WALKER’S 

歩く男の日日

すだち庵

2021-06-04 | 日記

 すだち庵のことを最初に知ったのはお遍路ハウスのサイトに突然現れた時だと思う。19年秋のパンフレットには載っていないから20年の春のことだと思う。以前はそこにすだち館という宿があって、奥さんが倒れて閉館になったと1番門前通の高原さんに聞いた。それが18年の9月。その後「すだちの里」として復活、鮒の里のご主人が管理しているというようなことを聞いた。そして昨年「すだち庵」ができた。「すだちの里」と「すだち庵」の関係は知らない。
 今年の春の遍路で最初に「すだち庵」のことを聞いたのは「越久田屋」の主人から、庵主さんが検査入院していて宿は休んでいるようだ、と。翌日「もりあんLOFT」に着くと宿の奥さんが「すだち庵」の手伝いをしていて、今日も3人の泊り客があると言っていた。
 庵主さんが亡くなったと聞いたのは、須崎のヘンロ小屋で会った千葉のお遍路さんから、昨夜連絡が入ったと。彼か彼と同宿だった人、どちらかがこの春「すだち庵」に泊まって庵主さんに車で送迎もしてもらっていた。ぼく自身は泊ったことがないし面識もなかったので、ほとんど第三者で事情を聞くばかりだった、
 
 春の遍路から帰ってきて1か月、ブログも大体書き終わって徒然にPCをいじっていたら、ひょんなところですだち庵の庵主さんの名前が出てきた。守石さん、というその名を見てうなった。4年前のお遍路で3つの宿で同宿だった。ユートピアカントリークラブと大岐の浜では彼女は素泊まりだったので話はしなかったけれど、くろうさぎでは隣で食事をした。宿案内も渡した。お肉が食べられないからと御裾分けもいただいた。明日の宿もフレックスホテルを紹介した。足をひどく痛めていて、もう途中でやめたらと言ったら、それはできない、何が何でも乗り物に乗っても全部巡るのだとかたくなだった。彼女は高野山の僧でお大師さんに不義理をして飛び出してきた。そのことを詫びる旅だといった。延光寺の本堂の前に正座して長い間お祈りを続けていた。最後に会ったのは石手寺の手前のローソンの前だった。