WALKER’S 

歩く男の日日

久万公園

2011-06-30 | 日記

 朝の内は曇りベースで日差しが無くて昨日よりは歩きやすい。でも蒸し暑さはあまり変わらずたっぷり汗をかいて54kg台をしっかりキープ。10km歩いて、岩屋寺を出て10kmの地点、久万公園まで戻ってきた事になる。2年前、ここではひどい目にあった。何度歩いてもうまく歩けないところは必ず出てくる、だからもう一度歩きたくなる。


岩屋寺

2011-06-29 | 日記

 今日も快晴で真夏の日和、すっかり梅雨明けの気分。来週には梅雨前線が復活するようだけど。ふらふらよろよろと9.4km歩く。ちょうど45番札所岩屋寺に着いた事になる。


神田山緑さんのブログ

2011-06-29 | 日記

 山緑さんのブログを見ると、最初の宿は安楽寺宿坊に決め予約もすませたとある。ちょっと驚いた。飛行機は徳島空港に10時15分に着く。シャトルバスで徳島駅に着くのが10時53分。ここまではいい。でも、1番札所霊山寺の最寄り駅である板東行きの電車が出るのは12時16分、板東に着くのは12時44分。これではとても夕方の5時までに安楽寺に着けない。板東の一つ手前の駅、池谷まで行く列車なら11時05分発で池谷に11時27分に着く。池谷から板東まで歩いて30分くらいだから、これならぎりぎり5時までに着けるかもしれない。でもそこまで頭が回るかどうか、誰もが最初のお遍路ではそううまくいく事はない、ぼくとて同じだった。でも案外何とかなってしまうのもお遍路の魅力の一つ。ぼくなどはもうそんな魅力を味わえないから初めての人がうらやましくてならない。


大宝寺

2011-06-28 | 日記

 今朝の姫路の最低気温は24.4℃、昨日は今年初めての熱帯夜になったけれど、続かなかった。でも歩き始めた8時半にはもうすごい日差しで、いつものようなスピードはとても出せない。それでも何とか11km歩いて、44番札所大宝寺に到着したことになる。
 そして、歩数計の累計は2000kmを突破した。実際に四国で歩いた8000kmと合わせると10000kmを突破した事になる。でもこの1万という数字はたいしたことではないと思う。1日に3km歩く人であれば。10年経てばほとんどの人が1万km歩いている事になる。自分の中では4万km歩けばちょっとは自慢できるかなという感じではある。


久万郵便局

2011-06-27 | 日記

 今日も控えめに6.2km歩く。明石寺を出て67.5kmの地点、久万郵便局の前まで来たことになる。実際の道では次の札所大宝寺まではわずか1.2kmなのだけれど、歩数計の設定はあと11km歩かないと着かない事になっている。


夏は来ぬ

2011-06-27 | 日記

 おはようパーソナリイティ、8時台の今週のお天気ミュージックは「夏は来ぬ」。今年もこの曲が聴けてほっとする。童謡唱歌の中で最も好きな曲だけど、なくなっても仕方のない曲でもある。最近ある小学校の音楽教科書(教育出版、平成16年)に掲載されたけれど、それまでは四十年もの間義務教育の音楽教科書に載ることはなかった。さほどにこの詞は古いし難しいので現代の子供にはなじめない。作詞者は近代歌壇の重鎮で第1回の文化勲章受章者、佐佐木信綱、この人の孫である佐佐木幸綱(早稲田大教授)の弟子になったのが俵万智さん。三重県にある佐佐木信綱記念館の文庫には彼女の著作が所蔵されていた。
 作曲者は小山作之助。團伊玖磨氏は著作の中で次のように彼の才能を讃える。
 『先ず、この作曲者は、長い歌詞を歌にまとめることが上手だった事が判る。長い歌詞を上手に歌にまとめられれば、歌の作曲者としては先ず一級と言って良い。勘だけではない方法論がそこには必要となって来るからである。
 その方法として、この作曲者は、明治の唱歌としては珍しい早いテンポを設定し、音符を細かく分ける事を実行した。この「夏は来ぬ」の中間、”時鳥早もきなきて”の部分にもその傾向が見える。
 その上、皆に親しまれている五声音階に基調を置きながらも、単なるヨナ抜き節の凡俗さを嫌って、音階の第四音ファを巧みに旋律に入れていくのもこの人の特徴だったと言える。
 やたらにセンティメンタルでのろのろとした歌が多く、それを破る場合には軍隊調のマーチ・テンポのものしか無かった明治時代の唱歌の基本的音楽的内容に比べて、作曲家小山作之助の仕事は輝いている。』


下坂場峠

2011-06-26 | 日記

 今日はほんとに軽く6.3km歩く。明石寺を出て61.3kmの地点、下坂場峠まで来たことになる。この峠は内子町と久万高原町の境になっている。


落合トンネル

2011-06-25 | 日記

 今日の姫路の最低気温は24.9℃、またもぎりぎり熱帯夜を免れた。でも夜明けの室温は31℃もあって十分真夏並みだった。でもランニング1枚で寝たので寝苦しいという感じはほとんどなかった。最高気温はまた今年最高を更新して33.4℃、3日連続の真夏日。この暑さの中13kmほどふらふらになりながら歩く。今からお遍路に出かけようと言う人は本当に大変だぁ。歩いている時間より休んでいる時間の方が長くなるのではないか、自分が歩けないもんだから他人の心配をしたりするしかない。
 ということで、歩数計では明石寺を出て55kmの地点、落合トンネルを出たところまで来たことになる。1回目の時ここを右に折れる遍路標識が、ちょうど工事に来ていた車両に隠れて見えなくて、直進して砥部町の方へ行ってしまった。1kmほど進んで何か変だと気がついて引き返したときのショック。足が相当痛んでいたのに思い切り走って引き返せたのも驚きだった。失敗した思い出は忘れないねぇ。


大瀬小学校

2011-06-24 | 日記

 今日の姫路の最低気温は23.8℃、昨日より熱帯夜になった地点は多かったようだけど、姫路ではまたも免れる。ラジオでは昨夜の寝苦しさを訴える声が多かったけれど、ぼくの部屋では特に問題はなかった。室温は29℃だったけれど下着1枚でタオルケットも使わないと普通にぐっすり眠ることができた。クーラーをかけないと眠れないと言う人たちはいったいどんな格好で寝ているのだろう。暑けりゃ暑いなりの格好で寝れば大騒ぎするほどのことはないのにと常々思っている。
 最高気温は順調に32.1℃まで上がって完全に真夏の日和になっている。今日も午前中に軽く9.7km歩く。明石寺を出て42.1kmの地点、内子町の大瀬小学校の前まで来たことになる。この小学校は作家大江健三郎の母校。


講談師が歩く

2011-06-23 | 日記

 昨年の3月から4月にかけて講談師の旭堂南湖さんが四国を歩いた。ぼくがそのことを知ったのは宇多津町の善根宿うたんぐらのHPに彼の写真が載ったときだったので、リアルタイムでそのブログを読んだのは最後の数日だけだった。1年後の今、彼の兄弟子にあたる旭堂南北さんが同じように四国を歩いている。彼はツイッターはしているようだけれどブログは書いていない。そして、来週の木曜日から江戸の講談師、神田山緑さんが歩き始める。26日間の区切り打ちになるようだけれど、宇和島から大洲あたりまでいけるからほぼ通しに近い。彼は豆にブログを更新しているから今からものすごく楽しみ。ぼくのように歩数計の中でちまちま歩いている気分になっているものと比べると、何十倍もおもしろいことは疑いようがない。


内子駅

2011-06-23 | 日記

 今日の姫路の最低気温は23.6℃、何とか熱帯夜は免れたけれど、最高気温は32.0℃、今年初の真夏日を記録した。午前中にまとめて12.2km歩いたけれど、それでもものすごく暑くていつものように普通には歩けなかった。帰って体重を量ると54.4kg、今年最低をまた更新した。
 明石寺を出て32.4kmの地点、内子駅のすぐ横までやってきたことになる。


肱川橋

2011-06-22 | 日記

 午前中に9km歩く。明石寺を出て、20.2kmの地点、肱川橋までやってきたことになる。ここは大洲市の中心、橋から大洲城を望むこともできる。


鳥坂トンネル

2011-06-21 | 日記

 夜明け前に一降りあって、明けてからもごく弱い雨があったけれど、歩き始めるころには完全に上がって青空ものぞくようになった。湿度が高くこたえるほどの暑さの中11.2km歩く。ひどく汗をかいたので帰って体重を量ると54.9kg、55kgを下回るのは2年前通し遍路から帰った直後以来になる。帰った直後は53kg台で、54kg台だったのはほんの数日の間だったような気がする。
 明石寺を出て11.2kmの地点、西予市と大洲市の境にある鳥坂トンネルまで来たことになる。


明石寺(めいせきじ)

2011-06-20 | 日記

 朝からかなり強い雨が降っている。風もあるので歩きには最悪の条件だけど、午後からも雨マークが続いているので朝の内にまとめて歩く。さすがのゴアテックスでも6kmを過ぎると踵が少し濡れてきた。辛抱して12.5km歩く。ちょうど43番札所明石寺に到着したことになる。


仏木寺

2011-06-19 | 日記

 午前中だけで12km歩くのはちょっときついので、珍しく午後からも歩こうかと思ったけれど、予報は午後に雨マークがあったので、気を取り直して午前中にノルマをこなす。12.5kmでちょうど42番札所仏木寺に到着したことになる。ここはまだ宇和島市だけれど、合併前は三間町だった。