WALKER’S 

歩く男の日日

2008年度 全日本吹奏楽コンクール課題曲

2007-12-29 | 演奏会
3番「セリオーソ」を演奏する団体は今年の「ピッコロマーチ」より少ないと思われます。技術的にものすごく難しいということはないけれど、テンポが緩くて全体に音が薄くてソロもあって、あら探しをするには最高の曲です。6連符と16分音符が重なっているところなど振りにくくてしょうがない。5番「火の断章」はもっと難しい。楽譜を見ているだけでいやになってくる。理解不能、演奏不能、指揮不能。この曲にも6連音符と16分音符の重なりがあるし、10連音符と16分音符の重なりもある。まともに聞くことすら不可能のように思われる。


遮られた休息

2007-12-28 | 日記
 武満徹のこの曲で「ぴあのピア」250回が漸く終了です。最初の40回を除く210回分を8枚のDVDに収めることができました。いろんな作曲家の生涯を見ることができて大いに意義深かったのですが、当然の事ながらピアノ曲を書いていない作曲家は紹介されなくて、その点ちょっと物足りなさも感じました。

大正琴で六甲おろし

2007-12-27 | 日記
 ぼくは大正琴という楽器を見くびっていました。シルバー世代の手慰みにしかならない、表現力の劣った楽器だと思い込んでいました。ところが、先日ラジオ番組(おはパソ)で大正琴六重奏による阪神タイガースの歌を聞く機会があった。その表現力はまさに舌を巻くような素晴らしいものでした。ぼくの想像を遙かに超えていました。細かくて速いパッセージも自由自在。これならあらゆる楽曲を演奏することが可能です。吹奏楽は完全に負けたと思いました。つまらなくて難しくて長ったらしい曲しか演奏しないような吹奏楽の演奏会より、遙かに人の心を動かす素晴らしい音楽なのでした。聴衆に感動を届けたいと思うなら、考えを改めるべきでしょう。何ヶ月も練習を重ねてあれだけ大層な曲を4曲も連ねて、あんなでっかいホールで演奏会を開いても、たった6人の大正琴の数分間の演奏が届ける感動にも及ばない。本当に人々を感動させたいのなら、感動というものが何なのかを知らねばならない。彼らにはそういうことが全く分かっていない。

追加購入

2007-12-26 | 日記
 クリスマスはすでに終わってしまったけれど、パソコンをいじってさらに3枚のクリスマスアルバムを購入しました。シンディーローパーとシカゴと山下達郎。過去に発売されていて買えなかったのは、ルイアームストロング、ドリスデイ、ペギーリー、スティービーワンダー、デュークエリントン、ポールモーリア、グレンミラー。


クリスマス ソングズ

2007-12-25 | 日記
 届いたばかりのレイモンルフェーブルのクリスマスアルバムを聴いています。インストゥルメンタルのクリスマスアルバムは少ない。ぼくが持っている46枚の内インストは12枚しかありません。ボストンポップス、パーシーフェイスオーケストラ、ビリーボーン楽団、マントヴァーニ楽団、ハーブアルバートとティファナブラス、ジミースミス、ラムゼイルイストリオ、ケニーG、女子十二楽坊、ヴェンチャーズ、東京佼成ウィンドオーケストラ。フルオーケストラは2~3枚だから、このレイモンルフェーブルは貴重な1枚といえます。選曲もトラディショナルなものが多くてとても気にいっています。特に好きなのは「シルバーベル」と「プチパパノエル」。


演奏会用学歌

2007-12-24 | 演奏会
 この編曲者との関係がなくなって30年近くになる。現役はおろかOBの半分以上もこの人のことを全く知らない。そんな人のアレンジを後生大事に使い続けるのは本当におかしな事です。あるから使う、これ以上のアレンジはできそうもないから使う、安易な考えです。しかも誰もこのアレンジの意味を分かっていない。編曲者の意図したものとは全く違う音楽を作りながらそれでいい気になっているのが、我慢ならない。編曲者があの演奏を聞いたなら烈火のごとく怒って即座にホールから出ていくはずだ。その程度の音楽しかできていない、今だけではない、我々の時代からそうだった。誰もあのスコアを読めたものはいなかった。そういうスコアは使うべきではないと思う。自分たちの幼稚さ、未熟さ、愚かさが白日の下にさらされるようで、我慢ならない。その後でどんな演奏を聞かされても、納得することも感心することもできないのだ。
 ぼくにとっては本当に恐ろしい呪いをかけられたようなアレンジというしかない。

モテト踊れ喜べ幸いな魂よk165

2007-12-21 | 日記
 8種類も録音を持っているのに、9種類目をまた録音してしまいました。大好きなモーツァルトの中でも特に気に入っている曲の一つです。
 モテトというのは、元来、聖書の言葉を歌詞とする無伴奏多声部合唱曲のことを言ったのですが、バロック後期になってポリフォニーによる短い宗教的合唱曲になった。モーツァルトはその形式をさらに無視してオーケストラ伴奏による独唱曲にしてしまった。元々彼はモテトなど書く気はなかったに違いない。これはミニオペラではないか。彼は何よりもオペラを書きたい人だった。モテトという名を借りて自分の一番書きたい音楽を作ったような気がしてなりません。

12月16日(日) 三木ウィンドフィルハーモニー 第32回定期演奏会

2007-12-19 | 演奏会

1部 自由の肖像          ライニキー
    ゲールフォース        グレイアム
    シンフォニアノビリッシマ  ジェイガー
    バラード            Aリード
    ロシアのクリスマス音楽  Aリード
2部 ロッキーのテーマ       Bコンティ
    ZARDコレクション      織田哲郎
    ラッパ吹きの休日       アンダーソン
    ジャパニーズグラフィティ12 星出尚志
    オペラ座の怪人        ウェッバー

 大阪国際交流センター大ホールはワンフロア1000人くらいの座席、非常にバランスよく聞こえるホールです。まあ、ほとんどの多目的ホールで、このように吹奏楽は過不足なくそのままに近い形で聞こえるのですが。それにしても、クラリネットはよく聞こえました。全曲を通じて存在感をたっぷり味わうことができて非常に満足です。
 テナーサックスの阿賀さんは、ぼくが大学1年の時の木管セクションリーダー、40年以上吹き続けておられる。その姿を見るたびに頭の下がる思いです。
 写真は、非常に珍しい布製のプログラム。生まれてこのかた500回以上演奏会と名のつくものに行っていますが、布製のプログラムは初めてです。 

京阪森小路

2007-12-14 | 演奏会
 1年に1回必ず京阪電車に乗らねばなりません。森小路のアルト楽器まで行かないことには淀川工科高校のチケットが買えない。少なくともぼくはそれ以外の入手方法を知らない。大阪に出るついでがあったのでチケットを買うための交通費は淀屋橋、森小路間往復の400円のみ。この演奏会がぼくにとって最後のフェスティバルホールになります。

今昔物語

2007-12-12 | 演奏会
 ちょっと気になったので昔の録音を引っ張り出してきました。90年のカルミナブラーナと83年の祝典序曲です。折にふれ聴いていたのですが、2日前の音と比べてみると、全然違うことがはっきり分かります。もう笑うしかない、というような演奏です。全部のパートがかみついてくるのですよ。出番があったら、フォルテがあったら思い切り自分を主張する、ほかのパートに負けてられない、ここで吹かずしていつ吹くのだという勢いが全曲を通して満ち満ちている。それでいて、リズム、音程、バランスも完璧に合わしてくる。2700総ての聴衆の心にぐさぐさ突き刺さってくるおっそろしい音楽だ。そして愉悦の極地を味わわせてくれる音楽でもある。

12月10日(月) 近畿大学吹奏楽部 第47回定期演奏会

2007-12-11 | 演奏会
1部 祝典序曲               Dショスタコーヴィチ
    ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス  Dギリングハム
    交響組曲「機動戦士Zガンダム」 三枝成彰/長生淳編曲
    プラハのための音楽1968     Kフサ

2部 ケルティック・チャイルド      Bアッペルモント
    カルミナ・ブラーナ          Cオルフ

アンコール  バレンシアの寡婦、第6曲  Aハチャトリアン
         マーチ「ブルー・スカイ」    高木登古

 3年目にして漸く2階席に座ることができました。やっぱり全然違いました。近畿大学の定期演奏会としてはこの10年でいちばん満足感のある充実したものでした。昨年、一昨年は1階の花道の出口に一番近い最悪の席だったこと、それ以前はザ・シンフォニー・ホールだったことが大きな理由だと思われますが、それを抜きに考えても一番充実していかもしれません。
 祝典序曲に関しては過去2度の名演(78年、83年)のイメージが強すぎるので、あまりいいとは思えなかったのですが、ほかの曲は総て充分味わい楽しむことができました。自由曲のプラハは、大阪府大会、関西大会と2度聴いているのですが、そのときと全く変わらない緊張感と曲の持つ重みに改めて打たれました。学生指揮は3年ぶりに女性が務めたのですが、非常に切れのあるきびきびした指揮で好感が持てました。叩きをきっちりしようとしている姿勢が見て取れました。こういう指揮だと吹いている方もかなり吹きやすく合わせやすいと思いました。
 2部の1曲目は、女性ヴォーカル2人と、幼稚園児の合唱が加わりました。すごくいやされる。声の力、子供の力というものを考えさせられました。吹奏楽というのは本当に単調なのだと、声が入るだけでこれだけ気分が変わるものだと。
 カルミナブラーナは90年のコンクールで金賞を獲得したときの抜粋版には及ばないかもしれませんが、99年の定期演奏会の演奏よりはずっと良かった。このときはザ・シンフォニー・ホールの1階の一番後の席で良い響きが全然届かなかった。演奏の善し悪しを云々できる状態ではなかったのでした。それに比べて今回の演奏はとにかく明確でした。この曲自体が単純で分かりやすい構成ですから、明確が何より。拍子やテンポがころころ変わる難しさはあるのですが、その変化も明確に表現できていました。特に感動したのはユーフォのソロ、合いの手が突然全奏で入る、そのタイミングとボリューム感が完璧。そして全体のサウンドも聞き惚れるばかりでした。冒頭のサウンド(最終曲にも出てくる)は一瞬コーラスの声が聞こえた、というほどの重厚さをたっぷり味わえました。

【シンフォニック・バリエーション ~ノン・ポソ・レポサーレ~(望郷の歌)】 作曲:H.メルテンス

2007-12-08 | 演奏会
 この大がかりな変奏曲の元になった「ノン・ポソ・レポサーレ(望郷の歌)」は、法律家でもあったイタリアの詩人,S.シニ(1873~1954)の詩に、バンド指揮者のG.ラケル(1858~1937)が作曲した大衆歌で、詩人の出身地でもあるサルデーニア島民の悲哀を歌ったもの地中海でシチリア島についで2番目に面積の広いサルデーニア島は、今でこそ高級リゾートとして知られているが、かつてはこれといった産業のない貧しい島だった。島民の多くは工業化の進んだ国へ渡り、低賃金の炭坑夫になったが、こうした出稼ぎ労働者たちの望郷の念を歌った「ノン・ポソ・レポサーレ」は、サルデーニアの人々の心に根強く伝わる感“サルデーニア症候群”を刺激し、1921年に発表されて以来、広く歌い継がれている。愛する生まれ故郷は最愛の女性にたとえられ、愛の歌は次第に苦悩の歌、希望の歌に変化する様が詩にはうたわれているが、この変奏曲もまた、たんなるフレーズの変奏にとどまらず、きわめて感情的な変遷をたどるように書かれている。大がかりな楽器編成を生かした、多様なオーケストレーションも聴きものであろう。
 作曲者のメルテンスは1960年生まれのオランダの作曲家。ユトレヒト大学とユトレヒト音楽院で学んだ後、作曲家兼指揮者として活躍している。わが国での知名度はまださほど高くないが、聖書や神話を題材とした「アルマゲドン」「アフロディテ」「ポセイドン」などの作品が知られている。

 各楽器群ごとに変奏を担当するので非常に分かりやすい構成で飽きることなく最後まで聞けた。でも、やっぱり21分はちょっとしんどい。コンクールで演奏されることは絶対ないし、演奏会で演奏されることもこの先ないかもしれない。一期一会のオリジナル曲がいかに多いことか。

【シンフォニック・ダンス】  作曲:福田洋介

2007-12-06 | 演奏会
1.ルネサンス・ダンス 2.タンゴ 3.ホウダウン 4.盆をどり唄 5.ベリー・ダンス
 福田洋介は1975年東京生まれの、まだ若い世代の作曲家。10代前半からコンピュータによる音楽制作に親しみ、独学で作曲を学びながら、演劇やイベントの音楽を中心に活動してきた。吹奏楽の分野で最初に注目された彼の作品は、2004年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲となった吹奏楽のための「風の舞」で、同曲は課題曲公募における最優秀賞(朝日作曲賞)を受賞した。以降、マスコミ関係の音楽制作に加え、吹奏楽界においても旺盛な作曲活動を展開している。
 「シンフォニック・ダンス」は航空自衛隊中部航空音楽隊の求めに応えて書かれ、同音楽隊によって2006年3月に初演された後、翌07年3月に開催された〈21世紀の吹奏楽「響宴」〉において木村吉宏指揮、フィルハーモニック・ウインズ大阪の演奏で再演された。全体は「世界の踊り」をテーマにした5つの楽章からなり、“踊り”に伴うアクティブな音勢とスピリチュアルな側面を表現しているが、「あくまでエンターテインメント性にこだわった」と作曲者自身は楽譜に記している。
 第1曲「ルネサンス・ダンス」は古いヨーロッパの響きへのオマージュで、クーラント、パヴァーヌ、ガイヤルド、ブランルなどの古典舞曲のステップが採り入れられている。第2曲の「タンゴ」は、情熱的で土臭いアルゼンチンタンゴの雰囲気を模した楽章。19世紀末にブエノスアイレス近郊に興ったタンゴは、20世紀になってヨーロッパにも広まり、より都会的に洗練されたコンチネンタル・タンゴに発展した。第3曲の「ホウダウン」は、アメリカ西部開拓時代に生まれたスクウェア・ダンスのひとつ。きわめて活発な踊りで、本来はカントリー・ウエスタン調の音楽で踊られるが、ここでは古いジャズ・スタイルで“ロデオの風景”が描かれている。祭りの喧噪とはかけ離れた第4曲「盆をどり唄」は、日本の“盆送り”の幻影である。念仏教の一種である「おわら節」の哀愁が心に沁み入る楽章。第5曲の「ベリー・ダンス」は、もともと中東及びその他のアラブ文化圏で発達したダンス・スタイルの総称だが、ここでは肌を露出してエネルギッシュに踊る、トルコ式ベリー・ダンスのイメージが強い。

 以上、パンフレットの解説そのままです。これだけの説明があると初めて聞く曲でもとまどいなく、十分理解しながら楽しむことができます。内容的にも難しくないし、吹奏楽の旨みのある楽法も味わえる。ただ21分というのは、組曲でも相当な長さではある。コンクールで演奏するには長すぎる(2曲だけ演奏する手もあるが)し、演奏会でもちょっと躊躇したい長さ。でも、本当は何度も何度も演奏されて、この曲の真の価値を時代に問うべきだと思う。本当に価値のある曲でも簡単に消滅させてしまうのがこの吹奏楽という非道な世界。

 

12月1日(土) 尼崎市吹奏楽団 特別演奏会

2007-12-02 | 演奏会
 アルカイックホール開館25周年記念 と副題がついています。

 吹奏楽のための序曲       F.メンデルスゾーン
 シンフォニック・ダンス      福田洋介
 三つのジャポニズム       真島俊夫
 シンフォニック・バリエーション  H.メルテンス

 アンコール  夢見る人     フォスター
         キングコットン   スーザ

 客席の入りは6~7割、1000人前後というところでしょうか。今年も全国大会に出場した伝統あるバンドにしてはちょっと寂しい感じです。吹奏楽が盛り上がっているのは吹奏楽界の中だけのこと。それもコンクールというさらに狭い世界の中だけのこと。コンクールというのは本当に身内のための発表会になってしまった。一般にはチケットを売ってくれないのだから広がりようがない。だからこういう演奏会が埋まらない。埋まるのは淀川工科高校だけといういびつな世界になってしまった。
 アンコールは久々に嬉しい選曲。夢見る人は大好きな曲で、吹奏楽の特性を生かした旨みのあるアレンジ。キングコットンは高校1年の時の体育祭のメインマーチだった。ぼくはそのとき吹奏楽部に入っていなかったけれど、以来スーザのマーチの中で最も好きな曲になってしまった。