WALKER’S 

歩く男の日日

今年初めての宿 (番外)

2016-07-29 | 16年四国の旅


 最後にもう一つ宿を紹介しておきます。土佐清水市の南西の海岸沿いにある民宿叶崎です。
 なぜ番外かというと、この宿は10年前に泊まったことがあるからです。でも10年経って前とはかなり変わって初めてだといってもいいくらいになっていたからです。
 10年前のことはいまだに忘れられません。ここで食べた魚は今までどこで食べた魚より美味しかった。夕食に出たメバルの煮付けと朝食に出たサバの塩焼きは本当に飛び上がるくらい、声を上げたくなるくらい美味しかった。でも、お風呂とトイレが女性にはちょっとお薦めできないくらい古くてきたないという感じがするくらい、部屋もちょっと雑然としていてきれいとは言い難く、全体としてはおすすめはできない。
 それが今回10年ぶりに来てみると問題のあったところは全部リフォームされてそれはきれいになっていました。まあ10年という時間があったのでリフォームされてからそれなりの時間が経ていて新品、まっさらという感じではないものの、とても気持ちよく使うことはできました。部屋も壁も建具も畳も新しくなってそれは快適でした。

 食事は前回ほどの驚きはなかったのですが、十分水準以上。むしろ一期一会でよかったのだと思い直しました。食後のコーヒーはセルフで飲み放題です。

 朝食の魚も前回ほどではなかったですが、まあこれが普通というものです。月山神社から大月町を歩く人はぜひとも泊まって欲しい宿です。
 2食付き6000円です。

 これで今年のお遍路の記録は最後にしたいと思います。今年は本当にいろんなことがあって、2回に分けて40日も歩くことができたし、たくさんの人の話も聞くことができました。納札を頂いた人だけでも、徳島の塩田さん、京都の池本さん、館山の鈴木さん、住之江の佐藤さん、横浜の高橋さん、周南市の佐々木さん、東京渋谷区の横澤さん、浜松の市橋さん、小金井の青木さん、埼玉県狭山市の星野さん、春日井市の川口さん、大田原市の落合さん、三重県明和町の山口さん、横浜の伊藤さん、富士市の太田さん、刈谷市の谷澤さん、それ以外にも逆打ちの矢印をくれた伊藤さん、関学OB、高松の和田さん、黒潮町から松山まで毎日のように顔を合わせた宍戸さん、松山ユースでいっしょだった青森のご夫妻、西予市で同宿だった徳島の啓子さん、ときわ旅館で同宿、電車でもいっしょだったご夫妻、メールで励ましてくれたトトロさん、そして、同宿になった人、道中ですれ違って挨拶をしてくれた人、宿屋の人、総ての人に感謝します。皆さんがいなければこんなに楽しくうれしいお遍路は絶対できなかった。歩くだけ、お参りするだけがお遍路ではないと、こんなにたくさん感じたことは初めてでした。


野井坂のあと (3)

2016-07-24 | 16年四国の旅


 鳥坂トンネルの手前の遍路小屋で一休み、新しいゲストハウスのお知らせがありました。はりまや橋ゲストハウスは同じ町内でこのゲストハウスの300mほど南にあります。

 鳥坂トンネルは歩道がない上に交通量が非常に激しい、遍路が歩くトンネルの中で一番危険で怖いといってもいいかもしれません。とはいってもぼくは峠の山道を歩いたのは2回だけ、後は全部トンネルを歩いています。なぜかといえば、峠からの下りがすごく長くて、下りなのにとても歩きにくくスピードのでない道なので1回歩いて二度と歩かないと決心したからです。今回はその折衷案でトンネルは歩かないけれど峠からの下りも歩かない。

 鳥坂峠を過ぎて13分ほどフラットに近い山道を進むと、トンネルを出たところにあるバス停へ下りていく山道があります。今回はこの道を歩いてタイム比較をします。

 本当にトンネルを出たすぐの所に下りてきました。トンネルを行くより23分遅かったのですが、全部山道を行くよりは7分早い。来年どうするかは宿が決まってからのことになるでしょう。

 ポケットパーク札掛けで最後の休憩、逆打ちで初めての女性が休んでいたので遍路宿情報を渡します。トンネルを避ける山道の入り方を教えてあげました。PP札掛けに到着する直前に追い抜いたご夫婦はときわ旅館で同宿でした。
 写真は5月に国の重要文化財に指定されたばかりの臥龍山荘、今まで一度も撮影したことはなかったけれど、あまりにタイムリーなので思わずカメラを向けました。このあと、冨士山に登るのですが、片道の距離を往復の距離だと勘違いしていて、時間がなくなって頂上までたどり着けませんでした。天気がよすぎて登りは本当にバテバテだったけれど時速は5.8kmは出ていたようです。下りは7km以上、本当に時間がなくてあせったー。ときわ旅館に到着したのは16時10分でした。


野井坂のあと (2)

2016-07-23 | 16年四国の旅


 9時27分、宇和島駅のすぐ近く、別格6番龍光院の前まで来ました。電車の時間は10時17分、まだ50分も余裕があります。バスに乗らなくても全然間に合っていたのですが、今日の歩行距離は42kmを超える。バスに乗らなかったら45km以上歩くことになるので、やはり乗るのが正解でした。

 卯之町駅に到着したのは10時49分、ここから本日の宿ときわ旅館までは18kmちょっと、普通に歩いても14時過ぎには着いてしまうので、冨士山に登る計画です。
 明石寺から4.6km地点、卯之町からだと3kmちょっとの所にある遍路休憩所で一休みします。宇和島駅でもたっぷり休んでいるし電車にも乗ったのでこの距離では休むこともないのですが、蜜柑の魅力に負けてしまいました。しばらくすると逆打ち野宿の若者がやってきました。四国は2回目だということです、野宿の人には遍路宿情報は無用なので言葉も少なくなります。納札を入れたボックスがあったので中を覗いてみると、佐藤さんの赤札と、昨年うまめの木と美園で同宿だった浜松のAさんの赤札もありました。Aさんは今年は逆打ちで別格も全部巡ると賀状で知らせてもらっていたのですが、いつから歩き始めるかは知りませんでした。納札の日付を見ると4月26日、そこから逆算するとぼくが民宿岡田に泊まった4月14日はすぐとなりの池田町の宿に泊まられていた可能性が高い、1日違えば岡田で同宿だったのかもしれません。


野井坂のあと

2016-07-22 | 16年四国の旅


 宇和島道のトンネルの出口の近くから入った脇道は意外と長く続いて1300mもありました。これだけの距離国道を避けられるのは精神的に大きい。写真は国道に合流するところ。この後は国道を歩いたのですが、帰ってから英語の地図を見てみると、脇道はまだありました。国道に出て100mほどでまた左に入る。そうではないかと歩いているときにも思ったのですが、明らかに遠回りになりそうだし国道に戻ってこられるか確証がなかったので入れませんでした。その道は450mほどで国道に合流、そしてまた100m国道を進むと今度は右に入る脇道があります。さすがにこの道には気づきませんでした。

 その三つ目の脇道が国道に合流してくるところにこの上保田のバス停があります。上の写真から800mほど歩いたところ、ここから警察署の前までバスに乗りました。距離にして2800mほどです。この間が最も歩きにくい嫌いな道ではあるのですが、それが理由ではなく、宇和島から卯之町まで電車に乗るのでその時間に合わせるためです。前期で41番から43番まではお参りしているので、一気に飛ばして大洲まで行ってしまいます。

 宇和島駅の近くのアーケードの中にある四国銀行、ぼくが初めて四国を歩いた13年前からずっと島崎和歌子さんがイメージキャラクター、ここに来ると確認しないではいられなくなってしまいました。


高松のゲストハウスと旧い遍路道

2016-07-21 | 16年四国の旅

 高松でいつもお世話になっていた、ビジネス旅館三鈴が今回何度電話しても留守電だったので、前に一度泊まったことがある三友荘に予約を入れました。楽天でネット予約ができたし3600円だったので、納得はしているのですが、昨日へんろみち保存協力会のサイトを見てみると、近くに新しいゲストハウスができていることが分かりました。ちょうど2年前に琴電長尾線花園駅の近くにできたゲストハウス若葉屋で、英語の地図にはちゃんと載っていました。3800円の個室が二つ、3500円の個室が一つ、3000円のドミトリーが一つ(男女共用、8人部屋)です。お風呂はちゃんと湯船があるタイプ、コーヒーはセルフで飲み放題。3ヶ月前からネットで部屋を指定して予約が可能です。キャンセル料はないからお遍路でも安心。これで、電車に乗って一宮寺の近くのそらうみまで引き返す必要もありません。そらうみは今年から3800円に値上げになっていました。
 高松にはそれ以外にも新しいゲストハウスができていて、瓦町駅の西側に「Ten to Sen」、花園駅の西側にKincoというゲストハウスがありました。いずれもシャワーのみなのでお遍路には向きません。

 高松市内を抜ける旧い遍路道があることは、枯雑草さんのブログを見て認識はしていたのですが、三鈴に泊まるとどうしてもいつもの赤線の道を行くしかなかった。でも
、来年は若葉屋なので歩くことができます。ちなみに旧い道というのは、へんろ地図に赤線がある川沿いの道ではありません。日本語の地図にはありませんが英語の地図にはちゃんと赤点線があります。ただし、枯雑草さんの地図に記載された道と一部違った所もあるし、道自体がなくなっているところもあるので、少し考えながら歩かねばなりません。枯雑草さんによると、この旧い道は江戸時代後期、お遍路が城下を歩くことを禁止されて生まれた道だということでした。明治になってからは徐々に讃岐別院に向かって斜めに突っ切る道がメインになっていったようです。現代歩く人はほとんどいないようですが要所に遍路シールが貼られています。現代の道は歩道がなくて車の往来が激しい所がしばらく続くので、その道を避けるためにも旧い道を行く人がもっと多くなってもいいと思います。でも知らなければ歩きたくても歩けません。


篠山を越えて (4)

2016-07-14 | 16年四国の旅

 蜜柑の写真は14時10分、その近くのバス停は金比羅橋、その手前のバス停犬除まで700m、犬除から県道へ這い出てきた橋までは1500mほどだから、県道へ上がってきたのは13時半頃だったと思われます。篠山神社を下り始めたのが10時30分だから3時間ほど山の中をうろうろしていたことになります。
 バスが来るのは15時13分、1時間以上ガレージで休ませてもらいました。そのまま全部歩いていたら17時ちょっと前には宿に着いていたはずですが、予約の時に観自在寺の近くからなので15時から16時の間に到着しますと言っていたので、連絡を入れ直さなければ行けない、相当疲れていたので今更全部歩く気には到底なれませんでした。
 バスに乗ると、お遍路の格好をしているので運転手さんは怪訝な顔で尋ねてきました。満願寺から先では中道を歩いてきた人がごくたまにはいたかもしれないけれど、ここでお遍路さんを乗せるのは絶対に初めてでしょう。それをきっかけにいろいろ話が弾みました。運転中にこんなに話してもいいのかなと思うくらいでした。今日の宿はよしのやだと言うと、宿の主人と友達だと言います。バンド仲間で、自分は今はやっていないけれど、よしのやさんは今でもギターを弾くのだそうです。
 15時47分に岩松に到着、宿はバス停の目の前です。
 よしのや旅館は初めての投宿、少し前までは食事もありましたが、今は素泊まりだけです。数年前には3500円と4000円の部屋があったようですが、今回は4300円でした。運転手の友達のご主人はとても丁寧でやさしい、お遍路をもてなすという雰囲気がにじみ出てとても気持がよい。食事を買える場所も丁寧に教えてくれて自転車も使ってくださいと言ってもらえました。ぼくは200mほど北にあるサークルKまで歩いて往復してきました。最後は全然歩けなかったのでここで自転車を使うことはできない。客はぼく一人でお風呂もゆっくりたっぷり楽しむことができました。いろんなことがありすぎた1日ではあったけど、本当にいい宿で疲れも吹き飛ぶ感じです。

 


篠山を越えて (3)

2016-07-13 | 16年四国の旅


 林道に出て完全に迷ってしまったと自覚してからは写真を1枚も撮っていませんでした。もちろんそれどころではなくて、今日宿に着けるかもおぼつかない状態、やっとのことで県道に出てきても、写真のことまで気は回らなかったし、時計も止まったままでどれくらい山の中を彷徨っていたのかもメモに書き留めていませんでした。
 やっと先が見えて落ち着いたところで撮ったのが上の1枚です。県道に出て歩くべき道を教えてもらって、2~3km歩いたところ、コミュニティバスのバス停を見つけて、まだ時間が大分あるので次のバス停まで歩いたところで、自動販売機があったのでアクエリアスを買って一休みしていると、近所の奥さんが声をかけてくれた。バスの終点が宿のすぐ近くであることは判っていたけれど、ここからどれくらいかかるか見当がつかないので尋ねたら、16時前には着くということでした。カンカン照りだったので、陰になるところで休んでいきなさい、と自宅の前のガレージまで案内してくれたのです。

 椅子も出してくれて、大きな夏みかんも二つ。ここはお遍路さんが絶対通らない場所なのに普通にお接待してくれました。山の中で大変な思いをしたことより、今となってはこの蜜柑のありがたさの方が強く印象に残っています。


篠山を越えて (2)

2016-07-12 | 16年四国の旅

 篠山神社から尾根道を北へ1kmほど進むと、左に下る道があるはずで、その分岐にマーカーがあると英語の地図には出ていて、めぐめぐさんの掲示板に投稿していた人も難なく確認できたと書いていたのですが、ぼくは見つけられませんでした。広場のようになっていて道の幅がかなり自由になっているところがあって、そこであらぬ方を歩いて確認できなかったのかと、そんなことしか今となっては考えられません。遍路標識、道しるべのたぐいはなかったのですが、木にテープが巻かれていて導いてくれていると安心しながら下っていたのですが、それは尾根道のようでした。かなり長い間下ってマーカーらしきものも見あたらないままだったのですが、道をはずしたとは長い間思っていませんでした。かなり長い間下って幅のある林道に出てきたところで、どうやらこれは違う道を来てしまったと気づきました。その林道は軽自動車が通れるくらいの道でほとんどフラットな道、そこから右の方に向かって、全くらちがあかなかったのですが、反対側に行けばもしかしたら街道の方に出られていたかもしれません。
 日本語のへんろ地図には全く載っていない部分、英語の地図には向こう側まできっちり載っているけれど地図を持っていたところでどうにもならなかったでしょう。自分がどこにいるのか見当もつかない。でも大体北の方へは進んでいるという感じはあって、とにかく下へ降りれば何とかなるとそれだけを手がかりに、もう道なき道を闇雲に下っていきます。ただこのあたりは全て植林されている地域で、人が入っているのでそんなに歩きにくいということはありませんでした。
 その作戦が功を奏して、大きな川が見えました、そのときは全くどこか判りませんでしたが、松田川、川沿いの大きな舗装道は県道4号、河原近くに出ていくと200mほど先に橋が見えました、これは本当に幸運でした。地図を見直すとあんまり橋はなくて、しかも川幅はかなりあるから、向こうに渡るのはかなりきびしい。一番いい場所に降りてきたということになります。橋のポイントからして県境の近くだったと思われます。県道に出てくればしめたもので完全に生還した気分ですが、方角がまるで分からず、軽トラを止めて方向だけ訪ねます。


篠山を越えて

2016-07-11 | 16年四国の旅


 軽食を摂って少し休憩、普通のお遍路さんであれば登ってきた道を引き返さないと40番にお参りできないから、みんな駐車場に向かって下山します。ぼくは前期に観自在寺をお参りしているので、津島に向かいます。このときはまだ大変なことが待ち受けているとも知らずに。


いきなり真夏

2016-07-03 | 日記

 今朝の姫路の最低気温は25.3℃、今年初めての熱帯夜になりました。最高気温は32.8℃、昨日に続いて今年4回目の真夏日です。2階の室温は夜明けが30℃、日中が35.5℃、急に真夏が来てしまいました。陽射しも十分、屋外では40℃近いかもしれません。イオンまで2km歩くだけでぐったりしてしまいます。イオンの中は26℃、すごく涼しくて気持ちよく歩けます。
 こういう暑さでも四国を歩いている人がいます。ぼくにはとてもまねできません。37日目、宇多津から高松まで歩いたときは高松の最高気温は30℃を越えました。その日は3リットルの水を飲んで、それでも法然寺に向かう途中ふらふらと倒れ込みそうになった。その日法然寺の寺務所でペットボトルに汲んでもらった冷たい水のありがたさ、うまさは本当に格別。歩けるのは自分だけの力ではない、支えてくれる人助けてくれる人がいてなんとか歩ける、歩かせてもらえる。お遍路は自己満足という人がいたけれど、ぼくはそんなものではないと思っている。お遍路はおかげさま、感謝なしには考えられないものです。