WALKER’S 

歩く男の日日

17年 四国の旅 索引

2017-08-31 | 17年四国の旅

 1日目  1~10
 2日目 11~17
 3日目 18~19
 4日目 
 5日目 20~22
 6日目 23
 7日目 24
 8日目 25~27
 9日目 28
10日目 29~32
11日目 33~36
12日目 37
13日目 
14日目
15日目 38
16日目
17日目 39~40
18日目 41~42
19日目 43
20日目 44
21日目 45~51
22日目 52~53
23日目 54~59  61~63
24日目 60
25日目 石鎚山・64
26日目 65~66
27日目 67~75
28日目 76~82
29日目 83~85
30日目 86~88
31日目


31日目 民宿八十窪~バス停鳴門西

2017-08-11 | 17年四国の旅


 二人は車でバス停まで送ってもらう、1番まで電車で戻るようです。1番の売店で納経帳を買ったから、戻らなきゃいけないものだと思っていたようです、方々で1番で2回納経するようになっているのは1番で売っている納経帳だけだと後から知らされた、でもそのページを埋めないのも気持ちが悪いので電車で戻ることにした、車を見送るときに若女将に来年は逆打ちなので1番に来ますと約束する、これで3つの宿で来年来ると言ってしまったから、何としても来るよう努力する。


 宿を6時38分に出発、10番ではまだお参りしていないので、県道2号を南下しています。この陸橋は地図の11.4km地点から400m南下したところ、川を渡るとすぐです。この陸橋には赤線はなく、赤点線はもう200m先で左に入るのですが、前々からここに来るたび犬墓大師堂が気になっていて、大師堂に行くにはこの陸橋で左に入るしかありません、外にも道はあるけどかなり遠回りです。宿からここまで11.8kmを108分で来たから時速は時速は6.5kmです、新しいトンネルもできたから距離は少し短くなってるでしょうね。


 陸橋を渡る、


 2分でちゃんとした道に合流、出たところの道も赤線はありません、赤点線は大師堂の前を通らない。


 さらに1分で大師堂に到着、ちゃんとお大師さんも居られます。

 こちらが大師堂、おばあちゃんがいたので、ここに来るお遍路さんはいないでしょう、と訊いたら、そんなことはないよ、この間も錦の札を置いていったお遍路さんがいたよ、と教えてくれました。江戸、明治の時代は10番の方へ戻る人はいなかったようだから、こちらの道は全部遍路道ではなかったともいえるけれど、そういう超々ベテランのお遍路さんが来るのであればここはもう現代の遍路道と言えるでしょう。


 大師堂の前からの道です、


 大師堂から300mほどで突き当たって左折、赤点線の道にここで合流、赤線はこの右から来て左へ行く、


 赤線の道だから行政の矢印が、赤線の道を来ても600mほど寄り道すれば大師堂へは行けることになります、ぼくは結局この手前の赤線を歩き残したことになります、毎度締まらない話です。


 矢印、


 向こうのガードレールの下に川が流れています。


 川を渡ります、


 川を渡って上の道に合流するところです、へんろ地図には大北通学橋と書いてありました。


 川沿いの道に上がったところに行政の矢印、


 90mで左上の道に上がっていきます、


 2分ほど来たところ、


 前の写真から12分、少し遠回りですが、気持ちよく安心して歩ける道です、なぜ今までこちらに来なかったかと思うくらいです、この赤線は昔の人が歩いたということではなくて、県道を行くより安心して歩けるから付けられた、と思われます。


 切幡寺まで5km、古い矢印はほとんど見かけないから、このシールが貼られたときに剥がされていったと思われます、


 宿を出てから2時間20分、徳島自動車道の下を抜ける、地図では14.4kmだから時速は6.2kmくらいです。


 ずっと県道を来る道との合流ポイント、ここからは何度も歩いた道になります。


 合流ポイントの生き残った矢印、ここに貼るシールがなかったから剥がされなかったのでしょう。


 そして県道に合流、


 2時間54分で10番札所切幡寺に到着、県道の道のベストより15分ほど遅かったのですが、次回からももちろん脇道の方を行きます。

 境内には歩きの人は見えなかったのですが、10時30分、山門を出ると、すぐ登ってくる人に出会いました、7番あたりから出るとこの時間になりますが、11番から先には行けないからずいぶん時間を余らせることになるでしょう。
 もう5月の半ばというのにその後も次々歩きの人に出会います、10人くらいの歩きツアーの人たちを含めて27人の歩き遍路さんに出会いました。
 安楽寺を出て県道12号の交差点を横断しようとしたら、10mほど左の県道脇に立っているお遍路さんがいて、あんなところで何をしているのかと気になって声をかけようかと近づいていくと、バス停でバスを待っているだけでした。なんだ、と声をかけずそのまま行きすぎて久々に県道を行くことになってしまいました、この道を歩いたのはおそらく最初四国に来たときだけだったと思います、
 この偶然のおかげで1kmほど進んだところで出会ったのがフランスのマリクレール・ヴィダルさん、挨拶をしてそのまま行き過ぎようとしたのですが、何となく立ち止まって話をすることに、彼女は日本語が話せました、ぼくの名刺を見て名前を読むこともできました、一巡を終えて今日は安楽寺の宿坊に泊まる、彼女は全部に宿に泊まりますが次回は通夜堂にもぜひ泊まりたい、そして次回は無理だけどその次には絶対逆打ちをしたいと熱を込めて語ります。聞くこと全部が驚きで感動してしまいました。もう後は1番でお参りしてバスに乗るだけと思っていたところにこの出会い、今年はきついことも何回かあったけれど、その何倍も良い出会いがありました、昨年も充実していたけれどはっきりそれ以上だと言えます。最後の最後でまた来年の楽しみが一つ増えました。


 1番霊山寺もきちんとお参りしたのですが撮影は忘れてしまいました、最後ヴィダルさんに会えたことでもう意識は来年に飛んでいるかのようでした、
 鳴門西PAに着いたのは14時50分、今年は余裕をもってトイレにも行けるしアクエリアスも買うことができました、これが1067枚目、今年最後の写真です。
 これにて、2017年四国の旅完了です、長々お付き合い頂いた皆様、本当にお疲れさま、そしてありがとうございました。


30日目 民宿八十窪にて

2017-08-11 | 17年四国の旅


 16時28分、例年より30分から1時間遅れで、88番札所大窪寺の門前にある民宿八十窪に到着しました、大窪寺よりもこの宿に帰ってくることが結願という感じがしないでもありません。食堂の窓からこちらの方を見張っていた大女将が出迎えてくれます、いつものように、何回も来てくれてるね、と言われて、お遍路は11回目こちらの宿は10回目ですと答える、それだけ来てくれてたら覚えているはずだわ、これもいつもの受け答え。ぼくが最後ですか、と訊くと、大きくうなずく。志度からだとすごくゆっくりな人でも、15時くらいには到着できます。八栗からだと時間はかかりますが八栗に宿をとる人は少ない、Tさんも田尾さんも八栗だったけれど翌日は長尾でした。

 2回目の人が一人、あとの3人は初めてのようでした、ぼくの左に座った二人はもう何軒かの宿で一緒だったのか知り合いのような感じです、ビジネス旅館小松には電話をしたけれど連休中だったので満室、やむなく鈴に宿泊したそうです。おそらくぼくが泊まった2日前の5月6日、だとすれば、新居浜、三島、民宿岡田、ということになってやはり雲辺寺の手前まで3日かけています、想像以上に新居浜で区切る人は多いようです。
 右隣の人は初めてで何処まで歩けるか、何時頃に着くかが読めなくて、宿をとるのに苦労したといっています、余裕を持たすと早く着きすぎてしまう。
 大女将が話しているのをニコニコしながら聞いているだけでほんとうに幸せです、この幸せを味わうために、また明日から準備を始めることになります、明日は10番と1番のお参りが残っているから、明後日からというのが正確ですが。

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30日目 岡田屋旅館~民宿八十窪

2017-08-09 | 17年四国の旅


 玉子かけご飯も嫌いではないけれど、消化が悪いから玉子焼きがやっぱりベスト、この宿も最初で最後のつもりだったのですが、絶対戻ってきたい、来年は逆打ちなので無理ですが再来年以降は、国分寺から歩き始めて、81,82,83、そして屋島を飛ばして85に直行すれば距離がちょうど40km、そして翌日も屋島を経由して88番まで38kmで行けます、それだけのことをする値打ちのある素晴らしい遍路宿、ぼくの好みでは横屋が1番、この宿が2番です、3番は青空屋。
 食事の後.Tさんが撮影したいと言って、ぼくと女将さんの2ショット、Tさんと女将さんの2ショット、Tさんとぼくの2ショットを次々段取ります、手際が良くて女将さんもされるがまま、おそらくほとんどの宿で同じことが為されてきたのでしょう、断られることもあるのでぼくは自然とお願いするのは止めてしまいました、ただお願いされた場合は必ず受け入れるようにはしています。帰ってからしばらくしてその時の写真が印刷されたカモメールが届きました、すごくマメな方です。



 7時ちょうどにTさんより一足早く宿を出発、女将さんが見送ってくれるときに、ぼくが逆打ち方向に下りようとしたので、お大師さんのところから昔の山道が整備されたのでそちらの方を行くようにすすめられました、数年前に整備されたその道は登り口に大きな看板が出ているので承知はしていたのですがまだ踏み入れてはいません、下りなので入る気はなかったのですが、せっかくすすめられたので初めて歩くことにしました、思った以上に歩きやすく整備されていて、登りの場合も舗装道より楽に歩けそうな感じです、
 Tさんに教えて貰ったお遍路休憩所仁庵です、上から下りるとケーブルカー駅のちょっと手前です。


 大分前から開設されているようですが、白いきれいな看板は最近設置されたばかりなので全然気づかなかった、


 ケーブルの駅から100m下ったところで左折、六万寺に向かいます。白黒の地図にはこちらに赤線があったのでこの道に入ったのですが、帰ってからよく見直すと昔の道ではなく車道と書いてありました、残念、


 でも歩いている時点ではこちらが昔の本道だったのだと確信しています、県道はなかったはずだから皆ケーブルのところまで打ち戻っていたはずだと、


 突き当たったところが六万寺の塀のようです、


 宿から68分で六萬寺に到着、


 六万寺でお参りを終えて出てきたところに、Tさんが反対の方からやってきました、こちらの方が昔の道なのですよと偉そうに説明したのですが、どうやら単なる勘違いでした、
 六万寺からはTさんが来た145号の方へ一旦少し戻って、右折して南下する道に赤線があります、英語の地図もその道にだけ赤線がありますが、白黒の地図ではその道に赤線はなく、少し西側の道で南下して蓮池の北側から牟礼中学の北側を通って県道145号に入る道に赤線があります。どちらが本当か、昔の道か、よく分かりませんが距離はあまり変わらないので、時代により、どちらの道もある割合で使われてきたのだろうと想像するしかありません。
 写真は、白黒の地図の赤線の道に入ったところです、最初、自分の地図の書き方が曖昧でかなり迷いました、


 3分で広い道に出てくる、


 右折して蓮池の方へ、赤線はないから矢印もありません、自分の地図だけが頼り、


 前の写真から8分、蓮池を右に見て、牟礼中学を右に見て、牟礼中学の北東の角からこの急な下り坂です、


 写真でも分かるほどの急傾斜、向こうに志度の海が見えています。


 県道に突き当たって右折したところ、赤線の道とここで合流、


 踏切を渡って国道に合流、


 右が琴電八栗新道駅、踏切のむこうはJR讃岐牟礼駅、


 8時47分、六万寺から52分で86番札所志度寺に到着です。


 9時03分に志度寺を出発、11分で国道11号に合流したところです、地図の最後のページ、106-1。番外長福寺に向かっています。八栗からだと、13時に88番に着いてしまうので番外の道を歩きます、ここからはずっと国道なので写真は撮りませんでした、


 志度寺からちょうど1時間、やっと到着です、初めての道なので、すごく長く感じました、


  国道を右に折れてちょっと入ります、


 山門の横にあるベンチで休んでいたら、50代、70代くらいの女性の親子と思われる二人がやってきて、挨拶したときに、お母さんが、大病をしてお大師さんに救ってもらった、以来毎月お参りに来ているのだと教えてくれました、ぼくは札所ではとくにお願いすることはないのですが、今回の旅では本当にお大師さんのおかげを感じずにはいられませんでした。


 お大師さんがこの地に極楽寺を移し、長福寺も同時期に建立したとあります、番外霊場は当然のことのようです。 長福寺を10時17分に出て400mほど来たところです。


 さらに17分、鴨部川の土手を走る県道140号に上がってきたところです。


 鴨部川を渡ったところ、目の前の高松自動車道をくぐって南下します、


 高松自動車道を抜けると、すぐ右折、西へ向かいます、


 高松道を抜けて15分、ちょっとした山越えの道に入ります、


 さらに4分、ここが峠のようです、


 峠から8分、左折して南へ向かうところ、向こうに見えるのは女体山か、


 11時17分、長福寺から59分で番外霊芝寺に到着です、矢印はなかったのですが何とか迷わず来られました。


 霊芝寺の平で一段高くなったところに人影が見えます、こんな番外に来る人も居るんだと、境内に上がってみると,Tさんでした。長福寺に行くと、志度寺からここまで12kmほどですが、志度寺からここに直行すると4km、ぼくの方が8kmほど多めに歩いているから追い抜かれて当然なのでした。


 こちらも弘法大師の草創されたお寺、本堂は1802年に再建されたもの、




 Tさんと二人並んで休んでいるところにわんこがやってきたので、別格1番大山寺でわんこがず~っと先導して境内まで案内してくれたと話したら、Kさんも全く同じことがあったと言います、慈尊院から高野山まで大師を導いた白い犬の伝説は二人とも知っていて、お大師さんの犬だったのだと二人して改めて懐かしく思い出しました。88番大窪寺でも迎えてくれるわんこがいるけれど3年前、八十窪の前で前足の片方が使えないほど傷ついて本当にかわいそうだった、ということもここでお話しました、夕食では2時間以上、朝食の時も1時間近く話したのに、ここでも40分も話してしまいました、言っておきますが、ぼくはお喋り好きでも得意でも何でもなくて,Tさんが話し好きでそれに引きずられているだけのことです、お遍路の体験も知識も豊富だから聞いているだけでも楽しくなってきます。
 霊芝寺からは一緒に歩きますが、最初のところで道をきれいにはずしてしまいました、ぼくの地図にはない道が微妙に本当の道の近いところで分岐していて入ってしまいました、でも、あまり遠回りにはならず本当の道に合流できて大怪我にはなりませんでした、Tさんは前にご主人と一緒にここの正しい方の道を歩かれたそうです、もう一度やり直したいでしょ、とぼくに訊かれたのですが、このときはそんなに残念というほどではありませんでした、というのも、今回は20ヶ所近い初めての道を歩いたのですが、詰めが甘くて、完璧に歩けたのは徳島の地蔵院から阿波おどり会館までの道と、四十寺だけでした。あれだけ時間をかけてパソコン地図とにらめっこしながら地図を手書きしてもこの程度、でも完璧だとあとは崩壊するのみと仏教の教えにあるように、またこれから先の楽しみを残しておいたと思えば落胆するほどのことではありません。

 番外の道から本当の赤線の道に合流するところでTさんを撮影させて貰いました、


 霊芝寺から35分かかっているので時速は5.3kmくらいでしょうか、へんろ地図の距離表示を信用するなら4.4km、Tさんのペースに合わせています、


 霊芝寺から38分、12時40分に玉泉寺到着、いつもは素通りですが、今回はきっちりお参りしました。Tさんとはここでお別れ、Tさんは長尾で宿泊ですが、ぼくはまだその13km先まで行かねばなりません。
 87番札所長尾寺に到着したのは13時12分、いつも長尾に来るのは12時過ぎなのでかなり焦っていて写真を撮る余裕もないほどでした。


 長尾寺を13時23分に出発、14時17分におへんろ交流サロンに到着、ベストを狙う勢いだったのですが、2分遅れでした。
 お遍路大使のバッジと任命証は、名簿の記入ではなくて新たに専門の申込用紙に記入するようになっていたので、今日何人くらいここに来たのかは名簿を見ても分からないようになっていました。ぼくは何回も来ているのでDVDは別格のをいただきました。バッジをいただくのは4回目,DVDをいただくのは3回目です。


 新しい山門のすぐ手前ですごくうれしいことがありました。近所のおばあちゃんが犬の散歩に出るところに遭遇したのですが、リードにつながれたそのわんこは前足の片方の先がありません、ないけれどきれいに治療されていて3本足で元気に歩いています。今まで4回出迎えてくれたわんこは首輪もないフリーでしたが、怪我を見かねて近所の人が治療してくれてちゃんと飼ってくれているのに違いありません、そして、そのことを見せてくれるように出てきてくれたに違いありません、散歩の時間はばあちゃんの意志ですが、それ以上のものを感じないではいられませんでした。
 交流サロンを14時34分に出発して、いつものように花折峠経由の昔ながらの遍路道で101分で到着、ベストより2分遅れ、最後の最後まで焦り気味で脇道はあまり味わえませんでした。16時12分、最後のバスが出た後にここに来るのは初めてです、当然境内に歩きの人は見あたりません。


29日目 岡田屋旅館にて

2017-08-08 | 17年四国の旅

 屋島で一緒だった女性はぼくより1時間以上遅れて岡田屋に到着、何をしていたかというと、洲崎寺の近くのお接待所でゆっくり食べてお話しして、もう締まり掛けの時間だったので残った羊羹やお菓子を全部いただいて、屋島で見かけた野宿の青年に再び会ったら、夕食の調達がまだだというのでもらったお菓子を全部青年にあげて、さらに八栗の登り口の近くにある仁庵というお接待所に立ち寄って、そこはすでになじみなので手作りゼリーやなんやらをまたたっぷりいただいてゆっくりお話ししてこういう時間になってしまったそうです、すごい、お遍路の達人です。地元の人と立ち話をするのがお遍路の一つの醍醐味と言われていて、何回も巡っていると、それは本当に感じることで、それを第一の楽しみのように巡っているというのは本当に素晴らしいなと思います。ぼくなどは話し下手だし、どうしても回数が多いと、自慢話のようなことが多くなりがちで、そういうのはできるだけ慎むように心がけているのでなかなか話が進まないという感じになってしまいます。ぼくはどちらかというと、話を聞きたい方です、初めての人でもベテランの人でも、いろいろ考えることや味わいや知識なども違うから、どんな人からでもどんな話しでもありがたく聞けます、


 夕食は18時30分から、これだけじゃありません、

 天ぷらが超熱々の状態で3回に分けて出てきますが、これは第2弾、第1弾のハモは撮り忘れてしまいました、ぼくはおそらくハモというものを食べるのは初めて、関西にいるとハモは京都の料亭か何かでちょっと経済力のある人たちが上品にいただくものだと思っている、もちろん京都に住んでいる人たちも普通に食べるのでしょうが、関西の西の端っこにすんでいるぼくたちには全く縁のないものだと思いこんでいます。
 その初めて食べたハモの天ぷらというものが、えっと声を上げるくらい美味しいものでした、プリッとしていてツルンとしていて白身なのに濃厚な美味さもあって、笑みがこぼれそうなほどの快感、幾度となくテレビで骨切りというものを見ていると、あれだけザクッザクッと音がするくらいだから少しくらい骨を感じるじゃないかと疑っていましたが、おもしろいほどなめらかであの骨切りがここまでなのかと自然に頭が下がりました、

 第3弾で打ち止め、隣の女性は仁庵でいただきすぎたので、第3弾は食べられなくてぼくに食べてちょうだいと勧めてきて、余裕があったので食べて差し上げました。今年は同宿の方に勧められるのはこれで3回目、くろうさぎでは女性のMさんがお肉は駄目なのでとすすめられていただいたのですが、ときわ旅館では魚料理もあったのでさすがに断るしかありませんでした、人のものでも出されたものをそのまま返すというのはせつないものがあるので、忸怩たる思いもあったのですが、あのメインを二人分平らげる自信はさすがに持ち合わせていませんでした。
 食事をしながらも、話は全然尽きません、女性は広島のTさん、食事の後に納札を頂きぼくは名刺を渡しました。
 2日前、弥谷寺に向かう道中、Sさんに、民宿大岐の浜で八十八ヶ所の奥の院の写真と御朱印のコピーをファイルにしたものを見せてもらったと言ったら、Sさんが、それと同じのを八栗の岡田屋さんで見ましたよ、と話してくれました。
そして、そのことを屋島でTさんに話したら、そのファイルを作った超ベテランの青木さんと知り合いだという、3回ほど出会ってお遍路の距離と高低のグラフになったの(多くのヘンロ小屋に貼り付けてある)をいただいたそうです。青木さんの写真を大岐の浜で見せて貰ったのですが、たぶんぼくも2年前出会っています、胸にへんろみち保存協力会のへんろ人形のバッジをつけていたので、宝寿寺で見かけた人に違いありません、青木さんは本当にすごい人で遍路宿に300軒以上泊まっている、これからさらに400軒を目指しているそうです、ぼくなどは200軒でもう充分、これ以上開拓する余裕は全くありません。
 Tさんは何回巡っているかは聞かなかったのですが、ぼくなどが知らない宿のことなどもよく知っていて貴重な情報をいただきました、まず土佐久礼のゲストハウス恵、ここのおばあちゃんとも仲良しで予約の電話でも長話するのが楽しみだそうです、恵はごく最近へんろみち保存協力会のサイトでも紹介されていて新しいへんろ地図には載るようです、土佐久礼には二つの宿があるけど両方ともクセがあるからおすすめしにくい、いい宿を教えてもらいました、
 もう一つは土佐佐賀の漁家民宿海生丸、佐賀は内田屋が廃業で宿がなくなってしまった(新しい地図では坂上が復活していますが)ので、うれしい情報です、帰ってから黒潮町のサイトを調べると外にも漁家民宿は2軒、いずれも2食付き7000円、素泊まり3500円。今年は1日20kmペースの人に会うことが多くて、やはり佐賀にも絶対宿は必要だと思いました。
 食事が一段落すると女将さんがコーヒーを煎れてくれます、そのあともしゃべりに喋って、本当に止めどがないとはこのことでした、


29日目 お遍路ハウス八十場~岡田屋旅館

2017-08-08 | 17年四国の旅


 10時10分に出発、待ちに待った初めての道です。これから歩く道は英語の地図でごく最近知ったものですが、帰ってから本当にがっくりするようなことがありました。ぼくは今まで日本語のへんろ地図を4回買っていて、手元に置いていつも見ているのは3回目に買った07年の第8版、これには距離や時間などの書き込みがいっぱいあって使い易いので、一番新しく買った10年の第9版は引き出しの中に眠っている状態、久々にその第9版を開くことがあって、たまたま高松市街の地図を見ていたら、なんと英語の地図の緑の線の江戸時代の道がちゃんと赤線で記されているではありませんか、この7年くらいの間にお遍路を始められた人はみなこの道を知っていたということになります、偉そうに知ったかしていたのがちょっと恥ずかしい。でもどうでしょう、二つの赤線の道を見て初めての人はどちらを選択するでしょう、江戸時代の道はとにかく曲がり角が多くて最後の方は明らかに遠回りの感じもする、明治以降の道はとにかくスムースで迷いそうな感じがしない、おそらく8割以上の人が迷わず県道を北上するような気がします、ぼくも絶対そうしたと思います。


 一宮寺の山門から200m北上して県道12号に当たったところです、ここのすぐ右に県道172号とクロスして、そこから北上するのが明治以降の道、赤線はちょっと先から172号に入るようになっていますがこの手前には信号がないからみんなローソンのある交差点まで行く、


 信号のある交差点の手前で県道を横断したところ、矢印いっぱい、この部分には赤線があるから地図に従う人もいるかも、


 すぐ古い道しるべもありました、


 明治十九年三月、


 ちょっと右へ寄れる、手前がちょっと斜めなので、この先からほぼ真北、


 真北に入ったところ、ここで県道を横断してから70m、


 県道から160mで突き当たって右折、矢印もあります。


 右折して15mで県道172号を横断、ぼくのパソコン地図ではここに信号があったのでちょっと首を傾げる、信号を目印にすると、なくなったりできたりがあるから変に引っかかることがあるものです、


 最初この道を歩いたときこの県道を横断した先で間違った道に入ったのでここからやり直したときの写真です。
 県道を横断するところ。


 右手に天然温泉きららの宿泊棟、最初はこの少し手前で左折してしまった。


 きららのすぐ先で左折する道に入る。


 分かりやすいへんろ石もある。


 水路沿いの細い道を行く。


 この交差点は右折、


 右折して同じような道を行く。


 道なりに左折していく、


 左折したところ、


 病院の前の広い道に突き当たって右折する、ここからは最初の時に歩いているのでバトンタッチ。 


 水路沿いの細い道を右折したところ、ちゃんと矢印もある。すぐ先で国道を横断して直進。


国道193号を横断して20m、ちょっと右へ寄れる、


よれるとすぐ神社の前、神社は小さいけれど大きな目印になります。ここで10時25分、一宮寺からまだ15分です、


 先の三名神社から東へ60m来たところ、左折の矢印。ここから先は日本語の赤線と英語の緑の線はちょっと違っています、この矢印は英語の地図に従っています。


 この道しるべは新しいのか古いのか、いずれにせよ英語の地図の方が正しいようです、


 左折して北へ向かったところ、


 120m北へ進むと右折、ぼくのパソコン地図ではこの先に道はないけれど、



 ちゃんと道は続いていました、さっきのところもきっと歩ける道があったに違いありません、また次回のお楽しみにします、


 ぼくの地図では道が切れているところ、これだけはっきりした道なら記載されてない方がおかしい、


 120mで左折、日本語の地図の赤線はここで右の方から合流してきます、おそらくぼくの地図でも道が切れていたので、それを考慮しての別の道になったのかもしれません。日本語の地図を持っている人は地図より矢印に従えば問題ありません、
 その前で野良仕事をしている男性に、これが昔の道ですよね、と訊くと、ああそうだよ、と軽く即答してくれました、地元の人はやはりはっきり認識しています。


 矢印も確認して北上します、


 このよれ具合がいかにも昔の道、県道や国道とは比較にならないほど歩きやすく気持ちがいい、


 北上の道に入って200mで左へクランク、


 道しるべ、


 矢印も、


 クランクしたあともまだまだいい感じです、


 真っ直ぐですが。矢印、


 クランクから300m北上すると太い道に当たって、右折、拡幅工事の最中のせいか矢印は見あたりませんでした、10時35分、一宮寺から25分です。


 拡幅工事中の道を東へ、


 Glitter3、大きな目印、前の交差点で矢印がなかったので少し心配していましたが、このマンションで確認、


 拡幅工事の道を200m来たところ、県道の少し手前で左折します、


 左折したところ、水路沿いの道を北上します、矢印はないけれど水路が大きな目印です、


 90m進んだところに矢印がありました、


 水路の道を300m進むと、水門のところを斜め右へ、


 斜めの道、矢印も見えます、


 斜めの道を100m進むと、県道280号を横断します、


 横断する手前に矢印、


 横断したところに福田恵峰さんの矢印、向こう側、


 県道から40mで小橋を渡って水路の右側へ、


 水路の右側の道へ、


 小橋から40mで右折、


 右折したところ、


 右折して70mで県道166号を横断します、10時45分、一宮寺から35分です。


 県道を斜めに横断、


 横断したところにも矢印、


 横断して100mで左折、


 左折すると水路が右、


 前の左折ポイントから北へ150m進むと、県道147号を横断します、


 県道から120mで左に太田百華幼稚園、これも目印です、


 幼稚園から230m、左に水路が現れると、間もなく右折です、


 意外や、行政の新しい矢印、まだ11kmもあります、


 右折したところに、伊藤さんの逆打ち矢印がありました、確かに逆打ちだとここはすごく難しい、


 右折して東へ向かう道、


 右折して170mで踏切を渡ります、


 踏切を渡って50mで左折、


 左折したところ、道は広め、


 左折して640mで高松自動車道の下を抜ける、


 高松自動車道を抜けて80m、右斜めの道に入ります、11時04分、一宮寺から54分です。


 分かりやすい斜めの道です、


 斜めの入口に矢印、


 斜めの道は180mで右によれて真東に、真東になって150mで左折、


 左折したところ、


 110m来たところで右折、


 右折したところ、


 100mで太田小学校東の信号がある交差点、矢印は左折ですが、英語の地図では直進なので、地図に従います、


 交差点を渡ったところ、この先は矢印がないはずだから慎重に地図とにらめっこ、


 信号から150m、最初の左折れがあるところで折れる、


 左折したところ、


 100mで池の横に出てきました、正解でした、


 蓮池の北に隣接する伏石中央公園の北東の角でちょっとクランクです、


 クランクすると右手にさらに大きな池、向こうには屋島もくっきり、


 池の横の道に福田さんの矢印、


 池の北西の角の交差点です、直進の矢印、11時22分、一宮寺から1時間12分です。


 前の写真からそのまま北へ270m直進したところです、ここで右折、カーブミラーのポールにたくさん矢印があります。


 右折したところ、


 420m来たところで信号のある大きな交差点、ここは直進です。


 交差点を渡ったところに矢印がありました、


 交差点から130mで左折です、


 左折したところ、


 ちょっと分かりにくいポジションですが、前のところから320m北へ進むと突き当たって右折です、突き当たりは迷いにくいけれど、こんなのは少ない、


 これが突き当たり、ちょっと手前に矢印があった、


 突き当たりのポールにも矢印があります、


 右折したところ、


 突き当たりから270m東へ進んで、左折、


 左折して170mで県道10号を横断します、


 横断したところに直進の矢印、


 県道から350mで右折、矢印は見あたりませんでしたがすぐ向こうに踏切が見えているので間違いありません、


 右折したところ、11時44分、一宮寺から1時間34分です。


 前の交差点を右折してから150m、左に鉄道が寄り添ってきます、踏切の下に矢印、これは枯雑草さんのブログで見た覚えがあります。


 踏切を渡ったところに福田さんの矢印、向こうの電柱にも見えます、鉄道ができる前は、前の交差点から直線の道だったことは明白、


 踏切を渡って右折したところ、ここから向こうに見える電柱までの道は鉄道ができたときに合わせて造られた道、その先からは昔からあった道で踏切の手前の道と直線で繋がっていたはずです。


 踏切を渡って55mのところの信号のある交差点を渡ったところ、ここからが昔の道、


 前の写真から270m来たところ、140mで左から来る県道10号に合流して、このすぐ手前で右から合流してくる県道43号を横断したところです。


 すぐ橋を渡る


 県道に合流してからは、矢印はなく、真っ直ぐだけれどちょっと立ち止まることもあったのですが、橋を渡るとすぐ反対側の電柱に矢印が見えました。


 橋を渡って100m、左に木太小学校、


 さらに120mで高松木太町郵便局、


 さらに30mで左折、これだけ矢印があるのに、向こうのローソンに向かいかけました、地図の書き方がちょっと大雑把でした、細かい地図を作ったりしてある程度理解していないと、へんろ地図だけではこういうことが度々起こるかもしれません、


 左折して路地に入る、こういう道だったので行き過ぎかけました、


 路地を出て左折、ここからはもう迷うことはないでしょう、踏切からここまでがちょっとだけややこしいところでした、地図を作っているときに感じたそのままでした、


 左折したところ、おもてなしネットワークの矢印もずいぶん剥がされたみたいだけど、こういうところまでは手が回らなかったのでしょうか、


 前の写真から140mで二またに分かれたところを右へ、


 方向としては北から北北東になった感じ、11時58分、一宮寺から1時間48分です。


 二またの北北東の道は170m進むと少し左によれて、真北に近い方向になります、そのすぐ先で自販機があったので休憩を入れました、2時間近く歩きづめで、天気がよく気温もかなり上がっているようです。昨年も番外の光貴寺から法然寺に向かうときに高松市内の最高気温は30℃を越えて、思わぬところで倒れ込んだのを思い出します、
 12分ほど休みを入れました。


 方向が北に変わって370mで右折です、


 右折したところ、右折といってもちょっと斜めです、


 前の写真から東北東に300mで左折です、


 左折したところ、真北に向かっています、


 180mでJRの下をくぐります、


 JRをくぐって140mで県道155号に突き当たって右折です、


 県道を東へ、右はマルナカ、


 県道に入って1100m、二つ目の橋です、


 渡り終わったところに行政の矢印がありました、左折します


 左折したところは川沿いの道と少し右の二またになっているので、この剥がされかけた矢印はそれを示しています、


 二またの右の道に入ったところにも矢印、


 真っ直ぐ行けば合流ポイントです、むこうはもちろん屋島、


 国道の交差点が見えてきます、


 国道を歩道橋で渡ります、12時41分、一宮寺から11758mを2時間31分、休み時間その他を除くと時速は6kmちょうどでした。
 いつも歩いている県道172号の道より900mの遠回り、ほとんどの人が歩く172号の道はここまで分岐や曲がり角が6ヶ所くらい、今回ぼくが歩いた江戸時代の道は30ヶ所くらいありました、気持のよい歩きやすい道が多いのですが、気安くおすすめはできません、地図を読むのが苦手な人は絶対止めた方がいいと言っておきましょう。


 屋島の登り口の手前、屋島小学校からの400mの急坂は四国の山道で一番苦手かもしれません。階段のない登りの中では一番角度が急ではないかと思いたくなるくらい大嫌いな道です。いつもは瓦町か栗林公園の近くの宿から朝一で登るのでまだ我慢できるのですが、今回は初めて27km歩いた後で登ることになるので、耐えられずへたり込んでしまいました、屋島の途中で休みを入れたのは初めてです、
 84番札所屋島寺に到着したのは13時28分、一宮寺から14459m、正味の歩行時間は157分、平均時速は5.54kmでした。
 日曜日なので観光客は多かったのですが、歩き遍路さんは2~3人というところでしょうか、お参りを終えて納経所の横のベンチで休もうとしたら、歩きの女性が靴下を脱いで休んでいるところでした、一宮寺の近くで泊まるとここまではもう少し早い時間に来るのが普通なので、どういうことかと尋ねれば、一宮寺の近くのそらうみから番外の仏生山法然寺にお参りして春日川沿いの赤線の道で屋島まで来た、ぼくとはまた別の赤線の道、そして今日の宿はぼくと同じ岡田屋さん、屋島からの下りはもちろん危険で急な山道を下る、外に選択肢はありますかというくらい平然と答えます、一度あの山道を下ると懲りて二度と御免だという人も居ますが、女性なのに真逆の考え、それもそのはずで彼女は山歩きが大好きで、中津峰、如意輪寺も登ったし、まだ雪が残っている様な早い時期に篠山も登っている、こんな時期に登る人なんて居ないよ、と地元の人に呆れられたそうです。


 屋島の裏門を一緒に出たのですが、先に行かせてもらいます。
 気をつけていたのですが舗装道を横切った後で危うく尻餅をつきかけました、危険の種類が違う下りが続くから、ちょっと気を抜くとこういう風に引っかかる、来年は登るから安心、
 洲崎寺のすぐ手前で接待所が開設されていました、今日は日曜、今年4回目の接待所です、そのあと初めて洲崎寺の境内に入りました、真念さんのお墓の周りには88ヶ所と別格20ヶ所の名前が刻まれてミニミニ四国になっていました、お墓なので撮影は控えました。
 15時31分、85番札所八栗寺に到着、ベストより9分遅れの超ゆったり、今日は最後だし時間もあるので意識してのんびりです。
境内はやはり車の人でにぎわっています、


 お参りを終えて15時46分、本当に門前の岡田屋に到着です、実のところ、この宿に来るつもりはなかった、評判がすごく良いとは直接二人以上の人から聞いていたのですが、なにぶん距離が合わない、それを無理に組み込んだのは二日前追いついたSさんのブログを見たからです、単なる良い遍路宿という以上のさらに大事なものがこの宿にはあるのだと、別の人の書き込みを見ても十分に感じられました。
 ぼくも毎年この宿の前を通るたび、本当に営業しているのだろうかと思うほどの佇まいなのですが、一歩中にはいると大違い、古いことは古いけれど、磨き抜かれた重厚さという様な古さでした。部屋の居心地の良さ快適さ、本当に最高だと言えるくらいでした、そしてお風呂、トイレ、洗濯、洗面、部屋、食堂が完全ワンフロアでした、


28日目 風のくぐる~お遍路ハウス八十場

2017-08-02 | 17年四国の旅

 風のくぐるではお風呂の時間以外はほとんどパソコンの前でコーヒーを飲んだりパンを食べたり同宿の人と話したり、とてもリラックスできていい宿でした。同宿のお遍路さんは車で2回歩いて2回のベテランの男性と、お遍路初めての男性は別格も全部歩く、初めてなので宿の取り方がうまくいかなくて早く着きすぎたりその逆だったり、とんでもない宿に当たったり、それはそれは苦労の連続、遅ればせながら宿案内の最後の1枚を渡しました、そうしたらもう一人のベテランさんも欲しいというので、階下でご主人にコピーをお願いすることになりました、最後の最後までこんなにきれいにはけたのは初めてです。
 翌朝は雨、9時頃には上がるという予報なので慌てることもありません、コーヒーを飲んでいたら、今度は女性二人とお話しすることができました、二人は自転車遍路でしまなみ海道から来たので55番からのお参りです、雲辺寺はロープウェイですが横峰寺はあの自動車道を登ったみたいです、押して登るのは大変でしょう、と訊くと二人とも無言で大きくうなずく、これから先だと、焼山寺に鶴林寺。太龍寺はロープウェイだけど、そのあと最御崎寺、金剛頂寺、神峯寺、神峯寺はまったてと呼ばれる登りがあるから下に自転車を置いておくのがよいかもと助言します、上まで自転車で登っていった外国人カップルはいましたが、最後は絶対押して登ることになったでしょうから、
 小松で同宿だったベルギーとフランスのご夫婦は昨日善通寺に泊まっているのは分かっているので、窓を覗きながら来るのを待っていたのですが、向こうも雨が上がるのを待っているのか全然来ないので、諦めて7時35分に宿を出ました、

 雨の中、7時52分、76番札所金蔵寺に到着、善通寺から来た歩きの人は二人ほど、

 8寺09分に金蔵寺を出て、40分で77番札所道隆寺に到着、
 雨が降っていることもあって今日もほとんど写真はありません、
 9時04分に出発、天気予報は正確で、間もなく雨はあがりました。今年も讃岐富士の姿は見えませんでした。土器川を渡ってからの県道の脇道を今回初めて歩きました、矢印があるのは分かっていたけれどコンビニの都合があったのでなかなか入れなかった、英語の地図では脇道のみに赤線です。実際静かで歩きやすい道でした。
 郷照寺の写真もなし、10時16分頃到着しました。
 10時32分、郷照寺を出発、天皇寺は後回しで昨年と同じく白峯寺に向かいます。郷照寺まではベストより大分ゆっくりのペースですが、雨もあがって体も温まっていい感じで白峯に登っていきます、昨年よりも明らかに調子がいい、ベストより1分遅れ、アクシデントがなかったらベストタイで行けてたでしょうね、
 白峯寺の写真もなく、12時40分頃到着です、
 昼食休憩を少しとって13時07分に出発です、


 82番根香寺でやっと写真を撮りました。14時10分です。ベストより4分遅れ、この区間はもう思い出せないくらいベストタイが出ていないから、あまり頑張る気も起きないし、県道に上がってくる前は大抵へばることになっています。
 14時25分出発、久々に十九丁からの平坦な山道を歩いたのですが、最高に歩きやすい山道です、境目道より歩きやすい、82番から80番に向かう人しか歩かないというのがすごく勿体ないと感じるほどです、
 県道を横断、80番に向かう山道を下り始めたところで、外国人カップルが登ってきます、この時間にどの宿まで行くのでしょう、17時までには82番の手前のヘンロ小屋には行けるでしょうが、
 15時40分、80番札所国分寺に到着、お参りは明日にして、境内で善通寺から来る人たちを待ってたら、フランス人ご夫婦が到着、5日ぶりですがちゃんと覚えていてくれました、そのあと国分駅のちょっと先にあるコンビニに行ったらベルギー夫妻がいてやっぱりすぐ思い出してくれました。今日はひどいことがあって落ち込んだ1日だったのですが、4人に再会できて、終わりよければ全てよしということにしましょう。16時12分の電車に無事乗り込むことができました、外国人カップルが同じ電車に乗り込みました、坂出のホテルでしょうか、
 今日は20人の歩きの人に出会いました、一度会った人は除くからフランス夫妻ベルギー夫妻は含みません、この時期でも善通寺に泊まっている人は結構な人数です。


 お遍路ハウス八十場はこの建物ではありません、100mほど離れたところにあります、風呂は駄目でシャワーは使えるのですが、風呂場は狭くていろんなものがごちゃごちゃあって汚くてとても使えたものではありません、浴槽が使えない場合初めからシャワーは使う気はありませんでしたが、その気でいたとしても使う気にはなれなかったはずです。これで2800円というのはうたんぐらの朝食付き1000円と比較すると、本当に話にも何もならないと、そんな感じです。
 来年は宇多津まで歩いて電車で風のくぐるまで行くことを考えています。
 明日は一宮寺から屋島の手前まで初めての道で120枚ほど写真を撮ったので、大部違う感じで長くなると思います。


27日目 民宿青空屋~風のくぐる

2017-08-02 | 17年四国の旅


 昨年この宿の朝食で出た鮭が、その年の全ての宿で出た魚の中で一番美味しかった、今年の朝は鮭ではなく鯖だったのですが、やはり、今年いただいた全ての魚の中で一番美味しいものでした、はっきり断言できるくらい本当に美味しかった、この朝食をいただくためだけにこの宿に戻ってくる値打ちがあるというものです、それに加えて玉子焼きも最高、四国でいただいた玉子の中で最高、昨秋熊野古道のきけうやでいただいた玉子焼きが本当に最高でその次に美味い。来年は逆打ちなので岡田ですが、2年後以降は横屋からこの宿に固定することになると思います。少し電車で飛ぶことになりますが、本当に気持ちよく四国を味わうとなれば気持ちよく泊まれる宿を吟味するというのは必須だと思います、また帰って来たくなるような宿をできるだけ多くすることがモチベーションを保つことにも繋がります。


 田尾さんと一緒に宿を出発しますが、すぐ先に行かせてもらいます、田尾さんは今日は本山寺まで、近くのビジネスホテルに予約しようとしていたのですが、ぼくが一富士にした方がいいと強引に勧めてしまいました、ぼくは一富士に泊まったことはないし評判もそんなに耳にしたことはないのですが、なぜかそういう物言いになってしまいました。帰ってから田尾さんのブログを見るとまずまずだったようで、今更ながらよかったと思っています、
 7時15分に宿を出て、45分で大興寺に到着、今日は初めての道は歩かないので写真はほとんど撮りませんでした、


 大興寺を8時12分に出発、80分で、68番神恵院、69番観音寺に到着、ベストより2分遅れです。
 昨日雲辺寺を越えて、一昨日石鎚に登ったから、頑張りすぎることもない、

 9時55分に観音寺を出発、42分で70番札所本山寺に到着しました、やはりベストより2分遅れですが、時速は6.3kmなので押さえているという感じではなくて頑張らないという感じ、
 なぜか本山寺の写真は撮り忘れてしまいました、水屋を使って、本堂の前に行こうとしたら、いきなり女性のお遍路さんに声をかけられました、ブログ仲間のSさんでした、今日追いつくのは分かっていたのですが、まさかここではないと思っていたので不意を付かれた感じになってしまいました、メール交換は何度もしているのですが実際に対面するのは初めて、先ずはガッチリ握手です。
 ぼくがSさんのブログを見つけたのは13年の1月、その前の年の秋から区切り打ちで中村まで歩かれていました、ぼくが土佐佐賀の内田屋さんのことを調べているときに当たりました、宿の情報がきっちり詳しく書かれていて、とても参考になったし、文章も分かりやすく好感の持てる書き方で、続きを書かれるのが楽しみで、以来お気に入りに入れて毎日チェックしています。コメントを一度入れさせてもらって、以来メール交換も時々、道や宿のアドバイスも折にふれさせてもらったりしていました。彼女は体調のことなどもあって、時間を大分あけて区切りで結願をされたのですが、そのときにお遍路はやはり通しでないと、と感じられ、ようやく今回の通し打ち。ぼくなどよりも余程思いのこもった2ヶ月間だったのですが、ぼくが四国に出る数日前中村の手前で足の調子が思わしくなくなって、少々心配していたのですが、四国に出るとスマホではないのでブログを確認できず、室戸で同宿になった伊藤さんや、くろうさぎで同宿になったUさんにスマホを見せて貰って何とか続けていることだけは確認していました。
 藤川旅館で同宿だった男性といっしょにお参りも忘れて立ち話、昨夜の藤川は大盛り上がりだったようです、民宿岡田では田尾さん以外にもめぐめぐさんも同宿だったそうです。
 このとき写真を撮って貰って彼女のブログにアップされています。「とことこ巡礼記」で検索してみてください。


 本山寺をSさんと一緒に出発、出るときに時間を確認せず、写真も撮らなかったので、時間は不明、ただ、上の写真と、弥谷寺に着いた時の写真を確認すると、時速はちょうど4kmだったので、11時33分に出たことになります。本山寺には1時間近く滞在したことになります、お参りの時間を除いて50分ほどは喋っていたことになります、
 Sさんは1日に20kmのペースで、時速は3.5~4kmということだったので、速くならないように気をつけながら並んで歩きます、伊豆田越えではAさん、三原村ではMさんといっしょに歩いてちょっと速くなってしんどい目をさせたので、行き過ぎないようのんびり落ち着いて、ここまでの2ヶ月間のお話を伺いました、ぼくが四国に出てくる4月半ばにはかなりきつくなっていて中村の宿で5連泊、荷物を持たずに歩けるようにしたことまではブログで確認できていたのですが、その後も調子はあまり上がらなくて、ひどいときには時速2kmほどでもしんどいくらいになってしまったそうですが、その後も連泊の宿を6回、荷物なしで歩く日を設ける内にだんだんよくなって今はベストに近い状態で歩けているということでした、中村からはほとんどビジネスホテル、彼女は遍路宿の食事が多すぎると残さないようにするのが大変で、ホテルの方が気楽でよかったと言います。確かに、ぼくも今年は初めて完食できない宿がふたつほどあったし、食べきることだけに必死になることも何回かあって、そういうのが続くと逆に楽しめないこともありますからね。
 あと、予約を入れたのに予約が記録されていなかった宿坊の話、自らの不備を詫びることもなく終始ないがしろな対応、本当に最低です、お遍路さんで儲けているくせにそんなひどい仕打ちをするなどもってのほか、四国霊場そのものが衛門三郎になってしまった、即刻宿坊の営業は取りやめるべきです。その宿坊が宿坊の中では最高だという知り合いのお遍路さんもいたし、今年泊まった田尾さんも絶賛していましたが、宿として一番基本的で大事なことがきっちり行われないのであれば、全てが否定されても仕方ありません、その宿坊で同じような目にあったという人の話も聞きました、一人でも大きな問題なのに、二人の人がそういう目にあったというのはもう管理経営がなっていないということに他なりません、
 旧高瀬町に入る手前の国道の脇道も紹介して一緒に歩きます、日本語のへんろ地図には載っていませんが、英語の地図には国道に赤線はなくこの脇道にのみ赤線があります、入るところには矢印がありますが、歩道は反対側なので知らないと絶対に気づきません、ぼくがこの道に入れたのも2年前が最初でした、上の写真のすぐ手前で国道に合流して、写真のすぐ先で今度は左側の脇道に入る、ここからはほとんどの人が入れますが,Sさんは前回もう少し先のところから入ったそうです、ぼくも最初の時はここからは入れず、大分先まで全然気づかないままでした、
 弥谷寺の少し手前まで3時間ほとんど話は途切れませんでした、彼女は丸2ヶ月、ぼくも1ヶ月四国にいてずっと歩いていたから、まだまだ話すことはあったかもしれないし話し足りなかったかもしれません、


 一足先に71番弥谷寺に到着、14時20分です、ここから宿までは9km弱ですが札所が5つあるので、かなり厳しい感じになっています。
 14時50分、弥谷寺出発、32分で72番曼荼羅寺に到着、ベストタイ、
 15時30分、曼荼羅寺出発、6分で73番出釈迦寺に到着、ベストタイ、
 15時42分、出釈迦寺出発、23分で74番甲山寺に到着、ベストを3分も上まわりました、
 16時15分、甲山寺出発、13分で75番善通寺に到着、ベストタイ、
 16時40分、善通寺出発、


 国道沿いのファミマで夕食と朝食を調達して17時03分、風のくぐるに到着しました、予約では16時半に入ると書いたのですが30分ならまあセーフと言ってもいいでしょう。
 風のくぐるは素泊まり宿、正直全然期待はしていませんでした、評判も全く耳にしていなくて、助言するために一応見ておきたかった。出迎えてくれたご主人はとてもいい感じでした、ぼくが明日郷照寺から先に白峯寺に向かうのだと言うと、そちらの道のことをよく聞かれるのだけれどどうなんですか、と尋ねられました、30分くらい近道になるし、登りも緩やかなところが多くておすすめですと言っておきました。
 この宿のいいところは部屋数がそんなに多くはないのにお風呂が二つで完全男女別、トイレも完全男女別で、女性にすごく優しい宿です。さらに、階段を上がったところに広くはないけれどパソコンとテーブルがあってコーヒーお茶がセルフで飲めるようになっています、椅子が3つあって、情報交換の場にもなっています、実際、同宿の二人の男性お遍路さんとたっぷりお話ができました、個室に一人で泊まると3800円、文句なしのおすすめ宿です。


26日目 お遍路ハウス横屋~民宿青空屋

2017-07-29 | 17年四国の旅

 新居浜から伊予三島まで電車に乗るので、朝食は頼まなかったのですが、6時前にモーニングコーヒーを煎れてもらい、おにぎりと紙パックのお茶もお接待でいただきました。栄福寺でお話しして小松でも同宿だった、Yさん夫妻にこの宿を勧められなかったことを本当に後悔しました、二人はぼくが勧めたMISORAに泊まっているはずです、宿を訊かれたときにはお遍路ハウスのパンフレットも持っていなくて電話番号も登録しているかどうかはっきりしていなくて、説明するのがややこしいと思ってこの宿のことは言えませんでしたが、本当に勿体ないことをしてしまいました、


 横屋を5時48分に出発、6時24分の電車に乗って6時56分に伊予三島に到着です。三島から三角寺までは、いつもは赤線が引かれていない一番新しい近道ばかりを歩くようにしていますが、今回は遠回りの赤線の道、太陽の家の横を通る道を行きます(赤線の近い方の道は前に一度歩いたので)。
 写真は三島駅から38分、戸川公園へ向かう右折れの交差点を300mほど直進したところです。この道は初めて歩くのですが、正確には最初ではない、初めて四国に来たとき戸川公園へ折れるポイントが分からなくなってこのあたりをうろうろ彷徨いました。



 さらに1分来たところに色あせた遍路シールがありました、この道を来る人は少ないでしょうが一応赤線が付いてますから、


 さらに2分来たところで右上に上がったのですが、これは間違いで、そのまま真っ直ぐ行くと右に上がった道が下って合流してきます、いつもちょっと詰めが甘い。


 違う道を登って下って正しい道に合流します、


 これは迷いそうな分岐、道しるべはなかったのですが手書きの地図を持っているので迷わず右折、


 橋を渡る右折れの所には矢印がありました。


 橋を渡って50mで左斜め後ろ、ここは矢印がないとはずす可能性が高い、


 折れてすぐのところには矢印があったのですが、手前には見あたりません、地図をよく見ていないときびしい、


 池の淵をいきます、


 池を離れるところ、ちょっとややこしそう、三島駅から49分、7時47分。


 ここは迷わない、


 向こうの建物が太陽の家、


 太陽の家の入口の前を通過、


 矢印を確認しつつ、


 ここから山登りが始まるか、


 右後ろに折れます、福岡のIZUMIさんがここで迷いそうになったと言うけど、分かりやすい道しるべがあります。


 後ろの道に入ったところにも矢印、


 歩きやすい道ですが結構な傾斜です、


 太陽の家から13分で太い舗装道に合流ですが、すぐ短絡路脇道に入ります、


 ほんの短い脇道ですが、赤線があるので押さえておきます。


 1分ほどで太い道に合流、


 昔の道の椿堂への分岐、2年前一野屋に泊まったので、ここまで下りてきたことはあります、その時は椿堂まではいかなかったので、今回はまたここまで下りて椿堂まで敢えて遠回りの道を行きます、今は赤線はありませんが昔の地図には赤線がありました。
 ここから少し先で上から降りてくる男性が、よく今の道に入れずにこの道を降りてくる人がいるので、尋ねてみると、足を痛めてバスを使いながら巡っている、この下からバスに乗るそうです。


 8寺26分、伊予三島駅から88分かかって65番札所三角寺に到着です、分かっていたけどかなりの遠回りです、途中迷いやすいところもあるから行かないようにとアドバイスすることになるでしょう。


 来年のお遍路には間に合います、


 三角寺を8寺45分に出発、同じ道を引き返して11分で椿堂への分岐です、
新しい近道に入れなくて、間違ってこちらに下りてくる人が時々いるようですが、白黒のへんろ地図にはちゃんとこちらの道にも赤線があります。
 白黒の地図には三角寺へ上がってくる二つの赤線の道に赤線はなく、ぼくがいつも使う新しい近道にだけ赤線があります。


 右に折れたところ、2年前歩いたばかりだから大体覚えています、


 雲辺寺山が見える、今日中にあのてっぺんに登って4km下る、でも昨日2000mの山に登って下ってきたから、


 分岐から15分、右に折れて橋を渡ります、ここからは初めて歩く道です。


 橋を渡ってから14分、古い道しるべがありました、奥之院へ五十八丁、雲辺寺五里、箸蔵寺七里、紛れもなくここが昔の遍路道、遠回りした甲斐がありました、


 大正四年二月、


 道しるべから6分、県道に合流します、


 矢印、

 道しるべも、三角寺から45分かかっているから時速6km出ていません、少し登りもあったし、昨日の疲れもあるからがんばりません。


 ここは県道5号、昔の道ではなくなったけど、ここに古い山道が続いていたはず、


 三角寺から47分ほどで、平山のバス停に到着しました、近道だと35分ほどで歩くはずだから12分、1kmほどの遠回りになるでしょう。

 2時間以上歩いたので平山の休憩所で長めの休み、いつもは椿堂まで休みませんが遠回り、遠回りでちょうどいいところです。しばらくすると三角寺で顔を合わせた男性がやってきたのでしばらくお話しします、MISORAが改装でお休みだったので困ったという話、横屋のことを教えるとたいそう残念がっていました、昨年も感じたけれど、新居浜で区切る人はぼくが思っているよりずいぶん多い、小松からMISORAまで19.5km、MISORAから伊予三島駅まで23.7km。小松から土居の松屋旅館まで31.9kmはちょっとしんどいという人の方が多いのかもしれません、だとすれば情報が行き届けば横屋の予約はとりにくくなるほどの人気になることは間違いないでしょう。
 平山では30分ほど休んで、椿堂へ、
 10時40分に椿堂に到着、今回は初めて境内に入らずそのまま先に進みます、まだ宿まで4寺間近く歩くのでそんなに余裕がある訳でもありません。
 椿堂から境目峠の登り口まで42分、ベストより5分遅れ、天気がすごくよくなって暑くなって、眠気におそわれて、4kmほどの間に2回も休みを入れてしまいました、緩やかな登りになって調子の出にくい区間ではあるけれど、これだけ苦労したことは覚えがありません。時速は5.6kmほどでした、
 登り口からは少し調子を取り戻し、境目峠からはほとんどフラットで林の陰になって涼しくて、完全に息を吹き返した感じの歩きです。曼陀道との合流ポイントまで59分、前回と同タイムでした、この道は2回目。この境目道は曼陀道より1kmほど長くてその分時間もかかりますが、本当に気持ちよく歩ける数少ない山道の一つ、雲辺寺を前に一旦調子を整えることもできるし、岡田に泊まらない限りはずしたくない道になりました。
 合流ポイントからは、昨年は完全にペースがつかめず、やられた、という感じの登山になってしまったので、慎重に休憩、水と食塩も十分にとって体調を整えます、思えば6巡目以来登り口は境目道が1回、佐野からが3回、池田からが2回、そのいずれもが途中で息が切れたりお腹が痛くなったりで意図せぬ休憩を迫られるような不甲斐ない登山がずっと続いていました。鶴林寺や太龍寺の登りが最近ずっと想定以上のよい登りができてきているのと対照的です。
 そういう思いの中で、合流ポイントを12時50分に出発、


 13時57分、66番札所雲辺寺に到着、残念ながらベストより2分遅れの66分でしたが、非常に落ち着いた安定した登りができました、もちろん立ち止まって息を整えることもありません、過去6回に比べると一番納得のできる登山になりました、タイムが追いつかなかったのは、昨日の石鎚登山と、今日の天気がよすぎたせいだと思われます、来年はタイムが出そうな気もしますが、残念、逆打ちです。
 宿まで1時間、大分余裕ができたので、ゆっくり40分ほど休みました、


 雲辺寺を14時38分に出発、下りも快調でした、タイムを狙ってもいいかという気になるほど足は動くし、道も読めて合わせて行くことができました。登りに関してはまだまだ厳しいですが、下りに関しては横峰寺も雲辺寺も読みながら思い切った歩きができるようになっています、今日に関して言えば、昨日の石鎚の下りがあったので、それに比べると3分の1で本当に今までにないほどの余裕でした。
 舗装道に下りてきたところでちょうど前を行く男性が見えました、この時間にここまでということは昨夜岡田に泊まられた田尾さんに違いないと、思った通りでした。田尾さんが岡田から青空屋だというのは、昨日岡田に泊まられたブログ仲間のSさんからメールをもらっていました。追いついて二人並んで最後の500mほどをのんびり歩きます。田尾さんはお遍路は何回か歩かれていますが雲辺寺を歩いて下るのは今回が初めて、4kmとは到底思えないぐらい長かったといいます、
 15時56分、青空屋に到着、昨年に続いて2回目の投宿、昨年は最初で最後だと思っていたのですが、やはり戻ってきました、お遍路だったら一度知ってしまうとなかなかはずすことはできません。


 最初はこれだけですが、


 熱々の天ぷら、


 さらにイノシシハンバーグ、
 田尾さんが、ビールを飲みたいけど、そんなに飲めないからと、ぼくに半分飲むように勧められました、お酒は普段は飲まないようにしていますが、今年は鮒の里の食前酒をいただいて、その前は2年前の曼陀羅オフ会で日本酒1杯、5年前に牟岐のあづまで食前酒、その前になると8年前、ビールはいつ飲んだか思い出せないくらい昔のことになってしまいました。10年ぶりくらいに飲んだビールは、今までで一番美味しいビールになっていました。
 田尾さんには本当にプライベートなことから何からいっぱいお話を伺いました、中身は書けないのですがお遍路というのは本当にすごいものだなと改めて感じ入りました、お遍路は人によって様々なものですが、こういうすごい歩き方もあるのだと、しっかり心に留めて、歩き続けたいものだと思いました。


25日目 成就社~頂上社~伊予西条駅

2017-07-24 | 17年四国の旅


 玉屋旅館は朝食は何時からでもいいと言われたので6時にお願いしました。でも周りの建物全部の電気が落ちて、夜中の何時かは忘れたけれど、部屋の照明も夜中の間は使えなくて、電力が回復したのは5時過ぎ、結局のところ6時より速く朝食をお願いするのは難しいかもしれません、冷蔵庫は別の電源があるのかと思ったり、


 雨はあがっています、でも成就社の遙拝殿から石鎚の峰は全く見えませんでした、本殿、遙拝殿ときっちりお参りをすませ、神門をくぐったのは6時30分でした、9分で最初の道しるべ、成就社から最初は下っていくので時速4km、


 成就社から10分、霊峰石鎚山 遙拝の鳥居


 成就社から19分、時速は3.5km、


 成就社から34分、時速は2.8km、下りの部分も含めての速さだから、これからはさらに急な登り一辺倒になるはずだから、まだまだ遅くなっていく。


 試し鎖、体力に自信のない方は近道へ、成就社から48分です、


 杖(傘)を持っているので鎖は当然回避します、Mさんから知り合いの方が滑落されたと聞かされていたので尚のことです、お遍路は全て迂回路が普通でしょう。


 成就社から62分、時速は2.03km、まだまだ遅くなるはずです、


 最初の3割が下りだというのが何とも言えないところ、成就社からまだ250mほどしか登っていない、ここからまだ400m近く登ることになります、成就社から70分の地点。


 成就社から76分、時速は2.05km、でもあと30分では無理でしょう、


 成就社から80分、1の鎖です、


 現在は山頂まで木製、金属製の階段や鎖が整備されて初心者でも無理なく登れるようになっているけれど、それらが何もない時代には上級者でも過酷な登山に違いなかったはずです、このような霊山に誰もがなにげなく登れるようになってもいいのだろうかと、昨日とは全然違う登りやすい階段を踏みしめながら考えてしまいます。


 このような木製の階段が初めの頃からずっとず~っと整備されています、整備されすぎて登山という感じがしないほど、


 土小屋への分岐です、八丁坂で同宿だったご夫婦はここまで下りてきて右折したということです。前の距離表示からの400mを15分で来たので、この間は時速1.6kmです、それでも昨日のがれ場より1.5倍以上速い、


 ここが最後、なので使わせてもらいます。もちろん百円玉を投函します、この10年以内にできた新しい施設です、制作,維持管理の大変さを思えば寄付をためらうことはありません、


 あと500m、


 星が森から拝んだ時に幾筋かの雪渓が見えていたから、でも登り続けているせいか全然寒さは感じません。


 雲の中で視界は50mもないので遠くの景色は撮影はできません。


 あと400m、この100mに12分かかっているから時速は0.5km。


 3の鎖への道。


 雲がかかって視界がないのでよくわかんないけど、晴れていたらものすごく怖いところがいっぱいあったかもしれません。


 成就社から113分(正味の歩行時間)で頂上社に到着しました、風が強い、帽子が飛ばされそうなくらい、怖い、何も見えない、
 作法通り頂上社できっちり参拝、せっかくなので御朱印もいただきました、外に何も撮るものがないので頂上社を斜め下から遠慮がちに撮らせて貰いました、ご神体の撮影は禁じられているので、これでもちょっと問題あるかと思ったくらいでした。


 頂上社のすぐ手前にある頂上山荘、家田荘子さんの定宿です。こんな処に必要なのかという気もしますが、
 この時には、もう最初で最後、2度と来ることはないと思っていたのですが、つい先日MBSちちんぷいぷいで河田アナが登って、この日と同じような天気だったのに最後雲の切れ間から天狗岳を拝むことができた。家田荘子さんはこの7月に登ってほぼ完璧な晴天、ブログの写真を見せられるとやっぱり悔しい、来年の紅葉のいい頃にお遍路とは関係なくいい天気を選んで再挑戦したいと思っています。


 頂上社から成就社までの下りは同じ道なので写真は撮りませんでした、20人以上の登山者の人とすれ違いました、成就社に戻ってきたのは10時15分、頂上社から86分かかりました。地図の設定は90分で、それとほぼ変わらないのが意外でした。地図の登りの3時間の設定は正しいですが、下りは2時間かかる人が多いと思います。
 伊予西条からのバスは始発はロープウェイ駅に8時37分到着、帰りは15時17分発ですから、お遍路でも伊予西条駅の近くで連泊すれば1日余分にあけるだけで無理なく登ることができます。もう1本遅いバスもあるので、かなりゆる足の人でも大丈夫です。


 昨日登ってきた黒川道の合流ポイント、10時28分。


 分岐点に道しるべ。


 今宮道はスキー場のゲレンデをもろに横断しています。向こうの道しるべがなかったらかなり迷うところ、10時29分。


 地図では5.1kmとなっていますが、こちらの方が正確だと思います、実際に歩いた後の感想。


 成就社と河口のバス停の標高差は1200m、雲辺寺から青空屋までの下りの、標高差も距離も1.5倍になるから1時間半ほどで下れるものだと想定していましたが、そんな甘いものではありませんでした。10時30分。


 よく整備されて歩きやすい山道です。10時31分。


 道は悪くないけれど、2000m近くまで登って下ってその続きだから、足が、ひざが、かなり疲労して思うように動かなくなっています、本来の下り方よりもややゆるいかばったような歩き方になっているかもしれません、10時48分。


 林道を横断します、11時21分。


 登ってくるときも絶対迷わないはずです、本当に天国と地獄、11時22分。


 今度はしばらく林道を歩くみたいです、11時27分。

   トトロ  2017-07-26 20:06:57  石鎚山晴天満足登山時期は5月下旬はおすすめです。また、頂上泊は夜空の星、月と天狗岳のコントラストに、日の出にと最高ですよー山屋のひとり言ー


 前の写真から7分、ここから幅の広い林道を歩きます。11時34分、成就社から1時間20分なのでもう県道は近いかと思っています。


 舗装道だからこのまま県道に繋がっているかも、


 と思ったら6分でまた山道に入ります。


 登りの道でもあるからどちらからでも分かりやすい道しるべ、


 舗装道から山道に入って34分、今度は本当に県道が見えました。


 12時15分、成就社から116分で何とか今宮道を下りきりました。時速は3kmちょっと、焼山寺の下りも、横峰寺の下りも、雲辺寺の下りも4km以上出せるから、やはり相当厳しかった、山道そのものは足場の悪いところは少ないし傾斜が急なところも多くはない、2000mの所からほとんど下りっぱなし、10km以上下りっぱなしというのがとにかく破格、成就社から下り始めていたらもう少し違う結果だったかもしれません、ひざ当たりがガクガクよろよろ、でも痛みというほどのものはありません。


 河口のバス停で10分ほど休憩、この時点で15時30分発の電車は諦めました。なにしろここから伊予西条駅まで18km、前神寺でのお参りもあります。1時間遅れの次の電車でも17時頃には宿に着けます。
 河口のバス停から40分、番外霊場極楽寺です、石鎚山をお祀りしているのは石鎚神社、横峰寺、前神寺、そしてこの極楽寺の4社寺、玉屋の夕食の時見せて貰ったDVDで知りました。




 時間が全くないのでお参りはできません。


 すごい、すごい、すご~い、別格1番大山寺や眉山のふもとの諏訪神社の石段もすごいと思ったけれど、想像を絶する石段というのは初めてです。


 挑戦したいという気持もないではないけれど、今日はとにかく時間がありません。
 河口のバス停(三碧橋)から黒瀬峠の手前、横峰寺の登り口まで8.3kmを88分かかりました、ほとんどフラットなのに時速5.6kmほどしか出ていません、これだけダメージを受けた下りはもちろん初めてといっていい。
 横峰の登り口から前神寺までは、前に一度歩いているけれど、その時とは一部違う赤線(ちょっとだけ遠回り)を押さえて、前回より2分遅れの57分でした、前神寺の写真を撮り忘れるほど疲れているみたい、前神寺に到着したのは14時50分、もう20分速ければ15時30分の電車に乗れていましたが、さすがに石鎚は計算通りにはとてもいかない、でもいかなくて良かったと思います。初心者がそんなに簡単に西日本最高峰を登らないほうがよろしい。


 16時02分、前神寺から46分で伊予西条駅に到着しました。ここまで今日は正味8時間28分歩きました、7時間半を一応のリミットにしているので、本当に無茶をしたなあと我ながら呆れます、最後は時速5.5kmまで落ちたのですが、それも無理からぬところ、改めて、これを書いてる今でも石鎚はすごかったと、足を痛めず最後までよく歩けたと感慨にふけるところです。


 新居浜駅から2km、21分30秒でお遍路ハウス横屋に到着しました。
 いやぁ、最高の宿に当たってしまいました。料理とか設備が新しいとかいい宿はいくつもありますが、最高ランクの宿とほとんど変わらなくてそれで2食付き4800円、となるとどの宿もかなわないと断言できるでしょう、


 野菜たっぷりのスープが最高でした、塩焼きも熱々だったし、ポークも野菜のソテーも本当においしかった、女将さんはお遍路の経験者、前日泊まった韓国の先達お遍路チェサンヒさんとも知り合いで、ヒーさんが韓国で出版されたお遍路の本も持っていて見せて貰いました、韓国語なので中身は全然読めませんでしたが、ヒーさんは今回のお遍路が最後の通しになるので今までお世話になった宿の人たちにお礼を言いながらゆっくり回っているそうです、ソウルで経営していたゲストハウスも引き払ってこれからは高松で何かしたいと、その準備にはいるそうです。高松の大学で勉強したくて入学試験を受けたけれど、論文が駄目だったみたいです、日本語でないとだめなのでさすがに難しかった。
         
   見上げる石段
 (machan)2017-07-28 21:40:09
    新四国曼荼羅霊場の極楽寺
    この石段 思い出しました地獄の石段の先に極楽?かと
    極楽寺の不動霊場は麓なんです


24日目 ビジネス旅館小松~玉屋旅館

2017-07-22 | 17年四国の旅


 小松の朝食は6時から、今日は本当の山登りの日、雨はまだ降っていませんがいつ降り出してもおかしくない、午後からは本降りになるようです、横峰寺に登る日は5割くらいの確率でこういう天気だったような気がします、瀬戸内とはいえ西日本一の屏風が背後に控えているとこういう天気が多くなるのかと思ったりもします。出がけに靴の寅さんこと田尾さんに名刺をいただいて見送られます、田尾さんからはサイズが合えばぼくの靴をあげるのにと何度も言われました、お遍路靴はパテント契約が切れてもう何年も前から製造されていなくて、在庫もいっぽ一歩堂さんが全部引き受けて、それも売り切れてしまい現在は入手することはできません、2万円以上する高級本皮のシューズで一度試してみたかったというのはありますが、重量が少しあってぼくのような歩きにはちょっと向かないかもしれません、田尾さんによると、雨の日でも完全に雨水をシャットアウト、7巡くらいしてもまだ使えるのだということでした、ぼくの今の靴はミズノのウェーブプロムナード1万円弱ですが、4000kmほど歩いて、もうこれで本番は引退というところです。ちなみに、お遍路から帰られた田尾さんはブログで自分の靴をもらってくれる人を募集していました、興味のある方は「靴の寅さん、ブログ」で検索してみてください。
 小松を6時53分に出発、宿で教えてくれる近道(日本語の地図にはないが英語の地図には赤線があります)で登る、そのために昨日のうちに香園寺のお参りをすませました。この道は初めてではありません、一度横峰寺からハイウェイオアシスまでこの道で下ってきました、オアシスからは香園寺の方に行ったので、小松から高速を抜けたところまでは初めての道になります。
 前回下った印象では大きめの砂利の多い道でかなり苦労した印象です、大洲の手前の鳥坂峠の下りと同じような印象、登りでは下りほど嫌な感じはありませんが、登りやすいとまでは言い難いです。



 9時01分、60番札所横峰寺に到着、思わぬ花ざかりで一瞬立ち止まる、これだけの盛りに来たのは初めてかもしれません。宿から119分でした。
 意外なことに境内には歩きの人が6人ほどいました、向こうの宿だとしこくや、しかない、向こうからでもこの時間に来るのは結構大変、登り口の遍路小屋で野宿したか、
 納経所の前で休憩していたらご夫婦がやって来て見るからに歩きなので不審に思って尋ねたら、バスで上がってきたそうです、区切りの今日が初日ということでした、


 この雨なのでてっきり無理かと思えば、くっきり石鎚の威容を拝むことができました。少し遅れて来た先のご夫婦も感激されていました。今日の宿は小松、であと2回で結願、今回は善通寺あたりまでということでした。それでは最後のためにと宿案内を手渡します。


 9時50分、星ガ森からモエ坂を下り始めます、


 下り始めて6分、

 先ずは虎杖を目指せばいいようで、


 田辺恵司さんの遍路札、

 草刈りのお接待のお願いです、お願いだけでなくこういう鋏まで設置するなんてすごい手間と労力、しかも本来の遍路道をはずれたこんな所に、番外、別格の道だからこそ荒れやすいのだ、ということのようですが。


 下り始めて11分、星ガ森からは800mほどだから、そんなに速くもない。


 下り始めて24分、ちょっと崩れたところ、


 通せんぼのロープ、


 下り始めて33分、橋を渡る、


 下り始めて43分、星ガ森から2.8kmだから時速は3.9kmというところです、あと200mで下りは終了のようです。


 星ガ森から46分、下りはここまでか、



 星ガ森から45分でモエ坂終了、時速は3.9kmでした。橋を渡れば、登り山道の入口が待っています。


 黒川道の登り口です。


 こちらにも先ほどと同じ注意書きがありますが、黒川道を行きます。ネットで見た情報では、少し注意すれば行けないことはないという、風に受け取られるリポートがあったし、それ以降も簡単な書き込みでしたが歩けそうだというニュアンスのものも見ていました。本当のところはどうなのか、自分で歩く以外に確かめようがありません。


 登り口にある距離表示、地図では4寺間かかると書いてあります。


 序盤はすごく歩きやすい緩やかな山道、まだ3分、


 さらに1分だから撮影する余裕はある、雨もまだ小雨、傘をささなくてもいいくらい。


 さらに11分、まだきれいな登りやすい山道、


 道しるべもあって、かつては全ての人がこの道で登った、


 登り口から25分。




 さらに3分。


 さらに1分、最初の頃とは明らかに様子が違ってきています。


 さらに3分、出たぁ、横の崖が崩れて完全に道をふさいでいる、でもこんなのはやさしい方です、この程度のがいくら続いてもほとんど問題ないと言えるのですが、全く予想を遙かに超えるものがこのあと次々現れることになります。


 登り口から39分、こういう倒木も全く問題ない、写真を撮る余裕があるくらいだから、これからはカメラを出す余裕すらなくなってきます。


 登り口から47分で、3分の1登ったことになりますが、もちろんこのペースで最後まで行けるはずはありません、でもこれで、ちょっと油断安心はしたかもしれません。


 さらに7分、道がなくなった箇所、ほとんどそのまま放置。


 荒れ放題の急坂、


 登り口から1時間12分、右は急斜面の谷底、お飾り程度のロープに頼らないと先へ進めない、これでもまだレベル★。


 登り口から1時間35分、中間地点です、距離では、でも実際はそうではなかった。


 よくわかんないと思いますが、大きな岩の方に向かってロープが張られています、道らしいものはなく、ロープのあるところが道だと思うしかない。


 手ぶれが激しくてすみません、それくらい内心も動揺しています、道しるべもこれだけ傾くくらいの道の荒れようです。


 先ほどの中間地点から500mを丸30分かかりました、本当に危うい箇所は撮影できずただ必死にもがきながら迷いながら前に進んできました。


 この500mも30分近くかかりました、登り口から2時間33分、この1kmはそれまでの倍の時間がかかったことになります。
 撮影できないほどすごい崖や斜面、ロープを両手で握らないと谷底へ落ちていきそうなところ、四つんばいでよじ登る滑りやすい急斜面、四方を見回しても道が見あたらなくて途方に暮れるような所、いつ遭難してもおかしくないような所が次々出現してきました、500mおきのこの距離表示以外には道しるべは全くといってもいいほどありません、黄色いロープが張られているのを何とかより所にして、道を探しながら登るという感じになっています。


 間違ってはいないと確認できて一安心、本当に道なき道をいくつも越えてきていて本当にあっているのかと確信が持てないし、そんなことを気にする余裕すら持てないでどろどろになって進めるところをただ進んでいるという感じです。


 先ほどの距離表示から37分かかっています、3kmからここまでの1.5kmの間が地獄の崖登りだったということのようです、ひどい崖の所は撮影する余裕がなかったので、この間のどのあたりにどんな崖があったのかきっちり覚えてはいませんが、ここまで辿り着けたことが本当に不思議なくらい、遭難してても全然おかしくなかったと、はっきり言えます。


 さらに15分ほどでスキー場のリフトが見えました、もうこれで危ない道はなくなったと確信、命拾いしたと本当に安堵したところです。ここで登り口から3時間20分。


 あの道しるべは。


 今宮道と黒川道の合流ポイントでした、リフトから3分の所です。


 スキー場の前を通る。


 今宮道との合流ポイントから4分、奥前神寺、へんろ地図では黒川道はこの前を通らない、早めに今宮道に合流してしまったようです、でもそれらしいみちはなかったような。


 奥前神寺から6分、ロープウェイの駅から成就社まで思った以上にかかるようです。


 合流ポイントから17分、1kmほどの道程をこの時間なので、結構な急坂でした、でもこれまでのがれ場の連続に比べればやさしいやさしい。


 成就社の鳥居の中に3つの旅館があります。


 右が玉屋旅館です、14時27分、黒川道の登り口から3時間48分、雨の中、あれだけのがれ場の中でもがいて休憩時間も含めてのこの時間はなかなかのものだといえますが、もうこりごり、いかにネットの情報がいい加減なものか、パーソナルなものか、言い換えれば自分勝手なものか、思い知りました、情報はたぶん普通の登山者のものだったと思いますが、お遍路さんは金剛杖を持っているからあのロープに頼らざるを得ないところはほとんど無理です、両手を使わないと絶対進めないような所もありましたから金剛杖を持っていてはどうにもならないし、遍路シールや矢印に頼るのが普通になっているお遍路さんにとってあまりに手がかりがなさ過ぎる、道らしきものさえ見あたらないところが普通にあります、7割以上の確率で遭難するのではないかと思えます、登り口にあんな注意書きをするくらいなら通行止めの柵やロープを設置すべきです、そうすればぼくのようにあやふやな情報で冒険して危険な目に遭う人が半分以上防ぐことができるはず、絶対そうすべきです、歯長峠の登り口に通せんぼのロープがありますが、あの道の5倍以上は危険な状態なのですから、
 英語の地図には黒川道はありません、黒線も名前もその痕跡すらありません、日本語のへんろ地図も同じようにすべきです、歩けない危険な道はその情報を抹殺することこそお遍路さんのためになることです。


 ぼくは12年くらい前、神峯寺の山道で立松さんとすれ違って声をかけてもらったことがあります。


 15時前に着いたのに、お風呂もすぐ用意してくれました、全身ずぶ濡れ、洗濯もお手伝いの男性がしてくれました、食事も十分でした、同宿は登山の女性が一人でした。

  Unknown (トトロ)2017-07-24 12:44:22  無事踏破は1日にして成らず。
  間違わないでルートファインディング出来たのも、経験による感?
  「今宮道」は当時の表参道、今も毎日郵便はこのルート徒歩で配達されています。「立螺の会 山本様」法螺を持って。横峰寺へはバイク、この道昼前からピストンです

23日目 BHつよし~ビジネス旅館小松(西条市)

2017-07-20 | 17年四国の旅


 夕食の時、昨日円明寺で区切りを終えた男性が、電車でここまで来て夕食だけ摂って帰っていきました、女将に挨拶するためです、この宿には何回も来ているみたいでした。自営業の人で年に2回、大型連休とお正月の前後に四国に来る、その人は仕事人間で仕事を辞めた状態でお遍路する気にはなれないかもしれないと言います。仕事の余暇としてリフレッシュのためだから歩ける、1日に多くても4ヶ所しかお参りしない、そういう人からすればぼくのように48km歩いて7ヶ所もお参りするのは本当にバカみたいと思われるかもしれない、今日はまた9ヶ所のお参りが控えている。でも、12巡のベテランさんが言ってましたが、お遍路に対する思いや考え方歩き方は一人一人全く違う、違って当然、そしてそれぞれが尊重されるべきでもある。初めての人はそういうことすらよく分かっていない人が多いはず、だからこそ、迷っている人にはいくらかでも助けになるようなことができればというのが、何回も巡っている自分にできることだし、自分のことだけにならないような歩きを心がけることが今のぼくのお遍路なのかもしれません。


 6時25分につよしを出発、46分で54番札所延命寺に到着、宿から46分、時速は6.00kmでした、食事のすぐ後なので昨日以上にゆったりの出だしです。
 境内には先に出た同宿の男性、お参りが終える頃には逆打ちの女性がやってきました。
 7時25分に延命寺を出発、34分で55番札所南光坊に到着、ベストより1分遅れですが、時速は6.24km、今日は札所の数も多いのでこれくらいのペースがいいでしょう、南光坊の写真は撮り忘れました、ものすごく珍しいことに、ぼくが南光坊の境内にいる間、全くお参りの人の姿はありませんでした、10分ほどの間ですが完全に貸し切り状態というのは外の札所でもあったかどうか思い出せないくらいです、しかも納経が始まって1時間以上経っている時間、
 南光坊を8寺11分に出発、
 29分で56番札所泰山寺に到着です、泰山寺の写真もありません、ベストより1分遅れ、時速は6.19km、今日も40km以上なのでこのくらいのペースで十分でしょう。泰山寺では歩きの男性が出ていくところ、そのあと軽装の先達さんが入ってきました、おそらく車で巡っている。
 8寺54分に泰山寺を出発、29分で57番札所栄福寺に到着、ベストより2分遅れ、時速は6.00km、お参り以外は休憩撮っていなくて2時間半だからそろそろ疲れが出てきたか、栄福寺ではしっかり休憩します。栄福寺の写真もありません。
 お参りを終えて休憩所に行くと、隣のベンチにザックが二つ、これは歩きの人に違いないと待ちかまえていると、夫婦連れの人が戻ってきたので話を伺います。今日は当然今治駅の近くの宿からで伊予三芳駅の近くの敷島旅館まで行く、24kmほど、でも平均では20kmくらい、一番長くて24kmだといいます。昨年は「世界ふしぎ発見」の影響で初めてなのに逆打ちをする人が多くて、と話をすると、それに食いついてきて、私たちふしぎ発見のクルーの人たちと一緒に歩いたんです、と言う。テレビでは最後の部分になった焼山寺をほとんど一緒に登ったんだそうです、テレビには敢えて映らなかったけれどほとんどいっしょに登って、楽しくて辛かった印象がほとんどないと奥さんは言います、副島淳君のブログにはその時の写真にご夫婦の姿もありました。そしてそのとき仲よくなったフランス人のご夫婦をお遍路のあと千葉県柏の自宅に招待して1日東京見物に同行したとか、ご主人は少し英語ができるそうです。思わぬ話を聞けてこちらまでうれしくなって、50分近く滞在することになってしまいました。


 10時13分、栄福寺を出発、ベストより1分遅れの25分で58番札所仙遊寺に到着、時速は5.28km、山登りの区間ですから。
 お参りを終えて山門に向かって下っているときにご夫婦が登ってきました、
 ぼくが山門を出たのは11時03分、山門がタイムポイントなので境内に登る時間も下る時間もお参りに含まれる。



 12時11分、仙遊寺から59分で59番札所国分寺に到着、ベストより3分遅れの時速は5.86km、
 14時47分伊予三芳発の電車に乗るので、この時点で番外の実報寺に行くことは諦めました、もともとぎりぎりの時間設定で栄福寺で休みを取りすぎたので仕方ありません、番外に行くより楽しい話ができたので全然後悔してません。

 国分寺の境内に上がっていくと女性の歩きの人が一人、お参りを終えて納経所の前のベンチで休憩、彼女が納経を終えるのを待ってまた話を聞きます。彼女も今日は敷島旅館まで、ここから10kmなのであと2時間半、16時までに楽々です。彼女は順打ちで別格も全部巡る、何か訊きたいことはありませんかというと、別格13番仙龍寺への道がどうしたものかと思っている。先輩のお遍路さんにも訊いたりしているが決めかねている。へんろ地図では標高780mの峠越えの道にしか赤線はないけれど、ぼくはその道より標高480mの堀切峠を通る自動車道を薦めます、三角寺の納経所で山越えの道を尋ねたら、自動車道を薦められたと、ぼやいていた人がいましたが、両方の道を歩いてみると、それは本当の親切の意味でそう言われたのだと思いました、距離では自動車道の方が2kmほど遠回りですが時間では自動車道の方が10分短くてすみました、山道の登りは雰囲気のいいところが多くて味わい深いのですが、下りにはいるとずっと大変で時に足場の悪い危険なところもありました、ぼくは88分かかったのですが、普通の人だと2時間から2時間半はかかるでしょう、堀切峠を行けば1時間40分から2時間の間でしょう。
 彼女はその日はお遍路ハウス毛利荘に予約しています、仙龍寺から毛利荘も2時間半近くかかるから、伊予三島からだと堀切峠を行くのが時間的にも余裕を持って歩けると強く勧めました。
 1日に30km行ける人であれば、伊予三島の宿から13番、14番をお参りして、民宿岡田まで行けるでしょう。その場合も時間を稼ぐのならやはり堀切峠をおすすめします。その次は箸蔵寺を打ち戻って阿波池田駅の近くの宿、その次は雲辺寺、萩原寺をお参りして大興寺の近くの宿になります。


 国分寺でのアドバイスが思いがけず長引いて40分以上も滞在してしまい、電車の時間が心配なくらいになってしまいました。12時53分に出発して、95分で到着しました、時速は6.34km、時間に追われると今日一番のスピードです、電車が来るまで17分、
 14時57分に伊予小松駅に到着、まず63番吉祥寺に向かいます。
 15時11分、吉祥寺に到着、境内には歩きの人も何人か、
 15時21分、吉祥寺を出発、13分、ベストタイで62番札所宝寿寺に到着、今年は宝寿寺の悪い噂をそこここで聞きました、誰もが納得のいく解答が見あたらないのがもどかしいところです。宝寿寺の本堂をつくづく見てあの噂は本当だったのだと確信を持ちました。
 15時47分、宝寿寺を出発、13分、ベストより30秒遅れで61番札所香園寺に到着、山門の手前で外国人の夫婦とすれ違います、小松で同宿でした。


 お参りを終えて宿に向かおうとしたら、ありました。困惑の代理62番、


 さらに工事は続けられていて、よりお参りのしやすい施設に変貌しようとしています、ぼくは納経帳を持たずに歩いているのでどちらでもいいのですが、持ってたら正直迷うと思います、こちらにも今のところ御本尊はいませんが、62番にも御本尊はいらっしゃいませんから、なかなか勝負のつけようがないという感じです。だまされてお金を取られるよりは、こちらでは騙されてはいないからこちらの方が気持がよいとも考えられます。ぼくは納経はしないからこれからも一応62番でお参りはします。


 香園寺を16時11分に出て、12分で前の小松に到着、ベストタイでした。玄関に新しい宿の地図が張り出してあります、お肉屋さんのそばです。


 お肉屋さんの横に新しい看板があります。


 お肉屋さんの真裏に見るからに新しい建物がありました。こんなことになっているとは夢にも思わなかった。設備はもちろん全部ぴかぴかで使い易くて言うことないのですが、一番良いと思ったのは全てがワンフロアだということです。移動が楽、洗濯、風呂、洗面、トイレ、食堂、全ての部屋、これら全てがワンフロア、よくよく考えてみたら、ぼくが四国で泊まった190軒の中で全てがワンフロアでおさまっている宿というのはここと八栗の岡田屋さんくらいしか思い出せません、部屋は11室、それでも連休中はとれなくて鈴に泊まったという人も二人居ました。玄関入ったところのロビーが広くてこれまた気持ちいい、そのテーブルにはお接待のキャンディが山盛り、ぼくは飴ちゃん大好き、テンション上がる。前と違ってお風呂は二つでフル稼働、洗濯乾燥は3組、洗濯は無料です。その分料金は6700円と少し上がりましたが、何の文句もありません。7000円でもいいくらいです。本当に120点の遍路宿に仕上がってしまいました。


 夕食はいつも通り、多いように思われがちだけど、ほとんど野菜の体積なので実質さほど腹にこたえる内容ではありません、煮魚があるといつもきつくなってしまいますが、本当に気持ちよくご飯も3杯いただけます。
 同宿は香園寺の近くで会ったベルギーのご夫婦、フランスのご夫婦、栄福寺で会ったY夫妻もぼくの少し後でやってきました。敷島旅館だと言っていたのにどうしたんですかと訊けば、ご主人が足を少し痛められて、何とか国分寺まではたどり着いたけれど、これは駄目だということで急遽こちらの宿に変更してタクシーと電車で飛んできた、もう一組日本人の夫婦と男性が二人女性が一人、ぼくを入れて8組12人です。ぼくの隣は2泊目ですき焼きの男性、いろいろ話を聞いていると、埼玉で靴を作っている会社の社長さんだと分かってきます、何年か前にネットで見たことがあります、社員を50万円持たせてお遍路の研修に出すことが話題になっていました、お遍路に本当に適したシューズを作り上げたことでも有名でした、ベテランお遍路の中では結構有名な方で、枯雑草さんが社長のシューズが足に合わなくてブログでけなしたら、それはしてはいかんことだろうと直接文句を言われたそうです、めぐめぐさんとも知り合い。NHKの趣味悠々のテキストにも採り上げてもらったんだというので、帰ったら確認しますと歓声を上げる、食事が一段落してY夫妻に社長を紹介、4人で歓談します、しばらくすると外国人の女性二人が3日後の宿を紹介して欲しいとYさんに言ってきます、それまでYさんとしばらく喋っていたので。それならこちらのベテランにとぼくを指名、観音寺の近くで2食付きの宿を探している、できれば日本の旅館民宿がよい、それではと迷わず藤川旅館を紹介します、観音寺の宿は藤川と一富士の二軒しか泊まっていないけれど、外の宿の芳しい評判はあまり聞かないし値段も藤川の方が断然安いしトイレ洗面はきれいだし、お風呂は新しくしたばかり、間違いなく気に入ってくれるでしょう。すぐに女将が藤川に電話を入れて予約成立、後で聞いたらその日の藤川は超満員でてんやわんやだったそうです。


22日目 お遍路ハウス平和通り~ビジネスホテルつよし(今治市)

2017-07-19 | 17年四国の旅

 平和通りは素泊まり宿です、いつ出てもよかったけれど、今日は歩く距離は40kmで札所は二つ、あまり早く出ても仕方ないので、6時32分に出発、昨日はほぼベストタイで頑張りすぎたので、今日は狙わずゆったり目で行きます。


 7時53分、52番札所太山寺に到着、平和通りからのタイムはないので比べ様はありませんが、時速は6.13kmでした、この時間だと歩いている人は居ないかと思いきや、松山北中の所で追いつきました、その人は大将軍神社に入っていったので挨拶はできず終いでした。
 境内で一人、お参りを終えてから登ってくる人が一人、道後からではこの時間に来るのは難しい、逆打ちか、はたまた、

 8寺20分に太山寺二の門を出発、1kmほど進んだところで八丁坂で同宿だった石鎚に登ったご夫婦が向こうからやって来る、お遍路だけではないようだけど、こんな所で向こうからというのは、何処で何をして何処へ行こうとするのか全く想像できません、
 8寺40分、53番札所円明寺に到着、ベストより1分遅れ、時速は6.18km、今日は1日こんな感じで十分でしょう。

円明寺の写真は撮り忘れてしまいました、8寺52分に出発、


 円明寺から4km、海鮮北斗を少し過ぎたところで向こうから来る奥さんに声をかけられます、そこの大師堂で甘茶のお接待がありますから寄っていきませんか、断る理由もないので、粟井坂大師堂へと10m引き返します。
 今日は5月7日、月遅れの花祭りのようです、近所の人が大きなペットボトルを何本も抱えて次々集まってきます、前に別格10番西山興隆寺でも甘茶のお接待はあったけれど、その時は遠慮して、雪蹊寺で当たったときはいただきました、あまりおいしいものではなかったので、ちょっとびくびくでしたが、普通にちょっと味わいの違うお茶でした、旨みは感じなかったけれど嫌みも全くなくごくごくいけます。
 少し落ち着いてから大師堂でお参り、そこで気がついたのは

 境内に子規と漱石の句碑がある?

 マンホールで何度も確認した句です、

 子規の句碑、

 子規と漱石の句が仲よく並んでいます、

 子規の最も有名な「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は
 漱石の「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」の返句だと言われています。
 子規が実際に聞いたのは興福寺の鐘だったとも、

 17分ほど休ませてもらいました、
 北条郵便局に着いたのは11時24分、円明寺から109分、ベストより6分遅れ、時速は6.15kmでした、この間はバイパスを歩くので当然出会う人は居ません、バイパスを離れるポイントにコンビニができていてちょっとびっくり、

 鎌大師の休憩所に今年は蜜柑がありませんでした、お接待は期待するものではありませんが、
 浅海に到着したのは12時49分、北条郵便局から46分、ベストより3分遅れ、時速は5.93km、山越えがあるにしてはいいタイム、
 菊間の遍照院に着いたのは13時38分、浅海から49分、ベストより5分遅れ、時速は6.1km、ゆったり目でいいとは思っているけれど、見事なくらい安定しています。
 遍照院で10分ほど休んで、13時48分に出発、


 15時25分、ビジネスホテルつよしに到着、遍照院から95分、この区間は初めてなのでベストはありませんが、時速は6.09kmでした。
 部屋は洋室でツイン、トイレと洗面が付いています、洋室は苦手ですがツインだともう一つのベッドに荷物を広げられるので居心地は悪くありません。

 この宿のいいところは何といっても女将です、名前はビジネスホテルですが本当の遍路宿の女将でした、女将を気に入って来るなじみのお遍路さんも多いようです。宿帳を見るとエリーさんの名刺が貼り付けてありました。女将に聞くと、エリーさんは四国に来る前京都でテレビのインタビューを受けていたそうです、ここに来たのはずいぶん想定より遅かったので、やはり足摺でおかしな道を歩いたので出会うことができなかったみたいです。
 同宿の男性は12巡目の大ベテランでした。12回と聞いてドキッとしてしまうのが我ながらおかしい。


21日目 八丁坂~お遍路ハウス平和通り(松山市)

2017-07-18 | 17年四国の旅


 八丁坂の朝食は6時からですが、石鎚から来たご夫婦と女性は朝食をとらず6時少し前に出立です、もう一組のご夫婦は6時半からなので、ぼくともう一人の男性の二人で食べることになりました、夕食では人数が多くてまとまらず話もほとんどなかったのですが、二人きりなので意外なほど話は弾みました、宿案内を作って配りながら歩いているというと、ぜひ見せて欲しいというので部屋にとりに戻ります、まさか朝食の時に渡すとは思っていなかったので、戻って渡しているときにもう一組のご夫婦が現れて,私ももらえますかというので再度部屋に戻ります、この人たちはお遍路なのかどうかよく分からなかったのですが、まあこれがきっかけに歩くことにでもなればそれはそれでうれしいことではあります。


 朝からしっかり雨、予報ではもう少し後からだったのに、6時43分に宿を出発、計画が変わって今年一番長い距離を歩く日になってしまったので八丁坂は歩きません。68分で45番札所岩屋寺に到着、ベストより1分遅れでした、今日は有無をいわせずベストタイ狙いの歩きで臨まねばなりません。

 8寺07分に岩屋寺の境内をあとにします、もちろん打ち戻りも県道です、
 古岩屋荘まで27分、ベストタイ、その気になれば身体は動いてくれます。
 古岩屋荘から八丁坂の道との合流ポイントまで31分、ベストタイ、最後の登りはややきついけれどここ数年はずっとこちらで打ち戻っているので要領は十分把握できています、
 住吉神社の前でお接待所が開設されています、雨が降っているのでどうかと思ったのですが、建物の中に椅子とテーブル、そこまでブルーシートが敷かれて靴を脱がなくても入れるようにしてくれていました。今日は時間の余裕がないのですが無視して行き過ぎることはお遍路にとっては先ずできないことです。町役場の偉いさんと思われる男性がいて少しお話、ぼくが昨日内子町営バスに乗れなかったのだと話すと、久万高原のバスも赤字で大変だと教えてくれました、久万の町と岩屋寺を往復するバスが1日に3本ほど出ているけれど、これは伊予鉄バスに補助金を払って走らせてもらっている、ほとんど税金なので廃止したいというと住民から反対運動、反対する割には乗る人は本当に少ないとぼやくことぼやくこと、あまり長居もしていられないので16分ほどで失礼します、
 合流ポイントから一里木の近くのコンビニまで52分、ベストより2分も早い、お接待が効いたのかもしれません。このコンビニでは必ず食料を仕入れる(長珍屋ではいつも素泊まり)のですが、今回は道後温泉の先の宿で石手寺の手前にローソンがあることは分かっているので立ち寄りません、このコンビニを素通りしたのは初めてかもしれません。
 コンビニ前で10時16分、レストパーク明神までは45分、残念、ベストより30秒遅れでした、明神では自転車で巡っている男性が休憩中、桃李庵の前を通る短絡路が通れるか尋ねてきます、その山道は自転車では無理です、三坂峠からも山道を行こうとするので、それも無理国道を行くしかないとアドバイス、国道から浄瑠璃寺の方へ下りていく道は知らないので、それははっきり教えることはできませんでした。さすがに自転車へんろ道の情報までは持ち合わせません。帰ってからへんろ地図を見ると塩ヶ森トンネルの手前から浄瑠璃寺の方へ下りていく舗装道があります。へんろ地図も持っていなくてスマホの地図を見ていました、自転車でも最低へんろ地図は買わないと、となんだか残念な感じ、
 明神では20分ほど休んで11時20分に出発、三坂峠の山道に入ると二人の男性に追いつきます、この時間だと、古岩屋荘から来たと思われます、
 坂本屋でもお接待がありました、今日は5月6日土曜日、初めの計画では、岩屋寺は昨日のうちにお参りしていて、この前に来るのはまだ始まっていない時間だと思っていて、意識の外、呼び止められたのでもちろん行き過ぎることはできず2年続きでお世話になります、お世話に来ている男性が、奥さんに作ってもらったおにぎりを半分食べてくれというのでいただきました、味噌汁も出してくれてがっつり昼食になってしまいます、もう一人の男性がスパゲッティを作っていてこれも食べてくださいと言われたのですが、さすがにそれは遠慮しました、ここでもいっぱい喋って20分も休ませてもらいました。


 13時20分、46番札所浄瑠璃寺に到着、明神から100分、ベストタイです。これだけお接待していただいて休みを取ると歩きだけは目一杯頑張らないと、


 13時39分、47番札所八坂寺に到着、浄瑠璃寺から8分27秒、ぎりぎりベストタイ、
 13時48分、出発、境内はさほど広大ではないので、納経しなければ、普通に一通りお参りしてもこれくらいの時間になります、めちゃくちゃ急いている訳でもありません。


 ぼくの地元ではもう何十年も前に見られなくなった麦の秋、四国でもソーラー発電所に変わってしまうところも出てきました。


 14時30分、48番札所西林寺に到着、八坂寺から40分、ベストより30秒遅れでした、ベストは長珍屋から出発した時だから、午後のこの時間までよくねばっているという感じです。


 15時10分、49番札所浄土寺に到着です、西林寺から28分、ベストより1分遅れ、この区間は午前中歩いてもベストタイの出にくい区間だからまだよく歩けている方です、
 15時20分、出発。
 浄土寺を出てすぐ県道40号を行くのですが、この道は狭くて交通量が多くて歩道のないお遍路にとっては最悪の道なのですが、今回初めてその途中から脇道への道しるべがありました、今までは県道を600mほど歩いてお墓の中に入っていくのですが、その半分くらいで右に入っていく路地のような道がありました、近道になっているかどうか不明ですが多少遠回りでも県道を行くよりずっと安心です。


 15時36分、50番札所繁多寺に到着です、浄土寺から15分39秒、ベストより9秒遅れ、違う道を来たから正確な比較はできません。
 境内に入るとちょうど女性のMさんが納経を終えたところでした、仏木寺の手前以来、足の調子はどうですかと訊いたら、まだ全然駄目、でも諦めて帰るそぶりは見せません、浄瑠璃寺からは札所間の距離が短いのでずっと歩いているようです、
 15時50分、出発、1.5kmほど進んだところで先に出たMさんに追いつきそうになったのですがローソンに入って夕食と朝食を調達、


 16時22分、51番札所石手寺に到着、繁多寺から24分、ベストより1分遅れでした、今日はここまで45kmほど歩いているから、むしろ1分遅れは大健闘と言ってもいい。


 ブラタモリ、石手寺はその昔高野山のような宗教都市であったと学びました、道後温泉のホテル群はすべて石手寺の敷地内、堂宇伽藍が建ち並んでいたのだとか、
 16時34分、石手寺を出発、何とか17時には宿に着けそうです、


 宿は遍路道をはずれているので撮影することもなかったのですが、立派なひめぎんホールだけは撮らずにはいられませんでした、大きすぎて全容は捉えられませんでしたが、


 17時05分、お遍路ハウス平和通に到着しました、最後だけちょっと迷いました、ひめぎんホールの前の大通りを真西へちょうど1km、左にコスモのガソリンスタンドが見えたところのすぐ先を右折したところ、慌てて早めの角を右折してしまいました。郵便局を目印にしたのが失敗でした。
 普通の古い民家ですが、壁と畳は新しくしてトイレもリフォーム、部屋は2階に2室、1階に1室、インスタントですがコーヒーがセルフで飲み放題というのがいい、お風呂だけは昔のままできれいとは言い難いですが、まあ十分我慢できる程度です。ホステスは若い女性でとても感じのいい人でした、ご主人は東南アジア系の人ですぐ裏の離れに暮らしています。同宿の人は居なくてすごく快適でした、いたとしても完全個室だから文句なし、道後温泉の近くには相部屋の安いゲストハウスや旅館がいくつもありますが、個室で2800円、というのは大きな魅力です、しかも和室、今年はたまたま48kmになりましたが、前日45番を打っておけば八丁坂から34kmなのでちょうど楽に歩ける距離です、この宿もこれからずっと固定ということになりそうです。


20日目 ときわ旅館(大洲市)~八丁坂(久万高原町)

2017-07-17 | 17年四国の旅


 ときわ旅館の朝食は6時から、10分前に声がかかりました。朝から電車に乗るので、この5分10分もありがたい、
 2年前室戸の宿で同宿になった阿佐美さんや昨年民宿岡田で同宿になった公認先達山口さんも今年も来られたとご主人から伺いました、山口さんはこの春で20回目、ぼくが出会ったお遍路さんで一番巡っておられるとこの時は思っていましたが、八十窪の大女将はもっと巡っているようです、3年前の記念スタンプが押せる納経帳(ぼくのと同じ)も見せて貰いました。


 ときわ旅館の玄関にポスターがありました、最初四国に来たときこんな所に帝京高校があることにびっくりしたけれど、今回が甲子園初出場ではなかったことにもっとびっくりしました。
 ご主人に見送ってもらい、来年は逆打ちで4月の中頃に来ますと約束、約束してしまうともう絶対来ないといけないから、何が何でも来られるように努力する、


 6時27分、伊予大洲駅到着、6時49分の電車に乗るので宿を出たのはぼくが一番早かった、昨年もここから喜多山まで乗ったけれど、今年は内子まで。昨年は畑峠遍路道を歩いて砥部町の宿までだったけれど、今回は内子からバスで突合までさらに飛んで、45番を打ち戻って八丁坂までの41kmです。ちょっと飛びすぎですが、明日番外の香積寺に行くことと、泊まりたい宿のかねあいもありました。久万高原では笛ヶ滝がなくなって八丁坂以外の宿には泊まる気がなくなったし、長珍屋もできれば避けて道後の宿まで行きたかった。


 電車は定刻に到着、内子までは予定通りだったのですが、
 バスは祝日で(今日はこどもの日)全便運休で少々うろたえました。ネットで調べると土曜は2便。日曜は全便運休とは書いていたのですが何度調べてもそこに祝日の文字はなかった、全くネット情報というのはさほどにいい加減で軽いものです、バス停には日祝全便運休とありました、なぜネットでも同じように書けない、祝の一文字を入れるのにどれだけの手間がかかるのだと、見えぬ相手に文句を言ってもしょうがないので、とりあえず歩くしかないので、久万に向かって歩き出します。
 今日は45番まで行かず、その往復の12kmを削れば内子から突合まで歩いてもトータルではあまり変わりません。ただそうすると、明日の番外を止めても宿までの距離はかなり長くなるし、明日は札所の数が7つにもなるからさらにきつくはなります、でもやってやれないことはない、ほかに選択肢はないから機嫌良く歩くしかありません。

 今日は昨日と違って初めて歩く道がないのでほとんど写真は撮りませんでした、昨年畑峠(はたのとう)遍路道を歩いて内子町久万高原町の赤線の道は全て歩いたといい気になっていたのですが、まだまだ遍路道はありました。
 昨年足を痛めたときに内子からバスに乗るので時間がずいぶん余って、今まで一度も見学していなかった八日市の古い街並みを見たとき、意外なものを発見、そこには旧街道へんろみちと書かれていました、現在の遍路道とは明後日の方向のこの道がへんろみちだとはにわかに信じられない思いでした。帰ってからしばらくして英語の地図を見てその意味が分かりました。英語の地図には水戸森峠という緑の線の古い遍路道がありました、道の駅からりの3.4km先で国道に合流する山越えの道です、枯雑草さんはすでに歩かれていて写真も多数投稿、もう一人歩いたという人のブログも発見しました、もちろん今回歩きたかったのですが香積寺と宿のことがあってなくなく2年後まで待つことにしました。
 内子駅を7時03分に出発、松乃屋旅館を過ぎてしばらくの所で右折して国道に出ます、昼食を買えるところがここしかないのでコンビニに立ち寄ります、チョコとかりんと、今日は曇りなので大丈夫でしょう、
 内子から大瀬まではベストより4分遅れの92分でした、調子としては十分だったのですが、あまり狙う気もなく時速は6.3kmほどでした。歩く距離が1km短くなって歩き始める時間も1時間早くなってかなり余裕もあります。
 大瀬のバス停で休憩、昨年ここで向かいの家のおばちゃんからビン牛乳をお接待してもらった、先達竹下さんはお接待してもらった場所のことなど忘れられないでしょ、と言います、ぼくは最初の頃は白衣も着けていなかったからお接待の回数は人よりかなり少なかったこともあって、本当に何処で何をいただいたか、覚えているし、そこを歩くたびに思い出すようにもしているようです。
 大瀬で18分の休憩、8寺52分に発ちます。


 昨年工事中だった大瀬小学校の校舎が完成していました、確か前の校舎は今風の普通の鉄筋コンクリートだったはず。
 大瀬から突合の1km先のバス停まで68分、ベストより2分遅れ、時速は大瀬までと同じで6.28km。ベストよりちょっとだけゆったり目のこのスピードが一番気持ちよい歩きなのかもしれません。
 バス停では休まず、10時03分に出発。バス停を出て1kmほどの所で異常事態、長身の男性がぼくを追い抜いていきます、こういうことは今まで一度もなかったので本当にびっくりしました。1日に歩く距離がぼくより長い人や短い日数で一巡する人は何人か知っていますし、実際に会ったこともありますが、ぼくより速いスピードで歩く人はちょっと思い出せない。8年前須崎から足摺までいっしょだった山口県は仙崎(金子みすゞのふるさと)から来た橋本さんは全くぼくと同じスピードで霊山寺から延光寺まで14日で歩く人でしたが。
 それまで楽なペースで歩いていたのが離される一方では具合が悪いというのでギアを一段入れ直して必死に追いすがります、50mほど離されてそれからは何とか少しずつ縮めていきました、こんなに力を入れて歩いたのは、ベストを狙うときでもここまではしない、というくらいです。薬師堂のトイレで彼は休まずそのまま先に行ってくれて助かりました、ぼくはここで休憩することは決めていました。バス停からここまではもちろんベスト以上のタイムで時速は6.5km、やっぱり6.3で余裕を持ちながら歩く方がいい。
 
薬師堂のバス停では13分ほど休んで、10時50分に出発、ここから宿まで4時間ほどなのであとはゆったり行きます。
 落合トンネルを抜けて4km、三嶋神社のすぐ先で地元の人たちが大きな釜でうどんのお接待、ぼくを追い抜いていった若者もいました、ぼくのすぐ後には自転車の女性二人連れ、もう一人白衣を着ていない歩きの男性もいました。そこで足の速い若者に少し話を聞きます、ああいうスピードは午前中だけで午後からは少し押さえるということでした、40km歩く日もあるけれど、ずっとそうではなくてもっと短い日の方が多いとか、宿案内を渡すと、これを持っている人に見せて貰ったことがあると言っていました、地元の人にもっと食べていけと勧められるままに30分ほどゆっくり休んでしまいました、
 歩きの男性二人が先に出て、少し遅れて出たので全然追いつきません、食べてからは動きもやや鈍くて下坂場峠まではベストより6分遅れの、時速5.6kmでした、
 下坂場峠からはさらに調子は落ちて、普通は休まない鴇田峠の手前の別荘地のあたりで休みを入れてしまいました、身体も動かないし眠気にもおそわれます。鴇田峠は玉ヶ峠の次ぎに苦手な登り道で、峠の手前の山道ではなく、山道に入る手前の別荘地を抜けるところあたりでいつも足が止まる印象があります。前回2年前もそうだったし、今年は今までで最悪です。
 峠のすぐ手前からいくらか調子を取り戻し、下りになると大分楽になりました。国道まで降りてくるのに80分、ベストより8分遅れ、時速は4.9kmでした。


 14時50分、44番札所大宝寺に到着です、予期せぬ休みが2回あったものの、まだ宿には16時までには着ける時間です。
 境内にはお接待所で一緒だった二人の男性がちょうどお参りを終えたところ、ぼくがお参りを終えたところで足の速い男性から次々と宿のことについて質問を受けます。彼はここまで同宿になった人たちからいろいろと情報を仕入れていて、大体のあたりは付けているようでした。道後では石手寺の通夜堂に泊まる、そのあとは大西まで、ますやはどうかと訊かれて、ますやは多少問題あるのでつよしにした方がいいと教えます、その次は小松、その次は伊予西条まで歩いて電車で戻って連泊したらいいとアドバイスします。小松は連泊だと焼き肉になると聞いていたようですが、本当はすき焼き、アドバイスは時に微妙に違ったものになる。それやこれやで次々話が延びて30分以上も話し込んでしまいました、二人は一里木までなのであと15分ですが、ぼくはもう一山越えなくてはならない。15時41分、ようやく宿に向かいます。


 大宝寺で50分も滞在してしまったので、最後はしっかり気合いを入れました、ベストに近いタイムで、16時23分、八丁坂に到着です。


 八丁坂は昨年に続いて2回目の投宿、昨年は和室だったのですが今回は洋室ベッド、洋室は好きではないのですが、和室以上に居心地のいい空間でした、ダブルベッドでそれがほとんど和室と変わらない感じでいられます。
 お風呂に行くと男性が先にいて話を聞くと、今日は石鎚からきた、石鎚からこちらへ来るルートがあることは知っていたけれど、実際に来る人に初めて会いました、お遍路だけではなくいろんな観光をしながらの旅のようです。
 同宿はお風呂で会った男性とその奥さん、お遍路ではないようなもう一組のご夫婦、女性一人、男性一人、の6人と、時間遅れの観光の二人連れ、ラグビー部の高校生たち。高校生の食事は食堂で、ぼくたちは別の和室に通されました。夕食の時にはお遍路メインの人が少なかったせいかほとんど話することはありませんでした。