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歩く男の日日

2010年 日帰り遍路 索引

2010-11-20 | 10年日帰り遍路

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10月16日

2010-10-16 | 10年日帰り遍路


 7:53
1ヶ月前と同じ、8時丁度発の岡山行きに乗り込んだ。みのまでの料金は2710円、考えた末この切符を買ったけど、おつりに十円玉が5枚出てきたので結果的にうまくなかった。


 8:28
列車がもうすぐ有年駅に着こうとするころ、突然停車した。すぐ車内放送で、この先の踏切で非常ボタンが押されたので安全を確認しています、と説明があった。まずい。岡山駅でのマリンライナーの乗り換えは4分しかない。4分止まればアウトだ。マリンライナーは1時間に1本だったか、2本だったか。2本だったとしても四国に渡ってからの観音寺行きの普通は1時間に1本しかなかったはずだ。歩ける時間は1時間短くなる。すなわち、捨身ヶ嶽禅定に登ることは絶対できない。


 9:38
有年駅の手前の踏切では多くの保線員の方がおおわらわの様子だったけれど、車は見えなかった。おそらくいたずらで非常ベルが押されただけなのだろう。有年駅を出たのは8分遅れだった。そのまま岡山駅に着いたのも8分遅れ、7,8番ホームにマリンライナーは見えなかった。次のマリンライナーは22分後に出るので少しほっとしたけれど、結局は四国で30分以上待つことになるのだろう。


 9:45
向こうの9番10番ホームで5人の桃太郎が大声を張り上げながら踊り狂っている。一種異様な光景。背後の横断幕に「秋の遊歴観光号 出発式」とあった。


 9:48
おなじみ「瀬戸の花嫁」が流れて、マリンライナー19号が入ってきた。


 9:49
マリンライナーに乗り込んで右手を見ると、くだんの遊歴観光号がホームに入っていた。ぼくの座席からは先頭に取り付けられたパネルはよく見えない。ぼくのような鉄道素人からすればちょっと古い型の気動車にすぎない、という感じだけど・・・


 9:50
撮り鉄の人たちが大挙押し寄せていた。ネットには「このキハ28・58は全国でも珍しい国鉄時代の面影を残した朱とクリーム色の車体で・・・」とあり、マニアには価値のある列車のようだ。中には脚立を用意している人までいて、出発する54分までこの人だかりが絶えることはなかった。

 10:42
10時35分に坂出駅に到着。反対側ホームに移って讃岐富士を眺めていたら、駅前広場の横断歩道をお祭りの山車が行き過ぎていくところだった。そういえば、北側の駅前からも絶えず太鼓の音が聞こえている。ぼくの地元では昨日が灘のけんか祭りだった。


 10:45
 快速サンポート琴平行きがやってきた。多度津で乗り換えになる。多度津でどれだけ待たされるのかまだ分からない。


 11:01
 11時に多度津駅に到着、予想に反して観音寺行きが出るまで45分の待ち時間。本当ならこの時間みの駅から歩き始めたころだ。


 11:03
 やはり予讃線の普通(快速)は1時間に1本、先月は一つ上の10時38分発に乗っていた。


 11:30
 ベンチに腰掛けて昼食を摂っていたら、アンパンマントロッコ号がやってきた。暇なのでカメラを向ける。


 11:31
瀬戸大橋アンパンマントロッコ号は岡山から高松と琴平へそれぞれ1日1往復、土曜、日曜に全車指定席で運転される。人気の列車だとネットには書かれているけれど、この先頭車両には一組の乗客しかいなかった。


 11:44
 快速サンポート南風リレー号観音寺行きがやってきた。不思議と待ちくたびれたという感じは全くなく、のんびり、ゆったり過ごし、かつ変更を余儀なくされた今日のルートをきっちり固めることができていた。


 11:58
 当初の予定より63分遅れで無事みの駅に到着した。歩く距離は予定より4km短くなって、11kmくらいになる。でもとにかく歩けるだけで嬉しいしありがたい。


 12:03
 昨年の遍路日記で、要潤さんのふるさと三野には山と田圃と弥谷寺しかない、と書いたけれど、それは間違い。広大なダイワハウスの工場と配送センターがあった。


 12:04
 でも、目を転じれば大方こういう風景が広がっている。


 12:05
右側のピークが弥谷山、その下の白い建物がふれあいパークみの。弥谷寺はその真ん中くらいの高さになるだろうか。


 12:09
9分で遍路道に到着、先月この交差点へ右側から来て左折してこちらへ来た。遍路道は右折なのでこのまま直進すればよい。


 12:10
交差点にある本日最初の遍路シール、この写真を撮ろうとしたら、この横にあるお店の奥さんが、ぼくが迷っていると思って「遍路道はあちらですよ」と教えてくれた。ここを右に折れると急に道幅が細くなっているのでちょっとした迷いどころになっている。地元の人はそれが分かっているから、こうして優しく声を掛けてくれる。


 12:10
右に折れたところにもすぐ遍路シールがある。


 12:12
古いタイプの遍路標識の文字が読めなくなっているのは毎度のことながら、寂しい感じがする。


 12:15
このあたりからごく緩やかな登りになってくる。目指す山はあんなに遠いけれど、裾野がこんなところまで延びているようだ。


 12:15
正面にふれあいパークみの、だいぶ大きくなってきた。弥谷寺に向かってまっすぐ続くこの道は本当にへんろ道らしい道。


 12:19
交差点に古い道標、本山寺、弥谷寺だけでなく72番曼茶羅寺にも指が指している。ここから曼茶羅寺に向かうおへんろはいないと思うけど。


 12:20
立派な71番の石柱がある。これが門柱であるとすればすでにここからが寺域ということなのだろうか。たしかに山の裾野であることは実感するけれど。


 12:20
県道48号を横切る。これは新しくできたバイパスで先ほどの道標があったところが前の48号だったと思われる。


 12:21
県道の右側はこんな感じ、斜めの稜線から我拝師山がのぞいている。


 12:22
県道を横切ると坂はかなり急になってくる。


 12:23
ふれあいパークみのまで続く自動車道に合流する。


 12:23
振り返ると三野の田園風景が広がる。すでに結構高いところまで登っている。


 12:25
自動車道を120m行くと、脇道に入る。


 12:25
脇道は緑のトンネル、こういう道がふれあいパークまで続く。この道が71番までで一番きつい登りになる。


 12:29
自動車道が見えた、そこを左に折れて50mくらいで合流する。例年本山寺からここまで11kmを休みなしで歩く。2時間弱の一番最後にこの急坂があるので、いつもすごく長くきつく感じる。でも今日は2kmしか歩いていないのでいつもより短く感じたし、さほどきついとも思わなかった。汗はたっぷりかいたけどね。


 12:30
自動車道に合流した。この左はすぐふれあいパークの駐車場になっている。道を横切って右が弥谷寺の駐車場。


 12:31
山門は200mくらい先にあるけれど、それはほんの序の口。ぼくは山門でタイムをとるのでそれ以降はあまり苦にならないけれど、初めて来るほとんどの人が、まだかまだかという感じであえぎながら登っていく。


 12:32
最初の石段、ここからが本当の山登りだ。


登り切ったところを左折すると71番、右折すると72番73番に至る。おもしろいのは道標の72番までの距離が3.1kmなのに標識の方は3.8kmになっている。ちなみにへんろ地図では3.5kmになっている。正解は未だに分からないけれど、ぼくは一応へんろ地図を信用している。


 12:33
左折してすぐ20段ほどの石段がある。登り切ったところが俳句茶屋の前。

俳句茶屋の前でご主人が店の準備に余念がない。こんにちは、と声を掛けたら、こんにちは、ご苦労様です。と返してくれた。店の前からすぐ50段ほどの石段、登り切るとやっと山門だ。


 12:34
50段を登りきると、すぐ前に71番弥谷寺の山門がある。みの駅から3.1kmを34分で来た。後半はずっと登りだったし写真もいっぱい撮ったから、かなりいいスピードだといえる。この調子で30分後にここまで戻ってこられるか。

山門をくぐると緩やかな石段が続く。2段登って2mほど平らな部分の繰り返し。


 12:37
緩やかな石段を100mほど登って突き当たりを左に折れると大きな観音様の姿が見える。

観音様の左に水屋と有料駐車場がある。車へんろの人もここからは我々と同じ山登りをしなければならない。


 12:38
観音様の前からまたすぐ石段が始まる。

突き当たって左にこの先の見えない階段、教育テレビの「初めてのお遍路」のタイトルバックにも使われた。上から下りてくる車へんろの男性に「歩きですか?」と訊かれたので「はい」と答えると「たいへんやねえ」と慨嘆される。区切り打ちで、しかも日帰り、しかも今日は11kmしか歩かないから、そんなに感心されると少し面映ゆい。でもすれ違いざまだから詳しく説明するわけにもいかない。


 12:40
70段はゆうにある長い階段を登りきると、目の前は大師堂。この階段は本堂にお参りしてから登る。本堂はこの前を右に折れるけれど、よく分からなくて、そのまま大師堂に入ってしまう人もいる。

本堂は右の矢印があるけれど、この前でちょっと迷う人が多い。地図を見ても本堂までの道のりはまだまだ長い。


 12:41
お大師さんの前の広場を横切っていく。

広場を突き当たると左にまた先の見えない石段が続く。


 12:42
半分くらい登ってようやく行き着く先を確認。

登り切るとすぐ左に折れる。右に折れると天霧城跡に至る。その少し手前で左に折れて山を下ると海岸寺に至る。ぼくが歩き残している数少ない遍路道の一つ。でもここから海岸寺に行くと逆打ちになる。別格17番神野寺を打つ前に18番海岸寺に行くことになるから、厳密にいえば遍路道ではないのかもしれないけれど、一応地図には赤点線が付いているので押さえておきたいとは思っている。


 12:43
左に折れると今度は30段くらいの石段がある。

登り切るとちょっとした広場があって、左の方に石段の登り口が見える。右の方には下ってくる石段もある。ここからは往きと帰りのルートが別になっているのだ。油断してちょっとピンぼけになってしまった。


 12:44
20段、大詰めも近い。

踊り場を経てまた20段ちょっと。

登り切ったところから右を見るとようやく本堂を拝むことができる。残り10段、山門から10分でたどり着いた。石段の総数は540段といわれている。あの有名なこんぴらさんの石段が785段、10番切幡寺の石段が333段。でも要所に平らな部分があるので、切幡寺よりも大分楽な感じで登ることができた。


 13:01
本堂でお参りを済ませ、帰りの石段を下り、大師堂へ戻る。大師堂は靴を脱いで入る。靴を脱いでお参りするのはここ以外では61番香園寺と別格13番仙龍寺の二つだけ。休憩なしで山門まで戻ってきた。昨年より2分短い27分だった。写真を撮らなければもう2分ほど短かったかもしれない。


 13:02
俳句茶屋の中をのぞくと小さいながら液晶テレビが置いてあった。地デジ化は完了しているようだ。


 13:03
屏風浦海岸寺、右27丁。俳句茶屋の傍らに初めて見る道標があった。7回も来ていて全く気が付かなかった。海岸寺へはふれあいパークの前の道から行くものだとばかり思っていた。


 13:04
最初の石段を登ったところの分岐点、ここから曼茶羅寺への遍路道が始まる。

2m下の道は幅があるけど、足元の遍路道は50cmもなくて心許ない。三原村から宿毛へ下りていく真念遍路道がこういう感じだった。


 13:05
一本道で迷いようのない遍路道だけれど、こういう分かりやすい標識があるとそれはそれで落ち着いて自信を持って歩く手助けにはなる。距離は相変わらずあやふやな感じではあるけれど。


 13:07
ここまではほぼ平坦な山道だったけれど、ここから登りになる。

1分も登らずして竹藪に囲まれたピークに至る。ここから先は下るばかり。


 13:08
竹藪の中の緩やかな下り道。最初来たころはこのあたりから下りに任せて半ば駆け足のように思い切りとばしたものだったけれど、今はとてもそんなことはできない。平坦な道でもまだ普通にジョギングはできない状態だ。


 13:09
当たり前のことじゃないか、と思われるでしょう。でもぼくには、とても意味のある言葉だと、大きくうなずきたくなる。7回通しで歩いても、遍路道の隅から隅まで熟知していても、家に戻っていれば遍路ではない。家の周りをいくら歩いても遍路ではない。遍路になるには四国に戻ってくる以外にない。


 13:10
竹林を抜けて雑木林の中の下り道。


 13:12
まだまだ急な下り坂、足元がでこぼこで慎重にならざるを得ない。膝にかなり負担を感じ始める。


 13:14
また竹林になった。坂は幾分緩やかになる。そろそろ下界かもしれない。


 13:15
ようやく平坦なところに下りてきた。左に農地が見える。前は草ぼうぼうで道だと判別できないくらいになっていてちょっと歩きにくい。


 13:16
今度はため池、前は相変わらず道の上にまで草が生い茂っている。


 13:17
ようやく舗装道に出てきた。ここまでの山道は今までで一番長く感じた。


 13:18
かなり急な下り坂、さっきの山道ほどではないけれど膝の負担を感じる。


 13:19
左手に天霧山が見えたっ!讃岐の山は本当におもしろい形の山が多い。

高松自動車道の下をくぐる。


 13:20
トンネルの入り口にはちゃんと遍路標識がある。

トンネルを抜けてすぐ左折、高松道沿いの道を行く。


 13:22
この向こう側にももう一つため池があって、その間の道を行く。見えている山は筆ノ山。


 13:23
右手を眺めれば我拝師山の中腹に捨身ヶ嶽禅定の建物がはっきり見える。


 13:24
ため池の東側の道、最初はちょっとした林の中を行く。


 13:25
弥谷寺から1.6kmを23分もかかっている。登りがほとんどない道でこれだけゆっくり歩くことは滅多にない。今回は速く歩くことが目的ではないから、全く問題にはしていない。


 13:28
明治30年の古い道標、100年前のおへんろも確かにこの道を歩いていた証。


 13:29
国道11号に合流する。


 13:30
ぼくが最初に来た03年までコンビニ(Yショップ)だった。翌年からずっと閉まったまま。04年はここで夕食を調達するつもりでいたのでかなり焦った。


 13:31
国道を離れる脇道がある。わずか150mほど、こちらを行くと番外霊場七佛寺の前を通る。ぼくは5年ほど前に一度歩いて、以後はずっとそのまま国道を歩いている。


 13:33
脇道が合流してくるポイント、この交差点を右折して国道を離れる。

右折して県道48号に入る。この道をまっすぐ行って突き当たった所にあるのが仙遊寺、お大師さんが子供のころ遊び場にしていたといわれる。


 13:34
交差点のちょっと上がったところに休憩所がある。この札所間の距離は短いのでぼくは一度も休んだことはない。


 13:36
県道を150mほど行くと右に折れる。

右折ポイントにありったけの遍路シールが貼ってある。

この道は自動車道を少しだけ短絡する点線の道。


 13:37
自動車道に出たところにたばこ屋さんがある。04年、先のコンビニがつぶれていて買えなかった夕食をこの店でやっと調達することができた、パンや袋菓子も売っていた。


 13:39
我拝師山に向かって歩く。嬉しい。


 13:40
手前にため池、ここは讃岐の国。


 13:41
道標、標識、シールのそろい踏み。後ろにはかなり古そうな道標もある。


 13:43
いよいよ我拝師山が近く大きい。写真サイズでは3つ前のものとあまり変わらないけれど、実際には一まわりも二まわりも大きくなっている。その懐に飛び込んでいくような、お大師さんに包み込まれているような心地さえして、うきうきしてくる。過去この道は7回歩いているけれど、こんなに楽しく嬉しい心持ちで歩いたことがあったろうかと思う。2年前までのぼくなら、このような日帰りで歩くことなどとても容認できなかった。普通の区切り打ちでさえ何となく物足りないものだと思っていた。でもこうして実際に歩いてみて、通しで歩いている時以上の充実した気持ちを味わえている。間違ってはいなかったとここにきて確信できている。


 13:44
右へ行くと73番、左へ行くと72番。73番に先に行くと100mくらい短くなるので、納経帳を持っていた昨年以外いつも右折した。でも今回は73番には行かないので順番通りの道を行く。


 13:45
昨年は白衣を着けていたし納経帳も持っていたのでよほど入ろうかと悩んだけれど、こちらからお接待お願いしますとはどうしても言えなかった。これだけはっきり書かれていてもこちらか言えるようなことではなかった。今回は日帰りなので全くそういう気持ちは起こらない。


 13:46
曼茶羅寺の隣にある門先屋旅館、ぼくは6年前2巡目の時お世話になった。いい宿だけれど、翌年からは観音寺に泊まるようになったのでここは正午前に行き過ぎてしまうことになった。


 13:46
72番曼荼羅寺に到着。弥谷寺から3.3kmを44分かかった。時速4.5km、ベストタイムは6km以上出ていたから本当にゆっくりじっくりの歩きだった。この間写真を50枚近く撮ったから、それがなければベストより2~3分遅いだけだったと思われる。


 14:01
これは山門の柱、74番は左の矢印。つまり72番より先に73番へお参りした人のためのもの。

今回は出釈迦寺に行かないので、矢印に従って左折する道を行く。ここから74番に行く道はもう一つある。その道は昨年、一昨年と歩いたので久しぶりにこちらの道を行くことにした。前を二人連れの歩きへんろさんが行く。今日初めて出会う歩きの人だ。ここまで一人も歩きの人に会わなかった。秋遍路の通しの人が讃岐に来るのは11月になってからがピークになるから普通なのかもしれない。


 14:03
前の歩きの人に追いついた。男性はリュックを背負っているけれど女性は荷物を持っていない。二人とも白衣を着けていない。へんろではないのかもしれない。区切りだとしても週末を利用しての2泊か1泊の短期の旅のようだ。


 14:05
刈り入れの終わった田圃が広がるのどかな道。

県道に当たるずいぶん手前に右折の矢印。ちょっと珍しい。


 14:06
県道48号には歩道がない。この道が嫌でもう一つの道を行くことが多くなった。


 14:09
善通寺吉原郵便局の前にやってきた。ここが次回の重要なポイントになる。次回は今回登れなかった捨身ヶ嶽禅定に登るので、海岸寺の駅から最短距離で一番に目指すことになる。駅から南下して遍路道に合流するのがこの交差点で、この郵便局が目印になる。


 14:13
ここから県道を離れる。74番、75番は今回はスルーするので、県道を行く方が近道になるけれど、甲山寺への遍路道は大好きなのであえて遠回りすることにした。


 14:14
もう一つの道は右の方から来てここで合流する。道標はその人たちのためのもの。


 14:23
曼茶羅寺から2.1kmを21分で甲山寺の前までやってきた。ほぼ例年と同じペース。やはり写真を撮らなければいつもと変わらない速さが出ているようだ。お参りは次回にするのでタイトルに札所の名前は書かない。


 14:24
山門を出たところにある橋を渡る。善通寺まで1.5km、善通寺から善通寺駅まで1.3km、本日の旅もあと3km足らず。


 14:31
この標識は毎年見ていて、気になりながらも行き過ぎるしかなかった。何しろこの区間というのはもっとも忙しい区間。観音寺から坂出まで42kmの道のりで11の札所を回らねばならなかった。どんなに朝早く出ても宿に着くのは16時を過ぎた。今回は時間の余裕があるので初めて寄り道をする。


 14:32
遍路道から50mほど入ったところにひっそりとそのお寺はあった。本堂が全くそれらしい雰囲気がなくて少々がっかりだった。


 14:43
善通寺の境内を抜けて赤門を出るとこのお遍路さんのお宿がある。それにしても善通寺はびっくりするくらい閑散としていた。20人くらいしかいなかった。例年とは季節が違うし、時間も大分違うから特に不思議とも言えないのだろうけれど、いつもは優に数百人の参拝客でにぎわっていたから、ちょっと異様な感じを受けた。お参りは次回にするのであえて写真も撮らなかった。


 14:57
旅の終点、善通寺駅に到着した。善通寺からは時速6kmくらいで歩けてはいたけれど、かなり疲れた。前回とは違って足の痛みやその兆候は全くなかったけれど、体がちょっとだるく、動きが鈍い感じがしていた。たった11kmなのにどうしたことだろうと思う。1年前の自分は全くの別人だと思うほかない。1日に40km歩くことなど絶対に不可能だ。30kmでもかなり困難。練習してのばしていくことはできるけれど、今のところ練習が十分できない状態だし、それだけ歩く機会も持てないので、無理して練習する気にもなれない。
 駅を出たところにいる二人の女性は外人さんで、ぼくが近づくと「ゼンツウジ・・・、ゼンツウジ・・・」とぼくに訊いてきた。善通寺に行きたいことは分かったけれど、とっさにそれらしい英語が出てこなくて身振りで方角を示すのがやっとだった。でも納得してにっこりしてくれた。しばらくして振り返ると横断歩道を渡ったところにある地図で確認しているようだった。
 改札を抜けると、下りの琴平行きが遅れているようで、さかんに構内放送が繰り返されている。ぼくが乗る上りの列車は時間通りに来たので気にもとめなかったけれど、そのあとが大変だった。金倉寺駅で停車、これはさほど長くはなかったけれど、多度津駅では延々と待たされた。坂出駅の二つ向こうの加茂川駅で事故があったようだ。坂出での乗り換え時間は11分、すでにその時間は超過しようとしている。でもマリンライナーも遅れていたので、8分遅れのマリンライナーに乗ることはできた。岡山での乗り換え時間は12分、何とか間に合うだろうと思ったら岡山の手前で失速、結局12分遅れで到着した。車内放送で、姫路行きは待ってくれているというので急いで隣のホームへ移動、姫路行きは3分遅れで出発。最後の最後までばたばただった。


9月18日 ②

2010-10-01 | 10年日帰り遍路

 14:20
二またに分かれた道の真ん中に新旧二つの道標、右へ行くと50mで国道に合流。古い道標に屏風浦69丁、とあるのは、別格18番海岸寺のこと。納経帳には屏風浦海岸寺と記帳してくれる。海岸寺のホームページを開くと、その名の意味がよく分かる写真が見られる。


 14:21
左側の道を行く。国道を来た人はこの200mくらい先で合流する。


 14:24
まっすぐな道がえんえんと続く。弥谷寺に向かってまっすぐ続いていればこれぞ遍路道(遍路のために造られた道)という感じもするけれど、残念ながら方向は少しずれていて、見えている少し先でくの字に折れる。


 14:30
読みにくいけれど、本山寺から7.9kmとある。二つ前の道標から1kmを15分で来たことになる。時速4kmしか出ていない。明らかにどちらかが間違っている。帰ってから正確に計測してみると、前の道標の6.9kmが6.85kmで、この7.9kmは8.3kmが正しいところ。この間の時速は5.8kmということになる。


 14:35
この交差点を左折したほうが本日のゴール、みの駅には近道になるけれど、次回の距離をできるだけ短くしたいので、次の交差点まで直進する。


 14:39
この交差点を右に行くのがへんろ道だけど、ぼくの遍路はここまで。反対の左に折れてみの駅に向かう。もちろんここから駅までは初めての道になるけれど、へんろ道ではないからさほどの期待感はない。


 14:49
何とか時間内にみの駅に到着した。予定では30分以上の余裕を持って楽々ここまで来られるはずだったけれど、とんでもないことだった。最後の3kmくらいから足が普通ではなくなっていた。もう5km歩けば本当に関節や筋肉を痛めてしまうのではないかと感じたくらいだった。全く練習していないからそれも無理のないところ、例年夏場はほとんど練習しないし、この時季に旅することもなかった。15kmだから何とか行けるのではと思ったけれど、考えは甘かった。時速はだいたい6km弱というところだったけれど、これは納得のいく数字。信号待ちのロスタイムはとっていないし、写真は昨年の5倍以上撮ったからそのロスもある。


9月18日 ①

2010-09-18 | 10年日帰り遍路

 気候もよくなったので、また日帰りで四国を歩くことにする。今朝の室温は3ヶ月前,神山から徳島まで歩いたときとほぼ同じ。今日は快晴の予報だから日中の気温はもっと上がりそうだけれど、歩く距離は15kmだけなので、高野山を登ったときのようなひどいことにはならないはずだ。


 8:39
 8時ちょうどに姫路駅を出た岡山行きが上郡を出たところで車掌さんが巡回に来てくれた。自販機では2000円くらいまでしか買えないので、どうしても乗り越し精算が必要になる。目的地観音寺までは3140円。


 10:10
 マリンライナーが定刻に坂出駅に到着、階段を下り、反対側の上りホームに向かう。


 10:21
観音寺行きがホームに入ってくる。坂出から西の予讃線に乗るのは初めてではない。7年前に一度往復したことがある。でも車窓の風景は何一つ記憶はない。


 10:39
多度津駅を出るといよいよ我拝師山が近い。7年前はその名すら知らず、全く気にもとめなかったことだろう。来月はあの中腹にある捨身ヶ嶽禅定(73番出釈迦寺奥の院)に初めて登る。88カ所を7回巡っても我拝師山に登っていなければ本当に四国を巡ったことにはならないとずっと思っていた。


 10:45
海岸寺駅を出るとすぐ左手に大塔(二重塔)が見える。7年前は、別格18番海岸寺はもちろん別格20カ所があることすら知らなかった。大塔は線路の左側(山側)にある奥の院の中にある。海岸寺は線路を挟んで海側にある。大師堂は奥の院の中にあるのでお参りに来たお遍路はもれなく奥の院の方にも行くことになる。2年前納経をしてもらったユニークな住職のことは当分忘れられそうにない。


 10:47
海に浮かぶ津嶋神社を何とかとらえることができた。津島橋を渡ることができるのは夏期大祭8月4日5日の前後数日だけ。初代てくてくウォーカー岩崎恭子さんもその入り口から眺めるしかなかった。臨時駅津島ノ宮も8月4日5日の二日間しか電車は停まらない。


 11:17
列車が観音寺駅のホームに入ったのは11時14分、改札を出て待合所で白衣と手甲をつける。駅前に出てくるのに3分かかった。


 11:18
駅前の交差点を過ぎると、すぐ橋を渡る。橋の上にはおなじみ寛永通寶。


 11:19
橋を渡って左に折れると、4年前お世話になった一富士旅館。玄関の脇に別館の看板が掛かっているところを見ると、本山寺門前の一富士旅館と関係があるのかもしれない。雰囲気は抜群だけれど、素泊まり4725円と遍路宿にしてはちょっと高い。


 11:20
一富士旅館の前の道は遍路道ではない。でもぼくは4年前に歩いているので初めての道ではない。あまり記憶に残っていないけれど、一応地図は確認してきたから問題はないだろう。


 11:22
一富士旅館から200mで突き当たって右に折れる。折れるとやや広い道。ここを真っ直ぐ行って二つ目の信号で遍路道に合流するけれど、ちょっと遠回りになるので一つ目を左折する。


 11:23
一つ目の信号を左折したところ、50m先をすぐ右折する。


 11:24
右に折れて県道21号を行く。ここを真っ直ぐ行けば遍路道に合流する。


 11:26
3回お世話になった藤川旅館の前を通過する。素泊まり3500円、2食付き5000円の看板は健在、値上がりはしていないようだ。この大きな町でこの値段は本当に安いと思う。設備も決して悪くない(ウォシュレット完備)し、女将さんも親切丁寧な対応をしてくれる。


 11:27
藤川旅館の50m先の交差点で遍路道に合流する。ここからはなじみの道が続くことになる。


 11:28
マンホールにも寛永通寶、これはデザインしやすい。でも今まで7回も来ていてこのマンホールに気がついたことはなかった。


 11:29
財田川に架かる三架橋を渡る。本日最初の遍路シール。


 11:30
財田川を渡ると左手に琴弾八幡宮の鳥居が迎えてくれる。まだ一度もお参りしていない。讃岐の国は距離の割に札所の数が多く、いつも慌ただしく4日ほどで歩き抜けてしまうのでそこまでの余裕は持てなかった。


 11:31
下側の遍路標識は全く判読不能になっている。ぼくが歩き始めた頃にははっきり読めたはずだ。


 11:32
趣のある低い白塀の小径を行く、内は墓地。


 11:34
左に折れるところに69番の石柱、山門は向こうに見えている。


 11:39
駅から1.6kmの距離を17分かかって68番と69番の山門に到着した。境内に入る前から車遍路やバスツアーの参拝者の往来が激しい。そういえば今日は3連休の初日であった。車ならこの3日で讃岐の一国打ちは十分可能だ。


 11:54
神恵院の本堂、大師堂、観音寺の本堂、大師堂と立て続けに滞りなくお参りを済ませる。いずれのお堂の前でも4~5人の人といっしょでさびしくなかった。このお寺は朝一で来ることが多いので、こういうにぎやかなのは新鮮で気持ちがよかった。納経所にも10人近い人が並んでいる。


 11:57
山門を出て左が駐車場になっている。この中を突っ切って車の出口から出る。今まで何の迷いもなくそうしてきたし、地図にもそのように赤線が引いてある。でも山門の前の道を真っ直ぐ引き返して、石柱の四つ辻を左折した方が10mくらい近道にはなる。

駐車場の出口に道標がある。本山寺まで4.5kmというのはかなり正確。ぼくの地図では4.4km。


 11:58
こちらは5kmとなっているけど、これは車遍路のための標識。車道はちょっと遠回りになる。


 12:00
県道21号の交差点にある道標、本山寺まで5.0kmというのは全く誤り。財田川の右岸を行けばそれくらいになるかもしれないけれど、最短距離は4.2km。


 12:02
財田川まで出てきた。そのまま真っ直ぐ染川橋を渡って右岸を行く方にも赤線はあるけれど、最後にまた橋を渡ることになるので100mくらい遠回りになる。ぼくは昨年歩いたのでこれからはずっと左岸を歩くつもり。


 12:03
上流に向かって左岸は県道49号、歩道の幅は車道の片側と同じくらいある。とても気持ちよく歩ける道。


 12:07
川の向こうに観音寺第一高校の校舎が見える。その上には雲辺寺山の鉄塔が3本くっきり見えている。例年なら、あの山を越えてきた、900kmを歩き続けてきた自信と誇りを持って仰ぎ見る。そういう感慨はもてないけれど、今歩けるだけでもありがたいことだと、かみしめ直す。


 12:14
車は目の前の橋を渡る、歩きは直進。でもあれだけはっきりした標識があると、惑わされる人がいるかもしれない。


 12:15
交差点には歩き遍路のための直進のシールがある。


 12:17
本山寺まで5.8kmとあるけれど、実際は2.6km。四国のみちの標識には惑わされることが少なくないけれど、これだけの誤差は珍しい。

先の稲積橋の交差点から100mくらいは歩道がないけれど、ここからまた幅の広い歩道が整備されている。


 12:22
4つ目の橋が見える、その150mくらい手前から歩道がなくなった。


 12:24
橋のたもとから右側に歩道がある。ずぼらをしてこちら側に渡らずそのまま県道の左側を歩いていると大変なことになる。


 12:25
大きな橋から歩道を100mくらい行くと小さな橋がある、右折してこの橋を渡るのが遍路道。県道の左側を歩いているとこの右折の標識に気づかない。ここで道をはずす人が少なからずいるようだ。ネットでも見たことがあるし、はずしたという人に実際に会ったこともある。

小橋を渡る。この小川はさっきの大きな橋のところで財田川から分岐した竿川。


 12:26
橋を渡って左折すると道が二またに分かれている。右側の財田川の土手を行く道がへんろ道。


 12:27
土手の道は車が来ないので快適に歩ける。例年だと朝散歩している人とすれ違うことはあるけれど、昼間は誰一人通らない。自転車も来ない。


 12:34
左手に我拝師山と弥谷山が見えてきた。あの曲線は本当に讃岐の国ならではという感じ。


 12:35
アンパンマン列車が財田川を渡ろうとしている。帰ってから調べたら、特急しおかぜ9号、宇和島行きだった。


 12:36
予讃線の踏切はなく、土手から河原に下りていく道がある。江戸時代から明治の初めまでは、当然そんな必要はなくそのまま土手の道が続いていたはず。


 12:37
予讃線の下をくぐる。


 12:38
また土手にあがってくる。本山寺のすぐ手前まで同じような道が続く。五重塔も見えている。


 12:45
観音寺から47分で本山寺に到着。ベストタイムは40分だからすごく遅い。今回は距離も短いし時間の余裕もだいぶあるので、速さは気にせず歩いてきたけれど、それにしても遅い。時速6kmを切ることは想定していなかったのでちょっと焦る。


 13:04
観音寺では山門を出るときに二人の歩き遍路の男性とすれ違った。二人とも民宿青空屋から来たと思われる。本山寺では女性と男性が近くのベンチで休んでいた。二人連れで歩いているのか、たまたまここで一緒になったのかは分からない。彼らは大興寺裏の民宿おおひらから来たのだろう。ここまで13kmほどだから相当ゆったりした歩きだ。でもこのところの暑さを考えると、それが賢明な着実なへんろ旅なのかもしれない。今日は弥谷寺のそばの宿までが精一杯だろう。
 ぼくは、ここまでのスピードを考えるとそんなにゆっくりしていられない。5分ほど休んですぐに山門を出た。山門を出て左にこの標識がある。これも車のためのもので、歩きは左折する。最初来たときこの標識に従って遠回りをしてしまった。

本山寺の東側の道を行く。こちら側の山門は相変わらず工事中だ。


 13:05
観音寺駅前の一富士旅館の本館かもしれない一富士旅館、こちらには一度もお世話になったことはないけれど、評判は悪くないようだ。


 13:08
行く手に国道が見えてきた。静かな道はわずか500m。


 13:09
国道11号に合流、ここから3kmほど苦手な道が続く。

国道の歩道は最低限の広さ、でもこれでもあるとないでは大違い。あるだけで安心感は大きい。


 13:13
県道229号の交差点、ここを左に行けば最初のお遍路でお世話になったビジネスホテルウエストプレイズがある。


 13:22
1.5km歩いてやっと歩道の幅が広くなった。


 13:36
本山寺から32分でサークルKに到着、昨年より2分遅いけど、時速6kmは出ている。


 13:41
高瀬町(旧、現在は三豊市)に入る。ここまで来ると国道ともお別れ。


 13:42
歩道に大きな道標、指が左を向いている。ここから古い遍路道が始まる。でも、第8版(2007年)までのへんろ地図にはこちらの道に赤線はなく、この先4kmまで国道に赤線が引かれていた。第9版(2010年)の地図には両方に赤線がある。昔の地図を持っていた人はこの道標を無視して地図の通り国道を歩く人も多かったようだ。


ため池の手前を左に折れる。ぼくはずっと国道の左側を歩いてきたけど、右側を歩いているとさっきの道標やjこのへんろシールが目にとまらないから、入りたくても入れない人がいるかもしれない。

水の横を歩くのはすがすがしい。国道を歩くのとは段違い。国道は160mの近道でしかなく、わずか2分くらいの短縮にしかならない。国道を歩く理由は全くない。


 13:43
ため池の向こうに我拝師山を望む。


 13:45
最初のため池を過ぎたところのこの風景が全く記憶に残っていなかった。過去5回も歩いているのに初めて歩くような妙な感じがする。四国のみちは1200kmもあるわけだから5回や6回歩いたところで全ての風景が頭の中に刻まれているといようなことはない。でもほとんどの道は大体何となく覚えている。このように初めて来たような感覚というのは珍しい。


 13:48
このへんろシールは5年くらい前から見かけるようになった新しいものだけど、5年も経てばこれだけ褪せてくる。


 13:51
Netzの前まで来た。この手前のため池の風景ははっきり記憶に残っている。二つのため池が印象に強すぎてその間の風景が記憶から抜けてしまったのかもしれない。


 13:52
Netzの裏の道を行く。表は国道だから、遍路道と国道がもっとも近づくところ。


 13:53
遍路道はとても静かでのどか。車は全く通らないし人影も本当に少ない。


 13:56
広い道を横断、斜め左にへんろ道は続く。行く手に瀬戸内短期大学の校舎が見える。


 13:57
ちょっと雰囲気のある神社の前を通る。この神社も記憶に残っていなかった。毎年この区間は1日に42km歩く上に札所が11カ所もあるので、とにかく忙しくて気が前へ前へと向いて風景を味わっている余裕がないということもあったのかもしれない。


 14:01
道幅はやや広くなったけれど、相変わらず車が通る気配はない。


 14:03
交差点に古いへんろ石が残る。古いといっても明治以降のもの。

すぐそばには分かりやすい新しいへんろシール。


 14:05
交差点から右を見ると、国道沿いにでっかいショッピングモールがある。西村ジョイにマックスバリュ、左の方にはイオンの文字も見える。


 14:06
24分ぶりに国道に合流する。ただし10mほどでまた離れてしまう。

高瀬川に架かる橋の手前で左折する。

左に折れて高瀬川の土手を行く。


 14:10
右に折れて高瀬川を渡る。


 14:11
橋を渡ると最初は歩道のある広い道だけれど、この幅は100mも続かない。


 14:12
すぐ道幅は元のように狭くなった。ただし、ここからは前とは違って車が結構通る。のんびり道の真ん中を歩くことはできない。


 14:15
本山寺から6.9kmとあるけど、それが正しければ後32分でゴールということになる。


 14:19
ちょっと古いタイプの赤矢印、このシールもあまり見かけなくなってしまった。


6月26日 

2010-07-08 | 10年日帰り遍路

 般若心経の布団の中での一夜はおかしな感じだった。一晩中半覚醒のような、まどろんでいるような感じでぼんやりした夢が絶え間なく現れたり消えたりした。でもそれが全然不快ではなかった。ゆっくり休めなかったというわけでもなかった。身体の疲れはきっちりとれているし、頭や精神の疲れもとれていてすっきり目覚めることができた。
 昨日の午後から降り始めた雨が絶え間なく、夜が明けるとさらに激しいものになっていた。テレビをつけると、徳島地方には大雨強風波浪注意報が発令されていた。雨は恐くないけれど、傘で歩く者にとっては風は最大の敵だ。現在の傘は四国で使った物だけで6本目になる。前の5本はいずれも風でやられてしまった。この傘も今日が最後のお勤めになるかもしれない。
 7時になったので食堂へ下りていく。朝食は定番ながら、ボリュームもあり全部おいしく頂くことができた。おかずの量があったので御飯は1杯半がやっとだった。食事が終わると女将さんが宿帳(日記帳)を差し出して記帳をお願いされる。お遍路さんだけが記帳しているのかすべての泊まり客が記帳されているのか分からなかったけれど、ぼくの前に書いているのはこの1週間で二人だけだった。梅雨の真っ最中でベストシーズンではないけれど、こんな感じで営業が成り立っているのだろうかとやや心配になる。お昼のおにぎり3個とキャンデイ5個、それに缶入りのお茶をお接待で頂いた。雨が激しいのでお遍路さんに会っても遍路宿情報を手渡すのは難しいと思ったので、全部女将さんに預けてこれから泊まるお遍路さんに配ってくださいとお願いした。
 電車は8時10分、余裕を持って7時40分に宿を発つ。ぼくが府中から電車で来たと言ったら、その近くに宿もあるのにわざわざここまで来たことにおばあちゃん共々大変恐縮感謝された。雨が降っているので駅まで車で送りましょうか、と、最後まで(へんろ特別接待)ぶりだったけれど、それは辞退する。


 8:26
2両編成の穴吹行きが定刻に府中に到着、2日目のお遍路が始まる。


 8:30
歩き始めて2分も経たないところで車に水を引っかけられた。お遍路に怒りは禁物だけど、こういう時だけはどうしようもなく頭に血が上る。左に折れてへんろ道に合流する。


 8:31
へんろ道に合流するとすぐ踏切を渡る。


 8:32
踏切を渡ると直進の1本道なのに、丁寧に新しい矢印が貼ってある。


 8:38
右斜めに折れるところに三角地帯ができている。昔ながらのへんろ道の雰囲気が感じられる所。


 8:39
三角の頂点に古いへんろ石がある。何と書いてあるかは分からないけれど。


 8:41
お墓の手前を右に折れて路地に入っていく。赤い矢印は二つとも新しいタイプ、前はきっとへんろ道保存協力会の赤丸に囲まれたシールが貼ってあったはずだ。


 8:42
左に折れると井戸寺から真南へ下りてくる道に入る。今回はお参りの後またこの地点に戻ってくることになる。


 8:45
府中駅からの1.6kmを17分で到着。雨の中での撮影はより時間がかかるから仕方のない所。まだ風はそれほど吹いていないので影響はほとんどなかった。靴の中はまだ濡れていないけれど、これだけたっぷり降られれば後1時間も持たないだろう。
 井戸寺には、また誰もいなかった。過去5回同じような時間に来たけれど、いずれもかなりにぎわっていた。でも5回とも4月下旬から5月の初めだった。やはり、梅雨の最中は歩きの人にも車の人にもバイクへんろにも、ツアー遍路にとってもオフシーズンということなのだろうか。お参りを終えて山門を出るときにようやく車遍路の3人がやってきた。それまでずっと独り占めだった。


 9:02
9時ちょうどに井戸寺を発つ。今回は5年ぶりに南へ下がる道を行く。東へ出て県道に入る道は昔のへんろ道ではないけれど、近道になるのでついついそちらを選んでしまうことになる。
 お遍路の墓でよく知られているのは、この井戸寺の南と、今治の泰山寺から栄福寺へ向かうへんろ道沿いにあるもの。


 9:03
四つ辻に道しるべ、上の二つは必要とする人はほとんどいないと思うけれど・・・。


 9:05
舗装はされているけれど、この緩やかなカーブは昔ながらのへんろ道を容易に想像させる。


 9:06
田んぼの中を左に右に蛇行しながら進むへんろ道。これ以上はない、へんろ道らしいへんろ道。


 9:12
鎮守の杜の前を右折する。この杜が田んぼの中にぽつんと盛り上がっていてとてもいい雰囲気だったけれど、このすぐ前にミニニュータウンができていた。20軒前後の住宅地だけれど、5年前の景色とは全然違ってしまっていた。


 9:14
再び徳島線の踏切を渡る。


 9:16
国道192号に合流。


 9:17
矢印が完全に消えている。ここまではっきり消えてそのままになっているのは何やらもの悲しい。


 9:18
国道を横断すると新しい矢印が貼ってある。地図を見ていれば矢印がなくても迷い様はないけどね。


 9:24
上鮎喰橋を渡る。井戸寺から2.2km、やはり期待しているほどのスピードは出ていない。そろそろ靴の中が湿ってきた。


 9:29
橋を渡って二つ目の信号の所に右折れの新しい標識がある。

古い標識も右を指している。これらを見ると多くの人が地蔵院から峠越えの道を行くことになる。でもこの道はあまりおすすめできない。峠からの下りの短絡路はちょっと危ない、特に今日のような雨降りの日だとかなり危険なことになっているはずだ。距離は多少短いけれど標高差は140mあるので却って時間はかかるかもしれない。峠越えの道はドライブウェイができた後にできた新しいへんろ道だとぼくは思っている。


 9:33
二つ目の信号をそのまま直進して4つ目の信号、徳島銀行の前を右折する。こちらが本当の古いへんろ道だとぼくは信じている。でも矢印も遍路標識もなかった。


 9:34
徳島銀行から100m、最初の四つ辻を左折する。5年前は地蔵峠を越えたので、この道を行くのは6年ぶり2回目になる。

左折すると幅の狭い道が真っ直ぐ東へ延びている。市内を真っ直ぐ突っ切るこういう道もまさにへんろ道という感じがする。ここにも矢印や遍路標識は見られなかった。地蔵越えだけがへんろ道の扱いを受けているようで納得できない。地図ではこちらにも赤線が引かれているから矢印の一つくらいはあってもいいのにと思う。


 9:40
少し道幅が広い所に出てきた。ここに来て靴の中が湿ってきた。さすがのゴアテックスもこれだけたっぷり降られると1時間が限度。あと5時間グジュグジュのまま歩き続けねばならない。


 9:42
左は蔵本運動公園、野球場が見えている。このすぐ先に東屋があって、二人のお遍路が休んでいた。一人は自転車、一人は歩き、荷物の多さから見て二人とも野宿で巡っているようだ。おそらく昨夜はここで泊まったと思われる。そして今夜もここで泊まるような感じだ。でもおかしな話、雨が降って休むのなら、どうしてこの時季を選んだのだろう。まあ、どんな巡り方をしても他人が口出しすべきことではないけれど。


 9:46
左は徳島大学、歩道の水はけが悪くてすごく歩きにくい。靴の中はもう充分濡れているけれど、それでも水たまりの中をジャブジャブと歩く気にはなれない。


 9:51
突き当たりを左に折れる。やはり矢印はない。100mほど北へ行ったあと右に折れてまた東へ。なぜこういう鍵型の道になったか、たぶん徳島大学ができたときにこの部分だけ10°くらい南へずらされたのではないか。徳島大学の手前の所から真っ直ぐ線を引くと次の右折れの地点にぴったり重なる。


 10:07
恐ろしいほどの急な石段、昨年登った栄福寺(57番)の裏山の神社の石段よりも急勾配だ。この上をずんずん登っていくと眉山山頂に至るようだ。


 10:08
諏訪神社の石段の前でようやく遍路標識を発見。地蔵院への分岐から初めての遍路標識だ。6年前はここから先のへんろ道が道路工事で通行不能になっていた。やむなく川を渡って1本北の筋を行くしかなかった。

8回目にして初めて歩くへんろ道。自分でもこの道を歩き残していたことは忘れていた。


 10:12
高い所にまた遍路標識、ここまであまりになかったので、いちいち嬉しくなってくる。


 10:15
3つ目の道しるべ。諏訪神社までの道に全く見られなかったのが妙な感じがする。6年前は一つや二つ確かに見たような気はするけれど。

県道136号に合流、右折する。


 10:16
ここからは過去6回歩いたなじみの道、大都会の真ん中の大通りでやや味気ない道。


 10:22
徳島駅と眉山ロープウェイを結ぶ駅前大通りを横断していたら途中で見慣れたへんろ小屋の標識があった。今まで何度もこの前を通り過ぎたはずなのに見た記憶は残っていなかった。


 10:23
右手を見ると、たしかに阿波踊り会館の前に二つのへんろ小屋がある。阿波踊り会館はここに来るたび見ていたけれど、その前のへんろ小屋に気づいたことは一度もなかった。


 10:26
県道の反対側に瀬戸内仏具店が見えた。寂聴さんの実家が徳島市内にあることは知っていたけれど、こんな遍路道沿いにあることは知らなかった。今まで4回もこの前を歩いていながら一度も気づかなかった。


 10:27
県道を横切って仏具店の前に行くと、ウインドウに寂聴さんのポスターがあった。


 10:29
ワシントンプラザの前にやってきた。昨年はここからへんろ道を外れて大鶴旅館に向かった。

道しるべは大鶴旅館の方角を指しているけれど、こちらはへんろ道ではなく赤線も引かれていない。もちろん国道に出られるけれど、この先の二軒屋駅の所を左折するより260m長くなる。


 10:44
最初の休憩ポイント、二軒屋駅に到着した。井戸寺から104分もかかってしまった。時速は5.12km。ベストの時速は6.56kmだから、想像以上に雨と水たまりに影響されてしまった。靴下を脱いで絞ると滴がボトボトとしたたり落ちた。家から持ってきたクッキーを食べる。26分の休憩で出発する。


 11:10
二軒屋を出て最初の交差点を左折する。この交差点から国道に入る道が一番近道になるので赤線が引かれている。でも、本当はもう75m近い道がある。この道がいつ頃からへんろ道になったのか、あるいは、元々特定のへんろ道などはなかったのか。


 11:11
左折するとすぐ踏切を渡る。


 11:13
突き当たりを右折、ここまでは問題ないけど、2年前はこの先で道をはずしてしまった。最初に来た4年前はうまくいったので油断してしまった。


 11:14
新しい地図ではこの道を突き当たりまで真っ直ぐ行くように赤線が引かれているけれど、最初の白黒の地図ではそれよりほんの数メートルだけど近道になる方に赤線があった。それは、いくらか手前で左折するのだけれど、今回もその道に入るのを失敗してしまった。4年前はなぜうまくいったのだろうと不思議な感じがする。


 11:21
2年前同様、首をひねりながら何となく国道11号に出て来てしまった。


 11:30
園瀬川を渡る、渡らないで右の方に行くと文化の森に至る。


 11:31
写真ではよく分からないけれど、ものすごい濁流が押し寄せている。帰ってから録画している番組を見て分かったけれど、このころすぐ南の阿南地域には大雨洪水警報が出ていた。雨風共にさらに激しくなってきた。国道の歩道は広くて安全だけれど、時折車が跳ね上げる水しぶきがかかりそうになる。腰から下はもうずぶぬれだけれど、かけられると無駄な怒りがこみ上げるので警戒しながら歩く。


 12:03
地蔵越えの道と合流するポイントにやってきた。1回目から3回目まではこの道を歩いた。3回目の時に靴が合わなくて難儀していて、この少し手前にある荒物屋で中敷きを買って助かった。5年も前のことだけど昨日のことのように思い出す。


 12:07
勝浦川を渡る。渡りきった所に右折れの遍路標識があった。昔はもちろん国道もこの橋もなく、この少し上流に渡しがあったようで、そこから小松島警察に続く古いへんろ道が残っているようだ。地図を見てずっと気になっていたけれど、まだ歩いていない。今日もこういう状態なのでわざわざ遠回りする余裕も気力もない。1km先にある中田のへんろ小屋で昼食休憩をとった。


 12:45
中田のへんろ小屋についたのは12時19分、風が強く、大儀になって写真は撮らなかった。中では二人の男の人が休んでいた。お遍路ではなく地元の人だった。たぶんこの小屋の管理をしている人だろう。大鶴旅館で頂いたおにぎりを食べる。本日のゴール立江駅まであと8kmは歩かねばならない、札所も二つ残っているからそうゆっくりもしていられない。18分の休憩で出発、歩き始めて10分、小松島警察が見えてくる。


 12:47
恩山寺まで2.9km、でもこの距離は全く当てにならない。帰ってから正確に測ってみたら2.4kmだった。


 12:53
ようやく国道を離れる。国道はいつも車の爆音で相当疲れるけれど、今回はそれに加えて雨と風、それでも前へ進むしかない。進むことしか考えられない。


 12:58
この700mはもっと当てにならない。


 13:14
700m地点から16分かかって恩山寺のお大師さんの前に辿り着いた。やはり700mということはあり得ない。少なくとも1100mはある。
 昨年初めて通った山門の手前の歩き道に入れなかった。意識して矢印を探したけれど見つけることができないまま山門まで自動車道を歩くしかなかった。全く腑に落ちなかった。


 13:39
恩山寺は本堂の中にはベンチがあるけれど、それは休憩所ではない。そこ以外に雨の中で休める所はないので、休憩なしで立江寺に向かう。駐車場の前を出たのは13時32分、あと歩く距離は4.8km、電車の時間まで78分。普段のスピードとは違うからあまり余裕があるとはいえない。立江寺までは久々に竹藪の近道ではなく、登り口の所まで引き返す遠回りの道を行くことにする。義経ロードは傘をさしては歩きにくいし、実のところあまり近道にもなっていないようにも思える。下の道まで下りるのは5年ぶりになる。


 13:43
立江寺までの距離はともかく、鶴林寺までの距離は大分違う。歩き道の正確な距離は13.5km。これは自動車道の距離かもしれないけれど、この距離表示が見られるのは歩きの人が大半を占める。


 13:46
古いへんろ石と大きな分かりやすい道しるべ、ここを右に折れると立江の町までほぼ一本道。


 13:48
竹藪の近道との合流ポイント、近道はこんな路地から出てくる。


 13:53
立江寺まで2.5km、でも相変わらず距離表示は信用しない。帰ってから調べたら意外なことにほぼ正確な数字だった。このすぐ先の所で側溝が溢れて道路が川のようになっていた。左端の方だけ何とか浸かっていない所があって無事に通過する。わずかな部分だったけれど確かに大雨洪水警報を実感する。


 14:02
朝から風雨の中を6時間近く歩きっぱなし、腰から下はぐっしょり、靴の中もジャブジャブ。それでもこういう風景には一瞬心和む。ここから少し登って峠を目指す、峠といっても標高差は10mくらい。


 14:05
峠の道しるべ、立江寺まで1.3km。峠から緩やかな坂を下っていく。立江の町の方から強烈な風が吹きつけてくる。へんろ道が風の通り道のようになっているかのようだ。傘をさしていられなくなる。何度も立ち止まらざるを得なくなる。立江川の手前で黄色い合羽を着けた人が歩いている。今日初めて出会う歩きの人だ。合羽でもとても歩きづらそうだ。追い抜いた後ぼくもさすがに風に抗しきれなくて傘をたたむ。風速は15mを超えているはずだ。


 14:21
立江寺まで10m、はたしてこの道しるべが必要なのか。後の石垣は立江寺の塀。見ようによってはおもしろいけどね。


 14:22
恩山寺から50分でようやく立江寺に到着、時速は5.16km。今日は1日を通じてこれくらいの速さだった。雨と風と水たまりと撮影とで、仕方のないところ。今回はかなり余裕を持った計画のつもりだったけれど、結局ほとんどぎりぎりに近い時間になってしまった。
 本堂に上がっていくと迷彩柄のポンチョを着けた若い男性がお参りをしていた。この時間だと金子やまで行くとしたら5時を過ぎてしまう。あるいはこの近くの鮒の里に泊まるのか。あとから追いついてきた黄色の合羽の人はとても金子やまでは無理だろう。


 14:36
山門の前に次の札所へ向かう道しるべがあった。初めての人にとってこれはありがたい。地図を見れば分かりそうなものだけれど、札所の出始めで道をはずすことは珍しくない。栄福寺を出たところで迷った人を見たことがある。


 14:45
鶴林寺と反対の方に進むと立江駅がある。初めて歩く道なので事前に地図を調べてきた。でもそれが間違った思い込みを生んでしまった。ちゃんと駅はこちらの標識があったのに自分の思い込みの方を信用して400m余分に歩いてしまった。やはり思い込みが一番恐い。でも何とか電車の時間には間に合ったので良かった。
 駅前の自転車がことごとく倒れていた。風速15mが証明されたようだった。
 
 1日中雨の中を歩いたのは本当に久しぶりだった。前いつ歩いたか思い出せないくらいだった。へんろ手帳をとりだして調べてみると。過去7巡、200日歩いた中で宿を出てから次の宿に入るまでずっと雨の中だったのは10日だけだった。1年前、3年前は1日もなかった。忘れられないのは最初の時、夜須から高知駅前まで歩いたときのこと。このときは道も分からなかったし、休み所も知らなかった、3つあった札所ではいずれも雨の中では休むところはなかった。本当にきつかったし最悪だった。次にきつかったのは2年前の旧北条市、風がきつくて傘がさせず濡れ鼠のままでバイパスを歩き続けたときは泣きそうになった。6年前の室戸岬も悲惨だった。このときは合羽を着けたけれど、本当着けているのかというくらい中からも濡れてくる。このときの経験から以後は合羽を着けなくなった。でも、それ以外の7日についてはあまり記憶に残っていない。部分的には覚えているけれど、さほどきつかったという感覚ではない。全体として多くはないけれど、雨が降るのは当たり前、天気を選ぶわけにはいかない。雨が降れば傘をさせばいいだけのこと。今回もそういう感じで、大変だった、きつかった、嫌だった、しんどかった、辛かった、やめたかった、運が悪い、というようなことは一度も思わなかった。歩きたくて歩くために四国に来ているのだから、どういう状態でも歩けていることは本当にありがたく嬉しいことだ。札所という目標があるのもありがたいことだし、そのおかげで前を向いて歩くことに集中できることもありがたい。区切りでしか歩けなくなって余計そういう気持ちが強くなった。帰りの電車の中、バスの中では下半身がぐっしょり濡れていて本当に気持ちが悪かったけれど、何とか風邪もひかず帰宅することができた。時間通りの電車バスに乗れれば、事故や怪我がなければ、どんな状態でも100点満点。


6月25日

2010-06-27 | 10年日帰り遍路

 9:39
高速バスが徳島駅に着くのは9時28分、寄井中行きの徳島バスが出るのは9時35分。7分あればどんなに遅れても大丈夫だと思っていたけれど、甘かった。今まで同じ時刻のバスで一番遅れたときでも3分遅れだったのに、こんな時に限って8分も遅れる。バスを降りたのは寄井中行きが出た1分後だった。バス乗り場へ行って次のバスの時刻を見ると、予想通り1時間後だった(一番右の枠が寄井中行き)。



 9:40
一時間遅いバスに乗って寄井中まで行くと、宿に入るのも1時間遅くなる。せっかくの1泊が慌ただしくなるのは我慢できないので、寄井中から1時間分(6km)手前の地点でバスを降りれば予定時間に宿に入ることができる。寄井中から鬼籠野(おろの)までが6.5kmなので鬼籠野の近くで降りればいい。手元に900円分の小銭があるので二つ先の阿保坂で降りることにする。6kmくらいスキップすることになるけれど、初めての道ではないし、きっちり繋げることにもさほどの執着はない。


 10:32
駅ビルの郵便局で野暮用を済ましたりして、駅の周りで1時間を過ごす。この間3組6人のお遍路さんを見かけた。梅雨の真っ最中だというのに歩く人は少なくない。その内の一組は電車で牟岐まで行って、そこから歩き始めるようだ。行程表がびっしり書き込まれたメモを右手に改札へ向かって行った。天気予報では午後からと言っていたのに、すでに雨が降り始めている。今回は山の中を歩くことはないから何も心配することはない。


 11:33
寄井中行きのバスはいくつかのルートがあって、前回の帰りに乗ったバスは佐那河内村経由だったけれど、今回の往きは北側のルート。上鮎喰橋の手前で左に折れ鮎喰川の南岸沿いの県道21号を行く。この道は一宮札所前(13番大日寺の前)から阿保坂まで今日ぼくが歩く道を逆走することになる。歩くすぐ前に予習することになってしまう。一宮札所前から広野まではもう5度、6度(2年前別格2番童学寺に寄ったので、部分的に5度しか歩いていないところがある)と歩いているけれど、広野から喜来までは今日初めて歩く。初めての道を歩くすぐ前に予習するのは何とも味気ない、でもスピードが全然違うし、風景も逆だから、初めては初めてになるだろう。
 バスの中から何人かのお遍路さんを確認できた。大日寺を出たすぐ後で若い男性、童学寺への分岐ポイントにあるスーパーの前で3人の男性が休憩中、広野を過ぎたあたりでも若い男性を見かけた。最初に見た男性は野宿だからどこに泊まったか判らないけれど、後の人はなべいわからだろう。なべいわから行者野橋まで13kmだから全然無理な距離ではない。

 4回目以降は1泊遍路になるけれど、カテゴリーはそのまま「10年、日帰り遍路」の中に入れることにします。

阿保坂は鬼籠野郵便局より1km寄井よりの所にあった。つまり、予定通り1時間早いバスに乗っていたら、ここを通過するのは11時40分頃になっていた。バス停は坂の途中にあった。勾配は大したことはないけれど、いきなりの登りから始まる。


 11:36
国道を離れ左の道へ入る。昨年はそのまま国道を行ったけれど、地図には鬼籠野の町の中心を通るこちらの道に赤線が付いている。幾分遠回りになるけれど、昔はこちらの道しかなかったはずだから、当然こちらがへんろ道になるのだ。でも遍路標識は見られなかった。


 11:42
鬼籠野の町の中心部に入っていく。小さな集落なので、これでもメインストリート。


 11:43
昨年この前で休憩した。阿保坂から10分、今日はあと20.2km歩くだけ、予定より5.5km短くなってしまったことになる。


 11:44
郵便局のすぐ先の交差点、直進すれば国道438号で佐那河内村に入る(前回帰りのバスで通った道)。左折すると県道21号で広野、大日寺へと至る。もちろん左折する。


 11:46
鬼籠野小学校の横を通ってすぐ先の歩道に地元の人が丹精している花壇がある。長い距離を歩くだけの旅人にはこういう風景はアクセントになって目に嬉しい。花の名前は分からないけれど・・・。


 11:50
この距離表示が正しいとしたら、神山温泉までバスに乗っていれば30分遅れでここに来ていたことになる。1本遅い電車に乗れていたかもしれないけれど、余裕を持って歩く方がいいことは過去3回で身に沁みているから、阿保坂は正解だと確信。


 11:52
昨年は寄井を出発して、5.7km地点の鬼籠野郵便局で休憩したけれど、ここにベンチがあるのが判っていたら迷わずこちらで休みを入れていた。今日も寄井中までバスに乗っていたらここで休むつもりだった。でも歩き始めて20分なので休まない。


 11:58
昨年この人のポスターを見たときは楽勝だと思ったけど、実際は危ないところだった。さほどに自民党に対する失望は大きかった。信頼は確かなものではなかった。


 12:00
四辻へやってきた。右は昨年歩いた県道207号、正面は昨年はまだ工事中だった養瀬トンネル、そして左はこれから歩く県道21号。


 12:01
養瀬トンネルは昨年の10月に開通した。昨年工事中のトンネルを見たとき、大して短絡にもならないのにどうしてこんなすごい工事をしなければならないのか、と大いに疑問に思った。でもこの工事は短絡のためのものではなかった。この区間の県道21号は道幅が狭い。軽自動車がすれ違うのにも難儀しそうなほどの幅しかないところがある。大型バスが通るとほぼ道いっぱい、自転車や歩行者でも脇に立ち止まってやり過ごさねばならないほどだ。しかも、この道は路線バスだけでなく、焼山寺へ向かうツアーバスや個人で巡る車遍路、バイク遍路、自転車遍路も皆この道を通らねばならない(県道20号でも行けるけれど、やや遠回り)。このバイパストンネルは神山の人々の悲願だったそうだ。

左に折れるとこんな感じ、ここから広野までの3.6kmが初めて歩く道になる。


 12:03
センターラインがあるのは最初だけ、ここはもうバス1台がやっと通れるくらいの狭さ。


 12:05
今日は徳島の大分手前までしか歩かないので、この距離表示は全く無用。徳島まで歩くとしても、お遍路は札所に寄るのでこの距離表示は意味がない。


 12:12
バイパスが見えてきた。バイパスの全長は1560m、トンネルはそのうち531mだということです。


 12:14
県道の細い道にいくつかバス停があるので、路線バスはせっかくのバイパスを通ることはできない。でも他の車はすべてバイパスを通るので、県道は路線バスの専用道路のようになって、それまでのような不自由を感じることはないのかもしれない。


 12:15
バイパスの合流ポイント。トンネルの手前からここまで1台の車も、バイクも、自転車も、そして人とも出会うことはなかった。途中にある数軒の民家の人しかこの道を利用しないようだ。


 12:24
鬼籠野川はこの300m先で鮎喰川に合流する、そこから大日寺までずっと鮎喰川を左に見ながら歩く。


 12:31
前の神山温泉の看板から4.3kmを41分でやってきたことになる。時速は6.3km、まずまずのスピード。それより身体が思うように動けているのが気分がいい。前回の最後の区間とは大違いだ。雨もほとんどあがって、阿保坂からここまでまだ傘をさしていない。


 12:35
河野橋のたもとが玉ヶ峠越えのへんろ道との合流ポイントになる。1回目から5回目はあの橋を渡ってこちら側に来た。一度などはぼくが今歩いている道を来るお遍路さんがいてびっくりしたものだった。そのころは神山温泉経由のへんろ道があるのを知らなかった。


 12:36
橋のたもとのバス停がタイムチェックポイント、鬼籠野郵便局から5.4kmを53分で来た。6年前までここには建物があって雨もしのげるようになっていたけれど、次の年に来てみれば全部がすっかり消えていてベンチすらもなくなっていた。

バス停の横の電柱に本日最初の遍路シールを発見。考えてみれば歩きの人はほとんどこの道を通らないし、自転車の人はこの道を行く人が多い。でも自転車で走っていてこのシールが目に留まるのだろうか。

バス停の横から河原へ下りていく階段がある。ここがぼくの休憩所になる。3回目から6回目までここで休んだ。焼山寺から玉ヶ峠越えでここまで15km、2回目の休憩ポイントにちょうど良い。雨が降ったら休めないけど、今まで一度も降ったことはない。今日も何とか休むことができる。


 12:39
昼食は西靖アナのデミカツパン。関西圏以外に住んでいる方は何のことやら分からないでしょう。これは関西で夕方に放送されている「ちちんぷいぷい」という番組(毎日放送4Ch)のメインMCである角淳一アナと西靖アナがプロデュースした菓子パン。角アナは大好物のイチジクジャムが入ったコロネとランチパック、西アナは故郷岡山のB級グルメ、デミカツをフューチャーしたこのパンを制作した。すでに300万個を売り上げている。


 12:46
食事休憩に8分、12時45分に河野橋を発つ。歩き始めてすぐ色あせた矢印があった。へんろみち保存協力会の遍路シールは色あせたものが多くて何となく残念な感じがする。おもてなしネットワークなどの新しいシールや道しるべがあるから初めての人でも不自由は感じないだろうけど。


 12:48
こちらの道しるべも色あせてかなり読みにくくなっている。上は「建治寺道 左車道六00米先右道入る」。下は「左車道直進 大日寺7.6k」と書いてある。


 12:51
ここからしばらく道幅が狭くなる。普通車がすれ違うのも難しい。歩きへんろにとってすごくいやな道。養瀬の道と違って交通量も激しい。


 12:54
先の道しるべにあった建治寺への分岐点、右の道へ上がっていくと建治寺に至る。建治寺は番外霊場、13番大日寺の奥の院で宿坊もあるようです。


 12:55
野宿で歩いているお遍路さんは、お金を払ってまでこんな所に泊まるとは思えないけどね。


 13:09
17番井戸寺門前の遍路宿の看板、この宿はなべいわから27kmの地点にあるので利用しやすい。2km手前の鱗楼を利用する人の方が多いけれど、値段は鱗楼の方が1000円くらい高い。


 13:12
この少し手前の自動販売機の前で5人の歩きへんろさんが休憩していた。ここはなべいわから14kmの地点だから、かなりゆっくりだ。おそらく今日は13番まで、1日に20kmくらいのペースだろう。追い抜くときに一人一人に遍路宿情報を渡した。


 13:13
藤井寺から焼山寺を越えてここまで来られる人は多くはない。故に利用する人はあまり多くはないと思われる。値段も遍路宿にしてはちょっと高め。


 13:14
左に行者野橋が見える。この先を左に折れてあの橋を渡ると別格2番童学寺に至る。2年前猛暑の中、童学寺へ向かった時のことが思い出される。


 13:19
昨年までは4月5月に歩いていたから、へんろ道で紫陽花を見るのは初めてかもしれない。


 13:22
思いがけないところに休憩所ができていた。この前を歩くのは3年ぶりになるからその間にできたのか、あるいはそれ以前にできていたのに気がつかなかっただけなのか。


 13:23
徳島市に入る。立派な樹木は椋(むく)の木。横にちゃんと立て札があった。徳島市指定保存樹木になっている。


 13:25
この距離表示が正しいとしたら、広野からここまで4kmを40分で来たことになる。撮影の時間もあるから時速6kmは十分確保できている。


 13:40
建治寺から下りてくる道、地図ではもう少し先に赤点線が付いているけれど。

建治寺から戻ってくる道の反対側は童学寺から戻ってくる道。2年前この橋を渡ってここでへんろ道に合流した。地図ではもう一つ先の橋に赤線が付いているけれど、こちらの方が近道なので、こちらを選択した。童学寺の道は地図にある短絡路が2箇所も歩けなくなっていて、相当ばててしまった。10mでも短いこちらの道を選んで正解だった。


 13:42
新しいコンビニができていた。確か2年前にはなかったはず。


 13:44
当初はここで休む予定だったけれど、中で休んでいる人がいたし、時間もあまり余裕がないのでスルーすることにした。


 13:54
こちらのコンビニは3~4年前にできていた。でももっと大日寺に近いところにあると思い込んでいた。1日中歩いているとこういう思い込みや勘違いが多くて、失敗することも珍しくない。


 14:01
大日寺の宿坊の前、山門は目の前。広野からの7.5kmを76分でやってきた。撮影の時間を考慮すれば、時速6kmは確保できている。ベストタイムより5分遅れだけれど、季節も違うし、足の状態も違うから充分満足できる。


 14:02
13番大日寺に到着、驚いた。境内には人っ子一人いない。山門をくぐってからお参りを済ませるまで、歩き遍路はおろか、車遍路、ツアー遍路も見えなかった。納経所が開く前に訪れた、16番観音寺、47番八坂寺、63番吉祥寺、79番天皇寺では何回か経験したことはあるけれど、納経所が開いている時間では初めてかもしれない。


 14:12
道を挟んで大日寺の隣にあるかどや旅館、1回目から4年連続でお世話になった。泊まった部屋の位置もすべて覚えている。

こちらは2年前、6回目の時にお世話になった名西旅館花。女将さんからお接待で頂いたライターを今日も使っている。

右肩に赤矢印が付いているけど、ぼくが歩き初めた頃には付いていなくて、ずっと右折する道を歩いてきた。右折する方がたぶん旧いへんろ道だとおもうけれど、せっかく矢印があるので今年は初めて直進する道を行く。


 14:14
五鈷杵と矢印があったけど、いずれも新しいタイプ。ここ3年以内に付けられたと思う。


 14:18
初めての道でこういう分岐点に来ると一瞬たじろぐ。右の方の電柱に矢印が見えたのでそちらの方へ行くことにする。左の道でも同じ所に出てくるようだけど。次回来たときには左の道を試してみよう。


 14:23
一の宮橋へ上がっていく。


 14:24
鮎喰川を渡る。上がったところにはちゃんと左折れの矢印があった。写真ではいくらか空に青みが出ているけれど、大日寺を出た頃から雨が激しくなって傘をさしている。


 14:27
四元さんが子供たちとふれ合った保育園の前を通過、ここを過ぎれば、


 14:28
左折する。こんなに大きな道しるべがあるのに、過去2回も直進してしまった。


 14:30
道しるべの上の部分が欠けて痛々しい。


 14:37
常楽寺に着く直前に前を歩く人がいた。広野を過ぎたところでバスの中から見かけた人だと思われる。11kmを3時間くらいで来ていることになるから先ず間違いないだろう。一足遅れで境内へ上がっていく(常楽寺に山門はない)。大日寺から2.3kmを25分、ベストより2分遅れだった。


 14:53
ぼくの方が先にお参りを終えたので、納経所の前で待って遍路宿情報を手渡した。休憩なしで次の札所へ向かう。国分寺までは800m、88ヶ所中3番目に短い距離になっている。


 14:55
800mの間でも、ぼくは道をはずしたことがある。それも1回目、2回目ではない。だからこういう道しるべも軽んじることはできない。


 15:00
15番国分寺に到着、撮影枚数が少なかったのでベストと同タイム。ここまで来て足の調子は落ちていないようだ。境内はやはり静かで、大師堂の前に掃除のおばさんが一人いるだけだった。


 15:12
山門を出て30mくらいの所で右に折れてこの路地を抜けると20mくらいの近道になる。できる近道はするのが遍路らしいので今回もここを抜ける。

国分寺の西側の道はぼくの大好きな道。緩やかなカーブと塀越しに見える鐘楼。舗装はされているけれど昔のへんろ道の雰囲気が濃厚に感じられる。でもこの道があることを知ったのは4回目から、3回目までは東側の道を歩いていた。


 15:13
直進する自動車道も一度歩いたことがある。地図ではそちらの方に赤線が引かれている。でも遍路シールは右に矢印がある。


 15:21
この無駄に広い道路が斜めにへんろ道を分断している。300mも旧い道が消滅してしまった。そのせいで1本東の道を歩く人も多い。へんろ道ではないけれどそちらにも赤線が引かれている。いつも残念な気持ちいっぱいでこの道を横断する。


 15:31
国分寺から1.8kmを19分、ベストより2分遅れで16番観音寺に到着した。また境内には誰もいなかった。国分寺の手前ですれ違ったバスツアーの人々もすでに井戸寺へ向かったようだ。静かに自分のペースと声量でお経を詠めるというのはありがたい。本日のお参りはこれで終了、あとは駅を目指すだけ。15時50分に出れば予定の電車に乗れるから10分くらいの余裕がある。


 15:46
不思議なことに、7回もこの前を通っておきながら一度もこの旅館を確認したことはなかった。探しながら歩いたことも2度3度あるのにそれでも見つけられなかった。地図の位置ではもっと神社に近いところにあるので、その思い込みが強かった。お遍路では本当に思い込みというのが恐い。


 15:52
国道192号の交差点におもてなしネットワークのシール、この1年内に貼られたものだ。


 15:54
ここからへんろ道を離れて直進する。


 15:56
府中駅に到着、電車の時間は16時07分、いい時間に到着したけれど、考えてみれば休憩は広野での8分間だけ。結構厳しいスケジュールになってしまったともいえる。前回のようなバタバタではなかったけれどさほど余裕があったわけでもない。


 15:57
なかなか「こう」は読めない。


 府中から、鮎喰、、蔵本、佐古を経て徳島駅に降り立ったのは16時21分。大鶴旅館は徳島駅から南へ1200m。昨年はへんろ道から入ったので、駅から行く道とは違うけれど、この4月に小松島のへんろ小屋に行って歩いて徳島駅に戻ったときに、旅館の前を通って駅までの道は確認しておいたので問題はない。
 16時36分に旅館に到着、ぼくが名前を言う前にぼくだと認識しているような迎え方だった。すなわち今日の客はぼく一人ということのようだ。お風呂の用意はできているのですぐに入ることにする。かなりぬるめの湯が少ししか溜まっていなかったけれど、これは好みの熱さに自分で調整するようにということなのだろう。季節はもう夏だから、熱すぎる湯は上がった後が却って大変になるから、ゆっくり熱い湯を足しながら1日を振り返るのは良かったと思う。1日中歩いた後すぐにお風呂に入って、ア~~、と思わず声を出してしまうのがお遍路の醍醐味だとぼくは思っている。これ以上のお風呂はどんな有名な温泉でも味わえないと思っている。前3回の日帰りとはやはり全然違う。これを味わうだけで本当にお遍路をしているのだなあとつくづく思う。
 食事の量は大変なものだった。ぼくは食事付きで泊まることは少ないけれど、食べきれなかったのは初めてだった。でも、日頃が小食なのでついていけなかっただけかもしれない、量からすれば牟岐町の民宿あづまや愛南町の民宿磯屋もこれくらいだったかもしれない。でもこれで2食付き5000円、というのはさすが(へんろ特別接待)と名簿に書かれているだけのことはある。
 掛け布団のカバーの下から文字が透けて見えた。四国八十八、という文字が読めたのでカバーをはがしてみると、見事な般若心経が現れた。女将さんに聞くと、これは有名な書家が書かれたもので、ちゃんと祈祷も済ませたものだという。俳優の勝村政信さんも高野山の宿坊で般若心経の書かれた毛布を見て驚いていたけど、こんな所で同じようなものに出会えるとは思ってもみなかった。(へんろ特別接待)をまた実感することになった。


明日から4回目

2010-06-24 | 10年日帰り遍路
 3回目の往きの高速バスの中で前歯(差し歯)がぽっきり折れて、帰ってから黒坂歯科に通う。先生の娘さんは女優の黒坂真美さん。4回通って今は2回目の仮歯が入っているところ。土台の芯を作るのに型を取って1回目の仮歯を入れて貰い、土台ができてまた新たに型を取って2回目の仮歯を入れる。本歯は来週の月曜にできあがってくる。その合間を縫って15km1回、13km2回のウォーキングをこなす。四国ではすでに20km以上を3回こなしているから全く無理なく問題なく歩ける距離だとも言えるけれど、だいぶ暑くなってきたし、足首もまだ完全にはほど遠いので、楽な練習ではなかった。そうこうしている内に4回目が明日に迫ってしまった。4回目は無理を言って、1泊させて貰うことにした。1泊すると、交通費が浮くので2食付きで泊まってもより安価で同じ距離を歩くことができる。今回の2日分を日帰りで行くと16040円、1泊すると13940円で行ける。すでに往きの高速バスチケットをネットで購入、へんろ特別接待の大鶴旅館に予約を入れた。先ず「お遍路さんですか?」と尋ねられるのが何とも言えない。やっぱり1泊でも遍路宿に泊まるのと、そうでないのとでは気分が全然違う。もう今からワクワクしている。
 日帰りだと23番薬王寺までしか行けないけれど、1泊すれば、高知市あたりまでいけそうな感じもする。まだ泊まったことのない、生本旅館、うまめの木、ドライブイン27、などにも泊まることができそうだ。

6月10日 ②

2010-06-16 | 10年日帰り遍路



 12:18
幅の広い林道に出てきた。こういう新しい道は歩きやすいけれど、最後まで残った空海の道、と言うにはちょっとね、

ほぼ平坦な道だったから、先の道しるべから600mを6分で来た。でもスピードほどには好調な感じはしない、暑さでじわじわ体力が奪われている。


 12:21
撮影はしているけれど、距離表示は全く見ていない。調子が良くて余裕のあるときなら、「1kmを10分で行けばベストタイムと同じ、でも、最後は下りが続くとはいえ時速6kmはちょっと無理かもしれない」、などと考えたかもしれないけれど。


 12:30
眼下に柳水庵の手前にある建物が見える。ここから柳水庵まで急な下り坂が続く、しかも足元はゴロゴロした大きな石ばかりでちょっと危険な所もある。いつも以上に慎重にそろりそろりと下っていく。


 12:32
藤井寺からちょうど90分、ベストタイムより1分遅れで中間地点、柳水庵に到着した。昨年よりはだいぶいい感じだったけれど、ベストの時ほどではないと思っていたので、ちょっとびっくりした。びっくりしたと同時にちょっと安堵した、でもこの安堵が油断だったと気がつくのは数十分後のこと。8分の休憩で出発する。時間の余裕はほとんどない。家で予定を立てているときと、実際現場で歩いてみて時間と向き合うのとではかなりのギャップがあることを感じたのもこの後のこと。


 12:40
少し下りてきた所に休憩所(簡易宿泊所)がある。3年前ぼくが泊まったときは座布団しかなかった。中をのぞくと毛布が数枚積んであった。一人で泊まるのであれば寝袋がなくても充分だ。


 12:41
広い道に出てきた。これは県道245号、この道を左の方へ下りていくと、焼山寺から下って10km地点、植村旅館の近くに出てくる。藤井寺と焼山寺の中間の山の中ではあるけれど車で来ることができる。2年前、朝の早い時間に3kmほど先で団体の歩き遍路に出会ってびっくりしたことがあるけれど、あれはバスで柳水庵まで来て、そこから焼山寺まで歩くという、部分的にへんろ道を歩くバスツアーだったのだと思われる。部分歩きのバスツアーはそれ以外にも2度出会ったことがある。


 12:42
県道を横断して林道に入っていく。その入り口の道しるべにすだち館のプレートが掛かっていた。ここにはお接待所と書かれているけれど、善根宿(2食付き3000円)もやっている。
 ここからの林道は幾分傾斜もあるけれど、比較的歩き易くスピードも乗りやすい。でも全然力が入らない。思っている感じのスピードではない。初めて来た時ですらかなりいい調子だったのに・・・。このような楽な所で動けないと浄蓮庵の手前の急坂ではどうなるのか。バスの時間に間に合うのか、かなり微妙な感じになってきた。


 12:54
林道から別れて登山道にはいる。


 12:55
一旦林道に合流、ぐるっと回っている林道を短絡してきた。


 12:56
浄蓮庵まで0.9kmとある。地図でもそうなっている。でもこの標高差は160m、ここまで500m以上登っているから、さほど恐れることもないけれど、今回はもうここまででスタミナが完全に枯渇してしまっている。出せるだけの汗は出してしまった感じもする。昨年以上に体が重い、もしかしたら彷徨っていた最初の時と同じくらい気力も体力も萎えているかもしれない。


 13:01
へんろころがし4/6、どうやら6つある内の4つ目ということらしい。3/6は見逃してしまった。あるいは立てられたけどなくなってしまったか。


 13:14
登り口から18分かかって、息も絶え絶えでなんとか一本杉のお大師さんの前まで辿り着いた。時速にすれば3kmだからこれだけの勾配が続く山道であればそんなに遅くはないといえる。でも、本当にひどかった。2年前の鶴林寺を登ったときのように、5歩進んで5秒休む、ということを繰り返しながら登り続けた。それでも息切れと動悸は過去経験したことがないくらいひどくて、そのまま倒れ込んでもおかしくないくらいだった。柳水庵からここまでのタイムはベストより4分遅れだったけれど、体調からすれば10分以上遅れたような感じがしていた。


 13:16
石段を登って浄蓮庵の前へ出てきた、時間がないので休むつもりはなかったけれど、息を整えなくては先へ進めない。水を飲んでキャラメルを口の中へ入れる。石段の下に着いてから6分で庵の前を発つ。不本意ではあるけれど、これ以上休むとバスの時間に間に合わない。


 13:32
浄蓮庵からは標高差340m下の谷まで一気に下っていく。最初の方は緩やかでものすごくスピードの乗る歩きやすい道だけれど、相変わらず調子が悪い。下りだけに息切れはなくなったけれど、足取りはやや重く時速6kmは出ていない。坂が急になる所に「へんろころがし5/6」があった。考えればころがることは圧倒的に下り坂での方が多い。登り坂がへんろころがしと一般的に言われるけれど、実際に登り坂ではあまりころばない。この立て札こそ最も意味のある有効なものだと気がついた。
 ここから少し下りた所で男の人に追いついた。昨年もほぼ同じ時間にこの近くの所で夫婦遍路に追いついた。足の遅い人は藤井寺からこのあたりまで6時間近くかかるということらしい。追い抜いてそのまま行こうとしたけれど、思い返して遍路宿情報を手渡した。


 13:38
谷の集落が見えてきた。この少し手前の所でも、男性二人連れを追い越した。今度は迷わず遍路宿情報を手渡す。この前の方の広い道には女性の二人連れが歩いているのが見える。谷の下までには追いつけるだろう。


 13:39
ちょっとほっとする谷間の風景。


 13:40
この先でいつも犬に吠えられる、でも今回は珍しくおとなしかった。


 13:43
右の舗装道ではなく、左の側溝の上がへんろ道。このちょっと手前で女性二人連れを追い抜いた。もちろん遍路宿情報を渡す。


 13:45
渓流に架かる小橋を渡る。ここが谷底でここから焼山寺まで300mの標高差を登ることになる。スタミナはさらに切れてこの先どうなるか見当もつかない。

6/6、当然最後のへんろころがし。この坂が一番長く、標高差も一番。


 13:48
眼前に立ちはだかる岩壁、これは山道でも坂道でもない。四元さんが叫び声をあげて立ち止まってしまったのはここだったかもしれない。ぼくも一旦覚悟を決めてからよじ登り始める。


 14:01
調子のいいときには全く気にならず無視する町石が、やけに気になる。1丁(町)は109mだからあと1200mということか。


 14:13
ようやく明かりが見えた。あそこから幅の広い林道が始まる、傾斜は緩やか。あと1km、いつもならあと10分だけど・・・。


 14:20
林道が県道に合流する所。林道に上がってくるとそれまでどんなに疲れていても、元気に時速6kmくらいで歩けてしまうのに、今回は全く違った。自分の身体ではないような感じだった。どんなに力を入れてもよたよたとふらふらと夢遊病者の様にしか歩けなかった。前を行く男の人を追い抜いたけれど、挨拶する余裕も遍路宿情報を渡す余裕もなかった。坂道でのひどい歩き様よりも、林道に上がってから思うように歩けなかったことの方がショックだった。昨年でもこんなにはひどくなかった。

県道から参道に入る。参道はほとんど平坦なのにやはり身体は思ったように動いてくれない。スピードは半分くらいしか出ていないような感じだ。この参道を落ち込みながら歩くのは初めてかもしれない。


 14:26
やっとのことで12番焼山寺に到着。山門から石段を下りてきた所(おへんろキティちゃんが立っていた所)で男の歩き遍路さんとすれちがった。遍路宿情報を渡す余裕はなかった。柳水庵からここまで100分もかかる、ベストタイムより15分も遅れてしまった。最悪だった昨年よりも3分遅い。藤井寺からのトータル(休憩時間も含む)をみると、2回目=3時間15分、3回目=3時間11分、4回目=3時間13分、5回目=3時間13分、6回目=3時間14分、7回目=3時間34分、今回=3時間24分。1回目は記録をとらなかったので不明、7回目だけ異常に遅くなったのは理由がある。2回目から6回目は鴨島駅の近く、藤井寺の近くの宿から出発した(5回目は柳水庵に泊まった)のに対して、7回目は藤井寺まで17km以上歩いた後で登り始めた。そして今回が昨年までと明らかに違っていたのは季節、昨年まではすべて4月中旬から下旬だった。今回だけ6月で、気温は平年を上回る29℃、もう少しで真夏日になるほどだった。真夏のウォーキングは危険だと重々承知しているつもりだったけれど、甘く見てしまった。真夏には1ヶ月半以上あるし、山の中で木陰もあるからさほどでもないだろうと、軽く考えてしまった。焼山寺+暑さ=この体たらく。


 14:38
計画では14時15分に焼山寺着く予定だった。遅くても20分までに着けば何とかなると思っていた。それが6分も遅れて、山門をくぐるときは半分パニックだった。水屋に寄る前にトイレの横の流し台で水を補給する、500ccを一気に飲み、下山の時のためにペットボトルに詰める。それからすぐに本堂の前へ、蝋燭、線香をあげ、納め札、お賽銭を入れる。でもさすがに般若心経を詠む余裕はなかった。手を合わせて一礼するにとどめるしかなかった。大師堂でも同じことを繰り返し、休憩なしでそのまま山門に向かった。山門を出たのは14時37分、35分に出ればいいと思っていたから、これで何とかなりそうだ。前回、前々回以上のバタバタになってしまった。


 14:41
自動車道に合流。下り坂でだいぶ楽には歩けているけれど、例年のようなしっかりした歩きはできていない。足首が気になって無理にスピードを出すこともできない。

県道を横断してすぐ歩き道にはいる。


 14:43
また県道を横断する、歩き道は相当な短絡路になっている。その分勾配もかなりなもの、ひざに負担がかかってくる。


 14:50
小橋を渡る。この渓流はなべいわからずっと県道沿いに流れて神山の町に入る所で鮎喰川に合流する。


 14:53
三度県道に合流する。下りきった所に山門の下ですれちがった男の人がいた。携帯でお話中だったので、声もかけず遍路宿情報を突き出して無理矢理受け取って貰った。何のことか判らないだろうけれど、じっくり見てもらえば必ず重宝して貰えると確信している。

今度はしばらく県道を歩く。県道は勾配も緩やかで足元もしっかりしているけれど、思ったほど調子は出ない。


 14:56
県道を250mほど歩くと杖杉庵に着く。焼山寺から1.8kmを19分、悪くない数字だけどいつもならもう2分は早く来ていただろう。へんろみち保存協力会の地図には何度改訂されても「じょうさんあん」と書かれているけれど、「じょうしんあん」が正解。杉の音読みは「しん」であって「さん」という読みはない。

杖杉庵の前から県道を離れ歩き道短絡路に入る。最初は背の低い果樹園の中を行く。


 14:59
果樹園を抜けるとかなり急な山道が待っている。足元は安定していないので足首に負担がかかる。ここまで急な下り坂が続いたので、ひざの周りの筋肉や筋もかなりダメージを受けている。三坂峠や横峰寺の下りでは同じような痛みを感じたこともあるけれど、この下りでこれだけの負担を感じたのは初めてかもしれない。


 15:09
県道に合流、これで短絡山道は終わり。ここからゴールまでずっと県道を行く。


 15:14
すだち館はネットでの情報しか持っていなかったので、詳細な位置は知らなかった。バスターミナルの公衆トイレの向かい側にあった。お接待所では男性が一人休んでいた。焼山寺からここまで3.4kmを37分で下りてきた。昨年より3分の遅れ、バス停までまだ4.1kmあるからこの調子で行くと微妙な感じ。


 15:48
すだち館から左右内谷川を右に見ながら県道43号を歩く。鮎喰川に架かる寄井喜多橋が神山の町の入口。3.3kmを33分でやってきた。時速は6km出たけれど、やはり思ったような感じでは歩けなかったし、昨年のように楽しくもなかった。昨年はこの道は初めてで、1日の最後の部分で、本当にリラックスして歩けたのを覚えている。その時の時速は5.5km、全然速くなかったけれど、天気が良くなって、心地よいなだらかな下りで、初めて見る景色で、開放感に満ちていた。今日追い抜いてきたお遍路さんを見ていても思ったけれど、速ければよいというものではないと、改めて身に沁みた。ゆっくりと、時間をたっぷりかけて歩くということは、それだけ深く豊かにへんろ道を味わえるということだ。足を痛めたりしていれば、苦しくて辛いだけの道のりになるかもしれないけれど、それでもぼくのような歩き方よりも得るものは確実に大きいものがあるはずだ。


 15:50
橋を渡って突き当たりにバス停があった。時刻表を見ると、ぼくの乗るべき時刻がなかったので一瞬驚いたけど、考えてみればこれは下りのバス停で、上りのバス停はもう少し先にあるのだった。


 15:55
下りのバス停から100m先、スーパーの前で高校生3人と年輩の男性がバスを待っている。ただしバス停の印はなくて心許ないのでもう一つ先のバス停まで歩くことにする。本当はもう二つ先の寄井中(400m東)まで歩く予定(次回乗るバスは寄井中が終点なので)だったけれど、時間がかなり微妙になったのと、心身共に相当疲れてしまったので、二つのバス停の中間にある寄井を本日のゴールにすることにした。バスの時間は59分なので余裕は4分しかなかった。でもこのバスの時間に間に合ったことで、今回の旅は100点満点だといえる。確かに、柳水庵からの後半は不本意極まりない歩きだったけれど、これだけ多くの制約がある中で歩くわけだからそれは仕方のない所。足の怪我は治りきっていないし、そのせいで練習は不十分で山登りの練習も全くできていない。季節は夏に近いし、限られた時間もある。本当なら完全に無理なことに違いない。山を登りながら、初めて、無理なことをしているのではないかという疑問が何度も頭をかすめた。
 でも今回も、無理してもやって良かったと心から思った。前2回とは全く違う部分が鍛えられた。アキレス腱の上の部分の筋肉がかなり痛んだ、帰って4日くらい張りが残るくらい。焼山寺を越えなければなかなか強くすることができなかっただろう。それでも、その上のふくらはぎの筋肉はまだフニャフニャで右足よりよりも1cm細い。まだ100%には時間がかかりそうだ。


6月10日 ①

2010-06-11 | 10年日帰り遍路

 10:20
2週間ぶりに前回のゴール、鴨島駅に戻ってきた。電車が到着したのは10時17分、白衣を着け、遍路バッジをザックに付けて歩き始めたのは10時21分。この駅前通を歩くのは5年ぶりになる。


 10:21
5年前、3回目の時にお世話になったビジネスホテル双葉が廃業になっていた。第9版のへんろ地図から消えていたので判ってはいたけれど、実際に目にするとやはりさびしい。福知山線の脱線事故のニュースを見たのはこのホテルでだった。
 ぼくが泊まったことがある遍路宿で廃業になったのは、民宿坂本屋(阿波市=休業)、飛巌荘(室戸市)、山本旅館(奈半利町)、伊予屋旅館(四万十町)、民宿わかば(黒潮町)、民宿北村(土佐清水市)、ビジネスホテル桂月(宿毛市)、内海リゾートホテル(愛南町)、月の家旅館(今治市)。山本旅館には5回、内海リゾートホテルには3回泊まったから、廃業と判ったときには本当にひどいショックだった。


 10:22
評判の遍路宿、さくら旅館の前を通過。掃除も行き届いて見るからに雰囲気のいい玄関だ。


 10:26
国道192号の交差点までやってきた。ここを右に折れる。手前右は阿波銀行、向こうはマルナカ。


 10:27
スーパーマルナカは四国を中心に展開、香川70店、徳島27店、愛媛23店、高知15店。愛媛はフジ、高知はサンシャインの方が幅を利かせているようだ。


 10:28
国道を西へ行くとすぐ左に折れる標識が現れる。


 10:29
鴨島郵便局の角を左に折れる。


 10:30
道を挟んで郵便局の隣にローソンがある。ここに来ると毎回食料を仕入れた。何しろこの先30kmくらい適当なスーパーやコンビニは見当たらない。今回は入らない。


 10:33
今日初めての遍路シール、この右斜めに入る道は一度も行ったことがない。2年前ここに来たときにもこのシールはあったと思うけれど、その時は旅館吉野に直行したのでこのシールは無視するしかなかった。でもこの道には赤点線は付いていない。今の地図には郵便局から南下する道にも付いていない。でも、昔の白黒の地図には郵便局からの道には付いていた。逆に、今の地図に付いている阿波中央橋からそのまま南下する道の方には付いていなかった。おそらく、鴨島駅の周辺に泊まった人の多くは昔からぼくが今日ここまで来た道を歩いたのだと思う、そしてここも右に入らず、そのまま直進したのだと思う。でもせっかくの初めての道なので矢印に従うことにする。


 10:34
水路に当たって右に折れる。矢印もある。


 10:35
水路にかかる小橋の所で左折。


 10:36
橋を渡ると右手に飯尾敷地小学校が見える、できたばかりの新しい小学校のようだ。

直進している道にも矢印がある。なくてもいいようなものだけど、あれば安心できる。


 10:38
突き当たりを右折する。ミラーのポールにちゃんと矢印がある。

右折するとすぐ飯尾郵便局がある。この前の道は初めてではない。6年前、本来のへんろ道を歩いたとき藤井寺の1.2km手前で右折するところを、そのまま直進してこの前の道を通り鴨島駅の方に向かった。当時は旅館吉野がなかったので駅の近くの宿に泊まることにした。

郵便局のすぐ前を左折する。

左折するとまた田園の道。


 10:39
すぐまた右折、飽きのこない道。


 10:40
また左折。せっかくなので曲がり角は全部撮影することにする。

曲がると広めのあぜ道。


 10:41
自動車道に当たると左折、ガードレールがなかったら矢印はどうなっていたか。
ここは阿波中央橋から南下してくる道と合流するポイント。

すぐ右折。

曲がるとまたあぜ道、こちらの田んぼは田植えはまだだ。山が近づいてきた。


 10:43
この20mくらい手前に右折ポイントがあったけれど、矢印はなかった。貼れるところが全くなかった。でもその地点から右の方を見るとこの矢印が見えていたので迷わず右折して、この左折ポイントへやってきた。

曲がると川沿いの広い自動車道を行く。


 10:48
旅館吉野の前を通るいつもの道と合流、帰ってから測定すると、いつもの道の方が30mほど短かった。ここまでの矢印はほとんど無駄だったのではないか、ちょっと首をひねりたくなる新しいへんろ道でした。


 10:51
鴨島駅から丁度30分で11番藤井寺に到着した。時速は6.0km、撮影枚数や気温のことを考えればまずまずのスピードだったといえる。


 10:53
納経所の前に新しい建物ができていた。その軒下にはベンチがあって雨の日でもゆっくり休めるようになっている。昨年までは小さなお堂の軒下に腰かけるところはあったけれど、充分だとはいえなかったので、これからは雨の日でも安心。この建物は、通夜堂(簡易宿泊施設)のような感じもするけれど、だとしたら重宝する野宿遍路の人は多いだろう。


 11:01
境内には車遍路の人が3人ばかり、歩きで焼山寺を越えるには遅くても9時にはここを発たなくてはならない。ぼくが歩きの人に追いつくのは早くても浄蓮庵を過ぎてからになるだろう。


 11:01
登り口にある注意書きと小さな祠、1番霊山寺とある。ここからしばらくはミニ四国になっていて88ヶ所のご本尊がお祀りされている。その出口がこの登り口の少し下の所にあって、間違ってそこから登り始めてうろうろしたことが3度もある。昨年7回目なのに間違ってしまったくらい。

と書かれても、初めてここに来る人にとっては、自分がどれくらいで歩けるのかは全く見当が付かないだろう。


 11:02
ここには16kmと書いてあるけれど、へんろみち保存協力会の地図には12.9kmとある。どちらが正しいのか判らない。山道は正確に測ることができないので、一応地図の距離を信用することにしている。


 11:03
登り初めはミニ四国が並ぶなだらかな坂道。ミニ四国はこの先で下り坂に別れ、そこからが本当の山道になる。


 11:06
数字の意味はよく分からないけれど、とにかくここからが遍路ころがしということらしい。

上を見上げるとこんな感じ、毎度のことながら写真では坂の勾配はあまり伝わらない。光も不十分で全体としてよく分からない。ぼくのカメラではこれが限界。


 11:11
広い道に出てきた、手前に新しいベンチがあって、ここで一息つきたくなるのが人情。実際何回か休んでいる人を見かけたことがある。でもまだ登り始めて9分、全体の5%しか進んでいない、ここで休む人は6時間で焼山寺へ到着することはできないだろう。

ベンチのすぐ前に判りやすい道標がある。


 11:12
幅の広い平坦な林道からUターンして急な坂道に入っていく。


 11:13
右手に視界が開けた。絶景、と言いたいところだけど、まだ標高は120mくらい。中間地点、柳水庵の標高の4分の1にも達していない。ゆっくり眺めを楽しんでいる場合ではない。


 11:14
焼山寺まで11.6km、へんろみち保存協力会の地図を信用するなら藤井寺から1.3km登ってきたことになるけれど、目の前の道しるべには700mしか来ていないことになっている。でもまだ12分しか経っていないから700mの方が正解のようだ。これだけの坂道になると、時速は3km前後しか出ない。


 11:15
舗装されたヘアピンカーブの林道。


 11:17
端山休憩所までやってきた。標高は225m、初めての時ここで休憩してしまった。その時は切幡寺門前の宿から出発して、藤井寺まで10km近く歩いていたので無理もなかったけれど、本当に行き当たりばったりだった。先のことなどほとんど見えていなかったし考えてもいなかった。2回目以降はここで休むことはなかった。

さっきの所より100m高いのでさらにいい眺め、でもまだゆっくりすることはできない。撮影のあとすぐ歩き始める。


 11:18
焼山寺まで11.9km、ということは藤井寺から1kmの地点。時速は3.75km、ほとんどきつい坂だったから納得できる数字。


 11:24
ほっと一息つける平坦に近い道、でもそんなに長くは続かない。端山休憩所から長戸庵までの標高差は200mもある。距離は倍以上あるから全体としての傾斜は半分くらいにはなるけれど。


 11:28
3分ほどきつい坂を登って、また平坦なところにやってきた。緩い所ではスピードを乗せたいけれど、いつものような力が出ていない。


 11:31
またきつい坂を3分ほど登って緩やかな所に来た。長戸庵までは緩やかな所は長くは続かない。


 11:37
昨年は調子が悪く長戸庵までがすごく長く感じたので、こういう標識が現れても安心も油断もしない。

ここからはしばらく平坦な道が続く。でもいつものような快適な感じがないのは気温が高いせいだろう。30℃近くまで上がっているのは顔中から噴き出ている汗の量で実感している。


 11:40
まだまだ一息入れることはできない。柳水庵まで休むつもりはない。


 11:43
久々に急坂が眼前に立ちはだかる。でも昨年よりはここまでのダメージは少ないようだ。


 11:45
ここまで来ても、特に期待感もなく淡々と前を目指す。明らかに昨年よりは調子がよい。


 11:51
藤井寺から49分で最初のチェックポイント長戸庵に着いた。驚いたことにベストタイムより2分早かった。最悪だった昨年よりはずいぶんいい感じだとは思ったけれど、一番調子が良かったときに比べれば不十分な感じがしていたので、このタイムは全く意外だった。
 ここは藤井寺から3.2kmの地点、焼山寺までの4分の1の地点になるけれど、時間で計算すれば29%の地点になる。藤井寺からの標高差は400m、結構な勾配だったけれど、この先の浄蓮庵の手前は900mで160mの標高差、焼山寺の手前は2.2kmで300mの標高差を登る。焼山寺の標高は700mだけれど途中で下りもあるから、延べにすると1000m以上は登ることになる。最高地の雲辺寺よりこちらの方が第一の難所とされる所以。

焼山寺まで9.5kmとなっているけれど、地図では9.7kmになっている。ここから柳水庵までは3.4kmで100m登って40m下る。ここまでに比べれば大した標高差はないのだけれど、意識しすぎると自らの足を引っ張ることになる。


 11:56
ここは端山休憩所より200m以上高い所、端山からずっと山の中だったこともあって、思わず立ち止まって見惚れてしまう。

昨年まではベンチしかなかったけど、その横に新しい休憩所ができていた。中で男の人が寝ころんでいた。この時間にこんな所で休んでいて焼山寺を越えることができるのだろうか。


 12:01
山道の中ではこのような馬の背が大好き。なぜ好きかというと、馬の背は大体が平坦な道になっているから。


 12:03
へんろころがし2/6、相変わらずこの数字の意味は分からない。


 12:10
ここからやや下りになる。長戸庵と柳水庵の間のピーク(標高540m)は過ぎたのかもしれない。


 12:12
この距離が正しいとしたら、ここまでの平均時速は3.9kmになる。焼山寺までの平均と比べればちょっと遅い。

前の道しるべと直角に並んで立っている。山道には珍しく直角に左折する。距離や時間はほとんど当てにならないので無視することにする。


5月27日

2010-05-28 | 10年日帰り遍路

 9:53
高速舞子8時10分発のバスに乗ると徳島駅に9時28分に着くことになっている。鍛冶屋原行きのバスは9時30分発、そのあとは10時00分発になっている。ぼくは10時のバスに乗るつもりだけれど、運が良ければ30分早いバスに乗れると思っていた。でも、高速バスは高速を下りてからは順調には行かず、徳島駅に到着したのは9時31分だった。通勤時間ではなかったけれど市内に向かう車は多かった。当初の予定通り30分近く駅前のバス停で待つことになった。
 鍛冶屋原行きの3番のベンチには若い女性のお遍路さんが休んでいた。金剛杖は新しいけれど先は磨り減っているし、へんろ地図は使い込んで半ばぼろぼろになりかけている。四国を一巡してきたのか、薬王寺あたりまで行って戻ってきたのかよく分からない。感じとしては後者、金剛杖やシューズの汚れ具合は一国打ちの感じ。そのシューズは、ぼくがHPなどで推奨している、ミズノのフリーウォークOD100GTXだった。四国でこの靴を見るのは3度目だ。


 10:58
板野駅南の二つ先のバス停で一人降りて、あとはずっと車内の乗客はぼく一人だった。2週間前通ったなじみのある風景を楽しみながら、前回の終点、鍛冶屋原に到着、予定時刻より4分ほどの遅れだった。バス停で白衣を着ける。手甲は車内で着けていた。


 10:59
左に折れるとへんろ道が始まる、ここから50m先までは2週間前に歩いたけれど、その先はもちろん1年ぶりになる。


 11:05
県道の交差点までやってきた。横断すると6番札所はもう目の前、といっても500mはあるけど。


 11:07
橋は二またに分かれている。左の細い橋が本来のへんろ道。


 11:10
バス停からの1.2kmを11分で到着、なかなかのスピードだ。安楽寺の納経所は本堂の中にあるので撮影はできず、代わりに大師堂の杖立を撮影。左側の方にも山頭火の句が刻まれていて、そちらは「もりもり もりあがる 雲へあゆむ」とあった。


 11:24
安楽寺には車遍路の二組4人がいるだけで、とても静か。この時間だと5番門前の宿を出た人でももっと先(8番あたり)に行っているので歩きの人に追いつくのはずっと先になる。山門を出て県道の前へ出てくる。

県道に面して近代的な安楽寺の宿坊が建ち並ぶ。この左端にはやや古い建物も見える。余程の健脚でない限りこのあたりに宿をとって藤井寺まで行き、翌日の焼山寺越えに備える、というのが一般的な歩き遍路の計画になる。二日先、三日先のことを考えず行き当たりばったりで宿を決めていると、思わぬ痛い目に遭うことがある。


 11:25
県道を右へ折れて旧いへんろ道に入る。前はこんなにたくさん遍路シールが貼っていなくて真っ直ぐ行ってしまう人も多かった。事実、この道へ入れなかった二人連れに道案内したことがある。ぼくはその時88番から戻って来るときで、7番札所に立ち寄る必要がなかったのでこの県道を向こうから歩いていた。


 11:29
1.1kmと刻まれているけれど、実際のところは600mくらいしかない。


 11:31
熊野神社の前で左手に大きく視界が広がった。あの山並みを越えたはるか向こうに、次回お参りする焼山寺が待っている。


 11:35
6番からの1.2kmを12分で7番十楽寺に到着、まずまずのスピード。この区間を11分で歩けたのは2回だけだから、十分満足できる。こちらも境内の人影はまばら、いずれも車遍路だ。山門の横には白いキャンピングカーも停まっていた。


 11:47
12分で滞りなくお参りを済ませ山門を出る。今回もほとんど休憩する余裕はない。


 11:49
熊谷寺は右、の大きな標識があるけれど、これは車遍路のための標識で、歩きは左斜め前へ進まなくてはならない。最初の時これを信用して右の方へ進んでしまった。大して遠回りではないけれど、登りのきついところがある。


 11:50
新しくできた遍路宿の案内板があった。もし通しで108ヶ所巡りをする機会があったら、初日はこの宿に泊まろうと決めている。素泊まり4000円で、越久田屋より500円安い。

交差点にさしかかると電柱に左矢印。最初来たときは、このシールもなかったし、まともな地図も持たずに歩いていた。


 11:51
県道を横切ると、右矢印の看板。歩き道と書いてあるけれど、もちろん歩いていけるけれど、旧来のへんろ道ではない。遍路接待所を運営している越久田屋さんがこの看板を作ったようだ。越久田屋に行くにもこの矢印に従って進む。ぼくは昨年越久田屋に泊まったので6年ぶりにこちらの道を歩いた。

すぐ横には反対向きの矢印がある。初めて来た人はどちらの矢印に従うのだろう。へんろみち保存協力会の地図にはこちらにしか赤線が引いていないから、こちらを選ぶ人が多いとは思うけれど。ちなみに、四元さんは右矢印の道を行って接待所に立ち寄っていた。

旧来のへんろ道に入る。車はほとんど通らずいい感じ。


 12:00
宮川内谷川を渡る。向こうに見えている橋を渡って200mくらい先に越久田屋がある。


 12:03
御所小学校の側にある道しるべに赤矢印が貼ってある。矢印の下は指が反対方向を指しているのだ。この道しるべを信用して多くの人が右側へ入っていったことだろう。ここを入るとはっきり遠回りになるし、ちょっとした山越えもある。


 12:10
国道318号の交差点にやってきた。ここにも熊谷寺は右の矢印がある。これも車のための標識。


 12:21
右に折れると熊谷寺、遍路シールはあるけれど、肝心の熊谷寺の文字が色あせてほとんど判らなくなっているのが残念なところ。


 12:22
徳島自動車道の下から熊谷寺の山門がのぞいている。山門の前に着いたのはこの2分後、十楽寺からの3.8kmを37分かかった。ベストより3分遅いけれど、時速6kmを確保できたので満足。


 12:24
山門を入って数メートル前にこの道標がある。熊谷寺はものすごく奥行きがあって、しかも本堂まで緩やかな登りになっているので普通の札所の倍近い時間を要する。一番早くて20分かかっている。


 12:26
これも熊谷寺の特徴、同じように禁煙の注意書きがあるのは、27番神峯寺と66番雲辺寺、でも両札所とも納経所の前に喫煙所はある。


 12:38
大師堂は本堂よりさらに高いところにある。石段を登る。お参りを終えて、石段を下りようとしたら下界の風景を望むことができた。こうしてみると思ったより高いところまで登ってきたことが判る。


 12:40
納経所の前を通って山門に向かう。昨年88ヶ所すべての納経所を巡ったけれど、この納経所は忘れられない。若い坊さんとモーニングコーヒーとモーツァルト。昨年のブログではピアノ協奏曲22番と書いたけれど、23番の誤りだった。
 山門を出たのは12時43分、19分でお参りを済ませることができた。25分と見ていたからかなり時間を稼ぐことができた。


 12:46
土成町役場前の広い交差点にやってきた。最初来たときこの道は車がすれ違うのがやっとという感じの農道だった。雰囲気のあるへんろ道だった。


 12:50
最初来たときこの道標が目に入らなかった。いい加減な地図しか持たず、それを信用しすぎていたせいもあるけれど、何も見えていなかった。歩いていたのではなく、彷徨っていただけだった、以降ちゃんと歩きたいと思うようになった。ここに来るたび7年前の自分をまざまざと思い出す。


 12:56
この少し手前の所で、今日初めて歩きへんろの人に出会う。男性1人、女性3人が連なって歩いている。初めから4人連れなのか、途中で知り合って一緒に歩いているのかよく分からない、今日は5番門前の宿から出たに違いない、時速は3km前後だから鴨島まで行くのは難しいかもしれない。鴨島の手前となると旅館八幡しかないけれど、そこから焼山寺を越えるのは相当無理があるように思えた。追い抜きざま一人一人に遍路宿情報を手渡した。


 13:01
9番法輪寺に到着。前に歩きの人がいると、追い抜いた後でも自然と足が速くなる。写真の枚数が少ないこともあって、ベストタイムと同じ2.0kmを18分で到着した。境内は自転車遍路の二人組とあと数名の車遍路だけでとても静か。13時50分までに10番札所に着きたいので、慌ただしくお参りを済ませる、ほめられたことではないけれど、致し方ない。


 13:13
山門を出ると、先に追い抜いた4人連れが到着するところ、ちょうど時速3kmくらいだ。遅いと1日に歩ける距離も短くて、日数も費用もかさむけれど、その分豊かなお遍路ができることは間違いない。ぼくはとにかく早いけれど、良いことは費用がかからないだけで、うらやましがられることは何もないし、豊かでないことは自覚しながら歩いていた。
 この標識のある交差点を右に折れると、前に二人連れの歩きの人が見えた。二人ともやや足を引きづり加減で、辛そうな歩きだ。追い抜くときに遍路宿情報を手渡す。あの足では明日の焼山寺は相当きつそうだ。


 13:20
番外霊場、小豆洗大師の前にやってきた。小さな祠があるだけだけれど、番外とはいえ霊場なのできっちりお参りしていくお遍路さんもいる。ぼくはとてもそこまでの余裕は持てない貧しいへんろ旅。


 13:23
四国のみちは必ずしもへんろ道と一致しない。だから四国のみちの道標や矢印を100%信用してはいけない。この矢印がよい例、誤解しないように三つも赤矢印が貼ってある。


 13:25
県道に合流したところに接待所がある。9番から10番までは3.7kmほどしかないので、今まで一度も休んだことはない。もちろん今回もスルー。
 この少し先で夫婦遍路に追いついた。男性が奥さんのリュックを左手に提げている。そんなに大きなリュックではないけれど、それすらも負担に感じて普通に歩けなくなっているようだ。右手には金剛杖を持って手がふさがっているので遍路宿情報を渡すのは控えた。時速3kmも出ていない、この調子では焼山寺を越えるのは無理だろう。


 13:27
URLが、
http://www.omotenashi88.net となっている。これはNPO法人遍路とおもてなしのネットワークのもの。2000年頃から香川県を中心に活動を始めた。この遍路人形のシールも5年くらい前までは香川県でしか見かけなかった。同じデザインの遍路大使のバッジもこの団体が制作しておへんろ交流サロンで配っている。


 13:39
県道を右に折れて参道にはいる。山門まであと500m。

参道に入ってすぐの民宿坂本屋、入り口に休業中の張り紙がある。2年前四元さんがこの前に来たとき、女将さんが出てきて、体調が優れないのでお休みしているのだといっていた。まだ再開のめどはたたないようだ。
 この先の徳島自動車道の下で男の人が立ち止まって地図を広げている。遍路宿情報を手渡すと、この先どう行けばいいのかと訊かれた。県道に出たら横断してそのまま真っ直ぐですと教えてあげる。たしかに、地図には右折れの方にも赤線が引いてあってややこしくなっている。右折れの赤線は88番から戻ってくるときの道。そして地図はそのあとすぐ切れて11番札所とのつながりが分かり難くはなっている。1度来ていれば何ていうことのない道だけど、初めてだと地図を持っていてもこういう風に迷うことがある。


 13:44
10番切幡寺に到着、山門までの3.5kmを34分かかった。ベストタイムと同じだ。写真も撮ったから一番速いかもしれない。やはり前に歩きの人がいるとスピードの乗りが全然違ってくる。


 13:45
山門を抜けるとすぐこの道標が待っている、熊谷寺より少し短いけれど、実質はそうではない。

犬を連れて歩いているお遍路さんを見たことがある。犬は1日に20km以上毎日のように歩かされて嬉しいのだろうか、辛いのだろうかと首をひねったことがある。


 13:46
ここからが本当の切幡寺、ちょっとした修行の参道になる。1番から10番まででこういうところは初めてになる。でも普段歩いていない人にとっては平地でも20kmを超えれば充分な修行にはなっていることだろう、実際そういう人を目にしてきたばかりだ。ぼくも山道や長い石段は本当に久しぶりなので、男厄坂の途中では相当息が上がった。でも立ち止まって息を整えることは一度もなく、何とか快調に登りきることができた。水屋で息を整え本堂へ行くと、丁度二人の男性がお参りをしていた。大師堂へも二人に続き、二人が納経を終えるのを待って、遍路宿情報を手渡す。少し余裕ができたので、納経所の横のベンチで軽食を摂る。あとは鴨島駅までの8kmを歩くだけ、予定通りの電車に乗れそうだ。


 14:15
山門手前の駐車場には十楽寺の山門横で見かけたキャンピングカーが停まっていた。熊谷寺、法輪寺でも見かけた自転車遍路の二人組もいる。このあたりは札所の間隔が短いので歩いていてもいい勝負ができる。山門を14時10分に発つ。20分に発てば間に合うと見ていたけれど、さらに10分の余裕ができた。ここから藤井寺までは絶対迷いようがないくらい、道標や遍路シールがいっぱい出てくる。


 14:21
このシール(ステッカーと言うべきか)は初めて見る。そういえば、どういう事情か知らないけれど、昨年は3人の外人サイクリストに会ったし、今年もすでに一人と会っている。20日で一巡ということは1日60km、無理のないところだろうけれど、ぼくは自分では絶対自転車は無理だと思っている。坂道、山道が多いし、歴史的なへんろ道(山道)は通れないところも多いし、国道やそのトンネルでは危険がいっぱいだし、へんろの味わい、豊かさといったら、歩きに比べればそれは貧しいものにならざるを得ない。


 14:22
振り返ると切幡寺の大塔が見える。あの中腹の標高は150m。


 14:25
県道12号の交差点、この大きな道標は無駄なようにも思えて、案外初めての人には安心感を与えているかもしれない。

道標の上には地図も用意されている。至れり尽くせりのへんろ道。


 14:26
交差点から右に旅館八幡が見える。ここから藤井寺まで8kmあるので、この宿に泊まって焼山寺を越えるのは健脚でないと難しい。


 14:31
八幡郵便局の手前に遍路シールと五鈷杵のマーク。左に折れる。


 14:33
切幡寺から吉野川までで曲がるのは、さっきの郵便局の前とこの角の2回だけ、これだけ大きな標識があるのはそのまま直進してしまう人が多かったからだろう。


 14:36
矢印が直進と左折れの二つある。直進するのが本来のへんろ道、左折れは鴨島駅への近道、ただしこちらから藤井寺に向かうと遠回りになる。主に鴨島駅の近くの宿に泊まる人がこの道を行く。ぼくは過去3度直進し、3度左折した。最初の時は誰もが行かないようなおかしな道を行った、何しろ彷徨っていたから。今回は終点が鴨島駅なので、左折する。


 14:38
左折すると水路沿いの道を行く。


 14:45
右側の吉野川の土手が近づいてくる。


 14:48
突き当たりの吉野川の土手を上る。登り口にはちゃんと遍路シールが貼ってある。


 14:49
土手に上がるとこういう感じ、目の前の流れは吉野川の本流ではない。


 14:55
ほとんど読みとれないほど色あせた赤矢印、へんろみち保存協力会のシールはこのように色あせたものが目立つ、それだけ古くから活動しているということではあるけれど、


 14:57
渡るべき橋が近づいてくる。遠く眉山もはっきり姿を現した。


 15:04
この少し手前に、吉野川河口より26km、の標識があった。それで尚これだけの川幅を有している。淀川の河口あたりと同じくらいかもしれない。


 15:05
こちらの矢印は何とか読みとれる。橋には両側に歩道がある。


 15:08
ぼくのカメラではこの広大な川を捉えきれない。


 15:12
3分の2くらいの所で吉野川市に入る。ぼくが最初来たときは鴨島町だった。6年前、鴨島町、山川町、川島町、美郷村が合併してできた。


 15:14
8分07秒かかって阿波中央橋を渡りきる。帰って距離を調べると815mだった。丁度時速6kmで歩いたことになる。

橋を渡ったところにきっちり遍路シールがある。こちらも薄い。


 15:18
わざわざペンキ塗りたてを撮影した理由はいかに、


 15:19
この形のポストはぼくの街でも何ヵ所か見られるけれど、本当に希少な存在になってしまった。このポストはこれだけきれいにして貰ったのだから、あと10年は頑張ってくれるだろう。


 15:24
JR徳島線の踏切を渡り、すぐ前の辻を左折して線路沿いの道を行く。


 15:29
6年前、2回目の時にお世話になった尾池旅館、新しくて広くて気持ちの良い宿だけれど、素泊まり5500円で遍路宿としてはちょっと高い。

その隣にあるのがしげる旅館、こちらは4年前4回目の時にお世話になった。素泊まり3500円で部屋もきれいで女将さんも愛想が良く、もう一度泊まりたい宿。でも以降はルートがちょっと違ってしまったので鴨島駅の近くに泊まることがなくなってしまった。


 15:30
本日のゴール鴨島駅に到着、切幡寺山門からの7.7kmを80分かかった。撮影の時間を差し引けば何とか時速6kmは出ていただろう。前回のような違和感や痛みも全く感じることはなかった。完璧にはほど遠いけれど、前回よりはいくぶんいい歩きができたと思う。

 今回もやっぱり慌ただしかった、バスと電車に合わせないといけないからこれはどうしようもない。法輪寺では水屋に寄るのも忘れたりしたけれど、撮影は比較的思い通り落ち着いてできたのは良かった。昨年はこの区間雨が降っていたので極端に写真が少なかった。
 歩きの人には12人に会って、9人に遍路宿情報を渡せた。これは予想外、この時期から歩き始める人は少ないと思っていたので、切幡寺までにこんなに追いつけるとは思わなかった。会ってもほとんどお話はしないけれど、歩いている人を見かけるのと、全く一人で歩いているのとでは大分気分が違ってくる。その点でも満足感はあったし、嬉しかった。
 足の調子は明らかに前回より落ち着いていた、最終盤でも疲労というほどのものは感じなかった。高速バスを降りるときにはさすがにおかしな具合ではあったけれど、前回ほどひどくはなくて、翌日の後遺症も大したものではなかった。手すりなしで階段を軽快に下りる回数も増えて、また何%か良くなったという自覚もある。
 次回焼山寺越えは来週の金曜かその次の月曜くらいに予定しているけれど、足の具合も大分良くなったのであまり不安はない。ただ、山の中の写真は伝わりにくいので、その点がちょっと不安。


5月14日 ②

2010-05-22 | 10年日帰り遍路



 14:40
松島小学校の手前で左に折れて県道に出るはずだったけれど、小学校の正面まで来てしまった。50mくらい行き過ぎてしまった。


 14:42
50m引き返してへんろ道を左に折れる。県道に出ると正面に阿波銀行。

県道に出て左に折れるとすぐバス停があった。徳島バスのHPで検索したとおり。ここが第1日目の終点だけど、まだ4kmほど歩かねばならない。この鍛冶屋原線は徳島駅まで行くけれど、その途中で高速のバス停、鳴門西に一番近いところで降りる。それは板野駅南というバス停、3番金泉寺の近くにある。
 白衣を脱ぎ手甲をはずす、バスが来るまで13分あるので今日初めての休憩、家から持ってきたどらやきを頂く。


 15:21
予定時刻より2分遅れで板野駅南に到着。でも鍛冶屋原を出たのが3分遅れだったから順調な走行だった。この23分が結構スリリングだった。地蔵寺の近くの羅漢という所から左へ折れて大日寺方面へ向かう、徳島道の手前で右へ折れたところが大日寺口というバス停、ここで女性のお遍路さんが乗り込んできた。不思議だった。こんな所で中断というのは全く理解できない。近くには森本屋さんがあるから、そちらに行かないというのはお遍路をここでやめてしまうとしか思えない。そのあと、あすたむランドという山の中に入っていく、ほんとに時間通りに板野駅に着くのかとひやひやものだった。


 15:57
ここは極楽寺から北の方へ入った新興住宅街「リューネの森」、鳴門西まであと700mの地点。バスを降りた直後はさすがに足の具合がおかしかったけれど、歩き始めるとすぐ普通の状態に戻っていった。金泉寺の前から極楽寺までへんろ道を反対に歩くけれど、わずか2.7kmだし、この時間だし、お遍路さんに会うとは思っていなかった。でも、予想に反して3人の歩きの人に会うことができた。それぞれに遍路宿情報を手渡す。ぼくは装束を着けていないので、3人とも一瞬面食らったような感じだったけれど、気持ちよく受け取ってくれた。


 15:58
リューネの森に極楽寺への案内板、鳴門西から1番を飛ばして先に2番へ行く人などいるのだろうか。


 16:02
昨年の記憶が残っていたので無事リューネの森を通過、高速のトンネルまでやってきた。トンネルを抜けて左に折れると神戸方面のバス停がある。


 16:04
バス停の入り口に無事到着、むろん鍵は掛かっていない。

ここが本日のゴール、バス停鳴門西。なんとか20kmを歩ききった。偶然にもこれが88枚目の写真となった。

 通しで7回も巡った者が、日帰りで20km歩いたくらいでどれだけの満足や充実が得られるのか。自分でもその懸念はかなり持っていた。でも実際に歩いてみてそれは完全なる杞憂に過ぎなかったことがはっきり分かった。歩いているとき、お参りしているときは、通しで巡っているときと何ら変わらない。嬉しさ、楽しさ、ありがたさ。同じ道を8回も歩いて何ら目新しいものはないはずなのに、何が楽しいのか。それは普通の人に理解できないことでしょう、1回ぐらい歩いても判らないかもしれない。2度3度歩いてそういう訳の分からないものが自分の中にじわじわと沸き上がってくる、病気だと云われるけれど、まさにそういうことなのかもしれない。日帰りでも、同じ充足感が得られるのは本当にそういうことだとしか思えない。
 四国遍路は癒しの道、ということが云われる。それは主に精神的な作用だけれど、今回の旅はそれに加えて身体的にも癒された旅になった。高速バスが舞子に着いたあとは足の具合が相当おかしくなって、違和感や時に痛みも感じたりして普通に歩けなくなったけれど、一夜明けると思ったほど後遺症は残っていなかった。それより、他の部分の筋肉が一斉に張りを持っていた。ふくらはぎの筋肉、太股の筋肉、腰の筋肉、背筋、それも痛めた左足だけでなく右足も同等に全部の筋肉に張りがあった。その翌日にはそれらの張りが癒えて、足首の周りもいい感じになっていた。この前10kmを歩いた翌日よりいい感じになっていた。まだ100%ではないけれど、10kmまでなら抵抗なく歩ける自信は持てるようになった。事実、この1週間で3回10kmを歩いたけれど、全く問題はなく、翌日の疲れや痛みもない。四国で20km歩けたことで、筋力が改善されたことは間違いない。


5月14日 ①

2010-05-15 | 10年日帰り遍路

 9:23
今年3回目の高速バスの入り口だけど、前2回とは全く気分が違う。日帰りでも、たった4時間でも、白衣を着けて実際に札所を巡るのと、傍観者として四国へ行くのとでは全然違う。


 9:25
乗り場へ上がっていくエスカレーターから淡路島を望む。天気は曇り、徳島の予報は快晴だったけれど。


 9:31
定刻の4分前、高松行きのJRバスがやってくる。高松行きに乗るのは1年ぶり、昨年同様半分くらい席は埋まっている。ぼくの席は5D、進行方向右側の窓際だ。


 9:37
どんなに頑張っても明石海峡大橋の写真は、バスの中からでは上手く撮れない。せいぜいこんな感じ。鳴門大橋から渦潮の写真は撮れるけれど、それは左側の窓際だけ、諦めてシャッターは切らなかった。


 10:38
高速からドイツ館が確認できた。バス停鳴門西はもう目の前だ。デジカメをしまって、乗車券を用意する。


 10:40
予定時刻より6分早く鳴門西に到着、降りたのはぼく一人。お遍路以外の人はここで降りることはない。

バス停のすぐ前に遍路シールがある。初めてここに来る人でも、これを見ると安心して先へ進めそうだ。


 10:41
トイレの前の休憩所で白衣を着けたお遍路さんが休んでいる。高松方面のこちらのバス停からは乗車できないし、これからお遍路を始めるという感じでもない。首をひねりながら、ぼくも白衣と手甲を着ける。


 10:48
身支度を整え歩き始めるとすぐこの標識がある。赤矢印に従って左の方へ行くのが正解だけど、2年前初めてここへ来たときにはそれが目に入らず、神戸方面のバス停の方へ行って、大変な遠回りをしてしまった。


 10:49
高速沿いの遊歩道を東へ進む。これから渡る陸橋が見えている。


 10:50
遊歩道にフェンス、もちろん鍵はかかっていない。かかっていないのなら、どうしてこんな所にと思う。

階段を登って左に折れれば陸橋。


 10:51
陸橋を渡って高速の北側沿いの道へ、ここから先は南側の道はないのでね。

陸橋を渡るとはっきりした道しるべがある。方角が分かっていれば迷いようのない道だけれど、初めてここに来たお遍路さんにとってはありがたい道しるべだろう。


 10:52
高速の北側沿いの道を行く。

北側の道は高速より高いところにあって、南側には結構な眺望が開けている。眉山もくっきりはっきり確認できた。


 10:53
山の中腹から下界へ下りていく。階段は右へ左へ折れていく。

普通に歩くのは何の支障もないけれど、下り階段はいまだに慎重になる。こんな所で足を痛めている場合ではない。


 10:55
階段を下りてきたところにすぐ遍路シールがあった。これならどんな方向音痴の人でも迷わないだろう。


 10:56
県道41号を横切るとすぐ板東谷川を渡る。ここから南側、この川の西岸一帯があの板東俘虜収容所だったところ。


 10:57
橋から北西の方角にドイツ館が見える。ベートーヴェンが理想とした地上の楽園がここには確かに存在した。


 10:59
大麻比古神社の鳥居の横にある案内板に遍路シール、この交差点を右に折れる。でもこの案内板は左側にあるので、右側を歩いていると、この小さな遍路シールには気がつかないかもしれない。

右に折れて高速道の下をくぐると、1番霊山寺まで300m。


 11:00
霊山寺の植生が見えてきた。多宝塔の九輪と水煙も覗いている。


 11:02
鳴門西から14分かかって1番札所霊山寺に到着した。昨年より1分遅いけれど、写真をいっぱい撮ったので納得のいくところ。脚力が落ちたわけではない。昨年の遍路日記では札所の写真は主に山門だったけれど、同じにするのはつまらないので、今年は納経所の写真を撮ることにする。霊山寺の納経所は本堂の中にあるので写真は撮れず、代わりに多宝塔の写真にする。


 11:04
この時間となると、バスツアーの団体さんは大方先へ進んでいるので、比較的落ち着いた境内、本堂ではきちんと装束を着けた夫婦遍路がお参りをしていた。最初の札所でやや手際が悪そうだった。先にお参りを終えて後で待っていた奥さんの方に「歩きですか」と声をかけたら。「いいえ」と返された。意外だった、これだけきちんと装束を着けてザックも背負っていたので、車遍路だとは思えなかった。なので、遍路宿情報を渡すのは控えることにした。歩きの人は、男性一人くらいしか見当たらなかった。14分でお参りを終えて山門を出る。納経帳はザックの中に入っているけど、納経はしない。日帰りでは阿波と讃岐しか巡れないので中途半端になるし、重ね判というのもぼくは良しとしない。もし次ぎ通しで巡る機会があったとしたら、新しい納経帳を買ってまた墨書して貰うつもりでいる。


 11:15
山門から南へ続く道、JR板東駅から来る歩き遍路さんは皆この道をやってくる。そして2番札所へもこの道を戻ることになる、突き当たりを板東駅とは反対の西側へ折れると極楽寺へ至る。でもこの旧いへんろ道を行く人はほとんどいない、県道を行くより200mほど遠回りになるし、へんろみち保存協力会の地図に赤線はない。ぼくも6年前一度歩いたけれど、あとはすべて県道を歩いている。

県道12号には歩道があるので安心して歩ける。旧へんろ道は2回県道を横切ることになるけれど、その必要もない。2番極楽寺まで1200m。


 11:16
この矢印は新しい方で、最初に四国に来た7年前はほとんど見かけることはなかった。


 11:20
この遍路シールはたぶん初めて見るかもしれない。2年前、前山おへんろ交流サロンで頂いた遍路大使のバッジと同じデザイン。


 11:21
川を渡って北側へ300m行くとバルトの楽園に至る。あの板東英二さんは満州から帰ってきた当初そこで暮らしていたという。


 11:27
2番極楽寺の山門に近づくと、大きなザックを背負った男の人が3番に向かってお墓の中の道へ入っていくところだった。あれだけの荷物だと野宿に違いない。この先追いついても遍路宿情報を渡すことはないだろう。
 1番から2番まで11分かかった。ベストタイムより1分遅いけれど、無理に速く歩こうともしていないし、時速は6km以上出ているから、不満はない。広い境内にお参りの人は数名しかいなくて、とても静かで気持ちがいい。歩きの人は見当たらない。15分で山門を出る。


 11:42
山門を出たところに道しるべがある。矢印に従って右の方へ行くとちょっと高いところにあるお墓の中の道を行くことになる。わずか20mほど近くなるだけだし、登り下りもあるので、ぼくは県道を行くことにしている。近道は2回ほど歩いてはいる。


 11:45
県道を250mほど行くと遍路道に入る。大きな標識があるので初めて来た人でもそのまま県道を行ってしまうことはないだろう。

お墓の近道を行くとここに下りてくる。この標識はほとんど役に立っていないようだけど、逆打ちの人には判りやすいかもしれない。


 11;47
先のシールと同じデザインに矢印と文字も付いている。このシールも初めて見るものだと思う。


 11:50
このシールも新しい。昨年までは見かけなかったはずだ。


 11:51
あまりに美しいピンクで思わず足を止めた。四国に来るまでは庭先や野辺の花に目をとめることはなかったと思う。昨年須崎市で同じように美しい薔薇を見かけたのを思い出す。


 11:52
2ヶ月前、電車の中からこの諏訪神社の前をポンチョを着けて歩くお遍路さんを見た。その2週間後にもこの付近を歩く多くのお遍路さんを見た。それがなければ、今自分はここを歩いていなかっただろう。四国は電車の中から眺めるものではない。自らの足で踏みしめてこそそのありがたみが実感できる。


 11:53
植生に隠れてよく分からないけれど、阿波川端駅を撮ったつもり。向こうからこっちに移ってくるのに2ヶ月かかった。


 12:00
ここは四元さんが最初にお接待を受けて、最初に納め札を手渡した場所。


 12:02
板野インターへ上がっていく道の下を抜けると、まもなく3番金泉寺の杜が見えてくる。


 12:09
金泉寺手前の近道は今年も無視してやや遠回りの街道をそのまま行く。遠回りといっても僅か100mくらいのもの。お寺の脇から入っても結局水屋の所まで行かねばならないから、いくらも近道になっていない。街道からお寺の方へ入っていく交差点の所で次の札所へ向かう二人連れの歩きの人が出てきた。ぼくの目の前50mくらいで右へ折れていった。もう1分早ければ遍路宿情報を手渡すことができたのに、でも4番までは距離があるから追いつけるだろう。3番金泉寺までは2.7kmを27分かかって到着。時速は6kmだけどベストタイムより3分遅れ。足の痛みは全くないけれど、例年のような軽さや力強さも当然ない。本堂でお参りを終えた頃境内の脇から、極楽寺の山門前で見かけた大きな荷物の人が入ってきた。知らずの内に追い抜いていた。道に迷ったか、さもなくば食堂かコンビニに立ち寄っていたか。水屋に立ち寄ることなく大師堂からお参りを始めた。お賽銭は入れたけどお経は読まない。白衣はちゃんと着けているけれど、まだまだお遍路には成れていないという感じだ。ぼくの最初の時はもっとひどかったけどね。13分でお参りを終え山門をあとにする。


 12:28
金泉寺を出て板野の町の中を歩く。ここは本当に昔ながらの街道という感じがする。その中の散髪屋さんの入り口の横にすごいポスターを発見。菅直人財務大臣は霊山寺の手前で丸刈りにしたというけれど、こちらに来てから坊主になろうという人は滅多にいないでしょう。
 このすぐ先の高徳線の踏切の手前で小柄な男性に追いつく。初めて遍路宿情報を手渡す。「これはへんろみち保存協会のですか?」「いいえ、ぼくがインターネットなどを調べて作ったんです」「値段が書いてありますね、助かります」


 12:36
このシールは讃岐の国ではよく見るけれど、こちらではほとんど見かけない。


 12:45
高速道の下を抜けると、いよいよぼくの大好きな山際の細道が始まる。10番までで最も遍路道らしいところ。


 12:47
道しるべに解説、これも昨年まで見かけなかったと思う。街道をそのまま行けば先に5番に着くけれど、そういうルートをとる人はほとんどいないだろう。

最初はあぜ道。


 12:51
山際の道は山道だけどほとんどアップダウンはなく快適に歩ける。


 12:52
愛染院のすぐ手前に昨年お世話になった越久田屋の看板があった。ここで前を行く女性に追いついたので、遍路宿情報を手渡す。愛染院の境内には自転車の外人男性が住職らしき人となにやら話している。女性はそちらの方に歩いていく、ぼくは境内に入らず先を急ぐ。


 12:54
愛染院を過ぎると用水路沿いの細道を行く。


 12;55
あぜ道からまた山際の道へ入っていく。


 12:57
左は水田、右は民家の庭先、というより庭の中を歩いてる感じ。おそらくお遍路さんのために50cm幅の通路を提供してくれているのだと思う。


 12:58
田んぼの中の新しい道しるべ。この距離表示が正しいとしたら、金泉寺からここまで3.9kmを36分で来たことになる。でもそれだけのスピードが出ていたとは思えない。


 13:01
自動車道を横切って山の方へ向かう、昨年この先の所で自転車の外人遍路さんに道を尋ねられた。

左へ折れてお堂の横の細道を行く。


 13:02
気をつけないと転げ落ちてしまいそうな細いあぜ道を行く。


 13:03
徳島自動車道の下をくぐる。


 13:04
ほんの200mほどだけど山道と峠がある。標高差も10mあるかないか。この200mが本日唯一の山道になる。


 13:06
峠を下りてくると新しい橋を渡る、5年前、この橋の付け替え工事でこの峠道は歩けなかった。迂回路はさほどの遠回りでもなく問題はなかった。


 13:08
橋を渡ると果樹園の中の道、目の前の樹は梅のようだ。


 13;10
県道に合流、4番札所まであと500m。


 13:15
金泉寺からの5.1kmを53分かかって4番大日寺に到着した。時速は6kmを下回ってしまったし、ベストタイムより8分も遅れてしまった。足の痛みや違和感は全くないけれど、丁度10km歩いたのでやや疲れ気味ではある。
 境内は車遍路の2組5人くらいでいたって静か、金泉寺を出たところで見かけた二人連れには結局会えないままだった。時分時だったから食堂か喫茶店に入っていたのかもしれない。12分でお参りを終え次の札所へ向かう。徳島バスの停留所までまだ6km歩かねばならないし、5番でのお参りもあるからまだゆっくり休むわけにはいかない。


 13:30
13時27分に山門を出る、5番札所へは県道を南へ一直線。板野駅の近くで遍路宿情報を渡した小柄な男の人がやってくる。時速3kmくらい、途中で休憩したか愛染院でお参りしたか。そういえば愛染院の手前で会った女の人はまだ来ない。自転車の外人男性はすでに大日寺の境内にいる。


 13:35
徳島自動車道の下から県道を離れるへんろ道があるけれど、そのまま県道を行く。へんろ道は過去3回歩いたけれど、この2年は県道を歩いている。遍路道の方が歩きやすいけれど、やや遠回りになる。


 13:42
右に入ると五百羅漢があるけれど、まだ一度も行ったことはない。テレビの2時間ドラマで見たことはある。


 13:44
大日寺から1.8kmを17分で5番地蔵寺に到着、写真が少なかったので時速6kmを確保した。それでもベストタイムより2分遅れ。山門をくぐるとバスツアーの団体さんで本堂の前はごった返している。その間をすり抜けるようにして、蝋燭線香をあげ、本堂に上がりお賽銭と納め札を入れる。ぼくがお経を詠み終わった頃、団体のお経が始まった。何とかかぶらずに済んで一安心。


 13:57
お参りに13分、13時57分に山門を出る。14時にここを発つと余裕で徳島バスのバス停に着けると見ていたので、何とか目標はクリアした。でも、全体に慌ただしかったかなという反省も残る。山門のすぐ前に民宿森本屋さん、入り口に「四国霊場先達推薦の宿」のプレートが見える。


 13;59
突き当たりにまた解説付きの道しるべ。距離表示は正確でないこともあるけれど、この「6番まで丁度5km」というのは全く正しい数字。今回の旅の終点、徳島バスの鍛冶屋原は1kmくらい手前にある。6番は次回ということになる。


 14:03
県道12号と平行して進む。へんろ道の方がふくらみがあって少し遠回りになるけれど、県道はかなり危険で落ち着いて歩けない。ぼくは一度だけ88番から戻ってくるときに歩いたけど、二度と歩く気にはなれなかった。


 14:11
大きな道しるべ、これがなくても誰も迷わずそのまま道なりに西へ進めるけれど、逆打ちでここへ来た人にとってはちょっとありがたい位置に立っている。


 14:14
明治か江戸の古い道しるべは文字がよく分からないけれど、これも一つの文化財だから大切に保存されている。すぐ横に新しい道しるべも立てられている。


 14:15
電柱にスプレーで印刷されたこのマークは4~5年前から見かけるようになった。最初見たとき何やら気味悪い感じがしたけれど、これは五鈷杵をデザインしたもの。五鈷杵(ごこしょ)というのは密教の法具で、空海が唐から持ち帰り、これを使って多くの奇跡を起こしたという伝説がある。伊予の最初の札所、40番観自在寺の大師堂には大きな五鈷杵が展示してあって触れることもできる。


 14:24
昨年最初に休んだへんろ小屋までやってきた。今年は停留所まで休めない。小屋の中を覗いて行き過ぎるときに、閃いたことがある。それは帰り道ずっと頭の片隅に残っていた。


 14:28
県道の交差点にやってきた。ここからは県道の南側をいく。

横断すると、県道を行く方にも矢印はあるけれど、これは車遍路のためと思われる。


 14:29
へんろ道は道幅はあるけれど、車はほとんど通らない。とても気持ちよく歩ける道。


 14:33
南側の県道沿いにある上板町役場が見えた。あの先に郵便局があって、そのまた先に銀行がある。銀行の前が本日のゴール、バス停鍛冶屋原。


 14:36
距離表示の部分が出っ張っているのにお気づきでしょうか。これは、最初にできたときの距離がかなり間違っていたので、あとで正しい距離を貼り付けたというわけ。最初の頃この手の道しるべに惑わされることが多かったので、自然と距離は見ないようになった。