WALKER’S 

歩く男の日日

2015年 四国の旅 索引

2015-08-30 | 15年四国の旅

 1日目  1 ~ 10
 2日目 11・12・13
 3日目 14 ~ 19
 4日目 20・21・22
 5日目 23
 6日目 24
 7日目 25・26
 8日目 27・28
 9日目 29 ~ 32
10日目 33 ~ 36
11日目 
12日目 37
13日目 38
14日目 
15日目 39・40
16日目 
17日目 41・42・43
18日目 
19日目 44・45・46
20日目 47 ~ 53
21日目 54 ~ 59
22日目 60 ~ 64
23日目 65
24日目 66・67
25日目 68 ~ 78
26日目 79 ~ 83 
27日目 84 ~ 88
28日目 


高野山へ

2015-08-30 | 高野山町石道

京都へ行った2日後、今年の四国の締めくくりとして高野山へ向かいます。


 地元飾磨駅6時33分発の直通特急に乗って、尼崎で乗り換え、大阪難波で降車、南海電車まで歩いて、難波から急行に乗って橋本で乗り換えて10時03分、紀伊細川駅に到着しました。普通、二駅先、終点極楽橋まで乗ってケーブルとバスで高野山に向かうのですが、それでは時間が余りすぎるので、ここから歩いて高野山に登ります。町石道を全部歩くのは時間がかかりすぎるしこの暑さでは体力が持たないと思ったので、後半3分の一だけ歩きます。ここから矢立60町石まで3kmほどあるので、距離ではちょうど半分くらい歩くことになります。


 山の中の小さな駅ですが無人ではなく自動改札もあります。


 出迎えもあります。


 左に下りていく階段もあるので、案内板があります。これがないと初めて来た人は迷うかもしれません。


10時06分、駅を出発、いきなりなかなかの下り坂です。山道を歩くのは4ヶ月ぶり、


 最後は相当な急坂、花折峠の下りを思い出します。


 4分で下り切ってここからは登りになるはずです。左の方に進みます。

近畿自然歩道というだけあって、人も車も全く見かけません。
 近畿自然歩道というだけあって人も車も全く通りません。


 最初の二股分岐、右に進むことは事前にチェックしています。


 高野町立西細川小学校、こんな山の中に立派すぎる校舎ですが、やはり廃校になっていました。


 駅から26分、二つ目の分岐、ここも右に進みます。


 100m先に道しるべ、


 10時38分、国道370号、矢立60町石まで上がってきました。紀伊細川駅から32分、時速は5.5kmでした。


 こうやくんのお出迎え、町石道は壇上伽藍まで6.5kmです。


 分かりやすい道しるべ、初めて来ても迷う心配はありません。一番上のツキノワグマの注意書きは、ここでは目に留まりませんでした。


 しばらくは舗装道が続きます。


 地道になってすぐ四国でおなじみ遍路シールがずらり。
 地道に入ってしばらく行くと、20人以上の男女が道をふさいでいます。団体で歩いている人たちかと思ったら、町石道の修復保全のために集まったボランティアの方たちでした。挨拶しながら間を抜けていきます。


 55町石です。59から56は見落としてしまいました、59は地図にあったから残っていることは確かです。




 くぐりませんでした。


 これは町石ではないようです。あびらうんけん、だけは読めるのですが、


 53町石、54は見逃しました。




 確かに普通の岩でははないと言われればそういう感じもします。最御崎寺の参道にも同じような岩がありました。


 53町石、なぜに二つ並んでいるのでしょう。


 最初の町石は大師が作られた木製のもの、その傷みが激しくなって1266年に石材(花崗岩)で再建された。その町石が崖崩れなどによって失われて、大正時代に新たに再建された。再建された後に前の町石が発見されたので二つ並んでいる、というようなことが書かれています。


 52町石、


 51町石、


 11時00分、50町石、60町から1090mを21分で来ました。時速は3.1kmですが、撮影に時間がかかっているので本気で歩けば4kmは出せると思います。


 文字は見えないけど49町石、


 はっきり48町石、


 きれいな47町石、


 46町石、


 750年前の町石がこれだけ残っていることもすごいけれど、歩きやすい雰囲気のある山道がきれいに残っていることにも感じ入ります。45町石、


 44町石、


 43町石、


 42町石、


 41町石、


 11時15分、国道に上がってきました。50町石からここまで15分、時速は4.2kmくらいでした。土曜日ということもあってか車やバイクの往来が激しくてなかなか横断することができません。


 矢印がありますがここからしばらくの道は本当の町石道ではないようです。国道ができたときに重なってなくなってしまったか、すぐ脇で歩けなくなってしまったか、国道は歩道がなくて蛇行も激しいのでこちらに仮山道が設けられたようです。


 今日のザックは四国で使うものとは違って鈴がついていません。気をつけてといわれても、出てきたらどうしようもないという感じもしますが。


 11時20分、国道から2分ほどで休憩所がありました。ちょっとした展望台にもなっていて、天気が良ければ大阪湾まで見えるようです。4分ほど休憩、


 休憩所から2分ほどで国道です、迂回路は300m前後でした。国道の向こうに山道が見えますが、紀伊細川の方から登ってくる山道です。国道ができる前はこのあたりが三叉路だったでしょう。


 国道の脇を下っていきます。


 国道の接点から2分ほどで35町石、帰ってから国道の交差点にあった地図を見返してみると、40から36も国道の脇にちゃんと残っているようです。それが判っていたとしても国道を歩く気にはなれません。


 34町石、


 33町石、


 32町石、


 31町石、


 11時36分、30町石、矢立からちょうど半分、56分で来ました。時速は3.8km、撮影に時間がかかるので納得の数字です。


 29町石、


 28町石、


 「か」の上の部分が欠けているのも歴史を感じます。


 1200年の歴史ですから、真っ平らというわけにはいきません。


 すぐ横を沢が流れています。撮影の時に追い抜かれた前を行く人が、この少し先で沢に下りて水を汲み始めたので、ぼくも少なくなった水道の水を捨てて、ペットボトルに詰め直します。全くくせがなくすっきりした飲み心地、もちろん水道よりうまい。
 前の人は普通に歩いていますが、ここまで駆け足で登っている人一人、下っている人一人と出会いました。登山マラソンの練習でしょうか、六甲では全山縦走の大会があるから時々出会いますが、こういうところでも走る人がいるのは意外でした。


 26町石、


 25町石、


 24町石、


 23町石、


 22町石、


 半分以上埋まった21町石、二十だけ見えています。750年前とは地形が変わったのでしょうか。


 20町石、30町石から17分、この間の時速はやっぱり3.8kmでした。


 19町石、


 18町石、


 17町石、


 16町石、橋の手前で女性のジョガーに追い抜かれました。


 15町石、


 14町石、


 13町石、


 新しい12町石、


 11町石、


 12時11分、10町石。20町石から17分、またまた時速は3.8kmでした。


 9町石、このあたりから国道へ上がっていく道は昔の道ではないようです。大門の前を国道が横切っていて、その工事の時にいくらかはなくなってしまったでしょう。
 1町は109m、何を調べてもそう出てきますが、平安時代の1町は400尺、121mだったようです。だとすればぼくの時速は3.8kmではなくて、4.28kmになります。撮影の回数が多いとしても四国の山道を歩いてきた経験からすると、こちらの方がしっくりきます。


 12時18分、国道に上がってきました。矢立から92分、1町=121mで計算すると時速4.1kmでした。


 目の前にはもちろん大門、ぎりぎりまで下がっても全景をとらえることはできませんでした。


 上がってきたところに地図があって、8町石、7町石、6町石の大体の位置が記されていました、これは8町石、大門に向かって右に50mほど進んだ道路(大門の左は国道ですが右側は国道ではありません、国道は左折して街の方に入ります)脇にありました。おそらく舗装道ができる前の位置とは違って、移されたものだと思います。


 7町石はなかなか見あたらなくてうろうろしましたが、弁天岳の登り口にある鳥居の向こうにやっと発見しました。鳥獣保護区の赤い看板のすぐ右側に立っています。


 国道に下りてくるとはっきり確認できます。


 大門を抜けたわかりやすいところに6町石はあります。


 4町石です。5町石のあるべき所は民家商家が建ち並んでいて見あたりませんでした。


 交差点に3町石、


 垣の中に2町石、立て札もあります。


 1町石も垣の中、ここまできっちり見てくると、180から61も放っておく訳にはいかないのですが、こんどいつ来られるかはまだ見当もつきません。


 12時38分、紀伊細川駅から2時間半でできたばかりの中門の前までやってきました。


 172年ぶりの再建、


 こうやくんを入れようと思ったら笠しか入りませんでした。ここまでたくさんの参拝者、観光客と出会っていますが、まだ中国語も韓国語も一度も聞いていません。それだけで何となく心穏やか。


 西行桜です。
 この少し先の水屋で、電車でいっしょだったアメリカ人の団体12名と再会。電車の中では凄くにぎやかで笑い声が絶えなかったのですが、さすがお山に上がってくると、神妙に水屋の使い方を教えてもらっています。


 高野山宿坊協会中央案内所のすぐ横に7町石、ここから中門まで720mだから、奥の院方面からの町石もあったということでしょうか。


 10町石もあります、街の中なので全部残っているということではないようです。


 分岐点には矢印が、


 一の橋、渡ったところに団体さん、ガイドさんの軽妙なしゃべりに耳を傾けています。


 何人かは立ち止まって見ていますが、ほとんどの人が気がつかないまま通り過ぎていくようです。


 「大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
  まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。」

 何度読んでも恐れ入る見事な文学です。こういう文章を読むとぼくたちには文章は書けても文学は書けないとつくずく思います。
 この先は聖域なのでカメラは終います。


 灯籠堂で写経を納め、読経。御廟の前に廻ってさらに読経。長い列ができていたので灯籠堂の地下には入りませんでした。
 御朱印をいただいて、これで今年の四国巡りも全て完了したことになります。


 13時45分、奥の院前バス停まで戻ってきました。極楽橋まで歩いて下るという選択肢もあったのですが、さすがに疲れてこれ以上歩きたくないという感じです。


 14時13分、高野山駅です。何とか無事に全部の目的を果たすことができました。


尼崎から京都へ (5)

2015-08-29 | 日記


 御影堂を出てくると、目の前に食堂です。昭和9年に再建された新しい建物、この中に納経所があります。

 食堂の正面です。

 注意書きがありますが、今時の御朱印ガールたちはちゃんとお参りするのでしょうか。

 ベテランの女性がすごく丁寧に判りやすい文字で墨書してくれました。四国では団体がやってくるからスピードがいのち、このような丁寧で判りやすい文字は多くありません。

 慶賀門を出てくると洛南高校の案内板がありました。経営母体は東寺のようです。


尼崎から京都へ (4)

2015-08-28 | 日記


 毘沙門さんの門なのですが、5年前はよく判らなくてここから入っていきました。そして大師堂の建物の反対側でお参りしてしまいました。

 大師堂(御影堂)の門です。

 国宝、御影堂の正面です。5年前はこの裏側でお参りを済ませてしまいました。弘法大師御祈願所の札があります。

 残念、写経も納札も持ってきませんでした。前に来たとき裏側しか見てなくて、なかったので持ってきませんでした。

 ここで司馬遼太郎と出会えるとは思っていませんでした。


尼崎から京都へ (3)

2015-08-28 | 日記


 5年ぶりに、教王護国寺、東寺の境内に入ります。正面に金堂、1603年豊臣秀頼によって再建されました。国宝です。一つの境内に豊臣と徳川の寄進した国宝が並んでいるというのも、なんともいえません。

 南大門を抜けてすぐ左、大師の見つめる先は、

 広々とした境内、ここで毎月21日弘法市が行われます。


尼崎から京都へ (2)

2015-08-28 | 日記

 淀川工科高校の演奏を聴くのは昨年のグリーンコンサート以来19ヶ月ぶり、やっぱり群を抜いていたというしかありません。課題曲のマーチを聴いているとき危うく涙がこぼれそうになるくらいでした。兵庫県のチャンピオン滝川第二高校も同じ課題曲で完璧、ほとんど差はないと見ることもできるのですが、しっかり何回も聞き比べると、全然違うと見ることもできます。淀工は常にみんなの音楽が聞こえて全くつぶし合いをしていない、自分も目立って相手も生かす、聞いてる方が最も気持のよい音を全てのセクションが作り上げていて、次々に受け継がれるように聞かせてくれる、ホルンやスネアの裏打ちでさえ魅力的に聞かせる。全部の音に意味があってくまなく全部の音を魅力的に聞かせることができている、そういう感じがする演奏です。
 13時15分に前半11団体の演奏が終了、すぐに阪神尼崎駅に向かいます。阪神電車、阪急電車、京都地下鉄を乗り継いで京都駅の南口に出てきたのは14時40分でした。


 京都駅から歩いて15分ほどで、東寺の東門(慶賀門)までやってきました。この少し前に追い抜いた外人カップルはそのまま東門から入っていきます。参拝者の通用門ではあるようですが、やはり立派な南大門から入らないと。

 九条通から五重塔を見上げます。国宝、1644年徳川家光により寄進された5代目です。

 南大門は重要文化財、明治時代に三十三間堂の西門を移築したもの。


尼崎から京都へ

2015-08-28 | 日記


 昨日、アルカイックホールへ行きました。関西吹奏楽コンクール高校Aの部前半を見るためです。チケット発売開始の1時間前に到着したのですが、すでに長蛇の列、400人が並んでいます。

 昨年と同じ雲一つない炎天下、屋根のないところに並ばされました。連盟の役員は朝9時前だから問題ないだろうと思っているようですが、気温は確実に35度を超えています。これだけ熱中症が話題になる昨今、こんな所で1時間も放置されるのは全く納得がいかない。場所がないわけではありません。連盟の役員の方々にはぜひともここで1時間じっと並んでもらってどんな気持になるか味わってもらいたい、そうすれば、こんな所に並ばせるという暴挙はきっと改めることでしょう。第一雨が降っていたら、ここには並ばせるはずはないのであって、それなりの対処はするのだから、絶対に改めるべきです。公務員の怠慢、無能、思いやりのなさ、だとしか思えません。こんな目にあわされるくらいならもう二度とここには来ないと決心します。、


復興

2015-08-26 | 日記

 23日、日曜日、朝4時半に起きて、奈良県文化会館まで行って来ました。第65回関西吹奏楽コンクール、大学、職場一般の部を見るためです。すぐそばに西国9番札所興福寺南円堂がありますが、もちろん立ち寄るわけにはいきません。1年半後のお楽しみにとっておきます。
 2階席につくと、前の列に若者10名ほどの団体がやってきました、その内4名は外国人、近畿大学の関係者と留学生かと思われました。若い女性が通訳をしています。ネイティブ並の美しい発音です。外人の男性が曲名の意味を彼女に尋ねています。「復興」?ちょっと思いつかなくて隣の女性の顔を伺ったりしています。ぼくもその場でちょっと考えて、リコンストラクション、じゃないかと思いついたのですが、もちろん正解の確証はありませんでした。
 保科洋作曲の「復興」は関西大学が演奏しました。人数は47名、何とかここまで戻してきましたがクラリネットは相変わらず4名、オーボエ、ファゴットはゼロ、7年かかってもフル編成というわけにはいかない。男子が3分の一以下、これは近大も関学もほとんど同じで、僕らの時代とは様相が全く違う。高校の経験者は男子が1割前後だからどうしようもありません。応援団だからなかなか経験者も入りにくくて思うような編成がくめないのも致し方のないところ。それに加えて就職活動の厳しさ、のんびり楽器なんか吹いてられなくて上級生でも普通に退部していくのも何となく判ります。ちょっと寂しい、猶予期間を好きなことに思い切りバカみたいに打ち込むことができなくなって。ぼくは、そんなバカなやつらのする音楽が聴きたい。


西国巡り 第3期

2015-08-25 | 日記

 野里駅=31.9km=鶴居駅=40.7km=梁瀬駅=37.2km=加悦小学校=23.5km=宮津駅=32.0km=東舞鶴駅=38.7km=小浜駅=35.4km=近江八幡駅=27.3km=愛知川駅=37.3km=関ヶ原駅=29.9km=華厳寺
 彦根から近江八幡までは昔は舟だったので電車に乗ります。おかげで終盤は余裕のある行程になりました。愛知川、関ヶ原は駅の近くに宿がありますが、鶴居、梁瀬にはないので、福崎、和田山まで電車で移動します。


   旅の終り     詩・曲 高石ともや

      歩きつづけて 今日 満願
      生まれかわって 旅の終わり
 1 関ヶ原超え 美濃の国
   行きつく先は 谷汲さん
   一年がかりで なしとげる
   今朝の空の さわやかさ
      歩きつづけて 今日 満願
      生まれかわって 旅の終わり
 2 長い旅路の 白衣装
   無事におさめて おいずる堂
   精進明けの 酒うまし
   友の笑顔 ありがたし
      歩きつづけて 今日 満願
      生まれかわって 旅の終わり


宿坊閉院

2015-08-24 | 日記

 青岸渡寺の宿坊、尊勝院は6年前に閉院していました。ほかにもぼくが泊まる予定だった宿では、壺阪寺の近くにあったペンションもなくなっていたし、岩間寺の宿坊、信徒会館も閉まっているようです。播州清水寺の宿坊も15年前にユースホステルではなくなっていて、その時に営業はやめたと思われます。ということで、宿泊ポイントをいくらかずらしていくことになります。
 第1期
  内宮=28.1km=栃原駅=40.0km=梅が谷駅=38.3km=尾鷲駅=37.0km=熊野市駅=35.6km=那智駅=35.2km=本宮大社=36.1km=滝尻=37.6km=
岩代駅=41.7km=湯浅駅=43.6km=岩出駅=35.6km=施福寺=27.5km=葛井寺
 第2期
  葛井寺=36.5km=壺阪山駅=37.2km=天理駅=37.6km=宇治駅=24.6km=石山寺=31.4km=四条大宮駅=31.7km=亀岡駅=43.5km=勝尾寺=38.2km=三田駅=38.5km=社郵便局近く=31.8km=野里駅
  第3期はまだまとまっていません。


  Now & Here すべてよし    詩・曲 高石ともや

1 総持寺の口すすぎはオートマチックで
  近づくと水が出て 離れると止ります
  亀にのった観音さまはもっと
  オートマチックで
  近くても遠くても僕らを救ってくれます
     Now & Here
     今このままで すべてよし
2 総持寺の山陰堂の濡れ縁に
  腰をおろせば 心安らぎます
  雨風ざらしの木の肌のぬくもり
  ながい人生のり超えた証です
     Now & Here
     今このままで すべてよし
3 総持寺の本堂の壁には丸時計
  ラジオ体操にも散歩にも便利です
  学校帰りの女子高生も近所の人も
  ひょいと来てひょいと帰るいいお寺です
     Now & Here
     今このままで すべてよし


西国札所間距離 by NPO西国古道ウォーキングサポート

2015-08-24 | 日記

   伊勢神宮内宮               NPO
 1 那智山  青岸渡寺 184.0km
 2 紀三井山 金剛宝寺         168.5km
 3 風猛山  粉川寺   28.0km  29.7km
 
4 槇尾山  施福寺   35.0km  25.0km
 5 紫雲山  葛井寺   28.0km  27.5km
 6 壺阪山  南法華寺  33.7km  32.5km
 7 東光山  岡寺     9.4km   8.5km
 8 豊山   長谷寺   13.0km  13.7km
 9 興福寺  南円堂   25.5km  28.4km
10 明星山  三室戸寺  28.7km  30.4km
11 深雪山  上醍醐寺  10.6km  10.7km
12 岩間山  正法寺   17.2km   5.7km
13 石光山  石山寺    5.5km   5.9km
14 長等山  園城寺    9.5km   9.7km
15 新那智山 観音寺   13.3km  11.4km
16 音羽山  清水寺    2.9km   3.2km
17 補陀洛山 六波羅蜜寺  1.1km   1.3km
18 紫雲山  頂法寺    2.5km   2.8km
19 霊ゆう山 行願寺    1.6km   1.5km
20 西山   善峯寺   19.0km  17.7km
21 菩提山  穴太寺   21.0km  16.9km
22 補陀洛山 総持寺   30.5km  28.0km
23 応頂山  勝尾寺   12.7km  12.5km
24 紫雲山  中山寺   16.7km  16.9km
25 御嶽山  播州清水寺 57.4km  41.6km
26 法華山  一乗寺   35.3km  34.2km
27 書寫山  圓教寺   20.8km  21.6km
28 成相山  成相寺  135.7km 115.5km
29 青葉山  松尾寺   49.2km  47.3km
30 竹生島  宝厳寺   63.0km  65.7km
31 い綺耶山 長命寺   27.0km
32 きぬがさ山観音正寺  15.9km  13.1km
33 谷汲山  華厳寺   75.0km  74.4km

 知り合いのお遍路さんから西国古道の地図が出ていることを教えてもらいました。NPO西国古道ウォーキングサポートのサイトには非常に判りやすい地図に赤線があって距離表示もありました。ぼくが設定した行程とかなり違って、札所間の距離が10km以上違うところもありました。竹生島から長命寺までの距離がないのは、NPOの地図では渡船を使うことになっているからです。竹生島から長命寺のすぐ下までの航路は現在はなくなっています。そして18番と19番はお参りの順番が逆になっています。


 ラスト・サムライたちは   詩・曲 高石ともや

1 圓教寺の始まりは性空上人
  きびしい修行をのりこえた聖です
  九十八才で亡くなった日から千年
  灯明は今日までつづいています
     今日も灯をともします
     書写山の灯は千年
2 ハリウッド映画ラスト・サムライたちは
  室町時代の食堂が使われました
  渡辺謙さんとトム・クルーズが
  出会うシーンです
  同じ場所に立てば僕もサムライ気分
     今日も灯をともします
     書写山の灯は千年
3 時代に逆らってラスト・サムライたちは
  機関銃に立ち向かって死んでゆきました
  急ぎゆく時代に逆らいたいこの頃です
  ラスト・フォークシンガーに
  なりたいこの頃です
     今日も灯をともします
     書写山の灯は千年


熊野古道 伊勢路の宿

2015-08-20 | 日記

 1日目  内宮 ~ 栃原駅     28km 三瀬谷駅前 大黒屋
 2日目  栃原駅 ~ 梅ヶ谷駅  40km 紀伊長島駅前 ひさご家
 3日目  梅ヶ谷駅 ~ 尾鷲駅  38km 尾鷲駅近く 民宿福嶋
 4日目  尾鷲駅 ~ 熊野市駅  37km 熊野市駅近く 民宿ハタイ
 5日目  熊野市駅 ~ 青岸渡寺 42km  青岸渡寺宿坊尊勝院

 栃原駅と梅ヶ谷駅の近くには宿がないので電車で宿のある駅まで移動します。那智の滝を見上げるまで丸5日もかかってしまうのですから、本当に容易ではありません。

    安産祈願     詩・曲 高石ともや

 1 エスカレーターで昇っても
   デパートではなく
   妊婦さんが集まっても病院ではなく
   あたらしい命 むかえる寺
   ちいさな命 まもる寺
 2 おだやかな心が子どもを守る
   安心の心が母親を守る
   お寺は安心の よりどころ
   大地がゆれても 揺るぎません
      安産祈願 子授け祈願
      中山観音 いのち寺
 3 我家は三十年ぶりのお礼まいり
   娘は素直に育ちました
   母から娘へ タスキ渡し
   小さな我家の 儀式です
 4 日本では昨年生まれた子どもの数より
   死んだ人の数が上まわりました
   日本の危機です 観音さま
   元気な赤ちゃんいっぱい 送ってください
      安産祈願 子授け祈願
      中山観音 いのち寺


巡礼歌集

2015-08-19 | 日記

 うたんぐらで同宿だった都築さん、八十窪の食卓で向かいに座った女性からも、四国以外の巡礼道は歩かないのですかと問われて、その時は全くその気がなかったのですが、文化センターの最前列で目の前5mのところで高石ともやさんが歌う「 ぼくらは今 旅に出る 真白な服に 着がえて 」という歌詞を聞いた途端、半分以上西国への旅に出ることは決めていたかもしれません。
 高石さんはBKの夕方のテレビ番組(2004年)の企画で1年をかけて巡ったので、全ての行程を歩いたかどうかは定かではありませんが、ぼくは当然のこと全部歩きます。伊勢神宮から歩きます。コンサートから帰ってすぐCDを申し込んで、西国巡礼の歌を聴きながら四国巡礼のブログを書いていました。ブログの合間に西国の道をパソコン地図で確認しながら距離を測定、宿泊ポイントを確認しながら宿も検索で探します。四国なら黄色いへんろ地図1冊あれば何の手間もないのですが、西国は一から全部自分でやらねばどうにもなりません。7年前に買ったガイドブックには札所の近くの宿泊施設の情報はあったのでそれは参考になりました。
 数週間かけて何とか2番から33番までのルート、距離、宿泊ポイント、宿、は確定できましたが、伊勢神宮から1番青岸渡寺、1番から2番紀三井寺、までのルートは大部分が熊野古道で、ぼくの地図では細かい距離が測定できずまだ放ってあります。伊勢路はネットで細かいルートが出ているし、熊野古道も詳しいガイドブックがあるようなのでこれからぼつぼつ調べていきます。来年の秋には何とか歩き出したいものです。

  蓮華合掌        詩・曲 高石ともや

     蓮華合掌 街の中 葛井寺
 1 阿部野橋から準急で 十三分
   駅から商店街歩いて 五分
     蓮華合掌 街の中 葛井寺
 2 買いものついでにお参りしてる
   幼い子どもが手を合わす
     蓮華合掌 街の中 葛井寺
 3 千本手を持つ御本尊
   蓮の蕾の指の型
     蓮華合掌 街の中 葛井寺
 4 古代 百済の王家の子孫
   河内王朝があったとか
     蓮華合掌 街の中 葛井寺
 5 お寺のむこうは野球場
   さよなら近鉄バッファローズ
     蓮華合掌 街の中 葛井寺


コメントの返事

2015-08-18 | 日記

 トトロさん、亀乃歩さん、コメントありがとうございます。コメント投稿機能を開設してすぐ1本いただいた後、3ヶ月以上1本もなかったので、そろそろ閉鎖しようかと考えていたところで、早まらなくて良かったです。過分な言葉をいただいてとてもうれしいのですが、本人はあまりよい遍路だとは思っていないので、ちょっと戸惑っている面もあります。速いことは必ずしも良い遍路とは繋がらないので、ゆっくりな人たちの方がゆたかな良い遍路ができると思いこむようにしています。速くていいのは費用が少なくて済むことだけでしょう。
 うたんぐらで同宿だった細井さんは、同じ道を何回も巡ることにモチベーションが保てなくなりませんか、と言われました。たしかにこれだけの費用と時間を使えばほかの観光地や街道や風景を楽しむことはいくらでもできるし、そのことの方が意義や価値が大きいのではと思うことももちろんあります。でも、観光地巡りだけでは、楽しめないでしょうね。四国では全部が旅で全部自分が決めて全部自分が動く、このおもしろさが解ると、なかなかほかの所へは行けません。
 歩く道は、確かに同じになってしまいます、脇道や、遠回りの道、山越えの道、昔の街道など、幾通りかの道があっても、5~6回歩けば大体の道は踏破できてしまいますが、でも出会う人は全然違う。今年は、最後の日に出会った55人の連休遍路さんを除いても、300人くらいの歩き遍路さんに出会い(見かけただけで挨拶できなかった人も含む)ました。ほとんどの人に挨拶できたし、40人くらいの人とは言葉を交わすこともできました。6年前までは素泊まりで泊まることが多くてそういうことも少なかったのですが、近年は同宿のお遍路さんの話を聞けるのも大きな楽しみになっています。

 ほかの観光地には行けなくても、ほかの街道、札所巡りであれば全部自分の旅ができるのではないか、と7年ほど前に考えたことがあります。誰もが思いつく「西国33ヶ所めぐり」のガイドブック(JTB)を買ってきたのですが、失望でした。地図は札所近辺のものだけで、ルートも距離も全く示されていない、西国は車か鉄道で巡るのが当たり前なのだ、というガイドブックでした。以降四国以外のことは考えることもなくなりました。
 ところが、今年四国から帰ってしばらくして聞くことになった一つの歌がきっかけになって、新たな旅を始めようと計画をしています。

 山青く海青く     詩・曲 高石ともや

 1 遠い南の 海の果て
   極楽浄土を 目指して
   老いた僧侶は 舟を出す
   補陀洛目指し 死出の旅
 2 ぼくらは今 旅に出る
   真白な服に 着がえて
   熊野は黄泉の 出入口
   魂は 生まれかわる
     山青く 海青く
     心清く 一番札所
     見上げれば 那智の滝
     手を合わす 青岸渡寺
 3 神の住む 社があり
   仏の住む 寺がある
   いのち信じて 歩き出せ
   巡礼ここに 始まる
     山青く 海青く
     心清く 一番札所
     見上げれば 那智の滝
     手を合わす 青岸渡寺      CDは高石ともや事務所のHPから
                                  購入可能


来年の予定

2015-08-17 | 日記


 今年帰ってからすぐ来年の予定を発表したのですが、町内の仕事の都合で1週間早めることになりました。3月27日(日)スタートです。日付の横に書いてあるのがバス電車の時刻です。今年に比べて交通機関を使うことで105km歩行距離が短くなって、1日の平均は38.9km、ぼくにとっては理想的な健康的な行程になります。初めて泊まる宿も17軒、(えび庄は泊まったことがあるけれど完全建て替えになったので初めて扱いです)。間近になってまた変更する可能性もありますので、まだ予定の段階です。

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