなくなっていた。水分と塩分だけはきっちり摂って、休憩なしで下山することにした。


 9:32
出石寺を下って2.5km自動車道に合流する。9時10分に出たから時速6.5km以上で下ってきたことになる。歯長峠などより緩やかで下りやすい道ではあるけれど思った以上にスピードが乗っていた。

 歩道山道は2.5kmだけど自動車道は7kmもある。ここから600mほどは登りになる。下りの途中の登りはダメージが大きい。


 9:39
ようやく峠(八幡浜市と大洲市の境)までやってきた。ここからは下るばかり。この少し手前で歩き遍路さんとすれ違った。4年前もこの近くですれ違った。大洲の宿を7時過ぎに出るとちょうどこれくらいの時間になるようだ。


 10:24
4年前このあたりまで登ってきたとき、こんな高いところまで来た、と感慨深げに冨士山と大洲城を眺めたものだったけれど、今回はもうこんな所まで下ってきたという感じ。この標高は300mくらい、冨士山の頂上とほぼ同じ。


 10:29
最初の短絡路、ここまで来ると下りも終盤。標高は230m。

 短絡路の入り口。


 10:30
1分ほどですぐ自動車道に合流する。


 10:31
二つ目の短絡路は通行止め、4年前もそうだった。たぶん5~6年前までは歩けたのだと思う。道が荒れて危険なところがあるのかもしれない。


 10:38
三つ目の短絡路も通行止め、この遍路標識も無駄なものになってしまった。


 10:44
最後の山道に入る。山道といってももうここの標高は120m、半分以上が平坦な道だという記憶がある。大洲郷土館まであと1.5km。


 10:55
下界、登り口が見えてきた。でもこの道は下りのための道なので、ここから登るときに登り口には一切標識もシールもない。ここさえクリアすればあとは迷いどころは全くないのだが。


 10:56
下界まで下りてくると正面に冨士山。


 10:57
予讃線の下をくぐり抜ける。


 11:03
久米川に架かる新しい橋を渡る。けれど4年前はこの橋もその手前の道路もなかったと思う。4年前はここより250mほど肱川よりの所を渡った。しかも橋ではなく水がなくてそのまま渡れるようになっていたと記憶している。そこは完全に地形が変わって水があって橋もなく渡ることができなくなっていた。4年の歳月に最も驚かされた瞬間だった。


 11:12
肱川橋まで戻ってきた。前回はこちらの橋を渡らず十夜ヶ橋まで行ったので正確な比較はできないけれど、大体で換算してみると5分ほど遅かったことになる。往きの道のりが全然違ったからその影響もあるかもしれない。


 11:20
ときわ旅館の前を通過。まだ一度も泊まったことはないけれど、来年来ることがあったら投宿したいと思っている。


 11:24
伊予大洲駅まで何とか戻ってきた。電車の時間まで20分ほどしかない。キオスクでアクエリアスを買って一息入れる。


 12:59
定刻より3分ほど遅れて列車は松山駅に到着した。松山駅の前に出てくるのは33年ぶりだ。そのときの駅前の様子はほとんど覚えていないので、変わったのか変わっていないのかはよく分からない。徳島駅、高知駅、高松駅と比べてかなり地味なので30年前のままなのかもしれない。


 13:14
伊予鉄松山市駅の前までやってきた。JRから1.5km、15分ほどの道のりだけど初めて歩く道で地図も持っていなかったので、やはり長く感じた。迷いようのない道だけど初めての道はどうしても緊張感がつきまとう。


 13:19
松山市駅に来るのは2度目だけれど4年前は降車するだけだった。横河原行きの電車がどこから出るのか分からなくて少し迷いながら1階の横河原線のホームに来た。


 13:33
49番札所浄土寺の最寄り駅久米駅に到着、ここから46番札所まで逆打ちをする。


 13:42
久米駅から4分で浄土寺に到着、へんろ道に合流する交差点で歩きの男性が50番札所に向かって行くところだった。この時間だと、繁多寺と石手寺をお参りしてちょうどいい時間に道後温泉に着く。浄瑠璃寺から道後温泉までの14kmの間に遍路宿はないから、今日はもう歩きの人には会わないかもしれない。


 14:19
浄土寺から28分23秒で48番札所西林寺に到着した。ベストより1分遅かった。電車の中で充分休んだけどまだ山登りの疲れがとれていないのか。いつもとは逆の風景で新鮮だったし、とても長く感じた。逆打ちの難しさを少しだけ味わったような感じがした。


 14:41
重信川に架かる久谷大橋を渡る。


 14:47
今日の宿は、昨日一昨日の宿とは違って素泊まり宿ではないけれど、団体さんが多いので素泊まりで予約している。故に橋を渡ってすぐの交差点にあるコンビニで夕食の調達をする。贅沢をして野菜ジュース500ccを買ってしまった。


 14:59
番外霊場札始大師堂、衛門三郎のゆかりの地らしいけど詳しいことは知らないしお参りしたこともない。


 15:11
西林寺から33分10秒で別格9番文珠院に到着した。ベストより2分遅かった。

 親玉にはお大師さんの御影があるのが値打ち。
 納経所から出てくると男性がお参りに来ていてぼくに話しかけてくる。こんな時間に珍しいなと首を傾げていたら、彼はバイク遍路さんだった。それもぼくと同じで別格だけを巡っている。彼は5~6年前に自転車で88ヶ所を巡って大変な思いをしたそうだ。自転車で28日かかった。自転車は山道ではお荷物にしかならず懲りたので今回はバイクにしたそうだ。バイクでも今日の出石寺のように迷路のような山道でナビがうまくきかず相変わらず大変だったと愚痴が出る。あと2日で20番まで行ければいいがと不安そうだった。20番まで行けてもそのあと岐阜まで帰らねばならない。


 15:48
バイクさんと話し込んでしまったので少し遅くなった。文珠院から7分58秒で47番札所八坂寺に到着した。ベストタイ、ここへ来てようやく普段の歩き。


 16:09
八坂寺から浄瑠璃寺まで900m、逆に打ったので道をはずしてしまった。順打ちの時は1度もはずしたことがない迷いようのない道なのに逆だとごく当たり前にはずしてしまう。改めて逆打ちの怖さを味わった。でも時間は8分37秒でベストタイ、そんなに遠回りにならない道だった。


 16:20
浄瑠璃寺の目の前にある長珍屋には3年ぶり7回目の投宿になる。写真では見えない本館の奥の木造だった部分が取り壊されて3階建ての新館ができていた。新館には各室にお風呂がついているようだ。おかげで大浴場はぼく一人でのんびり楽しむことができた。今回初めて本館の右の部分(白いところ、1階は食堂と売店がある)に泊まった。ぼく一人だけだった。団体さんや他の人は全部左の部分と新館で、すごく快適に過ごすことができた。


9日目 5月9日

2012-05-15 | 12年別格巡り


 6:47
いつもなら大洲まで歩くので6時に出ねばならない。今回は卯之町から大洲まで電車に乗るので1時間遅い出立になる。それでも30kmは歩くことになる。


 6:49
クアホテルの前を通過、この宿は評判は悪くないけれど遍路宿としては少し高いのでぼくの眼中にはない。


 6:59
前を行く夫婦遍路に追いついた。彼らは今日は宇和島駅前の宿から卯之町まで24kmくらい歩くはずだ。宇和島の駅前に泊まる人と、その15kmほど手前の旧津島町の宿に泊まる人の二つに分かれるけれど、宇和島に泊まる人は少数派だとぼくは思っている。


 7:07
いきなり歩道がなくなる、しかもこちら側にカーブしているので非常に危険だ。100mくらい先でまた右側に歩道が現れるので反対側に渡ることもできない。


 7:26
こういう看板は初めて歩く人にとってはとてもありがたい、ぼくのように7回歩いていても1年以上間が空くと忘れてしまうから変わらずありがたい。


 7:27
講談師神田山緑さんが野宿したのがこの遍路小屋。ジェットコースターのような破天荒な彼のお遍路には呆れるばかりだった。


 7:29
これは3年前にはなかった。北宇和島から龍光寺まで8kmの間コンビニも何もないからこれはとてもありがたいと思う。


 7:33
3年前は逆光でうまく撮れなかった。今回は曇っているのできれいに撮れた。


 7:41
務田の交差点にやってきた。最初来たとき車の標識に惑わされて左折して遠回りしてしまった。


 7:42
務田駅のそばの陸橋を渡る。


 7:48
突き当たりに矢印が三つ。

 10m先を右に折れる。


 7:54
長命水の角を左に折れれば41番札所は目の前。


 7:57
もやいから68分54秒で41番札所龍光寺に到着した。ベストより3分遅い。理由ははっきりしている。はっきりしているけれどしっかり歩けているからベストと同じくらいのタイムが出てもいいと思っていたけれど甘かった。


 8:11
墓地の中の急坂を登って裏山を越える。


 8:12
墓地の上から龍光寺全景を眺める。ここまで上がってくると、登りも一段落、後はほぼ平坦な感じのいい山道が続いて最後は下りになる。


 8:18
裏山を抜けて県道31号に下りてきた。やはり下りはより普通には歩けない。


 8:40
龍光寺から29分13秒で42番札所仏木寺に到着した。ベストより1分遅い。下りの山道があったから納得の数字ではある。それより仏木寺の山門が新しくなっていてびっくり。2年前の秋から建て替えの工事が始まって昨年の5月28日に落慶法要が行われたようだ。


 9:13
水屋を使って本堂の前に行くと、ぼくが龍光寺に着いたとき、裏山に登っていった女性が大師堂の前にいた。ここから卯之町の宿まで10km、その向こうとなると大洲の宿までさらに20km歩かねばならない。今から歯長峠を越えて30kmも歩けるのだろうか。


 9:16
仏木寺の前を松山道が走る。3年前はまだ工事中だったけどちゃんと車が走っている。今年の3月10日に西予宇和=宇和島北が開通したばかり。3年経つと本当に風景が変わる。


 9:21
左折して県道を離れていく。


 9:22
最初は舗装道が数百メートル続く。


 9:27
ここから山道に入っていく。


 9:29
100mほど登ると石畳の道になる。


 9:39
県道が見えてきた、ここだけ下りになる。


 9:40
しばらく県道を歩く。


 9:44
鎖場峠道の入り口までやってきた。ぼくは06年から09年までトンネルの道を歩いたので本来の歯長峠を歩くのは7年ぶりになる。

 階段を上がってくるとすぐ遍路小屋がある。これからが本番なので休むわけにはいかない。


 9:46
左側下にはトンネルに続く県道が走っている。


 9:47
鎖場が始まる。確かに急登坂だけれど杖(ぼくはこうもりだけど)があれば鎖を使わなくても無理なく登れる。


 9:49
鎖場もそろそろ後半か、なにぶん7年ぶりなのでほとんど記憶に残っていない。


 9:51
鎖場が終わって道はほぼ平坦になった。


 10:00
歯長峠に到着した。この少し前で逆打ちの男性とすれ違った。あごひげをたっぷり蓄えた見るからにベテランのお遍路さんだった。挨拶を交わしたときの笑顔がとても感じよかった。


 10:05
太い林道を横断するけれど、7年前こんな道があったかなと首をひねる。今回は登りより下りの方が遙かにきつい。本当なら駆け下れそうな道がおそるおそる足を運ぶしかない。


 10:19
下りも最終盤になった。この左側の風景が7年前とは全然違う。この下り道もなくてもっとひどいむき出しの工事中の道なき道だったことを覚えている。それが嫌でトンネルの道を行くようになった。


 10:21
これが左側の風景、7年前は影も形もなかった。


 10:22
県道に合流する、下りの山道は荒れているところが多くて本当に一仕事終えたという感じ。


 10:25
仏木寺から69分50秒で肱川手前の遍路小屋に到着、7年前より5分も遅い。普通の状態ではないから仕方ないけどちょっと悔しい。8年前のタイムとは同じだった。


 10:37
遍路小屋で12分休憩、歯長橋を渡る。


 10:44
県道29号を行くと、まもなく民宿兵藤が見えてくる。


 10:52
完成した松山道の下を行く。3~4年前は工事中でちょっとだけ迂回するようなこともあったけれど、歩き始めた頃は全く何もなかった。


 11:05
歯長橋から27分12秒で遍路小屋に到着、ベストより1分遅れだけど、3年前の記録と同じ。水道があるので水を補給しておく。



 11:10
6分ほどの休憩で43番札所に向かう。明石寺までの距離表示はこの手の道しるべにしては珍しく、全く正確なものになっている。


 11:20
西予宇和インターチェンジへ上り下りする道路の下をくぐって卯之町へ入っていく。このトンネルは9年前からあった。最初来たときこの少し手前にややこしい道しるべがあってトンネルに入れず迷ってしまった。トンネルとは別の道もあるけれど初心者にはちょっと難しい道になっている。そちらが本来の遍路道かもしれないけれどインターチェンジの建設で分断されてややこしくなっている。


 11:31
県立宇和高校の前を過ぎると昔ながらの道へ入っていく。


 11:33
先のトンネルを抜けないもう一つの道が合流するポイントが見えてきた。そちらの方を見ると仏木寺を15分くらい先に出た男性がやって来るところだった。


 11:36
明石寺の手前の自動車道に出てきた。すごく苦手な登り坂。気持ちよく登れたことは一度もない。


 11:41
ベストより3分遅れで43番札所明石寺に到着した。


 11:42
本堂に工事用の覆いがかけられている。でもお参りはできるようだ。


 12:00
納経所の前のベンチに大きなザックが二つ、トイレの前のベンチには明らかに歩きの人が休んでいる。彼ら3人はこの時間から大洲の宿まで20kmも歩かねばならない。人ごとながらやや心配になる。ぼくはこれから電車に乗るので何の憂いもない。電車の時間まであまり余裕がないので休憩なしで宇和文化の里へ下りていく。


 12:10
文化の里へ下りていく道は快適で好きな道だけれど足の調子がよくないのでいつものような気持ちよさはないしスピードも乗らない。


 12:22
明石寺から21分48秒で卯之町駅に到着した。ここまで来るのは初めてだから記録は比べようがない。電車が来るまで23分、


 12:45
定刻に伊予市行き普通列車がやってくる、大洲までは約40分。


 13:24
西大洲駅を過ぎると、大洲のシンボル冨士山(とみすやま)と大洲城が重なって見える。動いている電車の中からにしてはいい角度でとらえることができた。


 13:29
定刻より3分遅れで伊予大洲駅に到着、これから別格8番十夜ヶ橋に向かう。宿は反対側にあるので同じ道を3km以上引き返すことになる。この都合で電車に乗るしかなかったのだ。十夜ヶ橋を明日にすると松山行きの電車に乗れなくなる。


 13:33
駅から南へ300m、国道56号に当たる。

交差点を左折して国道(遍路道)を東に向かう。左側の更地は5年くらい前までローソンがあったところ、駅前の国道の交差点だから最高の立地と思われたけれど、いかんせん駐車場がなくて期待ほどはやらなかったのかもしれない。


 14:01
大洲駅から31分48秒で別格8番十夜ヶ橋永徳寺に到着した。駅から来るのは初めてなので記録の比較はできない。調子は悪くないししっかり歩けている自覚もあるけれど、やはり見えないところで影響は出ていてタイムとしては良くないのかもしれない。



 14:16
大師伝説はあまたある中に今なお全てのお遍路さんが聞かされ浸透しているのが十夜ヶ橋の伝説であろう。この橋の下で一晩を過ごしたお大師さんがその寒さのあまり一夜を十夜のように感じたところからこの名前が付いた。そして橋の下で眠るお大師さんのことを思い、お遍路はどんな橋の上でも杖を突いてはならないという不文律が今なお生きている。

新しい橋の下で今もお大師さんは横たわっている。
永徳寺の御詠歌は
 「ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば
        一夜も十夜の 橋と思ほゆ」


 14:57
駅の近くの食品スーパーまで戻ってきた。今夜の食事を調達する。クオリティフードパワーセンター、ものすごいネーミングに一歩立ち止まる。


 15:12
肱川を渡って右折、松楽旅館の前までやってきた。宿泊4500円、朝食500円、夕食1000円とあるけれどこの宿の評判はあまり聞かない。


 15:21
8回目にして初めて大洲城の前まで上がってきた。いつもは45km以上歩く日なので500m離れた肱川橋の上から眺めるしかなかった(4年前だけはすぐ裏の大洲郷土館から見たけれど)。目の前で見ると想像以上に立派で威圧感がある。


8日目 5月8日

2012-05-12 | 12年別格巡り

 帽子、財布、時計、鍵、ハンカチ、ペン、五円玉、カメラ、経本、小銭。持ち物を全部机の上に並べて、今一度点検する。


 6:53
予定していたのより1本早い山陽電車でJR姫路駅前までやってきた。姫路駅ビルは完全に破壊され駅前は工事の真っ最中。どういう駅前になるか一市民であるぼくは全く知らない。


 6:55
久しぶりにみどりの窓口にやってきた。ぼくがみどりの窓口に行くのは青春18切符を買うときぐらいだから2年ぶりになる。


 6:59
無事乗車券と特急券を購入、JRの特急に乗るのは本当に久しぶり。おそらく大学時代、依頼演奏で鳥取まで「まつかぜ」と「はまかぜ」に乗った時以来ではないかと思う。

 13:44
岡山から特急しおかぜ5号、松山から特急宇和海13号を乗り継いで6時間かかってようやく本日の目的地宇和島に着いた。でも本来の通し打ちであれば17日間毎日40kmを歩いてやっと到達することを思えば、あっという間だった。

 13:49
宇和島といえば闘牛を先ず連想する人もいるかもしれない。

 13:51
「汽笛一声新橋を・・・」鉄道唱歌を作詞した大和田建樹は宇和島の人、駅前のこの詩碑に気がつく観光客やお遍路さんは少ないと思う。彼を誇りに思っている地元の人は多いそうだ。






 13:55
宇和島駅から150mで別格6番龍光院の前に来る。本堂、大師堂はちょっとした丘の上にある。



 14:25
今まで7回も宇和島に来ていながら宇和島城に登ることは一度もなかった。40km以上歩く日だからとてもそんな余裕はなかった。今回は龍光院のお参りを済ませると後は宿まで2kmほど歩くだけだから、初めて城山に登ることができる。登城口に立派な武家長屋門があった。門の入り口に設置されていたパンフレットを見ると、この門は移築されたもので元々この位置には門などなかった。この左側には三の丸御殿があってここはすでに城内だった。ちなみに城山を囲むように走っている国道56号も城内で、堀はそのひとまわり外側にあったようだ。


 14:27
三の丸から井戸丸に続く急な坂道を上る。この坂は江戸時代からあったものと思われる。


 14:32
井戸丸から二之丸まで上がってくると天守が見えてくる。


 14:33
二之丸から本丸へ上がっていく。ここには一の門があった。宇和島城は石垣と天守以外の全ての門、矢倉、御殿が失われている。


 14:36
本丸、天守の前までやってくる。入館料は200円、時間の余裕がないので入らない。天守は2代藩主伊達宗利の時1671年に再建されたものがそのまま今も残されている。矢倉や門や堀が残っていれば国宝に指定されてもおかしくない(重要文化財には指定されている)


 14:41
本丸から市街地北西部を眺める。江戸時代初期にはこの市街地の多くが海だった。城山の北西部は海に面していて、平山城ではなく海城だったかもしれない。

 15:00
籐兵衛丸にある城山郷土館を少し覗いて長門丸まで下りてきた。縄張りの多くは藤堂高虎が創建した時代のものだけに本当に見事な城構えになっている。


 15:12
城山から下りて国道を歩いていると電柱に気になる白丸が。写真では全く見えないけれど肉眼だと完全に色あせてしまったへんろ人形のマークがかろうじて確認できる。この、へんろみち保存協力会宮崎さんが作ったシールはほとんど色あせていて、いろんな種類のへんろシールの中で少数派になりつつある。ぼくが四国を歩き始めた頃はこのシールと赤矢印の2種類くらいしかなかったことを思えば、何か切なく寂しい感じがする。


 15:28
駅の近くのパルティフジで今夜と明朝の食事を調達する。ここに入るのは最初の時以来9年ぶりになる。


 15:43
これだけへんろシールがあっても一番古いへんろ人形のシールは見られない。フジから今日の宿まで2.8km、中間点を過ぎたところ。


 15:48
遍路道から少し奥まったところに北宇和島駅が見える。今まで5回もこの前を歩いておきながら駅を確認したのは初めて。この駅から予土線と予讃線が分かれていく。


 15:53
予土線の踏切を渡る。向こうに見えている白い建物はクアホテル、今日の宿はその手前にある。


 15:54
本日の宿、へんろ宿もやいに到着、3年ぶり3回目の投宿になる。高崎さんは最高の遍路宿だと言っていたし、ぼくも柳屋旅館とこの宿が甲乙つけがたい最高の宿だと思っている。部屋は二つあるけれど今回もぼく一人のようだ。


 17:20
お風呂から上がるとダイニングのテーブルにじゃこ天が用意されていた。テーブルには他にも紅茶、緑茶、伊予柑。クッキーなどが自由にいただくことができる。冷蔵庫には烏龍茶とミネラルウォーターもある。


区切り打ち4回目の計画

2012-05-03 | 12年別格巡り

 3回目に出る前まで、4回目は足摺を1周歩くつもりだった。でも3回目を歩いている内に考えが変わって、いきなり別格6番の龍光院に行く方がいいのではと思い始めた。宇和島から始めることで2万円ほど節約できるし、スマートホンも4月中に解約して普通の携帯にすることでさらに1万円節約できる。
 1日目はJRで宇和島に行くだけでほとんど歩けない。2日目は宇和島から卯之町まで20kmほど歩いて、大洲までは電車に乗る。3日目は別格7番金山出石寺を往復して大洲から松山まで電車に乗ってしまう。伊予鉄で49番札所浄土寺の近くまで行き、浄土寺、西林寺、別格9番文珠院、八坂寺、浄瑠璃寺をお参りして長珍屋に泊まる。4日目は長珍屋の前からバスで松山市駅まで行き,JRで松山から伊予三芳駅まで行く。三芳から歩いて別格10番西山興隆寺と別格11番生木地蔵をお参りして壬生川駅に戻る。歩く距離は3回目より少なくなるし全部素泊まりになるので今回のようなたっぷり感は味わえないかもしれない。


7日目 4月17日

2012-04-30 | 12年別格巡り


 6:01
今回の区切り打ちも最終日となった。出てくるときには最終日は37番札所岩本寺の先12kmにある荷稲駅まで歩くつもりだった。でも昨日あたりから予定を変更する方がいいと思い始めた。岩本寺の近くにある窪川駅から電車に乗れば2時間早く帰れるはず。時刻表を調べるために柳屋旅館から400mの所にある土佐新荘駅にやってきた。


 6:03
予定していた電車より1時間50分早い便がある。しかも土佐山田で乗り換える必要もない。窪川発13時頃になるから余裕を持って歩けそうだ。


 6:11
昨日予報が大はずれで1日中雨だったから、今日の予報もはずれて快晴。今日は30km歩くからその方が良かった。


 6:55
3年前、長門市仙崎から来た橋本さんに追い抜かれたのがこの焼坂トンネルの入り口だった。橋本さんも2週間で宿毛まで歩く超健脚だった。この少し手前の峠道への入り口がタイムチェックポイント、柳屋から40分08秒、ベストより2分早かった。


 7:28
国道を離れ土佐久礼の町へ下りていく。この少し手前の峠道の合流ポイントまで36分15秒、またベストより2分早かった。足の調子はよいけれど無理に速く歩こうとはしていない。何がその要因になっているかよく分からない。


 7:35
うわっ、新しい橋が・・・、3年経つと本当に景色が変わる。


 7:36
橋を渡るとすぐ右へ折れてそえみみずの方へ向かう。そえみみず遍路道を歩くのは6年ぶり3回目。

右に折れるとすぐ土讃線の踏切を渡る。国道が見えている。


 7:39
国道を200mほど行くと、右の方へはいる道がある。ここからは6年ぶり2回目なのであまりよく覚えていない。


 7:53
そえみみず遍路道の道しるべがあった。6年前これがあったかどうかは記憶にない。


 7:58
6年前にはなかった人工物が現れた。あの工事のおかげで07年から08年にかけてそえみみずは通行止めになった。09年は歩けたけれど勘違いをして大坂峠を歩くはめになった。


 8:01
そえみみずの登り口に3年前にできた遍路小屋に到着した。焼坂峠道の合流ポイントから35分35秒、6年前より1分以上遅かった。今回の旅で初めてベストを更新することができなかった。理由はよく分からない。


 8:27
遍路小屋では20分ほど休憩、登り始めて5分ほどで景色が一変した。登るべき山がごっそり削られていた。高速道路の下まで急な階段を下る。


 8:31
高速道の下をくぐると今度はさらに急角度の登りが待っている。これだけ長く険しい階段は四国中探してもないのではないか。57番札所栄福寺の裏の神社の石段でもこれほどではなかったような気がする。


 8:34
新しくできた階段の一番上までようやく上がってきた。焼山寺や鶴林寺でも立ち止まらなかったのに、この階段の途中では息を整えなければならなかった。よくもまあ。これだけの山を削ったものだと思う。高速道路の舗装はまだできあがってはいない。


 9:29
そえみみず遍路道を踏破、ようやく県道41号に合流する。最初の新しくできた階段は遍路道としてはひどいものだったけれど、昔のへんろ道に入るとやはりとてもいい感じの登山道が続いた。登りの傾斜が焼山寺や鶴林寺、太龍寺とは違って緩やかで無理のないところが多いし、平坦に近いところもあるし後半は下りになる。山道としては一番多彩で楽しみやすい道だと言えるかもしれない。その点は6年前の記憶、印象と変わりはなかった。


 9:30
七子峠の国道が見えてきた。


 9:37
七子茶屋の前に懐かしいロバのパンが停まっていた。遍路小屋から69分13秒、6年前より5分遅かったけれど最初の部分が違いすぎるので比較はできない。


 9:38
展望台から大坂遍路道方面を眺める。こちらにも余分な人工物がはっきり見える。
 大坂道から男性のお遍路さんが上がってきた。区切り打ちで今回は19番立江寺から来たという。足が痛くて高知市では2日逗留したと言っていた。


 9:52
展望台で休憩した彼と一緒に歩き始める。彼は昨日は焼坂峠を越えて30km歩いたので、今日は軽く岩本寺までの20kmにするそうだ。途中から先に行かせてもらう。


 10:53
七子峠から3kmちょっとの所にある遍路小屋で休憩、いつもはそのまま岩本寺まで休憩はとらないけれど、今回はこのコンビニ(七子峠と岩本寺のほぼ中間)で休むことは初めから決めていた。朝食はバナナとリンゴ1個ずつしか食べていないので食料の補給が必要なのだ。アイスと袋菓子、ポカリスウェットを買うと、レジの人がお接待ですと言って500ccのお茶を袋に入れてくれた。コンビ二でお接待を受けるのは初めてだった。


 10:55
コンビニの横にはお遍路さんのためのお休み処がある。お遍路さんに優しい四国ならではのコンビニ。しばらく休んでいたら影野小学校の近くで追い抜いた外人さんがやってきた。


 11:06
ぼくは英語に全く自信がないので話しかけるつもりはなかったけれど、彼の方から声をかけてくれたのでたどたどしいながら何とか受け答えをすることにした。以下和訳で大体の会話を再現してみる。


米 「それにしても歩くの速いねえ」
日 「1日に40km歩きますからね」
米 「40km・・・、ぼくなんて30kmがせいぜいだよ。88ヶ所を全部をまわるのかい」
日 「今回は別格20ヶ所を、それも6回に分けてまわってます。もう今日窪川まで行って電車で帰ります。」
米 「そうなのか、88ヶ所はまわったことはあるの」
日 「88ヶ所は今までに7回巡りました」
米 「7回も!!ぼくなんて1回で十分だよ、その1回も最後まで行けるかどうかわからないくらいだよ。それにしてもどうしてそんなに繰り返して歩くの」
日 「ぼくは四国の人たちが好きなんです。とくに旅館の女将さんやスタッフの人たちに優しく親切にしてもらうとどうしてもまた会いたくなって何回も歩くようになってしまったんですよ」
米 「・・・・、I’m  impressed」
     真面目な顔でつぶやくように言ったその言葉はとても意外だった。単語を並べただけの会話にもなっていないような言葉で彼の心にどれだけ伝わったかは全く心許ない。でも、ぼくの思いのエッセンス、そのいくらかは届いたということなのかも知れない。
米 「それにしても君の荷物はコンパクトだねえ」
日 「これで4kgくらいです」
米 「4kg、ぼくのなんて10kgもあるよ。キャンプをしながら歩いているからどうしてもこれだけになってしまう。一昨日なんか雨が降って本当に大変だったよ」


 12:06
国道から右の方に分かれて窪川の町へ下りていく分岐点の手前、前はこの部分は車道で歩道は左側だった。左から右側に横断するのがちょっと危険だったけれど、右側の歩道が分岐点まで完全に整備されて安心して歩けるようになっていた。


 12:17
岩本寺に行く前に窪川駅に寄り道して時刻表をチェックしておく。高知行きは13時10分、かなり余裕がある。


 12:23
今回の旅の最終目的地、37番札所岩本寺に到着した。七子峠の3km先の遍路小屋から88分46秒で来た。ベストより1分半ほど遅い。最終日の後半はずっと力が出なかったようだ。朝食をしっかり食べられなかったのが要因になっているかもしれない。この時間の岩本寺は閑散としている。納経所の前のベンチで歩きの男性が休んでいた。話を聞くと、彼は高松の人で野宿で巡っている。今日は佐賀温泉の近くまで行くそうだ。コンビニで外人さんからお接待のお茶をもらったので、それをさしあげた。


 12:48
窪川駅に戻ってくると、ちょうどアンパンマン(特急南風3号)が出ていくところだった。


 12:55
3番ホームに下りていくと高知行きはすでに待っている。座席について白衣をとる。これで今回の区切り打ちも無事終了。


 13:42
本日の出発地、土佐新荘に30分で戻ってきた。電車で30分の所を1日がかりで歩く、それこそがお遍路の醍醐味というもの。歩かないことにはその魅力は理解できない。


 15:05
定刻に高知駅に到着、駅の北側にあるバスターミナルチケット売り場に来た。高知から高速バスに乗るのは初めてなのでちょっと迷った。高速舞子に停まるバスは15時40分に出る。当初予定していたバスより2時間半早い。


 15:10
3年前はまだ工事すら始まっていなくて、むき出しの荒れ地が広がっていた駅前広場だったけれど、きれいに整備されていた。


 15:11
駅前の三志士の像を撮影して、バス乗り場に引き返す。この3年というもの1泊が2回で後は日帰りばっかりだったから、この4日間は本当にたっぷりだった。通し打ちのような充実感も感じることができた。


6日目 4月16日

2012-04-27 | 12年別格巡り


 7:31
あづまの朝食は7時から。高崎さんは徳増まで45km歩くので6時に出ていく。枯雑草さんも朝食なしで6時半に出ていく、ぼくは今日は乗り物の日なので、初めてあづまの朝食をいただく。朝食もたっぷり、昼食抜きでも大丈夫なくらいだった。おまけにゆで卵2個とペットボトルのお茶をいただいた。これでお昼はコンビニに寄らなくてもいい。

 あづまの朝はまた雨、これで4回の内3回が雨だ。あづまに泊まらなかった4回の内この近くを歩いた時2回も雨だった。8回の内5回が雨だからものすごい確率。7時30分に宿を発つ、女将さんがまた丁寧に見送ってくれる。こんな送り方をされたらまた帰ってこなくてはならない。国道を離れて初めて昔の道を歩く。700mほど遠回りになるから今までは歩けなかった。いつもは高崎さんと同じで45km歩く日だから少しでも遠回りは避けたかった。


 7:35
右へ折れるポイント、初めての道だから心配だったけれど、カーブミラーの下にちゃんと矢印があった。


 7:42
国道にあるローソンの裏を過ぎると道は登りになる。左の方へ緩やかに曲がると大坂峠の山道の入り口があった。こちらの道を選んだからには山道を行くべきだけれど雨が降って足元が心許ないのでそのまま自動車道を行くことにした。


 7:53
国道55号が見えてきた。


 7:54
国道に合流する、右手を見ると八坂トンネルの出口だった。


 8:24
宿から54分02秒で別格4番鯖大師に到着した。国道を行くより10分ほど多くかかった。


 8:37
鯖大師から200m先に鯖瀬駅がある。今回はここから室戸岬まで電車とバスで行く。海部行きの電車は8時59分に来る。電車を待っている間にベテランのお遍路さんがやってきた。雨がひどくて海部まで電車に乗ることにしたという。ここから海部までは8km。それだけ電車で稼げば甲浦あたりまで楽々歩けるだろう。ぼくが別格の区切りをしていると言ったら、彼も108ヶ所を巡ったことがあるという。ぼくがまだ歩いていない、そしてちょっと心配な山道、13番仙龍寺、や18番海岸寺への道のことを尋ねたら丁寧に教えてくれた。


 9:34
雨が降っているのでいい写真が撮れない。これは甲浦駅を下りてきたところにある観光案内所兼バス待合所の中。待合所の中にはツバメの巣があってツバメが数羽飛んでいる。案内所の人は糞に気をつけてくださいと言っている。海部駅でJRから阿佐海岸鉄道に乗り換える。乗り換え時間は2分しかなかったので少し焦る。甲浦に着いたのは9時22分、室戸岬行きのバスは9時59分に出る。


 10:51
バスが甲浦駅前を出て数分で国道55号に入っていく。国道は遍路道だから歩いている人を見つけることができるだろうと車窓に注目していたら、合流してすぐ高崎さんが歩いているのが見えた。牟岐からここまで23kmだから順調に進んでいる。ぼくが3年前ここを通過したのも全く同じ時間だった。室戸岬まで逆打ちの人を含めて10人くらいのお遍路さんを見つけることができた。自分がバスで通過してしまうのが残念だとか申し訳ないとかせつないとかいう感情はなかった。ただ、土佐の道は自分にとって歩く道だということ、歩かなければお遍路ではないということは確認した。ほぼ定刻に室戸岬のバス停に到着した。バス停は中岡慎太郎の銅像のすぐ手前にあった。


 11:08
室戸岬についても雨が上がることはなかった。傘をさして最御崎寺の登山道を登る。登山口はバス停から250mほど戻った所にある。登り口から山門まで700m弱だと道しるべに刻まれている。登り口からのタイムは過去2回しかとっていない。中岡慎太郎の前にある飛厳荘に泊まったときだけ。そのときと比べて1分早い13分23秒で到着した。山の上はごく薄いもやに覆われてこういう写真になってしまった。


 11:30
お参りを済ませ登ってきた登山道を戻ってくる。本当なら反対側の自動車道を下るのだけれど、またバスに乗るので同じ場所に戻ってくる。バスの時間まで20分ほどあったので、バス停の前にある室戸ジオパークインフォメーションセンターで休ませてもらう。
 事務員の女性がお茶を入れてくれお菓子も出してくれた。向かいの飛厳荘は廃業されたのですかと訊くと、やはりそのようだった。昨年のお遍路さんの数を訊くと、この前を通るお遍路さんはそんなに減った感じはしなかったけれど、宿の方が言うにはやはり何割かは減ったということだった。ぼくが7回巡ったと言ったらたいそう驚かれて、なぜそんなに繰り返して歩くのですか?という。最初来たときすばらしい宿の人に会って、絶対もう一度会いたいと思ったのが始まりで、そういう宿が来るたびに増えていった、と答える。


 12:45
金剛頂寺の行当岬、キラメッセ、吉良川の町、羽根川橋から羽根の町、そして羽根岬と3年ぶりの懐かしい風景が次々過ぎていく。お遍路さんが歩いているのも見かけることができた。やっぱりここは歩かなきゃね。室戸岬から54分、定刻にごめん・なはり線、奈半利駅に到着した。


 12:48
ごめん・なはり線(土佐くろしお鉄道阿佐線)がJRに乗り入れていることは今回初めて知った。本日の最終目的地JR須崎までの切符も自動販売機で買うことができる。でも乗り継ぎ切符の買い方が全然判らないので駅員さんに尋ねてやっと買うことができた。


 12:50
ぼくが乗る13時05分発の電車は高知駅まで行く。1時間18分の旅、歩けば丸二日かかる距離だ。いつもはその横や下を歩きながら眺めていた電車に初めて乗車する。


 14:22
安芸駅から3人のお遍路さんが乗り込んできた。どちらからですかと訊かれて、東京からですと答えていた。神峯寺下の宿に泊まって、山道を往復してここまで来ると大体18km。雨の中をこれだけ歩けばもう充分と思ったかどうか。雨が降っていなくても大日寺の近くまで電車に乗る人は多い。
 電車が高知駅に近づいてきた。3年前撮影に失敗した四国電建の社宅を撮影、何とかリベンジを果たす。


 15:45
高知駅では乗り換え時間は5分、須崎行きは反対側のホームですでに待っている。土讃線は須崎の一つ手前の大間駅までは9年前に乗ったことがある。帰りは窪川から高知まで乗るから四国の鉄道もだいぶ押さえることができる。
 駅から別格5番大善寺までは初めての道を歩くことになる。スマホのマップで丹念に調べたから何の心配もいらない。


 16:01
須崎駅から13分51秒で別格5番大善寺に無事到着、一度も迷うことなく須崎の町をもう一つのたたずまいを楽しみながら歩くことができた。ぼくが知っている須崎は遍路道沿いの線の部分でしかなかったから、別の景色は新鮮で味わいがある。


 16:09
大善寺の本堂は山の上にある。納経所も本堂の横にあるけれど今回(この時間)は下の寺務所で行うと貼り紙が出ていた。大師堂は下にあるから、こちらとしてはその方がありがたい。大師堂でのお参りが納経の後になってしまうからだ。お大師さんの前は急な階段になっているから横顔しか撮影できない。


 16:18
念珠をいただいて大師堂の目の前にある今日の宿柳屋旅館に戻ってきた。江口洋介さんと戸田菜穂さんがここに来たときと同じように灯が点っている。ここに来るのはいつも3時過ぎだった。3年ぶり7回目の投宿になる。中に入っていくと女将さんが「やっぱり原田さんやった~」と手を叩きながら出迎えてくれた。いつもは電話で予約すると名前を言うだけでぼくのことを判ってくれた。2年目の時から毎回そうだった。今回は息子さんが電話に出たので女将さんとしては半信半疑だったというわけ。3年ぶりになるのに名字だけでぼくではないかと見当をつけていてくれた。今までのべ200軒以上の宿に泊まったけれどそういう宿はこの宿だけ。

 柳屋旅館の同宿はぼくを入れて3人、二人分の合羽がすでに土間に干してあった。洗濯機も稼働中。ぼくは離れの二間続きの部屋の通された。ぼくのスェット1枚では少し肌寒い感じだったので炬燵はありがたかった。お風呂は二人が入った後だったせいか少しぬるめだったけれど、やはり最高に気分のいい空間だった。一人風呂としては四国の宿の中で一番だと改めて思う。食事は、鰹の刺身はさすが地元だけあって申し分なかったし温かいエビフライも美味かった。ご飯の量もおかずの量も多すぎずちょうどいい満腹具合だった。これだけいい遍路宿に泊まるのだから、やはり本当にもっと味わうためには歩かなきゃだめだと思った。しっかり歩いてこそこれだけのことをしてもらう理由がある。