WALKER’S 

歩く男の日日

花へんろ

2009-03-31 | 日記
 先週土曜の読売の朝刊に4面にわたって遍路特集の記事がありました。その記事を書いた新潟の先達さんが1番札所霊山寺に電話している。「今日は7人、昨日は10人が出発されました。毎日必ず出発されますよ」
 1番のピークには30人以上の人が発つといわれるから、まだまだという感じもあるけれど、もう今日くらいにはピークに近くなっているかもしれない。歩き遍路は1年に2000人くらいだとずいぶん前に聞いたことがあるけれど、昨年の遍路大使は3000人を超えた。87番と88番の間にあるお遍路交流サロンに行くと遍路大使任命書と遍路バッジが貰える(歩き遍路のみ)のです。一昨年の7月から昨年の6月までの1年で3067人、5月19日に行ったぼくの番号は2652番だった。交流サロンに行かない人もいるし、リタイアする人、区切り打ちの人も多いから、1年に4000人近い歩き遍路が旅立っていることになる。

3月27日(金) 関学 春のコンサート 2009

2009-03-28 | 演奏会

 A Song for Kwansei    山田耕筰
 吹奏楽のための「虹」        田中久美子
 朝鮮民謡の主題による変奏曲  J・B・チャンス
 イギリス民謡組曲          R・V・ウィリアムズ
 ディヴァージョンズ          P・スパーク

 ピンクレディ、メドレー
 A列車でいこう
 インザムード
 ムーンライトセレナーデ
 不思議の国のアリス
 ブラジル
 ジュラシックパーク

 アンコール  ハウルの動く城
         木陰の散歩道

 例年学生指揮者だけの春コンなのに、今年は指導者(ミュージックアドバイサー)による指揮が(1曲だけ)あった。しかも昨年までの斉田好男先生ではなく、トランペット奏者の戸田直夫氏。明らかなるCHANGEです。昨年のことがあったから、関学もコンクールはプロの指揮者で挑むのかもしれません。確かに、学生指揮者の指揮は本当にワンパターンでつまらないものです。音楽を振っているのではなく延々と拍子を振っているだけ、メトロノーム以下の指揮でしかないことが多い。そんな指揮で関西大会を勝ち抜く可能性は本当に少ない。


あと1ヶ月

2009-03-25 | 日記

 ぼやぼやしている間に、1ヶ月を切ってしまいました。練習も相変わらずゆっくりしたペースであまり盛り上がりません。足の調子もいいのか悪いのかよく分からない。歩いているときには痛みも違和感もないけれど、左足の大腿部の筋肉がごく部分的ではあるけれど恒に張りを持っている。15kmくらい歩くのには何の問題も感じないけれど、四国に入ると1日40kmは歩くから、そうなるとどうなるか分からない。
 そんな中、3dayチケットを買ってしまいました。センバツが終わると、これで最終調整をかねて高野山を登る、中世の参詣道、町石道24kmに挑戦します。これを無理なく歩ければ、最初の遍路転がし、焼山寺道は心配なく登ることができそうだ。


3月15日(日) 近畿大学吹奏楽部 第33回 POPS Concert

2009-03-23 | 演奏会

第1部 ステージマーチングショー

第2部 Guest Quartet  酒と薔薇の日々
                 黒いオルフェ
     Big Band     A列車でいこう
                 デュークエリントンに捧ぐ
                 インナメロートーン
                 スウィングしなけりゃ意味ないね
     Full Band     シング・シング・シング
                 ラ・マンチャの男
                 この素晴らしき世界
                 ストライク・アップ・ザ・バンド

アンコール   子象の行進~ピンクパンサー
          シング・シング・シング

 相変わらず猪俣猛氏のドラムが素晴らしくて、楽しくて楽しくてしょうがない2時間20分でした。とにかく最初から最後までドラムだけを聞いている。こんなにドラムを聞くことは滅多にない。それだけ彼のドラムは、普通のアマチュアの音とは別次元の音楽性に溢れているように思える。聞いていて恒に心地よくて、いくら聞いても全然飽きない。何よりバランス感覚が素晴らしいと、ぼくはずっと思ってきた、バランスとは音量だとばかり思ってきたけれど、それだけではないと、今回初めて思った。音量以上に、音色が美しいのだと思った。他の楽器を邪魔せずに、盛り立てる、その上自らの音も恒にはっきり主張できている。それは単に音量の問題ではないはずだ。特別な美しい音色があってこそできる、至高の技ではないのか。音量、音色、リズム、総てが完璧以上でないと、このように2時間も飽きずにドラムだけを聞いていることはできないのだと思う。


3月14日(土) 関西大学応援団吹奏楽部 Spring Concert 2009

2009-03-14 | 演奏会
 メンバーは3学年で36人、これだけ少ないのはほとんど記憶にない。でもこの少なさが非常に良い結果をもたらすことになった。まさに怪我の功名というところです。
 オープニングの演奏会用学歌はいつもと違って、グロッケンシュピールとサスペダーシンバルがなかった。打楽器が4人なのでそこまで手が回らなかったのだ。でもこれが本来の楽器編成なのです。グロッケンとサスペンダーの譜面は元々なかった。ぼくが卒業して3年くらい経たときに編曲者の意志とは関係なしに部員が勝手に作ったものだった。25年ぶりくらいに本来の編成の本来の学歌を聞くことができてすごくすっきりした。この25年というもの最初にあのグロッケンとサスペンダーを聞くと気持ちが一気に落ち込んで後どんな曲を奏されても何も感じなくなってしまった。
 ぼくが2年生の夏休み、中央大学との交換合同演奏会が東京で行われた。そのときのゲネプロで、編曲者自身から初めてこの曲のレッスンを受けた。レッスンというようなものではなかった、最初から最後まで怒声、罵声の連続だった。それまで我々は何をしていたのだろうと、全員首をうなだれるばかりだった。その20分ほどのレッスンの後に演奏した音楽は、それまでのものと似てもにつかない素晴らしい輝きに満ちたものだった。我々は楽譜の意味を全く理解しようとしていなかった。音符を音に変える作業を繰り返していたに過ぎないことを思い知らされた。編曲者が一つの音符にどういう思いを込めて書きつづってきたか、そしてそれが全く無視されたときの怒りと悲しみがいかに深いものであるか。
 僕たちは音楽性のかけらもない愚か者であったかもしれないけれど、編曲者の書いたそのままの楽譜を使用してきた。それはまだ許される行為ではないかと思う。でも編曲者の意図しない楽譜を無理矢理付け加えるという行為は単なる愚か者では済まされない。我々の何倍も編曲者の意志を無視した罪深い行為ではないか、編曲者の顔に泥を塗るに等しい残酷な所行ではないか。愚かさもそこまで行けば、アマチュアですからというような言い訳は通用しないとぼくは思っている。ぼくはこの25年間、その行為が間違っているということを確かめるためだけに通っているような気がする。その後の総ての曲に何も感じないほど心がつぶされてしまうことを確かめるために、自分がいかに最低のアマチュアであるかを確認するために関西大学学歌を聞く。今回は偶然にせよまともに音楽を楽しむことができて、本当にありがたいことだと思っている。

3月10日(火) 大阪音楽大学 第6回 ザ・ストリング・コンサート

2009-03-11 | 演奏会
 ディヴェルティメント ヘ長調 K138     W・A・モーツァルト
 ヴァイオリン協奏曲集
   「和声と創意の試み」 op.8 より「四季」  A・ヴィヴァルディ
 弦楽のためのセレナーデ変ホ長調 op.6   J・スーク

 昨年まではいずみホールで行われていたのですが、今回はザ・カレッジ・オペラハウス。やはり不況の影響なのでしょうか。ぼくの中ではいずみホールは最高のホール、その雰囲気を味わえる唯一の機会がなくなってしまうのはいかにも寂しい。
 毎回感じることですが、管楽器、打楽器が一切ないと弦楽器はかくも力強い。強さ、豊かさを終始たっぷり味わうことができる演奏会です。国内のプロのオーケストラを聴く機会というのは多くないのですが、弦楽器をこれだけ力強く感じたり味わえたりすることはほとんどない。有名なオーケストラの録音でもこれだけの圧力は味わえない。本当に貴重なありがたい演奏会です。     

アイルランド組曲

2009-03-10 | 日記
 吹奏楽の名曲「イギリス民謡組曲」のオーケストラ版(ゴードン・ジェイコブ編曲)がFMで流れました。吹奏楽曲のオーケストラアレンジはかなり珍しい。クラシックの人は吹奏楽など音楽だと思っていないか、そもそも眼中にないという人が大半のように思われる。クラシックの名曲が数え切れないくらいあるのに、それをさしおいて演奏するだけの価値や意味や機会がどれだけあるのかということでしょう。この曲はヴォーン・ウィリアムスの曲だから、それだけの意味があるということなのでしょうか。
 その後に流れた「アイルランド組曲」はリロイ・アンダーソンの曲、彼の曲は一通り聞いているつもりだったのですが、この曲に関しては、その存在すら知りませんでした。その1曲目を聞いてびっくり、「アイルランドの洗濯女」でした。この曲はぼくが大学2年の時定期演奏会で演奏しました。3年生の指揮者が振ったのですが、彼にしてみれば少々物足りなかったようです。最初から最後まで、1,2,1,2と一定テンポで振るだけでことは足りる、誰でも振れる、むしろ指揮者など必要としないと言ってもいい曲だったからです。しかも同じメロディが繰り返し繰り返し楽器を変えて出てくるだけで変化の乏しい曲でもあります。音楽としてつまらないとはいえないけれど、新人指揮者にとっては相当つまらない内容だったことは今にしてみればよく理解できます。

3月8日(日) 西宮市吹奏楽団 第47回定期演奏会

2009-03-09 | 演奏会

 生と死のファンタジア             B・アッペルモント
 ガリア戦記                   B・ピクール

 交響曲第2番「ステーツ・オブ・マインド」  T・A・バルベラン

 アンコール  マーチ「青空と太陽」          藤代敏裕
         コンサートマーチ「ストレート・ロード」 真島俊夫

 1曲目は17分、2曲目は12分、3曲目は25分、休憩時間アンコール全部含めて1時間半で演奏会は終了しました。物足りない、不十分という感じは全くありません。これでいいのだと思う、2時間以上やらなければいけない理由はどこにもない。
 ピクールの曲は初めて聞きます。1972年、ベルギー生まれの新進の作曲家です。バルベランの曲も初めて、こちらは1967年、スペイン生まれの作曲家です。
 


ニューヨークの早春賦

2009-03-06 | 日記
 おはようパーソナリティ、先週のお天気ミュージックは「早春賦」だった。もう十年以上この番組を聞いているけれど、「早春賦」が流れなかった年はなかったような気がする。この時季の微妙な季節感を表すのにこれ以上の曲はない。この曲は文語調の詩がやや難しくて、もう五十年以上小学校中学校の音楽の教科書には載っていない(もしかしたら戦後は一度も登場していないかもしれない)。ぼくが初めてこの楽譜を見たのは高校の音楽の教科書でだった。高校の音楽は選択だったから、この曲のことを本当に知っている人はもうほとんど存在しないのではないか、と思ったりする。でも、毎年この季節になると、一度や二度はテレビラジオから流れてくる。
 作曲家、團伊玖磨氏はこの曲を盗作したのではないかと一時話題になった「知床旅情」の方が良くできた曲であり、好きだ、と語ったのですが、その意に反してあれから40年の月日が流れるのに、「知床旅情」を聞かない年はあっても「早春賦」を聞かない年はない。プロの作曲家の思いを越えた見えない力をこの曲は持っているに違いない。作詞の吉丸一昌の生まれ故郷、大分県臼杵市には「早春賦の館」という彼の記念館がある。それは、彼の妻の実家で幕末の頃に建てられたという古い武家屋敷がそのまま記念館になっている。館内には7種類の「早春賦」が収められたCDがラジカセから流れている。ダカーポの歌が流れてきたとき不意に涙が流れてきたのを思い出す。受付の横でそのCDが販売されていたので買って帰ってきた。以後、6種類の録音を手に入れて13種類の「早春賦」がわが家にはある。今朝ラジオから流れてきた「早春賦」はその13種とは全く毛色の違う音楽だった。ソウルというのかゴスペル風というのか、とにかく、ニューヨークのハーレムで聞いているような感じがした。文語調の歌詞を黒人が熱唱しているような違和感と定石をすかされた妙な快感がある。

うれしいひなまつり

2009-03-05 | 日記
 お内裏様とおひな様、二人ならんですまし顔
 サトウハチローのこの詩は間違いだと、テレビ、ラジオ二つの番組で放送していました。おだいり様、だいりびな、というのは男びな、女びな一対のひな人形を指す。だからこの詩は間違い、サトウハチローはそのことを知らなかったというのですが、それは断定できないと思った。知っていて敢えてこの詩を書いたのかもしれない、事実を書こうとすれば、男びな様と女びな様二人並んですまし顔、となって字足らずになるし詩としてもうまくない。詩人は詩を書くのが仕事なのであって、事実を書くことが仕事ではない。でもこの詩によってほとんどの日本人が誤った知識を植え付けられてしまったことも否定できない。
 ラジオの放送(おはようパーソナリティ道上洋三です)では、「すこし白酒めされたか、赤いお顔の右大臣」も誤りで、赤い顔をしているのはお年寄りの左大臣だと言っていました。でもこのこともハチローは知っていたかもしれない。右大臣の方が発音しやすいし歌いやすい。詩としても締まった感じがする。

2月28日(土) 向陽台高等学校ウィンドバンド 第50回定期演奏会

2009-03-01 | 演奏会

 マドリガラム              P・スパーク
 オリエント急行            P・スパーク
 二つのコラールプレリュード     J・ブラームス
 カルミナ・ブラーナ           C・オルフ

 行進曲「忠誠」           J・P・スーザ
 「詩人と農夫」序曲        F・スッペ

 ザ・ビッグ・ブラスバンド
    (阪急少年音楽隊の歌)  P・ラバル、F・L・ヴェントレー
 ロレーヌ行進曲           G・L・ガンヌ
 勝利の父               G・L・ガンヌ
 サンブル・エ・ミューズ連隊     J・F・ラウスキー
 ジョギング・アラウンド・ザ・フランス 杉本幸一
 喜歌劇「天国と地獄」序曲    J・オッフェンバック

 アンコール  手紙            アンジェラアキ
         シェリーに口づけ      M・ポルナレフ
         グッドフェローシップマーチ P・ラバル、J・タート

 2部は阪急百貨店吹奏楽団と向陽台高校卒業生の合同演奏です。
 1部は薄いブルーのブレザー、3部はおなじみの真紅のパレードコート、このコートでマーチを演奏すると、本当にかっこいい。音も動きも容姿もピシッと決まって、ただただほれぼれする。ぼくがブラスバンド(吹奏楽)に求めているのはこういうかっこよさではなかったかと思い起こさせてくれる。ぼくが高校3年の時、阪急百貨店の前で見た少年音楽隊の雄姿を今なお思い起こさせてくれる。