WALKER’S 

歩く男の日日

10日目 民宿喫茶きらく~民宿まさご

2017-06-30 | 17年四国の旅


 きらくの朝食はパンかご飯か選べます、久々にクノールのカップスープ、


 もちろんコーヒーも、そしておにぎりのお接待も。このお宿は本当の遍路宿です。あらゆることが行き届いてほとんど文句のつけようがない。食堂以外、お風呂も洗濯も同じ階だしトイレ洗面は部屋に付いているのもいい。女将さんの人当たりもよくて喋りやすい、宿帳を見るとこの春のシーズンで3室が満室になったのは3日くらいしかありません、これだけの満点の宿で少し解せませんが、この近くにいくつか宿があることがその理由だと思われます、神峯寺の下からだとここまで34kmあって、それだけ歩く人は少数派で、どうしても2km手前の丸米旅館か黒潮ホテル、その1.5km手前のかとりを選択する人が多くなってしまいます。もう少し手前にはかがみ宿もあって、昨日そちらの方へ行く人も見かけました。安芸の宿に泊まれば24kmほどでちょうどいいのですが、近頃は遊庵が人気で先ずそちらから埋まるということもあるでしょう。遊庵はもちろん最高なのですが、トイレ、風呂、洗面、洗濯、食堂は全部階下だし、部屋はフローリングでベッド、ベッドの方がいいという人もいますがぼくは畳の方が好みなので、食事以外は全部きらくの方がいい、ただし同宿の人がいないというのもつまらないから、来年は遊庵に泊まります。


 きらくを6時45分に出発、夜中ずっと降っていた雨はほとんどあがりかけています。昨日1区間ベストタイを出してかなり頑張ったのですが、右の足首の筋にちょっと張りが出かけているので今日は押さえることにしました。昨年同じ処を痛めてリタイアしたし、4年前リタイアしたときも左足だったけど同じ処の筋を痛めました。今日は距離も短いので多少押さえても全く問題ないし、先々のことを考えることの方が大切です、
 29番国分寺に到着したのは8時20分、宿から92分かかりました、ベストは81分なのでかなりゆったりです。ベストの時速が6.6kmなのに対し、5.88kmしか出ていません。スピードは10%落としただけですが足への負担は2割以上軽くなっているはずです。これくらいで良しと思えることが一つの進歩で、先々、より良い旅の可能性が広がっていくような気もします。
 少し遅れて境内に入ってきた歩きの男性は道中追い越さなかったので逆打ちかと思われましたが、聞けば順打ちとのこと。普通の宿には泊まっていないかも。


 8時40分、国分寺を出発、70分で30番善楽寺に到着です。ベストは63分なので7分の遅れ、ベストの時速は6.52km、今回は5.91km、見事なくらい変わらない押さえ具合、
 お参りを終える頃入ってきた男性は逆打ちのようですが声はかけられませんでした。



 10時ちょうどに善楽寺を出発、62分で31番竹林寺に到着です。ベストより6分遅れ、ベストの時速は5.9km、今回は5.38km、最後山登りがあるので大分遅くなります。


 お参りが終わって境内にある休憩所で昼食です。お寺の寺務をしていた女性が大分時間が経ってますけどためしたら十分おいしかったので持っていって下さいと声をかけてくれました、もちろん一つザックに放り込みました。
 竹林寺ではぼくのすぐ後に外国人女性がやってきましたが、やはり声をかけないまま、ぼくが休んでいる間に先に出ていきました。竹林寺では40分ほど滞在して11時50分に出発です、石畳の山道は苦手かつ雨が降ったあとなのでそろりそろりと慎重に下ります。下り終わった頃雨がしっかり降り始めます。川を渡り終えたすぐ先高速の下で外国人女性がレインコートを取り出しているところでした。


 13時09分、竹林寺から71分かかって32番禅師峰寺に到着です、ベストの時が60分なので相当ゆっくりです、雨も降っているし、下りも登りもあったからこんなもんでしょう。もうここから宿まで1時間半もかからないからまだまだ時間的に余裕もあります。


 水屋にかわいいお地蔵さん、去年までは龍口だったような、札所の数も多いから記憶が錯綜しているかもしれません。境内はこの時間になると静かで一人二人車の人が上がってくる程度、歩きの人は高知の市街か善楽寺の近くに泊まって竹林寺から始めるから午前中に打ち終わってしまう人がほとんど。高知で区切る人が多いから区切りの初めとなるとここに来るのが午後になって高知屋までという人も居るには居るでしょうが。


 禅師峰寺を13時30分に出発、山を下ったところで男性がやってきました、おそらく今日が区切りの初めの日でしょう。遊庵からだとしたらかなりの歩き手です。
 禅師峰寺から4.5kmほど来た、サンゴセンターの前に龍馬さんが、ここは前に2回通っているはずですが気づかなかった。


 題字は高知県知事橋本大二郎、
サンゴセンターは団体の食事もできるので観光客で大にぎわいでした。


 禅師峰寺から1時間、浦戸大橋を渡ります、3度目ですが、やはりいろんなことに緊張します、幸い雨はあがっていますが。


 車道の幅もそれほど広くないし歩道は本当に最低限という感じ、


 渡しの方を眺める、最後にしたいけど宿の都合でどうなることか、


 14時52分、民宿まさごに到着しました、押さえに押さえた1日でしたが、こういう時間に着いてしまいます。距離は37.1km、平均時速は5.8kmというところでした。


 夕食はこれだけではなく、


 野菜の蒸し焼きも。
 メインのカレイかヒラメのホイル焼きが味が良く出ていて先ず旨い、左上の豚の冷しゃぶが思わずにっこりしたくなるくらい、カツオのたたきは今年4軒くらいの宿で出た中で一番美味いとはっきりと言えるほどだったし、おすましは今年泊まった全ての宿の味噌汁、すましの中で一番美味いと断言できるくらいおいしかった。本当にしっかりしたこれぞご馳走といえる献立です。料金は7500円と遍路宿としては少し高めですがこれだけのものを出してもらえれば何も言うことはありません。浦戸大橋も渡らなければいけないし、高知屋より1000円高いとなれば積極的におすすめはできませんが、高知屋が満室の時はぜひこちらへと薦めることはできます。
 同宿の人は居ませんでした、龍馬パスポートで次回泊まるときに使える500円引きクーポンをもらったのですが、来年は逆打ちなので遠回りはできません。

 

9日目 民宿とうの浜~民宿喫茶きらく

2017-06-29 | 17年四国の旅


 とうの浜の朝食は6時半からです、
 ぼくの出発は皆さんよりゆっくりめで7時24分、女将が見送ってくれて、じゃあ握手しましょう、外国暮らしが長いせいでしょうか。気分が良かったので来年もまた来ますと言ってしまいました。この前後にはどうしても泊まりたいという宿はないし、本当に四国に居ついているかも確かめたいし。



 8時16分、とうの浜から52分で27番神峯寺に到着です、とうの浜からのタイムはないのですが、ベストよりちょっと遅かったという感じ、ベストがないから力を入れる必要もないし。
 下ってくる人3人と、登っていく人2人(一人は同宿の人)と出会います。登っていく人に声をかけたら安芸の宿に泊まってバスでふもとまで引き返してきた、
下ってからもバスを利用して今日は30番まで行ってしまう。神峯寺から次の大日寺までは38kmあって、その内30km以上はバスや電車が利用できるので歩きの人でも飛ぶ人は多い、

 下り始めの山門ですれ違ったのは台湾から来た男性、いっしょに下り始めた男性が前日会っていたみたいで教えてくれました。少し下ったところで会ったご夫婦はホテルなはりから、やはり電車を使って今日は大日寺まで行ってそこで区切るそうです。さらに下ると今度は昨日バス停で休んでいた外国人男性、登り口の近くでは羽根岬の手前で追い越した男性二人もやってきました、二人は今日はホテルタマイまで、23kmほどです。安芸の宿に泊まると次は遊庵まで25kmだからこういう間隔で歩く人も少なくないはずです。

 今日は初めての道はないので写真は全然撮りませんでした、道の駅大山には神峯寺から77分で到着、ベストより3分遅れです。到着すると若い外国人カップルと同宿の4回巡ったベテラン男性が歓談中でした、昨日出会っていたようで二人が唐の浜のビーチで野宿することも知っていたようです。男性は20kgはあろうかという大きなザックを担いでいます、3人は間もなく出発、ぼくもほとんど休まずいっしょに歩き始めました、今日の宿はどうするのかとカップルに問うと、まだ決まっていないと言うので、改めて立ち止まってアドバイス、Do you have a map?と中学1年のごく初期に習う英語が役に立ちました。男性がザックを下ろして英語の地図を取り出し、善根宿萩森の位置を教えます、ここから17kmほどだと言うと、ちょうどいいという返事、ゲストハウスは使いますかと訊くと全く泊まらない、expensive だという、確かにこれだけの荷物を担いでいるのだから2500円、3000円の宿でも勿体ないという感覚は解る。それではと、通夜堂と善根宿を教えますが、時間は大丈夫ですかと訊くと、大丈夫だというので、地図を見ながら通夜堂のあるお寺を順番にマークしていきます、石手寺の宿坊に泊まると1kmほど先に日本で一番歴史のある温泉があるからぜひ行くといい、と言うと、男性がタトゥーは大丈夫ですかと訊く、おそらく断られた経験があるのかもしれない、根拠はないのですが同宿の男性と二人で大丈夫だと太鼓判を押す、ぼくは長珍屋で立派な彫り物の男性とお風呂でいっしょになったことがある、お遍路で、外国の若い人ならさらに問題はないと普通に考える。彼はタトゥーアーティストをしています。40分ほどかかって88番まで通夜堂と善根宿のマークを終えると二人から納札を頂きました、男性はオランダのジェレミー君、女性はカナダのレイチェルさん。ぼくも名刺を渡します。


 3人は大山の先から防波堤の道を行きますがぼくは国道を行くのでそこでお別れ、今日は出発も遅くてアドバイスで思わぬ時間もかかったので、ここからは本気で歩きます、なにしろ今日は42km。
 安芸の市役所の近くの観光案内所で龍馬パスポート、ブルーからレッドの更新をしてもらいます。そうして球場前駅の南にあるカリヨン公園で昼食です。昨年も一昨年もずっと故障したままだったので今年は時間を気にしていなかったのですが、ちょうど12時ちょっと前に到着すると、何と、音楽が始まりました。3年かかって修理されていました、これでまた来年も時間を合わせるのが楽しみです。
 カリヨン公園を12時07分に出発、映子さんのプレハブ休憩所まで62分、本日初めてのベストタイ、かなり時間が押してるし、写真も撮らなかったし、歩きの人にも出会いませんでした。休憩所ではコーヒーとブンタンを頂きます。
 10分ほど休んで、13時20分に出発、今度は特養まで48分50秒、ベストより1分ほど遅れました。特養でもお茶を頂いて10分ほど休憩、14時18分に出発です。


 写真や映像では見ていた手結港のはね橋を初めて生で見ました。
 この後8人ほどの歩きの人に出会いました。



 16時04分、28番大日寺に到着です。特養からは105分、ベストより3分ほど遅れました。


 16時27分、大日寺から5分、民宿喫茶きらくに到着しました、初めての投宿です。部屋は2階の3部屋、和室4畳半で洗面トイレ付、ワンルームマンションのようになっていて裏に階段があります、食事は一旦外に出て表の喫茶店の入口から入ります、雨の時のために傘が部屋に置いてあります。部屋を出てお風呂の横には冷蔵庫があってその中の水とお茶はフリー、その横にはキャンディやお菓子も山盛りになっていました。今日はぼく一人で同宿はいませんでした。


 昨日とは対照的にご馳走です、苦手な煮魚焼き魚がなくて食べやすい、


 菅さんの写真も飾ってありました。


8日目 民宿とうの浜にて

2017-06-28 | 17年四国の旅


 民宿とうの浜は民宿きんしょうがあった所に新しく建てられた宿、きんしょうに泊まったことがないので改装したのか全部新しく建てかえられたのかはよく分かりません。部屋は完全に新築のようで、ぼくの隣の部屋なんかは大工さんがまだ入って仕上げをしているようでした。部屋を出たところの土間は談話室のようになっていてセルフでコーヒーやお茶が自由に飲めるようになっています。部屋数も9部屋前後あるようです。受付の若い男性にはっきり聞いたのですが、確かな数字は忘れてしまいました。食事の方は今までの宿に比べてそんなに豪華というわけではありませんが、たまにはこれくらい軽くてご飯をたっぷり味わえるというのも悪くありません、完食するのに必死になるよりは大分いい。女将はカンボジアの人、といっても元々は横浜の人で青年海外協力隊でカンボジアに行ってそのまま居ついてしまった、それがどういう訳か四国に来てお遍路をして、どういう事情かここの女将になってしまった。そこの処の話もしていたのですが細かいところは聞き逃してしまいました。来年までにはカンボジアを引き払って今度は四国に居つきたいとおおらかに話します。ぼくの隣に座った人がカンボジアで仕事をしていたことがあってカンボジア話で盛り上がっていました。
 その隣の人はぼくの名前を聞いて、今日自転車で巡っている人からぼくのことを聞いたと言います。知っていますかと問われて、全然知らないし会ったこともない、何でも、とうの浜に泊まるのなら○○という人が泊まるから何でも相談したらいい、と言われたと。ぼくのブログの読者の方のようです。泊まる宿は全部ブログに書いて出てきたので、知っていても何ら不思議ではありません。でも、読者と言っても100人前後なので、お遍路ではない日本一周をする様な人も見てくれているのかとちょっと不思議な感じもしました。
 ぼくの向かいに座ったご夫婦は車で逆打ちです、西国めぐりにも関心があるようで、食事の後談話室でいっぱいお話しさせてもらいました。
 向こうのテーブルの男性3人は初めてが二人、何回か廻っている人が一人、皆さんに宿案内を渡すことができました。
 ここは神峯寺の打ち戻りでお遍路さんの多くが集まる拠点、3つの宿の内あとの二つは?の宿だから、ここが改めてオープンしてこれだけの部屋数でこれだけのもてなしをしてもらえるとなると大繁盛は目に見えるようです。安心して勧めることができる宿ができて本当に良かったと思います。


7日目 みちしお(東洋町)~うまめの木(室戸市)

2017-06-23 | 17年四国の旅

 みちしおの朝食は6時半から、写真は撮り忘れてしまいましたが、これまた大好きでした。ザックを食堂に持ち込んですぐに出られるようにしていたのですがこれがちょっと失敗で、迷惑をかけることになってしまいました。四国の宿では外鍵を持たせてくれる宿は少ないので、うっかりして白衣のポケットにれたのが間違い、そのまま返さず出てしまいました。料金を払わず出たことはあるのですが、鍵は初めてでした。歩き始めてずいぶん進んだところで気がついて、どうしようどうしようと考えながら歩いて、とりあえず、5km来たところのゴロゴロ休憩所の電話ボックスからその旨を伝えると、すぐ車で取りに行きますということだったのでそうしてもらいます。15分ほどで来てもらって平謝り、大丈夫ですよと笑顔で答えてくれました。


 ゴロゴロで待っているときにランニング遍路さんが追い抜いていきました。よく小さいと言われるぼくのザックの半分くらい、9km前後のスピードでしたがあっという間に見えなくなってしまいました。おそらくぼくと同じ生見海岸の周辺か宍喰あたりから出発したと思われますが今日は何処まで行くんでしょう、吉良川ぐらいまでは楽に行けそう。
 ゴロゴロ休憩所を8時05分に出発、ゴロゴロまでは朝食のすぐ後だったのでベストより1分遅れだったのですが、足の調子そのものは全く問題ないので、ゴロゴロからは写真も撮らないし、少し力を入れて歩きました。昨日まではあまりタイムを狙わなかったので、たまにはいいだろうという感じで歩き出したら、佛海庵の近くのバス停まで76分13秒、ベストタイでした。この区間はベストが出にくくて8年ぶりのベストタイ、このタイムが出たのは2回目だから相当身体が動いています。そのあと佐喜浜のスーパーまではちょっと気がゆるんで20秒遅れでした。
 10時10分ですが、スーパーフェニックスでアイスとパン一つ買って昼食です。


 スーパーではたっぷり50分の休憩、今日は歩く距離が短いので、もっと休んでも大丈夫なくらいです。
 11時に出発したら、すぐ佐喜浜の集落に避難タワーができていました。
 佐喜浜から徳増までは35分34秒でベストタイ、徳増から椎名の分岐までは46分でベストより1分遅れですが、ベストは徳増を朝一で出た9年前でそれ以降では一番早いタイムです。
 椎名から三津のヘンロ小屋までは39分でベストタイ、到着する少し前に本日二人目の歩き遍路さんが発っていきました。この時間にこんなところにいるのは全く解せませんが、途中までバスに乗ってきたのかもしれません。


 三津のヘンロ小屋から2.4km、旅サラダで紹介されていたウトコオーベルジュ&スパ、2万円以上するのでへんろ地図には載っていませんが、英語の地図にはちゃんと載っています。低層でほとんど茂みに隠れているので今まで全然気づきませんでした。


 14時40分、24番の登り口まで来ました。徳増からだとベストより1分遅れの127分、最後までほとんど落ちませんでした。




 14時55分、24番札所最御崎寺に到着です、山登りは少しへばってベストより10秒遅れ。でも1日通しではベストといえるほどの歩きでした。
 境内には歩きの男性が一人、逆打ちと思われる女性が後から入ってきました。あとは車遍路のの人ばかり、今日は土曜日です。ウトコに泊まったお遍路体験の女性二人も程なく上がってきました。水屋も使わず大師堂でお参りを始めようとしたので、本堂からどうぞと水屋の方へ促します。


 15時17分、最御崎寺を出発、今日は全然写真を撮らず歩きに集中した1日になりましたが、とりあえずここからの1枚は撮らずにはいられません。画面の中央、国道沿いに本日のお宿、うまめの木もくっきり見えています。


 15時35分、うまめの木に到着しました。4回目の投宿です。
 最御崎寺から1.8kmのところにあるうまめの木はぼくが四国で泊まった190軒の宿の中でトップファイブに入るほどの大のお気に入りの宿です。ただ、唯一の難点はお遍路さんがあんまり泊まらない、3部屋しかないのに、ぼくが泊まった4回の内3回が普通の観光客と同宿でした。1回目が観光客と自転車遍路、2回目は二人とも歩き遍路さんだったのですが、一人はこの宿の評判を聞いてどうしても泊まりたくてその日と前日バスで距離を合わせました、もう一人は歩く距離がかなり短い人。3回目は観光客の若い夫婦と幼児一人だけでお遍路はいなかった。そして今回、出迎えてくれた女将さんの表情が少し冴えません、お遍路ではない人が同宿でと、口調もはっきりしない。その一行が到着してその意味が分かりました。若い夫婦と3才と5才くらいの兄妹でした。そんなに長い廊下ではないのですが走り回って結構うるさかったです。もう一人の同宿の人が到着したとき女将さんが伊藤さんと呼んでいたので、もしやと思いました。


 夕食はこれだけではなく


 潮汁と山菜の天ぷらも出てきます。ただ、いつも出てくるカツオのたたきが今年は出てきませんでした。カツオの不漁、高騰が影響していると思います。
 食堂に現れた伊藤さんはやはり昨年山茶花で同宿だった東京の伊藤さんでした。昨年会ったときすでにぼくのブログをずっと読んでいてくれることが分かって話がずいぶん盛り上がったものでした。彼は40代後半で仕事もしているのでずっと区切りですが、もうすでに10巡以上している大ベテランでもあります。はっきりは聞いていないのですが1年かけて何回にも分けて1巡する、それくらいのペースではないかと、
 ぼくのスケジュールはブログで発表していたので、それに合わせて会いに来てくれたようです、そういえば今日は土曜日、1泊二日で飛行機で往復、申し訳ないやらありがたいやら。本当にとなりの幼児がうるさかったので二人で思い切りお遍路話で盛り上がることができて助かりました。中村の手前の前は評判がよかった遍路宿の事情も教えていただいて大きくうなずくこともありました。ときわ旅館のご主人とも仲良しで、ぼくとご主人がいっしょに出石寺に登ったときの話で盛り上がったことなども話題に上ります。


6日目 樹園~みちしお 

2017-06-22 | 17年四国の旅


 12時04分、泰仙寺から47分で現代の遍路道である国道に合流します。計画では国道を辺川まで歩くつもりだったのですが、13時19分の電車にはぎりぎりなので、国道を横断してすぐそこの山河内駅から電車に乗ります。


 国道の手前にポニーがいました。


 国道の交差点、


 国道を横断してすぐ右に打越寺、ナニコレ珍百景で有名になった投げ銭供養が行われるお寺の一つです。この住職の言われるには、ここから南の方へ下りて峠を一つ越えて海岸線に出る道が昔の遍路道だったと言うことです、英語の地図にはその道に青線があります。奥の院へ行くとそれが納得できます。峠は国道よりも標高は高いのですが、自然な流れに見えます。


 12時09分、山河内駅に到着、電車が来るまで1時間ほど、ゆっくり休憩します。1時間休んでも、阿波海南まで乗るので、宿には16時過ぎに着く計算です。


 阿波海南駅を13時40分に出発、この時間だと薬王寺周辺に宿をとった人たちはまだもう少し手前を歩いているので、一人も出会いませんでした。写真は海南駅から5km、中を覗くと牛乳コーヒーは有料でした、お接待所ではなく休憩所でした。ここでは休まず2.5km先のセブンイレブンでお金をおろしてアイスとビスケットを買いました。今日の道沿いには郵便局がないのでJAのカードでおろします。JAバンクはセブンで手数料無料、今回はキャッシュカード2枚持ちです。


 16時15分、みちしおに到着です、レストランの入口、

宿は左、車の奥が入り口です。


 右の手前は熱々の唐揚げ、めちゃくちゃ美味い、右上は牛肉、左はカツオのたたき。昨日と比べてすごく食べやすいし量もちょうどいい。
 食事は一旦外へ出てレストランへ行くけれど、お風呂、トイレ、洗濯、部屋は全部2階にあるので動きやすいし、外鍵もあるので女性も安心、2食付きで5940円、超おすすめの宿です。知り合いのお遍路さんがその時泊まった高知県の宿で一番良かったというのが解ります。ぼくは龍馬パスポートを持っていたので5%引きで5643円でした。来年はパスポートがブロンズにランクアップして10%引きになるので5346円になります。もう絶対にこの宿をはずすことはできません。
 同宿は男性二人、一人は今治の方で高知までの区切り、JRで帰るので高知駅に一番近い札所はどこかと訊かれました。30番までお参りして、その近くの土佐一宮駅から高知へ行くか、札所の前からバスも出ていますとアドバイス、初めてなので二人に宿案内を渡しました。

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西国巡礼の続き

2017-06-19 | 日記

 今日の三田の最高気温は30.9℃、予定通り宝塚駅から三田駅の脇を通って花山院まで、花山院から同じ道を引き返して三田駅まで全部歩いてきました。36kmほどでしょうか。でも、やっぱり真夏の巡礼はきびしいです。家から持っていった500ccのペットボトル(水道水)にポカリとアクエリアス500ccを1本ずつ買って、さらに花山院のトイレの水500ccでなんとか生き延びることができたという感じです。まだ真夏ではないから、今日のような快晴ではなく曇りであればもう少し楽に歩けたかもしれませんが、いずれにせよ、もう秋が来るまで歩くのはお休みです。


5日目 ふれあいの里さかもと~樹園

2017-06-15 | 17年四国の旅


 さかもとの朝食はなんといってもおかゆさんが最高、ぼくの好きな朝食のベスト3のひとつです。あとはうまめの木と青空屋、


 もうこれが最後になるだろうからと、記念撮影、お互い撮り合いっこして、二人並んでの撮影は運転手さんにしてもらいました。
 竹下さんとのご縁については、このブログのバックナンバー、2012年4月26~27日と2014年6月3~4日に詳しく書いていますので参照してください。
まあ会えなくてもこのブログはずっと見てもらってるし、メール交換もできるから、これで終わりという訳ではありません。



 竹下さんはマイカーで一足先に発たれました、膝を手術されて、ここ数年はもっぱら車で巡っておられます、来年は権先達になるの、とお遍路はずっと続くようです。
 慈眼寺へ向かう男性以外の7人は2台に分乗して金子やの前まで送ってもらいます。一人は逆打ちなのでぼくを含め6人が鶴林寺の山道に入っていきます。お遍路を始めて5巡目くらいまではこの道がすごく苦手でした。俳句の掲示板がある登り口からの急な傾斜でいきなり勢いが削がれてしまう。
 それが5年くらい前からは、道が読めるようになって合わせながら歩けるようになりました。変に力を入れることもなく気負うこともなくそれでベストタイのタイムで登れる。
 この風景が何とも好きで必ず撮影してしまいます。13年前、竹下さんと初めて会ったのもこの撮影ポイントの近くでした。


 鶴林寺の山門の手前、昨年は工事中だったトイレが見事完成していました。


 8時08分、20番鶴林寺に到着しました。金子やから49分35秒、7巡目までのベストより5秒遅れでした。今回はタイムはそれほど狙っていませんでしたが普通に味わいながら登るとこういう感じです。
 鶴林寺の山門をくぐって水屋の前に行くと、井戸寺の境内で宿情報を渡した男性が外国人男性とスマホの翻訳アプリでやりとりしています、でもほとんどエラーばかりでなかなかうまくいかない。Eテレのニュースで英会話を見ていたら、ものすごく完璧な翻訳アプリが開発されていてびっくりしたのですが、そういうのばかりではないようで、むしろ不完全なもののほうがまだ多いようですからね。
 でも、ぼくが大師堂でお参りを終える頃には、もう一人井戸寺で出会った女性と3人で連れだって次の札所への山道を降りていきました。同宿の人たちも次々到着してきます。みなさんが本堂へ上がっている8時25分、先の3人を追いかけ山道を下ります。


 境内から下りていくところに、この看板、今回初めてかも道を行くつもりだったのですが、回避することにしました。でもこの書き様を見ると歩けないことはなかったような、黒川道のことを思えば、そんなに危険な目に遭わずに行けたのではないか。江戸時代よりもずっと前のへんろ石があると聞けばどうしても歩きたい。来年は逆だから歩けないので、2年後までには再整備を期待したいものです。
 県道283号に下りる少し前の所で3人に追いつき、先に行かせてもらいます。水井橋の手前のヘンロ小屋に到着したのは鶴林寺から32分後、足取りは軽かったのですがベストより4分遅れでした、ベストの時はどんな歩きだったのだろうと我ながら不思議な感じがします。4年前も9年前も、靴が山歩きには向いていたのでしょうか、でも4年前の靴はそれが原因で途中リタイアしてしまったからお遍路というのは難しい。山の靴と平地の靴を履き替えながら歩いていた人に会ったことがありますが、あながち間違ってはいなかったと、今にしては思いますね。


 水井橋の手前のヘンロ小屋には別の外国人男性が休んでいて、一言二言お話をしました、彼が先に発って、5分ほどあとにまた追いかける形になりました。太龍寺の登りも鶴林寺と同様あまり好きな登りではなかったのですが、どういうわけか5年前から急に調子よく登れるようになっています。それまでのベストタイムより5分も早く登ってしまって、次の年も同じ、その次は3分早く、昨年は1分早かった。そして今回はというと、3分早いタイムでした。ヘンロ小屋から56分、鶴林寺からだと88分、焼山寺では全然だったから、なんとかいつものペースで登ることができて気分がいい。写真は太龍寺の山門、10時08分です。


 本堂、大師堂とつつがなくお参りを済ませ、納経所の前のベンチに腰掛けて早めの昼食です、写真は竹下さんからお接待で頂いたものです。これと家から持ってきたチーズとキャラメルだけでこの日の昼食は済ませました。ローソンでは何も買わなかったし、今日はほとんど山の中で買う所などありません。
 到着してから50分ほどで、小林さんが到着、ぼくの横にすぐ腰掛けて、しばらくお話ししました。かも道を回避したので大分時間の余裕があります。
 小林さんと30分ほど話し込んでしまったので、太龍寺の山門を出たのは11時33分になっていました。太龍寺から今日の宿までは4寺間ほどかかるので16時過ぎには着けるでしょう。
 太龍寺では80分も滞在してしまったので、二つの山登りの疲れは全くとれて下りは快調そのものでした。下りなので力を入れなくてもどんどんスピードが乗っていく感じ、坂口屋までのタイムは37分24秒、今まで11回の中で最高のタイムでした、今までのベストより20秒ほど早い。


 坂口屋のあと、新しい短絡路ができていました。昨年はいわや道を歩いたのでここには来なかった、2年空くと風景が変わるし、記憶が薄れてしまう山道もたくさんあります。


 13時30分、22番平等寺に到着です。坂口屋からも調子は悪くなかったのですがベストより3分遅れでした。ベストを出した時は2回とも坂口屋に泊まって朝一に歩いたので、山二つ越えた後ではタイムが出ないのも仕方ありません。
 時間も押しているのでお参りを終えるとすぐ発つつもりだったのですが、年配の男性が休んでいたので、声をかけてしまいました。今日の宿もまだ予約していない、ここから由岐の宿まで歩くのは無理だろうから、送迎してくれる宿をいくつか紹介したりしました、平等寺は宿坊も始めたというと、食事がないのはだめということでした。宿情報を渡して山門を出たのは14時ちょうど、目標の16時までというのはもう無理になってしまいました。


 平等寺からの道が国道に合流していく少し手前の橋が新しくなっていました、これは昨年は写真を撮らなかったからこの1年の内に開通したはずです。
 鉦打のヘンロ小屋まではベストより5分遅れ、1日の後半で疲れがたまっているみたいです、自覚はあまりありませんが。


 ヘンロ小屋から由岐駅の踏切まではベストより3分遅れ、少し持ち直した感じですが、午前中に歩いたタイムにはどんなにあがいても太刀打ちできない。
 由岐駅の踏切は渡らず、初めて県道を直進したのですが、この登り坂が大変でした、午前中の山登りよりもきついと一瞬思ったほど、
 田井ノ浜から県道を離れて宿に向かう道に入りますが、この最初の部分は英語の地図に緑の線があります。昔はトンネルがなかったからこの道で海岸線を巡る。


 16時26分、本日の宿グリーンハウス樹園に到着しました。初めての投宿です。


 夕食はこれだけでなく、


 天ぷらと伊勢エビの味噌汁、手強かったです。煮魚はいらなかったし、味噌汁は癖があって正直旨くなかった、伊勢エビの味噌汁は2年前、須崎の民宿旭でも食べたけれど、その時は独特の風味が本当に旨いと思ったけれど、全然違ってクセが強くて、どちらかというと不味いと言える感じ、四国の宿で初めて完食できませんでした。ネットの評価では4.5で文句なしの宿のように思えたのですが、確かに料理は豪華は豪華だけど、ぼくは量も質もちょっと合わなかったし、トイレは女性にはちょっときびしいタイプのもので、お風呂の入口も男性小用のすぐ後ろに入口があったりするので、女性にはお薦めできる宿ではありませんでした。男性にはまあ積極的には奨めないけど、まあまあの宿ですとは言えるでしょう。さらに、食事中ずっとテーブルの周りを犬がうろついている、老犬でおとなしくて、ぼくは嫌な感じはしなかったけれど、気になる人は少なくないでしょう。同宿の人は鶴林寺の下りで追い抜いた男性と女性、二人とも平等寺まで迎えに来てもらったはず、それ以外に男性が二人、食事中はそれぞれが少し離れていたので話は全くできませんでした。


4日目 鮒の里~ふれあいの里さかもと

2017-06-14 | 17年四国の旅


 小松島市から勝浦町に入ったところ、数年前にできた短絡路です。宿を出て1kmくらいの所で先に出た同宿の男性に追いついてここまでいっしょに話ながら来ました。昨日の夕食の時ほとんど何も話せなかったので、その分を取り返しました。この少し先でぼくが先に進んでローソンで宿情報のコピーをしている間に先に進んで行かれました。この方は確か区切りだったと思いますが、全歩きにこだわっておられます。


 立江寺から9.3km、番外星の岩屋への分岐点です。星の岩屋は英語の地図では19番の奥の院となっていますが、取星寺も19番の奥の院と記されていて、慈眼寺が20番の奥の院となっています。


 四国霊場奥之院 星之岩屋へ
ある時代にはこのように奥の院にもお参りするのが普通のことだったのかもしれません、現代でも星之岩屋は大好きでよくお参りするという人にも会いました。


 逆光でほとんど見えませんが、大正十◇年 と刻まれているようです。


 これ以上はないという快晴、最高の登山日和です。どの峯を越えるのかドキドキものですが、もちろん見当はつきません。


 これから渡る勝浦川に架かる橋が見えてきました。


 橋の手前に道しるべと矢印、


 はっきり昭和九年五月


 橋を渡ったところに矢印がいっぱい、


星の岩屋2700m


 ここでやっとおなじみの矢印、


 掲示板の下にも道しるべ、


 太い赤線の遠回りの道が日本語のへんろ地図の赤線の道、細い赤線の近道が英語の地図の赤線の道、びざんのご主人に訊いたら英語の地図の近道で大丈夫だということなので、もちろんその道を行きます。


 公認先達福田恵峰さんの矢印も現れました。念のため地図を書いてきましたが、全く必要ない感じです。


 地元の人が作ってくれたものでしょうか、


 ここは真っ直ぐ、川に沿って登ります、向こうのポールに直進の矢印もあります。



 四国のみち、の道しるべ。右側の道が日本語の地図の赤線の道で、左が英語の地図の赤線の道です。そして右側の日本語の地図の赤線は近道でもありません。近道でもなく四国のみちでもないのにどうして赤線が、大いに疑問です。英語の地図は舗装道と山道の違いがはっきり判って正確で見やすいけれど、日本語の地図は星の岩屋前後の道はとてもわかりにくくなっています。

 川沿いの道、

 ここで橋を渡ります。

 橋の手前に福田さんの矢印、福田さんはグラフィックデザイナー、この矢印のイラストも自作のものと思われます。

 地図にあったように橋を渡るといきなり急な登りになります。

 太い舗装道に上がっていきます。

 左後ろに折れると、すぐ右の急な登りに入ります。ガードレールに矢印もあります。

 急な登りに入ります、帰りはここまで戻ってきて、舗装道を西の方へ向かいます。

 先の急な登りに入ってから6分、判りにくいですが渓流を渡る小橋です。見た目より細くて頼りなくてちょっと慎重になりました。

 こちらの方には本当にガッチリ道しるべや矢印があって全然迷いません、日本語の赤線の道にはあるのでしょうか。

 小橋を渡ってからが山道らしい山道、

 舗装道のガードレールが見えました、日本語の地図はあの舗装道に赤線があります。

 仏陀石はこの舗装道の先にありますが、歩きの人は先に星の岩屋に行って山道で仏陀石の方へ行くことになります。

 舗装道に上がってすぐ星の岩屋への入口がありました。勝浦川を渡ってから33分、9時02分です。

 舗装道に上がってから2分ほどで、奥の院の建物が見えてきました。

 瀧がありました、写真ではか細く見えますが、実際はかなりの迫力でしばし見とれるほどです。

 19番の奥の院だけど20番で納経する。

 中津峰山まで2.5km、中津峰山から如意輪寺まで1.6km、
ここと、中津峰の標高差は520m。この距離と標高差は、太龍寺の最後の登り口から太龍寺までの距離と標高差の1.5倍になります。つまりあの勾配の山道を1.5倍味わえるということのようです。

 星の岩屋を出てすぐの所、

 標高770mというと焼山寺より高い、覚悟しているから、ただただ一歩ずつ前へ進むしかない。



 田辺恵司さん(めぐめぐさん)の遍路札を見つけました。こんな所にも来ておられるんだと思ったのですが、最近の掲示板を見ると人があまり歩かない別格や番外の道こそ荒れやすいので遍路札や草刈り鋏を設置して廻っているとのことでした。

 星の岩屋から15分で仏陀石と中津峰の分岐にやってきました。

 9時24分、ここで10分の休憩、2.1kmで450m以上の標高差、横峰寺の最後と同じくらいですが、ここまで300mは登ってきてますから同じにはなりません。

 分岐からの登り口は相当な勾配です。

 分岐から3分で舗装道を横断、

 さらに17分でまた舗装道を横断、

 さらに3分登ると視界が開けました、写真ではよく判りませんが海が見えています。

 10時16分、分岐から42分、山道を抜け出て広い平らなところに出てきました、すわ山頂かと思ったのですが、バイクでここまで来ていた人に尋ねるともう少し先だということでした。ここはパラグライダーの出発場だそうです、そういえばダーツの旅かなんかで見た覚えがあります。

 バイクの人に頂上から如意輪寺への行き方を教えてもらっていたら、後ろから登山の男性が追いついてきました。勝浦川の所まで車で来て、そこから歩いてきた、定年になってすることもないから、こんなことばかりしてると、学生時代からずっと山には登っていたそうです。さすが山男だけあって、ぼくより速いペースで登ってきたようです。いっしょに山頂まで行きます。

 舗装道に上がってきてからずっとゆるやかな登りです。

こちらは関係ない道への道しるべ

 最後はちょっと登ります。

 もう山頂は間近か

 教えてもらった石垣とその中には社があります、

 石垣を出たその前に道しるべ、右から来ました、如意輪寺へは左へ行く。

 石垣の中へ入って社の右脇を抜けると、中津峰山、山頂です。

 これが三角点、と山男が教えてくれました、

 写真を撮りましょうか、と山男が言ってくれて、最初は断ったのですが、せっかくなので後ろ向きならとお願いしました。ザックが小さいのでお接待で頂いたおにぎりが入りきらず外側にぶら下げることに。

 Unknown (日傘)  2017-07-15 17:52:41
 お会いした時今回は番外とかいろいろ行かれるとお話しされていましたが、星の岩屋や如意輪寺も行かれていたのですね。今は遍路地図見ながらブログ拝見しています。
 私は歩くのに精いっぱいなのに地図の赤線と昔からの未知の違いなど歩きながら考察されていてすごいです。勉強になります。
 Unknown (walker's) 2017-07-15 19:35:41
 08年と、09年、の遍路日記をちょっと違う形で書いて、もうそれ以降は同じ道を同じように歩くのだから、目新しいことはほとんどなくて、ブログを書くのはやめてもいいと思ったこともあるのですが、帰ってきても考えるのは四国のことばかり、時間もそれなりにあるので、まだ泊まっていない宿やまだ歩いていない道をできる範囲で選択して少しは目新しいものを書ければという感じで続けています。おもしろがって見てくれている知り合いのお遍路さんも何人かいますので、このペースで無理せず楽しみながら続けられればと思っています。
 でも来年はできるだけ多くのお遍路さんに出会うのが第一の目的なので新しい道は全く歩けません、ブログがどうなるか自分でもまだ分かりません。


 中津峰から如意輪寺まで1.4kmで標高差340mを一気に下っていきます。鶴林寺の下り、県道までが1.3kmで標高差310mだからそれとほぼ同じくらいの傾斜になりますが、こちらのほうが全体に平均していて足場も良くて快適に歩が進みます。ひざに負担がくるような段差もあまりありません。

 二俣になっていて矢印もないので一瞬どうしたものかと思ったのですが、すぐ先で合流するのでどちらを行っても間違いではありませんでした。

 バイクの人に何ヶ所か分岐があるから気をつけるように言われたのですが、ちゃんと分かりやすい矢印がありました。

 ここも紛れもなく四国のみち、770mの峰を越えて向こうに下って、また同じ道を引き返す、普通のお遍路さんは滅多に来ないだろうと思っていたのですが、ちゃんとこの道を往復したことがあるという人に出会いました。その人は一宮から八栗まで1日20kmほど、翌日も六萬寺、霊芝寺を経て長尾寺までの20km足らず、ゆっくりお遍路さんですが山登りは大好きで、如意輪寺も篠山も当たり前のように登ったと言います。屋島の下りも安全な打ち戻りではなく、危ない昔の山道を当然のように選択、小柄な女性なので、それを聞いたときにはちょっとびっくりでした。

 10時58分、中津峰から21分で番外霊場如意輪寺に到着しました。大師堂の脇を抜けて境内に入っていきます。山越えの道は表参道ではないので山門はくぐりません。

 お大師さんも居られます。

 境内からの眺め、おそらく小松島港のあたりではないかと思われます。
星の岩屋からここまで88分、予想よりかなり順調でした、打ち戻りは下りの方が長いからさらに短い時間で行けるでしょう。地図には往復4寺間と書いてあるけれど3時間は切れそうです。安心してゆっくりお接待のおにぎりで昼食です。

 如意輪寺では45分ほど滞在して、11時42分に中津峰に向けて登山を始めました。ここは中津峰山頂から少し下ってきたところ。山頂までは38分の登り、山登りとしてはちょうど手頃な時間で、それほど大変ということはありません。あとは下る一方(だとこの時は思っている)なので、今日の仕事はほぼ終えたと少し気が抜けた状態。


 山頂から星の岩屋までは40分、如意輪寺までの往復は2時間46分でした。3時間で行ければ上々だと思っていたから、言うことありません。ここ4年くらいは焼山寺のあとは足全体にひどい筋肉痛が出たのですが、今年はほとんど出ていません。食事療法が完全に功を奏したようです。タンパク質は1日70g、これでもう四国はさほど心配することもありません。
 写真は勝浦川沿いの県道212号まで下りてきたところです。13時57分、星の岩屋から3.2kmを38分で来ました。下る一方だと思っていたら、登ってきたところの分岐から西への舗装道の最初の部分はすごい登りでした、ここまできてまた登りかと、しかもこの天気で気温もすごく上がって、ちょっとまいりました。


 15時02分、ふれあいの里さかもとに到着です。本日の正味の歩行時間は6時間50分、休憩はローソンのコピーと星の岩屋と、仏陀石の分岐と中津峰と如意輪寺の5回、合計で1時間半ほどだったからこんな時間です。
 2kmほど手前で男性を追い抜きました、この時間で余裕があったので車の迎えを頼まなかったようです。
 さかもとは4年ぶり2回目の投宿になります。前回泊まったとき1階の小さい部屋が当たってほかの部屋より540円安かったので今回は予約の時に同じ部屋をお願いしていました。
 到着した時点でお風呂の用意はできていました、お風呂から上がって脱衣場で一息入れていたときにいっしょになった人としばし歓談、明日は慈眼寺に行って金子やまで、それなら時間がたっぷりだから絶対穴禅定はしてくださいとお願いします。
 お風呂から出てフロントのところへ行くと女性が到着したところ、やはりバス停鳴門西でいっしょに降りた人でした。あの時電車バスも使うと聞いていたので、たぶんここでいっしょになるかもと思っていました、いきなり挨拶もなくぼくは2番の方に向かったので、何とかもう一度会えればと思っていました。


 夕食でどっきり、左向かいの席に来た人がぼくに向かって名札をこちらに向ける、「竹下」、来るとは思っていなかったから顔を見ても一瞬気づきませんでした。竹下さんの知り合いの人がお遍路ハウスを始めて、ぼくが予定していた伊予三島の宿からそちらの宿に変更したので、そのお礼にと駆けつけてくれました。でも、その宿に変更するきっかけをもらってこちらこそすごく感謝しています。なにしろ、ぼくが今まで泊まった190軒の四国の宿の中で最高の宿でした。設備がもっと新しいとか料理がもっと豪華だという宿はいくつもありましたが、2食付きで4800円、それで食事も設備もA級の宿とほとんど遜色ない上に、女将さんはお遍路の経験者でいろんなお話もしてくれました。同宿の人はいなかったのですが、いなくて良かった、洗濯もお接待でしてもらえたし、ぼくは朝食なしで予約したら、おにぎりのお接待も頂きました。
 鳴門西で会った小林さんがぼくの向かいに座り、その左に竹下さん、3人で昨日できなかった分まで絶え間なくお話しさせてもらいました、食事はもちろんおいしかったのですが、味わっている余裕がないほどでした。それに、ぼくの右隣に座った人は昨日法谷寺の道から清水寺に来たときに出会って宿情報を手渡した人でした、そしてその向かいに座った人はその人に出会って宿情報をコピーさせてもらったという、二人から改めて丁寧にお礼を言われました。ぼくの左に座った人はお風呂で話した人、金子やはどうですかと、竹下さんとぼくに訊くので、二人とも首を傾げながら「微妙」と返答します。一旦予約してしまった宿だからあからさまなことは言えないですからね、でも、察しのいい、決断力のある人だったようで翌朝この宿で連泊する手続きをしていました。その他にはご夫婦と逆打ちの男性、8人が同宿でした。

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内子に新しい遍路宿

2017-06-13 | 日記

 内子にはホテルAZができて便利になったのですが、この6月からお遍路ハウス民宿やまもももオープン、さらに安価で泊まれるようになりました。
 内子駅から東へ200m、南へ200mの所にあります。一日一組限定、一棟貸し切り、素泊まりのみ3000円(お遍路ハウス会員は2800円)です。火曜日は定休、TEL=090-5912-8785、稲田。
 突合まで歩いてバスで往復するのもいいかもしれません、ただしバスは日祝は全便運休、土曜は2便のみです。バス代は往復で1000円です。


わたしのお遍路みち

2017-06-08 | 日記

 四国を何回か歩いた人なら、公認先達「歩き遍路の会」会長、山下正樹さんのことは少なからず知っているでしょうが、ぼくはほとんど知りませんでした。先達、山下さん、という名前はどこかで何となく聞いたような、それくらいでした。数日前なんとなくはっきり知っておくべきかもという気がして、パソコンで調べてみると、2014年教育テレビの「こころの時代」に出演された様子が全部文字と写真で紹介されていました。
   (リンクを張っていましたが現在はネット上から消滅しています)
 彼は多くの古い遍路みちの復元整備に携わっていて、その最初が大月町の月山神社から赤泊の浜までの道。そういうことだったのかと小膝を叩きました。ぼくが最初に買った白黒のへんろ地図も、次ぎに買った04年の第6版でも赤泊に赤線はなくて姫ノ井小学校の近くで国道に合流する舗装道にしか赤線がありませんでした、赤泊へ行く道は黒線ではっきりあるのですが、整備を始めた当時は草木で完全に埋もれてしまっていてとても歩ける状態ではなかったようです。その次ぎに買った07年の第8版では赤泊の方だけに赤線があって整備が完全に終わったことを示しています。山下さんがお遍路を始められたのは01年か02年、ということは始められて4~5年でもうそういう活動を地元の人たちと共に始められた、そして、その後も太龍寺の手前のかも道、太龍寺からのいわや道、平等寺道などの復元も中心になって活動されています。
 インタビューの中で言われていることはそれぞれごもっともと大きくうなずきたくなりました。歩いていてたくさんのものを四国の人たちから頂いたから、こちらからも四国で何らかのお返しをしたい、というのは本当に切実に感じます。回数を重ねるだけ、ただ歩くだけというのは、時としてそれでいいのかとか、少し恥ずかしいような気持にもなったりもします。自分のお金と自分の時間を使って歩いているのだから、迷惑さえかけなければ、自分がどんな歩き方をしてもいいし、自分だけの楽しみを満喫してもいい、はずだし、その自由さが認められるのもお遍路の良いところだと思うのですが、これだけ続けていると、そういうのではなくて、という考えの方が大きくなっていくようです。

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英語の野宿案内

2017-06-07 | 日記

 今日は1日雨だったので、散歩も休んで英語の野宿案内を仕上げました。昨年作った英語の宿案内は通夜堂と善根宿だけで不完全の極み、お金のかかる宿を使わない外国の人にもっと役に立つ、野宿ポイントも全部判りやすく示すようなものを何とか仕上げねばと、今年道の駅大山でカナダのレイチェルさんに通夜堂と善根宿を教えながら考えていました。20分も30分もかける必要なく1枚か2枚のシートを渡せばそれで完璧、本当に喜んでもらえるものができたと思っています。
 今年ぼくが出会った歩き遍路さんは300人、この数はこれまでとあまり変わりませんが、外国の人は確認できただけで40人。全体の1割以上、ぼくが歩き始めた14年前は1巡して出会う外国の人は3人前後、全体の1%ほどだったから10倍以上にもなっています。多いと思った2年前と比べても倍近くになっています。来年は逆打ちなので1000人くらいの人に出会うはずです、となれば外国の人は150人くらい、前半に出会う人はほぼお遍路も終盤なので渡しませんが、中盤以降だけでも100人近くの人に渡すことになるかもしれません、でも道中ですれ違うときには渡しにくいから、その半分か3分の一がいいところかもしれません。
    
    http://blog.goo.ne.jp/awatosa108


3日目 歩き遍路宿びざん~鮒の里

2017-06-04 | 17年四国の旅


 法谷寺から2kmちょっと、左へ折れて赤線の道に合流していきます。緑の道はこれにて終了、見えているのは清水寺です。


 ここから先も遠回りの道を行くので、13km以上は歩くはずです。


 赤線の道に突き当たります、ちょうど迷った交差点で見かけたお遍路さんが来たところでした。


 合流ポイントに清水寺の山門です。


 赤線の道に入って間もなく、お遍路さんに追いつきます、おそらく井戸寺で見かけた人だと思われます。大通りに突き当たるすぐ手前の交差点で迷っていたので、どちらでも行けますと声をかけて、右折の道をいっしょに行きます。


 細かい、短い道なので英語の地図にも緑の線はありませんが、大通りの手前で右折するのが昔の道のようです。あんまり近道にもなっていませんが、三島神社の前も通るから道しるべに従う方がいいでしょう。
 せっかくいっしょになったので、今日はどちらからですかと尋ねると、大日寺から、そしてもうすぐ先のホテルまでなので時間が余ってしょうがない、ただいま12時50分。お遍路は初めてだというので、宿情報を渡しました。


 宿情報を渡して、ぼくは遠回りの道に入るので、先に行ってもらいました。
大通りに合流して170mで右折、明らかな遠回りだけど英語の地図に緑の点線があります。


 左側は7つほどのお寺が集まっている一角です、120mで突き当たるところは天理教、


 天理教の門前に四国のみちのパネル、間違いなく昔のお遍路さんが歩いた道なのです。


 右は瀧薬師、左は願成寺、ここは寺町。130m進んで突き当たって左折、


 突き当たりにはやはり四国のみちのパネル、


 左折したところ、左は源久寺、右は本行寺、ここは寺町。


 70mで右折、今度は道しるべ。


 右折したところ、相変わらず右も左もお寺です。


 120m来たところで左折、クランクです。見えていませんが右は善学寺、前方に阿波踊り会館が見えています。


 左折して10mほどですぐ右折、


 右折したところに道しるべ、確かにこの60mほど東の赤線の大通りより昔の道の雰囲気が十分、


 右折して100mほどで阿波おどり会館の前を通ります、この写真のすぐ左側にヘンロ小屋があって、赤線の大通りを歩いていたときにはなぜあんな離れたところにあるんだろうと首を傾げていましたが、こちらの方が本当の遍路道だったわけです。でも現在この道を歩くお遍路さんはほとんどいないと思いますが、


 といいながらヘンロ小屋で休む人が、歩き遍路さんではないようですが。


 今日お世話になる鮒の里の矢印がありました、


 阿波おどり会館から300m、ここで左折、赤線の道に合流していきます。


 左の方へ行くと赤線の道(国道)、右側の大きなビルは徳島ワシントンホテルプラザ、国道438号に面しています。


 最後まできっちり道しるべ、


 国道に合流していくのですが、見えている交差点を右折していつも歩いていた赤線の国道を行くかといえばそうではありません。この緑の道は国道を横断してまっすぐ県道136号に点線は続いています。そしてJRの先で国道55号に突き当たって右折、今度は国道55号の上に緑の点線は続きます、そして二軒屋駅から国道55号に続いている赤線が国道に合流するポイントまで緑で、その先は当然赤線になります。


 これは県道136号から国道55号に入って200mほど来たところ。確かに四国のみちであり緑の点線があるのも故なきことではないようです。二軒屋駅のところから国道には入らずそのまま県道136号を行くのが一番古い遍路道だとは思うのですが。
 ぼくがワシントンプラザから東へ向かって歩いたのも県道136号、二軒屋駅のところから南へ続くのも県道136号、その間は国道になっていてちょん切れた形になっています、地図を見ないとこの説明はかなり判りにくいと思います。

 県道136 (machan2017-06-05 12:59:37  今の国道55号が開通する40年ほど前は
  山沿いの土佐街道から県道136しかなかったので皆さん二軒屋・法花・地蔵橋・野上橋から恩山寺へ行っていましたが国道55号が津田から今のところへのルートに変更されてからは狭くて交通量の多い地蔵橋は通らずに二軒屋辺りから左折して国道55号に合流するようになりました。昔は塩田や湿地帯であったところも今では街になった証です。シールをどの位置に貼ってよいか悩むへんろ道です。道が整備され電信柱や道路標識の位置が変わり貼ってもすぐになくなります。時々シール確認に行きますが今は大丈夫なようです。何時もの散歩道をブログで拝見すると懐かしい旅先を歩いている感じです。楽しみにしています。有難うございます。

 県道136号から国道55号に入って1.8kmで二軒屋からの赤線の道が合流してくる、そこからさらに2.8km進んだところ、地蔵橋駅の近く、大松小学校のすぐ手前の信号のある交差点で、国道を離れて左折していきます。長い間国道を歩いて、この左折ポイントを探すのに神経を使っていたので写真は撮り忘れてしまいました。国道から右(西側)なら判るけど東側に行くのはおかしいと思われるでしょうが、英語の地図にはちゃんと赤線があります。ぼくも英語の地図を買って初めて気がついたので実際に歩くのは今回が初めてです。この道は地蔵橋の近くから本来の遍路道である県道136号と別れて来る道のようです、恩山寺は西の方にあるから東へふくらむのは遠回りのように思えますが、全体を見るとそんなに大きな遠回りでもないような感じです。


 国道を離れてちょうど1kmで勝浦川を渡ります、意外なことに沈下橋でした。


 現在この橋を渡るお遍路さんは滅多にいないはずです。なにしろ日本語の地図には赤線はない、白黒の地図にもありませんでした。


 橋を渡りきって200mほどの所にありました、文字はほとんど読めませんが遍路道しるべに違いありません、ある時代のお遍路さんの多くがこの道を歩いたことは間違いありません、故に英語の地図には赤線がある。これを見つけただけでも歩いた価値があるというものです。


 橋を渡ってから1.2km、中田駅のすぐ東側の踏切を渡ります。この踏切は前に何回か渡ったことがあります。この近くの遍路小屋に宿案内を置きに来たことが2回、昨年は井戸寺の南の府中駅から中田まで電車に乗りました。いずれもこのすぐ先のところを右折して国道に合流したのですが、今回はず~っと真っ直ぐ行きます。


 踏切から1.2km、本来の遍路道県道136号に合流したところ、小松島警察の裏ですが、またもや古い道しるべがありました。しかも驚いたことにぼくが歩いてきた道の方を向いています、これが建てられたときはこちらの方が遍路道だったのかと思わせます。


 はっきり大正の文字が見てとれます。想像するに、136号の勝浦川の橋か渡しが何らかの理由で駄目になって、川を渡れるのはこちら側の橋しかなくなって、こちらの道が使われるようになった、今の国道の橋ができるまではほとんどの人がこの道を来たのかもしれません。


 弘法大師御杖の水の入口にあるさらに古い道しるべ。




 旗山にも登るつもりだったのですが回り道をしすぎて時間がなくなってしまいました、恩山寺に到着したのは15時10分、予定ではもっと早い時間に来ているはずでした。

  潜水橋 (machan)2017-06-07 06:05:16この潜水橋が遍路道かなと何回も自転車で廻ったのですが
   阿南徳島サイクリングロードのある橋のもう一つ上流の潜水橋かな
   やっぱり遍路道は津田の勝浦浜橋でなく潜水橋でしたか
   徳島は川幅の広い川が多くあり各所に潜水橋が架かっています
   昔は遠回りが普通だったと思います
   一度この橋の遍路道をたどってみたいと思います
   詳しい情報を有難うございます

 恩山寺の登り口で追いついた男性は民宿ちばに泊まるので、もうゆっくり。
 お参りが終わって、境内にいたもう一人の男性はぼくと同じ鮒の里に泊まると言いましたが、近道の竹藪の方の道へ。ぼくはここ数年は山門まで戻って遠回りの舗装道を行くことにしています。山門まで戻るとちょうど外国の男性が登ってくるところ、舗装道で登ろうとするので、こちらですよと地道へと促します。初めてだと、山門の手前もその後も舗装道で行ってしまう人の方が多いかもしれません。


 19番立江寺に到着したのは16時09分、滞りなくお参りを済ませ、山門を出たのは16時22分、ちょっと早すぎると思われるかもしれませんが、ちゃんと線香ろうそくもするし、写経は納めるけれど般若心経も詠みあげます。ろうそくと写経は白衣のポケットに線香と納札は胸ポケットに、流れ作業のように手際よくザックを一旦下ろすこともなく、経本を出すこともなくなりました。味気ないと、言われることもありますが、大事なのは歩くことであり出会うことだと思っているので、どうしても札所でのお勤めは二の次という風になりがちです。でも、四国を歩かせてもらう以上ないがしろにはしないように、きっちり一通りのことは修めるつもりではいます。


 16時29分、鮒の里に到着です。評判の良い宿ですがぼくは今回初めてです。大日寺の近くに泊まると、ここまで31kmだからどうしてもも一つ先の宿になってしまいます。ふれあいの里もお気に入りだからこの宿は今回が最初で最後になるかもしれません。


 同宿は今日が初日だというご夫婦と、男性が3人、女性が2人の6組7人の満室でした。男性2人は相部屋のようでした。初日2日目は一人だったのに、いきなりの大にぎわい、4月半ばでも集まるところには集まるものです。食事は2組に分かれてぼくは前半早く来た男性3人と20代の若い女性といっしょに頂きました。ご主人がお話好きでほぼ独演会のようにお遍路に関することをいろいろ話されるので、ぼくたちはそれを聞いているだけでお遍路同士の意見交換などはあまりありませんでした。昨日びざんでの方が何十倍も喋ったという感じでひたすら無口でした。女性も隣の男性になぜお遍路に着たかを訊かれていましたがはっきり答えることはなく終始無口でした。お遍路同士でもこれだけ年齢が離れて性別も違うとなかなか何を話しかけていいのやらという感じもします。質問してくれれば何でも答える用意はありますが、それもありません。
 後半の部の女性は少しいい加減な感じ、できるだけバスや電車を使いたい、次の鶴林寺に近いところまでバスを使いたいと言っていましたが、宿の主人はそんなのはないと一蹴。ここからだと3km先の法泉寺までで終点、その3km先のローソンの所から鶴林寺の登り口まで4kmほどはバスがありますが、本数が少ないから、そんなややこしいことはせずに歩けばいいんだというようなことをご主人はかなりしつこく話しているようでした。前半の部の人たちが部屋に引き上げたあとも、部屋の上の部分がオープンになっているので食堂からずっとその話し声が聞こえていました。乗り物でつなぐのは悪くないし個人の自由だから他人がどうこう言うのもちょっとね、とは思いましたが、バスに乗るならちゃんと計画して時刻を調べないと。行き当たりばったりのような感じだからいろんなことをつっこまれてしまうのだと、空疎なやりとりにうんざりしながら床につくのでした。


 朝食は5時半に用意ができていました。平等寺まで行くという男性は5時過ぎに出ていきました。ここからだと30kmで500mの山を二つ越えるからそれくらいに出ないときびしいと思われたのでしょう。太龍寺の下の龍山荘と坂口屋があった頃はみんなそこまででちょうど良かったのに、二つともなくなって、本当に大変なことになりました。話がほとんどできなかったので他の人が何処まで行くかききそびれてしまいました。一人はロープウェイの下の宿だと言っていたような。
 ぼくは、またも寄り道で番外の如意輪寺へ行くのでふれあいの里さかもとまでです。同宿の人たちには一歩後れをとることになります。