WALKER’S 

歩く男の日日

3日目 (3) 名西旅館

2008-05-31 | 08年四国の旅
 例年のごとく下着のシャツを着替え、トイレの横にある流し台で水を補給、境内にある電話ボックスで明後日の宿坂口屋に予約を入れる。去年は団体が入って断られたけれど今回は無事受け付けて貰える。龍山荘もすごくいい宿だけれど1000円の差は大きい。それやこれやで40分ほど焼山寺ですごし、下山を始める。なべいわ荘の近くまでの標高差460mの下りは快適だけれど、そのあとの玉ヶ峠までの登りが最も苦手な山道だ。焼山寺までの登り下りで体力エネルギーを使い果たしている、この150mを楽に登った記憶がない。焼山寺でもっとゆっくり休んで食料を十分に摂ればいいのだけれど、先が長いのでそうもしていられない。何度も立ち止まりながら、ようやく昨年と同タイムで峠に到着。ここで昼食を摂る。山道に入る少し前に追い抜いた男の人が通り過ぎていく。15分の休みであわただしく出発、県道に合流するまでの4.4kmの下りの道も調子が出ない。何とか同タイムで通過できたものの、そのあとの河野橋までの5.1kmは1分のマイナス、気温が相当上がっているようだ。昨年この区間を歩いたのは2時間以上早い午前中だった。まだ12km以上歩かねばならないので、7分の休憩で出発、13時32分だから16時くらいには宿には入れると思っていたけど、とんでもない話だった。この天気の良さと気温の高さ、それに童学寺トンネルに入るまでの坂道の急なこと、そして何より誤算だったのは、トンネルを抜けてからの点線の道が通行不能になっていたことです。往復で1200m以上余分に歩かねばならない。さらに鮎喰川左岸の道に出る短絡路もなかったのでここでも500mの追加、童学寺に着いた頃にはもうヘロヘロの状態、この間の時速は6km。童学寺は別格なのに団体でにぎわっていました。納経所は無口な坊さんでした。でも無口なだけでいやな感じは全くなかった。むしろこれが普通なのかもしれない。声をかけて貰うのが普通だと思わなければ何の問題もない。童学寺から最後の7.6km、でも短絡路が使えれば6.5kmだったはずのこの道、相当疲れていたようで、トンネルへの登りの道で、自動車が止まって、乗っていくようにと誘われる。向こう側の車線から何度も声をかけられた、大丈夫です、と言ってもなかなか応じようとしない。車のお接待だけは、なんと思われようが受けるわけには行かない。歩くためにに来ているのだから、車に乗ったら総てがだいなしだ。ようやく納得して行って貰ったけれど双方にとって気持ちのよいものではない。入田春日橋を渡ったところに自動販売機があったので、我慢できずへたり込む。あと2kmだけどとてもこのまま歩ける状態ではなかった。500ccのスポーツドリンクを一気に流し込んでようやく一息つく。すでに16時10分前、6分の休憩で歩き始める。大日寺に着いたのは16時15分、宿に着いたのは16時24分だった。
 名西旅館の新館「花」に行くと人の気配が全くない。この時間だと客がいてもおかしくないのに、仕方なく本館の方に行くと、すぐに女将さんが出てきてくれた。早かったねえ、と意外な一言。そうか、予約したときに藤井寺から行くと、言っていたのだった。藤井寺からここまで来る人は滅多にいないし、いたとしても6時近くになるのがふつうだから、この時間だと確かにすごく早いといえる。新館「花」は6年前にできた新しい4階建てでエレベーター付き、6畳、14部屋。トイレはウォシュレット、風呂にもすぐ入れていうことなし。洗濯、乾燥機無料。素泊まり4800円。ちょっと高いけれど、隣のかどや旅館は洗濯が有料で5000円。

  3日目の歩行距離 42.6km
        歩行時間 7時間52分
        平均時速 5.42km

3日目 (2) 杖杉庵

2008-05-29 | 08年四国の旅
 話を聞くと、彼は初めてのお遍路で逆打ちだということ。あと2日で結願ではないか。3月の初め頃出発したんですかと訊くと、2月22日に出発して、1週間ほどで足を痛めて10日ほど入院、退院してまたすぐ歩き始め、49日かかってここまでやってきたということでした。51日で結願ということか、明日は大山寺に登るという。彼はほとんど野宿で、徳島に入ってから宿に泊まったのは1回だけだといいました。焼山寺の登り口で車のお接待を受けて、写真の杖杉庵を行きすぎてしまったことに後から気づいた。お寺の手前で降ろして貰うと、道に迷って結局杖杉庵の所まで戻ってきてしまった。衛門三郎に呼び戻されたような気がしたと笑っていました。
 5分ほど休憩して一気に下る、つもりだったのが前に20人くらいの団体が歩いている、この時間にこの地点を歩いている人がいるとは考えられない。藤井寺を5時前に出ないとここまで来られないはず、首を傾げながら、ごめんなさい、失礼します、お先に、を繰り返しながら脇をすり抜けていく。焼山寺への道で唯一スピードの出せるところだから歩調を合わせてる場合ではないのだ。谷まで下りると、後は最後の登り。登りではとにかく焦らないこと、ゆっくりでもいいから着実に歩を進めていくことを心がける。山道から広い緩やかな傾斜の道に出る少し手前のところで、前を行く男女のお遍路が目に入る。広い道に出たところにベンチがあって思わず、という感じで休憩を始めようとしていた。挨拶をした後で、あと15分ですよ、と声をかけた。それならという感じで、また歩き始めようとする、ぼくはそれを振り返らずラストスパートだ。まだ体力に余裕がある。楽々今までの最速タイムと同タイムで12番に到着、時間は9時55分、ここまでは文句のない素晴らしい歩きだ。
 5分遅れでさっきのカップルがやってきた。さっきの場所からきっかり15分、お参りが終わってから話を聞く。彼らは1回目は車で巡って、今回は2巡目、区切り打ちで今日13番まで行って、そのまま大阪に帰るということでした。週末の2~3日を利用して月に1回くらいのペースで巡るようでした。さっき、あと15分、と声をかけて貰ったのがとても励まされたと、お礼を言われました。初めてだと先が全然見えないから本当にくじけそうになる。ぼくも最初のときそうだった。幾度も道ばたにへたり込んだことがある。次回以降のためにと遍路宿情報を手渡す、特に柳屋旅館を大いに宣伝する。

3日目 (1) 一本杉

2008-05-28 | 08年四国の旅
 朝食はハムエッグ、ししゃものような魚2尾、菜の花のおひたし、のり、梅干し、味噌汁。おひたしがとてもうまかった。昼食のおにぎりを含めて6500円。おにぎりを頼まないと6200円。超おすすめの宿です。
 6時25分に宿を出る。天気は曇り、今日も40km以上歩かなくてはいけない、しかも第一の難所とされる焼山寺越えが待っている。2年前、3年前には鴨島の駅の近くから焼山寺を越えて大日寺まで歩いたのですが、今回は別格2番の童学寺にも行かなくてはならないので、そのときより2km以上余分に歩かなくてはいけない。この2kmを甘く見ていたことに後で気づくことになる。
 昨年は片手に荷物を持っていたので例年より相当時間がかかってしまった。焼山寺までの中間地点柳水庵までは一昨年と同タイムの1時間29分で到着。快調な出足です。着く少し前に追い抜いた長身で大きな荷物を担いだ男の人が遅れてやってきた。速いねえ、と先ずは決まりの一言。相当な荷物だったので、野宿で巡っているのですか、と訊くと、今日は植村旅館、明日は徳島のホテルに予約してあるけど、半分以上は野宿をするつもりだという。それで徳島の後の、鶴林寺の手前にある遍路小屋のことを尋ねられました。地図に載っていないし見た記憶もなかったので、答えることはできなかったのですが、遍路宿情報を手渡しました。
 浄蓮庵(一本杉庵)までの2.2km、250mの登りはさらに気合いが入る。昨年より2分も速く30分で到着。お大師さんを見上げると毎年のごとく厳かな気分で満たされる。30分前に休んだばかりだからそのまま行こうとしたら、ベンチで若い男のお遍路さんが休んでいたのでぼくも休むことにする。

2日目 (3) 旅館吉野

2008-05-27 | 08年四国の旅
 8番熊谷寺の水屋で水を補給、昼食を摂る。
 9番法輪寺への道で逆打ちの人とすれ違う。四元さんが食事をした法輪寺門前のうどん屋さんで食事をしている人が数人、5番か6番から出発した人だろう。法輪寺を出ると、小豆洗大師でお参りしている歩きの人がいた。切幡寺の登り口の食堂の前のベンチにはリュックが3つ、ようやく、藤井寺の近くで泊まる人に追いついてきた。切幡寺での休憩は最小限、3時に宿に着くように1時半に出発。2日目の宿旅館吉野は藤井寺の手前600mのところにある。藤井寺を打ってから旅館に入る人が多いけれど、ぼくは40km以上歩いているし高い山にも登っているので、藤井寺は翌日打つことにする。吉野川を渡る頃から疲労が濃くなって、左足の小指にマメができかけている。昨年は5日目頃に初めてできたのに、なんということ。宿の手前3kmの所にあるローソンで翌日の夕食を仕入れる。翌日の宿は素泊まりだし、宿の近くに適当な店がない(本当は新しくできたサンクスがあった)ので。予定の時間より1分遅れで宿に到着、昨年とは道が違うので誤差の範囲。
 旅館吉野はできて3年くらいの新しい宿です。同宿は何人ですかと訊いたら、ぼくを含めて4人、やはりピークは4月の初めですかと言うと、そんなことは全然なくて昨日も満室で、たまにこういう少ない日がぽっかりできるのだそうです。昨日は歩きの人が本当に多くて翌日の宿を取るのもたいへんだったようです、当然なべいわ荘や植村旅館も満室だったそうです。この日も飛び込みで二組の車遍路の夫婦がやってきて、結局8室の内6室が埋まることになった。部屋は4畳半ですが洗面の部分とスリッパ脱ぎ場と押入の下にテレビがあってそれらの部分を入れると6畳で十分な広さ。湯沸かしポットにティーバッグが3つ、いつでも熱いお茶が飲める。風呂は二つ、今日は片方が稼動、荷物の整理が終わったところで4時前には入ることができた。洗濯100円、乾燥機200円。ぼくは有料の所では洗濯はしないことにしている、まだ2日目でその必要もない。
 夕食は、トンカツ、鰹のたたき、豆腐、煮物、漬け物、味噌汁、量もちょうどいいし、お肉と魚というのがいい。味も申し分ない。食事が終わりかけた頃遍路宿情報を歩きの3人に手渡す。男の人二人は初めてではないようで、前の人は、ロッジおざきの女将さんのことを懐かしがったり、鷹ノ子温泉ホテルが廃業したことを教えてくれた。横の男の人は、逆打ちをしたいがどんなもんかと相談された。もちろん最初から逆打ちをする人もいるし、悪くはないと思うけれど、順打ちですら最初は何度も道をはずしてたいへんな思いをしたくらいだから、逆打ちなど怖くてとてもできたものではない、5回歩いて今なら何とかできるかなという感じであると、助言した。斜め前の女性は北九州の人で、今回は27番までの区切り打ちとのこと。1番を出て反対側に歩き出して、何かおかしいと30分くらいで引き返して相当落ち込んだそうだ。ぼくも最初の時は同じようなことがあったので大いに同情してあげた。途中から隣の男の人に出会って、一緒に歩いて貰っているということでした。こういう風に他人であっても一緒に歩いているということは珍しいことではありません。自動車遍路の夫婦は佐世保の人、どれくらいで回れるかと訊かれたので、12日あれば十分ではないでしょうかと答えた。15日分の休みを取ってきたので安心していた。もう一組は鳥取ナンバーでした。

  2日目の歩行距離 39.4km
        歩行時間 6時間27分
        平均時速 6.11km

2日目 (2) 四国三郎

2008-05-26 | 08年四国の旅
 気持ちのよい納経所で心身共に暖まって、軽快に山道を下る。眼下に四国三郎と徳島平野が広がっている。なかなかの風景だ。今日の午後3時にはあの川を渡ることになる。
 安楽寺への道では、高速を抜けたすぐあとの右へ折れる道が、確信が持てなかったので、地図を確認する。今まで横着をして何度となく道をはずしたことがあるので、慎重になる。そのあとは何カ所か遍路標識もあったので迷うことなく6番に到着。6.1kmをジャスト1時間で来た。もう少し早くてもいいという感じだけど、山道の距離は正確ではないので、あまり参考にならない。その次の十楽寺でお参りが終わって休憩しようとしたら、地蔵寺の門前で会った男女のお遍路が休んでいた。3時間半も経っているのに、ここまでしか来ていない。すごくおそい。あまりに気になったので、最後まで歩かれるのですかと尋ねた。そしたら、今日10番まで歩いて、今回はそれで終わり、週末2日だけの区切り打ちということでした。今日は17kmだからこれだけゆっくりしても充分間に合う。

2日目 (1) 大山寺のワンコ

2008-05-25 | 08年四国の旅
 2日目からいきなり40kmを歩かねばならないので、6時10分前に宿を出発。予報に反して曇り空でやや肌寒い。でもこのくらいの天候が歩くのには最適。4番大日寺までは5.6km、愛染院の手前の山際の細い道が昔の雰囲気が残っていて大好きな遍路道です。足取りも軽く、昨年より2分早い53分で到着。でも、その理由ははっきりしている、昨年は2日目まで片手に荷物を持ちながら歩いていた。だから、脚力が増したと言うことではない。5番地蔵寺までの1.8kmも1分早い15分で到着、特に力を入れて歩いているわけでもない。
 そして、いよいよ別格1番大山寺へ向かう。初めての道、しかも山道なのでかなりの緊張感がある。地図には載っていないショートカットの山道があって、そこが本当に歩けるのかどうかも気に掛かるところ、この道が歩ければ900m短くなる。地蔵寺を出て2km地点にある神宅小学校の前の分岐点は無事通過、そのあとの右へ折れる三叉路は遍路標識が全くなく、首を傾げながら右折する。次の交差点に大山寺の看板が出ていたので一安心。そのあとは、山道への入り口にもちゃんと遍路標識があったし、地図に載っていないショートカットの山道の入り口にも標識がありました。最後に出てきた自動車道を反対側に行ってしまったけれど、すぐに気がついたので事なきを得ました。山門に到着したのは地蔵寺から1時間11分、5.6kmの道のりだけど標高400mだから、よく頑張った方だと思う。
 大山寺の山門をくぐると見たこともない風景が眼前に飛び込んできました。思わずその場に立ちつくすしかありません。すごいとしか言いようがない。写真にも撮ったけど、そのすごさの百分の一も捉えることはできなかった。お参りを済ませ納経所に行くと、入り口の前にワンコが寝ていた。眠ってはいないようだけど微動だにしない、まさに狛犬のような感じ。納経所に人はいなかったのでチャイムを押す。すぐにめがねを掛けた住職が出てきてくれた。今日はどこからですか、と訊かれたので、3番の近くの民宿を6時に出ました、と答える。それは早いねえ、といたく感心した様子。ここら辺の人は昔は10カ所参りといって、1番から10番までを1日でお参りすることがよく行われたそうです。今日はどこまで、とさらに訊かれたので、藤井寺までです、と答えると、ヘェ~、とさらに大きな声を上げて驚かれる。記帳が終わって、納経所内の椅子に座って休憩していると、住職が、お茶でも入れましょうか、と思いがけないお言葉。もちろんありがたくいただく。汗をかいたので体が冷えかけていたところ。出てきたのは熱いお茶だけでなく、バターどらやきもお盆に乗っていた。最初の納経所でこんなお接待を受けるなんて思ってもいなかった。本当にありがたい。

1日目 (4) 旅人の宿道しるべ

2008-05-24 | 08年四国の旅
 2番までの距離はわずか1100m、札所間の距離では4番目に短い。四元さんが歩いた旧道だともう少し長くなる。でもその道を歩く人はあまりいないようです。霊山寺の境内で見かけた白人の男性がいた。門前に自転車が止めてあったから自転車遍路かもしれない。昨年はこの売店の横にある公衆電話で次の宿の予約を入れたけど、明日、明後日の宿はすでに予約してある。
 3番までは2.7km、さっきの白人が追い抜いていった。3番金泉寺の門前に着くと、先ほどの3人組がいた。ちゃんと全部巡るのだろうか。また写真を頼まれたので撮ってあげる。金泉寺は大師堂が大修理の最中、本堂の横の小さなお堂が仮の大師堂になっていた。こういう事はよくあること。でも、ぼくはちょっとうろたえて明後日の方向を探してしまう。慣れてるようで、初日だからまだ慣れていない部分があるみたい。山門を出てくると白人が煙草を吸っていた。遍路と煙草は最もそぐわないものだとぼくは思っている、でも自転車遍路はある意味遍路ではないから、しかも外人だから、問題にすべき事ではないのだろう。
 初日の宿「旅人の宿道しるべ」は金泉寺から1.2km、遍路道をはずれて山側の方角にある。しかも道がちょっとわかりにくくて、昨年は迷って地元の人に道を尋ねて、やっと到着した。そのとき道を尋ねた人が、姫路市飾磨区に一時期住んでいたことがあると言って、ものすごく驚かれたのが印象深かった。今回はもちろん迷うことなく、しかも近道でなんなく到着することができた。
 3時に着いたけど入り口は閉まっていた。入り口の横にベンチがあったのでそこに座って待つ。30分ほど待つとご主人夫妻がでっかいバイクで帰ってきた。この宿が自転車、バイクだと500円引きになるのは、オーナーがライダーだったからなのです。昨年は素泊まり3800円だったのに、今年は4200円。夕食は1050円、朝食は525円。洗濯乾燥無料、金泉寺まで送迎もしてくれます。とても新しく気持ちのよい宿、隣の部屋との境は押入になっているので、全く気にならない。部屋数は6室。値上がりはしたけど、この値段でも本当に納得のおすすめの宿です。

 1日目の歩行距離(1番から) 5.1km
       歩行時間       47分
       平均時速       6.51km

1日目 (3) 1番札所

2008-05-23 | 08年四国の旅
 ドイツ館の受付では荷物を預かってくれたので、ゆっくりたっぷり1時間以上見学できました。一番感動したのは、手作りの不格好なコントラバスの写真でした。そこまでして音楽をしたいという情熱はどこからくるのだろう。そして、そんな不完全な楽器で演奏したベートーヴェンはいったいどんな音がしたのだろう。
 ドイツ館から10分ほど歩いて13時25分に霊山寺に到着です。もう6回目になるので取り立てて思うところもなく、淡々とお参りを済ませる。山門を出てきたところで若い女性3人組に写真を頼まれる。彼女たちは遍路装束を身につけていないし、車で廻っているようだったので、たんなる観光客という感じ、写真を撮ってあげたあとぼくも頼みました。お礼を言い合ったあと、13時45分極楽寺に向かっていよいよ歩き始めます。

1日目 (2) バルトの楽園

2008-05-22 | 08年四国の旅
 鳴門西のバス停は南側に到着します。霊山寺は南東の方角にあるのでそのまま南側の出口から下りかけたのですが、こちらに下りると道がない。あわてて地図を思い出し、神戸大阪方面のバス停へ向かう。トンネルをくぐって北側の道に出ないと霊山寺には行けないのです。高速沿いの北側の道を東へしばらく行くと階段になっていて、階段を下りたところの交差点をそのまままっすぐ行くべきなのですが、その前に左へ折れてバルトの楽園に行きました。
 ここが、日本で初めて第9が演奏された場所であることは5年前に初めて来たときから知っていたし、その記念碑も見たのですが、肝心のドイツ館は見学できないままでした。目的はあくまで霊場を巡ることなので。でも今回は充分時間を見込んで近いバス停に降り立ったので、まずは見学です。
 想像以上に立派な建物でした。それもそのはず、このドイツ館は2代目なのでした。最初のドイツ館は36年前に建設され、新しいものは15年前に建設されました。ドイツ兵俘虜収容所はこのドイツ館から南へ500mぐらいの所にありました。ぼくは映画も見たし、映画の参考にもされた中村彰彦氏の「二つの山河」も読んだけれど、本当にそんなことがあったのだろうかといまだに信じられない気持ちが拭い去れずにいます。さほどに、ここで行われたことは奇跡としか言いようがないように思える。そしてその奇跡はベートーベンが9番シンフォニーに込めた理想を具現したことにほかならない。

1日目 (1) 高松行きで

2008-05-21 | 08年四国の旅
 6回目にして、初めて高松行きのバスに乗りました。1番札所霊山寺は徳島の鳴門市にあります、だから徳島行きのバスに乗ること以外は考えたこともなかった。ところが、霊山寺に一番近い高速バスの停留所は高松行きのバスしか止まらないのです。そのことに気がついたとき、今までなんて無駄なことをしていたのだと、かなり悔しい思いをしました。徳島行きのバスだと、高速鳴門で下りても、徳島駅で降りてもそこから280円分電車に乗って板東まで行かなくてはならない。板東から900m歩いて霊山寺に到着ということになる。高速鳴門の場合はさらにバス停から駅まで1km歩かなくてはいけない。高松行きのバスしか止まらないバス停、鳴門西から霊山寺までは1kmくらい、1時間以上無駄に費やしていたことになるのです。

無事帰宅

2008-05-20 | 日記
 予定通り、108霊場を打ち終え、本日帰宅することができました。
33日で1270kmを歩き通すことができたのは、やはりお大師様のおかげだと思い知りました。今年は本当に何人ものお大師様と出会うことができました。
 体重は54.2kg、ウエストは70cmまで絞ることができました。