WALKER’S 

歩く男の日日

2月5日 東海道を歩く

2011-02-21 | 東海道を歩く


7:52 2ヶ月ぶりに最寄り駅の改札を抜ける。


8:06 10分で特急が停まる駅に到着。


まもなく阪神梅田行き直通特急がやってくる。


8:55 東二見の手前で前を行く普通電車が不調になったため、3分遅れで新開地に到着。

乗り換える阪急梅田行きは9時2分発なので問題はなかった。


9:34 定刻に十三に到着、階段を登って京都線のホームへ。


9:43 河原町行き特急が入ってくる、京都線の列車に乗るのは昨年の8月以来になる。


10:23 定刻に河原町に到着。


高島屋の入り口を横目に地上へ上がっていく。京都での用事はほとんど京都会館周辺なので、こちらの出口から上がるのは初めてかもしれない。


10:25 河原町通りの交差点の南西の角に出てきた。

南側に目をやると、廃業した河原町阪急が覆いをかぶっていた。


10:29 河原町通りを北へ200mほど行くとコンビニがある。ここが本日最初の目的地。入り口横の自販機の隣に注目。

ここは坂本龍馬が暗殺された近江屋の跡地。20年くらい前にもここに来たことがあったけど、そのときにはコンビニではなかったと思う。

この高札もそのときにはなかった。ごく新しいもののようだ。


10:34 さらに北へ300m行くと三条通に当たる。当たって右折したところ、しばらくはこの道を東へ行くことになる。


池田屋跡に池田屋ができていた。20年前は確かパチンコ屋だったはず。


10:35 この石碑も20年ぶり。

非常に詳しい解説版が設置してあった。これも前に来たときはなかった。こちらは京都市ではなくこのお店が独自で作ったもののようだ。左上は池田屋の間取り図と写真。


10:36 高瀬川を渡る。


10:37 20年前にこの前を通っていたはずだけれど、この碑を見た覚えは全くない。

この解説板は商店街振興組合が設置したもの。


10:38 東海道の起点(江戸から見れば終点)三条大橋にやってきた。ここから本日の旅が始まる。


10:39 道路を横切って南側の橋のたもとに弥次さん喜多さんがいる。




10:40 鴨川を渡る、ようやく東海道を歩き始める。


10:41 橋を渡りきると京阪三条駅。


10:42 高山彦九郎皇居望拝之像、高山彦九郎という人も知らなかったし、この銅像がここにあることも今の今まで知らなかった。



10:47 花見小路を横断する。


10:49 なじみのある東大路の交差点にやってきた。京都会館に行くとき南からこの交差点に来て右折する。そして100m先を左折して北上する。つまりぼくが歩いたことのある三条通は鴨川の東側ではこの100mだけだった。


10:51 ぼくがいつも歩く古川町通、京都文教高校の横を通って岡崎公園、京都会館に至る。


地下鉄東山駅の前を通過、ここからは全て初めて歩く道になる。


10:53 白川を渡る。白川端はぼくの大好きな京都のひとつ。


渡った橋は白川橋。


10:56 ここらあたりから緩やかな上り坂が始まる。


10:58 左手に立派な建物が見えたので、何かと思えば、立正佼成会の普門館だった。普門館は東京杉並のものだけではなかった。立正佼成会の講堂が全部普門館だとすればもっと多くの普門館が全国にあるのかもしれない。


11:00 ミヤコホテルの前に来た。ウエスティンミヤコ京都と名前が変わったのはどうしたことかと思っていたけど、乗っ取られたわけでも子会社になったわけでもなく提携を結んだだけで経営母胎は変わっていなかった。


11:01 ここから右(南)へ大きくカーブしていく。道が南北になっても三条通。


11:03 ミヤコホテルを過ぎると、すぐ蹴上浄水場の裏門。


すぐ隣に地下鉄蹴上駅がある。


11:04 立派な浄水場の塀が続く。


11:08 浄水場の正門、裏門からここまで500m、右側全部が浄水場になっている。


11:10 ここらあたりが峠のようだ。東山の中で最も楽に越えられるところに東海道が造られた。山という感じも峠という感じもほとんどない。


11:11 上を走るのは東山ドライブウェイ。地図でイメージしたとおりだった。


11:15 最初のハイライトにやってきた。ここから県道143号(三条通)を離れる。


11:16 想像していたよりずっと街道らしい道、両側に家は建て込んでいるけれど、峠越えの山道という風情も十分残っている。


11:17 普通車がやっと通れるくらいの狭い道、江戸時代の街道としてもかなり狭い道ではなかったか。やはりこの部分は街道というより山越えの道だったのだろう。


11:19 県道を見下ろす、県道の方が先に下っていく。


11:21 現代の家が建ち並んでいるけれど、頭の中でそれら全てを取り払い、雑木林をまわりに生やせば、大石内蔵助が祇園町まで通ったその道そのもの。容易に想像できる。


11:24 下り坂が始まった。山科の里は近い。


11:25 予想もしなかった急降下が続く。江戸時代にはこんな坂の途中に家などなかったでしょうね。当時の里はまだまだ先だろうしもっとこぢんまりした集落だったかもしれない。


11:26 ちょっと広い道路(市道勧修寺日ノ岡線)を横切る。大分緩やかになったけれど下り坂はまだ続いている。ここから400m先が第2のポイント。


11:28 ほぼ平地になった。駅前まではまだ少し距離はあるから、昔はほとんど田畑だっただろう。


11:30 2番目のポイントにやってきた、この交差点を右折する。グーグルマップで見たとおり、ちょっとずれた四叉路になっている。ただもう一つの目印にしていたシャトレなんたらというマンションが見あたらなかったので、念のために直進して確かめる。直進するとすぐ県道に突き当たったので、やはりここを右折するのが正解だと確信。2分ほどの寄り道になった、でも間違えた道を行くよりはいい。


11:33 先の交差点に引き返して南へ向かう。


11:34 東海道本線の下を抜ける。さっきの交差点からこのトンネルが見えていれば迷わずこちらに来たけれど、微妙にゆがんでいて見えなかった。


11:35 トンネルの出口から薬屋の看板が見える。野村薬局の角を左折、ここが第3のポイント。


確かに野村薬局、ここから逢坂の関までほぼまっすぐの道が続く、はず・・・。


11:36 山科の中心部へ近づいていくけれど、道幅は依然として狭い。


県道143号を横切る。県道は斜めに切れ込んで、この先で東海道と平行に東西を走る。山科の街を走っていても三条通。


東海道を歩く(2)

2011-02-21 | 東海道を歩く


11:40 県道の方を見やれば京都薬科大学の立派な校舎が見えている。駅前通も近い。


11:41 県道を横切ると道幅は一段と広くなった。すごく広いというわけではないけれど、少なくとも対面通行は可能になった。


11:43 道幅はさらに広くなって、町の中の街道という雰囲気が出てきた。


11:45 ここを右に折れて、県道116号、国道1号を経て五条通に入る道もある。


11:51 駅前通の数メートル手前で東海道の証拠を発見。ぼくは、山と渓谷社の「東海道を歩く」という本の地図を参考に歩いているのだけれど、その地図があまり詳細ではなくて、100%の確証を持てないまま歩いていた。これでやっと自信を持って歩くことができる。


11:51 駅前通の中央から山科駅を撮影したのだけれど駅らしい建物がよく見えない。左端の方の三角が入り口のようだ。ぼくがこの駅前を歩くのは、大学の時クラブのバイト(依頼演奏)で来たとき以来になる。そのときは徹夜のバイト明けで来たのでどこでどんな演奏をしたのか全く記憶に残っていない。


11:51 駅前の風景も全く覚えていないけれど、こんな大きなビルがなかったことは確か。


11:52 駅前通を横断すると、それらしい雰囲気の残る街道が続く。


11:57 優に百年は経っていそうな商家が営業中、八百屋さんのようだ。明治以前はこういう商家や民家が軒を連ねていただろう。


12:04 街道を遮る現代の道路、ここはいろんな道路が集まっているところ。名神の京都東インターがあるし国道1号も走っている。


12:05 ありがたいことにウォーカーのための案内板があった。歩道橋を2回渡ればいいようだ。街道を歩くウォーカーは想像以上に多いのかもしれない。


12:06 案内板に従って歩道橋を渡る。


12:07 国道1号を見下ろす。


12:08 歩道橋を下りていくといい感じの街道が続いている。振り返って確かめると今まで歩いてきた街道のほぼ延長線上にある。国道ができるまでは直線で同じような町並みも続いていたはず。


12:09 町はずれになって、より落ち着いた雰囲気で歩きやすい。車もほとんど通らない。


12:14 奈良街道(県道35号)への分岐点、ぼくの進行方向右斜め後ろへ行くと、宇治を経て奈良へ至る。


12:16 滋賀県に入る、と思っていたら、ぼくのパソコンの地図では歩道橋を渡るちょっと前から県境を越えていた。県境はこの街道のほぼ真上に引かれていて正確なところは分からない。


12:18 またも現代の道路に遮られる。今度は名神高速道路。


12:19 左折して名神沿いの道を行くと、すぐ国道1号に合流。


12:19 名神の下をくぐる。1号線の歩道は広くてとても歩きやすい。


12:24 名神と平行して緩やかな上り坂が続く。この少し手前の所で、2組4人のウォーカーとすれ違う。いずれもザックを担ぎ、手には地図を持っていた。江戸から通しで歩いているのか、区切りで歩いているのかはもちろん分からない。こんなオフシーズンにこれだけの人と出会うということは、街道歩きのウォーカーは相当多いのかもしれない。


12:26 国道と名神の間を京阪京津線が走る。


12:28 上り坂は一段落、峠が近いのかもしれない。


12:32 二つ目の歩道橋の案内があった。


12:33 二つ目の歩道橋を渡る。


 歩道橋の上から大谷駅が見える。


12:34 歩道橋を渡り終えると、有名な和歌が出迎えてくれる。近所の鰻屋さんの看板のようだ。


12:35 大谷駅の前を通過、無人駅ではない。駅員さんが掃除をしていた。


12:35 蝉丸神社があった。側の由緒書を読むと、神社ができたのは946年、現在の社が建立されたのは1660年ということらしい。


12:39 小さな公園、と言うよりは休憩スペースのようなものが整備されていた。目の前の建物はトイレ。ウォーカーの人たち7~8人が休憩していた。街道というだけなのに思ってもみないにぎわいだ。


ぼくは逢坂の関のことは蝉丸の歌でしか知らなかった。この解説板によるとこの関所が設けられたの平安時代のごく初期で平安後期にはその役割はほとんど形骸化していたということだ。そして現在ではその場所がどこにあったかも判明していない。江戸時代の旅人も僕たちと同じようにいにしえの古跡を懐かしむだけでこの前を通過していったことになる。


12:40 立派な石碑があったけれど、本当にこの場所だったかは分からない。


12:41 休憩所から下り坂が始まる。休憩所の所に右側に渡る信号があったけれど、この先で道が二またに分かれて、その左側の道を行くことになっているから渡る必要はない。上の歩道橋は東海自然歩道、この切り通しはかなり削られているから、昔の街道はあれくらいの高さの所にあったのかもしれない。


12:44 お大師さんの前で突然歩道が消えてしまった。やはり信号を渡っておくべきだった。でもこういうのは、実際に来てみないと分からない。


12:47 往来は激しいけれど、何とか右側に渡ってきた。違反かもしれないけれど、あのまま左側を歩く気にはなれなかった。名神の下をくぐる。


12:49 ここから国道1号と分かれて、左側の国道161号を行く。また左側に渡ってきたけれど、目の前の信号を右に渡らなければいけない。無駄な動きをしてしまった。


12:50 161号の右側の歩道に渡ってきた。


12:51 京阪の踏切を渡る。


12:53 なだらかな下り坂、広い歩道、とても気持ちよく歩ける。江戸時代ならこのあたりから湖面を望むことができたかもしれない。


12:53 こちらは関蝉丸神社、道路の反対側にあるので由緒を確かめる余裕はなかった。鳥居のすぐ手前に踏切があるというのはちょっとした珍百景ではないか。


12:54 東海道本線の上を通過する。向こうに大津駅も見えている、本日の旅も終盤を迎えた。


12:59 目印の郵便局の前に来た。ここから次の信号が右折ポイントになる。


郵便局の前で京阪が国道に合流して路面電車になる。


13:02 この記念碑は交差点の南西の角にあったので国道を横切ってきた。この交差点から北へ直進するのが北国海道、右折して東進するのが東海道。




13:03 札の辻から東海道、東方面を眺めたところ、国道の幅に比べると大分狭い。当時の街道は町の中でもこれくらいがスタンダードだったのだろう。


13:04 北国海道の方から路面電車がやってきた。


13:05 大津の宿場を歩く、山科より大分それらしい雰囲気が味わえる。


13:05 丁度いい感じの道幅、車の通りも少ない。


13:06 この通りの街灯にはもれなくこのように東海道の文字が入った看板がとり付けられている。本当に東海道を歩いているのだと実感する。


13:08 いい感じの町屋が残っている。1軒でも残っていると想像の翼を広げるきっかけになる。


13:08 ここはロシア皇太子が斬りつけられた、大津事件の現場。




13:10 こちらは料理屋さんだけれど、建物は重要文化財に指定されている。


13:11 駅前通を横断する。この交差点に来るのは6年ぶり、吹奏楽コンクール関西大会が大津市民会館で行われたとき以来になる。


13:11 この案内板は6年前にも見ていた。そのとき、ちらっと向こうの方から歩いてくる自分を想像した。今それが現実になっている。でも、このまま江戸まで歩くことはできない。続きはいつになるか想像もできない。


13:12 江戸時代にもあったかもしれない古い看板のお茶屋さんの前を行く。


13:14 右手に、ちょっと趣のある滋賀県庁の建物が見えた。


13:21 京阪の踏切を渡る。旅の終わりがいよいよ近くなった。


13:22 食堂のウィンドウに「江」のポスターがあった。4年前の「風林火山」の時もそうだったけど、ぼくは水川あさみが一番気に入っている。


13:23 左手にパルコ、その先には西武があるはずだ。大通り(県道18号大津草津線)は東海道の北100mを走っている。おかげで昔の趣を感じながらこの道を歩くことができる。


13:26 義仲寺(ぎちゅうじ)の前にやってきた。ここには松尾芭蕉のお墓や、芭蕉の弟子、島崎又玄の「木曽殿と背中合わせの寒さかな」の句碑もあるそうだけど、拝観料200円がかかるので入らなかった。




13:28 義仲寺のすぐ先の交差点、ここが本日の旅の終点。ここから東海道を離れて膳所駅に向かう。


13:32 河原町駅から3時間9分で膳所駅に到着、距離は15km弱だから時速5kmも出ていない。信号待ちの時間もあるし、写真もいっぱい撮って考えながら歩いていたせいもあるけど、予想より大分遅い。初めての道で味わいながら歩くと、これくらいが標準になるのかもしれない。四国とは同じにならない。
 足の調子はすごく良かった。時間さえあればあと15kmくらいは楽に歩けそうな感じ。痛みも疲れもちょっとした違和感さえも全くどこにも感じることはなかった。やはり1月に250km歩いたのが大きい、2回目のお遍路の前1ヶ月に歩いた距離がそれくらいだった。それで四国では本当に調子よく歩けたから練習としては十分だったといえる。