WALKER’S 

歩く男の日日

2015年 四国の旅 索引

2015-08-30 | 15年四国の旅

 1日目  1 ~ 10
 2日目 11・12・13
 3日目 14 ~ 19
 4日目 20・21・22
 5日目 23
 6日目 24
 7日目 25・26
 8日目 27・28
 9日目 29 ~ 32
10日目 33 ~ 36
11日目 
12日目 37
13日目 38
14日目 
15日目 39・40
16日目 
17日目 41・42・43
18日目 
19日目 44・45・46
20日目 47 ~ 53
21日目 54 ~ 59
22日目 60 ~ 64
23日目 65
24日目 66・67
25日目 68 ~ 78
26日目 79 ~ 83 
27日目 84 ~ 88
28日目 


最終日 民宿八十窪(さぬき市)~バス停鳴門西(鳴門市)

2015-08-15 | 15年四国の旅


夕食にはおつゆが写っていませんでしたが、ちゃんとにゅうめんが出ました。細めのうどんかと思ったのですが、徳島の素麺だと説明がありました。
 朝食は6時から、6時30分宿を出発、玄関で大女将と同宿の女性が見送ってくれました、「また来年もよろしくお願いします」と、自然に言葉が出てしまいます。これで終わりではありません、また来年が始まったということです。

 今回は9年ぶりに10番札所の方に下りていきます。


 7時10分、宿から4.5kmで徳島県に突入、この200mほど前から9年ぶりに歩く道が続くことになります。


 7時53分、宿から9km、最後のトンネル岩野トンネルを抜けます。9年前といっても4回歩いているから何となく記憶のある風景が多いです。


 8時39分、宿から13km、徳島自動車道の向こうに阿波の山並みが見えてきました。帰ってきたことを実感する風景です。


 9時11分、切幡寺登り口の600mほど手前に新しい阿波市役所ができていました。ここは旧市場町、前の市役所はここから6kmほど西、旧阿波町の中心部にあったようです。

 9時18分、10番札所切幡寺の登り口まで帰ってきました。宿から161分51秒、ベストより3分ほど遅れました。調子は悪くなくて、タイが出てもおかしくない感じだったのですが、9年ぶりだったので景色を楽しみすぎたのかもしれません。時速は6.49km、ベストの時速は6.63km。
 遍路用品を売っているお店の前のベンチで休憩させてもらいます。

 9時32分に出発しますが、熊谷寺の少し手前で意識がぼんやりふらふらになりかけて一旦休憩、ちょっとした熱中症か貧血のようなものか、水分補給ですぐに復活しました。昨日と同じで快晴で気温も上がっています。


 11時54分、5番札所地蔵寺に到着、6番からのタイムは47分44秒、ベストより1分遅れですが、初日の午前中に歩いたときとの比較だから、さほど悪くない。大銀杏の下に外人の若者が3人、それに話しかける日本人の若者、今日は5月2日、5連休の初日になるから、区切り打ちの人が5番の手前からやたら増えてきました。軽装で4人くらい固まって歩く人たちにもあったのですが、それがお遍路でこの連休中焼山寺を越えるまで歩くのか、今日だけ、あるいは2日ぐらいのお参りなのかよく分かりません。この後にも子供も一緒にハイキングような感じで歩いている人たちもいて、はっきり歩きへんろさんだとカウントしていいのか迷うことが多く、歩きの人も多く本当に大変でした。この連休中はしっかり歩きそうだと思える人だけカウントしたのですが、こちらは逆打ちの形になっているので50人以上の人と出会うことになりました。


 地蔵寺を12時10分に出発、18分01秒で4番札所大日寺に到着です。ベストより30秒ほど遅れましたが、ここは4番から5番へ緩やかな下りになっているので、これだけの差が出るのは当然です。こちらでも歩きの人車の人でたいそうなにぎわいで、本当の歩き遍路さんを確定するのにちょっと苦労します。今日の安楽寺宿坊はかなりいっぱいでしょう。
 お参り納経を終えて12時48分に出発です。
 10分ほど進んで徳島自動車道の下のあたりで4人の歩き遍路さんとすれ違います。ちょうど安楽寺まで行ける人たちです。
 愛染院前後の道を最終日に歩くのは初めてで、なんだか変な気持です。ここはやっぱり初日に歩く道かな、と思ったりします。


 13時34分、3番札所金泉寺に到着、大日寺から47分26秒、ベストより2分遅れですが、ここも初日の序盤の記録だから、40km歩いてきた後の記録と比較にはなりません。
 納経所に行くと、女性が「今日は暑いでしょう」と声をかけてくれたので、「88番から40km歩いてきました」と普通に答えると「大坂峠からですか」、「いいえ、切幡寺の方からです」、後ろに立っていたもう一人の女性共々目を丸くするばかりです。88番から1番へ戻る人は多いですが、1日でここまで戻ってくる人は少ないし、3番で納経する人はほとんどいないから、おそらく初めての体験だったでしょう。頭の隅の方で、初日で6kmも歩いていない人たちといっしょにしないでもらいたいという気持があったのかもしれません。
 13時52分に出発です。


 14時17分、2番札所極楽寺に到着、金泉寺から25分44秒、ベストより1分遅れです。かなり疲れていますが時速は6.26kmだからこの暑さの中の最終盤ということであればよく歩けている方です。
 14時37分、いよいよ今回の結願所へ向かって出発。


 14時47分、1番札所霊山寺に到着、極楽寺から11分15秒、時速は6.05km。タイムは出ないことは判っていたし距離も短いのでだらだらと疲れのままに歩きました。


 最後の御朱印をいただきました。88ヶ所全て、そして真念庵、今年は写経も納めて納経帳も持っていったので、特別な感慨があるかと思ったのですが特に何もなくいつもと同じでした。多くの歩き遍路さんが抱くような達成感もないし涙も流れない、何とか戻ってこられたということと、もう既に来年が始まっている。終わりではなく始まりです。帰って数日は休むかもしれないけれど、1週間もすれば毎日10km歩き続ける。歩かないとここに戻ってこられない、繋がっているし続いています、改めて感慨がないのも当然のことでしょう。
 さすがに、もうあとはバス停に向かうだけ、霊山寺の山門を出たのは15時11分、15時22分発の神戸行きには絶対間に合わないから、今回はゆっくりPAで休めます。昨年はバス停に着いたらすぐにバスが来て、スポーツドリンクも買えずトイレにも行けず撮影もできず、ばたばたで旅の終わりを迎えてしまったのでした。霊山寺から鳴門西の上りのバス停に歩くのは初めて(極楽寺の方から向かうのが常)なので、タイム比較はできません。時間の余裕もあり過ぎるので、もう普通以下で歩きます。
 バス停に到着したのは、15時26分、バス停の前を行きすぎてドリンクを買いにいこうとしたところへバスが到着、まさか違うだろうと一応確認してみると神戸行きです、連休の渋滞で遅れていたみたいです。慌てて乗り込んで支払いを済ませます。今年もばたばたの旅の終わり、アクエリアスも1時間お預けです。
  15年四国の旅  これにて終了です。

  最終日歩行距離  43.5km
     歩行時間  6時間52分  切幡寺までがちょっと残念
     平均時速  6.33km
28日間の歩行距離  1155.6km
     歩行時間  190時間43分
     平均時速  6.059km   6年前よりちょっとだけ速いけど
 1日平均歩行距離  41.27km    8年前よりちょっとだけ遅い
     歩行時間  6時間49分   7年前は別格も歩いたので比較できません


27日目 ビジネス旅館三鈴(高松市)~民宿八十窪(さぬき市)

2015-08-13 | 15年四国の旅

 三鈴さんには06年から4年連続、そして昨年、今年で6回目の投宿でした。6回以上泊まったのは土佐の喜久屋旅館、須崎の柳屋旅館、松山の長珍屋、そして今日泊まる八十窪、の4軒だけです。ここまでくると四国に来れば泊まるのが当たり前、田舎の実家に帰ってくるという感じに近いかもしれません。37回目、おにぎりのお接待をいただいて6時30分に出発です。玄関まで見送ってもらって「来年もお待ちしています」と言われます。何気ない言葉だけど、ほかの遍路宿でこういう言葉をかけられることはありません。それは当然、来年も歩くかどうか判らないし、ほかの宿もいっぱいあれば、愛想としてもそういう言葉はなかなか使えない。それを普通にかけてもらえるというのは本当にうれしいしありがたいことだと思います。たくさん巡っても何の自慢にもならないと常に自分に言い聞かせていますが、こういうところだけはちょっと優越感を持ってもいいかなと思ったりします。

 歩き始めて200mも行かないうちに足の不調を感じます。踵のひび割れが痛い。ここまでもちょっとした違和感を感じるときはあったのですが、動きに影響が出るほどではなかった。でもこれははっきり駄目だと自覚します。ベストはこの時点で諦めます。
 気持ちよく見送ってもらったのに気持ちよく歩けないというのは、いかにも残念。でも、いつもの歩きができなくても前に進むしかありません。選択の余地がないのがおへんろのいさぎよいところであり、ありがたいところ。
 足が気になるせいか潟元の交差点を左折するところを少し行きすぎてしまいました。ここで曲がれなかったことは一度もありません、それほど普通ではなかったか、余計なことを考えていたのか。
 琴電潟元駅で夫婦連れのお遍路さんが降りてきました。一宮寺から屋島まで13km、この区間大都市高松の大通りを歩くことが多いし、電車もすぐ横を走っているので、使う人もいるようです。前にも会ったことがあります。
 屋島の登りはじめの急坂もやっぱりひどく堪えます。ここを楽に登ったことは一度もありません。太龍寺の山門の手前よりきついかもしれません。


 7時43分、84番札所屋島寺に到着、宿から73分12秒、ベストより2分半ほど遅れましたが後半は痛みがあまり気にならなくなって予想よりはよく歩けました。
 水屋を使っていると、納経所の横のベンチに地元の早朝登山の男性5人ほどが歓談中でした。もしやと思いお参りもさておいて近づいてみると、やはりそうでした。6年前に写真を撮らせて貰っためがねの男性がいました。09年8月2日に投稿した写真の手前から2人目の人です。6年前に写真を撮らせて貰ってブログに投稿したんですよ、と言うと、「指名手配されてるから写真は困るんやけどな」と6年前と同じことを言われたので、そのことを言うと一同爆笑。一人一人に納札を手渡します。しばらくしてみなさん下山を開始されたので、それからやっとお参りです。
 8時10分、屋島寺を出発します。下山はいつものように近道の急坂です。ちょっと危ないくらいの山道ですが、昨年ひざと踵の具合が良くなくて全然思ったような歩きができなかったので、今回は普通に歩けるか確認しておきたい。
 山道の最初の所でつまずきそうになってひやりとしたのですが何とか事なきを得ました。ひざの具合は昨年とは違ってほとんど問題はないし、歩き始めで痛みのあった踵も気にならなくなっています。
 舗装道を横断した後は滑りやすい石畳の急坂が待っていますが、こちらも昨年のような苦労はなく普通にいいときの感じでこなすことができました。最後の舗装道の直線も明らかに昨年のような負担は感じませんでした。
 運河を渡って八栗の登りに入っても、普通に力を出せている感じはあります。昨年より遙かに楽に歩けてはいますが、ベストと比べてどうかというのは判りません。ケーブルを横目に見ながら、坂を登っていきます。


 9時11分、85番札所八栗寺に到着、屋島から61分08秒、ベストタイでした。出だしが悪くてどうなるのかと心配だったけれど、何とか復活してきたようです。
 ケーブルや車で来ている人は多いのですが、歩きのお遍路さんは3人くらいしか確認できません。屋島の近くの宿から来た人たちで、今日は長尾までと思われます。20kmほど、長尾から先には宿がないからやむをえずという人が多いでしょう。余裕があるせいか二人の人は本堂大師堂以外の堂宇も熱心にお参りしています。先に下りたもう一人の人も、1.7km地点の番外霊場六万寺へ下りていく分岐点で立ち止まっています、行こうか行くまいか迷っていると言います。携帯をとりだして六万寺の情報を確認、結局行くことにしたのでお別れです、これくらいの余裕がある方がお遍路としては上等、豊かだとは思いますが、忙し遍路のぼくにはなかなかまねのできることではありません。
 八栗寺は9時35分に出発、屋島の下りが調子が良かったので、こちらは緩やかなところが多いのでさらに力が入ります。急なところもひざの負担はあまり感じることなくスピードも落ちません。


 10時36分、86番札所志度寺に到着、八栗寺から58分17秒、またまたベストタイです。時速は6.68km、出だしの不調が嘘のようです。山門の横でタイムメモに書き込んでいたら、女性が出てきたので挨拶します。女性の一人歩きの人は久々です。ここまでトータルで5人ほどしか見かけていません。
 お参りを終えて納経所に行く前に本堂の前のベンチで昼食、お接待のおにぎりをいただきます。天気はご覧のように快晴、88番へ向かうときにこれだけ天気が良かったことはあまりないと思います。
 納経を終えて10時57分に出発、次の札所まで7kmあるから先に出た女性には追いつけるでしょう。
 志度寺から1kmの所にあるコンビニ(今はセブンイレブン、前はサンクス)で最後の買い物です。ローソンではないのでいつものコンビは買えず、ゴマスティックにします、明日の昼食です。
 4km地点の番外霊場玉泉寺を過ぎてしばらく行くと前を行く人が見えました。県道を横断して川沿いの点線の道に入るところで追いつきました。山門で入れ違いになった女性です。予想より追いつくのが早かったと思ったのですが、4.3kmくらいで歩いているから、ごく普通の速さでした。そのすぐ先では長身の白人女性にも追いついて、「こんにちは」というと、ちゃんと日本語で「こんにちは」といい笑顔で返してくれました。後で聞いたら彼女は日本語が全く駄目だそうです。そのあとも男性一人に追いついて、

 12時03分、87番札所長尾寺に到着、志度寺から64分30秒、ベストより2分遅れでした。この区間のベストは時速6.67kmで出にくい区間なので仕方のないところ。
遅れて到着した日本人の女性に今日の宿を聞くと、ぼくと同じ八十窪です。でもこの時間からだと入るのはかなり遅くなってしまいそうです。
 お参り納経が終わって水屋の横のベンチで休憩、少し手前で追い抜いた男性に話を聞きました。納札を交換、千葉県市川市の加藤さん、帰ってから調べたらぼくの親友が今年になって引っ越したところと同じ町内です。彼は区切り打ちで、今日は88番の宿がとれなかったので少し手前まで歩いて野宿をするということでした。白人女性はこの近くの宿に泊まるということでした。
 長尾寺では40分ほど滞在、12時43分に出発です。
 昨年、この区間は踵が痛くていつものようには歩けなかった、途中で佐藤さんに出会ってそこからは佐藤さんに合わせてゆっくり歩くと、踵の痛みが嘘のように消えたのを覚えています。ずっと無理して歩いていたのだと、痛めるようなスピードであったのだと思い知りました。かといって無理にゆっくり歩くわけにもいかないので、本当に難しいところです。今年は、同じようにひび割れができていて屋島までは思うように歩けなかったけれど、屋島からは全く問題なく気持ちよく歩けています。当然、狙いながら歩いています。
 
 前山ダムのそばにある休憩所がタイムチェックポイント、4866mを45分24秒、ベストタイでした。時速は6.43km、最後の坂を登ってのこのスピードはなかなかのものです。
 13時33分、500m先のおへんろ交流サロンに到着、最後の休憩です。サロンにはお遍路さんの姿はありません。この時間だと八栗から来た人でも先に進んでいるのが普通、今回は後から来る人が何人かいますが。冷水器で何杯もお代わりします。38回目、最後のお接待です。
 13時50分、88番に向けて出発です。今回も花折峠経由の道を歩きます。女体山は距離では近道ですが、時間では10分ほど(ぼくの足では)遠回りになるし、昔のへんろみちではないし、山門をくぐれないし、ということでこれから先も歩くことはないでしょう。一度歩いて納得しました。
 昨年は、交流サロンまで全部の区間で思ったような歩きができなかったものの、最後の区間だけ見違えるような歩きができていい気分だったのですが、今回も登りはじめからいいときの感じです。峠の手前ではまだかまだかと焦りの気持が強くなるのですがそれもほとんどなくて、比較的峠まで短く感じるほどでした。下りの調子はここまでと同じでちょっと小走りでも大丈夫なくらい。県道に合流してからは気持のよい下り勾配でますますいい気分、歩道はないけれどこの道は大好きな道の一つです。
 多和の交差点を左折、国道に入ると登りがありますが、全く負担もなく力が十分出せています。順調そのもので竹屋敷を通過、最後の脇道に入ります。2300mで標高差100mを登っていきますが、味わう余裕がいつも以上にありました、天気もいいし、へんろみちを満喫しています。またこの道に戻ってこられたありがたさ。


 15時28分、88番札所大窪寺に到着です。前山ダムから102分17秒、時速は6.01kmでした。1番から5番までお参りしていないので、まだ結願にはなりません。


 15時50分、今回の旅最後の宿、民宿八十窪に到着しました。8回目の投宿です。若女将が出迎えてくれます。「何回か来られてますよね」「お遍路は9回目、こちらの宿は8回目です」と答えると「それだけ来てもらってたら覚えてるはずよね」、8回といっても、14年、12年、09年、と昨年の前は2年、3年と空いているので、それでも覚えてもらえるのは光栄です。何しろ1年に2000人は宿泊する宿ですから、名前は出なくてもすぐに判ってもらえるのはうれしいです。帰ってきたという感じが少しします。
 1番乗りだったので、すぐにお風呂に入れます。同宿は男性3人、女性2人、ぼくのテーブルは女性二人といっしょです。長尾寺でいっしょだった女性は、6時の時点ではお風呂を使っていて、少し遅れて食堂に入ってきます。交流サロンから2時間半かかって納経にはぎりぎりだったようです。女性二人とは話が弾みました。食事が終わってもその後8時近くまで食堂でいろんな話ができました。二人とも明日の宿は安楽寺宿坊で、その翌日はフェリーで和歌山へ行きます。一人は九度山の宿に泊まって町石道を全部歩いて高野山に登る。別格の念珠の話や、四国総奥の院與田寺の話、などを熱心に聞いてくれて、ますますお遍路に興味を持たれたようです。

 27日目の歩行距離  41.0km
      歩行時間  6時間44分  終わりよければ・・・
      平均時速  6.09km  明日もありますが


26日目 善根宿うたんぐら(宇多津町)~ビジネス旅館三鈴(高松市)

2015-08-11 | 15年四国の旅


 朝食は5時半からお願いしました。相部屋で5時起床にしたので荷造りに時間がかかって5分ほど遅れました。すでにみなさんおそろいです。いつものように品数豊富でうれしい朝食、食後にはコーヒーも煎れてもらって、昼食のおにぎりも頂きました。昨年、根香寺でおにぎりを食べようとしたその時、支払いを忘れたのを思い出した、その大事なおにぎり、33回目のお接待です。
 出発するときイタリア人とHさんとぼくで玄関先で記念撮影、Hさんは昨日国分寺まで歩いて電車で宇多津まで来たので、歩いて駅に戻ろうとしたら、ご主人が坂出駅まで車で送ると言い、最初は遠慮していたのですがせっかくなので送ってもらうことにしました。6時39分に出発です。
 昨年は出だしだけ異常に速く歩いたので参考記録、昨年ほどではないにしても普通以上に身体は動いています。
 7時31分、79番札所天皇寺に到着、宿から51分35秒、7巡目までのベストより1分半早い記録です。境内には自転車遍路さんがいて境内をうろうろ、トイレをさがしているようだったので、あちらです。と教えます。撮影は忘れてしまいました。お参り納経を滞りなく済ませ7時45分に出発です。



 天皇寺から2900m、民家の庭先にお接待所があります。逆光で見にくいですが「歩きへんろ加茂駅」と書かれています。


 おもてなしステーションのパネルもあります。6年前にも休ませてもらって蜜柑を頂きました。今回も一つ頂いて休まないで発とうとしたら玄関からご主人が出てこられました。「一つ頂きました」とお礼を言って納札を手渡します。「姫路からですか、お城が真っ白になりましたね、今年の夏見に行きたいと思っているんですよ」ぼくが姫路だというと、みなさん白くなりすぎたお城のことをすぐに言われます。近畿以外でもよく知られていて、意外なうれしさです。
 土手の道から国道に下りて信号待ちをしていると向こう側にHさんが来ました。横断するときに「早いなあ」といつもの一言をいただきます。「横断してすぐ土手の道になります」と念のため教えます。



 8時50分、80番札所国分寺に到着、天皇寺から60分46秒、ベストより1分ほど遅れましたが、動きとしては十分な感じもあります。
 大師堂でお参りを終えると一足早く団体の納経帳がどさりと窓口に届いたところです。仕方ないので表のベンチで先ほどの蜜柑をいただきながら休むことにしました。再び納経所の前に戻るとちょうど終わりかけたところ、山門に戻ってきたのは9時24分でした。元々休む予定にしていたのでロスタイムというほどのものではありません。


 国分寺を出て40分、見晴らしのいいところに出てきたのでしばしたたずみます。ここまでの山道はまずまずの調子です。


 10時41分、81番札所白峯寺に到着、国分寺から76分35秒、ベストより3分遅れでした。国分寺からの登りは6年ぶりだったので、ちょっと落ち着きすぎたのかもしれません。特に不調という自覚はありません。
 お参り納経を終えて昼食にします。20分ほど休んで、11時20分に出発です。


 12時15分、白峯寺から4.3km、次の札所まであと500m、というところに見慣れない小屋が出現します。へんろ小屋五色台、昨日イタリア人が泊まるといっていた小屋に違いありません。去年来たときにはなかったから、話についていけなくて当然でした。普通のヘンロ小屋とは違って土足では入れなくて野宿の人のための簡易宿泊施設のようになっています。表にはお茶が入ったタンクと小袋に入ったお菓子がかごに山盛りになっていて、遠慮なくいただきます。男女のお遍路さんが休憩中で、その横には作務衣をつけたお坊さんもいて、ここから鬼無方面に下る近道を説明してくれています。


 これがその山道の入口です。舗装道に上がっていくのが当然でこんな道があるとは全く気づきませんでした。舗装道ができてからというもの誰もこの道を使わなくなってしまったのが不本意で残念だとお坊さんは言います。
 3分ほど休んで札所へ向かいます。カップルは82番のお参りはすましてきたようです。


 12時22分、82番札所根香寺に到着、白峯寺から56分40秒、ベストより2分遅れです。この区間はしんどいところ楽なところ、下りもあって登りもあって舗装道もあるというバラエティに富んだ道、全部に対応していく余裕がないとなかなかベストは出ないようです。
 山門をくぐってすぐ一旦階段を下ります。その最中、階段を下りきった平坦なところからぼくにカメラを向ける男性がいます。何回かシャッターを切ります。下りきってすれ違おうとしたら「読売新聞ですが、写真撮らせてもらったんですが使わせてもらってもよろしいですか」と確認の言葉をかけられました。快く承諾したのですが、先ず採用されることはないでしょう。第一ぼくはお遍路さんらしくない。袖無しの白衣は着けていますが菅笠も金剛杖も頭陀袋も輪袈裟も持っていません。らしくないお遍路を敢えて採用はできないでしょう。それよりこんな姿のぼくにカメラを向けたこと自体不可解です。
 山門の手前で男女のお遍路さんとすれ違い、境内でも3人の歩き遍路さんと出会います。ほとんど国分寺の近くから来たと思われます。
 お参り納経を終えて山門を出たのは12時44分でした。


 13時04分、教えてもらった近道が舗装道に合流します。ヘンロ小屋から1300m、14分ほどで上がってきます。赤線の道より250mほど近道になるようです。アップダウンもほとんどなく緩やかな下りが続きます、迷いそうなところもなく歩きやすい道でした。
 根香寺から3.6km地点、点線の道に変わって急な下り坂をしばらく行くと、ヘンロ小屋で休んでいたカップルがまた休んでいます。この坂はひざにくるから休みたくなる気持ちは分かるけど。
 急坂がやっと終わって右折するところで、根香寺で入れ違いになった男性がうろうろしています。道が判らないのかと思って声をかけたら、盆栽畑の写真を撮るためにポイントを探していたようです。盆栽の畑があることなどここを歩くまで知りませんでした。珍しい光景には違いありません。
 鬼無の踏切を渡ったのが13時40分、根香寺から55分48秒、ここで区切ったタイムは一度もとっていないので早いか遅いか全く見当もつきません。ひざの具合もよくてスピード感も十分だったようには思いますが。
 踏切から600m、岩田神社のちょっと手前にある飯田休憩所で休ませてもらいます。

 飯田休憩所で冷水器の水を何杯もお代わりしながら休んでいると、先ほど盆栽畑で追い抜いた人がやってきました。納札を交換、千葉県佐倉市の篠塚さん、「長嶋監督のふるさとですね」「彼の名前の付いたスタジアムがありますよ」とやはり郷土の英雄の話になるとうれしそうです。彼はここまで既に50日歩いている、かなりゆっくり遍路さんですが、それだけゆたかなお遍路ができていることも確実です。早ければ早いほど見過ごしているものも多いから、ぼくなどは8回9回巡っても知らないことの方が多くて、テレビのお遍路番組、四元さんや徳光さんの番組、現在再放送中の八十八歩記、などで初めて知ってそうだったのかと思うことが多々あります。
 話し込んでいたら、坂道で追い抜いたカップルもやってきました。今日の宿は6km先のきららだろうからまだ十分余裕があります。せっかく四国に来たのだからそれくらい余裕を持って時間を気にすることなく歩けたらそれにこしたことはありません。と言いつつ、ぼくは休みすぎて余裕がなくなってきたので先に出発します。30分以上くつろいでしまいました。時刻は14時19分。


 14時38分、香東川の潜水橋がなくなっていました、仕方ないので一つ南の国道の橋を渡ります。100mほど遠回りになります。
 香東川を渡って県道171号を横断、側溝ぞいの細い道で前を行く男性に追いつきます。西村ジョイの駐車場を抜けて国道32号が見えてきたところで、道ばたの縁石でかなり年配の男性が休んでいます、立ち止まって少し話を伺いました。「昨日はどこの宿だったの」と訊かれて「うたんぐらです」と言うと「うたんぐら、ぼくは一昨日泊まったよ、イタリア人がいただろう、連泊すると言ってたから」、帰ってから遍路の広場を見て判ったのですが、彼はうたんぐらにゆかりのあるお遍路さんのようです。「今日はちょっと足が痛いのでそこで野宿するよ」、前の空き地を指さします。かなりの高齢のように見えるのに普通に野宿する強かさ、
 15時20分、83番札所一宮寺に到着、根香寺から113分53秒、近道遠回りの分を考慮に入れてもベストより3分ほど早い。昨年と違って下りのスピードは全部上々です。
 時間が押してきて余裕がなくてまた撮影を忘れてしまいました。

 15時41分、一宮寺を出発、予定よりだいぶ遅れてしまいました。今日は素泊まりなので買い物もあるし、郵便局にも用があるので17時までに着けるか微妙になってしまいました。

 16時06分、デイリーヤマザキの向かいに高松田村町郵便局があったので(本当はもう少し先の郵便局に入るつもりだった)、最後の百円玉13枚下ろします。12ヶ所の郵便局で合計161枚下ろしました。最初に持参したのが26枚、買い物のおつりで調達した分が百円玉75枚と五百円玉1枚、ほぼ最初の計画通り、でもおつりで早く貯めすぎて手持ちが多くて重くなりがちでした。
 向かいのヤマザキで夕食と朝食を仕入れます、さすがヤマザキだけあってぼくの好きなカロリー高めの菓子パンがそろっています。


 17時01分、本日の宿ビジネス旅館三鈴に到着、一宮寺から61分56秒、ベストより2分ほど遅れました。
 昨年無理矢理開けてもらったお詫びを言いながら挨拶します。昨年は宿を長らく閉めていたせいか最後に会った5年前より少し老けられたかな、という印象があったのですが、今回は逆に明るく元気な表情で6年前とほとんど変わらないという感じです。やはり仕事を再開してお遍路さんのお世話をするようになって生き生きしているのがはっきり判ります。昨年無理を言ったことが結果的には良かったのだと少し安心しました。連休中の予約もいっぱいで断ることも多いそうです。親戚や知り合いからお米が送られてきて、お遍路さんにおにぎりにして持っていってもらうとちょうどいい具合になるの、とうれしそうに語ります。
 部屋が二つで断ることが多いので、広い方の部屋は相部屋にして3人に泊まってもらいたいのだけれど、と相談を受けます。その場合は、予約の時に相部屋になるかもしれませんがという断りは必要でしょう、と助言します。相部屋で値段が安くなるのであれば納得してくれる人も多いでしょう。
 26日目の歩行距離  39.6km
      歩行時間  7時間01分  
      平均時速  5.66km  良い区間と悪い区間、理由は何となく


25日目 藤川旅館(観音寺市)~善根宿うたんぐら(宇多津町)

2015-08-08 | 15年四国の旅

 朝食は6時でお願いしたら、6時半からでないとできないと言われて、そのつもりをしていたら、朝6時にできていて呼んでもらえました。今日は距離はそんなに長くないけれど札所の数が多くてそれだけで時間がかかるので、30分でもありがたい。6時30分に宿を出ることができました。


 7時11分、70番札所本山寺に到着、宿から42分26秒、ベストより10秒だけ遅れましたが、まあ誤差の範囲、JRの下をくぐった後、昨日のフランス人に追いついて一言二言喋ったので、それがなかったらタイで来ていたでしょう。時速は6.40kmだから昨日の立ち上がりよりはだいぶいいようです。今日は踵は全く気になりません。
 本山寺でお参り納経を済ませ、7時30分に出発です。


 7時43分、本山寺を出て1600m、国道を離れて右の方に入っていきます。ここからしばらくは初めて歩く道です。実は6年前この道のことを聞かれてちゃんと答えられなかった、という苦い経験がありました。この道は昔の街道なのですが、白黒のへんろ地図にも赤線がなかったので、全くのノーマークだったのです。パソコン地図を見ていてこれは昔の道に違いないと気づいて、ようやく今回初めて歩くことになりました。


 入口にはちゃんと矢印がありました。でもこの部分国道の左側を歩いているので、この矢印に気づくことはありませんでした。


 道しるべもちゃんとあります。


 高松道のインターチェンジへ上がっていく道ができたので、それを横断するためのトンネルです。昔の道はもう少し右だったはずです。


 ため池の脇を通る気持ちのいい道、車も通りません。なぜ今までこの道を行かなかったか、知らなかったか、残念です。


 街道に入って9分、交差点に古い道しるべがありました。まぎれもなくここがへんろみちであった。


 明治三十年の文字がはっきり見てとれます。


 こちらも明治時代の道しるべです。


 ため池の向こうに我拝師山が見えます。おそらく百年前とあまり変わらない風景。


 8時02分、街道に入って19分で、国道に合流です。国道に比べてわずか70mの遠回りにしかならないのに赤線がないのは何とも理解できません。

 街道が国道に合流して280m進むと、今度は左側に脇道がある、こちらの道は道しるべがあるし赤点線もあるので多くの人が歩くけれど、8版の地図まで赤点線はありませんでした。こちらの脇道は180mの遠回りですが、国道よりずいぶん気持ちよく歩けます。


 8時27分、脇道が一旦国道に合流する高瀬川の手前、土手の道に入るところにヘンロ小屋の案内です。いつもは土手の道を行くけれど、今回はヘンロ小屋を見に行きます。


 韓国人の公認先達チェサンヒさんが尽力、日本韓国両国で寄付を募ってできあがった日韓友情のヘンロ小屋です。土手の道は遠回りで川を渡る人も多いからここで休むお遍路さんも多いでしょう。本山寺と弥谷寺のほぼ中間、ちょうど休みたくなるところです。


 9時26分、71番札所弥谷寺に到着しました。本山寺から107分54秒、ベストより2分ほど遅いのですが、新しい道で写真を撮りながらだったので、歩きとしてはまあまあだったと思います。山門の1kmほど手前、県道48号を横切ったところで男性を追い抜きました。追い抜く前に立ち止まって少し迷っていたような感じだったので初めてのお遍路なのかと思っていましたが・・・。
 県道48号の所で追い抜いたYさん(名前を聞かなかったので仮のイニシャル)はお参りを終えて一足先に次の札所に向かいます。ぼくは大師堂を下りてきたところで腰を下ろします。ここまで15km歩いているのでいつもここで休憩します。お参り納経を含め40分ほど滞在、10時07分に山門を出発します。

 竹林の山道を抜けて、舗装道に出る少し前でYさんに追いつきました。Yさんは柔和な笑顔をたたえたとても感じのいい人です。
 曼陀羅寺の少し手前で逆打ちの若者とすれ違います、やはり固い表情。


 10時38分、72番札所曼荼羅寺に到着、弥谷寺から32分09秒、ベストタイでした。距離が短いので少し遅れてYさんも到着、まだここまではよくあることです。


 曼荼羅寺の隣にあった門先屋旅館が完全に消失、駐車場になっていました。一度泊めてもらったことがあるだけに、何とも言えない感慨があります。


 10時58分、73番札所出釈迦寺に到着、曼荼羅寺から5分42秒、もちろんベストタイです。山門の向こうに捨身ヶ嶽禅定、今回は時間がないので登ることはできません。
 出釈迦寺を11時21分に出発します。弘階池の横を通る近道を行きます。県道48号は歩道がないので歩きたくない道です。


 11時47分、74番札所、甲山寺に到着、出釈迦寺から25分00秒、ベストより1分早い記録です。Yさんは納経所に向かうところです。札所間の距離が短いからそんなに珍しいことではありませんが。
 12時05分に出発します。


 12時19分、75番札所善通寺にに到着、初めて南門から入ります。別格17番に向かったときこの門から出たことはありますが、ここから入るのは初めて、いつも御影堂からお参りを始めてしまいます。今回は記念の年で納経帳も持っているのでちゃんと順番通りにお参りします。
 甲山寺から御影堂までのタイムは13分26秒、ベストタイでした。


 本堂でお参りを終え、御影堂へ、初めて御影の池の大師と対面します。札所が多い日なのでいつも流れ作業のようになってほかのものは目に入らないというのが常でした。
 御影堂でお参りを終え納経所に行くと,Yさんが並んでいました。広げた納経帳を見ると御朱印は今回で3つ目、初めてではありませんでした。
 納経を終え本堂に戻り、その右脇、段になっているところで腰を下ろして昼食です。
 本山寺の近くから来る人はこの周辺で昼食を摂る人がほとんどだから、ここから先で歩きの人に出会うことはほとんどないといってもいいくらいです。観音寺から来る人はここまでという人が多いし、この周辺から出た人は坂出の近くまでいってるから、これからの時間は空白地帯になります。
 善通寺では50分ほど滞在させてもらいました。13時10分に出発です。


 赤門を出てすぐ、山本屋本館が解体の真っ最中です。一度も泊まったことはないけれど、いつもその玄関の前を通って次の札所に向かうので、やっぱり淋しさはあります。


 13時41分、76番札所金倉寺に到着、善通寺から33分06秒、ベストより1分半遅れました。気温が上がったせいか、6ヶ所でお参りをして疲れたのか、調子が落ちてきたのは自覚していました。
 境内に入っていくと、ちょうどYさんが納経所から出てきたところでした。珍しいです、71番から76番まで境内でいっしょになることなど過去に一度もありません。札所間の距離が長くて3.5kmだから歩く速度が違ってもお参りや休憩の時間でうまく合ってもおかしくないようなもんですが、昼食が入ったり、その日の宿の位置が違ったりで75番以降は会わなくなるのが常でした、この時間76番で歩きの人を見かけることじたいほとんどありませんでした。この調子だと77番でもいっしょのはずだから7ヶ所参りコンプリートになりそうです。
 お参り納経を終えて14時00分に出発です。あとお参りも2ヶ所になって、ちょっと余裕のある時間ですが休憩はとりません。
 金倉寺を出て1.3km、葛原正八幡神社の横を抜けるとすぐ先の5差路で県道の方から来たYさんが立ち止まって、ちょっと迷った様子、すぐ正しい道に歩き始めました。すぐに追いついて、これだけいっしょだったので初めて声をかけました。「今日は郷照寺まで行かれますか」「いや、道隆寺で区切りなんですよ、多度津駅から電車で帰ります」、聞いてみるとお遍路は3回目だけれど、過去2回は車で巡った、歩きは今回が初めてということでした。道理で迷いそうなところで立ち止まっているはずです。「弥谷寺の先で追い抜かれた後坂道を駆け足でしたよね」「あれくらいで下りた方がひざの負担が少ないんですよ」、タイムを気にしていたということもあるんですが、恥ずかしいのでそのことは言いませんでした。
 道隆寺の手前300mの昨年お地蔵さんをいただいたお宅の前を通りかかると今年は人影もなく通り過ぎようとしたら後ろから声をかけられました。昨年はお母さんだったのですが今年はお父さんでした。去年も頂いたことは言わずありがたく二つ目を頂きます。今年32回目のお接待です。


 14時39分、77番札所道隆寺に到着、金倉寺から36分40秒、ベストより1分遅れですが動きは少し良くなっている感じです。
 お参りの前に納経所の前にある冷水器でたっぷり本物のお冷やをいただきます。
 お参り納経を終えて、15時00分に出発です。
 大都会丸亀の街を抜けて土器川を渡り、渡ったところにあるセブンイレブンには目もくれません。今日は素泊まりなので夕食を調達するのですが、7ー11には自社ブランドの菓子パンしかなくて買う気になれません。500m先にあるローソンも袋菓子は満足ですが菓子パンのラインアップには失望することが多いので入ることなく、宇多津駅の近くにあったコンビニを目指します。3年前に確か入ったその店は見あたりませんでした。その先に以前あったローソンもなくなって、どうしようかとうろたえながら県道をさらに進むとやっとファミリーマ-トがありました。250mの遠回りですが希望通りの菓子パンを買うことはできました。


 16時25分、78番札所郷照寺に到着です。遠回りしたり買い物をしたりで予定よりだいぶ遅くなってしまいました。
 お参り納経を速やかに終え山門を出たのは16時44分、今年も何とかセーフです。


 16時46分、郷照寺からへんろみちを300m、進行方向右側にある善根宿うたんぐらに到着しました。ご主人奥さん二人そろって出迎えてくれました。昨年支払いを忘れて出てしまって、根香寺で気がついて電話したら、「来年も来るんでしょ、覚えていたらその時に払ってくれたらいいし、覚えてなかったら払わなくてもいいから」、と言われて、丸1年、ちゃんと覚えていて玄関で今年の分と合わせて2000円を支払います。奥さんはもちろん覚えていなくて、ぼくに負担をかけたことに恐縮、あやまっています。近頃ではそういうことがないように、宿帳を書くときに先払いするようにしたそうです。
 同宿は5人ですが、ぼくが一番乗りでした。昨日から連泊のイタリア人男性二人、日本人の野宿の若者、お遍路は3回目、スペインの巡礼道(サンチアゴデコンポステーラ)も歩いたHさん、もうひとり高校の同窓生と宴会をしていてだいぶ遅めにやってきたTさん。イタリア人の一人は英語ができるのですがご主人も奥さんも全然駄目でなかなか通じなくて苦労していました。一人が「今日は休日のようだけど何の休みなのか」と尋ねて、ぼくが前の天皇の誕生日で昭和の日というのだ、とたどたどしい英語で伝えて何とか判ってもらえました。二人は明日の宿泊場所はどこがいいかと奥さんに尋ねて、奥さんは根香寺の近くにあるヘンロ小屋がいいだろうと、へんろ地図を使って教えています。
 Tさんは高知の出身で高校時代は徳島池田で育ち池田高校の出身、お遍路は初めてでご主人の話を聞いたり、奥さんの先達用の納経帳を見せて貰ったりしてさかんに感心しています。ぼくも先達用の納経帳があるのは初めて知りました。奥さんはこちらで善根宿を始められた5年前までに、四国を12回も巡られています。
 21時になって居間から寝室に移動、男部屋でTさんとHさんと相部屋です、若者は女部屋、イタリア人は母屋のようです。前に泊まったときは野宿の若者だったので話は全くできなかったし、もう一度も自転車で野宿で回っていた人でこれといった話はできなかったのですが、Hさんは今回は寝袋を持たず全部宿に泊まるのでいろんな話ができました。今回は逆打ちで、これから連休になるので宿が取れるか心配しています。小松の宿が難しいだろうと言うので、電車で壬生川の駅前の宿にすればと助言します。今治からしまなみ海道を歩いてみることも考えているので、ぼくが歩いた経験をお話しします。23時まで尽きることなくいろんな話ができて大満足の一夜でした。

 25日目の歩行距離  38.4km
      歩行時間  6時間10分
      平均時速  6.23km


24日目 一野屋旅館(四国中央市)~藤川旅館(観音寺市)

2015-08-06 | 15年四国の旅


 朝食は6時から、6時34分に宿を出発します。
宿を出て間もなく国道192号に入り、東へ東へ。昨日とは違って調子が出ません。昨日まではほとんど気にならなかった踵のひび割れがちょっと気になります。時計を見るまでもなくスピードが出ていないことは自覚します。
 宿から850mの所にローソンがあったので昼食を調達、相変わらずのコンビを購入。2800mで高知自動車道の下を抜け、4668m地点、川滝小学校の前でタイムチェック、45分06秒、時速は6.21kmでした。調子の悪かった3日前と同じくらいです。ちょっと上に椿堂、いつも休ませて貰いますが、今回はまだいくらも歩いていないので休みません。
 川滝小学校から30分ほど歩いたところで、向こうから歩き遍路さんがやってきます。「昨日はどこの宿だったの」と声をかけてくれます。民宿岡田に泊まった逆打ちのベテラン遍路さんで4回ほど巡っているそうです。道の反対側を歩いていたので少し立ち止まっての二言三言だけになりました。
 川滝小学校から36分で境目トンネルの手前600m、境目峠の登り口にあるバス停に到着しました。時速は6.02km、この区間は少し登りになっているので早いとも遅いとも言えません。この区間のタイムもとったことがないので比較できません。


 バス停では15分ほど休んで8時20分に出発します。今まで境目トンネルを抜けたのが7回、進行方向左側から登って曼陀峠に向かったのが2回、境目峠を越えるのは初めてです。登り口に古そうなへんろ道しるべがあります。


 登り始めてすぐまた古い道しるべです。大正四年十二月とはっきり見てとれます。この道こそが本当のへんろみちであったことを初めて認識します。


 登り始めて9分で舗装道に上がってきました。ここまでの山道はそんなに険しくなく歩きやすい雰囲気のある道でした。さすが歴史のあるへんろみちという感じです。近道のために無理矢理造った左側から登る道とは大違いです。


 8時32分、舗装道に上がってから5分で境目峠に到着しました。これより東徳島県三好郡の碑です。


 峠から40mで左折、曼陀峠に向かうのですが、道しるべが植え込みに完全に隠れていて、危うく佐野の方に下りかけました。佐野の方へ下りていく道も昔のお遍路さんが別格15番箸蔵寺へ行くためには必ず通るへんろみちだったはず。来年は民宿岡田に泊まる予定なのでこの道も歩きたいと思っています。


 9時21分、左側から曼陀峠に直接上がってくる道との合流ポイントです。写真のヘアピンカーブの右へ上がると曼陀峠に至ります。


 境目峠からここまで4kmを43分で来ました。愛媛徳島の県境に沿って蛇行の多い山道ですがアップダウンはあまりなくて快調にとばすことができます。椿堂までよりも動きが良くなってきている感じもします。ここの標高は520mですが、そんなに登ってきたという実感はありません。お遍路に優しい山道、多少距離は長くなってもこの道を避けるのはおかしいと思わずにはいられません。


 ヘアピンカーブの合流ポイントからちょうど1km、12分で曼陀峠です。合流ポイントは香川県、徳島に入って、また香川に入って、次に徳島に入るところがこの峠です。道幅の広い舗装道ですが、こちらの方が勾配はきつい、でも身体はよく動いてくれています。


 曼陀峠から2500m、ようやく雲辺寺山が見えてきました。左の小さな電波塔が2本立っている、そのすぐそばに雲辺寺があります。曼陀峠から27分、時速は5.6km、前にこの道を歩いたときよりも動きはいいと思います。


 10時36分、66番札所雲辺寺に到着しました。合流ポイントから6100mを71分、時速5.15kmで来たことになります。椿堂からの合計は159分です。トンネルを抜けて佐野から登った時のベストは143分、トンネルの手前から左に登って曼陀峠経由のベストは151分、確かに遠回りには違いないのですが、一番無理なく気持ちよく歩けることも確かです。
 この時間歩きの人はいないと思ったら、前の山門があったところで二人の男性とすれちがいました。下りる道を間違えたのかと思って声をかけたら、逆打ちでした。逆打ちならこの時間にいても不思議ではありません。
 お参り納経を終えて昼食です。伊予三島駅の近くの宿から来たときに比べて1時間ほど早く来ているので大部余裕があります。40分ほど境内に滞在、11時18分に出発です。
 昨年はこの下りが最悪でした。ひざに力が入らなくて、踵もひび割れができていて、ベストより13分も遅れてしまいました。青空屋まで下りてきた後はなだらかな舗装道が続いて晴れ晴れとした気持で歩くのが常だったのですが、そこでも足が思うように動かず、全く楽しめませんでした。本当に残念な区間でした。松尾峠の下りの次に残念でした。
 下りはじめはふかふかの山道が多く、順調です。一番いいときの動きと変わらない感じで足が出ています。踵のひび割れも全く気になりません。何より長さがあまりに苦にならず落ち着いて歩けています。後半のごつごつした急な階段が続くところでも納得しながら合わせて下れています。ひざの負担は感じますが、それでも思い切って足が出せています。まだか、まだか、という感じではなく、いくらでもどうぞというような余裕すらありました。そのせいか、意外に早く舗装道まで下りてきたという感じもありました。
 青空屋のすぐ手前で夫婦連れに追いつきます。時刻は12時05分、
 少し進んだところで飼い犬か野犬か、吠えたてられ追いかけられました。なんとか逃れることができると、脇道から軽トラで出てきたおじさんが「噛まれへんかったか」と声をかけてくれました。「噛むんですか」と言うと、大きくうなずかれました。このあたりではちょっと知られた危ない犬だったようです。「札所まで乗っていくか」とお接待の申し出があったのですが、こればかりはお断りするしかありません。
 青空屋から3km、別格16番萩原寺からのへんろみちが合流するポイントにある休憩所で一休み、いつもは休まないけれど、休むだけの余裕もあります。ここまでの3kmは大好きなへんろみちで、今回は十分楽しみながら歩けました。タイム以上にそのことが大事。


 13時08分、67番札所大興寺に到着、雲辺寺から99分00秒、ベストタイでした。この区間は、03年=130分、04年=135分、05年=103分、06年=113分、07年=99分、09年=107分、14年=112分、これほどばらつきの大きい区間は珍しい、その中で今回のベストタイは我ながらよくやったなあという感じです。
 境内に上がっていく階段の途中で歩きの男性二人とすれ違います。岡田からの早い方のグループです。この時間だと15時くらいに観音寺に着くでしょう。
 境内に上がって水屋を済ませ本堂の灯明で長髪髭もじゃの白人男性といっしょになりました。気さくに日本語で声をかけてくれました。手製の経本でちゃんと般若心経もあげています。お参り納経が終わると彼が休んでいるベンチの隣で休むことにしました。日本語が大丈夫そうだったので、「今日は民宿岡田からですか」と訊くと「いや、岡田さんには電話したけれどいっぱいだったので、紹介して貰った、何という宿だったか・・・」「白地荘ですか」「そうそう、白地荘、車で登り口まで送ってもらいましたよ」と非常に流ちょうな日本語です。彼は足首を痛めていて普通に歩けない、登りはまだよかったけれど、下りはものすごく大変だったようです。今日は観音寺のビジネスホテルだそうです。ぼくが2食付き5000円の宿に泊まると言うと、そんな宿があるんですか、ぼくの宿は食事なしで同じくらいしますよ。88番の門前の宿は予約できなかった。ぼくが10日くらい前にして最後の一部屋だったというと、彼はぼくの次の日に泊まる予定だったので、とれなくても当然だったと納得しています。「その日はバスに乗ってすぐ帰ります、この戦争を早く終わらせてやります」。痛みとの戦い、自分との戦い、という意味だったと思いますが、「戦争」という言葉をチョイスするのはさすが「ラマルセイエーズ」の国の人だなと少しおかしくなりました。彼がフランス人だと判ったのは、いっしょに階段を下りているときに登ってくる年配の日本人女性がいきなり彼にフランス語で話しかけたからです。そのフランス語もネイティブなみ。二人の会話を聞いていると、彼は東京で働いていて何年も日本に在住しているようでした。トイレに行きたいというので山門でお別れしました。山門を出たのは13時31分でした。
 大興寺から3.6km、池之尻郵便局で百円玉を下ろそうとしたら、交差点で男性二人がたたずんでいます。大興寺の階段ですれ違った人です。「迷ってますか」と声をかけると「迷ってます」と答えたので、こちらが正解です、と県道の方向を指さします。県道を横断する方にも道しるべがあって迷いやすいのですが、そちらは昔の道でちょっとだけ遠回りになりますと、説明します。昨日はやはり民宿岡田だったそうで、今日は一人は若松屋別館、もう一人はビジネスホテル。ここでもぼくは5000円で2食付きの宿に泊まるといったら、そんな宿があるんですかと感嘆の声をあげられます。
 郵便局に行くので別れを告げて、百円玉16枚下ろします。


 14時59分、68番札所神恵院、69番札所観音寺に到着、大興寺から78分37秒でした。この区間朝一番で歩いたときのベストは78分ですが、午後歩いたときのベストは81分、郵便局の交差点で別れた二人を追いかける形になったので後半は必要以上に力が入ってしまいました。
 神恵院、観音寺でお参り納経を済ませ、本当なら宿に向かうのですが、今回はもう一つ立ち寄るところがあります。


 15時32分、観音寺を出て、3分ほどで、江戸時代には68番札所があったという琴弾八幡宮の前に戻ってきました。この前は毎回通るけれど一度も中に入ったことはありません。今回は記念の年でもあり納経帳も持っているので歩けるところはいろいろ歩いておきたい。


 11分ほどで標高65mの本殿の前まで登ってきました。途中にあるはずの真念のへんろ石は確認できませんでした。


 『是よりせん望すれば 蒼海天と一色にして
  国々島々直下にして 右は有明の海 左は川みなと』
 江戸時代より木々が繁茂して、なかなか昔の風景は味わえません、海と天は一色ですが蒼くないのが残念。伊予の山々も望むことはできません。


 16時02分、69番札所の700m手前にある藤川旅館に到着です。やっぱり一野屋に泊まらないと今日中に68番、69番、昔の68番にお参りすることはできなかったでしょう。ちょっと残念なところもあったけどありがたい宿ではありました。


 昨年と同じイノシシ鍋と昨年はなかったマテ貝のバター炒めがたっぷり、味噌汁もマテ貝、マテ貝の存在は知っていましたが食べるのは初めてです。まずまずのお味です。
 昨日寒川郵便局の前で話した若者は17時過ぎに宿に入りました。山登りに水を用意していなくて大変だったと言います。山の中に自販機なんてあるわけないのに、なんて無謀な、ま、でも山越えの42kmよくがんばりました。
 同宿はもう一人大阪からバイクで来た70歳の女性、素泊まりだったので顔は合わしませんでした。

 24日目の歩行距離  35.7km    いつもより距離が短いので
      歩行時間  6時間28分    後半の調子がいいのは当然
      平均時速  5.52km


23日目 伊予西条駅~一野屋旅館(四国中央市)

2015-08-04 | 15年四国の旅

 伊予西条駅の近くの宿を出たのは5時50分、この近くから出たときは伊予三島駅の近くの宿まで36km、札所もないから、かなり楽に歩ける1日だったのですが、今回は納経があるので三角寺をお参りして、その4km先にある宿に泊まるので46km、今回の旅で2番目の長さになってしまいます。2番目に心配な1日です。


 駅前にコンビニがあったので入ろうとしたら、男性お遍路さんが出てくるところ、駅の方に歩いていきました。伊予三島まで札所がなくてJRがへんろみちと並行して走っているのでこの区間電車を使う人もいる。あるいはバスで石鎚に向かうのか。ぼくも来年はここから中萩まで電車に乗る予定です。
 06年と09年にこの近くのにぎたつ旅館に泊まったときは、駅の西側の踏切を渡って、讃岐街道に入って国道に出たけれど、今回は距離が長いので東側の踏切を渡ります。国道に出るまでの道はへんろみちでも何でもないけれど、今日は近道優先です。
 踏切を渡った所にあるのはぼくの地図ではパチンコ屋ですが実際はイオンになっていてしかも閉店していました。駅に近い所で駐車場も広くてイオンなのに。駅の西の方にマルナカがあるからみんな慣れた方がいいのかもしれないし、市役所の北の方にはフジグランもありますから。
 イオンの角を左折して、東へ600m行くと道が突き当たる、右折して200m行くと国道に出ます。駅の近くのホテルに泊まるとこの道が一番の近道だけど歩く人はほとんどいないでしょうね。少し遠回りになっても讃岐街道の続きを歩く方が意義があります。
 国道に出てきたポイントは讃岐街道が国道に合流するポイントの380m先になります。そこから800m先がパナソニックの正門、その50m先に昨年休憩したコンビニがあります。昨年は小松からだったのでいい距離だったけれど、今回はまだいくらも歩いていないのでスルーします。コンビニの200m先に讃岐街道の入口が現れます。国道を歩いたときでも南側のこの道は入らなかったけれど、今回はもちろん入ります。900mほど進むと、赤点線のへんろみちに合流です。

 国道の南側の赤点線の道を歩くのは8年ぶりでしたが、橋を渡って郵便局くらいまではぼんやり覚えていましたがそれ以外の所はほとんど記憶に残っていませんでした。1700mほどで国道に合流します。国道を850m進むと西条市と新居浜市の市境、市境から500m進むと渦井川、川を渡るとまもなく讃岐街道の入口です。ここまで伊予西条から6700m、次の休憩ポイントまでがいつも長く感じる所です。
 街道に入って中萩小学校までが2600m、この街道は細い道でありながら車が容赦なくスピードを上げて迫って来るという悪い印象があったのですが、今回は車の数も少なくて無茶な走り方をする車もなくて気分良く歩けています。
 中萩小学校から2080m、喜光地商店街の広場にようやく到着したのは7時40分、本日最初の休憩です。宿から106分41秒、ベストタイでした。同じ道を歩くのは初めてなのでやはり時速で換算しました。時速は6.42kmです。
 休憩していたら自転車遍路さんがやってきて声をかけてくれました。松山の手前でズボンに入れていた長財布を知らない間に落として引き返す所だそうです。逆打ちなので讃岐方面に向かっている。
 今日は歩き遍路さんに会わない日です。伊予西条駅から先の宿は12km先のMISORAだけで、そこに泊まっていなかったら一人も出会うことはないでしょう。歩きの人に会わないと、考えることが少ないので自分の歩きに集中します。集中するとカメラに手が伸びません。
 30分休んで、8時10分に喜光地商店街を出発します。
 商店街から1300mで国領川を渡る、この橋の手前100mで左折して国道を越えた所にビジネスホテルMISORAがあります。
 橋を渡って1500m進むと街道は国道に合流します。
 国道を700m進むと街道が現れます、この700mは街道の上に国道が造られたということになります。両側がちょっとした山に挟まれているので国道も街道を避けることができなかった。
 国道を離れ街道を歩いていると左手に見える国道を歩いているお遍路さんが見えました。MISORAに泊まった人に違いありません。MISORAに泊まった人は伊予三島まで23kmほどしか歩かないから朝もゆっくりです。
 800mほどで街道はまた国道に合流、合流した所にあるコンビニでは毎回のようにその日の夕食を買っていたけれど、もっと三島に近い所にコンビニができたので利用しなくなってしまいました。今日は2食付きで泊まるので、そちらのコンビニにも入りません。
 国道に入って700m先にまた街道の入り口がありますが、昨年歩いたので今回はそのまま国道です。今日は距離が長いので仕方ありません。
 国道を1kmほど進むと、緩やかなカーブを描きながら左折、カーブの途中に新居浜市と四国中央市の市境があります。市境を過ぎて230mほど行くとまた脇道の入口がありますが、これは街道ではありません。街道は市境から100mの所を逆に向かって入る、この道も昨年歩いたから入りませんでした。
 脇道を450m進んだ所で街道が合流してきます。街道を1400m進むと関川郵便局、関川小学校の前を通ってさらに1900mで国道を今度は合流しないで横断します、ここまで来ると次の休憩地別格12番は近い。時刻は9時48分。

 国道を横断して140mでJRの踏切を渡ります。さらに660m進むと浦山川を渡り、360m行くとまた踏切です。踏切を渡ると別格12番はもう秒読み、改めて時計を確認しようとしたら、声をかけられました。「ちょっと待って、飲み物あげるから」、家の中に入ってわざわざリポビタンDを持ってきてくれました。今年31回目のお接待です。納札を渡して丁寧にお礼を言います。ここまでくると、今年の自分はそれまでの自分と大部違うのかな、と真剣に思います。7巡目の時にも納経帳は持っていたし服装も全く同じ、歩く速さも変わりません。違うのは今回は写経を持っていることくらい、それでも何かしら内から出てくるものがあるのでしょうか、お遍路らしい雰囲気が備わってきたのでしょうか。そういうものは本人には全く自覚はないけれど、もしそういうものを感じてもらえているのだとしたらとてもありがたいし、嬉しいことです。
 10時06分、別格12番延命寺に到着しました。喜光地商店街から113分53秒、ベストより1分早く着いてしまいました。時速は6.43km、2日前とは大違い、理由がよく分からないのがもどかしいところですが。
 いざり松の横にある休憩所で30分ほどたっぷり休みます。伊予三島駅の近くの宿に泊まったときは距離が短くて時間を持て余したものですが、今回はまだ4時間近く歩くので、30分以上は休めません。

 延命寺を10時35分に出発、蔦廼家、松屋旅館の前を通り21分で国道を横断します。街道はここから伊予三島まで国道の南側をはしる。新居浜とは違ってここからは車の通りも少なくて安心してのびのび歩けます。2300m進むと松山道土居インターチェンジへ上がっていく道の下を抜け、すぐ大地川、昨年架け替え工事中だった橋がまだ工事中。仮歩道橋を渡ります。
 さらに3400m進むと、街道は国道に接近、一番近づいた所にコンビニがあります。国道に面していて街道からもすぐ入れる。その街道側の道ばたで20代の男性お遍路さんが弁当を食べています。ぼくと同じ伊予西条駅近くの宿から来たのだとしたらなかなかの健脚です。歩きの調子がよいので挨拶だけして行き過ぎました。


 12時07分、コンビニから1800mの所にある伊予三島寒川郵便局に到着しました。百円玉16枚下ろします。明日の札所は4ヶ所ですが、明後日が9ヶ所、明日も下ろさねばなりません。
 もう少し先のバイパスの交差点にあるヘンロ小屋で休むつもりだったのですが、一旦落ち着いてしまうともう少しが大儀になって、近くの自販機でアクエリアスを買って道ばたに腰を下ろしてしまいました。天気がすごく良くて気温も大部上がっています。しばらくしたら、コンビニの前で休んでいた若者がやってきました。行き過ぎようとしたのですが声をかけて話を聞きます。今日は三島の宿までだから、あと30分で着いてしまう。明日は観音寺まで行くつもりだがまだ宿は決めていない、40kmは歩いたことがあるというので、ぼくが泊まる宿を紹介しました。雲辺寺越えの42kmは大丈夫かなと思ったけれど本人が歩く気満々なのようなので何も言いませんでした。
 郵便局の前を12時32分に出発、バイパスの交差点に着いたのは12時45分、延命寺から104分54秒、またまたベストより1分早い。郵便局の前でたっぷり休んだのでヘンロ小屋には入らずそのまま次の札所に向かいます。
 交差点から300m先がへんろ別れ、街道を離れるポイントです。ここから1500mほどは12年ぶりに歩きます。最初の時も伊予三島駅の近くに泊まったのですが、ここまで戻ってきっちりへんろみちを歩きました、一度歩いたので以後は宿から近道です。12年ぶり2回目というのは、本当に初めて歩くのと同じでした。ほとんど目に入る光景に記憶はありません。
 過去8回とも伊予三島駅の近くの宿に泊まったから、三角寺は朝一番のお参りでした。昼間、しかも晴天で気温は高く、ここまで35km歩いているとなると、絶対べストに近いタイムは出ないと思いながら歩いています。少し前にアクエリアス500ccを飲んだばかりなのに、すぐ渇きが来て戸川公園のトイレで水を補給しました。このトイレを使うのも初めてです。坂道の勾配がきつくなるととたんに汗が噴き出ます。陽射しが容赦ない。短い短絡路の山道が終わるまでこんなに辛い思いをしたのも初めてでしょう。


 14時01分、65番札所三角寺に到着、バイパスの交差点から73分45秒、ベストより30秒くらいしか遅れませんでした。へんろわかれからはきょろきょろしながら珍しそうに歩いたし、坂道は全然調子が上がらなかったからこんなタイムが出るとは思ってもみませんでした。この時間に歩きの人はいないだろうと思ったら、駐車場の横のベンチに女性が休んでいました。MISONOから来てぼくと同じ一野屋ということは考えられる。
 宿まで40分ほどなので、時間はたっぷり、落ち着いてお参り納経を済ませます。距離が長くて少し心配だったけれど、こんなに余裕を持ってここまでこられるとは自分でもびっくりするくらいです。
 14時35分出発です。一野屋に下りていく道は途中までは昔のへんろみちで、白黒のへんろ地図(5版)にはちゃんと赤線がありました。下りていく道の入口に道しるべがあるので間違って古い道を行く人もいて、実際に椿堂で会ったこともあります。
 くねくねとして、分岐もいっぱいあるのでパソコン地図を印刷したものを手にしながら、慎重に下っていきます。初めて歩く道で、これから先も歩かないだろうからタイムは気にせず、のんびり初めての景色を楽しみます。写真を撮ればよかったのだろうけれど全部が初めてなのでポイントが絞れず、結局歩くだけになってしまいました。


 15時16分、迷うことなく一野屋旅館に到着しました。三角寺から42分04秒、時速は5.79kmでした。宿泊客はぼく一人、3日連続で同宿者なしです。さらに3日前は素泊まりの宿で、4日前は素泊まりで泊まったから、5日連続で一人で夕食を食べます。


 メインの海老フライと牡蠣フライはあまり美味しくなかったですが、それ以外はまあ普通です。
 部屋は二間続きで良かったのですが、敷き布団がぺらぺらで寝られたものではなく座布団を並べてマットの代わりにしました。全体に微妙な感じで5段階評価ならCで落ち着くでしょう。2食付き5500円だから、まあ納得できる宿ではあります。

 23日目の歩行距離  46.0km
      歩行時間  7時間21分  3度目の1日トータルでベストタイ
      平均時速  6.26km


22日目 ビジネスホテル田中屋~伊予西条駅

2015-07-31 | 15年四国の旅


 5時25分、初めて食事を一切摂らず宿を出ます。こんなに早い時間なのに女将さんが見送ってくれて,UCCのボトル缶350ccを持たせてくれました。今年28回目のお接待、へんろ地図には載っているものの、遍路道からはずれた宿なのにちゃんとした遍路宿だったことにうれしい驚きを感じます。
 宿を出ると目の前に壬生川駅、3年前別格巡りの区切り4回目の最後がこの駅だった。



 壬生川駅から南東に400m、県道48号に突き当たって右折すると左手に石鎚の峯がくっきり姿を現しました。朝靄か黄砂かPM2.5か、ややぼんやりしている感じです。

 JRの上を越えて500m行くと、旧東予市役所、今は東予総合支所があって、その向かいにローソンがありました。表にベンチはないのですが中にカウンターとチェアーがあって食事もできます。ハンバーガーを買って、宿でいただいたUCCといっしょに朝食です。
 20分ほど休んで6時ちょうどに発ちます。
東予支所から700mほどは、別格巡りの時以外にも3巡目4巡目のときに歩きました。04年に台風で横峰寺の登山道が崩れて歩けるかどうか判らなかったので、敷島旅館から小松方面に向かいました。今回は700m先の交差点を左折せず直進、ここから先は初めて(別格巡りでは向こうから逆に歩いて来た)歩きます。
 交差点から600mで今治小松自動車道の下をくぐり、さらに600m行くと斜めに切れ込む交差点があって、そこを左斜め前に入っていきます。


 6時23分、斜めの交差点から430mほど進んだ交差点の近くに、栄家旅館がありました。横峰寺に登るのに最高の立地なので今まで数多くのお遍路さんがお世話になってきた宿ですが、結局ぼくは泊まれないままになってしまいました。来年以降も田中屋以外の選択肢はないようです。


 栄家旅館から丹原の町を抜けて1km先を左折、今まで左手に見えていた石鎚が今度は右前方に見えます。7巡目まではどの方角にどういう姿で見えているか全く知らなかったので、見えていたとしても知らないままやり過ごしていました。もったいない話です。


 6時50分、石鎚橋からでもぎりぎり左半分は見えています。橋を渡ると見えなくなってしまいました。それでも1時間近くずっと仰ぎながら歩くことができて清々しい気分です。
 石鎚橋を渡って800m先、国道の交差点に到着したのは7時ちょうど、宿から69分39秒、この区間を計測したことはないのですが時速で換算するとほぼベストタイでした。昨日よりは立ち上がりは上々のようです。

 国道の交差点から500mほど先にある番外霊場妙雲寺の前を通りかかると、ちょうどお寺の中から若い男性が出てくるところでした。挨拶をしてそのまま行こうとしたら呼び止められました。「冷たいお茶がありますから持っていってください」と駐車場に停めた車の中のクーラーボックスから500ccのペットボトルを手渡してくれます。今日は日曜だから1日、2日の区切り打ちでしょうか、でもこの番外にお参りするというのはちょっと珍しい。今年29回目のお接待です。納札を渡して丁寧にお礼を言います。
 松山自動車道の下を抜けると県道はごくごく緩やかな登りになっていきます。
 喫茶てんとうむしの前を過ぎ、湯浪の分岐を右へ入って登りが登りらしくなってくるところで前を行く男性の姿が見えました。この道では毎回一人は出会って、目標になるのでいい感じで歩けることが多い。
 8時03分、登山道の登り口に到着、国道から59分52秒、国道からのタイムをとったのは昨年だけ、それより1分早い。時速は6.36km、緩やかな勾配とはいえ標高差で280mは登ってきて、国道までのスピードと変わらないというのは相当調子がいいということでしょう。
 15分ほど休んで、8時21分、山道に入っていきます。へんろ地図によればここから横峰寺まで距離は2600m、標高差は445m、ほぼ登りっぱなしです。04年=48分、07年=49分、08年=47分、09年=45分、14年=47分。09年の記録はちょっと異常だから47分で登れれば十分でしょう。


 9時05分、60番札所横峰寺に到着、登り口からのタイムは44分12秒でした。信じられない速さですが、速さを意識しては登っていません、ただ良く山道と語りながら登れたという意識はあります。読みながら思い出しながら、じっくり焦らず登れたという感じは、鶴林寺の登りと同じです。柏坂もこういう感じで登りたかった。


 横峰寺山門から600m登って星ガ森です。昨年は雲海が出てすごく幻想的ではあったのですが山頂付近だけ雲がかかって、稜線は確認できませんでした。今年はよく晴れて稜線もくっきり、一番高い天狗岳もはっきり確認できます。星ガ森の標高は800m、天狗岳の標高は1982m、来年はあの上に立つことができるのでしょうか。
 星ガ森まで往きは7分34秒、帰りは6分14秒、そうしてようやく横峰寺の山門を通り抜けたのは9時31分でした。本堂、大師堂でお参りを終え新しい納経所に向かいます。前回納経した6年前は、納経所が新築工事中で本堂でして貰いました。新しい納経所で納経を終え、新しいトイレを使わせて貰い、新しい休憩所で休みます。ロッジ風の休憩所には大きなザックがありました。しばらくして持ち主が戻ってきました30歳前後の大柄な男性、野宿の人がどれだけの費用で巡るのか興味があったので、ぶしつけながら思い切って尋ねました。彼は1日30km、40日で一巡する、費用は8~9万円、ただ北海道の人なので羽田まで飛行機、東京から夜行バスで、往復5万円くらいの交通費が別にかかるということでした。彼は山男、通夜堂も善根宿も使わず野宿以外はしない。装備は多ければ多いほど安心ということで、重量は17kg、宿に泊まる普通のお遍路さんとは逆の考え方です。星ガ森には行きませんか、と聞くと、昨年の秋星ガ森から石鎚まで登ったといいます。紅葉が大当たりの年で素晴らしい体験だった。登りにくい所や迷いそうなところはありませんか、と訊くと、特に問題はなかったそうです。

 横峰寺では早い昼食を摂りながら30分ほどゆっくりしてしまいました。10時15分に下山を始めます。昨年はこの下りは最悪でした。うまく歩けなかったところはいろいろあったけれど、一番残念だったと言えるでしょう。自動車道を下ったけれど05年、06年いずれとも印象が全然違いました。今回は納経もあるので、普通に山道を下ります。下りの山道で一番たいへんなのは、最初巡ったときは三坂峠だったのですが、2回目以降は横峰寺だと感じることが多くなりました。雲辺寺も萩原寺へ下りたときはきつかったけれど、それでもきつい区間がここよりは短い。
 そんな覚悟を持ちながら下り始めたのですが、思いの外順調でした。下り一辺倒ではなく途中登るところもあって、以前には気持がめげそうになったこともあるのですが、今回は合わせながらしっかりついて行けています。平坦なところでは力を入れる余裕もあります。途中登ってくる人、3人と出会います。小松に連泊ならこの時間でも十分でしょう。
 そろそろ自動車道も近づいてくるかと思われた頃、左へ下りていく道が通行止めになっていて直進します。この道は6年間歩いていないのでよく分からないけれど、いつもの道が下りることができなくなったのでまた新しい道が造られたということでしょうか。二股には分かれていなかったような記憶です。判らないまま歩ける道を下りるしかありません。しばらく下りていくと、自動車道に合流、いつもの合流ポイントではないようです。自動車道をしばらく行くと、確かここがいつもの合流ポイントだというところがありました。少し遠回りになったようなのでタイムの比較はできません。
 自動車道に下りてしばらく行くと登ってくる人がいます。小松の宿からだとこんな時間になるわけがないから逆打ちなのかもしれません。
 61番奥の院も過ぎて順調に下っていたら、8.1km地点の分岐点で道しるべを見ながら迷っている人がいます。どちらでも行けますけど真っ直ぐの方が楽ですよとアドバイス、しばらくいっしょに歩きました。彼は昨日はビジネス旅館こまつに泊まって荷物を預けてあるそうです。連泊ではなくても置かしてもらえるようです。こまつの宿泊客はいっぱい、連泊の人も何人かいたそうです。仙遊寺からこまつ、という人が5割を超えるような感じもします。
 12時05分、61番札所香園寺に到着、写真はありません。横峰寺から104分57秒、ベストより3分遅れですが、山道が遠回りになっていたはずなので比較になりません。歩いてきた感じだとベストに十分届いていたほどの快調な足の運びでした。納経所では話に聞いていた通り、62番札所の1200年記念の御影もいっしょにいただきました。62番は四国霊場会に入っていないので、そんなのは渡さない、でも1200年記念スタンプは押してくれる。ヘンなの。

 香園寺で62番の御影をいただいて思い出しました。62番は12時から13時の間は昼休みで納経はしてもらえない。今12時25分、12分で62番に着くからちょうど昼休みの時間に当たってしまいます。まあでも横峰寺から2時間近く歩いてきたところだからぼくも休めばいい。


 香園寺から62番に向かう途中、国道に出てきたところにコンビニが復活していました。ぼくが初めて四国に来たときにはなくて、何年か後にできて、数年後に廃業になって、そして復活。前はサークルKだったようですが。


 12時38分、62番札所宝寿寺に到着、お参りが終わって納経所の前で休憩です、既に10人以上の人が並んでいます。今日は日曜なので車で来ている人が目立ちます。家田荘子さんは納経所に昼休みがあることに不満を漏らしていましたが、88ヶ所もあれば、こういう札所が一つくらい出てくるのも人間的で自然なことなのかなと思ったりします。御朱印記念印をいただいて「ありがとうございました」と最敬礼すると、「お気をつけて」と言ってくれました。
 13時15分に宝寿寺を出発、13分37秒で63番札所吉祥寺に到着しました。またまた写真はありません。 お参り納経を今度は流れるように済ませ13時42分に出発です。
 ここでもちょっと余計なことを考えたので罰が当たって、道に迷ってしまいました。昨年まで8回も来ていてそんなことがあるのかと思われるでしょうが、実際にそういうことが起こるのが四国のおもしろいところです。1kmほど余分に歩いてしまいました。ちょっと恥ずかしいのですが、後から考えてみれば、余計なことを考えてすぐこういう目に会ってしまうというのはありがたいとも思いました。ちゃんと見てもらえているのだと考えることもできるからです。
 何とか本来の道に戻って、次の札所が近づいてきた頃、民家の庭から声がかかりました「お遍路さん、蜜柑あげるからちょっと待って」生け垣が蜜柑の木でそこからもいで一つ手渡してくれました。今年30回目のお接待です。


 14時25分、64番札所前神寺に到着しました。
 お接待の蜜柑を食べてから、14時55分、前神寺を出発します。伊予西条駅まで4kmほどですが、今回はちょっと遠回りをします。


 15時05分、国道11号に出てきました。伊予西条駅の近くの宿に泊まるときはここから国道を歩くしかないけれど、今回は横断して北側の細い道を歩きます。これが讃岐街道です。へんろ地図では国道の手前で田圃の中を行く道に赤点線があるけれど、あれは本当の遍路道ではない、国道ができてから、それを避けるために考えられた新しい道のようです。


 ここまできっちりした直線でないのがいかにも昔の街道らしい趣を感じさせます。ちょっとした登りになっているのは加茂川の土手でしょう。


 15時19分、街道が突き当たった土手には立派な石灯籠がありました。


 傍らには昔の加茂川橋の欄干の端の柱があります。


 土手から川を眺めてもその痕跡は全く見あたらない、でも確かにここに橋が架かっていた。そして多くのお遍路さんがその橋を渡っていた。川の向こう側も確かめたいので一旦南下して今の加茂川橋を渡ります。


 15時38分、橋のすぐ側にあるコンビニで買い物を済ませ、橋を渡って土手の道を北上、昔の橋があった所にやってきました。街道はきれいに続いています。


 15時41分、県道の交差点です。一部だけ残ったアーケードが奇妙な雰囲気ですが、別の意味があるのでしょうか。


 交差点にありました、比較的新しそうな道しるべ。紛れもないこの道こそが本当のへんろみちだった。今はおそらく古道マニアくらいしか通らないであろうへんろみち。でも南側の赤点線の道より距離は300mほど短くなるから、この道を歩くのも悪くない。国道を歩く距離は1kmちょっと長くなるだけだし。


 15時49分、そろそろ駅も近くなってきたところ、歩道の脇から水が吹き出ています。これも西条名物打ち抜きの一種なのでしょうか。

 22日目の歩行距離  38.3km
      歩行時間  6時間41分
      平均時速  5.72km   横峰寺の下りは大満足の動き


21日目 マリーナシーガル(今治市)~ビジネスホテル田中屋(西条市)

2015-07-28 | 15年四国の旅

 素泊まりなので少し早め、5時32分に宿を発ちます。今日も距離が長く札所も6ヶ所です。
 少しぼんやりしていて、伊予亀岡駅の手前の脇道の入り口をやり過ごしてしまいました。ここは初めての人なら入れないことも多い、歩道が左側で右に入るシールが遠くて見えにくい。すぐに気がついて引き返します。最初の時はへんろ地図も持っていなくて、国道をそのまま歩いたのですが、入れなかったのはその時以来です。
 大西の町を過ぎて、札所が近づいてきた頃、二人の男性を追い抜きます。いずれも大西の宿に泊まったと思われます。


 7時43分、54番札所延命寺に到着、遍照院から129分53秒、ベストより4分遅れでした。時速は6.37km、朝にしては少し動きが悪い。
 延命寺は本堂が修復工事中、納経所の横に仮の本堂が設えてあります。
 8時05分、次の札所に向けて出発です。


 8時39分、55番札所南光坊に到着、延命寺から33分46秒、ベストより1分遅れ、4回連続ベストタイで来ている区間だから動きは良くないといっていいでしょう。理由は判りません。
 お参り納経を終えて、納経所を出た所にあるベンチで少し休憩、9時03分に発ちます。


 9時33分、56番札所泰山寺に到着、南光坊から28分34秒、ベストより30秒遅れ、この区間も過去4回連続ベストタイだったから、きっちり調子の悪さが出ています。すごく悪いというのではなくて、10%くらい悪いというのが微妙でおもしろいところです。理由は判らないから受け入れながらそれなりの歩きをするしかありません。
 納経の後15分ほど休んで、10時ちょうどに出発です。


 10時30分、57番札所栄福寺に到着、28分18秒、またまたベストより1分遅れ、この区間も過去4回ベストタイでした。ここまで来ると見事と言うしかありません。時速は6.26km、ベストの時速は6.44kmです。


 栄福寺ではやっぱり15分ほど休んで11時ちょうどに出発、南光坊、泰山寺でも休んでいるから本当なら休む必要はないけれど、納経が終わるとなんとなく腰を下ろしてしまいます。
 11時27分、58番札所仙遊寺(山門)に到着、栄福寺から24分22秒、本日初めてのベストタイでした。この区間は登りが多くてその中でタイということは、疲れはあまり感じていません。
 お参り納経を終えて、今度は休憩なしで山門に下りてきたのは12時02分、境内まで往復するだけでに20分以上かかる。
 昨年は、ここからの下り山道が調子が悪くておそるおそるという感じでタイムも出なかったのですが、今年はいくらか調子も良くて、身体も動いています。


 13時00分、59番札所国分寺に到着、仙遊寺から58分01秒、ベストより1分半遅れでした。この区間はベストで歩いた5巡目以外は、1分遅れが2回、2分遅れが3回で、タイを出せない区間だから、歩きとしてはそんなに悪くない。午前中よりは歩けているという感じもありました。

 国分寺ではたっぷり25分休憩、本日のお参りは終了、後は宿に向かうだけです。13時40分に出発、予定ではあと2時間ちょっとなので、16時までには宿に入るつもりでした。
 道の駅今治湯ノ浦温泉の手前で前を行く若い男性が見えました。見るからに野宿、今日はどこから来てどこまで行くのか見当もつきません。野宿の人とは宿の話ができないからほとんど話すこともありません。追いつきそうになったところで道の駅に入っていきました。
 14時37分、国分寺から5.7km地点、遍路道が国道を離れるところで、休む予定はなかったのですが、休んでしまいました。国道の左に空き地があってベンチもありました。ちょっと疲れています。


 分岐点では12分ほど休んで、13時40分に出発です。今回は初めて壬生川駅前の宿に泊まるので、遍路道ではなく国道をそのまま進みます。ここからは初めて歩く道です。写真は分岐点から500mほど進んだところ。


 全てが目新しい風景、へんろみちでは見えない海も見えます。仙遊寺から小松の宿に行く人はこの道を歩く、でも遍路道ではないし、ちょっと味気ない感じもするから、もったいないという気にもなってきます。

 分岐点から3kmほど進んだところにコンビニがありました。でもまだ4km以上歩くし、宿に近いところにもあるはずだから、余裕を持って見送ります。夕食は宿にお願いしてあるけれど、朝食は7時からなので自分で調達します。


 さらに2kmほど進んで、壬生川の町が近づいてきた頃、すれ違った地元の男性に呼び止められました。「これ女房が作ったもんやけど、よかったら持っていってください」。今年27回目のお接待です。ありがたく頂きます。思いのこもったものは本当に力になります。それにしても、ごく自然な感じだったから、毎日のようにこの道を歩いて出会うお遍路さんにわたしているのかもしれません。さほどにこの道を歩くお遍路さんは少なくないということなのでしょう。お遍路さんが歩けばそこは遍路道、この道に赤線が付いてもおかしくないのかもしれません。
 宿まであと1600mの所にあるローソンは別の業者に化けていました。その先のファミリーマートもなくなって、結局朝食は明日宿を出てから買うことになってしまいました。コンビニは本当に当てになりません。
 最後右折して壬生川駅に向かう少し前、100mほど前を行く歩き遍路さんが見えました。もう少し早ければ追いついていたのですが、やはりこの道を歩く人は確実にいます。


 16時02分、壬生川駅前にあるビジネスホテル田中屋に到着しました。
国分寺から127分47秒、初めて歩いた道なので比較はできませんが、時速から換算すると4分ぐらい遅かったようです。1日通して1時間歩くと2分くらいベストより遅い、安定した速度で歩いていたことになります。
 田中屋は初めての投宿、洋室を用意してあるといわれたのですが、和室に変えて貰いました。エントランスの上の2階の角部屋です。


 しじみの味噌汁が最高でした。今年四国でいただいたおつゆの中で一番美味しかったと断言できるくらい美味しかった。しじみの味噌汁というとしじみの味が全面に出て美味いというよりきついということが多いのですが、この汁は主張しすぎていず、味噌の旨みと美味く調和していて味わったことのないおいしさでした。そして、できたて熱々のポークソテーがうれしい。文句なしのおすすめ宿ですが、次の日の横峰寺を考えるとこの場所に泊まれるお遍路さんは多くありません。栄家旅館や小松から登るのに比べると4kmほど長くなるので、近い方の宿を選ぶことになる。この日も宿泊はぼく一人だけでした。でも、もしビジネス旅館こまつが満室だった場合、小松まで歩いて電車で壬生川に戻ってこの宿に泊まるという選択肢はありだと思います。
 夕食付き5500円。

 21日目の歩行距離  44.1km
      歩行時間  7時間10分
      平均時速  6.15km
  3週目の7日間に出会った歩き遍路さんは79人、
  初日からの合計では248人になりました。


20日目 長珍屋(松山市)~マリーナシーガル(今治市)

2015-07-24 | 15年四国の旅

 6時04分、宿を出発。6年前も前日に八坂寺を打って48番に向かったのですが、その時は最短の道(久谷中学の前を通過する)を選択。今回は文珠院の手前で遍路道に入り、後はいつもの道を歩きます。


 6時25分、別格9番文珠院から1kmほど進んできたところです。確か昨年までは麦畑だったはず。


 6時49分、48番札所西林寺に到着、宿から44分55秒、八坂寺からのベストと、時速で換算して比較するとほぼ同じでした。昨日の三坂峠の下りでがんばりすぎたせいか右の踵にひび割れができたのですが、全く痛みはなく歩きにも影響は出ていないようです。
 境内にはぼく一人ではなかったのですが、静かに落ち着いてお参りができました。7時06分に出発です。


 7時34分、49番札所浄土寺に到着しました。
 西林寺から浄土寺までは、4巡目からずっと赤点線の遍路道ではなく、県道40号を直進しています。遍路道は歩道のない箇所があってかつ通勤の交通量が多くて3巡目の時に嫌になりました。やや遠回りになりますが歩道のある県道の方が安心です。ただ踏切を渡って左折すると歩道がないのですが、それも前回から線路沿いの路地を歩くようにして難を逃れました。
 この区間は、07年がベストであとの4回はいずれも1分遅れ、時速6.6kmを出さないとベストタイにならない厳しい区間、今回も初めから諦めていたのですが、結果は27分05秒でベストタイ、思ってもないいいタイムが出てしまいました。昨日の好調さが続いているようでいい気分です。
 浄土寺の大師堂でお参りを終え、納経所へ向かおうとしたら、すぐ先に納経帳がいっぱい詰まった袋を抱えた男性二人が納経所へ入っていくのが見えました。納経所では、結局20分近く待たされてしまいました。6番札所から始めて44ヶ所目、ちょうど折り返しで初めてです。受け入れるしかないのでひたすら静かに待たせていただきました、ちょっとした修行です。ぼくは歩くのは修行だとは思っていないので、初めての修行という感じです。今日は札所の数が多く距離も長いので、この20分は痛いなあと少し焦る思いもあったのですが、1日が終わってみれば、このおかげでちょっといいこともありました。
 8時05分に浄土寺を発ちます。


 8時20分、50番札所繁多寺に到着、ベストタイでした。タイの中でもかなり余裕のあるタイムでした。焦りが力になったようです。団体さんはまだ到着していません。1.5kmしか離れていないからつい警戒してしまいます。


 お参り納経を終えて山門に戻ってくると、ちょうど団体のバスが到着したところ、納経の二人は別働隊、乗用車で先に来て既に納経も終わっています。
 8時35分、繁多寺を出発、さあ次と気合いを入れ直したところで、車が止まって呼び止められました。「お遍路さんですか」と聞かれて、「はい」と答えると助手席の奥さんが出てこられて、納札とお地蔵さんのストラップを手渡してくれました。松山市在住の伊賀上さんご夫妻、納札の上には「祈・結願」と書かれてありました。早速次の札所でお遍路キティといっしょにザックにぶら下げました。今年25回目のお接待、浄土寺で待たされなかったら出会えていなかったでしょう。


 8時59分、51番札所石手寺に到着、繁多寺から22分14秒、ベストより1分早い。時速は6.78km。県道40号に下りてきてからは幅員が狭く歩道がなくて歩きにくい箇所もあるのでこれだけのスピードは自分でも信じられないくらいです。お地蔵さんの御利益があったのか、昨日の大浴場で思い切り時間をかけてくつろいだのが良かったのか。
 到着する少し前、女性の歩き遍路さんを追い抜きました。一人で歩いている女性は本当に少ない、ここまで200人近い歩き遍路さんと出会ってその内5人くらいだったでしょうか。


 石手寺で初めての休憩、たっぷり30分ほど休んで、9時40分に出発です。道後温泉は携帯で撮ったので撮影しませんでした。松山大学グラウンドを抜けて300mほどの所にある、松山御幸町郵便局で百円玉16枚下ろします。明日もお参りは6ヶ所です。


 11時29分、52番札所太山寺の山門に到着、石手寺から10540mを97分48秒、ここへ来てベストより3分遅れですが、時速は6.47kmだから全然悪くはありません。
 もう一つ先の山門をくぐって境内に上がると、本堂で、白人の夫婦がお参りを始めるところでした。なんと、手製の経本を見ながら般若心経を読み上げています。大師堂に行くとちゃんと線香灯明も上げていました。挨拶だけはしたのですが、さすがに話しかけるまでには至りませんでした。今日はおそらく道後から、それでこの時間というのはずいぶんゆっくりですが、その分味わいもじっくりでしょう。北条までならあと12kmだから十分です。
 納経を終え再び山門に戻ってきたのは12時01分。休憩をとらなくても30分かかる広い敷地。
 次の札所までは山門からちょうど2km、途中で今度は日本人の夫婦に追いつきました。こちらも味わいながら歩いています。タイムを気にしながら前しか向いていない自分がバカみたいに思えたりします。


 12時20分、53番札所円明寺に到着、太山寺から18分29秒、ベストタイでした。ベストタイにするには時速6.58kmで歩かないといけないので最後はちょっと無理矢理でした。距離が短いときにはそういう小細工をすることもあります。
 ここでもちょっとした修行がありました。納経所ではなく、ほんのちょっとしたことで怒りがこみあげて、十善戒をおかしてしまいました。その直後思いもかけない失敗をしてしまい、罰はてきめんだと思い知りました。この数日後にも同じことがあって、その時は本当に痛みを伴う罰を受けました。怒るということは普通のことで間違ってはいないのだけれど、それをねに持ったり、ため込んだりしても何の徳にもならない、ましてお遍路の最中ともなるとすべきことがいっぱいある、その集中力を削ぐようなことはしてはならない。受け入れるか、それができなければ軽く受け流すようにした方がよい。歩いて、お参りをして、休んで、食べて、それの繰り返しだけのようだけど、全て意識を持って、力を注いで行動してきたのだと、少し判って、また本当のお遍路さんに一歩近づけたような感じがしました。

 円明寺では15分ほど休んで12時50分に出発、今日のお参りは6ヶ所完了したのですが、あと20km以上残っているので、16時までに宿に入ることはできません。
 円明寺から250mの踏切を渡った所で、先に出たご夫婦が立ち止まって地図を眺めています。どう見ても迷っているようなので声をかけました。踏切の先は区画整理で昔の道がなくなって、道しるべや遍路シールもないので迷う人がいても不思議ではありません。一緒に県道347号まで歩いてあげれば良かったのですが、そこまでの余裕はなくて地図を見ながら大体の方角を教えるだけになりました。地図が苦手な人には、確かに判りにくい。今の地図はどうなっているか知らないけれど、ぼくの地図では県道347号に出てJRの上を越えたあと脇道に赤点線が付いていて、これも一つの迷い所になるかもしれません。347号に出る手前の橋がまだ工事中で、これも初めて来た人にはどうしたものかと思うかもしれません。仮歩道を渡って直進すれば347号だけど、左折する道の方に赤線があるし、どちらでももちろんいいのだけれど、ややこしいといえばややこしい。
 円明寺からの赤線の道は一通り歩いたけれど、今は347に出た後はそのまま脇道には入らず県道を歩きます。距離が長くなるとどうしても近道を選びがちです。
 気持のよい海の歩道を抜けて、光洋台駅の所で国道に入ります。国道にも赤線が付いていますがこの道を歩いているお遍路さんに一度も出会ったことがありません。一度バイパス(国道)を歩いてしまうと、県道347号(旧国道)には戻れません。旧国道は4回歩いたのですが、北条までのタイムはとっていなかったので比較はできませんが、バイパスを歩く方が5分くらい早いのは間違いないと思います。海鮮北斗からの旧国道は久万からレストパーク明神までの道より歩きにくいはずです。

 円明寺から光洋台駅まで5297m、光洋台駅から国道196号を歩くと北条郵便局まで5897m。へんろ地図を見るとバイパスの方が遠回りのようにも見えますが、実際は距離の差はほとんどありません。ただ北条の宿に泊まる場合は少し遠回りになります。その場合でもぼくはバイパスを歩くでしょうが。
 14時45分、北条郵便局到着、円明寺から104分38秒、ベストより1分遅れでした。とはいえ時速は6.42kmだから十分な歩きです。動きは悪くないからタイが出てもおかしくないと思いながら歩いていました。バイパスを歩いた1回目と2回目は郵便局で休みましたが、3回目は日曜日で休めず、前回は鎌大師で休みました。今回も夏みかんのお接待を期待しつつ鎌大師で休むことにします。
 郵便局から鎌大師まで1850m、17分20秒。この間タイムをとったのは昨年だけ、その時より40秒早いタイムでした。到着する少し前に前を行く歩きの人が入っていくのが見えました。到着するまでに追いつきそうだったのですがバイパスの交差点で信号待ちで離されてしまいました。
 今日の宿を聞くと、ぼくと同じマリーナシーガル、今日は道後からだから31kmほど歩く人です。明日は仙遊寺宿坊、その次は小松の同行民宿。やはり仙遊寺から小松というのはスタンダードになりつつあるようです。丹原の栄家旅館は昨年ぼくは臨時休業で断られたし、食事はできなくなったようだから、どうしても小松に流れてしまう。国道を歩けば24kmだからほとんどの人が無理なく歩ける距離でもあります。でもそうすると三芳の手前から丹原にかけての感じのいい遍路道が歩けなくなってしまう。あの道をはずすのは歩き遍路としていかにももったいない感じがします。
 小松に泊まると横峰寺は本来の下り道で登って、下りも同じ道というのが近道で多くの人がそうすると思いますが、ぼくは敢えて遠回りでも本来の登り道を歩くようおすすめしました。小松から国道11号を西へ4km、ファミリーマートの手前の交差点で本来の遍路道に合流、ここからここまでが何kmで、何分くらい、と全区間教えてあげて、普通に歩いても十分余裕をもって小松まで戻ってこられるとアドバイス、丹原の道も歩かない、横峰の表参道も歩かないでは、本当につまらない。
 その人は横峰を下ってから、翌日にはバスとロープウェイで石鎚にも登るそうです。ぼくはまだ登っていないから、思わず「うらやましい」と声に出してしまいました。
 鎌大師では美味しい夏みかんもいただいて22分ほど休みました。話も盛り上がって予想外の長居になりました。
 15時24分に出発、十分休んだので目の前の峠越えはいつになく足取りは軽く、浅海まで24分48秒、郵便局からのトータルでベストより1分早い。15時50分、浅海から宿のある菊間までも、気力は衰えず46分06秒、ベストよりは2分遅れですがそれは朝一番で歩いた記録、午後から歩いた5回の中では一番いい記録でした。時速は6.51km、40km近く歩いた後なら6.2kmでも十分満足のいく速さだから最高といってもいい状態です。
 遍照院のすぐ近くにあるコンビニで夕食朝食を調達、二日続きの素泊まりです。


 16時42分、本日の宿マリーナ&ホテルシーガルに到着。札所も多く、距離も長く、休みも長く、納経も長く、いろいろあって予想より大部遅くなってしまいました。入るところが判らなくて建物の周りを1周したのですが、左のオープンスペースから中に入って左の奥にエレベーターがありました。1階はボートや機材がいっぱいおいてあって、ちょっと入っていけないような雰囲気もありました。エレベーターで上がるとそこは普通のホテルの雰囲気、フロントの女性に聞くと、今日は2人、昨日は4人、大体2人くらいの日が多いということでした。営業はだいぶ前からしているようだけれど、へんろ地図には記載されていなくて(新しい地図には記載)存在を知るお遍路さんは少ないようで、月の家旅館が廃業になってからは、ここまで歩いて、電車で北条や大西の宿まで行くという人に2回会いました。この存在がもっと一般的になればさらに需要は伸びるでしょう。部屋は普通のビジネスホテルの2倍はある広さにベッドが二つ、使わないベッドの上に全ての荷物が並べられるので、普通のビジネスのように忘れ物をする心配もありません。素泊まりのみ4320円。

 20日目の歩行距離  45.7km
      歩行時間  6時間57分
      平均時速  6.56km   初日に次ぐ速さ


19日目 笛ヶ滝(久万高原町)~長珍屋(松山市)

2015-07-22 | 15年四国の旅


 朝食は6時から、納豆があります、ちょっとうれしい。食後のコーヒーもありました。そしておにぎりのお接待も。レジの横にはかごにキャンディが盛られて自由に持っていけるようにもなっています。本物の遍路宿、お接待宿といってもいいでしょう。来年も来たいけどなぁ、
 6時42分に宿を出発。



 6時57分、43番札所大宝寺に到着、笛ヶ滝から歩くのは初めてなのでベストタイムはないのですが、時速から換算すると、いつもよりはちょっと早かったようです。
 静かな境内、落ち着いてお参り納経を終え、次の札所に向けて歩き出したのは7時13分、峠御堂トンネルまでの山道は、昨年は逆に歩いたので、順番通り歩くのは6年ぶりです。この山道は足場が悪いところがあって、楽ではないしうまく歩けたという印象もあまりありません。構える感じの峠越えですが、今回はいつも以上に足の運びはなめらかな感じがします。

 和佐路から1400m先の県道とへんろみちの分岐点がタイムチェック、大宝寺から49分15秒、何とベストより1分早い、無理にスピードを狙うような歩き方はしていません、昨日7時間43分も歩いたのに。お風呂の時間が自由に長めにとれたのが功を奏したのでしょうか。
 最初の計画では久しぶりに八丁坂を歩くつもりでそちらの方のタイムを書いていたのですが、何となく楽をしたくなって、そのまま県道を歩くことにしました。そうしたら、すぐ岩屋寺方面から来る人3人とすれ違います。ここは打ち戻りで逆打ちではないので、みなさん挨拶を返してくれました。今8時過ぎだから、古岩屋荘から来たのでしょう、古岩屋荘の朝食は7時からだから先ず間違いない。下りに入ってまた二人、古岩屋から長珍屋まで23km、長珍屋から先の宿は道後までほとんどないといってもいいから、古岩屋を利用する人は多くなるようです。

 へんろみちの分岐点から県道を歩くのは、往路では07年以来2回目です。何となく楽したくなっただけですが、5人の歩きの人と会えたので正解でした。
 古岩屋荘を過ぎてちょっと進んだところで,岩屋寺を打ち終わったKさんがやってきます。「お早うございます」と元気よく挨拶したら、「早いなあ」と別の早さに呆れ気味。8時45分、大宝寺を7時より早く出られないから、この時間でここまで来るのか、ということなのでしょうが、そんなに差はないと思っているから、感心されるほどでも、という気分です。民宿八丁坂から岩屋寺を打って道後まで行くというのは、ぼくなどは考えたこともなかった。距離は48km、札所は7ヶ所、松山に下ってからお参りに時間がかかります。でもKさんならやっぱり17時半までには何とかしそうです。



 9時10分、45番札所岩屋寺に到着。ほとんどの札所では山門がタイムチェックポイントですが、ここ岩屋寺では県道から来たときは納経所の前まで階段を上がりきった所になります。最初にそうしてしまったので仕方ありません。だから駐車場からの登りも力が抜けません。
 分岐点から57分59秒、8年前と同タイムでした。


 トイレの先に見慣れない建物がありました。遍照閣とありますが、考えられるのは宿坊くらい、でも岩屋寺に宿坊があるなんて聞いたこともないから、全く?のままでした。帰ってから調べると、やはり宿坊でした。岩屋寺には50年くらい前にできた宿坊があったのですが、老朽化のため長らく営業していなかった。昨年の秋に新築されたそうです。ぼくが見た情報では素泊まりのみ3800円、とありました。長珍屋まで25.7kmだから利用できる人は多いとはいえ、食事がないとこの近くで調達するのは難しそうだから、やはり古岩屋荘という選択になるのかもしれません。
 水屋の岩清水をペットボトルに詰めて、少し休憩、9時35分に出発、また同じ道を戻ります。昨日47km歩いたから、今日は楽してもいいでしょう。

 復路も県道、全部県道を歩いたのは、1巡目と7巡目、昨年の3回。八丁坂を戻ったのが3回、古岩屋荘から古い道を歩いたのが3回、住吉神社のすぐ先から高野休憩所へ向かう山道を歩いたこともあります。楽なのはやはり全部県道ということになります。
 古岩屋荘まで26分56秒、ベストタイだけれど、昨年よりは1分遅い。昨年は1日の最後だったのに異常な速さだったから記録にしていません。古岩屋荘を過ぎてしばらく行くと、同宿の大ベテランがやってきました。連泊で宿に荷物を置いてきていると思いきや、フル装備でした。今10時過ぎだから十分一里木までは行けそうな堅実な歩きです。改めて最敬礼をしてお別れです。すごい人の歩きを見せて貰うとやっぱり力が入ります。分岐点に向かう登りは7巡目の時は息が切れるほどで全然足が出なかったけれど、今回は昨年同様しっかりとらえながら歩けています。分岐点に戻ってきたのが10時34分、古岩屋荘から30分49秒、やはり昨年よりは20秒遅いけれど、それまでのベストよりは2分早い。朝からずっと最高に近い歩きができています。
 大嫌いな峠御堂トンネルは、車が少なくて珍しくほとんど冷や冷やすることはありませんでした。久万公園まで下りてきたのが11時18分、分岐点から40分18秒、ベストより1分早い。いつもはここで休みを取るけれど、食料がないので、1300m先のコンビニで休むことにします。
 一里木のすぐ先のコンビニに到着したのは11時32分、今日の宿は素泊まりで泊まるので夕食朝食用の菓子パン3つとチョコと柿ピーを買います。コンビニにはベンチがありませんが、隣のパチンコ屋との境がちょうどいい段差になっているので腰掛けにします。
 12時00分、コンビニを出発、ここから4.5km先のレストパーク明神までが歩き遍路にとってちょっとした難関です。歩道のバリエーションが多いし、狭いところが多いし、頻繁に段差も現れる。一定しないとスピードが乗せられないし、緩やかに登ってもいます。動きが良くてもそれを阻害する要素が次々現れる感じ、ここまでと違って歩くのがちょっと嫌になってくる感じもする。
 レストパーク明神に到着したのは12時45分、ベストより1分遅れ、確かに思ったような歩きができていませんでした。
 レストパーク明神ではたっぷり20分の休憩、13時05分に出発です。
 久万からここまで4.5kmで標高差120mを登ってきた。ここから三坂峠まで2kmで標高差100mを登る、単純に計算して倍の勾配になるけれど、明らかにしっかり歩けています。歩道が安定していて力が普通に発揮できます。久万までの快調さがまだ残っていたという感じです。
 三坂峠からの下りの山道に入っても、動きは悪くない。前半の地道は比較的やさしくて、いつもさほど苦労しない、今回も意識するまでもなくスピードが乗っていく感じがします。難関は中盤の舗装急斜面ですが、楽ではなかったもののひざや足首の負担はそんなに大きくなくて、いいときの歩きに近い感じがしています。


 14時08分、番外霊場網掛石の前まで下りてきました。この2.5km前から1kmくらい前までがきびしい区間ですが、ここまで下りてくればほっと一息つきながら歩けます。撮影する余裕も出てきます。次の札所まで3.4km、今回は納経の都合で47番まで打って46番の前にある宿に泊まるのですが、それでも3時半くらいには宿に入れそうです。
 網掛石から7分ほどで県道に合流していきます。県道207号に入って200mほど進むと、地元の人たちに呼び止められました。新しくできたお接待所でした。木曜日だけの開設だそうです。手作りのドーナツ、苺、かき餅、パウンドケーキ、煎餅、ゆで卵、すすめられるままに全部いただきました。ゆで卵はさすがにその場では食べられず、白衣のポケットに入れました。ぼくが来たときに休み終えて発つ人、その後には逆打ちの人がやってきました。彼はレストパーク明神に車をおいていて、そこから車で高知まで帰るということでした。彼が喋っている間にぼくはひたすら食べることに専念します。そんなつもりはなかったのに20分も長居をしてしまいました。


 14時58分、久谷郵便局に到着、4万円と百円玉16枚下ろします。明日は札所が6ヶ所。


 15時08分、46番札所浄瑠璃寺に到着、レストパーク明神から99分49秒、ベストタイでした。最後まで気力体力十分でした。100分で下りてきたのは08年の1回だけだから、調子は最高に近い状態。
 お参り納経を終えて一息つく間もなく、15時28分、本日最後の札所に向かいます。歩きの人が何人かいるのですが、長珍屋に泊まるバスツアーの人で、26番と27番の距離は900mしかないので、この区間だけ歩いていると思われます。故にカウントはしない。
 8分13秒で47番札所八坂寺に到着、ベストタイ、撮影は忘れてしまいました。ちょっと慌てていたのは16時までに宿に入ろうと思ったから、1分2分遅れてもどうということはないのですが、できるなら自分の中ではきっちりしておきたいという気分です。
 15時50分に八坂寺を出発、


 15時58分、浄瑠璃寺門前にある長珍屋に戻ってきました。3年ぶり8回目の投宿です。8回も泊まるのは88番門前の八十窪とこの宿だけです。今回は旧館が満室で初めて新館に泊まります。新館にはバストイレが部屋についていて旧館より少し高い5076円(素泊まり)、旧館は4320円。ユニットバスは普通のビジネスホテルより狭くて使う気になれずもちろん大浴場で思う存分ゆっくりします。古岩屋荘から来たと思われる男性が3人入っています。分岐点の近くですれ違った人たちだと思われますが、一瞬だったので顔は覚えていません。

 19日目の歩行距離  39.1km
      歩行時間  6時間33分
      平均時速  5.97km  1日トータルでのベストタイは初日以来


18日目 ときわ旅館(大洲市)~笛ヶ滝(久万高原町)

2015-07-20 | 15年四国の旅


 朝食は6時から,Kさんはもう少し早い方が良かったみたいだけれど、6時より早くしてもらえるかどうかは分かりません。してもらえたとしても30分早いくらいだから、今日の計画にはほとんど影響がないので、ぼくは6時で十分でした。Kさんも合わしてくれました。
 Kさんは、ということで6時20分に出発、ぼくは玄関でご主人と少し立ち話、来年は兵頭に泊まるので来られませんが、再来年は来られるようにしますと約束をして6時40分に出発です。


 7時13分、別格8番札所、十夜ヶ橋永徳寺に到着しました。宿から30分18秒、ベストタイです。昨日と違って出だしはすこぶる好調。500m手前、大洲プラザホテルの脇にあるローソンでおなじみコンビを購入、それで3分のロスタイムが出ました。
 朝の十夜ヶ橋は初めてです。7巡目まではこの少し先のふるさと旅館に泊まっていた(6巡目は108ヶ所巡りだったので大洲郷土館ユースに宿泊)ので1日の最終盤、昨年は出石寺の方へ行ったからお昼前でした。考えてみればベストタイは当然、もっと早くても良かったくらいでした。

 今日は今回の旅で一番長い距離になるし、最後にはひわ田峠という難関も控えていて、計画の段階でかなり迷ったのですが、昨日のKさんの話を聞いていて、本当に気が楽になったという感じです。57kmに比べたら大したことない、47kmでびびっていてどうすんだ、という妙な楽観論に支配されています。
 十夜ヶ橋を過ぎて、ふるさと旅館に入る交差点も過ぎてしばらく行くと、前を行く男性が見えました。ふるさと旅館に泊まった人に違いありません。ふるさとからだと砥部町の二つの旅館がちょうどいい距離(落合トンネルを抜けたところまで30km)になります。ときわ旅館からだと34kmでちょっと難しいという人も出てくる、トンネルの手前の薬師堂まで迎えに来て貰えば32.5km、これなら歩ける人も多くなるか。
 来楽苦はシーズン中でも休みのことがあるし、いかだやは一人では泊まれないようだし、大瀬の館は一組限定だし距離は短いし、
 追い抜いてまもなくまた男性が現れました、同じくふるさとからでしょう。国道から遍路道に入って500mほど進むと新谷郵便局、ここで百円玉を下ろすつもりだったのですが、まだ8時前なのでATMは営業していません。大瀬の郵便局で下ろすことにします。
 脇道からまた国道に合流、まだKさんの姿は見えません。出だしで2kmの差があったわけだから2時間は歩かないと追いつかない計算です。
 五十崎の手前から国道を離れてあぜ道とも山道ともいえそうな地道に入ります。2日前の雨でまだぬかるんでかなり歩きにくくなっています。これだけ水はけの悪い道も珍しい。この道が苦手なせいかいつも長く感じます。地道であればどんなみちでも優しいとは限らない。
 本当は大して長くはないけれど、ようやく抜けて舗装道がうれしい。内子運動公園に入っていくと電話ボックスがあったので、昨日できなかったビジネス旅館三鈴に予約を入れます。去年無理矢理泊めて貰った○△です、と言うと、すぐ分かって貰って「今朝佐藤さんが発たれたんですよ」と明るい声が返ってきました。元気に営業し続けていることが分かって一安心です。もう一つ残っていた宇多津の宿にも入れて、これで今年の予約は全て終了。家から入れた予約は2軒断られてしまったけれど、四国に入ってから入れた予約は全部受けてもらえました。
 内子駅がチェックポイント、十夜ヶ橋から75分57秒、ベストタイでした。

 内子駅のすぐ北の高架を抜けたのは8時38分、内子の町へ入っていきます。昨年は内子駅で休んで、そのまま国道に出てしまったので、町の中を歩くのは6年ぶりになります。松乃屋旅館の前を通る赤点線の道をそのまま行きます。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている八日市護国の町並みはそのへんろみちをはずれて300mほど北にあるようですが、相変わらずの忙し遍路なので、まだ見に行ったことはありません。今回は今までで一番距離も長いのでもちろん寄り道はかないません。来年は余裕があるから行けるかもしれません。
 町を抜けて、国道の下をくぐって、川を渡ると道の駅内子フレッシュパークからり、Kさんがいるかもと表の部分だけ見渡したけど見あたりませんでした。
 道の駅から大瀬までの国道379号はとても歩きやすく交通量も多くなく小田川の流れと共に歩くので好きな道です。でも不思議な道でもあります。4巡目(06年)の時に一番いい記録を出したのですが、それから3年連続で3分以上遅い記録しか出せませんでした。昨年は午後からだったので8分遅れ。06年の記録がベストで残っていて、かつそれ以降タイ記録も出せなかったというのは、おそらくこの区間だけだと思います。それだけ06年は特別に体が軽かったということなのでしょうが、なぜそうなったかは未だに分かりません。今回はここまでかなり動きもいいので、期待したのですが、残念ながら2分遅れでした、07年以降では一番いい記録だから自覚していた通り動きは悪くなかったようですが。
 大瀬の町に入って最初の橋のたもとにある休憩所に腰を下ろしてしばらくしたら,Kさんがやってきました。道の駅で休んでいて地元の人と話していたら、ぼくが通り過ぎるのが見えたので、すぐ後について歩いたそうです。「いい目標になったわぁ」と満足な歩きができたようです。この間ぼくの時速が6.38kmだったから,Kさんは6kmは出していたようです。
 ぼくはここまで休んでいないので、じっくり休みながらチョコを食べていたのですが、Kさんは腰を下ろさず、ザックから菓子パンを取り出し、袋を破って、そのまま先に向かって歩き出しました。なるほど、そういう歩き方をする人なのかと合点がいきました。


 橋のたもとでは20分ほど休憩、10時30分に出発です。Kさんは1km以上先でしょう。歩き始めてすぐ大瀬郵便局があったので百円玉16枚下ろします。予定では12枚だったけれど、津島で下ろさなかったので、その分も含んでいます。
 郵便局を出てすぐ左手に写真の大瀬小学校です。校舎が解体工事中、山の中の小学校だから廃校、あるいは統合されるのかと、早とちりしたのですが帰ってから調べると、隣に仮校舎ができていて、建て替えのための解体でした。


 11時10分、いかだやの前にやってきました。昨年は確認できなかった。ときわ旅館から25kmの位置、でも一人では泊まれないようだから、ないのと同じ。これからもこの先の宿に引っかかるお遍路さんが少なくいないと思うと気持が沈みます。


 11時35分、突合の手前で左折、初めて吉野川トンネルを通り抜けます。昨年も通ることはできたけどタイムの比較をしたかったので従来の道を歩きました。トンネルを通ると239mの近道になります、その分を換算して比較します。
 トンネルを抜けて川を渡れば従来の道に合流、そしてしばらく行ったところにあるバス停がタイムチェックポイントであり2度目の休憩ポイントです。大瀬から67分02秒、ベストタイ、時速は6.38km、全く同じペースです。
 また20分ほど休んで、12時ちょうどに出発です。Kさんはほとんど休んでないみたいだからさらに1km以上離されてもう追いつかないかもしれません。
 バス停から4kmの所にある薬師堂、その横にある休憩所(バス停?)に二人の男性が見えました。一人はKさんでした、先ほど八丁坂に予約を入れたと言います。大宝寺の手前に泊まると、納経のために発つ時間が遅くなるので、できれば今日中に大宝寺は打っておきたかった。今日の歩行距離は52kmです。またまた脱帽。ぼくが来るまでに大部休んでいたようで、すぐに出発されました。
 バス停の横にはトイレもあって水も補給できます。もう一人の男性としばらく話します。彼は初めてのお遍路で、88番の後、1番に戻るか戻らないか迷っていました。それぞれの人の考えで、サークルをつなぎたいという人もいれば、こだわらなくて88番からそのまま帰る人、高野山に行く人もいる。ルールも決まりもない、あくまで本人の意思次第、というようなことを喋ったら、「分かりました。88番からバスに乗ってすぐ帰ります」と決心されました。佐賀の人で、その日は志度から電車で高松まで戻って高松泊、翌日マリンライナーと新幹線で帰ることに決めた。今日は砥部町の宿、迎えに来て貰わなくてもあと2.5km、余裕がありすぎるのでここから5km先にある三嶋神社まで歩いて、そこまで迎えに来て貰うそうです。

 薬師堂を12時50分に出発、今まではここで休んだことはなくて、1500m先の落合トンネルを抜けたところにあるバス停が休憩所でありタイムチェックポイントでした。来年は砥部町の宿に泊まる予定なのでどちらでも休みません。
 落合トンネルを抜けたところまで52分51秒、惜しくもベストより20秒遅れでした。時速は6.32km、今日は天気もいいしちょっとずつ疲れが来ているのかもしれません。
 トンネルの手前も少し登っているけれど、抜けた後からもごく緩やかな登り坂になっていきます。薬師堂までのようなスピードは出ない。三嶋神社まで3.6km進む間に標高差は180m高くなると遍路地図には記してあります。そこから1kmほどはほとんど平坦で最後の2kmで標高差160mを登る。峠の中では一番やさしいのが下坂場峠と言ってもいいかもしれません。山道は峠の手前のわずかな部分だけ、土佐伊代の国境の松尾峠よりも汗はかかない。
 14時15分、下坂場峠に到着、ベストより1分遅れでした。この間の時速は5.95km。本日最後の休憩をとります。植え込みの縁石がちょうどいい腰掛けになりますが、雨が降ってると休めません。
 15分ほど休んで、14時30分出発。ベストだと16時までに宿に着ける計算ですが、最後の難関、ひわ田峠を歩くのは実に8年ぶりのことになるので、どんな歩きができるのか想像つきません。しかも過去に歩いたときよりも4km長く歩いてきているので、甘い考えは捨てています。
 最初の部分は記憶に残っているところもあったのですが、過去5回歩いているといってもこれだけの歳月を隔てると記憶にない風景が次々に出現してきます。途中道ばたに明らかに歩き遍路さんのものであろうザックが3つ並んで置いてあります。左手の小高くなったところに小屋があって、喫茶店なのか何なのか、そこで休んでいるようでした。姿が見えないので出会ったことにはなりません。大瀬から突合の間にあるいずれかの宿から来たと思われます。
 舗装道から離れて別荘地の中の道は覚えていました。一度別荘の表で作業している人と挨拶を交わしたことがあるので記憶に残っていたのでしょう。そしてその少し先で、いつものように息が切れました。そんなに勾配はきつくないはずなのに、いつもこのあたりでへばったような記憶があります。
 8年ぶりだから写真を撮る場所はいくつもあったのですが、そんな余裕はありません。柏坂以上に記憶が薄れているので、読めないし合わせられない、自分のペースで歩けないので疲れも負担も慣れた山道より大きくなっているような感じがします。峠の前の本格的な山道に入って、ようやく落ち着いて登れるようになりました。手前の感じはなんとなく分かっていました。
 峠からの下りは、覚えている部分が多かった。やはり苦労したところから忘れていく、それが人間の本性。久万の町を貫く国道33号に下りてきたのは、15時49分、ベストより5分も遅れてしまいました。このまま宿に行けば16時までに入れるのですが、食塩がほとんどなくなってきたので、役場の向かいにあるスーパーに入ります。
 スーパーで買い物を済ませ、宿に到着したのは16時ちょうど。Kさんには結局追いつかなかったから、今頃は大宝寺に到着しているでしょう。17時までには余裕で宿に到着できるでしょう。昨日57kmも歩いて、今日またこれだけの歩きができるというのは本当の健脚だといえます。年齢は65歳(以上)、走らないし、納経もするし、17時までに宿に入るし、周りのことが見えていない自己満足のスポーツ遍路とは全く違う、本当のお遍路さんです。


 久万高原の笛ヶ滝には初めての投宿、久万高原にある宿の中で一番情報量の多い(ネット上で)宿であり、評判もすこぶるいい。悪いことを書いた記事を一度も見たことがありません。部屋はワンルームマンションタイプ、これの好き嫌いは多少はあるようで、ぼくも過大な期待は持たないようにしていたのですが、想像していたより全部良かったです。先ず到着して部屋に案内する前にデコポンの御接待、もうこれで癒されてしまう。ベッドの部屋もあるようですが、ぼくはフローリングの部屋をお願いしました。和室だともっと良かったのですが、それでも同じくらいくつろげます。そして、お風呂トイレがセパレートで洗い場が広い。ぼくがビジネスホテルを避けるのはこれが第一の理由。隣の音も気にならないし風呂の順番、時間も気にしないでいいし、思ったようにリラックスできる。
 そして夕食もご覧の通り、キジ鍋に入れるうどんもあります。食後にはコーヒーも煎れてもらえます。今まで一度もこの宿に泊まらなかったことを後悔したくなります。ガーデンタイム、おもご旅館、でんこ、一里木、一通り泊まったけれど、いずれも素泊まりだったので正当な比較はできません。でも、まあ最高でしょうね。
 同宿は男性2名、隣に座った人がぼくに歳を聞きます。「若いなあ、ぼくは85歳だよ」「えーっ」て思わず大声を出してしまいました。ぼくが出会った中ではおそらく最高齢、同宿になった人では確実です。がっしりした体格髪の毛もふさふさ、「素晴らしいですね」とそう言うしかありませんでした。
 向かいに座った人はぼくに近い年齢、明日までの区切りだそうです。昨日は砥部町のたちばな旅館で、今日は岩屋寺を打って戻ってきた。ぼくが着いたときにザックだけ置いてありました。2食付き6500円。

 18日目の歩行距離  47.5km
      歩行時間  7時間43分
      平均時速  6.16km  ひわ田峠はすぐにでも歩き直したい


17日目 民宿みま(宇和島市)~ときわ旅館(大洲市)

2015-07-18 | 15年四国の旅


 昨日の距離が長かった分、今日は短い日です。初めの計画では昨日の6kmが今日の6kmだったのでほとんど変わらないいいバランスでした。
 宿を6時50分に出発、16分44秒で41番札所龍光寺に到着です。朝一だというのに時速6.08kmしか出ていません。明らかに動きが鈍いのですが理由はこの時点では全く判っていませんでした。5日前、窪川から中村まで歩いたときと同じで、前日7時間55分も歩いた疲れがはっきり残っていたせいだと気がついたのは帰って1ヶ月以上経ってからでした。



 7時51分、42番札所仏木寺に到着、龍光寺から29分37秒、ベストより1分遅れ、やはり調子が上がりません。
淡々とお参り納経を済ませ、8時08分に出発、いつもは6km手前の宿から出るのでここで一休みするのですが、まだ5km歩いていないので休みません。
 今回も歯長峠は行かずトンネルです。あとから聞いたのですが、峠の方はちょっと崩れた箇所があって不通ではないけれど、それに近い状態だったそうです。トンネルを抜けた後の下り坂は昨年倒木があって、それを越えるのに苦労して尻餅をついてしまったのですが、きれいに取り除かれていました。肱川の手前の休憩所まで56分14秒、ベストより3分遅れでした。本当に見事なまでに少しずつ遅れています。この時は理由が判らなくて少し焦りもあるのですが、理由が判ってみると身体というのは本当に正直なものだと感心するばかりです。
 橋を渡ってしばらく行くと評判の民宿兵頭が右手に見えてきます。来年こそはお世話になります。
 橋から2.9km、地図の7.7km地点にある見守り大師まで27分54秒、またまた1分半遅れ。時速は6.19km、こういう感じだと無理にスピードを上げてやろうという気持ちも起こりません。できる範囲でしっかり歩いて遅れたのならそれを受け入れるだけ。
 大師の前で水を補給して13分ほど休憩、9時47分に出発です。
 宇和の町へ入っていく手前、松山道のICの下をくぐってすぐ岩瀬川に架かる橋が架け替え工事中、仮歩道橋を渡ります。
 宇和高校を左に見て遍路道に入っていきます。最後の舗装道に突き当たって左折、汗をかきかき登り始めると女性の歩きの人が下ってきます、同宿の方でした。やはり電車で来たようです、それはいいけれど下る道が違う、逆打ちでもないはずだし、おかしいと思ったけれど尋ねる余裕もなく挨拶だけしてあっと言う間にすれ違ってしまいました。でもそのあと大洲に着くまで会わなかったから、卯之町からまた電車に乗ったようです。

 10時19分、43番札所明石寺に到着、また写真を忘れてしまいました。後半になってから本当に驚くほど少ないのですが、今年は帰ってからブログを書くことは決めていなくて、当日のブログを長めに書くことに神経を使っていたので、撮影にもあまり執着がなくなってきていました。とにかく今回はすることや考えることが多くて、唯一いい加減にしてもいいかなというのがデジカメの撮影だったので、昨年と比べて本当に少なくなってしまいました。でも結局今年も書くことになって、もうちょっと多めに撮っておけばよかったと後悔しているところです。文章だけでつなぐのは正直骨が折れます。
 お参りと納経を終えて、山門の前のベンチで休んでいたら、ぼくより少し遅れて来た男性二人がお参りを終えて、山門の前の階段をまた下りていきます。宇和の町へ下りていく道を知らないのでしょうか。それとも何か意図があるのか。
 10時40分、に出発です。


 11時30分、明石寺から4.7km地点にある休憩所です。去年5年ぶりに来たときにできていたのですが、そのときは、札所から5kmないのでここで休むことはないだろう(いつもは10km先のバス停まで休まない)と思っていたのですが、ちょっと覗くと夏みかんがあったので吸い込まれるように腰を下ろしてしまいました。この距離でもちょっと疲労感があったし、時間も大部余裕がありました。人はいないけど夏みかんが置いてあるので今年22回目のお接待です。

 休憩所には40分ほどいたのですが、前を通るお遍路さんはいませんでした。今日追い抜くことができるのは龍光寺と仏木寺の近くの宿から出た人だけで、それは明石寺で会った二人だけだったのかもしれません。
 12時10分に休憩所を発ちます。
 そこから5km先、最後の脇道が国道に合流するところがタイムチェックポイント、明石寺から99分20秒、ベストより5分遅れですが、ペースとしては遅いなりに安定しているようです。7巡目まではそこから370m先にあるバス停で休んでいたのですが、今回はさっき休んだばかりなのでスルーします。
 バス停を過ぎるとまもなく鳥坂トンネル、昨年は峠越えでかなり苦労したので、今回はトンネルを歩きます。トンネルには歩道がないので、ちょっとこわい、久万高原の峠御堂トンネルとこのトンネルはできれば避けたいトンネルの双璧。といいながらこのトンネルを歩くのは7回目になります。
 トンネルを抜けたところにある電話ボックスで宿の予約を入れることにします。今日は佐藤さんが高松の宿、ビジネス旅館三鈴に泊まる日なので、三鈴に電話することはずっと前から決めていました。ところが、いくら呼んでも出ることはなく、外出中のようでした。それ以外に、西条市と、四国中央と、最後の宿に予約を入れて無事受けてもらえました。三鈴は明日の朝にかけ直すことにします。


 13時35分、トンネルを抜けてしばらく行くと鳥坂峠を少し過ぎたところから国道に下りてくる道がありました。トンネルを抜けるよりは少し時間がかかるでしょうが、一番安心でかつ楽な道でしょう。峠から先の下りの山道はすごくきびしい、横峰寺、雲辺寺の下りとひけをとらないと昨年歩いて実感しました。
 でもぼくは来年はこの区間は電車で楽させて貰います。
 13時58分、最後の休憩ポイント、札掛ポケットパークに到着、バス停の手前から51分28秒、何とここで本日初のベストタイが出ました。トンネルからの下りが気持ちよくて、いい感じでスピードを乗せることができたのでしょう。
 14時07分、ポケットパークを出発、ここから宿までベストなら52分、ここからしばらくは下りなので最後はしめてやろうという気になってきます。
 下り始めてしばらくして、白いあごひげを蓄えた逆打ちの人がやってきます。ぼくは逆打ちの人はすごく苦手で、こちらから挨拶しても無視されることが圧倒的に多い、嫌な気分になるだけだからもう挨拶をするのはやめようかと思ったのですが、まあ無視するわけにもいかないので、挨拶したら、にっこり笑って返してくれました。お遍路が判っている人でした、判っていなくても挨拶くらい誰でも返すでしょう、と多くの人は思うでしょうが、本当に衛門三郎に魅入られたかのように、無愛想な逆打ちの人に多く会うことができます。ぼくの経験では優に5割以上の人が衛門三郎でした。
 坂を下りきって、右折、川を渡ってまもなくの所にある大洲北只郵便局がタイムチェックポイント、ポケットパークから18分36秒、ベストより10秒だけ遅れました。でも前半のことを考えれば見違えるようです。
 つぎのチェックポイントは肱川橋、27分16秒、平坦な道になりましたがベストタイでした。後半になって前日の疲れがとれてきたということではないと思うのですが。


 14時59分、本日の宿ときわ旅館に到着です。肱川橋から7分23秒、もちろんベストタイです。
 「早かったですねえ」とご主人がニコニコと出迎えてくれました。「予約に書き込んでいたもやいさんがお休みで、今日はみまさんからだったんですよ」
 「明日は出石寺に登られるんですか」「いいえ、久万高原の笛が滝まで上がってしまいます」。
 というのも、昨年来たときに、ここから久万高原まで行くのはきついから、いつもはここから4km先のふるさと旅館に泊まっていた、昨年泊まれたのは出石寺の方へ行く道を歩いて、大瀬泊まりだったので、初めて泊まることができたんです、というようなことを話していたからです。
 「佐藤さん来られましたよ、冨士山に登るつもりだったけど雨がひどくて止めにしたとか」「はい、そうだったらしいですね、ショートメールで連絡いただきました」 
 昨年はぼく一人、今日は同宿の方が一人だそうです。明日からはかなり大人数の方が来られるそうで、磯屋で同宿だった女性も明後日から連泊、Mさんも同じ頃になると思われます。


 中央上がメインのビーフと野菜の炒め物、この味がすごく濃い、その濃さがすごく美味い、1日中歩いて汗をかききったお遍路さんだということを自覚させてくれるような旨みです。濃さと旨みが身体にしみこんでくる感じがします。さすが、ご主人は四国を通しで歩かれただけあって、お遍路のことがよく分かられています。判った上でのこの味付け、という感じもします。一人用のおひつのご飯も残さずいただいて、おかずも全部いただいて、最後に残ったのが左上の苺の横の柏餅、ぼくは甘いものは好きなのですが、これだけのご馳走を食べたあとにどうかと思ったら、本当に意外だったのですが、めちゃくちゃ美味かった。おそらく普通の柏餅のはずですが、お腹もそれなりにふくれているはずですが、顔がほころんでくるくらい美味い。そういうことも分かった上でのおもてなしということなのでしょうか。やっぱり、五本の指に入る良い遍路宿であることを改めて感じます。
 さて、ぼくの隣に座っている同宿の方はぼくが風呂から上がってしばらくした17時頃宿に到着されました。初めは二人とも静かに食べていたのですが、一段落した頃ぼくの方から、「今日はどちらからですか」と声をかけました。その答えがぼくの許容範囲を逸脱していたので、名前は知っていたのに、場所はどこだったかすぐには見当がつきませんでした。その答えは「ビジネスホテルアイリンです」それが津島の宿であることが分かったとき「57kmも歩かれたんですか」と大声を上げていました。ぼくが毎日40km歩いていると言ったときほとんどの人がびっくりされるのですが、その時と全く逆の立場になって、なんだか笑えてくるくらいでした。ご主人がやってきて二人してすごいすごいの連続です。
 ご主人がぼくの作った遍路宿情報をその人に渡すと、「これあなたが作られたんですか、このホームページ見たことありますよ」聞いてみると、ぼくのブログもお気に入りに入れてチェックしているそうです。だから、ぼくが4月5日に出発したこともご存じでした。「ぼくはその翌日出発したんですよ」、Kさんは岡山の人、電車で瀬戸内海を渡って坂出から歩き始めたそうです。その日ぼくは藤井寺の3km手前の宿から歩き始めているから、彼の156kmほど前を歩いていたことになります。そしてその16日後同じ宿に泊まっている、16日で156kmだから毎日ぼくより10km近く多く歩いていることになります。ぼくの1日平均が41kmだから、彼は毎日50km以上歩いていることになります。すごい、本当にすごい。明日の宿は訊くと、「久万高原のガーデンタイムにしようと思っている」、「ぼくは笛ヶ滝です」距離は47.5km、ぼくにとっては今年一番長い距離になるのでなんとか同じになったというところですが、彼には少し物足りないのかもしれません。彼は歩く距離が長く、どういうことがあるか分からないので宿の予約は当日の正午ごろにするそうです。正午まで歩くと、その日どこまで歩けるか見当がつくので、それから予約を入れて宿に迷惑をかけないようにします。確かに、その方が安心だけれど、そうすると人気の宿は後れをとって泊まれないことが多い。「山茶花などは今ほど人気になる前に泊まってよくしてもらったけれど、もう一度泊まりたいのに泊まれなくなってしまった」、
 泊まった宿全部聞きたかったのですが、いろんな話が出て聞けませんでした。とにかく距離が長いから見当がつけにくい。こんな所まで、こんな所までの連続で呆気にとられるばかり。最初の予定では、初日がきらら、2日目が白鳥温泉、3日目が安楽寺、で3日連続温泉を狙ったのだけれど、その内一つだけはうまくいかなかったそうです。4日目はおそらく焼山寺を越えた植村旅館あたり、5日目はぼくも泊まった鶴風亭、6日目はたぶん日和佐、7日目は徳増か、こうして並べていくだけでも恐ろしい。
 この先は、ガーデンタイム、道後温泉、今治駅周辺、横峰寺を下って小松、伊予三島、観音寺、坂出、ということは23日で結願です。「観音寺から坂出まで行けるか微妙なのよ」、「ぼくでも観音寺から坂出まで歩くから問題ないでしょう」と言うと、「坂出までは行けても、電車に乗って児島に着いてから家まで15km歩かなきゃいけない」。その答えには本当に声が出ませんでした。本当にぽかん、でした。

 Kさんは、ぼくのブログを見て、時刻の細かい表記(09年の分)に感心しきり、あれは写真データが記憶してくれているので苦労はなくて、ただチェックポイント間の時間は自分で記録していますと説明。「時速は6kmですか」「はい」「1日の後半でもですか」「そうですね」「ぼくも6kmくらいで歩くときはあるけれど、後半になるとなかなか6kmでは歩けないなあ」、そう言われたことからして、Kさんの1日の平均時速は5.5~5.7kmくらいではないかと思われました。今日はホテルを5時に出発したというから、正味の歩行時間は10時間、お参りが3ヶ所で1時間、休憩が1時間ということになるようです。
 Kさんのような大健脚の人の話は、今年も聞きました。一人は、富士登山マラソンの経験者で、1日50kmくらいは平気な顔をして楽々歩くということでした。その人は別格や番外も積極的にお参りするので、何日で一巡するかは分からない。
 もう一人は、ネットで調べた限り、24日で回る人が最短だったので、自分は23日で巡ることにしたという人、その人はウルトラマラソンの経験者だったそうですが、お遍路としては全然駄目な人でした。宿に19時や20時に入っていたといいます。23日だと、1日平均は51kmほどですが、それでなぜにそんな遅い時間に宿に入るのか理解できない、ましてやウルトラマラソンの経験者なのに。そこまでして23日で回る意味がどこにあるのか分からないし、Kさんのように23日で回る人が既にいるし、ぼくは20日で巡った人に会ったこともあります。お遍路は夜歩くのは駄目だし、宿には17時までに入りましょう、というのが不文律としてあるし、できるだけ迷惑をかけないで歩くというのも大事なこと。自分の体力自慢のためにお遍路を利用するのは、それは自由だけれど、迷惑をかけるような歩き方では誰も賛同しないでしょう。まあお遍路初心者ですから何も分からないのも仕方ないところで、ぼくも最初の頃は迷惑な歩き方をしていたから、あんまり他人のことは言えません。
 Kさんは「時間をかければ50kmくらい歩けますよ」とぼくに言うけれど、ぼくは体力自慢のために歩いているわけではないし、歩く日数をもっと縮めたいとも思っていません。むしろ逆で、もっと楽したいと思っています。今年は7時間以上歩いた日が10日あったのですが、できれば7時間以上は歩きたくない。ぼくの理想としては1日6時間半、時速6.2kmで40kmほど歩ければ余裕を持って楽しみながら元気に歩けるのではないか。それが基本にあっての28日なのですが、良い宿に泊まりたいという欲もあるので,しんどい日も出てくるということになります。

 17日目の歩行距離  36.1km
      歩行時間  6時間05分
      平均時速  5.93km


16日目 民宿磯屋(愛南町)~民宿みま(宇和島市)

2015-07-14 | 15年四国の旅


 朝食も豪華、これだけの品数を揃えてくれるのはぼくの知っている限り善根宿うたんぐらだけではないでしょうか。聞いたところでは、砥部町のたちばな旅館はもっとすごい朝食を出してくれるようですが。なんといってもスクランブルエッグがうれしい。定番の玉子かけご飯も嫌いではないけれど、3回に1回で十分という感じ。ポーチドエッグや目玉焼き、玉子焼きもいいけれど、やっぱりスクランブルが一番。同宿の女性は、これだけのものを朝から用意するのは大変でしょう、と女将をねぎらいます。でも朝はあんまり食べられないので大部残していました。ぼくは上手は言えないけれど、出されたものは全て残さずいただきます。それが礼儀だと思っています、十善戒より大切なことだと思っています。普通に考えれば、ぼくたちはお金を支払って泊めて貰うお客に過ぎないし、出されたものをどうしようとそれはお客の自由、でもぼくはそう思わないことにしています。それ以上の思いを持ってぼくたちをもてなしてくれる宿には、それなりの敬意を払わない訳にはいきません。他の人はどうか知らないけれど、ぼくは宿がないことには絶対歩けない。極端なことをいえば札所がなくても歩けるけれど宿がないと歩けない。

 夜明け前から雨が降っていますが、レーダー画像を見ると雨の地域は固まっていなくてまだら、うまくいけば止みそうな感じもあったのですが、食事が終わってもまだ降っています、でも雨足は強くはなく激しかった南風も大分おさまっています。同宿の二人はがっちりレインスーツを着込んでいます。食事の前はすごい風だったので初めて合羽の出番も覚悟したのですが、何とか傘をさしても普通に歩けそうです。同宿の女性はぼくのザックの小ささに感心しています。納経帳、線香、ろうそく、写経も入っていると言うと、「写経もですか」とびっくり、
 6時48分、3人そろって宿を発ちます。
 旧内海町の柏のバス停まで8.5kmの間に、昨日満倉小学校の手前で追い抜いた人と,Eさんと、足摺の手前ですれ違った白人女性を追い抜きました。時々傘をあおられるような突風もあるのですが、だいたい追い風なので歩きにはほとんど影響ありません。
 8時12分、柏のバス停に到着、宿から81分50秒、ベストより3分遅れでした。雨のせいではありません、ベストを出したときも雨が降っていましたから。あのときはもっとひどい雨だった、おそらくこの差は気温の差だったのかもしれません。あのときは柏から国道を歩いて須の川の休憩所で寒くて長い時間休めなかった記憶があります。今回は太平洋から雨雲と一緒に暖かい空気がどんどん送り込まれている状態、特に暑さ、暖かさは実感しないけれど、全く寒くはありません。
 しばらく休んでいると白人女性が目の前を通り過ぎていきます。柏坂に入らずそのまま国道を行きます。山越えの道の入り口だと気がつかなかったのか、初めから国道を歩くつもりだったのか、声のかけようもありません。
 8時30分、バス停を出発、柏坂に向かいます。山の頂上付近は一面雲がかかっています。前回この道を歩いたのは6年前で、その時は全く調子が出なかった。野口雨情の都々逸のパネルを全部撮影していたのでそれで調子を崩したのかもしれません。
 その時よりは気持ちよく歩きたいとは思ったのですが、6年ぶりの山道はほとんど記憶に残っていなくて、完全に歩かされている感じです。雨は完全にあがって傘を杖にすることはできているものの、全く足が伸びる感じはしません。今年の焼山寺と同じで湿気のひどさが影響しているに違いありません。いつもは休まない最初の四阿で休憩をとってしまいました。
 タイムチェックポイントの展望台まで、61分20秒、ベストより5分遅れ、6年前よりは2分早いですが、かなり残念。

 柏坂にははっきりした峠がないので柏峠ではなく柏坂というのかもしれません。ぼくが休んだ柳水大師とその先の清水大師の間に最高地点がありますが、このあたりはおおむね平坦なのでそうなったのでしょう。清水大師の少し先に展望台(崩壊しかけていますが)があって、そこがタイムチェックポイントで、今まではそこで休憩していました。今回は柳水大師で休んだので、タイムをメモしてすぐに出発です。9時45分です。
 これまでの雨で足元が危ないので、スピードは完全に無視してとにかく転ばないようにくじかないようにと慎重に下ります。


 長い柏坂の下りはやはりいいときの歩きとは大部違う感じです。下に下りてきても足取りがちょっと重いかもしれません。
 11時24分、自転車道に入って津島の町も大部近くなってきたところに見慣れないトンネルができていてびっくり。昨年自転車道が不通になっていたのはこの工事のせいだったということですか。


 11時34分、いつもは津島大橋を渡ったところにあるスーパーで買い物をして休憩もとるのですが、今回は橋の手前にあるローソンにふらふらと倒れ込むように入ってしまいました。スーパーの入口の近くにあるベンチは灰皿もあるので昨年は不快な思いをしながら休んだということもあるし、こちらのベンチには灰皿はありません。おなじみのコンビに加えて贅沢をしてしまいました。飲料を買うのは今年初めて、よく我慢したものです。今日は距離が長いし山越えもあるので宿から持ってきた850ccだけでは足りないことは判っていました。コンビニのトイレで汲ましてもらうことも考えたけれど、かなり疲れていたので自然に手が伸びてしまいました。
 15分ほど休んで11時50分にコンビニを発ちます。津島大橋を渡りきったところでタイムチェック、展望台から111分23秒、ベストより5分遅れでした。でも前回この道を歩いた6年前よりは4分早い、6年前はどれだけひどかったんだという感じですが記憶はほとんどなくて、自転車道のあたりで思うように足が出なかったということだけうっすら残っています。なぜそうなったかは全く判らないまま。判らなくてもとにかく前を向いて歩き続けねばならない。
 津島郵便局で百円玉を下ろす予定だったけれど、買い物のおつりで大部ストックできているのでパスします。
 松尾トンネルの少し手前で男性を追い抜きます。柏の近くの宿から来たと思われます。レインスーツもつけて山越えもあったので相当疲れている感じです。柏から宇和島駅の近くまでだと30km、今日のコンディションだと普段の2割り増しというところでしょうか。
 最初の予定では峠を越えるつもりで、タイムメモもそちらのタイムを書いていたのですが、宿の予定が変わって6km多めに歩くことになったのでトンネルを歩きます。松尾トンネルはへんろみちでは一番長いトンネルだけれど歩道もしっかりあるので苦手ではありません。今回で6回目になります。
 トンネルをくぐると雨でした。柏のバス停から全然降っていなくて、もうこれで完全に上がったと思っていたからちょっとがっくり、とはいっても傘を開くだけだから大した負担にはなりませんが。2kmほどすすむと前を行く歩き遍路の団体が見えました、その数9名。全部歩くツアーもあれば、バスツアーで一部分(昔ながらのへんろみち)だけ歩くのもある。松尾トンネルを抜けて宇和島の町まではふつうの歩き遍路でも苦手にする人が多いから、ここを歩くのは全歩きのツアーに違いないと思ったけれど、いろんな事情があるだろうから本当のところは判りません。彼等は右側の歩道、ぼくは左側の歩道を歩いていたので、挨拶する手間も省けゆうゆうと追い抜くことができます。


 13時09分、開店間近のユニクロの前を通過、新しい風景を見るとなぜかカメラを向けてしまいます。


 その向かいにあるヤマダ電気は6年前来たとき開店間近だった、この店舗は残るのでしょうか。


 14時00分、宇和島の中心に入ってきました。国道の歩道は狭くてやっぱりすごく苦手、久万高原から明神レストパークまでの道と双璧です。


 14時13分、宇和島駅から南へ延びる大きな商店街に入ります。今年も健在、島崎和歌子さんはぼくが初めて四国に来た12年前からずっと四国銀行のイメージキャラクターをつとめています。


 14時18分、別格6番龍光院に到着、津島大橋から138分24秒、ベストより9分遅れでした。今日はこういうもんだと思うしかないですね。昨日が良かっただけに首をひねる部分はあるのですが、この時点では天気気温の影響は考えませんでした。歩き直したい気は満々だけれど、来年は観自在寺からは宿毛街道中道、満願寺からは県道46号を歩くので、歩き直しは当分できません。


 14時20分、宇和島駅にやってきました。駅の写真も、鉄道唱歌の歌碑も、闘牛の像も前に撮ったので気持は動かず、400年祭のポスターに目が留まりました。
 待合室で休んでいたら、昨日観自在寺の前で会った男性がやってきて案内所の人になにやら尋ねています。ぼくの方にやってきて、今日はバスに乗って早く着いたので宇和島城などを見学していたと少しきまりわるそうに言います。他の人がみんな歩いているのに自分だけバスに乗って、という気持は当然あるでしょうが、お遍路はそれぞれの人のものであるし、自分が納得していればどんな巡り方をしても引け目を感じることなどありません。この区間は札所がないしバスの便も多いので、バスを利用する人に何回か会ったことがあります。ぼくも、来年は電車バスを利用して少し楽をしながら巡ろうと思っています。
 たっぷり30分休んで、14時50分に出発です。


 宇和島駅から33分、県道57号を歩いていたら、見事な藤の花。ここを歩くのは7巡目までは5月になってから、昨年は1週間早かったので、初めて見ます。
 この少し手前、クアホテルが工事中で閉まっていました、改装のための休業かとも思ったのですが、帰ってから調べると今年の3月に廃業したようです。


 16時20分、務田駅の近くにある民宿みまに到着、初めての投宿です。
 龍光院から8213mを82分24秒、ぎりぎり時速6kmに届きませんでした。前半から不調だったし、予定より距離が6kmも延びたから、がんばった方でしょう。延びた段階で電車に乗ることも考えたけれど、疲れたけれど足を痛めることはなかったから乗らないで正解でした。


 食事は部屋食で同宿の人と顔を合わすことはありません。夫婦連れと、女性一人、女性は明日の電車の時間を尋ねていたから、全歩きではないようです。今日は雨具をつけて到着したので、仏木寺まで歩いて戻ってきたようです。歯長峠を回避するために務田から北宇和島に電車で戻って乗り換えて卯之町まで行く。夫婦連れははっきり確認したわけではないけれど車で巡っているようでした。
 食事は中央の南蛮漬けは美味しかったのですが、それ以外はことごとくぼくの口には合いませんでした。刺身がいまいちというのは何回か経験がありますが、ここまでそろって美味いと思えなかったのは初めてです。もちろん全て残さずいただきましたが。でも、味は好みだから、ぼくの味覚が絶対だとは思っていません。この味が好きだ、美味しいと思う人もいるでしょう。2食付き6500円。

 16日目の歩行距離  46.1km
      歩行時間  7時間55分  4日ぶりの不調
      平均時速  5.84km


15日目 清水川荘(三原村)~民宿磯屋(愛南町)

2015-07-11 | 15年四国の旅

 清水川荘の同宿はオーストラリア人の男性と日本人男性3人、ご主人が車で迎えに行って遅れて到着した人は、村の家とさくらで同宿だった人でした。ぼくと同じペースだから40km歩いているのか、部分的に乗り物を使っているのか。外国の方と同宿になるのは今年3回目、昨年まで230泊以上して一度もなかったから、近年いかに外国人お遍路が増加しているかということでしょう。ぼくの向かいに座ったEさん(名前を聞かなかったので仮のイニシャルです)が英語が堪能でぼくたちが喋ったことをすぐ訳してオーストラリアの人に伝えてくれるので、ずいぶんなごやかな食卓になりました。彼は延光寺まで打って区切るそうです。また秋に来て伊予の国から始める、オーストラリアにはほとんど四季がないから日本の四季を十分味わいたいそうです。足摺の打ち戻りはバスに乗った、同じ道をまた歩くのは無意味な感じがする、と西欧人らしい合理主義です。
 Eさんの隣の人はぼくたちより少し年上でほとんど予備知識を持たずに四国に入った、遍路道沿いにこんなにたくさん宿があるとは思いもしなかったと言い、ぼくがこの先の良い宿を紹介しましょうかと言っても、それには及ばない、ぶっつけでハプニングを楽しみたいということでした。そう言う割にはこの宿の文句を言っていましたが。
 逆にEさんは積極的にアドバイスを求めてくれたので夕食のあとしばらくへんろ地図を見ながらいろいろお話ししました。彼は通夜堂や、宿坊や、善根宿などいろんな種類の宿に泊まりたい、明日は観自在寺の宿坊ではなく通夜堂に泊まるということでした。野宿の用意もしているけれど、あくまで宿がメイン、ここから観自在まで36.7kmだからかなりの健脚でもあります。
 Eさんは距離が長いので朝食のあとすぐ発たれました、ぶっつけの人もその後にすぐ続き、ぼくはゆっくりめで6時45分に出発です。


 8時18分、39番札所延光寺に到着、宿から87分30秒、ベストより2分遅れですが時速は6.65kmだから今までにない順調な立ち上がりではあります。ベストを出したときはかなり冷え込んだので、動きが自然と良くなった記憶があります。
 昨年はここで竹下さんと出会った、奇跡の札所ですが、今年は特に何もなく普通にお参りできました。納経所では、白衣がすごいことになっているのにびっくりされました。ザックが擦れる背中の部分に大きな穴が開いています。この白衣を着けて3巡していないのですが、来年は引退にするしかありません。

 延光寺では休憩はとらず8時35分に出発します。嶋屋旅館のすぐ先で国道に出る赤点線の近道の入口がよく判るようになっています。ぼくが初めて歩いたときはちょっと判りにくくてこの道を歩く人は少ないように思われたのですが、この感じだとこちらに入る人も少なくないかもしれません。昔の道の雰囲気はあったのですが、ぼくが歩いたときは少し荒れていて歩きにくい所もあったので、一度歩いたきりで、以後はもう一つ先の近道に入るようにしています。今回ももちろんそちらに入ります。二つ目の入口にはシールも何もないから初めて来た人は絶対入れないようになっています。ぼくが入れたのも3回目の時が初めてだったはずです。国道に出てしばらく行くと、点線の近道から来る人がいます、山門の写真に写っている同宿の方でした。彼はお遍路は初めて、やはり道しるべに従って点線の近道に入ったようです。
 宿毛の町の中にある岡本旅館がタイムチェックポイント、62分01秒、ベストより30秒だけ遅い、この区間も長い間ベストと同じタイムで歩けていないから、30秒なら早い方です。時速は6.48kmだから文句のないところです。動けるからといって動きすぎると後半が駄目になるかもしれないので、できるだけ無理をしないで感じでがんばります。
 岡本旅館を9時40分に出発。古い方の国道の交差点にある新しいローソンでブロックチョコと芋けんぴを買います。昼食はこのコンビが定番になりつつあります。
 峠に入る前の小さな三つの峠越えはしっかり対話することができました。昨年のように調子が悪いと歩かされることが多いのですが、自分でリードしながら道もよく見えている感じです。松尾峠の登り口にある(少し脇に入りますが)地蔵堂に到着したのは10時30分、岡本旅館から46分55秒、ここでようやくベストタイが出ました。山道が多かったのに時速6.06km。
 ここで本日初めての休憩をとります。多くの人は峠まで登ってから休憩するようですが、延光寺から10kmのこのポイントがぼくにはちょうどいい。
 (ここまで1枚も写真は撮りませんでした、それだけ歩きに集中できていたのかもしれません)

 地蔵堂では30分ほど休んで10時50分に出発です。
 松尾峠は、標高300m、登り口からの距離は1500m、ほかの山道峠道に比べると、時間が短いので苦しさ辛さは少ない。鶴林寺や柏坂、横峰寺の6割、雲辺寺の半分くらいだから本当にきつくなってくる頃に峠が見えてきます。
 手前の三つの山道同様、しっかり道と対話できていました。まだかまだかと焦らず、目の前の道を確実に押さえていく。急くことなく休むことなくペースをキープ。昨年と違って少し余裕もありました。国境の道標まで26分59秒、ベストタイ、昨年よりも50秒早いタイムでした。昨年はマメが少し痛んで、05年以来のベストより遅いタイムでした。国境の少し手前のベンチでEさんが休んで食事中でした。峠の四阿でも二人の男性が休憩中。ここでは毎回のように休憩中の人に出会います。ぼくは登り口で休んだので,Eさんと少し立ち話をしたあと携帯で写真を撮ってすぐ下り始めます。
 昨年は全体に不調な区間が多くて、きっちり歩き直しておきたいという思いがあったのですが、その中でもこの松尾峠の下りが一番です。この山道の下りほど楽しく気持ちよく歩ける所はないのに、昨年は初めて思うように歩けませんでした。一本松の手前のトイレまで、ベストより20秒遅かっただけですが、気分としては5分以上遅れたという感じでした。
 11時22分、峠を下り始めたのですが、いつものようないいときの感じで歩けています。うれしくていつも以上に調子に乗ってしまいました。ちょっとくらいがんばっても、地面が柔らかいのであまり負担になりません。トイレまで29分37秒、ベストより1分以上早く着いてしまいました。

 一本松の交差点の1300m手前にあるトイレが本日2回目の休憩ポイント、ベンチには屋根がないので雨が降れば休めませんが、幸いなことにここでは一度も降られたことがありません。降られた場合には、少し先に四阿があります。けんぴをかじりながら休んでいると,Eさんが追いついてきました。「気持のよい道だったでしょう」というと「かなりスピードは出せたけどね」、ぼくには離される一方だった、と言いたかったのかもしれません。腰を下ろさずぼくより先に発たれます。
 20分ほど休んで12時15分に出発です。交差点の100mほど手前で、Eさんが交差点を左折するのが見えました。もう少し早ければへんろみちは直進ですよと言えたのですが。でも国道を行く方が少し近道になるから、そのことが判っていて左折したのかもしれません。距離が長かったからへんろみちにこだわることもないでしょう。
 トイレから交差点まで12分22秒、秒差ですがベストより早かった。でも本当の勝負はここからです、昨年のタイムはここからが最悪だった。
 バイパスの方の交差点にあるコンビニに入るお遍路さんが二人見えました。向こうがぼくを全く認識していなくても、ぼくがはっきり歩きの人だと確認できれば出会ったことにしてカウントします。正確にいうと見かけた人ということです。
 そのあと、昨年いっぱい写真を撮った近道(旧街道)に入りますが、新しいへんろ地図を見せて貰うと、こちらにも赤点線が付いていました。でも、地図にない道がどこにあるのかを、自分で見当をつけていくというのも、おもしろい作業ではありました。渓流沿いの道から舗装道に出てもう一度山の中に入ってしばらく行くと、前を行く男性が見えました。舗装道に上がる手前で声をかけて抜かせてもらいます。
 満倉小学校の近くにある休憩所まで、交差点から39分17秒、ここまでのタイムはとっていないので40番札所まで比較はできません。13分ほど休んで13時20分に発ちます。ベストで行ければ観自在寺に着くのは14時10分、今日は15時までに宿に入れそうです。
 休憩所を出てしばらく行くとまた旧街道に入るのですが、ぼくはまだこちらの道は歩いていません。09年に4年ぶりに来たときに整備されていたのですが慣れているそれまでの道を歩いて、昨年もタイム比較のためいつもの道、今年も昨年のタイムが気に入らないので直進してそれまでの道を行きます。旧街道が合流してくるところで、先に追い抜いて、休憩所で追い抜かれた男性が来るのが見えました。あれだけの道しるべがあればだれでも入ります。今年納得いくタイムが出れば次からは歩きたいと思うのですが、でも来年も無理かもしれません。

 観自在寺の1500m手前にある松乃家旅館の間口全面にシャッターが下りていました。昨年初めてお世話になったのですが、やはり廃業ということなのでしょうか。女将も大部高齢のようでほかに手伝いの人もいなかったから、仕方のないところかもしれません。昨年思い切って泊まっておいて本当に良かったと思います。この前を通るたびに泊まりたいと思わせる雰囲気がありました。
 信号を右折、観自在寺の手前最後の直線60mに入って、さあタイムはどうかとラストスパートをかけようとしたら、急に呼び止められました、玄関の脇にいっぱい煮干しが並べられているお宅の奥さんです。「これ持っていって」とタッパにいっぱい入った煮干しを突き出します。に、にぼしって、と一瞬たじろいだのですが、せっかく言って貰ったので、じゃあということで手のひらに一杯分だけいただきました。お礼を言って煮干しを握りしめたまま40番札所の山門の前に立ちました。
 14時10分、入山する前に握りしめた煮干しをほおばります。意外やしっとりしていい味でした。


 本日2枚目の写真は観自在寺のお大師さんです。昨年は雨の朝でした、しかもマメが痛んでその後は一日中うまく歩けなかった。それに比べると今日の歩きは最高といってもいいくらい。一本松からここまで90分14秒、ベストタイでした。後半は無理にがんばったというところもありますが、頑張れるだけの力が残っていたということでもあります。
 お参り納経をつつがなく終えて、14時33分、出発です。ちょうど一本松のコンビニで見かけた男性二人が到着するところです。


 14時50分、観自在から17分03秒、ベストタイで本日の宿民宿磯屋に到着です。6年ぶり3回目の投宿、携帯で写真を撮っていたら、ちょうど女将さんが出てきて、「撮ってあげましょう」と無理矢理ぼくを被写体にしてしまいます。でも操作がうまくいかず写っていませんでした。ぼくの顔を見るなり過去に何回か来ていることは察知されていたようです。15時より前に宿に入るのは今年初めて、てっきり一番乗りだと思ったら、2階の部屋から女性が顔を覗かせていました。後で聞いたら、今日は宿毛の宿から、23kmほどなのでぼくよりも早かったということです。ぼくよりも一回りくらい若いのかなと思ったら、何と少しだけお姉さんでした。四国は何回か巡っているようで、この宿も2回目、今回は108ヶ所を60日かけて巡るそうです。余裕のあるゆたかなお遍路はいいなと正直思います。ぼくのような1日40km歩く速足遍路は、決して自慢できるものではないし、貧しいと思うこともあります。早ければいいというものではないと、いつも自分に言い聞かせながら歩いています。だから自分のことはできるだけ話さないようにします。訊かれたら正直に言うしかないけれど、できるだけ訊かれないようにしたい。ほとんどの人はびっくりするけれど、そのことすらも恥ずかしいと思うようになっています。
 もう一人の同宿の男性はしばらくして宿に入られました。国道を行き過ぎてしまって宿に電話をかけてきて場所を確認、当然この宿は初めてですが、4回くらい巡っているそうです。
 女将さんは明るくておしゃべりが大好き、いろんなお遍路さんのことをおもしろおかしく語ってくれるので聞き入ってしまいます。そしておしゃべり以上に得意なのがお料理、かごに入っているのはお手製のじゃこてんとたけのこの天ぷら。この筍が絶品でした。ぼくは筍は好きでも嫌いでもないけれど、この筍なら毎日出ても大歓迎です。もちろんほかのものも全部美味しくて、どれを食べようか迷ってしまうほどです。こういうもてなしをして貰うとほかの宿には行けなくなってしまいます。

 15日目の歩行距離  38.5km
      歩行時間  6時間12分  7日ぶりの絶好調
      平均時速  6.21km