WALKER’S 

歩く男の日日

15日目 5月8日

2009-06-29 | 09年四国の旅

 6:03
6時10分前に宿を出ようとすると、女将さんがお弁当を持って見送りに出てきてくれた。ずっしり持ち重りがする。幡陽小学校のバス停で食べよう。今日はコンビニに入る必要がないようだ。これだけ、いっぱいお接待を頂いたのだから、元気に一所懸命歩かねば。


 6:08
午後から晴れる予報だけれど、いつ降り出してもおかしくないような雲行き。昨年は朝から正面の朝陽が眩しくて歩き辛かったくらい、それに比べれば、気温も低くて歩きやすくなるかもしれない。


 7:13 窪津小学校
今日は打ち戻りで、ドライブイン水車までの29kmは昨日歩いた道を引き返すので、ほとんど撮るべき写真はない。歩きに専念できるけれど、最高に調子の良かった2年前に比べると、どうも動きが本調子ではない。足の張りは昨日よりも治まっているけれど、全体の動きが冴えない感じがする。


 8:08 以布利港
足の調子は全然問題ないけれど、やはり速さや躍動感はあまり感じられない。ここまで4人の人とすれ違った。窪津の山道ですれ違った女性は村の家で同宿だった、かなりいい調子でここまで来ている。それにしても、星空、旅路から来たと思われるのは彼女だけ、連休が終わってしまったせいか、歩きの人は例年より少ない。


 8:22
2年前より7分遅れで幡陽小学校に到着、やはり、今回が調子悪かったというより、2年前が異常だったというべきかもしれない。ああいう感じは、滅多に味わえるものではない。
 お弁当を開くと、思いがけないことに手紙が入っていた。ちょっと気持ちがほぐれた、時間ばっかり気にしてないで、もっと楽しまないと。


 9:46
幡陽小学校のバス停で休んでいるときに、足摺へ向かう人が5人、三原村へ向かう人が一人行き過ぎていった。5人は、いさりびか久百々に泊まったに違いない。やはり、岩本寺から2日で久百々あたりまで来るというのが標準的なようだ。
 バス停で28分休んで8時50分に出発、出てしばらくのところで女の人とすれ違う、この人も久百々からの可能性が高い、それから久百々に着くまでは歩きの人には会わなかった。久百々までの歩きはかなり動きが戻ってきた、1分遅れ。国道に出てきた所に電話ボックスがあるので、久しぶりに宿の予約を入れる。3日後の大洲のふるさと旅館は問題なくとれたけれど、久万高原の一里木は連休が終わって休業中で出ない。
 バス停で休んでいる間に足摺へ向かう男の人が二人行き過ぎていった。一人は野宿だけれど、もう一人はどこから来たのだろう。中村の宿からだとかなり早い時間に出ないとここまで来ることはできない。


 10:42 一心庵
下ノ加江の橋を渡った(往路)ところにある、新しくできた休憩所、宿泊所。牟岐の民宿あづまの女将さんに教えられていた。素泊まり3000円という情報があった。教えられたときは、ぼくには必要のない宿だと気にもかけなかったけれど、よく考えれば来年の108ヶ所巡りに利用することができる。いさりびに泊まって、金剛福寺を往復してここまで来ると、42kmくらいになる。


 11:31 水車
下ノ加江を過ぎると、川の向こうの旧道を二十人くらいの人が列を作って歩いている。あれだけの団体が歩いているということは、歩き遍路ではない。合流地点にバスが停まっていた。バスに乗り込む人もいるし、そのまま水車まで歩く人もいる。バスツアーでも、部分的に歩き遍路を味わいましょうということがあるようだ。前にも岩本寺の手前、影野のあたりで見かけたことがある。
 水車までの歩きも快調で、1分遅れ、誤差の範囲といえるし、天気が良くなって気温もだいぶ上がっている。ここまで2人とすれ違う。結局15人と会っただけ、昨年も16人と変わらなかったけれど、一昨年は39人と会った。


 12:10
39分休んだけれど、結局橋本さんは来なかった。朝食の時間が遅かったのかもしれない。ここから39番まで25km、橋本さんの足で4時間、休憩を入れて5時間、納経は明日の朝ということになりそうだ。


 12:11
 県道に入る所に、真念庵へ向かう階段がある。ぼくはまだ歩いたことはない。ちょっと分かり難い道だというけれど、一度は歩いておかねばならないだろう。何しろ、八十八ヶ所を決めたのはこの人だということだから、番外霊場の中では最も重要な場所だともいえる。


 12:16
県道をしばらく行くと真念庵の納経所がある。


 12:16
県道の方からでも眞念庵には行けるみたいですね。今回は行かないけど。


 12:18
この距離表示は正確、ぼくが泊まる宿は三原村の少しはずれのところにあるけれど、宿までの距離がちょうど14kmだ。


 12:51
眞念庵から4kmほどで三原村に入るけれど、宿まではまだ11kmくらいある。三原村も広い。


 12:56
前を行く歩きの人がこの中に入るところ、通り過ぎるときに挨拶すると、東寺庵で一緒だった野宿の人だった。ものすごく距離を歩いている。昨日は四万十の大師堂から足摺まで行って、折り返して4kmくらいのところにある接待所で泊まったに違いない。あの荷物で43kmも歩くなんてすごい。この遍路小屋はできたばかり、昨年はなかった、このそばの道端で休んでいる女の人がいたのを覚えているから間違いない。


 13:17
この手前のところでちょっとした登りがあるけれど、たいしたことはない。三原村に入ったところが140m、この峠の標高が179m。この坂がきついから下ノ加江川沿いの道を行くように薦める人がいるけれど、あちらのほうが1.4kmも長いので、これくらいの坂だったらこちらの方が時間はかからないし、負担もかからない。


 13:46 上長谷集会所
峠からここまでが長い、2km半ほどの平らな道だけど、例年ものすごく遠く感じる。一番気温が上がって、ここまで35kmも歩いているせいか、なかなか辿り着かない感じがする。足の調子は過去2年よりはしっかりしている。2年前は相当ばててしまった。
宿まで50分くらいなので、20分休んでも3時までに楽々着ける。


 14:05
上長谷集会所を出てすぐ、この道標がある。ここを右に折れると、数年前に復元された眞念遍路道を行くことになる。ぼくは4年前に歩いたけれど、これはあまりお薦めできない。宿毛へ下りていく山道は幅50cmくらいで片側が崖、というようなところが多くて油断できないし、下りてきた後が、区画整理やバイパスの開通で旧い道がほとんど消えていて味気ないことこの上ない。この道は一度も歩く必要はないでしょう。


 14:26 宮ノ川トンネル
人も車も全くと言っていいほど通らない静かなトンネル。眞念庵からここまでずっとそういう感じではあったけれど。そういう意味では本当に『村』という感じ。


 14:31
トンネルを抜けると、右折左折を繰り返しながら進むけれど、要所にはもれなくこういう遍路標識があるので心配無用。


 14:44
38番から39番へ行くには幾通りかの道がある。眞念庵から来るとこの交差点へ東から来る。下ノ加江川沿いを来るとこの交差点へ南から来る。今ノ山峠から来るとこの交差点へ西から来る。そしてみんな北へ進む。ぼくは6年前は南から、5年前は西から、2年前1年前今年は東から来た。ちなみに4年前は月山神社回り、3年前は眞念遍路道を行ったのでこの交差点は通らなかった。


 14:53 清水川荘
宿に着くと、ご主人はいなくて表に張り紙があった。順番に空いた部屋に入って下さい、ということだった。すでに先客が一人いた、今日は大岐マリンから来たという男の人だった。ぼくは2年前と同じ奥の左の部屋に入る。手前の部屋と真ん中の部屋は欄間の部分が空いていてそこにクーラーがあって1台で2部屋を冷やすようになっている。当然隣の音が気になる。奥の部屋は完全に仕切られていて隣との境は押入になっている。



 18:48
ぼくが部屋に落ち着いてしばらくした頃、女性二人連れが到着した。そしてその後に男性が一人、6部屋の内4部屋が埋まった。連休が終わったというのにこの人気、久百々、いさりびからだと三原を越えて宿毛の宿まで行ける人は多いけれど、その手前の宿、旅路、星空や土佐清水市内の宿からだと三原までが限度という人がほとんどだから、自然この宿の人気は高まってくる。しかも料金が5000円。女性二人も土佐清水からやってきたという。
 4時過ぎになると、ご近所の夫婦がやってきて食事の用意を始めた。増井さん(宿の主人)は高知県知事に会いに行っていて、帰宅が8時頃になるので、近所の知り合いに食事を委託したという。増井さんは三原村村会議員であり、NPO法人いきいき三原会の代表、この宿も間伐材を利用して自らの手で建てたという。大阪の有名企業で定年まで勤め、その後生まれ故郷である三原村に戻ってきた、奥さんは大阪で美容院を経営しているので、単身で戻ってきた。もちろん普段は宿の料理も彼が作る、ものすごいバイタリティーの持ち主。
 お風呂は、昨年はシャワーだけだったけれど、今年はちゃんと湯船にお湯が溜まっている。このお風呂はぼくが今まで四国で入った中で最も小さい、でも、最もかわいい、最も風情があると言い換えてもいい。マイナスに捉える人はいるかもしれないけれど、ぼくはあまり気にならない。
 食事は5人でにぎやかにとる。昨年は6組9人が泊まったので部屋食だった。食堂は5人でいっぱい、もう一人多ければ部屋食になったかもしれない。ぼくは、ほとんど素泊まりなので、このようにほかのお遍路の人と一緒に頂くのは牟岐のあづま以来10日ぶりになる。食事をしているときに、もう一人の男性が到着、ぼくが幡陽小学校と久百々で休んでいるときに前を通りすぎていった人だ。若い人だけど野宿の装備ではないようだったのでここまで来ると思っていた。食事の用意をしているおばさんは人数が増えて大慌てだったけれど、彼は素泊まりだったので一安心。食事が終わりかける頃、みなさんに遍路宿情報を配る、熱心にそれを眺めていた女性が、不思議な顔をしている。「これはホームページを印刷したものですか?」。はい、自分の作ったホームページを印刷したものです。彼女はそのページを見たことがあると言う。宿のことを調べているときに偶然当たったそうだ。自分のホームページを見てくれている人に初めて出会った。ちょっとした感動を覚える。ぼくのページを参考にして泊まった「村の家」は料理も美味しくて本当にいい宿だったという。人の役に立てるページを提供できていたことが目の前で確認できて、ほんのりした喜びを感じる。ぼく以外の4人はみんな明日までの区切り打ち。通しの人は本当に少ない、意外な感じはするけど区切り打ちの方が何倍も多いのだと思う。


14日目 5月7日

2009-06-26 | 09年四国の旅

 5:55
朝起きると、右足の張りはかなりひいていた。昨日の朝の左足くらい気にならなくなっていた。もちろん押さえると痛みのようなものは残っているけれど、歩くときには全くといっていいほど影響はないようだ。でも、念のため、朝のうちはやや押さえ気味にゆっくり歩くことにする。
 5時52分に宿を発つ、中村大橋から中村市街の方を見ると低い雲(霧)が山の方から流れ込んでいる様子が見てとれる。今日も天気はいいようだ。足摺まで41.9kmの行程、今日は3時までに宿に入る。


 6:14
四万十川と後川が合流するポイント、中村市街はこの二つの川に挟まれた中州の上にある。中村大橋は後川に架かっている。


 6:16
橋本さんが泊まっている民宿月白、ここから少し入った所にあるので建物は確認できない。6時半からの朝食だと、30分くらいあとからの出発になる。今日はもっと早い時間に追いつかれるかもしれない。


 6:31
ここまで4kmを例年より3分遅れ、撮影の時間もあるし、意識して速く歩かないようにもしているので、まあ納得のいく数字。右足の張りはほとんど気にならない。
毎年このコンビニで食料を仕入れるけれど、今回はもっと先の下の加江のコンビニで買うことにする。


 6:33
全長690m、雨さえ降っていなければこの橋を怖いと思ったことはない。


 6:42
橋を渡りきった所にある道標、へんろ道は短絡路が数箇所あるので36kmが正しい数字。


 6:46
釣りキチ三平が四万十の主、アカメに挑んだのがこのあたり。


 6:47
四万十大橋の上に人影が見える。たぶん橋本さんだろう、6時半に月白を出ればあの位置くらいになる。次の休憩所までに追いつかれるかもしれない。


 7:41
30分くらい前に、昨日東寺庵で一緒だった野宿遍路さんを追い抜いた。大師堂はちゃんと見つけられたと言っていた。歩くほどに右足の張りは気にならなくなってきた。普段の歩きとほとんど変わらない。


 7:42 伊豆田トンネル 1620m
四国のへんろ道で2番目に長いトンネル、宇和島の松尾トンネルを通らなければ(峠越えのへんろ道を行くのが一般的)1番長いトンネルになる。このトンネルの中で、四万十市から土佐清水市にはいる。その標識があって撮影もしたけれど、照明不足で上手くいかなかった。


 7:59
3年くらい前にとりつけられた清水川荘の看板、もうこんな看板は必要としないくらい清水川荘は人気の宿になっている。それまでは下の加江から宿毛まで26kmの間に宿がなくて、選択肢がかなり限られていた。その途中にこの宿ができたことによって、多くの人が、より楽に、自分に合った行程で旅を続けられるようになったことは間違いない。


 8:04
最初の休憩地ドライブイン水車に到着、例年より9分遅れだけれど、足の調子は全然悪くない。速くはないけれど安定した歩きができたと思う。先は長いから、今は足の調子を整えるのが第一。


 8:17
現在地は北東の角の根元、本日のゴールは南の先っちょ、その距離27.5km。土佐清水市は広い。ぼんやりそんなことを考えていたら、橋本さんがやってきた。10分くらいの遅れ、開口一番、ぼくが昨日コンビニで会った足の速い女性と同宿だったという、「彼女は有名な作家さんで名前は・・・、」、家田荘子さんじゃないですか。「そうそう、そうでした」。やはりそうだったかと、すべて合点がいった。彼女は月に1回、2泊3日の区切り打ちで四国を巡っている。1年で36日、それで四国を1巡する、昨年2巡目が終わって今年も3巡目を続けていることは知っていた。でも、5月でここまでというのは、かなり速いペース。昨日はぼくが泊まった村の家の隣の宿、まるか旅館を5時に出発したそうだ。何と、我々と同じ40km以上の距離をこなしている、そして、今日も足摺までの40km、距離が長いので朝食も摂らず先に出ていったそうだ。それだけの距離をこなすためには、いちいち愛想をして時間を無駄にすることはできない、敢えてバリアを張って人を寄せ付けないようにしているのは仕方のないことだろう。宿では、そんな必要がないので、とても気さくで話しやすかったそうだ。ぼくのこともちゃんと覚えていて話題に上ったらしい。


 9:14
28分ほどの休憩で、8時32分に橋本さんと一緒にドライブインを出発。下ノ加江の手前からは国道を離れる旧道があるけれど、郵便局に用事があるので国道をそのまま行く。ドライブインからは緩やかな下りが続くのでとても歩きやすくスピードも乗りやすい。郵便局でお金をおろす。納経料の百円玉はまだ余裕がある。


 9:16
郵便局のあとはすぐ前にあるコンビニで食料を仕入れる。まだ朝早い時間だけど、この先にはコンビニもスーパーもない。


 9:48
国道からちょっと高くなった所に、民宿いさりびがある。ぼくは泊まったことはないけれど、まあ最高の宿といっていいでしょうね。昨年会った二人の方からこの宿の素晴らしさを直接伺ったし、ウェブサイトでも読んだことがある。ぼくは、来年泊まる予定にしている。


 9:48
絶景じゃないですか、橋本さんが感嘆の声を上げる。この画をバックに写真を撮って欲しい、というのでシャッターを押してあげる。ぼくのも撮りましょうか、と言われたけれど、自分の姿は邪魔にしかならないので遠慮する。ここは、いさりびのすぐ前、いさりびに泊まると部屋からこの絶景が楽しめる、天気がよければ太平洋の日の出も拝むことができる。最初は、ほとんど興味を示さなかった橋本さんも、次回は絶対泊まりたい、と思っているようだ。


 9:53
民宿久百々の前のバス停で2回目の休憩をとる。ここまでは例年とほとんど変わらない速さだった。もう足のことは心配する必要はないようだ。時速は6.5km、痛みは全くない。23分の休憩で出発。久百々から山の中へ入る短絡路を行く、橋本さんはこの道は初めてだという。ぼくも最初の時はこの道を行くことはできなかった。


 10:34
久百々からの短絡路の出口ではなくて、2つ目の短絡路の出口、この二つ目は地図に赤点線がついていない、あんまり近道になっていないようだ。


 10:35
国道に出てくると、すぐ3つ目の短絡路の入り口が見えてくる。この道は初めてでも迷わず入れるようになっている。


 10:42
三度国道へ合流する、この少し手前から大岐海岸が見えている。前に見える白い建物は民宿大岐マリン、家田さんのなじみの宿、もしかしたら下の喫茶店でおそい朝食を摂っているかもしれない。


 10:43
海岸を歩きますかと尋ねたら、歩きにくいので行かない、という答え。ぼくは往く時1回、打ち戻りで1回歩いたことがあるけど、それで充分という感じ。時間は計っていないのではっきりしたことは言えないけれど、あまり近道にはならないと思う、もしかしたら余計に時間はかかるかもしれない。


 11:06
大岐海岸が終わろうかという所から国道を離れる遍路道がある。旧い道だけれどあまり近道にはなっていない。これから先にも何ヵ所か同じような標識があるけれど、遠回りの道が多く、無視することも多い。


 11:09
大岐海岸への道、往路はここを登ってくるし、打ち戻りはここから下りていく。


 11:13
国道に合流するのは本日最後。これから先にも脇道、短絡路はあるけれど、半島の自動車道は県道になる。


 11:17
幡陽小学校の前にあるバス停、今までずっとここで休んできたけれど、今回は休まない。久百々からここまで5.8km、ここから金剛福寺まで13.7km。かなり変則的な場所にあるので、もっと中間地点に近い所で休むことにする、心当たりもある。


 11:21
この宿の夫妻のおもてなしの心には本当に感激した、と松山の宿で一緒になった人から切々と聞かされた。一時期休業しているような噂を聞いたけれど、今はちゃんと営業していることを確認した。


 11:23
民宿星空の前の路地を左へ入る、橋本さんは前回この道へ入れなかったそうだ。ぼくも最初の時は直進してしまった。


 11:26
この陸橋の上から撮った四元さんの画は印象的だった。ぼくがこの道を歩いたのは3回目の時から、民宿星空のご主人にうながされたからだ。2回目の時は以布利の町の中を通る旧い道を歩いた。そちらの方へ行く標識も立っていた、今はもうないけれど。


 11:33
以布利港を過ぎ、頼りない小橋を渡り、波打ち際の道を行く。道といえるほどの道ではないけれど。


 11:34
海岸の道は長くはない、すぐ山登りが始まる。


 11:39
自動車道に上がってくる。県道といっても道幅が狭いのでこの道を行く車を見たことがない。


 11:41
気持ちの良い歩きやすい道。


 11:42
県道から左下に下っていく。


 11:46
県道に上がってくるとすぐ次の短絡路が待っている。その入り口から家田さんが引き返して下りてくる。ようやく追いついたというより、どうして正しい道なのに引き返してくるのか首をひねった。多くのお遍路はできるだけ旧いへんろ道を歩きたいと思うけれど、彼女は全くそういう感覚がなくて、むしろ危険そうな、さびしげな、山道はできるだけ避けたいと思っているようだ。2巡目の時も愛南町と宇和島市の境の柏峠を避けて国道を歩いたくらい。昨日伊与喜駅から短絡路を行かなかったのも、道を知らなかったのではなく、熊井トンネルを積極的に避けたのかもしれない。


 11:46
ぼくたちはもちろん短絡路を行く。この道はさっきの短絡路と違って登り下りがほとんどなくて本当の短絡路になっている。


 11:50
真っ昼間だから、こういう道でもとくに避ける必要はないと思うけれど・・・。


 11:51
県道に出てきた所に茶屋がある。ここの縁台で休ませて貰う。金剛福寺まで11kmの地点。2時間以内に着いてしまうから、ここで30分は休む。遅れてきた家田さんが相変わらず素っ気なく目の前を通り過ぎていく。


 12:21
今まで歩いてきた所も県道27号だけれど、ここからが本当の自動車道。


 12:36
窪津の町に入った所に先ず鰹節工場がある。もう200mくらい前から香ばしい香りが漂っていた。


 12:45
窪津の町の正面にある山を登る、この短絡路を入れない人は多い。ぼくも、このジグザグの山道を登ったのは3回目から。


 12:50
県道に合流する少し前のところから県道を歩いている家田さんの姿を確認、本当に短絡路を意識的に避けているみたい。


 12:53
昨年、一昨年は、この前にあるバス停で休憩した。幡陽小学校と金剛福寺とのほぼ中間地点にある。でも今回は休まない。あと1時間ちょっと。写真を撮っている間に、家田さんとなにやら話していた橋本さんが追いついてくる。


 12:32
写真だとこれが坂道に見えないのがとても残念、実際は10度もないのだろうけれど、歩いている身にはその倍以上の感じがしている。しかも長い。最後のふんばり所。


 13:51
ようやくゴールが見えたという感じ。ちょっと早すぎるという感じもするけれど。


 13:54
本日最後の短絡路の入り口、橋本さんはこの道は知らなかったそうだ。この道はかなりの近道になる、38番まであと1.3km。


 14:04
本当は亜熱帯植物だけれど、そう言いたくなるくらい前日までの植生とは違っている。この緑のトンネルを抜けると金剛福寺は目の前。


 14:07 金剛福寺
幡陽小学校から141分、昨年より5分遅いけれど撮影のロスタイムを計算に入れていないから、ほぼ同タイムと見ていいかもしれない。後半は、もう足の張りは全然気にならずいつもの歩きと変わらなかった。昨日と全然違う歩きができて大いに満足。


 14:08
1時間47分歩きづめだったので、相当喉が渇いていた。水屋で水を飲むことは滅多にないけれど、とりあえず2,3杯頂く。


 14:23
48時間ぶりのお参りを滞りなく済ませ納経所へ、墨書が終わると「歩きですか」と訊かれる。はい、と答えると「歩きの方にはこれを差し上げているんですよ、お気をつけて」と、納経帳と一緒にこれを渡してくれた。すごくかわいい !! ぼくは携帯を持っていないからストラップは無用だけれど、来年からザックに付けて巡ろう。


 14:29
金剛福寺から宿までは10分くらい、まだ時間の余裕があるので中浜万次郎の前を通って岬の展望台へ向かう。これまで6回も来ていて一度もあの有名な岬の灯台を見たことはなかった、中村から42kmを歩くと、それだけの余裕はなくなってしまう。


 14:31
あまりに定番ではあるけれど、この画ははずせないでしょう。


 14:32
柱状節理も見られるダイナミックな風景。上の展望台がなければもっといいのに。


 14:33
これも定番の風景、ここが補陀落渡海の地であることが違和感なく受け入れられる。


 14:36
展望台から金剛福寺の前へ戻ってくると、橋本さんが、あしずり旅館双葉から出てくるところ、ビジネスホテルタイプで部屋風呂、ちょっと狭いそうだ。彼は明日は50km以上歩かねばならないので、札所からできるだけ近い宿を選ばねばならなかった。半島の東岸を戻るから西へ行けば行くほど翌日の距離が長くなる。ぼくの宿は900m西だけど、明日の距離は43kmほどだからさほど負担にならない。
 道端ににゃんこがフニャァ~ッと伸びている。そういえば、午後から天気がよくてかなり気温も上がったからね。


 14:48
昨年は入り口が判らなくて思いっきり迷ったけど、今年はもちろん一直線に入り口向かう。2回目の投宿。昨年は廊下の料金表が4500円(素泊まり)だったのに3500円だった。今年は「素泊まりは4500円だけれど、お接待で4000円にします」と言われた。昨年は首をひねりっぱなしだったけど、今年は大きく頷いた。


 16:20
昨年の部屋とは違って、窓からはいくらか視界が開けている。ガソリンスタンドの鉄骨越しに見えているのは足摺国際ホテル。お風呂のあと、4日ぶりの洗濯を済ませてくつろいでいるところ、洗濯は無料、昨年故障していた乾燥機は新しくなっていた、たぶん無料だけれど、この時間だからその必要はない。昨年同様、客はぼく一人、昨年は連休の1日前、今年は連休の1日後、両年とも連休中は満室だったというけれど、あまり人気のない宿かなと思ったりする。設備も、接客も申し分のないすごくいい宿だけに、お遍路にあまり知られていないというのはとてももったいないことだと思う。


 18:07
昨年同様、お接待の夕食を頂く。料金もお接待、夕食もお接待、昨年は朝食もお接待だった。いくら客はぼくだけとはいえ、ものすごい遍路宿でしょ。料理は2食付きで泊まるときの料理とはだいぶ違うようだけれど、おなか一杯頂けるだけでとても嬉しい。隣の部屋では近所の人が集まってきて焼肉パーティが始まっている。連休が終わったので、お疲れ様の集まりなのかもしれない。


13日目 5月6日

2009-06-24 | 09年四国の旅

 5:57
村の家は素泊まりだとモーニングコーヒーのサービスがある。5年間変わらない。ただ、5時半にお願いしていたのが、6時近くになってしまってちょっと焦った。


 6:04
 手早くコーヒーとバナナを頂いて、6時4分に宿を出る。昨日まで5日続けて30km台だったけれど、今日から3日続きの40km台、今日は中村までの43.3km。すぐ目の前の窪川駅が霧にかすんでいる。マッサージのおかげで左足の腱はだいぶよくなった。ところが右足の同じ部分がかなり張りを持っている、ちょっと気になる。


 6:16
1km以上歩いているのにこの標識、へんろ道は短絡路が2ヶ所あるし、ぼくが泊まる宿は市役所の1.5km手前にあるので、ぼくが歩く距離は3km少ない42kmになる。


 6:53
5km地点で国道を離れ左の短絡路にはいる。過去3回この道に入れなかった。標識もシールもたくさんあるのに、こういう道があることも判って行き過ぎてしまう。人の気を逸らす何かがこのあたりにあるのかと思ったりしてしまう。


 6:57
美化センターが見えてくる。へんろ道の上に立っているので、あの中を通ることになる。


 6:59
お遍路のための入り口、常に鍵はかかっていない。今日はどういうことかトラックが入る大きな門もこの時間から開いていた。


 7:00
焼却炉のすぐ横の道を行く。


 7:01
美化センターの裏から本来のへんろ道が始まる。美化センターができる前はずっとこういう道だったはず。


 7:06
片坂第1トンネルの出口の上を通る。


 7:07
トンネルの上の柵のところを歩いてきた。このトンネルの中も2回ほど歩いたことがある。


 7:14
山道を下りてきた所、西尾自動車の前で国道に合流。国道を横切って旧い脇道を行くこともできるけれど、少し遠回りになる。今回は国道を行く。


 7:29
短絡路を一つこなしたので、ぼくの歩く距離はあと34.5km。


 7:39
最初の休憩所に到着、例年より5分の遅れ。足首の腱が完全に影響している。痛みというほどのものはないけれど、かなり気になるし、普段の動きを阻害していることは間違いない。何しろ例年は時速6.41kmなのに、今回は6.07km。誤差の範囲を完全に逸脱している。残りはまだ34km、これから調子が回復する見込みもない。


 8:50
30kmを切った、もう例年のような速さやしっかりした歩きにこだわってはいられない。とにかく、着実に本日のゴールに近づいていくしかない。


 8:56 伊与喜駅
ず~っと前を行く人が見える。そのまま国道を行こうとしている。ここは左の歩道から国道の下をくぐって左の方の短絡路へ行くのが正解。もう少し早ければ教えてあげることができたのに。


 8:57
右が国道、左が短絡路へ入る歩道。左側を歩いていると、遍路シールがちゃんと導いてくれる。かくいうぼくも、最初の時は国道を歩いてしまった。


 9:06
短絡路は大体舗装道路だけど、ここだけ舗装道路をさらに短絡する登りの道がある。


 9:08 熊井トンネル
ごらんのとおり灯りが全くない。すべてのトンネルの中でここが一番の難所だと感じる人もいるだろう、とくに女子は。四元さんも一瞬立ち止まって、しばらく前に進めなかった。


 9:17
踏切を渡る前に、国道を行く人が見えたような気がしたけれど、ここまで来ると先にもあとにもその姿は見えない。


 9:20
例年より3分遅れで2回目の休憩地に到着。お遍路さん優先ベンチが店の前にある。例年が時速6.68km、に対し今回は6.43km。前の区間より少しは良くなったという感じだけれど、足そのものは良くなってはいない。
 3分ほど遅れて、伊与喜駅前で前の方を歩いていた人がやってきた。小柄な女性だった。白いキャップの上にはサングラス、キャップの後からのぞいている髪は金髪の染め残り。ゴミを捨てにこちらの方に来たので「こんにちは」と声をかけたけど、ちらりとこちらを見てほんのちょっと頭を下げただけ、声は出さない、すごく感じが悪い。オーラというよりバリアを張っているという感じ。中に入ってカップの麺かスープを持ってきて隣のベンチで食べている、携帯を取りだしてなにやら通話、もしやしてあの人ではないかとも思ったけれど、ぼくの知っている人とちょっと違う感じがしたので、とてもそうだとは思えなかった。10分ほどで慌ただしく出ていった。その足取りはすごく軽い、ぼくはまだ15分は休むから次の休憩所までに追いつけそうな感じは全然しなかった。


 10:02 土佐佐賀駅
3年前、村の家で同宿だった静岡のUさんは、ここまでの区切り打ちだった。雨が降っていたので、この先の佐賀公園はこういう天気ではもったいないので次の機会にした方がいいのではと薦めたら、この駅から帰っていった。ぼくが遍路宿情報をつくって配るようになったのは、彼がきっかけだった。


 10:12
佐賀の町のはずれにある評判の遍路宿、ぼくは泊まったことはないけれど、何人もの人からこの宿の料理の豪華さを聞いた。来年泊まる予定にしている。


 10:19 佐賀公園
空と海と公園の緑、よく晴れて気持ちがいいけれど、足が痛んでいるうえに気温が上がると、ますます調子は落ちていくかもしれない。


 10:26
打ち寄せる波の画もほしくなって、もう1枚。


 10:31
佐賀公園を過ぎると遙か向こうに伊の岬が見えてくる。へんろ道はあの手前で右に折れてトンネルに入る。今歩いているところが本日の中間地点。ず~っと、ず~っと先を歩く人が芥子粒のように見える。コンビニの女性か、あるいはまた別の人か、確認はできない。


 10:54
20kmを切って、少しは気が軽くなる。この歩道は2年くらい前に整備されたもので、昨年は快調に飛ばすことができたけれど、今年は明らかに昨年より足取りは重い。


 11:11 井の岬トンネル 320m
このトンネルの少し前のところで、昨日岩本寺で見かけた野宿の人を追い抜いた。昨日は佐賀温泉あたりまで歩いたようだ。海岸線から右へ折れる所に休憩所があった。コンビニから7.4km地点なので来年からそこで休憩することにしよう。


 11:24 伊田トンネル 172m
トンネルの中にコンビニの女性が見える。何とか追いつくことができた、でも、計算してみると、彼女の時速は5.3km前後になる。女性でそんなに速く歩く人を見たことがない。男性でもそこまでの速さで歩く人は珍しい。バリアと同時に、お遍路にかける気合いとか意気込みのようなものを感じずにはいられない。


 11:27 観音寺
トンネルを抜けた所に小さなお寺がある。2年前まではこの向かいのバス停で休んだけれど、昨年はこの小さなお堂で休ませて貰った。コンビニの女性がこのお大師さんを見つけるや、立ち止まって手を合わせて拝んでいった。その姿を見ると、やはりあの人かもしれないという感じがした。


 11:44
お堂の掃除に来ていた女の人が、バッグの中からキャンディーを取りだして、「これあげる」と袋ごと置いていってくれた。「お水は、この先少し行った所にペットボトルが置いてあるからそこで貰ったらいいよ」と教えてくれる。それは知っていた、前に一度貰ったことがある。


 12:03
前までは小さな籠の中に入れてあったけれど、ちゃんとボックスができていた。
「お疲れさま・・・・ ご遠慮なく(容器も)ご自由にお持ち帰り下さい・・・・」
ありがたく1本頂いていく、ぼくの使っているボトルもだいぶ汚れてきた。


 12:17 土佐東寺庵
観音寺から2.2km、東寺庵の前を通るといきなり中から声をかけられる。お茶でも飲んで休んでいきませんか、と若い女性の声。休んだばかりだったので、一瞬ためらったけど、無視することも罪深いような気がして、休ませて貰うことにした。先の予定は大幅に狂ってしまうけれど、あまりに自分勝手に歩いてきたから、たまには自分を捨てるのもいいだろう。どうせこの足の調子では、いつものような感じでは歩けまい。と心の中で言い訳をしながら、入れて貰った熱いお茶を頂く。お菓子などもいっぱいあったけれど、そちらの方には手が伸びず、胡瓜のお漬け物ばかりに箸が伸びた。やはり野菜が不足しているのを身体が自然に察知しているのかもしれない。
 しばらくすると、橋本さんがやってきて、声をかけられるままに中へ入ってくる。ぼくより1時間もあとに出発したのに、かなりいいペースでここまで来ている。コンビニで会った速足の女性の話をする。そのあとに、野宿遍路さんもやってきた。彼は東京の人、初日に宿に泊まったきりあとはすべて野宿だという。今日も四万十川の近くにある大師堂に泊まるという。場所を聞かれたけれど、そういうものがあることなど知らなかった。彼も例によってお金がないからという理由で野宿をしているといった。でも、野宿でもお金はかかる、3食食べなければならない。1日1500円として40日で6万円、納経費と四国までの交通費で4万円はかかる。合わせて10万円。ぼくは全部宿に泊まって13万円で一巡したことがある。野宿をしなくても大して変わらない費用で巡ることができるのにと思っている。宿に泊まることでもっと豊かなお遍路ができるのにと思っている。だから、野宿をしている人に、実際どれくらいの費用がかかるのか聞いてみたいといつも思っている、でも、もちろん今回も聞けなかった。


 14:09
東寺庵では思わぬ長居をしてしまった。居心地がよくて、50分近くも居座ってしまった。13時8分に橋本さんと一緒に発つ。橋本さんは入野浜の道を行くというので、2kmくらい一緒に歩いて浮鞭郵便局の前で別れる。休みすぎたので宿まで13km休みなし、コンビニで食料を仕入れるだけだ。足の調子はますます悪くなる。写真を撮る余裕すらなくなっている。とにかく、できるだけ早く辿り着きたい、それだけしか考えられない。


 14:39
3km=30分、時速はジャスト6km。前に進んでるだけで良しとしよう。3時半くらいには着けることだし。


 14:41 逢坂トンネル 210m
どんなに余裕がなくてもトンネルの写真だけは撮り忘れない。


 14:44
トンネルを抜けると四万十市、もう、あと○○kmの標識を見ることはない。


 14:55
買い物がてら一休み、1時間45分歩きっぱなし。調子が悪いなりに休みもとらずよく歩けたものだと思う。


 15:32
昨年まで工事中だった新しい中村大橋ができていた。歩道橋は右側から左側に、登っていく所は一部まだ工事中だった。


 15:35
写真がぶれてしまった、これが今日1日の歩きを象徴している。カメラすらまともに構えられないほどへろへろになってしまった。コンビニでちょっと時間がかかったので、3時半までに入ることはできなかったけれど、お風呂は4時からなので、ちょうどいい時間ではある。お茶は冷たいのがいいですか熱いのがいいですか、と訊かれたので迷わず冷たい方をお願いする。ポットにいっぱい氷が入った麦茶を用意してくれた。飲み終わったあとも水を足して翌朝まで氷水を楽しむことができた。ここも坂口屋と同じで昨年はお風呂がややぬるめだったけれど、今年はちょうど良かった。やはり石油の値段が如実に影響しているのだと思わずにはいられない。痛んだ足をほぐすためにできるだけゆっくり、じっくり楽しむ。大きなお風呂にぼくひとり。
昨年から素泊まりのみ、3500円。


12日目 5月5日

2009-06-22 | 09年四国の旅

 7:29
12日目は雨の夜明け、5時20分ころから降り始めた。昨日とは比べものにならない激しくしっかりした降りだ。でも強ければ強いほど長続きはしないから、午後までのような気もする。今日は30km、初日を除けばこの旅で一番短い行程になる。7時半に発つと女将さんに言ったけど、朝食が終わってもまだ降り続いているので30分遅らせる。8時になるといくらかおさまって普通の降りになっていた。昨日の宴会はうるさかったでしょう、とペットボトルのお茶と枇杷をお接待して頂く。ウォーカーズの出演者のサインを撮影させて貰うと、「その隣のサインは海洋堂の社長さんのものなんですよ」と説明してくれる。ハリウッドにもその名の轟くフィギュアの制作会社、食玩のメイカーとしても有名です。その社長さんは土佐の出身でこちらで催し物があったときにこの宿に泊まられたそうです。


 8:13 道の駅かわうその里すさき
今日の歩行時間は5時間弱、8時に出ても2時間は休憩できる。休む場所は例年3ヶ所と最後岩本寺でのお参り納経の時間、それぞれ30分ずつで3時に宿に入れる。
フレームの上に傘が写り込んでしまった。午前中は傘をさしながらの撮影なのでいい画は撮れないかもしれない。


 8:27 角谷トンネル 420m
た傘が写り込んでいる。歩道はない、須崎から土佐久礼までは国道にも歩道がない所が多くて、ちょっと嫌な道、雨が降っているのでなおのこと。


 8:33 久保宇津トンネル130m
またも歩道はない。しかも左側を歩いている。道路の方は左側に歩道があるか、歩きやすくなっている、だからトンネルだけ右に渡るということもしない。いやな感じではあるけどその度に道を横断するのも却って危ないことになる。


 8:43 安和トンネル 245m
歩道はない、このトンネルの手前で右に渡る。


 8:48
国道を離れて右へ折れると焼坂峠への道。国道には赤線がついていないから、多くのお遍路がこの道を行くことになる。ぼくは2回歩いたけれど、これから歩くことはないと思う。36分も余計に時間がかかる。しかも普通の山道より歩きにくい所が多い、快適なはずの下りも大きな石がゴロゴロしていてとても歩きづらい。遍路道にこだわる人、トンネルがすごく嫌いな人はこの道を行くべきですが、そうでない人、とくに体力に自信のない人は迷わずそのまま国道を行く方がいい。


 9:00 焼坂トンネル 966m
この写真を撮るために立ち止まったら、追い抜いていく人がいた。すぐ後ろを歩いていたみたいだけれど全然気がつかなかった。キャップの後にエプロンが付いていたので、安芸の手前で見たスパッツさんかと思ったけれど、服装は全然違うし年格好もだいぶ違ったので別人だと認識する。10mくらい後を付いて歩く。驚いたことに、トンネルの中ではその差が全く変わらなかった。ぼくは、追い抜こうとか、逆に離されようとかいう意識は全くなく普段通りの歩きをしようと心がけている、前の人も後ろを見ていないから普段の歩きに違いない。それが全く同じスピード、その差が10cmも変わらない。ジョギング遍路以外でぼくと同じかそれ以上の速さで歩く人を初めて見た。


 9:10
トンネルを抜けると中土佐町、雨はほとんどあがっている。少し下りになっているせいか、ぼくの方が少し速くなって200mくらい先で追い抜く。でも、追い抜いただけで、3mくらい後をぴったりついて、トンネルの中と立場が変わっただけになる。


 9:39
 本当は、そえみみずへんろ道は右折、という標識を撮りたかった。昨年はそえみみずが工事中で通行不能だったので今年はそえみみずを行きたいと思っていた。土佐久礼駅まで行ってそこで休憩してから行くつもりだった。
 この写真を撮るために立ち止まったら、後ろを歩いている人も同じように立ち止まってぼくを待つような格好、「そえみみずを行かれるのですか?」と訊いたら「どちらでも」、ぼくの行く方に付いていく、と言う。え?!と思ったけど、歩く速さは全く同じだし、断る理由もないので、「じゃあ、ぼくはそえみみずを行きますけど先に久礼駅で休みますのでそれでいいですか」と言うと、「それで構わない」と言うので一緒に歩き始める。
「それにしても歩くの速いですね」と彼が言うので、「お互い様じゃないですか」と笑いながら返す。「いつ出発されたんですか」と訊かれたので、「金曜日に出たので今日で12日目ですか」と答える。普通の人なら、うわぁ12日でここまでですか、などと大層びっくりされる。ところが彼の答えに逆にびっくりさせられた。「ぼくは土曜日に出たので11日目ですよ」。すごい、ぼくよりタイトなスケジュールで歩いている人を初めて見た、噂やネットではもっと早い人がいることは知ってはいたけれど。


 9:50 土佐久礼駅
この駅に着くまでに、道沿いの家から女の人が出てきて連れの人に、民宿いさりびの名刺を渡して、よかったら泊まってくださいと、勧誘する。いさりびは四国で5本の指に入る素晴らしい遍路宿だ。連れの人は、全く興味がなさそうにポケットに押し込んだ。彼のスケジュールではいさりびは1日の行程の中間地点になるから、全く必要のない宿になる。すでにこのあとの宿も全部予約しているようだった。彼は今回は14日で39番まで行くそうだ。2週間で2国打ち。4回目の区切り打ち、と言ったから前の3回で1巡したということだろう。


 10:11 橋本さん
駅のトイレを借りて、入り口の横のベンチで休む。連れの人が、納め札を貰えますか、というので、快く交換する。貰った納め札を見て思わず大声を上げてしまった「仙崎ですか!!! 行きましたよ、金子みすゞ記念館、仙崎には2回も行ったんですよ」
山口県長門市仙崎、といえば童謡詩人金子みすゞの生誕の地、数年前その生家跡に記念館が建設された。ぼくは、みすゞさんは神様だと思っている。そのはっきりした理由もある。

 早坂暁  「蜂のなかに神さまがいる」というのがありましたね。
 矢崎節夫 「蜂と神さま」。
 早坂暁  あれなんかすごいですね。あれはお釈迦さまが言うことなんですよね(笑)。
 矢崎節夫 あの作品はローマ法王が宇宙物理学者の佐治晴夫先生からお聞きになったときに、涙を流されたそうです。
 早坂暁  これは説教の極意というか、いちばん肝心なところを言っているわけです。お釈迦さまが言ってもおかしくない、キリストさまが言ってもおかしくないことを、あんな平易な言葉で言いきれるというのね・・・・。子供も、「ああ、納得!」と思うじゃないですか、あれは。

だから、ぼくにとっては、仙崎は善通寺以上の聖地だと思っている。そこから来た人に会えるというのは、他のどんな土地から来た人よりも感動的なことになる。年甲斐もなく大声を出してしまうことになる。


 10:18 久礼トンネル 75m
納め札を交換して、軽食を摂る。柳屋で頂いた枇杷を橋本さんと分けて食べる、そしたらいなり寿司を1個頂く。彼は今日は民宿さざなみを6時過ぎに出たという、岩本寺まで行くと言ったら、女将さんに、とても行ける距離ではないと言われたそうだ。42kmだから普通の人なら10時間以上かかる、休憩の時間も入れると12時間はかかるから、やめた方がいいとまで言われる。でも彼は普通の人ではないからね、ここまでの行程を大体伺う。1日目、藤井寺まで37km、2日目、大日寺まで37km、3日目、金子やまで40km、4日目、薬王寺まで41km、5日目、南風まで40km、6日目、最御崎寺まで36km、7日目、神峯寺下まで41km、8日目は聞けなかったけれどたぶん大日寺まで34km、9日目、高知屋まで37km、10日目、さざなみまで44km、11日目、岩本寺まで42km、12日目、月白まで45km、13日目、足摺岬まで39km、14日目、延光寺まで52km。1巡目で一番長く歩いたのは、観自在寺から龍光寺までの50km、その自信があるからこういうスケジュールでも大丈夫。
 駅では24分の休憩、10時13分に出発。ぼくはちょっと勘違いしていて、久礼駅まで来るとそえみみずに行くには250mくらい戻らねばならない。戻るのはためらわれたので、大坂越えの道を行くことにする。橋本さんは前回は国道を行ったので、どちらにしても初めての道になる。


 10:55
周りには山と川以外何もないのに、突如として異形の建造物が出現する。この道路の建設のためにそえみみずが歩けなかった。


 11:00
これから登る七子峠が見えてきた。中央の稜線がへこんでいる所。登り口からの標高差は200m、ここから見ると、もっと遠く、もっと高く感じる。


 11:10
久礼駅からここまで6kmほとんど平地、残り1kmで200m登る、あと20分で登り切れるか。


 11:28 七子峠から
登りの道は、ちょっと気合いが入りすぎたようだ。橋本さんの足音が常にすぐ後から聞こえるので、これくらいの速さではまだ不十分なのかも、といういらぬ気遣いばかりをして、ついつい速足になってしまう。あとから橋本さんに聞くと、ついていくのに精一杯でかなりきつかったという、それならもっとゆっくり余裕を持って登ればよかった。おかげで、昨年のベストタイムを上回る速さだった。
 階段を登りきって、しばし今まで歩いてきた道を見下ろす。一仕事終わった安堵感のようなものが広がる。本日はあと13kmちょっと、十分すぎるくらい休憩がとれる。昨年はここで足摺の宿の予約が取れなくて大汗をかいたけれど、すでに宇和島までの予約は済んでいる。


 12:31
七子茶屋の入り口の横にあるベンチで休憩する。茶屋の中には入らない。休んでしばらくしたらまた雨が降り始めた、一時雨足は激しくなった。休んでいるとき、今度は靴の話になった。橋本さんは靴屋さんの薦めでソウルが堅めのものを選んだけれど、結果的にはうまくなかったという。負担が大きくて踵にマメができてしまった、ようやく慣れてきた所だという。ぼくの靴のことを聞かれたので、3年連続で履いているミズノのOD100GTXは最高だと宣伝する。焼山寺では半日降られたのに靴の中は全然湿らなかった、もちろん今日も全然濡れていない。橋本さんの靴もゴアテックスだけどすでに湿っているという。同じ素材を使ってもメーカーによって性能がうまく発揮できないこともあるようだ。ただこの靴はソウルが柔らかいので磨り減り方が早い。香川に入るころになると、インソウルがのぞいてくるほどになる。でも、このOD100GTX三(ローマ数字が入力できないので漢数字で表記しました)の改良型が販売されていました。OD100GTX四の新聞広告が出ていました。これはソウルにハードな素材X10を使用したもの、唯一の弱点が改良されました。
 雨宿りもかねてたっぷり50分の休憩、12時19分に出発する頃にはまだ降ってはいたけれど、ほとんど気にならないくらいの小雨、橋本さんは傘を持たず合羽も着けていないので、ぼくも傘はささない。10分ちょっと歩くとほとんど上がってしまった。


 12:45
国道に合流していく。この脇道を歩けない人は結構多い。脇道から国道を歩いている人を時々見かける。


 12:50 雪椿休憩所
七子峠から3.5kmの地点、すごく短いけれど例年はここで休んでいた。この先に適当な休み所が見当たらない。今回は50分も休んだあとなので休まない。


 13:51 道の駅あぐり窪川
橋本さんが遅めの昼食をとるというので、ここでお別れ。岩本寺まではあと3kmほど。彼は宿坊に泊まるので早く着きすぎてもすることがないだろう。岩本寺の宿坊は朝6時からお勤めがあるので、出発は7時頃になる。ぼくは6時に出るので、明日は会うことはないだろう。


 14:08 呼坂トンネル
例年七子から岩本寺までの行程はすごく短く感じる、それだけ調子がいいしスピードも乗る。休憩所から岩本寺までの平均時速は6.6km以上。でも、今年は全然乗らなかった。休憩所で休まず2時間歩きっぱなしだったのが大きな理由だとは思うけれど、6.4kmしか出なかったし、足の調子もよくなかった。左足首の腱(アキレスと逆の位置にある方)に張りが出てちょっと気になったし、左足小指の先のマメもかなり大きくなっている。足首の腱は過去にも痛んだことはあったけど、歩きに影響が出るほどではなかったからあまり心配はしていない。


 14:21 岩本寺
最後は相当疲れてよたよただったけど、いい時間に着くことができる。お参りも余裕をもって落ち着いてできる。野宿の若い人が水屋の横のベンチで煙草を吸っている。この時間だから、まだまだ先まで歩くはずだ。


 14:44
岩本寺から窪川駅の近くにある宿の方へ戻る途中(少し左に折れる)にコンビニがある。2回目の飲料、カフェオレ500cc112円を買う。ここまで12日間の総支出(賽銭、納経代は除く)は56190円、今日の宿泊代を払っても1日平均5000円を切っている。


 14:54
連休なので3部屋が満室。あとから聞いたことですが、この岩本寺の周りの宿はすべて満室、前日の予約ではどこにも泊まることができず、電車に乗って27km先の宿になんとか泊まることができた、という人がいました。
 足首の腱が気になったので、入浴後入念に指圧マッサージを繰り返す。小指のマメもようやくはっきり水たまりが確認できたので水を抜く。裁縫セットは差し上げてないけれど遍路バッジの安全ピンがある。水を抜くのは入浴後がよい、一晩寝ればある程度乾燥してぺったんと表皮と皮膚が同一化していることも期待できる。
 村の家(むらのいえ)、2食付き5500円、素泊まり3500円。ぼくは5回とも素泊まりですが、食事もなかなか良いという評判を聞きました。今までは岩本寺宿坊をお薦め宿にしていたのですが、どうも、こちらの方が全体としては良いかもしれません。値段も1000円も安いことからして、来年の遍路宿情報は書き換えるべきでしょう。


11日目 5月4日

2009-06-19 | 09年四国の旅

 7:02
11日目は36km、歩く時間は6時間くらいで札所も一つなので、ゆっくり7時に出発する。同宿の方はみんな発たれたかと思いきや、玄関にリュックが一つおいてある。昨日清滝寺に行けなかった人が軽装で往復しているのだろう。善楽寺で話したベテランの方かもしれない。
 天気は曇り、予報では一時雨。数日前の週間予報では今日も明日も雨マークが消えていたので、もしかして高知県はこのまま雨なしで過ごせるか、と期待したけれど、雨マークはきっちり復活した。この時季、高知県で10日続きで雨なしというのは、奇跡、というよりむしろ天変地異に近い。


 7:11
県道に当たると右折して、しばらく県道を行く。山が迫ってくる。3年連続でトンネルを行ったけれど、今年は4年ぶりに峠を越える。山道の方が絵になるところがありますので。山道を行くと20分以上余計にかかるけれど、時間の余裕はたっぷりある。


 7:35
この休憩所がトンネルと峠道の分岐点、まだ3km半なので休まない。青龍寺まで11km休みなし。


 7:36
ということは、15分以上は登ることになる、清滝寺の倍くらいだ。4年ぶりなのでどういう坂道だったかほとんど覚えていない。


 7:45
大きく蛇行しているので振り返らなくても登ってきた道を見通すことができる、こうしてみるといい感じの山道らしい山道。


 7:51
登り口から15分で峠に到着、山道は時速3kmが標準的だから、いい歩きだったといえる。右へ行くと展望台があるけれど、そこまでの余裕はない。


 7:52
下りの最初は緩やかで歩きやすく、スピードが乗りそうな坂。こういう感じは最初だけということは何となく記憶に残っている。


 7:53
展望台に行かなくても宇佐の海が見える、ぼくにとって最大の難所である宇佐大橋もはっきり見えている、なんともいえない。


 8:02
山の湧き水、一口飲みたかったけど、一口で終わりそうになかったので我慢する。でも普通の人ならここで休むのがいいかもしれない、36番までのほぼ中間地点、ベンチはないけどね。


 8:08
山から下りてきた所。ここからすぐ先、町に入る手前の水路の周りが工事中で今まで歩いていた道が歩けなくなっていた。水路の対岸に仮の歩道が設けられている。県道に上がるところも工事中で一つ西の筋から上がる。


 8:27 宇佐大橋
いよいよ最大の難所に挑む。いつも相当の緊張と覚悟を要する。ここに比べたら、焼山寺も横峰寺も全然怖くない。


 8:29
写真ではよく分からないけれど、橋を登りかけた所から右下に渡船場跡の記念碑が見える。今までは橋を渡るのが精一杯でこの渡船場跡を確認したのは今回が初めてのこと。


 8:36
 橋を渡り終えた所に、意外な標識があった。たぶん昨年まではなかったのではないか。この道を行くと本当に36番まで辿り着けるのだろうか、だとしても相当時間がかかるような気がする。もちろん挑戦する気にはなれない。


 8:47
橋を渡ってからここに来るまでに男性2人、女性4人の打ち戻りの人とすれ違う、いずれの人も結構なスピードだった。目の前の二つの宿か、汐浜荘に泊まった人たちだ。


 8:53
36番が近づいた雰囲気のある遍路道にぽつんぽつんと白い物が道端に見える。お地蔵様かなと思ったけれど、近づいてみると四国八十八ヶ所のご本尊が順番に並べられているのでした。いわゆるミニ四国ですね。このご本尊すべてに手を合わせる余裕はもちろんない。申し訳ない。


 8:56 青龍寺
トンネルを行くより23分遅く116分で山門に到着、時速は5.69km、あれだけの山を登ったのだから6km出ないのは当然です。帰って調べてみたら4年前と同じタイム。
 連休ということもあって、車遍路があとからあとからひっきりなしにやってくる。納経所でも久しぶりに待たされることになった。歩き遍路は全く見当たらない、この近くに泊まった人はとっくに次の札所に向かっているし、土佐に泊まった人はまだ1時間くらいあとになるだろう。お参り、納経を含めて39分の休憩、水屋で1L水を補給して9時35分に発つ。


 9:56
ここは打ち戻りでもう一度同じ橋を渡らねばならない、1回で終わらないところも難所らしい。この橋の欄干がとにかく低い、ベルトのラインから20cmくらい低い。別の、ベルトくらいの高さの欄干の橋を行くと、恐怖感は半分以下だった。この20cmの差が大きな分かれ目になることを思い知らされる。


 10:07
非常に評判のよい遍路宿汐浜荘、昨年の今頃は女将さんの体調が優れなくて休業していたけれど、今は営業しているのだろうか。高知屋からちょうどいい距離だし値段も手頃で、ここがなくなると困るお遍路は多いと思う。


 10:10
休憩所であることは確かだけれど、なんだか野宿遍路のための無料宿の趣もあるような感じがした。壁には無数の納め札が貼られてあった。


 10:23
浦ノ内湾の複雑に入りくんだ海岸線を行く県道23号、入江の向こう側を行くお遍路さんが見える。ぐるっと回って20分後くらいに同じ所を歩いているはずだ。


 10:38
できたばかりの民宿、青龍寺から6kmちょっとの地点。土佐市に泊まって清滝寺を往復してから青龍寺に向かう人にとっては24kmくらいになるのでちょうど都合のいい場所になる。30kmはきついという人は多いからね。


 10:44
この鮮やかなローズピンクに思わず足を止めてしまった。残念なのは写真ではその輝きの半分も捉えることができないこと。本当はもっと光り輝いている、ぼくが今までで見たピンクの中で最も美しいと言っても過言ではない。


 10:48 深浦集会所
お遍路さんのための休憩所かどうか判らないので、一度も休んだことはないけれど、雨が降ったときは休ませて貰おうと思っている。浦ノ内湾沿いには屋根のある休憩所が本当に少ない。


 10:53
青龍寺から7.7km、この駐車場の縁石がぼくの休憩所。次の休憩地との中間に近い所には適当なおやすみ所がないので、仕方なくここで休むようになった。もう5回目になる。


 11;21
浦ノ内小学校の前に小さな屋台が設置してあった。「葉書に書いて、浦ノ内小学校まで送って下さい」とある。葉書が入っています、と書いてあるボックスに葉書は入っていなかった。この小学校ではお遍路について理解を深める研究をしている。


 11:27
 小学校から600mの所に新しい遍路小屋ができていた。中では男性が女性になにやら大声で力説している。休んでから20分も経っていないので立ち寄る必要はないけれど、次回からは使えるかもしれない。青龍寺から9kmちょっとだから無理のないポイントだ。次の仏坂への分岐点の所で休まず、トンネルを抜けた所の休憩所で休めば次も9kmちょっと。これで雨の日も心配なく歩ける。


 11:38 浦ノ内トンネル
一時海岸線を離れる。このトンネルができる前は2kmくらいは遠回りの海岸線を歩いたのかもしれない。あるいは山越えの道があったのか。


 12:10
ここに来る少し前からぱらぱらと雨が落ちてきた。傘を必要としないくらいの弱い雨、やっぱり天気予報は正確、高知に入って初めての雨、この旅2回目の雨になる。
去年はここでアイスを買ってすぐそこにある休憩所で休んだけれど、今年は我慢する。傘をさしながらではアイスの値打ちもないしね。


 12:11
仏坂へ向かう道(県道314号)と湾岸線の道(県道23号)の分岐点のすぐそばにあるベンチ。屋根も何もないので、休憩所ともいえないようなもの。傘をさしながら軽食を摂る。今日はあと11km、夕食は宿で頂くので買い物はしなくていいし、札所もないので、たっぷり24分の休憩。次の休憩所で同じくらい休んでも3時までに楽々宿に着けそうだ。


 12:48
青龍寺を出てから本当に人に会わない。元々人通りの少ない道ではあるけれど、お遍路さんにも会わない。自転車で行き過ぎていく中学生が、元気に挨拶してくれる。最初の一人は「こんにちは」、次の4人連れは「さようなら」、最後の一人は「こんにちは」。それぞれに合わせてぼくも元気に挨拶する。久々に声を出してそれだけで元気になる。雨もあがってしまった。


 12:56
スカイライン(県道47号)が合流してくる所、スカイラインは1.7km近道だと地図には書いてあるけれど、登り下りが結構あって体力を消耗するのであまり近道にはなっていない。ぼくは1度歩いたけれど、2度と歩く気にはなれない。


 13:06 鳥坂トンネル
前のトンネルは中央部分照明がなくて真っ暗だったけど、こちらはちゃんと点いてます。長さは250mくらい。歩道はない。


 13:23
分岐点から5km弱にあるヘンロ小屋、今まで休んだことはなかったけれど、今回は休むことにする。分岐点と宿のほぼ中間地点になる。四元さんはお接待を受けていたけれど、お茶の用意はされていなかった。27分の休憩、楽々3時までに着ける。


 14:09
 今まで歩いてきた風景とは全くそぐわない、巨大で奇怪な建造物が現れる。ここだけは別世界、別次元のような感じさえする。写真ではその違和感が全く表現できないのが残念。廃熱を利用した発電所もあるそうで、とにかく広大な敷地面積。


 14:21
大峰橋を渡ると左手に須崎港が見えてくる。


 14:26
土讃線大間駅の側にある踏切を渡る。最初の時、ここまで来て電車で高知駅に戻った。次の日が警報の出るような大嵐で歩けないと思ったから。でも、本当に何も知らなかったし、未熟だったなあと思う。このあたりに泊まる宿はいくらもあったのに。この駅を見る度、初めての自分を思い出す。


 14:26
踏切を渡るとすぐ国道56号、明日から2日間はほぼこの道を歩く。


 14:31
4年前までコンビニだった。ずっとそのままだったけれど、創作料理の店として復活。こういう形での復活はとても珍しい。宿まで2.3km。


 14:34
こんな所で松山といわれても・・・という感じ。そんな先のことまで考える余裕なんて全くないし、第一辿り着けるかどうかも判らない。


 14:46
4年前はこの道の少し手前の所で左折してしまった。早めに気がついたので大して遠回りにはならなかったけど。別格5番大善寺にお参りすると、目の前のトンネルは通らずに済む。
 この交差点にあるラーメン屋さんの前に10人くらいの行列ができている。鍋焼きラーメンの文字が見える。連休で、遠方からこの珍しいご当地ラーメンを目指してきた人もいるかもしれない。


 14:49
大善寺の本堂は小高い山の上にあるので、境内から下の宿坊までケーブルカーが通じている。宿坊に泊まらないと乗ることはできないようですが。


 14:50
大師堂は下の街道沿いにある。目の前に本日の宿柳屋旅館がある。


 14:54
柳屋旅館は6年連続の投宿、6回泊まるのは、土佐の喜久屋旅館と松山市の長珍屋の3つだけ。
 この旅館は3年前に放送されたNHK土曜ドラマ「ウォーカーズ」の撮影に使われた宿、スタッフからのお礼状や記事や撮影スナップなどが展示されている。反対側には風吹ジュンさん、戸田菜穂さん、鷲尾真知子さんのサイン色紙が飾られていた。


 16:44
昨年、一昨年は江口洋介さんが泊まった離れの部屋に泊めて頂いた。今年は1ヶ月前から研修に来ている学生さんがそこに滞在し続けているので、いつもの2階の右の部屋に通される。この部屋も全然悪くない、次の間があるし、隣の部屋とは壁で接することなく、廊下を挟んでいる。ケーブルテレビが入っていて、地元のお知らせのチャンネルには常にモーツァルトかベートーベンの曲がBGMとして流れている。「戴冠式」や「きらきら星」や「田園」など、ぼくの大好きな曲ばかりが次々と流れてしばし旅の疲れを忘れることができる。


 17:50
5時半頃からお客さんが続々やってくる、廊下を挟んだ隣の部屋で数人が談笑している。女将さんの話によると、宴会が入っているそうだ。宴会には8人が参加するけれど、泊まるのはそのうち2人だという。それ以外のお遍路のお客さんはいないようだ。連休の最中なのにお遍路はぼくだけというのはすごく意外、須崎は青龍寺の周りの宿から25kmくらいだから泊まる人が多いはずだけれど、歩きの人は6人しか会わなかったし、そのいずれもがかなり速足だったから4km先の安和の宿まで行ってしまうのかもしれない。次の岩本寺までが、須崎からだと30km、安和からだと26km、大きな峠もあるので安和まで頑張る人が多いのは確か。
 宴会があるので、夕食は部屋食になる。女将さんが2階まで運んでくれる。この宿に泊まった人のウェブページを見ると、宴会がないのに部屋食だったと書いていたから、基本的に部屋食なのかもしれない。海老フライの海老以外は総て地元の食材、刺身は鰹と石鯛、鰹はほんとにいい物は刺身で食べると地元の人はいう、タタキにするのはちょっと質の落ちる物なのだと。石鯛も珍しい、たぶん初めて食すると思う。両方とも最高、しっかりした味がある、水っぽくない、臭みなど皆無。やはり土佐に来たら本物の鰹を一度は味わわなければと思う。ここでしか食べられないものですからね。
 宴会は相当にぎやかでぼくの部屋からでも話し声はよく聞こえたけれど、なんていうことはなかった。女将さんは気にしていたみたいだけれど。6時半くらいから始まって8時すぎには終了、終了するころにぼくは床に入った。携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳に入れると、すぐ眠ってしまった。泊まる人が部屋に戻ってくるのも気がつかなかった。


10日目 5月3日

2009-06-16 | 09年四国の旅

 5:43
昨日まで4日続きの快晴、今日は久々の曇りの予報、でも雨の心配はないようだ。今日の行程は39.7km。小さな山が3つあるけれど、比較的楽な行程、もちろん3時に宿に入るつもりだ。10時10分のフェリーに乗らねばならないので、余裕を持って5時26分に宿を発つ、同宿同部屋の3人はまだ床の中だ。


 5:44
っと川沿いの道を歩いてきて、そのまま右の方へいってしまう人がいる、ぼくも最初の時そうだった。でも遍路道は左、遍路標識も貼ってあるけれど、右の道を歩いていると目に入らない。


 5:55 サンピア高知
29番から32番までの遍路道沿いにある宿はレインボー北星とこの宿だけ、でも値段が高いので敬遠せざるを得ない、遍路道をはずれて高知の中心部のホテルに泊まる人が圧倒的に多いようだ。2食付き9000円、素泊まり5000円、素泊まりの相部屋は2500円。


 6:07
県道374号からこの高須橋までの遍路道が本物の遍路道で最高。田んぼの中を真っ直ぐ突っ切っている。残念なのはその手前、国分川から374号までの古い道が消えてしまっていること。


 6:09
橋を渡って国道195号に出てくると、脇を後免線が走っている。土佐電鉄後免線は、あのごめん・なはり線(土佐くろしお鉄道阿佐線)とは全く別の鉄道。ごめん・なはり線は土讃線の後免が起点になっていて、二つ目の駅、後免町の近くに後免線の終点、後免町が寄り添うようにある。写真の駅は文珠通。


 6:15
いよいよ五台山が近い。竹林寺はこちらから見ると反対側にあるので五重塔の姿は見えない。


 6:19
北側からは昨年登ったので、今年は自信を持って登ることができる。本当は高知駅の近くの旅館に泊まるつもりだったから、この道は去年で最後だと思っていたけれど。来年は国分寺の手前の宿に泊まる計画なので、またこの道を登ることになる。


 6:23
4分登ると、見晴らしのいいところに出てきた。サンピア高知もかすかにではあるけど捉えることができる。


 6:31
そんなに高い山ではないけれど、2日ぶりの山登りということもあって、少し息が上がりかける。でも昨年登った記憶が残っているので、余裕はある。牧野植物園まで上がってくると、間もなく五重塔が目に入ってくる。


 6:34
の時間だと植物園は営業していないけれど、お遍路が通るので入り口は開けてくれている。知らずの内に植物園の中に紛れ込んでいるので、お遍路にとっては出口になるけれど。6年前、最初来たときはこういう感じではなくて、脱出するのにちょっと苦労した覚えがある。ここを出るとすぐ目の前に山門に続く石段が待っている。


 6:46 竹林寺
山門の前に着いたのは6時34分、宿から67分、昨年より1分早かった。とくに意識したわけではないけれど、昨日よりは出足の軽さは感じた。1時間早かったので気温が低かったのが影響したのかもしれない。
 お詣りを終えて納経所に着いたのは6時50分、迷彩柄の服を着た男の人が待っていた、大きな荷物をカートに乗せている。野宿だからこの時間に来られる訳だ。


 7:03
納経は7時3分前から始めてくれたので、山門を出たのは7時2分。南側へ下りるこの坂が曲者。石段というより岩段といった方がいいだろう。元はきれいに並べtられていたのかもしれないけど、相当風化して荒れ果てた状態になっている。安定した足の踏み場を見つけるのに苦労する。しかも相当急な傾斜で、油断をしたら大変なことになりそうなので、慎重にならざるを得ない。スピードは普通の下りや階段の半分も出ていないような気がする。


 7:09
下りてきたところが五台山小学校、躍動感が全くなく、相当時間を食ったという感じ。


 7:10
下田川を渡る。右岸を行く道にも赤線はついているけれど、左岸の方が歩きやすい。


 7:11
川を渡って振り返ると、五重塔が見えている。


 7:25
江戸時代や明治時代のお遍路が歩いていた道かどうかは不明だけれど、右手が山、左手は田んぼのいい感じの遍路道。


 7:27
と思っていたら、いきなり右の山肌が大きく削られている、この先県道247号に当たるところでは4年くらい前まで歩いていた道が完全になくなってしまった。


 7:37
7回も来ていて、なかなか立ち寄るだけの余裕が持てないまま。


 7:43
車の通るトンネルは東洋町の相間トンネル以来、4日ぶりということになる。歩道はある。


 7:49
トンネルを抜け、新興住宅地を抜けると、これから登る禅師峰寺の山が見える。わずか80mだけど、楽な山道はない。


 7:53
突き当たりの壁に大きな文字で禅師峰寺は右の矢印があるけれど、これは車のための標識、歩きの人は左に折れなければならない。歩きのための遍路シールもあるけれど、この大きな標識に目を奪われて右折する人もいる、昨年も見かけた。


 7:59
歩き道は本堂まで340m、5分で登れば同タイムだけれど、なかなかそうもいきそうにない。足取りはしっかりしているけれど、ここまででちょっと時間がかかったかもしれない。


 8:05
1分遅れで山門に到着、やはり竹林寺の下りに時間をかけすぎたのかもしれない。フェリーの時間に合わせると40分くらい休むことができる。


 8:24
お詣りを終えて納経所にいくと、その横の本坊の玄関前にワンコがゆったり寝そべっている。ぼくの後から来た車遍路のカップルがその体中をなで回しても気持ちよさそうにおとなしくしていた。
 また階段を上って境内の見晴らしのいいところで休憩する。8時45分に発つ。山を下る途中でカート遍路さんとすれ違う、3.4kmくらいの速さということになる。カートだからあの山道を下ったかどうかは判らないけれど。


 9:11
トンネルへ入る道の下をくぐって直進するのが遍路道だけど、最初の時どういうわけかこのトンネルへ入ってしまった。次のトンネルの手前でようやくおかしいことに気がついて引き返したけれど、どうしてそんな間違いが起こったのか、いまだによく分からない。その日の朝起きたときに足がひどく痛んでいてまともに歩けなかった。身体が痛むと思考力も正常に働かなくなることがある。


 9:11
遍路シールをちゃんと見ていれば、なんなくこちらのトンネルに進むことができる。


 9:27
県道35号の交差点、あと1.8kmくらいでフェリー乗り場、でもこの最後の直線が長い。車もあまり通らない歩きやすい道だけど、なかなかあの標識が見えてこない。直線だけに先の先を見て、期待だけが先行してしまうのかもしれない。


 9:41
これがその標識。待ち遠しい分だけスピードは乗るような気はするけれど。


 9:43
例年と同タイムで待合所に到着、朝から調子がよかったので、意識しながら歩いた。すでに体格のいい男の人が休んでいる、野宿かもというくらいの大きな荷物。31番と32番の間に宿はないから、どこから来たのだろう。野宿でないとしたら、海老荘に泊まってあの道を往復したとしか考えられない。


 10:13
フェリーから浦戸大橋を撮影、一度はあの橋を渡って龍馬さんに会いに行かねばとは思っているけれど。


 10:22
龍馬さんに会うとここに出てくる。


 10:29 雪蹊寺
雪蹊寺には山門がないので、水屋のかわいいお大師さんを撮影。
フェリーを降りてから13分、同タイム。距離が短いからよっぽどでないと遅くも早くもならない。


 10:37
納経所の前に甘茶の用意がしてあった。昨年、60番横峰寺と別格10番西山興隆寺で用意されていたけれど、お接待はできる限り遠慮するようにしていたので頂かなかった。今年は納経帳も持っているし、白衣も着ているので、素直に頂ける。名前は知っていても一度も味わったことがないので、試してみるのも悪くない。でも、おかしな味だったら怖いので、ほんの一口だけにする。一口にしてよかった、とてもごくごく飲めるようなものではなかった。甘みもごくほんのり感じることはできるけれど、その何倍も薬草の味が勝っている。ま、でも貴重な体験でした。


 11:11
雪蹊寺ではお詣り、納経を含めて28分の休憩。10時57分に発つ。次の種間寺までは3年前にいい記録を出し過ぎたので、なかなか同じ記録が出せなかった。今回は朝からずっといい調子なので、同じ記録が出せそうな気がしている、その意欲があるだけで何とかなりそうだ。雪蹊寺を出て1.5km、春野町に入ったところが問題の分岐点。数年前までこの大きな標識がなかったから、迷うことなくこの自動車道(県道278号)を歩いてしまっていた。歩き道は直進する農道を行く、でも写真ではよく見えないけれど、支柱には歩きのための赤矢印も左を指しているのがややこしい。これは直進じゃないと意味がないでしょう。


 11:11
そばのミラーには歩きのための標識が付けてあるけど、注意していないと気がつかないかもしれない。


 11:15
初めて見る民宿の看板があった。遍路道からだいぶ離れた春野町の海岸線にあるので、へんろみち保存協力会の地図にも載っていなかった。33番雪蹊寺から土佐市の中心部まで13kmの間には全く宿がない。その真ん中の種間寺の周りに宿があれば重宝するお遍路がいっぱいいるのにと常々思っていた。この宿は送迎してくれるから、種間寺のそばにあるのに等しい。高知の中心部のホテルに泊まると種間寺まで24kmくらい、そして次の青龍寺のそばの宿まで25kmになる。丁度いい距離になる。


 11:26
これだけ真っ直ぐだと旧い遍路道という感じはしないけれど、とても気持ちよく歩ける道。


 11:29
こういう標識だと絶対迷うことはない。


 11:35
ちょっと珍しい名の川を渡る。橋は新川川橋。


 11:55 種間寺
3年前と同じ最高のタイムで到着、でも撮影のロスタイムは正確には計っていないので本当に同じタイムかどうかは判らない。もしそうだとしたら時速は6.7km、無理ではないけれど相当頑張らないと出ない数字。
 ここに着く100mくらい手前で、次の札所へ向かう男女の歩きの人が見えた。雪蹊寺の近くの宿を出て、この時間に未だここまでしか来ていないというのは首を傾げるしかないけれど、桂浜に寄り道していたのかもしれない。


 12:33
種間寺ではお詣り、納経を含めて27分の休憩。12時22分に発つ。今日はあと13kmで札所は一つ、3時には宿には入れそうだ。
 喫茶店の前に接待所があった。1杯頂きたい気持ちは満々だったけれど、これ以上休むと3時には着けそうにないので、我慢してスルーする。10分ほど歩いたところで先に出たカップルに追いついた、時速3kmも出ていないけれど、たぶん接待所で一服していたのかもしれない。


 13:04
国道56号の下をくぐってこの仁淀川大橋に上がってくるけれど、その600mくらい手前で先に川の土手に上がろうとしている夫婦遍路がいた。大声を出して引き戻してあげる。先に土手に上がっても行くことはできるけれど、橋の歩道は右側にしかないので、土手を行くと、56号に当たると横断歩道のないところを横切ることになる、交通量が多いので、ちょっと危険なことになる。


 13:05
川を渡ると土佐市、35番までの中間地点は未だ400m先。


 13:09
橋を渡ると気持ちの良い土手の道を行く。車が通らないのが何より気持ちいい。正面にこれから登る清滝寺の山が迫ってくる。画面の右の端、山の中腹に小さな白い点が見えますが、それが清滝寺の本坊の屋根。標高は130m、竹林寺とほぼ同じだけれど、竹林寺の倍くらいきついという印象がある。


 13:19
土手からは赤線が二つに分かれている。喜久屋旅館の前を通る南の道が本当の遍路道のようです。古い白黒の地図には北側の道に赤線はなかった。でもぼくは2年前から北側の道を行くようにしている、大して近道にもなっていないけれど、2年前のタイムが基準になっているので、別の道を行くと比較できないので、他の道は歩けなくなってしまった。写真は新しくできたバイパスの下を抜けるトンネル。


 13:35
ここまで近づくと、はっきり清滝寺の屋根が捉えられる。中腹でよかったと思うけれど、最後の石段はなまなかなものではないんだから。


 13:47
ここまでで82分かかっている、あと8分で上まで行けるわけない、と思う。


 13:56 清滝寺
例年より1分遅れで山門に到着、時間に追われながらきつい坂を登るのは本当にこたえる。山門に近づくほどきつくなるというのもまいる。しかも斜めの舗装道になっているから、一番スピードが出ない坂道になっている。そして、山門に着いても安心できない、さらに急な石段が待っている。境内まで上がると、もうへとへと、よたよたになっている。かけるだけの汗はかいたので、水屋ではまず何杯も水分補給をする。


 14:14
納経所の方へ行くと素晴らしい眺めが広がっていた、今まで納経したことがなかったのでこの眺めは初めて見る。宿までは30分だけど買い物もしなければならないのでゆっくり休んでいる暇はない。山門を出たのは2時22分。


 14:45
山の上でもかなり水は飲んだけれど、未だ相当渇いている感じがしたので、10日目にして初めて飲料を買う。グレープフルーツジュース500cc105円、ペットボトルは高いので紙パック入りの物しか買わない。


 15:03
昨年よりは1分遅いけれど、2年前、3年前とは同じタイムなので納得できる、時速も6.6kmだから、むしろ昨年が異常だったという感じもする。この写真を撮っているときから、中から女将さんの大きな声が聞こえている。電話でなにやら説明、案内をしているようだ。中に入って、腰をかけて電話が終わるのを待つ。終わると、電話の内容を説明してくれる。高知駅から、この宿へバスで向かう人がいて、この宿の近くのバス停を教えたところ、同じような名前のバス停が偶然真反対の香南市にもあって、そちらの方に行ってしまった、香南市から電話をしているという。それで、再度高知から土佐、須崎方面のバスに乗るように教えていたという。ちょっと信じられない間違い、普通行き先が大きく表示されているからそちらを見るはずでしょう。しかも、高知からいきなり土佐へ来るというのも、おかしな話。よく分からないまま、奥の別棟に案内される。奥の建物に泊まるのは、最初の時以来2度目、2回目から5回目まではずっと本館。すぐにお風呂を用意してくれる。風呂からあがってゆっくり、4時半頃、手洗いに1階に下りていくと、ちょうどお客さんが到着したところ、のぞいてみると、やはり昨日善楽寺の水屋でお話しした人だった、何とか辿り着けたようだ、笑顔で片手をあげて挨拶。そのあとも3組のお客さんが来て、いずれも本館の方の部屋へ通される、別棟はぼく一人。本館の方の部屋でも、隣の音は全く気にならないくらいだったけれど、より安心して静かに休める。布団もちょうどいい厚さでとても気持ちいい。冬用の布団を用意している旅館・民宿が多くて、この時季ちょっと眠りにくいということがある。
 喜久屋旅館は今年から素泊まり宿になった。料理の評判があまりよくなくて、全体の評価も低くなることがあったけれど、よくなかったのは料理だけなので、それがなくなった今、素泊まりのみではあるけれど、本当にいい宿になった。何しろ料金は3000円、徳島の大鶴旅館に匹敵する、最高の遍路宿だとぼくは思っている。


9日目 5月2日

2009-06-12 | 09年四国の旅

 6:47
9日目は予約した宿までの距離は25.7kmしかない。昨年も同じ宿で、朝8時に出て宿には2時半に着いてしまった。4時間半しか歩けなかった。それなら、もっと他の宿にすればいいようなものだけど、連休の初日で大都会高知ということもあって適当な宿がとれなかった。時間をつぶすために高知城まで足をのばすことにする。全部歩くと大変なので一部電車に乗ることにする。歩く距離は35.5km。6時40分に宿を発つ。


 6:50
トンネルを抜けて振り返ると海風荘、ちょっとした山の上という感じだけど、1日の最後にこの坂は相当こたえる。ぼくは1回目から3年連続で泊まったけれど、とにかくきつかったという思い出しかない。そしてぼくが泊まったときは素泊まりがなく、無理矢理朝食を食べさせられて高いお金を取られた。現在は素泊まり(3800円~)もあるようですが。あそこに登るとトンネルを抜けることもできないので、サイクリングターミナルに比べていいところは何もない。


 6:59
なはり線、夜須駅前にあるコンビニでいつものように大日寺で食べる朝食を買おうとしたら、このありさま。駅前で、国道沿いで、駅の反対側は道の駅、これ以上の立地はないと思われるのに、しばし唖然とするしかなかった。大日寺のすぐ手前にもあったような記憶があるから問題はないけれど。


 7:06
自転車道と平行している国道に新しいコンビニができていた。早めに国道に出ることにする。記憶は必ずしも正しいとは限らないから、買えるときに買っておく方が安心。つぶれるコンビニあればできるコンビにあり、国道の同じ側にあってこちらのコンビニの前を先に通るから、こちらができたせいで、あちらのコンビニがつぶれたのかもしれない。


 7:16
右へ折れて国道を離れる。旧香我美町、赤岡町の遍路道は静かで歩きやすい。この時間だと当然かと思われるでしょうが、国道の方はすでにものすごい交通量、2km半ほどだけど癒しの道を楽しみながら歩く。


 7:29
この少し前に遍路小屋があって、写真を撮ろうとしたら男女の若いお遍路がいて、男の方が腕立て伏せをしながらこちらを見ていたので撮れなかった。
 Aコープの前に電話ボックスがあったので、清水川荘に予約を入れる。この時間だと朝食も終わってゆっくりしているところだろう。6日先で連休も終わっているので、当然問題なく予約完了。この宿がとれないと前後20km以上に宿が全くないのでたいへんなことになる。


 7:38
四元さんのてくてく旅の赤岡のゴールになったのが絵金蔵。でもぼくはそれを見た覚えがなかった。今回注意しながら歩いていると、その入り口に看板があった。遍路道から右の路地に入ったところにあるようだった。気がつかなかったのも道理。


 7:39
国道に突き当たるすぐ手前、デオデオの前を右に折れる。ここは遍路標識がなくて真っ直ぐ行ってしまいがち。ぼくも2回目のとき(初めてのときはずっと国道を歩いてしまった)ここを折れなくてさらに国道も横切ってしまい、完全に迷ってしまって、ウォーキングをしている地元の人に丸米旅館のところまで連れて行って貰った。


 7:43
左の道を行くと国道に合流する。右の道は古い遍路道、新しい地図には赤線はないけれど、昔の白黒の地図にはちゃんと赤い点線があった。ちょっと遠回りになるので歩く人は少ない、ぼくは3回目のときに歩いた。一度歩いておくと納得する。


 8:09
国道を離れて500m、丸米旅館の前を通過。28番まであと2kmちょっと。


 8:30 大日寺
大日寺の山門に着くと、足を痛めたご夫婦が撮影の最中だった。住吉荘からだと6時くらいに出ないとこの時間には着けないから。電車を使ったのかもしれない。電車に乗ると11kmのうち歩くのは4kmくらいで済むから7時に出ると丁度この時間になる。
 納経所でも一緒だったけれど、ご夫婦はすぐに出発された。ぼくは食事をしながら、たっぷり休憩する。土佐一宮13時11分発の電車に乗るには、3つの札所で1時間50分は休まねばならない。


 9:39
大日寺では50分の休み(お詣り、納経の時間を含む)、休んでいるときに同宿の女性がやってきた。ぼくより先に出たはずなのに追い抜かなかった。ぼくの最初のときのようにずっと国道を歩いたのかもしれない。ぼくが赤野の遍路道を歩いていたときに抜いてしまったのだろう。10kmあるから途中で休憩したのかもしれない。
 山門を出ていくときには、熟年の野宿の人と先の遍路小屋にいたカップルがやってくる。ご夫婦より25分以上遅れて出るから追いつくのはずいぶん先のことだと思っていたのに、この橋に渡るすぐ手前で追いついた、2km地点ということは時速3kmくらいしか出ていない。あまり回復していないということか。歩道橋を渡り始めたところで、自転車に乗った女子中学生が追い抜きざま挨拶してくれた。大きな声で挨拶を返したら少しは気分が晴れた。


 9:42 物部川
28番から29番までは3年前にとんでもない記録(時速6.74km)を出してしまったので、どんなに頑張っても同じ記録は出せないことは判っている。足の調子はすこぶる良いけれど、写真を撮りながらでもあるし、記録は気にせずできるだけ普通に歩く。


 9:43
橋を渡ると香美市。2006年3月1日に土佐山田町、香北町、物部村が合併してできた。この市を歩くのは松本大師堂までの2kmだけ。


 9:51
旧土佐山田町の遍路道は一面に広がる農地の中を行く、とても気持ちのいいぼくの大好きなへんろ道。
この少し前に若い男性を追い抜いた。ものすごく辛そうな歩きだった、足を痛めているのがはっきり判る。


 10:05
2年くらい前にできた新しい松本大師堂。28番と29番の丁度中間地点にあるので最適の休憩所にもなっている(ぼくは休まないけど)。ここを過ぎればすぐ南国市に入る。


 10:31
へんろ石饅頭の前がバス停へんろ石。へんろ石饅頭は前の店のすぐ手前に新しくて大きな店ができたばかり、駐車場も広々している。この銘菓もまだ一度も食べたことがない。まだそこまでの時間的、経済的、精神的余裕が持てていない。


 10:39
この橋を渡ると国分寺まで500m、お寺の森も見えてくる。橋を渡ったところからすぐ左へ折れて土手を行く道がある、遍路標識も立っている。でも、ぼくは一度もこの道を行ったことはない。地図に赤線がひいていない。古い白黒の地図にもなかった。だからこんな道があることも知らなかったくらい、標識に気がついたのは2年前のことだった。真っ直ぐ行ってすぐ左に折れる自動車道の方が近道でもある。昔の遍路道ではあったのかもしれないけど、タイムの比較もしたいので今年も自動車道を行く。ずっと先に土手を歩いている人が見える、遍路標識に従う人が多いようだ。


 10:45 国分寺
土手の人が田んぼに下りてだんだん近づいてくる。山門のすぐ手前で自動車道に合流する。あんなに先を行っていたのに合流地点ではぼくの方が一足早かった。10mくらい遅れてきたその人を見ると、何と、昨日赤野休憩所の手前で追い抜いたサングラスの女性だった。お互いそのことに気がついて、笑顔で挨拶を交わす。


 11:10
お詣り、納経が終わって鐘楼のそばのベンチで休んでいたら、彼女の方から声をかけてくれた。「昨日防波堤の道で追い抜かれた方ですよね」、はい、と頷く。「ものすごく速いのでびっくりしました、私はあの後和食(わじき)から電車に乗りました。20kmを越えるとどうしても足が痛くなって・・・」。27番の下の宿からだと和食駅がちょうど20kmになる。彼女は普段はほとんど歩くことがないという。仕事をしていると当然だと思う。1時間のウォーキングなんてとてもできないだろうし、休みの日でもそんな余裕は持てないのが普通。それでも四国を歩く、というのは、ぼくなどが練習をいっぱい積んで足を痛めることなく普通の人の1.5倍の速さで1.5倍の距離を歩くことよりも、何倍も立派なことであり見上げたことだと思う。普通、この若さで連休といえば海外旅行や沖縄、温泉ですもの。「普段なら朝なかなか起きられないのに、四国に来ると朝は早めに目が覚めて朝食も美味しく頂けるし、お寺にお詣りすると本当に気持ちがすっきりして癒されるんです」と非日常を十二分に味わっている様子だった。比較すべきことではないかもしれないけれど、ぼくなんかよりも余程お遍路だなあと思わずにはいられなかった。彼女は今日が最終日の区切り打ち、次回のために遍路宿情報を渡す、それを見ながら「このドライブイン27の隣の宿、きんしょうに泊まったんです」。きんしょうの評判はほとんど聞いたことがなかったので「どうでした?」と訊く。「女将さんはとても気持ちのいい人でした。」とちょっと含みのある言い方、「同宿の男の方が倒れて大変だったんですよ、救急車を呼んで私も女将さんと一緒に同乗して病院まで行ったんです、次の日には回復されたんですけど・・・」とすごい体験談を話される。これも非日常ですよねぇ。


 11:30
35分の休憩、11時20分に国分寺を出る。国分寺から国道までは田んぼの中を行く、土佐山田町のような舗装された農道ではなく、本当のあぜ道。雰囲気は最高だけれど、やや歩きにくい。昨年は、よく歩けなくて記録も出なかった。その意識もあって、今回は昨年より足取りはしっかりしているという自覚がある。国道の下を抜ける。


 11:42
4番大日寺の手前のような、これぞへんろ道という感じ。


 12:02
すぐ先にある遍路小屋を作った方が、お遍路さんの目を楽しませるために花の世話もしてくれている。


 12:03
遍路小屋まではベストタイムより1分早かった。去年よりは調子が良かったけれどベストが出るとは思ってもみなかった。やはり、国分寺でお話ができて元気を頂いたということかもしれない。遍路小屋で休んでいた人は初めて会う人だと思っていたけれど・・・。


 12:07
佐川急便の前で県道に合流する。このずっと前から県道を行く道にも赤線がついている。ぼくは最初のときに歩いたけど、コンビニはあるけどちょっと雰囲気がないし遍路小屋もないのでお奨めはできない。


 12:11
南国市から高知市に入る。今年は初めて高知をじっくり観光することができる。


 12:15
ここは高知市の北東の端、市街はまだはるか遠方。


 12:17
今日泊まる宿、レインボー北星の前を通過、もちろんこの時間だからスルーする。ちなみにこの建物は喫茶、食堂で宿舎は50mくらい離れた別棟になっている。


 12:23 善楽寺
遍路小屋から30番までは例年通り、距離が短いからこれ以上の早さは無理な話。お詣り、納経も滞りなく済ませ、納経所の前のベンチで休んでいると、車で巡っている男の人が隣に腰掛けて話しかけてくる。「歩きですか」。はい。「ものすごい汗だもんねぇ」。自分では気がつかなかったけど白衣は汗のしみで相当汚れているのかもしれない、「初めてですか?」。いいえ、7巡目です。「全部歩きで?そりゃすごいなぁ。お大師さんには会いましたか?」。唐突の質問で、ちょっとびっくりしたけど、はい会いました、とはっきり答える、観音様にも何回か会いました、と言うと、ちょっとびっくりしたような顔をされた。お大師さんは、人によってその定義や感じ方は違うだろうけれど、ぼくにとってはこの旅を支えてくれる人々。ぼくは野宿では絶対旅を続けられないから、宿屋の人たちがぼくにとってのお大師さんだと思っている。もちろん、旅の途中でお接待をしてくれる人、声をかけてくれる人もお大師さんだ。お大師さんを信じて、お遍路の後にお大師さんを見ている人はその心の中にお大師さんがいる。ぼくにとってはそういう人たちは皆お大師さんだと思うようにしている。


 12:47
善楽寺を出るときに水屋で水をくもうとしたら、先の遍路小屋にいた男の人がやってきて声をかけてくれる。昨日27番の山門ですれ違った人だった。彼は23番までは快調だったけれど、その後足を痛めて思うように歩けなくな
ったそうだ。今日は高知市内のビジネスホテルに泊まるけれど、連休で明日の宿がとれない、何とか土佐市の喜久屋旅館(ぼくと同じだ)に受けて貰えたけれど、30kmくらいあるので辿り着けるかどうか微妙な感じだという。
 24分の休憩で、電車の時間に合わせて12時47分に出る。写真は善楽寺を出たところから山門まで続く砂利道、歩きにくいけれど気持ちがいいので脇道を行かず敢えてこの道をジャリッ、ジャリッと進む。


 12:50
善楽寺へは裏から入るので、出るときにしか山門をくぐらない、でもこの山門は善楽寺の山門ではないようです。土佐一宮神社の山門のような感じ、でも神社に山門というのもおかしいし、なんだか納得いかない。考えてみれば善楽寺は一宮の一部、間借りしているような感じがしないでもない。納経帳にも、善楽寺ではなく土佐一宮と墨書されている。


 13:03 土佐一宮駅
遍路道を離れて電車に乗る、白衣もとって観光モード。


 13:19 高知駅
ここに着くすぐ前に絶好の撮影ポイントがあったのに逃してしまった。残念!
高知駅は6年前、須崎市の大間からここまで電車に乗って降り立ったことがあるけれど、そのときとは全く様子が違ってしまった。高架でもなければ、ドームもなかった。


 13:34
高知駅で降りてもよかったけど、料金が同じなのでより高知城に近い入明駅まで乗る。高知駅で12分待ちの乗り換え。ここから高知城の登り口まで800m。


 13:47 高知城
山の上にあることは判っていたけれど、思った以上にしっかりした坂道だった、登り口から4分かかる。この天守閣の前まで来る分には無料。天守の中に入ると有料になる、もちろん入らない。時間の余裕もそんなにない。


 13:50
真ん中に顔を出す穴が空いているけれど、多くの観光地にある撮影用の看板とは値打ちが違う。何しろこの絵はアンパンマンのやなせたかし先生が描いたもの。


 13:54
慌ただしく天守から下りてくる、天守は小さいけれど城の縄張りは想像以上にしっかりして見応えのあるものだった。もっと時間をかけてくまなく歩いてみたいけれど、今回は時間の余裕がない。大手門の手前に大層立派な板垣退助の像があった。


 13:56
素晴らしく勇壮な山内一豊像、彦根駅前の井伊直政像以上にかっこいい。


 13:56
高知城では大手門を追手門という。それにしても見事な造りでしばし見惚れてしまう。なにせ姫路城の大手門はちゃちなまがい物、この門と比べるのも恥ずかしいくらい。姫路城の大手門は三重の立派なものが江戸時代にはあったけれど、明治になって陸軍が完全に破壊してしまった、現在の大手門は昭和初期に国宝に指定されるときに二番目の門があったところに形ばかりのものを無理矢理取り付けたもの、子供のころ、その大手門が江戸時代のものと思い込んでいた。それが昭和のものと判ったときには本当にがっくりした。この立派な追手門を見ると、その失望感が蘇ってくるようだ。


 14:08
追手門から高知駅へ向かう、予定通りの道を歩いていたけれど、初めて歩く道で距離感がつかめなくて、本当にあっているのか気の迷いが起こって、おかしな方向へ曲がってしまった。そして見覚えのある商店街に入る。やっちゃった、駅と反対側の方に折れて遠回りをしてしまった。でもそのおかげで、はりまや橋の写真を撮ることができた。この前を通る予定ではなかった。400mの遠回り。


 14:17
高知駅南側の開発はこれからというところ。


 14:22
一番奥にかすかに白く見えているビルが四国通建のアパート、大学時代お世話になったT先輩が長らく住まわれていた。


 14:54
3時までには無理だったけれど、何とかいい時間までに土佐一宮に戻ってきた。今日も素泊まりなので、一宮の手前のコンビニで食料を仕入れる。このコンビニにも3度入ったことがある、進行方向は逆だったけれど。


 15:07 レインボー北星
宿に着くすぐ手前のところで、男の人がゆるゆるとやってくる。もしかしたら、松本大師堂の手前で追い抜いた人かもしれない。あれから5時間経っている、距離は13km弱、時速3kmくらいしか出ていない感じだったから可能性は十分だ。15時7分に宿に到着、遠回りしていなかったらほぼ3時、追手門からここまでの時速は6.37km。最後は暑くなって、かなりばてた感じもあったけど思った以上にちゃんと歩けていたようだ。足を痛めたご夫婦は今日この宿に泊まると言っていたので、女将さんにそのことを尋ねると、今日泊まる夫婦の方からはキャンセルの電話があったという。う~ん、やっぱり、ここでリタイアということなのか。今日は距離が短いからあのスピードでもこの宿まで来ることは難しくはないはず、でもやはり乗り物を使いながら無理して続けるよりも、体調を整えて改めて出直す方がよいと判断されたのだろう。須崎市の宿(2日か3日先)まで予約をしていると言っていたから、それを全部キャンセルするのは相当な決断だったと思う。連休は今日からなのに、それを家に帰って足の治療に終始するというのも何とも口惜しいことだろう。でも、賢明な選択だったと思う。自分自身に優しくできなければ他人に優しくなれる訳がない。
 今日の泊まりは2階の左の方の部屋、大部屋で4人が相部屋で泊まれるようになっている。予約はぼくともう一人だけだったけれど、後から飛び込みで二人が来て満室になった。でも3人ともいびきもかかず、非常に快適に休むことができた。徳増より余程快適だった。


8日目 5月1日

2009-06-09 | 09年四国の旅

 6:09
8日目は昨日より4km短い39.3km、札所も一つだけだからかなり楽ができる。もちろん3時までには宿に入ることができる。でも今日の宿はお風呂の時間が遅いから早く入ってもあまりメリットはない。6時5分に宿を発つ。


 6:18
今日も快晴、奈半利川を渡ると田野町に入る。


 6:26
真っ直ぐのびる田野のへんろ道、昔はこれがメインストリートだったはず。遍路宿の2軒や3軒はあったに違いないと思わせる宿場町の風情が濃厚に残っている。


 6:41
国道に合流する、向こう側にまた新しい脇道が待っている。今日は脇道が多くて、国道は全体の4分の1、9kmくらいしか歩かない。


 6:51
後の方の山のてっぺんに展望塔が見えている。神峯寺はあそこから140m低い所にあるとはいえ、あのてっぺん近くまで登るんだぁ~、と思うとちょっと力が抜けていく感じがする。はるか彼方、以外の何ものでもない。あと1時間ほどで辿り着けることが信じられない。


 6:56
安田町の脇道を歩いていたら、大きな工場の中に見慣れた機械があった。大型の洗瓶機、脇には一升瓶が6本入ったケースが積み上げてある。こんな小さな町で日本酒を作っているのかと隣のビルを見ると、何と、土佐鶴だった。ほとんど酒を飲まないぼくでもよく知っている。高知で一番大きな酒蔵がこんな小さな町で作っているとは夢にも思わなかった。


 7:08
ごめん・なはり線の下が27番への登り口になる。最初はずっと自動車道だから緩やかな登り、お寺に近づけば近づくほど急になる。3.4kmを45分くらいで登り切る。


 7:32
車道は1.8km。ここまで2kmを24分かかった。時速5km。部分的にきつい所もあったからなかなかのスピードだといえる。後半は本当の登りだからこうはいかない。ここまで歩きの人には出会わなかった。でも納経が始まって30分だからそろそろ下りてくる人が出てくるだろう。


 7:38
車道へ上がってきた。この少し手前で、若い男の人とすれ違った。納経帳をレジ袋に入れて持っているだけ、リュックはなく服装もラフな感じ。下の宿に泊まったのだろうけれど、あの服装でずっと歩いているのだろうか。荷物を預けるのは普通だけれど、服装はちゃんとしないと意味がないように思えた。


 7:39
車道を50mくらい歩くとすぐまた山道に入る。このあとも同じようにつづら折りの車道を3~4回横切ってお寺に近づいていく。この歩道より、最後の車道の方が傾斜が急ではるかに登りにくくなっている。近づけば近づくほどスピードが落ちていくのは何ともやるせない感じ。


 7:53 神峯寺
例年とほぼ同じタイムで到着。歩道登り口から21分、この間の時速は4kmだった。駐車場でカート遍路の男性、山門でも歩きの男性とすれ違った。カートの人は野宿だろうけれど、山門で会った人は下の宿から出たに違いない。


 8:14
下の宿に泊まって朝、山登りをしたのは結局二人だけのようだった。他の人は前日の内に登ったようだ、金剛頂寺を出るとその日の内に山に登れば31.4km、翌日に登ると24.2km。健脚の方が多数派を占めたようだ。
 お詣り、納経を終えて納経所の前で一休み、目の前には見事に手入れされた日本庭園、見飽きることがない。40分の滞在。


 8:50
神峯寺の打ち戻りは大好きな道の一つ、膝に負担がかからない下り道で雰囲気もいいし眺めもなかなかのもの。打ち戻りの良さは多くの歩きの人と会えること、往きは3人だけだったけど帰りは多くの人と会うことができた。山門を出たのは8時32分だから、ほとんどの人が奈半利か田野町の宿を出た人と思われる。最後の山道に入る所(車道、の写真の所)で会った二人目の人は下の宿を出たと言う、下の宿を出て朝、山に登ると香南市の宿まで33kmくらいある。とてもそんなに歩けないという人がその手前の宿に泊まるとなると、14km手前の安芸市内にしか宿がない。つまり19kmくらいしか歩けない。そういう人はゆっくりこの時間に出てもだいじょうぶ、慌てる必要は全くないということでしょう。下の宿に泊まったのか、と訊かれたので、いいえ奈半利からです、と答える。目を丸くしてびっくりしていた。自動車道に下りてから次々とやってくる。3人目は男性、4人目は自転車に乗った白人男性、外人の自転車乗りは4番大日寺の手前でも会ったけど、どうやって持ってくるのだろうと首を傾げてしまう。次は、少し遅れてまたも自転車に乗った白人女性(写真)、6人目から8人目は男性、内一人は野宿の若者、9人目は女性、10人目は昨日羽根岬で会った女性だった。


 9:05
登り口まで33分で下りてきた、ジャスト時速6km。写真の電柱の向こう側で、昨日針を渡したご夫婦が休んでいた。何時に出たのか判らないけれど、かなり遅い。ご主人はズボンを降ろして太股に塗り薬をつけているところだった。針を使って一時は楽になったけれど、結局はそんなに回復することはなかったようだ。荷物をここに置いて登ろうか、と無謀なことを言われたので、それだけはやめた方がいいと助言する。同じようなことをしてひどい目にあった人がいる。身体の調子が悪くなると、精神も普通に働かないようになる。今日は住吉荘を予約している、まだ30km以上ある。下りてきたら、ここから電車に乗ろうかとも考えているようだった。何の力にもなれないのがはがゆかった。自分だけが、全く足を痛めることなく、のほほんと歩いているようで、申し訳ないような気分になった。


 9:19
登り口から10分弱で国道に合流する。ここまでの脇道も最初のときは歩けなかった。唐の浜駅の近くから南へ下りて早めに国道に合流してしまった。500mも遠回りをしていた。


 9:21
安田町から安芸市に入る。この少し先のところで、27番の山門ですれ違った人に追いついた。


 9:45
大山岬から安芸の市街を望む、6kmくらいしか離れていないけれど、小さいし遠い。今日の宿はまだずっとその先、画面からきれている左の岬を越えたところにある。


 10:09
27番から76分、例年より2分遅れの9時52分に道の駅大山に到着。写真もずいぶん撮ったし、立ち話もしたから、実質は例年並みと見ていいかもしれない。手洗いと軽食を済ませたところで6日以降の宿に予約を入れる。5日までは旅に出る前にしていたので初めての予約になる。6日=中村の民宿中村、7日=足摺の民宿田村、9日=愛南の民宿磯屋、10日=宇和島の遍路宿もやい、予定通り4つの宿の予約完了。8日の清水川荘は不在だった。携帯の電話番号は控えていなかったので、また明日早めの時間にすることにする。
 ボックスに入っているときに目の前をものすごいスピードで歩き抜けていく人がいた。白い半パンに紺のスパッツ、上半身も同じ白い半袖に紺のぴっちりした長袖をその下に着ている。ベージュのキャップの後には日よけのエプロンが付いている。装束は着けていないけれど、杖は持っているのでお遍路には違いない。でも27番の打ち戻りで会わなかったからどこから来たのか不思議だった。


 10:52 伊尾木郵便局
道の駅では27分休憩、スパッツ遍路さんを追いかける。追いつかなくても、どれくらいの速さか確かめておきたい。道の駅からは防波堤の道を歩く、300mは離れているけれど見通しがいいので姿は確認できる。僅かずつではあるけれど、その姿が大きくなってくるのが判る、6~6.3kmくらいのスピードだと思われる。ジョギング遍路以外でぼくが実際の目にした中で最も速い。防波堤の歩道は伊尾木駅の近くで国道に入るけれど、その最後の道は遍路標識がなくややこしいことになっているので、ぼくはその1.5kmくらい手前、防波堤が国道に一番近づいたところで入るようにしている。こちらの方が僅かではあるけれど近道にもなる。伊尾木駅の近くの交差点までやってくると、左の方からスパッツさんが下りてくるのが見えた、あれだけ離されていたのに1km半ほどで追い抜いてしまった。やはり防波堤を離れるところで迷ったに違いない。郵便局に近づいたところで前を行くカート遍路さんが見えた。切手を買わねばならないので、見送りながら中に入る。四国4県のフルーツ切手があったので購入。百円玉はまだ余裕がある。


 11:10
安芸川を渡れば大都会安芸の中心部、豆粒のようだったホテルタマイが眼前にそびえている。これだけの都会の中を歩くのは徳島以来になる。


 11:19
右へ折れて250mで安芸駅、昨年までのタイムチェックポイントだけど、今年は寄らない。寄るとカリヨンの時間に間に合わない。昨年は油断して最初の2分を聞き逃してしまった。


 11:23
安芸は童謡のふるさとです。高名な童謡作曲家の弘田龍太郎の生まれ故郷なのです。市内には彼が作った童謡の歌碑があちこちに設置されています。ぼくは4年前にちょっと寄り道をしてそのほとんどを見て回りました。この金魚のひるねは国道沿いにあるので毎回見ることができます。


 11:24
郵便局の南の公園に岩崎弥太郎先生の像がある。これほど威圧感のある像は見たことがない。来年の大河ドラマではこの人が活躍するという噂を耳にした。司馬遼太郎の本ではちんぴらみたいに描かれていたこの人物がどういう風に登場するのか大いに期待したいところ。


 11:38
南側の遍路道と国道が合流する交差点の近くにローソンがある。カリヨンはすぐ南の公園にある。慌てて来たので20分も余裕がある。おにぎりを二つ買って待つことにする。


 12:01
カリヨンの最初の曲は「靴が鳴る」。名曲である。團伊玖磨氏はこの曲について以下のように語る。

(前略)大きな曲には内的に、そして作曲理論的に構成力が必要になる。この作曲家にはまったく構成力がなかったとしかいいようがない。
 ただ、人をひきつける何かが、小さな曲では躍動するのだった。人はひとりひとり得手も不得手もあるものである。逆の場合には、大曲を得意とする人が、小曲では落第という場合もある。
 その長所がもっともよくでているものが、「雀の学校」と「靴が鳴る」の二つの歌である。この二つの歌は、両方ともわずか一オクターヴの音域内で作られている。
 そして、「靴が鳴る」は五声音階、「雀の学校」はなんと五声どころか、五声音階からさらに第六音を抜いてしまった四つの音だけから作られている。
 ことここに至ると、弘田龍太郎という人は、小さくかつ、音さえも少ないときほど才能を発揮できた人だったといえる。不思議な作曲家だったと思う。
 この人の曲で世に知られているものは、大正九年の「叱られて」、“雨がふります 雨がふる 遊びに行きたし 傘はなし”(北原白秋作詞、「雨」という題、大正七年)、“青い月夜の浜辺には”の「浜千鳥」(鹿島鳴秋作詞、大正八年)などがあるけれども、どれもこれもが平板な五声音階に終始していて、調の動きを内蔵しているものが少なく、あるいはそれを好む向きも多いかもしれないが、そのために低徊趣味を出ていない。「雀の学校」と「靴が鳴る」はその中で飛び抜けて出色の二曲である。
「靴が鳴る」は重苦しくて生活のリズムのない学校唱歌にくらべて、なんと新鮮だったろう。そして、「雀の学校」はそのつまらない学校自体を、雀を材料に楽しくーそしてちょっとからかって歌い上げている。作詞者のセンスだけれども、そのセンスを曲がよく生かした作である。


 12:22
3曲の演奏が終わったので、再びローソンに戻り夕食のパンを仕入れる。12時13分に出発。1kmほど行くと自転車道の入り口。最初のときこの道が判らなくて、ず~っと国道を歩いてしまった。自転車道があるのは標識で判ったけれど、それが遍路道であることすら知らなかった。


 12:22
自転車道に入ったところ、おおむねこれくらいの幅の舗装道路が続く。この自転車道は、74年に廃止になった土佐電鉄安芸線が走っていたところ。といわれると首を傾げるのが、02年に開業した、ごめん・なはり線。営業が成り立たなくなった所にまた新しい鉄道を造るというのはどう考えても納得できない。しかも、この鉄道の工事が始まったのは65年、廃線になる前から同じ所に新しい鉄道を造ろうとしていた。営業が成り立っているのか心配になってくる。


 13:11
昨年までずっとここで休憩をとっていた、タイムチェックポイントでもあった。でも今年はここでは休まない。1kmほど先に接待所があるので、そちらでお茶を頂くことにする。それをあてにして、道の駅でもローソンでも水をくんでこなかった。1本くめば500cc=500g、それだけ負担になるから体力、時間に影響してくる。昨年まではお接待はできるだけ避けたかったけれど、今年は白衣も着けているし納経帳も持って、少しはお遍路さんらしくなったので、お接待を積極的に受けることにしたのだ。
 ここに着く30分くらい前にカート遍路さんと、女性を追い抜いた。女性は挨拶したときにちらっと横顔を見ると、顔の上半分を全部覆うくらいの大きなサングラスをしていた。そのグラス越しでも四国では見かけたことのない様な美人であることは判った。


 13:29
赤野を出てなはり線の下をくぐる少し手前で、すぐ脇をものすごいスピードで自転車がすり抜けていった。間違いなく27番の打ち戻りですれ違った白人だ。接待所に着くと、自転車が停まって、今出ていこうとする男の人となにやら話している。それを横目に接待所の中へ、接待してくれる人はいなくて、セルフでお茶を用意する。インスタントコーヒーもあったので、迷わずそちらを頂く。遅れて女性サイクリストも到着、ぼくがコーヒーをいれるのを見て、あとに続く。男性が女性の分も入れて持っていく。二人の言葉を聞くと全然判らない、英語かどうかも判らないくらいブロウクンだ。去年外人に話しかけてどうにもならなかったので、敢えて近づかないように話しかけないようにする。でも、せっかくだから写真だけは撮らせて貰いたくなった「メ、メアイ、テイクアピクチャー」とおそるおそる訊いたら、喜んで受けてくれた。最高の笑顔だった。


 13:48
琴ヶ浜の松原を行く。ほっとするひととき。休憩所で男の人が休んでいる、27番の下から来たと思われる。この時間だから、かとりか丸米旅館まで行くはずだ。


 13:53
今日の宿サイクリングターミナルまでの正確な距離が出ている。接待所で11分しか休まなかったので、このままで行くと3時前に着いてしまう。


 14:02
こんな所にも接待所があった。そしてその横には無料宿泊所まで、左が女性、右が男性用。布団もいっぱい積んであるので、寝袋を持っていない人でも快適に休める。


 14:12
自転車道が国道に寄り添うところ、振り返ると土佐ロイヤルが見える。4時間半前には大山岬から芥子粒のように見えていたものが今は背後にある、毎度のことながらえもいえぬ感慨がある。


 14:19
新しくできた特養の玄関の横にお遍路休憩所ができていた。昨年すでにできていたのかどうも記憶にない。宿まで1km半くらいの距離なので、休むことなど全く頭にないからできていたのに目に入らなかったということも考えられる。でも建物の新しさから見てもこの1~2年の間にできたことは間違いないだろう。時間に余裕がありすぎるので休ませて貰うことにする。


 14:22
休憩所には緑茶サーバーが設置されている。熱いほうじ茶、冷たいほうじ茶、熱い煎茶、冷たい煎茶が選び放題、飲み放題。一通り試させて貰う、ぼくの好みは熱いほうじ茶。隣にはきれいなトイレもある。


 14:39
到着時間を3時に合わせてたっぷり18分の休憩、2時38分に発つとすぐ香南市にはいる。手前は芸西村だった。香南市は2006年3月1日に、夜須町、香我美町、赤岡町、野市町、吉川村が合併してできたもの。今日泊まる宿も3年前までは夜須町サイクリングターミナルだった。


 14:40
前の写真では1.5km、100mも来ていないのにおかしな話。実際のところは前の写真からだと1.7km、この写真からだと1.6km。歩きの道と車の道は違うけれど、それでもこんな大きな差があるとは思えない。


 14:43
ここを左に下っていくと住吉荘、あのご夫婦はどうしただろう。電車に乗れば楽々この時間には着いているだろうけれど、歩きに来て歩けないというのは相当フラストレーションが残ることだと思う。


 14:43
こういう地形を見ると、ここに電車が走っていたことがはっきり判る。


 14:49
鉄道のためのトンネルなので正式の名前があるのかどうか判らない、長さも判らない。3回目までは山の上の海風荘に泊まっていたので、このトンネルを通ったのは4回目から。


 14:51
と書いてあるけれど、実際は500mはある。そばにある別の看板には素泊まり3150円とも書いてあるけれど、それは1室3人以上で使用する場合、2人だと3360円、1人の場合は3570円。


 14:56 香南市サイクリングターミナルしおや宿
今日は本当に快調な1日だった。3時までに宿に着いたのは2日前もそうだったけれど、そのときよりも歩行時間が1時間くらい少なかったし、スピードも最後まで例年並みを維持できていた。ローソンからの最後の15kmは例年以上だった。休憩場所を変更したのもよかった、前回の安芸駅、赤野休憩所、だと、5.9km、7.2km、8.3kmと後半になるほど長くなるので効率が悪いしへばりやすい。今回の、カリヨン、接待所、特養、だと7.0km、6.6km、5.3km、1.7kmとだんだん短くなって好結果につながった。


 15:48
お風呂は5時から、2時間ゆっくり海を見ながらポケ~ッとする。
 5時少し前に1階へ下りていくと、ちょうど女のお遍路さんが到着したところ、初めて見る顔だった。安芸市内で食事をしているときに追い抜いたと思われる。あと車遍路の男女と歩きの男の人もいたようだった。ぼくが、3年前初めてこの宿に泊まったときはお遍路にはあまり知られていないような感じだったけれど、以後だんだんお遍路も泊まるようになってきた。


7日目 4月30日

2009-06-07 | 09年四国の旅

 6:07
7日目の始まり、今日は昨日より2km短い43kmの行程。でも札所が3つあって山にも2つ登るので宿に着くのは30分以上遅くなる厳しい行程だ。5時56分に宿を発つ、駐車場にバイクが2台と、車が1台、いずれも神戸ナンバーだった。


 6:31
室戸岬までに3つの脇道(旧道)がある。民宿椎名の前が1本目の入り口。


 6:37
1本目が国道に合流するところで、すぐ2本目が始まる。地図では国道に合流せず2本がつながっているように書かれてある。でもぼくにとっては2本目。椎名郵便局の前で前を歩いていた男の人が休むところ、昨日佐喜浜のスーパーで休んでいた人だ。5時半くらいに宿を出ている、今日はどこまで行くのだろう。


 6:44
2本目が国道に合流して、ちょっとした岬をぐるりんと巡るとすぐ3本目が現れる。矢印もはっきり見てとれる、でもこの道は3本目ではない。確かに今の国道ができる前はこちらが国道だったようだけれど、他の脇道に比べてだいぶ遠回りになるのでぼくは一度も歩いたことはない。地図でも赤い点線は書かれていない。


 7:18
初めての信号、半島を横断して室戸市の中心部へ向かう県道202号が始まる三叉路、そのすぐ前から3本目の脇道が始まる。でもこの道には入らない、国道沿いに新しい休憩所ができたので2年前から国道を行くようになった。


 7:26
休憩所に到着してびっくり、水道がなくなっていた。ここの水道を当てにして宿で水をくんでこなかった。一瞬呆然とする、この休憩所を作ってくれた建設会社のビルがすぐ横にある。よく見るとそこにトイレのようなものが、近づいてドアを開けるとやはりトイレだった。水道もある。流し台が小さすぎてうまくペットボトルが入らないけれど、何とか水をくむことができる。次回からは宿で水をくんでくることにする。軽食を摂って17分の休憩で発つ。


 8:03
全然ロッヂという感じではないけれど・・・。1時間以上遅いからご夫婦に追いつくのは金剛頂寺を過ぎてからになるだろうと思っていた。


 8:19
写真ではこの大師の大きさが全然伝わらないのが残念。前の建物をよく見て貰えればいくらかは感じられるかもしれない。おそらく、四国で一番大きなお大師さんである。


 8:20
室戸岬には遊歩道があるけれど、まだ国道を離れてゆっくり歩いたことはない。たくさん歩くのもいいけど、味わいが少なくなるというのはこういうこと。


 8:22 御蔵洞
ここは高野山の御廟に次ぐ霊場だとぼくは信じている。だから正面からまともにその写真を撮ることはとてもできない。その中に入ることも、自分のような中途半端な人間には、はばかられてしまう。とてつもなく畏れ多い感じがする。


 8:27
ここから国道を離れて東寺の御山に登る。中岡慎太郎の銅像はこの少し先にあるので撮影はできない。


 8:27
13分で山門まで行けば例年と同じだけど、ちょっと難しいかもしれない。


 8:41 最御崎寺
先の休憩所までもそうだったけど、今日は昨日ほどの躍動感がなく乗り切れない。15分の山登りも本当に汗だくになる、山道の途中に、今日泊まるホテルなはりの割引券が置いてあったけれど、危うくそれも見逃しかけるくらいだった。4300円が3800円になる。


 8:43 ゆく年くる年
お大師さんの写真は昨年撮ったので、今年はこの写真。こういうのはなかなか他のお寺にはありませんから。
 境内は車の人が数人いるだけで、とても静かで落ち着いてお詣りができる、と言いたいところですが、掃除のおじさんが落ち葉なんかを一気に吹き集める送風機を操作していて、その機械音がめちゃくちゃうるさい。お経をあげていても全く自分の声が聞こえないくらい、気が散ってとても普通にお詣りもできない。納経を済ますと早々に立ち去る、休む気にもなれなかった。


 9:11
お寺には24分の滞在、9時5分に出発する。昨年はこの下りの道がうまく歩けなかった。今回はその意識もあって足取りはしっかりしている。昨年も撮った同じアングルで撮らずにはいられない。


 9:22
四国で5本の指に入ると言われている評判の遍路宿「うまめの木」、来年泊まりたいと思っているのでその様子を伺いに来た。国道沿いにあるので遍路道をはずれる。この区間遍路道を歩かないのは初めてのこと。喫茶店の方の写真を撮りたかったけど、ガラス張りでお客さんがこちらを見ていたので撮ることができなかった。


 10:27 津照寺
25番の少し手前のYショップで休憩、おにぎりを2つ買って早めの昼食とする。津照寺では休みにくい雰囲気がある。ゆっくり20分以上休む。津照寺までの歩行時間はほぼ例年通り、でもさほど調子が上がっている感じはない。
 津照寺の山門に着くと、ロッヂ室戸岬に泊まったご夫婦がお詣りを終えて出てきたところだった。ちょっと意外な感じがした。ロッヂからここまで10km足らず、札所で30分費やしたとして30分くらいは遅れている。今日は、ぼくと同じホテル奈半利まで行くそうだ、割引券は薬師会館(薬王寺宿坊)で貰うことができたと言う。


 11:17
津照寺では慌てて行儀の悪いことをしてしまった。お詣り、納経に20分、休みなしで出発する。26番までは僅か3.6km、20分早く出たご夫婦に追いつけるはずはないだろう。10時47分に津照寺を出て30分で登り口までやってくる。この少し前のところからこの道へ入っていくご夫婦の姿が見えた、昨日の様なスピードは出ていないようだ。時速5kmなら10分以上前にここを通過していなければならない。ここから13分で山門に着けば例年通りだけど、ここの山道は最初の方がきつくて初めにその気を打ち砕いてしまうので、なかなか最後まで気力を保つのは難しい。


 11:30
駐車場の前の自動車道を確認、まだ山門まで結構な石段がある。山道では3人連れとすれ違った、でも逆打ちという感じではなかった。正規の下り口がよく分からなかったのかもしれない。かくいうぼくも初めてのときは登るときは自動車道をそのまま登ったし、下りるときはこの道を下った。


 11:31 金剛頂寺
山門の前に着いたのは例年より1分遅れ、でも昨年よりは調子はよかった。ご夫婦はぼくより一足先に着いて、本堂に向かうところだった。本堂でのお詣りを終えて、大師堂へ向かう、大師堂へはぼくの方が先に向かう。お詣りを終えて納経所へ向かおうとしたら、一足遅れでやってきた奥さんの方が「何か針のようなものは持ってないですか」とぼくに尋ねる。ほとんど期待薄で尋ねたようだったけど、「ありますよ」と即答したので、ちょっとびっくりされた。大師堂でのお詣りはあとにして、すぐリュックを開けて裁縫セットを手渡す。まとめて全部差し上げることにした。針だけ渡す訳にもいかないし、針を渡せば他の道具は使えないから、そうするのが普通だと思った。昨年も持ってきたけど結局最後まで使うことはなかったから、困ることはない。ご主人の方が相当足の裏を痛めているようだった。早速治療にかかられた。


 11:49
納経を済ませ、すぐお寺をあとにする、18分の滞在。休憩はいつもこの下の道の駅でとることにしている。きれいなトイレもあるし、そこで水の補給もできるからだ。金剛頂寺は裏口から退出、山門をくぐるとすごく遠回りになる。


 11:49
誰もが認める最高の宿坊、民宿旅館を含めても、四国で5本の指に入る遍路宿とされている。ぼくは一度も泊まったことはない。歩く距離が長いのでこれから先も泊まることはできないと思う。


 11:53
とてもいい感じのあぜ道のへんろ道。これが150mの山の上だとは、実際に登ってきた者でもなかなか納得できない。このあとの急峻な下り坂がなおのこと納得できなくなる。5回も下りているから判ってはいるけれど、いつもだまされたような気分になってしまう。


 11:58
この下り坂は高低差も距離も、横峰寺や雲辺寺に比べれば全然大したことはないけれど、その怖さということでいえば、屋島に匹敵するのではないか。石畳の部分がしばらく続く、それが結構な傾斜を持っていてその上に枯れ葉がいっぱい積もっているとなると、その怖さがいくらかは判って貰えるでしょう。こういう坂道は一番あってはならないと、半ば怒りながらおびえながら慎重に下りていく。足を滑らしたりなんかしたら本当に急降下だ。


 12:06
何とか無事に道の駅まで落ちてきた。信じられないことに今までで一番早いタイムだった。確かに、24番の下りと同様、足元はしっかりしていたという自覚はある。鯨館は道の駅とは別の営業だというけれど、ぼくはいつも鯨館で休む。
 軽食を摂って23分の休憩。3つの札所、2つの御山は終わって、あとは平地を宿に向かうだけ、とはいえまだ17kmも残っている。あと1回休憩をとるので3時までには宿に着けない、3時半を一応の目標にする。12時29分に出発。


 12:30
山の斜面も道の両側も白い袋をかぶったびわが一面に植わっている。ここ室戸市と須崎市が高知県の枇杷の一大産地となっている。といっても、全国3位の香川県、5位の愛媛県の6分の1くらいの生産量。でもこの時期国道55号線の風物詩といわれている。


 12:36
道幅広くて、車もほとんど通らない最高に気持ちの良い木陰の遍路道。ぼくは口笛が吹けないけど、もし吹けたら絶対「オン・ザ・モール」を吹きながら歩いただろう。でもこういう気持ちの良い道は長くは続かない。ほんの数百メートルでまた炎天下を歩き続けねばならない。


 12:54
この東川を渡ると吉良川の町、この川も吉良川だと思っていたけど違う名前が付いていた。


 12:57
吉良川のメインストリートは本当に気持ちの良い町並みが続く。歩いていて楽しい。その中に新しくできた民宿(兼カフェ)があった。金剛頂寺が人気だからなかなかこの町に泊まる人は少ないと思うけれど。


 13:01
反対にこちらは廃業した民宿。民宿あづまの女将さんに教えて貰った。素泊まり宿だったから、無理してここまで来なくてもやはり金剛頂寺ということになったのかもしれない。


 13:48
羽根川を渡って羽根の町へ入っていく、休憩所はもうすぐ。26番からここまで歩きの人には出会わなかった。金剛頂寺を出た人は午前中に通過している距離だから当然のこと。24番から25番の近くに泊まった人はすでに追い抜いている。それも3人だけだった。やはり、金剛頂寺に泊まる人が圧倒的に多いということだろう。


 13:54 羽根郵便局
切手を買うつもりだったけれど、津照寺の手前のYショップで買うことができたので入る必要はない。納経料の百円玉もまだ余裕がある。


 13:55
羽根の街の中にあるバス停が本日最後の休憩所。キラメッセと奈半利のほぼ中間にある。4年前雨の中を歩いていて全然休めそうなところがなくてここに辿り着いたときはまさにオアシスだった。以後ずっとここで休むことにしている、遍路のための休憩所ではなく、バス停として作られたものだと思われる。でも今はここに停まるバスはないようだ。


 13:57
バス停の向かいにYショップ、休憩したあと食料を仕入れる。いつもは奈半利のYショップで仕入れていたけれど、いつも泊まっていた山本旅館が廃業、ホテルなはりはコンビニのずいぶん手前にあるのでここで買っておかねばならない。休憩、買い物に22分、2時17分に発つ。宿までは8.3km。


 14:17
Yショップを出るとすぐ山越えの遍路道へ入る分岐点。山越えの道は国道より1.2km短いと地図には書いてあるけれど、時間は国道より数分余分にかかる。それに何より体力を使う、最後になっての山登りは辛いのでぼくは国道を行く。山道は2回登ったので、それで十分。


 14:34
岬をぐるりんと巡ると今日の宿がある奈半利の町が見えてくると思いきや・・・


 14:43
羽根岬には凸が二つあって、その両方が羽根岬のようだ。このすぐ手前で小さな女の人に追いついた。今日はぼくと同じホテルなはりまで、最御崎寺の山道にあった割引券には気づかなかったそうだ。この速さだと、津照寺の近くの宿からだと思われた。あと6kmだから4時半くらいには着けるだろう。でもご夫婦は、もっと遅くなることは確実。6時近くになるかもしれない。


 14:44
岬を過ぎると奈半利町、宿まであと5.5km。


 15:14
明日朝一で登る神峯がくっきり見える。右端の一番高いところが展望塔、標高569m。27番神峯寺は140mくらい低いところにある。


 15:36
ホテルなはりは6年ぶり2回目の投宿。たまにはビジネスホテルもいいもんだ、と言うお遍路もいるけれど、ぼくはお遍路のときはできればBHには泊まりたくないと思っている。荷物を広げる場所がすごく限られるからだ、それに、あちこちに分けて広げるから忘れ物の可能性が高くなるような気もする。この近くの山本旅館が廃業になって、このホテルしか泊まるところがなくなってしまったので致し方ない。500円割引券で3800円、山本旅館より200円安くなったから、まあ納得はしているけれど。普通のBHと違って大浴場があるのはいい。ぼくが一番風呂、でっかいお風呂に一人で入れて超気持ちいい。値段が安い方の部屋だったので、普通のBHよりややせまい感じ、隣の物音もかなり気になる。でも携帯は使わなかったようだし、ぼくは8時過ぎに眠ってしまったので、さほど不快な感じはなかった。


6日目 4月29日

2009-06-04 | 09年四国の旅

 6:07
昨年はひどいどしゃ降りだったけれど、今年は快晴。出発を遅らせる必要もなく、6時3分に宿を発つ。太股の張りはまだ残っているけれど、ふくらはぎの方はほぼ回復、歩きには全く影響ない。今日は45.2kmの長丁場、でも札所がないので、時間の調整が自由にできる。今日も3時には宿に入れるようにしたい。宿を出て、すぐ牟岐警察署、駐車場の脇に有名な接待所があるはずなのに、消えていた。広くなった駐車場に車が2台。


 6:08
警察署から目を戻し、歩き始めるとすぐこの看板が目に入った。道の反対側、ちょっと高くなった空き地に新しい接待所ができていた。もちろんこの時間に人はいない。


 6:08 牟岐トンネル 70m
接待所はこのトンネルの入り口のすぐ手前にある。歩道はない。


 6:17 八坂トンネル 210m
この二つのトンネルを通らない古い遍路道があるけれど少々遠回りになるので、行くことはできない。何といっても今日は45km。40km以下なら歩くことはできるけれど。歩道はない。


 6:20
この旅で初めての海、ちょっとした感動があったのだけれど、よく考えると、昨日薬王寺の展望台から日和佐の海を見ていた。まあ、でも、遍路道から見えるのは初めてですから。


 6:26 内妻トンネル 253m
本日3つ目のトンネル、歩道はある。この時間だと車はほとんど通らないから全く気にならない。


 6:30 古江トンネル 144m
内妻トンネルを抜けるとすぐ古江トンネル。この二つのトンネルを避ける古い道もあるようだけど、敢えて遠回りをする訳にはいかない。歩道はある。
トンネルを抜けたところで、逆打ちの女性とすれ違った。杖を2本持ってノルディックウォーキングのスタイル、足取りはしっかりしていたが表情は冴えなかった。


 6:39
昔の海南町。海南町、海部町、宍喰町が合併して海陽町になった。3年前の3月31日のこと。


 6:42 福良トンネル 265m
このトンネルも古い道がある。いつかは歩ければいいとは思うけど。歩道はある。


 6:45
トンネルを抜けるとすぐ右手に鯖大師の大きな屋根が見えてくる。ただし、これは本堂でも大師堂でもなく、馬頭観音堂。


 6:52 鯖瀬トンネル 98m
早くも本日6つ目のトンネル、歩道はある。遠回りの道もある。


 6:54 大砂トンネル 198m
抜けるとすぐ次のトンネルが待っている。歩道はある。


 7:11
国道と遍路道の分岐点にある看板、農道(遍路道)は遠回りと書いてあるけれど、へんろみち保存協力会の地図では農道の方が100m近いと書いてある。当然地図の方を信用して2回目から5回目までずっと農道を歩いてきたけれど、パソコンの地図で正確に測ってみたら、何と、国道の方が近かった。この看板は正しい。ただし、わずか200m、それに国道の方は結構な登り坂もあるので時間的にはほとんど変わらない。


 7:16 太田トンネル 94m
8つ目のトンネル、歩道はある。遍路道ではないのでトンネルを避ける遠回りの道はない。


 7:22
昨年雨の中この前を歩いていたら、奥さんが出てきて声をかけてくれた。すごく嬉しかった。帰ってからパソコンで調べものをしていたら、この喫茶店がお遍路接待所もしていることが分かった。今回はここで休憩することは旅に出る前から決めていた。看板にあった遍路小屋はこの時間では鍵がかかって入れないようになっているのだ。
昨年より50分くらい早い時間だったので、喫茶店は開いていなかった、人の気配も全くなかった。でもトイレは喫茶店の中ではなく隣にあったので使わせて貰うことができた。そこで水の補給もできた。もうこの先の海部駅に立ち寄る必要はなくなった。


 8:19
この海部駅に着く前に男性一人を追い越し、逆打ちの若い人とすれ違った。若い人は野宿。若い人はお金がない=野宿、という構図が当然のようになっているけれど、ぼくは常々疑問に思っている。本人が納得しているのなら、他人がとやかく言うべきことではないと承知しているけれど。
鯖大師からここまで、昨年より1分早い、農道を行った2年前よりも1分早い。昨日からの調子はまだ続いている。もうここで休むことはない。


 8:30 那佐湾
一応湾の名前が付いているけれど、細長~い入江という感じ、初めて見た人は川と思うかもしれない。この一番奥がつながっていなければ当然水道ということになる。


 9:23
那佐湾の真ん中あたりが旧海部町と旧宍喰町の境だけれど、宍喰の中心地は4kmくらい先、このコンビニが宍喰の市街の入り口になる。今日の夕食、明日の朝食を仕入れる。このずっと先、東洋町の役場の近くにコンビニがあったけれど3年くらい前につぶれてしまった。


 9:29
コンビニから道の駅宍喰温泉の前を通って5分で遍路小屋へ到着。宿から19kmの地点、なので2度目の休憩をとる。海部駅からここまで6.4kmを59分かかる、例年と同じ、なかなかのペース。


 9:52 水床トンネル 638m
遍路小屋には自転車と野宿遍路のための荷物がいっぱい置いてあった。こんなものまでというような物が積み上げてあった。それが何を意味するのか全く分からなかった。でも、普通にここを休憩場所にしようとする者にとって迷惑なことにちがいない。座る場所は確保できたけれど、すごく居心地が悪い。軽食を摂って、13分で早々に発つ。10分で9つ目のトンネル、歩道に柵もある。このトンネルを避ける古い山越えの道は通行不能になっているようだ。


 9:59
トンネルを抜けるとそこは土佐の国、いよいよ修行の道場の始まり。


 10:06 甲浦港
漁船が停まっている沿岸の道が山越えの道に続く古い遍路道、トンネルを抜けてからでもこの道に下りられるので、ぼくは1度だけ歩いたことがある。


 10:12
最初のときに泊まったホワイトビーチホテル、フロントの女性がすごく感じが良くて印象に残っている。設備はよいけれど、値段が高いので3回目からはもっと安い旅館に泊まるようになった。


 10:13
高知の文字が現れた。3日後には高知の街の中を歩いているはずだけど全然イメ-ジは湧かない。歩いていると今日の宿のことしか考えられない。


 10:28 甲浦坂トンネル 150m
本日10本目のトンネル、こうしてみると、明治以前のへんろ道がいかに険しく長い物であったか容易に想像できる。歩道はない。


 10:39
こうしてみるとYショップであったことが判るけど、元はスリーエフだった。この前には民宿が4つあってサーファーがいっぱい来ているし、お遍路もこの前を必ず通るから、どうしてつぶれたのか理解できない。冬場になると耐えられないくらい人が来なくなるというのだろうか。


 10:47
今日泊まる宿の看板が出ていた。あと20km、この数字は全く正しいもの。ここまで25km歩いてきた。宿に3時に入ろうと思えば、あと2回の休憩でそれぞれ30分休むことができる。かなり余裕のスケジュール。


 10:50 相聞トンネル 268m
本日最後11本目のトンネル、歩道はある。これを抜けたあとの下り坂が終わると、そのあとは坂道はほとんどない。それが楽だと普通の人は思う、平らで堅い舗装道路が延々と続く、それ以上に足の裏に負担がかかる道はない。


 11:03
国道を離れ野根の町へ入っていく、すぐ東洋大師。男女のお遍路がお詣りの最中だった。車が停めてあるから歩き遍路ではないようだ。


 11:10
当地では相当有名な銘菓、ぼくはまだ一度も食べたことがない。これだけ来ているのだから一度くらいは味わっておきたいと思っているけれど。


 11:15
ここで野根の町ともお別れ、この先佛海庵までの9kmは全く人家も何もない。明治時代まではこの9kmが四国最高の難所だったかもしれない。おそらくは岩場だらけの波打ち際を這うように亀のように歩を進めるしかなかったのではないか。そのことからすれば現代の道は全く恐れるに足りない。昔は何日かかったかしれない行程を僅か1時間半で踏破してしまう、本当に楽すぎて申し訳ないような気さえする。


 11:36 野根橋を渡って2kmくらいでゴロゴロ休憩所にやってくる。ここに来る前に道端に若い男性と、女性が休憩していた。この場所を知っていたらそういう中途半端なところで休むことはなかっただろう。着く直前には昨日薬王寺の直前で追い抜いた装束を着けずお寺にも入らなかった人に追いついた。休憩所では夫婦のお遍路が昼食を摂っているところだった(写真は発つときに撮ったのでそのご夫婦ではない)。遍路宿情報を渡しいろんな話を伺った。今年の冬に徳島を打って、今回は高知だけのようだった。今日の宿はロッジ室戸岬、最初はぼくと同じ徳増に予約を入れていたけれど、電車の都合でもう少し先に行けるようになったとか。はっきり聞けなかったけれど、今日は甲浦まで電車で来て、そこから歩き始めたようだった。だとしたら35.8km歩くことになる。もう昼前なのにまだ26km以上残っている。ぼくはあと15km歩くだけでいい。徳増の11kmも先まで行かねばならない。
 ご夫婦が先に発ったあと、男性がやってきた。ここまでで追い抜いた覚えはないから、ぼくが野根の町を歩いていたときに国道を歩いていたのかもしれない。4年前の尼崎の電車事故のときにも四国に来ていたという話になった。ぼくもあのときは初日だった。尼崎の人だった。


 12:29
ゴロゴロではたっぷり24分の休憩。12時丁度に出発する。次の休憩所までは昨年はよく歩けなかったので気合いを入れ直す。歩き始めて30分でこの休憩所、ゴロゴロには水もトイレもないのでこちらの方がいいけれど、距離が中途半端なので、休むことはできない。


 12:51
室戸市に入る。ここまでに先に出た尼崎の男性と、もう一人男の人を追い抜く。


 12:57
野根橋から1時間40分、ようやく人里が、はるか遠くではあるけど見えた。今日の宿はあの佐喜浜の町の3km先。目標が見えれば歩きにも力が入る。


 13:09
ふいに、頭の上でガサガサッと音がした。見上げるとおさるさん。四国でおさるさんを見るのは3回目。最初見たのは6年前、88番から1番へ向かう途中の東かがわ市の山の中。2回目は2年前、女体山へ向かう途中の山の中だった。


 13:17
佐喜浜小学校入来分校の前にあるバス停、佛海庵の前を通る旧道に入るとこの前を通らない。佛海庵には休むところはないし、旧道沿いにも休めそうなところがなくて、3年前から国道を行くようになった。ここに着くちょっと前のところでゴロゴロを先に出たご夫婦に追いついた。5.2kmくらいの軽快なペースで歩いていることになる。休憩を入れなければ5時くらいにロッジ室戸岬に着ける。
ゴロゴロからここまで76分、2年前より1分早い。今日は最後まで調子は落ちなかった。早く着きすぎてもいけないのでたっぷり28分の休憩。


 14:12
佐喜浜の町がいよいよ大きく近くなってくる。宿まであと4km。足の痛みはないし、疲れもほとんど感じていない。


 14:37
遠くに夫婦岩確認、ここまで来ると宿も目の前。2時49分に到着した。佐喜浜のスーパーでは3人の男の人が休んでいた。3時に宿に入るのは早すぎるので時間の調整をしていたのだろう。普通のお遍路は4時~5時に宿に入るのが普通だと思っている。ぼくは3時~3時半が普通だと思っている。4時だとやや遅いという感じ。先達の人がよく言う『遍路の早発ち、早じまい』はすごく意味のある言葉だと思っている。
 ご夫婦には結局追いつけなかった。あの速さでは休んでいなければ追いつけないのは当然だけれど、3時間も歩き続けたのだろうか。あるいは、佐喜浜の町へ入る旧道を行かず、国道を歩いていたのかもしれない。国道の途中にはコンビニがあってその前にはベンチもあるのでそこで休んでいたかもしれない。
 徳増には1番乗りだった。すぐお風呂も用意して貰って、大きい方のお風呂に一人で入った。昨年は旧館の方に一人で静かに休めたけれど、今年は旧館も満室。考えてみれば今日は休日、この宿は車やバイクの人も泊まるから満室になるのは当然だった。隣の人は携帯で1時間以上喋ってすごく不愉快だった。この宿はいい宿だけれど、運はよくなかった。満室になる確率が高くて、車遍路も来ることからすれば、運が悪くなる確率の高い宿であることも確か。もちろんそれは宿の責任ではない。こうして考えると、焼山寺下のさくらや旅館の1000円は大いに意味があると改めて考えさせられた。


5日目 4月28日

2009-06-02 | 09年四国の旅

 5:56
朝食の前にバスツアーの人が先に荷物を運び込んでいる。今日は26番の金剛頂寺あたりまで行くのだろうか、ぼくが26番に行くのは2日後になる。それにしても、不思議なのは隣のキャンピングカー、キャンピングカーなのに民宿に泊まるのはどういうことか、宿に泊まるのなら普通の車で行けばいいのに。


 6:06
今日も朝から快晴、6時3分に宿を発つ。今日は初めて40km以上を歩く。でも、焼山寺、鶴林寺、太龍寺のような大きな山はないし、札所も二つだけなので、宿に入る時間は今まで一番早くなる予定。太股とふくらはぎの筋肉に少し張りはあるけれど、歩くときには全く気にならない、影響もない。足の裏は全く痛んでいない。


 6:27
昨年は宿から22番までの出足が全然調子が上がらなかった。何しろ、前日別格3番慈眼寺から鶴林寺、太龍寺とほとんど山の中でコンビニもスーパーも何もなくて食料が調達できなかった。それは承知で二日前に仕入れてはいたけれど全然足りなくて、燃料不足で全く力が出なかった。今回はこの区間だけはリベンジを果たすのだと気合いが入る。
 国道まではまずまずの歩き、ここを右に行くと太龍寺ロープウェイの乗り場がある。車はそのまま国道を直進して左へ行く、歩きは国道を横断して峠道へ入っていくけれど、最初のときはまともな地図を持っていなくて左に曲がって国道を歩いてしまった。今から考えるとよくもそんな怖いことができたものだと思う。国道はこの先でハイウェイのようになっているのだ。


 6:28
国道を横断するとすぐにヘンロ小屋がある、30分も経っていないのでもちろん休んでいる場合ではない。


 6:28
ここからあまり加工されていない狭い遍路道に入っていく。峠を越えて里に下りるまでいい雰囲気のへんろ道が味わえる。


 6:47
国道とこの大根峠の標高差は60mしかない、地図にそう書いてあるけれど、いつもそんな容易なものではないと感じる。昨日の二つの山と同じくらいのしんどさを感じる。確かに距離は短いけれど、ぎゅっと凝縮した本物の山道だ。


 6:51
峠からは竹林の中を下る、昨年はこの下りがふらふらしてしっかり歩けなかった。今回は、体調もいいし気合いも入っているので2年前のような理想的な歩きができている。スピード感もある。


 7:03
峠から16分で里に下りてくる。登ってきた時間よりずいぶん長かった。里の標高は国道より100mくらい低いのでそれも当然のこと。里に出てすぐのところにあった接待所が消えていた。ぼくは朝早い時間に来るので関係ないけれど、できてすぐ消えるというのは何ともいえず残念なことです。


 7:19 平等寺
里に下りてからもかなりいいスピードで2年前と同じタイムで到着することができた。満足。境内には歩きの男性が一人、あとは車の人が何組か。バスツアーはまだ見えない。


 7:38
お詣り納経を終えて、休憩所で一息つく。ここは納経所の隣、昨年までは納経をしなかったのでこの中に入ることはできなかった。いつもトイレのそばのベンチで休んでいた。ポットの中はお湯ではなくお茶が入っていた。それより横の小銭が気になりますよね。これはお賽銭用に両替して貰うためのもの。


 8:22
平等寺ではゆっくり34分費やし、7時53分に発つ。平等寺から国道に出るまでの遍路道は車もほとんど通らない静かで歩きやすい道。この月夜御水庵の短絡路から登りになるけれど長くは続かない。


 8:30
御水庵から自動車道に出ても登りがしばらく続く、数百mで一番高いところ(峠と言うほどではない)に来て、そこからは国道まで延々と緩やかな下りが続く。この道が最高、車も人も全然通らないし、膝にも負担が全くかからないくらいの下り坂。意識しなくても自然にスピードも乗ってくる。この少し前のところで平等寺を先に出た男性を追い抜いた。


 8:44
平等寺から50分で国道が見えた、気持ちの良い道はここまで、今日はこのあとずっと国道を行く。


 8:46
国道に上がってくると、美波まで15kmの看板、下に小さく旧日和佐、つまり薬王寺まで15kmということ。今日の宿はその15km先だから、まだ30km歩かねばならない。


 8:49 鉦打トンネル 301m
ぼくにとっては二つ目だけど普通のお遍路にとっては最初のトンネル、歩道に柵もあって安全安心なトンネル、こんなトンネルは滅多にない。


 8:54
ちょうど1時間でヘンロ小屋に到着、2年前と同じ、昨年より2分早い。嬉しいのはようやく遍路宿情報60部の内40部をここで降ろすことができる。わずか500gくらいだけど急に軽くなったような気がする。この5日で6Pチーズ4箱(500g)とチョコとキャラメルも半分くらいは消費したので、最初8.2kgあった荷物が6.5kgくらいになっているはずだ。今回初めて太股やふくらはぎの筋肉に張りが出たのは、この重い荷物で焼山寺を登ったからに違いない。16分の休憩で気分良く出発。


 9:11 福井トンネル 175m
遍路小屋を出てすぐ二つ目のトンネル、歩道はある。


 9:18
国道の下をくぐって由岐、田井ノ浜へ向かう古い遍路道を見下ろす。昔は国道もトンネルもなかったから、お遍路は皆この道を歩いて由岐の町へ向かった。国道より3kmくらい遠回りになるので現在歩く人は少ない。ぼくは3年前に一度歩いた。2年前には、平等寺のそばの宿に泊まって薬王寺まで行くけれど、近すぎる(20km)のでこの遠回りの古い道を歩くのだと言う人に会った。


 9:40 星越トンネル 230m
3つ目のトンネル、歩道はない。


 9:43
トンネルを抜けるとそこは美波町。とはいえ薬王寺までまだ11km近くある。


 9:46
そして、ウェルかめ。例年とは全く違う気分でこの看板を眺める。NHKの朝ドラのロケはすでに始まっているようだ。徳島は「ウェルかめ」、高知は大河ドラマの「龍馬」、愛媛は「坂の上の雲」、この秋からNHKは四国づいている。


 9:56
遍路小屋から4.9kmほどしか来ていないけど休憩をとる。この先には適当な休みどころがない。


 10:10
バス停の前にある看板、でもこの数字は正確ではない。9.1kmが正しい。最初の頃はこの数字に泣かされたもの、こんなに歩いているのにまだ10kmもあるのか、とがっくりした覚えがある。14分の休憩で出発。


 10:30 久望トンネル 137m
4つ目のトンネル、歩道はない。


 10:33
バス停から先に適当な休みどころはないと言ったけど、意外なところに休憩所があった。新しくできたのか前からあったのかよく分からない。ここは先の遍路小屋と薬王寺の中間地点より500mずれているだけ、次回からこちらの方で休むことにしようと思ったけど、次回は108ヶ所巡りで、由岐の方に行くのでこの道は通らない。


 10:46 一ノ坂トンネル 224m
本日5つ目のトンネル、歩道はない。


 10:57
この少し前のところにも同じような花壇があって、その上にある家の奥さんが水をやっていた。水やりを終えて家に入る途中でぼくに気がついて声をかけてくれる。「あと4kmだからね~、がんばってね~」。距離は分かっていたけど、とても嬉しかった。みかんを一つ頂くより嬉しいお接待だと思った。


 11:28
ここでは毎回食料を調達してきたけれど、今回は買わない。リュックの中にまだ食料はあるし、今日の宿は夕食付きで泊まるし、朝食は宿のそばのコンビニで買うことにする。


 11:34 薬王寺
山門に着く少し前のところで男の人を追い抜いた。遍路装束は一切着けていない、金剛杖も持っていない。追いついてきて山門の前で写真を撮った。でも、山門をくぐることなくそのまま行ってしまった。お遍路ではなく、ただ歩いている人だった。ぼくも最初は同じような感じだった、もちろん他人がどうこう言うことではない。迷惑さえかけていなければ、本人が納得していれば、どういう形のお遍路も認められて然るべき。
 遍路小屋からここまで2年前の最高タイムとほぼ同じ、好調はずっと続いている、荷物が軽くなったのが影響しているかもしれない。


 11:36
「お大師さんのころ、人里はこの日和佐まででしたやろか」
と、運転手の宮本富太郎老が潮風の中でいった。このさき室戸までわずかに牟岐の浦と、それに宍喰・甲浦という入江があり、そこにわずかずつ集落があるにせよ、人の暮らしの温もりのある里といえばこの日和佐の浦までだったかもしれない。
 日和佐の浦をかこむ急峻の山肌に吊りあげられるようにしてたかだかと石段がかかっている。上に山門があり、医王山薬王寺、とある。四国八十八ヶ所のうちの二十三番の札所だという。このさき室戸までは札所がなく、宮本老の想像はそれがたねになっている。札所がすでにここで絶えている。そのことは空海が人里で疲れを癒した最後は日和佐の浜だったのではないか、ということであり、四十年ちかく遍路の道を走り続けてきた人の想像はかならずしも無視できない。
 日和佐に入ると、医王山薬王寺はちょうど縁日であった。石段を厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。齢の数だけおとすのだというが、異様な光景であった。なかには壮漢が小さな老女をかるがると背負い、どちらも石のように無表情な顔でのぼってゆく。背中にとまっている老女が、一枚ずつ軽い硬貨をこぼしていた。空海という、日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者が、そのどういう部分でこのようなひとびとの俗願とむすびついているのであろう。しかも空海没後千二百年を経てなおこれらの人の群を石段の上へひきあげつづけているのは空海の何がそうさせるのかということになれば、どうにも筆者が感じている空海像がこの浦の黄土色の砂の上から舞いあがり、乱気流のかなたで激しく変形してゆくような恐れをおさえきれない。


 11:47
はじめて60厄坂を登って瑜祇塔の前に出てきた、有料なので中には入らない。展望台から日和佐の町をゆっくり眺める。


 12:28
薬王寺ではお詣り納経を含めて、たっぷり52分を費やす。いつもこのお寺ではゆっくり過ごす。今日の行程はあと15kmだし、休憩も1回入れるだけ。これだけ休んでも3時過ぎに宿に入ることができる。


 12:48 奥潟トンネル 100m
本日6つ目のトンネル、歩道は右側だけにある。道路は左側に歩道があるのでトンネルに入る前に横断しなくてはならない。


 13:06 日和佐トンネル 690m
7つ目のトンネル、一番長いけど歩道に柵もついている。


 13:22 山河内トンネル 124m
本日最後8つ目のトンネル、歩道はない。


 13:36
遍路小屋とはとてもいえない簡便なお休みどころだけど、薬王寺と牟岐のほぼ中間にあって、ぼくにはとても都合の良い休憩所。500m上流の谷水がホースで引かれてあって飲めるようにもなっている。ここに着く少し前にアフロヘアの若い逆打ちの男性とすれ違った。荷物からして野宿のようだった。


 14:05
今日の宿がある牟岐町に入る、とはいえまだ1時間は歩かねばならない。牟岐の中心地は町の西の端にある。


 15:08
薬王寺からのタイムは一番早かった3年前より1分遅れ、でも2年前よりは1分早い。3年前と2年前は明らかな違いがある。3年前は由岐から出発したのでこの区間は午前中に歩いた、しかも雨が降っていてかなり涼しかった、さらに歩いている人が多かったので追い抜くために意識して速く歩くことが多かったと思う。2年前は太龍寺下から発ったのでこの区間は午後の一番暑いときに歩くことになった。ということは、今回の1分遅れは写真を撮りながらということも考慮に入れれば、最高の歩きだったとしてもいい。
 駅のすぐそばのヤマザキショップで明日の朝食を仕入れる、宿は駅前の交差点、信号待ちをしていたら民宿杉本の方から歩きの人がやってくる、遍路装束は着けていないけれど金剛杖は持っている。杉本はやっぱり営業していなかったようだ。ぼくも前に電話して休業しているといわれた。シーズン中なのに気まぐれで休むということは営業していないに等しい。地図から消して欲しい。


 15:11 民宿あづま
42km歩いてほっとして、あづまの写真は撮り忘れてしまった。したがって、これは昨年の写真。3年連続の投宿、過去2年は同宿のお遍路はいなかったけれど、今年はあとから何人か来るようで、昨年とは別の部屋に通される。角の広い部屋は夫婦連れが入るといっていたけれど、結局その夫婦は来なかった、キャンセルの電話が早ければその部屋に入れたかもしれなかったのに。入浴を終えてしばらくした4時過ぎに相次いで男のお遍路が3人やってきた。二人は一緒に歩いているようだけれど、四国に来てから知り合ったような感じだった。もう一人の人にはすごく驚かされた。何しろ100日で巡るつもりだという。1日に10kmほどしか歩かない、そんなお遍路は見たことも聞いたこともない。焼山寺は、9時間かかったという、途中で諦めかけたそうだけれど、なにぶん携帯も通じないのでどうしようもなかったそうだ。