WALKER’S 

歩く男の日日

12月11日(土) 関西学院大学応援団総部吹奏楽部 第49回定期演奏会

2010-12-12 | 演奏会


1部  A Song for Kwansei        山田耕筰
    「ロデオ」より カウボーイの休日  A・コープランド
    歌劇「ラ・ボエーム」第2幕より   G・プッチーニ
    バレエ音楽「三角帽子」第2組曲  M・ファリャ

2部  A Weekend in New York     P・スパーク
    交響曲第2番              J・バーンズ

アンコール   エニグマ変奏曲より     エルガー
          「雪娘」より道化師の踊り  チャイコフスキー

 関学の演奏会に来るのは昨年の春以来になる。定期演奏会はここ30年で23回は来ているし、この10年は休まず来ていたから、昨年予約していながら急用で来られなかったのは、辛かった。今年も前売りを買っていたけれど、前日までどうなるか分からなかった。でも無理をしても来てよかった。ぼくが関学の演奏会に来る目的の第一はエンディングの賛美歌を聴くことにある、賛美歌を聴いて泣く。涙はこぼれないものの、毎回胸がじーんと熱くなってウルウルする。これがなくなったら来るのをやめてもいいと常に思っている。でも30年を過ぎてもやめられずにいる。今回は1年半ぶりということもあって、さらに新鮮な感じがして本当に涙がこぼれた。音楽を聴くだけで涙がこぼれるというのは本当にありがたいことだと思っている。

EX-H20G

2010-12-10 | 日記
 今朝の姫路の最低気温は0.8℃、この冬一番の冷え込みになりました。ぼくの室温も初めて10℃を切って、8℃まで下がる。昨夜冬布団を出して正解だった。シングルの毛布と併せて使うとちょっと暑めで、ずっと夢を見ている感じだった。本格的な冷え込みはまだまだという感じでもある。
 朝日の朝刊にCASIOの1面広告があった。EX-H20G、世界初ハイブリッドGPSカメラだ。ぼくが使っているカメラは6年前に買ったCASIOのEX-S100、300万画素の二時代前の型だけれど、今でもこれ以上のカメラはないと思っている。お遍路に持ち歩くのに最適な薄さ(18mm)だし、ブログに使える写真は130万画素までだから、画素数が多くても意味はない。だから、このカメラを買って以来新しいカメラをほしいと思ったことは一度もない。でもこのGPSには初めて心動かされた。一番魅力的なのは軌跡表示、四国で未だに分からないのは山の中の道、それをクリアにしたいという気持ちは常に頭の中にある。価格はヨドバシドットコムで39800円、amazonで36800円というところでした。これだけの性能なら決して高くはない。

東高野街道 12月11日

2010-12-09 | 東高野街道

10:46

大阪難波駅のホームから改札の前へ上がってくるとせんとくんが出迎えてくれる。5ヶ月ぶりに難波にやってきた。目指すは学文路から極楽橋までの東高野街道。

10:53

南海難波駅のホームに上がっていくと、橋本行き急行はすでに待っている。この時間だと一番札所霊山寺の近くに泊まった人が高速バスに乗れば、この電車で高野山に向かうことになるから、一人くらいはいるかもしれないと思ったけれど、一人もお遍路さんはいなかった。秋のお遍路シーズンもすでに最終盤だ。

12:08

紀ノ川を渡る。天気予報は曇り時々雨だったけれど、雨は降っていない。降りそうな気配もない。持ってきた傘は杖としての役割だけで済みそうだ。

12:14

学文路駅の標高は79m、極楽橋の標高は538m、10km歩いて500m登る。でも途中でかなり深い谷へ下りるから700mは登ることになる。

12:16

改札を出るとすぐ階段がある。当然反対側にはスロープもある。目の前は国道370号、東へ200m行って、南へ折れる。

12:22

たった200mなのに6分もかかったのは、目印となる郵便局が見えず、行き過ぎてしまったから。郵便局は国道沿いではなく北側の細い道の方にあった。右折するといきなり急坂がまっている。

12:22

踏切を渡ってもまだまだ急坂が続く。このくらいの道幅だと街道の雰囲気が感じられる。

12:23

ようやく勾配がゆるくなってきた。

12:24

歴史街道の道標があった。初めての道だから、こういう確証があると一安心できる。

12:25

石童丸物語がどういうお話か知らないし、そばに解説板もなかったけれど、ここに宿があったということは、明治の初めまでは門前町として相当にぎわったことが想像できる。

12:26

右手に眺望が開ける。向こうに見えるのは雨引山、2年前歩いた町石道はあの中腹あたりになる。

12:28

左に入ると西光寺、苅萱堂。新高野街道にも荒れ果てた苅萱堂があったけれど、こちらはもちろんちゃんとお参りもできる。江戸時代の参拝者は必ず立ち寄ったことだろうけれど、ぼくは時間の余裕がないのでお参りはできない。

12:28

案内板のそばでもう1枚。

12:29

かなり汗もかいて熱くなってきたので、ジャンパーを脱いでザックにしまう。半袖下着と厚めのネルシャツだけになる。春のお遍路とほとんど変わらない格好で歩く。

12:34

こういう分岐点に当たると、一瞬当惑する。でもまさか上の方が県道だとは思えないので地図を確認するまでもなく下の道をそのまま行く。

12:35

こういう細い山道だと舗装されていても街道の雰囲気が味わえる。

12:36

軽自動車でも、立ち止まって脇によけないといけないくらいの細さ。

12:36

とはいえ県道だからこのように拡幅工事が進んでいるところもある。でもこの幅も長くは続かない。

12:39

左手にため池を確認、ほとんど一本道だから間違いようはないはずだけれど、こういうはっきりした目印があると安心できる。

12:40

ちょっとした集落の中に入っていく。坂も落ち着いてほとんど平坦になる。

12:44

分岐点がある。右が県道、左が旧街道であることは地図で確認済みである。

12:44

分岐点に道標、高野山 女人堂 九拾町 と読めるけれど、どちらの道を行けばいいかは示していない。

12:48

ぼくのPCの地図を見ているときは県道から旧街道に入ると下り坂になると勝手に思いこんでいた。でも実際は真逆でこのような急な上り坂が続く。

12:49

軒下につるし柿、ここは柿の一大産地。街道のまわりの山肌の多くが柿畑になっていた。

12:50

突然街道を横切る太い道とトンネルが現れた。ぼくの地図にはなかったのでちょっとびっくり。

12:52

左へ入る道があって、そちらの方が太いので一瞬迷ったけれど、紛れもなく目の前の道が街道。

12:53

左手にまたため池、これも大きな目印、今までの道が全て正しいことが確認できてまた一安心。

12:55

下り坂になった。ここが河根の里に下りていく峠なのか。

12:55

また広い道が現れた。ぼくのPC地図ソフト「プロアトラス」は10年以上前のものでこの道は載っていないけれど、グーグルマップにはちゃんと載っていたので、今度はおどらかない。

12:56

街道は太い道を横切って斜め左ということも確認済み。

12:57

新しい大きな道の横に昔ながらの街道が続く。

12:58

急な下り坂になった。いよいよ河根の里が近い。

12:58

どんどん下っていく。

12:59

ここから大きく「く」の字に折れてさらなる急坂を下りていく。

13:00

地図の裏に河根丹生神社の道標がある。安心して左下の道へ落ちていく。

13:00

写真ではあまり伝わらないけれど、落ちていくという表現がぴったりなくらい急な下り坂。地元の人は慣れているからどうということはないのだろうけれど、バイクや自転車でこの坂を下りるのはとても無謀な感じがするほどだ。

13:01

ヘアピンカーブでさらに下る。幾分緩やかになる。

13:01

さらに急カーブで左へ、傾斜はますます急になっていくようだ。グーグルマップを見たとき相当急な坂道だとは思ったけれど、想像を超えていた。

13:02

名残の紅葉が1本、ここまで裸の柿の木と緑しかなかったので、思わず足を止めて見入ってしまった。

13:02

これだけの舗装された急な下り坂というと、三坂峠の終盤の坂道を思い出す。三坂峠ではいつもものすごい負担を感じてまともに歩けなかったこともあるけれど、この道ではほとんど負担を感じない。同じくらいの勾配だと思ったけれど、三坂峠はもっときつかったのだろうか。

13:03

その先を右折すると河根の町に入っていくことは地図で確認している。下りもまもなく終了。

13:04

河根の町へ下りていく。町を過ぎれば前半の終了。

13:04

河根丹生神社に到着。向こうに鐘楼が見えるのでどうしたことかと思ったら、同じ境内に日輪寺というお寺もあった。

13:05

県道102号の交差点を渡る。
                (2)へ続く


東高野街道(2)

2010-12-08 | 東高野街道

東高野街道 続き


県道を横切るとすぐ本陣跡があった。江戸時代は本当にこの道が表参道であった。この道ができて、ここに本陣があるとなると、確かに町石道はすごく不便な感じがする。九度山に宿があったとしても1日で往復するのは難しい。高野山に宿坊があれば無理なく登れるけれど、当時は今のように山全体が宿坊のようなことはなかったかもしれない。この宿からだと1日で往復するのもかなり余裕が持てる。13:06


丹生川にかかる千石橋のたもとに道標があった。高野山女人堂 二里、と読める。学文路からここまで4kmを50分くらいで来たことになる。1時間を目途にしていたからまずまずのペース。13:09


こうしてみると左端の町石道(オレンジの道)はすごい大回りだということが分かる。しかも慈尊院から先はほとんど人家集落がなく、従って宿もなかったであろう。こちらの道はここから4km先の紀伊神谷周辺にも集落があって江戸時代には多くの宿があったという。


千石橋を渡る。13:10


丹生川を渡る。これが丹生川ではなかったら、空海は高野山に道場を開かなかったかもしれない。


橋を渡って突き当たりに道標があった。13:11


橋を渡ればいきなり急な上り坂になることは承知していた。13:11


あれだけの急坂を下りてきたのだから、これだけの急な登りになるのは道理。13:13


まだまだ緩やかにはならない。13:17


まだまだ急勾配。13:19


大分緩やかになったけれど、まだ平坦とまではいかない。これだけ緩やかになるとそろそろ峠かなという期待も出てくるけれど、13:20


カーブを曲がるとまた急傾斜が始まる。


 右手に雨引山が見えた。中央の鉄塔の所からあの山の裏側を回り込むのが町石道、ここからあそこまでの往復分(約10km)遠回りになる。13:25


坂の先はそろそろ峠かなという期待がふくらむ。13:27


期待はあっさり裏切られる。考えてみれば河根から紀伊神谷まで1時間近くかかるのにその半分も来ていない。でもここまでず~っと登りだから、頭の中ではいつ峠になるかという期待しか思い浮かばない。13:28


カーブの先は・・・13:31


まだ上りは続く。13:32


これだけの上りだから、またカーブの先に期待する。13:33


ほとんど平坦なところに出てきた。このままか、下りになることを当然期待する。13:34


まだ下りにはならない。13:35


整備された広い道が続くけれど、街道、参道の趣は感じられない。13:37


 ここまで来ると、神谷まで峠そのものがないのかもしれないという気になってくる。考えてみれば新高野街道も峠があったのは神谷の集落の数百メートル手前だった。


幅が狭くなって少し街道らしくなってきた。13:38


この脇の道が昔の街道ではなかったかという感じがする。でもあえて試すまでの勇気はない。13:52


いい感じのカーブが見えてきた。13:53


大分平坦な感じにはなってきたけれど・・・13:54


今度こそ本当にいい感じ。カーブもないのに先が見えないのはかなり落ち着いているにちがいない。13:55


初めて期待通りの平坦な道が現れた。でも峠という感じは全くない。


 明治4年にここで行われた仇討ちが日本最後の仇討ちであったと書かれている。ここが街道であったことが想像できる。13:56


やはり峠ではなくて緩やかな上りになっている。13:57


河根から50分になるから、そろそろ神谷の集落が見えてくるはずだけれど。 13:58


また平坦な道になった。いよいよ大詰めか。14:00


本当にそれらしいカーブが現れた。待ちに待った峠の可能性が高い。14:02


期待通り、ここが本当の峠のようである。


河根から1時間近く登りに登って、ようやく下りを楽しめる。14:06


右京大坂道、の道標、隣は高野山女人堂、までしか読めない。東高野街道は一般的には「京・大坂みち」と呼ばれていたようだ。14:07


家が見えた。ようやく神谷の集落に到着、峠は集落の手前500mくらいだった。14:08


新高野街道との合流ポイントに到着、ここから先は5ヶ月前に歩いた記憶に新しい道になる。


千石橋から3.8kmを58分で来た。時速は3.9km、予想していたより険しい山道だったので思ったほどのスピードは出なかった。でも予定の電車には楽々間に合う時間ではある。14:09


合流ポイントから極楽橋までは5ヶ月前に写真を撮ったので、撮影は少なくして歩きそのものを楽しむ。この切り通しは撮影し忘れたポイント。この道が江戸時代の街道だったかは大いに疑問とするところだけど。14:22


南海高野線の上を渡る。14:28


新極楽橋の前を通過。この橋を渡っても高野山へは行けない。14:29


極楽橋の下をくぐる。今回の終点は高野山ではなく、極楽橋駅なので橋は渡らない。14:30


合流ポイントから2kmを24分で来た。時速5km、調子も良く疲れもなかったけれど、思ったほどのスピードは出ていなかった。予定の時間より40分も早くついたので1本(25分)早い電車に乗ることができる。高野線の終点極楽橋で駅を出る人はほとんどいない、そのままケーブルに乗る人がほとんど、なので駅の改札はこのように裏口か勝手口のようなたたずまいになっている。
 偶然にもこの最後の写真が88枚目になった。14:33


観音寺通過

2010-12-06 | 日記
 13番大日寺から距離が短い札所が4つ続く。ここでも歩数計の距離と実際の距離にずれがある。歩数計では13番から17番までの距離は9.1km、実際は7.8km。今日はジャスコまでの往復遠回りして7.7km歩いた。本当なら井戸寺に到着しているけれど、歩数計は井戸寺の手前1.3kmまでしか来ていない。府中駅の踏切のあたり。累計で88km、あと12日で土佐の国に入るのが、当面の目標。

大日寺到着

2010-12-05 | 日記
 今日は一気に9.5km歩いて13番札所までやってきた。これくらいの距離をこなすと本当に歩いたという感じがする。四国では札所がなければ大体これくらいは休まず歩くことにしている。足の痛みも疲れもなく後半になるほどスピードが乗ってくる感じだった。今なら、1日に40kmでも歩けそうな気がする。望みは当分お預けだけれど。

広野郵便局通過

2010-12-04 | 日記
 今日も2回に分けて11kmを歩く。焼山寺から17km、広野郵便局のあたりまで来たことになる。歩数計では焼山寺から大日寺まで26.8kmの設定になっているけれど、実際は22.5km。4km以上のずれがあるので歩数計の中ではどこらあたりにいるのかよく分からない、とにかく、あと9.5km歩かないと大日寺に着かないことにはなっている。

玉ヶ峠通過

2010-12-03 | 日記
 今日は2回に分けて12km歩くことができた。用事があるので10km以上歩こうと思えば2回に分けないとどうにもならない。10km以上歩くのは前回の日帰り以来7週間ぶりになる。おかげで久しぶりにドーパミンが出ているのを実感する。積算で60km、焼山寺を過ぎて玉ヶ峠までやってきたことになる。今年中に土佐の国に入るのも不可能ではない。

11月24日(水) 近畿大学吹奏楽部 第50回定期演奏会

2010-12-03 | 演奏会


関西の吹奏楽指揮、オールスターズ。


1部  「ベルファゴール」序曲         O.レスピーギ/木村吉宏 編曲
                     指揮 芹川和輝(学生)
     交響詩「ローマの祭り」         O.レスピーギ/高橋徹 編曲
                     指揮 辻井清幸
2部  バレエ組曲「シバの女王ベルキス」  O.レスピーギ/木村吉宏 編曲
                     指揮 木村吉宏
     交響詩「ローマの松」          O.レスピーギ/木村吉宏 編曲
                     指揮 森下治郎
アンコール  
        ヴァレンシアの寡婦よりダンス  ハチャトリアン
        行進曲「国民の象徴」        バグレー

 夕食をいつもより早めにすませ、何とか開演前に到着した。意外なことに当日券は販売されていた。でも1階の最後部で立ち見をしている人が20人くらいいたから、座席はなかったのかもしれない。ぼくの席は3階のRRB、ステージのトランペット、トロンボーンの前列の真横にある。でもこの席は悪くない。ステージに近いので、反響や残響がくる前に、ダイレクトに全ての楽器が来るので、バランスは悪くないし、楽器間のつぶし合いもあまり感じられない。もしかしたら、吹奏楽を聴く場合このホールでもっとも聴きやすい席かもしれない。ただ打楽器が近いので、ほかの席より気になることは多い。
 電車の都合でアンコールは聞けなかったけれど、プログラムの4曲は隅から隅まで集中して聴くことができた。吹奏楽の演奏会でこれだけ集中して聴くことはあまりない。さほどに、近大の演奏は密度の濃い、充実した内容だった。特に「ローマの松」はすばらしかった。第1曲の「ボルゲーゼ荘の松」は全てのクラシック曲の中で最も吹奏楽アレンジに適した色彩感、躍動感に満ちた曲だと日頃から思っている、そのぼくの期待に違わぬ文句のない演奏だった。全てのセクションが何を吹いているか聞き取ることができたし、それぞれが生き生きして殺し合うこともない、本当に豊かな音楽で涙が出そうになるくらいだった。


柳水庵を通過

2010-12-02 | 日記
 今日は6kmを歩き、積算で48km。藤井寺と焼山寺の中間点、柳水庵を通過したところ。まだ阿波の国の4分の1に過ぎない、土佐の国に入るころには本当に歩いている感じがするのかもしれない。