地元、飾磨駅を7時12分発の直通特急で出発、阪急西院駅に到着したのは9時28分、ここから京都市街の北の端から南の端まで歩いて巡ります。
西院駅は西大路四条にあります。今まで、桂、西京極、大宮、烏丸、河原町で降りたことはありますが、西院で降りるのは初めてです。
西大路を北上、4分で六角通りとクロス、ここを右へず~っと行けば六角堂頂法寺に至ります。
さらに2分で三条通りとクロス、嵐電もクロスします。
さらに1分で御池通りとクロス、ここは地下鉄とクロス。前回の京都でも感じたけれど本当に自転車が多い、歩道も自転車と歩行者と区切られているくらい、地下鉄の路線は限られているけれど路線バスは縦横にくまなく走っていてもやはり自転車の方が効率的に移動できるということでしょうか、
さらに9分で丸太町通りとクロス、高架はJR、高校駅伝でおなじみの風景。
さらに4分で北野中学の横を行く、大きな目印、左折ポイントが近いはず。
近いといいながらさらに5分来たところで向こうにイズミヤを確認、左折ポイントは西大路一条でした。
一条通りを西へ向かいます。かなり落ち着いた通りです。
一条に入って10分、大本山妙心寺の山門です。
山門のすぐ先で道は二俣、一条を離れて右の道へ入ります。
2分で嵐電の踏切を渡る、駅は妙心寺。
踏切を渡ったところにある郵便局は京都竜安寺郵便局、5倍以上竜安寺の方が離れているけれど、
踏切から2分、目指す仁和寺の道しるべ、
仁和寺にもミニ四国があります。
昨年土佐清水のロッジカメリアで耳にした素泊まり遍路宿プロジェクトですが、その実体が分かりました。昨日その一つに泊まった知り合いのお遍路さんがブログに書いてくれたので判明しました。本当の名前は「お遍路ハウス四国88」で若者支援団体のNPO法人ニュースタートが企画していました。ニュースタートは何年か前に歩き遍路のツアーも企画して新聞に採り上げられたりもしていました。
HPを見ると、すでに何軒もの宿が営業中でした。前からあった宿がここに組み込まれているものもあります。一里木、美園、すだち館、大岐の浜、潮風などです。基本的に素泊まり2800円で食事のできる宿もいくつかあります。特筆すべきは高知県東洋町の野根にできたということです。牟岐から野根まで28km、野根から最御崎寺まで32km、多くの人が無理なく歩ける距離です。選択肢が広がって遍路センターやうまめの木に泊まれる人が増えるのは喜ばしい。
さらに79番天皇寺のそばにできたのも大きい。国分寺まで打って電車で高松か坂出の宿に行く人が多い中、八十場だと翌日の朝電車に乗らなくてもそのまま81番に向かうことができます。電車賃は半額以下になって宿泊費も安い、宇多津のうたんぐらの方が大分安いですがうたんぐらは駅から1.5kmあるのでちょっとしんどい。ぼくも今回うたんぐらを予定していたのですが、こちらに変更することにしました。本当の最後の変更、早速会員登録をすませました。会員登録は宿に着いてからでもできます。
昨日の第3試合が延長に入ったとき、まさか15回で決着がつかないとはつゆほども思っていませんでした。おかげで、休養日が消滅、ぼくが出かける予定にしていた水曜日はベストエイトの日になってしまいました。こちらも1日延期して木曜のベスト4の日に出かけることにします。京都は土曜か日曜の天気の良い日を予定しています。
写経完了
旅立ちの3週間前にして写経176巻書き上げました。1月下旬からずっと1日2巻のノルマでほぼ予定通りでした。室温が5℃以下で指先がかじかみながらということも何回かあったので、次回は12月までに仕上げたいという気持はあるのですが、また西国のブログを書いていくことになるのでどうなることやらという感じです。四国の分は完了したのですが、四国に出る前に西国4ヶ所と京都3ヶ所の分があるのでもう一ふんばりというところです。
判決
四国霊場会の言い分が退けられる判決が出ました。62番宝寿寺はこれから先もマイペース、納経は8時から、昼休みは12時から13時まで。1年72万円の会費も支払わなくてよい。たしかにお遍路さんにとっては少し不便、僕も2年前お昼休みに当たって30分ほど待たされました。あらかじめ分かっていたので昼食休憩にしたので特段腹を立てることもありませんでしたが。
西国の札所は納経の時間は札所によってまちまち、昼休み休憩をとっている札所はないと思いますが、だから本来自由にしても何の問題もないでしょう、してくれなかったら大きな問題ですが、してくれるのだし、お参りすべき本堂も大師堂もそこにあるからそれくらいの我慢は1200km歩く艱難辛苦に比べれば何ということもない。という風にぼくは考えています、何しろお遍路さんは一旦四国に入ればあらゆることを受け入れるしかない。あらゆることに寛容になってこそお遍路さんとしてお接待を受けることができる、とぼくは自分に言い聞かせるようにしています。
4日前から善通寺を起点に順打ちで歩き始めた知り合いのお遍路さんと、何回かメール交換している内に、最後の最後で追いつくことが分かったので、そのあたりの宿を一つ変更することにしました。予定通りで追いつくと、ほとんど時間の余裕がありません。71番弥谷寺の6km手前の宿から国分寺まで歩く日なので、札所が10ヶ所、さらに電車で宇多津まで戻るのでその時間も気にしなくてはならない。ということで、今回は番外の砥石観音はやめにして青空屋から善通寺の近くの風のくぐるまで歩くことにしました。昨年は青空屋から歩いて善通寺に着いたのは14時半くらいだったから十分ゆっくりできます。そうすれば次の日とまた次の日も予定より余裕の持てる行程になって言うことありません。さらに今回は回避する予定だった高松市街の緑の道も余裕を持って歩けます。風のくぐるは昨日メールで予約を入れて今朝OKの返信をもらいました。次の日は、昨年と同じで郷照寺から天皇寺を飛ばして白峯寺、根香寺に行って、国分寺から電車でうたんぐらに戻ります。その次の日は電車を使わず天皇寺、国分寺、そして一宮寺、屋島寺、八栗門前の岡田屋さんまでです。これで40km弱なので初めの計画よりずいぶん楽になりました。
昨年は3月中の四国への旅立ちで高校野球はほとんど見られなかったので、今年はしっかり見ることにします。見ながら、今回初めて歩く道の地図を書いていきます。日本語のへんろ地図には載っていない、英語の地図に載っている緑の道(四国の道)も歩くので、パソコン地図と見比べながら曲がるポイントなども細かくチェックしながら書き込んでいきます。印刷すると枚数ばかりが嵩んでしまいそうなので手書きです。西国でも19日目以降は手書きで何の問題もないどころか、印刷の細かい地図よりも道をはずしにくかったくらいです。
写経もザックに入れる分の160巻が仕上がったので、ぼちぼち荷作りも始めます。名刺も宿情報も印刷は終わっていてあとは納札だけです。
そして桜の見頃に、東寺へ、仁和寺へ、神光院へ。昨年八十窪の大女将に教えてもらった三弘法参りをします。へ~そんなのがあるんだと、初耳も道理で5年前に55年ぶりに復活したのだそうです。江戸時代の中期に始まって昭和30年に完全に廃れていた。女将に聞いたときは、ぼくは菅笠も金剛杖も納札箱も使わないから行く意味などないと思っていたのですが、さすが最近のお寺さんは商売上手、ストラップになった菅笠と金剛杖と納札箱のお守りがあるし、それぞれが印刷された木札のお守りもあるし、木札を揃えると満願証も出してくれる。もちろん納経帳もあります。納経帳は700円、ストラップは500円、木札は200円、木札袋は100円、満願証は100円、仁和寺の拝観料は500円、全部揃えると合計4400円になります。近大のコンサートも関学の春コンも行かないことにしたのでその分の費用で全部揃えてきます。
宿の予約
出発の1ヶ月前になったので前半の予約を入れました。すべて受けてもらえました。やはり4月も中旬を過ぎるとずいぶん余裕があるようです。どうしても多くの人が桜と共に歩きたいというのとゴールデンウイークまでに結願したいというので3月中旬以降から4月の頭までの出発を計画することになります。
後半の予約は出発する数日前で十分でしょう。
今日の午後、イオンからの帰り向こうからお遍路さんがやってきました。言っておきますが、ぼくはまだ四国には行っていません。地元姫路での出来事です。菅笠をかぶり、白衣(袖無し)をつけ杖もついています。ザックはごく小さいものだったからここから歩いて四国へ向かうということではなかったようです。すぐ側の公民館に入っていったから、予行演習だったのかもしれません。四国以外では高野山や、南海高野線や、神戸の新開地駅でもお遍路姿の人は見たことはありますが、まさか地元姫路で見るとは思いませんでした。
machanのブログでも先日1時間ほどの間に10人のお遍路さんが井戸寺を訪れたということでした。ぼくも昨日一昨日と二日続けて四国を歩いている夢を見たりしました。センバツが始まる前にもうお遍路の春は始まっています。