WALKER’S 

歩く男の日日

4日目 鶴風亭(勝浦町)~弘陽荘(美波町)

2015-05-29 | 15年四国の旅

 昨日に続いて夜明け前から雨が降っています。2日前はほんの数分しか降らなかったけれど、それもカウントすれば初日から4日連続降られたことになります。今までの最高は06年の松山から観音寺までの5日連続です。
 今日は朝一で鶴林寺に登るので大変です。一昨年も鶴林寺は細かい雨が降っていたのですが、山に入るとほとんど判らないくらいだったので、傘はさしませんでしたが、今日はかなりしっかり降っているのでささないわけにはいきません。ぼくの場合傘が杖なので、山登りで杖を使えないというのはかなりのハンデになります。登る前からタイムは諦めていました。ご主人の尺八の音に送られながら6時30分に宿を発ちました。


 鶴林寺は登る一方で人によっては焼山寺より苦労するとも言われます。ぼくも最初の頃はいきなりの急坂にダメージを受けることが多く、苦手にしていたのですが、12年、13年は落ち着いて合わせながら読みながら登ることができてタイムも良かったので、大部好きな道になりつつあります。今回は雨が降っていて傘もさしているので、焦らずじっくり登るしかないと覚悟して登りました。
 20番札所鶴林寺まで49分41秒、2年前より3分遅れでしたが、7巡目までのベストよりは15秒遅れただけでした。2日前の焼山寺と違って気温がずいぶん低くて思った以上に動けたようです。道中も境内でも歩きの人は見かけませんでした。金子やには外国人が5人宿泊していたようですが、ぼくより後の出発のようです。
 静かで寂しく冷たい雨の中でのお参り、こういうときは納経所で一言かけてもらうのがとてもありがたく暖かい感じがします。鶴林寺には濡れずに休むところがないので、すぐに太龍寺に向けて出発、7時40分です。
 鶴林寺からの急な下り坂は、この雨では登りよりも遙かに過酷です。へんろころがしと呼ばれるのは登り坂が多いと思いますが、実際に滑ったり転んだりするのは下り坂が圧倒的に多い。十分に水分を含んだ急な下りでしかも杖を使えないというのは、ちょっと恐ろしいという感じさえします。とにかく転ばないように慎重に下っていきます。


 下りの中間地点、県道まで何とか無事に下ってきました。


 鶴林寺から2.5km、水井橋の手前の休憩所に到着、下りで杖が使えないというのは本当に大変です。35分16秒もかかってしまいました。ベストより7分も遅れたのですがこれは仕方のないところでしょう。
 これから登る太竜寺山を見上げて気持を入れ替えます。
 水井橋手前の休憩所から2.5km先の登坂口までは傘をさして歩いたのですが、雨も大分小降りになったので太龍寺の山道は傘を閉じて登りました。


 21番札所太龍寺の山門です。水井橋から56分31秒、2年前よりは3分遅れですが、7巡目までのベストよりは3分早く到着しました。どういう訳か2年前は異常な速さでした。もちろんその記録をベストにする気はありません。平地では脛の筋肉を痛めて歩けなくなってしまったけれど、山登りには力を発揮できるシューズだったようです。
 境内に上がって、納経所の前を通過、鐘楼門を抜けて水屋を使います。その前から長い石段を登りきって左の方に進むとようやく本堂です、本堂でお参りを終えた年配の女性が、大師堂はどちらですかとぼくに尋ねます、指をさしてそこを左ですと伝えたのですが、手前の階段を登ろうとするので、慌ててその向こうですと、伝えなおしました。後で聞いたら、昨日は金子やに泊まって、タクシーで鶴林寺、そしてロープウェイの乗り場まで来たということでした。この歳だから山登りはとてもできないわと言って、納経所からロープウェイの方に向かわれました。その後は歩くと思われたので、今日出会った最初の歩き遍路さんになります。境内はとにかく寒く、納経所の暖房ががんがんに効いていてずっといたかったのですが、そういうわけにもいかず、出てすぐの所にある休憩所で一息入れました。
 休憩時間はそんなに長くとらなかったけれど、再び山門の所に戻って来たのは10時15分、53分間も滞在したことになります。山門から下り始めてしばらくすると女性二人連れが登ってきます。ぼくより少し後に金子やを出発したと思われます。さかもとを出た人はもう30分くらい後になるはずです。2年前さかもとで同宿だった人たちと同じ所ですれ違ったのは10時50分でした。2年前は由岐までだったのでゆっくり休んだのですが、今回は8km余計に歩くので、休憩も短くしました。下りの舗装道は快調にとばしたのですが、とちゅう枯れ葉が濡れていて、やってしまいました。手のひらとひざの横から少し血がにじんでいます。でも、それだけで歩きに支障が出るほどの痛みは残っていません。
 龍山荘の少し手前の道ばたで若い女性が休憩中、たばこを吸っていたので、挨拶もそこそこに足早に通り過ぎました。吸っている人はそれだけで迷惑になっていることを気づかない。できれば気づかない人には歩いてほしくないとも思うけれど、ぼくも最初の頃は本当に迷惑な歩きをしていたから他人のことは言えません。
 坂口屋の前まで39分55秒、ベストより1分半遅れ、体調は良かったのですが途中で転んだのが響いたのかもしれません。


 大根峠を越えて里に下りてくると新しい遍路小屋が待ち受けていました。見上げるような遍路小屋は初めてです。四元さんが歩いた7年前には少し先にお接待所があったのですが、翌年にはなくなっていて水道が使えるだけになっています。


 12時14分、22番札所平等寺に到着、坂口屋から79分30秒、ベストより4分遅れでした。ただしベストの時は朝一で坂口屋から歩いた時の記録で、500mの山二つ超えてきた後の記録とは比較になりません。でも、10年前金子やから出発したときの記録と比べても1分ちょっと遅い、靴の中が濡れていたのも影響していたのかもしれません。


 お参り、納経が終わって納経所の横にある休憩所で休んでいたら、納経所の女性が、今日は花祭りなので甘茶とぼた餅をお接待しています、といってお盆に乗せて持ってきてくれました。甘茶は前に雪けい寺で頂いたことがあって、その時はかなり微妙な味だったのですが、今回は普通に飲むことができました。
 本日のお参りはこれで終了、20km先の宿に向けて12時55分に出発です。


 平等寺を出てしばらくすると、雨が上がりました。体調は特に問題はなかったのですが、やはり難所を二つ越えているので、思っているほど前には進んでいないようです。最初のトンネル、鉦打トンネルの前まで56分、この先の遍路小屋までは65分、ベストより5分遅れでした。時間がないので5分ほどの休憩で出発します。


 2年前は工事中だった日和佐道路、国道55号バイパスが完全開通しています。おかげで、この先は国道が自分だけの道のようになっていました。11km歩く間、通過した車は本当に数えるほどでした。沿道にいくつかあったお店もほとんど廃業しています。


 14時44分、本日の宿がある美波町に入りました。新しいウェルかめができて5年以上になると思うけど、12年、13年は由岐まわりの道を歩いたのでこちら側のウェルかめは初めて見ます。ちなみに、徳島の夕方のNHKのニュースの天気予報ではかめっ太くんが今なお活躍中です。


 美波町に入って2kmほど進むと、また初めて見る遍路小屋です。この道を歩くのは6年ぶりなのでそんなには新しくないかもしれません。


 16時09分、薬王寺の2kmほど手前で、国道を離れて左折します。お参りは明日の朝ということにして、宿に向かいます。大浜海岸方面、町役場の近くに宿はあります。


 国道を離れて500mほどで新しい日和佐道路の鉄橋をくぐります。すぐ向こうにJR牟岐線も見えています。400mほど右に行くと北河内駅です。


 16時34分、民宿弘陽荘に到着しました。平等寺からの正味の歩行時間は3時間29分、時速は5.89km、ちょっと残念な歩きでした。難所越えで8時間近く歩いてきたから仕方のないところかもしれませんが。1日の間に今日と同じ区間を歩いたのは過去に一度、10年前のことでしたが、1日のトータルのタイムはほぼ同じでした。今回の方が前半が早くて後半がその分遅れたという感じです。雨が降っていなければもう5分くらい早かったはずで、体力がそんなに落ちていないことは証明できたと思います。


 玄関の右側に大きな寄せ書きが飾ってあります。ウェルかめのスタッフキャスト、不思議な魅力だった松尾れい子さん、館長温水洋一さんのものも見えます。この横には倉科カナさん、羽田美智子さんの写真も展示してありました。
 浜本荘とは違って、70歳前後と見られるご主人が迎えてくれました。


 昨日と違ってタンパク質がたっぷりです。鶏の水炊き、魚の天ぷら、焼き鳥、カツオのたたき。たたきはやっぱり高知のものと比べて少し落ちるという感じでしたが、それ以外は全部美味しくて大満足の夕食でした。車で巡っているという女性と同宿、明日は27番の下の宿に泊まりたいと思うけれど、どの宿がいいかと相談されたので、車であればもう少し先に行けるだろうから、香我美駅の近くにあるかがみ宿がいいでしょうと推薦しました。食後すぐ電話するとうまく予約できたようです。かがみ宿はへんろ地図には載っていない(新しいのには載っているかもしれません)からあまり知られていなくて前日予約でも楽勝。

  4日目の歩行距離  41.3km
      歩行時間  7時間51分  7時間半以上歩くつもりは
      平均時速   5.26km                    なかったのですが


3日目 名西旅館(徳島市)~鶴風亭(勝浦町)

2015-05-26 | 15年四国の旅

 夜明け前から雨が降っています。昨日は結局焼山寺の手前1kmの所でほんの数分弱い雨が落ちてきただけだったのですが、今日はしっかり雨のスタートです。名西旅館の朝食は6時半から、出発は7時08分になりました。


 14番常楽寺には22分で到着、一番の近道を歩いてベストタイでした。バスツアーの人が大師堂でお参りをしています。ぼくが納経所に行ったときには団体の納経は終了していて待たされることはありませんでした。


 14番を7時47分に出発、7分24秒で15番国分寺に到着、何とかベストタイでした。2年前にはなかった新しい大師堂です。前の大師堂は本堂に比べるとかなりみすぼらしい感じの建物だったから納得です。


 15番を8時11分に出発、17分30秒で16番観音寺に到着、ぎりぎりベストタイでした。最後はちょっと駆け足で無理矢理合わせました。時速は6.72km、一度このスピードで歩いてしまうと後が大変なのです。雨も降っているし1分ぐらい遅れても十分いい歩きなのですが。大師堂でお参りを終えた頃夫婦連れの歩き遍路さんが到着、途中で追い越さなかったから点線ではなく棒線の道を歩いてきたようです。点線の道は新しくできた広い道で分断されているけれど、昔の道なので2回目からはずっと点線を歩いています。


 16番を8時45分に出発、26分12秒で17番井戸寺に到着、今度はベストより1分遅れました。とはいっても時速は6.49kmだから全然悪くはありません。観音寺を出てしばらくすると雨はあがって傘をたたんだのですが、靴の中はしっかり濡れているからそれが微妙に影響しているのかもしれません。井戸寺の境内には掃除の女性が一人いるだけで参拝者は一人もいません。気持のよい贅沢なお参りのひとときを過ごせました。


 井戸寺からは6年ぶりに東へ進んで県道30号に出ます。本来のへんろみちは南へ下るのですが、3年前歩いて懲りました。鮎喰川を渡るまでは雰囲気のある大好きな道が続くのですが、上鮎喰橋を渡って国道の1本南の筋にはいると、自転車の往来がひどくて、しかも歩道を容赦のないスピードで向かってくることもありました。ぼんやり歩いていたら間違いなくひっかけられそうな感じがして恐ろしくなりました。昔のお遍路さんのほとんどがこの道を歩いたに違いないと思いますが、現代では歩いてはいけないような道になってしまいました。10分ほど遠回りにもなるので二度と歩かないことにしました。地蔵院からの山越えの道も10年前に一度歩いて、その時の印象がよくなくて5分ほど遠回りにもなるし、もう一度行く気にはなれません。
 県道に出てしばらく行くと新しいコンビニが開店の準備におおわらわ、もちろんセブンイレブンです。


 蔵本駅の前から国道に出て1kmほど進むと、ありました。佐藤さんから絶対に泊まった方がいいと薦められている、歩き遍路 宿びざん です。来年か再来年にはお世話になるつもりでいます。すだち館から32km、植村旅館からだと25km、利用できる人は多いと思います。
 井戸寺から6km、本来のへんろみちが合流するポイントの近くにあるコンビニの前で男性歩き遍路さんが休憩中でした。10時半ですから、ぼくより大部早くかどや旅館を出発したのかもしれません。
 本日最初の休憩所、二軒屋駅に到着したのは10時52分、井戸寺から78分28秒、ベストより3分遅れでした。時速は6.31kmだからそんなに悪くもありません。昨日の山登りで足全部が筋肉痛でその影響が多少あるのかもしれません。2年前もそうだったのですが、6年前まではこんなに痛んだ覚えはほとんどなくて、首を傾げるしかありません。
 昼食は家から持ってきたキャラメルとチーズ、初日に買った夕食と朝食のパン以外、まだ食料は買っていません。


 二軒屋駅では23分ほど休んで11時15分に出発、国道に出るちょっと前にコンビニで休んでいた男性をまた追い抜きました。
 12時00分、勝浦川橋までやってきました。


 勝浦川橋を渡ったところで右折します。赤点線はないけれど昔のお遍路さんが歩いた道です。確か09年には右折の矢印があったはずですが、翌年日帰りで来たときにはなくなっていました。400mほど遠回りになるし、そういうことを知らない歩きの人が混乱するのを避けるためだったのかもしれません。ぼくは2年前初めて歩いて、とても歩きやすい道だったので、これからもずっと右折するつもりです。国道や県道を歩くのはあまり苦にはならないのですが、二軒屋から小松島警察までのこの国道は大嫌いな道です。車線が多く常に大量の車が爆音を上げているので、広い歩道でも全然楽しくありません。その嫌な道を僅か2kmほどでも避けられるのはとても嬉しい。


 少し進むと赤矢印が残っています。へんろ石も見えます。昔はここに橋があったに違いありません。


 JR牟岐線の下をくぐります。


 車はほとんど通らず、人通りも全くといっていいほどありません。


 昔の街道を偲ばせる緩やかなカーブが心地いい。


 23分ほどで国道に合流。


 国道を横断して御杖の水の前を通るのが昔の道ですが、1度歩いているのでここは近道の国道を歩きます。


 18番恩山寺の山門の200mほど手前、民宿ちばの前で若い男性に追いつきました。ちょうど古い道の入口だったので、昔の道はこちらですよ、と教えてあげました。この道はなかなか入れない。徳光さんも入れなかったし、ぼくがこの道に最初に入ったのは7巡目の時でした。次の時は見落としてまた入れなかった。入口に道しるべがあったときもあったのですが、もう何年も全く何の印もないようです。二軒屋駅から山門まで91分06秒で到着、意外にもベストタイでかなり気をよくします。時速は6.29kmだからちょっとペースダウンはしているようですが。
 境内に上がってきたのは12時50分、17番とは違って車遍路の人、歩きの人も4人くらいいてかなりのにぎわいです。歩きの人は松本屋か鱗楼から来たと思われます、この時間から金子やまで行くのはかなりきついと思いますが、立江寺の宿坊までだったらちょうどいい感じです。後で判ったのですが夫婦連れは宿坊に泊まられました。お参り納経が終わって休憩していたらさっきの若い男性が隣に来て、話を聞くと今日は何と、ちばに泊まるという。そして明日は金子やまで、わずか14km、でもその先は二つ山を越えないと宿がないから仕方ありません。さらに訊くと焼山寺はとばしてきたので明後日の鶴林寺が初めての山登りだという。ちょっと理解に苦しむ歩きようで何とも言えませんでした。


 恩山寺には35分ほど滞在、13時28分に出発しました。
 立江寺の1kmほど手前に新しい遍路小屋ができていました。確か2年前にはなかったと思います。
 写真は撮り忘れましたが、立江郵便局で予定通り100円玉12枚を下ろしました。広野で下ろした16枚、家から持参した26枚、すでに納経所で支払ったのが39枚だから15枚が手元に残っています。薬王寺の分まであるからそれまでは下ろさなくてもいい。


 14時09分、19番札所立江寺に到着、恩山寺から38分57秒、ベストタイでした。時速は6.31km、ここまではまあ安定しています。境内には先に恩山寺を出た人、初めて見る人もいて、カウントするのに大変でした。境内でのカウントは当てにならないからノーカウントにすることもあるけれど、明らかに歩きだという人もいるので難しいところです。結局この日出会った歩き遍路さんは14人でした。ふれあいの里さかもとは満室、金子やも相当数泊まっていたようですが、そういう人たちはもっと早い時間に宿に入っていたようでほとんど追いつくことはありませんでした。
 種類が違うのか意外にも桜が残っていてしばし目を楽しませてくれました。


 立江寺でお参り納経を終えて、休憩なしで出発したのは14時30分、山門の前で立江駅はどちらですかと地元の人に尋ねている歩きの人がいました。今日は鮒の里はお休みなので徳島まで戻るしかないようです。昨日の夕食の時もやはり立江から電車を使うしかないようだと言っていた人がいました。
 宿まで10kmだから16時を少し過ぎることになります。朝食が6時半だったのでこれが精一杯。朝食抜きだったら楽々15時半に着いていました。これからはできるだけ朝食も味わうことにしたから宿に入るのも今までよりは遅くなります。
 写真は立江寺から4.5km地点の新しい短絡路、2年前(4年ぶり)に来たときにいきなりできていたのでびっくりしました。元の道より70mほど短くなっただけですが、往復で1車線しかないような細い箇所があったのでずいぶん流れはスムースになったでしょう。


 立江寺から6.3km、タイムチェックポイントのローソンです。62分47秒、ベストより3分遅れでした。時速は6.02km、坂道も少しあったけれど明らかに疲れています。
 一昨年までなかったベンチがあります。今までずっと地べたに座って休んでいたからありがたいけれど、そばに灰皿があるのは全く頂けない。吸わない人間はそばで吸われると全く休めないということぐらい察してほしいものです。今回はあと4kmだし時間もないので休みません。


 16時12分、金子やの130m手前にある鶴風亭に到着しました。3年ほど前にできた新しい宿です。最後の区間は坂道がないので時速は6.11kmでした。ベストより3分遅れです。


 四国では58軒の宿で夕食を摂ったけど、え、これだけ?と思ったのは初めてです。見た目だけからいうと一番質素だといえるでしょう。動物性も植物性もタンパク質が一切見あたらないし、おつゆもありません。でも、天ぷらは揚げたてだし。全部美味しくて、腹ごたえもそこそこあったので、初めの印象ほどは悪くありませんでした。でも、四国を一巡して30~40軒の宿に泊まるとすごい料理を出してくれる宿も少なくないからどうしても残念な気持は拭い去れません。2食付き6000円はおすすめできませんが、素泊まり4000円なら超おすすめです。ご主人も奥さんも明るくてとても感じのいい人で、部屋は広くて清潔、洗濯乾燥は無料でしてもらえます。同宿は香港から来たカップルだったのですが、言葉もほとんど通じない中ご主人が明日の宿、ゆき荘を紹介して、予約も入れて平等寺の前で待ち合わせするところまで汗だくでなんとかこぎつけるというほど親切です。ふれあいの里さかもとはバスの時間があるから金子やの前を出発するのが7時半くらいになるので、早く出発したい方はこの宿で素泊まりでというのがいいと思います。


 朝食は普通の宿とあまり変わらず大満足、お昼のおにぎりもお接待してもらいました。

 3日目の歩行距離  40.3km
      歩行時間  6時間21分  ベストより10分の遅れ
      平均時速  6.35km   後半は粘れませんでした


2日目 しげる旅館(吉野川市)~名西旅館(徳島市)

2015-05-20 | 15年四国の旅


 今年は納経があるので早く出すぎても意味がないので、宿を6時に出ます。藤井寺まで2881mを27分20秒で到着しました。時速6.32kmだから上々の発ち上がりだったのですが、この日まともに歩けたのはこの区間だけでした。夜明け前に雨は降っていたようですが、宿を出るときには完全に上がっていていつものようにお山に登れると思っていたのですが、気温と湿度のことはこの時点では全く気にもとめていませんでした。お参りが終わったのは6時40分、納経所には住職がでんと構えていてすぐにしてもらえるかと思ったら、やはり7時からということで、待たせてもらいますと答えて腰を下ろそうとしたら、歩いて登るのかと訊かれて、はい、と答えると、じゃあしてあげようと早めにしてもらえました。これも一つのお接待と見ていいかもしれません。
 お参りをしているときに男性がひとり、納経所にいるときに女性がひとり山道に入っていきました。旅館吉野で朝食をとるとこれくらいの時間になります。二人とも長戸庵までには楽々追いつけるだろうなと思いながら6時48分、大好きな山道に入っていきました。


 焼山寺は10年の日帰り、12年の別格区切り、13年にも歩いていてほかの山道に比べるとあまり間が空いていないので、かなり読みながら考えながら冷静に登れるようになっていると自分では思っています。長い山道だから何より焦りは禁物、そして平坦なところではすぐにギアを入れ替えられるようにしておく。先に出た二人を早々に追い抜いて長戸庵には50分33秒で到着、一番早かった2年前よりは1分遅れですが、それまでのベストとは同じ記録です。ペースの採り方も悪くないと思っていました。この時点ではまだそんなに気温が上がっていなかったのでしょう。

 8時26分、柳水庵に到着しました。長戸庵から41分19秒、ベストより3分も遅くなってしまいました。足の動きは全然悪くなくて特に最後の平坦なところではいつものように快調に歩けたのでこれだけ遅れた理由がよく分からないくらいでした。でも汗のかきようが半端なかったので、やはり暑さと湿気が動きを鈍くしていたのかもしれません。到着する5分ぐらい前の所で男性を追い抜きました。写真に写っている、4回目のベテランさんです。何回歩いてもここはばてるよねえ、大きくうなずいて同意します。今日は焼山寺から10km先にある植村旅館まで歩かれます。


 休憩は10分ほどだったのですが塩も水もたっぷり摂って体調は問題なかったはずでしたが、この一本杉の前の急坂ではかなりきつくて何度か立ち止まりそうになりました。調子の悪いときの動きだとはっきり自覚しました。柳水庵から32分28秒、ベストより2分遅れでした。雨は全く降っていないのですがこの霧、湿度は確実に100%、下着はぐっしょりですが全然寒くありません。


 淨蓮庵(一本杉)からの下りは、前半のなだらかなところではいつものようにかなりスピードを意識して歩くことができたのですが、後半の急坂は足場が悪く前日の雨で滑りやすくなっていたりぬかるんでいるところもあったので、タイムは気にせず慎重に下りました。標高差350mを下って、いよいよ最後の遍路ころがしに入るところですが、この時点でもう普通には登れないと自覚していました。気力が半分以上萎えかけていました。ここまでどれだけの汗をかいたことでしょう、その分水は飲んだけれど、体力はかなり消耗していたと思われます。


 10時30分、やっとのことで12番札所焼山寺に到着しました。淨蓮庵から63分54秒、ベストより9分も遅れてしまいました。でも無事に到着できたので一安心の気持が強かったです。これほど調子が悪かったのは5年前の日帰りの時以来です。その時は6月10日でさらに平年より気温が高い日でした。柳水庵から焼山寺までベストより15分も遅い記録でした。今回は柳水庵からだと10分遅い、ベストを出したのはいずれも4月20日だったから今回は5月下旬なみの気温だったのかもしれません。1ヶ月半も先の気温、異常気象の中よく頑張りました。納経所の人に、今日はかなり暑いですよね、と訊くと、はっきり同意してくれたから先ず間違いないでしょう。なにより下着がびちゃびちゃなのにじっと休んでいても全然寒くありません。いつもなら下着を替えないと寒くて我慢できないことがほとんどだったから、この点から見ても確かだと思います。納経所の横の休憩所で軽食を摂っていたら30分ほど遅れてベテランさんが到着しました。さすが、15時くらいには植村旅館に到着するペースです。初めての人だとなかなか植村旅館までは歩けません。


 焼山寺を11時15分に発って、写真の玉ヶ峠の切り通しまで71分かかりました。ベストより9分遅れです。バスターミナルまでの下りはひざの調子も悪くなくて順調だったのですが、その後登りにはいるとてきめんに動きが悪くなりました。焼山寺は気持ちよくしっかり登れたことが何回かあるのですが、玉ヶ峠は一度として順調に登れたことがありません。それも道理で、4時間近く上り下りを繰り返してきた後の厳しい山道ですから気持ちよく登れるはずがありません。ましてや焼山寺もうまく登れなかった後となると尚さらです。来年からは神山町役場方面に降りていく予定でこの道は最後になるかもしれません。結局一度も納得のいく歩きができませんでした。でも元々この道はへんろみちではなかったはずだから、気にするほどのことはないのかもしれませんが。


 11番までの平地の桜はほとんど散ってしまっていたけれど、山の中の桜はまだ十分残っています、しばし歩が停まります。


 今年初めて見かける新しいタイプの遍路シールです。
 玉ヶ峠からの急な舗装道は前回、前々回に比べてひざの負担も少なく感じて、まずまずのスピードで下ることができたはずなのですが、県道に合流するまでのタイムは2年前よりも42秒遅くベストより3分遅れでした。焼山寺までの疲れが尾を引いているのかもしれませんし、気温がさらに上がって見えぬ圧力になっているのかもしれません。最後までこのペースになるのだと覚悟を決めました。


 県道に合流(焼山寺から10km地点)したのが13時28分、そこから45分で広野郵便局に到着しました。やはりベストより3分ほど遅れています。ここで今回初めて100円玉を下ろします。ほとんどの人が納経所でおつりをもらうのは当然だと思ってそのようにしていると思いますが、ぼくは6年前と同じで今回もおつりのでないように度々郵便局のお世話になるつもりです。無駄なこだわりだという人もいるのですが、その無駄をも楽しみたいという感じです。
 郵便局で休ませてもらってもよかったのですが、雨も降っていなかったのでいつものように橋を渡ったところの河原に下りていく階段で休みました。初めて来た12年前にはここに屋根付きのバス停があったけれど翌年来たときには完全に取り壊されていました。幸い一度も雨に降られなかったのでまだ郵便局では休んでいません。
 河野橋で10分ほど休んで14時35分に発ちました。本日のゴールまで7kmちょっと、13番のお参りがあるから宿に入るのは16時をちょっと過ぎてしまいます。でも2年前と違って電車に乗らないから時間を気にする必要は全くありません。


 大日寺の1.8km手前にあるおやすみなし亭では今年もきっちりコーヒーをいただきました。無人ですがこれが今年初めてのお接待です。8分休んで15時40分に発ちました。13番には16時までに着けそうです。
 そこから1kmほど歩くとコンビニが復活していました。前はサンクスだったかローソンだったか、ぼくが四国を歩き始めて12年、その間に廃業したコンビニは20以上、その間にできてつぶれたコンビニも2軒ありますが、できてつぶれて復活したのはこのコンビニが初めてです。今年は2食付きで泊まるので用はありませんが、来年は朝食はなしで泊まるのでこのコンビニで調達することになりそうです。
 大日寺のほんの200mほど手前で4人の歩き遍路さんに追いつきました。外国人の男女と日本人の女性二人連れ(先々週の火曜日、ぼくの知り合いのお遍路Sさんが雲辺寺の手前の民宿岡田で同宿だった肝っ玉さんとそのお弟子さんだと思われます、女性二人連れはその後出会わなかったし、岡田がちょうど40日目でもありました)、ぼくが戻って2週間経ってもまだ歩いているというのはほんとにすごいなと思うしやっぱり豊かだとおもいます。


 最後はばたばたして大日寺の写真、名西旅館花の写真は撮り忘れてしまいました。大日寺の手前で追いついた4人とは同宿でした。外国人カップルは50歳前後、今日は焼山寺の下の宿から来たようです。20kmほどですからかなりゆっくり余裕のあるお遍路です。ほかに車で巡っている女性、60代の夫婦連れの7人が同宿でした。
 夕食は十分満足のいくものでした。鍋があると嬉しいし豪華な感じがします。カツオのたたきは本場高知で食べるものとはちょっと違うという感じでしたがそれ以外は全部美味しくいただきました。部屋もきれいだしエレベーターもあって、全く問題はなく、2食付き7000円は少し高いかもしれませんが、普通におすすめできる宿です。

   2日目の歩行距離 38.7km
       歩行時間 7時間36分  ベストより37分も遅い
       平均時速  5.09km   山道が入るとこんなもんです


初日 バス停鳴門西(鳴門市)~しげる旅館(吉野川市)

2015-05-15 | 15年四国の旅

今回は6年ぶりに納経をするし、そのために写経もしてきたし、オンタイムのブログの方をしっかり書きたいとも思っていたので、帰ってからのブログは書くかどうかはっきり決めてはいなくて、写真もいつもほどは撮りませんでした。昨年までは写真を撮るときに同時に書くことを考えることが多かったので、2ヶ月以上経っても写真を見れば書くことが思い出しやすかったのですが、今回は全く考えずに何となくシャッターを押すことが多かったので、あまり臨場感のあることは書けそうにありません、と先ずは言い訳をしながらふり返っていきたいと思います。


 家を出るときから雨が降っていて、電車の中、バスの中、ずっと降っています。特にバスの中では視界が100m未満になるほど激しい降りもあって、初日からついてないなあと気落ちしていたのですが、四国に上陸する頃からほとんど上がってきました。バスから降りたときには傘を開きませんでした。
 バス停を出発したのは8時45分、2番札所に向かって歩き出します。2年前は3番からお参りを始めて鴨島駅前の宿に着いたのは16時45分、今回はもうちょっと余裕を持って早く宿に入りたいので、6番からお参りを始めることにしました。大好きな3番から4番へ向かうへんろみちは最終日88番から戻ってくるときに歩くことになります。
 2年前はバス停から2番へ向かう道を間違えてしまって10分もかかってしまったのですが、今回は慎重に正しい道を歩いて8分25秒、ベストを更新する快調な歩きです。2番の門前からは点線の近道がありますが、少し登ったりするのでぼくはもっぱら県道を歩きます。門前から250m、県道からへんろみちに入るところで第一歩き遍路さん発見。地図を見ながらうろうろしていたのは60歳台と見られる西洋人男性でした。2番のお参りは終えたはずだから3番への道を知りたいのだろうと思いきや、ニバンニバン、と言うから行き過ぎてしまったようです。指さして教えてあげたら安心してそちらに向かいました。
 そこから1kmほど歩くと第二歩き遍路さんに追いつきました。追い抜くときに挨拶すると、なんと若い西洋人女性でした。これにはさすがにびっくりしました。6年前までは四国を一周して出会う西洋の人は多いときでも5人ぐらいまででした。それが初日にしかも最初に出会った人と2番目に出会った人が共に西洋の人ということは、いかに外国のお遍路さんが増加しているかということにほかなりません。
 2番から3番の前の交差点まで23分08秒、ベストタイでした。6番までの道は日帰りや別格区切り打ちの時にも歩いていてたくさん写真も撮ったので、カメラを出す気にはなれなくてひたすら歩くことに力を注ぎます。


 4番には行かずへんろみちをはずれて5番の近くにある羅漢郵便局の前までやってきました。33分59秒、ここまでのタイムは計ったことはないので比較はできないのですが、時速で計測してみると予定より1分ほど早かったようです。


 郵便局の近くにお茶の用意もしてある休憩所があるのですが、まだ距離が短いのでもう少し歩くことにします。


 10時16分、羅漢郵便局から2.3km、ぼくにとってはおなじみの小柿休憩所に到着しました。日帰りでも別格区切り打ちでもここまで来てまたバス停に引き返すということをしました。1時間半歩いたので初めての休憩をとります。羅漢からここまでの時速は6.62kmでした。文句のないいいペースです。


 休憩所を10時35分に出発、22分で6番札所に到着です。羅漢からのトータルで見るとベストタイでした。ここまではまだ思うように身体が動いてくれています。今年初めてのお参り、そして納経です。四国での納経は6年ぶりになるのでやっぱり少し緊張します。日曜日なので車遍路は境内に多数見られるのですが、歩きの人はいないようです。3番の近くの宿から出発した人ならまもなく追いつきそうな時間ではありますが。


 11時25分、7番札所十楽寺に到着、安楽寺から1276mを10分46秒で歩きました。時速にすると7.09km、7kmはこういう短い距離でないとなかなか出ません。また油断して味わいながら歩いていると簡単にベストより遅くなってしまうから知らずのうちに力が入ってしまいます。お遍路には無用のことなのですが。境内にはやはり車遍路の人でにぎわっていたのですが納経は滞りなく済ませることができました。


 昨年は37番からだったので高速道路の上から眺めるしかなかった熊谷寺の山門の前までやってきました。12時15分、十楽寺から3770mを34分ジャスト、時速は6.65kmでした。平地で体力に余裕のあるときはこれぐらいのスピードがベストになります。
 撮影していたら見るからにベテランの女性が追いついてきました。道中見かけなかったから逆打ちなのかもしれません。境内でもようやく歩き遍路さんを何人かみかけました。3番からだと17kmはあるから5番の門前の宿から来たと思われます。熊谷寺の納経所は6年前来たときには朝一でBGMにモーツァルトのピアノコンチェルトがかかっていたのが忘れられないのですが、今回はBGMはありませんでした。


 12時58分、9番札所法輪寺に到着、8番から2049mを17分32秒、時速は7.01kmでした。大部手前からお寺が見えているので最後はどうしても焦って力が入ってしまいます。まだ全然疲れてはいないようです。


 13時45分、10番札所切幡寺の山門に到着です。ここから本堂まで333段の長い長い階段があるのですが、札所間の距離および時間は原則山門から山門までということにしています。法輪寺から3634mを33分21秒、今までで最高のスピードです。時速は6.54km、初日ならではの馬力というところでしょうか。本堂に上がる途中で2人の歩き遍路さんに追いつきました。境内にもそれらしいザックがベンチに並んでいます。相変わらず車遍路の人も多く、納経所ではしばらく並びました。宿まで9km、休憩はとらないのでここで本日2回目にして最後の休憩です。


 切幡寺の山門を出たのは14時27分、何とか16時には着けそうですが、夕食と朝食を調達するので微妙なところです。階段を登って吉野川の土手に上がってきたところ、吉野川と行っても広大な中州の北側の流れで正式には吉野川とはいわないかもしれません。この手前の休憩所で年配の夫婦連れが休んでいました。その手前でも二組の若いカップルを追い抜いて、本日は合計14人の歩き遍路さんに出会ったことになります。最後の6人はおそらく安楽寺の宿坊に泊まった人たち、とすればずいぶんゆっくりです。本当なら向こうの本流を超えても追いつけないのが普通でしょうから。


 旧渡し場へ向かう道の分岐点、6年前にも撮影したけれど大雨でうまく撮れなかったので撮り直しです。昔のへんろみちだと判っていて歩けないのは何とも歯がゆい感じがします。


 3年ぶりに本流の沈下橋、川島橋を渡ります。鴨島駅の近くに出る阿波中央橋は6回、こちらは5回目です。なにぶん鴨島駅の近くの宿に泊まることが多かったもので。


 川島橋を渡りきると階段を登って右折するのが今のへんろみち、過去4回はそちらの道を歩いたのですが、今回は気になっていた昔のへんろみち、渡し場跡からの道を歩きます。ただしへんろ地図にある赤点線の渡し場跡に向かう川岸の道はじゃり道で歩きにくそうだったので土手に上がって舗装道を歩きました。なにしろ渡し場までの道は昔もだれも歩かなかったはずですから。そうして、渡し場から土手に上がってきたところが上の写真です。道が交差してややこしいのですがちゃんと標識のポールに矢印があります。


 上のポイントから渡し場があったであろう方面を眺めると、点線の渡し場から土手に上がってくる道は全く見あたりません。舗装道を歩いて大正解でした。渡し場がなくなって何年になるか知らないけれど、それ以降何度も大水が出て河原の道なんかあっという間に消滅してしまうのも道理です。


 土手から200m南へ進むと左折ポイントに古い道しるべがありました。ぼくの作ってきた地図にはない新しい大きな道ができていて少しとまどったのですが、これを見て安心して左折します。


 左折してしばらくの所には新しい道しるべもありました。渡し場がなくなってもこちらの道がメインだったのかもしれません。


 左折して300mほどでJR徳島線の下をくぐります。


 何気なく古いへんろ石が残っています。


 そして新しい道しるべ。


 小橋を渡ると


 国道192号を横断していかにもというへんろみちが続いています。


 国道から50m進むと、突き当たって今まで4回歩いてきた道に合流します。
 想像していたより、歩きやすい感じのいいへんろみちでした。なぜ今までこちらの道を歩かなかったのかと思うほどです。そんなに遠回りにもなっていないはずです。


 今ほとんどのお遍路さんが歩く道に入ったところですが、200m先でこの道とはお別れ、宿があるのは鴨島駅の近く、そちらへ向かう近道があるので左折します。その道はへんろみちではないので、写真は撮りませんでした。


 16時16分、本日の宿しげる旅館に到着しました。9年ぶり2度目の投宿です。スーパーが近道から200mほど離れたところにあって買い物に少し手間取って16時を過ぎてしまいました。9年ぶりにこの宿に戻ってきたのは、2年前に泊まったさくら旅館も3年前に泊まった旅館吉野も評判がいいのだけれど、ぼくにとっては少しだけ気になるところがあって、こちらの方がより気持ちよく過ごせるだろうと思ったからです。9年前は素泊まりだったので今回は食事付きでお願いするつもりだったのですが、素泊まりだけになっていました。数年前までは食事もしていてその写真も確認していたのですが残念。でも、全て完璧でした。宿泊はぼくだけで、お風呂もすぐに入れたし静かだし部屋はきれいで清潔な感じ、素泊まり3500円は超おすすめです。奥さんもすごく感じのいい人で9年前にお世話になったというと喜んでくれました。これからは毎年初日はこの宿にお世話になるつもりです。

   初日の歩行距離  32.9km
      歩行時間  4時間56分
      平均時速   6.67km    こんなのは初日だけ


地図にない道

2015-05-11 | 15年四国の旅




 うたんぐらで同宿だった二人のイタリア人が次の日野宿するのに適当な場所を尋ねると、根香寺の近くにできた遍路小屋がいいのではないかと、宿の人がアドバイス、ぼくはその小屋のことを知らなくて首を傾げながら聞いていました。翌日、82番根香寺の300mほど手前まで来ると、見慣れない新しい小屋ができていました。昨年来たときにはなかったから、この1年以内にできたようです。たしかにここだと快適に野宿ができそうでした。
 この前に来ると二人のお遍路さんが休憩中、そしてどういう訳か作務衣姿のお坊さんもいました。そして彼がぼくたちに本当の遍路道を教えてくれました。下りてきた道をそのまま引き返して県道に出て舗装道を下っていくのが一宮寺への道、へんろ地図にはその道にしか赤線が付いていませんが、彼が言うには、この小屋の前から下りてきた道と二股に分かれた道があって左側の道が本来の遍路道なのだ、自動車道ができてからというものだれもこの道を歩かなくなってしまったけれどこちらの方が近道だということでした。
 お坊さんでもあるし、でたらめだとも思えなかったので、実際に歩いてみました。道はほとんど一本道で草もそんなに茂っていなくて全く迷いません、しかも勾配も緩やかで足場も悪くなくてとても歩きやすい道でした。へんろみち保存協会の道しるべや遍路シールは全くなかったのですが、何ヶ所かに白い長方形のプレートがありました、でも書かれた文字は完全に消えていて、それが道しるべかどうかも判らないままでした。でも、ちゃんと赤線の道に合流することができました。しかも、今までのベストと比べても5分以上早いタイムで鬼無の踏切の所までたどり着きました。
 遠回りになったり、草が茂って歩きにくくなったりして昔の遍路道がへんろみちでなくなってしまうということは各地で見られるけれど、この道が赤線でなくなる理由が判りません。地図にも赤点線を付けてほしいし、道しるべもはっきり設置してほしいものだと思いました。

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同じ道でも

2015-05-10 | 15年四国の旅

 何度も歩いた慣れた道でも、毎回違う味わいがあります。目にする光景はあまり変わらなくても、出会う人たちは全く違うし、自分の体調も同じだということはあり得ない。何度も泊まる宿もあれば初めて泊まる宿もあります。天気も違えば気温も風も空気の透明感も違う。全てが同じであればまた来る気になるかどうか。
 特に今年は背負っているのものも大部違っていました。納経帳を持って歩くのは6年ぶり2回目だし、写経を納めるのは初めてのことです。当然のこと、ザックに納経帳、写経、線香、ろうそく、納札、お賽銭、全部詰めて歩くのは初めてだし、オンタイムのブログのための写真は携帯で、別にデジカメで写真も撮らねばならない。機嫌良く歩ければいいと、いつも目標にあげるのですが、そこまでの余裕はほとんどありませんでした。予定通りの日程で最後までたどり着けるかどうか、それだけで精一杯の感じがすることが多かったです。


15年四国の旅 まとめ

2015-05-06 | 15年四国の旅

 5 しげる旅館    素泊 3500円  32.7km
 6 名西旅館     2食 7000円  38.7km
 7 鶴風亭      2食 6000円  40.3km
 8 弘陽荘      2食 6500円  41.3km
 9 民宿えびす    2食 7100円  40.4km
10 うまめの木    2食 7000円  42.3km
11 旅の宿美園    2食 2500円  41.2km
12 遊庵       2食 6300円  39.9km
13 高知屋      2食 6500円  39.5km
14 民宿旭      2食 7000円  37.8km
15 村の家      2食 5500円  45.6km
16 民宿さくら    2食 5500円  44.0km
17 民宿田村     2食 6480円  42.9km
18 清水川荘     2食 5000円  44.5km
19 民宿磯屋     2食 6500円  40.0km
20 民宿みま     2食 6500円  46.1km
21 ときわ旅館    2食 7000円  36.1km
22 笛ヶ滝      2食 6500円  47.5km
23 長珍屋      素泊 5076円  39.1km
24 マリーナシーガル 素泊 4320円  45.7km
25 Bホテル田中屋  夕食 5500円  44.1km
26 あかやね     素泊 3300円  35.6km
27 一野屋旅館    2食 5500円  46.0km
28 藤川旅館     2食 5000円  35.7km
29 善根宿うたんぐら 朝食 1000円  38.4km
30 B旅館三鈴    素泊 3500円  42.2km
 1 民宿八十窪    2食 6500円  41.0km
 2                    43.5km

   宿泊費合計 148076円
   食費飲料費   7104円
   交通費     6710円  
   納経費    26700円
   お賽銭      177円   合計 188767円


28日目 結願

2015-05-02 | 15年四国の旅



 14時48分、1番札所霊山寺に到着しました。無事28日間で88ヵ所と真念庵の御朱印をいただくことができました。
 今日出会った歩き遍路さんは55人ぐらい、5連休の初日ですから今日から歩き始める人が多いのもうなずけるのですが、それにしても多い。3月末から4月初めの一番のピークの時でもこれだけの人が歩くことはないと思います。せいぜい30人までではないでしょうか。ほとんどの人が真新しい白衣と装備、明らかに初めて四国を歩く人たちです。ベテランの人はこの時期を敢えて避けますからね。そして多くの人がこの連休だけ歩く人たちだと思われます。それ以降ずっと歩ける時間に余裕のある人もこの時期を避けるのが普通でしょうから。


27日目 あと五ヵ所

2015-05-01 | 15年四国の旅




 15時55分、88番大窪寺門前にある民宿八十窪に到着しました。今日は屋島から大窪寺までずっとベストタイの快調な歩きでした。特に最後の2㎞は本当に幸せでした。朝出てくる時には、来年もお待ちしてます、と言って貰ったし、また八十窪のおばあちゃんが迎えてくれる。幸せなありがたい1日です。夕食のあとは、向かいと隣に座った女性と沢山話ができました。最後の宿でいい交流ができて大満足です。
 88番で納経を終えたのですが1番から5番はまだお参りしていないので結願は明日になります。9年ぶりに切幡寺の方に下って行く道を歩きます。9年前は体調がひどくてまともに歩けなかったので、ぜひともしっかり歩き直したいものです。
 今朝は三鈴でおにぎりのお接待、10日前にこの宿に泊まった佐藤さんから預かっていたお~いお茶500㏄もいっしょにいただきました。佐藤さんは、次に泊まられる方にと託されたそうですが、女将さんは、どうしてもぼくに渡したかったそうです。お二人に感謝、お遍路交流サロンでもいつものように冷水と熱い
お茶を何杯もおかわりしました。おそらく今回たくさんたくさん頂いたお接待の締めになるでしょう。一つ一つを思い出しながら改めてありかとうを言いたい気持ちです。
 今日出会った歩き遍路さんは18人でした。