毎日放送ラジオ、「朝からてんコモリ」の前は「モーニングミックス」を半分眠りながら聞いています。癖のあるディスクジョッキーと選曲で、眠りながら聞き入ってしまうこともしばしばです。土曜日のジョッキーは元毎日放送のアナウンサーで定年後の今もこの番組のプロデューサーをしているマー坊こと伊東正治さん。そして、今日のゲストはなつかしや、18年前まで毎日放送でアナウンサーをしていた三上智恵さんが登場しました。彼女はある番組が打ち切りになったのをきっかけに、琉球朝日放送に移り、現在までアナウンサー、キャスター、ディレクターとして活躍しています。10年くらい前沖縄の海底遺跡のリポートでニュースステーションに出演していたのを見たのですが、声を聞くのはそのとき以来だったかもしれません。
予定通り、歩いて旅券事務所まで往復、滞りなくICチップ入りパスポートを受け取り、ついでにスリーデーマーチの参加費も振り込んできました。イオンにも寄って買い物を済ませ13.5kmを歩きました。前回手続きしたときに比べて大分楽になりました。外気は30℃前後だったと思いますが、これくらいになると汗の量も少なくて疲れもほとんどありません。
参加費は振り込んだもの宿の予約ができていないのでまだ歩けるかどうか分かりません。40km歩く人は少数派になると思うのですが、ジョガーやランナーが参加することも考えられるので油断はできません。
今朝の夜明けの室温は27℃まで下がって、久々のタオルケットの登場となりました。夜中に水を飲むこともなくぐっすり眠れました。まだまだ続くと覚悟していただけになんだか拍子抜けです。コンクールも無事終了し、当然のごとく淀川工科高校は代表権を獲得しました。淀工は後半の部で聞けなかったのですが、大阪府大会での演奏を思い出しながら、ほかのチームと比べつつ楽しんでいたのですが、やはり淀工ほど突き抜けたバンドはなかったと言うしかありません。何が違うのか、はっきりしたことは分からないのですが、完璧だと思える演奏がほとんどなのに淀工と比べると何かが足りないような気がしてしまうのです。特に兵庫県の3校はうまいんだけど普通のうまさに感じてしまう、銀賞が当然だと思えてしまう。
コンクールも終わり、高校野球も終わり、やっと今日残暑見舞いを出すことができて、この夏の用事も終わりです。今年は高校野球開催中に3日もコンクールに出かけてしまったのでかなりハードでした。ウォーキングを休んだり短くしたりして調節するしかありませんでした(終わったと言いながら、済美=三重、のゲームだけは見終えていませんが)。明日、旅券事務所に行って最後のゲームのスコアを付ければ、本当にこの夏も終わりです。
家は新聞を定期購読していないので、今日ばかりはコンビニにスポーツ新聞を買いにいきました。プロ野球はここ数年全く興味をなくしてしまったのですが、彼だけは無視できません。
日刊スポーツを買うと、その中にしまなみ海道スリーデーマーチのお知らせがありました。前々からしまなみ海道は自転車ではなく歩いて渡りたいと思っていたので、またとないチャンスです(毎年行われているようですが)。早速ウェブサイトを開いて申込用紙を送ってもらう手続きをしました。10月は行事がほとんどないのでちょうどいいアトラクションになります。
毎日放送の森本アナウンサーの話を聞く前にも、校歌に関心を持つきっかけがありました。それは題名のない音楽会の校歌特集でした。今年の2月に放送された校歌特集では井上ひさし作詞、宇野誠一郎作曲の釜石小学校の校歌が紹介され、多くの視聴者の共感と感動が寄せられたようですが、ぼくが見たのはもっと昔の放送です。あまりに昔すぎていつのことだったか全く思い出せないくらいです。2回あって、2回目は録画して、山田耕筰が作った東京高等師範学校の校歌や武満徹が作った専門学校の校歌は音を拾って楽譜に起こしたりしたのですが、1回目がいつ頃放送されたか全く分かりません。2回目は20年くらい前だったはずですが、1回目がその5年前だったか10年前だったか、さらに前のことだったか、全く何のよりどころもありません。でも、その中で放送された東京のとある小学校の校歌は未だに忘れられずにいます。谷川俊太郎さんが作詞したその歌は「教室は宇宙船、どこへだってゆける」という言葉で始まる。ほかのことは全て忘れてしまったけれどこのフレーズだけはなぜか未だに忘れられません。
インターネットは恐ろしいですね。「教室は宇宙船・谷川俊太郎」で検索をかけると全部出てきました。いつ放送されたかは分からなかったけれど、それ以外のことは全て詳しく調べている人のブログを見つけることができました。
田無市立西原小学校校歌
教室は宇宙船
どこへだってゆける
けやきのこずえにつづくあおぞら
大きなゆめをもとう
西原のぼくとわたし
教室は魔法の部屋
だれとだってあえる
昨日と明日にひびく歌声
ゆたかな心をもとう
西原のぼくとわたし
教室は小さな国
なんだってできる
ひとりひとりが力合わせて
正しい世界めざす
西原のぼくとわたし
素晴らしいでしょう、でも西原のぼくとわたしはもういません。10年前からいません。田無市は保谷市と合併して西東京市になって西原小学校は西東京市立けやき小学校になってしまいました。同時にけやき小学校校歌が作られ西原のぼくとわたしはいなくなってしまいました。市町村合併では多くの場合◇△市立という冠が変わって学校名はそのままという場合が多いのですが西原小学校は合併と同時に西原第二小学校との統合が行われ名前も変わってしまいました。どちらかの校歌をそのまま使うとなれば廃止された方からクレームが出ると考えるのは公務員として当然のことでしょう。誰からも文句のでないようにするには新しい校歌を作るのが一番、ぼくが職員でもそう考えたでしょう。でも、一つの素晴らしい校歌、芸術作品がむざむざ消滅してしまうのは本当に残念で悲しいことです。
大阪では15日連続猛暑日で、これは戦後最高だということです。姫路では12日連続ですがここまで続くとは正直思ってもいませんでした。ここ数日は空気がとてもきれいで窓を開けられるので、室温は36℃まで上がるもののさほど不快ではありません。夜明けの室温も32℃くらいあるけれど寝苦しいと感じることはあまりありません。クーラーを点けたり消したりして寝苦しい思いをするのなら、全く点けないで寝苦しさに慣れていく方が余程健康的でかつエコというものです。もちろん熱中症に懸念がある人はクーラーに頼るしかないとは思うのですが。
それにしても、1965年までのクーラーが家庭にほとんど普及していなかったこの国の人たちはどのように夏を過ごしていたのかと思います。その頃は熱中症という言葉はなかったし、日射病や熱射病で救急車が出動したというニュースもほとんど聞いた覚えがありません。ちなみに、家庭用の電力使用量は1965年と比べると2010年は11倍以上になっているそうです。
最後の滋賀大学の演奏は聞かず家路についたところです。舞台セッティングの段取りが悪く15分も押して滋賀大学の演奏は諦めるしかありませんでした。
橘と関学の勝負はぼくの感じでは関学の勝ち、自由曲ではいい勝負でしたが、橘の課題曲はすこし気になるところがありました。
近大は今年も難し過ぎてよく解りませんでした。観客の反応もいまいちで関学の拍手の方が大きかったくらいです。
関大はやはりクラリネット4本では2曲全てに満足なバランスを保つことはかなり無理があったというしかありません。かなり受けてはいたけど荒らさの目立つ演奏ではありました。
ぼくが一番気に入っている校歌は柳川高校のものです。理由は一番校歌らしくないからです。校歌としての最低限の条件をすら備えていない唯一の校歌といってもいいかもしれません。99%の校歌が持っている校歌の条件は、3拍子ではないとか短調ではないということではありません。そういう校歌は割合としては1%以下ということはないと思うし、そういう校歌があってもよい。条件として必須ということにはならないでしょう。一番の必須条件は一本調子であること、つまりテンポが変わらないこと、フェルマータやブレイクが入らないこと。大人数で歌うことがほとんどであるし練習することもあまりないはずだから、テンポが変わると合わせにくくてしょうがない。
柳川高校の校歌は楽譜を見ていないのではっきりしたことは言えませんが、聞いている範囲ではテンポが変わるし、フェルマータがあるしブレイクもある、おまけにレシタティーボのようなフレーズもあって、なんでもありの様相を呈しています。合わせにくいことこの上ない。作曲した高木東六さんはあえて校歌を作ろうとしなかったのかもしれません。最低限の縛りすら無視して音楽を作ろうとした、音楽というのは自由であってこそ意味がある、ということを主張したかったのではないかと、勝手に想像しています。
ぼくが高校野球の校歌の録音、録画を始めたのは、92年の春の大会からです。毎日放送の森本アナウンサーの特技が、甲子園に来た高校の校歌をほとんどそらで歌えることだ、と聞いたのがきっかけです。ぼくは音感が悪いので、聞いただけで覚えることなど絶対できないから、録画して音を楽譜に起こすしかなかった。でも耳が悪いから楽譜にするのも一苦労で、録画は360曲以上あるのに楽譜にできているのはその3分の1もありません。
360曲の中で一番気に入っているのは、済美高校でもなく,PL学園でもなく明徳義塾でもありません。
猛暑日
今日の姫路の最高気温は35.3℃、6日連続の猛暑日となりました。おまけにPM2.5の数値が40以上になって窓を閉め切っているので2階の室温は37.5℃まで上がっています。団扇とハンドタオルが手放せません。