WALKER’S 

歩く男の日日

12日目 (2) 浦ノ内湾

2008-06-30 | 08年四国の旅
 難所も何とか乗り越え青龍寺に着いたのは8時41分、今までで一番早いタイム、時速6.65kmだ。特に力を入れて歩いたということはないのに、これだけの速さで歩けるのはどうしたことだろうと思う。この間歩きの人には一人も会わなかった。土佐市街に泊まった人はもう少しゆっくりの出発のようだ、同宿の人もやはり喫茶店で朝食をとっているに違いない。
 お参りを済ませ、門前の電話ボックスで明後日の宿、民宿中村に予約を入れる。中村には過去3回の投宿でいずれも素泊まりだったのですが、料理の評判がよいので今回は食事付きで泊まるつもりにしていた。ところが、先ず言われたことは、食事ができない、ということだった。もちろん素泊まりで結構です、と返事する。手洗いをすませ、水屋で水を補給、30分の休憩で出発する。まだ土佐から来る人は見えない。7時に出たとしても、峠越えだと10時くらいにはなりますからね。
 宇佐大橋の少し手前で、昨日禅師峰寺で会ったスポーティ夫婦がやってきた。一度会っていると交わす挨拶もひと味違う、挨拶のあとご主人が怪訝な顔をしている、聞けば、青龍寺を打ったのにどうして戻ってくるのか、ということらしい。この部分が打ち戻りであることを知らなかったらしい。そのままスカイラインでも行けるけれど、打ち戻りの方が起伏が少なくて楽ですよ、とアドバイスして別れる。
 青龍寺から須崎までは休憩できるところが少ない。仏坂不動へ向かう分岐点の所(民宿さざなみの前)にベンチがあるけれど屋根はない。そこまで14kmあるので1回休憩を入れるのですが、適当なところが全くない。7.7km地点に釣り筏へ下りていくところがあって駐車スペースもある、その駐車場の車止めのブロックに腰を下ろして休む。ここも屋根がないから雨が降ったら休めない。その少し手前に八百屋さんがあって腰掛けもあったから、雨が降ればそちらで休むことになるだろう。27分の休み、のどかな湾の風景をしばし楽しむ。駐車場を出てしばらく行くと麦わら帽のおじさんが歩いている。昨日は宇佐まで来ていたのだろう。挨拶を交わして追い抜いていく、今日も天気が良くて、気温がかなり上がっている。12日で雨が降ったのは1日だけ、相当恵まれている。でも天気が良すぎてもそれなりのダメージがある。駐車場までは調子が良かったのに、分岐点までは乗りが悪く1分遅れになった。暑いのでYショップで久々にアイスを買う。ベンチで休んでいたら、近所の小学生の集団が自転車に乗って行き過ぎていく。そういえば今日は昭和の日で学校はお休みだ。一人残らず「さようなら」と挨拶してくれる。普通は「こんにちは」だろうと思うけれど、すぐ別れてしまうのだから間違いではない、ぼくも調子を合わせて一人一人に「さようなら」と声をかける。ここ浦ノ内小学校ではお遍路さんに葉書を配って、どうしてお遍路をしているのかを、書いて送って貰って、お遍路に対する理解を深める活動をしている。だから、何の抵抗もなく明るく挨拶してくれるのだろう。

12日目 (1) 宇佐大橋

2008-06-29 | 08年四国の旅
 7時に階下へ行くと、同宿の4人はすでに出発していた。紹介された喫茶店で朝食をとっているのかもしれない。朝食は6時半から出してくれるようだ。 玄関から辻を曲がるまで20mくらい、その間ずっと女将さんが見送ってくれる、曲がるとき振り返ると両手で大きく手を振ってくれている、ぼくもそれに答えて手を振りかえす。そして最後に深々と礼をして36番へ向かう。毎回そうなのだけれど、本当にありがたいと思うし、力が出るし、しっかり歩かねばという気になる。
 3.5kmほど行くと遍路小屋があって、そこから峠越えの山道にはいる。でもぼくは塚地坂トンネルを行く。昨年うまく歩けなかったので、今年は2年前の記録と同タイムで行きたいのだ、山越えの道は2回目と3回目で歩いているのでさほどこだわりはない。ちなみに、トンネルを行く方が20分くらい早くなる。トンネルを抜け坂道が終わるところにコンビニがある、昼食を買う、夕食は今日の宿に近いところのスーパーで買うことにする。そしていよいよ宇佐大橋に向かう、この橋を渡るのにはちょっとした覚悟がいる。ぼくにとっては焼山寺と同じくらいの難所だという意識がある。写真では全然伝わらないけど、水面からの高さが半端ではない、だのに欄干がすごく低い、さらに歩道の幅が広くない。ぼくは高所恐怖症ではないけれど、かなり怖い。 

11日目 (4) 喜久屋旅館

2008-06-28 | 08年四国の旅
 市街を抜けると、清滝寺から下りてきた人が続々とやってくる。この時間(1時半)だと宇佐まで行けるはずだけど、荷物を持っていない人もいる。その人たちは土佐市内の宿に荷物を預けているはずだから、もう宿に入ってしまうということか。清滝寺の登りに入ったところで前に男女ペアが見える。男の人は珍しく菅笠ではなく麦わら帽をかぶっている。二人は夫婦ではなく途中で知り合ったような感じだった。清滝寺への最後の登りは険しい、でもまだ力は残っていて、何とか同タイムで到着。9.8kmを90分休みなしで来る。最後の坂道を含めて時速は6.5km以上だ。50分の休みが効いたのかもしれない。
 宿に3時に着けるように2時20分に発つ。30分で行けるけれど、食料を仕入れなくてはいけない。坂道を下りて高速道路の下をくぐったところで雪蹊寺の女の人とすれ違う、やはり途中で喫茶店に入っていたようだ。
 喜久屋旅館は5回目の投宿。この宿がちょっと変わっているのは、女将さんは料理があまり得意でないこと、料理の用意するのがたいへんなのよ、とぼくにぼやきを入れる、ぼくは毎回素泊まりなので、その方がありがたいとはっきり言う。部屋はいっぱいあるから素泊まりだったらいつでも来てちょうだい。朝早く食事を出してくれる店も紹介してくれる。ある人のHPでは料理が△で、接客人柄が◎になっていました。食事をとりたい人は向かいの白石旅館に行った方がいいかもしれませんね。素泊まりの値段は3500円だったのですが、昨年3500円を渡すとその内の500円玉を、これはお接待と言って返してくれた。今年は五千円札を渡すと何も言わずに二千円が戻ってきた。3000円に値下がりになったのか、ぼくだからお接待してくれたのかは判らないままでした。
 風呂に入っているとき女のお遍路がやってきたようだった、荷物を置いてこれから清滝寺に登るようだ、4時10分、納経に間に合うのか女将さんは心配していた。5時20分頃には種間寺にいた女性がやってきた。あと夫婦が1組、同宿は4組という事らしい。洗濯機は2槽式が無料、全自動150円、乾燥機100円。温水洗浄便座完備。

 11日目の歩行距離 39.7km
        歩行時間 6時間12分
        平均時速 6.40km

11日目 (3) 仁淀川大橋

2008-06-27 | 08年四国の旅
 まだまだ時間の余裕はあるけれど、34分の休憩で下山を始める。山から下りてしばらく行くと、今朝後免線で会った人と、昨日善楽寺で見かけた女の人が連れ添って歩いている、道を間違えて1km以上遠回りしている。フェリー乗り場までは同タイムで到着、ここでも30分以上の休憩。
 フェリーで7分、歩いて13分で33番札所雪蹊寺へ到着、門前の評判の遍路宿、高知屋さんが新しくなっている。入り口の横に値段表が掲げられている、予想通り500円の値上げで6500円になっている。ま、これは仕方のないところでしょう。境内に入ると若い女のお遍路さんが地元の人となにやらお話の最中、でもさっきのフェリーには乗っていなかったからこの時間にここにいるというのはちょっとおかしい。おそらく海老庄旅館から桂浜に寄ってきたと思われる、それくらいの余裕は必要です。横で聞いていると、彼女は今回は39番までの区切り打ちのようでした。境内の電話ボックスで明後日の宿、村の家へ予約を入れる。ここまで13軒連続一発OK、やはり2日前だとほとんど受け付けて貰える。前日予約だとなかなかこうはいかない。特に遍路が集中するような宿だとなおのこと。
 休憩はとらず種間寺へ向かう、1.5kmほど歩いたところでさっきの女の人に追いつく、境内では挨拶しなかったので、ここで挨拶を交わす。保育園の子供たちの写真を撮りながらのんびり歩いている。ぼくは歩くのに力を入れすぎて、なかなか立ち止まって写真を撮ることができない。種間寺までの6.3kmは昨年と同タイム、でも2年前より1分遅い。2年前は全体にそんなに速く歩いていないけれど、ところどころ考えられないようなスピードで歩いている区間がある。種間寺を入ったところのベンチにまた若い女の歩きの人がいた、フェリーで一緒だった自転車遍路の男の人と話をしている。お参りが終わると、ゆっくり休憩。宿に3時に着こうとすれば、50分の休憩がとれる。そう思うとちょっと気持ちがゆるんで20分くらい眠りこけてしまう。遅れてやってきた雪蹊寺で会った女の人も、話をしていた二人も、すでに次の清滝寺へ向かって出発したようだ。
 種間寺を出て2kmくらいの所で種間寺の女の人に追いつく、そのあとは仁淀川まで誰にも会わなかった、途中で喫茶店があったからそこに入っているのかもしれない。仁淀川を渡って土手の道から市内へ下りていく所で、ぼくが種間寺に着いたときに、出て行くのが見えた大きなきな荷物を担いだ人を確認できる。時速3kmのペースだ。野宿の人は急ぐ必要がないからそれでも充分なのでしょう。
 

11日目 (2) 禅師峰寺から浦戸大橋を望む

2008-06-26 | 08年四国の旅
 竹林寺山門の前には野宿遍路と思われる男の人、境内に上がると、昨日国分寺で見かけた若い女の人が写真撮影中。納経が始まるまで少し時間があるので時間をつぶしているのかもしれない。ぼくは毎年これくらいの時間に来るのだけれど、この時間だと休憩所が開いていない、休憩所以外には腰掛けるところがないので、お参りが終わると休みなしで山を下る。次の禅師峰寺までは5.7km、昨年は調子が出なかったので、気合いを入れ直す、下りに入っても足の調子は良い。山から下って川沿いの道に入ると、自転車通学の高校生と盛んにすれ違う。誰一人挨拶しない、ここは都会。こちらも無理に仕掛けない、変に思われるのもいやだから。禅師峰寺へは一番早かった2年前と同タイムで到着、調子は落ちていない、最後山道があるので時速は5.7km。山門を入ったところで掃除をしているおばさんに挨拶する。境内に上がると男女の歩き遍路さんがいた。男の人は短パンにスパッツというスポーティないでたち。竹林寺と禅師峰寺の間に宿はないから、たぶん海老庄旅館から来たと思われる。
 思った以上に早く着いたので30分以上休憩することができる、例によって太平洋を見下ろすベンチでゆっくり食事をとる。

11日目 (1) 五台山

2008-06-25 | 08年四国の旅
 10時10分のフェリーに乗りたいので、5時45分に宿を出る。今日最初に登る五台山竹林寺は、5年ぶりに北側の本来の遍路道から登る。3回は市内の中心部に泊まったので青柳橋から、1回は海老荘に泊まったので南側から登った。5年前のことなので、どんな道だったかほとんど覚えていない。しかもそのときは足をひどく痛めて、記憶がかなりあやふやになってしまった。最後牧野植物園ではちゃんとした道を歩けたかも判然としない。あちこち迷って知らない内に植物園の出入り口に辿り着いたという感じ。だから今回は少し不安と緊張感がある。
 足の調子はすこぶる良い、何の問題もない。土佐電鉄後免線を横切ったところで昨日国分寺を出たところで追い越した男の人がいた、荷物がすごく大きいから野宿で巡っているのかもしれない。元気に挨拶を交わして、いよいよ山登りにはいる。遍路標識が要所にあるので迷うことなく、坂道に入れる、一安心。山道の記憶は本当に一切残っていなかった。比較的楽な登りで、ほとんど息も上がらない。牧野植物園に上がるとちゃんとそこにも遍路標識があった。たぶん5年前は植物園の中では違う道を歩いていたと思う。今回は全く迷うことなく園の出入り口に直行できた。山門まで67分で来る、時速6.36km、山道のことを考えると思ってもみない速さだ。

10日目 (2) レインボー北星

2008-06-24 | 08年四国の旅
 その松本大師堂の少し手前で、30分くらい先に出たピンク傘の女性に追いつく。水路の掃除をしている地元の人となにやら立ち話をしている。女のお遍路さんは立ち話が得意でうらやましい。地元の人と立ち話をするということがより豊かなお遍路につながるとして、それくらいの余裕を持って歩くのが望ましい、と言う人もいるくらいです。その横を会釈をして追い抜いていく、お話はすぐ終わって、後ろを歩いてくる気配が聞こえたけれど、松本大師堂を過ぎるとその気配が消えた。大師堂で休憩に入ったようだった。ぼくはそのまま国分寺へ向かう。11時50分に到着、時速6.58km、まずまずの数字だ。今日はあと8kmほど歩くだけなので、ここでも充分休憩をとる。鐘楼の側のベンチで休む、隣で休んでいた男の人に話を聞くと、今日の泊まりはぼくと同じレインボー北星だという、地図には載っていないけど、遍路宿情報ネットワークのパンフレットがかなり行き届いているようだ。ぼくの遍路宿情報を手渡す。明日は、高知城をはじめ市内をゆっくり観光するつもりだと言っていました。そういえば、ぼくは5回も来ているのに一度も高知城にも桂浜にも行っていない。1回ぐらいはゆっくりするのも悪くないと思い直す。
 時間にはまだまだ余裕があるものの、40分の休憩で善楽寺へ向かう。休みすぎると気持ちの張りもなくなっていくような感じがする。出てすぐの田圃の中の道は、安定しなくて歩きづらい、スピードが全然出ない。快晴で気温もかなり上がってきた。三つ目の橋を渡ってしばらく行ったところに電話ボックスがあったので、柳屋旅館に予約を入れる。今度は女将さんが出てくれる。名前を告げるとすぐぼくだと気づいてくれる。もう5回目だけど、名前だけで気づいてくれるのはこの宿だけです。県道に出る手前の遍路小屋では男の遍路と小屋を管理している人が話をしていたので、そのまま挨拶だけして通り過ぎる、善楽寺まであと2.5kmだ。県道に出て南国市から高知市に入る、いつも霊園の中の近道を行くけれど、今回はそのまま県道を行く、レインボー北星の前を行き過ぎて善楽寺へ向かう。遍路小屋から善楽寺までは同タイムで来たけれど、遍路小屋までは1分の遅れ、やはり休みすぎて気が抜けたのかもしれない。気温もずいぶん上がったし。
 お参りが終わると、すぐ宿には向かわず、反対側のスーパーに行く。夕食は宿でとるけど、朝食はお願いしていないので、明日の朝食と昼食を仕入れる。レインボー北星に着いたのは2時30分、これだけ休んでも30分早く着く。女将さんは外出していなかったけど、治療院で手伝いをしている男の人が出てきてくれた。この人は歩きと自転車でお遍路を2回経験していて、いろいろ話を聞いてくれる。今日で10日目、それも別格も巡ってだというと、すごく驚かれる。13~15日は掛かるのが普通だと言われる。そうこうしている内に、国分寺で遍路宿情報を渡した人(A)ともう一人男の人(B)がやってきた。Aさんは昼食を摂っていなくて、女将さんが帰ってきたら早速定食を頼んでいた。時間が早いので、女将さんに高知城まで車で送ってもらって市内観光するつもりだという、Bさんも靴の調子が良くないので市内で新しい靴を買いたいと言っている。もちろんぼくは残って風呂の用意をする。
 写真は食堂だけで、宿は50mくらい離れた別棟、2階建ての普通のアパートの2階の2部屋が宿として使われる。ぼくが入ったのは奥の部屋で2DKの部屋を二人で使う、寝室は襖で仕切られて個室が確保されているけれど、布団が敷かれているだけで何もない。風呂、トイレ、洗面、ダイニングは共同で使う。テレビはダイニングにある。隣の部屋は大部屋で、そちらは完全に相部屋だということでした。
 2食付き5000円、夕食付き4250円、素泊まり3500円。洗濯、乾燥機、無料。

 10日目の歩行距離 27.5km
        歩行時間 4時間15分
        平均時速 6.47km

10日目 (1) 松本大師堂

2008-06-23 | 08年四国の旅
 今日歩く距離は28kmたらず、今回の旅で一番短い。したがって出発時間も一番遅く8時とする。日曜なので「所さんの目が点」もゆっくり見ることができる。宿に17時間滞在したことになる。そして今日歩くのは4時間ちょっと、いいのかなという感じだけど、これで体調を整えることができるだろう。整えるというほど痛んでいる所はないけれど、より快調に、より普通に歩けるようになれるかもしれない。
 この時間だと、海風荘や、住吉荘に泊まった人は1時間以上早く出ているから、追いつくのは大日寺の近くか、もっと先になるかもしれない。例年通り夜須駅の前のコンビニで食料を仕入れる、休憩は入れず大日寺で食べることにする。あと8.5km。香我美町に入って国道を右に折れる、次の三叉路を左に折れて少し行くと遍路小屋がある。男の人が休んでいる、この時間でここまでしか来ていないのは相当遅い、さらにすぐ前には男女ペア、昨日琴ヶ浜で休んでいた人だと思われる。彼らは大日寺へはぼくより45分遅れで到着、11kmの道のりを3時間かかっていることになる、でも多くの人がそれくらいの速さで歩く、それくらいゆっくりの方がより多くのものを味わうことができる。速ければいいというものではない事は重々承知しているつもりです。
 日曜ということもあってか、大日寺は多くの参拝客でにぎわっていた。歩きの人も何人か確認できる。水屋の横のベンチに座っている長身の女性が挨拶をしてくれる。彼女は丸刈り、尼さんなのだろうか。ザックの色と身長からして昨日浜辺に下りていった人に違いない。昨日買ったトマトを分けてくれる、お遍路さんからのお接待。彼女は今日は高知ユースホステルに泊まるそうだ、遍路装束は身につけているけれど金剛杖は持っていない。代わりにピンクの傘を持っている。傘を杖代わりにしている人を初めて見た(ぼく以外で)。
 時間の余裕があるのでたっぷり45分の休憩、山門の前の電話ボックスで明後日の宿柳屋旅館に予約を入れる。男の人が出たけれど、こちらの声が全く聞こえていないようだ、向こうの声ははっきり聞こえるのに。大声で怒鳴ってもらちがあかないので諦める。電話ボックスの故障は珍しいことではない。ボックスを使う人は極端に少なくなっているから、故障してもほったらかしになっているところが多いのだろう。
 国分寺までの9.1kmは2年前にものすごい記録を出してしまったので、普通に歩いていると絶対同じ記録は出ない、昨年ですらどうにもならなかったので初めから諦めて普通に歩くことにする。なぜあんなに速く歩けたのかいまだに首を傾げるばかりです。今日は快晴だけれど、雨が降ると今日の区間はすごくやっかいです。大日寺と国分寺と善楽寺は屋根のある休憩所がないのです。座って休めない。しかも遍路道沿いにも適当な休憩所はない。香我美町の遍路小屋は宿を出て3kmちょっとの所にあるので休んでいる場合ではないし、南国市のJRを過ぎたところの接待所は少し入りにくい。最初のお遍路の時1日中雨が降って、1度も腰を下ろして休めなくて足を痛めてしまったという苦い思い出がある。2回目以降は一度も降らなかったので事なきを得ているけれど、本当にやっかいな区間です。そのやっかいな区間に新しい休憩所ができていました。旧土佐山田町と南国市の境、大日寺と国分寺の中間地点に新しい松本大師堂ができていました。古い大師堂がどのようであったかは全く記憶がないのですが、少なくとも休憩できるようにはなっていなかったでしょう。これで何とか、善楽寺手前の遍路小屋とあわせて3つの休憩所を使えば何とかなりそうではあります。

9日目 (3) カリヨン

2008-06-22 | 08年四国の旅
 思った以上に距離があって、できる限りのスピードを出したのに正午に着くことはできなかった。それもそのはずで、後から測定してみると1.8kmもあったのです。13分前に出て着けるわけがなかった、でも必死になったおかげで、1曲目の「靴が鳴る」の演奏は終わってはいなかった。12時2分、時速7km以上出していたことになる。何とか球体が開いている間に撮影も成功、2曲目は「すずめの学校」、3曲目は「お山のお猿」、撮影しながら一緒に口ずさむ、なんだかとっても心和む。弘田龍太郎の曲で一番好きなのは「緑のそよ風」ですが、どの曲もほんとに歌いやすくて、気分の晴れる良い曲ばかりです。
 カリヨンの演奏は7分ぐらいでつつがなく終了、側のベンチで休んでいたおばあちゃんと二人のお孫さんも家へ帰り始めた。毎日聞きに来ているのかしら。ぼくも気を取り直して歩き始める、その前に近くのローソンで夕食を仕入れる。次の休憩地は、自転車道の赤野休憩所、あと5.4km。自転車道に入って1kmぐらいの所に遍路小屋があるけれど、距離が中途半端なので休むことはできない。赤野に着いたのは昨年より1分早かったけど、安芸駅からのトータルの時間なので、カリヨンからだとちょっと遅かったかもしれない。残りは8.3km、宿に着く時間を3時過ぎにすると、30分の休憩がとれる。
 赤野を出てしばらく行くと、前に歩きの人が見えた。あと10mというところで、防波堤の切れ目があって、そこから砂浜の方におりていった。結局挨拶もできず顔も見ることはできなかった。その先の琴ヶ浜では、東屋で3人の歩きの人が休憩中、地図をのぞき込んで何事か相談している模様。距離が離れていたので挨拶はできなかった。でも、明日会うことになるだろう。歩きの調子はすこぶる良かったので昨年並みのタイムが出るものと思いきや、宿には1分遅れの到着。ちょっと気を抜いたところがあったかもしれない。
 香南市サイクリングターミナル、この名前だけだととても宿だとは思えない。以前は夜須町サイクリングターミナル、数年前の町村合併で改名された。改名されたとき、ターミナルの後に、しおや宿、という名前が付けられた。でもただでさえ長いのに新しい名前を付加してもわざわざ全部付けて呼ぶ人がどれだけいるのか大いに疑問。そのせいかどうか、ここに泊まるお遍路は少ないように思える。近くの海風荘には2回泊まって、いずれもかなりの人数のお遍路が泊まっていたのに対し、こちらでは、3回泊まって1人しかお遍路を見かけなかった。海風荘は朝食付き4600円(素泊まりなし)、こちらは素泊まり3570円。風呂はどちらも大浴場、香南市は5時から。部屋は香南市の方がちょっと良い。そして山の上まで登らなくていいので楽。洗濯、乾燥機なし。宿の予約を忘れていたので、フロントで公衆電話はありますか、と訊くと、2階の食堂にピンク電話があるかもしれない、とあやふやな返事。とりあえず行ってみるとちゃんとあった。予約もつつがなく完了、受話器を降ろすと入れた十円玉全部が戻ってきた、これもお接待か。

 9日目の歩行距離 38.8km
       歩行時間 6時間14分
       平均時速 6.22km

9日目 (2) 靴が鳴る

2008-06-21 | 08年四国の旅
 道の駅大山から次の休憩ポイント安芸駅までは5.9km。安芸の町の中で休める場所(雨風をしのげる場所)として、昨年から利用するようになった。雨さえ降っていなければ休める場所はどこにでもあるけれど、雨が降ったときのことを想定して決めておかないと困ったことになる。
 昨年は休憩のためだけに来たのだけれど、今年はもう一つの用がある。安芸市が生んだ童謡作曲家、弘田龍太郎の記念碑の写真を撮るのです。彼の童謡歌碑は市内の各所に設置されていて、3年前にそのほとんどを巡って歩いたのですが、この安芸駅前の歌碑と子供たちの像だけは、その当時のHPには紹介されていなかったのです。一番新しくできたものですが、もちろん去年にはできていた。すぐ側まで来ていたのに全く気づかなかった。その横には弘田龍太郎の生涯と、設置されている総ての歌碑の写真と場所が、大きなパネルで紹介されていました。
 一通り写真を撮り終えて休憩に入ったのですが、すでに正午が近づいている、慌てて、次の駅に向かう。球場駅の近くの公園にあるカリヨンの演奏を聞く。去年はちょうど演奏が終わったときにその前を通りかかった。今年はちゃんと全部演奏を聞くつもりにしていたのに、予想外に時間がかかってぎりぎりになってしまった。しかもカリヨンまでの距離を測定していなかった。

9日目 (1) 神峯寺の休憩所

2008-06-20 | 08年四国の旅

 今日は39kmで札所はひとつ、ということで7時に出発することにする。今日から5日間は30km台の比較的楽な行程が続く。女将さんが宿の前から100mくらいいっしょに歩いて見送ってくれる、ぼくがこの宿に5回来たことは判っていないようだった。まあでもそれが普通でしょうね、宿の人は毎日違うお遍路さんがやってくるのだから、とてもいちいち覚えてられないでしょう。
 出だしは快調、痛みや違和感はほとんどない。27番神峯寺まで9.5km、もちろん休憩はとらない。田野町から安田町にかけてはやや遠回りになるけど国道を行かず旧遍路道を歩く。今日は土曜日で通学の子供たちもいないので旧道はとても静かで歩きやすい。山登りに入っても調子は変わらない。冷静に次の坂道の具合を思い出しながら、着実に登っていくことができる。坂道に関しては、経験が多いほど先を見ながら力の配分ができるので、初めての人とはずいぶん違った感じで登れるのだろうと思う。昨年より2分早く山門に到着、でも昨年は途中から雨が降ったし、今年は奈半利でちょっと近道を行ったので、同じくらいということなのだと思う。この時間だと、下の3つの宿から出た人とすれ違うはずだけれど、今年は本当に少なくて歩きの人には3人ぐらいしか会わなかった。例年通り納経所の前の休憩所で水を補給してたっぷり休憩をとる。四元さんはちょうど昨日ここから安芸まで歩いたはずだ。土曜日曜の間に彼女を追い越してしまうので、会うことはできず残念。
 35分の休憩で、下り始める。下りになっても足の調子は変わらなかった。昨日の最御崎寺や金剛頂寺の下りのような、不自然な感じは全くなく、思いのまま力強く歩けている。山を下りて、国道に合流してしばらく行ったところで、昨日道を教えてあげた女の人に追いついた。今日は住吉荘まで行くという、4時半までには着けそうである。大山岬を過ぎ、浜千鳥公園を横目に道の駅大山に着いたのは10時27分、昨年と同タイム、時速6.4kmの快調な歩きだ。手洗いをすませ明後日の宿、喜久屋旅館に予約を入れるが、誰も出ない。買い物に出ているのかもしれない。安芸でちょっとした用事があるので13分の休憩で出発する。


8日目 (3) キラメッセ室戸

2008-06-19 | 08年四国の旅

 金剛頂寺の登りは最後まで思ったような力が出せず、1分遅れで到着。へとへとになったのでゆっくり休憩をとる、例年だと山を下ったところの道の駅でとるけれど、そこまでがんばる気力もない。先が長いので20分の休憩で山を下る。時刻は11時ジャスト、あと4時間で20kmだ。歩き始めの痛みはかなり気になる。普通のスピードになるまで数分を要するぎこちない歩きだ。下りはじめのあぜ道で地元の小学生の遠足に出会う、みんなきっちり挨拶してくれる。少しの間足のことは忘れている。この下りの山道は大きな石がごろごろしてとても歩きにくい、足の状態も良くないので、より慎重になり、速く下れない。それでもなんとか、道の駅キラメッセ室戸へは例年通りの18分で到着、ちょっと意外だった。手洗いと水の補給をすませ、明後日の宿「レインボー北星」へ予約を入れる。初めての宿なのでちょっと緊張する。朝早く出るので夕食だけお願いします、と言ったら「朝は5時からでもできますよ」という答え、でもそんなに早く起きて貰うのは気の毒なので、やっぱり朝はいいです、と答える。そしたら、夕食は肉がいいですか、魚がいいですか、と訊かれる。昨日カツオは頂いてるし煮魚はちょっと苦手なので、迷わず、お肉で、と返答する。豚のショウガ焼きと牛肉の野菜炒めとどちらがいいですか、とさらに訊いてくる。当然牛肉をお願いする。滞りなく予約が終わると、休憩なしでそのまま出発する。次の休憩地は羽根郵便局の200m先の遍路小屋、9kmの間休みなしでがんばる。足の方は比較的落ち着いてきた。腰を下ろさなかったので歩き始めの違和感もない。
 吉良川の町には「民宿ホワード」という素泊まり宿(3500円)があるけど、新しい遍路宿「蔵空間茶館」(2食付き7300円)ができていた。金剛頂寺への山道にも小さな看板がぶら下げてあった。徳増からだと30kmだからここまで来られる人は多いと思う。羽根の町に入るまでに、歩きの人二人を追い抜く、この時間だと室戸岬から来た人だろう。当然ぼくと同じ奈半利まで行くものと思われる。羽根郵便局で予定通りお金をおろす。ここまで8日間で3万8千円の支出、余裕はあるけど用心のため早めにおろしておく。郵便局の近くの遍路小屋(バス停かもしれない)に到着したのは昨年と同タイムだった。歩き始めてしまうと痛みやしびれはほとんど気にならなくなっている。向かい側のバス停でさっき追い抜いた男の人が休んでいる。しばらくして、女のお遍路が目の前を通り過ぎていき、すぐ前の所で右へ折れようかまっすぐ行こうか迷っていたので、道を教えてあげる。国道を離れて羽根岬の山越えの道はもう100mほど先にある。今日はどこまでですかと訊いたら、神峯寺の下まで行くという。意外だったけど、あと13kmだから5時半までには着けるでしょう、と楽観的な答えが返ってきた。3時には宿に入りたいぼくなんかとは全然感覚が違う。
 あと9km、宿に3時に着けるように1時20分に出る。たっぷり27分の休憩をとることができた。違和感はまだ残っているけれど休んだせいか少しましになったような気がする。ぼくは羽根岬の山越えの道は行かず、平坦な国道を行く。岬を過ぎると奈半利の町が遠くに見えてくる。やっと本日の目標が見えて歩きに力が入る。奈半利郵便局から国道へ出たところの交差点まで8.8kmを昨年と同じ82分で来ることができた。時速6.4km以上出ている、これだけ調子が悪くてこの速さというのは信じられないくらいだ。
 交差点の近くのコンビニで食料を仕入れる、いつも買う野菜ジュース、果実ジュースがなかったのでカルピスソーダを久しぶりに買うことにする。山本旅館は5回目の投宿、今日の客はぼくだけということで4畳半の部屋二間を使わせて貰える。最初に冷たいサイダーと麦茶二つのコップを出してくれる。そのあとには大きな急須に冷たい麦茶を出してくれた。ありがたい。風呂はかなり大きいので時間がかかるといわれたけれど、洗濯をしたり、荷物の整理をしていたらまもなく用意ができた。熱さも十分で今日の疲れを洗い流すために、時間をかけてゆっくりくつろぐことにする。風呂からあがって、書き物をしていたら、女将さんがお寿司をもって上がってきた。今日はぼくだけで、しかも素泊まりなのでご飯を炊くのが面倒になって、近くのAコープでお寿司を買ってきた、そのお裾分け、と言って持ってきてくれたのだ。連日のお接待、もちろんありがたく頂く。
 洗濯無料、乾燥機なし、素泊まり4000円。

 8日目の歩行距離 44.1km
       歩行時間 7時間10分
       平均時速 6.15km


8日目 (2) 室戸岬

2008-06-18 | 08年四国の旅
 カメラを持ってる人なら必ずと言っていいほどこのアングルの写真を撮る。24番最御崎寺から下る葛折りの道です。でもぼくは他の人とは違った思いでこの景色を眺める。左の岬は行当岬、あの山の右の方に26番金剛頂寺がある。徳増、ロッジおざきから来る人は、金剛頂寺の宿坊に泊まる人が多い。ここから10kmぐらい。でもぼくはもう一つ先の岬、羽根岬のさらに向こうまで歩かねばならない。あの岬までの3倍の距離をこれから歩くのだ。それを思うと立ちくらみしそうになる。
 最御崎寺への登りは快調だったのに、この下りは調子が出ない。膝に負担を感じてスピードが乗らない。下まで下りると普通に歩ける。いつも津照寺の手前のコンビニで食料を仕入れ休憩するけれど、今回はまだ食料があるので休憩もとらない、最御崎寺で25分休んだので必要ないと思ったけど、ちょっと甘かった。津照寺までも1分速く着いたので、ここでも休憩をとらずそのまま出ていく。しかし、歩き始めると足首から下がちょっとしびれたような感じ。明らかに、今までとは違う。しばらく歩くと痛みはなくなるけど、それまでのようなスピードは出ないし、元気もなくなる。水と塩をとらなかったのが響いたかもしれないし、昨日まで7日の内5日40km以上歩いた疲れがここに来て影響し始めたのかもしれない。金剛頂寺の山道も登り初めから疲れている。しばらく登るとでっかい荷物を持った男の人が休んでいる、見たこともないようなでっかいリュック。歩くことを主体に考えたら、あれだけの荷物はとても考えられない。苦しむこと、体に負担を与えることを主体にしているのではないかと思える。野宿をするのはお金をかけずに巡ることができるから、という理由によるものだと思うのですが、あの荷物で50日で一巡するとして、1日1500円の食費だと、75000円かかる。2000円かけると10万円かかることになる。ぼくは昨年全部宿に泊まって13万円だった。

8日目 (1) ガンバリマッシュ !!

2008-06-17 | 08年四国の旅
 太平洋の朝日がまぶしい。今日も距離が長い上に、二つの山に登るので、5時45分に宿を出る。足の違和感は多少残っているものの痛みは全くない、快調な出足だ。最初の休憩地まで9.3kmを1時間25分で到着、昨年より速い。昨夜の夕食が効いているようだ。この休憩所は数年前にできた新しいもの(旧遍路道を行くとこの前を通らない)三高小学校の400mぐらい手前の国道沿い。掲示板に四元さんへの応援メッセージが書かれていた。水道もあるけどほとんど汗もかかなかったので補給する必要なし。宿でくんできた水がたっぷり残っている。

7日目 (3) 民宿徳増

2008-06-16 | 08年四国の旅
 前ページの写真は四元さんがお接待でうどんをご馳走になったスーパー。その少し先にもスーパーがあって、その前で地元のシルバー世代の方が7~8人、椅子に座って井戸端会議の真っ最中。その前を挨拶しながら歩き抜ける。みなさん、挨拶を返してくださる、がんばってね、と声をかけてくれる人もあり、しっかりした足取りや、と感嘆する人もあり、最後数キロに向けて力を頂いたような感じがする。
 徳増に着いたのは3時9分、昨年はロッジおざきだったけど、時速で計算すると昨年よりちょっとだけ速かった。民宿徳増は新しい宿、最初新館の奥の部屋へ通されるが、客が多く、ぼくは素泊まりなので、旧館の方へ移動。でも旧館は新館より500円安い3500円だった。かえってありがたい。しかも新館とはつながっていて、お風呂、トイレ、洗面は新館のものを使用する。さらに旧館はぼくだけだったから隣の物音を気にする必要もない。お風呂にもそんなに待たずすぐ入ることができた。ゆったりした一人風呂だ。夕食のパンを食べてゆっくりしていたら、ドアの外から声がかかった「ご飯はもう食べられましたか」。え、素泊まりなのに、と訝しがっていたら、「材料が余ったので、お接待させて貰います」と、お盆に夕食を乗せて持ってきて下さった。こういうお接待は初めてだったので、すごく驚いたけど、もちろんありがたく頂く。カツオの刺身とタタキ、フキと昆布の煮物、タマネギの天ぷら。ありがたかったけれど、いいのかな、という気持ちも少しあった。
 洗濯無料、乾燥機20分100円、9時消灯。

 7日目の歩行距離 45.2km
       歩行時間 7時間7分
       平均時速 6.35km