来年の関西大会は彦根で行われるので、青春18きっぷはマスト。今年大吹峠と松本峠を残してしまったので、また来ることは決めていたけれど、それだけだとわずか2時間ほどの歩き。勿体ないので2泊してさらに昨年近くで見られなかった那智の滝と、迷いに迷った千里王子から岩代王子までの道を歩き直すことにしました、外にも道をはずしたところはいくつかあるけれど、思い残すほどのものはこれでなくなります。
残りの2回分は四国で気に掛かっている緑の道、丸亀から坂出にかけての遠回りの道と天皇寺の奥の院瑠璃光寺、さらに金刀比羅宮の奥社まで登ってきます。宿泊はうたんぐらで1000円だからインエクスペンシブな旅になります。
9月8日、9時42分姫路発、11時35分草津着、11時57分草津発、12時40分柘植着、12時42分柘植発、13時05分亀山着、13時16分亀山発、14時34分多気着、15時23分多気発、15時57分三瀬谷着。
写真は三瀬谷駅です、陸橋から乗ってきた気動車を見ています、鉄道好きはディーゼル車を電車とは呼ばないようです。今日のルートの多気までは小学校6年生の修学旅行、伊勢参りの時と同じルートです、その時、たぶん草津からだと記憶するのですが,SL(蒸気機関車)でした、ちょうど50年前ぼくの唯一のSL体験です。柘植を出てしばらくの所でトンネルがあります、草津から最初のトンネルで窓を開けていた客車に煙が充満して車内が騒然、一番後ろに座っていたぼくともう一人の友だちは素早く連結部に逃げ込んで難を逃れるという、その場面だけははっきり記憶に残っていたりします。
昨年10月の西国めぐりで二木島から熊野市まで電車で飛んでしまったので、もうその直後から今年は関西大会が滋賀であるはずで青春18きっぷを買うことになるから、きっと戻ってくると決めていました。関西大会は姫路だったのですが、比叡山や誕生寺に行く用ができたので、無事こうして戻ってくることができたというところです。区切り、日帰りながらも、全部歩いて繋いでいるので空白を放っておくことは許されない、たとえ1番の手前伊勢路であったとしても、現代の西国めぐりは1番からという人がほとんですが、江戸時代は伊勢から歩く人がほとんどであった、伊勢路の熊野古道が中辺路以上に整備されるようになったのは西国めぐりの巡礼者が急増したせいだと言われる、江戸時代1年に西国めぐりをする人は3万人にものぼり、江戸時代四国を歩く人は2万人といわれるから、それ以上に盛んだった。現代四国を歩く人は1年に3000人ほどだというから、その10倍、集落ごとに何軒も宿屋があったのは疑いもないことです、海水浴場もない小さな二木島の集落にも昔は宿があったと昨年電車を待っているときに地元の人から聞きました。
8寺03分、二木島駅に到着、乗ってきた列車を見送ります。三瀬谷では10分ほど遅れて到着したのですが、単線でいくつかの駅で待ち時間が長いのですぐに遅れを取り戻して定刻に到着しました。
駅の前、
駅から少し下りてきたところにすぐ道しるべがありました、
矢印は万全だったのですが、
歩きやすい道らしい道に入ってしまいました、20mほど進んで間違っていると気づきました。
こちらが正解の道、地図で調べていたのに、頭から勇み足、
地図を調べなくてもあたりをきょろきょろ見回せば迷わないようになっています。
ものすごい階段に入っていきます、
かなり急な階段、上の民家の人が普通に使っている階段でもあります。
歴史を感じる石段、
手前が二木島駅、むこうは二木島港、
ものすごく急な石段、
登り始めて6分ほどで国道に上がっていきます、
国道に上がってきました、
伊勢路を歩く人は中辺路などに比べるとかなり少ないと思われますが、道しるべなどはよく整備されています、
国道311号を行く、
3分ほど歩くと山道の入口です、
コンクリートに切れ込みがあって急な階段、
階段を上がってきたところから古道が始まります、
二木島峠の標高は240m、逢神坂峠の標高は290m、右端に曽根次郎・太郎坂とありますが、ぼくの感覚では伊勢路一番の難所でした、
熊野古道巡礼供養碑、ごく新しい。
国史跡 熊野参詣道伊勢路 二木島峠逢神坂峠道
登り始めは新しく整備された階段、
古道が始まります、
古い石段が続きます、
フラッシュオフで撮影したので色調が違います、こちらの方が自然な感じ、
敷かれた石は苔むして、
ちょっとした沢を越えて、
駅から17分かかっています、急な階段が多かったから時速3kmも出ていません。
すばらしい古道の雰囲気たっぷりの山道が続きます、
二木島峠まで600m、100m登のに5分かかったから時速は1.2km、もう熊野市駅まで行くのはほとんど諦めて、また来年も来ることを覚悟しているところです。
中辺路、那智山から小口までの古道でも見かけた 04/30 の標識、高野山の町石と同じで結構励みになります、
距離はおそらく100m前後かと思われる、4分かかりました。
二木島駅から1100m、26分かかっているから時速は4km、
この350mは5分かかっているからじそくはやはり4.2km、先ほどとは差が大きいから距離表示はあまり信用できない、
きれいに整備されていてあまり崩れてもいません、そしてもれなく苔むしています、
05から06まで2分かかりました、こちらも差が大きい、
行く手に切れ目が見えて、もしや峠かと、
06から07は4分かかりました、
先の切れ目はちょっと違って、3分後、間違いなく峠のようです。
07から08は1分、どう見ても等距離とは思えませんが、
フラッシュオフなので油断するとすぐ手ぶれ。8時42分、二木島駅から34分かかって二木島峠に到着、時速は2.47kmですが、距離表示は正しくないのもかなり含まれている感じです。
峠から緩やかな下りや、
平坦に近い道も、
09は見逃して08から10まで5分かかりました、
250mを4分かかったから時速は3.8km、
二木島峠と逢神坂峠の標高差は50m、下りも登りも厳しくなくフラットなところも多い、
10から11まで2分、
右側はきれいな石垣が続いています、
500mを8分で来たから時速は時速は3.8km、同じペースです。
峠に向かって厳しい登り、
11から12まで3分です、
12から13も3分、
左の方に明るいところが見えるから峠かもしれない、
これは間違いないでしょう、
間違いなく峠でした。
その前に13から14は4分、登りがきつかったから順当です、
二木島峠から16分かかったので時速は3.2kmでした。
地形を見ればこの地に峠道があるのはごく自然なこと、
ここからは下るばかり、のはず、
14から15は2分、
350mを9分かかったから時速は2.4km、下りだけれど足場が不規則なので全然スピードは出ない、
15から20は9分、間の数字は見逃しました、
下りもずっと苔むした石畳、平にきれいに並んでいるわけではないので、かなり気を使いながらそろりそろりという感じ、
しっかり石段、
20から23は4分、
フラットに近い道になる。
23から25は3分、
石畳のないスピードが乗る道ですが、こういう道はごく一部でした、
900mを20分で下ってきたから時速は2.7km、登りとほとんど変わらないスピード、自覚もあります。
25から28は7分、
フラットだけど石が出ているのでとても5kmは出せない、
28から29は3分。
こちら側の登り口はもう少し先のようです、
峠から31分かかったから時速は2.9kmでした、横峰寺は5km、雲辺寺は4.5kmほどで下るので、いかにきびしく歩きにくい道であったかということ。
左は登っているので、迷わず右へ、
29から30までは3分、9時29分、二木島駅から1時間22分、時速4kmはとてもとても、という感じの歩きごたえのある古道でした。でも雰囲気は最高だし石畳石段もよく整備されていて、ぼくの感じでは馬越峠、八鬼山に次ぐベスト3の古道でした。この3ヶ所歩けば伊勢路は十分という感じすらします。
新鹿(あたしか)の集落と海水浴場が見えてきました、海水浴場があるのでここにはいくつか民宿があります、シーズンオフにもやっているかどうか分かりませんが、
こちらが反対側の登り口、
次は波田須の道です、
反対側から来てもよく分かる、
小橋を渡って新鹿の集落へ、
橋を渡ってすぐ左折、
国道に合流する少し手前で脇道に入っていきますが、こういうところには矢印も道しるべもありません、山道にはしっかりいっぱいあるのですがその間の平地にはないところが多くて西国巡礼や全歩きの人はしばしば迷ってしまいます、
国道に合流します、
郵便局の前にベンチがあったので休憩です、9時43分、二木島駅から1時間36分です。まだ波田須の道、大吹峠、松本峠とあるからあと2時間では絶対無理です、
6分ほど休んで出発、
波田須の道がどれほどの山道か、あるいは山道でもないのかこの時点では全く分かっていません、
道しるべから5分で国道を離れるようです、でも1.4kmは来ていないからここが登り口ではないようです。
でも波田須の道と書いてある、
登ってはいない、
すごいヘアピンカーブで右へ登っていくようです、
ヘアピンの所でJRを越える、ここからトンネルになっています。
ここで左折、
左折してまだ少し登る、
真っ直ぐ行くかと思いきや、
左折の方に道しるべ、これがないと危ないところでした、
左折するとフラットですが山道らしい道、
右の方へやや急な登り、
すぐ出口が見えてきました、
ここまでは序盤のようです、
国道に出てきてしばらくは国道を行く、
この部分は古道の上に国道が敷かれた感じ、
トンネルの手前に登り口が見えてきました、ここが郵便局の近くの道しるべから1.4km地点のようです、21分かかったからこの間の時速は4kmです、
大吹峠は来年、
来る前はこういうしっかりした山道だとは思っていなかった、
発光禁止だとすぐ手ぶれ、
石段もあります、
登り始めて3分で峠のようです、
峠には茶屋があって西行法師も休まれたとか、その脇には江戸時代まで松があったそうな、
民家のすぐ前を通るので玄関先からワンコが出てきます、小さいし繋がれているのでびっくりするほどではありません、
高いところですが古道の脇にはぽつぽつと民家が見られます。
国道に下りてきたのですが、本当の古道はもう少し先で下りるのが正解でした、いつもちょっとだけ詰めが甘い、でも来年時間があるのでこの道も歩き直します。
4分ほど歩くと、本当の道が下りてくるポイントが見えます、
ぼくが下りてきたところには道しるべも何もなかったけれど、本当の道にはちゃんと道しるべと幟、
本当の道は国道を横断してすぐ下へおりていきます。
波田須の集落へおりていきます、
本当の道が下りてきた所に波田須神社がありました、
下から合流してくる道、ぼくの地図にもあります、
国道から下は徐福の道と呼ばれています、
ここで熊野古道から離れて波田須駅に向かいます、
10時38分、国道から13分で波田須駅に到着しました、二木島駅からだと2時間30分でした。
僅か2時間半8kmほどの古道歩きでしたが、改めて熊野古道は伊勢路がいいと感じました、外国の人を含め一番多くの人が歩く中辺路は、案外古道らしい道が残っている区間は多くはない、災害で歩けなくなって延々迂回路を行くところもあるし、自動車道でつぶされている区間も結構ある。那智山から本宮までは値打ちがあるけれど本宮から先はもう一度歩きたいとは思わない。
9時05分、知恩院山門はまさに逆光、
前にどこかで知恩院は拝観料が必要だと聞いた覚えがあるけれど、現在は必要がないようです、ネットでホームページを見てきました。
国宝の御影堂が大修理の最中なので拝観料がいらないのかもしれません。
法然上人御堂はこの北側にあって、そちらも拝観料なしに入ることができました。
御朱印も無事頂いて、成満の証もお願いしますと言ったら、申込用紙に記入して2週間後に郵送されてくると言うことでした、
知恩院に来たらここだけははずせない大鐘楼、
3代将軍家光の時代、70トンの重量、国の重要文化財、
京都の社寺の多くが江戸前期に再建された、二十五霊場で京都のお寺もだいぶ巡ったけれど、歴史は800年以上前でも建物はやはりほとんど江戸以降のものになっていました、
帰りに撮した三門の全景、でもこの壮大さは写真では全然捉えられない。
地下鉄で東山から京都まで戻って、次は東寺です。
こちらも国宝御影堂は大修理の最中です、プレハブの仮の御影堂が北側に作られていてお大師さんも居られます。靴を脱いでお大師さんの前で正座をして般若心経をあげさせて貰いました、今回だけは本当に無事に帰ってこられたお礼を真剣にあげさせてもらいました、いつもそうでないといけないんだけれど、どうしても札所でも東寺でも高野山でも通り一遍のお参りになりがちです。これで今年の四国は締めくくり、思いは来年へと飛んでいきますが、その前に西国の続きが、
前回のことがあるので、ゆったり目の予定を組んでいたら、京都駅には1時間ほど早く戻ってきて、11時03分発のみやこ路快速に乗ることができました、
11時21分に宇治駅に到着、
駅から8分、ここが西国歩きで来たとき道をはずしてしまった市役所前の分岐です。今回改めて地図を見直してみると、ちゃんと地図を見ていなくてこの部分の道の書き方が間違っていました、はずすのは当然なのでした、左の大通りをそのまま進んでしまったのでした、左側の歩道を歩いていたので尚のこと気づきにくかった、この入口には矢印は見あたりませんでした。
260mで突き当たります、
ここには右折の矢印がありました、
右折したところ、前回目印にしていた郵便局がありました、こんな奥まったところにあれば気づくはずがない、最後のところは本当にいい加減な書き方をしていたと呆れるばかり。
右折して500m来たところ、目印の県神社が見えて、ここを左折します。
左折するところ、ここから宇治橋までが江戸時代のメインストリート、宇治の中心地だったと思われます、立派なお茶屋さんが何軒かあったし、昔は何軒も宿屋が並んでいたでしょう。
県神社から270m来たところで、西国古道をはずれて平等院へ向かいます。
右折したところ、平等院まで雰囲気のある歩道に仕上がっています、
歩道を80m歩くと平等院の入口です、
意外だったのは、よくある鮮やかな朱塗りではなくて、少し茶色がかった押さえた落ち着いた色合いでした。時間制でさらに料金を支払えばこの中も見学できるようになっています。
真新しい集印所に列ができています、
角度によって大きく表情が変わります、正面からの全景も撮ったのですがどうしても観光客が映り込んでしまいます。
平等院の参道ですが、西国の道を歩くのですぐ左へ入っていきます。
3分ほどで宇治橋にやってきました、これで前回歩けなかった道を踏破したことになります。
さらに5分で宇治駅に戻ってきました、42分で一周してきました、宝物館に入らなかったので大分時間が余ってしまいました。
いろんなポストがあるけれど、これはユニーク、市制施行50周年記念。
宇治12時21分発、奈良12時49分着、奈良で桜井線に乗り換えて13時08分発、天理駅に13時23分に到着しました、高校野球の天理高校、ふるさと紹介でも映されていた駅前広場です、昨年の秋来たときはまだ工事中でした。
駅から34分歩いて、前回西国古道を諦めたポイントに戻ってきました。石上神宮の500m手前、山の辺の道が国道25号の下をくぐるところ、あと5分ほどだとは分かっていても暗くなって先に進めなかった、
国道の下を抜ける、
この文字もほとんど読めないくらい暗かったはず、
分岐、
この文字は絶対読めなかったから諦めたのは正解でした、
景色も十分見えなかっただろうし、賢い選択でした、
あの暗さの中でこの中に入っていく勇気は持てなかったと思う、
池の脇を抜けていくと、
まもなく石上神宮の境内に入っていきます。
石上神宮では烏骨鶏が放し飼いです、
本殿はこの先を左に入ったところ、でも時間がないのでお参りはしません、
南から来て、左折、西に向かうと鳥居を抜けます、
鳥居から160mで県道51号に突き当たって右折、
県道を北上します、
県道を250m行くと布留川を渡る、橋から西側を撮影、
橋を渡って50m先の交差点を左折、
左折すればあとはほぼ真っ直ぐで駅まで行くはずです。
680mで天理本通の入口です、今日は天理教の子供たちのための大きな行事があるみたいで、縁日が出ていてにぎわっています。
大学の時クラブのバイト(依頼演奏)で一度この天理本通に来て、休憩の時にアーケードの喫茶店に入ったことははっきり覚えているのですが、その時何処でどんな演奏をしたかは全く記憶にありません、4年間で100回ほど行ったからいちいち覚えていないのも当然かもしれないけれど、喫茶店だけ覚えているというのも・・・
14時32分、70分ほどで一周してきました、ほぼ想定通り。
14時53分天理発、15時07分奈良着
15時23分奈良発、16時12分京都着
16時29分京都発、18時04分姫路着、明るい内に帰宅できました。
あと2回分残っていますが、来週の金曜あたりに、伊勢路で飛ばしてしまった二木島駅から熊野市駅まで歩いてきたいと思います。
8時09分、姫路発近江舞子行き新快速(電光掲示の上から2番目)に乗る予定だったのですが、少し早く着いたので1本早い7時53分発の新快速に乗ったのですが、姫路を出発するときにすでに8分ほどの遅れでした。それくらいなら全然問題ないと安心していたら、進めば進むほど遅れの幅がひどくなる、宝塚線が合流してくる尼崎の手前ではずっと停滞、大阪は比較的早く出発してこれならばと思ったら、高槻でさらに停滞、京都の手前ではずっと停まったまま、9時38分に着くはずだったのに、ご覧のとおり11時10分、米原の手前の架線の不具合は昨夜の出来事、この時点では修復済みのはずなのに時間が回復するどころかさらに遅れていくのが全く理解できず、本当にイライラの極致にいます。80分遅れの表示になっていますが、数分前には60分遅れ、このすぐ後に90分遅れになります。
比叡山坂本駅に90分遅れで到着、怒りで手もぶれるというもの、
「ようこそ」の文字すらまともに受け取れない、
駅を出てきたところ、
駅から4分、ケーブル駅に向かっています、
駅から17分、昔はよく甲子園にも出ていた比叡山高校の正門、
ケーブルの時間ぎりぎりでケーブル駅の写真は撮れませんでした、12時発のケーブルに乗り込みます。車内放送で日本で一番距離の長いケーブルと言われるだけあって、本当に乗りごたえのあるケーブルでした。
坂本ケーブル、ケーブル延暦寺駅から500mほど進むと、道は左右に分かれ右へ行くと延暦寺、国宝根本中堂へ、でもぼくが目指すのは延暦寺ではないので左のバス停東塔へ、そしてバスに乗って3つ目のバス停が峰道、片道380円、バスの1日乗り放題券は800円なので峰道までだと損になるからバスで支払うようにとケーブルの駅で説明を受ける。バスが走る奥比叡ドライブウェイは歩行通行不可だけど、バス停の広場から50mほど先の山道の入口までは歩くしかない、
黒谷へ続く山道の入口です。
ここから1km半ほどの山道、
思ったより幅の広い山道です、
お寺のすぐ手前の急な下り坂、まさに谷底という感じがぴたり、
参道の入口から14分、往きはほとんど下りだからよかったけれど帰りは大変、
法然上人が18才から43才まで修学された、浄土開宗の霊場です。
ぼくの前にご夫婦が軸に御朱印をしてもらっていました、先に出られて途中で追いついて少し話を聞いたら、当然25霊場を巡られてあとは知恩院さんだけだということでした。ぼくもこれから永観堂と知恩院へ行って満願ですと言うと、永観堂は軸の御朱印はもらえないのだということでした。
写真で見るよりずっと急な登りです、
帰りは19分かかりました、法然は空海の400年後の人、
峰道のレストラン横の展望台の眺め、いまいち天気がよくなくて残念、ケーブルの中からは竹生島も見えると言っていたけれど。
峰道のバス停、
13時50分、ケーブル延暦寺駅に戻ってきま
14時26分、比叡山坂本駅に戻ってきました、ちょうど3時間、ほとんど想定内でした。でも外のことが起きてしまったから、
山科でJRから地下鉄に乗り換えて、蹴上駅から歩いてここ永観堂まで来ました。時刻は15時23分、何年か前に紅葉の時に来たことがあるので、敢えて写真も撮らず、山門まで淡々とやってきました、
紅葉の時とは違って永観堂の参拝者は数えるほど、静かに落ち着いてお参りできるかというとそうではなくて、裏山の工事で業者の人がうるさい機械を使っていて、全然落ち着かない、フランスから来たであろう家族もいい気分ではなかったかもしれない。
知恩院の北側の門、
永観堂から歩いて20分、総本山知恩院の山門にやってきました、
ただいま16時02分、こうなると90分遅れのJRに恨み言の一つもいいたくなるというもの、
当然もう一度ここに帰ってくることになります、これで今年のこんぴらさん行きはなくなりました。
姫路駅を8時01分に出ると、岡山に9時29分に到着、津山線の電車は10時22分発なので1時間近く待つことになります。暇なので瀬戸大橋線のホームに行って瀬戸の花嫁を聞きに行きます、
津山線誕生寺駅に到着したのは11時28分、駅舎は新しくなったばかり、
BSジャパンのロケ隊がいっしょに降りてきました、でもこの時点ではよく分かっていません、
駅舎のすぐ前に左誕生寺の道しるべ、地図を調べてくるまでもなかったようです、
この撮影が終わったところでダイヤモンドユカイさんに声をかけられましたが、まだ誰かはよく分かっていなくてテレビタレントか歌手かということしか認識できていません、法然上人二十五霊場の納経帳を見せると萩原智子さんと共に大いに感心してくれました、萩原さんはこの時点ではヨーコゼッターランドさんだと思っている。
ロケ隊を引き連れて二人と話しながら歩き始めたところです。
駅から400m北へ進んで左折したところ、
橋に南無阿弥陀佛、
ここはまだ少し手前、
久米南町若者定住促進住宅
左折して500mで誕生寺に到着です、
大銀杏、本堂は江戸時代初期に再建されたもの、あまり見かけない二層の独特な建物、敢えて撮影はしませんでした。気になる方は画像検索、あるいは来週の月曜19時BSジャパンでお楽しみ下さい。
丁寧で分かりやすい墨書を頂きました。この納経帳のほとんどがこのようにはっきり読みとれる分かりやすい墨書です、四国のとは全然違います、ときどき四国の納経帳を見返しますが、あの墨書を見ているともう1回という気持はあまり起こらなくなります、西国の納経帳も分かりやすいのが多くて見返しても納得できます。
時間があるので納経所で休憩、冷水器もあるしお接待のキャンディもあります、本堂の前で住職が二人に解説しているところを撮影しています、ぶっつけなので住職も慌てて着がえておでましです。
門前のお土産屋さん、ロケ隊は一足先に駅に向かいました、
このあたりは河童伝説が広く知れ渡っているようで、いくつか前の駅のホームには大きな河童の看板がありました。
南無阿弥陀仏の橋の由来、
右折ポイント、
右折ポイントにある何かの店にロケ隊が入っていきます、追い抜いて先に駅へ向かいます。
駅舎の中のツバメの巣、大分大きく元気に育っています、
駅のホームから向こうに見える看板、二層の本堂の写真も見えます。
12時58分、津山行きの電車が到着、
ロケ隊は同じ電車に乗ったのですが、誕生寺から二つ目の亀甲駅で降りていきました、誕生寺の人たちに亀甲にいいお店があるというのを聞きつけたようです、
津山駅に13時20分に到着、姫新線の次の電車は14時30分発なので、津山の町を散策します。
駅前広場の銅像、
ぺりー来航時の大統領の国書の翻訳をした人、
吉井川を渡って城下町に入ります、駅は城下のはずれにあります。
橋から左に天満屋、
右には作陽学園、作陽高等学校。ぼくが学生の頃は作陽音楽大学といっていたはず、播州では大阪音大よりも先ずは作陽音大だった、
大通りに河童の銅像、河童の生息域はかなり大きいようです、
津山といえば、河童よりこちらでしょう、
凱旋コンサートがあるみたいです、
津山城の立派な石垣、
現在天守はありませんが、立派な縄張りです。帰ってから調べると姫路城より一回り小さい、7割くらいの大きさです。
この城山をうまく生かした豪壮な典型的な平山城だったことが想像できます。
津山藩の初代藩主は森忠政、本能寺で討ち死にした森蘭丸の弟です。
津山藩は4代で取りつぶしになるのですが、その後、浅野内匠頭の変で取りつぶしになった赤穂藩に忠正の孫長継が入ってお家再興を成し遂げ、明治維新まで続くことになります。分家は三日月藩、新見藩も治めいずれも明治まで続きます。
森忠政の銅像、
公園内は有料だったので、ここで引き返すことにします、時間もあまりないし。
入場門の手前でもこれだけ登ってきています、城山だけの大きさを見れば姫路城よりも大きいかもしれません。
よく見れば街灯の上にも河童、
40分弱で津山駅に戻ってきました、
凱旋コンサートは明日でした、
14時30分発の電車に乗り、佐用、新宮で乗り換えて17時37分に姫路に到着しました。JR佐用駅は「さよ」と読むことを初めて知りました、佐用駅では54分待ち、姫新線は超ローカル線なのでした。